はてなキーワード: 労働者とは
これを単なる「放課後のスポーツや文化活動」と解釈しているうちは、日本社会の本質を捉えることはできない。部活とは、教育という美名の下に偽装された、日本独自の「空気」の醸成機関であり、極めて強固な「小宇宙」としての共同体なのである。
西洋的なスポーツの概念では、それはあくまで個人の「楽しみ」であり「技術の向上」を目的とする「遊び(Game)」である。しかし、日本の部活においては、それが「野球道」や「剣道」といった具合に、容易に「道」へと転化してしまう。
ここで言う「道」とは、論理的なルールを超越した絶対的な規範である。そこには、外部の人間には到底理解しがたい、以下のような特質が見て取れる。
儀礼の絶対化: 挨拶の角度から、道具の手入れ、グラウンドへの一礼に至るまで、機能性とは無関係な儀礼が最優先される。
「連帯責任」という戒律: 一人の部員の不始末が部全体の活動停止に繋がる。これは近代的な法治主義(個人責任)ではなく、村社会の「縁座」の論理である。
山本七平が喝破した「空気」の支配が、最も純粋な形で現れるのがこの部活という空間だ。
例えば、真夏に水を飲まずに練習を続ける(かつての常識)、あるいは怪我を押して出場するといった行為が「美談」とされる背景には、生理学的な合理性など存在しない。そこにあるのは、「ここで水を飲んではいけない」「休んではいけない」という、その場を支配する「空気」への絶対服従である。
この空気(臨在感的把握)に抗う者は、非国民ならぬ「非部員」として、共同体から事実上の追放(シカトや疎外)を余儀なくされる。ここでは「個」の意志は、共同体の維持という至上命題の前に、完全に抹殺されるのである。
---
このシステムを維持する「司祭」の役割を担うのが、教師(顧問)である。
彼らは本来の職務である教科指導を二の次にしても、部活動の指導に没頭することを「徳」とされる。土日を返上し、無給に近い状態で奉仕するその姿は、近代的な労働者のそれではなく、一種の宗教的情熱に突き動かされた修道者のそれである。
生徒もまた、その「自己犠牲の精神」を空気として吸い込み、「先生がこれだけやってくれているのだから」という情緒的な絆によって、さらなる規律へと縛り付けられていく。
それは、日本社会という巨大な「空気の組織」に適合するための、高度な精神的訓練所なのである。理不尽な上下関係を、論理ではなく「身体的感覚」として受け入れ、組織の論理を個人の論理に優先させる――この「日本教」の洗礼を、彼らは多感な思春期に徹底的に叩き込まれるのだ。
この「珍妙な制度」が温存されている限り、日本人が真の意味で「個」として自立し、論理的な組織運営を行うことは、おそらく今後も至難の業であろう。
先日、自分の「1億円からスタートする婚活」という記事に対して、厳しいブックマークコメントをいくつもいただいた。
その後、自分の考えをAIと壁打ちしながら整理した。以下はAIに整えてもらった文章だが、内容は自分の考えそのものだ。最初からこうして整理してから書けばよかったと反省・後悔している。改めて、自分が言いたかったことを投稿しておきたい。
====
自分は、普通の人たちの安定的な給料には、資産1億円にも匹敵する価値があると思っている。実際、会社員などの労働者は生涯で平均2.5億〜3億円ほど稼ぐとも言われている。自分には、そこまでの金額を安定して稼ぎ続ける自信がない。
自分は一人で事業をしている個人事業者なので、会社員のように毎月安定した収入があるわけではない。ここ数年は事業転換の判断によって1億円近い資産を作ることができたが、数年後も同じ状態が続いている保証はない。
実際、数年前のコロナ禍では年収100万円を切ったこともあり、貯蓄もほとんどなかった。そんな状況では、結婚を選択肢として考えることすらできなかった。経済的に自立できていない状態で相手を探すのは、配偶者探しというより、保護者探しになってしまうと思ったからだ。しかも仕事は自宅作業が中心なので、自然な出会いもほとんどない。
自分にとって1億円という資産は、大きなアドバンテージというより、不安定な仕事を続けるための生活保証に近い。普通の人たちが安定収入によって得ている安心を、自分は資産でようやく補えたという感覚が強い。
「選ぶ側にもなった」と言ったのも、自分が婚活強者になったという意味ではない。年齢的な不利はもちろん分かっているが、普通の人同士が自然にやっているように、相手から選ばれるだけでなく、自分も相手を選ぶ。そういう相互的な関係に、やっと自分も参加できる気がしたという話だった。
だからこそ、「選ぶ側になった」ではなく、「選ぶ側にもなった」と書いた。「も」の一文字で、自分が選ばれる側でもあること、そして結婚は相互選択だと思っていることを示したつもりだった。
どうすればよかったか、という後付けでもよくわからないけれど、家庭というインフラを社会的にちゃんと位置付けて「主婦」というキャリアを社会的にきちんと評価していたらもっと違った現在や未来にもつながっていたかもしれない。将来の夢は「お嫁さん♡」というのをちゃんと評価できていれば今とは違った現実もあったかもしれない。
「評価されない雑用係になりたくない、イエの犠牲にはならない、こんなの嫌だ」みたいな話と、「主婦が家事をして料理をつくっても給与所得が発生しない、税収が上がらない。主婦はやめさせて外で賃金労働者になってもらい、外食したり弁当を買ったりしてもらえればGDPが上がり税収も上がる」みたいな経済原理主義の話が合体して家庭という貴重なインフラが解体されて貧困個人の集団を大量に生み出してしまった。
人間ピラミッドは負傷の危険性はあるものの、そのものが法律上の「高所作業」に該当するわけではありません。
しかし、労働安全衛生規則で定められた「高さ2m以上」という基準は、富裕層のパーティの現場であっても安全管理において非常に重要な比較対象(目安)として扱われるべきです。
パーティで気をつけることを確認する目的で、ここでは、労働関係の法律の定義と教育現場の運動会での現状を整理します。
労働安全衛生規則(第518条)では、「高さが2メートル以上の箇所」で作業を行う場合、足場を設置するか、安全帯(フルハーネス等)を使用させることが事業者に義務付けられています。
主に建設現場や工場などの「労働環境」における作業員が対象です。
児童・生徒は「労働者」ではないため、この法律が直接適用されるわけではありません。
法律の直接的な適用はないものの、2mを超えるピラミッドは「工事現場なら安全対策が必須となる危険な高さ」であると指摘されており、多くの教育委員会が独自の制限を設けています。
多くの自治体で、ピラミッドは5段まで(高さ約2m相当)を上限とする指針が出されています。
大阪市のように、落下事故の多発を受けてピラミッドやタワーそのものを全面的に禁止した自治体もあります。
高さが2m未満であっても、落下時の衝撃を和らげるためのセーフティマットの設置や、教員による補助体制の確保が強く推奨されています。
約7mに達し、土台には数百キロの負荷がかかる極めて危険な状態となります。
長時間の運転が見込まれる仕事なんだから携帯トイレの一つでも準備して当たり前だと思うし
どうあってもお客様の食品がある横で排尿が許されていいはずないと思う
でも令和のみなさんは、「過重労働だもんね」「運転手大変だもんね」とかで許すらしい
お前自身の荷物に小便かけられても同じように許せるのかは知らんが、とにかくすごい心の広さだ
最近ずっと、労働者の甘えたポジショントークが蔓延して日本はもう終わりだよと思ってたけど
ここまで信念を持って労働者を甘やかすポジショントークを貫くならそれはもう仕方がない
店員の態度にクレーム言っても「俺はバイトなんで知らないっす」を許すんだろうし
うどん屋でトラブル起こって店員に伝えても「私の仕事は天ぷら乗せることだけなので知りません」を許すんだろうし
あとは荷物がタバコ臭くても、薄給運転手が過重労働で運んでるんだから許すんだろうし
警察が暴走族の集会を止めなくても薄給だしなり手がいないから仕方がないで許すのだろう
俺はこの傾向に全く反対だけど、許すのが多数派らしいので仕方がないね
そういう社会を生きましょう
問題ってのは、普通、労働力不足と経済規模縮小だけだと思うよ。「少子化」しても存続はするし。トキみたいにはなるわけない。
なので1人の労働者が生きている期間がそのまま猶予時間になる。
技術ってのは、40代50代でも余裕で健康児が出産できる医療、あるいは親と無関係に人口を賄う人口子宮、労働力不足を完全にカバーする移民代わりのAIロボ、などだね。
コープの荷物が尿まみれで配送された事件で明るみになったけどよほどのホワイト企業以外は、特に外仕事の従業員の排泄について一切の考慮をしないところが多い。
どう考慮しないかというとアイドルはトイレしない、くらいのノリで労働者は仕事中にトイレしないものとされている。
もちろんトイレ禁止などと明文化したりはしないが、トイレのために時間を取ることは基本的に許されない。
休憩時間のときに済ませるのが社会人として当然で急にお腹を壊したとしても労働時間中であれば我慢するのが社会人。
最悪漏らしても自己責任。
どうしても排便排尿をするならそれこそ荷台でこっそり済ませるしかない。
トイレに行く暇はないし、あったとしてもコンビニに寄るのはサボりとみなされるからだ。
一つ解決方法があるとすれば立ちションを大目に見てもらえればいい。場所を選ばないし時間もかからない。
でも立ちションは見つかるし怒られる。
みんなは見つからないようにやってるんだから次からは工夫してほしいね。
あんなに沢山の尿ペットボトルが道沿いに転がってるのに投げ捨てられる現場は見たことないだろ?
みんなうまくやってるのよ。
まあとにかく後進国は百姓のくそしかいないので法律の改善が遅い遅い
伝統主義とか農奴制とかギルド制とかペナルティしかないくそ法制度を使わざるを得ない
改革に反対するくそ地主の政治力を削ぐために百姓減らして労働者を増やす
後進国はまずこれ
工具工場に製鉄所に発動機工場に鉄道をバンバン建てて技師を増やす
日本は例外的に識字率が高いから技師が増えやすいけど、問題は清お前だよ
識字率が低いので学校を増やして教育したいが莫大な人口なので全部はいきわたらない
なので沿岸の主要州だけ大学と教育の促進をして、内陸州は後回し
これで2,30年くらいやるしかない
圧倒的な潜在能力持ってるけど国がでかすぎて、簡単に自重で潰れてしまうんだわ
アヘン戦争、太平天国、義和団の乱コンボは一度フラグがたつと中国崩壊イベントまでまっしぐらだ
しのいでも労働者の不満がたまって内政不安定になって反乱がおきる
以下が要約です。
グローバル化によって取り残された非大卒の白人層(炭鉱労働者など)は、仕事や居場所だけでなく「誇り」を失いました。彼らは自らの没落によって深い「恥」を抱えており、これがトランプ氏を受け入れる「感情の素地」となっています。
2. トランプ氏による「感情の捕獲」と「恥から怒りへの変換」
トランプ氏は、彼らが抱える恥や見下されている現状を「承認」します。そして「あなたたちの誇りは失われたのではなく、(エリートや移民などに)盗まれたのだ」と語りかけることで、耐え難い「恥」の感情を、他者への「非難(怒り)」へと変換させます。
トランプ氏はわざと暴言を吐き、メディアや知識人から激しく非難されます。しかし支持者に向けて「あいつらは私を通してあなたたちを攻撃している。私が身代わりになる」とアピールし、代わりに報復を誓うことで、支持者たちの恥を撃退する救世主のように振る舞い、強固な支持を得ています。
1期目は「誇りを取り戻す」という解放感が中心でしたが、現在は「敵を探し出して報復しろ」という危険な段階へ移行しています。
5. AI時代のホワイトカラーへの警鐘(対岸の火事ではない)
今後AIの台頭により、世界中のホワイトカラー層も同様に仕事を奪われる危険があります。炭鉱町で起きた「喪失と恥から右派政治へ絡め取られる」という現象は、決して特定の労働者だけの問題ではなく、これから多くの人々に見舞う可能性のある深刻な危機であると警告しています。
commentatorHeader
三牧聖子
米国の政治社会を蝕んできた分断の克服の道を探るべく、トランプ支持者や保守派と長年対話を重ねてきたホックシールド教授の貴重なインタビュー。大変勉強になるが、他方、注意して読まないと、分断の克服より、分断をさらに深める逆効果になりかねない部分があるように感じた。
インタビュー中の「ある研究によると、自分と意見が違う相手との会話を自分から打ち切ってしまう割合は、保守派よりもリベラル派の方がはるかに高い」「保守派の方がまだ相手の話を聞く姿勢を持っている」という言及だ。もちろん、注目されるべき調査であり、この結果から、リベラル派が自省することは大事だろう。しかしここだけ切り取られて、「保守派よりも、保守派の差別主義や排他主義を糾弾するリベラル派こそが不寛容で、分断を生み出している」という単なるリベラル批判の言説になってしまえば、分断を深める結果にしかならない。
この貴重なインタビューに、若干欠けていると思われるのが、現代アメリカ政治において、真に重要な対立軸は、リベラル・保守、あるいは左派・右派ではなく、上下、つまり格差問題であるという視点だ。私見では、現在この問題を最もよく理解し、取り組んでいるのは、民主党の左派たちである。新たにNY市長となったゾーラン・マムダニを筆頭に、従来の民主党の在り方を批判しながら台頭してきた民主党左派の政治家たちは、多様性や差別をめぐる文化闘争自体は否定しないが、それが権力者や億万長者によって利用され、富の格差という核心的な問題から人々の関心を背ける役割を果たしてきたこともよく理解している。トランプや共和党が、不法移民やトランスジェンダーの脅威を常に煽り続けるのはなぜなのか。庶民が左右に分かれて文化闘争に汲々とし、互いに怒りをぶつけ、憎み合い続ければ、自分達たちは安心して巨万の富を蓄え、低い税率などの恩恵を受け続けることができるからだ。そこで民主党左派の政治家たちは「1%の億万長者」を主敵にして、「労働者の党」という看板と「労働者の誇り」を民主党に取り戻そうとしている。
非合理的な関税政策で物価上昇を促進し、戦争まで引き起こして庶民の窮乏を加速させておきながら、人々の感情やプライドをくすぐる術を熟知するがゆえに延命させられてきたトランプ政治。「労働者の誇り」を掲げる民主党の新たな世代が、トランプ政治を打ち破れるかどうかに注目していきたい。
commentatorHeader
とても面白かった。最近、インセルや、男性差別などの研究をしていたので、ここに書かれていることは腑に落ちます。しかし、トランプがキリストのように、人々の恥の意識や攻撃を代理で引き受ける役割を担っていると見なされていたとは。そういうことは、ディープに潜っていかないと分からないものですね。誇りやアイデンティティ、感情の流れを知ることは大事であるのだとよく分かりました。現在の日本でも、恥の感覚を刺激し動員する政治をあちこちで目にしますね。
重要な指摘は、AIによる第四次産業革命のあとに、さらに多くの者が、ラストベルトなどで仕事を失い、誇りを失い、「絶望死」するような者たちと同じ状態になる可能性があるという指摘ですね。同じことを危惧していました。
「多くの非大卒の白人が探し求めるような仕事です。ホワイトカラーの業務でも半分以上でAIの性能が人を上回るようになる。職を失うとは限りませんが、とてつもない大激震です」「欧州企業の3分の2は労働者の再教育プログラムを持っているが、米企業は半分しかない。つまり、私がケンタッキー州の炭鉱離職者らに見いだした『喪失』と『恥』、そこから右翼政治に絡め取られるということが、世界中のホワイトカラー層にも起きる危険があるのです」
産業構造の変化で、「置き去りにされ」「見捨てられ」てしまい、不可視化され、新自由主義の自己責任論や、進化論的な「弱肉強食」の論理でそれを正当化されるようになってしまうのは、未来の我々なのかもしれません。そう考えると、「橋を作る」こともできそうな気がしてきます。
https://digital.asahi.com/articles/ASV4Z2VWGV4ZUHMC00JM.html
トランプ米大統領の「誇りを取り戻そう」という呼びかけが、2期目は「誇りは盗まれた」となり、支持者たちが抱える「恥」を「怒り」に転換している――。8年ぶりにインタビューした社会学者アーリー・ホックシールドさんはそう語った。保守的な土地に通い、人々の感情を解読することで、何が見えたのか。
――前回2018年夏のインタビュー後、アパラチア地方で暮らす人々の心情を理解するためケンタッキー州に通ったのですね。
「米国の炭鉱地帯が中道左派から右派へと変化した理由を探求する旅でした。新著『盗まれた誇り』は、ケンタッキー州にある全米で2番目に貧しく、白人の割合が最も高い選挙区が舞台ですが、トランプ氏の最も熱烈なMAGA(「アメリカを再び偉大に」)支持層、非大卒の白人層の物語です」
「要点は二つあります。一つ目は、彼らがどう感じたいと望んでいたかという『感情の素地(predisposition)』。そしてトランプ氏がその感情をどうつかんだかという『感情の捕獲(emotional capture)』です」
――まず、感情の素地とは。
「喪失の物語です。ノーベル賞を受賞した社会心理学者のダニエル・カーネマンが「損失回避性」の研究で示した通り、人間は『新しいものを手に入れるため』よりも、『一度持っていたものを失った後にそれを取り戻すため』に倍の代償を払おうとする。人々がカリスマ的な政治指導者にひかれる傾向を考えるとき、まずこの喪失に目を向けなければなりません」
「それは仕事の喪失、機会の喪失、居場所の喪失、何より『誇り』の喪失でした。熟練の技術が時代の変化で無用になるような喪失感も。彼らは非常に誇り高く、例えば、炭鉱労働者の娘は『私たちは貧しい』とは言わない。彼らの文化で貧困は恥だからです。その代わり『どれだけ工夫して乗り切ったか』『ボロ切れで人形を作ってどれほど幸せに遊んだか』という、打たれ強さや、他者を助ける力を語りました。しかし外部からは貧困層としか見られませんでした。彼らは誇りを失ってしまいました」
「1970年代以降のグローバル化は勝者と敗者を生みました。非大卒の白人たちは、収入や機会を『絶対的』に失っただけでなく、都市部の大卒白人や、かつては自分たちより貧しかった黒人が上昇していく中で、『相対的』にも敗者となった。ここでは「持てる者と持たざる者」ではなく、「喪失と獲得」の区別に着目しています。自分たちが転落していく一方で、周囲の他者は上昇していく。この喪失感が(大統領選があった)16年にあのカリスマ的な人物(トランプ氏)の演説を受け入れる素地となりました」
【ここから読み解くこと】
なぜトランプ氏の度重なる暴言は、支持を下げるどころか、かえって熱狂を生むのか。ホックシールドさんは彼を「感情の交通整理人」と呼び、支持者の「恥」を「怒り」へと変換するプロセスを解き明かします。
「マックス・ウェーバーが分類した『合法性による支配』の指導者の典型が、民主党の前大統領バイデン氏です。彼は『私が誰かではなく、私があなたのために作ったインフレ抑制法を見てほしい』と無表情で実績を語る。一方、カリスマ的支配の指導者は『私が何をするかではなく、私自身を見ろ。私があなたの代弁者であり、あなたを救い上げる』と語りかけます」
「魔法使いであるトランプ氏は、民主党と(従来の)共和党が提供しなかった三つのものを彼らに与えた。私が『感情の捕獲』と呼ぶものの3要素です。第一に『承認』。『私はあなたの本当の姿を知っている。かつて誇り高かったあなたが、今はどれほど見下されているかを知っている』と語りかける。私は薬物依存の回復施設で元炭鉱労働者の男性に会いました。彼は、仕事を失って、家族を養えない『女こどものするような』低賃金の仕事にしか就けず、深い恥に苦しみ薬物に溺れ、家族も失いました。16年に『炭鉱を復活させる』と叫ぶトランプ氏を見て、うそをついているとわかっていたが、自分のことを理解していると感じた、と語りました」
「第二に、トランプ氏自身が厳格な父の元で育った『恥をかかされた男』ということ。没落した階級が抱える『構造的な恥』の鉱脈を掘り当てる天才です。『あなたは何かを失った。ひどいことだ。いや違うぞ、あなたたちの誇りは単に消えたのではなく、盗まれたのだ。私がそのプライド泥棒に報復する』という物語で、『恥』を『非難』へと変換する。鬱々(うつうつ)とした『消極性』を『積極行動』へと反転させる。まるで地中から石炭を掘り出し、加工して火をつけるようなプロセスです」
「第三に、トランプ氏は4段階の『恥の撃退儀式(Anti-shame ritual)』を提供する。これが最も重要です。①彼が『移民がペットを食べている』といった異常な発言をする。②メディアや知識人が激しく非難し、彼に恥をかかせる。③彼が『見下されている私を見ろ。あいつらは私を通してあなたたちを攻撃している。私が代わりに恥を引き受ける』『私が背負った恥に比べれば、皆さんはマシなはずだ』と主張し、まるでイエス・キリストのように身代わりの被害者となる。④しかしキリストとは異なり、彼は剣を構えて『あなたたちのために報復する』と語る――というように」
「米国の半分、民主党支持層は、①と②を聞いている。しかし、共和党側やグローバル化の敗者は③と④を見ている。つまり、米国人は感情の面で同じ大統領すら見ていないのです」
「私が(著書で)試みているのは、皆さんが『バイリンガル』になる手助けをすることです。理性が提示されたときにはそれに従って考える一方で、人々の感情の流れもたどれるようになるということです。感情にも論理があるからです。先ほど『感情の捕獲』の3要素を説明しましたが、特に三つ目(恥の撃退儀式)では、人々の感情にチャンネルを合わせなければ見えてきません。理性の領域ばかりに論理を探すのをやめ、感情の操作や『どう感じるべきかという感情のルールの設定』といった領域の中に論理を見いだし始めましょうという皆さんへの招待状です」
「トランプ氏は怒りや共感のサインを操る、感情の交通整理人です。どう感じるべきかという信号を発信している。『あいつらに共感を抱いてはダメだ(赤信号)』『これは敵だ、激しく怒れ(青信号)』という具合に、彼は信号を出している。カリスマ的な指導者というのは、こういうことをするものです。彼だけではありません。ヒトラーも同じことをしました。日本にも独自の(感情が動員された)歴史があります」
――とはいえ、「失われた」が「盗まれた」に変わるには飛躍があります。
「両者は全く異なります。それが、トランプ氏のやってのけた手品です。人々はすでに他人を責めたがっていた。恥という感情を心に抱え続けるのは耐え難い苦痛で、生き延びるためには何らかの誇りが必要です。そこで彼は『(喪失について)自分を責めるな。盗んだのはあいつらだ』と語りかけた。では、あいつらとは誰か? それは教育を受けた人々、ディープステート、民主党員、移民、最終的には『あなたと似ていない誰か』。どんどん拡大しました」
――「盗まれた」という物語は、耐え難い「恥」を「非難」へとすり替える手品だった、と。
「そうです。そして物語は今、その『あいつら』を罰してやる、という『報復』に移っています。カリスマは、私たちにどう感じてほしいかという明確な『感情面の政策』を持っている。それは彼らが意図したゴールであり、決して副産物として偶然起きる現象(epiphenomenon)ではない。1期目は『赤い帽子をかぶって誇りを取り戻せ』という多幸感、恥からの解放が中心だったのが、今は『敵を探し出して激怒しろ』という段階に来ている。真の軍最高司令官は激怒という言葉は使いません。エンターテイナーの言葉です。私たちがどこへ向かっているのか恐ろしくなります」
――トランプ氏は、「恥」から、政治的エネルギーである「非難」への変換を自覚してやっていると思いますか?
「直感的にやっているのだと思います。その直感において天才的です。彼だけではありません。第1次世界大戦で敗れて多大な賠償金を課せられ、国全体が喪失感と屈辱にまみれていたドイツで、歴史家が詳細に記録してきたように、ヒトラーも人々の『恥』を巧みに利用したのです」
「トランプ氏に決定的に欠落している最大のものは『他者への共感』です。戦争で亡くなった米兵を追悼する厳粛な場で、彼はゴルフキャップをかぶったまま平然としていました。彼は他者の痛みを気にしません」
「ただ、イラン戦争や物価高に直面し、『戦争に巻き込まない』『エプスタイン文書を公開する』といった約束を彼が破るさまを見て、共和党から無党派層へと離れる人々も一部で出てきています。『感情の捕獲』の魔法が、少しずつ解け始めている感覚もあります」
【ここから読み解くこと】
アメリカの炭鉱町で起きた「誇りの喪失」は、決して遠い国の労働者だけの問題ではありません。AIの台頭によって、やがて世界各地のホワイトカラーにも同じ問題が迫っていると、ホックシールドさんは警告します。
――人々は、実際の生活を豊かにする経済政策より「誇り」を得ることを政治に求めるようになったのでしょうか。更に言えば、常にそうだったのか、それとも、グローバル化やデジタル化の時代に誇りを感じることが難しくなり、その埋め合わせを欲している?
「興味深い問いです。現在の米国では二つの相反する現象が衝突しています。一つは、経済の硬直化。世界銀行の調査によると、先進20カ国の中で、米国は今や階層間の移動(上昇も転落も)の可能性が最も低い国です。生まれた階級に一生固定される傾向が強い。一方、別の世論調査によれば、若者の6割が『億万長者になりたい』と答えている。機会が極端に減ったのに野心は高いまま持続している。私は『アメリカン・ドリームの圧迫』と呼んでいます」
「先日、私はダボス会議で一つの警告を発しました。人工知能(AI)革命前夜の今、今後5~6年でエントリーレベルの仕事の60%が消滅すると予測されている。多くの非大卒の白人が探し求めるような仕事です。ホワイトカラーの業務でも半分以上でAIの性能が人を上回るようになる。職を失うとは限りませんが、とてつもない大激震です」
「欧州企業の3分の2は労働者の再教育プログラムを持っているが、米企業は半分しかない。つまり、私がケンタッキー州の炭鉱離職者らに見いだした『喪失』と『恥』、そこから右翼政治に絡め取られるということが、世界中のホワイトカラー層にも起きる危険があるのです」
――人々が誇りを持つことが今後さらに難しくなる、と。
「そうです。私が言う誇りとは、大富豪になるといった意味ではありません。自分が社会に貢献していると感じ、誰かの役に立ち、家族を養っていると感じるようなことです。傲慢(ごうまん)さの対極にある美しい感情で、人間の生存に不可欠なもの。ミクロな名誉の感覚です。ただ、これを失うことは右翼政治の燃料にもなってしまうのです」
――著書にも書かれていたように後期ラテン語の「prode(プロデ)」ですね?
「そう。何かの『役に立つこと』という意味です。アメリカン・ドリームにおける目標の改定が必要です。常に親よりも成功する必要があるのでしょうか。夢が『地球を救うこと』『川の汚染を減らすこと』でもいいじゃありませんか」
「人々は自分の家族や地域社会の中で働き、誇りを得たいと願う。政治から誇りを得るというのは、あくまで代償行為(埋め合わせ)に過ぎません。しかし、誇りを喪失した状態から『政治を通じて誇りを満たしたい』という欲求に対して、人々を脆弱(ぜいじゃく)にさせてしまったのです」
【ここから読み解くこと】
自分たちの生活を豊かにしたわけでもない大富豪を、なぜ労働者層は支持するのか――。この謎を解く鍵が「プライド経済」。トランプ氏はお金の代わりに、「生まれ持った属性」の価値を引き上げるなどして、人々に「偽りの上昇感覚」を与えているとの見方を紹介します。
――経済を「プライド経済」と「物的経済」に分類していますね。普段、このような区別をしないので違いを説明してください。
「両者には重なる部分もありますが、物的経済とは、あなたの収入や家の価値といった数字です。歴史はしばしば純粋に物的な現実に着目して書かれている。マルクス主義者もウォール街のエリートも『物的な現実が第一であり、文化は上部構造であって二の次だ』という点では一致しています。しかし、特に危機的な状況下において、物的な経済にそれほどの優位性を与えるのは間違っています」
「プライド経済とは『自分は高い地位/低い地位にいる』という感覚です。私たちは、物的経済とプライド経済の両方に生きている。しかし、物的経済の変化には細心の注意を払うけれど、プライド経済の重要性については過小評価していることが多いのです。物的な現実ばかり見ていると、見落としてしまうことがあります」
「例えば、ジェンダー。トランプ氏は、カールした長い髪の『スーパーウーマン』を最前列に置き、人々を再ジェンダー化している。そこに新たな『誇り』を結びつけています」
「経済的に落ち込んだ地域に向けては、『あなたは米国生まれの白人で、異性愛者の男性だ』と言い、これらは『プライド経済』において非常に価値が高いことだ、と語りかける。周囲が『いや、いや、ここは移民の社会だ』『全員が何世代かさかのぼれば移民だ』と反論しても、彼は『いや、いや。今や米国生まれの白人であることはすごいことだ。あなたはそれを誇りに思うことができる』と言う。ご存じの通り、(現代社会では)そうした肌の色や性別に特別な価値は認められませんが、彼はその値札を付け替えているのです。『あなたは何もする必要がない。あなたがしなければならないのは、白人であり、異性愛者であり、男性であり、米国生まれであることだけだ』と」
「彼は『生得的地位』、生まれつきの属性の価値をプライド経済の中で上げようとしている。ある種の『偽りの階層移動(fake social mobility)』です」
――現実では社会的な上昇が困難になる中、「偽りの社会的な上昇」を差し出している、と。
「もはや自分の社会的地位や階級を上げることが不可能になっている現実を踏まえ、敗者たちが『はい上がる手段』を示し、彼らを狙い撃ちしているのです」
「製造業を取り戻すと言っても、製造業は全米の雇用の8%に過ぎず、自動化も進んでいます。支持者は『製造業を取り戻すことは良いことだ。生まれながらの異性愛者の白人男性が、良い仕事を取り戻せるだろう』と言うけれど、それほど有望ではない。不法移民を追い出すと言っても、彼らは全体の5%で、米国生まれの米国人と仕事を奪い合っているわけでもありません」
「また、トランプ氏は、自らの富豪の地位も誇示し、崇拝されたがってもいます。妻メラニア氏の豪華なドキュメンタリーを流し、視聴者に『美しく、金持ちな彼女が、ホワイトハウスのゲストとして招き入れてくれた』と思わせる。文化人類学的に解釈すると、『架空の地位の再分配(fictive status redistribution)』を行っているのです」
「物質的な豊かさや数字ばかりに目を向けていると、人々の感情面で起きている変化を、私たちはつい見落としてしまいます。私が試みているのは、そこに皆さんの意識を向けてもらうことです」
「トランプ氏が提供しているのは、(富裕層への課税や貧困層への支援といった真の)ニューディール政策ではなく、『生得的地位』の価値を認め、誇りを操作する、右翼版のニューディール政策です。これまで説明してきたような素地ができあがっていて没落を恐れている人々には響く、この強力な魔法に目を向けなければなりません」
基本的な意味支配階級(主に資本主義社会のブルジョワジー)が、暴力や強制(強権)だけではなく、文化・イデオロギー・価値観を通じて社会を支配する仕組みを指します。支配階級の考え方(世界観)が「常識」「自然なもの」「普遍的なもの」として、社会全体に浸透し、被支配階級(労働者階級など)が自らの支配に**合意(consent)**してしまう状態です。
伝統的なマルクス主義では、経済基盤(下部構造)が上部構造(文化・政治・法など)を規定するとされ、革命は経済的危機を通じて起きると考えられました。
しかしグラムシは、先進資本主義国で革命が起きにくい理由を説明するため、文化的な支配の重要性を強調しました。労働者たちが資本主義の価値観(個人主義、消費主義、競争など)を「当然のもの」として内面化しているため、階級意識が芽生えにくいのです。
ヘゲモニーの特徴強制(domination) vs 合意(consent):国家は強制装置(警察・軍隊)だが、市民社会(学校、メディア、教会、家族、文化機関など)は合意を形成する場。
支配階級はこれらの機関を通じて自らのイデオロギーを広め、「現状維持」を自然なものに見せかけます。
これに対抗するため、グラムシは労働者階級の有機的知識人を育て、**対抗ヘゲモニー(counter-hegemony)**を構築する必要があると主張しました。
グラムシの戦略的提言グラムシは革命戦略として「位置の戦争(War of Position)」を重視しました。これは文化・イデオロギー分野での長期的な闘争で、市民社会のヘゲモニーを徐々に奪取することです。これに対し、直接的な武力衝突は「機動の戦争(War of Manoeuvre)」とされます。
現代への影響この概念はカルチュラル・スタディーズ、ポストマルクス主義(例: ラクラウとムフ)、メディア論、ジェンダー論など幅広い分野に影響を与えました。現代では「文化戦争」や「ポリコレ」議論でも、保守派・リベラル派双方から引用されることがあります。要するに、グラムシの文化ヘゲモニー論は「力は銃ではなく、頭の中(価値観)を支配することで最も強固になる」という洞察を提供した点で画期的です。
https://x.com/Alzhacker/status/2050225236294156455
イタリアのファシスト刑務所で、アントニオ・グラムシは一つの逆説に直面していた。なぜ労働者たちは自分たちを搾取する体制に自ら同意するのか。
伝統的な権力論は「警察と軍隊が人々を従わせている」と答える。しかしグラムシは見抜いた。本当に強力な権力は見えない。 学校、メディア、宗教、家族という日常の中に潜み、「これが自然なことだ」と人々に思い込ませる仕組みこそが本質だと。
これをグラムシは「文化ヘゲモニー」と呼んだ。支配階級は暴力ではなく、知的・道徳的リーダーシップによって大衆の「自発的な同意」を獲得する。特定の階級の利益を「国民全体の利益」に見せかける物語を、教育や報道を通じて浸透させるのだ。
この理論の核心は「統合的国家」という概念にある。国家とは政治社会(警察や軍隊)と市民社会(学校や教会、メディア)の総体だ。暴力装置は背後に控えつつ、日常的に機能するのは同意を生産する市民社会の側である。
この同意の心理的メカニズムを解く鍵が、「コモン・センス」と「グッド・センス」の区別である。
コモン・センスとは、支配階級の世界観が長年の伝統や格言として染み込んだ、無批判な現実認識のこと。「給料が上がらないのは景気のせいだから仕方ない」「いじめられる方にも原因があるんじゃないか」――こうした信念は、支配への同意を内部から支える。
これに対してグッド・センスとは、労働や生活の現場から生まれる批判的で実践的な知恵である。「時間厳守でサービス残業はおかしい」「週5フルタイムで働いてるのに生活不安」。これらはまだバラバラだが、本質的に支配の論理と矛盾する。
ヘゲモニーとは、このグッド・センスをコモン・センスの中に封じ込め、人々が自らの矛盾した意識のまま行動し続けるように仕向けるプロセスに他ならない。
ここでグラムシの戦略論が生きてくる。「機動戦」と「陣地戦」の区別だ。ロシア革命のような機動戦は、市民社会が未発達で国家が裸の暴力で立つ社会でのみ有効である。西欧では市民社会(学校、メディア、教会など)が強固に機能しており、その機能は現在、支配階級への同意を日々生産する方向に働いている。
必要なのは「陣地戦」である。教育、メディア、宗教、文化といった市民社会の各要塞を、何年もかけて一つずつ奪取していく長期的な闘争。これは選挙やストライキではなく、人々の「良識」を組織し、新たな「コモン・センス」を構築する文化活動である。
現代のネオリベラリズムはこの理論の完璧な実例だ。市場原理は「競争が唯一の合理的な原理である」というコモン・センスを世界中に普及させた。人々は市民ではなく「自己責任の起業家」となり、失業や貧困を個人の失敗と感じる。「これ以外に選択肢はない」という発想そのものがヘゲモニーの勝利である。
デジタル時代はこの構造をさらに精緻化した。アルゴリズムは「新しい有機的知識人」として機能する。私たちの関心や不安を学習し、パーソナライズされた現実を提示することで、同意を自動的に製造する。フィルターバブルは大衆を分断し、「共通の国民的意志」の形成を妨げる。
しかし希望はある。グラムシは「対抗ヘゲモニー」の可能性を説いた。支配階級が自らの有機的知識人(経営者、技術者、ジャーナリスト)を持つように、従属階級もまた大衆から生まれる有機的知識人を育てねばならない。
彼らは学校なきところで学校を創り、メディアなきところでメディアを運営し、いまあるコモン・センスを解体する別の語彙を生み出す。これが「近代的君主」すなわち革命的集団の役割である。単なる抗議ではなく、新しい道徳的・知的リーダーシップを社会に提供する文化事業として。
結局、権力の最も深い場所はバリケードではなく、私たちの頭の中にある。ある社会秩序が「当然」と思われる瞬間、その秩序は勝っている。逆に言えば、その「当然」が揺らぐとき、歴史は動き出す。グラムシが刑務所で書き続けたのは、まさにその「当然」を解体するための思考の道具だった。
—
Douglas C. Youvan(研究者)
『The Architecture of Consent: A Comprehensive Analysis of Antonio Gramsci's Theory of Cultural Hegemony, Intellectual Leadership and Modern Power Structures』
世間では「最大何連休」とか「海外旅行」とか「新幹線の乗車率」とか、そういうニュースが流れている。
みんな楽しそうで何よりだと思う。
ただ、その楽しそうなGWの裏側で、普通に働いている人間がいる。
コンビニにも人がいる。
飲食店にも人がいる。
駅にも人がいる。
ホテルにも人がいる。
配送にも人がいる。
病院にも人がいる。
コールセンターにも人がいる。
当たり前みたいな顔をしてサービスを受けているけど、当たり前じゃない。
誰かが休んでいるときに、誰かが働いている。
チップを払えとか、店員に土下座しろとか、そういう話でもない。
ただ、せめて忘れるなと思う。
GWに旅行できるのも、外食できるのも、荷物が届くのも、電車が動くのも、ホテルに泊まれるのも、誰かがその日も出勤しているからだ。
にもかかわらず、そういう人たちに対して雑な態度を取る人間がいる。
混んでるから怒る。
待たされたから怒る。
GWの真ん中に制服着て、レジ打って、皿洗って、案内して、電話取って、荷物運んで、現場回してる人間だぞ。
その人たちがいなかったら、お前の休日は成立してないんだぞ。
駅員に怒鳴るな。
飲食店で偉そうにするな。
ホテルの人に無理を言うな。
配送の人に不機嫌をぶつけるな。
普通に「ありがとうございます」でいい。
余裕がなければ、せめて黙って穏やかにしていろ。
GW中に働いている人たちは、誰かの休日の背景で消費されている透明な労働者じゃない。
ちゃんとそこにいる。
忘れんな。
じゃあ俺は酒でも飲みに行くか。