はてなキーワード: 法事とは
隠してたわけではなく、夫が増田のことをちゃんと愛していたが故に、前妻のことを言い出しづらかったのでは?
ちょっと八方美人っぽい感じはするけど、好きな人にいいとこだけ見せたい、言い出しづらいことを後回しにしちゃうタイプっていると思う。
あと、そんなに前のことなら、法事はちゃんとやるけど、今の幸せな生活に過去のことを持ち込みたくないって気持ちもあったんじゃないかなぁ
なんと、夫の前妻は自死だったらしい。
来月、法要のためにとある遠方の地へ行くと言う。義両親も伴うというので、すっかり親族の法事だと思ってわたしもいく気で支度をしていたら「来ないでほしい」と言われ、不審に思って問い詰めたらすぐに口を割った。前妻の7回忌だそうだ。
それまではバツイチと聞いていたので、驚いた。今まで聞いてきたバツイチトークはすべて嘘だったのか…と思うと軽く目眩がした。夫は、「お互いに愛情が冷めて仮面夫婦状態となり、最終的に性格の不一致で離婚した」という旨を誠しやかに話していたというのに、死別だったなんて。全然話が違う。
子供がなかったことと、離婚裁判の最中の自死だったことから、お墓や法事などの供養は前妻の実家で行なっているらしい。
頭がいたい。
わたしは精神にかなりダメージがあって、代休がたまっていたのもあったので今日は会社を休んで家でゆっくり過ごすことにした。
とはいえどうもこうもモヤモヤして、考えても仕方ないことばかり考えてしまうのも飽きてきて、今まであまり足を踏み入れて来なかった夫の書斎に入ってしまった。
わたしと2人で行った旅行の写真、試験の教本、ポケモンカード、見慣れたそれらには目もくれず、普段絶対に開けない引き出しの中を見てみることにした。
そしたら当たり前にすべてが出てきた。
死亡診断書や火葬許可証のコピー。即死ではなかったようで、死ぬまでの入院中に医者が書いたであろう生々しい書類の数々。その間見舞いに通ったであろう市民病院の駐車券の束。葬儀の打ち合わせ資料。生命保険会社からの郵便物。税理士からであろう相続書類。
そして、夫の日記。
離婚裁判中に自殺企図をくりかえす前妻との戦いの日々。ある日を境に、入院した前妻の看病日記。
僕は[前妻]を愛していた
[前妻]は僕を愛していた
お互い愛し方が違って、愛され方に不満があったんだよな
合わないから 離れよう
それだけだったのにな
[前妻]、楽になったのか
吐き気がした。
過去の妻に対する嫉妬?そんな可愛らしいものではない気がする。
配偶者が自殺しかかってるというのに「離婚」の意思を頑固に貫く夫も怖くて気持ち悪いし、
離婚が嫌だからって自殺なんて選択肢を取る前妻も気持ち悪いし、
前妻が自死して早々にこんな寒々しいポエムを書ける夫が本当にサイコパスに思えて、こんな人と何も知らずにぬくぬくと夫婦をやってたわたし自身が気持ち悪い。
一番気持ち悪いのはこんな重大なことをわたしに隠していたこと。
義両親は?義兄は?当然知っていたであろう。葬儀の出席表に名前があるもの。その上で夫と口裏を合わせていたのか。夫に加担したのか。わたしにこのことを知られないために。
いや、言いにくいのはわかるさ。自分の親族がもしそんなことになって・・・考えられない。こんな最悪の事態になる前になんとかしなかったのか?手助けはしなかったのか?
知ったら結婚しなかった?わからないけど、夫とそれについて会話して自分なりに納得というか、腑に落ちないと無理だ。だって異常でしょ。いろんなことが。
よくあることなんだろうか?
被害者はだれなんだろう。自死に追い込まれた前妻?面倒な過去を背負わされた夫?何も知らないでのんきに後妻を演じていた、わたし?
配偶者が目の前で自死しようとも離婚しかえらべないほど追い込まれていたのは夫なの?
異常者は誰だ?こんな状態で離婚届もとりに行かずに嘘だったらいいと夫の書斎を勝手にひっくり返して調べて嘘じゃないことに直面して涙しているわたしか?
せめて離婚した後の自死だったらよかったのに、何か見落としていないか、救いはないのかと書類を漁るが、除籍謄本の写しが、救いなどないことを突きつけてくる。
なにもわからない。
混乱している。
法事自体は問題なく終え、1泊して帰るまでに少し時間があったので時間を潰せる場所を探していたら見つけたのが中野プラネタリウムだった。
まだ小学生だった頃、夏休みの間は共働きだった両親の負担を減らすために私は母方の実家である中野へ預けられていたのだが、よく祖父が連れて行ってくれたのがそこだった。
何だかとても懐かしくなり、ふらりと訪れてみたプラネタリウム。
大人200円子供100円という破格の値段で驚きながら中へ入ると、おぼろげな記憶だが当時とまったく変わっていないように見えた。
部屋の中央へ据え付けられた大きな鉄アレイみたいなフォルムの投影機械。
…夏の暑い日、祖父に手を引かれて入場した記憶がよみがえり、ちょっと涙ぐむ。
しばらくして上演が開始された。
説明を聞いていて驚いた事に施設で使用されている機械は三十数年前、つまり私が祖父に連れられて来たあの日と変わっていないらしい。
「最新の機械だと星々を線で結んだりする機能が付いていたりするのだけれど、出来なくて申し訳ない」と解説員さんがちょっとだけ申し訳なさそうに言っていたが、とんでもない。
──つまり私は、祖父と観たあの日と同じ夜空を、同じ場所で、眺められているのだ。
そう感じたら空を見上げながら涙が溢れてきた。
偶然の思い付きで数十年ぶりに訪れたプラネタリウムでこんな追体験ができるなどとは思っていなかった。
少しだけ滲んだ星空を眺めながら、私は亡き祖父を偲ぶ事ができたのだ。
絶対にまた来ようと、そう誓い私は施設を後にして母方の実家へ戻る。
そしてこの話をしたら母が思い出したようにこう言った。
「あー…そう言えばおじいちゃん、『安いし涼しいし暗いから昼寝するのにプラネタリウムは最高』って言ってたわ」
なんと、かなり頻繁に連れて行ってくれてたのはそれが理由だったらしい。
おじいちゃんも意外にロマンチストだったんだなぁ…とか思ってたよ。
笑いながら昔話に花が咲いた。
車で外食に出かける時に、俺が運転し、後部座席には子供達がいるのに妻が自分一人で YouTube のなんか動画を平気で見る。
礼儀とか他人と時間・空間を共有しているという気持ちが無いんだろうか。人として終わってんなと思った。
帰りに、同じように俺が運転し、父が隣に座り母が後ろに座った。母が自分一人で YouTube のなんか動画を平気で見る。
俺の母は携帯にも疎いし礼儀にそれなりに厳しい人だったので俺はひどく動揺した。70歳を超えているので人として壊れ始めているのではないかと心配した。
一番信じられないのは二人ともヘッドフォンをするわけでもなく携帯からの音声を普通に垂れ流していたことだった。うるさいでしょ。
そして俺は、ふと「こんな小さなことを気にして自分勝手に人間のあるべき姿を持ち、そこから外れた人を家族であろうと断罪している俺の方が壊れてるのかもしれないな…」と思った。
俺はどちらかというと PC とか動画にのめりこみやすいタイプで人とのコミュニケーションも億劫になる方だ。
だけど、人と一緒にいる時に PC とか動画にのめりこんでその場にいる人との交流を疎かにするのはとても失礼だと思っている。
けど、時代が進んで実は今はそんなことで失礼だと思う奴はいないのかもしれない。
俺は壊れてるのだろうか、価値観のアップデートが追い付いていないのだろうか。
それとも、妻や母が知能が弱いために YouTube のアルゴリズムに心を支配され始めているのだろうか。
なんにせよ、すごく自分の価値観が揺さぶられ、自分の子供を最後まで愛せるのは俺一人だけの気持ちになり、不安になった夜だった。
お前が両親と寺の付き合いにどうこう言う権利はない
親は年金暮らしだが足りんというので仕送りしてる。なので多少は口を挟む権利があると思ってる。とはいえお布施全額払ってる訳じゃないし、絶縁したい訳でもないので悩むところだ。
金額もそうだが、今どき寺との付き合いってなんだ?隣近所みんな親戚みたいなド田舎ならまだ分かるが、うちは都内の話だ。しかも寺は別に近所でもないし他の檀家なんて1人も知らん。
親も葬式と法事以外で寺に行くことなんてない。そんな状態で続けるお付き合いってなんだ?
寺まわりの金全額出してないと何も言えないのか?たしかに親の金は親のもんだが、その馬鹿らしさに一言も言っちゃいけないか?どうしたら穏便に説得できるんだよ。
切実に教えてほしい。
去年祖父母が相次いで亡くなった。喪主は親だったんだが、人生ではじめて葬式を仕切る側の手伝いに回った。そしたら寺へのお布施が1回100万だった。
そんな払ってるとは知らなかったわ。100万あれば結構なことできるよ。それを信じてもない宗教に持っていかれんの納得いくかよ。
それ以外にもことある事に法要やらなんやらで毎年それなりの額をとられてる。
墓もあるし付き合いもあるからと親は言うが、その金老後資金にでもしてくれよ。こっちの代になるまで待たないといけないのか。
ちなみにそこの坊主はこちらのことはぼんやりとしか認識してない。お経あげた後に有難いお話的なものがあったが、通夜も告別式も納骨も全部同じ話だった。法事合わせりゃ10回以上同じこと聞いてる。
レパートリー増やせよ。
葬式代は貯めとくからと親は言うが、そんなもん生きてる間に使った方がよっぽど良いだろ。それか遺産としてくれ。ありがたく有意義に使う。
私は神社仏閣の御朱印を集めるのが趣味であるが、その中で知った御朱印の種類について書こうと思う。
・直書き
通常は筆やペンで文字を書き、印を押して貰う形となるが文字もゴム印で押して日付けのみ手書き、若しくは無かったり自身で書き入れる形となることがある。
・書き置き
あらかじめ用紙に御朱印を書き入れたものであり、通常の御朱印の他にカラーデザインや切り絵等のものもある。
一枚一枚手書きで書いたものもあればコピーで印のみ手押し、若しくはすべてコピーという所もある。
住職等、御朱印が書ける人が不在でもどなたかいればいただけたり、境内の中に置いておいてお代は賽銭箱にという形を取っている所もある。
また住職がいても御朱印を1から書いていると時間がかかるのでという理由で書き置きのみの所もあれば、書き置きでは味気ないと直書きしか行っていない所もある。
また大きさも様々であるが私は小さめの御朱印帳を使用しているため、書き置きの御朱印が大きくて貼れない場合は小さめのクリアファイルにて保存している。
・書き手
基本的に住職が書き入れる事が多いが住職が不在だったり多忙だったりすると副住職や弟子、前住職や寺庭(住職の奥様)が書き入れる所もある。
またお寺限定で書道教室を行っている書道家の方もおり、その方が住職に変わり書き置きの御朱印を書いたり、お寺のイベントで御朱印帳に直接書き入れを行なう事もある。
また書家の金澤翔子氏が縁のある寺院で御朱印を書いたり、書道展を行っている。
小さな神社仏閣では御朱印がない所もあるので事前に聞いて有無を確認した方が良いと思う。
住職が普段いらっしゃる寺院で兼務されているお寺の御朱印もいただける事がある。
御朱印に力を入れている所ではLINEで御朱印をいただける日時を予約出来るが、一般的には事前に電話で都合の良い日時を聞いてお願いした方が無駄足にもならず効率が良い。
小さな寺院では人手も少なく特に土日に法事が多く、その合間にいただく事もあるがあくまで寺院の都合に合わせる形となるので自身のスケジュールに余裕がある時でないと難しい。
・金額について
基本的に300円で良いという所が多いが最初から金額が提示されていて500円やカラーや切り絵のものでは1000円前後のものもある。
■追記■ 色々ご意見をありがとうございます。 追記しました>anond:20250510212729
ドラクエも1と3しかしてないくらいで、そもそもRPGやらない子だったおじさんである私。
なのに、やったことすらないファイナルファンタジーに対してなんかずっと苦手意識があったのですよ。
何でか分からないまま生きてきたんだけど、こないだ祖母の法事で田舎に帰った時に突然フラッシュバックした記憶で理由が分かったんです。
それは遠い昔。
確か魍魎戦記MADARAってのが載ってた気がしたので調べたら、マル勝ファミコンて雑誌だったと思うんですけど。
当時FFプレイしたことなかったんだけど、せっかく付いてきたしって事で何となくそれを読みました。
で、内容はほぼ覚えてないんですけどワンシーンだけ強烈に頭に焼き付いた記憶があったのです。
幼い私は「お、えっちなシーンかっ?!」って毛も生えてないおにんにんをちょっとだけ硬くしたんですね。
そして期待しながら先を読み進めると……
こんなのえっちなシーンになるって思うじゃないですか?
……で、次の展開が。
『◯◯(ヒロイン)はその豊かな胸を引き裂き、肋骨の何本かを☓☓(主人公)に突き立てたのだ』
えっちなシーンを期待していた幼少期の私が目にしたのは、そんな文章でした。
ふたりの名前すら覚えてないのに、このシーンの言い回しだけは文字に起こせるくらい強烈に覚えているのです。
その後、主人公が泣きながらヒロインを殺して終わり、とかそんな内容だったと思います。
……読み終えた当時の私は思いました。
『ああファイナルファンタジーというゲームは、ヒロインがおっぱいを引き裂いて肋骨で攻撃してくるゲームなんだ』……と。
今なら絶対にそんな事ある訳がないと分かりますが、当時の私は「そんな恐ろしいゲーム絶対にやりたくない」と感じたのでしょう。
この原初体験が元になって、私はファイナルファンタジーに苦手意識を持ったのです。
いや、今なら「販促でそんなゴア表現の付録つけんな」とか「その展開は誰が得すんだよ」とか「スクエアは良くこれにOK出したな」とか、色々とツッコミ入れられますが、当時はそれが許されたから付録として付いてきてた訳で。
そんなのが許されていた昭和という時代は凄かったんだなと再確認しました。
こんな思い出は誰にも話せないし、正気を疑われるのは確実なので、ここへそっと吐き出させて下さい。
私は今東京にいて、両親のいる実家は別の県にあり、さらに両親の出身地(すなわち祖父母がいる所)はそこからも遠く離れた県にある。
子供のころから祖父母に会いに行くためにその県に何度も行っているわけだけど、ド田舎なのもあって現在でもかなり訛りが強い。
祖父母はまだマシな方だが、法事などでしか会わない親戚は酔っぱらったりしていると、両親ですら何の話をしているのかすら分からないレベルになってしまう。
そんな地域なんだが、たまたまその地元の新聞社が書いてる地元のニュース記事をネット上で見かけて読んでみた。
地域住民のインタビューなんかが載っているが、流石地方紙なだけあって方言のまま書かれている。
「地元住民からは『~~~』という声もあり・・・」みたいな感じで書かれているけれど、『~~~』の部分は標準語話者にはまず分からない言葉が使われている。
文字で書かれているだけなのに、その方言の訛りでの発音が聞こえてくるようで何となく嬉しかった。
祖父母はいまだ健在とはいえ流石に高齢になってきているので向こうに行く機会も精々ここ数年かもしれない。GWはどうするか迷っていたけれど、行ってみようかと思った。