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はてなキーワード: 群像劇とは

2025-02-25

鬼滅の刃って、どこが面白いの?

ずっと気になってたんだけど、鬼滅の刃って具体的にどこが面白いの?

いや、「つまらない!」って言いたいわけじゃない。

自身は正直ハマれなかったけど、あれだけ多くの人が熱狂した作品なんだから、きっと俺が楽しみ方を分かってないだけなんだと思う。


バトル漫画として見ると、なぜ勝ったのか分からない

例えば、ハンターハンターBLEACH呪術廻戦なんかは、バトルにちゃん駆け引きがある。

「この能力をこう使ったから勝てた」「ここで敵の裏をかいたから逆転できた」っていうのがストーリーの中で描かれている。

スポーツ漫画だってそうでしょ。「格上の相手だったけど、この戦術を使ったから勝てた」みたいなのが、ストーリーの見せ場になる。

もちろん、多少の主人公補正ご都合主義も、漫画からいいよ。

でも、鬼滅の刃って、戦闘の流れがよく分からなくない?

技名を叫びながら斬り合って、気合根性でなんとなく勝つ──みたいな印象が強い。

「○○の呼吸」「○○の型」って言われても、それぞれの技にどんな特性があって、どう使い分けてるのか、敵との相性や駆け引きがどう作用したのか、あまり説明されない。

結果として、「なぜ勝てたのか」が分からない。

これってバトル漫画として成立してる?

それとも、そもそも鬼滅の刃はバトル漫画じゃない?


じゃあ、鬼滅の刃は何を楽しむ作品なの?

戦闘駆け引きが見どころじゃないなら、何が面白さの核になってんの?

主人公と仲間たちの群像劇主人公の成長?世界観ビジュアル

「鬼滅はクソ!」って言いたいわけじゃなくて、

しろ、今さらだけど鬼滅の刃を楽しめるようになりたい。

この作品好きな人たちは、一体どこに魅力を感じてるのか、ぜひ教えてほしい。

2025-02-24

anond:20250224123250

月が導く異世界道中とか水戸黄門オマージュだし、プレイガールの年齢層を下げて魔法世界群像劇にしているようなアニメ沢山あるよね。眠狂四郎とかゴルゴ13路線は今時あんまりないのかな。

2025-02-20

覇王の残影 - 日産役員六十三群像 - 」

時は現代、されどその様は戦国絵巻を彷彿とさせる。日産自動車世界自動車産業を牽引する巨艦。その内部では、63人の役員たちが、それぞれの野心と信念を胸に、静かなる、しかし熾烈な権力闘争を繰り広げていた。

物語の始まりは、カリスマ経営者カルロス・ゴーンの失脚からである。彼の築き上げた帝国は、その崩壊とともに、新たな覇権を求める群雄割拠舞台へと変貌した。

内田誠

若きCEO。彼は、ゴーン後の日産を再建するため、大胆な改革推し進める。しかし、その手法は、古参役員たちの反発を招き、社内には不協和音が響き始める。

星野朝子、

紅一点の副社長彼女は、女性ならではの視点と、卓越した交渉力で、社内の勢力均衡を図ろうとする。しかし、男社会の壁は厚く、彼女理想は、しばしば現実の前に打ち砕かれる。

アシュワニ・グプタ、

かつてゴーンの片腕と謳われた男。彼は、その野心とカリスマ性で、再び日産の頂点を目指す。しかし、過去の栄光は、今の彼にとって足かせとなり、彼は孤独な戦いを強いられる。

そして、その他大勢役員たち。それぞれが、それぞれの思惑を胸に、この権力闘争に身を投じていた。彼らは、時に協力し、時に裏切り、時に謀略を巡らせながら、自らの生き残りをかけて戦う。

日産の命運をかけた、役員たちの群像劇。そこには、人間欲望、野心、そして誇りが複雑に絡み合い、歴史うねりとなって、未来へと続いていく。

この物語は、現代企業舞台にした戦国絵巻である。そこには、司馬遼太郎の描くような、歴史ダイナミズムと、人間の業が色濃く反映されている。

物語行方は、まだ誰にもわからない。
注釈:

この物語フィクションであり、実在人物や団体とは関係ありません。

2025-02-08

anond:20250208192211

そういう伏線回収バチバチ群像劇作品教えて欲しい

最近読んだのは外天楼が面白かった

anond:20250207112927

群像劇はArcaneみたいにバラバラ登場人物最後収束していくような完成度の高いストーリーじゃなきゃヤダヤダ

anond:20250207112927

こういったテーマ的なものを5つ盛り込んだ上で70-80ページくらいの話にまとめているのはすごいと思う。

しろ5つものテーマをたった70〜80ページに盛り込んでいるから、俺にはこの漫画の言いたいことが結局分からなかった

群像劇ってストーリーエピソード分岐しても、テーマは大体一つか二つじゃない?

ちゃごちゃしてよく分からんってのが感想

2025-02-07

anond:20250207112927

連載ネームを練ってたのお蔵入りになっちゃったけど愛着あるしなんとなく群像劇っぽくふわっとエッセンスだけちりばめる感じの短編に仕立てて供養しとくか~ストーリーとして読ませるには微妙だけどまあ雰囲気重視でいけるでしょ、っていうやつ。既に読者が付いて一定の評価もあって、売上を作った実績もあるから多少の融通が利いてかつ作風雰囲気マンガ描いても違和感ないという条件が揃ってようやく編集部GOサインが出るっていう、勿体ないお化け系です。

anond:20250207172041

自閉スペクトラム症があると、人間関係が不得意になるので、ガンダム的な群像劇本質的には苦手かもしれません。でも、だからこそそのような作品世界から人間関係のあり方を学ぼうとする当事者も多いような気がします。

「○○という作品は、小説映画の名作と同じくらい人間描写が優れている」→「優れた人間描写を味わいたいなら、最初から小説映画の名作を読めば良いのになんでそうしないんだろう」みたいな疑問への解答例

なぜ自閉症スペクトラム症者は『ガンダム』的なものが好きなのか?

(前略

 

──本書を読むと、『機動戦士ガンダム』など、自閉スペクトラム症者がロボット大戦ものに惹かれることが多い印象があります

 

横道:SF好きの自閉スペクトラム症者は少なくないと思います現実世界フィットできない分、空想を膨らませる傾向があるのだと思います

ガンダムモビルスーツという巨大ロボットに型番が付いていて、たくさんバリエーションがある。この「たくさんのバリエーション」は、自閉スペクトラム症者にとっては大好物です。違うバリエーションのもの収集して、コンプリートしたくなるのです。

自閉スペクトラム症があると、人間関係が不得意になるので、ガンダム的な群像劇本質的には苦手かもしれません。でも、だからこそそのような作品世界から人間関係のあり方を学ぼうとする当事者も多いような気がします。

 

(後略

anond:20250207112927

群像劇とかオムニバスって、こんなんだったっけ?

よしながふみの「環と周」みたいに、なんか骨子となるテーマがあるのが普通だと思う。

意図的ストーリー抽象化」っていっても、タイトルに「死神」ってあるからには、それなりのオチなりタイトル回収があるべきじゃない?

私はヤマシタトモコ死神」をどう読んだか

https://ourfeel.jp/episode/2550912965170865451

この話を「よくわからない」と言っている人が多いように見受けられ、なんならチェンソーマンとかも「よくわからない」という人も多く、普通に楽しんだ身としては「なんで楽しめないんだろう?」と困惑している。が、じゃあ自分はどう楽しんでるんだ?ということはあんまり言語化したことなかったなと思ったので、せっかくだしN=1のサンプルを書き散らしておこうと思う。

インストリー意図的な欠落

そもそもとして、こういう明確なストーリー提示しない漫画は、多少なりとも「ストーリーがない」ことに対して慣れが必要だとは思う。一定以上は断片的な要素そのもの(雑な単語を使うなら「雰囲気」)を楽しむものになる……ということだ。単に会話のテンポ楽しいとか、漫画雰囲気を楽しむとかでも全然いいと思う。タイトルの見開きかっこいいよね。たばこの煙があんなにでかく漂うわけないのに大きく広がっているという漫画的なウソ効果的に演出してる。

とはいえ、本当にストーリーゼロというわけじゃない。作中で提示されるストーリーは、シンプルに言えばこうだ。

この中で、ある種の「前振り→オチ」の流れが用意されている物語は、ヤクザの死だけだと思う。「①冒頭で殺人事件提示される。②被害者過去日常が描かれる。③ヤクザ死ぬ/殺される。」この①~③の隙間隙間に、他のエピソード群が挿入されるわけだ。

で、本作を読み解く上でのポイントは、「別々のエピソードを並列することで、テーマストーリーライン抽象的に構築する」という技法を本作が取っている点にある。具体的にはこうだ。

こういったテーマ的なものを5つ盛り込んだ上で70-80ページくらいの話にまとめているのはすごいと思う。

一応言っておくと、こういう風にテーマ的なもの言語化するのは極めて無粋だし、どちらかというと読み味のスポイルにつながると思う。「死神」は、そういった内容を群像劇時系列シャッフルによって抽象化しているからこそ、独特な味わいが出ているのだから

本作は、意図的ストーリー抽象化することで、「かたちのない不安」そのものを描くことに成功している(希死念慮に関する「抽象的なほの暗さ」とか)。こういうのは、あんまり言葉にせずに雰囲気を楽しむのでいいんじゃないかと思う。

あと、すごい細かいことだけど、探偵女性が「死神」と呼ばれていることに関する補強を、謎の男性で補うのはおもしろいなと思った。謎の男性に関しては明らかに答えを出す気がない。私が本作を「ストーリー性の薄いもの」と判断したのはあのエピソードがあることによる。

2025-01-28

今日話題エントリ、「推しの子」はなぜ少女漫画から出なかったのか

 

ちはやふる」を思い出した

少年漫画でもここまで熱い戦いなかなか見ないと思うほどのバトル物であり、

ものすごく熱量の高いスポコン・青春群像劇でもある

 

メインキャラクターたちが高校生美少女ヒロインをめぐる三角関係が話の横軸ということもあり、

自分はずっと「少女漫画」だと思っていたのだが…

掲載誌調べたら「BE・LOVE」だった。

ちはやふる」連載開始あたりから編集部は読者層のほとんどは30・40代女性認識していたようで、

少女漫画よりは対象年齢が高いんだなと

 

ちはやふる」も、少女漫画雑誌から出るべき作品だったと思うんだが

 

あと、青年漫画の対になるような女性向けカテゴリってなんていえばいいの?

「成人女性向け漫画」だとアダルティー限定されすぎる

2025-01-27

ルリドラゴンで見たかったのは「奇妙だけど小さな日常」なんだよなって気がする

クラス学校同級生や先輩後輩が出てきて、人間関係が大きくなって、群像劇的になると、その小さな日常消滅してしま

好みの問題だけどね

2025-01-18

ガンダムコンテンツにおける有害一年戦争おじさんについて

ガンダムシリーズ1979年の『機動戦士ガンダム放送開始以来、実に40年以上にわたって発展と進化を続けてきた巨大なメディアミックス作品である。その長い歴史においては数多くの派生作品や設定拡張さら小説漫画ゲームをはじめとするスピンオフが生まれ、今もなお新作が絶えず登場している。一方で、シリーズ長大化すればするほど、ファンコミュニティ内にさまざまな「こだわり」や「価値観の違い」も生じてくる。その中で昨今特に話題となるのが、いわゆる「一年戦争おじさん」と呼ばれるファン層だ。

一年戦争おじさん」とは、初代『機動戦士ガンダム』に登場する一年戦争宇宙世紀0079年から始まる連邦軍ジオン公国の戦い)を絶対視し、そこから外れる設定や作品を“ガンダムらしくない”“正史として認めない”と主張してしまタイプファン揶揄する言葉である。もちろん一年戦争をこよなく愛するだけであれば、ただの好みの問題だ。しか問題は、彼らの一部が新しい作品や異なる時代設定に対して攻撃的だったり、他者の好みに干渉しすぎたりするケースがあるという点にある。そうした態度が「有害一年戦争おじさん」として批判される一因となっている。

彼らはなぜこうも一年戦争にこだわるのか。まず考えられるのは、1979年からガンダムリアルタイム経験した世代、あるいはビデオプラモデル雑誌などを通じて“初代の衝撃”に強く感化された世代が、自分たちの「原体験」を何よりも重視しているという背景だろう。『機動戦士ガンダム』は、それまでのロボットアニメ常識を覆すようなリアル戦争描写群像劇、そしてプラモデルガンプラ文化を生み出すなど、大きな社会現象となった。幼少期にそれを目の当たりにしたファンにとって、当時の熱狂と衝撃は特別な思い出であり、“ガンダムとはこうあるべき”という固定観念が強く根付くのも無理はない。

しかし、「ガンダムが好き=初代(または宇宙世紀)が絶対」という方程式は、近年のファンコミュニティにおいては必ずしも通用しなくなっている。ガンダムシリーズは大きく分けると宇宙世紀系と、それ以外の独立した世界観を持つアナザー系(『Gガンダム』『ガンダムW』『ガンダムSEED』『鉄血のオルフェンズ』など)に枝分かれしており、さら宇宙世紀内にも『Zガンダム』『逆襲のシャア』『UC』『閃光のハサウェイ』など、数多くの作品が展開されている。もはや「ガンダム」と一言でくくっても、それぞれに異なるストーリー・設定・テーマを持った多彩な作品群になっているのだ。

にもかかわらず、「有害一年戦争おじさん」は一年戦争こそが至高で、それ以外はすべてガンダムとは呼べない、あるいは認める価値が低いといった偏狭な主張をすることがある。具体的なエピソードとしては、新しいガンダムが発表されるたびにネット上やSNSで「こんなのガンダムじゃない」「富野由悠季監督が関わってないか駄作」などと早々に断じる、若いファンが語るアナザー系の魅力を嘲笑する、あるいはプラモデルに対して「やはりザクガンダムRX-78-2)が本命で、○○なんて邪道」などと強い調子で言い切ってしまうといった行動が挙げられる。

こうした振る舞いがファンダムに与える悪影響はいくつもあるが、その中でも特に顕著なのが「新規ファン参入障壁を上げてしまう」という点だ。ガンダムシリーズはすでに膨大な設定を持ち、どこから見ればいいのか分からないという声もよく聞かれる。そこに対し、「本当のガンダム一年戦争だけだ」「初代を見ないならファンではない」などと押し付ければ、初心者は萎縮してしまいかねない。もちろん、初代の重要性を説くこと自体は悪いことではないのだが、その言い方や姿勢が高圧的なものであれば、ガンダムに興味を持ちかけている人を遠ざける要因になってしまう。

さらに、「有害一年戦争おじさん」はしばしば他の作品ファン同士の交流の場を“自分たち思想”で塗りつぶそうとする傾向がある。例えばSNS掲示板などで新作ガンダムについて語ろうとしても、「やっぱりガンダム宇宙世紀じゃないとな」「○○監督なんて富野監督の足元にも及ばない」などというコメントが繰り返され、まともな議論が成立しなくなることも珍しくない。こうした現象は、結果的コミュニティ内で対立や分断を生み出し、せっかく多様な楽しみ方を受け入れる余地のあるガンダムコンテンツ可能性を狭めてしまうのだ。

また、宇宙世紀作品一年戦争のものに強いこだわりを持つことは悪いことではない。作品世界への愛が深ければ深いほど、より詳しく設定を掘り下げて考察する楽しみもあるし、一年戦争舞台にした外伝作品(『MS IGLOO』や『ザニーが登場する漫画作品』など)に注目することで、新たな切り口を見いだすこともできる。だが、「有害一年戦争おじさん」が問題視されるのは、その深い愛情排他主義攻撃的な態度につながる場合が少なくないからだ。自分と同じくらい初代を崇拝しない人を“にわか”呼ばわりしたり、そもそもアナザー作品を語ろうとするファンを見下したりするような行動は、コミュニティ全体の雰囲気を悪くする大きな原因となる。

さらに、一年戦争時代考証を「現実軍事政治的状況」に照らし合わせて論じる人々も少なくない。これはガンダム世界観がある種のリアリティを大切にしていることの証でもあり、そこに惹かれるファンがいるのも理解できる。しかし、「有害なおじさん」は自分たちの“リアル論”こそが唯一の正解だと思い込み他人解釈や新解釈を一蹴する態度を取ることがある。たとえば「この機体は設定上あり得ない」「この時期にこんなMS存在しない」などと、過剰に“リアル”を押し付けることで、多様な楽しみ方を否定してしまうのだ。

そして、こうした状況は次第に当事者以外のファンをも疲弊させていく。たとえばSNS上でガンダムについて呟くと、「その解釈は間違っている」「ちゃん資料を読んでから発言しろ」と“マウント”を取られることがあり、ファン同士のやり取りが萎縮してしまう。また、イベント会場やプラモデル展示などリアルな場においても、一年戦争関連の作品や考証に異常な熱量で突っかかり、他のファンが楽しもうとする空気を壊してしまう例も耳にする。ガンダム多様性を重んじる作品世界であり、多くのクリエイターがそれぞれの解釈テーマ作品を生み出してきた経緯を考えると、こうした空気はあまりに残念としか言いようがない。

では、この「有害一年戦争おじさん」問題にどう向き合えばいいのか。まず大切なのはファンコミュニティ全体が「自分の好きな作品を語るのは自由だが、他者の好きな作品否定することは違う」という意識を共有することだろう。ガンダム作品数が膨大であるがゆえに、自分の“推し”や“こだわり”を持ちやすい。それ自体ポジティブなことだ。しかし、それが「他の作品意見を認めない」という姿勢につながっては、多様性ガンダムの魅力であるはずなのに、それを損なってしまう。

次に、若い世代新規ファンが萎縮しないように配慮した場作りも必要だ。初心者には初心者なりの視点や疑問があるし、アナザー作品から入ったファンが後に宇宙世紀を好きになることだって十分あり得る。むしろ入り口がどこであれ「ガンダムに触れて興味を持った」という事実こそが大切なのだ。そこを「いや、まずは初代を全部観ろ」や「一年戦争を知らないなんて話にならない」と圧をかけるのは、コミュニティ全体にとってマイナスだろう。作品世界を広げるためには、受け入れの姿勢が何よりも重要になる。

また、一年戦争こそが「リアルで硬派なガンダム」で、アナザー系は「子ども向け」や「リアルさが足りない」というステレオタイプイメージも根強い。だが、実際にはアナザー系でも『ガンダムW』の政治劇や『SEED』の遺伝子差別問題、『鉄血のオルフェンズ』の社会構造批判など、リアルかつヘビーなテーマを扱う作品は多い。こうした多彩なテーマ性こそが、ガンダムシリーズ全体の魅力を支えているのであり、一年戦争けが特別なわけではない。むしろ宇宙世紀アナザー系を併せて楽しむことで、ガンダムが描こうとしている「戦争」「人間性」「社会」の幅広さを再確認できるのではないだろうか。

さらに、宇宙世紀内の作品ですら、一年戦争舞台にした『08小隊』や『0080』『0083』などは、初代から少し視点テーマを変えて描かれている。その際にも、一部のファンから「こんなのは本当の一年戦争じゃない」と批判された例がある。だが、もともとガンダムという作品多面的戦争悲惨さや人間模様を描くことを目指しており、一つの正解や正史しか認めないという態度は、ガンダムが持つ本来の魅力や思想に反するものではないか。ゆえに、「一年戦争」に対するこだわりも、ある程度の柔軟性を持って接するのが望ましい。

結局のところ、「一年戦争おじさん」が有害かどうかは、その人自身立場や主張よりも、コミュニティにおける振る舞いに起因する部分が大きい。いくら一年戦争を崇拝していても、それを押し付けずに「自分はこう思う」「初代が好きだけど、他の作品尊重したい」といった態度を示している人は、むしろ知識を共有し合える良き先輩ファンとなるだろう。問題なのは自分視点を唯一絶対のものとし、他の意見や好みを封殺してしまタイプファンである。これはガンダムに限らず、あらゆる長寿シリーズファンダムで起こりうる軋轢と言える。

からこそ、ファン同士が互いを尊重し合い、多様な切り口や解釈を認める姿勢が大切になる。ガンダムは「戦争を描くリアルロボットアニメであると同時に、「キャラクターを通じて人間性を問いかけるドラマ」であり、さらに「巨大産業として世界中に展開する商業コンテンツ」でもある。その多層的な側面を一括りにするのは困難であり、そこに魅力や可能性が詰まっているのだ。もしも“一年戦争だけ”という狭い視点固執してしまえば、その豊かさの大半を見落としてしまうことになる。

以上を踏まえると、「ガンダムコンテンツにおける有害一年戦争おじさん」は、単に宇宙世紀を愛するファンを指しているわけではない。むしろ、そうした愛情が誤った形で表出し、他者排除しようとする態度が問題の核心にある。長寿シリーズとしてのガンダムがこれからも発展していくためには、新規ファンが参入しやす環境と、多様な視点を受け入れる懐の深さが欠かせない。その一方で、ベテランファンが築き上げてきた蓄積や考察が大いに役立つ場面も多く、実際に後輩ファンを導く存在として機能しているケースもある。だからこそ、一年戦争ファン自身が自らの態度を省みるとともに、コミュニティ全体で「排他主義」に歯止めをかける仕組みを作ることが重要なのだ

結論として、「有害一年戦争おじさん」の存在は、ガンダムコンテンツの楽しみ方やファンコミュニティ健全さを損ねる要因になり得る。しかし、それを否定するだけでなく、彼らが抱く一年戦争への熱意や知識も、うまく共有・活用できればガンダムの魅力をより深く味わえるきっかけになるはずだ。問題なのは一年戦争を好きかどうか”ではなく、“他を認められるかどうか”という姿勢にある。そしてガンダムという広大な世界を最大限に楽しむためにも、多様な視点や好みに対してオープンであることが求められる。もしガンダム世界観が「戦争」によって多くの犠牲を生む愚かしさを描き出しているのだとすれば、ファンダムもまた、内部対立を生むのではなく、互いの違いを理解し合う歩み寄りこそが望ましいはずだ。そうすることで、ガンダムシリーズはこれから世代国境を超え、より多くの人々の心をつかんでいくことだろう。

2025-01-09

anond:20250109182646

思ったよりも、結構王道青春群像劇だったのが良かった。主人公ヒロイン?が仲良くなっていく過程とかが可愛らしいよ!

アニメは少し駆け足気味だったのがもったいなかったけど、同級生達が紅華(元ネタ宝塚音楽学校)に来る背景とかを1話使ってきっちり描いているのと、思いっき宝塚っぽいエンディング曲をそのメインになった子が歌っていくのは良かった。

漫画だと先生も含めた学校劇場関係者も掘り下げてていい話があって、アニメカットしてるのが惜しいくらい。

二期、三期と続いて舞台のシーンとか歌ってるところを観てみたかったなと思いました。

2025-01-06

最近の優れたファンタジーモバイルゲームは脱「ソシャゲ」化しているから、この増田が苦しんできたようなネガティブ要素はほぼなくなっている。

から増田のように完全にスマホゲーム断ちして満足している人ならばいいのだが、そこまで割り切れない人に対しては、進歩的ゲームに触れて切り替えていくのを勧める。そのようなゲームが持つ特徴を列挙していこう。

まず他人との協力やマルチプレイ強制がない。競争要素もなく、ソロプレイを軸としている。社会性で縛りつけない分、コンシューマクオリティの作り込みをしている。PS5とかに対応しがち。

「スキマ時間」をことごとく奪っていくような、頻繁なログインを促す仕組みがない。スタミナ制は依然多くのゲーム採用しているが、24時間以上放置でき、その消化も10分程度、デイリーなどもスタミナ消化すれば自動的に終わる。

イベントも張り付く必要がない。最終日付近休日に一気にやればシナリオ含めても1時間そこらで終わるようなもので、それもイベント毎に違った趣向の文化的ミニゲーム提供される。戦闘コンテンツが占める割合比較的少ない。

ソシャゲによくあった、アイコンだけ変えたアイテム収集やらボックスガチャやらのイベをローテする手抜き形式からは脱却している。全体として、拘束時間が少なく、遊んでいる間は濃密な体験になる。

どちらかというと、スマホでも一応できるが、PCやPS5でやったほうが良いゲーム体験が得られやす運営ゲーム郡と言えるだろう。

ガチャおよびキャラ実装の考え方も根本的にソシャゲとは異なり、ある程度の期間やり込んで育てたプレイヤーなら、攻略面では新キャラを引く必要はない。

最新キャラキャラパワーや重課金に頼らずとも十分な戦略の幅がある。ソロゲーなのでギルドに貢献するために引かなきゃみたいなこともなく、イベント特効もなく、強キャラを未所持だと詰むようなこともない。

難易度が全体的に易しめで、ガチャ縛りをしているプレーヤーでもイベント内で十分な試用機会があり、イベント攻略のために課金をする必要ゼロ

エンドコンテンツでは新キャラが持つ特性優遇されるが、一切触れなくともよく、ゲームの美味しい部分は他にある。

また、ガチャ天井安価で、旧式ソシャゲが平均7万前後に対し、2万~4万、また天井カウントが次以降のガチャバナーへも引き継がれるため、キャラを選り好みしないなら(しないこと推奨)石を貯めこむ必要がない。

ガチャランダム性や射幸性も抑えられ、課金額に応じた一定周期でキャラを入手できると捉えてよい。無課金でも月1くらいは天井に到達できる。

キャラの凸などに挑むなら旧来のソシャゲ並にお金が飛んでいくが、無微課金者のキャラ獲得ペースでも可能な、多様な役割キャラを幅広く所持していく方針の方がゲーム的な楽しみを得やすい。

ただし、キャラ確保ハードルが低い分、育成リソースが枯渇しやすく、バトルパス課金や石割りなどをガチャ課金よりも優先するのが合理的となる設計

ソシャゲ時代のように性能に煽られて引かされる感覚は薄れた分、キャラクターの実装ごとに背景を掘り下げるプロモーションビデオアニメーション動画テーマ曲を作って公開したりと、全力でどのキャラにも愛着をもってもらおうと工夫を凝らしてくる。

そのため、カード絵の好みだけでスルー判断できていたソシャゲ推しを定めて溜め込んでいくのが正解だったソシャゲと違い、まんまと全員を好きになってしまいがちな構造にある。

いろんなキャラに無凸より上の装備を整えてあげたい愛多き人ほどコンシューマゲームと比べて割高な出費をしがちでもあるが、買い切りとは異なる運営ゲームならではのライブ感や感動の蓄積があるため単純比較はできない。

 

お察しのとおり、このようなゲーム作りをするには、膨大な開発資金と人的リソース必要なわけで、国内で「暇つぶし用」としてガラケースマホ縦持ちで遊ぶような陳腐ゲーム性のソシャゲ開発で成り上がったスマホゲーム企業の持つノウハウとは異なるものが開発側に求められる。

こうしたガチゲームモバイルで作っているのは、文化的背景から今は中国オタク系(二次元)企業が中心になっている。個別具体的なタイトルを5作品挙げてみよう。といっても、PlayStation Storeセールス上位を見ればだいたい分かるものだが。

まずはこのスタイルの先駆けとなった、原神。王道ファンタジーオープンワールドで、元素反応の制御を軸とした知能ゲーム寄りの奥深いアクション戦闘が特徴だ。マップもとてつもなく広大で作り込まれている。ただし序盤はいずれも平易で万人向けだ。音楽は著名オーケストラを起用した豪華なもの

次に崩壊:スターレイルSF世界観のスペースファンタジーで、星間を駆ける列車拠点に星々を「開拓」して群像劇を目撃していくターン制RPGだ。ターン制の概念を覆すほど手触りの良い戦闘システムで、「今更ターン制か」と思う人ほど触れてみてほしい作品だ。

上記2作のヒットを飛ばし会社の最新作が、ゼンレスゾーンゼロという都市型本格アクションPRG。パリィ連携主体としながらもシンプルかつ派手な操作性で、サウンドエフェクトなども心地よく、独特なアートスタイル音楽と合わせてとにかく五感快感がビシビシ来る。お上品で難解な印象の前2作品と異なり、物語理解やすく熱い展開なのも美点。

次は競合他社となる鳴潮。原神に近いオープンワールドRPGだが、よりダークでグロテスクセクシー世界観になっている。怪物に変身するシステムが特徴的で、回避などを駆使するアクション要求度が高め。キャラクターグラフィックに関してはアニメ調作品の中ではひときわ力を入れていると感じる。

最後に挙げるのは、また別の有力企業による、インフィニティニキ。こちらは主に女性ターゲットにした着せ替え系のオープンワールドゲームで、戦闘要素はひかえめに、探索・収集と謎解きアスレチックがメインになっている。

これらを、欲張っていくつも並行してしまえばソシャゲネトゲのせいで社会生活を蝕まれる状況と大差なくなってしまうが、1作程度に絞って節度ある課金で付き合う分には、ソシャゲ時代と比べてもかなり健全範囲で楽しめるように進化している。

なので、大作モバイルゲームは、どれを人生パートナーとして選ぶかが非常に重要だ。

取り上げた5作の最新PVをそれぞれ挙げてみたので、各々の好みに刺さるものが見つかることを祈る。

原神 スタレ ゼンゼロ 鳴潮 ニキ

2025-01-04

YouTubeイデオン劇場版無料公開しているから観たんだよ

YouTube劇場版イデオンの2部作が無料公開されてるから観たんだ。何気なく始めたんだけど想像以上に凄かった。というか一昔前の作品でこんなに衝撃を受けるとは思わなかったんだよ、正直なところ。

この作品がつくられたのって1980年代ぐらいだと思うんだけど、当時のアニメって今みたいに市民権を得てなかったはず。大人アニメを観るなんて異常だ、みたいな風潮が普通にあったと思うんだ。

だけどこのアニメ群像劇として、ちゃん人間ドラマをやってる。一人一人がそれぞれの立場感情で動いてて、それが複雑に絡み合うから単純な善と悪の構図になってないし、むしろこれでもかってくらい人間の業が描かれてる。

登場人物たちの生き様や、どうしようもなくすれ違ってしまう感じに、正義とは何か?って問いを突きつけられた。

当時は大人アニメを観るなんて異常、みたいな風潮だったかもしれないが、でもイデオンはまさに大人のために作られたアニメというか、大人が観てもおかしくないようなそんな重厚物語性があるように感じられたんだよ。

でもさ、現代って当時と違ってアニオタに対する偏見もだいぶなくなってきて、大人でもアニメ観るのは普通だよね❕みたいになっている癖に、現代アニメこそむしろ大人が観賞するようなものじゃないというか…子供っぽくない?

最近アニメなんて異世界に転生して最強になってモテモテとか、そういうのばっかりじゃん。もちろん、そういう作品もそれなりに楽しいし気楽に観れるから好きだよ。でも、イデオンみたいに人間本質に迫るようなアニメって今どれくらいあるんだろう?ってつい思ってしまう。

今はアニメ自体一般的エンタメとして認識されてる時代だけど、逆にそれが問題なんじゃないかって思ったりもする。アニメが「普通」になったことで、挑戦的な作品とか、重厚テーマを扱う作品が減ってるんじゃないかって。

から昔のアニオタなんて異常!と言われていた時代アニメの方が本当は大人向けの作品が多くて、人間本質に迫るような尖った作品が多かったんじゃないか?ってイデオンを観て、アニメって本来こういうものだったんじゃないかって、娯楽として楽しむだけじゃなくて、人間について考えさせられたり、自分自身に問いを投げかけたりできるもので、だからこそ大人が観ても楽しめるし大人こそ観るべきものだったんじゃないのかって、ついそんなことを考えてしまった。

もちろん時代が違うから同じようなものを作るのは難しいかもしれない。でも、せっかくアニメが広く受け入れられるようになった今だからこそ、もっと深いテーマを持った作品が増えてほしいなって心から思ったよ。イデオンみたいなアニメ現代でも作れるはずだし、それが今の時代の新しい価値観問題意識を描いたものだったら、きっとまた新しい感動が生まれるはずだ。

いや…改めてイデオン、すごい作品だった。無料公開されてる今のうちに、もっと多くの人に観てほしいなって思う。

これを観たら、アニメってこんなにすごいんだ!って感動すると思うんだよね。

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑤

【前】anond:20250102174224

2-07「精霊たちの家」 イサベル・アジェンデ 木村榮一訳★★★★

世代女性たちの年代記であり、「百年の孤独」と対比されるんだけれど、こちらのほうがずっと読みやすい。ちなみにガルシアマルケスコロンビア人で、アジェンデチリ人

しかし、女性物語としての記憶は薄れていて、覚えているのは暴君として君臨していた祖父エステバン・トゥルエバのことだ。彼が地元女性強姦して産ませた息子が、因果が回って彼の孫娘を強姦する。因果というか、悪い行いの結果って一番弱い立場の人に最悪のしわ寄せがくる。しかし、孫娘の嘆きや苦痛強姦の苦しみの割にはごく短く語られている。

同じく、よしもとばななアルゼンチンババア」かなにかで、語り手がいとこに犯されそうになったことをさらりと書いているのだが(そして、そのいとことほとんど恐れもなく顔を合わせるのだが)、性暴力について文学でどう扱えばいいのかは自分はよくわからない。女性からセクハラされた僕だって迷う。性暴力表現するときにどれくらい気をつかうかは、殺人事件よりも慎重になっている印象がある(それだけ殺人が稀になったってことかもしれない)。

書かなかったのか、書くことができなかったのか。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」でも、ソ連兵に犯されたドイツ人女性がたくさん出てくるが、彼女たちが戦後どう生きたのかについては、わずしか触れられない。

道徳的理由表現規制されるのは、真実から目をそらすことになる気がするので好まない。一方で、当事者の声を無視しても結果的には良い物にはならない。このあたりは想像力の飛翔との兼ね合いでいつも居心地が悪くなる。「好きなように書かせろ」という書き手としての自分と、「当事者以外が勝手なことを書くんじゃないよ」と別の自分がいつも喧嘩している。

2-08「パタゴニア/老いぼれグリンゴブルースチャトウィン 芹沢真理子訳/カルロスフエンテス 安藤哲行訳★★★★/★★

ブルースチャトウィンパタゴニアを読むと、旅はいい、とため息が漏れる。何度だって書くが、紀行文はいい。定期的に読みたくなる。その土地しかない暮らし風土、それゆえに自分たちと異なった風習を持ち、理解しがたい態度を取る人々。航空機以前のように、数か月の旅を空想するのが好きだ。チャトゥインはオーストラリア舞台にした「ソングライン」もある。アボリジニは他の文化の持ち主には見えない道をたどり、万物名前を付けて大陸中を歩いてきたのだ。

カルロスフエンテス老いぼれグリンゴはあまり記憶していない。モデルとなったアンブローズ・ビアスの書いた「悪魔の辞典」はかなり好きなんだけどな。筒井康隆を始めいろんな翻訳があるのでオススメ

フエンテス短篇集「アウラ・純な魂」のほうがずっと面白かった。老いが迫る男、幼馴染のようにべったりした兄妹の別離、小さい頃に一緒に遊んであげた小さな女の子の末路、鏡のある真っ暗な部屋で魔術によって若さを保つ老婆、それから脱走兵が出てくる。

2-09「フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者」ミシェル・トゥルニエ 榊原晃三訳/J・M・G・ル・クレジオ 中地義和訳★★/★★

ミシェル・トゥルニエフライデーあるいは太平洋の冥界」はかなり観念的な話だったと記憶している。文明自然を対比させるために(?)読者に理解やすロビンソン・クルーソーとカオティックな行動をするフライデーが出てくるのだが、舞台ロビンソンが島そのものとの性交子どもが生まれるという神話的な世界だった。これを読んだ後で、理解を深めるためにデフォー原作を読んだのだが、記憶していたような絶海の孤島ではなく、近くに南米大陸がある島だった。そういえば子どものための抄訳版にも、近隣から人食い人種が攻めてくる描写があった。

M・G・ル・クレジオ黄金探索者」は姉と弟の閉じた世界が壊れるというか、外部の世界を知るような話だったと記憶している。姉と不可分な存在となって、マダガスカルサトウキビ畑を歩いていた場面があったはずだ。小さな子供の目から見た植民地世界の、どこかに宝物が埋まっているんじゃないかと期待しながらも、閉塞した記憶だ。ラストでは故郷家族恋人黄金もすべて失い少年期が終わる。しかし、不思議と読後感が清々しいのはなぜだろう。まるで、すべてはここから本当に始まるのだ、という気分である

ル・クレジオ難解な作品とそうでない作品の差が激しい。「海から来た少年」はまだわかりやすいんだけれども、太陽を見つめて意図的盲目になる「大洪水」は二回読んだはずなんだがさっぱりわからなかった。

2-10「賜物」ウラジーミル・ナボコフ 沼野充義訳★★★★

一時期ナボコフがすごく好きで、文学講義シリーズも読んだんだよね。前のエントリで書いた「ロリータ」だけじゃなくて、ソ連から亡命した冴えない教授を主役にした「プニン」だとか、架空の国ゼンブラを舞台にした架空の詩と、それに対する真実虚構かわからないような注釈が、見開きの右と左に分かれていた「青白い炎」だとか、そもそも実在する世界舞台にしているかどうかさえ疑わしい兄妹の恋物語「アーダ」だとか、みんな好きだった。で、これらは英語創作されているんだけれど、最後ロシア語で書いたのがこれ。詩人になるまでのお話

難民のように食うや食わずではなかったけれども(そしてそのせいで政治的過小評価されることもあるけれど)、ナボコフはやっぱり偉大な亡命作家の一人だ。でも、ユーモアを忘れていない。

で、本作では片想いをしている女性を思い浮かべながら、どの女性を見ても彼女のことを思い出し、彼女連想できないタイプ女性には嫌悪を覚えたという趣旨のことを書いていて、ちょっとだけ分かるんだけれどひどいことを平気で言う作家だなと苦笑いをした。

フョードルコンスタンチノヴィチに向かってうら若い牛乳瓶を持った娘がやってきたが、彼女はどことなジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力――それは明確なものであると同時に、無意識的なものであった――ひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧ものジーナの中に認めていた。だから、そういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのであるもっとも、その関係の具体的に言い表せと言われても、彼にはまったくできなかったけれど。(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。

僕は基本的に豊かな知識を持ち、普通に文章を書くだけでその該博さがこぼれてしまうために、結果的にひけらかしと受け止められてしま作家が割と好きで、一時期円城塔にもどっぷりハマっていた。一方で、「ロリータ」については、暇なときパラパラとページを開いていると、語り手の身勝手さがだんだんと鼻につくようになってきた。ハンバート・ハンバートって、でっぷりしたおばさんを見て、「ニンフェットの美しい肢体を生き埋めにした棺桶だ」って趣旨のことを平気で言うんだもん。性格悪いよね。

とにかく、前は金に困っていない人間が、道徳を踏みにじっているのを美々しい文章で糊塗しているのが(当時は悪とは何か知りたかったし、悪いことをしている狂った人間の話が読みたかったし、知性を感じる文章が好きだった。そういう意味でも「悪」を扱った遠藤周作がすごく好きだった)面白くてしょうがなかったのだが、いまとなってはそこまででもなくなっており、自分の中で「ロリータ」の魅力が少しかすんできた。それとも僕が少女に心惹かれなくなっただけなのか。

なんにせよ猛烈な魅力を感じていたのにプツンと魔力が消えてしまうことはある。以前は三島由紀夫が大好きだったのに、「豊饒の海」を読む前に魔法が消えた。たとえば「潮騒」を読もうとしたら、彼の文章リズムが心に響かず、全然読めなくなっていた。

少女と言えば、初めて「ロリータ」を読んでいた二十代の頃、一年に数回ほど発作的に年端もいかない少女に対する強烈な憧れが募っていた時期があったのだが、少女と知り合って仲良くなるプロセス現実的に細かいところまで検討すると、真っ当な手段がどこにも存在しないと気づいて、途端にこうした欲望への嫌悪の情が浮かんび、緩解していった。それに、無知相手自分利益のためだけに利用するのは邪悪定義に当てはまってしまうしね。

おそらく、当時の自分が憧れていたのは現実少女ではなく、思春期の頃に空想するような、成長の痛みや性の悩みに寄り添ってくれる同い年の少女で、その記憶を引きずっているに過ぎないのだ。つまり、幼馴染への憧れだ。そういう少女思春期の頃に出会えるはずはないし、自分問題自分解決しないといけない。そのうえ、よしんば実在したとしても、そんな少女とは「ノルウェイの森」のキズキと直子や、「海辺のカフカ」の佐伯さんと彼女恋人のように閉じた関係になってしまうだろう。結局は、成長の痛みを引き受けないことによる歪みを必ずや生み出すだろう。そういう空想上の女の子自分自身の鏡像ユングのいうアニマで、つまるところこれは自己愛である。今はむしろ年上好きである

(どうでもいいけどウィキペディアロリコン写真集記事、内容がやたらと詳しいんだがこれって倫理的にどうなのよ。誰かが興味持っちゃったらどうすんの)

2-11ヴァインランドトマス・ピンチョン 佐藤良明訳★★

ピンチョンはよくわからない。陰謀論ネタにしているんだろうが、直接扱ったエーコフーコーの振り子」のほうがエンタメとして好き。陰謀論的な思考ちゃんと茶化しているしね。個人的にはエーコが作中で既存の有名どころの陰謀論をすべて統合したオリジナルの壮大な陰謀論を作り上げているあたりがヤバい。あるいは架空史の仁木稔の「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」か。困ったことに、これらの作品が発表されてから陰謀論ネタとして面白い物から現実の脅威となってしまっている。

エーコが楽しめてピンチョンにピンとこなかった理由を考えてみると、たぶん元ネタとなる知識をどれくらい知っていたかに尽きる気がする。自分キリスト教やオカルティズム、カバラや魔術については多少わかるのだが、六十年代アメリカポップカルチャー現代エンタメには詳しくない。だが、この作品は実際、死をもたらすツボ押しマッサージが出てきて「あと何日でお前は死ぬ」みたいな「北斗神拳」っぽいネタを扱っている。なんせこの爆弾を埋め込まれるのが日本人サラリーマンなのだ

2-12ブリキの太鼓ギュンター・グラス 池内紀訳★★★

文庫本にして三冊の本を無理やり一冊に押し込んで、小さな活字二段組みなので読むのがしんどいし、「早く読み終えなきゃ」って焦ってしまった覚えがある。馬の生首のシーンが有名だよね。

三歳で成長するのをやめたダンツィヒ回廊生まれ少年主人公の癖に、義母を寝取って子どもを産ませているんだから、とんでもない話だ。純粋無垢なままでいるために三歳よりも大きくなるのをやめた話と思わせて、実は様々な女性恋愛遍歴をしている。家族が次々と殺されて行ってもね。

そういえば、さっきモテる奴の話を読んで何が面白いのかと書いたけれども、舞台現代日本でなければ別世界ファンタジーとして享受できるらしい。幼馴染のロマンスだって、別の国や時代舞台ならまだ受け入れられる。たとえばロンゴス「ダフニスクロエ」だけじゃなくてコレット青い麦」も割と好き。どっちも少年側が人妻に性の手ほどきを受けるので、これで多少性癖が歪んだ気がする。村上春樹海辺のカフカ」と合わせておねショタに目覚めてしまった。あと、青春物があまりきじゃないのに、「十三機兵防衛圏」はプレイできているの、あれが一つは君と僕みたいだけみたいな閉じた雰囲気じゃなく、感傷ダダ洩れの地の文章が無く、群像劇からってのもある気がする。

話を戻す。うじうじしているくせに、本当はモテることにすごく憧れているただ。だが、十五分の自慰行為あいだならエロ漫画主人公と同一化できるかもしれないけれど、数時間かけて読む文学では自己同一化魔法は解けてしまう。細かい設定があるのだから自分との差異がどんどん強調される。自分は到底なれそうにもない、かっこいいキャラモテても、ちっとも面白くないのであるしかしこんな話を聞かされる読者も面白くないだろうしこのあたりで切り上げる。小説ダメ人間、僕が先に好きだったのにという人間にならなんとか自己同一化できたのである(余談だが、かつての週刊誌の中づり広告のようなエロス無法地帯ウェブ広告で「カラミざかり」が出てきたとき主人公の来ている服のロゴに「cuckold」と書いてあったが、これは英語で「寝取られ男」という意味である。そういう芸の細かいところ、わかる人にはわかる小ネタは好きよ)。

少し現実的に考えてみれば、滅茶苦茶にモテ複数女性から同時に交際を求められたら、しかも好みの相手でなければ、それはそれで面倒そうなのであるが、嫉妬と羨望に狂っているさなかにはそれはわからない。同じく、浅ましいことに3Pとかも憧れるけれど、よしんばそんな機会が訪れたとして、絶対気をつかうし面倒くさい。自分が手に入れられなかったもの理想化されて頭の中で猛烈な輝きを持つが、一度頭を冷やしてみよう。

続く。

2024-12-16

ネガポジアングラーが非常に面白いのでもっと知ってほしい話

ネガポジアングラーとは今期に放送しているオリジナルアニメである

今期はリゼロダンまちダンダダンなどの人気作があるため原作なしのオリジナル作品自然と目立たない形になってしまっているものの…このまま埋もれてしまうには本当に惜しい作品なので、ここでおすすめしようと思ってこれを書いている。

この作品基本的には釣りアニメ

釣り+群像劇作品で、主人公が昨今のアニメでは珍しいぐらいにリアルコミュ障なのも特徴的。

ただ主人公金融から借金まみれで、その借金パチンコで返そうとする駄目人間

おまけに余命宣告までされてお先真っ暗。

「今まで何一つうまくいったことがない」が口癖のような男で、状況が悪くなるとすぐに逃げ出す。

おいおい誰がこんな主人公を好きになるんだよ?って思うぐらいには陰湿でいいところないんだけど、そんな男が出会い釣りを通じて少しずつ変化していく。

実写ドラマでも違和感ないような作品で、心理描写がとにかく丁寧。それも安易独白に頼るんじゃなくて、ちょっとした動作演出で見せるのが巧い。

主人公の周りに居るのは基本釣りバカなんだけど、そんな彼らにも等身大の悩みや葛藤があるんだなってことをちゃんと描いているのがほんといい。

個人的には特に8話が良くて、観ていてちょっと泣いちゃった。

他にも台風来て釣り行けないか鍋パやるだけの回とか、アニオリらしく好きなことやってる感あるもの好き。

とにかく面白いんで、皆に観てほしい作品なんだ。

2024-12-02

日本で最もムキ出しチンポが多い街、歌舞伎町

これはそんな街の片隅で起きた青春群像劇である…。

2024-12-01

ジョージ朝倉ピースオブケイク

ずっとタイトルは知ってたけど読む機会がなく

無料マンガアプリでけっこうな範囲が読めたので読んだ

無料範囲読み終えての感想としては

あー若い男女の恋愛群像劇的なの、もはや読める年齢じゃないわ、ということだった

なんかギラギラしてて胸焼けする

登場人物皆が皆若く、、自我主張が強く、感情と性欲が溢れ出てすったもんだするの、、重い、、それを今を生きるカッコいい俺的な主役テンションがどうにも

若いうちなら共感しながらドラマチックに読めたのかもしれないが、もう胃が受け付けない

2024-11-22

anond:20241120215220

AKIRAの中身がない」と感じる理由についてもう少し考えてみよう

まず、映画版AKIRAが出てこない

この肩透かし感はすごい

だが鉄雄と金田の物語としては普通に成り立っているし中身がないとはとても言えない

強いて言えば金田側の物語が足りない。これは漫画版も同じである

金田にはなんの葛藤も成長もない。物語主人公としては感情移入しにくい存在である

それを持って中身がない、と感じることはあり得る。

金田キャラクター説明するには自分で言っている通り「健康優良不良少年」という言葉に尽きる。

この特異なキャラクター設定、不良のリーダーなのにお坊ちゃんヘアという奇妙なキャラクター造形

ができた時点で作者は満足し、それ以上金田を掘り下げるつもりがなかったのだろう。

漫画版の序盤で金田幽霊みたいなものが突然現れる伏線らしき描写があるが、

この伏線回収が全くドラマに関わってこないことは大友ドラマを語る気が当初から全くなかった

ということのわかりやすい事例である

なんか使えそうな伏線を配置しといたけど上手く活かせなかった、というだけの気もする。

だとするとやはり大きな物語を作る能力そもそもないということになる。

しかしながら、漫画版AKIRAが登場して東京をもう一度吹っ飛ばすシーンが白眉だ。

ここがおそらく大友が一番やりたかったシーンだろう。

とんでもないカタストロフィ漫画の真ん中で起こす。カタストロフィ以前と以後の群像劇を同じだけのボリュームで描く。

という角度で見ると、AKIRAは非常に完成度が高い漫画に見えてくる。

anond:20241120215220

AKIRA群像劇形式から最初から最後までを通した一貫したストーリーといえるわけではない。

そして要素を抜き出してしまうとどれも陳腐だ。

しかしこの作品キモはそれらの人々の背景にある時代 (世界) の空気感とでもいうべきものにある。

発展した未来的な都市と、そこにある閉塞感。

描写されているのは誰かの物語ではなくて「世界」だ。

SF とはそういうものだよ。


ストーリーけがそれほど大事ならあらためてアニメという形式をとる必要はない。

漫画という形で刊行済みなのだからそこにストーリーはもう有る。

アニメは動きが加わることによって「世界」がより詳細になるということが価値だ。

絵が美麗であるに越したことはない。

2024-11-20

数日前に書いてたテキストファイル捨てるの勿体無いと思ったので張る

(↓を上書きしてしまったので、じゃがいものが消えてた)

自分史上最も重要ななろう小説10

例のあのフォーマットに乗ってWeb漫画の話をしようかと思ったがWeb漫画は山ほどあるし別に網羅的に読んでる訳でも無いので単に自分の好きな作品を書くことにした人が居たので便乗。

消えてる作品以外はブックマークが残ってるので探しやすくてよかった。

2012か13ぐらいから読み始めた人。それ以前も知らないし、最近も知らないしひどく偏ってるはず。順不同

本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~

みんな大好き(なはず)。転生元の(中途半端な)知識と超絶魔力持ちでチートではあるが、虚弱常識知らずなど、情熱と人脈でカバーしてく。

朝ドラ風なのかもしれない。(女性主人公から?)

これと謙虚ぐらいしか男性向けっぽいの読んでなかったし、読んでも合わないの多い中(ゴミ拾いのとかテイマーのとかは読んでた)、何度も読み返した名作中の名作。

言い過ぎだけど、パトレイバー銀英伝レベル社会に出てから有用知識が得られる。

パト銀英伝信者からしたら言い過ぎ、そうではない人からしたらそんなもんかってなる?)

やり直してもサッカー小僧

異世界でもなく、冒険もしない、異色作であり快作。

現実世界への巻き戻り。細かいこと(と重要なことのほとんど)は忘れたが、サッカー選手になれなかった大人サッカー始めた日に戻ってやり直す話。

確か戻るのはその一回ぐらい。戦術等の知識大人レベルなのと、コツコツ努力できる(練習目的がはっきり、効率もよい)のと、あとなんか鷹の目みたいな俯瞰視点だけで頑張る。

雰囲気は週刊少年誌サッカー漫画みたいなの(ジャンプっぽさはなく、サンデーマガジンのどっちか寄り)。恋愛要素が少なくて物足りなかったような、中学生編ぐらいまでで終わったのとかで悲しかったような。

VRMMOをカネの力で無双する

これと続編(サブアカウント)のセット。アイリッシュスナイパーは含まない(好きだけど)

VRMMOは二大ジャンルひとつだったり、転生、転移に次ぐ第3のジャンルだったりしたが、あまり人気作が無かった(当時の個人的な印象)中、(根底に)デスゲーム要素もなく、描き切りつつ、VRMMO系で不足しがちな現実世界にも重点を置いたのが本作。

MMO要素は各キャラのなりきりに由来するコメディ要素やストーリーの本筋に絡む仕掛けであって、中身は群像劇要素も強く、主人公以外の成長物語でもあり、半沢みたいなのとかでもあり、ミックスグリルみたいな作品。あえて大げさに言うと、大長編ドラえもん詰め合わせみたいな。

章ごとに目標が変わってたりしつつ、最後でどかんと一気に色々纏まるのがめちゃくちゃ気持ちよかった。主人公大人だし、なろうっぽくない(なろうっぽくないことはないが)

主人公も一応精神的に色々成長します。地の文好き嫌いは分かれそう。

この世界ゲームだと俺だけが知っている

なんか独特の作品コメディ(や腰砕け)要素強め。

クソゲーとして名高いバグだらけのゲームの中に入ってしまい、バグ仕様()も多い)を駆使して気持ち悪いことを沢山する。

読んで知って欲しいのだが、全方向を騙していくのとか、サブキャラとかが立ってるのとか、一応色々吹っ切れてるのが面白すぎた(作者的にはセーブしてるのかも)

本作作者の他作品も少し系統違ってても面白いので、他作品挙げたいが完結してなかったりするので、出会いの本作をエントリー

まのわ ~魔物倒す・能力奪う・私強くなる~

タイトルそのまま。ちんちくりん系の女子普通女子コンビに、個性的パーティメンバーなどで冒険する。

基本的にはテンポよく成長していくし、仲間も頼りになる。地の文とかほのぼのし雰囲気も好きだし、ちょっと年齢層高め向けのギャグとかも合ってた。作中でどういう扱いだったかは忘れたが馬は脳内でひんべえ(いつもいっしょのおうま)になる。

真剣なシーンでも気が抜けるような描写が多くて好きだったかも。

終盤SF過ぎたのとか好みが別れるところか。SF方面だったかは定かではないが

時代がずれてたら防振り(途中までしか読んでない)ぐらい売れてたかも。コミカライズされてたの今知った

くまクマベア

流石に全部読んではいないが、アニメも見た。

可愛い。ほんと可愛い

給与額がそのままレベルに反映されたら最強っぽくなった

おかしなった。突っ走ればよかったのにと思ったような。

やっぱチョロインでしょ!

流行ってたか

蜘蛛ですが、なにか?

おもろい。

最後まで読んだ記憶がない。今は漫画で読んでる。

となりの魔王

これも流行った。

チート魔術で運命ねじ伏せる

きつね可愛い。同作者の他作(沢山あったはず)も読んでみたけど、これがなんか時期的になのか、一番ハマった。

その他の候補

スマホ太郎

 影響は受けたが、読んでないので

ラストルーキー ~世界最強の引きこもり

 この世界ゲームだと……と同作者なので

自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮彷徨

 色物かと思ったら意外としっかり面白かった。アニメ見て、原作一気読みした。

転スラ

 すごいのはみんなわかってるが、重要度は低い。

このすば

 どこにも書いてないが、これ系では他作品のほうが影響受けたので除外。

宝くじで40億

異世界迷宮奴隷ハーレム

無職転生

勇者イサギの魔王

 アニメ化やったね!(別作品

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