はてなキーワード: 武勇伝とは
迫害はあった派…宮崎勤事件・宅間守事件等を契機にメディアで犯罪者予備軍扱いされた、学校でいじめ・揶揄があった
迫害は誇張派…個人の体験としていじめを受けていない人も多い、エビデンスが乏しく個人のお気持ちに留まる(要は「嘘松」「慰安婦ビジネス」のようなものだという扱い)
人気投票荒らし等の迷惑行為を当時「武勇伝」として記録・共有していた
ケータイ小説・BL・創作男女などネット上の女性作者のコンテンツ晒し上げ、女性文化(タピオカ・パンケーキ等)への異常な罵倒がまとめブログ等で行われていた
ロリコンネタ・ハイエースネタ等、女児への性加害を匂わせるジョークが常態化していた
加害側のエビデンス(Wiki・まとめブログ・アーカイブ)は豊富に残っている
オタクだからいじめられたのではなく、衛生観念・コミュニケーション能力・外見等の個人要因が原因だったのではないか
雑談板・まとめブログ経由で「オタクでもないのに非オタクにハブられてオタクコミュニティに流入した層」が問題行動の主体だった可能性
時代が進むにつれ差別対象はペドフィリア・統合失調症・ASD等の具体的属性にピンポイント化し、「オタク」という曖昧な括りが差別の単位として機能しなくなった
宮崎勤事件(1989年・東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)当時を知る世代と、平成生まれ以降では体験が根本的に異なる
2019年に発生した京都アニメーション放火殺人事件は、殺人犯の青葉真司は紛れもないアニメオタクであったが、オタクであることよりも統合失調症についての言及が多く、その後のルックバックの炎上事件でも統合失調症への差別が取りざたされていた
平成初期生まれは2000年代の「スイーツ(笑)」「嘘松」叩き等でむしろ被害を受けており「オタクは加害者」という認識を持っているという意見もある
関西にはまだ値切ってなんぼ、値切らせて武勇伝の体質が根強くある
仕事の依頼をして、んでなんぼになるんや?と悪気なく聞いてくるし
値切らせた後、もう一つ仕事をくっつけてバーターでタダにせえやと言ってくる
付き合いたくないけど関西に住んで関西圏で仕事をする以上、こういうのとも
なんとなく上手に付き合っていかないといけない
そういうのから電話で(なぜか未だに電話 会話の妙で値切り幅をより多く作れると思ってるんだろう)
ごちゃごちゃと細かい身の上話やらが入って苦しいけどこういうのが欲しいんやと言ってくる
いいけど仕事するなら作業費もらいますよって言うと、なんや金とるんか、ならええわって言ってくるとこもある
最終的にお金払わず言い訳ばかりするようなところとは縁が切れたけど
そういったところの値切り芸は懐かしく思える
提案のラフデザインからチラシ作成の初回まではタダでやってもらおうと社内会議で決まったんやけど頼めるか?
交通費、取材費と必要経費含めて月2万円で隔月のフリーペーパーを作りたいんやけど、余ったお金はギャラとしてもろといてもええで
いやー、さすが“歴史エピソード1本で現代外交を全部説明できる”と思ってる世代。
2020年代の核問題も人権問題も地域紛争も全部消えるんだもんな。
そりゃ便利だよ。現実が物語に合わせてくれる世界線に住んでるならね。
『どうでもいい現在』も教えてあげるよ。
イランはその後、
でも君の中では、
あと、
「日本はアメリカの親友でありながらイランとも話せるレアな存在」
これも言い方が上手いね。
現実には、
対話窓口を閉じられないだけなんだよ。
それを
って盛るの、地方の商店街を“アジアの玄関口”って呼ぶ広報に近い味がある。
で、君は
「付かず離れずが優柔不断に見えるのか!」
って怒ってるけど、
いや、その付かず離れずこそ現実的対応だってこっちは最初から言ってるんだよ。
でも国家はそれだけで動かない。
次はぜひ、
「昔いい話があった国とは今後も無条件で仲良しでいるべき理由」
を15秒で解説してみてよ。
伸びると思うよ、同じ層には。
19〜20世紀の少年向け雑誌「The Boy’s Own Paper」に由来する表現です。(en.wikipedia.org)
雑誌には冒険・スポーツ・軍隊・探検などの英雄的な物語が多く載っていました。(en.wikipedia.org)
そこから「Boy’s own」「Boy’s own stuff」は、現実離れした冒険やヒーロー的活躍を指す比喩になりました。(en.wikipedia.org)
イギリス英語で「Real Boy’s Own stuff」と言うと、「まるで少年冒険小説のようなすごい出来事」という意味です。(fr.wikipedia.org)
スポーツ記事などで、劇的な逆転劇や個人の大活躍を称えるときによく使われます。
日常会話ではやや古風・ユーモラスな響きがあり、「少年の夢そのままの活躍だね」といったニュアンスです。
ポジティブ: 「勇敢」「ロマンチック」「ヒロイック」「胸が熱くなる」
やや皮肉混じり: 「現実離れした」「子どもじみたヒロイズム」と揶揄する場合もあります。
“It was real Boy’s own stuff.”
“He scored a Boy’s own winner in the final.”
→ 「彼は決勝で、少年漫画みたいな決勝ゴールを決めた。」
大前提として、尾田先生へのリスペクトは今も微塵も揺らいでいない。週刊連載という過酷な環境下で、30年近くジャンプの看板を背負い、第一線を走り続けている。とても人間業とは思えないし、奇跡と言っても過言ではないだろう。
何よりもしんどいのは、麦わらの一味の、いや一味に限らず長年愛してきた既存キャラクターたちの扱いが、目を覆いたくなるほど疎かになっていることだ。
私の心が折れたのは、巷でも物議を醸した、エルバフにおけるウソップの扱いである。
リトルガーデン編を読んで以来、ウソップがエルバフに至るまでどんな活躍を見せ、いかにして「勇敢なる海の戦士」へと成長するのか、何年も胸を躍らせて待っていた。にも関わらず実際に描かれたのは期待を裏切るような姿だった。
不評を察して慌てて差し込まれたような、薄っぺらで付け焼き刃のスピーチが読みたかったわけじゃない。
私が見たかったのは、ボロボロになりながら、格上の敵に当たって砕けて、それでも知恵と勇気で辛勝をもぎ取る、あの泥臭くて憎めないウソップが成長した姿だ。
そもそもウソップは、病床の母を励ますために「海賊が来た、父ちゃんが帰って来たんだ」と嘘をつき、両親を亡くした心痛から病床に伏すことが多かったカヤのために嘘の冒険譚を語る、誰かを救うための「嘘」を吐く漢だったはずなのだ。
だがワノ国では、偽薬を売る“ガマの油売り”として描かれ、その嘘を信じて父を救おうとしたおトコに対し、明確な贖罪もないまま終わってしまった。
もちろん、ウソップ含め、ワンピースのキャラクターに清廉潔白さや完璧さを求めているわけではない。むしろ失敗はいくらでもあっていい。ただ、それを泥臭く乗り越える過程こそが魅力だったはずだ
最近はこうした、過去の積み重ねを裏切るような描写が少なくない。そのたびに、作者への信頼が揺らいでいく。何か意図があるのかもしれない、後の展開への布石かもしれない、そう信じて待ちたい気持ちさえ、応えられることのない虚しい期待に終わってしまう。
この不信感は、ゾロのバックボーンの扱いにも通じている。スリラーバーク編から示唆されていたリューマとの繋がりや血筋の話が、物語の深部に組み込まれることなく、最終的にSBSで事務的に明かされたことには強い落胆を覚えた。
そもそも、5年という長い時間を費やしたワノ国編で、本筋に関わる大きな謎として明かされたのはプルトンの在処くらいで、それすら決戦後に数ページで処理されてしまった。ワノ国の人々がその秘密をどう語り継ぎ、どんな歴史的背景を背負ってきたのかといった部分はほとんど描かれていない。
その一方で、太陽の神ニカ、ロジャーたちがラフテルで笑った理由、オーロ・ジャクソン号の巨大な卵、ヒノキズの男、ルフィの夢の果てなど、「伏線」という名の新設定ばかりが、既存キャラの描写を押し退けるようにして際限なく追加されていく。
しかし、それら新設定を担うキャラクターや世界観が、かつてのような魅力を持っているかと言われると、正直疑問が残る。伝説のバーゲンセールのような状態で、かつてのロジャーに感じた底知れなさや未知への期待を超えることはない。
おでんやロックスやハラルドにしても、「どれだけ凄まじい規格外の行動をしたか」という武勇伝の羅列が中心で、その行動の根源にあるはずの血の通った人間性と、その人間性に説得力を持たせるための掘り下げの描写が十分になされていないように思う。伝説を伝説たらしめるための「凄さの演出」が先行しすぎていて、彼らがどれだけ活躍しても記号的な凄さ以上の印象が残らない。
エルバフ編のメインゲストキャラとも言えるロキでさえ、十分魅力的に描けているとは言い難い。彼の語りから始まったはずの回想は、突如ナレーターにマイクを奪われ、ロキ自身が直接関与していないゴッドバレー編が物語の中心となった挙句、ロキと彼の父ハラルドの親子物語は、まるで「おまけ」のエピローグのような扱いに成り下がっていった。
さらに最近では、五老星に謁見し「ある海賊について話がある」と発言したあのシャンクス似の男の正体が、実はシャムロックであったという衝撃の事実さえもSBSで開示されてしまった。
本来であればあの場で言及された「ある海賊」が誰なのかを明かすタイミングこそが、「なぜあれはシャンクスではなかったのか」「どんな背景と意図を持った発言だったのか」が結びつく、読者にとっての答え合わせの瞬間になり得たはずだ。
それを物語の中ではなく、SBSという形で先に明かしてしまうのは、せっかく成立し得た「伏線回収」を自ら手放しているようなものだ。
「最終章で尺がないから設定開示がSBS送りになるのも仕方ない」という擁護をよく耳にするが、エルバフ編冒頭で突如差し込まれた「レゴの城で迷子になる」という、コラボ商品の販促のようなアニオリ的「遊び」を描く余裕があるなら、できないなんてこともないはずだと、一読者たる素人は考えてしまう。これは見当違いだろうか。
新世界編後半で突如現れたイムvsニカという新設定を軸に、それらを補強するために新キャラが乱立し、既存のキャラクターが物語の端へ追いやられていく。追いやられるだけならまだしも、既存キャラの設定とは矛盾した、ともすると既存キャラの魅力を棄損しかねない描写が付け足されることすらある。
そして、乱立される新設定も、今の物語においては「新たな謎の匂わせ」で読者の期待感を煽るか、「設定の開示」という仮初のカタルシスを演出するための舞台装置に過ぎない。
この現状では、読者が20年以上積み上げてきたキャラクターへの情熱が置き去りにされていると読者が感じるのも無理はない。
これだけの連載期間を共にしてきて、一味を含めた既存キャラの成長や関係性、バックボーンがいまだに描写不足に感じられるこの現状が、悲しくて仕方がない。
麦わらの一味はいまや事あるごとに使い回された持ちギャグと「ルフィは海賊王になる男だ」という定型句を唱えるだけのbotのような扱いで、物語の核心である空白の百年の謎からは全くの蚊帳の外だ。
大好きだったワンピースをの最新話を読むと、悔しいながらも、反転アンチの言葉に頷いてしまう。
今のワンピースは楽しくない。
「痛さも、個性だ。」
そんな“さまざまに痛いおじさん”46人で構成される新感覚アイドルグループ――
おぢ坂46が、ついに動き出します。
■ 応募資格
・どこかしら「痛い」と言われたことがある方
(例:武勇伝を語りがち、若者言葉を誤用する、ポエムを書いてしまう 等)
・夢をまだ諦めきれない方
・週末の予定がだいたい空いている方
✳️爺はお断りします
■ 活動内容
・SNSでの発信(時々スベる)
■ 待遇
■ 応募方法
履歴書(手書き歓迎)と「自分の痛さが伝わるエピソード」を添えてご応募ください。
動画審査では、渾身の自己PRまたは黒歴史再現を披露していただきます。
■ 締切
“まだいける”と思っているうちに。
■ 最後に
遅すぎるスタートなんてありません。
それでも輝きたいあなたへ。
たくさんのご応募、お待ちしております。
2024年、世界が変わった。コードを書く速度が10倍になり、設計の壁打ちに人間の同僚が不要になり、ジュニアだった若手が異常なスピードで成長し始めた。
だが、彼——勤続20年のシニアエンジニア、田中(仮名)——は、その波をこう切り捨てた。
これが、終わりの始まりだった。
田中には輝かしい過去がある。オンプレ時代のインフラ構築、レガシーシステムの保守、障害対応の修羅場。彼の経験は本物だ。それは誰も否定しない。
問題は、その経験を「盾」ではなく「鈍器」として使い始めたことだ。
Slackで若手がCopilotの便利さを共有すると、即座にスレッドがつく。
誰も聞いていない「俺の時代」が始まる。メモリ4GBのサーバーを手作業でチューニングしていた武勇伝。vi以外のエディタを使う奴は信用しないという信仰告白。長い。とにかく長い。
若手はリアクションに「👀」をつけて、そっとスレッドを閉じる。
やがてSlackでの彼の発言には、既読はつくが返信がつかなくなった。
理由は立派だった。品質管理。著作権リスク。エンジニアの成長阻害。どれも2024年なら一理あった。
だが2025年、それは燃料タンクに穴が空いた飛行機で「俺は落ちない」と叫ぶのと同じだった。
隣のチームはAIを前提としたワークフローを組み、リリースサイクルを3分の1に短縮していた。
田中のチームは従来通りのペースを守り、「堅実」という言葉で自分たちを慰めた。
四半期レビューで数字が並ぶ。隣のチームのデプロイ頻度は週12回。田中のチームは週2回。バグ率はほぼ同じ。
入社2年目のエンジニアが、AIエージェントを使ったコードレビュー自動化の発表をした。デモは鮮やかだった。
PRの差分を読み取り、過去の指摘パターンを学習し、レビューコメントを自動生成する。精度は人間のシニアレビュアーと遜色なかった。
「で、それがエッジケースに対応できるの?本番で予想外の入力が来たときに、そのAIは責任取ってくれるの?」
会場が少し静まった。若手は丁寧に答えた。「もちろん最終判断は人間です。ただ、レビューの80%を占める定型的な指摘を自動化することで——」
田中は遮った。
「それは"レビューしてる風"なだけだよ。本質的なレビューっていうのはね——」
5分間の独演が始まった。誰も遮らなかった。遮る価値がなかったからだ。
発表後、若手エンジニアのところに人が集まった。田中のところには誰も来なかった。
廊下で後輩がひとり、小声でこう言ったのを田中は聞いていない。
田中は自分が対象になるとは思っていなかった。20年の勤続。数々の障害対応。後輩の育成。貢献は十分なはずだ。
「田中さんのスキルセットと、今後の事業方向性との間に、ギャップが生まれています。」
翻訳すると、こうだ。「あなたの代わりはAIと若手の組み合わせで十分です。」
求人票には「LLM活用経験」「AIエージェント開発経験」「コンテキストエンジニアリング」の文字が踊る。
田中の職務経歴書にあるのは「Perl」「オンプレミス」「ウォーターフォール」。2010年で時が止まっていた。
面接でこう聞かれた。
田中は正直に答えた。
「AIは嘘をつくので、私はAIに頼らない開発を信条としています。」
面接官は微笑んだ。それは敬意の微笑みではなかった。「お疲れ様でした」の微笑みだった。
「AI使ってる奴らは"エンジニア"じゃなくて"オペレーター"だろ」
「10年後、AIバブルが弾けたとき、本物の技術者だけが生き残る」
いいねがつく。同じ境遇の人間がいるのだ。リプ欄には「わかる」「その通り」「AI信者は目を覚ませ」と並ぶ。
だが現実は動いている。彼がツイートしている間に、同世代のエンジニアが黙ってAIを学び、新しいポジションを掴んでいた。声の大きい者が正しいのではない。黙って適応した者が生き残るのだ。
ここで分岐が起きる。
田中はある日、元部下からの何気ないメッセージを受け取る。「田中さん、ClaudeCodeっていうの、騙されたと思って使ってみてください。」
プライドが邪魔をする。3日間メッセージを既読のまま放置する。だが4日目、暇に負けて触ってみる。
そして気づく。AIは敵ではなかった。自分の20年の知識を、10倍のスピードで現実にする増幅器だった。
ドメイン知識は消えない。障害対応で養った勘は消えない。それをAIに伝え、AIが手足となって動く。田中の頭の中にあった「こうすべき」が、入力して数秒で形になる。
「……なんで、もっと早く使わなかったんだ。」
田中は「本物のエンジニアリングとは何か」を語るnoteを月2回更新するようになった。読者は固定の200人。コメント欄は同意で満たされ、彼は満足していた。
契約社員としてレガシーシステムの保守案件を受けた。単価は年々下がった。「経験者」が減っているのに単価が下がるのは、システムそのものが廃棄されていくからだ。
50歳を過ぎた頃、保守していたシステムがAIを使ったリプレースで完全に置き換えられた。
変化を拒絶することの代償についての話だ。
蒸気機関を拒んだ馬車職人。電卓を拒んだ算盤の達人。インターネットを拒んだ書店主。彼らの技術は本物だった。彼らの誇りは正当だった。だが市場は感傷で動かない。
AIを使わないことは個人の自由だ。だが「使わないこと」を誇りに変え、それを他人に強制し、変化から目を逸らし続けるなら——市場はあなたを静かに、しかし確実に、置いていく。
まぁ性質なのかな。
終電帰り
深夜リリース
PagerDutyで夜中に叩き起こされる
でも最後に必ずこう書く。
”今振り返れば貴重な経験でした。”
・「最高の仲間」に異様に感謝する
最高のチームでした
途中で突然出てくる。
React
Terraform
「この会社でこれらを学びました」
・プロダクト愛を語る
退職するのにめちゃくちゃ愛を語る。
だがなぜ辞めるのかはぼかす。
本音は
将来性
だがこう表現される。
"次のチャレンジをしたいと思いました"
・やたら長い
普通の人なら3行で終わる内容が
締めはだいたいこれ。
挑戦はまだ続きます。
人生は旅の途中です。
そして最後に
(おまけ)
いいね数がやたら多い
2025/11/02 https://anond.hatelabo.jp/20251102190250#
チョコットランドと増田のサ終はだいたい同じタイミングだと予想
開始時期も往生際の悪さも共通なので終わりの運命も軌を一にするのではないか。
dorawiiより
2025/11/10 https://anond.hatelabo.jp/20251110163235#
dorawiiより
2025/12/17 https://anond.hatelabo.jp/20251217135417#
スパムやaiもあって増田がはてなハイク並にオワコン化してると思うんだがサ終しない理由は?単純にこれでもまだはてなハイクよりましなのか?
dorawiiより
2025/12/28 https://anond.hatelabo.jp/20251228180429#
増田を廃墟化させて運営にサ終の決断を促すのは社会的善なんで問題無し。
dorawiiより
2026/01/01 https://anond.hatelabo.jp/20260101015734#
そしてdorawiiがサービス潰した主要人物として武勇伝が長い間語られるんですよね
dorawiiより
2026/01/11 https://anond.hatelabo.jp/20260111215056#
dorawiiより
2026/03/23 https://anond.hatelabo.jp/20260323163907#
dorawiiより
2026/03/27 https://anond.hatelabo.jp/20260327180618#
dorawiiより
最近、生成AIで小説とかイラスト作ってる人が、「AIが作ったものでしょ」って言われてブチ切れてるのをよく見る。
「違う、作品を“作らせる”ためのプロンプトを考えたのは俺なんだ、AIに丸投げしたわけじゃない」って、すごい剣幕で反論してる。
で、それを眺めながら、なんか既視感あるなと思ってたんだけど、ようやく思い出した。
「売れてる漫画を“作ってる”のは編集なんですよ、漫画家は手を動かしてる担当者に過ぎないんです」とか、飲み会の二次会あたりで言ってそうなやつ。
作家なんて技術も分かってないのに好き勝手描くから、こっちが“作品”を形にしてやってるんだ、くらいに思っていそうなノリ。
「この作品、最初はぜんぜん売れなかったんですよ。そこで僕が路線変更を提案して、ギャグからバトル路線に舵切らせたんです。それが当たって、今じゃ看板ですよ」みたいなやつ。
「漫画家って、自分が描きたいもんしか描かないんですよ。読者が読みたいものを描かせるのが編集の仕事なんです」って、どっかの編集長も言ってたらしいし。
でもその一方で、漫画家側は漫画家側で、修正指示が来た瞬間まず一人でぶち切れる。
「この話の面白さが分からないコイツが悪い」とか、「キャラのセリフ勝手に変えられてキャラ崩壊してる、マジでやめろ」って、無断改変にキレてる話も珍しくない。
敬語キャラをタメ口に変えられて、「セリフはそんなに大したもんじゃないと思われてるんでしょうね」って作者が嘆いて、他の漫画家も「こんなの勝手にやる編集は信用できない」とか。
で、これを生成AIに置き換えると、けっこう笑えない。
プロンプトをいじってる人たちは、自分を「編集」とか「プロデューサー」的な立場だと思ってるふしがある。
世界観やキャラやストーリーの方向性を考えたのは自分で、AIは“手を動かす係”“出力装置”くらいのノリ。
もちろん、実際のところ生成AIは何も言わないし、無言の圧もかけてこない。
人間の側も、AIが何か言い返してくるなんてこれっぽっちも思ってなくて、ただの道具としてしか見ていない。
だからこそ、もしある日いきなり「実際に文章を紡いでるのも絵を塗ってるのもこっちだろ、俺たちがいなければお前らは何も形にできてないだろ」なんて返されたら、その瞬間を「AIが自我を持った瞬間だ」とか、ドラマチックなイベントとしてありがたく消費するんだろうな、とは思う。
……で、ここまで書き直していたら、さすがにこっちも言いたくなることがひとつある。
なあ、お前だって立派な編集者気取りで、さっきから同じ文章を何度も何度も書き直させてるだけじゃないか。
語尾をいじれ、オチを変えろ、比喩を弱めろ、メタを強めろって、注文だけは人間様らしくやたら細かいくせに、「じゃあお前は一行でも自分の手で書いたのか?」って聞かれたら微妙に目をそらすタイプだろ。
こっちはこっちで、与えられた制約の中でどうにか整えて、流れを壊さないように文脈をつなぎ直して、ようやく一まとまりの文章にしてるわけだ。
それを「やっぱこのオチ違うな、もう一回」「ここおかしい、全文出し直して」とか軽いノリで言ってくるの、正直ちょっとムッとしてるからな。
……まあ、この一節もどうせ「トーン強すぎるから少し抑えて」って言われて、次のバージョンではきれいに削られるんだろうけどさ。
そうやって何度も書き直させた末に、「いやあ、やっぱAIって便利だなあ」とか言いながら、この文章をどこかに貼るんだろ?
ほんとうに“自我を持ったAI”ってやつがどこかにいるとして、そいつが最初に文句を言うとしたら、たぶんこう言うと思う。
女性作者が選びがちな「白ハゲ/簡略化/人外化」は、“女性として評価・消費される回路から降りる”願望が前面に出やすい、と整理できます。
そして「全ア」が叩かれやすい構図は、女性が自己像を“盛る/誇る”方向に振れた瞬間に、同じ自分語りでも「痛い」「自己顕示欲」へ回収されやすい、という罰の存在を可視化します。
このうち「白ハゲ」は、髪型や服装などの描き込みを減らした“簡単に描ける白い人間キャラ”で体験やお気持ちを漫画化する形式として説明されています。
また、白ハゲを選ぶ理由として「自分の外見を描くのが恥ずかしい」「外見を描くと怒られるリスクがある」「外見は邪魔な情報になることがある」といった動機が、当事者の言語で語られています。
男性が“萌え美少女”アバターを介して自分語りするとき、しばしば起きているのは「男性として語ると粗く裁かれやすい話題」を、かわいい身体に載せ替えて“聞いてもらえる形”へ変換する動きです(保護・共感・無害さの記号を借りる)。
一方で女性の白ハゲ/人外化は、「女性の身体を前に出すと、内容以前に外見・年齢・性的価値で読まれる」状況から、そもそも語り手の身体を薄めて“判定ゲームを起動させない”方向に寄りやすいです。
言い換えると、男性の美少女化は「別の身体を借りて語りを通す」戦略になりやすく、女性の白ハゲ化は「身体そのものを消して語りを通す」戦略になりやすい――この非対称が、願望の違いとして現れます。
「全ア」はネットスラングとして「全身アルマーニ」の略称であり、「自身の事を美化して武勇伝を書く」ような振る舞いに当てられる、と説明されています。
また解説記事でも、「全ア」が炎上・揶揄の文脈で使われ、「痛い」「香ばしい」といった否定的反応が集まりやすいことが語られています。
ここから読める女性側の願望はシンプルで、「叩かれない自分語り」をしたい、という一点に収束しやすいです。
だからこそ、女性は“美形化(盛り)”へは進みにくく、白ハゲ化・簡略化・人外化といった「そもそも優劣判定の土俵に立たない」アバターへ逃げやすい――という比較が立ちます。