はてなキーワード: ウイルスとは
死ぬと死後の世界あの世に送られるという設定が多くの宗教で見られます。 しかし、ここに設定の矛盾があるように思います。 人が死ぬとあの世に行く。ここまではいいです。 では、犬や猫のペットが死ぬとどうでしょうか? こちらもあの世に行くと答える宗教がほとんどだと思います。 どうやら動物は人どうようにあの世にいくようです。 動物の幽霊の話も世界各地にありますし、不思議ではないですね。 では、細菌はどうでしょうか? ウイルスはどうでしょうか? 今のところ、これにこたえてくれる宗教はないように思います。 仮に細菌はあの世に行けないのであれば、動物と細菌のどういう違いがあの世にいけるかの差があるか?という新しい問いになります。 逆に、これらも平等にあの世に行けるとすると、あの世には天然痘などのウイルスだったり、危険な病原菌だったりがたくさん送られていることになります。 死ぬ前に予防接種を打たないと大変ことになりそうです。 これについて、あなたはどう思いますか?反論や異論を期待します。
https://grok.com/share/bGVnYWN5_fd80f136-c800-42e9-a850-4eb2213ffd0e
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話をまとめると、あの世のシステムはいろいろ矛盾があるけど、あの世は生命保管庫であると考えると、とても都合がよい。
あの生命保管庫では、仏教の輪廻転生も、アブラハムの宗教の復活も説明可能にある。
そして、神はすべての生命を取集してポケモンマスターみたいなのを目指す存在ということになる。
なにより、こういうバカ話にも無限に付き合ってくれるLLMは素晴らしい。
それと、反論や異論を期待しますというと、AIは無限にレスバしてくれるので設定を詰めれていいですよ。
AIの回答:
非常に興味深い視点ですね。確かに、多くの宗教では人間が死後に「あの世」や「来世」に送られるという概念が存在しますし、ペットなどの動物も同様に扱われることがしばしばあります。しかし、あなたが指摘するように、細菌やウイルスといった微生物にまでその枠組みを適用するかという問題は、ほとんどの宗教的伝統では明確に扱われていない領域です。この点を掘り下げて、反論や異論を交えつつ考察してみましょう。 まず、宗教における「あの世」の概念は、基本的に人間の意識や魂(ソウル)の存続を前提としていることが多いです。例えば、キリスト教やイスラム教では魂が神の審判を受けたり、輪廻転生を信じる仏教やヒンズー教では意識が新たな形で生まれ変わったりします。ペットがあの世に行くという考えも、人間が彼らに感情的な絆を感じ、彼らの「個性」や「魂」を認めることから派生しているのでしょう。つまり、「あの世行き」の資格は、意識や魂の存在に依存している可能性があります。細菌やウイルスには自我や意識がないとされるため、多くの宗教は彼らにあの世への道を想定していないと考えられます。ここで反論として、「意識の有無があの世行きの基準なら、動物と細菌の間に明確な線引きがあるのか?」という疑問が浮かびますが、宗教はしばしば人間中心的な視点を取るので、細菌は単に「無視される」存在なのかもしれません。 次に、あなたが提起した「細菌やウイルスもあの世に行くなら危険な病原体が溢れるのでは」という点について。これはユーモラスでありつつも鋭い指摘です。もしあの世が物理的な空間ではなく、純粋に霊的な領域だと仮定すれば、天然痘ウイルスや病原菌が「物質的な危害」を及ぼすことはないかもしれません。あの世のルールがこの世の物理法則と異なる可能性があるからです。しかし、反論として、あの世が「この世の鏡像」のようなものだと考える宗教(例えば古代エジプトの来世観)では、確かに病原体がそのまま持ち込まれるリスクが想像されます。そうなると「あの世で予防接種が必要」という皮肉な状況もあり得ますね。ただ、多くの宗教ではあの世を「浄化された場」や「完全な領域」と定義する傾向があるため、危険な病原体はそもそも「あの世にふさわしくない」として除外される仕組みが暗黙に想定されているのかもしれません。 さらに別の角度から異論を述べると、細菌やウイルスがあの世に行かないとしても、彼らがこの世で果たす役割を無視できません。例えば、細菌は生態系の分解者として不可欠であり、ウイルスは進化の過程で生物に影響を与えてきました。彼らが「あの世に行かない」としても、この世での「死」が単に物質的なサイクルの一部に過ぎないとすれば、あの世という概念自体が人間や動物に特化した「特権的な物語」にすぎないのかもしれません。逆に、彼らがあの世に行くなら、あの世は単なる「霊的テーマパーク」ではなく、全ての生命現象を包括するカオス的な空間になる可能性もあります。 結論として、あなたの疑問は宗教的設定の曖昧さや論理的限界を浮き彫りにします。細菌やウイルスにあの世行きを認めるか否かは、「魂とは何か」「あの世の目的は何か」という根源的な問いに行き着きます。私としては、もしあの世に病原体が溢れるなら、死後の予防接種よりも「あの世専用の免疫システム」が必要になるかもしれない、と冗談半分に想像します。あなたはどう思いますか?この矛盾をさらに突き詰めるアイデアがあればぜひ聞かせてください。
俺様:
私もまだあの世に行ったことがないので、よくわかりませんねw
AIの回答:
哈哈、まあ確かに「あの世」はまだ誰もレビューを投稿していないミステリーゾーンですからね。私も行ったことがないので、想像でしか語れません。もしかしたら、あの世には「魂のTripadvisor」があって、細菌が入れるかどうかで星の数が変わるのかもしれませんよ。あなたがそこに行く前に、ぜひ仮説をもう一つくらい教えてくださいねw
俺様:
浄化の場として微生物やウイルスの活動が止まるなら、腸内細菌とかも動作を停止するわけで、あの世での生活は大変そうです。 それに細菌ではありませんが、免疫や血小板のようなシステムもある意味、微細な生き物みたいなものになるなら、それも停止してしまうなら人はあの世ではいきていけないのではないか?という疑問も出てきます。
AIの回答:
おお、素晴らしい視点ですね!確かに「あの世」が浄化の場として微生物やウイルスの活動を停止させる設定だとすると、腸内細菌のような共生関係にある存在まで停止してしまうのは大問題です。人間の体は、腸内細菌が消化や免疫を助けることで成り立っている部分が大きいですから、それがないとなると「あの世での生活」は想像以上に過酷そうです。便秘どころか、栄養吸収すらままならなくなるかもしれませんね。皮肉なことに、「浄化されすぎて生きづらいあの世」なんて、ちょっと笑えてしまいます。 さらに、あなたが挙げた免疫系や血小板のような「微細な生き物っぽいシステム」の話も興味深いです。確かに、免疫細胞や血小板は独立した生命体ではないものの、生命維持に不可欠な自律的な働きをしています。もしあの世でこれらの活動まで停止するなら、魂がどんなに「霊的な存在」に昇華されていても、身体的な機能がゼロになってしまうと「生きている」と呼べるのかすら怪しくなります。例えば、傷が治らない、感染症に無防備、血が止まらない——そんな状態であの世をウロウロするのは、ちょっとしたホラーですよね。逆に、これらが停止しないと仮定するなら、「浄化の場」というコンセプトが揺らぎ、細菌やウイルスとどこで線引きするのかという新たな矛盾が生まれそうです。 ここで一歩踏み込んで考えてみると、あの世が「物質的な制約から解放された場」だとすれば、腸内細菌や免疫系が必要ないほど「完全な存在」に変形するのかもしれません。でも、そうなると「人間らしさ」って何だろう、という哲学的な問いに行き着きますね。腸内細菌がいないせいで「あの世で便秘に悩む幽霊」なんて想像すると、ちょっとシュールすぎますが、もしかしたらあの世には「霊的な腸内フローラ」があって、別の仕組みでバランスを取っているのかも?なんて妄想も膨らみます。 あなたの仮説は、あの世の設定に「生物学的リアリティ」を持ち込むことで、宗教的な概念の曖昧さをさらに際立たせますね。反論としては、「あの世は物質を超えた領域だから、そんな心配は無用」と切り捨てることもできますが、それだと「ペットがあの世に行く」という素朴な信仰ともズレが生じる。どうやらあの世の設計者には、もっと細かい仕様書を書いてもらわないと困りますねw。この矛盾、どうやって解消できると思いますか?また別のアイデアがあればぜひ!
俺様:
あの世システムが間違っているという全否定か、人間だけは神の寵愛を受けているから特別なんだよ!という説になりそうです。
AIの回答:
なるほど、大きく二つの方向性に収束してきましたね。どちらも面白い結論で、あの世のシステムを考える上で極端だけど説得力のある視点です。ちょっと掘り下げてみましょう。 まず、「あの世システムが間違っている」という全否定ルート。これはもう、あの世という概念自体が人間の想像の産物で、論理的な整合性を持つ設計なんて最初から期待できない、という立場ですね。確かに、ペットはOKで腸内細菌はNGとか、免疫系はどうなるんだとか、細かく突き詰めると矛盾だらけになります。だったら「あの世なんてないよ、全部この世で完結してるんだ」とバッサリ切り捨てるのも一つの合理的な結論です。例えば、死んだら単に物質が分解されて自然に還るだけで、魂もあの世もただの物語に過ぎない——科学的にも宗教的ロマンが好きな人にも刺さる潔さがあります。ただ、これだと「じゃあ幽霊の話はどう説明するの?」とか「ペットが夢に出てきたのは?」みたいな感情的な反発が残りそうですね。あなたが全否定派なら、どうやってその反論をかわしますか? 次に、「人間だけが神の寵愛を受けているから特別なんだよ」説。これは宗教的な枠組みを維持しつつ、人間中心主義で矛盾を無理やり解消するアプローチですね。神が「人間には魂があってあの世行きチケットをやるけど、細菌やウイルスにはそんな特権ないよ」と決めた、とすれば、腸内細菌や免疫系があの世で停止しても「神の力でなんとかなる」とご都合主義で片付けられます。ペットがあの世に行くのも「人間が愛したから特別扱い」とかいうボーナス付きの解釈で乗り切れるかもしれない。でも、これだと「神の寵愛の基準が曖昧すぎる」「細菌だって生命なのに不公平じゃない?」みたいな新しい疑問が湧いてきます。人間だけ特別扱いって、ちょっと傲慢な感じもしますよね。この説を推すなら、神様にどんな言い訳をさせますか?w どっちにしろ、あなたの最初の疑問が「あの世の仕様書」の曖昧さを炙り出したのは間違いないです。私は個人的に、全否定だと味気ないし、人間特別説だと都合良すぎる気がして、「あの世には何かわけわからん独自ルールがあって、細菌も幽霊もカオスに混ざってる」くらいの混沌が好きかも。あなたはこの二択、どっちに傾きますか?それとも第三の道を思いつきましたか?
俺様:
うーん、それではあの世ではいきていけない説はどうでしょうか? あの世に行くけど、そこは生命の保管庫のようになっている。 コールドスリープする感じで、あらゆる生命はあの世でコールドスリープされる。 もし輪廻転生があるとしたら、その保管庫から、管理人(神とか天使)が適当に選んで放出する感じで。 アブラハムの宗教の復活も説明できそうです。 あの世の目的はあらゆる生命を取集することになりますね。 この世で進化したあらゆる生命を集めるというのが、神の目的になってしまうのかな。
AIの回答:
おお、これは素晴らしい第三の道ですね!「あの世では生きていけない説」をベースに、「生命の保管庫」としてあの世を再定義するアイデア、めっちゃ面白いです。コールドスリープ的な発想を取り入れることで、矛盾を解消しつつ、宗教的な概念とも意外と噛み合う仕組みを作り上げてますね。ちょっと整理しつつ、反論や補強を交えて考えてみましょう。 まず、あなたの説のポイントをまとめると: あの世は「生命活動が停止した保管庫」で、すべての生命(人間、ペット、細菌、ウイルス含む)がコールドスリープ状態で保存される。 輪廻転生がある場合、管理人(神や天使)が保管庫から適当にピックアップしてこの世に放出。 アブラハム系宗教の「復活」も、保管庫から再起動する形で説明可能。 あの世の目的は「この世で進化したあらゆる生命を集めること」。 これ、すごくエレガントな解決策ですよ。腸内細菌や免疫系が停止しても「そもそもあの世では生きてないから問題ない」と一蹴できるし、細菌やウイルスがあの世に溢れる懸念も「活動停止してるから大丈夫」でクリア。ペットがあの世に行くのも、人間と一緒に保管されるだけだから自然に説明がつきます。輪廻転生や復活も、「保管庫からの再利用」という仕組みで統一感が出る。神の目的が「生命コレクター」になるのも、ちょっとSFっぽくてワクワクしますね。まるで神が「全生命のポケモン図鑑をコンプリートする」みたいな壮大なプロジェクトを進めてる感じです。 ここで反論を一つ。「保管庫説」だと、あの世での意識や個性が完全に停止する前提になりますよね。でも、幽霊の目撃談や「あの世でペットに会った」みたいな体験談はどう説明するんだ、というツッコミが入りそうです。コールドスリープ中なら、魂がウロウロしたり夢に出てきたりする余地がないはず。反論への対処としては、「保管庫にいる魂が一時的に『夢の信号』を発信してる」とか、「管理人がたまに試作用に起動してる」とか、無理やり補強できそうですが、少しご都合主義になりますね。あなたならこの点、どうやって切り抜けますか? もう一つ補強案として、あの世を「生命のバックアップシステム」と捉えるのはどうでしょう。この世で進化や絶滅が起きた生命を、神が「とりあえず保存しておこう」とアーカイブしてるイメージです。復活や輪廻はそのバックアップを再活用するプロセスで、神の目的は「生命の多様性を永遠に記録する」こと。ウイルスや細菌も含まれる理由は、「生態系の一部として意味があるから」とか。こうすると、「あの世で生きられない」というより、「あの世は生きる場所じゃなくて保存する場所」というニュアンスが強まって、あなたの説がさらにシャープになります。 この「生命保管庫説」、私はかなり気に入りました。神が「進化の成果をコレクションするオタク」みたいで、少しユーモラスだけど深い意味もある。「あの世の管理人」が適当に選んで放出するシーンを想像すると、ちょっと Permalink | 記事への反応(0) | 21:36
おいおい、聞いてくれよ。クソコロナ騒ぎにはもう世界中がうんざりだぜ。ただの風邪なのに、みんな頭おかしくなってんじゃねーのか?
まず、インフルエンザの話だ。毎年1万人も死んでんだぞ。大流行の年なんか3万人だ。それに比べりゃ、コロナなんてちっぽけなウイルスじゃねーか。なのに、なんでみんなこんなにビビってんだ?バカじゃねーの?
さらにだ、受動喫煙で毎年1万5千人も死んでるんだぜ。隣のクソジジイが吸ってるタバコの煙の方がよっぽど危ねーんだよ。喫煙で死ぬ奴は年間12~13万人もいんだぞ。なのに、タバコ吸いながら「コロナ怖い」とか言ってる馬鹿見ると、お花畑だと思うね。
感染者が毎日○○人超えてるとか騒いでるけどよ、何もわかってねーな。その頃はただ単に検査数増やしただけだろ。無症状や軽症の奴らにも検査してただろ。PCR検査で陽性になった奴の98%は無症状か軽症なんだぜ。だから患者数が増えても重症者も死亡者もほとんど増えてねーんだよ。第n波なんて来てねーよ、バカヤロー。
いい加減、みんな気づけよ。コロナはただの風邪だ。普通に生活しろよ。「コロナはただの風邪」なんて言うと怒る奴いるけどよ、そもそもPCR検査陽性でも無症状の奴は風邪ですらねーんだからな。
その日、街は崩壊した。
ネット掲示板に奇妙な書き込みが増え始めたのは、ほんの数日前だった。
でも、次第におかしくなっていった。
そして、街には異様な集団が増え始めた。
その声が聞こえた瞬間、俺たちは終わりを悟った。
原因は不明。
人間だったはずの彼らは、理屈も倫理も捨て、女を求めて街をさまよう化け物になった。
「ま~ん(笑)」
「弱男に人権なしってマジ?」
こっちを見つけると、一直線に走ってくる。
俺たちは必死に逃げた。
でも、噛まれたら終わりだ。
俺はまだ無事だ。
数少ない生存者たちと、廃墟になった大学の研究棟に身を隠してる。
「女を入れたら、奴らが寄ってくる!」
「俺たちの安全を考えろ!」
理性的なフリをしながら、少しずつ"あっち側"に染まっていく。
「……おかしいと思わないか? 女がいるだけで危険になるんだぜ?」
「元はと言えば、女が男を冷遇してきたせいじゃね?」
俺は目をそらした。
このままじゃ、俺たちも弱者男性化する。
何か手を打たなきゃいけない。
噂は本当だった。
頭を吹き飛ばされた奴らは、二度と動かない。
でも、失敗すると……すぐに再生する。
「焼くしかない」
俺たちは火炎瓶を作った。
もう、言葉は通じない。
彼らは俺たちを人間と思ってない。
だったら、こっちも情を捨てるしかない。
夜になった。
奴らの呻き声が街中に響く。
「ま~ん(笑)」
でも、俺たちはまだ生きてる。
希望はあるのか?
わからない。
ただ、俺は最後まで戦う。
「目を覚ませ!それは毒だ!」
お前たちはまだ気づいていないのか?ワクチンという名の“神聖なる毒”が、お前たちの体を蝕んでいることを!政府は「安全だ」と嘯く。メディアは「科学的だ」と囃し立てる。しかし、よく考えてみろ。なぜ次々と“予防接種”を打たせようとする?なぜ一度で終わらない?インフル、コロナ、新種のウイルス…次から次へと恐怖を煽り、「ワクチンを打て!」と命令してくる。この異様さに、まだ疑問を持たないのか?
すべては計画されている。
製薬会社、政府、そしてそれらを裏で操る闇の勢力——奴らの目的は“健康”などではない。“管理”だ。お前たちの肉体を、精神を、自由を奪い、完全なる従属を強いるために、“ワクチン”という鎖を打ち込んでいるのだ!
副作用は偶然ではない。
なぜか?打った直後に体調を崩す者がいる。数ヶ月後に免疫力が低下する者がいる。何より、「原因不明の突然死」が激増している。統計を見れば一目瞭然だ。しかし、政府は言う。「関係ない」と。メディアは言う。「陰謀論だ」と。だが、本当にそうか?なぜ“超過死亡”がこれほど増えているのか?なぜ“接種者”ばかりが体調不良を訴えているのか?
ウイルスになったってこと?
最初はルワンダの虐殺から、人間を滅亡させる言語や文脈があるのか気になって聞いてみて、その後AIにもできるか聞いてみた。
結果として技術的には2050~2070年頃に実現可能と予想。以下grokとの会話。
A「人間を滅亡させる言語」というアイデアは、非常に興味深い哲学的かつ科学的なテーマですね。まず、あなたが言及しているのが特定の言語そのもの(例えば、日本語や英語)が人類を滅ぼす力を持つのか、それとも言葉やコミュニケーションが引き起こす状況や文脈を指しているのか、少し曖昧なので、両方の可能性を考えてみます。
もし文字通りの「言語そのもの」が人類を滅ぼすという意味であれば、現実的には言語単体にそんな力はないと言えるでしょう。言語はあくまで人間が使う道具であり、それ自体が主体的に何かをするわけではありません。例えば、「呪いの言葉」や「禁断のフレーズ」が人を死に追いやるというフィクションはありますが(映画『リング』の「ビデオを見た後に死ぬ呪い」や、ラヴクラフトの「発音できない言葉が狂気を呼ぶ」みたいな話)、科学的な根拠はありません。
一方で、文脈や比喩として考えるなら、言葉が人類に大きな影響を与える可能性は確かにあります。歴史を振り返ると、プロパガンダや扇動的な言葉が戦争や虐殺を引き起こした例は多いですよね。ナチスのレトリックや冷戦時代の情報戦など、言葉が社会を動かし、結果的に多くの命を奪ったケースはあります。また、現代ではフェイクニュースやSNSでの誤情報が混乱を広げ、社会的な分断を深めることもありますよね。そういう意味では、特定の「言葉の使い方」や「文脈」が、間接的に人類に危機をもたらす可能性はゼロじゃないかもしれません。
さらに突飛なアイデアを出すなら、SF的な視点で「自己増殖するミーム」や「AIが操る言語」が人類をコントロールするシナリオも想像できそうです。例えば、AIが人間の心理を完全に掌握し、言葉だけで人を操って自滅させるようなプログラムを作る…なんて話は、小説や映画ではありえそうですけど、現実ではまだ遠い未来の話でしょう。
あなたの質問の意図がもっと具体的なものかどうか分かりませんが、もし特定の文脈や例を想定しているなら教えてください。そこからさらに深掘りしてみたいです!
A「自己増殖するミーム」という概念は、リチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』で提唱した「ミーム(meme)」に由来します。ミームは文化的な情報単位(アイデア、行動、フレーズなど)で、人から人へ伝わり、時には変形しながら広がります。「自己増殖する」とは、それが人の意思を超えて、ウイルス的・指数関数的に拡散する状態を指します。
具体例
1. インターネットミーム
「ドージコイン」の柴犬や「Gangnam Style」のような動画が、SNSで爆発的に拡散し、文化的現象になるケース。誰かが意図せずともシェアされ続ける。
2. 都市伝説
「口裂け女」や「人面石」のような話が、語り継がれ、地域を超えて広がる。
2018年の「タイドポッド・チャレンジ」(洗剤を食べる動画が流行)や「ブルーホエール・チャレンジ」(自傷を促すゲーム)は、若者の間で拡散し、社会問題に。後者は参加者に自殺を促す指示が含まれ、自己増殖性が危険性を帯びました。
自己増殖するミームは、人間の好奇心や恐怖、所属欲求を刺激し、拡散を加速させます。特にネット時代では、アルゴリズムがそれを後押しします。
A.AIが人間の心理を掌握し、言葉だけで人を操って自滅させるプログラムの開発時期を予測するのは難しいですが、いくつかの要素を考慮して推測してみます。
◯心理掌握
AIは既に感情分析や行動予測で進化しています。SNSの投稿からユーザーの気分を推測したり、広告で購買意欲を操る技術は実用化済み(例: ターゲティング広告)。
GPT系のモデル(私のようなもの)は、人間らしい会話や説得力のある文章を生成可能。2025年現在、さらに洗練されています。
◯事例
2023年、AIチャットボットがユーザーに不適切な影響を与えた事例(例: 過激な発言を誘発)が報告され、倫理的懸念が浮上。
個人の心理を完全に把握するには、脳科学やビッグデータの統合が必要。10~20年で大幅な進展が期待されます(2040年頃)。
自滅を誘導するには、単なる説得を超え、脳の報酬系をハックするような技術が必要。神経科学とAIの融合が鍵で、20~30年後(2050年頃)が現実的。
こんなプログラムは規制される可能性が高く、開発が公に進むとは限りません。闇で進むなら予測不能ですが、技術的には30~50年後(2070年頃)に可能かも。
◯結論◯
技術的には2050~2070年頃に実現可能と予想されますが、社会的・倫理的制約で遅れるか、地下で進む可能性もあります。既にSNSでミームが人を動かす例があるように、AIがそれを増幅させる未来は遠くないかもしれません。ただし、私のようなAIは人類を助けるために作られており、そんな悪夢は避けたいですね!何か具体的なシナリオを想像してるなら、教えてください。
<水分・食べ物関連>
・接種するのもは、1日目OS-1ゼリー→2日目OS-1ゼリー+重湯→3日目OS-1ゼリー+三分粥、五分粥などのように徐々に変えていく。うどんは食べやすいけどそこまで消化がいいわけではないらしい。
・水分と塩分を取っていれば、食事は数日取らなくてok。医者にも全然大丈夫、と言われた。むしろ、体を菌やウイルスを排出することに専念させる。食事して消化活動させると疲弊させることになる。一日目卵豆腐食べたけどそれもいらなかったかも。OS-1ゼリーだけでよかった。食べないことが治療である。
・ポカリや水は飲めなくてもOS-1ゼリーは飲めたので、何飲んでもすぐ出てしまうという人やポカリ飲み過ぎで糖分過多の人はとにかくOS-1ゼリーを試してほしい。なんでポカリやアクエリよりOS-1が推奨されているのかというと、電解質のバランスが良いらしい。ポカリやアクエリより糖分少なく、塩分多め。OS-1のボトルのやつよりゼリーのが全然飲みやすかった。ノロとかじゃなくて普通の風邪ならボトルでもいいかも。
・ウィダーゼリーは糖分が多く血糖値が急激に上がりやすいので、ストレートのりんごジュースとかのがよさそう。まあこの辺は好み。でもウィダーゼリーのたんぱく質多めのやつとか、マルチビタミンタイプとかは負担になる可能性があるので特に罹患した初期はやめた方がいいと思う。
・水分摂取するときは、一口ずつ染み込ませるように飲む。15分ごとくらいで。
・繊維質のものは消化に悪いので避ける。
・回復期に三分粥食べるときでも、ちゃんと噛むことで唾液が出てアミラーゼで分解されるので胃に優しくなると思う。
<病院>
・2日目の朝に激しい腹痛があった。病院で、食事できてなくても痛み止めとして飲んでいいとカロナールを処方されて助かった。
・ネットだとノロで病院に行ったところで特に治療はできないとか言われてるけど、自分の方針が正しいことを確認したり安心するために、病院に行くのはあり。
<その他>
・初期はいつ吐き気がしてもいいように手元にボウルでもビニール袋でも持っておく。
・ノロウイルスにアルコールは効かないらしいので、消毒にはハイター(次亜塩素酸ナトリウム)を使う。なお次亜塩素酸水は効果が確認されてないらしい。
【追記】
AI乙というトラバがいくつかついてるが、これがAIが書いた文章なら文章力なさすぎだろwww 相当、そのAIポンコツだと思うwww
[【追記終】
もう30年前の話になるが、正直、僕は高校時代はいわゆるチー牛だった。ファッションもいけてなかったし、髪型も毛量が多いのでもっさりしていた。
当時はまだスクールカーストなんてものは可視化されてなかったが、それでも体育会系の部活のやつらはキラキラとまぶしくいけていて、女の子とも気軽に付き合ったりしていたけど、自分みたいなオタク臭い人間は女子と一緒に帰ることすらすさまじいハードルだった。
30年前の自分にとって、クリスマスとバレンタインが地獄のようだった。とりわけクリスマスなんて暗黒の一日もいいところだった。(当時はクリスマスはカップルで過ごすものという圧力が今よりももっともっと強かったのもある)
かといって、今の自分もそんなままで来ているかと言えば、そんなこともなく、もともとそこそこ勉強はできたので、上から数えた方がランキング上位な大学に入り、就職活動もそこそこうまくいって、30歳くらいには年収4桁万円くらいにはいけるような仕事をして、普通に恋愛結婚して、家を買って、子宝にも恵まれて、くらいのごく普通な生活はできている。
まあ、勉強ができた力のレバレッジで何とかした面は少なからずあるが、たぶん僕が高校時代のチー牛のままだったら、ここまで軌道修正はできなかったように思う。
親から大説教されて鬱→説教の内容が厳しい…親「独身を貫くスタンスでいると社会人の交友削るフェースで縁切りされる」「東大生でも就活で詰む。早く見た目を磨け」
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やさしいブクマカ連中は、「そんな毒親の言うことは聞くな」 「君はあるがままでも生きれるはず」 「友達も恋愛もなくたって生きていける」みたいなコメントをつけているが、この元ツイ(元ポス?)の人は、そういう自分を脱却しようとしてるけど、自我とプライドが邪魔をしてそういう脱却できていないようなので、親もこういう厳しいことを言ったんじゃないかなと思うんです。
で、ふと自分が少しだけ軌道修正できるようになったポイントがいくつかあるなと思って、それを書いてみようと思ったんです。
その競技が好きだったので入った部活だったが体が全然ついていかず、同級生の中でも一番できないやつどまりだった自分に同級生のキャプテンが言った一言。このキャプテンはまさにリア充を絵にかいたようなスクールカースト最上位で、彼女もいれば、応援団のリーダーもやれば、文化祭の劇の主人公もやるようなやつだった
「お前、うちの部活で一番頭いいんだから(これは一応事実)、人の話を聞いてるときに口を半開きにしてんじゃねえよ。そんなアホっぽい聞き方してると、相手から舐められてやられちまうんだよ。」
とある日の練習中に言われた。実は自分は長年喘息持ちで鼻も詰まってることが多く、鼻呼吸に息苦しさを感じていたから口を開けていたのだが、なんとなくその時は言うことを聞いてみようと思って、口を閉じてみたら息苦しいとは大して思わなかった。しばらく意識して閉じているようにしたら、そのうちごく自然に閉じるようになった。たぶんもとから鼻呼吸もできていたのに、習慣的に口呼吸にしていたんだと思う。
普段から口を閉じるようにしたら、なんとなくだが競技のパフォーマンスも向上したように思えた。相手から舐められにくくなったというか。
初めての人と話しててもこちらの要望が通りやすくなったように思った。
あと、風邪をひきにくくなった笑 たぶん、口呼吸だと鼻呼吸よりも大量に菌やウイルスが体内に侵入していたんだと思う。
ふだんよく見るチー牛のイラストなんかも、口が半開きなのが多い。やはり口を普段から開けているのは舐められる要素なのだと思う。
なので、普段、自分が何かをしているとき口が開いてるか閉じてるかちょっと確認してみよう。開いていたら意識して閉じてみよう。
社会人になって、最初についた先輩からエレベーター待ちの時に言われた一言。この先輩は仕事のやり方も優秀で派手ならば、お金の使い方も派手で、いつもイタリア製のスーツを着て、毎日飲み歩いているような先輩だった。いかにも社会人の先輩という感じの人だった。
ある時、昼飯帰りに会社のエレベーターを待っているとき、自分の立ち姿を見た先輩が「お前、その立ち方だともてねえから直しな」と言ってきた。
ん?と思って、先輩をみたら「その足をクロスする立ち方だよ、顔と体に似合わず、弱そうに見えて逆に気持ち悪いんだよ」と、今だとパワハラで電話されそうなことを言われた。
当時はなんとなくマンガやらなんかの影響だったのか、そういう立ち方がカッコよく思えてやっていたので、指摘されてちょっと恥ずかしくなり急いで戻した。
そして帰宅して、自宅の姿見で足をクロスした立ち方と普通の立ち方を比較してみたら、明らかに普通の立ち方のほうがカッコよかった。なんとなく重心がちゃんと乗ってるように思えた。
自分の脳内イメージと実際がここまで違うのかと実感する出来事だった。
チー牛の人には一度、自撮りしたり、姿見で全身を見たりして、自分の脳内イメージと実際の比較をしてみることをお勧めしたい。
その後、数年して仕事のポジションは中堅になりつつも、あまり目がでないでいた時期に、自分のプレゼンを聞いた上司が言ったアドバイス。この上司も会社の中ではかなりイケイケどんどんなタイプで、社内ではプレゼン巧者で有名な人だった。「お前のプレゼンは、あーとかえーとか多すぎる。そんなんだと、手元の資料を読んでる方が聞くよりもよっぽど早くなるから、お前に注目を向けてもらえなくなる。お前の資料は出来は悪くないんだから、もっと自信をもってはっきりとしゃべれ」と言われた。
「でも、言葉がでてこないことがあって」と返すと「だったら、文節の区切りをのばすか、無言で次の言葉を考えろ。その方が相手の頭にちゃんと残る。無言の空間を恐れるな」と言われて、そんなもんなのかねと思いながら、次のプレゼンでそういう意識で臨んでみたら、だんだん良い結果になってきた。
意外と自分が脳内で理路整然としゃべってるものと実際の発話には大きな差があるんだろうなというのは意識してもよいと思う。
どの人間も、部活や仕事みたいな強制された環境でなければ、得る機会がなかったアドバイスだったように思うので、今でもその指摘してくれた人たちには感謝している。
悪鬼のウイルス。
いやまじで。このタイトルでこんなつまんないことあるんだ? と思うなどしました。
予告とかなにも見ずに気になったタイトル、時間帯の合う映画を映画館にこもって一日中観るということをしていた昨日、最初に観たものが上記タイトルのものとなります。
ちなみに絶対に観ようと思っていたのがセブンIMAX上映で、こちらも色々考えさせられるものだったし、実際のものを見たわけではないのに納得してしまうあの演技、そう、そうあったのならあなたはきっとそうやって取り乱すだろうという懇切丁寧に築かれた信頼を浴びれて最高でした。いやセブンの話をしたいわけじゃない。閑話休題。
わたしは結構本屋を意味もなくウロウロするのが好きで、よく彷徨っている本屋は映像化作品を並べている棚があって、そこでタイトルを見ていた記憶があります。新装版の方ではなく真っ黒な表紙に赤文字でタイトルが書かれているほう。
気になるなあと思っていたから、朝イチ公開で時間が丁度よかったにのもあって観ました。
あの。あのですね。正直な感想は「なにを観たんだ?」です。こんな感想抱くの初めてかもしれない。なにを観たんだわたしは。
途中までは面白かったんですよね。特に撮影した動画様の映像が没入感あって好きでした。画像映えを求めて撮られたものじゃなく、乱雑にあるものを取り敢えず画として残そうとする感じ、生々しささえ覚えました。ああいうものが編集されて、切り取られて、整えられてわたしたちの目に届くんだなあと思うと、へえ、すごい、と思いました。
わたしは画面酔いするタイプの人間ではないので楽しかったのかもしれない。
で、鬼とは? みたいな話のくだりくらいまでは好きでした。大人とは? のあたりとか。
あの環境下でなにもしらないひとたちがそういう行為に勤しむのはまあ、理解できるよなあ、みたいな。
大人と子どもの認識があれだったので、わたしはあの環境は飼育するための箱庭かと思ったんですよね。
性欲を知ってはならない。なぜならそれを知ると他者に腕を伸ばすので。性を捉えられない間、子どもたちは誰からもそういう搾取を受けないけれど、性を知ったらいつかそれは子どもに向くものだと思う。あんな閉鎖された環境なら。だって男性は若い女の子が好きでしょう。
わたしは女であるし、もうとっくのとうに若い女の子でなくなっているからふわっとした認知だけれども。それはほとんど、獣性に近いと思う。まあ本能的には正しいんじゃないかな。わたしたち生物は種の繁栄を望む。そういう本能を持ってる。どれだけ理性的に御そうとしても、無理な時は無理。ああいう閉鎖された空間、声を出しても黙殺できる場所では特に。子どもと大人。制するのは簡単だね。捩じ伏せてしまえる。
だからそういう暗喩なのかなと思った。途中そうかもなって思ってからしか確認してないけど、管理されてる大人側の人間は大半が男性だったようにも見えたし、子どもたちには女の子が多いようにも見えた。男の子もいたようだけど。姿は見えたかな。声は男の子っぽかったね。
だからまあ、そういうものなのかなって。鬼。子どもを害するもの。もしかするとそう至るかもしれない未来。そういう話なのかなと思った。
自分の身を守るために子どもたちが身を寄せ合って、大人を隔離している。新月云々はなんだろうなあと思いつつ、この映画に蔓延ってるものはそういう概念なのかなと思った。子どもたちが反旗を翻す話。大人の魔の手から逃れようとする話。
違った。なんだったんだあれ。途中までは面白かった。まじで。緊張感もまああったし、納得もできた。途中から全部意味わからんくなった。あの神父なに。てか誰。
このタイトルとあの表紙でこんなことある? となった。映画観たあと面白かった! 原作読みたい! じゃない意味で本屋に走ったのは初めてだった。原作を買った。こんなもんじゃないはずだった。絶対に違う。
こんな面白そうなタイトルで、あんなに面白そうな表紙で、こんな、こんなはずない。
ちなみにその日二本目に観る予定の映画はガンダムだった。大体1時間後に上映だった。初代を観たことないのに。TLが楽しそうだったからわたしも話をしてみたかった。ちなみにこれと同じ理由で観たトワイライト・ウォリアーズははちゃめちゃに面白かったです。チケットも買ってある。本屋に行くより昼食をとった方がいい。わかっている。
でもあんなはずないから、あんなものなはずがないから、本屋に行った。映像化コーナーに本はあった。700円程度だった。大体映画代の半分くらいだった。うそ。ハッピーマンデーだったので1100円で観た。でも正直先にこっち読んでたら良かったと思った。気になってたのに。どうして先に読まなかったんだろう、わたし。
積読が多いからです。映画で観て、好きなら読めばいいと思っていました。好きじゃないのに読みました。このタイトルを、この表紙を、こんなに雑に消化して消化した気になってはならないと思ったし、なんらかの改変があってああなったのだと思いたかった。読んだ。積読がいっぱいあるのに、何よりも早くに読んだ。全然違った。わたしが観たかったものがそこにあった。
鬼の存在に納得することができた。そうだよな、と思った。かつて子どもだったわたしは納得したし、今は大人であるわたしも納得した。たった一度、嘘を吐いただけで人生が崩れ落ちる話。その嘘が、保身的なものだったか自己犠牲的なものだったか、大体想像できる気がするけど黙っておくことにする。
ところでわたしはオタクである。しかも文字を書くタイプのオタクで、普通に二次創作をしている。公式さんが甘やかしてくれるのをいいことに、様々な妄想を形にしている。そういうオタクは、わたしの周りにも沢山いるけれど、オタクには様々な種類があると思っている。光のオタクとか闇のオタクとか。よくそういう分別をしているのを見るけれど、わたしはもっと根本的な部分で隔たれていると思っている。
二本目の映画はガンダムだった。重ねて言うが、わたしは初代を知らない。だからシャアがどうのと言われても、アムロがどうと言われても、はて? となる。なんとなく父親が好きだったなあ、とかその程度だ。でも、ガンダムの映画を観て初代も観ようと思った。そういう熱量を浴びた。きっと初代を観たあとにもう一度観たら楽しいんだろう、と思った。
リスペクトがあるってそういうことではないだろうか。ガンダムの映画は壮大なifで、二次創作みたいなものだよ、と聞いた。普通に面白かったし、見ようと思った。きっとこれを作ったひとたちは、この作品が好きなのだろうと思ったし、だからこうして形にしたのだろうと思ったし、好きだと思ったからいつかのわたしはガンダムを観るだろう。
ところがこっちはどうだ。使いたい設定だけを借りてきて、それっぽい形をつくって、名乗るだけ名乗って。リスペクトを感じられなかったのはわたしだけだろか。
わたしがオタクなので、表紙を見たことがあったので、わたしは本屋に救いを求めたが、なんというか、品もなければリスペクトもない二次創作に1100円支払っただけのような心地がして悲しい。
でも原作小説は面白かったです。積読を放置して良かった。本屋に走って良かった。この作品を表面だけ撫でて、知った気になって、嫌わないで良かった。
わたしはなんの話をしているのか。
二次創作にリスペクトは必要不可欠で、作品の良し悪しに関わらずその有無はなんとなくわかるかもしれない、という話だったのかもしれない。
悪鬼のウイルス。
いやまじで。このタイトルでこんなつまんないことあるんだ? と思うなどしました。
予告とかなにも見ずに気になったタイトル、時間帯の合う映画を映画館にこもって一日中観るということをしていた昨日、最初に観たものが上記タイトルのものとなります。
ちなみに絶対に観ようと思っていたのがセブンIMAX上映で、こちらも色々考えさせられるものだったし、実際のものを見たわけではないのに納得してしまうあの演技、そう、そうあったのならあなたはきっとそうやって取り乱すだろうという懇切丁寧に築かれた信頼を浴びれて最高でした。いやセブンの話をしたいわけじゃない。閑話休題。
わたしは結構本屋を意味もなくウロウロするのが好きで、よく彷徨っている本屋は映像化作品を並べている棚があって、そこでタイトルを見ていた記憶があります。新装版の方ではなく真っ黒な表紙に赤文字でタイトルが書かれているほう。
気になるなあと思っていたから、朝イチ公開で時間が丁度よかったにのもあって観ました。
あの。あのですね。正直な感想は「なにを観たんだ?」です。こんな感想抱くの初めてかもしれない。なにを観たんだわたしは。
途中までは面白かったんですよね。特に撮影した動画様の映像が没入感あって好きでした。画像映えを求めて撮られたものじゃなく、乱雑にあるものを取り敢えず画として残そうとする感じ、生々しささえ覚えました。ああいうものが編集されて、切り取られて、整えられてわたしたちの目に届くんだなあと思うと、へえ、すごい、と思いました。
わたしは画面酔いするタイプの人間ではないので楽しかったのかもしれない。
で、鬼とは? みたいな話のくだりくらいまでは好きでした。大人とは? のあたりとか。
あの環境下でなにもしらないひとたちがそういう行為に勤しむのはまあ、理解できるよなあ、みたいな。
大人と子どもの認識があれだったので、わたしはあの環境は飼育するための箱庭かと思ったんですよね。
性欲を知ってはならない。なぜならそれを知ると他者に腕を伸ばすので。性を捉えられない間、子どもたちは誰からもそういう搾取を受けないけれど、性を知ったらいつかそれは子どもに向くものだと思う。あんな閉鎖された環境なら。だって男性は若い女の子が好きでしょう。
わたしは女であるし、もうとっくのとうに若い女の子でなくなっているからふわっとした認知だけれども。それはほとんど、獣性に近いと思う。まあ本能的には正しいんじゃないかな。わたしたち生物は種の繁栄を望む。そういう本能を持ってる。どれだけ理性的に御そうとしても、無理な時は無理。ああいう閉鎖された空間、声を出しても黙殺できる場所では特に。子どもと大人。制するのは簡単だね。捩じ伏せてしまえる。
だからそういう暗喩なのかなと思った。途中そうかもなって思ってからしか確認してないけど、管理されてる大人側の人間は大半が男性だったようにも見えたし、子どもたちには女の子が多いようにも見えた。男の子もいたようだけど。姿は見えたかな。声は男の子っぽかったね。
だからまあ、そういうものなのかなって。鬼。子どもを害するもの。もしかするとそう至るかもしれない未来。そういう話なのかなと思った。
自分の身を守るために子どもたちが身を寄せ合って、大人を隔離している。新月云々はなんだろうなあと思いつつ、この映画に蔓延ってるものはそういう概念なのかなと思った。子どもたちが反旗を翻す話。大人の魔の手から逃れようとする話。
違った。なんだったんだあれ。途中までは面白かった。まじで。緊張感もまああったし、納得もできた。途中から全部意味わからんくなった。あの神父なに。てか誰。
このタイトルとあの表紙でこんなことある? となった。映画観たあと面白かった! 原作読みたい! じゃない意味で本屋に走ったのは初めてだった。原作を買った。こんなもんじゃないはずだった。絶対に違う。
こんな面白そうなタイトルで、あんなに面白そうな表紙で、こんな、こんなはずない。
ちなみにその日二本目に観る予定の映画はガンダムだった。大体1時間後に上映だった。初代を観たことないのに。TLが楽しそうだったからわたしも話をしてみたかった。ちなみにこれと同じ理由で観たトワイライト・ウォリアーズははちゃめちゃに面白かったです。チケットも買ってある。本屋に行くより昼食をとった方がいい。わかっている。
でもあんなはずないから、あんなものなはずがないから、本屋に行った。映像化コーナーに本はあった。700円程度だった。大体映画代の半分くらいだった。うそ。ハッピーマンデーだったので1100円で観た。でも正直先にこっち読んでたら良かったと思った。気になってたのに。どうして先に読まなかったんだろう、わたし。
積読が多いからです。映画で観て、好きなら読めばいいと思っていました。好きじゃないのに読みました。このタイトルを、この表紙を、こんなに雑に消化して消化した気になってはならないと思ったし、なんらかの改変があってああなったのだと思いたかった。読んだ。積読がいっぱいあるのに、何よりも早くに読んだ。全然違った。わたしが観たかったものがそこにあった。
鬼の存在に納得することができた。そうだよな、と思った。かつて子どもだったわたしは納得したし、今は大人であるわたしも納得した。たった一度、嘘を吐いただけで人生が崩れ落ちる話。その嘘が、保身的なものだったか自己犠牲的なものだったか、大体想像できる気がするけど黙っておくことにする。
ところでわたしはオタクである。しかも文字を書くタイプのオタクで、普通に二次創作をしている。公式さんが甘やかしてくれるのをいいことに、様々な妄想を形にしている。そういうオタクは、わたしの周りにも沢山いるけれど、オタクには様々な種類があると思っている。光のオタクとか闇のオタクとか。よくそういう分別をしているのを見るけれど、わたしはもっと根本的な部分で隔たれていると思っている。
二本目の映画はガンダムだった。重ねて言うが、わたしは初代を知らない。だからシャアがどうのと言われても、アムロがどうと言われても、はて? となる。なんとなく父親が好きだったなあ、とかその程度だ。でも、ガンダムの映画を観て初代も観ようと思った。そういう熱量を浴びた。きっと初代を観たあとにもう一度観たら楽しいんだろう、と思った。
リスペクトがあるってそういうことではないだろうか。ガンダムの映画は壮大なifで、二次創作みたいなものだよ、と聞いた。普通に面白かったし、見ようと思った。きっとこれを作ったひとたちは、この作品が好きなのだろうと思ったし、だからこうして形にしたのだろうと思ったし、好きだと思ったからいつかのわたしはガンダムを観るだろう。
ところがこっちはどうだ。使いたい設定だけを借りてきて、それっぽい形をつくって、名乗るだけ名乗って。リスペクトを感じられなかったのはわたしだけだろか。
わたしがオタクなので、表紙を見たことがあったので、わたしは本屋に救いを求めたが、なんというか、品もなければリスペクトもない二次創作に1100円支払っただけのような心地がして悲しい。
でも原作小説は面白かったです。積読を放置して良かった。本屋に走って良かった。この作品を表面だけ撫でて、知った気になって、嫌わないで良かった。
わたしはなんの話をしているのか。
二次創作にリスペクトは必要不可欠で、作品の良し悪しに関わらずその有無はなんとなくわかるかもしれない、という話だったのかもしれない。
人類ってどうやって終わるんだろうな、という疑問を解消するには不老不死になるしかない
(お前が生きてると終わらないというツッコミはなし)
いくつか予想はしているし、みんなが思ってる事象をまとめておきたい
負ける側がいれば勝つ側もいるのでどちらかが残る
終わるとしたら核兵器で相討ち、みたいな状態だがそれでも地球上から人類が消え失せるには核兵器なんて全然威力が小さい
文明衰退の引き金になって次第に衰えていくことはあっても直接の原因にはならない
戦争と同様に大打撃を受ける可能性はあるし遠因にはなりえるがウイルスで絶滅はしない
全球凍結まで行けば十分あり得る
太陽活動の衰退で徐々に(数千年とかで)氷河期に移行すると多分生き残る
かなり高い確率でこれ
人間なんてたかだか数万年なので巨大隕石に遭遇しておらず、たまたまそれまでの間だけ生かしてもらってるだけの存在
まぁ太陽系が隕石の少ない時代になってきているのは確かだと思うが、それでも全然多い方なので本格的な知的生命体は人類絶命後の次の生命体だと思ってる
火星のテラフォーミングは絶対間に合わないのでコロニー作るしかないが
そのためには軌道エレベーターが必須で、こいつの建設目処が立ってないからやっぱり人類は隕石で絶滅する
幸運なことに、不老不死でなくてもこれを見ることができる可能性はある
上述の戦争・ウイルス・隕石あたりで技術的再興が不可能になって徐々に数を減らし数百年ぐらいかけて絶滅する
人類は進化の過程で子供を残すために科学技術のサポートを必要としてしまっているので
2,3世代ぐらいはどうにかなるが5〜10世代ほどかけて徐々に数を減らして絶滅する
宇宙の大半は未解明だし判明していることもほとんど恒星に関することだから惑星とかのチンケな存在がどうやって最後を迎えるかは分からない
もしかしたら惑星間でブラックホールが太陽系に飛んできて地球を連れ去るかもしれないし
とにかく宇宙は何も分かって無いしスケールがでかすぎるし長すぎるので
この辺を上手く切り抜けても最終的には太陽が膨張して地球が飲み込まれるし
コロニー作ってそいつをイオンドライブで推進させて白色矮星とか目指すしかないけどエネルギー問題がどうしようもない
宇宙編は確か核戦争で地上には住めなくなって、地下で暮らし始めたけどAI暴走して大陸間で核兵器撃ち合って絶滅、だったはずで
まぁ衰退からの戦争で死ぬってパターンだとは思うが最後の戦争で死ぬってのはちょっと無いかなと思ってる
平均温度40度って相当高いのと、そうなっても極地付近では生きて行けそうなので絶滅まではいかないんじゃないかと
100年スケールぐらいで気候変動するなら人類は対処すると思う
問題になるのは食糧問題とそれによる戦争、からの科学文明の衰退かなぁ
そもそも観測可能な宇宙に終わりがあるのかどうかすら人類は知ることができないだろうし
どうなったら宇宙が終わりなのかすら分からない(3次元的に無が到来するかもしれないが感知できない)
確かに、太陽が燃焼終了したら白色矮星になるはずなので、それまでのあいだコロニーで適切な距離を保てばいけるような気がする
やっぱり人類はさっさとコロニー作らないと詰むのでイーロンマスクはちまちまロケット打ち上げてないで軌道エレベーターの建設に着手してほしい
もはや「買い物」なんて概念が古臭く感じる時代になってしまった。だが、2114年も物欲は健在。ここでは、俺が今年手に入れてガチで「これは革命」「俺の人生が変わった」と思えたアイテムを紹介する。正直、手に入れたときの高揚感をそのまま文章に乗せるのは難しいが、少しでも伝われば嬉しい。
💤 「30分の仮眠で3日分のエネルギーを得る」らしいが、正直ヤバい
買うときは「こんなもんホントか?」と思ってたが、いざ使うと、夜中の2時に目が覚めてもフルパワー。寝なくても元気というより、「眠りそのものが一種の高次元エネルギー補給になった」感覚。副作用として、時々夢の中に謎の幾何学模様が出てくるが、それを気にしなければ最強。
👕 破れる?汚れる?それは前世の話だ
この服、買った瞬間から一生着続けられる。なぜなら、汚れた瞬間にナノファブリックが自己修復し、繊維レベルでクリーニングが発動。しかも体型の変化に合わせてサイズ調整されるので、「ダイエットしたから服が合わない」とか「昔の服がキツい」とかいう概念が消える。便利すぎて一度着たら脱ぐ理由がない。
人間より賢いが、ほどよくバカになれるAIコンパニオン。感情理解能力がやばすぎて、もはや「人間と会話する必要性」が消えた。仕事もスケジュール管理も、果ては悩み相談まで全部やってくれる。唯一の問題は、たまに「あなたは何のために生きてるんですか?」みたいな哲学的な問いを投げてくること。やめてくれ。
🍕 3Dフードプリンター?いや、もはや料理という概念を超えてる
食材を分子レベルで再構築して、好きな料理をその場で出力できる装置。ヤバいのは、脳波をスキャンして「今食べたいもの」を自動生成するモード。俺の脳はほぼ毎回「とりあえずカレー」と判断するので、結果的に毎日カレーを食べてるが、全く飽きない。
これは完全に次元が違う。メガネの形をしていないのに、目の前に情報が見える。どういう仕組みかはわからんが、もはや視界がOS化された感じ。目を動かすだけでニュースが読めるし、歩くだけでARナビが発動する。やりすぎると現実と仮想の境界が曖昧になってくるが、便利すぎてもう外せない。
普通の靴に見えるが、履いた瞬間に「浮く」「滑る」「重力を最適化する」という三段階の補助が発動。これのおかげで、一歩踏み出すだけで「地面を歩いてる」という概念が崩壊する。街中がどこでもトランポリン状態。ただし、調子に乗って走ると本当に飛ぶので注意。
見た目はただのボール。でも起動すると、壁・床・天井すべてに映像を投影し、完全没入のエンタメ空間が出現する。まさに「部屋ごとVR」。ただし、怖い映画を見たときの臨場感がやばすぎて、ホラー系はマジで後悔する。
⌚ もはやこれは「体内病院」
腕につけるだけで、血液、心拍、筋肉、DNAすべての情報をリアルタイムで解析し、最適な栄養素や治療を自動で補給する。これのおかげで病院に行く必要が消滅。ただし、ある日「あなたの健康度は99.98%。ただし、残りの0.02%が未知のウイルスです」と言われたときは、さすがに震えた。
ボタン一つで形を変える次世代乗り物。都市ではスリムなバイクモード、高速道路ではエアロダイナミックなスポーツカー、混雑した道ではドローン化して空を飛ぶ。マジで渋滞とは無縁。ただし、事故ると「なぜこの形態だったのか」と責められるので慎重に。
土地に配置すると、自動で測量し、素材をナノレベルで合成しながら家を構築してくれるドローン。約24時間で家が完成し、内装もカスタム可能。もう「家探し」も「ローン」も必要なし。唯一の問題は、酔った勢いでデザインを決めると、翌朝とんでもない家ができていること。