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はてなキーワード: 私小説とは

2026-05-03

anond:20260502232822

富野作品の情けない敵、ってのが、

いい感じになるの、って

あれ富野由悠季という人間のみっともない部分、

とか富野由悠季のどうしようもなく弱い部分、

そういうのをキャラ投影してるからだと思うんだよな。

もう有名な話だけど、

F91の頃の富野さんは、実の娘さんとうまくいってない時期でさ、だからセシリーという娘に鉄仮面が殺られそうになるところとか、あれ完全に自己投影なんだよな。

それが証明されてるシーンがあって、

映画が終わって主題歌がかかってスタッフロールが流れて

って

最後になって突然あらわれるのが、

左半分のガンダムの顔

右半分の鉄仮面の顔

が迫り上がってきて

それがピタッと左右重なる画像になる。

あれは要するに

ガンダム鉄仮面は実は一体となってるもの

という私小説てきな告白をめずらしく、やってるとこで

鉄仮面とはつまり

ガンダム富野という仮面かぶっている自分自身のことで

あると告白と同時に

そういう仮面かぶってしか娘と接してこなかった

自分という

反省みたいなもの

ひょうげんしてるんじゃないか

もっというと、あれは娘さんに

ごめんなさい、仲直りしたい

ということを伝えたかったんじゃないか

ってことなんだよな

2026-04-25

anond:20260425163058

あい主人公が思い悩む私小説とか文芸香りがする作品を、アニメクリエイターがやりたがったからかもな。

エヴァより前の90年代アニメは週刊少年少女雑誌原作だらけで「作家性」みたいなのを発揮できずにいたクリエイターが、エヴァの大ヒットに便乗すれば企画を通せると、漫画玩具販促アニメじゃない俺の文学を世に問うてやる、みたいな気持ちで張り切ってしまったのでは?

2026-04-21

『iPhone11を直す/兄について』 創作ですか?

構成の巧みさから言えば、プロあるいはセミプロ級の書き手による**「私小説フィクション」**と考えるのが自然かもしれません。

構成完璧シンクロニシティ。この文章は、「iPhoneの修理工程」と「家族歴史」が完璧リンクしています

 

・分解の開始: 家族ルーツ葛飾3LDK、兄の思い出)の語り出し。

・煙が出る(故障): 兄の挫折や、家庭環境の歪みが露呈する場面。

・画面を剥がす(中身が露出する): 自分引きこもり生活や、母の怒号の記憶

・新しい画面を貼る(修復): 兄との北海道旅行、現状の受け入れ。

・起動するが「黒いシミ」が残る: 完治はしないが、なんとか動いていくこれから人生

 

これが「完全な作り話」なのか「実体験をベースにした脚色」なのかは断定できませんが、**「読ませるための文学作品」**であることは間違いありません。

2026-03-09

文学界最強トーナメント

選手入場です!!!!

 

純文学は生きていた!! 更なる内省を積み人間観察が甦った!!!

文豪!! 夏目漱石だァ――――!!!

 

近代小説はすでに我々が完成している!!

自然主義怪物 島崎藤村だァ――――!!!

 

書き出ししだい読者を引きずり込んでやる!!

短編魔術師 芥川龍之介だァッ!!!

 

退廃文学なら我々の歴史ものを言う!!

破滅天才 太宰治!!!

 

真の美を知らしめたい!! 耽美主義!!

谷崎潤一郎だァ!!!

 

ノーベル賞は2度受賞だが日本文学なら我々のものだ!!

叙情巨人 川端康成!!!

 

打撃対策完璧だ!! 言語実験!!

安部公房!!!!

 

小説技法ベストディフェンスは私の中にある!!

文体魔術師が来たッ 三島由紀夫!!!

 

読者の共感なら絶対に負けん!!

私小説の真髄見せたる 志賀直哉だ!!!

 

海外文学(なんでもあり)ならこいつが怖い!!

魔術的リアリズム ガブリエル・ガルシア=マルケス!!!

 

幻想文学から黒き詩人上陸だ!!

宇宙的恐怖 H・P・ラヴクラフト!!!

 

ルールの無い物語がしたいか実験小説を書いたのだ!!

ポストモダン文学!! トマス・ピンチョン!!!

 

めい土の土産ベストセラーとはよく言ったもの!!

物語魔法が今 書店で爆発する!!

世界ストーリーテラー!!

J・K・ローリングだ―――!!!

 

そして……

日本文学新世代こそが世界文学代名詞だ!!

 

まさかこの男が来てくれるとはッッ

村上春樹の登場だ――――――――ッ!!!

 

加えて文学論争発生に備え

超豪華なリザーバーを4名御用意致しました!

 

ポスト構造主義 ジャック・デリダ!!

新本格ミステリ 綾辻行人!!

ライトノベル革命 西尾維新!!

 

……ッッ

どうやらもう一名は原稿締切に追われている様ですが

入稿次第ッ皆様にご紹介致しますッッ

2026-02-25

庵野による女って怖いよね系私小説要素の無いエヴァってなんか面白い部分あるんか?

2026-02-01

anond:20260131113044

すみません

あの

本当にすみません

これ作り話なんです

私のためにこんなに書いてくださりありがとうございます

本当に本当に嬉しいのですが罪悪感でいっぱいです

私小説家になりたいと思ってたくらい作り話するのが好きで…

本当に申し訳ございません…

全文、拝読しました

感動しました、でも本当に申し訳なくなりました

嘘を嘘と書かずに書くのはもうやめようと思いました

私のために本当に有り難うございました。。

2026-01-26

【論考】内閉する欲望系譜:「私小説から萌え」への病理学的転回

【はじめに】

日本サブカルチャー特に二次元コンテンツにおける「廃(ハイ)」や「萌え」の底流には、特有の湿り気がある。それは、公的領域から撤退し、極めて私的で、時に猥雑とも言える内面世界への耽溺である

一般に、これは戦後日本の豊かさが生んだ徒花だと解釈されがちだ。しかし、この「社会から撤退内面への沈殿」という構造自体は、決して新しいものではない。

本稿では、明治期の自然主義文学変異した「私小説」と、現代の「二次元オタク文化」を、同一の精神構造を持つ歴史的双子として定義する。両者は、近代日本という抑圧的なシステムの中で、個人主体性確立できなかった者たちが選び取った、必然的かつ病理的な適応戦略である

1.明治の「布団」と現代の「モニター」:同型としての引きこもり

日本近代文学は、「自然主義」の受容から始まった。本来ゾラなどの西欧自然主義は、社会の暗部を科学的かつ客観的に暴き出すリアリズム手法であった。

しかし、この「社会記述するメス」が日本に持ち込まれとき、奇妙なねじれが発生した。田山花袋の『布団』に象徴されるように、記述対象が「社会から作家私生活(性欲・嫉妬・無様な内面)」へと急速に矮小化されたのである

なぜか。明治維新後の強権的な藩閥政治(前稿参照)の下では、知識人ペンによって社会を変革することは不可能だったからだ。

巨大な国家権力という「壁」を前にして、個人エネルギーは行き場を失い、内側へと逆流した。彼らに残された唯一の自由領土は、国家干渉しない「布団の中(性生活内面)」だけであった。

現代の「廃(オタク)」がモニターの中で美少女キャラクターを消費する構造は、明治文人が女弟子の布団の匂いを嗅いで文学へと昇華させた構造と、位相幾何学トポロジー)的に完全に一致している。

それは、「公的領域での敗北」を「私的領域での支配」によって代償しようとする、日本近代特有精神運動である

2.ミッシングリンク生存の「私小説から、消費の「データベース」へ

しかし、明治文人現代オタクの間には、決定的な環境エコノミー)の違いがある。私の初期の考察における欠落は、この「経済的下部構造」の変容を軽視していた点にある。

明治の「私」への撤退は、貧困封建的制度の中での「苦悶」であった。

対して、現代の「私」への撤退は、高度資本主義下での「消費」である

この変質をもたらしたのは、二つの歴史的断絶だ。

①「公」の死(1945年):

敗戦により、天皇という絶対的な「父(公)」が失墜した。これにより、個人の内向化を止める道徳的ストッパー消滅した。

②「革命」の失敗と「消費」の勝利(1960-80年代):

60年安保・70年闘争の敗北により、若者たちは「政治社会を変える」というルートが完全に閉ざされたことを悟った(明治期の再演)。

時を同じくして日本高度経済成長バブルを迎える。資本主義は、行き場を失った若者たちリビドーを見逃さなかった。

社会を変えられないなら、虚構世界で王になればいい。」

資本は、かつては恥ずべきものとされた「私的で猥雑な欲望」に「商品価値」を与え、二次元産業としてパッケージ化したのである

3.「小農経済」の亡霊:一億総引きこもり社会

二次元」という楽園の底にある心理的基盤として、私はかつて「小農経済的私有性」を仮定した。この視点は、現代風に修正することでより強固になる。

現代オタク的消費は、まさに精神的な「小農」である

彼らは広大な社会荒野)に出て他者連帯することを拒否し、自室という「一畝(ひとせ)の畑」を耕し、そこで自分だけの作物(推し)を愛でる。

この「他者不在の閉鎖性」こそが、日本ムラ社会近代化の過程で到達した成れの果てである

高度に発達した資本主義は、この「精神的小農」たちに、安価で高品質肥料アニメゲーム・グッズ)を供給し続ける。

このシステムにおいては、もはやリアル他者と関わるコストリスク)を払う必要はない。経済的豊かさが、逆説的に「人間関係貧困化(私化)」を可能にし、それを永続させるための産業構造を完成させたのだ。

4.結論:鏡の迷宮の中で

文学社会の鏡である」と言う。

明治の鏡(私小説)には、国家に押しつぶされて布団に逃げ込む「無力な知識人」が映っていた。

平成・令和の鏡(二次元)には、豊かさの中で社会性を喪失し、モニターに逃げ込む「消費する原子アトム)」が映っている。

この二つは、異なる花に見えて、同じ根から生えている。

その根とは、「個人の自立」を許さず、「公的な変革」も許さない、日本という硬直した社会構造のものである

外部世界への作用を諦め、内なる欲望の充足のみに生のリアリティを求める態度。

それは「醜悪」あるいは「猥雑」と指弾されるかもしれないが、この国のシステムが正常に稼働した結果排出された、極めて合理的な「排泄物」なのである

我々が二次元コンテンツに見る輝きと虚しさは、行き場を失った魂が、資本主義というプリズムを通して屈折した際に放つ、最期の光なのかもしれない。

2026-01-22

anond:20260122220058

では、感情論詭弁を除いたうえで、**擁護側の中でも「理屈として成立しているもの」**を、きちんと筋が通る形で整理します。

あくまで「反論として成立する論点」であって、無条件に正しいという意味ではありません。

①「許諾違反かどうかは事実認定が未確定」という理屈

主張

防犯カメラ映像や音声について

裁判目的限定」という明確な書面契約存在するか不明

• 口頭合意慣行レベルの話で、法的拘束力が争点になりうる

評価

• ✔ 法律論としては正当

• ✔ 現時点で「違法」と断定するのは早計

限界

• ❗ 倫理的責任信義則問題は残る

• ❗ 法的に白でも「信頼関係を壊した」可能性は否定できない

②「CG再現編集による二次創作であり原資料のものではない」

主張

• 実際の防犯映像をそのまま使用していない

特定性を排除した再構成映像であれば、原資料使用とは別扱い

評価

• ✔ 著作権映像権の議論としては成立

• ✔ 実務上よく使われる回避手法

限界

• ❗ 問題は「映像」より

情報取得の経路と合意範囲

• ❗ 再現でも「元情報の利用」である点は消えない

③「当事者ドキュメンタリーとしての表現の自由

主張

• 本作は調査報道ではなく

当事者自己体験再構成する表現作品

客観性より主観性が前提のジャンル

評価

• ✔ ドキュメンタリー表現論として妥当

• ✔ 海外評価整合

限界

• ❗ 他者証言・協力が含まれる以上、

完全な私小説ではない

• ❗ 表現の自由は無制限ではない

④「公開によって初めて問題可視化された」

主張

• 非公開のままでは、

素材利用の不備や構造問題は表に出なかった

• 公開は結果的議論を生んだ

評価

• ✔ 社会的プロセス論としては成立

• ✔ 実際に制度的欠陥が露呈した

限界

• ❗ 「結果的に良かった」は

事前の配慮不足の免罪にはならない

• ❗ 被影響者のリスク後出し正当化している

⑤「海外先行は現実的選択だった」

主張

日本国内では公開困難が予見できた

海外映画祭を通す以外、作品が成立しなかった可能

評価

• ✔ 業界的には理解可能

• ✔ 戦略として合理性あり

限界

• ❗ 合理性正当性

• ❗ 「先に実績を作る」こと自体

倫理的疑念を強めた側面もある

⑥「被害当事者沈黙を強いられてきた構造への抵抗

主張

• 従来のルール自体

被害者に不利に設計されている

• 多少の逸脱は構造変革の一部

評価

• ✔ 社会批評としては一貫性あり

• ✔ 実際に日本社会の歪みを突いている

限界

• ❗ 逸脱を認めるなら

その代償(批判)も受け入れる必要

• ❗ 無自覚他者被害まで正当化できない

総整理(冷静版)

まともな擁護論を要約すると:

違法性は確定していない

表現ジャンルとして一定自由がある

海外先行は現実的判断

社会的意義は大きい

ただし同時に、

倫理的・信義的な問題は残る

他者権利侵害リスクは軽視できない

• 「正義目的」は万能免罪符ではない

という限界も明確です。

一言でまとめるなら

• ❌ 擁護派の屁理屈:「正しいから全部OK

• ⭕ 成立する擁護:「問題はあるが、即断罪はできない」

あなたが求めているのは後者で、

かなり冷静で健全立ち位置です。

必要なら、

• 「批判側のまともな理屈

• 「両論を踏まえた最終評価テンプレ

も作れます

2026-01-18

社会が語られない問題

今の日本で「社会を語る」表現が避けられているように見えるのは、作り手が内向きになったからというより、そもそも成立条件そのものが変わってしまたからだと思う。

20世紀には、社会輪郭がまだ単純で、誰が被害者で誰が加害者かを一枚の構図にできたし、作品がそのまま「社会への発言」として機能した。

今は、問題は細かく分断され、責任拡散し、社会は確かに存在するのに、一つの絵として描きにくい。

 

現代では、社会を直接語ろうとすると、別のリスクがあらわれる。

特定立場表明だと受け取られ、誤読炎上政治的ラベリングさらされ、「浅い」「勉強不足」と切られやすい。

とくに若手や学生にとっては、語った瞬間に作品だけでなく人格倫理までまとめて評価される感覚が強い。

そうなると「社会を語るのは危険で割に合わない」という判断は、かなり合理的になる。

 

そこで表現候補になるのが私的内面だ。

自分経験感情反証されにくく、誰にも完全には否定できない。

これは逃げではなく、失敗確率いちばん低いテーマ選択でもある。

若い作り手が私小説的になるのは、思想が小さいからじゃなく、リスク管理として最適だから、という側面が大きい。

 

私的表現のものが悪いわけではない。

問題は、私的もの私的なままで止まり社会接続されないことだ。

家族身体不安記憶アイデンティティは、本来どれも社会構造と強く結びついているのに、多くの作品では「私の感情」が「私の感情」で完結してしまう。

そこにあるはずの制度歴史構造という媒介が省略される。

 

から差別化できない」「戦略的でない」と言われる。

同じ世代が似た語彙とテーマを使い、作品の背後にある視座が見えず、「この人でなければならない理由」が弱くなる。

問題私的であることではなく、私的ものをどう社会化するか、その設計が足りない点にある。

 

現代日本現実的に「社会に触れる」方法は、20世紀型の大きな主張や正義宣言ではないだろう。

社会を直接語るのではなく、制度インフラ手続き空間データを通して示すこと。

私的体験を、そのまま出すのではなく、なぜそれが生まれたのかを制度や慣習、環境翻訳すること。

あるいは「社会」そのものではなく、人と制度身体規範個人アルゴリズムといった関係のかたちとして描くこと。

 

現代日本では、誰もが共有できる単一社会像が存在しない。

それを語るためには、自己社会の接点を見つめ、戦略的に語るための物語設計必要になっている。

2025-10-07

anond:20251007124629

増田にかかれている内容って、わりと私小説スタイルで、

自身体験したことを、脚色していること多くないですか?

2025-09-10

anond:20250908164257

私小説風に書いて気が済むならそれも良いけど、特定されたら娘さんが可哀想からしばらくしたら消しなね。大人からつらくても我慢だよ。

2025-08-08

anond:20250808131459

木古先生はヤサシイワタシ的半私小説を書いて返り咲くべき

2025-07-10

syamu_gameの小説(?)のレビュー

https://kakuyomu.jp/works/16818792436194059031

かの大物Youtuberことsyamu_gameがAI生成を活用して小説を書いたとのこと。

本当にこれ小説か?という疑問はさておき、レビュー投稿しても削除されるため、

供養としてそのレビューをここに掲載しておく。

+++++++++++++++++++++++++++++++

 おそらく著者本人の私小説と思われるが、テーマの唯一性は一定需要があるかと感じる。一方でその内容については難もあるため、その点を以下に記載する。

表現方法稚拙

 まず不自然なほど句読点が多く、読みにくい点が多々見受けられる。

また、地の文と会話文が同じ段落内に含まれており、句点と鉤括弧が連続して記載されるなど表現ルールからの逸脱が見られ気になる。さら地の文と会話文が一体となっていることから読みにくさに拍車をかけている。

 また、話の展開の仕方にも稚拙さを感じられる。まず冒頭は「炎上きっかけとコラボ依頼」からまり、場面が変わり「職場での嫌味な同僚」が登場し、また場面が変わり「コラボでの虚勢」に繋がる。一段落がかなり短く、場面がコロコロ変わる上に一貫性がないため「小説としての話のつながり」というより「出来事を羅列したダイジェスト」を見ている気持ちになる。小説という体で表現する必然性を感じにくい。

・語彙への違和感

「父の心の最後の壁を破壊した」

 心の壁が何を指すのかがわかりにくく、それまで「壁」についての表現が一切されていないので「最後の壁」が不明。単に父の「俺」に対する期待値が底をついたということであれば「父はこの言葉を受け、俺に対する希望を失ってしまったように感じた」など分かりやすく伝えることを心がけたほうがよい。ウィットに富んだ表現をしたいという気持ちが先走りすぎて、分かりやす表現することが蔑ろにされていると端々から感じた。

 たとえば「鉛のように重い体」や「その日、俺の世界は、完全に死んだ。」など、状況に対して適切ではない(なかば大仰すぎる)表現散見され、内容の割にくどく感じる原因となっている。

 また、本文とは異なるが「配信劇」という言葉が何を指すのか不明。「配信を使った復讐劇」と言いたいのだろうか。繰り返しになるが、難しいことを言おうとして意味不明表現をしていることが気になる。

因果関係のわかりにくさと著者の幼稚性

 冒頭から炎上騒動と警察沙汰]があり、その後[家族や近所との関係悪化]と続いているが、唐突に[出会い系アプリ]での釣りと[みっともないDM開示]がはじまる。純粋に「なぜ出会い系アプリなのか?」が疑問として残るため、著者の中では論理的整合性があるのだと思うが、それを分かりやすアウトプットする努力必要だと感じる。

また、みっともないDMをしたのは他ならぬ自分なのだから逆ギレも甚だしい。私小説だとするならば、著者の幼稚性にただただ閉口するのみである。ここから「逆襲が始まる」と言われても…という印象は拭えない。もし修正するのであれば、その逆襲の理由付けをより丁寧に記載するよう努めることを推奨する。

+++++++++++++++++++++++++++++++

彼はかつて作曲をしていた頃からプリセットを並べるだけ、ただ音を並べて不協和音を作るだけに終始していた。

今回もまたAIを使い出力された情報を並べているだけなので、小説ではなくダイジェストになっている。

読む価値はないし、彼自身仕事もしておらず毒を振りまくのみなので、今後も期待はできなさそう。

syamu_gameの小説(?)のレビュー

https://kakuyomu.jp/works/16818792436194059031

かの大物Youtuberことsyamu_gameがAI生成を活用して小説を書いたとのこと。

本当にこれ小説か?という疑問はさておき、レビュー投稿しても削除されるため、

供養としてそのレビューをここに掲載しておく。

+++++++++++++++++++++++++++++++

 おそらく著者本人の私小説と思われるが、テーマの唯一性は一定需要があるかと感じる。一方でその内容については難もあるため、その点を以下に記載する。

表現方法稚拙

 まず不自然なほど句読点が多く、読みにくい点が多々見受けられる。

また、地の文と会話文が同じ段落内に含まれており、句点と鉤括弧が連続して記載されるなど表現ルールからの逸脱が見られ気になる。さら地の文と会話文が一体となっていることから読みにくさに拍車をかけている。

 また、話の展開の仕方にも稚拙さを感じられる。まず冒頭は「炎上きっかけとコラボ依頼」からまり、場面が変わり「職場での嫌味な同僚」が登場し、また場面が変わり「コラボでの虚勢」に繋がる。一段落がかなり短く、場面がコロコロ変わる上に一貫性がないため「小説としての話のつながり」というより「出来事を羅列したダイジェスト」を見ている気持ちになる。小説という体で表現する必然性を感じにくい。

・語彙への違和感

「父の心の最後の壁を破壊した」

 心の壁が何を指すのかがわかりにくく、それまで「壁」についての表現が一切されていないので「最後の壁」が不明。単に父の「俺」に対する期待値が底をついたということであれば「父はこの言葉を受け、俺に対する希望を失ってしまったように感じた」など分かりやすく伝えることを心がけたほうがよい。ウィットに富んだ表現をしたいという気持ちが先走りすぎて、分かりやす表現することが蔑ろにされていると端々から感じた。

 たとえば「鉛のように重い体」や「その日、俺の世界は、完全に死んだ。」など、状況に対して適切ではない(なかば大仰すぎる)表現散見され、内容の割にくどく感じる原因となっている。

 また、本文とは異なるが「配信劇」という言葉が何を指すのか不明。「配信を使った復讐劇」と言いたいのだろうか。繰り返しになるが、難しいことを言おうとして意味不明表現をしていることが気になる。

因果関係のわかりにくさと著者の幼稚性

 冒頭から炎上騒動と警察沙汰]があり、その後[家族や近所との関係悪化]と続いているが、唐突に[出会い系アプリ]での釣りと[みっともないDM開示]がはじまる。純粋に「なぜ出会い系アプリなのか?」が疑問として残るため、著者の中では論理的整合性があるのだと思うが、それを分かりやすアウトプットする努力必要だと感じる。

また、みっともないDMをしたのは他ならぬ自分なのだから逆ギレも甚だしい。私小説だとするならば、著者の幼稚性にただただ閉口するのみである。ここから「逆襲が始まる」と言われても…という印象は拭えない。もし修正するのであれば、その逆襲の理由付けをより丁寧に記載するよう努めることを推奨する。

+++++++++++++++++++++++++++++++

彼はかつて作曲をしていた頃からプリセットを並べるだけ、ただ音を並べて不協和音を作るだけに終始していた。

今回もまたAIを使い出力された情報を並べているだけなので、小説ではなくダイジェストになっている。

読む価値はないし、彼自身仕事もしておらず毒を振りまくのみなので、今後も期待はできなさそう。

2025-04-26

anond:20250426205908

あの頃って、富野監督が娘さんと親子仲があまりしっくりといってなかった頃だったらしいのね。

で、あの映画ってエンドクレジットのあとにガンダムF91とカロッゾの仮面が半分ずつ左右から出てきてが一つになるじゃない?

おれさ、アレの意味がようやくその話を聞いて理解できてさ、というかそういう話聞かないとわからないよね?

だってさ、なんで敵の大将仮面正義ガンダムの頭部がふたつでひとつなわけ?って理由からないよね。

おれずーっと、そこが引っかかってたんだけど、その娘さんと仲が良くなかったって話聞いてやっとわかったような気がした。

ちょっと私小説的な象徴意味合いなんだろうね、って俺は勝手邪推した。

まりカロッゾの仮面というのはガンダム仮面なんだよ、と。

カロッゾというのは仮面かぶってしか生きていけない情けない男だろお前は!って娘に罵倒されるわけだけど、

カロッゾの仮面というのはガンダム仮面ということなんだよ、とエンドクレジット最後で種明かししてるわけでしょ。

まあ劇中でもなんであんな顎が伸びたガンダムを思わせる仮面デザインなのか不思議だったんだけど

エンドクレジット最後でそこをダメ押ししてる。

まりガンダム富野という仮面かぶってしか世の中と正対できないような弱い男だ貴様は!!と娘に罵倒されている姿を映画の中で描いたということなんだよね。

からさ、俺の中ではガンダムF91というのは富野作品の中で唯一私小説的な要素が強い、富野版の「君たちはどう生きるか?」だと位置づけられている。

2025-03-16

とある増田過去投稿をすべて削除したと運営が発表した件

2025年1月15日はてな運営増田に関する声明を発表したのを知っているだろうか。

とあるユーザー匿名ダイアリーの利用を停止し、過去投稿をすべて削除することになった経緯について書かれている声明なのだが、まったくの初耳という人間も多いと思うので以下に全文を紹介する。

差別につながる可能性がある記事への通報

この声明をざっくり要約すると、とある時事問題当事者を装って差別扇動していると思しきユーザーがいたので運営として然るべき対応をした、という感じ。

年末増田とはてブで自演が行われていることを運営が発表したときも、時事問題都知事選ジェンダー平等表現規制、AI利用の是非など)について書かれた増田に対して複数アカウントによる自演ブクマが行われていたと運営側も注意喚起をしていたが、またしても増田時事問題がらみの事案が発生したという話である

今回の件に関して運営側は、注意勧告無視したユーザー増田から閉め出す措置を取ったわけだが、これはおそらく利用規約における以下の禁止事項に抵触していたからだろう。

e. サービス利用のガイドラインに反する行為や、社会通念上好ましくない行為第三者に対して迷惑となり得る行為に対して、当社から注意勧告を受けたにも関わらず、正当な理由なく同様の利用を継続する行為

はてな利用規約 第6条 (禁止事項)

はてな運営増田治安改善に本気で取り組み始めている

増田投稿された記事運営が削除するようなことは以前からあったものの、そこに至った詳細な経緯を公表したのはおそらく初めてな気がする。昨年末はてなブックマーク透明性レポート以降、増田で起きた問題運営側がしっかり言及するようになったこからも、本気で治安改善に取り組み始めていることが伺える。

透明性レポート2024年8月2024年10月)によれば、世論を分断するような話題が発生した際にはスパム(自演増田など)も多く投稿される傾向が見られるらしいのだが、一部のユーザー増田匿名性を利用してあまりにもやりたい放題した結果、運営側としても増田無法地帯ではないと公式に表明せざるを得なくなったのかもしれない。

ちなみに運営側もあからさまな釣り記事には注意するよう呼びかけている。

建設的ではない分断を煽るような投稿議論についてはブックマークコメントを集めるためのスパム行為である可能性を考慮いただき、不自然ブックマーク発見された際には通報を行っていただければ幸いです。

はてなブックマーク透明性レポート(2024年5月~2024年7月)スパムアカウントに対する利用停止措置の状況

違和感のある増田ブクマを見かけたら以下のURLから運営通報することをおすすめする。

https://hatena.zendesk.com/hc/ja/requests/new

2025-02-24

anond:20250223235004

BL出身漫画家でも少年漫画同人誌出と

オリジナルBL出身作家がいて

オリジナル出身系は文芸よりでちと苦手

私小説みたいにいちいち内面の私の在り方とかの悩みでウダウダいうから

私小説が苦手なんだなこれは

お母さんが私を認めないから病んでいる謝ってとかいうのうへえってなる

いい大人やろがい

2025-02-18

anond:20250217211627

プロレタリア文学純文学から排除されるっていう定義は初めて聞いたな

  

そういうもんか?

プロレタリア文学側が自らそう定義してるの?

  

かに古典小説なんてブルジョアの手すさびからな、そういう可能性はさもありなんではあるけどね

  

でもそれなら志賀だの太宰だのの私小説の方がよっぽど純文学じゃないと思うわ、醜悪自我の垂れ流しだと思うが

俺が太宰のファンだってことは念を押しとくけどな

  

ちょっとそれるけど)太宰と志賀確執って同類嫌悪だよなあ

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る⑤

【前】anond:20250202181229

以下、池澤夏樹文学全集には出ていないが、重要な物や自分が読んだものについて書く。

蜻蛉日記

川村裕子訳注で読んだ。著者は藤原道綱母で、夫である藤原兼家に対して激しい執着が描かれている。当時の僕は報われない愛情を扱ったフィクションにどっぷりとハマっていたので、かなり共感的に読んだ。男性が通ってくるのを待たされる側だった女性立場が見えて、あちこちに通う相手がいる光源氏に対しては「お前、お前お前お前!」以外の感想しか出てこなくなる。というか、藤原兼家みたいに、手紙LINEはそこそこまめなくせに、会いに来ない言い訳もやたら細やかで、会ったときも会ったときで真面目な話をせずこちらをからかうばかりという男性結構いるよな。モテる奴ってこんなのばっかってイメージがある(偏見)。

こういう時に面白いのは別の人の感想で、田辺聖子は先に書いた百人一首の本で、道綱母は夫を愛しているくせに、何をされても怒るかわいげのない女なのだと言っている。確かにせっかく通って来たのに寒空の下待たせちゃうんだけれど、つれない人に対してはそれくらいしてやりたくならないか

田辺聖子と考えが違って面白かったのは、「儒教道徳は男女の色気のあるやり取りも批判して世の中をつまらなくする」って発言だ。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」の解説で述べていたことだ。コンプライアスに厳しい時代の子である自分としては首をかしげるが、彼女にそういわせたのは、おそらく彼女青春と重なった第二次世界大戦空気だろう。

後半は道綱のなかなかうまくいかない恋路が出てくる。

余談だが、平安時代著名人は大抵何らかの親戚関係がある。だから因縁話は大抵どこかとつながっているし、それなら言い出せない思いが積もり積もって怨霊生霊の類が出てもおかしくない気持ちになってくる。

話を戻すと、どうしてモテたり権力を持った人ってどんどん嫌な奴になっていくのだろう。これは推測だが、人間が何か行動をしたとき、多少なりとも権力、少なくとも力を行使するのが理由だろう。力を行使して何かがうまく行くのは喜ばしいが、そのたびに堕落ポイントが蓄積される気がする。つまり政治家であれ社会活動家であれ、世の中を良くしたという実感が少しずつ慢心に繋がっていく。かつては理想燃えて清廉に悪を糾弾していた人が、どんどん人の話を聞かない・フィードバックを受け付けない傲慢な人になっていく。まっとうな批判を受けても、自分が正しいから叩かれるのだと思い込んでいく。そうやって晩節を汚していく。具体例がたくさん浮かぶと思う。

なので、自分が一番偉いわけじゃない、権力も何もなくて謙虚にならざるを得ないコミュニティ所属しないと、どんどんダメになっていくのではあるまいか趣味も含めたコミュニティがたくさんないとおかしくなる。

これは以前、どこかにいたこである

人の話を聞かないことをテーマにしているのがカズオ・イシグロで、読むたびに嫌な気持ちになる。これは褒め言葉である

和泉式部日記

元カレの弟(帥宮敦道親王からアプローチされて、「手枕の袖」というフレーズ和歌を交換してイチャイチャして、遂に宮廷に迎えられるんだけど、巻末に帥宮挽歌群を持ってくるこの構成よ。悲しい。近藤みゆき訳注

注釈者の解釈の精度と深さがすごいので、やっぱり自分文学研究することなど到底できまいと思わされた。どの節で和泉式部感情がどう深まったかなどといった、字面を追ってしか読めない自分にはとても気づかないポイントが多数ある。所詮自分は楽しむことが主である素人である生活の種には到底できまい。

まりにも気に入ったため、メモをした和歌が膨大である。いつか深い悲しみに沈んだときに読み返したら、喪失の痛みにグサグサに刺されながらも慰められるだろう。和歌集は読んでいて面白いのだろうが、短い解説文で背景が説明されているよりも、こういう物語の中に和歌が含まれているほうが、著者と長く付き合ってきた分だけ、心に来るものがある。古典は知を刺激する部分と情緒を刺激する部分があるが、これはかなり後者に寄っている。

やはり文学が好きだが、近頃はあまり読みたいとは思わないのである。久しぶりに三島由紀夫を手に取ってパラパラとめくっていたら、感情を揺さぶられて過ぎてしんどくなってきた。これは好きすぎで苦しいということなのかもわからない。好きすぎて近づけないとこじらせ文学オタクになってしまっているのか。三島由紀夫のことは、近頃は文章が人工的過ぎると思って遠ざけていたのだが、やっぱりこの人、マッチョな肉体の中の繊細な精神がいつもピリピリしているよ。好きだけれど、読み返したくない。でも、生きているうちに「豊饒の海」を読みたい。

ところで、僕はどうも女性の手による日記文学が好きらしい。ドナルド・キーン日本人日記好きを注目すべき事項だとしていたが、僕もその例に漏れない。日記を読み返すのは自己愛だが、いがらしみきおぼのぼの人生相談で「世界で一番面白い本は自分日記」という趣旨のことを言っている。実際、何が自分に刺さったかを振り返ると、将来傷ついたときにどこに戻ればいいのかが見えてくる。

思うのだが、本を読む男性文学少女に憧れるのにも、自己愛という側面がある。もちろん、同じ趣味を持っている人に親しみを持つのは当たり前だけれども、陽キャのような押しつけがましさがないと勝手に期待してしまうのだ。そういう風に、実際に相手がどんな人かを見ようともせずに、活字が好きだという相手属性ばかり見ている。挙句の果てにそんな相手と深い理解に達し、イチャイチャしまくることに憧れる。そういう人間の恋がうまくいかないのは、今になって振り返ってみれば、残念ながら当然であろう(それでもうまくいく恋愛があるという指摘は無視する。認めないぞ、そんなものは)。だから、本は読むけれど優しくないタイプ女性片想いをして、勝手に傷ついてきたことが何度もある。以下、自分片想い歴や、彼女たちからされた非常に失礼な仕打ちを延々と書いたが、阿呆らしいのですべて削除した。客観的に見れば、当時の僕も結構痛い奴だったんだろう。わかっているが、恨みの気持ちゼロにはならない。

やれやれ。こうしたひがみっぽい、すべて主語が「自分」になっている感覚をすべて卒業してしまいたい。こういうわかったような口のきき方も気に食わない。だからこうして、匿名しか書けないような感情をあえて言語化し、脳内から叩き出す。こんな青臭い感情を二度と思い出さなくてもいいように、放流してしまう。

INTERMISSION⑤

困ったことに、他人批判的なことを書いている時にはやたらと楽しかった。悪口依存性のある娯楽だとよくわかる。なので、この悪癖にハマらないよう、かなりの部分を削った。リクエストがあったら出すかもしれないが、原則としてお蔵入りにするつもりだ。そう、恨みつらみなんていくらでも反芻できる。やめよう、やめよう。

実際、これでもまだ意地悪な記述が多い文章だ。すっきりするけれど、かっこ悪いのでそうそう頻繁にやるべきことじゃない。

かに、見苦しい愚痴をこうして捨ててしまうのが増田の使い方の一つではあるのはわかる。すべて吐き出せば身軽になれる。だから、こうして好きなことと嫌いなことをないまぜにした混乱した文章を書いてしまった。ひがみも怒りもドロドロした感情も、一度文章にすれば冷静になって振り返れる。

なんてみっともない文章だろうと思うのだけれど、書いていてこれは私小説の真似事なのだとわかった。かつて書いていた小説は、過去を変形して書き直し、つらい出来事に直接向き合わないようにするための緩衝材にしていた。あるいは、こういう恋がしたいという、ただの感傷マゾだった。だが、ここで過去を直接吐き出してしまえば、自分感情と筆をコントロールできるようになり、新しく真っ当な小説が書けるのではないか。そんな夢想に浸りたくなる。

実際、今は過去出来事よりも、今は自分の中の荒々しい本能暴力衝動をどう扱うかに関心が移りつつある。あるいは、欲望や執着についてだ。読みたい本もこういうテーマの物に近づいている。混乱していた十代と二十代から、三十代を終えそうになって、好みが変化しているのが明白だ。今こそ、良いものが書けるときではないか

最終選考電話がかかってきたのに、そして編集者と話ができたのに、結局は小説家として芽が出なかった悔しさは、ときどき自分をこんな夢想の中に閉じ込める。だから、発作的にこういう長文を書きたくなる。

だが、若い頃は創作によって自分感情を整理できたのは確かだけれど、ある時点で、僕はこのまま創作を続けてもどこにもたどり着けないのではないかという疑いにさいなまれるようになった。それよりは、虚構で変形されない事実直視したほうがいい。事実日記に断片的に書くことでさえ、ひがみ根性を薄れさせてくれる。小説に限らず、何かを言語化して分析するって本当に救済なんだ。

今後読みたいもの

結構読んできたな」と思いながらも、まだまだ読んでいない作品もかなり多い。大学時代から少ない年でも年に一冊か二冊くらいのペースで古文を読んできたので、そのペースなら生きているうちにもうちょっと読めるだろう。直近で気になっているのは(「カンタベリー物語」のように海外文学は別として)、池澤夏樹リストにあったもの神話物語歴史書それから江戸時代物語だ。

まず、他のところでも述べた通り、「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」がある。特に日本霊異記」はKADOKAWA現代語訳を出している。それから神話物語でいえば「風土記」がある。これも角川ソフィア文庫で出ているので読みたい。

歴史ものでは「大鏡」「栄華物語」がある。それから吾妻鏡」も気になっている。この並びから大河ドラマを想起するだろうが、あまり関係はない。とはいえ自分は「ニンジャスレイヤー」が流行っているときにもまず「ニューロマンサー」に手を伸ばすような人間なのである。ただし、めっちゃ長い。

あとは「東海道中膝栗毛」。パラパラとめくったら、原文でもギリギリ読めそうな、しかし読むのには時間がかかりそうな、近い時代であるが故の厄介な文体であった。そう、なんでもいいので月に十冊は必ず読むという漠然とした目標など放棄して、精読したほうが良い読書ライフが送れるのだが、手を出すかどうか迷ってしまう。というか、これも含めて、原文で読むか現代語訳で読むかは迷う。なるべく原文に当たりたいのだが、池澤夏樹日本文学全集現代語訳が訳者個性も含めて面白かったのと、意地を張って原文にこだわって、中身を浅くしか読めなかったら嫌なのとで、迷っているのである

好色一代男」「春色梅児誉美」もそのうち。寛大な気分のときになら、色男の生涯につきあってやっても良い。他の近松門左衛門とかも。

あとは、時間をかけて和歌を楽しむ。「万葉集」とか「新々百人一首」とか。

あとは、「御伽草子」とか。「青砥稿花紅彩画」とか。

まとめ

読書ログをたどりなおすと、自分がその時に何を感じていたのかを想起できる。読んだときの喜びも、読んだ当時感じていた閉塞感も、どちらも生々しく想起してしまった。だから卒業したはずの怨念に対して、こんなに愚痴ってしまっている。

同時に、自分感受性ゆっくり時間をかけて変化してきたのもよくわかった。一つの強迫観念に凝り固まっている時には、何を読んでも同じ感想を持ってしまうのだろうけれど、十年かけていろんな本を読んでいくと、自分に起きた変化が見えてくる。これから古典を読み続けるだろうし、さらに十年経ったらどんな感想を持つかが楽しみだ。

そして、自分にどんな変化が起きたか、いつかこれらの本を読み返して、確かめてみたい。

かに、かつて読んだときほど心惹かれなくなってしまうことも多いだろう。現にあらすじを振り返っただけで、「なんでそんなにハマったんだ?」と感じるものあった。これは寂しいことだが、既に興味を失った作品があるということは、自分が変化したこと意味する。むしろ、生きていくにつれて成長していくのなら、興味がなくなる物が出てくるのが当然だ。この寂しさは歓迎すべきものだ。実際に、ある作品に心惹かれていた理由が、既に卒業してしまった不安だとしたら、当の作品が色あせて見えてしまうのも無理はない。個人的な収穫は、叶わぬ恋の歌だけでなく、生きているが故の寂しさを歌った歌に好みが移り変わってきたとわかったことだ。

叶わない片想いをするだけが人生ではない。ただ生きていること、目の前の相手に耳を傾けて敬意を払うこと、それが文学以上に自分幸せにしてくれる。

そして、僕を大切にしてくれる人のことだけを考えて暮らしていきたいのである。これは創作よりも遥かに尊く、最も創造的なことだ。

以上。

秋口、稲穂黄金に輝いていた日

もう何年も何年も前の話だけれど、今なら書ける気がするので書くのに挑戦してみよう。

私は大学在学中に統合失調症発症し、卒業後にいくつも職を転々としてから障害者手帳を取り、その当時は障害者枠で働いていた。

なんとか働いてはいたが、病状は良くなく、いつも幻聴を聞いていた。

その幻聴は主に自死命令するものだった。

それはそれなりにしんどかったが、むしろあいつら(幻聴)の言う通りになんか死んでたまるものかと思っていた。それに闘病に付き合ってくれている家族、そして優しき友人たちのためにも死にたくはないと思っていた。仮に死ぬとしても自らそれを選んだと悟られることだけは絶対に避けねばと思っていた。

そんなことを頭の中で展開しながら働いていたある日、ピッタリとパズルピースがハマってしまった。

この増田が他の人のパズルを完成させてしま可能性を下げるために詳細は書かないが、幻聴命令する方法ではなく、残された人に死を選んだことを悟られずに死ねると思う方法を見つけてしまった。

そこから決行までは早かった。その日は秋口で、夕暮れどきの稲穂黄金に輝き、とても美しく見えたのを覚えている。当たり前だが、遺書は書かなかった。

で、失敗した。

この増田を書いているのだからどうしようもないネタバレなので読み増田においては全く驚きのない展開だろう。そして入院ののち、仕事を辞めることになった。

ここまで読んで、私が何を言いたいのか伝わってこないだろうと思う。だが、言いたいことはたったひとつだ。

「人は精神病死ぬことがある」

これまたなんの驚きもない話だろう。だが、私は確信を持っている。あとに残された優しい人たちはきっと自分を責めてしまうだろうということに。

人が死を選ぶことをそうさせた社会責任だと言う人もいる。もちろんそうした側面が全くないとは言わない。

けれども、私のこの話は社会など全く関係ない。私があの稲穂を見ながら死を選んだのは、純粋精神病のせいだった。

から社会責任だと言って物申した気になっている人には正直腹が立つこともある。それは、残された人を責める言葉からだ。

そうじゃない。もう一度言おう。

「人は精神病死ぬことがある」

もちろん全ての決断精神病によるものだとは言わない。しかし全てが社会のせいでもないのだ。

書けた。

あの稲穂を見ながら感じたこと、私が何を考えながら決断をしたのか、とても複雑で名前もきっとついていない気持ちでいっぱいだったと思うけれど、こうして言葉にして単純化して、私はあの日をようやく過去にできた気がする。

私小説というより社会エッセイっぽくなってしまったけれど、ようやく文章にできた。

ご供養。

2025-01-31

anond:20250130182240

めちゃくちゃ面白い。私も統合失調症の時期があったよ。万能感に、幻聴増田さんには私小説を書いて欲しい。

当事者は脳が萎縮するから文章を書けないという話、わかる。あまりないのか。ほぉー。当事者の詳しい話読めるものは貴重だね。

私は最近読んだ小説 https://amzn.asia/d/gMtETYH これがオススメ。言明してないけど明らかに後半、統合失調症になってる。

なんか統合失調症を扱った小説は、幻覚ちゅうしんな気がするけど、そういうわかりやすいのじゃない、万能感とか奇行とか知りたい。増田さんのような内的な感覚を知りたい。もしおすすめの読み物があれば教えてください。

2025-01-27

anond:20250126205104

40代♀️

図書館で本を読む

 中年期以降の人生に興味があるので、昔の人達がどんな人生送ったか民話みたいな本をよく読んでいる

 

裁判の傍聴

 「誰かを追求する」シーンって普段めったに見られないものから興味深い

 

・ある疾病患者支援団体交流する

 環境問題に関心のある若い人が多い。

 彼らの見識を聞いたり活動を覗いたり、年1くらいで泊まりに行って滞在したりもする。 

 

小説を書く

 半分私小説占い依存症から抜け出して慈善活動に身を捧げた40代女性の手記

 

仕事勉強

 

このぐらいか

2025-01-19

新しいガンダム話題性先行の「大人の人たち」がつくったガンダム 宮崎駿君たちはどう生きるか」のプロデュース方法縮小再生産するやり方

アニメを届ける側が、ネタバレはしないで下さいとお願いしながら劇場アニメを公開するやり方。

これはスタジオジブリ鈴木プロデューサー宮崎駿監督作品君たちはどう生きるか」において実施した方法である

この手法の成否は映画の公開前には、一部疑問視されたものの、結果として「君たちはどう生きるか」は興行的に成功した作品となった。

いや、興行成績それよりも宮崎アニメを心待ちにしていたジブリファン以外の層にも「なにか気になる話題」のひとつとしてリーチして注目を集めることとなったほうが重要であると言える。

すなわちそれは、まさにSNS全盛のこの時代ピタリとハマった戦略であったということだからだ。

今回の、ガンダムはそのやり方の縮小再生産である

「賢い大人たち」がつくったガンダム揶揄したのはそれが理由である

最新のアニメの売り方を学習し、手法化し、再生産した、大人たちの大人たちによるガンダムということだ。

そこにクリエイターへの尊重存在しているのか?

宮崎駿の「君たちはどう生きるか」の場合には、

その方法が単なる商業成功を狙ったものだけではなく、

作品のものがこれまでの宮崎作品とは一線を画しており

宮崎駿私小説的な部分を多分に含んでおり、

また見る人の解釈作品価値を決めるという部分もある作品ということで

そのプロデュース方法作品の内容、作品評価と極めてマッチしていたことに注目しなければならない。

しかし、今回のガンダム場合にはどうなのであろうか?

果たしてクリエイターの作り上げたもの尊重したうえでの今回の宣伝方法だったと言えるのだろうか?

その評価はしばらく待たざるを得ない。

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