はてなキーワード: 精神的支柱とは
陰謀論はバカバカしいが、その陰謀論の構造をシステムとして考えると意外と練られている。
少なくとも陰謀論の発信者はバカではない。孤立したデジタル音痴すぎる高齢者が何を求めているかをよく知っている。
この構造はどこかで見たことがないだろうか。YouTuberであり、VTuberであり、キャバクラであり、風俗であり、ホストであり、女風であり、P活であり、アイドルであり、宗教であり、ミソジニーであり、ミサンドリーであり、アニオタであり、鉄オタであり、ネットワークビジネスであり、マルチであり、投資詐欺である。
息子より、娘より、独身なら自分たちよりも若い人が、自分たちの身を案じてくれているわけだ。
陰謀論の真偽など、フェイクニュースの真偽など、はっきり言ってどうでもいい。そんなことよりも、我が身を案じてくれている親身な人がいるというのが重要なのだ。
陰謀論を作る側も、楽なのだ。作ったら楽して稼げる。騙す側も騙される側もロジックは同じだ。
楽したい。それだけだ。だってずっと耐えてきたんだし。そういう感じだ。なんで自分ばっかり。自分ばっかり。自分ばっかり。そう思ってる人で溢れてる。
しょーもないよ。ほんとに。
老親は、はっきり言って頼りにならない。今の世の中の仕組みがわかっておらず、ついていけない。何をしてもどこに行っても馬鹿にされる。
肝心の息子や娘は忙しい。かまっていられない。子がいない者は、もともと孤独だ。
趣味がある者はいいが、ない者はインターネットでも始める。インターネット初心者の者も多い。
真偽など重要ではない。それよりも自分たちの精神的快楽を求めてさまよう。タップしてタップしていたら、強いマーケティングによって簡単に誘導される。
歳をとっていなくてもマーケティングに誘導されることもあるのに、デジタル音痴で思考の洞察の癖のない老人などひとたまりもない。
陰謀論の真の問題は、ある陰謀論のシステムの制御者が過剰に攻撃的なことだ。
これは他の精神的支柱をもつシステムにはあまり見られない。無論見られることもあるが。
みな、わけのわからない思想を持った組織がいるところまでは許容できる。しかしその組織が自分たちに攻撃してくるので問題とするのである。
ここの線引きを制御者にわきまえさせるべきである。まあそこまでは許すけど、それ以上やったらわかってんな?と。
ディープステートはCGで「ドラゴンが実際に実在する」などとして、ファニーな動画作りに勤しむのはどうだろう。
カウンターとして我々全員ディープステート構成員だとするのもありかもしれない。明確に「あなたはディープステート構成員じゃないから拒否する。いくらお金を持っていても」とすればいい。
まあジョークだが、精神的支柱を求めて逃げ込んでいる奴らが別に陰謀論者だけじゃなくて多いなと感じている。
希望増やせよお前ら。
京都アニメーションの新作が発表された。
落胆した、そして悲しくなった。
一方は既存のシリーズの劇場版、もう一方は新規とは言えかつて京アニで制作した同作者の「日常」の流れを汲んでるので、似たようなテイストになるのは明白だ。
京アニは完全新規の企画を立ち上げる体力はまだ戻ってきていないことをまざまざと証明させられた。
あの放火殺人事件によって、京アニの精神的支柱・大黒柱とも言える木上益治氏を失い、武本康弘、西屋太志、池田晶子も居なくなった。
実は事件後、犠牲を免れた人達の中からも大勢が京都アニメーションを去っている、監督・キャラデザ・作画監督クラスの人間がごっそり京アニを辞めたのだ。
きみの色公開中の山田尚子はもとより、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのキャラデザの高瀬亜貴子ももう京都アニメーションには在籍していない。堀口悠紀子は事件の数年前にはすでに辞めている。
その他の作画監督級のアニメーターも退職して上京したり、廃業したりしている。
2010年代の京アニは特に自社原作オリジナル作品に力を入れていた。
会社として多数のオリジナルIPを生み出せる強みを存分に活かしていたが、それを担える才能はあの事件でほとんど失われてしまった。
今度の「新作」も、既存もしくは既存に近い性質の作品ばかりだ。
傍目には復活できたかのような京都アニメーションだが、今回の新作発表会で事件から5年以上経ってもかつての力を取り戻せてはないという現実を無惨にも突きつけられた気がした。
京都アニメーションの強みというのは、商業主義と表現主義のバランスだ。商売として売れなければどうしようもないが、だからといって表現も捨ててはならないという強固な意思の強さだ。それは犠牲になった木上益治氏の影響力も強かったからだ。華々しいテレビや劇場の裏で作っていた短編作品などは極めて表現主義的なものだった。
その木上氏を失い、多数の才能も失った京都アニメーションは今後、商業主義的な作品ばかりになっていくのだろう。
それがとてつもなく悲しい。
オレオレFCはホームで大分トリニータに0-1の完封負けで、ホーム3連敗を喫し、後半戦の初戦で白星スタートを切れなかった。前半からボールを支配し、シュート27本を打つも無得点が続くと、後半27分に相手の最初のシュートが決まり、先制点を奪われた。その後も立て続けに攻め、シュート34本打ちながら、無得点。枠内シュート僅か1本(全体では5本)の大分相手に失意の敗戦を喫した。
サポーターのブーイングが鳴り響く中、うなだれながら、ピッチを後にするロイブル軍団。試合を支配しながら無得点で失意の敗戦に野河田彰信監督は「負けは監督の責任」と話した。
前半から試合を支配し、大分に後半10分までシュート1本すら打たせなかった。しかし打てども打てども得点できないもどかしい展開。後半27分に右サイドを破られ失点しても、猛攻を続けたが、ポストに嫌われるなど結局34本のシュートを浴びせながら無得点に終わった。指揮官は「結局は集中力の問題やんか。相手はたった1本を決めて、ウチは打っても入らん。失点にしても、プレーにしても集中力がないから、ああいう試合になんねん」と厳しく指摘した。
次節は中2日の29日にホームで首位・町田ゼルビア戦が待つ。さらに守備の中心、DF岩田、村山に加え、精神的支柱のMF鈴木潤主将が累積警告による出場停止と厳しい状況が続く。野河田監督は「そら、もう痛いけど、(試合は)待ってくれないんでね」とイレブンの奮起を促す。7試合無得点に終わったFW森永も「町田を倒せば、自信が着く。1つの勝利が浮上するきっかけにしたいです」と前を向いた。
正しさで殴りつけてくる麗奈にめっちゃムカついてたので、(滝にフラれるとかして)コイツ1回ボコボコに心折られねーかなと思ってたら、自らの手で久美子をソリ落ちさせて死ぬほど凹むという、まさにそんな展開が飛んできたので麗奈を赦す気になれたの良かった(結論)。
色んな意味で話題になったシリーズ第3期12話で久美子と滝は以下の会話をかわす。
滝「そうですね。正しい人でしょうか。本当の意味での正しさは、皆に平等ですから」
滝「黄前さんは、どんな大人になりたいですか」
久「私は…。私も、そんな人になりたいです」
以下、アニメ『響け! ユーフォニアム』シリーズの感想を、物語が提示した“正しさ”に沿って述べる。
正しさを他人に押し付けるとき、そこには暴力性が宿る。久美子と麗奈はむしろそれを行使してきた側で、実力が上だからという理由で3年生の中世古香織をソリから追い落としたことや、家庭の事情で全国大会前に引退しようとしていた田中あすかを強引に引っ張り出したことは、まさにその典型だ。その時、久美子たちはまだ1年生で、責任を負わない立場だから好き勝手やって良かったし、正しさで相手をねじ伏せることは快感を伴うので、作劇上それらはむしろ肯定的に扱われていた。ゆえに正しさの中に潜む暴力性はこれまで適切に隠蔽されていたのだが、3期になってブーメランとして返ってきたことで、その問題点が一気に噴出した。そして久美子と麗奈では反応が違った。
久美子は下級生を指導する過程で黄前相談所という二つ名を得るほど面倒見が良く、そして部長になったこともあって精神的に成熟し、融和的なスタンスを取るようになった。一方の麗奈はなんら変わることなく正しさの信奉者であった。ふたりとも「北宇治は実力至上主義」というイズムを共有していたし、強豪校からの転校生である黒江真由が「(ソリを奪うことになるから)オーディション辞退しようか?」と何度も何度も何度も本当にしつこく何度言ってきても久美子は「上手い人が吹くべき」というスタンスを一度も崩さなかった。
ただ、全国大会金賞を目指すべくオーディションを大会ごとにしたことで緊張がずっと続いたことや、大幅に変わった編成への疑問、そして精神的支柱である久美子が本当にソリから陥落するに至って部の混乱はピークに達する。これに関しては仲の良い者の間でも意見が別れており、たとえば強豪校出身の川島緑輝が「実力は同じなのだし、それだったら部が落ち着く方が」と久美子を支持する一方で、高校から吹奏楽を始めた加藤葉月は「それだとオーディションが成り立たない」という意見だった。葉月は本当に素人からスタートしており、3年生になってようやく大会メンバーに選ばれた。しかしだからオーディションを肯定しているわけではなく、落ちていたとしてもおそらく同じことを言っただろう。彼女の言葉は真っ直ぐで、積み重ねてきた努力に支えられていることは明白だった。一方の緑輝も、強豪校でやってきた経験から、おそらくは部の空気が合奏に与える影響を理解しており、だから部がまとまることを重視していたのだと思われる。つまりどちらも「正しい」。しかしそうやって意見が分かれ、「正しさ」が衝突しあう只中で、久美子と麗奈は袂を分かつ。
久美子は、部の混乱を収めるには顧問の滝が編成の変更やオーディション結果に対する意図を説明することでみんなが納得することだとしてその道を模索するが、しかし麗奈は「そこに疑問を抱くと全てが崩れる。指導者の方針に従うのは大前提」と否定、さらにはソリ落ちした直後の久美子に「自分の努力不足を棚に上げて思い通りにならないってそんな言い訳か文句が大半」という正論を浴びせ、「部長失格」の烙印を押す。
このシーンに対する感想を言わせてもらえれば、「安全地帯から正論ぶってんじゃねえよ麗奈ァアッッッ!」である。心底ムカついたね。
高坂麗奈はサラブレッドなトランペッターである。父がプロの奏者で、家に防音スタジオを作れる程度には裕福で、幼い頃から音楽指導も受けてきた。彼女は学生離れした実力者で、当然のように大会メンバーはおろかソリストに選ばれる。環境だけが彼女をそうしたとはもちろん言わない。それに見合うだけの努力をしてきたのだろう。だから彼女が「自分の努力不足を棚に上げて指導者に楯突くなんて!」と言うのは“正しい”。目標を全国大会金賞に設定したのは部員たちだし、それに向けて合奏を作り上げるという意味で滝の指導力に疑う余地はないのだから、従うのは当然。麗奈が言うことは常に“正しい”。そして久美子も視聴者も、その麗奈の“正しさ”に一度は与したはずである。“正しさ”でもって中世古香織を追い落とし、田中あすかを大会に引きずり出し、劇的に描かれたそれらのシーンに感動してきたのだから。そこに潜む暴力性に気づこうともせず。だからいざその暴力性が自らに向けられたとき慌てふためくのは滑稽な話である。しかし感情は偽れない。“正しさ”で殴りつけてくる麗奈はやっぱりムカつくのだ。そのムカつくという感情がベースにあることは認めつつ、その上で言いたい。正しさは万能薬じゃない、と。
麗奈の正しさは(構造的に)滝の影響を強く受けている。北宇治吹奏楽部顧問の滝昇は若手ながら実力のある音楽指導者で、部員たちに「全国を目指す」か「楽しく過ごす部にする」かを選ばせた人物である。生徒の自主性を重んじると言えば聞こえはいいが、自分たちで選んだからには妥協を許さないという暴力性がそこにはある。確かに滝の指導力は本物で、北宇治はメキメキと実力をつけ、就任1年目にして全国大会に進出するほどの成長を見せた。しかし実力が上がれば目標が上がる。目標が上がれば部員たちにより負荷が掛かる。そうして発生したのが関西大会直前に発生した部の混乱であり、滝にはそれを鎮める力もその気もなかった。それは合宿中のやり取りに現れている。
滝「楽しむ、と書いて音楽、ですね」
橋「本当に分かってる?」
滝「(虚を突かれたような顔をした後)分かっていますよ」
場面としては関西大会直前の合宿で、部のピリピリした空気を感じ取った橋本(滝の音大時代からの友人で、北宇治の外部指導者)がジョークで和ませた後、軽く訓示しようとした時のことである。橋本に言わせれば、音を楽しむことが音楽だと本当に分かっていれば、こんな空気を放置しておくはずがない、といったところだろう。滝の、合奏を作り上げるという意味での実力は確かなのだろうが、その指導力が及ぶのは正しさが通用するところまでであり、それで解決できない問題にぶち当たったときは無力である。そして滝自身に解決する気がない。ただの外部指導者に過ぎない橋本が一瞬にして感じ取った「ピリピリした空気」を滝はただの一度も解消しようとしなかったのだから。滝には解決する能力がなく、その気もない。滝に無理なのだから、ミニ滝にすぎない麗奈にはもっと無理である。
そんな部のピリピリした空気を解消したのは久美子だった。思っていることを素直に打ち明け、解決したのだった。
「1年生も3年生も同じ土俵で競ってひとつの目標に向かえる北宇治が好き」 「その北宇治で全国金を取りたい。でも届かなかった」 「何かを変える必要があって、だから大会ごとのオーディション形式にした」 「間違っていたとは思わないけど、でも戸惑わせたことも事実。すみませんでした」と部長として謝ったあと、「納得できない人もいると思う。でも私は北宇治で全国金を取りたい」そう訴えた。「1年間みんなを見ていて思いました。こんなに練習してるのに上手くならないはずない。こんなに真剣に向き合ってるのに響かないはずない。北宇治なら出来る。私たちなら出来るはず」と。
この久美子の真剣な訴えが部員たちの心に響き、部は急速にひとつにまとまった。
さて、久美子は部長失格だっただろうか。その答えは言うまでもなく明らかで、失格なのは正しさを押し付けることしかできない顧問とドラムメジャーであろう。
このあと、久美子と麗奈は仲直りをするのだが、ハッキリ言って納得できるものでは到底なかった。久美子はあっさりと赦していたが、一視聴者としては、「ああ、麗奈を赦すことは絶対にできないな」と思った。物語としては、このあと黒江からソリを奪還し、全国大会金賞を取って大団円を迎えるだろうが、それはそれとして高坂麗奈というキャラクタを心底嫌いになったことだけは動かせないだろう、という結論に至り、そしてそうなるはずであった。
のだが、物語は急展開を迎える。
ここからは原作改変としてすでに話題になっている、ユーフォニアムのソリ奏者を決める公開オーディションについて、私が受けた衝撃を述べる。ちなみに原作未読である。
久美子にとって憧れである田中あすかを思わせる銀のユーフォニアムを携えた強豪校からの転校生で、実力は高い。つまり久美子を脅かすポジションを与えられたキャラなのだろう、ということはすぐに分かった。実際その通りの役回りで、「(私のせいで大会に出られなくなる人がでるから)オーディション辞退しようか?」 「(ソリを奪うことになるから)オーディション辞退しようか?」と本当にしつこいぐらい繰り返し久美子に訊ねるうっとうしいキャラでもあった。それはさておき実力は本物で、いち早く警戒感を露わにした麗奈は、当初「久美子の方が上手い」と言っていたのに、途中から「久美子の方が好き」とトーンダウン。さらにソリの練習に久美子を付き合わせて「私は全国も久美子と吹くつもりでいるから」と激励している。しかし関西大会でソリの座から久美子は陥落する。その際、麗奈は「やっぱり…」という表情を見せるため、滝の求める音を出せるという点で、黒江は明らかに上だったと思われる。
ただこの段階でのソリ落ちは明らかにそういう流れであったし、物語的には全国大会でソリ奪還して金賞の方が盛り上がるため衝撃は全くなかった。物語がそのラインに乗ったことで、そうなることはもはや確定的に明らかだとさえ思った。
関西大会は滝の一存で決まったが、全国大会は甲乙つけがたいとの判断で、部員投票による公開オーディションをすることが決まった。2年前、当時1年生だった麗奈と3年の中世古が競い合ったアレのリフレインである。しかし当時と違ったのは、奏者を幔幕で隠し、音だけで判断してもらうということ。奏者は視聴者にも隠されており、これには第四の壁みを感じた。つまり視聴者であるあなたたちも、音だけで判断してくださいね、という制作者たちの声が聞こえたのである。
音楽的素養は0で、細かいことなんて何も分からないが、確かに2つの音は違った。
1番目の奏者は音が小さく、2番目の奏者は大きく聞こえた。自分が部員なら2番目に投票しようと思った。
投票シーンに移り、2番目の奏者には緑輝、塚本、奏の手が上がる。やはり2番目が久美子だったんだと確信した。同時に勝利も確信した。しかし同票であるという。
滝「奇数のはずですが…」
麗「私が、まだです」
ここで2年前のトランペットのソリオーディションの回想が入る。「裏切らない?」 「もしも裏切ったら、殺していい」のやつである。そして――
麗「……1番です」
え、ちょ、待って。2番が久美子やろ、1番????????????
滝「分かりました。では1番の方は、前へ」
黒江の脚が前に出て、麗奈の顔がくしゃりと歪む。久美子が目を伏せる。
マジかよなんだこれふざけんなよ。
客席からざわめきが広がり、部員たちの困惑した表情が映される。
また正しさの暴力かよ! 誰が得するんだよ、この展開!
困惑と怒りの感情でないまぜになったが、まっさきに動いた久美子の言葉に背筋が伸びた。
久「これが! 今の北宇治のベストメンバーです! ここにいる全員で決めた、言い逃れのできない最強メンバーです! これで全国へ行きましょう。そして、一致団結して! 必ず金を! 全国大会金賞を、取りましょう!」
3年間やってきたことがある意味で潰えた直後にこれを言える久美子は本当に立派だと思ったが、脱力した。訳が分からないと思った。
呆然としたまま画面を見続ける。
場面は進んで行き、久美子が麗奈を探している。しかし先に帰ったという。大吉山で待ってるというラインの画面が映され、登りきった先にいた麗奈は背中で泣いていた。
それを見た瞬間、(上からで申し訳ないが)「赦せる」と思った。麗奈は分かってて久美子に引導を渡したんだと理解し、麗奈に対する怒りが氷解した。
正しさは暴力性を孕む。しかしその正しさが自らに向かうときのみフェアネスになる。日本語に直すなら公正さだが、ここは敢えて“正々堂々”という言葉を使いたい。
麗奈は黒江を選んだんじゃない。久美子より音楽を取ったんでもない。久美子との約束を果たしたのだ。
2年前。中世古香織をソリから追い落としたとき、そうけしかけたのは久美子だった。麗奈は「裏切らない?」と聞き、「もしも裏切ったら、殺していい」と久美子は答えた。ここで彼女が言いたかったのは、「自分の音楽に正直であれ」ということだったろう。そういうセリフがあるわけじゃない。しかし含意は明らかなように思われる。迷いを振り切った麗奈は実力を発揮し、ソリの座につく。
麗奈はその時の同じように、正々堂々と、胸を張った。
たとえそれが自らの心臓に刃を突き立てるほど辛いことであっても。
久美子は音大に行かない。公式大会でソリを吹くチャンスは最後だろう。海外の音大に留学する麗奈からすれば、肩を並べて吹ける最後のチャンスでもある。
でもそれを分かった上で、どちらが久美子でどちらが黒江か分かった上で、久美子を切って捨て、そのかわりに約束を、果たしたのだ。
久美子は言った。「私は、それが何よりうれしい。それを誇らしいと思う自分に胸を張りたい」
もし仮に、麗奈が久美子との約束ではなく、久美子を選んでいたら。麗奈はもちろんのこと、久美子も胸を張れなかったはずだ。最後の全国大会で一緒にソリを吹けたかもしれない。高校時代のいい思い出として残せたかもしれない。しかしあのときかわした約束を裏切り、その時の自分たちを殺すことになる。だから“正しさ”に傷つくことが分かっていても、麗奈は己を曲げなかったし、久美子はそんな麗奈を誇りに思うと胸を張ったのだ。
原作改変で賛否両論の展開であるが、私にとってはアニメ『響け! ユーフォニアム』が描いてきた物語の結末として、これ以上のものはないし、これ以外のものもないように思われる。私は私の感想が正しいとは思っていない。久美子と麗奈がソリを務める全国大会が見たかったし、今もまだ見たい。久美子がソリを吹けないなんて嘘だろう、とまだ思っている。だから原作改変に怒っている人たちを否定する気には一切なれない。それもまたひとつのあり方だと思う。でもだからこそ、正々堂々と胸を張る道を選んだ久美子と麗奈を、いち視聴者として誇りに思う。
余談。滝は「どちらも充分ソリが務まると考えています」と言って部員投票に委ねたが、ある意味で嘘だろうと思う。というのは久美子と黒江の音に明確な違いがあったからだ。どちらが上か下は分からない。でも違いがあった。久美子の音は大きく、黒江は小さかった。麗奈が選んだ今なら分かる。久美子のユーフォニアムは主張が強かった、ということなのだろう。あくまでユーフォニアムは影だ。スポットライトがあたるべきはトランペットであって、黒江のユーフォニアムは影に徹することでペットを際立たせる演奏だった(黒江の楽譜には「支える!」という書き込みが何度も現れる)。合奏で求められるのは、つまり滝が求める音を出せたのは黒江だった。
ではなぜ滝はソリオーディションを開いたのか。責任を投げたとは思わない。頑張ってきた久美子にチャンスを上げたとも思わない。本人が述べているように、久美子が部員からの信頼篤き部長であるがゆえに、部がまとまるにはそれが最善と考えたのだろう。
「私は、今の北宇治を高められるところまで高めたと、自負しています」。つまり本当に、久美子と黒江で大きな差はないのだ。どちらで臨んでも、金に届きうる。そのために必要なのはむしろ部のまとまり。そういうことなんだろうと思う。
余談その2。12話の放送直後、シナリオライターが原作改変を主導したのは自分だと告白していた。
https://x.com/oitan125/status/1804807383018795391
賛否両論になるのは間違いなかったから、その責任を一手に引き受ける、とそういうことだろう。アニメの中で、麗奈がやったのと同じ立ち回りである。これが正しい結末だと、原作を改変してまでそれを押し付けた。しかし同時にそれに納得のいかない視聴者からボコボコにされることを引き受けた。正々堂々と、胸を張ったのだ。いち視聴者として、制作スタッフの決断とそれを支持した原作者を誇りに思いたい。
そんなことはないよ、こっちも最大限見返り求めずに色々してた。
物とか行動とかはどうでもいいのよ。
互いな精神的支柱にしてるとおもってたけど、向こうはあっさり捨てただけ。
>>いつかもっととんでもないトラブルが起きるだろうな。
是非起きて欲しい。
ウクライナ戦争のおかげで「権威主義政体」が最悪の存在である、ってのは皆周知された。
そしてジャップのリベサヨの精神的支柱である「反米主義」がバカの考え方だと知られたのは良かった。
(残念ながらイスラエルのバカがやらかしたせいで、ジャップのリベサヨはすり替えして反米主義を継続している。くたばればいいのに)
TVでは漫画家が自死することで「ジャップランドの契約のおざなり」と「利益第一主義」の問題点が浮き彫りになった。
「売れればいいんだよ売れれば!」って口角に泡つけて怒鳴っていたTV屋とそれに与していた連中がイライラしているのを見るのは本当に楽しい。ざまぁ。
金が全てではないのが表現者だ。
この増田は「お利口さん」のちょっと気取った消費者に過ぎないから理解も出来ないだろう。人を踏みにじってもやりたいことがあるという現実は否定(禁止・発禁)したいだろうね。
死人が出るべきなんだよ。
ジミンの裏金が解決しないのは「誰も死んでないから」だからな。
まぁ随分前にホテルで自殺(笑)した政治家さんがおいでになられたが。
問題は解決しなかったし、そのまま闇から闇へだったけど、今回のは随分明るいところにボロボロ出しているからね。
俺は人間に価値を持ってない認知(俺も含めて)だし「死んでいい奴は死んでいいのだ」という価値観で30年以上生きているので。
だから平成キッズやZ世代の大事に思っているものって、ホント下らないと思ってるよ。他愛のないものだよ、オマエラの愛しているものは。
西武の山川のFAの人的補償にSBの和田が選ばれた!って情報が出たけど、実際には甲斐野が移籍することになった件で和田が移籍するなら引退すると示唆したため、急遽変更になったという報道が出ている。
現行のFAのルール上、人的補償に選ばれた人間が引退する場合強制的に金銭になる。
なので投手陣の強化が急務だった西武としては甲斐野投手を再選択したのだろうと言われている。
FAで選手が移籍する際に、その選手の年俸ランクに応じて移籍先の球団に人的補償を求めることができる。
移籍先の球団はどうしても取られたくない選手を28名プロテクトすることができ、
移籍元の球団はプロテクト外の選手から欲しい選手を選ぶことができる。
基本的に人的補償で選ばれた選手には拒否権がなく、もし拒否した場合はプロ野球選手としての資格を失う。
ただし、今回の和田のように43歳の引退秒読みのおじいちゃんであれば、ほーんなら引退するわで引退もできてしまう。
この引退示唆オプションを使うことで、28枠しかないプロテクト枠を1つ空けることができる。
28枠あれば十分なように感じるが1球団の人数は上限70人。人的補償対象外の選手(外国籍、新人、育成契約)などもいるが、おおよそ50名以上から守りたい選手を選ぶ必要がある。
現行のレギュラー陣、だけで20名程度、さらには将来性がある育成途中の若手なども考えれば28枠はめちゃくちゃ少ない。
そしてこれと同じことを行った(とされているのが)、
当時、すでに衰えつつあったとはいえ中日の精神的支柱であり、かつては日本最強クローザーとして活躍していた岩瀬仁紀選手である。
2017年、日ハムから大野捕手がFA宣言し、中日が獲得することが決まった。
「ファイターズとしてインパクトがあるリストでした。検討する価値のあるものと考えています」
とコメント、これはとんでもない選手の移籍があるのでは!?と色めきだったが、
なぜか最終的に人的補償は求めず、追加で金銭選手を獲得するという形で収まった。
そしてのちに東京スポーツが「日ハムは岩瀬を指名したが岩瀬が引退を示唆し交渉が難航、日ハム側が折れて金銭を選択した」というスクープが出た。
なおソースは東スポ。ちなみに、東スポは中日の編成に関しては記事のほとんどを当てている。
中日側はこの記事の内容を否定しているため、事実はやぶの中ではあるのだがネット上ではこれを指して
プロ野球球団はそれぞれが独立し戦い合う中ではあるが、同時にNPBを盛り上げ合う盟友でもある。
人的補償は当然の権利とはいえそれで有名選手が引退に追い込まれることは本意ではないのは理解できる。
でもそういう想いを利用して制度の隙をつくような運用は卑怯だなと思ってしまう。
はてな匿名ダイアリーを初めて使うので、使い勝手が分かっておらず申し訳ございません
ゲイなので母数も少なく、モテないルックスをしており、コミュニケーション能力低めの弱者ゲイなので、これからの恋愛に不安を感じています
【経緯】
コロナで全く人に会っていなかったため、リハビリとして出会い系を再開。昨年10月ごろ出会ったのが当該人物。
趣味や酒の飲み方が合っており、仕事への向き合い方や仕事そのものに尊敬でき、何より話していて楽しい、そんな人でした。
11月に私から告白をしたところ「ちょっとまだ早すぎる…」とかわされたのですが、
毎週末彼の家に入りびたり、必ずどこかに出かけるという生活を行っていたので、あまりそういうことを口にするのが得意ではない人なのだと思っていました。
彼との平日のやり取りはLINEが多く、当初はとりとめのない会話を行っていたのですが、
私の話を遮って、彼が自身の仕事の話を突然送り付けてくるようにと、だんだんと変化。
私自身、彼の仕事の話を聞くことに面白さを感じていたので、不満はなかったのですが、一抹の不安を覚えたのも事実です。
その後彼に仕事がある、飲み会があるなどの事で会えない土日が続き、不満ではありましたが、それを口にするのも野暮…というか
黙って待っているのが当然だろうと思って過ごしていました。
そんな会えない日が続くなかLINEで「直接会って話がしたい」とのこと。
不安を覚えましたが、出張のおみやげを渡したい とのことで、別れ話の場でそのようなことがなされないだろうと、無理やり楽観視して臨みました。
【別れるまで30分前】
久しぶりに会えたことの喜びをうまく表現できず、たどたどしく挨拶。
銀座ライオンで飲むことになったので(喫煙ブースがあるため)、いよいよ悪い話がなされることは無いな、と感じました。
ラストオーダーに引っかかるので頼みませんでしたが、飲み放題にする?との提案もあったので、何か幸せな話になると期待に胸を膨らませたことは事実です。
【別れるまで15分前】
おみやげをもらったあとは、彼の仕事の話を聞くターンです。彼との時間ではこういうことが頻繁にあります。
ただ出てくる話がどれも刺激的かつ話術もあるので、楽しく私は聞いています。
しかし、やはり「直接会う話」を早く聞き出したい。
【別れ】
要約すると「私と過ごす時間は楽しいが、彼自身の中で、私は恋人カテゴリになれなかった」。
私の告白にキチンと応えず、うやむやな関係を続けてしまって酷いことをしたとのこと。
しかし、私にとっては愛しい人です。キチンとした関係でなくとも、今の状態で幸せだったので、何を言っているのか理解できませんでした。
私は好きだから、結論をペンディングにしたいと伝えたのですが、しばらく前から考えていた、と。
なんてことでしょう。私が付き合っていると思っていた人は、私を恋人だと認識していなかったのです。
一体誰と相撲を1年近くも取って来たのか…(性的な意味ではありません)
彼の中でもうこれは終わった話だと知り、私はタバコを吸ったのち、彼の前で軽く涙を流しました。
【別れて5分後】
まだビール1杯も飲んでいませんでしたが、帰ると告げると、彼も出るとのこと。
2軒目行こうと慰めなのか何なのか分からない話をしてきました。
帰りに、彼の家に置いていたNintendo Switchが入った紙袋を渡され、終わりを実感。
珍しく、改札まで送ってくれたのはせめてもの敬意だったのでしょうか。
改札を抜けたのち、即友人4-5人にLINEで報告。
とりあえず自分自身で抱えていられませんでした。
各々返信をしていただけたのですが、どれも「がんばれ」「次々」など何かを強いるものではなく、共感や彼への怒りの代弁など、ありがたいものばかり。
女性がほとんどなのですが、こういう力をどこで身に着けるのだろうか女性はすごいなと変に感心していました。
【別れて30分後】
帰りの電車は、あまりにも混乱していたのか記憶がおぼつかないです。
コンビニでタバコを3箱購入していたのは、本能的にストレス発生時にニコチンが必要になると察したからでしょう。
家の近所にあるバーに一人で行きました。
彼との経緯についてはバーのマスターにはあらかた伝えていたのですが、今日の別れを報告。
客がほかにいなかったこともあり、私の愚痴を黙って聞いてくれ、また涙を流しました。
【別れて1.5時間後】
風呂に入って、またLINEの返信をしつつも家にあるワインを飲みなおします。
一向に酔った実感はないうえ、ショックさも軽減しているような不思議な感覚。
なにかしていないと落ち着かないので、出会い系サイトを再開した記憶は残っています。
どうせ会うつもりもないのに、適当にマッチングしてしまい、マッチありがとうございます!とメッセージ送付。
2時ごろようやく床に着きましたが、明日からどうすればいいのかとの不安に苛まれました。
「どう」とは具体的に何に関連する話なのかは分かっていません。
【別れた翌朝】
Twitterなど見て過ごしましたが、悲しみなのか何なのか、対応する言葉が見つからない感情のせいで、
どうも落ち着きがなく、ここではなくどこかに行かなければ…との思いに。
サラリーマンなので、それは会社になってしまうのが悲しいことでしたが、1時間早く出勤することに。
昨晩の出来事は嘘だった、夢だったんじゃないかと考えつつ出社。
【別れた翌日午前】
会社の上と、上司と別の上司と別の上司の食い違った意見を一つの案にまとめる仕事に苦戦。
ストレスでしかない仕事でしたが、この時ばかりは気を紛らわせるようで、むしろ快適に過ごせます。
私の所属しているチームの他メンバーとは、正直気が合いません。そのメンバーと今日は昼食を共にする予定が入っていたのですが、以前から気が乗りませんでした。
そこでTeamsにて別れを口実に(事実ですが)欠席を連絡。
前夜ほぼ何も食べていなかったことに気づきましたが、食欲はあまりわきません。
コンビニでどれを見ても気乗りしたいので、適当にどん兵衛をチョイス。
昼食はオフィスの誰もいないところで過ごすことに。
Amazonで失恋、本と検索し、めぼしいものをチェックして過ごします。
Teamsで、いつも露悪的ないじわるを言ってくる同僚にも連絡。
いつもと違って、優しい返しをされ、(失恋って共通コンテンツなんだな…)と再確認。
【別れた翌日午後】
無意識的に彼の仕事関係のサイトを覗いており、いかに私の内面に彼が入り込んでいるのかと驚愕。
このあたりでようやく混乱も収まりつつ、抱えている不安とは何か?と考え始めるようになりました。
彼と過ごす週末に向けて、平日を乗り切り、週末はほぼ時間を共にしていましたので、今後どうすればいいのか路頭に迷います。
コロナ前は数少ない友人と過ごすことも多かったのですが、徐々に結婚などライフステージも代わり会う頻度が減少。
そしてコロナで完全に家で過ごしていたので、今から自分時間をどうすれば、自分の面倒をどう見ればいいのか…
冒頭に書いたように私にとっては非常に魅力的な人で、ルックスが悪い所さえ(ほかの人の心配が少ない)とポジティブに捉えていました。
さらに高収入な点も。特段相手の収入には今までこだわっていなかったのですが、長く人生を共に過ごすとなると、収入があるに越したことはございません。
それほど私にとって魅力となる点に溢れた人にこれから出会えるのか、これからも彼を振り返って生きていくのかもしれないとの、不安です。
【別れた翌日夕方】
タバコを吸いながら、思いつきました。
そうか端的に言えば 私は本命ではない都合の良い女だったんだ…ただそれだけだったのか…と
自分の話をうんうん聞いてくれる都合の良さ
土日は自発的に来て遊んでくれる都合の良さ
しかし、私自身が楽しくしていたそれは悪いことなのか?と自問しましたが、答えは出ません。
そしてショックさはかなり緩和されたのですが、胸に抱える不安はさらに増大しています。どうやって過ごしていけば…
【別れた翌日夜】
食欲はあまりわきませんが、食べないと死ぬので蕎麦を食べて帰宅。自炊をする元気などありません。
風呂に入りながら、せっかくの経験だしはてな匿名ダイアリーに投稿することをひらめきました。
幸せになれるのかなぁ〜
ぼる塾の酒寄希望さんを知っているだろうか。
メディアに良く出ているぼる塾は3人だけど、ぼる塾にはもう1人、酒寄さんというメンバーがいる。
酒寄さんには息子さんがいて育児休業中だったけれど、最近では一部の劇場に復帰し、執筆活動をしたり、ぼる塾のYouTubeに出演したりしている。
私は自分が出産するまで、「酒寄さん育休中って言うけど、期間長くない?」と思っていた。
私が勤めている会社では、大体1年で復帰する人ばかりだったからだ。中には数ヶ月で復帰する猛者もいた。
だからなんとなく私も、子どもを産んだ後は1年で復帰して、まぁ時短にはなるかもしれないけれどあとは元に戻ると思っていた。
いや、無理だ。
まだ育休中の身ながら実感している。
元に戻るなんて無理だ。
習い事の先生には「育児が落ち着いたらまた通いたいです」なんて話をしていた。
いや、落ち着くのっていつだ。
子どもは産んで終わりじゃない。
そんなことわかっていた筈なのにわかっていなかった。
保育園に通わせたって、仕事終わりに迎えに行かなきゃいけない。小学生になったって同じことだ。
育休中の今、旦那さんや母に預かってもらっても、歯医者に行くのがやっとだ。
ここで漸く酒寄さんのことにいきつく。
私はぼる塾が好きで、妊娠中も出産後もよくぼる塾のYouTubeや、出演したテレビ番組を観ていた。先日酒寄さんが出版された本のイベントも観た。
酒寄さんはこのいつまでも終わらない育児の合間に、ネタを考えたり、連載を執筆したり、挙げ句に今は舞台にも立っている。
凄すぎる。
YouTubeにも出ているし、中でも田辺さんと酒寄さんのラジオ「田辺の和室」ではずっと小気味良いトークを繰り広げている。
すごすぎる。
更に更に酒寄さんは、よくぼる塾のメンバーとLINEでメッセージを交わして、精神的支柱にもなっている。
いや、すごい。
子ども1人抱えていっぱいいっぱいになっている私には途方もない仕事量に思えた。
先日、酒寄さんがSNSにある呟きをしていた。
その前からこの文章を書きたいと思っていたんだけど、今こそ誰かに伝えたくなって実際に書き出してしまった。
ぼる塾の酒寄さんはすごかった。
今も現在進行系ですごかった。
映画そのものの感想というよりも、映画を通して広がった考察ゲームに対しての感想みたいになってしまうが、私が言いたいことを一言で終わらせるならコレになる。つまり以下はその補足説明であり蛇足だ。
映像の奥から「表現したかった感情」を引き上げるために、元ネタとなった事象そのものを言い当てようとするのは正しい過程ではない。
それはまた別のゲームであり、通常の考察と同じ枠組みでやるようなことじゃないはずだ。
眞人が自分を傷つけることによって周囲をコントロールしたことについて、宮崎駿の引退詐欺が元ネタであるかどうかを推理することに深い意味はない。
そもそも「人間には誰しもそういった悪意がある」というのは、別にアニメ映画の監督だけに限らない普遍的な出来事であるというのは落ち着いて考えれば分かることだ。
巨大な塔が存在し、その支配者は老いて後継者を探しているという話について、ジブリの内情をモチーフにしていると言い切れる要素はどこにもない。
アニメ業界全体の話かもしれないし、昭和から平成まで続いてきた価値観が変わりつつあるという話なのかも知れない。
作品が何を語ろうとしているのかを考えるときの補助線として造り手の実情を考えるのはいいのだが、「答え合わせが出来ない以上は試し書きの補助線でしかない」ことはちゃんと意識するべきだ。
元ネタ探しをしても仕方がないとは言ったが、物語からメッセージを受け取ることを完全に拒否するのも間違っていると思う。
多くの物語はそこに寓話性があり、造り手なりの思うところがあって語られている。
たとえその始まりが「戦闘機をカッコよく飛ばしたい」「戦車を戦わせたい」のような画作りを主目的としたものであっても、その中で人間を動かしていくうちに「戦争の悲惨さを描こう」「戦いを通じて育まれる友情を描こう」といった方向性が生まれてくるものだ。
実際の所、それらは多くの場合祈りのようなもので「勇気を持てば道が拓けると信じたい」「本質を見抜けないものは失敗して欲しい」「誠実であるものが救われて欲しい」といった願いの共有に近い。
時にはそこから反転して「でも現実はそうじゃないよ」「悪い奴ほどよく眠るんだよ」といった嘆きが語られることもある。
物語が一貫性を持つためにはそういった精神的支柱が必要なのだ。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」という支柱がなければスパイダーマンはスパイダーマン足り得ないのである。
それを受け取ることを拒否すれば、鑑賞者の頭の中で物語を崩れないように積み上げていくのはとたんに難しくなる。
このタイトルに過剰反応して「うわーお説教だ―」となっている人をちょこちょこ見かける。
名前の元ネタとなった本もそうだったし、この作品もまたそうなのだと感じる。
そしてその答はなんでもいいんだと思う。
主人公は「汚れ無きものを時間をかけて積み上げることは理想かも知れないけど、そうはならないから清濁併せ呑んで生きていく」と決断した。
無数の有象無象が生きる世界を見て回った後に、詐欺師のような友人を引き連れてそう宣言したたことで物語の方向性が確定した。
より理想的な世界を求めた大叔父の夢は壊れてしまったが、その夢を実現する手段に辿り着けなかっただけで夢を持ったことそのものが間違いだった訳ではないのだろう。
インコの王は本質を見つめることを理解しないまま大雑把なことをして塔を壊してしまったが、それでも塔の外でデカイインコとしてそれなりに暮らしていくのだろう。
自分の理想通りに生きられるかは分からないけど、決断が迫られるときは来るから自分なりの準備はちゃんとしておいた方がいい、でも出来なかったからと言って何もかもがお終いではないよというぐらいの感じか。
何が元ネタだったかを考慮するのではなく、描かれようとしてた哲学が何だったのかを考えていくのならば。
自分の気持ちをがむしゃらに伝えれば、まだ生きている母親を取り戻すことは出来た。
必死に頑張ったけど、もう死んでしまった母は取り戻せなかった。
アオサギとは敵同士のようでもあったけど、最後には友人になれた。
最初の印象に引きずられてずっとアオサギといがみ合っていたらこうはならなかっただろう。
でもアオサギがその気持ちに応えてくれたのは嘴の穴を埋める木を直した後からだ。
本当にアレは偶然の出来事で、もしも最初からピッタリ嵌っていたらアオサギは本当に飛び立っていたんじゃないだろうか。
たまたまもう一度作り直して貰おうとしたことが、あの二人が友人になるまでの最後の一押し分の時間を与えたように見えた。
あの友情は偶然の産物でもあるし、同時に二人の意志によるものでもある。
自分の意志で変えられるものと変えられないものがこの世界にはあるが、もしも手に入れたいものがあるなら諦めずに進まないいといけない。
「それは宮崎駿が結果を出した人間だから言えることなんだよ」と言いたい気持ちはあるにはあるんだが、結果を出している人間の口から聞かないと受け入れにくい言葉でもあるなと。
作品をどう解釈していいか迷ったとき、元ネタを探せばいいんだという風潮がいつからか生まれていた。
それはエヴァンゲリオンの解体新書が日本中で書かれ出してからいよいよ熱病のように広まったように思う。
特に最近は庵野監督が何かと話題になったので、作品の考察とは元ネタ探しであるという考えはオタク業界において根強い。
それは一つのゲームとして面白くはあるんだけど、考察とはそういうものであるとは思わないでほしいんだよな。
まして単に感想を述べたいだけなのに元ネタ探しをする必要があるなんて勘違いは絶対にしないでほしい。
世の中にある物語の95%は元ネタなんて探さなくてもストーリーの背骨さえ見いだせれば話の内容はなんとなく分かるように出来ている。
確かに途中で話が変な方向に向かうことはあるけど、展開の矛盾だとかご都合主義だとかの野次を飛ばしたい気持ちを抑えて、大筋自体を素直に受け入れれば自ずとそれは見えてくるように思う。
考証ぶったクイズごっこや、食通ぶった矛盾探しばかりしてないで、まずは物語を素直に楽しんで欲しい。
『君たちはどう生きるか』の感想を見ているとついついそう感じてしまう。
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
最近、檜山さんの結婚報告が注目され、その件を通じて「弱者男性」というワードがとりわけSNSを賑わしている。
自身、24年間生きてきて、悲しいことに何となく自分の人生の終着点というか、限界がおぼろげながら見えてきて、私は弱者男性なのだ、と最近気づいてしまいました、、、
まぁ、、長い人生前向きに考えてセルフ弱者男性認定記念に「弱者男性」に対して私が思うことをつらつら書いていこうかなと思います。SNSでもよく挙げられる話題だしいいかなって。
24歳地方国立大学の大学院生。いわゆる限界大学院生というやつでして、日々精神すり減らしながら研究行っている感じです。就活は売り手市場と呼ばれる今年の中、7月に入ってもまだ内定先が決まっておらず、バイトでは高校生の同期に任されている仕事量で負けているという具合ですかね。
その中でも決定的だったのはお付き合いしている彼女の精神的なケアが全くできないこと。正直、仕事の愚痴や相談をされても自分のことでもう手一杯なのにそういう事言ってくるなよ。こっちも疲れてるんだからさぁ。みたいに思ってしまってすでに何回も喧嘩していく中でどうしようもなく自分は弱者男性なのだと思いましたね。
私が考える「強者男性」の最大値は華々しい学校を卒業し、名が通った会社に勤め、会社の激務をこなしながらもちろんいる彼女や妻の精神的支柱になりながらバリバリ家事育児もこなす。そんな感じですかね。これに比べたら自分は弱者男性といわざる得ないですよね。
ここまで読んでくださった皆様の中には ふざけるな!弱者男性をなめるな! と思われている方もいるかと思います。
なぜなら私は周りからの評価はクソ悪いものの、そこそこの大学の院生であり、彼女持ちだからです。これは私も肩書としてはそこまで悪くないし、弱者男性と言い張るには無理があるなと正直思います。下を見ればもっと“終わり”に近い男性もいるわけで、私が弱者男性の代表みたいな顔でネットにこんな書き込みをしてたら批判を受けるよねって思いますね。
この理論が私が自身を弱者男性だなと思う所以であり、私がこの文章の中で一番主張したいことなのです。
恋愛市場にいる女性から見た男性の評価というのは「強者男性」「弱者男性」、そして圧倒的多数の「視界にも入らない男性」という構造ではないかと思います。言い方が悪くなってしまいましたが「視界にも入らない男性」というのはいわゆる最初から恋愛対象として認識できない男性のことを指します。私達男性陣がある女性に選ばれるためにはまず”恋愛対象として受け入れられるスペック”を身につけてやっと強者・弱者という勝負の舞台に登れるわけで、この勝負の舞台に登れなかった人は「何物でもない存在」になってしまうわけです。
つまり、先程記載した “終わり”に近い男性 という「弱者男性」はあくまで男性の価値観であり、女性からしたら強者・弱者という認識ではなく「何物でもない存在」でしかないのです。
彼女がいる私は勝負の舞台に立ててはいるのですが、やはり自己紹介で記載した自分の現状を見るにどうしようもなく弱者男性であると思うのです。
一応若者である私から見た女性が男性を評価するポイントをまとめてみました。
①肩書
③オス力
順に解説すると、①は学歴・勤め先・年収・容姿などといったものになります。やはり女性は男性を自身と比べてどうか、を意識しますので①を重視する方は非常に多いと感じます。
②のコミュニケーション能力は言わずもがな、立ち位置というのはミクロな社会において男性がどんな扱いをされているのかの評価になります。例えば、企業において上司にゴマすりばかりする男性はたいていの場合多数に嫌われているので恋愛対象にならない、学校でいじられキャラの男性が恋愛対象になりにくい、などが挙げられるでしょう。つまり、立ち位置とは男性と女性自身のコミュニケーションではなく、男性と他者とのコミュニケーションがどのように行われているのか、それを端的に表す指標となり、立ち位置が良くない男性と恋仲になると自分の立ち位置も悪くなり、他者とのコミュニケーションに支障が出ちゃうかも、、という感じで女性は考えると思いますので重要な項目になります。
③のオス力はどれだけ性的に魅力であるかということです。頼りがいがある、身体機能が高い、女性をエスコートできる、エッチがうまい、発言力や社会的影響が高い(これは男女に限らず存在する)、などなど主に女性にはない側面で他の男性と比較して優れているかを評価していると思います。やはり人間も動物なわけで、性的に魅力、強い個体とつがいであることは女性にとって非常に大切なことであり、自己の肯定に大きくつながるので重要であると思います。個人的に、イケイケ系YouTuberやプロ級ナンパ師、Tinderヤリ目つよつよ勢などは圧倒的に③が優れているため女性から選ばれていると思います。(③が優れている男性は自然と自信を身につけていくので②もつよつよになっていきます。。)
個人的には、需要の伸びという点で④が一番であると思います。④は端的に言えば”理解がある彼君”であり”家事育児に積極的に取り組める精神的・体力的強者”であるかの指標です。時代が移ろい、女性の社会進出が一般的になるとやはり、女性もストレス社会にさらされるわけで(主婦にストレスがないとは全く思っていない)、その精神的な支えを彼氏・夫に求める、そして今まで女性が押し付けられてきた家事育児を男性にも求めるようになってきていると思います。SNS上でも④に関する話題は日常的に注目を集めていますし、自分の周りの女性も④に関して自分なりの理想を持っているように思います。④はこれまで女性は家に閉じこもって家事育児をし、常に男の顔を立てるべきという価値観の時代には全くない新しい概念ですので需要の伸びと注目度は非常に高いです。
①に関しては今は大学院生という肩書があるものの、就職先がないので非常に危うく、②に関してはコミュニケーションはまだしも、バイト先での立ち位置が終わっているので評価は低い。③はもう全くダメダメで、④は最初に決定的と書いたように自分のことで精一杯すぎて精神的支柱にも家事育児等の手伝いも録にできていない、将来的にできる自信(就職してはたらきながら家事育児に積極的に関われるバイタリティーに対する自信)もそんなにない。悲しいけどそんな感じです。
ここまでいろいろなことを書いてきて、やっぱり思うのは弱者男性から見て女性が男性を評価する社会であるということに加えて、近年評価の高度化がもうすごいところまできてしまっている。①は女性の社会進出とSNSによる超優秀層の可視化によってありえないハードルの高さに跳ね上がり、②③は大学・企業間を越えた交流やマッチングアプリなど不特定多数の男女の出会いが増えたことによって女性の目が肥え、もう一般男性レベルでは勝負できない。それに加えて新評価項目④が加わり、対応できない男性(家事育児や女性のケアの必要性を感じれない)、要領が悪い男性(家事育児や女性のケアにまで手が回らない)、精神的に余裕がない男性(家事育児や女性のケアを行う精神的なゆとりがない)がさらに脱落し、恋愛市場における男性がごく少数に限られてくる。
毎日女性の求めるレベルが上がり、「弱者男性」が「何物でもない存在」に脱落していくが、女性の目には決して入らないし、問題にならない。これが今の恋愛市場かなと。最初にも記載した、華々しい学校を卒業し、名が通った会社に勤め、会社の激務をこなしながらもちろんいる彼女や妻の精神的支柱になりながらバリバリ家事育児もこなす。こんな男性は少数だろうが確かに存在するし、そんな奴に私は逆立ちしたって勝てない。「強者男性」~超えられない壁~「弱者男性」である。
しかし、「弱者男性」と「何物でもない存在」はそうではない。何か機会があれば一瞬で「何物でもない存在」に落ち得る、かつ、そうなると勝負の舞台に返り咲くのはなかなか難しい。例えば、私の場合、大学院を修了できなかったり、就職先が決まらなかったり、彼女に振られたらその時点で「弱者男性」ではいられない。これと「何物でもない存在」への救済のなさが昨今の恋愛率の低下・未婚率の増加につながってると思います。
総括すると女性から見た「強者男性」が不動の地位を確立し、大多数の女性から出会いを望まれる中で、「弱者男性」は高度化の波に飲まれながら疲弊し、「何物でもない存在」は勝負から降り始める。こんな感じかなと思いますね。なかなかにカオスかなと思います。
当たり前のことをつらつら、偉そうなことをつらつら(特に「何物でもない存在」とかは一体何様で言っているんだ、、)と書いてきたわけですが、恋愛市場のハードルが高いのはやはり若者にとってはしんどいですね。私自身が強者男性になる、または弱者男性のままで成功する努力をするべきなのですが、簡単な解決法としてイケイケつよつよ男性はできるだけSNSなどのメディアから退いてもらってハードルを下げてもらいたいというのが本音ですね。イケイケつよつよ男性の皆さん、日本の未来のためにどうかよろしくお願いします。
加えて、初投稿で至らない点多しなのですが、批判でも何でもいいのでコメントくださると嬉しいです。自己顕示欲満たすために書きこんでるところあるんで、よろしくお願いします。
「そうじゃなくて、あなたは何がしたいの?」と聞かれたときに、答えるのはすごく難しい。
誰かに必要とされたい、誰かの力になりたい、誰かに楽しんでもらいたい、誰かの精神的支柱になりたい。そういう気持ちで生きてきた。
これは良くないと思った。大学生になってから、一先ずやりたいことは何でもやってみようの精神で生きてみた。誰かを助けることを頑張っても、その人が自分を有為な存在だと認めてくれるとは限らないことに気づいた。(今思えばこの思考回路そのものが恩着せがましい。)
一人で飲みに行く、絵を描いて投稿する、ベースを始める、まつエクをする、ネイルサロンに行ってみる、特に流行ってないドラマやアニメでも興味があれば見る、行きたいところに行く、嫌なことは断る。
そうやって自分がやりたいことを軸に動くようになった結果、当時友人だと思っていた人間の大半が自分を下に見ていることに気づいた。
「○○には難しいんじゃない」「○○ができるなら私もできるかな」「○○はネタキャラなんだからやめときなよ〜」「なんで来ないの?友達減るよ」
何故つるんでいたのか。わからない。縁を切った。
本当に自分を大切にしてくれる人を見極められるようになった。しかし、何をしていても大切にしてくれるなんて、そんな都合の良いことがあるのだろうか、とも思ってしまう。
相手が考えていることも、欲しがっている言葉も、大体わかってしまうので相手に都合の良い人間になることはカンタンだ。
ほとんどの人は無関係で別の世界のお話だと思っているかもしれない。しかし風俗に行く男は直接関係している当事者だ。同じ世界の地続きの話だ。そして、風俗嬢からすれば風俗に来る男は金でしかない。しかし俺は風俗に行く男側の気持ちもわかる。「何か人肌恋しいし、寂しいし、ヌキたいな」ぐらいの気持ちだろう。その男たちもまた、愛されたいのだろう。
男側になぜか勘違いしているやつがいるのだが「風俗をやる子なんだからエロいことが好きなんでしょ」と思ってるやつが比較的多い。そういう男はマジでバカだ。そりゃあ稀に本当に好きな女もいる(ただしそういう女も結局病んでいる。セックスが好きなだけなら出会い系でいくらでも選べるからだ)。しかし全体的には「キモいジジイの臭いちんこをしゃぶって自分がただただ惨めな気持ちになる」「金を払わなければセックスもできない男どもに人生を吸い取られている」というものになる。清潔感あふれるイケメンが来ればある程度軽減されるようだ。ただし結局、風俗の客という記号にすぎない。凡俗の男なんて、ヤられながら「しあわせ……」って言って微笑んでりゃ落ちるのだ。雑魚乙チェリー乙である。(ただし中にはそのまま本当にカップルになる・結婚するパターンもある。だから余計に厄介なのかもしれないが)
担当がわかってくれないというときもある。担当がストレスで精神崩壊しているときは対応がおざなりになる。毎日毎日よくわからない男たちのちんこをしゃぶっていれば毎日狂う。なぜ1回を1本と呼ぶか。ちんこの本数だ。ネットでは「いいえ、実はプレイ時間に使う線香の本数のことなんです!」というクソみたいな由来説が出てくるが、これは求人サイトで「風俗はクリーンなお仕事!!」と見せるためのものだ。風俗はクリーンではない。線香の燃焼時間についてググったら「短寸(短い線香)よりも長いタイプは長寸と呼ばれ、燃焼時間は約40分です。 長い時間の供養に使われます」と出てきた。したがって証拠もクソも無いがおそらく違う。大体ペニス1本の方が相当しっくりくる。実際「今日は2本しゃぶったわ」というように使ったりする。1日7本しゃぶって、300日で2100本!そういう計算だ。客は、1/2100のちんこなんだ。これで病まなきゃ何で病むというのか。
風俗嬢は、男というものを汚い存在だと認識していく。そんな中、担当だけが綺麗である。担当だけが愛してくれている。"本物の愛"をくれるのだ。1/2100のちんことはわけが違う。「俺はお前とヤらなくてもいい!」と思っているのだ(疲れるから)。なのに1/2100は言う。「そんなホストなんて行かない方がいいよ。行くのやめたら」と言う。そんなことを言われるのがめんどくさいから「家庭の事情で…」などと言う。ペルソナ作りだ。「親が借金まみれで……」など。それに対する1/2100の回答は「親の借金って返さなくてもいいんだよ。何にも知らないんだなあ……」という言葉だ。風俗嬢には、ジジイは脳がお花畑で安易で安直で馬鹿で無能の無知の汚いモテないジジイでしかない。まあジジイの言葉を聞くのもプレイ料金の一部だ。「君を救ってあげたい」と言葉では言っている。本心は「あわよくば俺の性奴隷になってくれないかな」である。ちんぽ騎士団連隊! そんなことはお見通しである。第一、嫌いな男である。ただの金。ただの金を運んでくるATMの鳴き声は耳に届かない。友人の誠意ある言葉すら届かないのだから。
1/2100に何か言う資格はない。地獄作りに微力ながら貢献しているのだ。立派な悪人なのに、自分は善良な一般市民ぶっているのだ。お金を払っているのだからいいだろう。それぐらい許されるだろう。こっちもストレスたまっているんだ。お金を出さなかったら彼女たちはどうする。ちんこのために自己正当化を始める。なにゆえ悪人というレッテルを貼られる言説よりもこのオレのちんこの方が正しいのか。オレが直接手を下したわけではない。オレはただサービスを使っているだけだ。仕方ないじゃん。そんなに悪いかよ。いいですとも、いいですとも。犯罪ではない。それにこうしたシステムの存在が性犯罪の防止にも一役買っている可能性もある。引き続き風俗ライフを愉しめば良い。
煎じ詰めて考えれば、社会と経済と政治と法と道徳観や価値観の問題であろう。最近、千葉でJKが自殺配信をしたが、根本的にはすべて同じであると思う。物質的にはそこそこ問題ないのに、愛が無くなったために絶望して死ぬ。家庭で救えない。学校でも救えない。警察も救えない。行政も救えない。誰も救えないのだ。努力がなされているのは知っている。人知れず救われている人も多いだろう。俺はフェミニストは全く好きではないしむしろ嫌いだが、フェミニストがなぜキレているかはわかっているつもりだ。見えている視界が全く違う。中には救いようのないやつもいるようだがそれは知らん。
そういえばコメントに「ナンパされてブスと言われた」とあるがそれはナンパではなくキャッチである。「ブス!」というのは最後に苦し紛れに呪いをかけているのだ。現に記憶に焼き付いてしまっているだろう。真実はわからないが、呪いをかけたかったのは、そのホストの売上がまずくてストレスがたまっていて、キャッチを何度もしたけど無視され続けていたところに通りがかったのが言及者で、ストレス発散先にちょうど良かったといったところだろう。ホストだけではないが、「しゃーない。『安牌』行くか」と思って声をかけたときに、その『安牌』にすら無視されると強烈にイライラするようだ。高跳びで140cmが飛べないから110cmまで下げて飛ぼうとしたら引っかかったようなものだ。それからここでいう安牌だとか「お前なんかゴミだぞ」というのはホスト側の価値観による。マジで気にする必要はないと思う。奴らは別に誰にでも言う。通行人のことはNPCだと思っているから。
ウシジマくんに似ていると思うかもしれない。ホストもウシジマくんを読んでいるからだ。影響は受ける。
話は変わるが、フェイクニュースも統一教会も、根本的に構造は同じであろうと思っている。資本主義スキームとでも言うか。需給一致だ。「私は無限の愛をあげるのでお金がほしいです」「私はお金をあげるので無限の愛がほしいです」の双方の利害が一致している。心のスキマお埋めしますとやっているのである。トランプがホストだと思えばよい。「愛してあげます!愛してあげます!あなたたちのことをわかっているのは私だけなのです!」と言う。一人ひとりの怠惰が結合してモンスターになっている。ジョーカーという映画はそれを綺麗に描いている。キラキラワールド。俺が上、お前が下、そういうことをいつまでもやっている。世界的に江戸時代。穢多・非人と呼んでいた時代と何が違う。カースト制と何が違う。末法の世。精神的支柱や象徴や依存先を永久に欲しがっている。IKIGAIである。理想郷を求めている。そんなものはない。ちんことまんこにどうして社会がこんなに振り回されなければいけないのか。みな、対岸の火事である範囲なら「あれま、可哀想に」と言うが、ひとたび自分が関係していると知ると「いや、自分じゃないですよ」「自分に刃を向けてくるとは……コイツはクズ!」と敵対し始める。同じ穴のムジナである。ホストだけが悪いのではない。悪のシステムを構築した黒幕ゴミクソ野郎だけが悪いのでもない。俺も悪い。お前も悪い。ホストも悪い。ホストに騙される女も悪い。全員悪い。最近立ちんぼやってるんだって?なんじゃそれ。クソワールド。
書いていたらすごくムカついてきた。どうかこの世はクソワールドではないと言ってくれ。
ありがとう だわ。
正式名称、
『 WAR OF THE VISIONS ファイナルファンタジー ブレイブエクスヴィアス 幻影戦争』
をご存知かな?
うん。
その直感は正しい。
『幻影戦争』は、名作『FFT』(ファイナルファンタジータクティクス)の影響を強く受けた シミュレーションRPG系のソシャゲなのだが……。
幻影を始めて3年強。 完全に習慣化している事を吹っ切る為にも
《総評》
ストーリーは酷かった……。
ガチャ、育成は辛かった……。
ただ、3年強の期間
素晴らしい部分、良い部分も多いのだが、 悪い部分を書き出すと終わらなくなるので
後述する。
【増田(筆者)】
一度、ソシャゲと言うモノをやってみたかったし。 FFTは好きなので、FFTコラボから参加。
特にこの2年間は完全に惰性だった……。
【良い部分】
・『FFT / ファイナルファンタジータクティクス』を令和に蘇らせようとした チャレンジ精神。 +5億点。
・地味だが地道な快適性の改善アプデ。+8点
・全てを課金圧に変える。 いっそ清々しい割り切った運営。 逆に、+70点
☆
増田は、FFTコラボの時点で新型コロナがヤバいと判断していて、
『FFBE幻影戦争』は、今となっては増田にとって、コロナ禍を共に闘った
戦友の様にも思えるよ。
【ガチャ】
察して下さい。
基本がシミュレーションRPGなので、各キャラが駒にあたり、
これをガチャで引く。。 。
当然、強いキャラ(≒駒)が居ないと戦いにすらならない。
これに更新や限定イベント、コラボ等で 毎月2体以上、更に強いキャラが追加されていく……。
実際には、
遊び始められるが……。
手持ちのキャラでは、どうしようもない状況も まま発生する。
「あれ?…… コレって、課金しない方が面白いゲームなのでは?…… ってか、リソース管理ゲーなのでは?…… 」
配布される[石]は、ガチャが安売りされる時、
一応、ガチャシミュレーターもあるので 雰囲気だけでも感じて欲しい。
・キャラ ロストか、キャラ リセットが有った方が良かったんじゃね?……
え~と……。
幻影って要は、ガチャ課金とプレイ時間で 強くしていくゲームなのだけど。
基本がシミュレーションRPGで、PvP要素が濃いので
3年無課金で遊んだ増田(筆者)に勝とうと思うと、結構な重課金が必要になるのよ。
が、有った方が良かったと考える。参加は自由で。
1, キャラ リセットで上位と下位の差が縮まる余地が出来る。
3, 重課金勢からすればレア常設キャラなんて外れみたいなモンらしいし、
彼らの[ハズレ]が相対的に減るのでは?
まぁ、増田は幻影が初ソシャゲなので完全に見当違いかも知れないが……。
さて、
【ストーリー】 -7兆点
酷い。
結果、
全てのキャラが正常なメンタルと判断能力を持ち合わせていない……。
〈愛着が持てない。〉
ガチャで【当たった】筈のキャラが、単なる【駒】としか感じられなくなるのね……。
やっぱり、
ジャンプシステムって凄いわ……。
増田も散々、 「インフレだ。おつかい一本道だ。」 って、揶揄してきたけど。
と、思い知ったわ。
って言うか
終わりが見えない下手な群雄割拠モノって
双子の弟【シュテル】ってのが居て。
「あぁ。そういう感じね。」
って、思うやん!!!
んで、
『 兄貴! (一緒に戦えて嬉しいよ…… うんたらかんたら……)』
……。
……。 いや、ヤンキーかと……。
この時点でモントに兄として尊敬の念があるなら
「兄上!」 と呼びかけるべきだし。
「モント!」と呼び捨てるべき……。
最悪「兄さん」だろ。
この時点で、かなり香ばしいと感じたのだが。
ストーリーを進めても一向に改善しない。 どんどん悪化する……。
ある程度、進めた後。
これは何らかの精神的支柱が無いと ストーリーを進められないと判断し。
FFTコラボの【ラムザ】を出す為に、増田は人生初のリセマラを敢行しました。
ツッコミ所しか無い 陰謀の為の陰謀が 先送りの為だけに繰り返されるのだけど……。
増田の中で決定的だったのは、
主人公と敵対する陣営の同盟国間で、要人暗殺事件が発生するのね。
ここまでは良い。
イヤイヤイヤイヤ……。
暗殺失敗が確定したのに強行するのは有り得ない……。
それ、同盟、終わるやん……。 実行側にデメリットしか無く、何のメリットも無いやん……。
我ながら判断が遅い。
アホ共のパニック。
( 腹を割って話し合えとは言わんが、最低でも意思疎通は しようや……。 )
【2部】
主人公(モント)に対する明確なライバル(ジェーダン)を立て、構図をシンプルに。
更に、色恋沙汰も混ぜる事によって、 割りと整合性の取れたストーリーになっている。
ただ、
主人公のライバル役も善玉に描こうとした結果、 ストーリーの推進力も失われた……。
不味い部分を薄める事で食える様にした印象。
そして、
オチが残念……。
2部のラストが、それってどうなのよ……。
【3部】
タイムリープ物に……。
1部と2部の黒幕が、「何故、悪に堕ちたのか?……」が描かれるのだが……。
タイムリープするし、で
1部と2部は何だったのか?…… 最初からコレをやれよ。と、……
← 今ここ。
【育成】 -57点
カラかったね~……。
割り切って、手持ちの強キャラに注ぎ込むのだけど
Lv89の強キャラに引率されて進む、残りのLv30のキャラみたいになり
肝心の戦術性は皆無に……。
一通り揃うのに1年は掛かったかなぁ?……
コラボイベント中じゃ無いと、コラボキャラが出ないのは普通だと思うけど。
このゲーム。
つまり、
シミュレーションRPGという特性上、 頑張って課金して、ガチャでコラボキャラを当ててもだね。
希少素材を消費した上に、箸にも棒にも掛からない、ゴミになっちゃう訳……。
『ラムザ』が該当した。 辛かった……。
無課金の増田としては、ラムザで懲りて コラボ・限定イベントは全無視する事に決めてた。
【ギルドバトル】 +700点 -700点
このゲームには最大30名が所属できる「ギルド」が無数にあるのだけど
各所属メンバーはキャラと装備の編成だけして、 対戦ギルドのメンバーを選び、戦闘はAIによる自動。
PvPなので、白熱する。
ただ、
正直、シンドい……。
操作自体は数分で終わるけど、真面目に勝ちたいなら、判断と決断に時間がかかるし。
毎日参加しないとギルドバトルが不利になるし、他のメンバーに迷惑がかかる。
かなりのプレッシャーだった……。
開催時間がもう少し長いか、隔日開催とかでも良かったと思うよ。運営。
土日平日 関係なく毎日21時~23時を拘束されるのはキツい。
まぁ、面白かったけどね。
【キャラ追加】 -30点
より強いキャラが追加されて、インフレしていくのは仕方が無い。
でも、やり様ってモンがあるだろう……。
その時点で非常に強く調整されてて、当時 猛威を振るった。
ここまでは良い。
でも、
FF7コラボが終わった直後に、露骨に対クラウドに有利な強キャラ(オベロン)を
商売下手かよ……。 FF7ファンが定着しないじゃん……。 仮に、もう一度コラボする場合でも悪印象が残るじゃん……。
こんなのが何回もあった。
やり方があるだろ……。
でも、限定イベントキャラやコラボキャラは、こまめに上方修正した方が良かったと思うぞ。
コラボした、ナンバリング キャラでさえ 登場から半年で陳腐化して殆ど見なくなる。
違和感が強い。
FFTキャラの上限解放が弱かったのも増田のモチベを大きく下げたわ。
終わりにかえて、
色々ボロカスに書いたし。まだまだ書き足りないけど。
その事には深い感謝を。
クリスティアーノ・ロナウドがこの試合もリザーブに回る中、前半モロッコがエンネシリの打点の高いヘディング弾でまさかの先制。
後半、ポルトガルは満を持して背番号7を投入。すると今度はポルトガルが攻め続ける展開に。
体を張った守備でシュートを防ぎ続けるモロッコだったが、精神的支柱であるCBサイスが負傷交代してからはさらに苦しくなった。
終盤には退場者を出し10人となったが、最後まで集中を切らさなかったアトラスのライオン達が歴史を塗り替えた。
結局CR7が途中出場だった理由は結局なんだったんでしょうね・・・
試合の頭から使っていればモロッコ守備陣に序盤からプレッシャーを与えられていただけに惜しいなあ、、、
それにしてもモロッコは粘り強かったです。球際にも強く、最後までゴールマウスをポルトガルに割らせなかった。
そしてやはりGKボノ!
この試合も枠内を捉えられた当たりを2本スーパーセーブで凌ぎ切った!