はてなキーワード: 堀口悠紀子とは
京都アニメーションの新作が発表された。
落胆した、そして悲しくなった。
一方は既存のシリーズの劇場版、もう一方は新規とは言えかつて京アニで制作した同作者の「日常」の流れを汲んでるので、似たようなテイストになるのは明白だ。
京アニは完全新規の企画を立ち上げる体力はまだ戻ってきていないことをまざまざと証明させられた。
あの放火殺人事件によって、京アニの精神的支柱・大黒柱とも言える木上益治氏を失い、武本康弘、西屋太志、池田晶子も居なくなった。
実は事件後、犠牲を免れた人達の中からも大勢が京都アニメーションを去っている、監督・キャラデザ・作画監督クラスの人間がごっそり京アニを辞めたのだ。
きみの色公開中の山田尚子はもとより、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのキャラデザの高瀬亜貴子ももう京都アニメーションには在籍していない。堀口悠紀子は事件の数年前にはすでに辞めている。
その他の作画監督級のアニメーターも退職して上京したり、廃業したりしている。
2010年代の京アニは特に自社原作オリジナル作品に力を入れていた。
会社として多数のオリジナルIPを生み出せる強みを存分に活かしていたが、それを担える才能はあの事件でほとんど失われてしまった。
今度の「新作」も、既存もしくは既存に近い性質の作品ばかりだ。
傍目には復活できたかのような京都アニメーションだが、今回の新作発表会で事件から5年以上経ってもかつての力を取り戻せてはないという現実を無惨にも突きつけられた気がした。
京都アニメーションの強みというのは、商業主義と表現主義のバランスだ。商売として売れなければどうしようもないが、だからといって表現も捨ててはならないという強固な意思の強さだ。それは犠牲になった木上益治氏の影響力も強かったからだ。華々しいテレビや劇場の裏で作っていた短編作品などは極めて表現主義的なものだった。
その木上氏を失い、多数の才能も失った京都アニメーションは今後、商業主義的な作品ばかりになっていくのだろう。
それがとてつもなく悲しい。
2021年2月のアニメ化発表から10ヶ月、ようやく公式サイトが開設され、情報が解禁された。
これでぼざろは2位の『チェンソーマン』や6位の『その着せ替え人形は恋をする』と並んだことになる。この2作は、いずれも2022年を代表する大ヒット作だ。
さらに、制作は着せ恋と同じCloverWorksなのでなおさら出来が期待できるものだった。
さすがCloverWorks、作画がすごく綺麗。特に喜多ちゃんのティザービジュアルはすごく好きだった。
ところが、後に出たキービジュアルを見たときの第一声は「なにこれ」だった。
これCloverWorksでやってもいいのか。非常に評価が高かった着せ恋や明日ちゃんが放送されていた頃だったから落差が凄まじかった。
そして10月9日の深夜0:00、ついに『ぼっち・ざ・ろっく』は放送を開始した。
実際に視聴したけど、作画は確かに綺麗だ。しかし、なんか違和感がある。
ぼざろの放送終了後、担当していたアニメーションプロデューサーの梅原翔太さんが作画スタッフを丁寧に紹介していた。
梅原さんは2022年に大ヒットアニメ『この着せ替え人形は恋をする』でもアニメーションプロデューサーを務めており、美麗な作画を実現する原動力と言ってもいい存在だ。
そして、ぼざろには着せ恋や明日ちゃんをやってた優秀なスタッフを贅沢に起用していた。さらに、OPムービーではけいおんやキャラデザを務めていた堀口悠紀子さんを起用していた。
アニプレックスも芳文社もぼざろに社運を賭けていると言ってもいいほど、ぼざろに最高のスタッフが集結していることが分かる。
ぼざろの作画に違和感を感じる原因は端的に言ってこんな感じだ。
キャラデザが垢抜けない。
キャラデザのデフォルメが強すぎて、綺麗な背景作画に付いて行けてない。
京アニのアニメに例えてみれば、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの背景に日常のキャラデザが混ざっているような感じ。
そのせいで、実写風景に落書きを入れたような感じになっている。
その点、けいおんとゆるキャンはすごかった。原作の作画やキャラデザはあまり良いとは言えなかったが、アニメになってだいぶ垢抜けた。
基本、美少女アニメというのは女の子のキャラデザで魅せるものだから、もう少し女の子の方に力を入れたほうが良かったのではないかと思う。
私の主張に対してこういう反論が来るだろう。
「ギャグ重視の日常系アニメだから、女の子のデフォルメが強くてもいいじゃないか」
この作品もぼざろと同じく、陽キャコンプレックスをこじらせた陰キャのギャグ漫画であり、過激な顔芸も多い。
しかし、あそびあそばせはぼざろと違って、女の子の等身と肉感が高い。
ぼざろに対して作画で比較するとすれば『王様ランキング』であろう。
あのアニメもキャラデザのデフォルメが強く、背景の作画がきれいだ。しかし、ぼざろほどやりすぎてはおらず、ちょうどよくデフォルメされていた。
実はCLANNADは、ゲームもアニメもモロに増田の直撃世代。
ゲーム版については、オタク男子がエロゲに最も興味を示す学生時代に自分がLinux一辺倒で、就職後はWindowsを入手したもののゲームを遊ぶ時間がなく…という流れによる。
(CLANNADがエロゲじゃないのは知っててPCゲーに手を出すきっかけがなかったという意味)
アニメの方は、ストーリーのペースが当時の自分にはダルかったこともあり、1期の3話くらいで切ってしまっていた。
とはいえ「CLANNADは人生」というミームが長らく語られてきたこともあり、ずっと気になってはいたんだよね。
(今となってはインターネット老人会でしか通じなくなりつつあるけど)
そこへ、今年になって某人気VTuberが同時視聴するというではないか。
このVTuberは陽キャでしかもお育ち良さそうというか普通にいいとこのお嬢様っぽい上に、実家とのつながりを活用して役者の道を志していた模様。
それもあってか、アニメやゲームのシナリオに対する考察やキャラの解釈における、頭の冴えが半端ない人だったりする。
つまり、アニメやゲームを並走する相手としては適役すぎて申し分ないので、これは乗ってみるかということで、本放送から実に15年くらい経ってから、ようやくきちんとチェックできた。
「確かに紛れもなく名作で、面白さも感動ポイントもいっぱいあったけど、自分には合わないかな」
という感じ。
ゲーム未プレイなうえにアニメのまとめ方が端折りすぎなきらいもあって、今でも正直なにがなにやらではあるんだけど、要するにこれって
「主人公の岡崎が周りの人物との交流を通じて善行を重ね、関わった人達の人生を好転させた結果、バッドエンドからタイムリープして救われる」
ってことでしょ?
まあ、シナリオとか作者の思想としては否定しないけど、正直個人的に全然感動しなかったというか…。
なので、ここまでおよそ4クール50話近くもあって、しかも「トゥルーエンド」に入るのが2期14話からというのに「なげーよ!」と脱力したのも事実。
途中メインの登場人物たちのエピソードで感動したときは「ここまでじっくり話を積み重ねてきたからこその感動なんだろうな」と思ってたけど。
一応、総集編のラストシーンのお陰で、なんとも余情あふれる幕切れになったので、終わりよければということで名作みたいな。
2期のOPとEDが、最後まで見ると感動的な歌に化けるのも良かった。
あと、ゲームではアニメと比較してもっと主体的に動かざるをえないというか、プレイヤーとしてここに至るまで何度もいろんなキャラでエンディングを迎えた後でのトゥルーエンドだろうから、感じ方は相当違うんだろうけど。
でもそのためだけに今から100時間以上かけてゲームをフルコンプするかというと、ちょっと躊躇する。
ちなみに「途中メインの登場人物たちのエピソードで感動した」と書いたけど、一番のお気に入りはことみ。
最後は感動を通り越して美しさすら味わってしまったし、この美しさはおそらくアニメじゃないと表現できないと感じた次第。
あとは1期で、ただテニスを観戦しているだけなのに、智代・杏・椋が朋也を諦めるシーンも、わずか4分で各キャラの心情が、語らずして手にとるように分かるのがあまりにも凄すぎて痺れた。
そういうの含め、流石は在りし日の京アニ作品だけあって、全体的にシナリオも絵も安定していたのはgood。
そのうえで異常に作画が優れていた回がいくつかあって作監・作画スタッフを確認したら、後年けいおん!で名を馳せた堀口悠紀子氏の名前があり、ちょっと感動してしまった。
あと、ロケハンもこの頃からしっかりしていたようで、主人公たちが通う学校の施設、学校までのアプローチ、駅、公園、橋と、印象的な場所がいくつも実在するのは流石。
ということで、京アニの復活を祈って筆を置くことにする。
http://anond.hatelabo.jp/20070516011158
堀口悠紀子って人らしいけど。
ソースは知らない。
追記
ざっと見ても噂の発生源がよくわからないんだよな。
特徴的な絵柄だから、見る人が見ればわかるのかもしれないけど。
ちょっと調べておいてくれる?
追記2
ググったらそれらしきソースが出てきた。
http://d.hatena.ne.jp/prepainted/20070427#p1
やっぱり「見る人が見ればわかる」ということなのかね。
どう思う?
追記3
さらにググる。
この人みたいだね。
http://www.geocities.jp/dochibibi/
たしかに絵柄は似ている。
追記4
そもそも何でいきなりこんなこと言い出したのさ?
ああ、このあたりで余談として触れられてるな。
それでなのかな。