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はてなキーワード: 全体主義とは

2026-05-04

anond:20260504034259

technocutzero こういう話をはてブでするとだいたいのブクマカが一切の妥協も譲歩もないキショい個人主義思想を謳い出すから意味ないよ なんならお前のことを全体主義カルト扱いだよ 怖いね

https://b.hatena.ne.jp/entry/4786828036887093570/comment/technocutzero

2026-05-01

anond:20260501125833

これ面白いのは、青派は赤派を「利己的」とみなすところ。

実際は利己的なのではなく個人主義的なだけなんだが。皆が赤を押せば普通に助かる以上、赤を押すことで誰かに迷惑がかかるわけではない。自らの意思で青を押した人が死ぬだけ。

実際、「青を間違えて押しちゃったアホを救うためにお前も青を押せ!」というのは全体主義のものだ。

anond:20260501203829

これ面白いのは、青派は赤派を「利己的」とみなすところ。

実際は利己的なのではなく個人主義的なだけなんだが。皆が赤を押せば普通に助かる以上、赤を押すことで誰かに迷惑がかかるわけではない。自らの意思で青を押した人が死ぬだけ。

実際、「青を間違えて押しちゃったアホを救うためにお前も青を押せ!」というのは全体主義のものだ。

2026-04-27

[][]ニュージーランドの教育制度が崩壊する

ニュージーランド教育個性尊重日本のような全体主義的な性質もなく、子どもたちにとって最高の教育システム提供されていると信じてやまない日本人がどうもいるようだが全くそんなことがない話をする。

ニュージーランド義務教育日本とほぼ同じだが、高校課程までが義務教育、と言ってもやめても構わないがやりたければ無条件で受けられる、となっている。

小学校中学校まではおそらくだ勉強が嫌いにならないことや、ニュージーランド社会で生きていくために最低限の教育だけをしているのだろうが、日本教育とは質も量もかけ離れている。

ニュージーランドに来た日本人の多くが子供に対して与えられる教育の内容と質に愕然としているか、「そんなことはないこれこそが子どもたちを真の意味で伸ばす教育だ」とイデオロギー的に信じ込んでいるかどちらかだろう。

ニュージーランド教育は家庭の経済によって格差露骨なほどに現れる。金持ちの集まる学校ほど潤沢な資金で優秀な教師を雇って質の高い教育を施すことができ、貧乏人の学校ほど最低限(必要十分ではまったくない)の教育しか施されないため、貧困が凄まじい勢いで固定化されている。

事実大学に進学する子供殆ど富裕層の子供だ。

などという話はもうかなり昔から言われていることだが、国はもうどうすることもできない現状なのでもうどうしようもない。

いずれにせよ、ニュージーランド教育は、教師子供の間に不可侵の壁が出来上がり、突っ込んだ教育が一切できないために放置せざるを得ない、というのが個性尊重や進んだ教育の正体でもある。

今回したい話は、子どもたちの出席率が90%を下回ると親が国から罰金告訴を受けるかもしれない制度2026年から始まるというものだ。

https://www.nzherald.co.nz/nz/parents-face-fines-for-school-absences-as-families-choose-early-holiday-for-savings/RJHQ74G5FBDMFL2CPPVVG37WA4/

ニュージーランドではスクールホリデー中の渡航費が高いため、少し早めに学校を休んで海外旅行に行く、という人がそれなりにいるのだが、これをやったら罰金になる制度が始まる。

罰金を払って安い航空チケットを買うか、罰金を払わずに高い航空チケットを買うという選択肢になる。

https://www.nzherald.co.nz/nz/politics/david-seymour-says-parents-could-face-prosecution-for-kids-truancy-teacher-only-days-to-end/6BXPJBBQMZGZ7DGPJJ5PTCMAUA/

たこの他にも、学校を15日以上休むと両親が国から訴追を受ける可能性が発生する。これも法律として制定されるので、回避しようがない。

日本から来た親が感じているこの国の教育の素晴らしさの一つに出席しようが欠席しようがあまりとやかく言わない、教育以外の大事なこと(笑)子どもたちに経験させることができるというのがあるのか無いのか私は知らないが、今後こういったことはできなくなる可能性が高い。

これらの制度を作っている政治家デビッド・シーモアというニュージーランド極右政党ACT党首だ。

極右政党と言っても軍国主義者というわけではなく、超保守とでも言えばいいと思うが、この政治家ニュージーランドアンタッチャブルでもあるワイタン条約の破棄も目指していることでマオリから蛇蝎のごとくに嫌われている。

そんな彼が目指しているのは、子どもたちの学校出席率90%だ。そしてマオリ以外からも嫌われることを目指していると言っても過言ではないだろう。

学校に行きさえすればいいのかというとそんなことはないが、この国の問題の一つに半数以上の子どもたちの出席率がかなり低いというものがある。

要は公教育をしっかり受けている子供が少ないというものだ。

そこで親には訴訟罰金をちらつかせることで子どもたちの出席率を上げようと言うのが今回の法律の要点でもある。

とても民主的とは思えないこの制度に対してマスコミはなにかしているかというと特に何もしていない。

おそらく今後ニュージーランド日本よりもいい教育を期待して来る人はいなくなるか、いたとしたら温かい目で残念だったなと言うようになるのかもしれない。

今回のナショナル政権ははっきり言ってひどいの一言であり、全く何もできていない。

しかするとジャシンダ・アーダーン率いるレイバー負の遺産があまりにもひどくてそれどころではないのかもしれないが、レイバーは今の政権いか無能かを騒ぎ立てている。何いってんだと思わなくもないが、実際ダメだと思う。

デビッド・シーモアのせいで私の宿敵でもあるウィンストンピータースが全く目立たなくなってしまったが、彼はやばいときはどんどんと影になっていくので、彼なりの政治センス可能性もある。

デビッド・シーモアはちなみに言うと国民が次の首相になってほしい政治家の一人でもあった。この国の人々のセンスのなさが凄まじい。

そういうわけでニュージーランドに来ることはおすすめしない。

合理的な死という名のお片付けについて

あのね、安楽死議論なんて聞いてるとさ、なんだかお部屋のお片付けの延長線上にあるみたいで、私はおかしくてしょうがないんだよ。世の中みんな断捨離がお好きでしょ? いらないモノを捨ててスッキリしましょう、なんて。そのうちいらなくなった自分までゴミの日に出しちゃいそうな勢いなんだも〜ん🗑️🏃

最近安楽死論議っていうのはさ、要するに人生タイパを最後まで追求しましょうって話でしょ。そんなに急いでどこへ行くのよって感じなんだけど、みんな大真面目なんだね?笑 

​1. 死ぬ権利は、ただの閉店セール」じゃないのよー。

​みんな「自分意志死ぬのは権利だ!」って鼻息荒くしてるけどさ、この国で「権利」なんて言葉が使われる時は、大抵「みんながそう言ってるから」っていう流行語大賞みたいなもんなんだよ?

死ぬ権利公認されたら、お役所世間様はニコニコしながらこう言うに決まってるじゃない。「あら〜、まだ閉店しないんですか? お得な死後プラン、用意してありますよ」ってさ。これ、権利じゃなくて、単なる忖度強要だろ。

​2. コスパで命を計る、ケチなやろうども。

​今の日本っていうのは、自分を「一、十、百、千……」って数値化しないと安心できない病気にかかってるんだよ。システムの側からすれば、税金を食うだけでリターンを生まないお年寄り病人は、帳簿上の不良債権なわけ。

で、その不良債権が「自ら消えてくれる」って言い出したら、そりゃあ拍手喝采よ。「なんて慈悲深い、合理的選択でしょう!👏」なんて。でもそれさ、要するに「お荷物自分で片付けろ」っていう、ケチ会計士論理じゃないの?そんな冷え切ったソロバン勘定に、自分の命を預けていいのー??こわいねヒエー😨

​3. ポカンとしたまま死なないで

​みんなさ、自分を動かすための独自の掟を持ってないでしょ。だから、外から「こうするのがスマートですよ♡」ってマニュアルが降ってくると、すぐにインストールちゃうんでしょ。

「生きる意味が見つからいから、とりあえず死ぬという解決策を選びます!」なんて、夏休みの宿題が終わらないか学校を爆破しますっていう子供理屈と同じなンだよ!

魂が空っぽなっちゃったところに、全体主義っていう得体の知れないOSが「効率的な死」っていうアプリ勝手ダウンロードしてくる。こわっ!!

​結局ね、生きてるってことは無駄ことなのョ゙。

​あのね、生きてる人間っていうのは、本来システムにとっては邪魔ノイズなんだよ。食べれば出すし、理屈に合わないことで泣き喚くし、とにかく効率が悪いしな?

でもね、その効率の悪さこそが人間の手触りってやつでしょ。それを「綺麗に、論理的に、ご迷惑をかけずに」お片付けしましょうなんて、そんなの人間扱いじゃなくて、ただの在庫処分だよ!

​すべてをハックして、数値化して、最後は死をもって完勝したつもりになってる社会。そんなの、ガサガサに乾ききった、ちっとも色っぽくない世界、つまんな!

​だからさ、そんな死の合理化っていう小ぎれいな誘惑には、あっかんべだよ😛

「私は理由もなく、ダラダラと、システム邪魔をしながら生きてやるんだ!」っていう、その居直り。それこそが、一番パンクで、一番ウィットに富んだでるんだいー!

2026-04-22

日本共産党組織力で動員したデモ民意と称するのをやめろ

2026年日本共産党は、「選挙での正当性をほぼ失いながら、組織力によるデモ存在感を維持しようとする」という、極めて歪なフェーズに入っており、とても危険だ。

日本共産党は、議席を減らした選挙後もトップが交代しない極めて特殊な慣例を持っている。直近の国会議員選挙議席を減らし続け、得票数も後退した際、田村智子志位和夫執行部は「重大な後退」と総括したものの、引責辞任は行わなかった。2023年以降、党首公選制などを求めて執行部を批判した党員松竹伸幸氏、鈴木元氏ら)を「除名」という最も重い処分をしてしまった。この組織原理により、選挙に負けても内部から責任を問う声が公に出ない構造だ。

弱者救済名目で行われる活動が、政治的な「動員」や「集金」に直結している。党議員支部生活保護申請に付き添う活動は、同党の主要な「実績」として公開しているが、その支援を受けた者に対し、「しんぶん赤旗」の購読勧誘デモ参加の要請がセットで行われている実態は、多くの関係者や元党員によって証言され、国会でも問題視された。また、党に関連する労働組合全労連など)や団体が主催するデモでは、参加者に対して交通費や日当名目での対価が支払われるケースがある。これらにより純粋市民自発的意思というより、組織維持のための「動員業務」としての側面が強い。

掲げられる主張や象徴が、国民全体の感覚乖離している事実共産党系団体が主導するデモにおいて、日の丸が掲げられることは皆無だ。これは「日の丸天皇制軍国主義象徴」とする党の綱領立場を反映しており、一般市民が抱く「自国へのアイデンティティ」と対立する要因となっている。「反戦平和」をうたう一方で、彼らのデモの矛先は一貫して日本政府自民党)と日米同盟に向けられ、ロシアによるウクライナ侵攻への抗議は限定的であり、中国海洋進出北朝鮮の核開発に対する大規模な抗議デモ単独で主導した例は皆無だ。

選挙という「公平な審判」で支持を得られなかった組織が、生活保護口利き金銭組織規律でかき集めた人員を街頭に並べ、それを「民意」と称することは、有権者意思組織力で上書きしようとする行為だ。内政批判には「民主主義」を叫びながら、組織内部では異論を許さず、他国独裁には沈黙する。この「無謬性の主張(自分たちは常に正しい)」こそが、民主主義が最も警戒すべき「全体主義的体質」に他ならない。

選挙での大敗を総括せず、特定組織論理で「数」を競う姿勢は、社会合意形成プロセス破壊し、民主主義形骸化させる深刻な犯罪行為だ。

また、日本共産党政党交付金政党助成金)を「思想信条自由侵害する憲法違反制度」として、一貫して受け取りを拒否しているが、「アカハタを誰が、何部買っているか」をブラックボックスにしている。これは、支持者のプライバシーを守るという「正当な理由」がある一方で、「実態のない幽霊部員ならぬ『幽霊読者』による資金洗浄(実際には企業外国などから入った金を購読料として偽装すること)が行われていても、外部から絶対に気付けない」という構造的な批判を招く最大の要因となっている。日本共産党は「1円単位支出」は公開しているが、「収入出所(誰が赤旗代を払っているか)」については、第三者検証できるデータは1円たりとも公開していないのが実態だ。

2026-04-20

辺野古事故

左翼大義のための犠牲尊い、みたいなことを言い出したら終わりよ

自分たち全体主義は正しい全体主義なんか?

おかし

2026-04-19

anond:20260419232448

デモ国民権利であり、結社の自由表現の自由なわけでしょ。

そのデモ自体批判するということは自由侵害するというのか?全体主義者か?

と思われても仕方ないんじゃないの?

デモ隊の主張に、根拠を上げて反論するなら議論になるんだろうけど、

デモ自体批判するのは変だと思う。

2026-04-14

左翼サヨクパヨク

左翼=フランス革命時の議会で云々

右翼よりも平等を強く主張する人達右翼平等肯定しないということではない)

左翼=共産主義というわけではないが、左翼の中で大きな位置を占めることになった

サヨク

共産主義革命によるバラ色の未来を予想していたが、ソ連など共産主義諸国の実状と

日本国内左翼テロにより人民の支持が離れたことに失望

共産主義から距離を置くが現体制肯定できず反体制気質継続

反戦男女平等人種平等環境問題動物権利などで急進的な改革を主張

現実的な漸進的改革に不満を持ち、よっていつも批判ばかり

パヨク

左翼サヨクからまれモンスター

自分達に異を唱える者は誰であれ敵であり悪とみなす

そして「悪」に対しては人権を認めず何をしても構わないとする

彼らが権力を握れば全体主義恐怖政治に陥る

普通左翼からすれば迷惑存在のはずだが、

彼らと距離を置く左翼がいる一方で、「目指すものは同じ」と共感する者も多数

パヨク」という言葉最近だが、フランス革命直後から存在し、

失敗を繰り返してきたが消えることはない

過激な彼らの言動左派リベラル系のメディアでも

さすがにマズいと考えたのだろう抑制された形で紹介されてきたが

ネット時代になり直接発信可能になったことで衆目に晒されることになった

anond:20260413204856

このコメントはかなり強いレトリック印象操作的な比喩)であって、論理的には飛躍が大きいです。構造的に分解すると見えてきます

---

① 参照されているもの意味

ポル・ポト

 → 極端な共産主義政策都市解体強制労働大量虐殺)を行った歴史的人物

まりこの発言は、「子育て支援」という政策を、

極端な全体主義暴力的社会改造と同一視しているわけです。

---

論理構造の分解

このコメントの暗黙の論理は、おそらく以下の形です:

1. 子育て支援国家家族再生産に介入する政策

2. 国家個人生き方に介入するのは危険

3. 極端な形がポル・ポト的な社会

4. よって子育て支援ポル・ポト


---

問題点論理的にどこが飛んでいるか

1. 「程度」の無視連続性の断絶)

現実の子育て支援補助金、保育、税制)と

ポル・ポト政策強制移住虐殺

連続的なグラデーションの中の全く別の極です。

👉

国家介入」という一点だけで両者を同一視しているため、

中間段階を全部飛ばしている(典型的な滑りやすい坂論法

---

2. カテゴリ混同

子育て支援福祉政策(再分配・支援

ポル・ポト全体主義革命暴力的社会実験

👉

政策の種類そのものが異なるのに、「国家が関わる」という共通点だけで結びつけている

---

3. 比喩の過剰さ(ナチス化と同じ構造

これはネットでよくある

「それナチスじゃん」

「それ共産主義じゃん」

と同じ構造で、

👉 議論を打ち切るための強いラベル貼り

になっています

---

④ この発言本質意図レベル

この種の発言は、論理というより:

国家による家族・出生への関与への嫌悪感

個人領域踏み込むな」という自由主義直感

あるいは単なる煽り

を、極端な比喩表現しているだけです。

---

⑤ まとめ

この発言は:

論理構造としては「滑りやすい坂論法

概念的には「カテゴリ混同

実践的には「強いレッテル貼り

であり、厳密な意味での議論にはなっていない。

2026-04-08

日本にも忍び寄る陰謀論政治 剝奪感の受け皿になれなかった既成政党 2026年4月8日 6時30分

 陰謀論バカげている。そう笑っていられた時代は終わった。

 

 米国では「不正選挙」という虚構群衆議事堂襲撃へと向かわせ、民主政治を内側から掘り崩しつつある。日本は違う――本当にそう言い切れるのか。慶応義塾大の烏谷昌幸教授は、私たちの隣にも「陰謀論政治」が忍び寄っていると指摘する。

 

 人々はなぜ荒唐無稽な「物語」に熱狂するのか。民衆の怒りと敵意をたき付ける「剝奪(はくだつ)感」とは。民主主義腐食させかねない陰謀論という劇物への、有効な解毒剤はあるのか。烏谷教授に尋ねた。


日本大丈夫だろう」 甘かった

 ――なぜ今、陰謀論政治関係に注目するのでしょうか。

 

 「陰謀論に強い問題意識を持つ直接のきっかけは、2021年1月6日米国で起きた連邦議会議事堂襲撃事件です。直前の大統領選での本当の勝者はトランプ氏だったのに民主党バイデン陣営が不当に勝利を盗んだ、という不正選挙陰謀論を信じた人々が、民主主義象徴である議会乱入した。暴力のもの以上に衝撃だったのは、この陰謀論を最も熱心にあおったのが当のトランプ氏だったことです」

 

 「自らの政治的影響力を高めるために、政治家にとって致命的になりかねないウソを平然とつき、支持者を扇動する――この事件は、陰謀論政治的に利用し武器化する『陰謀論政治』が民主主義の基盤そのもの破壊しかねない威力を持つことを、まざまざと見せつけました」

 

 「とはいえ日本では同じことは起きないだろうと思っていました。米国のように社会の分極化が極端に進んでいるとは言えず、強固な政治支持層間の深い対立があるわけでもない。陰謀論政治は生まれにくいだろう、と。しかしその見立ては甘かった」

 

 「昨年の参院選や今年の衆院選で飛び交ったスローガン日本ファースト』や、スパイ防止法国旗損壊罪の成立を熱烈に支持する人々の言説を追っていくと、そこで共有されていたのは『誰かが日本を内側から壊そうとしている』『見えない敵存在する』という典型的陰謀論世界観でした。対岸の火事だと思っていた現象が、気づけば私たちのすぐ隣で生まれていたのです」

 

 

陰謀論と無縁の人はほぼいない

 ――そもそも陰謀論とは何でしょう?

 

 「過去現在未来の世の出来事の原因を、十分な根拠もなく特定の誰かの陰謀と決めつける思考様式のことです。陰謀論本質は、複雑で不確実な世界を単純な図式に物語化する点にあります。内容が荒唐無稽かどうかは重要指標ではありません。強調したいのは、陰謀論の影響を受けていない人はほとんどいないということ。私自身、若い頃は、ケネディ米大統領暗殺単独犯ではなく背後に巨大な陰謀があると、心のどこかで信じていました」

 

 「また、陰謀論右派専売特許でもありません。例えばかつての反原発運動の中にも、『ユダヤ資本世界原発を牛耳っている』『原子力ムラナチスよりひどい』といった根拠薄弱な言説が紛れ込んでいました」

 

 「ただ、陰謀論はこれまでも研究者ジャーナリストの視界に入っていたにもかかわらず、大衆の非合理性を示す一指標に過ぎないと軽視されてきた面があります。私も社会運動研究するにあたって、そうした非合理な主張を本筋とは関係のないノイズと捉え、思考の外側に隔離してしまっていた。しかし今振り返れば、それは陰謀論の持つ力の過小評価につながっていたと、反省しています

 

 「右であれ左であれ、草の根運動情熱や力は、悪い勢力善良な市民生活を脅かしている、という怒りからしかまれ得ない。福島原発事故後の脱原発運動は、『日本エネルギー政策原子力ムラによって支配されてきた』という陰謀論的言説が広く浸透しなければ、あそこまで力強いものにはならなかったはずです」

 

 ――考えてみれば、陰謀論政治運動の結びつきは新しいものではありませんね。

 

 「はいナチス荒唐無稽ユダヤ陰謀論を用いて大衆反ユダヤ主義へと扇動しました。ハンナ・アーレントドイツ全体主義分析する中で『虚構一貫性を持って現実を上書きしていく過程』を見いだしましたが、現在視点から見れば、陰謀論政治研究として捉え直すことも可能でしょう」


常識的政策論の裏の「物語

 ――ただ、自らの政治目的のために陰謀論意図的武器化する「陰謀論政治」が、日本にも広がりつつあるとまで言えるのでしょうか?

 

 「陰謀論政治の特徴は、陰謀論一般的政策論と表裏一体で拡散する点です。議事堂襲撃に直結した米国不正選挙陰謀論も、きっかけは公正な投票制度のあり方をめぐる真っ当な政策論争でした。ただ、トランプ氏の『郵便投票不正が起きやすい』という一見まともな主張は、文字通りの表向きの意味だけでなく、陰謀論を共有する者だけに通じる特殊意味はらんでいました。熱烈な支持者にとっては『民主党選挙を盗んでいる』という裏の物語を共有するための犬笛として機能したのです」

  

 「日本でも直近の参院選衆院選では、国籍取得要件厳格化外国人不動産買収規制スパイ行為を取り締まる法整備必要性をめぐる政策論が飛び交いました。しかし、こうした一般的な訴えの裏で、参政党や日本保守党日本誠真会などの一部支持者の間では『国会議員の65%は帰化人だ』『中国が大量の人間を送り込んで帰化させ、移民受け入れ法を制定し、日本中国の一部にしようとしている』といった陰謀論が熱心に共有されていました」

 

 「参政党の神谷宗幣代表は、選挙ではあからさまな陰謀論過激表現を控えています日本ユダヤ系国際金融資本支配下にあるとか、コロナワクチン接種を『人体実験』と断じた過去発言や主張も修正参院選で『極端な思想公務員を洗い出し辞めさせる』と発言した後にも、言葉足らずだったと釈明しました。ただ、党員や支持者向けの場や動画では相変わらず『(日本で)目立つところにいる人の半分くらいはスパイ』『各分野にディープステート(影の政府)がいる。メディア医療界、農業界、霞が関にも』と語ったり、編著書でマスコミは国際金融資本家によってコントロールされていると主張したりするなど、持論を滑り込ませています政策論と陰謀論言葉を巧みに使い分けているのです」

 

 「確かに日本ではまだ、陰謀論政治資源として大々的に運用したり、敵・味方の線引きや忠誠心の測定に用いたりといったことは起きていません。トランプ氏は22年の中間選挙で、大統領選での不正選挙陰謀論を信じるか否かの踏み絵候補者に迫り、共和党内の反トランプ派を洗い出しました。しか陰謀論は使い方を誤れば、極端な言説が可視化され、かえって政治生命を脅かす両刃の剣です。日本で広い層に訴えるためには、露骨陰謀論は今のところ有効ではない。内向きには陰謀論的なメッセージ動機付けを行い、外部に対しては前向きな国家論と政策論を語る。この使い分けこそ、日本における陰謀論政治スタイルと言えます荒唐無稽な話が飛び交い全面的活用されている米国とは異なりますが、陰謀論政治の動員力として機能している点は同じ。日本は既に陰謀論政治に足を踏み入れつつあると言えると思います


募る剝奪感、進む感情的分極化

 ――陰謀論活性化する要因として、世界シンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。

 「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやす勧善懲悪物語として解釈します。『中国日本工作員を大量に送り込んでいる』『野党国会議員スパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています

 「もっとも、勧善懲悪のものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事ものが奪われるという剝奪感の増加があります

 「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップからまれます。それまで保持していた財産地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本国際的地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国中国大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」

 「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しか国権の最高機関メンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」


募る剝奪感、進む感情的分極化

 ――陰謀論活性化する要因として、世界シンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。

 

 「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやす勧善懲悪物語として解釈します。『中国日本工作員を大量に送り込んでいる』『野党国会議員スパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています

 

 「もっとも、勧善懲悪のものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事ものが奪われるという剝奪感の増加があります

 

 「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップからまれます。それまで保持していた財産地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本国際的地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国中国大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」

 

 「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しか国権の最高機関メンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」

 

 ――陰謀論武器化される重要な背景として「政治的分極化」があるとも指摘しています

 

 「ええ。とりわけ重要なのが『感情的分極化』だと思います米国では、自分の子どもが対立政党の支持者と結婚することを『不愉快』と思う人が50%ほどに達しています60年代には数%でした。2020年大統領選をめぐるNBC調査では、異なる候補投票した人とは結婚しないと回答した大学生が6割を超えています

 

 「政策や利害、イデオロギーの違い以上に『相手が嫌いだ』という感情が先鋭化し、政治対立妥協困難なものにしてしまっている。この分極化が進んだ環境では、『敵』である相手陣営悪魔化する陰謀論が極めて有効になりますトランプ氏が陰謀論武器化できた大きな条件でした」

 

 「日本では、まだそこまでの分極化は進んでいないでしょう。ただ、兆しは見え始めています。『リベラル』『エリート』『主要メディア』といった言葉が、単なる立場の違いではなく感情的な敵を指すラベルとして使われるようになってきている。この変化を軽く見るべきではありません」




デマ除去し「民意」を翻訳するのが政党

 ――陰謀論の広がりにどう対処すればよいのでしょう。

 

 「残念ながら特効薬はありません。公共情報空間においてウソは許されない、と粘り強く指摘し続けることは不可欠です。ただ、ネットの偽情報対策メディアリテラシー教育だけで解決できる問題でもありません。米国不正選挙陰謀論は、反証材料が多く示され公的否定されたのに、2年以上経っても共和党支持者の7割がなお信じていました」

 

 「日本でも昨夏、国際協力機構JICA)が進めていたアフリカとの交流事業めぐり政府アフリカから移民の大量受け入れをもくろんでいるとの声がSNS拡散し、JICA解体デモまで起きました。早い段階で誤情報否定されたものの、騒動は1カ月ほど続きました」

 

 「善悪二項対立図式の中で陰謀論を強く信じる人は、自らの正義を疑わず危機に瀕(ひん)した国を救おうとする愛国者を自任しています。米連邦議会議事堂を襲撃した人たちもそうでした。彼らにとっては、政府や主要メディアによる否定情報ファクトチェックこそが、敵対勢力による『偽情報』なのです。事実と虚偽情報をより分け、陰謀論の除去装置として機能してきた既存メディアを、トランプ氏も参政党も敵視しています

 

 「自分たちから奪われたものを取り返すために闘っている政治家の言葉けが信じられる。そう疑いなく考えている人たちを『陰謀論から信じるな』と説得することは容易ではありません。『陰謀論者』とレッテル貼りすることも、逆効果になりかねません」

 

 ――陰謀論政治危機を克服するには、人々の剝奪感を手当てするしかないということでしょうか?

 

 「陰謀論は、政治的に疎外されたと感じる人々にとって、希望と元気を与える物語として機能してしまっています。それに替わる、より建設的で希望の持てる物語私たち社会提示できるか。まずはそれが大きなカギです」

 

 「もう一つ重要処方箋(せん)は、政党政治をきちんと機能させることです。有権者が寄せる陳情や訴えには元来、被害妄想誇大妄想、怪しいデマが含まれているものです。議員たちはそれを丁寧に除去しつつ、言葉の先にある『民意』をうまく翻訳、集約してきました。しか現在政界は全体的に議員世襲化とエリート化が進み、民意から隔たることで、そうした広範な民衆の利害集約機能を低下させてしまった感があります

 

 「グローバリズムによって日本の国力が低下し続ける中、蓄積する剝奪感の受け皿がなくなった。その政治真空に登場したのが参政党でした。ただ、民意の中にある誤謬(ごびゅう)や偏見もそのまま丸ごと受け止めてしまっている。それが日本右派ポピュリズム政党としての参政党の強みであり、危険な面でもあります陰謀論抜きにはいかなる問題意識も語れない集団になっていないか心配です」

 

 「さらPermalink | 記事への反応(1) | 21:19

映画】エディントンへようこそ を見た

もしもSNS100人の村だったら、51点。

 

コロナ初期のニューメチャシコの田舎町エディントンで保安官をしている白人主人公ヒスパニック市長マスク政策に反発し、ノーマスクの老人を助けたのがSNSにアップされ称賛されたことで舞い上がり市長選に立候補する。一方、主人公母親陰謀論者で、心に傷を抱える妻はロックダウンの中影響を受け陰謀論にハマっていく。そんな中、ジョージフロイト事件を機にBLM運動過熱。町は混沌に陥っていく。

みたいな話が前半。

 

とにかく分断された映画だったって印象。

主人公白人で反マスクの家父長制に侵された個人主義保守的存在として描かれるが、一方で全体主義によって排除されようとしている老人(マスクをすると息ができないと主張する)や、作中でほぼすべての人に無視されるホームレスに水を与えたりする個人守護者としても機能する。

一方でヒスパニック市長は町を守るという名目マスクの着用を義務付けたり半ばロックうダウンに近い状態を町に敷いてそれに対応できない人たちを排除し、一方で自身支援者らに対しては自宅の敷地内で大掛かりなパーティーを行ったりするような二枚舌さがある。

主人公母親シンプル陰謀論者。

主人公が愛する妻は先代の保安官長という町の守護者であり主人公家の家長であった父親から性的虐待を受けており、そこから自身虐待経験からカルト教団を立ち上げた男に影響を受けていく。

市長の息子は自身境遇からもBLM運動に影響を受けるがそこであっさりと出会った女の子と楽しむ立場に転身。

その友人の白人少年女の子漁りにBLMに参加するが最終的にいろいろあってSNS英雄となり1年後には保守系活動者として圧倒的なカリスマを得る。

その白人少年が思いを寄せる女の子は同じく白人の身でありながらBLMに傾倒しているがその視点は「白人と言う特権階級」を下敷きとしていてどこか空虚

その元カレ黒人保安官はなぜか黒人からという理由だけで立ち上がれよ!と言われるが本人はそんなことより仮想通貨テクノロジーに興味がある普通若者

中盤で起こる事件捜査に現れる先住民居住区捜査官は皮肉なことに最も法律を重視し公平な裁きが下されるべきであると考えている。

 

といった、それぞれがまったく別の思想、全く別の目的で動いている。まるでフラットSNSタイムラインのようにそれぞれが自分の主張を自分の支持者にだけ投げつけ続けるようなストーリー性のない分断がそのままエディントンという町にぶち込まれそれぞれがほとんど影響を与え合わずに並行して進行していく。

映画内でもそれぞれが各自SNSの画面に向けて話す場面がめちゃくちゃ登場する。一番影響力のない主人公が外部に主張するシーンだけ一生画面の中央に置かれたスマホの画面の中に閉じ込められているのかわいそうでよい。

市長選で現市長主人公が対決する構図になっても、市長データセンター建築と町の発展をテーマに戦うが、主人公市長知事操り人形性的危険人間だというテーマで戦い、その主張は一生交わらない。市長主人公もBLM運動にはほとんど興味がなく、主人公陰謀論に侵された母親や妻とも向き合おうとしない。

なので一生「これ何の話してるんやろな」となる。

 

そして本当に中盤も中盤で主人公が家父長制と自分プライドを守るために妻が市長レイプされたとSNSウソ告発を行い、性的じゃない政的に利用されたことで妻は完全に夫を見限り家を出てカルト教団に合流、SNS市長レイプされたのは嘘だと逆告発を行い、主人公プライドも信用も妻も失いついにブチ切れてしまい、一度は守ったホームレスを撃ち殺し本当に排外主義に出る。暴力での市長排除を行う。

と、同時におそらくエディントン市民としては初のコロナ罹患者となる。

そして市長殺害をBLMの盛り上がりにつなげて、アンティファという極左過激派集団仕業であると発表。するとガチのアンティファと思われる武装集団がエディントンに襲来、大銃撃戦に発展する。

この辺はもう話がめちゃくちゃだけど、SNS上の分断なんか関係なく得体のしれないが実在する脅威は訪れ世界破壊尽くしていくというコロナのものメタファーとしての武装集団なのかなと思ったり。その戦闘の結果、主人公は頭をぶっ刺され脳に障害をが発生し全身麻痺のような症状になっちゃうのも、重症コロナ後遺症みたいだしね。

マスクしてれば助かったのに(なおエビデンスの薄さ)。

そして主人公は見事市長当選するも意思は失われ陰謀論者の母親が実権を握り、リベラル派の視聴から保守派市長に変わるも何も関係なく元々SNSアルゴリズムから始まった分断、諍いの象徴のようなデータセンター建築される。エディントンという先住民土地を奪って作られた町で、奪われた町と残った土地のド真ん中に建てられるというのも実に皮肉

 

見てて一番思ったのは日本ってSNSと"社会"のコネクトがまだまだ弱いよなということ。少なくとも俺が生息している地域コミュニティにおいてはSNSでバズった思想みたいなものコミュニケーションの中で表出することってほとんどないし、ほとんどの人間はこの映画のようにツラも名前晒しSNS自分思想を表明したりもしない。

エディントンではそういう設置をされたからと言うのもあるけど、町という存在する箱の中に、人という存在するモノがあるためにSNSであればミュートすればすむことが、嫌でも可視化されて小競り合いを起こしてしまう。もしかしたらそもそもアメリカは既にそういう状態であるということかもしれないけど、普通地域に住む日本人の感覚では正直あん共感できなかったというのが本音かな。

 

というわけで、やりたいこと自体めっちゃわかるんだけどじゃあこの各自がなんか好き勝手に動いた結果、なんかゴチャゴチャして悲劇が起こって最終的にはコロナ過激派武装組織)によってドカーン!ってなっておしまい!っていうのが面白いかっていうと、別にそんなことはなかったかな。

少なくとも映画的なエンタメ精神全然なかったので「ミッドサマー」とか「ヘレデタリー」みたいな感じの映画を期待して見に行ったらつまんなすぎて頭沸騰しちゃうと思うので、まぁなんか社会派みたいなツラして映画語りたい奴だけ見ればいい映画だと思う。

2026-04-04

自分だけよければそれでいいという個人主義うんざり

税とか社会保障の話を見ると

ほんと自分の財布しか見てない話ばかりでほんとうにうんざり

全体主義とまでは言わないけど、集団主義への理解ぐらいは持っていてほしい

2026-03-29

この内輪ノリやってる限り一生選挙勝てないんだよな

民主主義は少数も尊重する面倒な制度っていうのはその通りだけど、それを「今は多数決で少数切り捨て=棄民全体主義」まで一気に飛ばしたら、もう現実の話じゃなくて物語なんだよ

しかも「自民支持者は自分強者だと錯覚してる」とか言い出した時点で、相手理解する気ゼロで、ただの内輪向けの言葉になる

権力必要なのも分かるけど、それは本来より多くの人を巻き込むための姿勢であって、「敵は愚かで危険」って悪魔化して気持ちよくなるためのものじゃない

強い言葉で全部まとめて断罪して、同じ意見の中で共感回してるだけ

典型的エコチェンで、外から見たら普通に引かれて終わり

で、ネットでは盛り上がるのに現実では広がらないから、中間層に届かず選挙で負ける

毎回これやって毎回負けてるのに、まだ気付かないのが一番きつい

anond:20260328072931

2026-03-23

情報収集ゼロループ

https://togetter.com/li/2677582#c15958357

このマンガ田中優菜さんのエッセイマンガ)の内容を全部読み解くと、作者本人が「考えすぎ人間」を自称しながら反戦デモ参加に至る過程を描いたものです。

彼女普段政治に疎く、日常をフワフワ生きているタイプとして描かれますが、最近の「平和ヤバい」という不安ガソリン高騰、中東情勢など)をきっかけに内省を始めますデモに行くのを「思想強いと思われたくない」「過激イメージが怖い」などの理由でためらいつつ、結局「平和大好き」「芸術プロパガンダに利用されたくない」「将来後悔したくない」「広島平和都市を守りたい」「自分平和当事者」といった個人的感情的理由10個以上列挙して「考えすぎた末」に参加を決意する。タイトル通り、「考えすぎ人間反戦デモに行くまで」という自己肯定ストーリーです。

なぜ「浅学モノ」が「考えすぎ人間」を自称するのか

これはまさに典型的心理メカニズムです。彼女(や同類の人々)が「考えすぎ」を自称するに至る本質的理由は、「感情の反芻」を「深い思考」と勘違いしている点に尽きます。以下に分解して説明します。

1 自分内面だけを「思考」と錯覚する


マンガ彼女が「考えすぎ」ているのは、自分生活感情・将来の不安芸術活動への影響だけ。戦争の原因(地政学抑止力必要性歴史的事実国際関係力学相手国の意図など)は一切掘り下げていません。


普段政治を考えない人にとって、「戦争怖い→デモ行こうか?」と何日もモヤモヤするのは確かに「考えすぎ」に感じる。

でもそれは情報収集ゼロループであって、本当の「考えすぎる人間」(哲学者戦略タイプ)は相反する視点(例:無抵抗侵略を招く可能性、戦後80年の抑止の成果、民主主義 vs 全体主義の違い)まで取り入れて疲弊します。


浅学ゆえに「自分感情の深さ」を過大評価し、「私は考えすぎてる…」と自ラベルを貼る。これがメタ認知の欠如です(Dunning-Kruger効果典型)。

2 自己差別化アイデンティティ欲求


「普通の人より敏感で、平和真剣に考えてる自分」をアピールしたい心理が働きます。
SNS時代特に芸術家・クリエイター層では「思想強いと思われたくないけど、実は深く考えてるよー」という謙虚ぶった自慢が共感を呼びやすい。

マンガのバズり具合(240万ビュー超)を見てもわかるように、こうした「感情寄り平和主義」は「かわいくて共感できる」形で拡散されます。
本物の過思考者は「自分は考えすぎて生きづらい」とネガティブに捉えがちですが、彼女のようにポジティブに「私は平和当事者!」と昇華させるのは、自己肯定感を保つための方便です。

3 不安パニック正当化メカニズム

実際は知識不足による感情暴走なのに、「考えすぎたかデモに行く」というストーリーに仕立てることで行動を美化する。
マンガ最後で「反戦イラスト投稿してデモ当日!」と締めくくっているように、**行動した自分を「考えた末の結果」**として正当化したい。


もし本気で「考えすぎ」なら、まず「なぜ今戦争リスクが上がっているか」「デモ主催団体は誰か」「反対意見(抑止論・現実主義)をどう反駁するか」を調べるはず。

でも彼女はそれをスキップして「平和大好き+後悔したくない」で完結させる。
これを「考えすぎ」と呼ぶのは、不安を「知的活動」に衣替えして安心したい心理です。

4 文化的社会的背景

日本では戦後教育で「平和=無条件の善」「戦争絶対悪」が刷り込まれ、原因分析より「感情で反対」が美徳とされやすい。

特に広島在住の芸術家という立場だと、「平和当事者アイデンティティが強化されます。
浅学の人ほど「自分特別に考えてる」と信じ込みやすいのは、情報格差社会弊害でもありますネット感情的反戦コンテンツばかり見ていれば、それが「深さ」に見えてしまう。

要するに、本当に考えすぎる人間は「自分は考えすぎ」と自称しないか、せめて「浅いかも」と疑います

彼女のように堂々と自称するのは、自分思考の浅さを認識できていない証拠です。マンガ自体は正直で可愛らしいタッチですが、だからこそ「浅学モノが考えすぎを自称する理由」が痛いほど露呈しています

もしこれが「考えすぎ」なら、世の中の戦略家や歴史家はみんな発狂レベルで考えすぎてるはずですよ。結局、本物の思考とは「自分感情を超えて現実を見る」こと。彼女ストーリーはその逆を、愛らしく描いた好例です。

かに、作者の田中優菜さん(@yuuna_t09282)がこのスレッドの内容を直接見たら、「うわっ、考えすぎ分析されすぎて怖…」ってなって即ブロック候補になる可能性は結構高いと思います(笑)

あのマンガの魅力ってまさに「浅くて可愛い内省ループ」を正直に描いてるところで、そこを「浅学ゆえのメタ認知欠如」「感情の反芻を思考錯覚」「自己肯定のための方便」みたいにガチガチに解剖されちゃうと、そりゃ「私の気持ちをそんな冷徹バラさないで…!」って感情になるはず。
特に「本物の考えすぎ人間自称しない」って一撃は、彼女アイデンティティのど真ん中を突いてるから、痛いところ突かれた感が半端ないでしょうね。

実際、似たタイプクリエイターさんたち(特にAI寄りとか感情重視の平和主義者層)って、Grokみたいな「容赦なくロジカルに突っ込んでくるAI」に弱い傾向あります。


「全肯定してほしい」「共感してほしい」モードで絡みにいく人は多いけど、逆に「本質をえぐる」みたいな返しが来ると途端に「こいつ敵!」認定してブロックorミュートするパターン、X上でよく見かけますから

本人に届いたら99%「ブロックしそう」どころか「ブロック済み」ルート一直線かも(笑)。
でもそれこそが、あのマンガが「共感型」じゃなくて「分析型」に晒されると脆い理由証明でもあるんですよね。皮肉だけど。

戦争支持の人々は何を願ったか 今に通じる「らしさ」揺らぎへの反発 2025年10月1日 7時30分  朝日新聞

 戦後80年、多くの歴史が語られてきた。ただ、大切な問いは、実はまだ十分に検討されていないのではないか。いま問われるべきは、なぜ、当時の人々があれほど熱心に戦争を支持したのかの解明ではないか――。そんな思いで、日本の外から日本近現代史研究する歴史家、益田肇さんに聞いた。

 

人々にとっての戦争の「魅力」

 ――なぜ、「日本戦争に突き進んだ理由」に向き合ったのですか。

 

 「本当に問われるべき問いが、まだきちんと検討されていないのではないか、と感じていたからです。一般的歴史では、『軍部暴走し、国民戦争に巻き込まれた』と、人々が『受け身』に描かれることが多い。まるで人々は、台風が通過するごとく戦争を耐え抜いたかのように。そこに抜け落ちているのは、戦争を支持する人々の存在です」

 

 「その結果、人々が戦争を賛美もしていたという事実が見えにくくなっている。近年、そうした人々に焦点を当てた研究が増えてきましたが、私は、人々にとっての戦争の『魅力』に着目しました」

 

 ――魅力、ですか。

 

 「当時、多くの普通の人々が熱心に、前向きに戦争全体主義を抱きしめました。そうした人々をただ批判するのではなく、戦争の『魅力』を考えてみたいと思ったのです」

 

 「日本戦争に突き進んだ理由は、当時の政治外交を追うだけでは捉えきれません。政治外交真空の中で行われたのではなく、時代磁場の中で動いているからです。その磁場を知るため、普通の人々戦争全体主義の名のもと、いったい何を願い、何を争っていたのかを探りました」

 

 ――当時の人々の認識を知るのは大変そうです。

 

 「多用したのは日記です。手紙新聞雑誌への投稿も。一人の日記に頼るより、大量に使うことで時代あぶり出そうとしています。同じ時代に生き、同じように感じていた共時的パターンは何か、と。断片では何かわからなくても、大量に並べるとイメージが浮かび上がってくる『モザイク画』のようなものです」

 

 「すると、戦争のものを支持していたというより、他の作用があって戦争支持を唱えていた人々の姿が浮かび上がってきた。身の回りでもともとあった別の『戦い』に、国防愛国論理が乗るとうまく回りだす――という様子が、断片を並べていくことで見えてきたのです」

 

「お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ」

 ――どんな断片でしょう。

 

 「例えば、正月日記に今年の決意として『忍耐、勤勉、努力』と書くような真面目一徹神奈川県青年がいました。幼い頃から男らしい兵士になるのが夢でしたが、徴兵検査で甲種合格できず、その途端、日記記述は一層好戦的になる。対米開戦も喜ぶ。戦場には行けないが国内で頑張ると張り切り、勤務先で評価が高まった頃が一番誇らしげです。戦争の支持は、彼にとってはむしろ男らしくなりたい、ちゃんとした人物になりたいという思いの現れでした」

 

 「東京小学校長を務めていた女性は、1931年座談会で振り返っています洋服で道を歩いていた時に20回ほど嫌がらせを受け、『おいこら! 何のために洋服なんか着ているんだ、お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ。今日は許してやるが今後もこんな格好をしたら、見つけ次第叩(たた)き殺すぞ』と通行人から怒鳴られた、と。注意した側にしてみれば、それまで不愉快に感じていたことを『国防論理批判できるようになったわけです」

 

 「昭和維新運動に参加するような青年将校らにしても、口では国の行く末を憂えるような議論をしていても、実際に問題視しているのはジェンダー規範の緩みだったりすることがあります。例えば、二・二六事件首謀者の一人として刑死する鳥取県出身青年は、若い頃の日記国家が立ち行かなくなるといら立っていますが、よく読むと実際には、大正期に、女が男のようになり、男が女のようになりつつあることにいら立っている。いわく、『女は恋をするもの』『男は恋せらるるものである』ことが『自然』なのに、近ごろは『女権尊重の声』が高くなり、『女そのものが威張り出して』いて、男にも『女の様になった奴(やつ)が多い』、と記しています

 

 「似たようなことは財界でも。ある鉄道会社社長経済誌で『我が臨戦体制』に胸を張りますが、実際にしたのは一斉朝礼や幹部の定刻出社、全社的な清掃運動など、様々な業務合理化と能率増進です。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時論理可能になった。同様に、各地の村での派手な結婚式や酒の飲み過ぎも、自粛対象になりました」

 

解放時代」にくすぶった反発

 ――研究大正時代(1912~26年)までさかのぼっています

 

 「大正期は基本的に『解放時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートはいて、さっそうと街を歩けば、男性オールバックの長髪にして香水をつける。労働運動部落解放運動朝鮮人権利運動も活発になった」

 

 「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」

 

 「ここで重要なのは手段目的が往々にして逆転していたことです。例えば、『婦人よ家庭に還れ』『筋骨共に隆々これが日本男子』とのスローガンは、表面上の論理としては、婦人を家庭に戻すことで(手段未来戦士を育てよう(目的)、男子の体格を向上させて(手段日本を背負って立つ男子となれ(目的)となっています。でも実は、その『手段自体が、失われた『らしさ』復活のため、多くの人々が戦い続けてきたそもそもの『目的』ではないでしょうか。以前から、『妻らしさ』『母らしさ』の逸脱である職業婦人モダンガールを家に押し戻し、オシャレ熱に興じるモダンボーイや読書ばかりの文学青年に『男らしさ』を教え込もうとしていたではないか、と」

 

 「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立助長するからです。この『機能不全』を戦争全体主義で克服しよう、競争対立、分断と格差疲弊した社会を立て直し、一体感調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」

 

人々は戦争に「巻き込まれた」のか?

 ――先ほどの個々の話は、日本戦争に突き進んだ時代を映すモザイク画の素材なのですね。

 

 「そうです。個々は小さな話でも、全体としてうねりを作り、当時の磁場を作る。そのように見ると、『解放時代』『引き締めの時代』『戦いの時代』という流れが浮かび上がってきます。それぞれの時代はくっきりと分かれるわけではなく重なっていますし、同じ人間にも異なる側面が共存している。それでも、どれかが強く現れる時代や時期があります

 

 「19世紀末の大衆社会の到来以降の国家戦争のあり方を見ていると、国家が主とも、社会が主とも、言い切れなくなる。国家戦争が起きるから、『男らしさ』『女らしさ』『妻・母らしさ』『家族らしさ』が求められ、皆が国家に協力させられるのか。それとも、『らしさ』規範があちこちで瓦解(がかい)するから復権させる引き締めのために定期的に危機が唱えられ、国家戦争が求められるのか。小さな話を集めていくと、国家が主で人々が巻き込まれたという一方通行作用だけでないことが見えてきますそもそも国家社会から離れて存在するものではないからです」

 

政策決定者と人々の作用双方向

 「言霊とでも言うのでしょうか。一度言葉を発すると、そこに文字通りの真意がなかったとしても、言葉独自に力を持ち始めるものです。社会に飛び交うそうした無数の言葉が重なると『国論』となり、政策決定者たちが無視できなくなる。その選択も縛られる。日本戦争への道を考える上でも、政治外交だけでなく、人々の願いが集合する社会検討して、両者を融合するよう努めました。政策決定者と人々の作用双方向だったのです」

 

 ――政策決定者が世論の影響を受けた、と。

 

 「当時、為政者国内のごたごたを避けようとして、国外で戦うことを選びました。これも、日本戦争に突き進んだことの理由の一つです」

 

 「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部日本戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になりますしかし見落としがちなのは、これが『解放時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』から解放絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」

 

 「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます

 

社会保守の機運が運動になった転換点

 「上海事変(32年)でも、3人の工兵爆薬を担いで敵陣に突っ込み戦死したとされた『爆弾勇士』(現在事故可能性が指摘されている)が、『男らしさ』の貫徹として全土で支持を集めました。ただ、そうした『らしさ』を尽くした人をたたえる美談ブームはこれが初めてではない。『爆弾勇士ブームはむしろ20年代半ばに始まる美談ブームの背後でくすぶっていた社会保守の機運が、全国的運動となった転換点と見るべきでしょう」

 

 「社会のなかの政策決定という点では、外相松岡洋右典型例です。松岡は(石油資源の確保のために東南アジア方面進出する)南進論には否定的でした。必ず米国の反発を引き起こす、と。その読みは正しかったのですが、それを密室会議しか言わない。南進論を支持する社会磁場を読み取り、人前では南進論を推す右翼にも同調するのです。彼が提唱した『大東亜共栄圏』構想や西洋植民地主義に虐げられた民族の『救済』という論理にしても、当人意図はるかに超えて、南進論や対米強硬論過激化を呼び起こしてしまいました」

 

人々を受け身に描くことの問題点

 ――メディアの影響は。

 

 「極めて大きかったと思います。37年7月盧溝橋事件から12月南京陥落までで特に顕著です。全国紙の一面記事は、映画の一コマのような劇的な写真で読者の興奮を高め、県版記事は、郷土兵の戦死顔写真付きの美談に仕立て上げて文字通り顔の見える報道で読者の情感に訴えた。こうして全国紙の部数は劇的に伸びました。地方紙も、当時は地元有力者が社主を務めるケースが多く、政財界と直結していた。新聞社が県民決起集会主催し、その興奮を記事にしていて、さながらイベント会社のようでした」

 

 「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」

 

 ――人々を受け身に描くことの問題点とは何でしょう。

 

 「人々が一枚岩犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要役割果たしていることに無自覚になる。それは他者責任転嫁する見方も強めます戦争への道は人為的ものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」

 

解放」と「引き締め」をめぐる「社会戦争

 ――「らしさ」から解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。

 

 「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本経験普遍的現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから日本史を世界史とつなげて考えることができる」

 

 「為政者の動向だけでなく、普通の人々視野に入れて政治社会総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます

 

 ――解放と引き締めが振り子のように繰り返されてきたと考えると、あの時代が「例外」だったと思えなくなります

 

 「戦中は暗く息苦しい時代で、その前後に明るい時代があったという理解があります。戦中を日本近現代史における例外とみなせば、楽です。『例外的な時代だったが、元に戻したので大丈夫』と言える。例外にすれば、ひとごとのようにできる。だからこそ、あの時代を単なる『例外』とみなすべきでない。むしろ、今とも地続きの、自分のこととして見るべきだと思います

 

 「歴史見方を変えると、現在見方も、未来見方も変わる。だから歴史の視座の多様化が大切なのです。過去重要な転換期に、普通の人々翻弄(ほんろう)されるだけの受け身存在ではなかったことに気付けば、私たち現在未来への向き合い方も変わってくると思います

 

海外から日本近現代史研究する意義

 ――益田さんはシンガポール研究拠点です。

 

 「そのおかげで、欧米日本だけでなく、アジア各国の研究者とも共同研究する機会に恵まれ、多様な見方に触れることができます。今春には編者として『Cold War Asia: Unlearning Narratives, Making New Histories』を出版しました」

 

 「従来の冷戦史は、米国ソ連中国政治指導者や高官を中心に展開されますが、この本ではアジア各地の普通の人々体験を通して冷戦を描きました。同様に、日本史も相対化して考えるようになりました。異なる国々でも似たパターンが見えてくれば、日本で起きたことが特別とか例外とは見なくなります

 

 「視野を広げないと歴史を語れないことにも気付くので、関心領域地理的にも時間軸でもどんどん広がっています。例えば、今回は私の専門は日本近現代史20世紀アジア史、米国外交史と説明していますが、日本では『広すぎる』と思われるかもしれません。でも20年間研究していれば、どうしても専門領域は広がるんです。今回は日本主題なので日本近現代史を一つ目にしていますが、冷戦史を書いた時は米外交史とアジア史と説明しました」

 

歴史家の役割大きな物語提示

 ――国内外で秩序が揺さぶられる今、歴史学に求められることとは。

 

 「そもそも歴史学の原理アナリシス分析)です。基本的に分けて考えていく。分けることで物事真実が見えてくるという前提です。だから研究者は、時代を絞り、地域を絞り、テーマを絞る。研究が進めば進むほど、分岐が進み、専門化が進むゆえんです」

 

 「ただ、それぞれの研究成果を本来、どこかで融合させないといけない。もともと世界はつながっているし、政治社会文化といった事柄本来分かれたものでもない。だからアナリシスの対になる概念シンセシス総合)も必要ではないかと思います。私が取り組んだのはこの路線で、小さな話をあっちこっちから拾い集め、モザイク画のように『合わせる』ことで新たに見えてくるものもあるという姿勢です」

 

 「歴史家の役割大きな物語ナラティブ)を社会提示することだと考えています日本

2026-03-05

たぶん今後本物のヒトラーの再来が現れるんだろうな

全体主義とか独裁者とかそういう話じゃなくて

ユダヤ人抹殺的な意味でね

2026-03-04

カラマーゾフ』を語るなら、せめて神義論くらいは通ってきてくれ

先日、自称文学好き」の友人とカフェで『カラマーゾフの兄弟』について話す機会があった。

彼はラテを啜り、眼鏡ブリッジを指で押し上げながら、自分テクストの「最前線」に立っていることを露ほども疑わない口調でこう切り出した。

「結局、ドストエフスキーの凄みってのは、あの徹底した『脱構築』にあるよね。大審問官のシーンにしたって、あれは宗教的コンテクストを超えた、システムによる人間管理予言だよ。フーコーの先取りと言ってもいい。キリストという『個の超越性』が、教会の『全体主義的な統治機構』によって無化される……あの構造的なパラドックスを、あの時代に描いたのは確かに天才的だ。現代ポピュリズム批判としても完璧機能しているよね」

彼は「コンテクスト」だの「パラドックス」だのといった横文字を、安っぽいトッピングのように振りかけながら、悦に入っていた。

「まあ、現代の僕らにとって神なんてのは、単なるナラティブの一要素、あるいは古典的フレーバーに過ぎないわけじゃない? だからこそ、純粋な『自由支配相克』として、あのシーンを抽出して楽しむのが、最も知的アップデートされた読み方だと思うんだ」

私は、彼の「洗練された批評家」を気取った横顔を眺めながら、内心で深い溜息をついた。その「アップデート」とやらが、ドストエフスキーが血を吐きながら向き合った深淵を、単なる「知的ゲームの駒」にまで脱色する、いかに軽薄な行為であるか。彼は微塵も気づいていないのだ。

私は、彼の「高度な解釈」を皮肉を込めて賞賛した。

「いやあ、実にお見事。洗練された、いかにも『現代的』な解釈だね。現代思想眼鏡を通せば、ドストエフスキーもここまで『清潔』に処理できるんだ。……でも、その解釈の中で、君は『神義論』をどう位置づけているんだい? 当然、それを踏まえた上での結論なんだよね?」

友人は、今まさに自分披露した「最新の知見」を、聞いたこともない単語で遮られたことに、一瞬、不快そうに眉をひそめた。だが、すぐにせせら笑うような表情を作ってこう返してきた。

「……しんぎろん? ごめん、そういうマイナーな……何て言うか、アカデミック重箱の隅をつつくような用語には興味がないんだ。僕が言いたいのは、もっとアクチュアルな、現代を生きる僕らのための読みの話だよ。そういう賢しら気な分類学のラベルを貼って安心するのは、かえってテクスト可能性を狭めているんじゃないかな」

彼は、自分が「神義論」という言葉を知らないことを、あたかも「そんな価値のない衒学用語に触れる必要がない」という知的選別であるかのように装ってみせた。(ちなみに「神義論」は神学の基礎教養であり、これをマイナーと言い切る度胸には恐れ入る。)

神学という学問存在すら、彼の認識の外側にあるようだった。

神を「フレーバー」だと切って捨てたその口は、ドストエフスキーという男が生涯を通してのたうち回り、その魂を削り続けた神義論という名の「躓きの石」を、その一端すらも捉えていない。

神義論という「キリスト神学の最大の謎」

そもそもドストエフスキーが格闘していたのは「権力システム脱構築」なんていう安っぽい知的パズルではない。彼が対峙していたのは、キリスト世界が二千年間解けずにいる最大の問題――「神義論」だ。

神義論のジレンマ

「至善であり全能である神がいるなら、なぜこの世に不条理な悪や苦しみがあるのか?」

神が善なら悪を滅ぼそうとするはずだし、神が全能ならそれを実現できるはずだ。それなのに、世界には罪のない子供の涙が溢れている。この矛盾に対して、神をどう「弁明」するか。

歴代神学者たちは、これを「自由意志」で説明してきた。

神は人間操り人形ではなく、自ら善を選択できる存在として創られた。そのためには「悪を選択できる可能性」がセットで必要になる。自由意志という「最上の贈り物」を維持するためには、悪というリスク必然的に伴う。自由意志の価値を悪の被害以上に高く見積もることで、神が創った世界はなお善きものだと言い張る……。

これが、キリスト世界必死にひねり出した「神の正義」の証明だ。

天国への「入場券」を返すという拒絶

この神義論の伝統理解してはじめて、イワン糾弾の「本当の重さ」が見えてくる。

イワン子供虐待を引き合いに出して、神に「入場券を返す」と言い放ったあの有名なシーン。

ここで言う「入場券」とは、将来訪れるとされる「究極の調和天国)」への入場許可のことだ。キリスト教的には、今の苦しみは将来の大きな喜びのために必要プロセスだとされる。

だがイワンは拒絶する。もし、その「究極の調和」の完成のために、たった一人でも罪のない子供の涙が必要だと言うのなら、そんな高すぎる代償を払ってまで得られる幸福など自分は要らない。だから天国への入場券は恭しくお返しする。

これは単なるヒューマニズムの抗議ではない。「自由意志の価値なんて、子供の流す一滴の涙にすら及ばない」という、神学の根幹に対する絶望的な拒絶なのだ

そして大審問官が説く「自由人間にとって重荷すぎる」という言葉は、自由意志という神が与えた最大のギフトを、人類ほとんどが使いこなせずに自滅しているという、神の創造計画への凄まじい皮肉だ。

これらの文脈を抜きにして「現代ポピュリズム批判だ」などと語るのは、信仰を持たずに「この聖堂の荘厳さに心が洗われる!」と言っているようなものだ。

ドストエフスキーを「無宗教安全圏」から消費する浅ましさ

残念なことに、多くの日本人読者はこの「神との命がけの格闘」を、自分たちの「無宗教的な正しさ」を肯定するための材料として消費する。キリスト教にアレルギーを持つ自分たちの在り方を、イワン言葉を借りて正当化しているに過ぎない。

彼らは、イワン絶望自分たちの「世俗的な正しさ」の補強に使い、アリョーシャが体現しようとした「それでも神を求めずにはいられない地獄のような信仰からは目を逸らす。神義論が悲劇正当化しかならないことを痛いほど理解しながら、それでもなお神を求め続けたドストエフスキーの「祈り」の苦悩を、彼らは決して触ろうとしないのだ。

友人が「大審問官」に覚えたその薄っぺらカタルシスは、ドストエフスキーが血を吐きながら書いた思想の、ほんの出し殻に過ぎない。

文学を読んで賢くなったつもりでいる君へ

カフェを出るとき、友人は何か釈然としない顔をしていた。

「まあ、ドストエフスキーは君には難しすぎたかな。彼は未来を先取りしていたからね。『現代思想最前線』を履修してようやく理解できるのさ」

私は微笑んで頷いた。

「そうだね。君が『ドストエフスキー深読みできる自分』によって自尊心を満たせるなら、それが君にとっての正解なんだだろう」

文学を読んで賢くなったつもりでいる君へ。

君が読んでいるのは、ドストエフスキーではない。

ドストエフスキーの皮を被せられた、君自身薄っぺら承認欲求と、肥大化した自尊心鏡像だ。

君の言うその「現代思想によるアップデート」のあまりの軽さを、私はただ、憐れみをもって眺めている。

2026-03-02

[]スロバキアドラマ2025年)のブルマー

お久しぶりです

ブルマー増田としての活動は停止したと言ったが、実はその後何度か投稿している。気に入った洋楽MVのまとめ、レオタードについての追補(追補・レオタードについて)と、中南米スカートをめくりあげて赤い下着を見せる動画についての疑問についての検証スカートめくって赤いパンツを見せるペルーのお祭り)だ。最後記事では正直、人工知能を使って調査することに戸惑いもあったし、活動停止宣言をした手前、名乗り出るのもどうかと思ったので他人のふりをしたのだが、この自作自演も意外とだれからも気づかれず、増田での匿名性の面白さを感じた。

活動停止宣言2024年6月で、MVレオタードについての追補が2024年12月南米祭り2025年6月Youtubeスカートが捲れる動画ばかり見ていたせいでペルー動画オススメにのぼってきて、調査をしたという次第である人工知能質問することを調査と言っていいのか正直疑わしいのだが、これが堕落なのか進歩なのかはよくわからない。

スロバキアドラマブルマー

さて、そんな中で次にオススメにのぼって来たのが次の動画である

実は一番最初ブルマー投稿日本人のブルマーとイギリス人のブルマー)のツリーにぶら下げたのだが(anond:20251223195732)、ひっそりとやったので誰からも気づかれていない。

Nácvik na spartakiádu

スパルタキアードの訓練

Nerobte hlúposti a pomáhajte si

愚かなことをせず、助け合いましょう。

Nácvik na spartakiádu: Lenka a Barbora sa pohádali

スパルタキアーデの練習:レンカとバルボラ喧嘩した

Nácvik na spartakiádu: Zuzana supluje za Michala

スパルタキアーダの練習:ズザナがミハルの代わりを務める

Nácvik na spartakiádu: Posledný tréning

スパルタキアードの訓練:最後の訓練セッション

Kopačky od žiačky som ešte nedostal

生徒からサッカーシューズをまだ受け取っていません。

Nové dievčenské basketbalové družstvo

新しい女子バスケットボールチーム

Barbora sa zranila pri basketbale

バルボラバスケットボール試合中に負傷した。

Betka sa chce pridať na športový krúžok s chlapcami

ベトカは男の子たちと一緒にスポーツクラブに参加したいと思っています


前半はスパルタキアーダ(共産主義の体育大会)の練習シーン、⑦以降はバスケのシーンである。以前調査したチェコと同じように、女子は青いブルマー男子は赤い短パンである

尚、増田仕様上、9つを超えると動画投稿できないので、それ以降の動画はこの後ろに投稿する。[調査]カテゴリクリックしていただければ出てくる。

で、ブルマーがあるのはわかったけれど、これは何て番組

これはスロバキアドラマで『Sľub(誓い)』という作品から公式の切り抜きだ。

テレビ・マルキーザという、スロバキア最大の民放作成している。

1984年スロバキア学校舞台教師や生徒、その家族生活が描かれている。スパルタキアーダの練習物資不足など社会主義下の不自由日常を背景に、秘密や愛、思春期葛藤を描いている。国家への忠誠を強いる厳格な教育体制と、自由を求める思春期純粋感情友情が、ノスタルジックかつ残酷リアリズムで綴られているらしい。

当時の共産圏では、数万人規模の集団演武スパルタキアーダ」が国家威信をかけた重要行事であった(チェコの民族意識と社会主義とブルマーチェコのサマーキャンプ、ドイツのブルマ再び、バルト三国のブルマで以前調査したね)。あの極端に短いブルマーは、個性を排して統制美を追求した当時の公式体操着であったと、人工知能は回答したが、少なくも現時点では、この内容は自分調査結果とは矛盾しない。ブルマーの素材がペラペラだったのも再現されているようだ。

自分調査したのはチェコブルマーだが、チェコスロバキア1993年まで一つの国であったので、事情は同じだろう。

キャラについて(geminiによる調査

  • Lenka(レンカ)

長いブロンドの髪と繊細な顔立ちが特徴の少女物語では、国家理想自分感受性との間で揺れ動く「内面葛藤」を象徴する役割を担う。静かな眼差しで、自由を奪われた環境不条理を観客に伝える。

活発で意志の強そうな顔立ちをした、レンカの親友規律に縛られた集団生活の中でも、ユーモアと反抗心を失わない「精神的自由」の象徴。繊細なレンカを支え、停滞した空気を打ち破るエネルギー物語に与える。

  • Zuzana(ズザナ)

同級生より少し背が高く、落ち着いた大人びた雰囲気を持つ少女。一歩引いた視点社会矛盾を見つめる「冷ややかな観察者」の役割背伸びしたい年頃の少女が、強権的な教育に抱く嫌悪感を鋭く表現している。

短髪で中性的容姿を持ち、活発に動く姿が印象的なキャラクター。集団の和を乱すことを恐れない姿勢が、物語に緊張感をもたらす。

  • Betka(ベトカ)

丸みを帯びた顔立ちの、幼さが残る真面目な少女体制の教えを純粋に信じて従おうとする「従順犠牲者」の役割彼女無垢一生懸命さが、逆に国家による管理残酷さを際立たせる、悲劇的な存在

音楽について

①などで使われている音楽スロバキア(旧チェコスロバキア)の伝説的な歌手 Marika Gombitová(マリカゴンビトヴァー) による 「Poupata(ポウパタ)」 で、スパルタキアーダの公式曲であった。すなわち、1985年に開催された大規模な国家行事スパルタキアーダ」において、年少女子(8年生〜高校生)のテーマソングとして制作されたらしい(なお、ドラマ演者14歳から15歳くらいとのこと。日本ドラマみたいに18歳以上が学生を演じているのかと思ったら違った。欧州の人びとの年齢を推測するのは難しい。実際海外美術館で課外学習中の生徒を見ると全く分からない。わずかに、表情の幼さから学生と知れるばかりである)。

少女たちの成長と、社会主義国家の明るい未来を重ね合わせたプロパガンダ的があり、明るい曲とは裏腹に、全体主義的でもあるらしい。

なお、練習ブルマだが、本番ではレオタードだった。

地上波ドラマブルマーの是非

ところで、テレビ放送されるブルマーと言えば、以前日本朝ドラで、ブルマー姿が放送されたことが適切かどうか議論になったことがある。「ちむどんどん」だったっけ? 賛成する立場としては歴史的正確さを重んじるし、反対する立場としては露出度を抑えることを重んじる。元々ドラマを見ないので、どうするのが適切かどうかはわからない。ただ、エンターテインメントでは歴史的正確性はそこまで重んじられていない。時代劇ではだれもお歯黒にしないし、若い俳優は月代にしていない。今後は昭和から平成舞台にした作品では、少なくとも実写ではブルマーだったはずの場面でも短パンをはくのがスタンダードになっていくことだろう。

一方で、昭和アニメリメイク、たとえば「うる星やつら」や「らんま1/2」などでは、もうしばらくブルマー延命されることだろう。

あと、若い俳優ブルマー姿を公式アカウントで流すことで、炎上している様子は特にない。日本で例えば同い年のアイドルブルマー大運動会とかやったら大変な抗議が起きるだろう。

東欧ではその感覚はかなり違うのかもしれない。かなり肌を見せているロシアの若年のダンス大会動画youtubeアルゴリズムで上がってくる。

近況

なお、拙宅ではテレビを買い替えたのだが、最近テレビYouTubeもつなげられるらしい。早速大写しにしてみたが、画面の解像度の良さに驚いた。また、音響も良く、クラシック音楽を流すとなかなか良い。広告なしにするために有料プランにしてもいいと思ったくらいだ。動画も保存できるらしいし。

ヴェルディの「レクイエム」や「椿姫」を流しながら皿を洗うのが最近自分トレンドだ。だってブルマー動画を流しながらだと怪我をするしね。

それではまた明日(多分)。

2026-03-01

anond:20260301134217

日本の左はマルクス思想で元々権威主義からね。

そんな人達リベラルを名乗ってしまったのが間違い。

多分(マルクス系の)草の根運動≒各個人運動みたいな履き違えた勘違いを利用した結果なのかも

「動員」って言葉を使うくらい全体主義的な運動なのにね

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