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インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論
SNSの名前欄などにこの規範の名前を書いて遵守する意志を示す、という使い方を推奨したい。
以下に規定を記していく。
この規範の内容は、ネットのある種の場所で多少なり暗黙に共有されていた考え方だと思う。
何かが起こり始める、ほとんど人のいない場所には、こういった考え方を本能的に持つ人間が自然にやって来ていたのだと思う。
しかしこの考えを持っているのはあくまで最初から持っている人間だけであり、それを知らない人間が彼らの振る舞いを見てこれを読み取るのは不可能だったろうし、実際誰もこういう考え方を明示しなかった。
また、いずれにせよ最初から知っていない人間が実践できるものではなかっただろう。
それゆえこのように振る舞うべきという考えを誰も持つことがなく、おもしろい場所はつまらなくなる一方だったのだ。
しかし、おもしろい場所がつまらなくなるのは、人が集まることによる必然的な結果とは限らず、ただこの考えを明示しさえすればよかったのだ。
そもそも、価値ある結果を生むにはどんな考え方を持てばいいのかを、誰も意識的には知らなかったのだ。
この規範を見て、こんな内容はとても誰もが守れるようなものではないと思われる人もいるだろう。
この規範はすべての人が守るべきことを提示しているのではなく、センスのない人間をはじき、価値あることをしたいと思っている人間だけで活動できるようにするためのものだ。
したがって、この規範を守れないと感じた人は、まさに守る義務がない人だ。
この規範が価値を生むのに役立たないと考える人がいるなら、まさにこの規範とは正反対の思想を実践してみればいい。
その内容はこういうものになるだろう。
今回の「オフレコ破り」で色々な論が出ている。が、論点がいまいち整理されていないがために嚙み合わない議論が続いていると思う。
別に時間をつぶすためにXにかじりついている人間からすれば些細なことではあるが、そんなのを見せつけられるとストレスが溜まってしょうがない。ここで私なりの論点を整理したいと思う。
もちろん過不足はあると思う。適宜指摘してほしい。筆者は専門家ではないし、メディア論のプロでもない。その点に留意してほしい。
なお、繰り返しになるが生産性のない議論に辟易しているのでこれをまとめている。これに対してブコメを付ける人々は胸を張って生産的であるというコメントを付けてほしいし、トラバを行う人々も生産的であって欲しいと思っている。もちろんこれを判断するのは筆者ではない。自分自身で十分と思えるものを付けてほしい。
この発言をしたとされているのは、官邸幹部で総理に安保関連で色々な意見を示すことが可能という人間である。この人間が「あくまで個人的な意見ではあるが、日本は核を保有するべきだと思う。とはいえ現実的には難しいと思う」といった発言をしたのである。
この発言が個人的意見として許容されるか否か。また立場が加わることで発言の重みが変化するのか。
当該の人間は恐らく現総理の就任時に官邸入りした人物であると推測されている。要は総理が気に入ったやつを連れて来たということである。これ自体は歴代の内閣でも(程度に差こそあれ)行われてきたことである。
そもそもこの慣行は良いことであるか、また総理の人選センスは良かったのか。
あくまで個人的な意見と断った上での発言である。これらが政権内で共通の意見であるかどうかの確認は一切取られていない。このような発言をオフレコ破りをしてまで報じるべきだったのか。
日本テレビなどは「なぜオフレコ破りを行ったのか」の説明を行っている。が、高市政権幹部“核兵器保有すべき”非公式取材で考え示す (2025年12月19日掲載)|日テレNEWS NNNで「発言は、オフレコを前提とした非公式取材ででたものです。日本テレビでは発言の重要性から伝えるべきと判断しました。」などとあいまいな説明に終始している。
重要性がなぜあったのかと判断したのか、誰が判断したのか、重要なのに伝えられていない発言があるのではないか。そういった疑念を生む中で現状の説明が十分なのか
共同通信は初報で「首相官邸筋「核持つべきだ」 安保担当、非公式取材で」といったタイトルで伝えた(https://www.47news.jp/13614806.html])。しかしながら、上記の通り発言者は個人的な意見であると断ったうえで非現実性についても触れている。
タイトルだけ読んでいる方が悪いとも言えるが、そうした意見があるのもまた事実である。このような「切り取り」は良いのか。
ただし共同通信は名前にある通りストレートニュースを基本として配信を行う「通信社」である。タイトルが短くなる傾向があることに留意。
前総理は、総裁に選出されてから首班指名を受けるまでのわずかな間に、核共有及び核持ち込みに関する主張を行っている。英語であるがShigeru Ishiba on Japan’s New Security Era: The Future of Japan’s Foreign Policy | Hudson Instituteでまだ読める。これに関する論考としては笹川平和財団のレポートが良いであろう。「核共有及び核持ち込み」の議論で押さえておくべきポイント: 石破新首相の主張を題材に | 米国政策コミュニティ論考紹介 | 日米関係インサイトで読める。
この際、安全保障に対して強い関心がある人々では話題となったがマスコミは大きな問題として扱わなかった。オフレコではなく堂々とオープンにされている意見であるため性質は異なるが、マスコミの報道姿勢の違いが妥当かという問題である。
元の主張が「アジア版NATO」に関する主張の一部であるため、マスコミが気付かなかったことも考えられるが、そのような視点においてはマスコミの質に関する問題とも捉えられることを付記しておく。
はっきり言って日本において「オフレコ」はかなり曖昧に運用されている。Xの投稿の中ではアメリカの基準を持ち出して叩いている人々がいるが、これは見当違いである。とはいってもこの運用が適当であるかは別途議論されるべき論点だろう。
今回のような発言は、マスコミと官僚・政治家がある種の「癒着」を行っている中で飛び出したものである。そもそもこのような関係性が健全であるのか。
普通に「消息筋によると~」や「農水省幹部によると~」といった書き出しの記事は日常的に見るものである。我々は情報を受け取る際にこれらがどういったソースからきているのかを十分に気にしていなかったのではないのか。
散々マスゴミマスゴミと罵っておきながら、能動的なことは何もしてこなかったことはどうなのか。
今回のような発言を取ることは、はっきり言えば一般人にとって極めて困難である。マスコミを叩くだけなら簡単だが、何も生んでいない。市民ジャーナリズム(JANJANなど)も収益的に厳しく撤退していった。そういった中で我々は何を出来るのか。
「皆保険止めることには医療従事者は全会一致で賛成」を検索しました
すべて表示(4)
いいえ、事実ではありません。この発言は、医療従事者の間で国民皆保険制度の廃止に対して全会一致で賛成するという内容ですが、実際の医療界の意見や団体の立場を調べた結果、そうしたコンセンサスは存在しません。むしろ、医療従事者の多くが皆保険制度の維持・強化を望む声が主流です。以下に根拠をまとめます。医療団体の公式立場全国保険医団体連合会(保団連):2023年6月の理事長談話で、健康保険証廃止法案を「国民皆保険の基盤を揺るがす」と強く抗議。2024年4月の調査では、医療機関の59.2%が保険証廃止に反対し、会長は「皆保険制度のもとであってはならない」と明言しています。
m3.com
大阪府保険医協会:同様に、保険証廃止を皆保険の崩壊につながると批判し、参議院特別委員会の採決に抗議。
osaka-hk.org
これらの団体は、医師・歯科医師を中心に数万人の医療従事者を代表しており、制度廃止への反対が明確です。全会一致の賛成など、逆の主張は見当たりません。
一般的な医療従事者の意見(X投稿から)X(旧Twitter)での議論を検索したところ、医療従事者(医師・看護師など)の投稿は皆保険廃止に批判的または維持を求めるものが大半。一部で廃止を望む声はありますが、少数派で全会一致とは程遠いです。例:公立病院の赤字問題で「皆保険廃止したら医療従事者の賃金も上がるんか?」と疑問を呈する投稿(2025年9月)。
@ssaka1126
例:医療従事者が「皆保険廃止を望んでる。やりたい治療ができなかったり不平等が生じている」との個人的意見(2025年7月)。
@akujiki_xtrail
反対側の声:参政党の皆保険廃止論を批判する医療従事者の投稿が複数あり、「医療崩壊を防げ」と皆保険維持を訴えるものも。
全体的な文脈皆保険制度の廃止論自体は、財界(例:経済同友会新浪剛史氏)や一部政治家(参政党など)から出ていますが、医療従事者からは「崩壊寸前だが改革で守るべき」との指摘が多く、廃止賛成の全会一致は確認できません。
minnanokaigo.com +2
発言の出典検索でも、このフレーズはデマや風刺の可能性が高く、信頼できるソースで見つかりませんでした。
皆保険は日本独自の強みとして、医療従事者からも守るべき制度と見なされています。廃止が全会一致で賛成されるような事実はなく、むしろ反対の声が強いのが実情です。
【注意事項】
※無駄にクソ長い
※あくまで完全個人的意見であることのご留意をお願い致します。
※個人的な考え方をぐだぐだと捏ねているだけです。多分整合性とか納得感はない。
※個人的な考え方をダラダラ書き綴っている形に近いので無駄に長い。
※どちらがいいとかどちらが悪いとかそう言う議論もしていません。
昨今話題の絵描きと生成AI使いの対立問題について。なぜこのような対立が起こるのかという原因について好き勝手に色々と考えた内容です。
まず初めに、区別をつけやすくするために、イラスト系の生成AIを用いずにイラストを描いている者を“絵描き”、イラスト系の生成AIを用いてイラストを出力している者を“生成AI使い”と評させていただきます。不快にさせたらすまん。
主題は“絵描きが資料を見て描くことが、なぜ生成AIを用いてイラストを出力することと同義ある”とされるのか。また、そのことに対し、絵描きと生成AI使いで意見が異なるのはなぜか。
個人的に至った結論は、『“素材”という言葉の解釈に差があるから』です。
それでは、この結論に至った経緯を順を追って説明したいと思います。
【全体の構成】
4.オリジナリティとは
5.まとめ
早速、結論の根幹に触れる形ですが、絵描きと生成AI使いのそれぞれの“素材”という単語への認識は次のとおりだと考察しています。
絵描きにとっての素材とは、最終的な完成作品にほぼそのまま用いられるものであり、画材やトーン、配布されている3D、図柄パターン、レースや鎖を簡単に描けるカスタムペン等がこれに当たると思っています。(もちろん他にもありますがきりがないので割愛)。
ここで重要なのが、“最終の完成品にほぼそのまま用いられるもの”という概念と、これらの素材は無償、有償に関わらず素材の“製作者の意思により配布・販売されているもの”であるということ。
つまり、絵描きは素材を用いたときにはその素材は自分のものではなく第三者のものであり、作品を完成させる過程に於いて“他人のものを使っている”という認識を持っている。
なので、必要があれば出典元や素材元を明記するし、ましてや“自分が作った”なんてことは言わない。
一方の生成AI使いにとっての“素材”とは“生成AIを作る過程にて用いられた大量のイラストデータ”であり、それらはあくまでデータでしかなく、そのデータ群は絵描きにとっての素材、資料、経験と同義であるという考え方だと思っています。
この時点ですでに相容れない認識の違いが生じていると考えています。
正しくは、“素材への取り扱い方”の差というべきでしょうか。
絵描きとって、素材は基本的には自分が作っていない(中には自作されている方もいらっしゃいますが)第三者のものであり、“無償・有償に関わらず製作者の許可なく使用してよいものではなく、必要に応じて出典を明記するもの”である。
それ対し生成AI使いにとっては、生成AIを作り出す過程で使われた大量のデータであり、このデータとは絵描きにおける経験と同義のため、たとえ“第三者が作成したものが許諾なく使用されていたとしても問題はない”。
なぜならば、絵描きとっての生成AI使いのイラストは、許諾のない第三者のイラストの切り貼りでしかなく、許諾のない他人の作品を切り貼りして自作のオリジナル作品だと公表することはタブー中のタブーであると考えているからです。その作品が生成AIイラストや百歩譲って基となったイラストの絵描きのコラージュ作品であると明記しているならばまだしも、そういったことを明記せず、ましてやオリジナルを名乗っているなど許せない。他人の褌で相撲を取ってるくせに、絵柄という他人のオリジナリティを勝手に使ってるくせに、となるわけです。
しかし生成AI使いにとっては、素材とは蓄積されたデータは絵描きとっての素材であると同時に知識や経験であり、絵描きが絵を描くことは蓄積データ、つまりこれまで見てきたイラストの組み合わせであって、やっていることは生成AIを使ってイラストを出力しているのと変わらない、というわけです。やっていることは変わらないのになんで生成AI使いだけ批判されなきゃいけないのか。ダブスタも甚だしい、という考え方です。
“素材”に製作者の許諾があるのかないのか。
これらの考え方のズレが基となり、両者の解釈や認識のズレがさらに拡大し、対立が激化するのだと考えました。
さて、ここから下の項目や書いてある内容については、ぶっちゃけ蛇足ぎみだし、わかりにくいし、ぐだぐだと同じようなことを言葉を変えて考えてるだけです。
多分矛盾とかもあるので、それでもよければ、お先へどうぞ。
項目1にて生じた“素材”という単語への解釈の違い。前項の最後に記した通り、“素材”の解釈違いは、さらに“経験”という単語への認識の違いが生んでいると考えてます。そしてこの認識の違いが分かりやすい形で表面化したのが、『絵描きが参考資料を見て描くことは、生成AIでイラストを出力するのと同じである』という言葉だと思っています。
前項に倣って、各自の“経験”という単語への解釈は次のようになっていると考えています。
絵描き:これまで見聞きしたり、調べたりして蓄えた知識や技術の積み重ね。素材≠経験
生成AI使い:経験には二通りの解釈があり、ひとつ目が生成AIに蓄積された大量のデータで、ふたつ目が生成AIに指示を出す時のプロンプトの知識。前者が素材=経験であり、後者は素材≠経験という考え方。
絵描きにとっては“素材≠経験”なのに対し、生成AI使いにとっては“素材=経験であり素材≠経験”です。なぜこのような差が生じるのかは、前項1のとおり、絵描きは経験と素材が完全に独立しているのに対し、生成AI使いには完全には独立していない領域があるためだと考えます。
生成AI使い側に“素材=経験”の考え方があることによって、絵描きにとっては“経験”だけに含まれる『参考資料を用いてイラストを描く』という行為が、生成AI使いにとっては素材と経験の複合体である『大量のデータを用いてイラストを出力すること』と同義であるという認識になるではないでしょうか。
分かりやすく示すなら以下のようになるでしょうか。
生成AI使い:素材=経験=参考資料を見て描く、素材≠経験=参考資料を見て描く=プロンプトの工夫
素材が経験と同義か否かで、決定的な違いが現れたのではないでしょうか。
いえ、それよりかは素材と経験が完全に分かれているかいないかによって違いが生じているというべきかもしれません。同時には成り立たないと思っていることが、一方ではその通り成り立たず、しかし他方では成り立ってしまう。この差がより対立を生み、問題をややこしくしているように感じました。
素材や経験といった単語の解釈の差を起点に、さらにそれに付随する考え方の解釈がどんどん乖離していっている。そんな考えについてです。
ここは、言葉で説明するのが難しく、さらにややこしいので、さっさと箇条書き形式でまとめを書きます。
・素材=完成作品にほとんどそのままの形で使用するものであり、基本的に第三者の著作物であることが多く、作者の許諾や場合よっては出典の明記が活用になる。
・経験とは創作者本人がこれまでにイラストを描くことによって蓄積してきた知識や技術であり、参考資料を用いて描くことは経験の蓄積に値する。
・作品ごとにその作者特有の癖や特徴があり、それは各人それぞれのオリジナリティである。(イラストを見て製作者がわかる)
・絵を描く行為は、これまでの経験の発露であり、たとえ同じ知識や経験を持っていたり、同一の資料を参考にしたとしても同じ作品は生まれないため、作品には作者のオリジナリティがある。
・生成AI使いに於ける素材とは、“生成AIをつくる過程で用いられた大量の第三者のイラストデータ”であり、そのほとんどが“製作者の許諾なく使用されたもの”である。
・自分で描くという行為をしないため、“イラストを描くことへの知識や技術の蓄積”は存在せず、よって経験はない。
・素材に他人のものしか使っていないため、基となったイラストの特徴はあれど、イラストを出力した出力者のオリジナリティはない。(イラストを見て学習データ基はわかるが、イラストを出力した者がわからない)
・出力されたイラストは蓄積されたデータ元のイラスト製作者のイラストの切り貼りであり、それは出力者のオリジナリル作品とは呼べない。
・素材=生成AIを作り出す過程で用いられた大量のイラストデータである。
・経験とは生成AI内に蓄えられた大量のイラストデータ、もしくは、生成AIに指示したプロンプトとそれに対する出力結果の蓄積である。
・適切なプロンプトを用いて想像通りをイラストを出力する行為は、これまでに用いたプロンプトとそれに対する出力結果の蓄積であり、この経験により出力されるイラストにはオリジナリティが存在する。
・絵描きに於ける素材もまた、生成AI内の蓄積データと同様に世の中に溢れる大量のイラストや他人が作った作品、写真等である。
・絵描きがイラストを描くことは、世の中に溢れるイラストの特定の部分を抜き出し組み合わせる行為であり、参考資料を見ながら描くこともそこに含まれる。
・絵描きがイラストを描く行為は、生成AIに的確なプロンプトで指示を出してイラストを出力することと同じである。
・絵描きのオリジナリティは既存のイラストの組み合わせの違いから生じるものであり、どんなプロンプトを書きなにを組み合わせるて出力させるかという部分がオリジナリティである。
一応、各行ごと対比させることを意識して描いてみたけれど、やはりわかりにくいかもしれない……。
もっとまとめるとこんな感じでしょうか。
絵描きの自認
素材は素材、資料は資料、経験は描く過程で習得したこれまでの知識や技術の蓄積。全てが別々の概念であり、資料を見ながら描く行為は経験に値する。これまでの経験によって製作者ごとに絵柄や色選びなどにオリジナリティが生じ、それらは決して過去作品の切り貼りでは生み出されない変化である。
素材はビッグデータであり、生成AIに指示を出すプロンプトについての経験を“イラストを描くという経験”とは認識しない。AIイラストはあくまで他人のイラストデータの切り貼りでしかなく、出力された生成AIイラストにあるのは学習データもととなった製作者のオリジナリティで、生成AIを使っている生成AI使いのオリジナリティはない。
生成AI使いの自認
素材、資料、経験の一部の三つとも生成AIに蓄積されたデータを指す。その一方で、資料には他の人が書いたプロンプト等の概念や、経験にはイラストを出力する過程て考えたプロンプトといった内容も含まれる。AIイラストを出力するためのプロンプトにおいてオリジナリティが生じる。
素材や資料はすでにあるイラストであることに変わりなく、それらは生成AI内に蓄えられた大量のイラストデータとなんら変わりない。イラストを描く工程は指示を出すプロンプトを考える時間と同じであり、完成する作品も過去に蓄積したイラスト知識の切り貼りである。オリジナリティについても同様に過去に参考にした絵描きの真似をしているだけで生成AIの絵柄の模倣と同一である。
まとまっているような、いないような。
個人的には結構しっくりきているのですが、果たしてこれが読み手であるみなさまにどれほど伝えられているのかはわかりかねる次第です。
さて、ここでさらに出てきたのは“オリジナリティ”の概念です。
そして、この“オリジナリティ”の概念もまた、よく争点となる部分であり、前述にもある通り解釈が分かれるものだと思います。
4、オリジナリティとは以降はコチラ【anond:20250805043013】の記事へ
2025年6月26日 syrup16g TOUR 2025 〜孤毒の百年〜@なんばHatch
名古屋に引き続きバキバキにネタバレしてるのでこれから行かれる方で読まれるは方お気を付け下さい。個人的健忘録なので読んでも何も面白くない代物です。
なんばHatchの2階席が一般でも買えたと言う話を聞いて先行に2階席ってあったっけ!?と言うか2階席あるならそっちが良かった!!と思いつつも自分が既に手にしているチケットで入場…。日帰りなのでドリンク交換を先に済ましてから会場へ。本当は後ろの方で観ようと思ってたけど、マキさん側は比較的空いていたのでそちらで観る事に。結局いつも通りのポジションへ…。今日の立ち位置は珍しく五十嵐さんもばっちり見えたので沢山(当事者比)五十嵐さんも見たよ!!でも結局気付いたらほぼマキさんを見てたよ!!不思議!!
ほぼ定刻でスタート。セットリストは名古屋と同じで定番曲の日替わりが神のカルマ·Sonic Disorder·coup d'Etat〜空をなくす(多分福岡と一緒)でした。日替わりに関しては大阪の方が嬉しかった…笑 単純に好きな曲が多い。
以下、印象に残った曲の感想。
2曲目の明かりを灯せで出だし少し演奏してから五十嵐さんのミス?で曲がストップ、やり直しに。五十嵐さんが「…やめたい、…自分をやめたい…!!」って言っててちょっと心配になったけど笑ってたから大丈夫か〜とこの時は思っていた…。演奏自体は良かったと思う。
神のカルマ好きだから聴けたの嬉しい!ツアー中はあまり無理してシャウトとかしないようにしてる感じ。でもそれで良いと思う。あまり無理すると後々に響くし。
名古屋でも思ったけど、Don't Think〜のベースめちゃくちゃヤバい…!!カッコ良過ぎる…!!!次観る機会がある方はこの曲に関してはマキさんのベース音と運指を見て欲しい!!本当に素晴らしいので…!!この曲美くしくて好きだな〜とライブで聴きながら思った。
Dinosaur、やっぱりマキさんが楽しそうで良き。ノッてると左肩をグイってあげるのが好き…。
うつして、名古屋より良かった…。本当に美しい曲だなぁ…。ライブの場面で3人で音源を再現するのは多分無理なので、音源感を求めるのはまた違う気がしてるけど、音源とは違った良さがライブにはある気がする。そして何よりラストのギターが名古屋より断然弾けていた…笑
In My Hurts Again、お煎餅屋のくだりで近くに立ってたセキュリティの方はどんな風にこの歌詞を聴いているのだろうか…とふと思ってちらっと見たら無表情でした(当たり前)チラ見した時普通に目が合って気まずかった笑 心の中でお砂糖とお醤油が奏でる至高のマリアージュ…??って思ってるかな?とか余計な事を考えてしまった…笑
In The Air〜はもっと盛り上がっても良いと思う。演奏も良いし。私は1人で盛り上がってます笑 本当に中畑さんのドラムが好き過ぎる曲。
空をなくす、中畑さん走り過ぎ…!!笑 初手から走ってた笑 この曲のマキさんのベースいつ聴いても最高。
レミゼ、本当に終わりに相応しい曲だなぁと思った。美しくて優しいメロディーと何処か明るい雰囲気を持ち合わせてる素晴らしい曲。レミゼの終わり、中畑さんがありがとうって何度も言ってるのが分かって(マイクには入ってなかったけど口の動きで分かった)何かじーんとした。
Vampire's storeは五十嵐さんだけが出てきて(異様にハイテンションで後ろにいた男の人がどうしたどうした?って笑ってた)何か自前の無地の茶色いタオル掲げてて笑った。ツアータオルなら分かるけど、何故その茶色いタオルを…?笑 五十嵐さんが弾き始めて少しして中畑さんが出てきてドラムも入って、その後少し長めに2人で演奏してからマキさんが出てきてベースが入って曲スタートって感じだったんだけど、名古屋よりカッコ良かった。名古屋は中畑さんとマキさん同じタイミングで入ってきての演奏だったので。名古屋の感想書いた時は自信なかったんだけど、この曲でマキさんがスラップ(?)しててめっっっちゃ興奮した!!カッコいい〜!!声出してしまって隣に立ってた人にチラ見された笑
stop brain、ギタートラブルで演奏途中に音が出なくなってドラムとベースだけになってこんな途中で!?と思ったけど何とか持ち直したので良かった…(のかどうかは個人的意見なのであれだけど…)でも好きな曲だから聴けて嬉しい。
生きてるよりマシさ、いつ聴いてもすごい歌詞だよなぁ…と思う笑 これ発表された当時、五十嵐さん全然変わってないな!!って思ったし友達も五十嵐さん過ぎる!って言ってて笑った記憶。
五「何故だか手がつるんですよね〜(マキさん笑ってた)なので終わりです!」→「えー!?」→「しょうがないよ、手がつっちゃったんだから!…また来てね」「最後は4月のシャイボーイ、シャイガールです」で4月のシャイボーイで〆。名古屋で初めて聴いたと思ったけどやっぱライブでやったの初めてっぽい!私のカスの記憶力も合ってる時はある!
最後客電がついても手拍子鳴りやまなかったので恒例の五十嵐さんアナウスありました。あれ聴けて嬉しかった!笑
·中「お客さんで辛いって人居ませんか?」→マキさんが手でバツを作って中畑さんに見せてる→中「皆に聞くと2人(マキさんと五十嵐さん)が手上げちゃうから…」五「色々な意味で辛いとかは置いといてね…笑」(明かりを灯せのミスを引きずってる感じがした)
·中「木曜、平日なのにこんなに沢山の人が…今日はお仕事は休んだんですか?(学生が来ていると言う前提が全くない質問で笑った)」
·五「色々あったけど…さっき(多分ミスの事)のは忘れて…」「ハッハッハ(カラ笑い)」これめちゃくちゃ痛々しくて聞いてられなかった…。そんな気にしてんの??気にしなくていいよ、全然良いライブしてくれてるよ!って言いたかった…。
·お客さん「シロップ最高!」五「俺もそう思う!」
·中「再結成して10年ぐらい経つけど…こんなにお客さんが来てくれて…ありがとう」って話しながら胸に手をあててる中畑さんにじーんとしてしまった…。中「ありがとうじゃ足りないよね」五「ありがとうじゃ全然足りない…もっと上の…」中「何とか演奏でお返し出来たらって…」
·お客さん「がっちゃーん」五「はーい、なぁに?」このなぁに?って言い方おじさんなのにあざとくて笑う
·お客さん「再結成ありがとう!」五「…再結成ありがとう…?笑」「再結成ありがとうって事は武道館も来てくれた人なのかな?武道館では死んでいる方がマシさ、生きているよりマシさ〜って(両手を上にあげて手拍子する仕草)盛り上がって…怪しい宗教みたいな…信者を増やしていきたいんで、よろしくお願いしますよ、大阪支部の皆さん!」みたいな事をまあまあのテンションで喋ってて、ちょっと中畑さんも苦笑いみたいな感じになっててハラハラした…。
·五「気持ちがなくても(盛り上がってれば)それが伝播するから盛り上がって」みたいな事言ってて…本当に悲しいと言うかそんな事言わないでよって思ってしまった…。言わせてしまった私達も悪い?のかもだけど…。
·五十嵐さんがマジでって言うの珍しいなと思った(どう言う流れの発言かは忘れました…)
·五十嵐さんがたのしー、本当にライブ楽しい!って言ってるの見て、ヘルシーツアーの時にこれからしんどい時は楽しいって言う事にします、楽しいって言ってたらしんどいんだと思ってって言ってた事を思い出してしまって…胸がぎゅーっとなった。そうじゃない本音の楽しいだったら嬉しいけど…。
·ダブルアンコの時にお客さんにギターを弾かせてて、弾かせようと屈んで前に出た時に中畑さんが「危ない、危ないよ」ってめちゃくちゃ心配そうな声出しててこっちも心配になった…。何かもう全てがハイテンションを保つ為のヤケ行為にしか見えなくて…。
演奏の部分とかライブの雰囲気に関して言えば個人的な感想としては名古屋の方が良かったと感じた。あと声がよく出てるなって思う一因としてレミゼの曲が今の五十嵐さんの声のキーに合ってる曲が多いのかもなとこの日思った。何だか不思議とシロップの名古屋公演は盛り上がりがあって雰囲気も良いライブが多い気がする…。大阪も全然良かったんだけど、何より五十嵐さんがカラ元気と言うか何とか自分を奮起させよう、会場を盛り上げようとしてめちゃくちゃ躁になってる感じがすごくて(個人的感想なので、そう捉えてない方は気分害す様な事書いてしまってて申し訳ない…)ハラハラしてしまった…。ミスが五十嵐さんの中で大きく響いた(その後もちょいちょいミスだったりが名古屋より多かった印象)のかは分かんないけど、そんなにファンは気にしてないし大丈夫だよ!!って伝えたかった…。充分楽しいし、良いライブだったと思うんだけど…。まさかライブ見てこんな何とも言えない切ない気持ちになるとは…。帰り道もズルズル引きずってしまった…。五十嵐さんの精神状態がすぐに持ち直してくれてる事を祈りたい…。
シロップのライブ後は必ずと言っていい程ライブに関してポストしてくれてた中畑さんがせずその代わり(?)にマキさんがポストしてたのを見てああ、良い関係性なんだなぁなどと勝手に感じてしまいました。私はsyrup16gが、syrup16gの音楽が大好きです。これはこの先もきっと変わらないだろうと思う。だって解散してもずっと好きだったんだから。
林原めぐみが叩かれてるらしい
中身は全然知らないし、論じる気はないけど、政治的発言や排他的発言はどうなのってことが議論になってるのは見た
政治的だろうがなんだろうが、100人に聞いて100人が〇と判断する考えなんてほぼないわけよ
まあ一部ではあるだろうけど、1000人では?1万人なら?と母数を増やすとより減っていくよね
そんな中での今回の話題よね(炎上なのかどうなのかは判断に困る)
立場があろうがなかろうが、政治的な発言や考えを言ったら叩かれるとか、合ってることもあるかもしれないけどちょっとでも間違ったことがあれば叩かれるとか
立場がある人や影響力がある人は、政治的な発言はしない方が良いよね。って言ってる人もいるけど、立場がある人が何も言えない、許容できない社会とか
息苦しくない?
先にも書いたけど、ぶっちゃけ多様性を許容する社会になった結果、99.9%の個人的意見が賛否あることにしかならないんだから、叩くとか炎上させるんじゃなくて
こういう視点からは違うよね。とかそっちは合ってるけどこっちはちょっと違うくない。とか優しい社会にならんもんかね
多様性を許容して、個人の考えも尊重するとか言ってるのに、センシティブな話題になったとたんに保守的になったり攻撃的になるのってすごく矛盾してて気持ち悪いし、
大阪でやってた国民民主党の街頭演説、ちょうど時間近くに用事もあったのでなんとなく見に行ってきた。
以前来た時も人凄かったし、支持率下がっている今玉木が来るってことで、どんなもんかと思って。
直前に自民党青年団も演説してたけど、そっちは聞いてる人は皆無。携帯いじりながら近くに立ってる人はいたけど。
大して国民民主の方は始まる前からそこそこの人だかり。始まってからはもう立ち去るのも一苦労くらいの集団だった、まあ立ち止まってるだけの人も多かったけど。
ただ、後になって「あれ記者多くね?」ってなったね、自分がいたちょうど真ん中くらいから前は、一般人よりカメラ持った人のが多いんじゃね?ってくらい。まあ配信者かもしれんけど。
45分開始といいつつ、実際には30分くらいから既に始まっていて、大阪市議会とかの国民民主所属議員が話してたのかな?ちゃんと聞いてなかったけど演説はしていた。
ただ玉木が現場に着くタイミングで、一気に人がドバッと増えた。完全に「有名人が来るから」って感じ。演説してる場の逆、ヨドバシ側のデッキにも人がそれなりに居た。
足立は言ってることはまともっちゃまとも。でもAV新法の時、現場の声スルーしてゴリ押ししてた前科あるから、説得力には欠ける。
ただ実務能力とか詳しく無いから何とも言えないかな、良いうわさも聞かないけど。
渡辺は…なんかもう医者って言っても「肩書きだけやん」って感じ。医者で30歳で、ってなると実際の現場経験たった1年くらいっぽいし、どう考えても医療語れるレベルじゃない。
喋りも下手だし、ヨドバシの地下でよく見る地下アイドルのちょっと劣化版みたいな雰囲気。でもなぜか支持者(主に男)はキャーキャー盛り上がってた。まあそういう層には刺さるんだろうなって感じ、もしくは次の不倫候補か。
噂では大病院の血筋らしいので、普通の人の感覚を~みたいなことを玉木は言ってたけど、むしろ逆で自民党系って感じだよね。世襲・権力・上級国民の横のつながり。
言ってる内容自体は「医療の維持」「米対策」「手取り増やす」とか、よく聞くのばっか。あと「今の自民ヨイショ風潮おかしくね?」って話は、嫌いな人からすると対立じゃーん笑、なんだろうけど、まともな発言だと俺は思うし良かったよ。
でもそのくせ反ワクの人とか擁立してるから、個人的には信用できん。拍手はすごかったけど、なんかズレてる感が拭えなかった。
写真撮影タイム始まったら、後ろにいた人も含め我先に突撃。最前列で真っ先に握手されてた地雷系服の女性も「キャー!」とか言ってたし。
誰も政策のこととか質問してないし、「タマキー!」「がんばれー!」みたいな声が飛ぶだけで、ほんとキャラに会いに来てるだけって感じ。
せっかくの機会だしなんか質問してみようと思って、スタッフに話しかけようとした。
玉木は囲まれすぎてて外周にしかいられないし、そもそも配信者とかみたいなのしか会話応じてないから無理だなと。
で、スタッフ狙ったけど。みんな記者とか他のスタッフとだけ喋ってて全然相手されない。こっちが近づいたら明らかに睨まれて、目線とジェスチャーで「そっち行って」みたいな感じで逃げられた。さすがに引いた。
なんかね、全体的に「青年団+アイドル応援団」みたいなノリがすごかった。
撮影の終盤には、スタッフ自身がスマホ取り出して「自分も撮る!」みたいになってたし。いやまあ、悪いとは言わんけどさ。
偏見あるかもしれんけど、スタッフの顔ぶれがちょっとキラキラ陽キャ系というか、昔クラスでイジメしてた側っぽい雰囲気の人多かった。
俺が暗い人間なだけだろうけどなんかイヤな感じ。好きに叩け。
最後に玉木が帰る時も、若い女の子とか、高齢者とか、配信者っぽい風貌の人にはニコニコ対応してたけど、普通の見た目の人にはスルー。ああ、そういうタイプか、って妙に納得した。
全体としては、半年前とかと比べて自分も含め冷めたなってのが正直な感想。
演説自体はまぁ良かった部分もあるけど、それ以外の周囲のノリや運営の空気がなんか痛かった。
政策には期待してる部分もあるけど、ファンイベントみたいなやり方で政治やってるの見ると、「うーん……」ってなるわ。
なんか日本でEU側のロジックでウクライナの肩を持ってる人が多いけど、日本はEUと違って直接の安全保障には関係ないので感情的になる理由がわからない。
開戦時のムード覚えてるけど、開戦時はみんなウクライナ?どこ?旧ソ連?とかウクライナの戦争について気にした様子はなく無関心層が多かった。大変だなあみたいな。
ロシアに攻め込まれてすぐ終わるっしょとか。クリミアのことすらやや無関心だったように思う。所詮遠く離れた国の戦争だしと。
マスコミでウクライナ可哀想というムードができてからウクライナ支持みたいな人々が爆増したように思う。
最初のころは英語圏のニュースはウクライナ超可哀想!やばい!世界滅ぶ!みたいなニュースばかりだったけど、日本はかなり牧歌的だった。ウクライナ?大変だよねーってノリ。
国際協調の主義としてウクライナに一定の理解を示すのはわかる。
でも、テンションとしてEU側についている日本人をちょくちょく見かけるのが謎。どういうメリットを見出しているのか。
自分としてはウクライナ全土が別にロシアになっても戦争終わればいいんじゃねと思っている。というか2022年は世界はもうその前提で進んでいた。ありゃまーみたいな。
2022年時点では世界のどこの国もウクライナなんてどうでもよかったよね。
それが予想外にウクライナが善戦したから今みたいになっている。
3日で終わるとか言われていたのに3年たってる。もうめちゃくちゃだよこんなの。どんだけ人命と金飛んだん?
もういいよ。あと何年この状態続ける気なんだ。
それで、日本としては大規模な戦争起きてて金が飛んでいくとかインフレがヤバいとかの方がよっぽど重要だと思う。
ロシア人やウクライナ人や北朝鮮人が何人死ぬとかっていうのも世界経済の問題からすると問題だけど、日本人的には無関係な人が多いんじゃないか。
人なんて世界各地でどこでも死んでるんだし、ウクライナに限定する理由がよくわからない。
ウクライナが特別視されるのはEUの安全保障に直接関わるからだと思うけど。日本からしたらシリアやミャンマーの話とあんま変わらんはず。
「ロシアーウクライナと中国ー台湾の構造が・・・」っていう意見もあるけど、中国ー台湾問題はアメリカの安全保障問題に直接関わってくる問題で、周辺国も関係も違うのでそこを同一視する点がわからない。
百歩譲って同一視してもいいと思うけど、それなら一歩引いた視点で見ればいいのに、なんか「ロシア憎し!ゼレンスキーは頑張っとる」みたいな感じのテンションの人が一定数いるのがミステリー。
逆に今の状況見て思うけど、中国が台湾に侵攻したときEUが日本韓国台湾を支援してくれるようには思えない。
あいつらどうせ「なんか遠いところでなんかやっとるな」と思うだけでしょ。なんならEUって中国にも一定の理解示して日本韓国台湾は国際秩序のためにも我慢しとけよみたいな外交圧力かけてきそうじゃん?
EUってぶっちゃけ口うまくて口うるさくて正義っぽく振る舞うだけで何もせんやん。これは個人的意見だけど、DEIってEUのプロパガンダみたいなもんでしょ。
正直ウクライナの問題より、米が高いとかキャベツが高いとか、オーバーツーリズムで外国人がうぜえとかの方が遥かに重要じゃね?
ネットが主とは言え10年来の付き合いがあった友人が
数年前から徐々にフェミ系のアカウント・発言をフォロー・RTするようになり、段々自分でも発信する様になってしまった
全てにおいて「私がムカついた=悪・非常識」ってスタンスで人の言動を攻撃するような感じ
いつだったか、家に来た工事業者に「奥さん」と呼ばれたのが許せなくて企業にクレー厶を入れた女性が
Twitterで「奥さんが駄目ならどんな呼び方ならいいんですか?」と質問されたら
「わかりません」と返答して「本人も正解がわかってない事で苦情入れられた業者可哀想」って話を見た事あるけど
友人もそんなノリであらゆるネタに「女性差別!」と噛みつく様になってしまった
自分が少しでも女性蔑視されたと感じたら反射的に男と世間と古い価値観を叩くけど
じゃあ具体的に解決策や改善策はあるのか?と思うと、それらを生み出して行動するような気概はない
今の世の中の何が問題で自分は何をどう変えて行きたいのか、なんて筋道だった考えはなくて
とりあえず自分自身(が原因の)不満を、(無理矢理にでも)社会問題に繋げた上で、世の中を上から目線で否定することで
実際は嫌味な難癖付け花子さんなんだけど、
アラフォー以上の攻撃的な大人には、その無礼さを叱ってくれる人なんていなくて
呆れてスルーされてるのを「みんな私の鋭い意見にぐうの音も出ない!」
他人の言動にありもしない粗を探して難癖つけるのが最近どんどんエスカレートしてるから
法華狼とは意見が合わないがこれについてはコメントがアホ過ぎるので。
一にも二にもこれが全て。炎上したこと自体を否定している、という前提でコメントしている人が多すぎる。
なぜ、この程度での批判でこんなになるかというと、AIの雑誌の表紙の件で、企業が取り下げてしまった事件があったから。最初はこんな程度のもの、だったのに実際に取り下げられたことで一気に危機感上がって、以降は批判しまくるようになってる https://t.co/a1x9kWm82w— エキサイ (@excite6636) November 26, 2024
これについては当事者(慶應SFセンター所長大澤氏)の認識を示しておく。
あと根本的な話として、Twitter等のSNS上の議論を何らかの生産的なものと捉え、意思決定プロセスに入れるのは危険だろうとは、当時も今も思っています。一部の意見のモニタリングには有用だけど、正しい意見が通る媒体ではないし、実際、反響は見るけど、次の表紙の意思決定にはほぼ関与してない。— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) November 30, 2024
どうも自分が「当事者」らしいので当事者見解を述べておきますと、始めに外部からの表紙への指摘として気づいたのはスプツニ子!さんではなく新山さんの指摘でしたね。あと、自分としてはエクスキューズがあれば、と言っており、なかったので「問題視」はしてました。でなければイベント出たりしない— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) November 30, 2024
2013年末に起きた人工知能学会のいわゆる「表紙問題」については、2015年の表紙変更の際に総括記事を書きました。ただ、本件を炎上として扱い人たちは、事実自体に興味がないのかも……2015年表紙更新にあたって :人工知能/30 巻 (2015) 1 号/p.2--6 前年の「表紙問題」のまとめとこれから→— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) November 29, 2024
法華狼にアホなコメントが付いていることから学会誌を読むヤツはほぼいないだろうが、表紙について学会内外から批判、その問題点を人工知能学会は重く受け止めているとし、それを基に次の表紙についてのプロセス見直しが行われたことが書いてある。決してフェミニストからの批判だけを受け止めていない。
記憶によれば肯定/否定問わず表紙問題のときに人工知能学会に来た意見は数件とかいうレベルなので、業務負荷というレベルでない。あと、10万人が賛同しようと不適切な意見は無視しますし、1人の提言であろうと価値のある意見は反映されます。アカデミアが専門性を無視して票数のみで決定したら終わり— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) December 3, 2024
(あと私は15年前から韋宗成老師のファンだし、台湾の方々がパブリックな場所での表現でどういうラインを引いてきたか、何を守るべき価値だと考えてきたかは、そこそこ追っているつもりです、よ)— OSAWA, Hirotaka/慶應SFセンター所長/💙💛 (@hiroosa) December 3, 2024
大澤氏、人工知能学会と当事者が批判に一定の理があると内部で議論を重ねより良い表現を模索し、努力を重ねたことが資料として提示されている。
これを炎上させられたから対応を迫られたのだ、という事は勝手だが、それは当事者の意見を無視して自分の意見を知らしめたいという意味で大川隆法の霊言と変わらんことは自覚すべき。
法華狼の記事にある学会誌を読めば人工知能学会が炎上の元となった批判に理があると受け止め議論を重ね改善に動いたことが分かる。これを炎上だ、フェミニストが燃やしたのだとそこ“だけ”にこだわるのは研究者に対する侮辱だと思う。
利用者が日に日に減っている。全体的な伸び率を見てもイーロンショックは凄まじい感じがする。仕様変更も酷いが、強制広告は利用者が減る合図かもしれない。斜陽もいいとこなので未来が無い。近く崩壊するのでは?
広告により利用者が激減したところ。が各SNSの利用者を考えても力は強く、外資系に勤める人なら利用したほうがいい。日本で使うのは高齢者が多い。圧倒的世界一位なのに日本では全然なのは文化的違いだろう。
仕様変更により相当使いづらくなった。あえて悪くしてThreadsに流すためだろうと考える。Instagram自体のアクティビティも減っている。Instagramから自動的にアカウントを作成できるので爆発的に伸びはしたが、Threadsも伸び悩んでいる感じ。Threadsはどうも日本では主婦の学級会の新たな場になっている模様。
安定して伸ばしている。投げ銭やサロン系が増えた感じでトラブルが心配。シニア層もかなりが利用しはじめた様子。やはり黒柳徹子と上沼恵美子チャンネルのおかげ?(※超個人的意見)YouTubeMusic(笑)
安定して伸ばしている。気になるのは使用できない楽曲が増えたこと。大手レコード会社がTikTok利用にNGを出した影響なのだろう。トランプ政権になったのでTikTok運営が解放される気がする(児ポ関係でぶっ叩かれてた)
漫画を見ていても「メールする」が「LINEする」に変わったように日本では一般化した。LINE VOOM LIVEの伸びが凄くて、映画の舞台挨拶配信などにも使われているがYouTubeかそれ以上に再生されることもある。ショート動画にも参入しているが安全性の面で不安は残るので、今後に関しては国の対応次第な気がしている。
長年各コミュニティを築いてきたが、その閉鎖性によりX不具合の受け皿になりきれない部分が多く、ユーザーが一瞬増えてもまた落ち着いてしまうループから抜け出せずにいるようだ。他SNSも大体このループに陥っている印象。
まだ2月に正式公開したところ。明らかにこの上位陣の利用者には追いついていない、が成長速度はThreadsを超えていま一番勢いがあるSNS。AI等で移動が話題になったが、それよりもXの不具合でその度伸びている感じはある。最初の転機はブラジルのX利用禁止令だった(今は解除)。その次はアメリカ選挙でのトランプ勝利。イーロン抜擢。その日から毎日100万人増えるような状態になっている。利用者1億人くらいは直ぐかもしれない。元はツイッターの企画だったことはあまり知られていない。
他タイッツーやミスキーなどに触れようと思ったが、利用者数に関しては上記に足元にも及ばず、及ぶこともないと思うが、しかし応援する価値はあると思っており、あえて指摘はしないでおく。SNSはたくさんあっていいと思う。一極集中すれば思想操作も簡単になる。
ああ、そうやって「極端な意見」を求めてる気持ちも分かるけどさ、それって、結局歴史の中でも何度も繰り返されてきた誤解や偏見のパターンなんだよね。
まず、歴史を見てみろよ。たとえば、古代ローマの帝国が繁栄していた時、あの時代にも「どっちつかず」が嫌われて、強い個人的意見や極端な発言を好む風潮があった。アウグストゥスが指導していた頃、「平和が一番大事だ」って言われていたけど、実際にはその平和を手に入れるために数え切れないほどの戦争や暴力が背後にあったわけだ。それに、アウグストゥス自体も政治的には非常に慎重な態度を取って、公共の場では常に調和を強調していた。
でも、ここで注意したいのは、過度に極端な意見っていうのは、最終的には社会に対する不安定要素を生むことが多いんだよ。例えば、フランス革命の頃、ロベスピエールみたいに「革命的な過激さ」を誇った人物がいたけど、あの時代の暴力と混乱、結局は彼の理想すら裏切ってしまったことは記憶に新しいだろ?
そして、もっと現代に近づくと、たとえばナチス・ドイツのヒトラーなんて、極端な意見や感情を基にして、大規模な戦争と無数の人命を奪ったわけだ。極端な意見が何を引き起こすか、歴史は教えてくれているんだ。
だから、「極端な意見を読みたい」って気持ち、分かるよ。人は時に感情に流されて、過激な意見に共鳴しがちだ。でも、そういうことって、歴史的には一度成功すると、一度暴走を始めたら取り返しがつかないことになることが多い。聖書にも「言葉には力がある」と書かれているように、何を言うか、どう表現するかっていうのは、相当重要なんだよ。
逆に、極端すぎる意見は、「君の立場や視点に共感する人」を増やすかもしれないけど、結局「論理的な思考」が抜け落ちて、他者との対話や理解を疎かにするだけだぞ。共感は大切だが、歴史や哲学が教えてくれているのは、「対話」や「折り合い」が鍵だってこと。君が求めているのは、ただの激情や暴力ではなく、本当はもっと深いところでの理解じゃないのか?
最後に、孔子の言葉を借りるなら「愚者は過激に反応し、賢者は冷静に考える」。極端さを求めて無駄に感情に走る前に、少し立ち止まって自分が何を本当に求めているのかを考えてみることだよ。
今回の訴訟って、記事に対する名誉毀損であって、性加害の事実認定については名誉毀損を認めさせる上での副次的な内容でしかないということ。
で、大体の人が勘違いしているのが、「たられば型謝罪」について、それは謝罪ではないという部分。
気持ちはわかるし、増田も松本人志を擁護するつもりなんて一切ない。
でも、それとこれは別。ここは裁判の公平性に関わってくる部分なので、松本人志がどうとかこうとかよりももっともっと大事なこと。
「松本が訴えている内容等に関し、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。」
これは松本人志側による一方的な声明ではあるのだけど、文春側も取り下げに同意しているということはこの事実の否定はされていないということ。
つまりこれは、裁判という公平な制度のもとにおいて、訴える側訴えられた側のどちらもが認めた事実ということになる。
もうそうなってしまったら、第三者がとやかく口を挟むことではない。それが裁判というもの。
「いや、被害女性は記事に虚偽はない。納得ができないといっている!」
ごもっともです。
ただ、忘れちゃいけないのは、今回の訴訟は記事の内容に対する名誉毀損であって、松本人志が性的加害を行っていたかどうかではなくて、記事の内容に真実性があるかどうかという点でしかないわけ。
もし松本人志の性的加害を認めさせたいなら、被害者からの告発が必要で、被害女性も取り下げに納得行かないなんて言っている間に訴訟を起こせばいいじゃない?ということにしかなりません。
もしくはSNSで確信をもって松本人志を黒だと言い張っている人が何らかの形で訴訟を起こせばいいだけの話。
それもせずに「取り下げの同意に納得が行かない」というのは、1000%ただのお気持ち表明でしかないです。
たられば型謝罪について。
「松本において、かつて女性らが参加する会合に出席しておりました。参加された女性の中で不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。」
ここの勘違いが一番大きいのだけど、前段で「物的証拠がない」という内容で同意を得ている以上、記事の内容について謝罪することはありえないです。
だって、そうしたら同意した内容を否定することになってしまうから。
なので、本来はこの謝罪については必要がないものということを忘れないでほしい。
ただ、やっぱり本人は感覚がズレていたことを反省しているのだと思う。
「事実無根なので戦いまーす」とか「やっとでたね」みたいな(ちゃんと覚えてないけど)世間を舐めてた感覚があったのは事実で、そのことは謝罪しないと収まらんよな、という判断での謝罪と考えればいいんじゃないかな。
で、これに対して「誠意がない」とか「謝ってない」っていうのも1000%お気持ち表明でしかないです。
他人から与えられた断片的な情報だけで物事を判断するという、陰謀論ムーブであるという点にご注意ください。
じゃあどうすんのよ。ってところ。
ただ、何で訴えていいかわからないって人は、そもそも訴える権利を持ってないのであきらめてください。
それでも自分が納得行かないからあいつを締め出せ!というのは、それはもう魔女裁判なんよ。
松本人志憎さに、いつかあなたを守ってくれるかもしれない裁判の公平性を損ねちゃダメでしょ。
「あんた顔がキモいから有罪」っていうのと、根本で同じことになっているということを忘れないで。
それでも、見ない自由はあるよ。
結局はその部分を徹底的に貫くしかないよね。
でもさ、結果的に世間が松本人志を受け入れてしまったときは、自分は少数派だったんだなっていう事実も一緒に受け入れなきゃダメよ。
それに対して「世間が間違ってる」「マスコミの陰謀だ」っていうのは簡単で、でもそれはさっきも言った通りただの陰謀論ムーブです。
そんなに世の中は自分の思い通りにはならないってこと。
まとめ
この内容を松本人志擁護だと思っちゃう人は本当に危険なので気を付けて。
「名誉毀損訴訟を起こした上で、双方が「物的証拠がない」」と同意して取り下げを行った。」
それを否定することは、現代の裁判制度そのものを否定するということになる。
もしこれに不服がある人がいれば、それはもう訴えるしかないです。
ただ、一点言えることは、松本人志側が、過去の飲み会において「不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。」ということを認めたという点。
もし本当にそういう思いをしたという人がいるならば、その訴えはかなり通りやすくなったと思っていいです。
本当に彼をテレビから消し去りたいなら、そういうことを証言してくれる人を探してくることからはじめたらいいと思います。
それもしないで「いたに違いない!」はただの魔女裁判ですよともう一度申し上げます。
今のところ半々かなぁ。
個人的にはもう二度と顔も見たくないくらいの気持ちだけど、吉本のゴリ押しパワーで来年の春頃には普通に出てるんじゃないかな。
それについてはやっぱりまだまだ女性の性的被害についての世間の理解が足りないよなって思う。
増田の考える最高なシナリオは、松本人志復活がでかいショーレースとかで企画されて、プロモーションにもめちゃくちゃ金を使ったうえで直前に新たな告発が出てきて全部丸つぶれになることかな。
過去の過ちをたられば型でも認めたということは、その部分の可能性を大きく開いたってことだと思うので、ぜひ週刊誌各社の記者さんには頑張っていただきたいところです。
前回、松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか について書かせていただきました。
https://anond.hatelabo.jp/20241028233555
X経由でも約700名の方に閲覧いただけたようで、ありがとうございました。
今日は、市長選の重大論点の1つである、守谷駅前の開発議論について考えてみます。
日々Xで皆さんと交流していると、要するに様々な論点がごちゃまぜになって語られており、
このままだと議論が平行線を辿ったままになると思ったので、まとめました。
一応、一定のデータを集めた上での考察ですが、自分も当事者なので、実感値も交えた話が散見されます。
引き続き、事実・解釈を上手に分けてお読みいただきますよう、お願いいたします。
また、最後にも書きますが、私は自民党員でも松丸信者でもありません。
ただの暇な人ですのであしからずです。
なお、こちらのページの特性上、画像貼り付けやエクセルファイルの貼り付けはできないっぽいです。
まず本件については、以下の3つの論点がごちゃまぜになっていることに留意が必要です。
それぞれについて、細かく見ていきたいところですが、まずはデータを集めてみました。
(1)市民の実感値
これに関しては、守谷市のまちづくり市民アンケートは、論拠のひとつとなるでしょう。
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/gyouseihyouka/1006780/1006785.html
==========
※令和元年→令和2年→令和3年の数字を手集計
ある 5.7→ 4.2→3.8
どちらかといえばない 41.4→ 46.7→48.4
ない 27.7→28.7→27.6
単位は全て「%」
==========
・守谷市民は、実感値では、75%の方が「駅前ににぎわいがない」と考えているようです。
・毎年 、実際ににぎわいが減っていっている、もしくは市民の意識が高くなっているためにぎわいがないと認識するようになっている、どちらかであることが読み取れます
(2)地価
にぎわいとは若干異なるとは思いますが、地価を見ることで、守谷駅周辺の価値をはかることも重要でしょう
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/138/suii.pdf
↑本当は他自治体もこういう資料が欲しかったんですが、つくばは塩対応、流山もたらいまわしにされてしまい面倒なので一旦断念しました。
==========
H25→R6のデータを拾ってきました
1,730/H25→1,730/H26→1,730/H27→1,740/H28→1,770/H29→1,850/H30→1,940/R1→1,990/R2→2,070/R3→2,200/R4→2,400/R5→2,700/R6
ざっとですが、約10年で1.56倍になっていることがわかります。
※単位は全て「百円/m2」 つまり、平成25年は1平方メートルで173,000円なんだそうな
==========
(3)人口
一旦、以下の通りまとめてみました。※手集計、地獄
ひがし野1丁目+4丁目・中央1丁目~4丁目・百合ケ丘2丁目3丁目・松並青葉の人口推移
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/toukei/1005522/index.html
==========
ひがし野1丁目+4丁目 1091/H29→1110/H30→1226/H31→1304/R2→1298/R3→1337/R4→1341/R5→1370/R6
中 央1丁目~4丁目 2327/H29→2354/H30→2401/H31→2366/R2→2334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6
百合ケ丘2丁目+3丁目 4737/H29→4825/H30→4781/H31→4840/R2→4849/R3→4930/R4→4931/R5→5001/R6
松並青葉1丁目~4丁目 1463/H29→2123/H30→2717/H31→2366/R2→2334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6
※単位は全て「人」
==========
(4)その他
駅徒歩圏内でこの10年で新たにできたモノやコト(私の記憶の範疇)
==========
==========
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<事実>
市民アンケート:「守谷駅前ににぎわいがない」と感じている人が75%いる
人口:この7年で、ひがし野1・4丁目で1097人→1370人と25%増 百合ケ丘2・3丁目で4737人→5001人と5.6%増 中央1~4丁目で2327人→2584人 と11%増となっています
その他:駅前イベントはコロナ禍も乗り越えて定着、商業ビルやブランチ守谷もオープン等、受け皿自体は増えている状態ではあります。
ただし、ブランチ守谷やダッシュビルでもテナント撤退は続いている状態。
<考察>
人口が増えている。それに伴ってかは不明だが、地価も商業施設の発展も見られている。
駅前での毎月のイベントやブランチでの町内会イベント等、定期的に人が集まるイベントも開催。
ただし、実感値として「にぎわい」は発生していない。
つまり、駅前の開発が失敗しているのかについては、実際として地価も上がっていることからも、
現時点では「失敗していると言い切れない、むしろ経済的には成功している」と考えるのが合理的かもしれません。
※これ、人権に配慮してかなり優しく表現してます。個人的意見は、経済的には成功しちゃってるんだよなぁ・・です。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも、駅前再開発が必要なのか、皆さんは考えたことはありますか?
気をつけなくてはならないこととして、市のアンケートは「駅ににぎわいがあると感じているか」であって、「駅ににぎわいが必要か」を聞いたものではありません。
皆さんは、「守谷市にとって、駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?」と聞かれたらなんと答えますか?
なぜなら守谷駅は、つくばエクスプレスが茨城県に入った最初の駅であり、関東鉄道との乗り換え駅。
そう考えた際に、守谷市にとって駅のにぎわいが、あった方が良いか、なくても良いかと聞いた時に、「なくても良い」と答えるのは、もはや非国民でしょう。
では、問いを変えます。
「「【あなたにとって】駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?
駅のにぎわいは、恐らくここでは商業の発展や人流を表しているものと思います。
その上で、守谷駅のにぎわいは、あなたの守谷生活において、良いものとなるでしょうか。
実際にこの質問をXで投げかけると、主に以下のような回答が返ってきます
========
・駅では特に滞留しない
========
かなりの駅近に住んでいる私でも、上記と同様の考えです。
駅で買い物をする=荷物が多くなるため、駅近くに求めるものは買い物需要ではないのではないかと思います。
もちろん、「守谷市にとっての駅のにぎわい」や「あなたにとっての駅のにぎわい」について集まったデータがないため、軽々しいことは言えませんし、私の実感値レベルで申し訳ないのですが、
「守谷駅のにぎわい」は、実生活におけるニーズとしてはそこまで高くないのではないかなという考えがあります。
※ただし、私や一定の方が、このアンケートを取ると、結果が恣意的なものになることが多分に予想されるため、当方では集計等はしません
人口推移を見る限り、駅近くがあきらかに人口空白地帯になっているワケではない(むしろどこも満員御礼に近い)ことからも、買い物の利便性に乏しいという実態がない、もしくはあっても、転居を検討するほどのレベルではないということは十分に推察されるでしょう。
ーーーーーーーーーーーーー
にぎわいを「人流」「商圏」ととらえた際の、駅前再開発の必要性について考えてみます。
先ほど、駅周辺に直結している人口が増加していることを記載しました。
そう考えると、行政が手をつけずとも、民間での商業発展は既に達成されている可能性はありそうです。
ただし、やはり市民として「駅前で仕事帰りに買い物をして家に帰る自分」が想像できないのも事実。
実際に、最も利用者のニーズに敏感なコンビニの品ぞろえとしても、守谷駅のファミマでは野菜・タマゴといった生鮮品は置いていなかったと記憶していますし、ファミマで夕飯買って帰った!という体験をした人はほぼいないでしょう。
スーパーマーケット機能としても、東口の守谷コレクション・西口のブランチ守谷で、仕事帰りと思われるお客さんで賑わっている様子はあまり目にしません。(※ブランチ守谷の半額品漁りは別)
実際、twitter(当時)においても一部のユーザーの熱意で守谷コレクションが夕食時に弁当を改札近くで売る様に働きかけ、実際にそのような動きがありましたが、あっという間に撤退したのは記憶に新しいところです。(いやせめて言い出しっぺの人は、日常で買ってtwitterで拡散してやれよ・・・)
西口:コンビニ機能こそ不足しているが、お買い物機能として、中央1丁目側はベニマル・中央4丁目・百合ケ丘はイオン(カスミ)で成立している
東口:コンビニ機能が豊富(ローソン・セブンイレブン)、ブランチ守谷・ヨークベニマル、本町側はストッカーが商圏として成立している という状態が読み取れます。
現状で生活と消費のバランスがとれていることを考えると、守谷駅周辺に新たに商業施設(少なくともスーパーマーケット施設)は必要なさそうだなと考えられると思います。
ただし、買い物ニーズがないというのは恐らく外れてはいないと思いますが、
サービス系の業態(ジムや塾といったサービス)に対するニーズはある可能性があります。
実際、守谷駅は学生の電車通学者が少なくない(実数不明)ため、後述の通り、勉強スペースのニーズはあるかもしれません。
また、ジムに関してもエニタイムフィットネスほか、パーソナルジムやエステが乱立していることからも、サービス系の業態でればペイできる可能性はあるかもしれません。
※現状では供給が不足しているのか等については不明。あえて言うなら買い物以外で頼むぜ、そうしないと失敗確率高いぜ程度の温度感です
ーーーーーーーーーーー
日常使いという点を考えると、中央・ひがし野1丁目や4丁目に居住されている方が、守谷駅の商圏と捉えて良いでしょう。
一方、日常使い以外の点、例えば駅から遠くに住んでいる方が駅に定期的に集まる機会はどの程度あるのでしょうか。
つくばエクスプレス沿線にあるショッピングモールから想定してみます。
・流山おおたかの森SC:1753台
・つくばのトナリエ:4000台
どちらかというと流山や柏の葉よりもつくばレベルの郊外化が進んでいると想定される守谷でも、2000台~4000台の駐車場の準備は必要と考える必要はあるでしょう。
また、商圏外からの流入と考えると、自動車・バス・電車での移動が中心になると思います。
そうなると、市内でもイオン・アクロスモール・守谷テラスとも競合
市外でも上記3施設や、取手でまさに今作ろうとしている広大なイオンとも客を取り合う必要が出てきます。
それらの施設、あまつさえ市内の他施設と客を取り合う必要も出て来るため、駅前再開発においてはかなりの競争力がある施設を考えなくてはなりません。
ーーーーーーーーーーー
そうはいっても、守谷駅前の再開発が必要だととなえる市民はいます。(何人いるのかは知りません。データもないし)
市長候補3名中2名が、駅前再開発について発信されていることを考えると、市民にとっては大きな関心ごととしてとらえているのでしょう。
※今まさに再開発しようとしている新守谷駅周辺はほぼスルーするのに、何十年後にできるかわからない守谷駅再開発について盛んに発信する程度には関心があるようです
かじおか香織さん https://kaori-moriya.com/agenda/
(要約)
・市民の声には不満が多い
・具体的には市の施設(保育ステーション・図書室や自習室・公共施設を整備)を設置、商業施設が連動した再開発を推進する
わたなべ秀一さん https://go2senkyo.com/seijika/136729
(要約)
・若い世代に選ばれる街になるために駅前再開発にチャレンジしたい
・具体的には市の施設(保育ステーション・行政・郵便・図書室・市民ホール)を設置、民間企業とともに再開発を推進する
松丸修久さん https://www.nobuhisa.jp/
前回の記事の通り、松丸氏はハード面で何かを建てます系の主張は特にされない方です(2024.11.1時点)
かじおかさん、渡辺さんとも、駅前再開発の必要性や行政施設の設置によるにぎわい創出を提案されています。
ただし、それによってどういったにぎわいが創出され、市にどのような良い効果が表れるのかについての記載がなく、ここまで論を組み立ててきた当方としては、若干消化不良とみなさざるを得ないです。
経済効果の発揮を主張するのであれば、現在の経済規模→再開発後の経済規模を明記してほしかったというのが本音ですが、
政策の一貫性という観点から見ると、市内全域の交通とも論理を接続しているわたなべさんには、一貫性は感じます。
ただ、現状私が駅前再開発として読み取れているのは、「情緒的価値への訴え」のみです。
日常の利便性や、経済的価値(=私たち個人にとって、何がどう良くなるのか)に関しては、試算の上公表いただきたく思います。
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と、ここまで
に分解することを目的とし、
・上記1.守谷駅前の開発は現在失敗しているかの議論・2.守谷駅前の再開発は必要なのかの議論
について記載して参りました。
ここまでまとめておいてなんですが、私は現状、「守谷駅の再開発は経済合理性は低そうではあるが、情緒的に必要性を訴えている」であると読み取ってしまっています。
こんなことで本当に良いのか。
続けて「守谷駅前の再開発は実現可能なのか」について見ていきたいと思います。
と、ここまで書いて大変申し訳ありません。
なんと、後半記事が文字数制限に引っ掛かってしまい、以降の掲載ができなくなってしまいました。
後半については、以下URLよりご参照ください。長くてごめん。
Xでは、コミュニティノートという、投稿に背景情報を付加できる仕組みが運用されています。特に、デマや陰謀論に対してコミュニティノートが付与されているのはよく見かけられます。
ノートは、コミュニティノートの参加者として登録した人が匿名で(正確にはコードネーム制で)ノートを書いたり、他の人が書いたノートを評価する仕組みがあります。
コミュニティノートに参加してノートを書くための敷居はそんなに高くないので、的外れなノートやイタズラが書かれることもあります。
そのようなノートは評価者から低評価を受けるため一般ユーザーに表示されることは滅多にありません。ノートが適切に評価されるように、コミュニティノートは「追加の背景情報が必要ない理由を説明するノート」を書く機能があります。これは、要するにノートに対する反論です。不適切なノートに対しては誰かが反論を書いておくことで、通りすがりの評価者がノートを正しく評価するのを手助けします。
ノートは、根拠となるURLを示すことが推奨されています。反論においてはよくあるのは、
「~~のような指摘はコミュニティノートの目的ではありません。コミュニティノートではなく返信や引用で指摘してください。コミュニティノートのルールを再確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/introduction 」
のようなものです。定番なのは、パクツイ(無断転載)に対して「無断転載です」というコミュニティノートが付くと、「無断転載の指摘はコミュニティノートの目的ではありません」という反論が付きます。
この記事で言いたいのは「いや、コミュニティノートのルールにそんなこと明記されていないよ」ということです。
コミュニティノートは反論も含めて文字数制限が厳しいので、主張をこの記事にまとめました。これを書いた人はこの記事を適宜引用して利用しますが、もちろん、他の人も自由に引用したりリンクしたりできます。
コミュニティノートの根幹は「さまざまな視点を持つ十分な数の評価者が“役に立った”と評価したら、そのノートは表示される」ということだけです。
コミュニティノートのドキュメントは、どのような観点で評価すべきかということに重きを置いており、評価者によって意見が分かれることが大前提となっています。
評価者の意見によらず、「こんなノートを表示すべき」「こんなノートは表示しないべき」という具体的なことは、コミュニティノートの公式ドキュメントにはほとんど書かれていません。
ですから、コミュニティノートのドキュメントのURLを出しながら、「コミュニティノートのルール」を根拠にノートへ反論するのはごく一部の例外を除けば間違っています。書いていないことを書いてあるかのように見せかけて引用するのは悪質な印象操作であり、適切な評価を妨げてしまいます。
ノートへの反論は、あくまで自分の言葉で、コミュニティノートのドキュメントに頼らずに行うべきです。ノートが表示されるかどうかを決めるのは、ルールではなく、評価者の意見です。
ここからは、上記の主張を補強するために、コミュニティノートをどう評価すべきかについて、コミュニティノートの公式ドキュメントに実際には何が書いてあるのか説明します。
意外なほど、どんなノートを評価すべきかについては明記が避けられています。書かれているのはあくまでコミュニティノートの「目的」であって、その目的をもとに個々のノートを評価するのは評価者の仕事です。
ただし、ドキュメントを全部読むと分かりますが、一部例外的に、不適切なノートについても言及があります。そのようなノートに対する反論を書く時だけは、ルールのURLを根拠としてもよいでしょう。(この記事最後のまとめを参照してください。)
コミュニティノートは、誤解を招く可能性があるポストに、Xユーザーが協力して役に立つノートを追加できるようにすることで、より正確な情報を入手できるようにすることを目指しています。
ノートの中身に言及されました。評価者は「役に立つノート」かどうかを評価することが求められています。
また、「誤解を招く」という用語が登場しました。この用語はXのインターフェース上などでも使われており、コミュニティノートの対象として「誤解を招く可能性があるポスト」が想定されていることが分かります。
ただし、注意しなければならないのは、「誤解を招く」かどうかの判断もまたノートの評価者に委ねられるということです。どのようなポストが誤解を招くとみなされるべきか、コミュニティノートのドキュメントには明記されていません。
「陰謀論は誤解を招く」、「無断転載は誤解を招かない」のような区分けはコミュニティーノートのドキュメントに一切書かれていません。個々のケースに応じてそれを判断するのも評価者の仕事のうちです。
つまり、「この投稿は誤解を招いていないのでコミュニティノートは不要です。コミュニティノートのルールを再確認してください」のような反論は不十分です。反論は、他の評価者が「これは誤解を招いていない」と納得してもらうのが目的であり、コミュニティノートのドキュメントはその根拠になりません。
Xがノートの作成や評価を行ったり、ノートに介入したりすることはありません(Xルールに違反している場合を除きます)。Xでは、表示されるノートをユーザーの意見によって決めることは、正確な情報を入手するのに役立つ背景情報を追加するための公平で効果的な方法であると考えています。
Xがノートの評価を行うことはないと書かれています。もちろん、評価という実作業とルール整備とは別のものですが、ここでも「表示されるノートをユーザーの意見によって決める」ことが強調されています。
「○○のようなポストに対してはノートは不要」といった基準をXの側で用意していないことを示す記述です。どんな内容の投稿であっても、評価者がノートが必要と判断したのであれば、ノートが表示される可能性があります。
Xでは現在、人々がさまざまな視点から役に立ち、参考になると考える背景情報を、コミュニティノートが確実に提供できるようになることに焦点を合わせています。
コミュニティノートは、さまざまな視点からユーザーに有益で役に立つ背景情報を提供するために作られており、Xのその他のポリシーやルールを補完することを目的としています。
コミュニティノートの目的はさまざまな箇所で繰り返し説明されています。
コミュニティノートの理念を説明するページであり、特にノートの評価にあたって参考になるページです。
コミュニティノートは、ポストを読んだユーザーが、常により優れた情報を把握できるように、有益な背景情報を提供することを目指しています。ノートは、取るに足らない内容を気軽に投稿したり、個人的意見や侮蔑的な内容を投稿したりする場所ではありません。ポストについてや、それが誤解を招くかもしれない理由について、自分とは反対の意見を持つ人々も含め、誰もがより深く理解できるように、明確で根拠に基づいたノートを作成しましょう。
この箇所は、珍しく不適切なノート内容に言及されています。「取るに足らない内容」は結局評価者に委ねられるのでさて置いて、「個人的意見や侮蔑的な内容」についてはノートとして適切ではありません。このようなノートに対する反論としてなら、コミュニティノートの理念を引用することができます。
「個人的意見」の逆は、「客観的事実」です。そのため、客観的事実をもとに指摘しているのであれば、そんな指摘はコミュニティノートでしなくていいと思ったとしても、コミュニティノートの理念を引用できません。自分の言葉で反論すべきです。
コミュニティノートは、異なる視点を持つ可能性のある人々も含め、あらゆる人々がポストで議論されている問題について、より深く理解できるようにすることを目的としています。あなたの意見に同意しない可能性のある人々にも、有益性と敬意を感じ取ってもらえそうな投稿を心がけてください。ヘイト表現、中傷的表現、扇動的表現は避けてください。
ここでも、「ヘイト表現、中傷的表現、扇動的表現」がノートにふさわしくない内容として言及されています。このようなノートに対する反論としても理念を引用することができます(ただし、ヘイト表現などはXルールにそもそも違反するため、ノートに反論するよりもノートを報告してしまうほうが適切かもしれません)。
対象のポストが誤解を招く可能性があり、追加された背景情報が事実の理解に役立つとノートで主張する場合、そのノートが十分な数の協力者により「役に立った」と評価されると、対象のポストに表示されます。
コミュニティノートは、Xで誤解を招く可能性のある情報に遭遇したユーザーに、役に立つ背景情報を提示することを目指しています。
役に立つノートと役に立たないノートの特徴が列挙されています。また、例も掲載されています。
役に立つノートの特徴は「品質の高い資料を引用している」などで、役に立たないノートの特徴は「出典が含まれていないか、信頼できない」「情報が正しくない」などです。
一見すると、どのようなノートが必要・不要なのか明確に書かれているようですが、注意すべきことがあります。
これらの特徴は、評価UIのチェックボックスの内容そのままです。つまり、これらはノートの評価基準であり、逆に言えば評価基準でしかないということです。実際にノートの表示・非表示に繋がるのは、これらの基準に従った個々の評価者の評価です。
ですから、やはりノートの反論に根拠として使えるページではありません。例えば、こんな反論は反論になっていません。
「このノートには誤った情報が含まれています。情報が正しくないノートを書かないでください。コミュニティノートのガイドをご確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/examples 」
ここでコミュニティノートのガイドのURLを根拠にされても、意味がありません。その評価基準はもうUIに書いてあるので分かっています。それよりも、なぜ情報が正しくないのか、そちらを反論に載せるべきです。
これは極端な例でしたが、このようにコミュニティノートのガイドのURLを使って反論しても、評価基準を説明しただけで中身のない反論となってしまいます。
反論ノートに求められているのはさらにその先で、「評価基準に照らして、なぜそのノートを低評価すべきなのか」をきちんと説明することです。
コミュニティノートのガイドの全てのページを見ても、どのようなノートが適切か、適切でないかの具体的な説明は限られています。理念のページで以下の内容が不適切とされている以外は、すべて目的の説明や評価制度の説明です。
よって、コミュニティノートに対して、以上の内容に当てはまらない反論を行いたい場合は、「コミュニティノートのガイドをご確認ください」のようにコミュニティノートのガイドを根拠とした反論はできません(したとしても、中身のない反論になってしまい意味がありません)。
そうではなく、なぜそのノートが役に立たないのか、ルールに頼らずに説明する必要があります。
この記事に対する反論がされることもあるようなので、コメントします。
当たらない反論です。この記事は「誰が書いたかに関係なく、内容を読めば分かる記事」です。
この記事を使う人は、「この記事があるという事実」を根拠に使うのではなく「この記事に書かれている内容」を根拠に使います。
そのため、誰が書いたか分からないことは反論になりません。この記事に対して反論するのであれば、この記事の中身に反論する必要があります。
基本的には良い人なのだが、話がつまらない(個人的意見ではなく、n=5ぐらいの主観。言いたいことラリータイプの女性や聞き上手さんとはある程度話が合う)
つまらないし高頻度高確率で場をしらけさせるのだけど、それはまあいいんだけど、
Aの話してて、B(Aの隣や次の意味)の話題に変わるぐらいなら良いのだけど、突然Dとかエーの『エ』の話とかぶっこんでくる、それもまあいいんだけど
ネタというよりマウントのために誇張しすぎて(倍とか3倍ではなく100倍とかするからもはや虚言癖だと言ってる人も居る)、それもまあ略
極まれに、会話に混ざれなさすぎると、0からエピソードを生み出す。流石にそれは嘘だからダメだと思う
こないだも、より良きオナニーの話をしてて、VRエアドールの空気入れの話になった時に、電動ポンプか手動ポンプか、自転車用の携帯のやつは効率悪いとか言う話題で盛り上がってた時に、肺活量自慢なのか(昔水泳やってたらしい)口で膨らませてるとか言ってきて、
色々怪しかったので詰めたら、どんなタイプのエアドールさん使ってるかとか聞いてもごにょごにょいうか、的外れな回答しかできずに、
結局、VRはスマホで動画を何回か見たことがあるだけ、エアドール所持歴も無さそうということが発覚した
本人いない時に、エアプはなぁって話になって、我々の行いもある意味エアプだけどなって言うオチが浮かんでどうしても消化したかったから、
【追記】
アマプラその他にはアマチュアが投降した動画がない、というのを失念していた
まあ、それもようつべがあるけどさ……やはりニコニコ動画のノリを思い出すと、ニコ動がいらないってのは言い過ぎだったと思う
ドワンゴよ、ごめんな……
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(以下本文)
別にもういいよな。復活しなくたって。
これまで約二か月、ABEMAとアマプラのすばらしさに目覚めたよ。ついでにネトフリも。
画面はでかいし、画質はキレイだし、そのうえユーザーインターフェースも整ってる。お洒落だ。
正直、ニコ動って、これまで惰性で人気を得てきたんじゃないのか?いわゆる先行者利益ってやつだ。
PC関係だったら、キーボードの配列だって、今のより効率的な配置が科学的に明らかになってるけど、既得権者がいるからそのまま50年以上前の配列になってるんだろ。
俺はもう、ニコニコ動画に戻るかはわからない。今のところはアマプラが一番好きである。
私立中に進学する最大のメリットは、ユニークな個性が育ちやすい点だと思う。
公立中の子たちは、能力の高さを感じることがあっても、強い個性や自己主張にいまひとつ欠ける印象を受けることも多い。
令和の公立中の現場はわからないが、それなりに荒れていた自分の公立中の環境を思い出すと、尖った個性が表に出にくい環境というのは何となく理解できる。個性的であることが何よりも求められるこれからの社会において、これは結構まずいことだと思う。
その点私立中の子たちの話を聞くと、面白いし、大人であるこっちが、へーってなることも多い。
そういう個性が許される環境があるのだろうし、そういう個性を持った友人と関わることで、自分自身も個性的であることを目指すようになるのかもしれない。それはとてもうらやましいことだと思う。
一方、公立中のメリットは、自信がつきやすい環境であることではないか。
選抜されたメンバーからなる私立中の中では埋もれがちな子であっても、公立中ならばそれなりに「できる子」と周囲から見られて、何かと頼られたり、一目置かれたりする場面も多くなる。
それ故のやっかみもあるのかもしれないが、それでも自信、というのは幼い少年少女にとって、成長にとっての最大の原動力であるわけで。
もちろん私立中の中位以下の子たちも、中学生全体で見ると優秀なレベルにはあると思う。でも人間は自分の半径数メートルでしか自分を評価できないわけで、周囲と比較して自己を過小評価してしまい、能力を発揮できないケースはかなり多いのではないか。
あと、勉強頑張ったときの校内順位や偏差値の伸びも、公立中の方が大きいですよね。
では大学進学にとって、どっちが有利なのか、という話。
世間的には、私立中に行く方が圧倒的に有利、と思われているのだろう。確かに最難関の大学に行きたいのであれば、そのとおりと言うしかない。
だが個人的な意見としては、公立中で得られる自信は意外と侮れないし、その自信を武器に結構な大学に合格する子は少なくないように思う。
筆者は臨床心理士と公認心理師(心理士/師 と記します)の資格を有し,会計年度任用職員であるスクールカウンセラーとして働いていた時期があるが,現在はある行政機関で働いている。
この日記に記すような考えを持っていることは,名前を添えて発信することはとてもできないので,初めて匿名ダイアリーをお借りします。
行政の観点は持つものの,あくまで行政を専門とするわけではないので,誤りについてはご容赦ください。
(1)スクールカウンセラーについて
スクールカウンセラーは,「会計年度任用職員」として都道府県及び政令指定都市に任用され,小中・高等学校,特別支援学校,教育センターにおいて,
児童生徒の相談に応じるほか,教員や保護者への助言,研修等を行い,もって,児童生徒の支援にあたる。
令和2年3月以前は,特別職非常勤職員として「スクールカウンセラーを委嘱」されていたが,同年3月以降は,「会計年度任用職員に採用」されることとなった。
財源は「いじめ対策・不登校支援等総合推進事業(スクールカウンセラー等活用事業及びスクールソーシャルワーカー活用事業)」による国の補助が1/3,
都道府県及び政令指定都市が2/3を負担する。文部科学省による令和6年度要求・要望額は90億円。
参考:tps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1328010.htm(スクールカウンセラー等活用事業)
tps://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/2190fb02-e55a-4041-a510-f98183ca6a8b/ae2f9d28/20230908_councils_ijime-kaigi_dai1_03_1.pdf
(いじめ防止対策に係る取り組み状況及び令和6年度概算要求について)
会計年度任用職員は,令和2年4月に施行された「地方公務員法及び地方自治体の一部を改正する法律(平成29年法律第29条)」により導入され,
地方公務員法第22条の二によって任用される非常勤職員である。
基本的な考え方として,会計年度任用職員としての任期終了後,再度同じ職に「任用」される(「再度の任用」という)ことはあるが,これは「更新」とか「任期の延長」,「同一の職に再度任用」
されるのではなく,「あくまで新たな職に改めて採用された」と整理されるべきもの。
なお,事務処理マニュアル及びQアンドAにおいては,繰り返し同一の者を任用することは長期的計画的な人材育成への影響等の理由から留意が必要と示されているほか,
国としては,公募によらない再度の任用は可能であるものの平等取扱いの原則及び成績主義を踏まえ,公募によらない再度の任用は連続2回までとするよう努めていることが示されている。
これらの文言をうけて,スクールカウンセラーについては,例えば,「公募によらない再度の任用は4回まで」と回数を定める自治体が多く認められる。
参考:tps://www.soumu.go.jp/main_content/000853430.pdf(会計年度任用職員制度の導入等に向けた事務処理マニュアル)
(3)雇い止め
『「雇い止め」(更新拒絶)とは、有期雇用契約において、雇用期間を更新せずに契約を終了させること』(東京弁護士会HPより引用)
なお,今回の問題について「解雇」と記す記事があるが,「再度の任用」をしないことは「解雇」には当たらないので,誤りである。
引用:tps://www.toben.or.jp/bengoshi/soudan/work/yatoidome.html
2 スクールカウンセラーの雇い止め(事実の記述)
東京都の会計年度任用職員であるスクールカウンセラーが,4回の「(公募によらない)再度の任用」を終える令和6年度に向け,公募による募集に応募したところ
鈴木都議によるXへのポストによれば,「今回契約延長を求めた1100人の現役のスクールカウンセラーのうち、およそ15%程度が不合格となった」とのこと。
参考:tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027(東京新聞)
tps://www.jcp-tokyo.net/2024/0212/90022(東京民報)
tps://twitter.com/Retsu_SUZUKI/status/1757670551433453730(鈴木都議によるポスト)
(1)スクールカウンセラーの雇い止め問題について
次の点から,今回多くのスクールカウンセラーが再度任用されないことは,何ら問題なく,むしろよいことだと思う。
ア スクールカウンセラーが再度任用されないこと(雇い止め)は,法律にそった対応であることから,何ら問題ではない。
イ スクールカウンセラーの入れ替わりが促進されることから,資格取得後間もない若手にも活躍の場が与えられ,心理士/師にとってもよいことである。
ウ 今回の問題を機にスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないことがよく理解されれば,常勤採用につながるきっかけとなる。
ア 再度任用されないことは問題であるという論調の記事等では,例えば次の理由(というかご意見)が挙げられていますが,再度任用されないことを問題とする根拠とは言えない。
(tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027 より)
・雇用継続されたが,いつ自分も切られるか不安 ➡︎ 多くの労働者は同じ不安を抱えて生活しているので,不安であるというだけで,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(実際にそのとおりかどうかは疑問が残るが,不安の中では相談において十分な能力を発揮できないからスクールカウンセラーは
・駒のように人を代えられるのは納得がいかない ➡︎ 職員の入れ替えがあるのは教員も同じであるので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。駒のように,というのは受け止め方の問題である。
・児童生徒,保護者に来年度の不在を伝えることが大変気が重い ➡︎ 教員も異動等で変わることがあるものであり,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(別れもまた成長の機会であるのだから,児童生徒の成長につながるように交代の話をしてほしい,と言われそうな印象。)
・これまでの経験や成果が全く考慮されず,残念 ➡︎ さらなる活躍が期待できる人の応募があればそちらを採用するものであるから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・評価がAであるにもかかわらず補充任用でした ➡︎ 現場の評価と面接での評価が一致しないこともあるのだから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・向き合っているのは人の生死。現任者を切るやり方は,児童生徒に不利益を与える ➡︎ 現任者の交代によりどのような不利益が生じるのか明らかでないので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(この意見の伝え方は,必要以上にエモーショナルで,一般的には受け入れられにくいだろう)
(不安定な状態で継続的な相談に応じている中で交代することにより相談の一時的な停滞が想定される,という主張であれば,もとよりスクールカウンセラーの相談は長期間の継続を想定しておらず,
継続相談を要する場合は,その判断があった時点で近傍医療機関へ紹介されているべき,という反論がありうると思います。)
イ そもそも,この問題は,再度任用されないことは問題なのではなく(問題として扱えないレベル),スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことにあると思います。
そのあたりの整理ができないまま,再度任用されないという個人的な不利益について児童生徒を持ち出して訴えるので,話がややこしくなり,また理解されづらくなっていると思います。
(3)今後の方向性について
ア 上に記したとおり,スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことが問題なのであり,スクールカウンセラーを自治体や教育委員会の職員とする等,他のあり方へつなげることが,
そもそもの狙いになるのではないでしょうか。
そのためには,東京都や総務省に対し再度任用されないことを問題として訴えても話にならないのであって,主管である文部科学省との間でスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないこと
について話をしていかなければいけません。
ただし,この時,ではどういう採用をしてほしいのか(立場は?人数は?財源は?)という案まで考えた上で伝えていかなければいけません。
一緒に問題を解決するという立場で,むしろ自分で自分の問題を解決するという姿勢で,行政に働きかけていかなければいけませんし,できることならば政治の問題として取り上げて行く方が望ましいです。
イ そのように,行政に働きかけ政治の問題としていくためには,職能団体としてしっかりまとまらないといけません。
(案のまともさは前提として)この案は全スクールカウンセラーの総意です,というものをもって行政に働きかけていけるよう,皆んなで先生を応援しますのでよろしくお願いしますと
頭揃えができるように,職能団体としてまとまりを持つ必要があります。
ウ さらに,このような働きかけをしていくとしたら,また,ニュースにあるような声を上げるということ自体が,他の会計年度任用職員の存在をおざなりにしていることを自覚しなければいけないと思います。
事務処理マニュアルにおいては,スクールカウンセラー以外にも,保育士,看護師,掃除作業員,医療的ケアのために置かれる看護師・言語聴覚士・作業療法士・理学療法士,スクールサポーター等
多くの人が,スクールカウンセラーよりも安い賃金で,同じ不安を抱えながら生活していることを理解し,会計年度任用職員制度そのもののあり方を問うて行くことが必要だと思います。
そういった俯瞰的な視点を持たず,スクールカウンセラーの雇用についてだけ声を上げるというのは,社会的な支持を得にくく,何も成果をもたらさないと思います。
個人的には,そういう視点が持てなければ(持てていないから),スクールカウンセラーは会計年度任用職員止まりなのだと思います。
(4)自分たちの総括について
ア スクールカウンセラーの専門性は外部性である,という意見をよく聞きます。外部の立場だからこそ,客観的なアセスメントができるものである,等の意見です。
果たしてそうでしょうか。ここで議論することではないので何も触れませんが,外部性を訴える以上,会計年度任用職員以上の常勤職には,外部性と相反することから,なれないでしょう。
そもそもどうして外部性というアピールが生まれたのでしょうか。本当に,非常勤でなければ客観的なアセスメントができないのでしょうか。常勤職につけない正当化であった可能性はないでしょうか。
イ 公認心理師ができても常勤職は少なく,会計年度任用職員という非常勤ポストすら奪い合いの状況です。
学会を見ても,多くの理事の先生方はとうに65歳を過ぎておられ,若手に席が回ってきません。
ベテランの先生は退職しても開業されますので,開業カウンセリングの市場も奪い合いです。みんなが食べられる状況ではないことは明らかです。
大学院生はどんどん修了し,供給だけが進みます。大学院での学びを活かし,心理士/師として働くよりも条件が良い仕事,働きがいのある職場はたくさんありますよ。
ウ スクールカウンセラー全員が学校に歓迎されているわけではありません。ニュースになった事件もありました。
予算執行調査でも,「SC等の資質向上は最重要事項」と言われています。
これは,若いスクールカウンセラーの資質向上という意味ではありません。ベテランのスクールカウンセラーでも,何も言われなくても,イマイチと思われていることもあるのです。
また,税金を投入する以上,本当に効果があるのか,どの程度の効果があるのか,という問いからは逃れられません。
曖昧模糊な言葉で訴えるだけでは,カウンセリングの重要性を理解してもらえません。予算レベルでは,文科の担当者の方が頑張って財務省と話をして予算をとってくれるわけですが,
自分たち自身も,日頃,スクールカウンセラーやカウンセリングによってどういう効果があるのかを,専門家でない人でもわかるように説明できるようにならないといけないと思います。
とにかく大切だとか,命に関わることだとか,そういう説明では,その場はそうですよねと言ってもらえますが,実は理解を得られません。
また,言葉で訴えるだけではなく,定量的な指標で効果を示せることが必要です。
参考:tps://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/budget_execution_audit/fy2021/sy0309/11.pdf(総括調査票)
エ スクールカウンセラーも心理士/師も,社会で働いています。
そのため,組織に関する行政は,ある程度理解する必要があると思います。今日リンクを貼った文科のHP等は最たるものですが,見ているスクールカウンセラーはあまりおられないでしょう。
社会の中での位置付けを抜きにして,児童生徒とスクールカウンセラーとの関係はあり得ませんので,ある程度行政での位置付け,行政での扱われ方も理解した方がいいと思います。
カウンセラーは社会性がないとよく言われます。個人のカウンセリングだけではなく,社会にも目を向ける必要があると思います。
4 最後に
スクールカウンセラーは,楽しかったですし,良い仕事だと思います。今の心理士/師としての仕事も,楽しくやっています。
ただ,心理士/師には難しい人も多く,これから国民にとってアクセスしやすい存在になるにつれ,問題も表面化していくと思います。
これからどうなるのでしょうか。明るい業界であってほしいと思いますが,明るい業界を作り出せるかどうかは自分たちにかかっている中で,地に足のついた議論は乏しいようにも思います。
この日記が,心理士/師業界の発展につながり,ひいては国民の福祉と健康につながる一助となればとても嬉しいです。
ありがとうございました。