
はてなキーワード: 善意とは
いろいろ作るのが好きで、ある程度作品がたまったのでネット販売はじめた
ハンドメイド専門みたいなサイトに作家登録して、売れたら制作して販売する形式を想像してほしい
長く制作しているので、周りの人は知ってて、ついに始めたかって感じではある
趣味で繋がってる人には、見たら私の作品とわかるという事もあり、会った時に販売始めた話はしている
趣味友のAさんという人がいる
その人は私の制作を応援してくれていて、販売を始めたことを知らせたら周りの人に宣伝してくれているらしい
でもさ、Aも私もいるグループで、他の人に薦めるのはなくないか?
先日は私がA含む数人に会う10分前に宣伝していたらしく、他の人が苦笑しながら報告してくれた
善意でしてくれている事なので、私の心が狭いのかもしれないけどなんだかもやもやする
URL書いたカードを何枚かくれと言われてAに渡した事があった
ふつうは命令されてるかどうかとは無関係にゴミ屋敷になってでも楽するようなことはしないだろうと考えるよ。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251030184129# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaQMyyAAKCRBwMdsubs4+ SA8VAQC/scrSLeFADI3nSeFRWKNBHiBSQHskMYQ9ikxQEjreNwD/ZgJN3gUcVava bZgPGSSsuO50RvTnbI4ZbJDsz8FBIgY= =C+vJ -----END PGP SIGNATURE-----
ほくろがめっちゃ多い
幸い鼻の下とかの微妙な場所にはないのと、病気を疑うようなデカいほくろはないので体質だと思う
自分ではチャームポイントやね🎶くらいの気持ちなんだけどたまに腕が出てると多さが目につくのか
「ほくろってレーザーで取れるよ!」
エンターテイメントサービス精神旺盛のジェームズ・ガン映画だった。84点
この映画は失敗作といっていいと思う。
いろんな要素はあるけど根本は2つ。
1について。
これら2つはレックス・ルーサーが糸を引いているのだが、映画内では特にコネクトしない。
1は「現代のスーパーヒーローが本当に救うべきなのは誰なのか」という問いかけ。
2は「スーパーヒーローがスーパーパワーで世界の危機を救う」というお約束。
そしてこれらをうまくコネクトできていないことで、作中でこの大きな2つの主題を別々でこなす必要に迫られている上に、SNSでの攻撃、陰謀論、現代にスーパーヒーローが考えるべきこと、移民問題と現代映画で語るべきことをすべて盛り込んでいるので作品がめちゃくちゃ忙しくなっている。
2について。
ガンは露悪の作家であり、チームの、最低でもコンビの作家である。
その特性はスーパーマンと食い合わせがすごい悪い。スーパーマンは完全に善意の人だし、一人で戦う。
そこでガンはスーパー犬のクリプトとジャスティスギャングを投入した。
おそらくクリプトだけならまだ大丈夫だっただろうけど、露悪でチームの作家であるガンのよさを一番引き出せるジャスティスギャングを出さないということはガン的に難しかったのだと思うのだが、その結果、彼らの見どころをちゃんとたっぷりつくらないと行けなくなった。
実際彼らはめちゃくちゃ魅力的だ。ガイ・ガードナーは下品でバカだけどナイスガイだし、ホークガールはイカれてるし、テリフィックは天才不憫で着てるジャケットに「FAIR PLAY」とデカデカと書かれているのもイカす。そして全員めちゃくちゃ強いくて格好いい。
だが、その結果、やっぱり映画がめちゃくちゃ忙しくなっている。
2つの問題の共通点は「作品がめちゃくちゃ忙しくなっている」ことだ。
特にこれは冒頭40分くらいに顕著で、
・スーパーマン談義
とこれだけで十分映画一本撮れるだろ!という内容がギュッとされている。
実際、トレーラーに出てくる「面白そう」なシーンはほぼここに全部入ってる。
その結果、全てのシーンにタメも余韻もなく「スーパーヒーロー映画RTA」のようになってしまっている。
エンタメ要素だけ見れば十分満足できるんだけど、サクサクすぎて印象に残らない。
コース料理食べに行ったら5分毎に次の料理が出てくる感じ。急ぎすぎィ!まだ子供が食べてるでしょうが!
まぁ大バッシング後からちょっとずつ話が落ち着いてきて最終的にはいいテンポになるんだけど、この序盤は面白シーン連発のはずなのに全然アガらず、逆になんか盛り下がってしまった。
皆様ご存じ系ヒーローのオリジンどうする問題を今回は「冒頭3分で全部ナレーションでやる」という力業で解決しているのだけれど、それでも私たちは「今回のスーパーマンはどんな人なの?」ということはわかんないわけ。初戦でボコボコにされてそれをタコス屋のおっちゃん(後にキーマンになる)に助けられる展開がある。トレーラーでも印象的に扱われていたシーン。そこで、この人は前に助けた人なんだよと説明があるんだけど、そのシーン見たかったわ~説明だけじゃ感情移入できないわ~ってどうしてもなっちゃう。
登場人物を増やしていろんな設定を盛り込んで全部消化しようとした結果、どれも美味しいはずなのにちょっと食い足りない感じになってるのはスゴイもったいない。やっぱりジャスティスギャングは次回以降か、SVBのワンダーウーマンみたいに最終戦で助けに来るみたいな感じでよかったんじゃないかと思う。
後はトレーラーでも印象的に扱われていた少年がスーパーマンの旗を掲げるシーン。あそこで初代スーパーマンのテーマが流れて流石にエモすぎるだろ!となった結果、どうなるのかというところ。あそこはガンによる「世界をスーパーマン一人に背負わせない」というポジティブなメッセージとDCUの世界観説明として完璧に機能していると同時に、さすがにあのエモさでガン特有の「ズラし」をするのは違うんじゃないかという両面でモヤモヤした。
今作ではスーパーマンの真の使命として「地球で愚かな民を支配し、種付けしまくれ!」と両親が言っていたことが明らかになりこれによってスーパーマンはバッシングされ収監されることになる。しかしスーパーマンはそのことを知らず「自分は確かにエイリアン(移民)だが、この国で育ってこの国を愛している。誰から生まれてそいつがなにを言ってるかなんか関係ないんじゃないか」という移民バッシング批判とガンの命題である「家族という呪いからの脱却」へのアンサーを出していて、これ自体はガンらしくてよかった。
SNSでスーパーマン批判キャンペーンを展開しているのがガチのおさるさんだというのもSNSでディズニーを一度は追い出されたガンらしい皮肉が効いていてよい。
あと、やっぱクリプトね。スーパーマンレベルの力を持った犬なんだけど、マジで犬。しかもバカな犬。かわいいバカ犬。クリプト見るためだけにこの映画見ていいまである。クリプトをこうしたのガン天才やと思うわ。
そしてレックス・ルーサーとかいうめちゃくちゃ一般人な天才。増田やってそう(ヘイトスピーチ)。今作では基本的にスーパーマンを圧倒する頭脳を見せるのに、ウルトラマンの操作をコマンド式にしたり、国を買い取って自分の王国を作ろうとしてたり、ブロンドで乳がデカいバカ女ばっかりと付き合ってるし、スーパーマンを憎むのは「あいつばっかりちやほやされてムカツク」という承認欲求から。そして最終的にクリプトにボコボコにされて泣き出しちゃう。か、かわいい。ニコラス・ホルト天才やな。
ガン映画の一番の魅力である登場人物のすばらしさに関しては言うことなし。満点。
GotGで見せたアクションの面白さも健在だし、エンタメ映画として必要なものは高い水準で全部入ってる。
この映画は俺は失敗だと思ってるけど、面白い映画を見たいなら絶対に見るべきだと思う。
なんか失敗扱いになっちゃったけど俺はDCEUも好きだったし、DCUも応援したい。今のところ全部面白いし。
今作はDCU最初の映画ということでいろいろ無理やり詰め込んだ結果こうなっちゃったのかなとも思うし、今後しっかり腰を据えた映画がこのクオリティで作られていくことを期待したい。
オートガイネフィリア(男性が自身を女性だと想像すること、または女装行為自体に性的興奮する性的嗜好)の、性対象女性の男性が、未手術で男性器つきのまま女装だけしてレズビアンを自称して執拗に女湯に侵入する行為を共産党が庇ったから、長らく左派を支えていた女性層の離脱を招いたと思う。MtFについては「男性の身体に生まれたが、手術をして女性になって、男性と相思相愛になりたい」という人を擁護しているときまでは味方が多かったが、オートガイネフィリアの性犯罪者に善意を利用され始めて瓦解が始まった。
腐女子がマイノリティである自分たちへの弾圧に反発していたころは味方もいたが、腐女子の消費者としてのパワーが認められ発言権を持つに従って増長し、次第にWoke腐女子(主に『腐ェミ』と呼ばれる)のグループが異性愛表現を攻撃するようになっていった。昔からジャンプヒロイン(テニスの王子様の桜乃や、BLEACHの織姫など)は腐女子に異常に叩かれてはいたが、「カップリングの邪魔だからムカつく」という私情から来る憎悪は今やLGBT運動によって正当化され、異性愛表現を社会悪とみなす腐女子まであらわれている。明らかに度を越している。
「自分も周りにささえられたし、善意で知識や工夫をシェアしあってやっていけばいつか報われる」
いまごろ和製ビルゲイツみたいなのができてバンバン孤児院に金撒いてたかもしれないんだしさ
まあ入力だけならローカライズの一種として結局あっぷるかマイクロソフトに地方税を納税しちゃうんだろうけど。
GA(F)Aってやってることがもう国なんだよ、徴税してオーソライズしてサービスしてさぁ、
まっさきに新製品をローンチしてもらえるような日本になってみんなで幸せになろうよ~
こんなツイートを目にした。
https://x.com/yasufuminagawa/status/1981977854423540174
読んで、ああ、と思った。
私も同じことを感じていた。でもそれを言葉にできずにいた。
このツイートをきっかけに、自分が何に苦しんでいるのか、整理してみようと思う。
TRPGを遊ぶとき、周りの人たちはビジュアル情報をすごく重視している。少なくとも、私のいるコミュニティでは、そうだ。
立ち絵やイラストを用意する。「どんな表情をしてる?」「どんな服を着てる?」と視覚的な詳細を求める。KPが善意でコマ絵を用意してくれる。ビジュアルで彩られたセッションが、当たり前のように存在している。
「絵を描かなくてもいい」と明示的に言われることもある。しかし実際には、ほとんどの人が絵を用意してくる。用意してこなかった人は「立ち絵ないんですよ」と、謝るように断りを入れている。暗黙の規範として、ビジュアル情報を提供することがデフォルトになっている。
「立ち絵合わせしよう」と誘われ、断ったときには遠回しな不機嫌さ――パッシブ・アグレッション――に直面することもある。明確な攻撃ではないが、確実に心は削られる。
一方、私にとって、ビジュアル情報は「どうでもいい」わけではない。マップや配置図など、実用的なビジュアルは役に立つ。しかしキャラクターの立ち絵や表情、服装といった演出的なビジュアルは、文字だけで十分だ。認知特性として、文字の方が処理しやすい。結果として、想像の余地がある方が楽しめる。
周りの人たちは、ビジュアル情報に価値を置いている。この価値観のギャップが、根本にある。
孤独だ。周りの空気を気にせず遊べたらいいのに、気にしてしまう。
「気にしなければいい」「描きたくなければ描かなければいい」と言われても、それができない。気にしないでいたら、実際にパッシブ・アグレッションを受ける。傷つけられる。建前では「自由にしていい」と言われているのに、実態として自由を感じられない。
KPが善意でコマ絵を用意してくれることも、侵襲されているように感じる。自分のイメージしていたキャラクターが勝手に視覚化される。善意だから、断れない。
「どんな表情してる?」という自然な質問も、重荷だ。視覚情報を求められること自体が、プレッシャーになる。
「ビジュアル重視」という価値観が主流のコミュニティで、「文字だけで十分」という認知特性を持つ自分が、常に多数派に合わせることを求められ続けている。
外部からの要請や期待に応え続けている。「立ち絵を描く約束」があると描く。描きたいときもあるが、基本的には外部からの要請で動いている。
私は立ち絵が描ける。描けるからこそ、「描いてよ」という要請が来る。描けるから、描くのが楽しいと思われている。しかし、描けることと描きたいかは別だ。描けるからこそ、「描かない」選択がさらに説明しづらくなる。描けない人なら「描けないので」で終わる話が、描ける人だと「じゃあ描いてよ」「描けるのになんで描かないの?」という圧力になる。
自分のペースを決められない。TRPGだけではない。常に、叶えないと文句を言ってくる人がいる環境で、自分を調整し続けている。いつも我慢してしまう。
この苦しみが「コミュニティの問題」なのか「私の問題」なのか、境界線が分からなかった。
整理してみると、苦しみには二つの層があるように思う。
パッシブ・アグレッションは証明しづらい。だから「私の気にしすぎかも」と自分を疑ってしまう。それでも、実際にダメージを受けている。
ビジュアル情報がないと想像できない人にとっては、ビジュアルがないことが苦しみなのだと理解している。相手にとっては、ビジュアルがあることが楽しみでもある。それを理解しているから、「ビジュアルなしでもいい世界を」と主張することに、ためらいがある。相手の楽しみを奪うようで、罪悪感すら感じる。
だから、自分の願いを主張しづらい。誠実であろうとすればするほど、自分が傷つきやすくなる。
多様性を認めてほしい。
具体的には、安全に断れる環境と「ビジュアル重視」だけが正解ではない世界がほしい。
文字だけで楽しむ人も、ビジュアルで楽しむ人も、どちらも「普通」として認められる世界。本来は、これはトレードオフではないはずだ。ビジュアルを使いたい人は使えばいい。ビジュアルなしでいい人は使わなくてもいい。両立できるはずだ。
しかし実際には、「みんなで合わせる」という暗黙の前提があるため、両立できていない。誰かが立ち絵を用意しないと、全体の統一感が崩れるように感じられる。この「合わせなきゃいけない」という前提が、問題なのだと思う。
ビジュアル情報を提供しないことが「例外」ではなく、一つの選択肢として当たり前に存在する世界。
断ったときに、パッシブ・アグレッションを受けない世界。冷たくされたり、遠回しに批判されたりしない世界。
「どんな表情してる?」と聞かれたときに、「そこは想像に任せたい」と答えても、受け入れられる世界。
KPが善意でコマ絵を用意してくれることは理解している。しかし、断ったときの相手の反応や、普段からのビジュアル重視の姿勢を見ていると、本当の意味で「断ってもいい」とは思えない。断っても、それが尊重される世界がほしい。
「立ち絵ないんですよ」と謝らなくていい世界。自分のやり方で楽しむことが、言い訳や説明なしに、否定されない世界。
でも、これは願いだ。
今いるコミュニティが、本当にそうなるかは分からない。もしかしたら、私が去るか、自分が変わるか、どちらかを選ぶしかないのかもしれない。それは、私自身が決めることだ。
「ビジュアル重視」という流れが主流になっている今、ビジュアル重視でないTRPGの楽しみを、改めて考え直してもいいのではないだろうか。
視覚情報が少ないからこそ、想像の余地が広がる。「絶世の美人」が、人によって違う顔をする。各自が思い描くイメージの自由がある。
それは、TRPGが本来持っていた豊かさの一つではないだろうか。
ただし、それは簡単なことではない。
「ビジュアルで楽しむ」方法は、立ち絵、セッションの部屋素材、カットインなど、具体的なノウハウが共有され、洗練されてきた。一方で、「文字だけで楽しむ」方法は、まだ十分に言語化されていない。「想像を膨らませる」「余白を楽しむ」と言うのは簡単だが、それを実践する具体的な方法論は、手薄だ。
どちらが正しいわけでもない。どちらも、それぞれの楽しみ方だ。
秋の陽は、村を琥珀色に沈ませていた。山裾にひっそりと棲む一匹の狐、ごん。彼は、世間から取りこぼされたような存在であった。人の営みの外縁で生き、村の匂いを遠く嗅ぎながら、己の孤独を噛みしめていた。
ある日、ごんは、兵十という若者の家から漂う、火と煙の気配を見つけた。のぞいてみると、囲炉裏の端で老母が息絶えていた。人の死というものを、狐の目はどこか他人事のように眺めたが、兵十の悲しみだけは、胸の奥にひりつくように残った。
人間という生き物は、何かを失ったとき、奇妙に静かになる。その静けさの中で、ごんは思った——自分にできることはないかと。
それからというもの、ごんは、夜ごとに兵十の家へ栗や松茸を運んだ。狐のやることではない。だが彼にとって、それは罪滅ぼしというより、生きる理由のようなものであった。
だが世の中というものは、往々にして善意を見抜かぬようできている。ある夕暮れ、兵十は物音に気づき、銃をとった。
乾いた銃声がひとつ。
その音は、秋の田の静けさを裂き、そしてすぐに、また沈黙に吸い込まれていった。兵十が駆け寄ると、倒れた狐のそばには、栗がひとつ、ころがっていた。
そのとき兵十の胸に去来したのは、狐への怒りでも、哀れみでもない。——ただ、この世の理(ことわり)というものの、冷たくも美しい必然であった。
■司馬遼太郎風 改稿
人間というものは、しばしば自分の青春を他ならぬ自分の手で投げ捨てる。
それは他人に奪われるものではない。むしろ、他人のせいにできぬ種類の「敗北」である。
この国では、そうした人間が珍しくない。いや、むしろ今の時代、ネットという便利な井戸端ができてからというもの、その種の「自己廃棄型人間」は、どこにでも見られるようになった。
たまたま彼が自衛隊という特殊な組織にいたことで、周囲の人々は多少の情状酌量を与えるのかもしれぬ。
だが、職業が何であろうと、十代二十代を「捨てた」と言葉にする時点で、その人の人生観はすでに破綻している。
人は、自分の過去を呪い始めたとき、もうその呪いから逃れることはできない。
「お疲れさまでした」といった称賛の言葉は、慰めであると同時に、無関心の別名でもある。
三十を過ぎた男が、未だに己の人生に「物語」を求めて悩む姿は、滑稽といえば滑稽である。
だが、それもまた、この国の時代病の一つだ。
精神の成長よりも、感情の正直さばかりを美徳とし、成熟を「鈍さ」と呼ぶ。
したがって、彼のような男は、社会という大人の世界に出た瞬間、言葉の通じぬ異邦人となる。
しかし、それを離れたとき、人は初めて己の素肌を晒すことになる。
それは、冬の荒野に放り出されたような心地だろう。
そして多くの者は、そこで初めて「自由とは孤独である」と悟るのだ。
友を断つことは、己を断つことに等しい。
プライドは人を立たせもすれば、殺しもする。
古来より、この国の武士たちもまた、その誇りゆえに散っていった。
だが、戦場の死はまだ潔い。
自衛隊の中で鍛えられたはずの筋肉も、精神も、やがて脂肪のように弛んでいく。
彼は、今ようやく「市民」として生きねばならぬ段階に立っている。
それは決して容易なことではない。
だが、たとえどんな境遇にあっても、人間関係だけは切ってはならぬ。
人の生は、けっして理想や信念では支えられない。
孤高は人を導き、孤独は人を蝕む。
あなたが歩むべきは、前者の道だ。
世間は冷たい。
だが、冷たさの中にも温もりがある。
「泣いたら殺すよ」下校中の小学生女児狙い性的暴行、男に懲役24年 千葉地裁
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20251014-EF6UEP5QH5K3JFDDQYVF7NR2SY/
これに対するブコメ
『何人もの子供の人生ぶっ壊しておいて24年は短く感じてしまう…』
https://b.hatena.ne.jp/entry/4777555507812194721/comment/kaishaku01
被害の重さを考えたら、当然の怒りだと思う。
待てよ、もしかして、それ自体が被害者をまた傷つけてない?って。
「人生終わった」って断言することって、被害者本人が「もう一度生き直したい」「人生を取り戻したい」と思って頑張っている可能性を、他人が勝手に否定しているのではないか?
本人がまだ「終わった」って思っていないのに、周りがそう決めてしまう。
それって、社会全体で「あなたの人生はもう戻らないよ」と言ってるようなものなんじゃないか。
セカンドレイプっていうと、「あんたにも非があったんじゃないの?」みたいな、被害者を責める言葉を思い浮かべる人が多いと思う。
でも、実は「善意のセカンドレイプ」みたいなものもあるんじゃないか?
加害者への怒りや、被害の痛みを想像するのは、自然な感情だ。でもその怒りの中に、「被害者の人生を勝手に終わらせる」視点が混じっていないか、ちょっと立ち止まって考えたほうがいいかもしれない。
売春を規制するって、結局「男から自己コントロールの手段を奪ってる」って話なんじゃないか。
理性的に仕事してても、ムラムラして頭がノイズだらけになる瞬間がある。
だけど射精すると一発で落ち着く。プロラクチンっていうホルモンが出て、
一気に冷静になって「なんであんなに必死だったんだ俺」ってなる。
つまり、性欲って本能のくせに、めちゃくちゃ意思決定に影響する。
その性欲を合法的に、安全に、金でリセットできる仕組みがあれば、
世の中の男はもう少し冷静でいられるはずなんだよ。
でも実際は、そういう仕組みは「倫理」とか「弱者保護」とかの建前で潰されてる。
その結果どうなるかっていうと、
つまり売春規制って、一部の女の性的資本を高騰させる経済政策なんだよ。
「弱者を守る」って言いながら、実際には性欲処理市場を締め上げ、
そのコストを男に押しつけてるだけ。
しかも裏ではポルノとグレー産業が肥大化して、誰も幸せになってない。
面白いのは、こういう話をすると
「女は搾取される」とか「男がクズ」とか、感情論ばかりになること。
仮にそのゲームをAと呼ぶ
X(旧Twitter)でいつもハッシュタグを検索してAの情報収集をするのを楽しみとしている
最近、このゲームとは直接関係のない、ただし開発・運営会社は同じで内容そのものもよく似たゲーム(仮にこのゲームをBと呼ぶ)についての内容を、AとBのハッシュタグを併記して投稿する人がいて、地味に迷惑に感じている
Aについての情報を知りたいのに、その人が投稿するのはほとんどがBについての情報なのだ
AとBはよく似たゲームなのは確かだが、別のゲームであることも確かなので、知りたい情報とは無関係な内容を毎回目にすることになる
ちなみにこの人以外にABハッシュタグを併記している人はいない
Aの投稿にはAのハッシュタグ、Bの投稿にはBのハッシュタグのみをつけ、きちんと住み分けている
さらに、最近その人はAとBのハッシュタグを使いつつ「ゲームとは関係ないけど今日食べたごはん!」と日常投稿までし始めるようになってしまった
その人はAとBのゲーム界隈ではそこそこ有名な人で、AB双方のゲームユーザーとの人脈も広いし、チームヘルプなども積極的に行っているので人望も(たぶん)ある
おそらく悪意もない……ので注意できない
今日、AとBのゲームに関するオープンチャットでシェアされた情報とスクショを、その人が投稿者に無断でX(旧Twitter)に転載してるのを目撃してしまった
借りた画像です、教えてもらった情報です、とも何も書かずに、まるで自分のプレイ画面のスクショであるかのように平然と投稿していたのだ
普段の言動からみて「情報をシェアしたらみんなが喜ぶから」という純粋な善意からやっているのは疑いようがない
だからこそ救いようがない
もうほとほとうんざりしているのだが、ゲームコミュニティのハブのような存在なのでミュートもできない
一体どういう心理で無関係なハッシュタグを使うのか(ハッシュタグを使い分けないのか)?
いかなる理由でゲームのハッシュタグを自分の日常生活の投稿に使うのか?
その謎を探るべく我々はアマゾンの奥地へと向かった
「高尚」という言葉については、元の投稿の表現をそのまま引用しただけです。
ASDだの何だのと想像を広げていただき、わざわざ解釈してくださったのはありがたいですが、
世田谷がどうこうという話もありましたが、
子どもはまだしも、大人で堂々と信号を無視する人はあまり見かけません。
丸の内あたりで赤信号を渡れば、どう見ても「土地勘のない人」に見えるでしょう。
その感覚の違いを説明しても伝わらなさそうなので、ここでは触れないでおきます。
地方に対する無意識な優越感のようなものが滲んでいて少し気になりました。
普通に「東京出身」で済む話なのに、あえて区名を出すあたりが象徴的です。
進学や転勤などで外の地域を知らないと、
東京の中だけでヒエラルキーを作ってしまうものなのかもしれません。
田舎の人間は、都会の人が思うほど「見下されている」とは感じていません。
むしろ、田舎を知らない都会の人ほど「田舎差別」に過敏に反応する印象です。
熊を殺さないでと役所に電話するような“善意の人”と言えば伝わるでしょうか。
相手をASDだのフェミだのとレッテルを貼っていくのは、なかなか不思議な構造です。
正義感と攻撃性が同居しているあたり、SNS的とでも言うべきでしょうか。
幸いそこまでの自覚はありません。
その点ではまだ「未熟」なのかもしれませんね。
最後に一点だけ。
将来、無意識のうちに誰かを巻き込まないよう、お気をつけください。
「先輩の頼み」で国家機密が流出! 府警の暗部、暴かれた“沈黙の連鎖”
羽曳野署の警部補(56)が、かつての“先輩”であり府警OBの行政書士(68)に個人情報を漏らしていた その事実が明らかになった。
「ちょっとした頼みだった」
これは、“義理”と“沈黙”に支配された警察組織の、暗黒の構造犯罪なのだ!
本来なら犯罪捜査のための公文書を、個人の人間関係に利用していた。
その瞬間、国家の信頼は裏切られた!
内部の誰も声を上げないなぜか?
「先輩だから」「頼まれたから」 そう言い訳して、沈黙の鎖が組織を締め上げている。
正義を守る者が、今やその正義を売り渡す側に回る この皮肉を、誰が許せようか!
その誓いが、「先輩の頼み」で崩れた瞬間
我々の社会は、誰を信じればよいのか?
これは単なる不祥事ではない。
混雑していて優先席まで行けず、この人も立ちっぱなしだろうな、と思ったその瞬間。
その人は、はっきりと、でも穏やかな声でそう言った。
すると、座っていた2人がほぼ同時に立ち上がった。
周りの人も自然に道を開けて、その妊婦さんは無事に座ることができた。
私は衝撃を受けた。
ポイントは、特定の人を指名せず、明るい声ではっきり言うこと。
日本人は優しい。
ただ、気づいていないだけだと思う。
下を向いてスマホを見ている人には届かない。
でも、声なら届く。
遠慮して倒れるより、押しのけて座るより、
「この投稿、見た?保護団体が犬を助けてさ、感動して一万円寄付したよ」
彼はそういってスマホを見せてきた。
スマホ画面の中の犬は痩せてボロボロで、でも誰かの手で毛布をかけられていた。
それと共に数多のいいねが並んでいた。
年齢はよくわからない。ホームレスのような格好でくたびれていて、紙コップを前に置いている。中身は見えないけど見なくてもわかる気がした。
視界に入っているはずなのに、彼はそちらを見ようともしなかった。
「このあとどうする?」
そういって足を速める。
私は少しだけ立ち止まって、彼の後をすぐに追った。
帰宅してから、見せてもらったものと同じ投稿を探した。見つけて確認すると「寄付しました!」のコメントが百件以上。
その画面の明るさの中で、昼間見た男性の紙コップのことが、どうしても頭から離れなかった。
善意とは、いつからこんなにも人に見せつけるものになったのだろう。目の前に困っている人がいても手を差し伸べず、画面の向こうにばかり目を向ける。
私はそれが、とても悲しかった。
1. 背景と問題意識
若年女性や少女たちの居場所づくり・自立支援を掲げるNPOや団体が多数活動している。
これらの支援活動は、当初は善意と社会的使命感に基づくものであったが、
近年、一部の団体において「支援活動が制度化・収益化する構造」が形成されつつある。
本人が弁護士関与を希望していなくても、団体の運用ルールで強制的に同席
行政は弁護士の必要性を実質的に審査できず、形式上合法な支出として承認される
この構造のもとでは、「支援対象者」が本来の目的(自立支援・人権保障)よりも、
団体や専門職の活動維持・収益確保のための資源として機能してしまう危険性がある。
しかし、次のような構造が常態化すると、倫理的に重大な問題を孕む。
弁護士が同席する 「法的助言を提供」「支援の質向上」 関与が報酬発生の手段となる
時給8,000円設定 弁護士業務としては適正 公金支出としては突出した高額
助成金での支払い 公益目的に沿うように見える 弁護士費用の恒常的補填構造
本人意思を経ない同席 “保護”の名目で正当化 支援対象者の自律を奪う
このような仕組みは、「違法ではないが、倫理的に不当」な構造的誘導といえる。
東京都などの行政機関は、次の理由で「弁護士関与の必要性」を実質的に判断できない。
結果として、団体が自由に弁護士を関与させ、報酬を支出する「制度的自己完結」が発生する。
これは、公金の透明性・公平性・効率性を損なう構造的リスクである。
支援倫理 本人中心・自律支援 団体の構造により本人意思が形骸化
弁護士倫理 自由な依頼関係と誠実性 自動関与・利益誘導的報酬構造
これらを総合すると、**形式的には適法であっても、倫理的には不当な「制度的腐敗」**の状態にある。
支援対象者が「保護される女性」として固定され、被害が語られ続けることによって
つまり、支援が被害を資源化する(commodification of victimhood)構造に陥っており、
支援団体・専門職・行政が共有できる「本人中心支援と倫理規範」を文書化。
7. 結論
被害の構造を利用し、支援を装った利益循環の装置になっている。
それは違法ではなくとも、
違いはなに?という問いかけへの直接の答えとしては(トラバ消えてるけど)偽装するだけの知能、で正解だろう。
そもそもなんでそんなんと結婚するやつがいるのか?についてもトラバにあるような
でほぼ説明されている。
わかるんだよなあ。
風変わりだけどまっすぐな、ほかのだれとも違う運命の人みたいにぺかっと光って見えちゃうんだ。
いずれ「あっこいつは人の善意を飲み込む底なし沼のモンスターだ」と気づくことになる。(いや、幸せにやってるケースもあるんだろうけど)
コミックDAYSで連載中の「君はおれの優しくない春」の下星崎さんにハート鷲掴みにされるタイプの奴はいろいろ気をつけた方が良い。
母は自堕落の境地のような生活をしており一生スマホで無料漫画を読んでいる。恐ろしいほど歩かないしタバコも辞めない
しかし母がいま体を壊してしまったら、私は介護しきれない。父を介助しとるのだ。父は癌をやって生活に介助がいるのだ
母は特に病気はしてないが身体が痛いと言い病院も言ってくれないので介助は姉と私でやっている
けどだいぶ無理のある生活になっている
せめて健康でいてくれないと、こちらも共倒れになると真剣に思い、健康に気を付けてね、と口にした
母はわかってるわよとケラケラ笑っていた
父の癌も、酒はやめねえし運動はしねえし病院は行かないので起こったわけである
たのむから最善を尽くしてくれよ、母さん、父さん
以前、俺は最低の「弱者男性」だった。
正確には、弱さを盾に社会に悪意を撒き散らす、腐敗した寄生虫だった。
独りでいるのは嫌だが、他者と建設的な関係を築く努力はしない。
悪意を外に向けることでしか自己表現できない、ただの迷惑な存在だった。
彼らは甘ったれ、ただ努力を放棄し、その結果を社会のせいにする他責思考のクズである。
特に、氷河期世代弱者男性(アイスエイジヴェノム)は、努力しなかっただけなのに、景気のせい、国や女に責任転嫁している。
自分の人生を好転させる努力を怠り、その劣等感を若者や女性への憎悪に変える。
彼は活力に満ちており、俺の愚痴を聞いた後、こう吐き捨てた。
結婚したいなら、まず『普通』をちゃんとやれ。ただの『人間』として、相手の存在をちゃんと敬え」
これは、俺のような腐った弱者男性でも変われたという事実を突きつけ、未だに悪意を撒き散らす連中に、その醜さを認識させるためだ。
友人は俺が多用するアニメやネットの例え、スラングを否定した。
それは、「共通言語を持つ仲間」以外を排除するための、醜い防衛線だったからだ。
「自分から相手に歩み寄れ。お前の汚い価値観を理解してもらう義務なんて、誰にもない」
俺が多用する自虐は、最も卑劣な「他者支配」のツールだと友人は断言した。
「お前がそう言うと、相手は『慰める』という役割を押し付けられる。
「卑下する暇があったら、他人の時間を汚すな。他人を居心地よくさせろ」
「お前が他人を落とすたびに、お前自身の人間性が底辺に落ちる。」
悪意を抱え続けるのは、結局、自分自身の心を醜く腐らせるだけだ。
「清潔感の欠如は、『俺は他人の評価なんてどうでもいい』という傲慢な意思表示だ」
見た目を整えるのは、「俺はまともな人間だ」という社会への宣誓であり、自分に自信を持つための最初の一歩だ。
それは、「他者への憎悪」を「他者への善意」に変えるという意識だ。
お前の存在が、誰かにとっての「公害」ではなく、「価値」になるかどうか。
俺は運よく結婚できた。
だが、運を掴める位置に自分を置くことは、「醜態を晒すのを辞める」という努力から始まった。
変われたことが嬉しい。
俺としては完全に善意で、対価なんてもらうつもりもなかったのだが
普段あまり手伝ってないし…と料理選択掃除全部一手に引き受けて仕事(ありがたいことにまだテレワーク)の合間に全部こなしていたら、2、3ヶ月しか手伝ってないのに二桁万円単位で渡してきて
さすがにおかしいと突っぱねたのだけど、相続の前払いと思ってと結局押しつけられた
そこそこ付き合いの長い友達が、金勘定が壊滅的なので、これも引き受けて共有スプレッドシートに家計簿の簡易版みたいなのを作って、金銭管理を全部できるようにしてあげたらまたしても二桁万円単位で渡そうとしてきて
こんな素人(素人ではないが)の手癖みたいなものにその対価はおかしいと言ったのだが結局押しつけられた
そして恋人がいるのだが、とある事情で生活がままならなくなり、
足りないものをすべて補う覚悟であれこれ世話を焼いているのだが、
またしても、またしても二桁(略)
さすがに恋人間で金銭のやりとりはおかしい支えるのが当然と断固断っているのだが、
共有資産としてプールされてしまっている(管理しているのは自分なので帳簿を書いているのは自分だが)
なんというか、仕事しなくても生活できる金を押しつけてくるんじゃない!と思う
こっちは本業があって、片手間に世話をしているだけなのに、そこでそこそこの金銭が入ってしまうとどうしても金遣いが荒くなる
財布のひもが緩くなって一番の問題は太ることだ
ほんとうにやめてほしい
https://note.com/13weekslaterep/n/n72ae8c35be59
めりぴょん/山野萌絵
はてなブックマーク、たくさんのコメントありがとうございます。あまりにも「資金源は?」と聞かれまくるので、当時のことを振り返ってみよう。
オタクを始めた頃の16歳にやっていたのはコンビニ派遣とコンカフェのバイト……だったが、店長の経営が適当すぎて給料未払いが続出し、呆れて退職。ちなみに、エキストラに行く謎のコネを作ったのはこのコンカフェである。
当時はJKビジネス全盛期。まだ法整備が追いついておらず、女子高生でも18歳になっていたらリフレで働けたのだ。
というわけで割とお世話になったのが大久保の雑居ビルにある「C」。親が元々デザイン系で働いていたので、パソコンでソフトを悪用し架空の通信制高校の学生証を作って18歳として働いていた。有印私文書偽造の公訴時効は5年なのでもう良いであろう。
掛け持ちで鍋屋のホールのバイトもしていた。今でも鍋につみれを入れるのは得意だ。一度鍋のつゆにスプーンをくぐらせてからつみれを丸めて入れるのがコツである。何の役にも立っていないが。
年末年始は郵便局の年賀状ハガキ仕分けのバイトもした。早朝シフトだったので、朝から年賀状のハガキを仕分けて昼過ぎからリフレに、なんて日もあった。
「C」で出会ったのが若手俳優界隈ではもはや半ば都市伝説と化している、テニミュ俳優・Z(後に彼女とお風呂に入っているツーショットが流出し、地獄のバスツアーを開催したことで有名)のオタクのHちゃん。有名人である。
Hちゃんがある日体入で連れてきたのがこれも古のテニミュを知る人には有名人であろう、2nd四天宝寺・AのオタクだったKちゃんとSのオタクだったSちゃん。二人は「若手俳優と繋がってそれをフライデーに売った」という伝説を持つらしく、俳優のオタクであることを告げると「すぐ繋がれるよ!出待ちとかしないの!?」と言われ、黒糧(若手俳優オタクがオタクの悪口を書き合うパスつき掲示板)のURLとパスまで教えてもらった。古のテニモンを知る人には「黒糧を教えてもらったのがKちゃん」と言うと大ウケする。鉄板トークだ。
しかし規制が厳しくなり、18歳でも高校に在学しているとリフレで働けなくなったため、「C」は閉店。当時はリフレにも「オーバー店」と「アンダー店」というものがあり、オーバー店は18歳以上を雇用。アンダー店は摘発覚悟で18歳未満を雇用していた。
「C」が閉店したので、なぜかまだ18歳を雇っていた池袋東口の「E」というJKメンエス(?)で働きながら試行錯誤。一時期高田馬場に事務所があったライブチャットをやってみたりもした。「E」はなぜか内勤がキングレコードやavexに所属していたことのある現役V系バンドマンだった。ちなみにベース。噂を聞きつけたバンギャがやたらと多かったが、「薄桜鬼」藤堂平助の夢女をしているMちゃんとは仲が良かった。「はなの舞のコラボのせいで味噌汁7杯飲んだ」などのオタク面白話をしていた。Mちゃんはイオンモールで開かれた横浜くんの電動自転車試乗イベントの整番引きにまで来てくれた。10年経っても感謝している。まだ平助くんのこと好きですか?
しばらくののち、池袋西口にあったアンダーお散歩店「G」に飛び込むことになる。結局1年以上お世話になった。のちに店長が店の女の子に手を出して未成年淫行で逮捕され、全国報道されてテレビの潜入特集までされることになった店だ。ちなみに私は店長に「もっと稼ぎたいなら俺が相手してあげようか?」といきなり初日に言われたが、「身体の関係を持った人と一緒に仕事するのは気まずいので……」と断って難を逃れている。
「C」にいたHちゃんとはGロッソ5期公演中に水道橋駅の改札前で再会。ヒーローショーは最初の回が朝9時半開演なのだが、TDCでテニミュが開かれており、改札が入り待ちだらけだった。超有名人のHちゃんと話しているだけでオタクからの視線が痛かったのは言うまでもない。Hちゃんは私が誰推しなのかに興味がなかったらしく、「志尊だっけ?」とか聞いてきた。Hちゃんは今でも友達である。たまに飲む。
「G」では源氏名をどうしようか悩み、当時普通にちょっとハマっていた「獣電戦隊キョウリュウジャー」立風館ソウジ(特撮の中で三番目に好きなキャラ。ちなみに二番目は「仮面ライダージオウ」ウールくんである)から取って「ふうか」とした。はるか後にジャニーズJr.に出戻り、刀ミュにハマって前列ガッツになって以降、由来も忘れて定番源氏名になるのだがそんなことはまあいい。
「G」は摘発を避けるために「出会いを求める女子と男性を繋ぐフリースペース」……という建前で経営されており、店長・Rさんは「店長と呼ぶな。Rさんと呼べ」と命令してきたのでみんなそう呼んでいた。「お散歩」に行くとコースバックで1000円支給されるのだが、それも一度「謝礼」としてクオカードを渡され、店長が「俺が変えてあげようか?」と"善意"で現金にしてくれる。パチンコ方式である。どうやって稼ぐかというともちろん裏オプなのだが……まあご想像にお任せする。ちなみに当時掲示板では「ふうかは金さえ払えばなんでもしてくれる」と書かれていた。
働いている女の子たちはホス狂い7:ジャニオタ2:バンギャ1くらいの割合であり、俳優オタクなど私1人しかいなかった。そのため「G」の店内で一番有名な俳優は横浜流星だったと思われる。不名誉。
ホス狂いたちとも普通に仲が良かった。年齢確認のゆるいホストクラブだけに行っていたらしいのだが、何気なく私が有印私文書偽造できる話をしたところ、全員むちゃくちゃ食いついてきた。……いくらで売ったかは伏せるが、架空の大学の学生証が飛ぶように売れたのは言うまでもない。「○○っていう有名店にすんなり入れた!ふうかちゃんすごい!」と大感謝されたが、そんなことに使う発想がなかったので「よ、よかったね……」としか言えなかった。
ホス狂いには「毒親」系の子もいたが、1人とんでもないお嬢様がいた。超有名大学の附属校に通っていて、家にエレベーターまであったが、なぜか道を踏み外してホス狂いになっていた。名前はKちゃん。「担当とケンカした」とかいう理由でドリエルをODしてぶっ倒れていたので、水を飲ませ看病したこともある。今は何してるのだろうか。
ホス狂い・Yちゃんは「売り掛けに間に合わない」という理由で店長からお金まで借りていた。ちなみに、利息はトイチであった。
ホス狂い美少女・Mちゃんにある日、「Twitterになぜかログインできないんだけどなんでだかわかる?」と聞かれたので、とりあえずブラウザのCookieを消してみたら普通に直った。「携帯ショップの店員さんみたい!」と感謝されたがCookie消しただけなのに……と思った。Mちゃんとは数年後に歌舞伎町某所でばったり再会。世間の狭さを感じた。
職質対策も抜かりなくしていた。客と歩いている時に万が一職質されてもいいように池袋西口のホテヘルを調べ、顔出ししていない適当な自分にスリーサイズの近い風俗嬢をブクマしておき、職質されても「店に預ける決まりなので財布持ってません」と言うと決めていた。このライフハックは割とみんな共有していた。私は職質されることは無かったが。
自分で言うのもなんだが店長には気に入られていた。真面目だったからだ。ホス狂いたちはもはや家出生活を送っており、毎晩ホスト遊びに繰り出しては集団でラブホに雑魚寝して泊まり、遅刻や当欠が多かった。「お前らはいい加減すぎる。ふうかを見習え!」と店長が怒っていたのだが、たまたま好きになったのがホストではなく若手俳優だっただけなので苦笑することしかできなかった。
ホス狂いたちは、不思議と私をホストに誘ってくることはなかった。まあ横浜くんのことが好きすぎて傍目から見てもメロメロだったのもあると思うし、毎日律儀に家に帰っていたのもあるが。
ゴキブリが出て待機室がパニックになり、私が冷静に丸めた雑誌で叩き殺したら店長が3000円くれたこともある。後に店長は店の女の子に手を出して捕まるのだが、「口」でさせて5000円しか払ってなかった。ゴキブリ殺しただけで3000円もくれるのにそれしか払わないんだ……と微妙な気持ちになった。
店長はしばしば池袋西口の「楽園」で営業中にパチンコしており、「真面目だから」という理由で予約と予約の合間になぜか電話番までさせられていた。もはや店長が事務所を開けない日すらあったので、そんな時は池袋西口のガストでドリンクバーを頼んで溜まっていた。
客だと思ったら潜入してきた朝日新聞の記者だったという事件も起きた。「搾取されてるわけではなく自分の意思でちゃんとやってる」みたいなことを長々話した気がするがよく覚えてない。
夏休みには事務所の電気を消して、店長が出前を取ってくれてみんなで「ほん怖」だか「世にも奇妙な物語」だかを見た記憶もある。どっちかは忘れた。普通に楽しかった。青春である。
私が横浜流星のオタクであることは知れ渡っていたため、遭遇して喋れたりイベントで喋れたりすると店長も含めてなぜかみんな喜んでくれた。店長逮捕後、久々にLINEが来たと思ったら「最近何してるの? 流星?」と送られてきて脱力した。
JKビジネス業界はドライなので、高校卒業する頃になると一気に予約が入らなくなる。潮時かな……と思い辞めた。その後「G」は摘発されたので一応難は逃れている。
なんやかんやでキャバ嬢に転身してみるも、自分で言うのもなんだがあんまり向いていなかった。この頃の記憶は実はあまり無い。楽しくなかったのだろう。
キャバクラを辞めた後は適当にパパ活していた。適当なパパ活でもまあまあ稼げていたのでコロナ前の夜職業界は景気が良かったのだ。2017年中盤くらいからは一応メイドカフェでも働いている。
かの有名な「制服オーディション」には一時期いたことがあるものの、本格的な風俗に足を踏み入れるのは実は横浜くんを降りた後である。……というわけで、なんだか尻すぼみな記事になってしまった。
ちなみに高校は3年の途中で出席日数不足がたたり中退。(JKお散歩に入り浸っていたためである)しかしその後通信制高校に編入しちゃんと卒業はしている。そのため一応高卒だ。
こんな感じである。みなさんの謎が解ければ幸いだ。