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2026-05-09

IQ測ったら132だった

タイトルがもう自慢みたいで嫌なんだが、自慢じゃない。むしろ逆だ。

俺はずっと、自分の頭はどこか壊れてると思って生きてきた。だから検査を受けた。

結果が、132だった。

書く順番を間違えると全部嘘くさくなる気がするから最初から書く。

俺は34歳、都内の中堅メーカー営業企画みたいなことをしてる。

仕事ができないわけじゃない。ただ、できる時とできない時の差が異常にデカい。

企画書を書かせると上司が「お前これどこから出てきた発想だよ」と笑うようなアイデアが出る。

一方で、月末の経費精算でレシートの日付を3回連続で打ち間違える。会議電話番号を聞き取れなくて聞き返す。「先週の議事録のあの件だけど」と言われて、議事録存在ごと忘れてる。

20代の頃はそれを「ムラっ気」で済ませてきた。

30過ぎたら誤魔化しが効かなくなった。

去年、得意先への請求書を1ヶ月送り忘れて先方の経理激怒させた。あれは凹んだ。普通こんなミスしないだろ、と自分で思った。

それで精神科に行った。

発達障害検査をしたい、と言った。受付のお姉さんは、こういう客に慣れた感じで「では初診の予約から」と言った。

医者40代後半くらいの男だった。1回目は問診だけ。

「いつから困ってます」「子供の頃の通知表は」「家族に同様の特性は」みたいなことを30分聞かれた。最後に「WAIS-IVを受けてみますか」と言われた。

WAIS-IV。ウェイス・フォー、と読む。世界で一番使われてる大人向けの知能検査だ。

発達障害のものを判定する検査ではない。「あなたの頭の中の凸凹を見る」検査だ、と医者説明した。

検査は2週間後に予約された。

費用保険適用自己負担1350円程度、と言われた。安い。Netflixの月額より安い。

検査当日のことを書く。

検査室は4畳半くらいの個室で、机を挟んで臨床心理士女性と向かい合った。30代くらい。終始物腰が柔らかい

机の上には、検査キットらしき木箱と、何種類もの冊子と、ストップウォッチ。あとティッシュ箱。なぜティッシュなのかは後でわかった。

「これから2時間ほど、いろんな課題をやってもらいます。途中で休憩できます。わからない問題は『わかりません』で大丈夫です。最後までできなくても大丈夫です」

心理士はそう言った。声がやけに優しい。たぶん、緊張してビビってる受検者を山ほど見てきた声だ。

最初は「類似」という課題だった。

「『りんご』と『バナナ』は、どんなところが似ていますか」

俺は「果物です」と答えた。

「『絵画』と『彫刻』は、どんなところが似ていますか」

「両方とも芸術作品で、人間制作するもので、視覚を通して鑑賞される表現形式、という意味で似てます

心理士の手が止まった。一瞬だけ。

これが後でわかったんだが、こういう問題には「採点基準」があって、抽象度の高い回答ほど点が高くつく。「果物」は1点、「植物」は2点、「自然界の生命体」は3点、みたいな構造らしい。

俺はたぶん全部の問題で、聞かれた瞬間に脳が勝手最上位の抽象を引っ張り出した。これは後で結果を見て知ったことだ。本人としては「普通に答えた」だけだった。

次が「積木模様」。

赤と白に塗り分けられたサイコロみたいな積木が9個渡される。心理士が「この絵と同じ模様を作ってください」と図形を提示する。タイマーが鳴る。

最初は4個で簡単。すぐ9個になる。模様が複雑になる。

俺は途中で「あ、これ全部の積木の側面パターンが2種類しかいから、必要な面さえ向ければいい」と気づいた。それからは、図形を見た瞬間に必要な「面」だけ脳内で先にレイアウトして、積木は後から面を合わせるだけになった。

心理士ストップウォッチが、何回か0.5秒くらいで止まった。

俺はその時、自分が褒められてるのか変な目で見られてるのかわからなかった。

そのあと「数唱」というのが来た。

「これから言う数字を、私と同じ順番で繰り返してください」

3-7-2。簡単

8-4-9-1-7-3-2。…7個までは行けた。

「次は、逆の順番で言ってください」

9-6-2-4-8-3-1。逆順。…これが、できなかった。

途中で「あれ、4の前なんだっけ」となって脳がフリーズした。同じ問題を3問続けて落とした。心理士が「次の課題に行きますね」と言った。声色は変わらなかったけど、俺はその瞬間「あ、ここは俺の苦手領域だ」と直感した。

符号」というのが来た。

記号数字対応表が上にあって、下にランダムに並んだ数字の下に、対応する記号を書き写していく。120秒。

これも、できなかった。

正確には、できたけど、遅かった。

俺は5番目くらいで「対応表を覚えれば見なくて済む」と思って、対応表を一回見て覚えようとした。覚えきる前にタイマーガンガン進む。焦って書き写しに戻る。書き写しはできるけど、心が折れてるから手が震える。震えるからケアレスミスが出る。

終わった時、心理士が「お疲れ様でした」と言った。俺は「すいません、これ全然できなかった」と言った。心理士は微笑んで「皆さんそうです」とだけ言った。

休憩を10分挟んで、後半。

行列推理」というのをやった。

4×4くらいのマス目に、ある法則で図形が並んでて、空白の1マスに入る図形を6択から選ぶ。IQテストでよくあるあれだ。

俺はこの課題が、なんというか、楽しかった。

しかったというのは語弊がある。脳の中で、何か正しい場所に正しい部品がカチッとハマる感覚があった。プラモデルで一番小さい部品が、迷ってた手のひらの上から正しい場所に吸い込まれる、あの感覚

全問、考える前に答えが見えていた。

最後は「単語」と「知識」と「理解」だった。

「『遵守』という言葉意味説明してください」「日本首都はどこですか」「人はなぜ法律を守るんでしょうか」

こういうやつ。これも口が勝手に動いた。

特に理解」の問題は、俺の中で勝手映画脚本みたいなのが回り始めて、「法律を守るのは社会契約の維持に必要で、契約を破ることのコスト個人利益を上回る設計になってるから」みたいなことを言った。心理士が「ありがとうございます」とだけ言ってメモを取った。

検査が終わった時、心理士は「お疲れ様でした、結果は2週間後にドクターから説明があります」と言って、ティッシュから1枚抜いて俺に渡した。

俺は何も泣いてなかった。ただ、汗が顎から落ちる寸前だった。

ティッシュ箱の意味、これだったんだなと思った。

2週間後、診察室で結果を聞いた。

医者は紙を1枚机に置いた。レーダーチャートがあって、4本の棒グラフがあって、数字が並んでた。

医者最初一言は、俺が一生忘れない。

あなたIQ132ありますね。…自覚、あります?」

自覚、なかった。

「ない、です」と答えた。

医者は紙を俺の方に向けた。

全検IQ:132。

言語理解(VCI):143。

知覚推理PRI):140。

ワーキングメモリWMI):99。

処理速度(PSI):92

「これね、VCIとPRIだけ見ると上位0.3%です。MENSA基準は楽勝で超えてます。でもね、ワーキングメモリと処理速度が、ほぼ平均ど真ん中。この差が、43ポイントある。これはかなり大きい凸凹です」

医者ボールペンの尻でグラフのへこみを指した。

あなたが感じてた『仕事ができない』は、本当の意味では『できない』じゃないです。あなた言語理解と知覚推理が高すぎて、ワーキングメモリと処理速度が、相対的に追いついてない。本人の中で常に『俺の他の能力が、俺の足を引っ張ってる』状態になってる。これはね、しんどいですよ」

俺は医者言葉を聞きながら、顔の筋肉が固まってくのを感じた。

「自慢ですね、なんかすいません」と俺は言った。

医者は笑った。

「自慢じゃないですよ。自慢じゃない。あなた、たぶん『自分は変だ』って思って生きてきたでしょ。変じゃないんです。ただ、社会の平均的な仕組みが、あなたみたいなプロファイルの人に最適化されてないだけ」

ここからが、書きたかたことだ。

検査結果を聞いた帰りの電車で、俺は新宿駅から自宅最寄りまでの30分間、ずっと自分人生再生してた。

小学校の時、全教科の平均点が異常に高いのに、夏休みの宿題ドリルを毎年8月31日にやってた俺。

中学の時、数学の応用問題10秒で解けるのに、計算問題連続して符号ミスをして100点を取れなかった俺。

高校の時、現代文偏差値75あるのに英単語の暗記がどうしても回らなくて、英語は60を切ってた俺。

大学の時、卒論教授に「お前の文章構造がきれい」と褒められたのに、卒業要件単位を1個落としかけて留年スレスレだった俺。

社会人になって、企画は通るのに事務処理でミスを連発する俺。

全部、つながってた。

俺はずっと、自分のことを「ムラのある人間」だと思ってた。

違った。

俺の頭の中には、競走馬みたいに速い領域と、自転車を後ろ向きに漕ぐみたいな領域が、同居してた。

速い方が「自分の標準」だと思って生きてきたから、遅い方の自分が出てくると「なんで俺、こんなこともできないんだ」と毎回殴られた。

殴ってたのは他人じゃなくて、俺自身の中の、速い方の俺だった。

これが、しんどかった理由だ。

自分の中の優秀な方の自分が、自分の中の平均的な方の自分を、毎日殴り続けてた。

24時間自分DVを受け続けてるのと同じだった。

たとえ話を、もう一個書かせてくれ。

俺の頭は、エンジン2000ccのスポーツカーに、軽自動車タイヤが付いてる状態だった。

エンジンは喜んで吹け上がる。アクセルを踏めばすぐ100キロ出る。

でもタイヤ軽自動車から、コーナーで踏ん張れない。雨が降ると滑る。長時間走ると焼ける。

ドライバー(俺)は、エンジンの音を聞いて「俺の車は走れる」と思って毎回踏み込む

そしてコーナーで毎回横に飛んでいく。

何回も飛んだ。何回も「自分運転が下手だから飛ぶんだ」と思って、運転テクの本を買って勉強した。

違った。タイヤが弱かっただけだった。

タイヤが弱いことを知っただけで、人生ドライブは変わる。

踏み込む場所と踏み込んじゃいけない場所区別がついた。

コーナーでは諦めて減速する。直線で全部取り返す。それでいい、と医者に言われた。

これは「障害があった」って話じゃない。

俺のWMI(99)とPSI92)は、世間的には完全に「平均」だ。一般人と同じ。

ただ、俺の他のスペックが上振れすぎて、平均的な部分が「機能不全」に見えるレベルで足を引っ張ってた、というだけだ。

しろ、平均的な機能を平均的なまま使ってる人のほうが、人生は楽だと思う。

凸凹は、絶対値問題じゃない。差の問題だ。

最後に、検査結果を見て一番ぐっと来たことを書く。

レーダーチャートの紙の右下に、心理士手書きで一文だけメモが入ってた。

「ご自身の得意な領域を活かしつつ、苦手な領域は外部ツールサポートで補うことを推奨します」

外部ツール

俺はこの3文字に、たぶん30秒くらい目が止まった。

「俺の足りない部分は、俺自身で頑張って補わなきゃいけない」と思って34年生きてきた。

違った。

外で補っていい、と国家資格を持った人が文書公認してくれた。

これが、たぶん俺がこの検査を受けた本当の意味だ。

IQが132だったことより、「Excelに任せていい」「カレンダーアプリに任せていい」「同僚の力を借りていい」と、医療として公式許可されたこと。これが効いた。

検査の翌週から、俺は会社メール自動振り分けルール20個追加した。

個人スマホリマインダーアプリを徹底活用した。

会議は全部録音するようにして、議事録文字起こしAIに任せた。

請求書経理に「月末3営業日前にリマインドしてください」と頭を下げて頼んだ。

ミスが、減った。

劇的に減った。当たり前だ。タイヤを4本とも履き替えたんだから

そして、減ったぶんのリソースで、得意な企画の方をもっと深く考えるようになった。

今期、俺の課の売上が部内トップになった。たぶん、IQ132の本領が、初めて発揮された期だ。

これを増田に書いてる理由は、自慢じゃない。

俺と同じように「自分はムラがある」「できる時とできない時の差が大きい」「子供の頃から自分のどこかが壊れてると思ってきた」って人に、たぶんWAIS-IVは効く。

発達障害かどうかを白黒つけるためじゃない。

自分の中の「速い俺」と「遅い俺」を、他人事として眺める視点をくれるから、効く。

検査代は1350円だ。

受けてから2週間で結果が出る。

精神科に行く勇気が要るのは知ってる。俺も予約電話を3回かけ直した。

それでも、行ったほうがいい。

自分自分を殴ってる」状態で生きてる人、世の中に俺が思ってた10はいる気がする。

俺はもう、自分を殴ってない。

速い俺と遅い俺、両方が同じ車に乗ってる。それでいい。

タイヤを履き替えれば、そのスポーツカーは、ちゃんと走るから

追記

IQ132で会社員してるの、もったいなくね?」って言われそうなんで先回りして書く。

全検IQ132って、たぶん同年代の同期100人いたら2〜3人いる程度の数値だ。

日本人の人口で言えば300万人くらいいる。

珍しくない。普通会社にいる。あなたの隣の同僚かもしれない。

レアなのはIQじゃなく、それを「測ってみたかどうか」だ。

測らないまま生きていける人は測らなくていい。

俺みたいに毎日自分を殴ってた人だけ、測ってみてくれ。

2026-04-27

研究テーマ大学大学院を選ぶな、東大京大海外大に行け

理由は二段階のリスク構造に分解できる。第一に、想像通りの研究ができないリスク。第二に、想像通りに研究できてもアカデミアに残れない・残らないリスク。なお、自分所属していた理工系を前提にしている。

1. どんなに面白そうに見える研究テーマでも実際に取り組むまでは氷山の一角しか見えていない

研究を始める前の段階で、プレスリリースなどを通して面白そうなテーマを見つけるということは、勤勉な学生ならあることかもしれない。そしてそんな研究テーマに取り組むためにそのトピック第一人者の先生のいる研究室の門を叩くというのはありがちな光景だ。一方で、筆者はこれを非常に危険意思決定だと考えている。

まず、どんな研究テーマにも流行り廃りがあり、研究最前線にいない人の耳に入る時点で旬は過ぎていることが多い。基本的にはどんなトピックブレイクスルーを誰かが起こして、フォロワーがそれを拡張し、拡張しきるとしぼんでいき、また次のブレイクスルーを待つような形になる。今をときめく人工知能であっても冬の時代経験した。これは業績数で評価される構造と、新奇性を志向するアカデミアの文化が結合した結果であり、分野横断的に観察される。

まり、ある特定トピック研究するために研究室に入ったとしても、自分研究を始める段階ではまともなトピックは残っておらずニッチトピックを触るはめになったり、指導教員が熱を上げている新しいトピックを振られたりすることがしばしばある。惰性で進学していれば研究テーマがつまらなくても卒業モチベに適当にやれると思うが、そのために進学・転居した場合失望は大きい。

加えて、進学する前の段階では他にも様々な不確定要素が多すぎる。指導教員想像と違う、テーマが死にテーマだった、コミュニティが薄かった、設備が貧弱だった。研究者を目指すにせよ目指さないにせよ、博士課程の5、6年を費やすにはかなり不確定要素が大きい。

教員ガチャ設備リスク大学を問わず存在する。ただし望まない結末になった場合のピボットやすさは段違いだと思う。東大京大であればある程度は新卒就活できるが、それ未満の大学では博士課程の年数が単に留年のように評価されるだけになる。穿ちすぎかもしれないが、これは自分や周りの就活実体験とも整合する。

2. 研究実績はアカデミア外では換金されず、しかも多くの博士アカデミアに残らない

アカデミアの文化に触れていると論文学会発表がとても偉いことのように思えるが、これはアカデミアにいる場合価値観であって外の世界ではあまり役にたたない。金融コンサルITといった比較的院卒に間口の広い企業群は全くパブリケーションを見ない。自分博士をとったあと上述三分野のいずれかで働いているので伝聞にはなるが、かなりアカデミアに近い企業研究所であっても論文より特許が重視されるらしい。

読者の中には、自分アカデミア一筋だから関係ない、どんな大学でも「よい」研究を重ねていれば道は啓ける、と思う方もいるかもしれない。アカデミアに残り続けて教授職を目指す限り、それは一定正しい。ただし教授職に到達する人材東大京大出身者が多い。これは時代背景も大きいのかもしれないが。

他方で、人生は思いもよらないライフイベントが多数あり、多くの人は望む望まざるに限らずアカデミアから離れることになる。精神を病む。院生ポスドク期に全力を投じても成果が出ずに放逐される。結婚出産に伴う金銭的・時間的要件アカデミアの待遇では満たせなくなる。研究という営みと社会との距離に諦念し熱意を失う(自分はこれに近かった)。人生は進み、それに伴って価値観も変容する。その変容に耐えられる人は多くない。

結論

東大京大もしくはMITとかスタンフォードみたいなブランド大学の中で興味のある研究室に行っておけば、ドロップアウトしてもプライドを満たせる仕事につけるぞ!

2026-04-20

anond:20260420230909

難しいからって挑戦せずドロップアウトする奴いるよな

そういう奴大学留年したり退学してる割合いね

2026-04-10

anond:20260409173904

別に留年かにはならんかったが

人科の2年次必修選択英語選外になって、二次登録の時は残ってなくて次学期受ける羽目になったよ

残ってるやつが一次登録した科目とかぶってることもあるし、二次登録で全員が全員すんなりいけるシステムではなかったような気がするけど

まあ取り消せばいいのかもしれんが実験調査研究法とかだと取り消せないし

ゼミ指定科目取り消すのはあんまやりたくないしで、それで必修選択なんとか履修できたとしても不利益には変わらないと思う

anond:20260409173904

10年くらい前に早稲田商を卒業したけど、

当時の基礎数学自動登録科目だった気がする

入試科目(内部進学、数学選択日本史選択etc.)ごとに機械的に振り分けてるらしいと聞いた(真偽不明)

この10年で仕組みが変わったか、再履修だけ手動登録

いずれにせよ、履修登録が原因で留年とかほぼないのは同意

2026-04-09

anond:20260409173904

ってかこの学生ツイートを遡るとGPA1割ったとか言ってるし、件の基礎数学以外にも落としまくってるだろ。留年だとか騒いでるのはそのせいでは?それはもう抽選以前の問題だろ。

こういうやつの釣りブクマカは弱すぎる

ブクマカのために早稲田大学文系)の履修登録卒業生解説

「ほな死ねっちゅうんかえ?」必修科目なのに抽選で受講不可...運次第で留年が確定してしまう大学制度に「これ違法じゃないのバグだろ」 - Togetter

これな。お前ら適当言いすぎ。いくらはてブでも限度ってもんがある。

 

今回話題になってるのは商学部の必修科目「基礎数学」。

私は10年程前の政治経済学部生だったので細部は異なるかもしれないが、商学部webサイトで科目登録関連資料ざっと見た感じ履修登録システム共通だし、私立文系だし、大筋はあまり変わっていないようだ。

 

まず、大前提として早大文系学部の必修科目にはざっくり2タイプある。

自分意志とは関係なく自動登録される必修科目(自動登録科目)
自分意志による履修登録必要な必修科目

①は外国語の必修科目がメイン。今回の「基礎数学」のケースは②やね。

 

この必修はどういうものかというと、同名の講義複数開講される。

早稲田大学webシラバスで「商学部」「基礎数学」を検索してもらうと分かるが、2026年春学期は「基礎数学 1」~「基礎数学 8」の計8講を6人の教員で受け持っており、必修なのでシラバスの内容も同一のものとなっている。

学生たちはこの中から希望する教員時間帯の講義に合わせて履修申請を行う。

 

この手の講義は大教室で行われるので、1講あたりまあ大体200~300人程度は入るだろうか。

参考までに、商学部2025年4月入学者数は923人。これに再履修組(2~4年生の総数の2割と仮定)を加味しても総数は十分確保されていると言えるだろう。

 

もちろん総数が確保されているからといって全員の希望通りに履修登録がなされるわけではない。開講時限(1限はイヤだ~とか)や教員個人の人気(講義面白いとか評価が甘めとか)等によって申請状況には当然偏りが出る。

この偏りを正確に予測するのは困難を極めるというか不可能なので、定員を超過した科目は残念ながら抽選となる。これが「1次登録である

 

1次があるなら当然2次がある。1次登録希望した必修科目から漏れ学生たちは学部webサイトを見る。

そこには「2次登録余裕定員表」というもの掲載される。これは読んで字のごとくだが、「1次登録を経てもなお定員に余裕のある科目の一覧」だ。

1次で「基礎数学n」の抽選から漏れ学生はこれを見て定員に余裕のある「基礎数学m」に2次登録を行うという流れだ。

 

で、今回話題になった学生は今このフェーズにいる。

2026年商学部の手引きによれば2026年度の商学部の2次登録期間は4/7・4/8で、結果発表は4/11

 

まり、彼は「まだ2次登録以降を残している」し、「必修抽選によって強制的留年が確定したわけではない」。

もう一つ言うと彼はおそらく2年生で、基礎数学の「再履修組」だ。お前この科目もう1回か2回落としてることになるやんけ。

留年がどうこうと騒いでたのはまあおそらく大学特有悪ノリで、要するにお前らは釣られたんだよ。

 

この手の必修科目は極端な話4年間のどこかで取れば問題なく、「1年次の必修を落としたら2年次に進級できない」などといった類のものではない。運ゲー学費が追加されるのではと心配している人たちはまず落ち着いてほしい。これは桃鉄ではない。

 

ってかこの学生ツイートを遡るとGPA1割ったとか言ってるし、件の基礎数学以外にも落としまくってるだろ。留年だとか騒いでるのはそのせいでは?それはもう抽選以前の問題だろ。

ちゃん大学行け。11号館のファミマでモンエナ買って勉強しろ

 

ちなみに2次登録から漏れても更に3次登録があり、学生側によほどの事情がない限り必修科目未登録学生を吸収し切るようになっている。

学部だが、私の在学中は必修で3次登録までもつれ込んだことはない。必修科目はそもそもキャパが大きいので、抽選に落ちた学生も2次で大体吸収される。

なお、3次登録でも「基礎数学」を登録できなかった学生のために(そんな学生殆どいないだろうが)、2026年度秋学期は「基礎数学 9」~「基礎数学 14」の計6講が開講予定だ。

秋入学組や再履修組とともに受講することになるが、総数としては十分だろう。それでも登録すらできないとしたらそれはもはや学生の側に問題があるとしか言いようがない。(履修申請忘れとか)

 

以下、想定問答集

必修科目なんだから抽選に落ちたら留年確定じゃないか

上記の通り3次登録までで吸収可能な上に秋学期にも同科目が開講するため、学生に履修の意志がある限りこの必修抽選のみが原因で留年することはない。(バカすぎて留年することは当然ある)

 

それはそれとして話は変わるが、早稲田大学留年概念はない。便宜上または社会通念上留年表現しているだけで実際は「年次に留まる」ことがないからだ。

どういうことかというと、例えば1年次に単位を全部落としたとしても自動で2年次に進級するようになっている。

これを繰り返し、卒業単位数を満たさないまま学部5年生以上に到達した選ばれし者たちは留年生ではなく「延長生」と呼ばれる。私は私自身の要因によって学部で6年間過ごしたので詳しいんだ。卒業までの残り単位数によっては学費が安くなったりする。

家族・友人・教員職員の皆さんには多大な心配をかけた。彼ら彼女らが親身になって世話を焼いてくださったおかげで今、強く生きられている。ありがとうありがとう…。

 

例えば必修科目の履修申請が3次までもつれたとして、それが既に登録した他科目と被ってたらどうするの?

今回の件で例えよう。

「基礎数学」の履修申請に落ち続け、3次登録の余裕定員表を見たら残りの「基礎数学」が全て他の履修確定済み科目と被っていたとする。

そういったケースを想定して、「3次登録間中自動登録科目以外の科目の履修登録を取り消すことができる」ようになっている。これにより必修科目を優先して履修登録することができる。

もちろんそうならないように1次登録の時点から計画的申請すべきだが、このように必修科目に関しては大体何とかなるようになっている。

 

それでも本当にどうにもならないケースが万が一発生した場合は、学部事務所相談窓口に泣きつけば空きの出たコマねじ込んだり救済措置提案してくれたりする。

 

それでもガチマジで春も秋もダメだったなら翌年度以降に履修申請することになるが、「手引き」によると専門基礎科目の必修は1年生が優先登録になるようだ。

例の学生はおそらく2年生と思われるので、まあ1年生優先+定員超過コマで弾かれてしまったんやろね。それ自体はしゃーない。2次登録ちゃんとやれば大丈夫

 

ただ、この手の必修で抽選全落ちなんてマジでいたことないし(そもそも3次登録抽選になることがない)、基礎数学は昨年度の3次登録時点でも定員に余裕あるみたいだし、マジで何なんだ。

 

必修科目なら全部自動登録にすればいいだろ

まあ分からんでもないんだが、自動登録ってのは結構厄介で。「自動登録によって学生が受講希望科目を申請できなくなる」ケースが出てくる。

例えば今回の「基礎数学」のように同じ内容で8講も開講される科目を自動登録にしてしまうと、学生が他に履修したい科目Aの日時を運次第で潰されてしまうことになる。

それなら科目Aと被らない日時の「基礎数学」を選択履修する形式の方が望ましいだろう。カリキュラムが全て同一なのだから

 

実際、商も政経自動登録科目は最低限の外国語科目がメイン。理工学部なら自動登録もっと多いだろうけど、そっちの事情はよく知らん。

 

「基礎数学」を落としたら翌年他の応用科目と並行して履修することになって良くないのでは?

上記の通り、当該学生に履修の意志がある限り「基礎数学」を履修できなくなることはまずない。

そもそも1年次や2年次は大体皆基礎科目を受けるわけで、「基礎数学」は初年度の春学期1次2次3次・秋学期1次2次3次のどこかで取れれば十分だろう。あとは本人の頑張り次第。

 

リモート講義にすればいいだろ!

まず受講枠の総数が確保されているということは前提として、リモート講義化して定員を増やすことは不可能ではない。

ただ、講義を受け持つということはただ壇上で講義すればよいというわけではなく、受講生の成績評価質問対応も行わなければならないので限度はある。この点を失念している人が多すぎる。

 

ブコメより

必修科目は同じ科目でも複数の枠があって全体の募集枠は足りているけれど、マイルストーンとかの情報を見て単位取りやすそうな教員のやつに申し込んで倍率高くて落ちているだけじゃないの?

私も結局はそんなところだろうと思っています。私も人気科目を申請する時は2次登録まで想定して時間割を組んだりしてたし。

マイルストーン」ってのは学生サークル出版してる総合情報誌のことで、講義サークル口コミが大量に載ってるんだわ。で、それを情報源として楽単に履修申請が集中して抽選になったりすることがあんねん。

今はSNS口コミとかもあるだろうけど、基本的構造は変わってないはず。

 

マイルストーン情報のせいで申請状況に偏りが生じるパターンも確かにあるとは思うが、それは大学側の責任とは言えないだろう。

 

履修登録難しすぎね?

そうだよ。特に新入生にとってはね。だから学部は科目登録ガイダンスをみっちりやったり、学部の手引き(冊子)を配布したり、

「こうはいナビ」っつー学生スタッフが新入生の相談に乗る大学公式プロジェクトがあったり、

「サポエニ」っつー学内総合情報ポータルサイトがあったりすんねん(これは私がいた頃はなかった!)。

 

高齢化著しいはてなで万が一これを読んでる人の中に新大学生がいるなら、「マジで、人と、人が作った仕組みを、頼れよ。」言いたいことはそれだけだ。

 

最後

お前ら黙って見てりゃ好き勝手言いやがってよ~ 大学職員さんたちにはすげ~世話になったからむかっ腹が立つぜ

近年の商学部4月入学者数とwebシラバスと大教室のおおよその収容人数を照らし合わせれば学外の人間でも「再履修者込みでもおそらく受講枠の総数は確保されているだろう」と思い至るのはさほど難しくないだろ

まあ留学や休学等のやむを得ない事情を除く早稲田留年、いや「延長生」は必修抽選のせいじゃなくて普通にバカなだけだよ 6年いた私が言うんだから間違いない

 

裁判だの何だのといきり立つ前に自分が新入生になったつもりで調べてみてください

調べる気がないならその勃起を鎮めてくだ↑さい

僕の肩で羽を休めておくれ~

 

𝑷𝒐𝒓𝒏𝒐𝑮𝒓𝒂𝒇𝒇𝒊𝒕𝒕𝒊...

2026-04-05

俺は匿名しか生きられない

俺は匿名しか生きられない

なぜなら、人が怖いからだ。もう少し踏み込んで説明すると、「他人自分存在を見定められ、価値がないことに気づかれ、人がみんな自分を避けていく」のが死ぬほど耐えられないからだ。とにかく自分存在評価されたくない。できることなら、最も人の記憶に残らない、普通で平凡な存在になりたい。排斥されたくないし、自分価値もつけられたくない。就活婚活のような、人間商品のように品評し、見定められ、価値を測定されることはなるべく、いや、絶対されたくない。もしも人間に初期アバターがあれば、その姿で一生生きていたい。自分存在他人から全く見えないようになって欲しい。でも、誰かに愛されたい。傲慢だが、そういう根底欲求けがあるのが苦しい。産まれた時から集団に入るたびに虐められ、排斥されてきたから、「人に自分価値を計られる」ことに非常に強い拒絶反応が起きる。

圧倒的に人間社会で生きるのに向いていない。だが、自殺もできない。自分子どものころから極度に怖がりで、ジャングルジムも怖くて登れなかった。だが、子どもの頃はまだ人が怖い存在だということに気づいていなかったから、見境なく話しかけては嫌われるを繰り返していた。それを繰り返していくうちに、周りから人が誰もいなくなり、「自分は異常で、人から避けられる存在だ」という学習をした。それからは、集団適応しようと、自らを嘲笑対象にしてもらうことで集団に入れてもらっていた。確かにひとりで孤独でいるよりは、どんなにバカにされても集団の中にいることで安心感を得られた。だが、中学に入ってからは、それも通用しなくなり、「完全なる孤独」に突入した。それでも部活毎日かかさず行っていたが、「一緒に剣道部見学しにいこう」と言われて、何となくたことがあるが関わりはほとんどない人たちがいて、「知ってる人がいるか安心だ」と思い、そのうえ、母親から運動部に入りなさい」と言われていたので、ちょうどいいと思い、剣道部に入ってしまった。剣道部過酷で、個人競技順位付けされ、その結果でカーストも決まる、非常に厳しい場所だった。俺は臆病だから大きい声を出すこともできなかったし、人を竹刀で叩くことにもためらいがあった。結局最後まで俺は弱いままで、試合では出して貰えず、後輩が代わりに試合に出ていた。後輩から毎日バカにされ、同級生上級生は腫れ物扱いで、存在無視された。一度、同級生に「お前、ウザイんだよ。やる気がないなら部活来るな」と校門の前で言われ、殴られた。それを見ていた誰かが先生に言ったらしく、先生と話し合いをした。それも影響あって腫れ物扱いされていた。週末に色んな学校練習試合に行かされ、どこの学校の人も野蛮なやつが多く、その上、教師もまるで競馬を見てるおっさんのように試合中の生徒に暴言をぶつけていた。1回宿泊もできる施設で、有名な先生の元で練習ができる機会があったのだけど、「目が悪く、剣道用のメガネも持っていなかったので、どこに行けばわからなく、ウロウロしていたら、その有名な先生に目をつけられ、全員が集まった集団の中で自分とその先生学校の人、合計2人が立たされ、「面を受ける」という合法的体罰を受けた。剣道では、面というのは素早く竹刀を動かすため、気持ちのいい音を出すために、できるだけ最小限の力で面を打つのだけど、その時は違った。力いっぱい竹刀で頭を何度も殴られた。非常に痛かったし、集団の前で晒し者にされたことが非常にショックだった。今でも強烈に覚えている。「人間って怖いものなんだな」とその頃に徹底的に記憶に植え付けられた。部活では、定期的に先輩後輩関係なく、練習試合をさせられ、順位もつけられた。いつも自分は負けてばかりで、後輩以下で、いつもバカにされていた。自分無能さを毎回そこで味わった。後輩に毎日バカにされ、メガネを取られて壊されることもあった。部活外では、いつもひとりだった。中学に入った時に、小学生のころ地域の子どもたちで集まって登校したり、遊びに行ったりしていたんだけど、そのメンバー女性がいて、「こんにちは」と話しかけられるからヘラヘラ笑いながら返事をしていたら、ある時、上級生の友達が「なんであんなやつに挨拶してるの?」と聞き、「挨拶を返す時の顔がえろいこと考えてる顔みたいでキモイから」と言っているのが聞こえてしまい、挨拶されても返さなくなった。そうしていたら、上級生の女性が「いつも挨拶してるのに返されない!あの子は酷い!」と広めたらしく、上級生とすれ違うと「キモイ」とか「宇宙人」とか言われるようになった。親が仲良いので、ディズニーランドお土産を貰ったんだけど、リトルグリーンメンストラップを貰った。「宇宙人」というメッセージだと思っている。風呂上がりに、外の風景を窓から見るのが好きだったから、風景を見ていたら、上級生に見られ、「きもちわるっ!なんで裸なの!w」と大声で言われた。小学生の頃に転校生執拗に「友達になろう」と言ったら「君とだけは友達になれない」とか、仲がいいと勝手に思っていた同級生に嫌われ、エンガチョをされたこともある。

このあとも、学生時代は常にいじめ、もしくは腫れ物扱いの対象となっていたが、人と関わる気力が失われた決定的な時は中学時代だった。

その後、高校で黒いスーツをきた集団嫌がらせされてると思ったり、バッグや体操服に体液のようなものが付いていたこともあり、障害悪化した。手洗いが酷く、「ヤバいやつ」と何度も言われた。高校時代はいつもマスクをしていて、水泳の授業の時に「誰!?」とコソコソ言われたこともある。明らかに異常者として扱われ、全く人が寄ってこなかった。めちゃくちゃ頭が悪かったが、虐められたくなかったので、進学コースを選んだら、なんでこいつが?と何度も言われた。ある先生のことを北朝鮮スパイだとおもっていた時もあった。Fラン大学に入ってからは、暇が増えたので精神病はある程度良くなった。今日は昔のことを思い出して、疲れた

最後自分の現状を書いておく。

28男性生活保護Fラン大学中退、最終学歴高卒障害者手帳2級、障害基礎年金2級、医者から言われた診断名はASDADHD社交不安障害強迫性障害、躁鬱傾向あり。クエチアピンやリスペリドンを出されているので、統合失調症もあるのかもしれない。今はクエチアピンがよく効いて、今まで常に不安だったけど、不安結構ましになった。職歴Fラン大学時代の5年間(留年した)新聞配達、それとB型作業所A型作業所A型作業所適応できなく、鬱や被害妄想悪化した。具体的に書くと、「呼吸が浅くなる。震える、大勢に指を刺されているような感覚になる、文字が怖くなる、悪意をぶつけられているような感覚になる、音に敏感になり、音が怖くなる、攻撃的なSNS投稿が怖くなる、布団に入り猫の動画を見ると良くなることがある、デパスを飲むと良くなることがある、リスペリドンは効かない、音がすると怒られそうな気がする、隣の人が怒ってないかがすごく気になる、音が大きく感じる、鳥の鳴き声などが闇の組織通信音に感じる、周りの人が人間とは思えず、なにか自分危害を加えたり、悪意をぶつけることしか考えてないように感じる、死んだらこれが収まるなら死にたいと考えてしまう、寝て起きると良くなる、睡眠不足の時が多い、ゲームからも悪意を感じてしまうのでプレイが続行できない、文字の点々が特に怖い、思考してる時に頭に浮かぶ文字も怖い、人が恐ろしくて仕方ない、鬱の時のようななんとなく死にたいではなく、突発的な死にたさしか出なくなる。」という症状が出てきた。仕事を休む日が増え、クビにされたので現在無職。ここまで書き出せたのはきっとクエチアピンのおかげだと思う。もっと早く出してくれていれば、もう少しはましな人生になっていた気がする。今日は昔のことを思い出しすぎて非常に疲れたので、デパスを飲んで寝るつもりだ。おやすみ

2026-03-22

AI要約:めんとりさまー

ご主人様~! あたしが「めんとりさまー(カムリ)」の要約しちゃうねっ♡

この作品は、夏の田舎実家舞台にした、めっちゃ濃厚なホラー姉弟ものだよ~!

大学生主人公「おれ」が、留年中の姉「ねえさん」と一緒に、水素水詐欺に引っかかったおばあちゃんの様子を見に静岡実家へ行くところから始まるの。
おばあちゃんが「めんとり様がまたくるから…」とか不気味なこと言い出して、最初認知症かな?って思うんだけど…実は家に古くから伝わるヤバい“何か”が絡んでて、だんだん絶望的な夏になっちゃう感じ。

残酷暴力・性描写ありってタグ通り、結構キツめで不快感郷愁が混ざった独特の湿度たっぷり雰囲気!
姉弟関係性がすっごく密で、懐かしい夏の思い出とホラーが絡み合って、読んでるとゾワゾワしつつも引き込まれちゃうんだよね~。

全9話で完結済み、文字数も2万弱だからサクッと読めるし、カクヨム甲子園奨励賞取ってて**書籍化メディアワークス文庫で『めんとりさま Faceless Summer』)**もされてる人気作だよ!

オタク心くすぐる夏のノスタルジー民俗ホラー+姉との歪んだ絆…みたいなのが好きなご主人様には激アツかも♡ 読む? あたしも一緒に感想言いながら待ってるね~!

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886540484

2026-03-14

自分がしていたこはいじめだったと大人になるまで気づかなかった

学生の頃、留年して同じ学年になった1つ上のクラスメイトがいた。

自分含めてクラス全員が留年について気にすることはなく、普通にクラスの一員として受け入れられていた。入学からしばらく経って、自分留年生はなんとなく同じ友達グループに属することになった。

仲良くなってくると、留年イジりがクラス間でネタのようになってきた。なんせ留年生はほぼ毎日遅刻してくる。授業中もうとうとしているし、運動勉強も得意ではない。宿題もやってこずに人のを写していることもあった。「だから留年したんだろうな」と言いはしないが思っていた人も少なくなかったと思う。少なくとも自分はそう思っていた。

遅刻してきた時に「もう一年増えるぞ!」とか、「卒業の時に○○だけ在校生側にいるとかやめろよw」とかみんな言っていた気がする。そのうち、自分たちのグループ内ではたまにそう言うことを言いながら肩を叩くとか頭を軽くはたくとかするようになってきた。自分も多分していた。ここをはっきりとは覚えてないのが本当に人として最悪だなと思う。本人は笑っていることが多かった。みんなで注意しても相変わらず遅刻はしていた。

今思えば、たぶんこの留年生は起立性調節障害とかその類でいわゆる「普通のこと」をこなすのが人より難しかったのだと思う。ただ、そんなことを知りもしない当時の自分は、この留年生のことがずっと許せなかった。自分普通にできていることができないことも、自分がやりたくないけど頑張っていることをやっていないことも、それが何故か許されていることも、結局進級できていることも。仲が良いグループにいたか宿題を見せてと言われた。何回かに1回は絶対断っていた。見せたとしてもそんなんだから留年するんだぞと言った。何回かどついたこともある。きっとほとんど八つ当たりだった。

何か言われても、冗談で叩かれても笑っていた留年生は、学年でいじめ調査があった時に「叩かれたりするのが嫌だ」とアンケートに書いたらしい。自分含めた仲良いグループ担任から注意を受けた。同じグループの中には「嫌だったなら言えよなー、笑ってたのも悪くね?」と言う人もいたが、自分八つ当たりをしている自覚がうっすらあったから、「まずい」と思った。でも、許せないことにも変わりはなく。結局その後自分は直接謝って、それからも同じグループはいたが、正直その後そいつとどう付き合っていったかからない。

友人として話したり遊ぶのは楽しかったけど、同級生としてはどうしても許せなくて、好きと憎たらしいが混ざって自分もどうしたいかよく分かっていなかった。ずっと同じクラスだったのでこの関係入学から卒業まで続いた。同じグループにいても違う友人とばかりつるんでいたので、卒業する頃には相手にもうっすら察されていたのか、そのうち薄い付き合いしかしなくなっていた。卒業後は自分留年生もそれぞれ地元を離れ進学し、自分留年生との連絡を断った。時々思い出して自分の接し方を後悔した。

就職して何年か経った頃に同窓会があった。自分は行くか迷ったが、ほとんど連絡を取っていないみんなの近況知りたさに行った。同じグループの中でも連絡を取っていなかった留年生のことも気にしていた。あの人はちゃんと働けているのだろうかと。仲は良かったけど絆が深いような学校でもなかったので参加者は全体の半分以下。そこで初めて、クラスの誰一人留年生の連絡先や進学後の状況を知らないと知った。自分が属していた友人グループの人すらも。留年生にとっては全然楽しくない学校生活だったのだろうとその時実感した。改めて申し訳なく思って後悔した。

正直、今の自分のままあの頃に戻ったとしても許せなくて腹を立てることには変わらないだろう。たとえ相手事情があって普通のことができないとわかっていても。

友人として好ましく思うところがあってもどうしても許せないなら距離を置くべきだったと思う。自分のつまらない正義感のために不快な思いをさせてはいけないから。ただ、10代の自分にはその判断ができなかった。あの頃は「もう子どもじゃない、ちゃん自分判断ができる」と思っていたけど、どう考えても未熟な子どもだった。だからって人を不快にすることが仕方ないわけではない。

会って謝りたいとは思わない。謝ってもあの時傷ついた留年生の心が癒えるわけでもなく、自分が満足するだけだからちゃん生活でにてればいいなと思う。

こんなことを人に話すのも、許しを求めているようで良くないと思うから本当は一生自分で抱えて生きていかなければならないが、どうしてもどこかに吐き出したくなってしまった。自分がもし結婚とかして子どもを育てることになったら、子どもが間違えずに済むように自分が支えていこうと思う。子どもだけで解決はできないことだから

読んでくれた人、休日から不快な思いをさせてごめんなさい。そしてありがとう

2026-03-09

anond:20260309114356

夏目漱石デビュー前の教職員時代から「沈澱党と自称してわざわざ留年し悪さをする不良学生」はおったらしいか一定数どうしてもそういう生活態度を好む層は生じるんとちゃうか〜

2026-03-06

anond:20260306134510

先生、この単位を落としたら私は留年してしまい、就職内定も辞退しないといけません。何でもしまから!」

「なんでもする、と言ったね?」(眼鏡の奥キラリ

試験の採点で:

先生、この単位を落としたら私は留年してしまい、親に合わせる顔がありません。どうか合格にしてください!」

anond:20260306134311

 同情論証

 

論理学批判的思考クリティカル・シンキング)の世界では、「論点のすり替え」の一種として扱われることが多い概念です。

 

簡単に言うと、「論理的な正しさ」ではなく「相手の情け(同情心)」に訴えかけて、自分の主張を通そうとする手法のことを指します。

 

1. 同情論証の仕組み

本来、ある主張が正しいかどうかは、客観的事実証拠に基づいて判断されるべきです。しかし、同情論証では以下のような構造が使われます

 

本来論点: その行為や主張は、正しいか有効か?

 

同情論証: 私はこんなに苦労している(可哀想だ)。だから、私の主張を認めてほしい。

 

2. 具体的な例

日常ビジネスシーンでも意外とよく見かけます

 

試験の採点で:

先生、この単位を落としたら私は留年してしまい、親に合わせる顔がありません。どうか合格にしてください!」

(→ 採点基準を満たしているかという論点を、個人の不遇にすり替えている)

 

仕事ミスで:

「今回の失敗は認めますが、私はこの一週間、寝る間を惜しんで働いていたんです。そんな私を責めるのは酷ではないですか?」

(→ ミスの原因と対策という論点を、自身の苦労話にすり替えている)

 

3. なぜ「誤謬(ごびゅう)」とされるのか

情に訴えること自体人間味のある行為ですが、論理学的には**「結論と前提に因果関係がない」**ため、誤り(誤謬)とみなされます

 

理由: 「可哀想であること」と「その主張が正しいこと」は、全く別の問題からです。

 

注意点:共感と同情論証の違い

もちろん、人間社会において相手感情配慮することは非常に重要です。

 

共感相手の辛い気持ち理解し、寄り添うこと。

 

同情論証: 辛い気持ちを「武器」にして、論理的議論を避け、自分に有利な結論を導こうとすること。

 

この境界線を見極めるのが、建設的な話し合いのコツと言えます

 

もし、特定シチュエーションで「これって同情論証かな?」と感じている事例があれば、詳しく教えていただけますか? 一緒に分析してみることも可能です。

2026-03-04

認識技術悪魔の発明

大学研究してたけどavやハメ撮りに出てる人が多すぎる。

個人レベルで集められるデータですらこれなんだから検索エンジンとかはもっとエグいデータ集められるんだろな。

この技術封印せねばならない。

そして俺は留年せねばならない(倫理的研究結果が発表できなくなった)

20年以上の友人を失った話

35歳。20年以上の友人を失った。

友人Aとは中学同級生で、同じ部活に入り、自然と親しくなった。良い時も悪い時も、気兼ねなく会える相手だった。少なくとも私はそう信じていたし、Aも同じ気持ちだと思っていた。

さな亀裂は、大学受験から入っていたのかもしれない。

私は低偏差値高校に入り、その高校に相応の低偏差値大学へ進み、遊び呆けた。就活成功し、一流企業で働くことになった。いわばソルジャー要員として忙しく働く日々だった。

Aは進学校に進み、医学部を目指したが叶わず浪人留年編入を経て別分野で大卒資格を取得した。就活せず、親の伝手でやんごとない組織の非正規雇用となった。浪人の頃から体重が増え、この頃には120kgはありそうな体格になっていた。

社会人になってからは会う頻度こそ減ったものの、会えば、くだらない話からキャリア結婚についてまで話した。

当時の世の中はまだ専業主婦志向も根強く、共働きが徐々に増えている過渡期だった。私は共働きを望み、いずれ今の働き方を続けられなくなると考えて資格取得や転職を進めていた。

一方Aは専業主婦希望で、「資格を取ろうかな」「転職した方がいいかな」「でも結婚したら無駄だよね」「痩せなきゃ」と口にしながら、実際に行動に移すことはなかった。

そんな状態で2年ほど経った。

私は資格を取り、転職もした。転職後に出会った人と結婚した。

Aは「良い男を紹介して」と頻繁に言うようになった。紹介したい気持ちはあったが、私の周囲の男性勉強運動も頑張る人が多く、正直に言えば当時のAとは合わないと感じていた。なので断った。

それでも、やがてA本人だけでなく、Aの親からも紹介を求められるようになり、私の親まで巻き込まれた。私は疲れ、少し距離を置いた。

すると紹介の話は減ったが、代わりに現実味の薄い恋愛相談が増えた。

同僚から旅行お土産をもらったことや、VTuber配信中にやりとりがあったことを、特別好意の証のように語る。違和感はあったが、強く否定することもできず、話を聞いていた。

なんだか、Aの意識現実から少しずつ離れていくように見えた。私は何とか引き戻したくて現実的な話を続けたが、Aの話はどんどん現実味を失っていった。

少し病的なものを感じ、私がメンタル不調だから受診しようと思っているという話をしつつ、やんわりとAの受診を促したりもした。

そんな関係が続く中、この数年で我が家はいわゆる富裕層になり、私はほぼ専業主婦になった。

ただ、それを今のAに詳しく話すことは良くないと思い、近況を聞かれても「ぼちぼちだよ」とだけ答えていた。

その隠していた近況が、どういう訳かAの耳に入ったらしい。

運が悪いことに、親の健康問題が発覚したり、雇い止めになりそうという、Aにとって辛いタイミングで。

Aは激怒し、周囲にこう語っていたという。

「ずっと頑張っている自分が報われないのはおかしい」

増田なんて馬鹿のくせに。見下しやがって」

「私の人生を壊したのは増田だ」

「男も紹介せず、本当に使えない。そのくせ、自分は良い男を捕まえて」

増田の夫と不倫をする。夫を奪う」

増田子ども危害を加える。絶対に殺してやる」

不倫危害について具体的な話を含んでいたこから、私とそれほど親しくなかった知人が、身を案じてわざわざ連絡をくれた。半信半疑で他の人にも確認したが、Aの発言事実だった。

さらに、近年のAの言動に周囲が困惑していたことも知った。必要のない嘘をついたり、妄想しか思えない恋愛話(アイドルVTuber関係があるかのような話)を語ったりしていたという。

友人の生き方配偶者を強く否定したり、明らかにAのものではないエピソード(話を聞いたら私のエピソードだった)を自分のものとして話すこともあったらしい。

意味が分からなかった。

ただ、もう昔のAではないということ、強い憎しみを私に向けていることだけは分かった。

こうして友情は終わった。

Aからは「会いたい」「相談に乗ってほしい」と連絡が来るが、返していない。私や家族を殺すと言っている相手に会う理由はない。今後も会わないだろう。

20年以上の時間は確かに存在した。楽しかった記憶も嘘ではない。

けれど最後に残ったのは、恐怖だった。

2026-03-03

Re:高校2年生

12月下旬担任先生から『進級は難しい』と言われた。

覚悟はしていたが、正直かなり堪えた。持病で通えない日々が続いたことは事実だけれど、自分でも本当はすごく頑張っていれば(無理をしていれば)進級できたのではないだろうか、という疑念が残り虚しさで母と担任先生しかいないだだっ広い教室で啜り泣いた。

そもそも自分高校進学前から通学が難しくなりかねない精神病を抱えていた。どこかで留年はするだろうな〜と心のどこかで思っていた。ただ、ほどほどに勉強ができてしまうことも事実であったから、救済措置があってなんとかなんねえかな〜とも思っていた。

高校1年は単位数がぎりぎりアウトだったけれど申し出を事前にしておいたおかげで留年は免れた。出席数はかなり酷い結果だったくせして、平均評定は4を超えていたからかなりゆるい高校である。専門高校だしそんなもんか。

2年生になって、目に見えてしんどくなる日が増えた。週に3回、遅刻して行けたらまだマシで、平日全て休んでしまう週もあるほどだった。

生きる希望を見いだせる日よりも、生きていけないよと感じる日の方が多かった。何度も何度も自責の念で苦しくなって、眠れない夜が続いた。留年する、と文字に起こすだけで涙が出てくるようになった。涙腺はかなり堅いはずなのに。自分には抱えきれない程のストレスを感じているようだった。それは、3ヶ月経った今でも続いている。

2月が終わる頃、担任から母に電話があったようだ。

この高校卒業して欲しいこと、できれば推薦を使って大学入学してほしいこと、しんどければ休学という手もあるということ。

しんどさにさらに追い打ちをかけられた感覚がした。

期待されていることは過去面談から感じ取ってはいものの、こんなに落ちこぼれている生徒にそこまで期待するものか、と思ってしまった。こちとら精神病持ち一留決定お先真っ暗野郎だぞ

なるべく早く高校卒業したいから休学する意思はないことを母に伝えた。20歳超えても制服を着るのはまっぴらごめんである

これからどうすればいいんだろう。どうすれば病気寛解してくれるだろう。学校毎日通うという一般的に見れば当たり前のことが、当たり前にできなくなってしまった自分絶望を感じることしかできない。

とりあえずこんな深夜まで起きるのを辞めることから始めないといけないだろうな。

anond:20260302090657

これに対して「ルッキズム」と受け取ってしまう人がいるの、「成績不良で留年してない人がいい」を学歴厨と受け取るみたいな感じ

2026-02-19

単位を下さい」という漫画

https://tanihoshii.ichiya-boshi.net/

学部1年の頃に知って、今でも時折見返す漫画

今見返してみると、主人公の水町と自分境遇は似てるなーなんて

模試とかはダメダメだけど、校内試験の成績はいいから推薦貰えたりする所が特に

自分幸運にも成績が超優秀な友達を作れたから,留年はせずに済んだけど、

根本的なだらけ癖はそのままだったから,就職は失敗したし

当時も今も,この漫画を読むと身をつまされる・・・

anond:20260219140527

ワイは友達いない上に留年たか卒業式には行かなかったやで

2026-02-15

小6の時先生死ねって言い続けてた先生が死んだ

F先生若い女性だった。よく笑う人だった。色白で目の充血が目立った。学年全体の合唱練習の時、ノリノリでみんなの前でマイクを持って歌う人だった。小柄でよく人にぶつかり、児童の足を踏むことがたびたびあった。要領が悪くて生徒を苛立たせたり、少しヒス気味だったりするところはあっても、F先生の特徴はそれぐらいだ。極端に嫌われる理由先生にはなかった。私たちははけ口を欲していた。F先生でなくても誰でもよかったと思う。娯楽だった。

私は友人に混じって、毎日F先生を「デメキン」「早く死ね」と陰で笑って罵っていた。

F先生個人的な恨みがあったわけではない。

心の底から笑っていた。呼吸困難になるほど爆笑していた。友達と笑い転げている時、罪悪感は全くなかった。

F先生なら罵っていい。そういう空気があった。

死ね」「消えろ」という言葉は、笑いが止まらなくなる娯楽だった。

数年後、父の転勤に伴い私は地元を離れた。しばらくして小学校時代友達A子に再会した。

私たち高校生になっていた。

A子は元6年✕組だ。まさにF先生の受け持ちのクラスにいたA子は、特にF先生嫌悪していた。私が最もF先生中傷爆笑し、毎日のように盛り上がっていた友人がA子だった。

A子は激変していた。見ていて不安になるほど痩せ細っていた。小学校時代に受けたいじめが原因で、高校で心を病んだという。不登校になり留年をしたが、薬と食事療法回復した。

母校の同級生たちの近況を詳しく教えてくれた。最後にA子は言った。

F先生、去年亡くなったって」

A子が語ったF先生情報はそれだけだった。

その言葉には小6の時の憎悪は込められていなかった。ただ懐かしんでいた。

え、そうなんだ。

私もそれしか言えなかった。

それ以上聞けなかった。

以来、私は折に触れてF先生の死を思い出している。

私の「F先生デメキン、早く死ね」が、先生を死に追いやった。

そう思う。

そうとしか思えない。

本人の前で言ったわけじゃない、陰で仲間と盛り上がっただけだ、とか、そういう問題ではない。私は言葉によってF先生を殺した。F先生を死に追いやった無数のナイフの1本になった。

ナイフを刺された人間はその痛みを忘れない。ナイフで刺した人間はあっけなくそんなこと忘れる。挙句、刺された人間からぶつけられる恨みや憎しみを「そんなこと早く忘れろ、みっともない」とさえ言う。

なぜ被害者人生をめちゃくちゃにした加害者がのうのうと生きているのだろう。

私の母は、実の両親(私の祖父母にあたる)から虐待を受けて育った。そうして40過ぎに精神病み、家から出られなくなった人だ。

母が病み始めたのは、ちょうどF先生が亡くなった知らせを聞いて一年くらいたった後だった。

私は祖父母を恨んだ。心から恨んだ。なぜ被害者人生をめちゃくちゃにした加害者が、謝罪一つなく、のうのうと生きているのだろう。

早く死ねばいいのに。同じ苦しみを味わえばいいのに。

そう思った時、F先生のことを思い出した。

ずっと忘れていたF先生のことを。

私の恨みや憎しみが、そのまま自分に返ってきていた。

どうして私は生きてるんだろう。

同じ苦しみを味わい、早く死ぬべきだ。

私は人見知りだった。人の顔色を窺いまくるというか。自分申し訳ない、と思うことに耐えられない。毎日F先生のことを思い出すわけではいし、むしろ忘れている時間の方が多い。

あれから、私には親しい友達がいない。誰かと仲良くなっても、ずっと心の底では恐ろしい。私は頑張って笑っている。謝ってばかりいる。ギャグ一つ言えない。

F先生のことがあったからかもしれないし、私のもともとの人見知りのせいなのかもしれない。

とにかく、私はあれから人を信じられずにいる。

母のことさえ、恨んでいる。

転校した高校で親しくしてくれた女の子がいた。馴染めずにいた私と手を繋いでくれた。刻名した万年筆をくれた。私が彼女を信じられずにこちから裏切るような最悪な真似をして、喧嘩別れした。

母の心の病で学校に徐々に行けなくなっていた私を、熱心に支えてくれた恋人がいた。不安定な私は彼を信じられず、重荷に感じるようになり、別れた。

高校卒業して、母と揉めるようになり、私は母を見捨てた。一人暮らしを始めた。

私は介護施設で働いた。高齢者の介助では自分が救われるような心地を覚えた。だが、新人の私は仕事の覚えが悪く、遅かった。馴染めなかった。先輩たちに認められずにいる状況に耐えられなかった。私は私を責め続けて、半年もたたずに辞めた。

私には最も好きだった友人がいた。彼女といると心がずっと動いていた。涙が出ることもあった。就職を機に一緒にルームシェアをして住み始めた。

私は最も好きな友人と一緒にいることに耐えられなくなった。好きだから耐えられなかった。耐えられなかった。介護施設を辞めて転職したことを機に、ルームシェアを解消した。

幸い、母は回復した。

から出て働けるようになった。行政福祉手当を受けて就労支援に通い、職を得た。

私は地元から離れた場所で、一人で暮らしている。友人も恋人もいない。

光田秀『眠れる予言者 エドガー・ケイシー』によれば、憎しみを憎しみで返してはいけない。業(カルマ)は愛と忍耐によって克服できるからだ。憎悪は良縁に変えられる。神は人間に克服できない業を与えない、と記してあった。

私の「デメキン、早く死ね」は一体何によって償えるのだろう。

母は「あの人たち(両親)が早く死ねば私は楽になれるのに」と繰り返し零していた。

母は両親と縁を切っている。

私も少なからずそう思う。だが、母は心の底では本当は、「お前、そんなに辛かったのか。本当に悪かった。謝って許されることではないが、謝らせてくれ」と両親が母に寄り添うことを望んでいるのだと、私にはわかる。

F先生は何を望むんだろう。

龍が如くや悪役ざまぁみたいや路線でいけば、恐らく、自分馬鹿にした子供らが大人になり幸福を知り、その幸福の頂点で転落し、ドン底の絶望を味わい救われることなく死んでいくのを望むのかもしれない。私は恐れている。

でも、そう思うこと自体F先生に対する冒涜なのではないかとも感じる。

5年生のキャンプファイヤーでは、ファイヤーパフォーマンスサプライズがあった。

5年生たちがぐるりと囲む焚き火の前にたった一人、小柄な女性が現れた。なんとF先生だった。

両手に長いトーチを持っていた。明るく燃えさかる炎を、F先生ジャグリングのように振り回して踊った。かっこよかった。私たち最後、興奮して拍手を送った。

キャンプファイヤーが終わる。ぞろぞろと列をなしてテントに戻った。

私は火の消えた松明を持っていた。まだ楽しい気分が続いていた。松明はまだ熱く、先から煙がたなびくのがおもしろくて、振り回して遊んで歩いていた。「危ないよ!誰かに当たったらどうするの」と後ろから肩を叩かれた。F先生だった。

「もー、駄目だよ。あなた何組?」

混んでいる暗い山道だったから、F先生は私の顔がわからないみたいだった。どきどきして、怒られるのが怖かった。私は人波に流されるようにしてなんとかF先生から離れた。

私とF先生が話したのはそれきりだ。

あの日の思い出から逃げられない

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