はてなキーワード: 外国とは
今やってる朝ドラの『風、薫る』ってのがダブルヒロインということで、
もうなんかA面の大バーゲンセールだな!って言われそうなトリプルヒロインってところまではきっと以降数が増えていくと思うんだけど、
ただ単に2人だけいるって話じゃなくって、
均等に主役に相応しい分担になっているのかしら?って思うの。
セリフとか登場シーンとか厳密にダブルと2で割りきれる活躍っぷりにしないとダブルとは言えないそれなんて高見山大五郎さんみたいに二倍二倍!って言えないと思うのよね。
国民所得倍増計画を打ち立てておいて倍増と言ったけど二倍ではないです!みたいな。
だからさ、
当たり前なことを当たり前のような顔をして言っちゃっいんだけど、
二人いるダブルヒロインってなると、
いつか何かの拍子に二人手を手を繋いでくるくる回り出してもの凄く強い必殺技が出ちゃいそうな気がして毎回毎回朝の連続テレビ小説の『風、薫る』は見逃せないのよね。
なんかNIKKEのやり過ぎなのか分からないけれど、
テレビの画面で見えないバーストゲージがいつか100パーセント貯まって、
先生!シーツの取り替えばかりじゃなくってちゃんと看護の勉強を教えて下さい!って、
お師匠様にずーっとずーっと洗濯物をして干すことを毎日毎日やらされて、
師匠!良い加減修業をつけてください!って師匠に詰め寄ったときに、
師匠がちょいと拳を繰り出した途端に弟子の人は洗濯物をたくさん干してきた動作を毎日毎日洗濯物を干していることをしているので、
弟子は気づくの!
し!師匠!これは!
いつの間にか稽古を付けられていたことに弟子は気付かずにもの凄い師匠の拳をはじき返すほどの実力を付けていたの!
そんでさ、
話はそこから何年か経って師匠の道場に道場破り的な人が乗り込んできて、
でもそんな師匠が出るまでもないじゃない。
ここは弟子が食い止めて道場を守る!ってでも師匠より前にそう出しゃばったら師匠の顔が立たないから、
こんな道場を好き勝手やられたい放題でいいんですか!師匠!って
でもまだ師匠までは出る幕ではないので、
そこで師匠が開口一発!
「タクミのワザを見せてやれ!」って言うの。
でもさ、
タクミってのが、
弟子の名前なのか実力を付けた弟子の拳がタクミな技巧なのかどっちか分からなくない?
タクミの技を見せてやれ!って、
タクミって言われた人が師匠というかこの道場の代表の人なの?って
そんで道場破りに来た人は、
え?タクミって?って混乱している間に
弟子の洗濯物を干す時の動作で培った技で道場破りに来た人を倒すの!
そんな、
朝の連続テレビ小説の『風、薫る』でずーっとずーっとシーツだけをピシッとベッドに綺麗にセッティングするだけの毎日に看護学生のみんなは痺れを切らしているの!
そんで、
あるときその外国から招かれた看護の先生はいつしか開眼して「観察することが看護です!」って言うの。
いつの間にかシーツを毎日毎日辛くベッドにピシッとセッティングしていた知らないうちに看護パワーが培われていた!みたいな、
なんか看護物語のダブルヒロインが必殺技を繰り出さないか毎日心配になって不安になりながら見ているのよね。
今のところなんか技が出そうにないのよね。
そんで、
ダブルヒロインの片方の役名が大家直美の方のヒロインが料理が下手な設定もあって、
そう思ったのよ。
朝ドラに珍しくそつなくお味噌汁を作るヒロインやギャルだけどおにぎりはしっかり握れるおにぎりで人を救う話かと思っていたけれど全然あんまり救えてなかった朝の連続テレビ小説『おむすび』と、
わりかし料理は得意気にそつなくこなすヒロインが多かっただけに
というか、
これ使わない手はないと思うのよね。
でも、
これあんまり料理の技に拘り過ぎちゃうと朝の連続テレビ小説が『一汁一菜』の土井善晴さん物語になってしまうからダブルヒロインどころではなくなるわよね。
ほら簡単でしょ?って言って熱々のご飯を手ぬぐいに包んでフワッと一握りしただけで、
美味しいおむすびができちゃう土井善晴さんの物語になっちゃうじゃない!って。
たぶん先生なら一人でもバーストゲージ満タンに貯められて必殺技が出て
それはそれで見てみたいけれどね。
そんで決め台詞はこうなの「もうね適当でええんですよ!」って。
一汁一菜というよりもう一品なにか肉っけのあるおかずが欲しくなっちゃうわ!
ダブルヒロインどころではなくなるわね。
うふふ。
謳い文句のシールにある「よくばり!」って言葉に惹かれてしまったけれど、
迷っていたらミックスって私の方程式にならってのミックスなので、
なんかおまえは「よくばり」って言葉に惹かれて買っただろ?ってなんかそのシールの手柄みたいになっちゃってるところがあるけど、
そうじゃないんだからね!
迷ったらミックス!
これが私のミックス道よ!
ツナとハムとタマゴの美味しい3つの味の定番ミックスサンドイッチね!
しっかり食べてしっかりお仕事よ!
なんだかもう暑くない?って勢いのまま、
暑いのですぐに飲んじゃうわよ。
暑くなってきたので、
水分補給しっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
昔の人が結婚をする動機って好きとか嫌いとかの問題じゃなかったのだと思う。
親の話や当時のドラマやドキュメンタリーから間接的にしかわからないけど。
ふつうに生きるために生活に必要なので、義務教育を受けて、就職して、結婚する。という。
疑いの余地がないというか。良くも悪くもそれ以外を知らなかったというか。
疑いも知る必要もなく、人生のコースに乗ってればそれなりに幸せになれたのが9割以上だった、そんな時代。
話変わるんですけどブータンって仏教国なんですけど、テレビやインターネットを導入してから幸福度が下がったらしいんですよね。
下がったというか、質が変化した結果トータルで微減というか。
それに似てるんかも知れない。
良くも悪くも「知ってしまった」のか。外界の情報、外国の価値観を。
その結果、結婚は好き嫌いでするもの・しないものへと変質した。
それに家電やインフラや交通や医療やサービスが発達して難なく一人暮らしできるようにもなったので、生活に困るという訳でもなくなった。
だから、結婚を好悪で決定する現代人と、そもそも結婚をしないという選択肢が基本的にない時代の人間とを比較すること自体が無理がありそうだ。
過酷な好悪とハラスメントリスクのギスギス・コミュニケーション・バトルフィールドに置かれている現代人の空気感って上の世代には全く理解されてないよな。
一般フィールドで恋愛に持ち込もうとするのはハイリスクなので、マチアプや街コンといった「恋愛してもいい」という前提を共有したフィールドでしか恋愛の話を切り出すことが不可能なんだよな。
逆にいうと昔の世代は一般フィールドがマチアプみたいに恋愛を切り出してもいいフィールドだったと言える。いわば「無料で全員がマチアプ状態だった」とも言える。それが社会的コンセンサスだった。現代人から目線で旧世代人を解釈するとそうなるのかと。
昔の時代にもある程度の好悪はあっただろうけど、それ以上に「生活のため」やむを得ず、選り好みしている場合ではなかったので、サッサと結婚したぽい。
たとえば就職が内定して田舎から上京するとき、家を探すのをめちゃくちゃこだわって選り好みして悩みすぎて4月に間に合いませんでした。なんてことはあり得ないワケで、ふつう遅くても3月中には家を決めて引っ越しをする。結婚もそんな感覚だったように見える。
反日連呼しながら韓国や中国の文化を貶す、乗っ取り連呼、日本にいる外国ツールの人たちを反日認定、日本文化が消える!と不安がる文章、移民反対、保守党か参政党への支持呼びかけを全部根拠なく文脈が合わなくても書き連ねればいい
ユーザーが要求する「もし~だったら」、「~になるにはどうすべきだったのか?」という質問に対して、過去の歴史を振り返って、回答してください
清の滅亡を回避してください
2.あの時代に起こった主要な出来事に対してどのように対応するべきか
この3つを踏まえて回答してください
清の滅亡を回避するためには、以下のような歴史の分岐点での別の選択と構造改革が必要でした。
転換点は第一次アヘン戦争(1840~42年)敗北直後、すなわち道光帝の晩年から咸豊帝の即位期です。
この段階で、単なる部分的軍備強化ではなく、国家存続をかけた「全方位改革」に着手すべきでした。
単なる鎮圧ではなく、乱の背景にある社会矛盾(土地集中、貧困)への対策を並行。
郷紳・曽国藩ら漢人地方エリートの武装化を容認しつつ、中央政府が近代的常備軍(新軍の原型)を早期に創設。
乱の終結後、その軍事力と中央財政を背景に地方督撫の分権化を抑制し、連邦制的な瓦解を阻止する。
戦争自体を回避する外交努力を前置きしつつ、敗北後は北京条約を受け入れつつ、そのショックを逆手に取り「国家存亡の危機」として一気に改革を加速。
総理衙門のような機関を単なる窓口でなく、内閣に準ずる政策決定機関に格上げし、諸外国公使の北京駐在を近代化の触媒として利用する。
日本の明治維新の成功を早い段階で徹底研究し、海軍建設で競うだけでなく、憲法制定・議会開設・内閣制度の導入で政治体制自体を近代化する。
戦争の口実となった朝鮮問題では、対外強硬策に走らず、朝鮮の内政改革を日清共同で支援する構想を実現可能な外交力で押し進める。
西太后が改革派(康有為・梁啓超ら)を弾圧せず、光緒帝を中心とする立憲君主制への移行を主導する。
急進的な「百日改革」ではなく、日本の明治憲法をモデルに10年程度の移行期間を設けた漸進的改革を懿旨(西太后の了承)として出す。
義和団の排外運動は発生段階で徹底的に鎮圧し、列国との共同歩調をとることで北京議定書以前の外交的破綻を防ぎ、主権を守りながら国際的信頼を回復する。
この道筋を取れば、辛亥革命は起きず、清は自ら変革を遂げた正統王朝として1912年以降も存続し得たでしょう。
この歴史の分岐をたどった場合、中国共産党は組織として誕生しなかったか、誕生したとしても極めて周縁的な小勢力にとどまり、中国の政治を左右する存在にはならなかったと考えられます。
なぜなら、中国共産党が歴史的に成長し得た条件のほとんどが、この改変された軌道では失われるからです。
中国共産党は、清朝崩壊後の軍閥割拠、国家分裂、そして外国帝国主義の圧力が極限に達する中で、「救国」を掲げる革命政党として支持を集めました。
改革に成功した清朝が存続し、中央集権的な近代化と不平等条約の段階的改正を実現していれば、国を根底から覆す革命の必然性そのものが薄れます。
五四運動(1919年)の反帝国主義・反伝統の激しいラディカリズムは、民国政府の無力さとヴェルサイユ条約の屈辱に端を発しました。
もし憲法・議会・内閣を備えた立憲君主国が国際社会の中で主権を徐々に回復していたなら、若い知識人たちの多くは陳独秀や李大釗のような革命思想家ではなく、議院内の改革派政党(例えばイギリス自由党や日本の立憲政友会のような存在)に流れていたでしょう。
中国共産党の原動力は、無権利状態の都市労働者と貧窮にあえぐ農民でした。
私の提示した道筋では、皇帝政府が「労働者保護と農地改革(小作料の法定化)」を漸進的に進め、官営工場から始まった工業化が民族資本の育成につながるため、搾取の構造は徐々に改善されます。
社会立法と改革が上から施されることで、階級闘争を呼び込むよりは、社会民主主義的な労働組合の公認に落ち着く可能性が高いでしょう。
ロシア革命(1917年)の成功が中国の共産主義者に与えた衝撃は、「後進国でも社会主義革命は可能だ」というモデルでした。
しかし清朝が既に立憲君主制へ移行し、民族自決を連邦制に吸収して辺境も安定させている状況では、コミンテルンの工作員が入り込む隙間は格段に減ります。
また、沿海部に外国の租界が残っていなければ、そこを安全な根拠地として使うこともできません。
清朝という伝統的王朝がみずから憲法を制定し改革の主体となれば、「打倒孔家店(儒教を打倒せよ)」に象徴される全面的な反伝統運動は起こりません。
「東洋の道徳、西洋の芸術(技術)」を掲げた漸進的な近代化が成功すれば、伝統文化を全否定するイデオロギーとしての共産主義が、文化的に訴求力を持つこともなかったでしょう。
したがって、この歴史の線路においては、中国共産党が指導政党として全国を掌握する未来は訪れないというのが、歴史シミュレーターとしての結論です。
中国はむしろ、立憲君主制の下で早熟な議会政治と保護貿易による工業化を遂げ、20世紀後半には「大英帝国から英連邦へ」と変貌したように、多民族連合の「大清連邦」としてアジアで独自の位置を占めていたでしょう。
その政体では、社会主義政党が誕生したとしても、日本の社会党や英国の労働党のように、同じ立憲体制の枠内で穏健な野党として活動するにとどまったはずです。
「起こらなさそう」であることと「絶体起こらない」ことはイコールじゃないのよ。
俺は20年以上前に仕事ではないが若い頃一回あったよ。大学のサークル仲間で1日遊んだ帰りに「ついでに行ってみようぜ」という雰囲気になり、俺以外皆飲めるやつだったからとにかくついていくしかないし、そういう時に「俺だけ抜けるわ」とはできないだろ。
で、俺はもう若くないから一生にこの1回かもしれないし、大半の下戸がこういう経験人生に数回程度だろうが、下戸はとにかく人数が多く500万人いるので、店側からしたら「毎日/毎週そういう悪い下戸が現れる!」「下戸は人間じゃない!」みたいな感じになるのだと思う。
とりあえず下戸がこれだけ多いのは日本人の特色であるのはその通りで、実は下戸は東アジア人にしかいないんだ。北米にもヨーロッパにも、白人には日本のような遺伝的下戸はいない。下戸の存在に文句をたれている時点で日本に生まれたことに文句をたれているのと大して変わらないので、そんなにワインバー経営がしたいなら北米とか欧州とか、下戸比率が少なさそうな外国に行って店開けばいいだろ。わざわざ下戸の人口比率の高い国でワインバー開いて、下戸がきて文句言ってるっていうのは違うと思うぞ。
あなたが感じている怒りや矛盾感は、「外では日本文化を誇示するのに、国内では外国人や少数派への排除や偏見が存在する」という二重性への反発だと思います。
特に、埼玉県川口周辺のクルド人への敵視やSNS上の過激な言説を見ていると、「共生を語る資格があるのか」と感じる人は実際にいます。
ただ、いくつか整理したほうがいい点があります。
まず、日本社会に外国人差別や民族的偏見が存在するのは事実です。
特に:
同調圧力が強い
一方で、「日本人全体が差別主義者」「日本文化イベントをやる資格がない」とまで一般化すると、今度は別の集団への一括断罪になってしまう。
日本国内でも、クルド人へのヘイトに反対している人、外国人支援をしている人、多文化共生を進めようとしている自治体や市民もいます。
ニューヨークの阿波踊りも、参加している人全員が排外主義者というわけではありません。
むしろ海外の日系イベントは、現地の非日本人参加者がかなり多く、「日本文化を共有する場」として機能している面もあります。
「外国では“日本文化すごい”をやるのに、国内では外国人を排除する」
特に欧米では、「多様性を享受したいが、国内では移民を嫌うのか?」という視線は存在します。
また、あなたが触れている「親日国かどうかを気にする日本人が多い」という点も、日本の安全志向や承認欲求と結びついている部分があります。
批判されることに慣れていない
こういう傾向はあると思います。
「白人への憧れ」についても、日本の戦後メディア・広告・英語教育・経済力の歴史的影響は大きいです。
欧米、とくに白人文化が「先進的・洗練・国際的」として長く消費されてきた。
逆に黒人や中東系、南アジア系などには否定的ステレオタイプが残りやすかった。
その結果として:
見た目による判断
ただし、日本だけが特異というより、多くの国で「内集団びいき」と「外見による偏見」は存在します。
違いは、各国でそれをどこまで制度的・社会的に抑制できているかです。
日本は:
「空気」で処理しがち
政治家や官僚が豊かでかつ階層の世襲が続いたことが原因。国の大方針を決める政治家や官僚、彼らは観光以外の解像度が低いためにこうなっている。彼らは小さい頃から豊かな家、特に東京の富裕層に生まれ育っている。という偏見を私は持っている。
彼らは小さい頃から親に観光に連れて行かれる。国内海外問わず楽しい旅行、ワクワクする体験を山ほどしてきている。または忙しい官僚の子供であってもたまに連れて行ってもらった旅行、それは素晴らしい体験だったに違いない。
大人になった彼らにとって最も素晴らしい原体験、解像度の高い産業は、観光業であったのだ。彼らに悪気はない。たまたま農業漁業工業医療などに対する解像度の高い体験を積むことができなかっただけだ。
観光は楽しい→あんな楽しいものならみんな金を出すはず、という短絡的な発想で観光立国という発想になるのも、仕方なかろうと思う。
一次産業、二次産業の実態を見ようともせず価値を貶め、触れさせようともしなかった結果が、国民が全員ペコペコ外国観光客を受け入れてればよいという観光立国政策である。
https://www.youtube.com/watch?v=Te7fNzLeckY
ーー
自民党の最新方針(2026時点)「移民政策」はとらない: いわゆる「移民」の受け入れは推進しない方針を維持しています。受入上限の厳格化: 「特定技能」や新制度(育成就労制度)において、業界ごとの受入上限(見込み数)を厳格に設定し、不必要な増加を抑える方針です。
ーー
--
外国から必要とされて日本に来て働いているのに文句を言われて場合によっては差別されるのはおかしい。
日本社会に統合されることが目的のベトナムから来た人に対して「お前は外の国の人間だ!!」っていうのはどうかと思う。
今後多数の移民を受け入れてもいつまでも日本社会の外の人間という枠に入れられて分断が発生すると予想する。
いい加減「外国人」とか「○○人」という言葉を利用するのはやめるべきでは。
役所で使うなら手続き上区別が必要なんだろうけどバスの運転手を国籍で区別する必要はないだろう。
ーー
「ベトナム人だから、○○人だから不安」的なというコメントがあったが、これもベトナム人とタイトルに書いてあるから不安を煽ったのか!?
逮捕のマイクロバス運転手 なじみの飲食店で事故3日前「免許返納しようと」 2カ月前から数回事故 前日夜には飲酒か 磐越道21人死傷
https://news.yahoo.co.jp/articles/541de319feefe35d56ce8ae620c93283ef50dc64
日本で今までバスの運転で事故が一度も起きていないかというとそうではない。
皇位継承問題では、女帝や女系継承を認めるべきかどうかに議論が集中しがちである。しかし、本当に分けて考えるべきなのは、制度として女帝・女系を認めることと、既に定まっている皇位継承順位を後から変更することは別問題だ、という点である。
私は、将来的に女帝や女系継承を認めること自体には反対しない。しかし、現在の継承順位に割り込む形で愛子内親王を即位させることには強く反対する。
皇位継承順位は、単なる名簿上の順番ではない。その順位を前提として、皇族本人の教育、立場、周囲の扱い、社会的役割が形作られていく。既に皇位継承者として位置づけられ、その前提で育成されてきた人物を、後から政治や世論の判断で順位から外すことは、その人の人生を国家が恣意的に変更することに等しい。
これは悠仁親王個人が優れているかどうかという話ではない。誰であれ、継承者として定められ、その前提で人生を歩んできた人物を、後から政治情勢や世論によって排除すべきではない、という原則の問題である。
皇位継承において最も避けるべきなのは、「誰を天皇にするか」を政治や世論が選ぶ状態である。歴史上、皇位継承をめぐる争いは、しばしば政治的対立や社会の分裂を招いてきた。だからこそ、皇位継承順位をあらかじめ厳格に定め、本人にも政治にも選ばせない仕組みには意味がある。天皇制の安定は、「誰が望ましいか」を議論して選ぶことではなく、「あらかじめ決まっているから争わない」ことによって支えられている。
もし現在の継承順位を変更し、悠仁親王を飛ばして愛子内親王を即位させることになれば、国論の分裂は避けられない。その場合、「本来の正統な継承者は悠仁親王である」と主張する勢力が必ず現れる。そうなれば、天皇の正統性そのものが政治的対立の焦点になってしまう。国民を統合するはずの天皇が、国民分裂の焦点になるならば、それは象徴天皇制の基盤を掘り崩すことになる。
諸外国の例を見ても、単純に「既存順位に割り込んだ例はない」とは言えない。スウェーデンでは、1980年の改正により、それまで王太子だったカール・フィリップ王子に代わって、姉のヴィクトリア王女が王太子となった例がある。しかし、カール・フィリップ王子は当時まだ生後数か月であり、長年にわたって継承者として教育され、公的役割を担い、その地位を前提に人生を形成してきた成年王族ではなかった。この例を、現在の日本の皇位継承問題と同列に扱うことはできない。
一方で、英国やノルウェーのように、男女平等化を進めながらも、既存順位に配慮した例もある。制度を変えることと、既存順位を尊重することは両立し得るのである。
したがって、女帝や女系継承を将来的に認めるとしても、最低限守るべきルールがある。それは、既に定まっている皇位継承順位には一切手を触れない、ということである。制度を変えるなら、現在の順位を尊重したうえで、将来世代に向けて設計すべきだ。
そもそも、個人名を挙げて「誰々は天皇にふさわしい」「誰々はふさわしくない」と論じること自体、天皇制の原理とは相性が悪い。天皇制は、個人の能力や人格によって君主を選ぶ制度ではない。血統と継承順位によって、本人の意思や世論の好悪とは無関係に継承者を定める制度である。
人格や能力で選ぶのであれば、それはもはや天皇制ではなく、選挙君主制に近い。そのような議論をするくらいなら、天皇制そのものを廃止するかどうかを正面から論じるべきである。
皇族は、政治的発言も反論も自由にはできない立場にある。そのような人々について、政治的目的のために人格や能力を比較し、「こちらの方がふさわしい」「あちらはふさわしくない」と論じるのは、あまりに下品である。人権を重んじるというなら、まず皇族個人を政治的比較の材料にする態度こそ慎むべきである。
政治に関心を持っている人、特に政治についてメディアやSNSでよくバズっている人というのはその思想の左右を問わず政治オタクなので、「社会科に分類される正しい知識の量の多少で日本人全員を並べたとき真ん中の人が持っている知識の量」を見誤っているのでないかと思う。
実際どれくらいなんだろうね?
「パレスチナというのが外国の地名であることは分かる。なんか揉めているらしい。でもパレスチナがどこにあるかは知らない。カタカナだから中国ではないと思う。何で揉めているかも知らない。パナマというのが外国の地名であることは分かる。でもパナマがどこにあるかは知らない。カタカナだから中国ではないと思う。パラグアイというのが以下同文。パキスタンというのが以下同文。(え?!パレスチナとパキスタンって違うの?!)パリなら分かる。フランスの首都で、エッフェル塔がある所。フランスというのはヨーロッパにある国。ヨーロッパがどこにあるかは分かる。フランスがヨーロッパのどこにあるかはうろ覚え。パールハーバーって響きには聞き覚えがあるけど何だっけ?地名なの?パンムンジョム?聞いたこと無いけどタイ料理?」程度じゃないかなというのが俺の推測。
真ん中より下だと「パレスチナという言葉に聞き覚えがない」「地図でヨーロッパの位置を指ささせるとアメリカ」「パリという国があると思っている」「白人風のおしゃれで高級なファッションにつく接頭辞が"パリ"だと思っている」「白人はアメリカ人で黒人はアフリカ人」とか。
「パラオって日本語の国なんでしょ?」みたいなのも、パラオというのが国名であると認識できていてそれに関する情報をわずかでも知っているという点において真ん中よりは上なんじゃないかと思う。
高速と国道が全て鉄道に置き換えられていたらプロが運転士の全員だから事故は起きないし
ルートがわかりやすいから外人観光客だって気軽に乗車できて好きな場所に行けるから外国から簡単に集客できるし
いいことづく目
綿花が禁輸されたときレーヨンや武器製造で儲けたのは、ドイツ、イギリス、スイスのライセンスを買っていた金持ちの鉄鋼会社と化学会社
化学会社はまず1928年に外国ライセンスをとってレーヨン工場を作り、軍に満洲を侵略させ、経済制裁を被るようにして綿業を破綻させ、首相に国家騒動員法と経済統制法を作らせ、燃えやすいレーヨンを買わざるを得なくした
こういうことを学校で習えない日本人は、日本人女性だけではない
人権を認められてきてない
非国民と言われようと
どこかには国連ぐるみで感染症テロすら起こせる資金と人員がある
アメリカの名門大学って、もちろん補助金は貰ってるんだけど、自国民の学部生からはふんだくって、他国からの留学生は給料払って修士博士取らせてるじゃん。
MAGAでだいぶ叩かれたけど、あれにも意味があって、一義的には大学側のメリット、優秀な外国の若者に研究させるいわば傭兵としての意味。
もう一つは、米国として、留学生がアメリカ流の科学を学び、政治を学び、アメリカの正義を信じる人間が母国に帰国してエリートになることで、国全体を親アメリカにするため。
してるよ。
日本で言えばFラン、ボーダーフリーのコミュニティカレッジだよ。
だからさ、逆なんだよ。
東大を売りにだすべきなんよ。
あの立地あのブランドなら学費が高くても学生が来るんだからさ。
運営が公金じゃないほうが学問の独立も保てて学術会議も満足だろ?
理系の研究者は大学の予算じゃなくて自分でとってきたグラントで研究してるからどっちにしろ変わらんし、社会学とか政治学とか人文系の連中はそれこそ国に首輪つけられなくなったほうがいいってはなし。
しらんけど。
というお話について
ケース1ですまんけど自分の場合「将来のために協調性を身につける練習をしよう」等ズバリ意図を言ってくれた方が納得しやすい
それじゃあまあめんどくさいけど一応行ってみますか・・・という気分になれる(スキルアップの類は好き)
もう行きたくない気持ちになってるのにそれを翻意させようとする「楽しいよ、こんなおもしろいものがあるよ」は全然刺さらない
ちなみに連れ出しに難ありの子供がどのように育っているかというと
“情報活動の人員は米国が約20万人、中国やロシアが数十万人、英仏独が1万~2万人とされる。日本はこれまで非公表だったが、単純な比較では英仏独を上回る規模を有していることになる”
“■対外情報庁
自民党と日本維新の会の連立合意書に創設の方針が記された情報機関。外国の軍事・外交・政治・経済といった情報を収集し、自国の国家運営に役立てる。外務省の「国際テロ情報収集ユニット」をベースに立ち上げる案が浮上している”
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f0c0518d814a5a3bef0679794d1c3e181ba2bd4
もう全体の話を理解できなくなってるようだから整理してあげるね
「同じ基準で批判する」っていうのは本来、評価ルールが一貫していることであって、
でもおまえは途中から「北朝鮮や中国に“もっと強く批判しろ”」っていう“強度の要求”にすり替えてる。
これでまずロジックがズレる。
おまえの中では脅威が大きい→ だから強く批判されるべきってなってるけど、これ根拠がない。
みたいな要因で対象が決まる。
つまり「脅威が大きい順に批判される」という前提自体がおまえの独自ルール。
現実に反戦が自国政府・同盟国に向きやすいのは、働きかけが可能で制度的にアクセスできるから。
でもおまえはこれを
まとめるとおまえは
おまえのこの文章は
いやお前は現実的な問題の本質や制約を冷静に見ていると言うが、実際に政府が実施している政策や戦略を見ればお前の言う制約はかなり極端で現実離れした内容になっているのがなぜ分からないのか。
その反論、見た目は「現実はもっと複雑だ」で強そうに見えるけど、相変わらず論点を外してる。
おまえは制約はもっと複雑で多様って言うけど、それは最初から前提に入ってる話なんだよ。
こちらは制約が複数ある、その中で相対的に選択が偏るって説明してるだけで、「単純な制約しかない」なんて一度も言ってない。
それを勝手に単純化して「極端だ」と批判してる時点で、まず読み違い。
他国に働きかけることもできるそれはそう。でもそこからだから制約は現実離れしているは全く繋がらない。
正しくは
おまえは
みたいに扱ってるけど、ここが雑。
おまえは「複雑性」を強調してるけど、結局やってることは
「脅威が本質」
「だからそこに強く向かうべき」
それこそが一番教条的。
本当に複雑性を認めるなら、
でもおまえは脅威だけ特権化してる。
原因はシンプルで、
から。
だから何を説明されても「それは本質じゃない」「教条的だ」で弾くしかなくなる。
「規範(どうあるべき)」
その結果、
というズレた応答になる。
おれは
としか言っていないのに、
おまえはそれを
「だからそれでいい」
「本質を見なくていい」
に読み替えている。
これで一見筋が通ってるように見せてるだけ。
「脅威が本質」という前提は固定
それ以外の要素(制約・実効性)は全部軽視
この3つが崩れてること。
そのせいで相手の話を正しくトレースできず、存在しないズレを自分で作って、そのズレに反論し続ける構造になってる。だから議論がずっと空回りする。