はてなキーワード: 2000年代とは
2000年代前半にインカレの起業サークルに所属していた。ビタービットバレーのちょっと後、ライブドア事件の前ぐらいかな。iモードが流行り始めて一攫千金できそうだけど、1990年代のようにホームページ作るだけで数千万円とかは無理な時代。
あと無給~月5万ぐらいで学生をインターン生として数百時間働かせるブラックベンチャーや、そういった企業に学生を紹介する人財(笑)ベンチャーやNPOが跳梁跋扈してた時代。
まぁそれはさておき、当時100人ぐらい居たほぼ同期生のうち、自分が思う成功例と失敗例についてなんとなく語る。一部フェイク含むし、上場企業の社長は特定できそうだから除く。
・成功例①
新卒でITメガベンチャーに就職し、パズドラブームちょっと前にゲーム制作会社向け人材派遣業・受託開発業を創業。あっという間に数百人規模の会社にして、最終的に30代半ばで50億程で会社売却。今はエンジェルっぽいことやってる。西麻布がホームのようだが、酒の飲み方が汚いとたまに話が回ってくる(嫉妬もあると思う)。
・成功例②
就職せずに自分で広告代理店起こすも、直後にリーマンショックが来て一回倒産&自己破産。その後、オタク業界で再起。色々あって現在年商60億ぐらい。最初の自己破産の時に迷惑をかけた人には、全額返済したみたい。
・成功例③
教育系ベンチャーに就職し、30歳ぐらいに同業で独立。最初は学生を雇って個人指導塾を経営していたけど、法人教育や通信教育(ネット)に手を出してから一気に成長。年商100億ぐらい。
・失敗例①
新卒で大企業の新規事業開発部門に入社するも激務で退職。リーマンショックで再就職うまくいかずその後連絡取れなくなる。30歳前後の頃、こいつに騙されたが連絡先を知らないか、という話がFacebookで回ってきた。しばらく忘れていたが、30代半ばにふと検索したら地方で詐欺をして捕まっていた。有罪かは不明。
・失敗例②
新卒で不動産系メガベンチャーに就職し、その後、会社の同期同士で独立。しばらくは順調そうで、たまにメディアで顔を見ていた。なぜかその後、暴力事件を起こして逮捕。現在は不明。
・(余談)自分
文系だが高校時代からコミュニティサイトを運営していたこともあって、Linuxとかサーバー管理的なことを自己流でやっていた。起業にあこがれていたが、ちょうどリーマンショックのタイミングで怖気づき、結局、日系中堅企業に就職。就職時にアピールしたためか、3年目ぐらいで新規事業に携わらせてもらい、PCやネットの知識はそこで重宝された。アラフォーの現在までに2回転職し、現在は年商100億規模のベンチャーの管理職。小さいが事業部的な組織なんで、企画から実行まで全部自分の裁量で回せるのが気持ちいい。副業可な会社でそこそこ資産もたまったけど、何やっていいのか分からず日々本業に追われている。
「成功例」としては、色々な意見があると思うがとりあえず金銭的な成功を基準としてみた。もちろん会社内部は大変かもしれないし、私生活は良くないのかもしれないが、億円単位で稼いでいたらまぁ成功と言えるだろう。また逆に借金ぐらいだったらいくらでも自己破産できるし、失敗とは言えないと思う。ただ逮捕されたらさすがに他人に迷惑をかけたということだし、さすがにそれは「失敗例」と判断してみた(不起訴とかまでは知らん)。
当時のサークルの名簿があったからググってみたら、上場オーナー経営者が数人、上場企業の役員が数人、その他、親の企業継いだ人、中小企業の社長、地方議員、医者、弁護士、社労士、インフルエンサー、情報商材販売数人…みんないろんな人生送ってるなぁ。でも名前でググって出るぐらいだから、それなりに活躍しているんだと思う。
当時は渋谷の道玄坂や桜丘町、六本木とかの安居酒屋やら安中華料理屋やらでよく飲んでたなぁ。25ぐらいまでは付き合いあったけど、そのあたりから成功失敗が別れるようになり、結局離れ離れになってしまった。いまだに繋がっているのは、飲み友達になった数人ぐらいで、あとは年賀状やFacebookの誕生日メッセージで「今年こそ飲みましょう」というやり取りをしているのが数人ぐらい。アラフォーに突入し、とりあえず生きてるだけで丸儲けだな、とは感じる。青春でした。
mixiのニュース見て、当時のことを思い出して書いた記事がホッテントリ入りしてる。嬉しいm(_ _)m
色々な大学生が参加しいるインカレサークルなんでで割合は国立:早慶:MARCH:他で、1:3:4:2ぐらい。早慶多かったけど、圧倒的、というほどでも無かったかな。男女比は9:1ぐらい。あと「自己破産ならいくらでもできる」ってのは気楽に書きすぎたかもしれないけど、ちょっと上の世代の社長で借金が原因で妻子残して失踪したり、自殺しちゃったりした人がいるんだよ。それらに比べたら、借金は自己破産して人生やり直せるんだから、失敗とは言えんよなぁ、と思って。
あとホッテントリ入りで自己顕示欲刺激されたんで、もう1人成功例を上げておく。
・成功例④
自分の知っている中では、同世代一番の成功者。彼も20代でウェブサービス作って、30代で会社ごと数十億円で売却した。知名度が高いB2Cサービスで、同世代(現在30代~40代)でネット使ってる人なら10人に1人は知ってると思う。確かに便利なんだけど、俺は悔しいから使わない(笑)
そうだった!指摘ありがとう。訂正した。
id:delta-ja 2000年後期は金持ち父さんとか女子高生がドラッカーとかそういう時期だったね。氷河期の下ゆとりの上の世代はそこそこ幸運に恵まれてる世代だけど、増田周辺は打率が良いな。アフィだけ齧って撤退の連中が多かった感
はてなの起業エントリが一番盛り上がってたのも2000年後半ぐらいだった気がする。そういえば、2000年代に流行ってたものとしてSEOを忘れてたわ。pagerankが高い大学公式サイトからバックリンクをもらうために、大学の教員に頼んでゼミや学会分科会やらのサイトを無料で作ってたなぁ。そこからさらに自前のサイトにリンク貼ったりして(教員承認済み)。
id:akiat 「年商が高い=企業が儲かっている」ではないことを知っていて書いているんだろうけど、「借金しようが自己破産しようが気にしないと」いう前提があるということが分かった
年商は分かりやすい目安だからね。もしかしたら②や③も赤字や債務超過になってる可能性もあるけど、さすがにそれは外からじゃわからないし。
id:kuippa 50億100億ゆーてるけどほんまかいな。解像度1桁ちがってない? はてなで年25億。タイミーで268億。100億超えは 東証プライムでも上位1582に相当。飲み屋話真に受けてない?自社の決算書見た?
①は伝聞だけど、②と③と自分の話は裏付けあるよ。てか、B2B分野なら一般的な知名度皆無でも年商10億単位はザラだし、B2C、B2B問わず年商100億超の非上場企業もたくさんありまっせ(参考1)(参考2)。
id:gwmp0000 起業 自営業 大学の起業サークルって具体的には何すんだろ? 会社作って経営すんの? 全員自分の会社を作るのかね??
毎月、30歳ぐらいの若手社長呼んできて講演してもらって、その後、懇親会的な感じ。自分1人だと挫折しそうだから、同じ方向を向く仲間やライバルが欲しい人が多かったかな。一緒に会社作るための人を探そうって人はあまりいなかったと思う。みんな我が強いから。
id:TakamoriTarou どういう人が集まってる大学なのかそっちのほうが気になった。企業サークルなんてのがあるんか。
インカレだからいろんな大学の人がいたよ。ガチ起業勢が1/3、意識高い陽キャ系が1/3、その他が1/3ぐらい。自分はその他枠だな。悪く言うとキョロ充に近かったと思う。
id:tkm3000 40代前半で上場企業役員ってなれる?
なれるなれる。新興市場なら、今だと社長40代後半、役員40台前半って会社も多いから。あとは30代で自分の会社を上場企業に売り払って、その事業部の執行役員経て役員になるとか。サラリーマンできる経営人材は貴重。
id:by-king 失敗の定義が逮捕になってないか。夢破れて今はしがないサラリーマンやってますとかそういう話かと思った
成功してメディアに出る以外で、その人のその後を知れるのは悪いニュース(逮捕)ぐらいしかないので…。名前ググっても出てこない半分ぐらいの人は、たぶん普通にサラリーマンとか公務員やってると思う。
例えば、理科の授業で植物の構造を学ぶ。花の花弁がどうこう、葉緑体の構造がどうこう、毛細の仕組みがどうこう。
そこに、「ある花は綺麗で、ある花は醜い!」とか「日本古来愛されてきた桜の構造だけ学べばよくて他の木は適当でいい!」みたいな価値判断は普通入らない。
社会の授業で、世界の国々の様子を学ぶ。アメリカの選挙制度はどうこう、ロシアの大きさはどうこう、世界の人口はどうこう。
そこで、社会の授業という枠組みで「アメリカの政治制度は正しく、中国は間違ってる!(逆も)」とか「北方領土!竹島!日本の国土!」という授業を何時間も続けるということは異常である。少なくとも社会科の枠組みではない。
性教育はどうか。
性器の構造。精通や生理。妊娠と出産。これらは理科的・生物学的側面といえる。
一方で、「成人するまでセックスを我慢しよう(逆にどんどんセックスをしよう)」とか「セックスの前に合意をしよう。その合意は空気ではなく口頭で行うべきで~」とか「堕胎の是非」とかは思想的な問題である。
だが、性教育は前者と後者が混然と一体になり、しかも数多くの自称専門家が、その政治思想の左右を問わず好き勝手言い合うことが平然と行われている分野である。
これらにカリキュラム的な問題が合わさり、「外部の『専門家』を学校に呼んで特別授業を行う」という他の分野ではほとんど見られない現象が生じ、ますます事実とそれ以外の混入に拍車がかかっている。
それも、たとえば修学旅行前の平和授業なら、目の前にいるのが被爆者の語り部であり個人的な経験を語っているということは、子供ながらでもわかる形となっている(そしてこれは社会科の枠組みではないはずである)。
だが性教育の出張授業になると、途端に目の前にいるのは実際の業績が不明で、科学的なことを語るはずが事実と思想の分別がつかない言動をする教授や医者のいうことを、子供たちは鵜呑みにさせられることになる。
実際、私の時は、女医が学校に来て、そういう教育を受けた。しかもその女医は「そんなんじゃ女の子にモテないよ」式の言動をテコに性教育を行うタイプの人間であった。
もちろん、学校という現場だけの問題であるとは言わない。文科省。公立・私立。地域や家庭。色々な問題が絡んでいる。
個人差が大きく、急激に変貌する個々人の身体。「初めての生理が来たら赤飯を焚いて…」という風習に代表されるような、事実・思想以前の地域的な性のあり方。
だが、それにしても、である。
仮の話、私が「全世界フリーセックス!」「0歳児でも100歳の老人でもみんなセックスセックスセックス!」と子供たちに教えることも、究極的には、性教育になる、ということである。それで私は学位も実績も無しに専門家を名乗れるということである。
何をバカなことを、とみんな思うだろうが、この逆の立場の「純潔教育」は堂々と行われてきたし、今も行っているところがある。
以前、母親たちが自発的に性教育の授業を行う取り組みが「ニッポンの性教育 セックスをどこまで教えるか」というタイトルでドキュメンタリー番組として放映されていた。
その番組では、2000年代のいわゆる性教育に対するバックラッシュにも触れられており、自民の山谷えり子議員に直撃取材も行っていた。
番組としては、明記などはされないが、母親たちが先進的かつ真摯であり、バックラッシュに加担した山谷は後進的かつ不誠実であると描写したいようだった。
だが、性教育の「教育」を考えるとき、無論山谷の行為には旧来の「寝た子を起こすな」式の問題があったとしても、前述の母親たちの行っている授業が果たしてどこまで「教育」なのか、その側面には触れられているようには見えなかった。
shoninja 拙者はどうやらピュアだったみたいで、「そんな大きいベッドあるんか。布団か。そもそも布団を繋げて各々で寝るだけなんだからチャレンジでもなんでもないような」と思って開いたら「!」となったでござる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/195d2409e73d391b507f0a49c10ec4213a1b6074
アメリカで「子どもが1人で公園で遊べなくなった」と感じられるようになったのは、法律そのものというよりも、社会的・文化的な変化が大きな影響を与えています。この変化は主に1980年代から2000年代にかけて徐々に起こったものです。
•事件の影響
1980年代には、いくつかの衝撃的な誘拐事件や児童虐待事件が報道され、親たちの間で不安が広がりました。例えば、1981年に起きた6歳の男の子アダム・ウォルシュの誘拐・殺害事件は、多くの親に衝撃を与えました。この事件は、全米失踪児童センター(National Center for Missing and Exploited Children)の設立や、子どもが行方不明になった際に警察が迅速に行動する制度「アダム法(Adam Walsh Child Protection and Safety Act)」の基盤となりました。
•メディアの影響
テレビニュースや犯罪ドラマが子どもへの危険を強調し、外で子どもを1人にすることへの恐れを助長しました。
1990年代以降、「ヘリコプター・ペアレンティング」と呼ばれる、子どもの行動を常に監視する育児スタイルが広まりました。この傾向は特に中産階級以上の家庭で顕著でした。
子どもを放置する行為が「ネグレクト(育児放棄)」として扱われるケースが増えました。一部の州では、子どもが1人で外出したり遊んだりすることを問題視する法律や通報制度が整備されました。
スマートフォンやソーシャルメディアの普及により、他人の行動がすぐに記録・拡散されるようになり、「他人の子育て」への干渉が増加しました。例えば、公園で1人で遊ぶ子どもを見かけた大人が警察や児童保護サービスに通報するケースが増えました。
「子どもを自由に育てる」という考え方を支持する親もいますが、その一方で「危険を放置している」と批判されることもありました。一例として、2015年にはメリーランド州で、10歳と6歳の兄妹が1人で公園にいたことで児童保護サービスに通報される事件がありました。
4. フリー・レンジ・ペアレンティング法の登場(2018年以降)
•このような過保護の風潮に対する反発として、2018年にユタ州で「フリー・レンジ・ペアレンティング法」が成立しました。この法律では、十分に成熟した子どもが1人で公園に行くことや遊ぶことはネグレクトではないと明示されています。他の州でも類似の議論が続いています。
子どもが1人で公園で遊べなくなった時期を明確に特定するのは難しいですが、1980年代から2000年代にかけて、事件報道、育児スタイルの変化、社会の監視文化の発展がこの傾向を加速させました。法律も影響しましたが、主に社会の価値観の変化が大きな要因です。
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等いずれも四半世紀から30年経過していて、とっくに古い会場が多い。
東京五輪に関連して何かしらの大型イベント会場の設立が望まれ、その為に支援や支持に乗り出した業界はその結果裏切りを受ける事となった。
民間のホールだと近年は東京ガーデンシアター等会場としてのスペックが高いものは出てきているが、現地までの交通アクセスや宿泊が劣悪だったり
最寄りターミナルから現地までの導線上で雨宿りできる場所がない、会場敷地内で行列をさばく事を考えてない会場が多い為
「いざ開場となるまで参加者はどこで時間を潰せばいいのか」問題に解決の見込みがない
会場側が2000年代中盤と呼べるようなスペックを持ったイベント会場が日本に無いので、アジアツアーやワールドツアーを経験すると日本のハコの不便さが苦しい
ハマスが「テロリスト」として分類される理由は、主にその行動や活動に基づいています。以下に詳しく説明します。
ハマスはその結成以来、イスラエルに対して様々な攻撃を行ってきました。その中には以下のような民間人を直接標的とした行為が含まれます:
自爆テロ: 特に1990年代と2000年代初頭、イスラエルの都市やバス、レストラン、ショッピングモールで多くの自爆攻撃を行い、多くの民間人が犠牲となりました。
ロケット攻撃: ガザ地区からイスラエルの都市に向けて無差別にロケットを発射する行為を繰り返しています。これにより、民間人の生活や安全が脅かされています。
ハマスの設立憲章(1988年版)には、イスラエル国家の存在そのものを否定し、「パレスチナ全土をイスラム国家として解放する」という目標が掲げられています。このような理念は、和平交渉を否定し、暴力による解決を支持する姿勢と結びついています。
3. 人権侵害
人間の盾の使用: ハマスはしばしば民間施設や人口密集地からロケットを発射するなど、意図的に民間人を戦闘に巻き込む行動を取っています。
強制的な徴兵: ガザ地区の若者を武装闘争に動員することが報告されています。
以下の国々・地域ではハマスをテロリスト組織と公式に指定しています:
アメリカ合衆国: ハマスを「外国テロ組織(Foreign Terrorist Organization, FTO)」としてリストアップ。
日本: 2005年にハマスを「特定の国際テロリスト」と認定。
イスラエル: 当然のことながら、ハマスを主要な脅威と見なしています。
テロリズムとは一般的に、「政治的または宗教的な目的を達成するために、民間人や無関係の者を標的とする暴力行為」と定義されます。この定義において、ハマスの行動は多くの国際基準で「テロリズム」と見なされています。
ハマスは、その民間人を標的とした攻撃や、和平交渉を否定し暴力を支持する行動、国際社会のテロリズムの基準に合致する活動を理由に、多くの国や地域でテロリストとして分類されています。ただし、一部の支持者や地域では、彼らを「抵抗運動」と評価する声もあるため、評価は国際的な立場や視点によって異なります。
川口からはちょっと離れたところに住んでる埼玉県民なので噂に聞くだけで直接の状況は知らないのだか。
川口市に隣接した埼玉県の蕨(わらび)市周辺にクルド難民が集まり始めて“ワラビスタン”と呼ばれ始めたのって多分、1990年代の話なんだけど、今になっていろいろ騒ぎが大きくなってきてるのって、どういう背景があるんだろ?
数がどんどん増えて収拾がつかなくなってきたってことなんかな?
川口周辺って、古くは吉永小百合の出世作『キューポラのある街』で在日の北朝鮮への帰国問題がでてくるくらいで、古くから非日本人な労働者が集まりがちなところだったようで。
1990年代には本番可能な“西川口流”と言われた違法風俗街が一世を風靡したり、それが2000年代の浄化作戦で壊滅した後にガチ中華街ができたり、大友克之作品『童夢』の舞台にもなった芝園団地が中国人メインの団地になってたり、妙な磁場のある土地だよね。
川口駅の周辺はタワマンがいくつもあって、駅前のそごうが撤退した跡地も活用法が決まったようで、東京に近いベッドタウンとして安定してるようではあるが(電車乗って荒川超えれば東京都。次の停車駅は赤羽で、乗り換えれば池袋まですぐ)、隣の西川口と、さらにその隣の蕨は独特の空気が漂ってる。
さらに一駅いけば“進学塾銀座”たしてもしられる南浦和、さらに行けば埼玉屈指のプライドを誇る文教都市の中心駅・浦和になるわけだが。
なんか電車に乗ってると、そんなに風景は変わらないようなんだけど、一駅ごとに降りてみると短い距離でいろいろ目まぐるしく変わるんだよね。
なお、川口オートートレース場は元SMAPの森且行選手が所属していることで、一部で有名。西川口駅からオートレース場まで無料バスがでてるのだが、一時期は場違いな若い女性が殺到したとか。
2000年代初頭、日本国内で排ガス規制が厳格化された影響により多くの日本製250ccバイクが生産中止に追い込まれた。
その状況を憂えたバイクショップ「レッドバロン」の偉い人はこう考える
「250ccは中型バイクの入門クラスとして非常に重要。このクラスが消えるのは業界全体にとって大きな痛手……そうや、お隣の国にちょうどいいバイクがあるやんけ!」
こうしてレッドバロンは韓国メーカー・ヒョースンの「GT250R」および「GV250」を輸入し、販売を開始。
見た目は立派なフルカウルのGT250Rだが、性能は見掛け倒しで故障率が非常に高かった。
その結果「クソバイク」という評判が口コミで瞬く間に広ることに。
さらに追い打ちをかけるように、タイミング悪くカワサキが「ニンジャ250R」を発売。このモデルを皮切りに他の日本メーカーも250ccフルカウルバイク市場に参入し、ブームが到来。
これにより、わざわざ性能の劣るヒョースンを選ぶ必要がなくなってしまう。
しかし一部のバイク愛好家は、ヒョースンバイクに意外な価値を見出し始める。
客:「このヒョースンのバイク、どうですか?」
店員:「お勧めします、お安くしますよ!」 → 信用できない店
店員:「正直、ゴミバイクっすね。試乗してみます?ww」 → 信用できる店
最近、有名ブロガーが増田やはてブで取り上げられて、否定的なブクマコメントがたくさん付くことがあった。
それで、ちょっと思ったことがある。どんなに人気絶頂にあったブログ書きでも、一定の年齢になる老害化するのでは?という懸念だ。
ぶっちゃけて言うと、①シロクマ先生と、②ふろむだと、③斗比主閲子さん である。
以下軽く、一例ずつ挙げたい。内容はあまり触れない。
いずれも、私が若かりし頃に読んでいた、大好きだったブロガーである。
https://anond.hatelabo.jp/20241120130054
最近上がった増田のエントリ。私もシロクマ先生は、現在はブロックワードにしてはてなサービスで出てこないようにしてる。
最近のシロクマ先生は、こういう悪い意味で尖ったというか、社会や世間をバカにして皮肉るような記事を書いている。
もっと前のやつだと、『葬送のフリーレン』が流行った頃に、オタクはフリーレンみたいに介護されたい~という記事を書いて、「こいつ何言ってんの?」という反応がはてブコメントで付いていた。スターがたくさん。
この頃はまだ、年を取っても全員がこういう傾向が出るわけじゃない、個人差だって思っていた。
https://anond.hatelabo.jp/20241125054238
最近、はてなで人気記事に上がったもの。プチバズったのレベルだ。説得力はそれなりだった。
このふろむださんも、2000年代後半は、いろんなネット界隈で神扱いだったと思う。
この方は、多分いい大学に行って、いい会社に入って、海外とかたくさん行って、ベンチャー経験が豊富なんだろうな~と感じて、若者だった頃の私はブログをお気に入り登録していた。
……社会人をやって10年以上経った今ではわかる。今のこの人のブログ記事は、ゴミだ。救いようがない。自分で自分の信者を囲っていて、胃の中の蛙じゃないにしても、お山の大将状態になってる。
だから、ここまで恥ずかしい世論誘導のブログ記事を書いて、はてブで悪い意味で取り上げられるようになった。なんでこんなに堕落してしまったの?
https://topisyu.hatenablog.com/entry/2024/11/25/073000
かつての昔は、旧帝大卒→一流企業→子持ちキャリアウーマン という経験を活かして、きわめて含蓄のある記事を書かれていた。
ここ5~6年は、社会のほの暗い話題とか自慢話とか、政治の話題、特定の人や組織を(当てこすりのようにやんわりと、罪にならないレベルで)侮辱するようになった。ブクマ数も昔に比べると明らかに減っている。
一番いやだったのは、自分の子とクラスメイトのほかの子を比べて、「うちの子は賢い」というのを遠まわしに表現していたことだ。
比べられた子というのは、いわゆる頭の足りない子だった。シチュエーションは確か、小学生のクラスで自分に都合のいい嘘を付いている子が複数いて、その子が学級内トラブルの原因をクラスメイトに聞いていくんだけど、それらの嘘が見破れずに堂々巡り……という内容だった。
まさか、トピ主さんがこんな反人権のような記事を書くとは思わずに、憤慨ととともに悲しい気持ちが込み上げてきた。
別の視点で、どんな人が老害化を回避してるかと言うと……私の中ではほぼいない。強いていうと、ザツの人とか、から揚げの人とか、マイクロソフトで働いている人とか、基本読書の人とか、紙屋高雪さんとか、レディジョーカーさんとか、ダイダラボッチさんとか、いわゆる知性が凄い人達である。
普通の有名ブロガーが老害化を回避しようとすると、投稿ペースを落とすとか、半ば引退するとか、ネット界隈の別のポジションに就くなどしてブロガーをやめるしかない。
私と同年代(※少し年上)のブロガーだと、らくからちゃさん、借金玉さん、本しゃぶりさん、とかである。あの人たちは、約十年前にはてなブログで活動を始めて、たった数年でスターダムに昇った。
けど、今ではあまりブログを書いていない。もしかしたら、わかっているのだろうか。段々と書き続けていく度に、自らが老害になってしまう現象のことを。
あの人達も、今はおそらく40才くらい。賢い人だから、自分のことは自分でわかってるのかもしれない。
自分は20代半ばで若者に分類される年齢だと思うんだけど、歌声に限れば最近流行りの歌手より昔人気だった歌手の方が好きな歌声の人が圧倒的に多い。
(歌声、楽曲の聴き心地、耳心地のよさに限れば昭和の曲は圧倒的だと思っている。)
特にここ10年くらいで不快な高音の男性歌手が増えているように感じている。
自分の記憶の中で一番最初にそれを実感したのはボカロ曲の歌ってみた動画で、男性の歌い手による無理な高音だった。
それがあまりに受け付けなさすぎて、歌ってみたはほぼ通らずここまで来てしまった。
無理な高音、不快な高音の男性歌手が増えたのは男性歌手の歌うキーが昔よりどんどん上がっているからだというのはとっくに想像がついている。
でも、不快な高音の男性歌手には自分の歌声が一番魅力的に聞こえる音域に戻ってくれないだろうかとつい思ってしまう。
不快な高音で歌う男性歌手が増えたのと同じくらい残念なのは1990年代、2000年代より爽やかな歌声、綺麗な歌声の男性歌手が明らかに減っていると気がすること。
昭和歌謡、演歌の時代の男性歌手の太くて伸びやかな歌声も好きなので、そういう歌声が減ったのも残念だが、その頃とは楽曲のテンポも音域も大きく異なるし、今のJ-POPを昭和歌謡の歌い方で歌うのが無理なのは仕方ないと納得できる。
でも、1990年代や2000年代あたりの男性歌手に多いと感じる爽やかな歌い方まで捨てないと今のJ-POPは歌えないもんなのかな?とずっと疑問に思っている。
ここ10年くらいはボカロ曲ほどの無理な高音域ではないはずなのに不快な高音で歌う男性歌手がグッと増えた感覚があってそれがずっと嫌だった。
そういう歌い方の男性歌手が増えすぎてさすがに慣れてきたものの、ようやく諦めがついたのはここ2年くらい。あと、ここ5年くらいは太めの声での高音歌唱も流行っているっぽくて、そっちは不愉快には感じないので不快な高音歌唱が流行るよりはいいかと思っている。
これは自分の好みや感性の問題でしかなく、特定の歌手を悪く言いたいわけではないので名前は挙げないが、2015年のヒット曲は特に苦手な歌声だと感じる男性歌手のものが多かった。そこからまた歌声の流行が多少変わって助かっているけど、ボカロP出身のアーティスト、歌い手出身の歌手も増えてきていて、また不快な高音の男性歌手の波が来そうなのが怖い。
そろそろ爽やか高音歌手の波、来い。
不快な高音の歌手に諦めがつくと同時に、何でこんな歌い方の歌手ばっかり増えるのか誰か教えてくれよという気持ちの方が強くなってきて、最近は年代ごとの楽曲の流行とそれに伴う歌い方の変化がかなり気になっている。今の楽曲の流行では爽やかな高音、綺麗な歌声で歌うのは無理なものなのか?
自分は年齢的には若者に分類されるはずなのに老害ムーブをかましているのではとは思いつつ、無理なものは無理としかいいようがないんだよな。
あと、関係ないけど女性歌手の場合は元々の音域が高いからなのか不快な高音だと感じる人はほぼいない。その代わり、女性のアニメ声&アニメ声歌唱は無理な声、不快な声に感じることが多い。美少女もののアニメ、ゲームは好きなのに、どのコンテンツにも声が苦手なキャラが必ずいて辛い。声が受け付けなさすぎるキャラはしばらく時間を空けるとリセットされて新鮮に不快に感じてしまう。
女性のアニメ声の話は男性歌手の歌い方問題とは関係ないし、これ以上ここで言及するのはやめておくけど、個人的に不快な声、歌声の二大巨頭は男性の無理な高音歌唱と女性のアニメ声(歌唱)。
30~40年前の話題で各人の環境で全然話していることが違ってて面白いなと思ったので、90年代~2000年頃の当時のことを覚えている範囲で書くよ。
その時期に小学生だった世代。電車が30分に1本、県庁所在地まで電車で1時間の田舎具合。
・自動販売機のジュースの値段が100円→110円→120円と変わっていった記憶がある。
・町内にコンビニは1~2件。私の家の徒歩3km圏内にはなかった。
・酒屋を兼ねている個人商店があったが90年代終わりには消えた。2割がコンビニのFCになって、8割は店を閉めた。
・代わりに大型のショッピングモールが90年代終わりに台頭してきた。映画をそこで見るようになった。
・2000年代に入るまで全国規模のチェーン店が全然こなかった。ショッピングモールが出来始めてからその規模のチェーン店を見るようになった。
・ちなみに徒歩1km圏内にコンビニができたのは2000年代後半。
・両親は共働きだった。同級生でお母さんが専業主婦なのは10%、パートタイマーが50%、正社員が40%。正社員職業は公務員、保育士、看護士のみ。
・専業主婦のお母さんのみ車の免許を持っていなかった。その他のお母さんは車を運転できた。
・携帯電話よりPHSの方が実物の認知が早かった。90年代後半にPHS本体を0円でプレゼントのようなことが行われてた記憶がある。電話料金で稼ぐつもりだったのかな。
・PHS以前はポケベルが流行っていたようだが、現物を見ることはなかった。都会の高校生がポケベルを使っていることをテレビ報道で知った。PHSといえばブッチホンの記憶がある。
・携帯電話は2000年代に入って高校生になったら持つ風潮になったが、携帯電話所持禁止の高校が多かった。iモードの印象が強い。
・PCは90年代半ばに情報機器として小学校に何台か配備がされていた。2000年代初めには高校生になったらPCを購入するような風潮があった。
・男子中学生は坊主という校則&風潮があった。自分の在学した90年代終わりには無くなっていたが、隣県の中学を卒業した子は坊主の校則があった。2000年頃。
・プロスポーツはテレビも野球一択感があったが、90年代前半のJリーグ発足によるサッカフィーバーで野球以外の選択肢が出てきた。
・ちなみに友達とサッカーはしたが野球をしたことがない。野球をやるには道具と人数が足りなかった為。
・スポーツの国際大会の熱狂は、サッカーのW杯とオリンピック以外の記憶はあまりない。
・2000年代後半のAmazonやECサイトの台頭。今まで都市部に出なければ選択肢にさえ出なかったものを選んで買えるようになったのは大きい。
・同時期のYoutubeや各ブログ、SNS。マスメディアを介さない情報に田舎からでもアクセスできるようになった影響は大きかった。
あの手の話が盛り上がるのはいいとして、気になっているのは左派系でSNSなどの著名人で若い人でほぼいないってところ。
いや、SNSだけじゃない。
政治、経済、クリエイター、芸能その他もろもろ含めて果たしてどれほどいるのか。
蓮舫さんはすでに50代後半。首相就任時の安部さんより年上だったりする。小泉純一郎さんの就任時とほぼ同じぐらい。
よく高齢保守系政治家の話題になることがあるが、実際問題左派の方が酷くなってないかという危惧は2000年代からあった。
まだ海外の方はその手の人がいるのだけど、日本は特にそのあたりの盛り上がりがなさすぎる。
何かしらの条件があるのではないか。
今年の選挙関連でみると、もはや無理なのかもしれないなと思う。
今から育てようにも遅すぎる。
あれらが問題なのは事実として、それはそれとしてあまりに人材を育てたり取り入れたりしなさすぎだったのではという批判はきちんとすべきだと思う。