「オリジナリティ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: オリジナリティとは

2025-03-02

anond:20250302110915

といっても増田で言われてることってそんなにオリジナリティないし立候補して主張したいことって何かあるかな

2025-02-27

botブクマがありがたい気がしてきた

ノイジートラバばかりで埋め尽くされててオリジナリティある投稿を探すのが面倒

はてぶの1ブクマ以上で探すとそういうトラバは出てこないから何かの増田トラバしたいなーってときに便利

2025-02-22

SNSの何が楽しいの?

日常生活のことを書く → 誰も俺に興味がない

仕事のことを書く → 機密の関係で書けない

プログラミングのことを書く → そんなものQiitaで書くかGitHubアップロードしろ

ゲームのことを書く → ガチ勢から叩かれるので却下

アニメのことを書く → 画像場合著作権侵害テキスト場合ネタバレなので却下

キラキラ写真(人生の充実感を示す画像)のアップロード → そんな写真を用意するのが面倒

ミーム投稿他人ネタをパクって何が楽しいの?オリジナリティがあるとしても、下水道っぽい

AIアート投稿 → 誰でもできることをやって何が楽しいの?

政治のことを書く → 政治厨にはなりたくない

数学, 物理学のことを書く → 他人定理,理論引用楽しい

哲学のことを書く → お前が考えつく程度のことは出尽くしてる

自己啓発系のことを書く → 他界系みたいなことを書きたくない

俳句を書く → 情報下水道俳句を書いても誰も評価しないし、俳句そもそも苦手

煽ったような漫画を書く → 煽りたくないし、漫画も書けない

ジェネレーティアートアート才能がないので難しい

2025-02-19

創作者の多くはAIの影響を受けない

なんか世間では創作者がAI失業するみたいに言ってる人がいるけど

例えばイラストを量産して稼いでる人、みたいな量産者は影響を受けるが

漫画家作曲家みたいなのは大して影響を受けない

 

創作物というのは、何百万個もあるなかでヒットするのが数百件という状態なわけで

1個ヒットしたとしたらその模倣物は要らないという世界に近い

もちろん二匹目のドジョウで売れた人も居るけど、それはそう見えてるだけで割とオリジナリティがあるか、たまたまその作風に2人ヒットするだけのキャパティがあっただけだ

となった時にAIがヒット作を量産しても意味がない

 

じゃあヒットするかもしれない作品AIが量産したら?

別にそれは見られない、そんなたくさんあっても困るから

 

創作者はAI地獄になるんじゃなくて、既に地獄にいるんだよ

2025-02-12

おおきなかぶってそんなに良いか

福音館書店で200刷超えた絵本が、ぐりとぐらねないこだれだ、おおきなかぶの3冊だそうだ。

ぐりとぐら絵本史に残る傑作だし、ねないこだれだも申し分ないと思う。

でもおおきなかぶって大したことなくない?絵のオリジナリティ薄いし、ストーリー普通の昔話だし、うんとこしょどっこいしょそれでもカブは抜けませんの繰り返しが子供に受けるのは解るが、どこにでも存在しているレベルまで売れた理由がよく解らない。

少女漫画はなぜ背景に花が咲くんですか?

anond:20250212141534

少女漫画の背景に花が咲く表現は、以下のような理由が考えられます

1. 心理状態感情表現

花は美しさや喜び、愛情などの象徴として描かれることがありますキャラクターの心情が高揚した時や、恋愛感情が芽生えた時などに、背景に花を咲かせることで、彼女たちの内面視覚的に表現する効果があります

2. 場面の雰囲気作り

花は華やかで明るい雰囲気をもたらします。特に恋愛シーンや楽しい場面で花を背景に描くことで、よりロマンチックで魅力的な雰囲気演出することができます

3. 少女漫画美的表現

少女漫画では、キャラクターの美しさや可愛らしさを引き立てるために、背景にも様々な装飾が施されます。花は、その中でも代表的モチーフの一つであり、少女漫画独特の美的表現として定着しています

4. 作者のオリジナリティ

花の種類や描き方には、作者の個性やこだわりが現れます。背景に咲く花を見ることで、作者の表現意図や世界観を感じ取ることができます

5. 読者の想像力を刺激

花は様々な意味を持つため、読者は背景に咲く花を見て、キャラクターの心情や物語の展開を想像することができます。花は、読者の想像力を刺激し、物語をより深く楽しむための要素の一つと言えるでしょう。

これらの理由から少女漫画において背景に花が咲く表現は、キャラクターの心情や場面の雰囲気を豊かに表現する上で、非常に効果的な手法として用いられています

2025-02-09

オリジナル創作しなくなった

モチベが無くなっちゃった

もう数年描いてないな

描く意味が分かんなくなった

最近二次創作をしてる

二次創作で、一次創作でやりたかたことが全部出来てしまっている気がする

どちらも趣味だしその時の楽しさを重視した結果、二次創作比重が偏っていった

オリジナルやってた時楽しかたことって何だったっけ?って考えた。

世界自分しか思い付かないような素晴らしい作品を作りたかった。

見識が広がった結果、オリジナリティなんてこの世にはなくて、誰かが大体すでにやり尽くしているということに気付いた。

自分で素晴らしいアイディアを思いついても、最終アウトプットまでは非常に、とても、ありえないくら時間がかかる。

アイディアに対して、これは私だけの特別な考え・視点であるという情熱を持ち続けることが不可欠だ。

今はそのことに自信が持てない。

どこかで被っている。誰かがすでにやっている。

描いている途中で、筆が進まなくなる。

私の一次創作へのモチベーションはそこだったから。


二次創作でも、正直モチベーションは同じである

まだ誰も描いていないものを、私自身が新しくて素晴らしいと思えるものを描きたい。

二次創作といってもマイナージャンルで、そもそも二次創作をしている人が少ない。

素晴らしい原作がある。この世界観をもっともっと深掘りして、広げて、その世界の中で新しいものを描きたい。

今はこれをやるのがとても楽しい

から汁が出る。

大好きな世界観、大好きなキャラ

このジャンルメジャージャンルで、二次創作してある人が多かったら私は二次創作していないだろうと思う。

2025-02-08

お笑い」ではなく「笑い」が欲しい

子供の頃からお笑いは身近なものだった。

テレビバラエティに夢中になって学校でみんなで真似をしたりして笑い合う。

大人になってからも、しんどい時にお笑いを見て元気をもらったりしてきた。

お笑いが大好きだったけど、もうそれで笑いたくないなという気持ちが強まっている。

面白いと感じるものが、あまりにも「お笑い」的になってしまってる自分が嫌になったのだ。

ハッキリと笑えなくなったのはドッキリ番組などだ。

ドッキリをしかけられた人を見て笑う感覚が失われてしまった。そしてそれは良いことだと感じる。

別にかわいそうとか思ってるわけではない。

「みんなで一緒に笑ってる」感覚気持ち悪くなったのだ。

それがイジメ構造だと言われたらそうなのかもしれない。

ただそういった構造日常の中でなくなるものではないとも思ってる。

たぶんどちらかというと、それを武器にして笑わせようとしてくる感覚が嫌になったんだと思う。

なにかで令和ロマンくるまが「友達なんかと楽しく笑って過ごせてる人にはお笑いなんかいらない」という感じの事を言っていた。

かに自分高校大学にかけてめちゃくちゃリアルが充実してた時期があり、その時期はテレビほとんど見なかったしお笑いを見たいと思うこともあまりなかった。

逆に言うと、世の中なんて毎日楽しく過ごせてない人のほうが圧倒的に多いはずだ。だからお笑いはあったほうがいいと今も思う。

ただ自分にとっては、結果的にそれで救われることがあってもいいが、自分から求めすぎるのはよくないと考えるようになった。

日常での笑いなんてほんとにささやかものだ。爆発的に大笑いなんてしないし、せいぜい「ふふ」って小さく声に出るくらいの笑いしかない。

ただそのオリジナリティユニークさ、誰にも分からない自分だけの面白さ。

そういったもので満たされる感覚というのは、すごく潤いがあって愛おしいのだ。

誰にも共感されなくてよい、心から自分面白いと感じる感性を研ぎ澄ますには

今の「お笑いから意識的距離をおく必要があると感じている。

2025-02-06

そろそろ「あ、この発想俺が二十代の時に発想してたやつじゃん〜」が出てきだしたのでちゃん文章化しなきゃいけない

下手くそでも小説を書こうという気持ちと、何もかも手遅れでも書いたらええねんの精神で生きたい。

あと、後発の似ている作品が爆裂ヒットしても恨まない、後発がいくら似ていても「これは後発さんが一生懸命書いた作品で、ただただテーマが被っただけ!」という意識根底に持つ。

オリジナリティは筆圧だけで主張する。

とにかく書く!書く!書くぞ!書かなきゃ!書かなくても死ぬが!書いても死ねるぞ!書くぞ!

2025-02-05

部活

大学落語研究会所属している。

普段部活動を楽しんでいるが時折落研に嫌気がさして落研悪口を言いたくなるので吐き出し。

落研所属する人間はどこか痛い。いや私が他の部活に身を置いていないから、大学自己表現系のサークルは大体同じ感じかもしれないけど。

私の落研一部の人間に嫌気がさすのは古典落語を誰か有名なプロ落語家動画からコピーしといてさも自分面白いかのように錯覚しているところ。他の自己表現部活比較して落研ってあった圧倒的にオリジナリティないよな。

自分ネタ書いて新作作る人も中にはいるけど、大体過去プロ遺物依存する存在しかないよな。

面白いことしたいけど、お笑いサークル所属してネタを書くのはしんどいって人が所属する場所なんじゃないかな。

まあ上に書いた悪口全部自分ことなんですけど。落研では古典落語劣化コピー生産機だし、他でやってる演劇でも何も生み出さずただ役者やってるだけだし。

落研は好きだけど自分オリジナリティコンプレックスを結局増幅させてしまった。

というか落研似た属性人間が多すぎる。落語やって他の活動演劇系やってみてる人大量にいる。その中で自分が最低限しかやってなさすぎてネガティブに突き進んでしまう。

落研なのにオチも作れない人間すみません

2025-01-30

<「単著もないくせに」とか言われ続けたか電子書籍を書いた>人から単著もないのにと煽られ続けたか電子書籍を書いた

2024年6月電子書籍を出した人からしばらくずっと煽られ続けてまして。

ぼくに10年ぐらい粘着したある人物や、悪い意味言及した人物が読むことを想定して

重箱の隅をつつくことぐらいなら言えるかもしれんよ?」

「でも、本の内容をちゃん論破しようと思ったら、ぼくよりも幅広い知識と、オリジナリティの両面がある人じゃないと無理(そんなに能力があるならもうお前が電子書籍出せばいいし、俺の論破とかやる暇があったら、もうお前本書いて自分人生変えたほうがよくね?)」

という内容になっとります。

粘着してる人がどうせ批判記事書くだろうけど、みんなが納得行くような批判記事を書こうとするとこの本はとても大変だから、まぁがんばってね。」

そもそも批判してないで、俺の批判する能力があったらがんばったら本書けば?」

とか書いとくね。

私が本を出す準備をしてる時に、彼は私を「消費者」と揶揄しましたが、

私は『実存本質に先立つ』というサルトル哲学の通り、

作家という本質の前には、無名執筆期間という実存がある」「変わった自分を見せつけて、アンガージュマンするんだ」と言って、執筆をやり抜きました。

私がサルトルの話を実践しながら話たのは、彼が読むのを想定してのことでもある。

彼ぐらい自分が言うような実力があるなら「私にガーガー言ってる時点で、自分人生に退屈してるんだから、大きな目標持って頑張れ」と言いたいわけ

なんかよくわからんけどやたら煽ってくる・・・

彼のご要望どおり本を出すことにしました。

本日の14:00から販売開始しま

https://www.amazon.co.jp/dp/B0DTGFZXY7/

Kindle Unlimited対象なのでUnlimitedの人は軽い気持ちでお読みください。

2025-01-24

anond:20250124081114

悪いけど、AI知識に無いものを何でも描けるって話は誰もしてないんよ

オリジナリティとも関係ないどこにも噛み合ってない話を続けてもしゃあないわ

2025-01-23

anond:20250123194519

ある構図とか絵柄とかが描けない画家がいたとしてもオリジナリティがないとは言えんわ

オリジナリティの有り無しの議論してるのに、ある構図が出せるかどうかにこだわるほうが話のすりかえと違うか?

anond:20250123182902

オリジナリティかは分からないんだけど、

モデル知識として無いものは描けないかというと実は描けたりする…

step毎にワード適用率変えて、概念を混ぜるなどすると新しい何かが生まれたりする時ある

この辺は人間がやる時も一緒なんじゃなかろうか

2025-01-10

B'zダサい論争が一部で話題になっていたが、主に90年代サブカルとか渋谷系から視点で語られているようなので、90年代当時のハード・ロックヘヴィ・メタルHR/HM)好きから見た当時の状況を交えて今思うことを殴り書きしてみる。

殴り書きの趣旨

本題の前に殴り書きの趣旨を書いておくと、唐突だがみうらじゅんは昔からキーポン」、つまり「keep on」が重要だと主張している。そして「keep on」の次に何が来るかは重要ではないともいっていた(と記憶している)。「マイブーム」を一般名詞にまで浸透させ、一大産業に発展した「ゆるキャラ」の名付け親でありながら「ゆるキャラ」にとどまることな意味のない「マイブーム」を続けているみうらじゅんが主張していることだから説得力があるともいえるが、個人的にも今強くそう感じるようになっている。学生時代から主に音楽の面でサブカル界隈をそれとなくフォローしてきた身として、今現在そう感じている内容を整理してみたい。

隙あらば自分語り

兄が学生時代ハード・ロックコピーバンドをやっていてそのコピー曲を聴いていた流れで、『Burrn!』誌で酒井康の紙面アジテーションに感化されてヘヴィ・メタルにハマり込んでいた。酒井康がしきりに「世界で最も売れたアルバムビートルズでもなくディープ・パープルの「Machine Head」だ」と連呼するのを真に受けていたし、ディープ・パープルライバルであり洋楽ロックが専門の渋谷陽一が好きなレッド・ツェッペリンヘヴィ・メタルとは違う「軟弱」なハード・ロックに思えた(なお「Machine Head」は80年代当時最も売れていたかもしれませんが2020年代歴代アルバム売上ランキングではトップ100にも入っていないようですね)。

その一方で『Burrn!』誌創刊とほぼ同時期に刊行された伊藤政則ヘヴィ・メタルの逆襲』を繰り返し読みながら、(まあ当然の話ではあるが)ビートルズローリング・ストーンズなどの有名どころのほかに80年代には名前も聞いたことのないバンド60年代から70年代ブリティッシュロック興隆期に活躍していたことを知った。

残らないもの・残るもの

そうして大まかな流れをつかみながら実際に曲を聴いたりしてみると、80年代当時の音楽シーンから見るとメロディー、音質、演奏テクニックも古臭くて長く残るようなものじゃないなと納得することが多かった(これはもちろん80年代当時の感覚であって、80年代音楽はまた別の意味で古臭くて長く残るようなものはむしろ少なそうですけどね)。

その後90年代大学HR/HM寄りの軽音サークルに入り、幅広く音楽を聴いているサークル仲間に教えてもらって普段テレビラジオ流れる以外の音楽世界にも触れようになると、音楽性もさることながら長く音楽活動を続けることこそが一番の評価軸になるのではないかと思うようになった。もちろん、長く続けてればいいということではなく、当時の社会文化情勢で受容される音楽が変わる以上長く続けるかどうかは結果論たまたまかもしれないし、今聴いている音楽も後世に残るのはわずなのだろうなどとも思いながら、結局同じスタイルやコンセプトで続けることがその音楽性を唯一無二のものとしていくのだなと実感するようになったのである

その時期はまた、80年代HR/HMギタリストとして『Young Guitar』誌にも登場していた松本孝弘がB'zというよくわからないユニットを結成し、その曲がテレビ主題歌CMバンバン流れるようになっていて、軽音サークルでは総じて「松本孝弘が魂を売った」と批判的だった。一方で「イカ天からイロモノ的にデビューした人間椅子は地道にアルバムを出し続けていて、サークルの後輩がコピーバンドを組んだりしてライブでは大いに盛り上がっていた。

人間椅子ブレイク

長く音楽活動を続けることこそが一番の評価軸になるというのを身にしみて感じるようになったのはアラフィフになったここ数年である。そのきっかはいくつかあるが、音楽でいえば人間椅子2010年代SNS海外から評価されるようになり、オズフェストに出演したり海外ツアー実施したりするまでにブレイクしたことである。少しずつ変遷しつつもコンセプチュアルなルックス江戸川乱歩太宰治を強く意識した歌詞3ピースハードロックという音楽性は一貫しており、海外から高く評価されるようになっているのを知ったときはなんとなく嬉しい気持ちになった。個人的にそこまで熱心なファンではないが、「ヘヴィ・メタルの逆襲」といえば伊藤政則ではなく人間椅子というHR/HM好きも多いだろうし、青森ローカルテレビ番組で披露していたキング・クリムゾンの「21st Century Schizoid Man21世紀精神○常者)」や「Lark's Tongues In Aspic Part2(太陽と戦慄パート2)」の完コピには感動したものである

なお余談だが、人間椅子の曲がディープ・パープルではなくブラック・サバスに影響されたものであることも長く活動継続できた理由ひとつであろう。個人的感覚ではあるものの、ディープ・パープルは今となっては古いロック定番としてなら聴けるが70年代という時代しか通じない遺物に感じてしまう。奇しくも酒井康が80年代中ごろにディープ・パープルの影響を誇示していたように、同時代とそのフォロワーにのみ影響を与えたバンドだったのではないかと思われる(重要バンドではないということではなく時代によって評価が変わりやすいという趣旨です。為念)。

松本孝弘の目論見

そして人間椅子とは対照的だが、2024年紅白歌合戦サプライズゲストとして登場したB'zもまた、活動継続することで唯一無二のポジションを獲得している。2024年放送NHKSongs」で松本孝弘自身が語った話では、80年代から浜田麻里TM Networkなどのサポートギタリストとして活動しながら、その活動限界を感じて自分バンドを結成しようとメンバーを探していたところ、所属事務所ボイトレに通っていた稲葉浩志を紹介されて88年に結成したのがB'zだった(大意)とのこと。

松本孝弘が感じた「限界」がどのようなものかまでは深く語られなかったが、80年代中盤以降アメリカではLAメタルが全盛期でトップチャートを賑わせていて日本からラウドネス進出する一方、国内では聖飢魔Ⅱテレビ歌番組活躍していたり浜田麻里ソウルオリンピックNHKイメージソングを歌っていた時代であるあくま個人的記憶だが、もしかすると日本でもHR/HMからメジャーバンドが生まれるのではないかくらいの勢いはあったと思う。

しか松本孝弘は、NHKSongs」で子供のころに聴いていたテレビ主題歌歌謡曲が好きだったとも話しており、その勢いそのものに「限界」を感じていたのだろう。つまりガンズやメタリカのようにHR/HMをそれとして打ち出すのではなく、テレビ主題歌歌謡曲としてテレビ普通に流れるものに落とし込まなければメジャーになれないと考えていたのではないか。そしてその目論見は、現在まで長く活動を続けて唯一無二のポジションを獲得した松本孝弘にとって正しかったというほかない。

(というと「日本HR/HMモンスターバンドならX Japanがいるだろ!」との意見もあると思いますが、HR/HM好きからするとX Japanドラムベースは申し分ないものボーカルギターの要素が不足していて、ルックスからビジュアル系認識してしまうんですよね。)

歌謡曲路線

B'zのモンスターぶりは特に売上で際立つ。それはやはりB'zの所属事務所ビーイングによるところが大きいと思われる。ビーイングを創設した長戸大幸吉田拓郎に憧れて上京し、歌謡曲でヒットを連発していた阿久悠とも交友関係があったとのことで、その事務所方針松本孝弘の考えがあいまってB'zは着実に売上を伸ばしていった。

B'zはボーカルギターという最小限のユニットを活かしてデジタル音源を取り入れ、洋の東西を問わずその時々のヒットチャートや古いロックを取り込んだものとなっている。たとえばツェッペリンエアロスミスなどの洋楽ハードロックをモロパクリするところなどは、同じく洋楽を強く意識してパクリも辞さなかった(というより積極的にパクった)昭和歌謡曲の路線を忠実に踏襲していることが伺われる。当時からパクリではなくオマージュだ」という擁護はあったものの、現在では結局それも擁護というよりB'zのテクニック解釈への正当な評価認識されるようになっている。これもまた長く活動継続したことの成果である

パクリorオマージュ

ただし、人間椅子もいわばブラック・サバスパクリだし、アメリカイギリスを中心とした洋楽への憧れがあって独自解釈した結果が音楽性に反映しているという点はほぼすべての日本(というより非アメリカイギリス圏)のバンド共通しているだろう。B'zがほかのバンドより批判されやすいのは、良く言えば今風のフレーズ古今東西メロディーを織り交ぜる昭和歌謡路線踏襲しているから、悪く言えばほかのアーティストの有名フレーズのみならずあまり有名じゃない曲のメロディーまで一部ではなく全編に隠すことなく入れ込みながらも知っているとニヤリとするどころかなんでそこまでまるまる?と思うくらいパクり方に節操がないと感じられる(※個人の感想ですからという程度である

HR/HMギタリストだった松本孝弘を知っているHR/HM好き(自分もその一人)からは主に昭和歌謡曲的パクリについて反感を買っていたが、ミリオンセラーの前にはそんな一部のマニア批判など無力である。むしろそんな批判松本孝弘が聞いても「だからHR/HMでは限界なんだよ」という思いを強くしただけだろう。その意味では、人間椅子とB'zを比較すること自体HR/HM限界如実に表しているともいえる。人間椅子ブレイクしたといってもB'zのように単独アリーナツアーをすることはないし、和嶋慎治ギブソンからシグネーチャーモデルSGを送られることもおそらくない。売れるバンドになることが目的ならB'zの方向こそが目指すべきものであり、人間椅子の方向は長く困難で実入りの少ないいばらの道が続く。

さらに余談だが、ブリティッシュロック出自としながら時代に応じて曲調もルックスも変えて長く活動を続けているのがローリング・ストーンズであるストーンズもまたデビュー当時からパクリとの批判が大きかったが、次第にオリジナリティが認められていった。B'zはローリング・ストーンズ手法にも学んでいるのかもしれない。

諦念

もちろん、この文章には若干の皮肉を込めている。ただしそれはあくまで若干であり、残りの大部分は長く活動継続したことに対する私なりの敬服である

音楽マーケットあくまで「市場」であり、売上こそが正義であるパクリでもなんでも売れ続けることによって批判は称賛に変わり、その音楽性や演奏力といった音楽という表現方法内包する軸とは別に、売上という別個の軸が評価基準として自己実現する。B'z以前から日本歌謡曲洋楽パクリとして始まっており、これは日本のみならずアメリカイギリスの影響を受けた音楽マーケットを持つ国でも同様であろう。なんなら上記のとおりローリング・ストーンズに限らずアメリカイギリスでもパクリ盗作)をめぐっては訴訟だらけである。ここで「パクリ」の定義踏み込む余裕はないが、どのように定義するにせよパクリ否定することは売上によって成り立つ現在音楽マーケットのもの否定することになり、現実的ではない。

ここまで読んでいただければお分かりだと思うが、この文章人間椅子の方向に面白さを感じる人間が書いている。「keep on」の次に何が来るかは重要ではないかもしれないが、それによって得るもの時代人間関係などの環境や運によって大きく異なり、おそらくそれは本人が意図的に選ぶことはできない。その現実のどうしようもなさに対して諦念するほかないのである

長く続ける力

人間椅子とB'zは個人的に対比しやすいから取り上げただけであり、売上がギネス認定されたB'zを一方の頂点とすることはできるかもしれないが、人間椅子はその他のバンドの一つに過ぎない。売上ではB'zに及ばずとも単独アリーナツアーできるバンドミュージシャンはそれなりにいるし、人間椅子のような活動の積み重ねを前提として運よくブレイクしたバンドも探せばそれなりにいるだろう。明確な売れ筋狙いが功を奏した場合もあれば、愚直に一つのスタイルを貫くことが評価される場合もあるというだけの話である。いずれの場合にせよ長く続けて評価されるためには、その水準を満たす表現力や演奏力などの本人の能力はもちろん、各関係者との良好な協力関係などの制作体制、そして固定ファン層を安定して構築することこそが重要である

長く続けること自体が本人や関係者、ファン層のそれぞれの厳しい条件をクリアしてようやく成立するものであり、さらにそれが売上などで評価されるかは時代社会情勢によって変わってしまうという現実に対しては諦念するほかはないが、それを実現したB'zとその関係者、さらファン層にもやはり敬服するほかないというのがとりあえずの結論

参考

https://yamdas.hatenablog.com/entry/20250106/being-sibuya

https://storywriter.tokyo/2020/09/01/3673/

https://the-king.jp/nana_247.htm

2025-01-09

anond:20250109102908

医者薬剤師といった職業は特異な発想ではなくデータに基づいた常識的判断が主だから平凡思考でいけるんじゃねえの?

画家オリジナリティ必要なのでちょっときつそう。

政治家わからん

2025-01-07

西友

近所の西友、なんか雰囲気暗いというか物理的にも一昔前の建築ありがちな無駄天井高い造りだからなのか照明の光が発散しすぎて薄暗くてどんよりしてて

商品もこれといってオリジナリティない割にはそこまで安くもないのが大半でたまに安いやつはあからさまな地雷臭醸してて

特にみなさまのおすみつきかいうPBのラインは本当に本当にハズレが多かったりして(セメダインみたいな臭い焼き肉のタレとかあった)

今にも潰れそうな要素満載な感じがピシピシ伝わってくるんだけど

うそ状態で何年も維持してるのでそれらは逆に潰れない要素だったのかもしれない

経営がどんどん変わるのも有名だけどそれにしても売られたり買われたりしすぎでもしかしたら西友の一番の売れ筋は自社そのものなのかもしれない。

2025-01-02

駅伝は沿道にいる人も参加するべき

母親駅伝好きで毎年正月になるとテレビで流れてるんだけど全く興味が持てない。

何故なのか少し考えてみたんだけど、コンテンツとしてエンタメ性に欠けるんだよね。

ずーっと走ってるだけ。そんでたまに抜いた抜かれたが起こる。楽しそうに入ってる子がいたり、苦悶の表情を浮かべる子がいたり、その程度。画面にも展開にも変化がなさすぎる。

それぞれの選手大学も私にとっては情報量に差がないから、どの大学が優勝しても「へー、◯◯が優勝したんだ」の◯◯に入る単語が変わるだけだし、抜いた抜かれたも同様だから、すべて同じ事象としてしか捉えられないんだよね。

「今年は第4区間で沿道から乱入した佐藤さん(52)が優勝しました!」ぐらいの波乱が起きないと面白くない。

あとはそうだな、衣装オリジナリティがあったり、キャラめっちゃ強かったりもしないし。少なくとも走ってる姿からは知り得ない。

もっと沿道から邪魔が入るなどSASUKE的な要素を取り入れたらどうだろう。

駅伝好きな増田は、私に駅伝の好きなところを教えてください。

知らない人たちが、自分楽しいと思わないことで盛り上がってるのって、近所の居酒屋で見ず知らずの大学集団が内輪の飲み会して盛り上がってるのを見せられてるのとなんら変わらないんだよね。

人間の愚かさや長距離走よりは情報量が多い会話を見せられる方がまだエンタメ性が高い。

2024-12-29

ブルプロ舐めるな、日本舐めるな。

はじめに

おい、中国人、並びに共産党に与するパヨクとブルプロアンチ。よく聞け。ブルプロ舐めるな、日本舐めるな。

ブルプロをパクったゲーム流行っても日本人はやらないからな。ゲーム市場2、3位の日米が降りたらチャンコロは終わりなんやで。

ブルプロにはこんな素敵な人たちがいるんだ

ブルプロリア充グループUbikitous

https://x.com/Futats_ubik/status/1872997381106745493

Ubikiのメンバーはブルプロ随一のセンスなんよ。オシャレな男女チームなんよ。だからブルプロは決して国産おっちゃんゲーじゃないんよ。

みんな優秀で美男美女なんよ。リーダーであるタツさんのセンスに集まった人たちなんだから当然なんよ。

ブルプロやってる人は勤勉で賢い

https://x.com/search?q=%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%80%80%E5%A4%9C%E5%8B%A4&src=typed_query

ブルプロ夜勤接客業で頑張ってる人が多いんよ。みんな頭がいいからこそあえてそういう業種を選んでるんよ。エッセンシャルワーカーは必要仕事からこそ有能な人がやるって考えなんよ。ブルプロを支える心意気にも似てるんにょ。

サ終撤回署名活動頑張ってる人

https://x.com/suzuBlueProtoco/status/1829530354048471357

署名活動頑張ってる人もいるんよ。署名パヨクっぽいけど、それで復活する大日本帝国があるならそれは右翼なんよ。

この人はブルプロチームのSS撮影してるんよ。なんだか卒業写真作るみたいな試みが最高なんよ。

そして中国人、ブルプロアンチパヨク、お前ら反日非国民どもが味わえなかった学校生活のような空気感がブルプロにはあるんよ。だからこそ忌避してるってことに気づくべきなんよ。

アンチしてる暇があったら幼い自分と向き合うんよ。

姫ちゃん

お歌を公開したり生足を魅せたり姫ちゃん活動してる人もいるんよ。MMOらしく彩りを与えてくれる存在もまた最高なんよ。

のあーるちゃんは今鍵かけちゃってるけど(´・ω・`)

根気よくアクセスしてお歌を聞いてほしいんよ。

https://x.com/rushia2474

https://x.com/NoiRe_UoxoU

結び

ブルプロをパクったゲーム、スタレゾが出るらしいが廃れぞwwwなんちて。

中華五毛はパクリお家芸で何一つ成せないんよ。オリジナリティがないんよ。そんな国滅んで当然なんよ。

2024-12-27

anond:20241227151830

餌付けして強い生き物を従える展開

スネに傷があったり、追われる身の美女を助けて慕われる展開

 

これ多すぎだろ、AIだってもうちょっとオリジナリティ出せるだろ、って思うけどなろう系に金払うような読者は難しい展開より大味なストーリーが好きだもんな。

2024-12-23

漫画によくある定番のシーンにちょっとしたアレンジを加えてオリジナリティを醸し出しましょう

まず一例として、「食パンを口にくわえた女学生が『遅刻遅刻』といいながら走っている」シーンを考えてみましょう。

これは少女漫画における典型的出会いというイベント連想させますね。

ここでは、もし食パンをくわえているのが下の口だったらどうなるか考えてみましょう。

このような些細な変更によって、読者が女学生に抱く印象を操作することが出来ます

女学生は、多少、変わった人物であることが想像できますね。

一見、これは誰でも思いつく非常に小さな変更点のように見えます

しかしながら、増田の知る限り、このようなバージョンの登場シーンを見たことはありません。

更に、セリフも「遅刻遅刻」ではなく、「痴漢痴漢」に変更するとどうなるでしょうか?

一般的少女漫画イメージからすると、多少、猟奇的な、あるいは、事件性を、読者は感じることが出来るでしょう

2024-12-11

anond:20241211181514

Q.

コラージュアートとして認められている
ファンによるアートファンアートである
ファン他人著作物コラージュして作った作品ファンアートである
異論はありますか?

A.

はい、その結論はいくつかの異論があり得ます特に著作権作品定義に関する議論が絡んできます。以下にいくつかの観点を挙げます。

1. コラージュアートとして認められているか
コラージュ20世紀初頭からアートの一形態として認められています(例:パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックによるキュビスム作品)。しかし、アートとして認められるかどうかは、文化文脈評価者の価値観依存します。
「認められている」の範囲曖昧であるため、場合によっては議論余地があります。

2. ファンアート定義
ファンアート一般に「特定作品キャラクターへの愛情や敬意を示すために、ファン独自作成した作品」とされています重要なのは、元の作品の要素をどのように使用するかです。ファンアートは多くの場合、元の著作物を直接再現するのではなく、オリジナルアイデアを加えています。

3. 他人著作物使用したコラージュファンアートか
法的観点: 他人著作物コラージュする場合著作権法が関係します。特に日本や多くの国では「著作権者の許可なしに著作物使用する」行為は、たとえそれが非営利目的ファンアートであっても著作権侵害と見なされる可能性があります芸術的観点: たとえ著作権侵害していない場合でも、他人著作物を使ったコラージュファンアートに分類されるかどうかは、作成者の意図作品文脈依存します。たとえば、元の著作物に対する敬意を示す意図があればファンアートと見なされるかもしれません。

異論可能ファンアート範囲
他人著作物使用した作品すべてがファンアートに該当するわけではありません。敬意や愛情がない場合、単に「盗用」とみなされる可能性がありますオリジナリティの欠如
ファンアートとして成立するには、一定創造性や独自性が求められると考える人もいますコラージュ作品オリジナリティを欠く場合、単なる「再利用」として評価される可能性があります。

法的問題ファンアート混同
ファンアートはしばしば非営利目的制作されますが、それでも法的には著作権侵害となる場合があります。そのため、「コラージュファンアート」と断定するのは、法的な誤解を招くかもしれません。

結論他人著作物コラージュして作った作品ファンアートである」と断定するには、意図文脈、法的条件を考慮する必要があります。そのため、場合によっては異論が生じる可能性があるでしょう。
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