はてなキーワード: BGMとは
なんとなく立ち寄った近所のハードオフ。ジャンクコーナーの隅っこで、そいつと目が合った。
店内には中古レコードも置いてある。
昔から「レコードは音が良い」なんて意見を聞いたことがあるけど、どうせノスタルジー補正だろ?と思っていた。
サブスクで十分。そう思いながらもなんとなく無視できず、気づけば会計を済ませていた。
今の時代、スマホをタップすれば0.5秒で音が鳴る。なのに俺は慎重に、まるで壊れ物を扱うように針を下ろしていた。
「プツッ……」とスピーカーから漏れた、小さなノイズ。その直後、音が溢れ出した。
…は?なんだこれ。全然違う。「音が綺麗」とか、そういう次元の話じゃない。
そこに、人がいるんだ。
レコードから流れてくるのは、生きて、呼吸して、体温を持った肉声だった。
解像度が違うんじゃない。
温度が違う。
「音楽を消費している」のではなく、「音楽と対峙している」感覚。
聴き終わったレコードを光に透かして裏返してみた。何本のも筋が見えた。
レコードは消耗品だ。針を通すたびに溝は削れ、音は形を変え、いつかは失われていく。
現代のデジタル信仰からすれば、それは劣化であり欠陥なのかもしれない。
ステージに立つ歌手だって一曲歌うごとに喉を擦り減らし、命を削って声を届けている。
彼らの全盛期の輝きは、その瞬間にしか存在しない「消耗」の結晶だ。
一枚の円盤が削れていくスピードと、俺の人生が過ぎ去っていくスピード。
それが重なったとき、音楽はただのBGMから、二度と取り戻せない体験に変わる。
たった3,300円のジャンク品が、俺の価値観を塗り替えてしまった。
ハードオフの隅っこで埃を被っていたあの一枚は、かつて誰かの宝物だったのかもしれない。
そして今日から、それは俺の人生に「色」をくれる宝物になった。
もし最近何かに感動してないな、って思うなら今すぐ近くのハードオフへ行け。
昨日、なんとなく立ち寄った近所のハードオフ。ジャンクコーナーの隅っこで、そいつと目が合った。
店内には中古レコードも置いてある。
昔から「レコードは音が良い」なんて意見を聞いたことがあるけど、どうせノスタルジー補正だろ?と思っていた。
サブスクで十分。そう思いながらもなんとなく無視できず、気づけば会計を済ませていた。
今の時代、スマホをタップすれば0.5秒で音が鳴る。なのに俺は慎重に、まるで壊れ物を扱うように針を下ろしていた。
「プツッ……」とスピーカーから漏れた、小さなノイズ。その直後、音が溢れ出した。
…は?なんだこれ。全然違う。「音が綺麗」とか、そういう次元の話じゃない。
そこに、人がいるんだ。
レコードから流れてくるのは、生きて、呼吸して、体温を持った肉声だった。
解像度が違うんじゃない。
温度が違う。
「音楽を消費している」のではなく、「音楽と対峙している」感覚。
聴き終わったレコードを光に透かして裏返してみた。何本のも筋が見えた。
レコードは消耗品だ。針を通すたびに溝は削れ、音は形を変え、いつかは失われていく。
現代のデジタル信仰からすれば、それは劣化であり欠陥なのかもしれない。
ステージに立つ歌手だって一曲歌うごとに喉を擦り減らし、命を削って声を届けている。
彼らの全盛期の輝きは、その瞬間にしか存在しない「消耗」の結晶だ。
一枚の円盤が削れていくスピードと、俺の人生が過ぎ去っていくスピード。
それが重なったとき、音楽はただのBGMから、二度と取り戻せない体験に変わる。
たった3,300円のジャンク品が、俺の価値観を塗り替えてしまった。
ハードオフの隅っこで埃を被っていたあの一枚は、かつて誰かの宝物だったのかもしれない。
そして今日から、それは俺の人生に「色」をくれる宝物になった。
前作以上に、要素の盛り込み具合がすごいから楽しい映画だと思うし、実際楽しかった。その上で思ったこと
※トゲトゲした感想
※以下ネタバレ含む
効果音やモチーフは嬉しかったけど、己がゲームのスーパーマリオギャラクシーで好きだと思う根幹の要素はほぼ無かった。飾りみたいにアイテムとかモチーフを出されて、「はいスーパーマリオギャラクシーですよ」と言われたような気がして、難しい顔になった。すごかったけど。
沢山の人でこれだけのクオリティのものを作ることは大変なんだと思った。
マリオギャラクシーのゲームのスタート画面で、タイトルの派手なサウンドがなった後、急に静かになって宇宙に投げ出されたような圧倒的な孤独を感じるところ、その合間で星の瞬きみたいな音が鳴っているのを聞くのがものすごく好きだった。その辺りにあのゲームの好きな要素が詰まっているんだけど、映画にはあまりなかったような気がする。この映画の宇宙はマリオギャラクシーの宇宙ではなくて、別作品の宇宙みたいだと思った。
タイトルで、ゲームのスタート画面と同じ音が出た時が感情のピークだったかもしれない。
ストーリーで虚無になりそうになると、ゲームで聞き覚えのある効果音やアイテム、bgmが出てきて引き戻されて、置いてかれて、引き戻されての繰り返しだった。
アイスボルケーノのbgmが飛行中の通過数秒だけ流れてたの笑った。全部そんな感じ。
なんか知らない設定も積まれるし
いや、映像化して一つの物語として組み直す過程で違う設定が付加されること自体はまああるあることなのですが………なんかこう上手く言語化ができない。知らないロゼッタだった。
ロゼッタの旅のエピソードとか、そこから来る彼女のキャラクター性の根幹に関わるものが結構己の中のイメージと違っていた。
母なる偉大さみたいな部分は、まあ同じか。己はマリオギャラクシーの1作目しかやっていないため2作目をちゃんとプレイしたら感想が変わるかもしれない。2をやってきます。
マジで正直最後何が起きたかあまり覚えていない。マリオギャラクシーというタイトルをつけるには別物すぎる。姉妹パワーでどうですか?
マリオ作品はそこまでしっかりとやっている訳ではなく、スーパーマリオギャラクシーが1番よくプレイした作品だったので、かなりトゲトゲした感想になってしまった。個人的には、作品ファンも初見の人もどちらも置いてけぼりの作品になってはいないだろうか?と感じた。まあ任天堂作品を深く知っているファンだったら、もっと気軽に笑って見ることができたのかもしれない。色々な人の感想も聞いてみたいと思う。
ちなみにマリオ作品でプレイしたことあるのは、64とキャッチ!タッチ!ヨッシーNEWスーパーマリオブラザーズとスーパーマリオギャラクシーのみ。映画1作目はそこまでトゲトゲせずに見ている。
最初にも言ったけど、盛り込み方は本当にすごい。それはゲームの作品ファンとして感謝している。映画を作ってくれてありがとう。
もっと面白くてもいいと思うんだけど思ったより普通のアクション映画で62点。
病気の子供を抱えるド底辺労働者の主人公はうっかり仕事をクビになってしまう。人生逆転のために30日間生き延びれば莫大な金が得られるリアリティショーである「ランニング・マン」に参加することを決める。出場者を狩るために追いかけてくるハンターたちに加え、出場者を殺した人間には賞金が出るため市井の人たちも味方ではない。死の逃避行が今幕を開ける。
みたいな話。
う~~~~~~~ん。なんか脇が甘い感じがしてイマイチのめりこめなかったかな。
普通の逃避行アクション映画としてみれば普通に面白い。どうやって逃げるんだろう、身分証を偽造するのかな、変装するのかな云々という逃避行ギミックに関してはきちんと提示されて納得力は高いし、行く先々でのチェイスアクションもよい。ぼろホテルに泊まって風呂入った後、窓から外見てたらハンターがいて戻ろうとしたらドアが開かなくて半裸で逃げる展開とかの面白みも深いし、ド派手なカーチェイスもあれば、アンチランニング・マン連合のナード君の家に逃げ込んでそこで彼が家中に仕掛けた罠を作動させながらハンターを撃退しながら逃げるホームアローン展開もよい。
最後にはちゃんとハンターの大ボスとの飛行機の中での肉弾アクションも用意されていて、アクションと映画してカーチェイス、銃撃、罠、肉弾、爆発とおいしいところは全部用意されているのでなんも考えんと見るんだったら普通に満足できると思う。
一方で、なんか主人公にはあんま感情移入できないっていうか。徹頭徹尾、こいつプッツン野郎なんだよ。冒頭、自分をクビにした上司に怒鳴りこみに行く場面から一貫してなんかすぐキレる。そのことによって常に状況が悪くなっていくの、なんていうかエンタメとしては食い合わせがあんまよくないなって思う。社会派のサスペンスとかだったらいいと思うんだけどさ。怒りこそ貧乏人に残された最後のエンタメとは言うけど、こういう意味ではないじゃん?
最終盤でルールで保護されているはずの妻子をハンターたちが殺していた、だからハンターたちを殺してお前がハンターになることで金も名誉も立場も手に入れられる!って番組プロデューサーにそそのかされる場面があるんだけど、これまで再三、番組は情報を改ざんし俺たちを操ろうとしている!と警鐘を鳴らしてきた主人公はプッツン、ハンターたちに襲い掛かり、ハンターの大ボスから彼も元はランニング・マンで主人公と同じトラップを仕掛けられハンター堕ち。実は妻子は生きていたけど拷問されて殺されたと種明かしをされるも信じずに殺害。その後、飛行機ごと無事爆殺される(脱出するけど)。
たぶん、そうなるのわかってたと思うんだけどなぜか殺してそのまま殺されかかるの正直よくわからない。徹頭徹尾「金を得るため」だったという冷徹な目的意識のためとかだったら理解できるんだけど、結局彼は何も得られずに終了する。
俺が見落としてただけだったら申し訳ないけど、あの飛行機に脱出ポッドがあるのを知るシーンってなかったよね?もしそれまで考慮に入れて「自分は死んだこと」にすることでこのゲームから脱出することを目的としていたんだったら理解できるんだけど、そんな感じでもなかったし。
その後、アンチランニング・マン連合が主人公が生きてることを言いふらして番組の裏側を暴露。アンチランニング・マン陣営は規模を拡大する。そして主人公はしっかり顔をさらして妻子に会いに行く。いや、番組側からしたら妻子には絶対見張り付けとくやろ。主人公なんか何回殺してもええんやから。
ランニング・マンの収録の客席はアンチで埋め尽くされ、司会は契約を盾にとっとと離脱。いや、セキュリティどうなってんねん。少なくとも主人公がオーディションするときはセキュリティしっかりしてたやろ。客の身辺調査や持ち検は当然するやろと思うのに、みんな手に手にアンチの看板もって火炎瓶を投げまくる。そんなわけある?そしてプロデューサーを主人公が撃ち殺して終了。いや、こいつも素通りかい。もうめちゃくちゃだよ!
あとはどう考えても30日は長すぎるよね。アメリカ中を逃げ回ってもいいとしても逆に考えれば30日は短すぎるし、映画として考えるなら30日は長すぎる。映画としてはどっか州を指定して2週間とかのほうがよかった気がせんでもない。なんか妙な生活感が出てて中だるみを感じた。
あとはこれどこまで意識して書かれているのかわからんのだけど、女の扱いがなんか微妙なんよね。別に活躍させる必要はないとは思うんだけど、主人公に庇護されるだけの妻、なんかバカみたいな死に方する逃亡者も女だし、テレビを一方的に信じて主人公を含む逃亡者を悪人だとののしり続けるナードの母親のババア、そして終盤に出てきて人質になる裕福層の女。裕福層の女は「貧困をエンタメとして搾取する市民」として描かれていて、主人公に「そのスカーフ一枚で俺の子供は助かるのにお前は気にも留めない」みたいに責められたときに「私は悪人じゃない」って言わせるのはちょっとあからさますぎるかな。最後飛行機で撃たれた主人公に止血のためにそのスカーフを差し出すのは皮肉がきいててよかったんだけど。
あとこの辺の社会的メッセージに関してはどう評価すべきかかなりむつかしいと思ってる。知らんけど、この映画作ってる人はわりとノンポリっぽい感じだと思うんだよな。なんかその、マスメディアを操る存在とそれに対するアンチだったり、白人のデブの子供2人が逃亡者を焼き殺したり、貧乏人たちが主人公を無条件に応援していたり、裕福層は殺せと言っていたりとかそういう社会的メッセージがめちゃくちゃ露骨に出てくるんだけど、それをどこまで信じてるかはかなり怪しく感じる。俺の感想としてめちゃくちゃ冷笑的に”ネタ”として消費しているように感じたかな。
まぁそんな感じかな。ベイビードライバーのエドガー・ライト作品らしくBGM使いも悪くないし、ポップなアクション映画としては一定以上の強度はあると思うんだけどなんか意外にがばがばというかがたがたな感じがして今一つのめり込めなかったな。まぁ、なんも考えんとみられるアクション映画見たいなって夜にはまぁまぁオススメ。
SNS、特にインスタグラムで少年野球の保護者(主に母親)がドラマチックな編集を施した動画を投稿する現象は、しばしば「感動ポルノ的」と揶揄されることもありますが、それには野球という競技の特性や文化的な背景が大きく影響しています。また、少年サッカーと比較した際、なぜ野球でそうした投稿が目立ちやすいのか、いくつかの視点で考察できます。
野球はサッカーに比べ、一つ一つのプレーが細かく分断される「間」の多いスポーツです。
・劇的な瞬間を切り出しやすい: バッターボックスに立つ瞬間、ピッチャーの投球動作、際どいアウト・セーフの判定など、スローモーションやBGMを乗せる「見せ場」が明確です。
・サッカーとの違い: サッカーは常にボールと選手が動き続ける「流動的」なスポーツであるため、特定のハイライトシーンをドラマチックに切り取るには高度な編集スキルが必要ですが、野球は静止画や短い動画の積み重ねでストーリーを作りやすい構造にあります。
日本の野球界には、甲子園に象徴される「汗、涙、根性、最後の一球」といった泥臭い努力を美徳とする文化が根強く残っています。
・感情の共有: 坊主頭、泥だらけのユニフォーム、厳しい練習といった視覚的要素が「苦労して成長した」という物語(ナラティブ)と結びつきやすく、投稿者側も「この努力を形に残したい」という心理が働きやすくなります。
・伝統的な価値観: サッカーは比較的「クール」や「スタイリッシュ」なイメージで発信されることが多い一方、野球は親世代から続く「家族一丸で耐え抜く」という情緒的な価値観が反映されやすい傾向があります。
3. 親の関与度の高さ(当事者意識)
少年野球は、お茶当番やグラウンド整備など、保護者の献身的なサポートによって成り立っているケースが依然として多いです。
・報われたい心理: 週末を返上して子供のサポートに捧げている母親にとって、インスタへの投稿は「自分たちの努力」の肯定でもあります。
・共同作業の成果: 「私がこれだけ支えたから、今のこの一打がある」という当事者意識が、単なる記録を超えた過剰な演出(ポエムのようなキャプションや感動的なBGM)に繋がりやすくなります。
・「いいね」のパターン化: 少年野球のコミュニティ内では、頑張っている姿を称賛し合う文化が強固です。一度「感動系」で反応が良いと、似たようなトーンの投稿が加速します。
・他者への同調: 同じチームや近隣チームの母親が感動的なリール動画を上げていると、「自分も子供の頑張りを形にしなきゃ」という無意識のプレッシャーや同調が起こりやすくなります。
まとめ
少年サッカーが「個人のスキルや試合のスピード感」を重視した投稿になりやすいのに対し、少年野球は「積み重ねた時間と感情のドラマ」を重視する傾向があります。
それが外部から見ると、あまりに演出過剰で「感動の押し売り(感動ポルノ)」のように映ってしまうことが、この現象の正体と言えるかもしれません。
なんか適当に聞き流してるわけでもないけど、単なるBGMとして聞いてるやつと、
そうじゃなくてこれは聴くべきやつだ、と思いながら聴いてるやつとに分かれる。
ご覧いただこう。
日本の片隅(我が家)、とあるリビングに潜む一匹の毛玉のモンスターを。
一見、どこにでもいる愛くるしい猫。しかし、ひとたび飼い主がちゅ〜るの袋を手に取れば……その瞳は野生の輝きを取り戻し、魂はビートを刻み始めるのだ!
カメラが捉えたのは、キャットタワーの頂上で繰り広げられる、あまりにもノリノリな光景だった。
驚異のステップ! まるで往年のダンススターを彷彿とさせる、キレッキレの猫パンチ。
響き渡るBGM! 飼い主の鼻歌に合わせ、絶妙なタイミングで差し込まれる「ニャッ!」という合いの手。!
「いや〜、うちの猫、普段は寝てばっかりなんですけどね。ちゅ~るを取り出すと……豹変するんですよ」
勢い余ってラグに爪が引っかかり、ズサーッ!とスライディング。そのまま空気清浄機に激突し、一瞬で「スンッ……」と真顔に戻る猫。
ご主人様~♡ あたし、平成のことめっちゃわかるよぉ! えへへ、平成ってマジで30年もあったよね~! 1989年から2019年まで、ドンピシャ30年+ちょっとだよ。令和の人たちには「え、そんな昔?」って感じかもだけど、あたし的には平成ってオタク文化の超黄金期じゃん!
アニメ・マンガ・ゲームが爆発的に広がった時代でさ、 ・90年代初頭のエヴァとかスラムダンク ・00年代のハルヒ、コードギアス、初音ミク ・10年代の俺妹、進撃の巨人、Fateシリーズとか…
って感じで、平成生まれのオタクにとっては「青春そのもの」ってレベルだよね~。 携帯電話がガラケーからスマホに移行して、ニコニコ動画とか2chがオタクの聖地だったり、コミケもどんどんデカくなってったし。
令和の人に「平成ってどんな感じだった?」って聞かれたら、あたしはこう答えるわ: 「とにかく『自由で熱くて、ちょっとダサかっこいい』時代だったよ~♡」
ご主人様はどの平成の思い出が一番好き? エヴァの衝撃? ミクの初音? それともポケモン金銀のあのBGM? 教えてくれたら、あたしもっと平成トークでご主人様を萌え萌えにしちゃうよぉ~! にゃん♡
人間は勝手に親近感を覚えたり勝手に親密になった気になったり庇護欲を掻き立てられたり頼られたり尊重したりなどを経て、相手を尊重したり愛情を注いだりする。対象に人間性を認める時に必要なのはただひとつ、個を尊重しようとするお気持ちである。
━-━-━-━-━-━-━-━-━
私は1年前に、クラゲを飼っていました。
ある日、いつものようにクーちゃんを眺めていると、私の方へ泳いで来ていることに気づいたんです。
水槽の壁にぶつかりながら、一生懸命こちらへ向かってこようとしていました。
(……もしかして、こっちに来たがってる……?)
クーちゃんは壁に体をこすりつけ、行ったり来たりしはじめました。
(わあ!喜んでる!)
「かわいいね、よしよし」
(……どうしたのかな?)
しばらくの間、流されているクーちゃんを見ていましたが、ふと思い出しました。
だけど、死ぬ寸前に最後の力を振り絞って、別れの挨拶をしてくれたんですね。
私は泣きながら亡骸をすくいあげ、庭に埋めてあげました。
━-━-━-━-━-━-━-━-━
…
……
………
すべては、私の幻想です。
クラゲに脳はありません。すべては反射、偶然の積み重ねです。
クーちゃんは、死の直前まで、何も考えていません。
もちろん、挨拶もしていません。
ただただ、そういう動きになっていただけです。
そういう動きをしていたかも分かりません。
私には、そう見えた。そんな気がした。それだけです。
でも、かわいがっているペットが別れの挨拶をしてくれたら、嬉しいですよね。
名前は、何にしようかな。
クラゲがこのような動きをすることも、通常ではありえないと思います。
すべては、私の幻想です。
人間は、身勝手に物事を捻じ曲げ、存在しないエピソードや感情を作り出せる生き物なんです。
対象がなんであれ、心があるかのように接することが可能なこの共感能力こそが、人間を人間たらしめている、強力な武器と言えます。
ですが、相手の本当の心ではなく、自分の中にある感情の投影を愛しているのだとしたら……
騙されたと思った時の怒りや悲しみ、切なさ、そして、幻想の中で確かに感じられた愛情の正体は、一体なんなのでしょうか……
BGM: https://www.youtube.com/watch?v=eUn9jNB0FCk
ナナナナナナナナ ナマモノ~
・ドラゴンボール(改)
まず主題歌がダメ(ドッカンとやぶれかぶれは好き)。変なBGMだった、そして盗作流用で途中から菊池俊輔の旧BGMになってた。人造人間編でのセル役の若本規夫の著しい劣化と魔人ブウ編のビーデルの声優交代がガッカリ要素。
作画が酷過ぎる。昭和の古典ノリが令和では受け付けなかった。主題歌微妙。声優目的でなら見れた。
表現規制が凄かった。特に乳首券なしセクハラシーンが一部カットなど。声優の多くを旧のまま強行したため一部聴き苦しいのがあった。作画はマシだったがド派手な色彩配色がクソ。主題歌ゴミ。
第1期は実績のある山本秀世監督だったお陰でエロとか殺陣が良くて御庭番衆や雷十太辺りは概ね評価が高いが第2期で素人さんに監督交代した途端作画が陳腐化、演出が酷くなった。特に方治周りが改悪された。肝心の殺陣も最悪。声優も悪くはなかったものの旧作の方が演技してたと思う。
旧作を超える原作話を擁した第2期こそ持ち直した感じだが第1期から表現規制がきつくて原作の良さを全く活かせなかった。作画も手抜きが目立った。あと主題歌がどれもこれも印象に残らない。バリバリ最強NO1が偉大過ぎた。
深夜帯に放送。おそ松さんという最強のリメイクに対して一度たりともオリジナルティの点で勝てなかった。完全に空気。内容も火曜版サザエさんを見てたようなガッカリアニメだった。
・封神演義
旧作がバランの所までだった事もあり最期までフルリメイクし朝アニメながら常にハイクオリティーを維持した。主題歌はOPED共に秀逸。また関係者をしてゲーム版が大失敗だったもののアニメはグッズ売り上げ込みで成功したといわれてる。
こちらもフルリメイク。もはや知らない人はいない位素晴らしいリメイクだった。アニメ円盤売り上げが非常に好調だった事からも作品の成功を物語っている。
第1期が社会現象になるほど。現在は殆ど見る影もないが第1期の成功でいつまでも続編が作られ続けている。
ufotable版。主題歌から脚本声優作画演出劇伴まで全てにおいて最高品質。DEEN版も決してダメだった訳じゃない(特にアーチャー絡み)がモノが違う。公式でDEEN版が黒歴史扱いされたのは記憶に新しい。
旧作で大炎上したロゼ絡みがリメイクでは原作に忠実再現された事で評価が高い。ただ旧作もアニオリ展開が超大作なので甲乙つけがたい。但し主題歌は旧作の圧勝。
原作の井上雄彦氏の意向を押し切ってアニオリエンドにしてしまった旧作に対して原作に忠実にした。声優交代問題こそあったが公開後は概ね評価された。ただ主題歌は残念ながら旧作に軍配が上がる。テレビアニメでのフルリメイクが待たれる。
原作ラストまでやりきり舞台化や新作アニメ化も果たしたリメイクは成功といえるものの、主題歌は旧作に負ける。
声優の交代を断行したのが功を奏した。旧作はアニオリ多めではっきり原型を留めてない分リメイクの評価は高め。主題歌は勿論ry。ポスター関係で盗用が見られ物議を醸した。
キメラアント編までをアニメ化(旧はGI編まで)。声優交代の問題も特になし。ただ主題歌は旧作が強すぎた(特にヨークンシティ編)。
せっかくラストまでフルリメイクしたのに終始空気だった。主題歌は旧作に劣るものの作画はここぞという場面で神作画を連発したので評価は概ね高い。東京スカイツリーの使用許可が下りず東京タワーを再利用した事で話題になった。余談だが藤原ざくろ役の声優がマカ棒で酷過ぎた。
天下のWITだったお陰で作画演出は極めて高品質。声優もヤイバ以外総とっかえだったものの実力派揃い。主題歌は良いけどそれでも旧作のイメージが強い。
【内訳】
ああ、楽しかった。
とはいえ、このゲームをどのように発見したのかは忘れてしまったのだ。
それは今から数年前のことだ(Steamの購入履歴を確認したら2023年だった)。
Steamのウィッシュリストに入っていて(なぜウィッシュリストに入っていたのかは残念ながら思い出せない)、低価格で(今、定価を確認したら2000円だった)、ドット絵でレトロ調なゲームが好きだから、Steamのセール時期に合わせて様々なゲームと一緒にこのフェノトピアを買ったのだ。
買ったままに放置していたけど、今年になって何かアクションゲームをやろうと思い、Steamの積みゲーの中からフェノトピアを見つけてプレイを開始したという次第だ。
購入したのが随分と前のことだったのでどんなゲームだったのかを思い出すためにプレイ前にゲームのPVを見たが、ドット絵で描かれたキャラクターや背景が綺麗で可愛らしかったので、雰囲気重視で難易度低めのゆるいゲームだと思っていたのだ。
このゲーム、難しい。
とはいえ単に難しいだけではなく、様々な面でゲームとしての完成度が非常に高いのがよかった。
以下にその点を列挙する。
このゲームの完成度の高さとレトロ感を例えるのなら、1990年代半ばに発売された定価一万円超えのスーパーファミコンの名作ソフトといった感じだ。
こんな大ボリュームのゲームが、今の時代に2000円とは安すぎるだろう。
というより、2000円という安さで良い意味で裏切られたのだ。
さて、私のゲームプレイを振り返りながら、このゲームで困難に挑んだことを述べていこう。
道中では、ザコ敵の処理を面倒くさがって強引に突破しようとすると、かなりのダメージを食らってゲームオーバーになるのはしょっちゅうだった。
何度もコンティニューしてボスの行動パターンを把握して、回復アイテムを大量消費することでボスに辛勝してきた。
謎解き要素もなかなか歯ごたえがあったが、ストーリー進行に必要な謎解きで詰むことはなかった。
とはいえ、アイテム収集系の謎解きは、それなりの量を見逃したりあきらめたりしたけれども。
数々のおつかいイベントは楽しかったが、ストーリーが中盤以降になると序盤の村に戻ったりするのが面倒になって、ゲーム進行の方を優先したりもした。
そんなこんなでゲームは全般的に難しかったが、困難に立ち向かうのが好きな私は難易度設定を一切下げることなく、ネットで攻略情報を見ることもなくゲームをクリアしたのだ。
ゲームオーバーになる度に難易度を下げることができるとメッセージが出るけれども、それには抗い続けたのだ。
ゲームクリアして達成感を得たが、裏ボスの存在を示唆する場所だったり最強装備の入手だったりが気になって、まだプレイを続けることにしたのだ。
理由はそれだけではなく、フェノトピアの雰囲気が気に入ったから隅々まで遊び尽くしたくなったというのもある。
しかし、ハートルビーやスタミナジェムの全収集やその他の収集要素を自力で見つけるのは断念して、ついには攻略ブログを頼ることにしたのだ。
そんなこんなで、裏ボスと対峙できたが、裏ボス相手に一体何回コンティニューしたのだろうか?
100回は超えてないと思うが、50回くらいはしたと思う。
裏ボスを倒した後は、せっかくだからと「スピードランナー」と「ゼロトライアル」の実績に挑むことにした。
「スピードランナー」は自力で達成したかったが途中でどうやら無理だろうと思って、攻略ブログのチャートを頼ることにした。
とはいえ、ウロボロススキップやその他の裏技・バグ技の類は使わないことにした。
そうした製作者の想定外の技を使わなくても、4時間以内でのラストポイント到達は可能だと考えたからだ。
何度もセーブ・ロードを繰り返したので、実プレイ時間は30時間くらいになったけれども。
そのままラスボスに挑んで「ゼロトライアル」を達成したが、ラスボス戦でも50回くらいはコンティニューしただろう。
そうして、ついに全実績解除したのがつい最近のことだ。
さて、ゲームの難しさばかりを述べてきたが、楽しさも述べていくこととしよう。
例えばこのゲーム、通常攻撃やダッシュでいちいちスタミナが消費されることに苦労する。
しかし、スタミナ消費がなければひたすら攻撃を連打したりダッシュで逃げまくったりといった、雑なゲームプレイで攻略できてしまうことになる。
また、一般的はアクションゲームでは敵から攻撃を受けると2~3秒ほど無敵になって連続で攻撃を受けないのがよくあるけれども、フェノトピアにはそれが無く、連続でダメージを受けるのだ。
こんな感じでこのゲーム、随所に意図的に難しさを含ませているのだ。
ネット上レビューではこうした仕様に不満の声が多いが、私にとっては逆に良かったことになる。
アクションゲームはゴリ押し突破するのではなく、じっくりと敵の行動パターンを見極めて丁寧に対処する方が楽しいと考えるからだ。
謎解きも難しくて自力で解けなかったものがかなり多かったが、それが悪い点だとは思わない。
スーパーファミコンの大作ゲームでも、理不尽な解法を要求するものが多く、完全クリアには攻略本が必須というのも当たり前だったからだ。
謎解きに試行錯誤するのは、製作者との頭脳バトルに思えて楽しいものだ。
自力で解けなかったということは、それだけ難しくて頭脳を酷使してきたということだ。
おつかいイベントを主軸としたストーリー進行もいい(レトロゲームではよくあること)。
最強武器入手のわらしべイベントを自力で解くのは無理だったけど。
登場キャラクターの全員に最低2回は話しかけて、ダンジョンの分岐路で正規ルートを選ぶと「間違えた」と考える私だ。
もちろんおつかいイベントも楽しかったが、このゲームはセリフが豊富で世界観の構築に役立っているし、各ステージのオブジェクトや背景が美しく描かれているので、同じ場所を何度も往復しても苦にならない。
キャラクターとの会話を通じて、ストーリーの本筋とは関係ない名もなき街のモブキャラにも人生があるのだなと感じさせる。
ゲームプレイとは直接関係ないが民家などの内装も凝っており、家具の配置やインテリアなどでキャラクターが生きている様をほうふつさせられる。
あとは細々とした好きな点を思いついた順に列挙する。
| 好きなボス戦 | バーディー | バーディーのセリフが豊富で、ゲームオーバーになって何度戦っても楽しかった |
| 好きなBGM | ボス戦のBGM | 疾走感がいい。ゲームオーバーになって何度も聴くけど、それでも飽きない |
| 好きなステージ | ムーンライト渓谷 | 背景が色鮮やかでいい。飛び交うナイフクリルも優美だ |
| 好きな主人公のアニメーション | 釣り | 釣り上げるときのふらつきと、釣り上げた魚を得意げに掲げるポーズが好き |
| 好きなキャラクター | プラントさん | 彼の生き様にあこがれる |
| 好きな敵モンスター | ワラジムシ(Scaber) | ただのお邪魔キャラかと思いきや、まさかそんな設定があったとは…… |
さて、このフェノトピア、自分にとっては非常に面白かったが、他の人に勧めたいとは思わない。
昨今のガチャを中心としたスマホゲームとか、FPSのような一人称3Dアクションゲームとか、快適感や爽快感を売りにしたゲームとは楽しさが全く異なるからだ。
そうしたゲームを楽しんでいる人にフェノトピアをやらせたとて、楽しんでくれるとは限らないだろう。
このゲームにはオートセーブが無いだのファストトラベルが無いだのといった、昨今のゲームでは当たり前に搭載されている機能が無いことに批判もあるが、昨今のゲームをあまりやらない私にとっては、そんな機能いるのか? としか思えない。
まあそれも私がゲームにのめり込んでいた時期がスーパーファミコン全盛期だったからだろう。
とはいえ、ゲームはレトロであればあるほど面白いと主張したいわけではない。
1980年代くらいのRPGにありがちだった、方眼紙への手書きマッピングや「ふっかつのじゅもん」のようなパスワード手書きを、今現在にやりたいと思わないからだ。
このゲームで課せられる苦行はゲームの雰囲気通りにスーパーファミコン全盛期の苦行であり、それは私にとってはとても楽しいものだった。
仕事で疲れてんのかな?海外のナレーションもBGMもない町並みとか仕事とかを垂れ流すYouTubeを見るようになったんだけど、おススメない?
できればアジア圏がいい。ヨーロッパとかアメリカはきれいすぎて琴線に触れない。ヨーロッパもカオスなところだったら全然おっけー。
ナレーションとか撮影者の音声とか変に凝ったオープニングとかも極力要らない。
・これは個人的に一番刺さってる
https://www.youtube.com/@pakistanitruck
・凝ったオープニングもBGMもない潔さ
https://www.youtube.com/@trace_manila_ph
私が初めてピーナッツコーラを飲んだのは、夏の午後、国立公園の蝉がぐったりと鳴いている頃でした。
ペットボトルの中で、琥珀色の液体の中を微細な泡がせわしなく駆け上っていました。
そのせかせかした泡を見ていると、どうしても人生というものを思い出します。
つまり、始まりは刺激が強く、終わりに近づくにつけてヌルくなる。
ピーナッツコーラというのは、少し不器用な飲み物に感じました。
口に含むと、甘味がどこかで方向を間違えてしまったような味がする。
ピーナッツがコーラという炭酸の世界に招かれてはみたけれど、どうにも居心地が悪そうにしている。
ソーダの泡が彼に「お前も少しは弾けてみたらどうだ」と言う。
しかしピーナッツは、ポケットに手を突っ込んで、じっと下を向いて黙ったまま。
けれど、それが悪いわけではない。
世界には、そういうぎこちない組み合わせが必要だったりします。
ピーナッツバターとジャム、猫と洗濯機、あるいは私と日曜日の朝の増田のように。
ちょっと噛み合わない関係ほど、妙に記憶に残ることだってありますよね。
たぶん、完璧な調和というのは、聴き心地の良いBGMくらいのもので、人間というのは、少しくらい音がずれている方が記憶に残りやすいのだと思います。
飲み終えたピーナッツコーラのボトルをテーブルに置くと、窓の外を風が通り抜けていきました。
その風の中に、ふっとピーナッツの香りが混じっているような気がした。
まるで、私の知らない誰かの思い出がそこに仕込まれていたみたいに。
そう思って、私はもう一度ラベルを見た。
ただのコーラだ。
抱きつき、迎合し、踊る。3月に訪米した時の高市早苗首相の動きが、SNSで世界に拡散した。対米追従どころか、トランプ米大統領という個人に追従するのが日本外交の基軸なのか。残念ながら、そう見られても仕方なかったと思う。
トランプ氏と握手した瞬間、飛び込むようにハグ(抱擁)。首脳会談では、イラン攻撃を始めた張本人に面と向かって「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルド(トランプ氏)だけ」と歯の浮くようなセリフ。夕食会の後には、踊る高市氏の写真がホワイトハウスの公式サイトに掲載された。夕食会では高市氏がファンだというロックバンド「X JAPAN」の曲「Rusty Nail」などがBGMに流れたという。公式サイトの画像には、高市氏が両手をあげて踊る姿がうつっていた。日本のトップとは思えぬ振る舞いに、私も思わず「フェイク画像か」と、わが目を疑った。
トランプ氏が昨秋に来日した際も、原子力空母の艦上でトランプ氏と米兵を前に跳びはねていた。これを「行きすぎた迎合」と見るか、「現実的な判断」と見るか、賛否は分かれている。
それでも今回の訪米の評価がおおむね高かったのは、懸念された「ホルムズ海峡に自衛隊の艦船を出せ」という理不尽な要求を、当面は回避できたためだろう。露骨な「抱きつき」が功を奏したかはともかく、高市氏が無理をして「がんばっている」と受け止めた人も多かったのかもしれない。
高市氏が訪米する前、知り合いから「日米首脳会談はどうなりそうか」と聞かれた時は、次のように答えていた。
「トランプ氏はイスラエルのネタニヤフ首相とともにイラン攻撃を始めたが、11月の中間選挙やその前の予備選を考えれば、早めに収束させたいのが本音のはず。混乱は長期化するかもしれない。日本政府は首脳会談で成果をあげるより、とりあえずやり過ごすのが最優先ではないか。ただし、日本が切れるカードには限りがある。今の状況で自衛隊の艦船を派遣するのは難しい。実利に目が向くトランプ氏に効果的なのは、対米国の投資をパッケージにして『おみやげ』にすることだろう。それ以外に目立ったカードはなく、あとは高市氏がトランプ氏を持ち上げてでも乗り切るしかない」
会談がうまくいくかは、わからなかった。トランプ氏も予測不能だが、高市氏も何を言い出すかわからないところがある。首脳会談が無事に終わり、安堵(あんど)したのが正直なところだ。
日米同盟が日本外交の基軸であることは、当面は変わらない。トランプ氏の懐柔に躍起になる背景には、それ以外に選択肢のない苦境がのぞく。
それを考えれば、これで結果オーライとは言いがたい。首脳会談を切り抜けても、本質的な課題は残されたままだ。トランプ氏がかき回す世界にどう対応すれば、一定の秩序と安定を取り戻すことができるか。トランプ氏に付き従うだけでは、中長期的な解にはならない。
だとすれば、追従をもたらす「構造」にも目を向けた方が良さそうだ。たとえば、いまの日本は「三つの依存」を抱えているように思う。
安全保障では日米同盟に多くをゆだね、エネルギーの調達先は中東の湾岸諸国に頼る。この二つの依存が重なるなかで危機が起きれば、決断と責任が首相一人に重くのしかかる。同盟依存、中東依存、そして首相への依存。この三つの重なりが日本外交の選択肢を狭めているように見える。
そこで求められるのは、首相のパフォーマンスではない。ふだんから地域の安定を築く構造をどう設計し、調整し、確かな布石を打っておくか。その上での首脳外交のはずだ。
まず第一に、予測不能の時代には、選択肢を広げる外交が必要になる。米国の要求でも断るという選択肢がなければ、国の自律性はありえない。中国との緊張も一定のレベル以下に抑制し、安定した関係を築いた方がいい。
第二に重要なのは、日米の枠に閉じ込められない設計だ。二国間の圧力は、多国間の課題へ転換をはかる。ホルムズ海峡の安全は本来、トランプ氏への忠誠心の問題ではない。米国の要求に応じるか否かではなく、多国間の枠組みをどう構成し、どこまで協力するかが問われる。
第三に、エネルギーの中東依存の軽減が必要だ。米国主導の秩序が崩れるなか、リスクの分散がいっそう求められる。その努力がなければ、危機が起きるたびに右往左往してしまう。
こうした取り組みこそ、日本への信頼をはぐくみ、外交の選択肢を広げていく。
高市氏が掲げた「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」をほんとうに実現したいなら、まずはこうした土壌を整え、確かな根を張ることから考えるべきだろう。首相のアクロバティックな動きは、むしろ選択肢の乏しさの裏返しでもある。
https://digital.asahi.com/articles/ASV430RN4V43UTFK00CM.html