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はてなキーワード: 教員とは

2026-01-21

募集

科学史担当教員

時給: 1117円(授業1回あたり100分に発生)

交通費: 往復480円まで実費支給

提出物: 履歴書志望動機書、主要業績3件のコピー各3点(製本のもの

選考: 書類選考の後面接模擬授業を依頼する場合があります

2026-01-20

anond:20260120153741

教員嫌いって言えば、教員って、ペドが多いって印象もってる

子供が好きだから先生になった」って教員本人からいたことあるけど、(この人小児性愛者なんだ)って感想持った

報道される以上に、子供に対する性愛が多いと感じている

2026-01-19

文系大学教員が息をするようにAIの嘘をついている

学術的誠実性」という言葉を,彼らはまるで印籠か何かのように掲げている.

昨今の生成AIの普及に伴い,大学の授業でもシラバスガイダンスで「AI使用に関する規定」が語られるようになった.それ自体結構なことだ.学生思考放棄してChatGPTにレポートを書かせるのを防ぎたいという意図理解できる.

しかし,その「誠実性」を説く教員本人が,技術に対してあまりに不誠実な嘘を,さも真実であるかのように学生に吹き込んでいる現場居合わせると,めまいがしてくる.

今日ライティング講義で,教員ドヤ顔で放った「この授業における生成AI定義」を聞いてほしい.

「この授業で指す生成AIとは,ユーザープロンプトに対して人間と同じようになにかを想定して返答をするようなもので,機械学習されたものではなく,統計的計算されたものを出力するという点で他のAIと異なります

耳を疑った.「機械学習されたものではなく,統計的計算されたもの」とは一体どういう理屈なのか.

現在のLLMは,膨大なテキストデータを「機械学習」させることで,次に来る単語確率分布を「統計的計算」している.機械学習統計的計算対立概念ではなく,包含関係,あるいは手段プロセスの関係にある. それを「他のAIとは異なる」などと独自区分けを行い,「機械学習ではない」と断言してしまうその度胸.

彼の中では「機械学習」とは何か,ロボット物理的に何かを学ぶようなSF的なイメージで止まっているのだろうか.それとも,「統計」という言葉を使えば文系学生を煙に負けるとでも思っているのだろうか.

中身を何も理解していない人間が,権威を纏って「これはこういうものだ」と定義する.これこそが「学術的誠実性」に最も悖る行為ではないのか.

さらに救いがないのは,この技術無理解ベースにしたまま,議論が高度な(と彼らが思っている)社会批評へと接続されていく点だ.

最近では,この間違った前提のまま「ポストモダン」の標的としてAIが語られ始めている. 「AIが出力する『統計的な』正解は,既存の知の構造再生産する装置であり……」云々と,フーコーだかデリダだかの文脈を借りて,AI権力性や構造批判し始めるのだ.

技術的な基礎事実が間違っているのに,その上に乗っかる批評の城だけは立派に(難解な言葉で)組み上げられていく.「機械学習ではない謎の統計装置」という虚構概念に対して,大真面目に構造主義的なメスを入れている姿を見ると.もはや怒りを通り越して逆に感動すら覚える.

彼らは「AIの嘘」を暴いているつもりなのだろうが,その実,彼ら自身が「AIに関する嘘」を再生産する装置になっていることに気づいていない.その解像度の低さで「人間主体性」や「知のあり方」を説教される学生たちの身にもなってほしい.

大学教員が息をするように技術的なデマを流し,それを「人文知」としてパッケージングして売る.これが彼らの言う「学術的誠実性」の正体なのだとしたら,AIハルシネーションの方がよほど可愛げがあるというものだ.

2026-01-18

共通テスト廃止しろ

 日本大学入試において実施されている大学入学共通テストは、もはやその役割を終えており、制度として廃止されるべき段階に来ている。共通テストは「公平性」「客観性」「全国共通学力基準」を掲げて導入されたが、現実にはそれらの理念を十分に達成しているとは言い難く、むしろ高等教育社会全体の発展を阻害する要因となっている。

 第一に、共通テスト大学教育との接続において決定的な欠陥を抱えている。大学本来重視されるべき能力は、知識の暗記や高速処理ではなく、問題発見し、仮説を立て、資料を読み解き、論理的表現する力であるしか共通テストが測定しているのは、限られた時間内で正答を選択する能力が中心であり、大学教育に不可欠な研究的・探究能力とは大きく乖離している。

 第二に、共通テスト大学教育研究リソースを大量に浪費させているという点で、極めて深刻な問題を孕んでいる。多くの大学教員は、本来であれば研究や授業改善学生指導に充てるべき時間と労力を、問題作成、出題検討、採点調整、制度対応といった入試業務に割かれている。特に国立大学を中心に、研究力の低下や教育の質の停滞が指摘される中で、全国規模の統一試験大学教員を動員し続けることは、人的資源の著しい非効率利用である

 大学本来、知の創造と高度人材の育成を担う社会インフラである。にもかかわらず、その中核的リソースが「18歳をふるいにかけるための試験運営」に恒常的に吸い取られている現状は、日本社会全体にとって大きな損失である共通テストは単なる入試制度問題にとどまらず、学術研究の停滞、イノベーションの遅れという形で、長期的な社会的発展を阻害している。

 第三に、共通テスト高校教育をも歪めている。多くの高校現場では、探究学習協働学習よりも、共通テスト対策が優先され、生徒の学びは「出題されるかどうか」に強く規定されている。これは教育目的知的成長から点数獲得へとすり替えられていることを意味し、人材育成という観点からも極めて非生産的である

 第四に、共通テスト受験生に過剰な負担不安を与え、社会コストを増大させている。私立大学専願者であっても共通テスト対策を求められる現状は、受験の複雑化と長期化を招き、家庭の経済力による格差を拡大させている。全国一斉試験であることが、必ずしも公平性保証しないことは明らかである

 さら問題なのは共通テスト大学主体性を弱めている点である本来大学は自らの教育理念人材像に基づいて学生選抜すべきであるしか共通テストへの依存が続く限り、大学入試は画一化され、大学多様性形骸化していく。これは高等教育システム全体の活力を奪う結果につながる。

 全国一律の試験若者序列化し、その結果に社会意味を過度に付与する発想は、もはや現代社会に適合しない。共通テスト廃止は混乱をもたらす改革ではなく、大学研究教育本来の力を取り戻し、高校主体的な学びを回復するための必要条件である画一的選抜制度から脱却し、多様な能力可能性を正当に評価する仕組みへと転換することこそが、日本社会の持続的発展に不可欠なのである

2026-01-17

朗報】仁藤さん、トランス排除する

トランスジェンダーでもダメなんですか?差別するんですか?」と言い返してきました。通りかかった男性教員が「何か変なこと言っていましたか?」と声をかけてきたので、「差別的な発言を繰り返す生徒がいて女子たちが安心して見られない」と伝えて対応してもらいました。すると、一度はいなくなったその生徒がしばらくしてから今度は男子生徒を5人ほど引き連れて会場にやってきました。

入り口女子生徒が入りにくくしたり、欲しいものをもらって出て来る女子生徒を冷やかしたり、「差別差別だ」ということを繰り返しました。

トランス最悪だな

https://x.com/colabo_yumeno/status/1784357665558429714

2026-01-14

いじめ動画拡散するやつは、いじめている奴と同じ

いじめに対しての私怨が強すぎて、メタ認知能力が欠如している感情的な奴が多すぎる。まるでヒステリックを起こしている女と同じだ。

私たち法治国家であるから法の場で決着すべき」と主張すると、矢継ぎ早に「でも法機能してないじゃん」「学校隠蔽するから悪い」「被害者だけ損だ」「加害者制裁が加えられない」という返しを受ける。

いじめ問題我が国にとどまらず、諸外国を含めた重要テーマだ。SNSが発達する前にも、数え切れないほどの児童被害者になっている。それが今、SNSで明るみに出ているにすぎない。

我が国では、体育の授業を含むスポーツができ、ある程度容姿端麗でいることがカーストの頂点に立つ条件になりやすい。つまり加害者側に立つ場合が多い。

中国では家柄や学業ができる人間カーストの頂点に立ち、韓国では財閥に近く、かつ容姿端麗であることがカーストの頂点に立ちやすい。

まりいじめというのは学校という集団の中で閉鎖的に行われているように見えるが、実際は私たち大人が作り出している環境問題根本なのである

いじめはよくない」と言っている私たち大人が、「いじめ」という環境のものを作り、子供たちはただその傀儡として、ほかの児童いじめているに過ぎない。

教育虐待関連の本をあまたと読んだ。

親が子供に異常なほど圧力をかける行為の多くは、「良い大学への入学」「良い会社への就職」に集約される。つまり、これらの過程には異常なまでの勉学の強要がある。

子供によって勉学のペースが違うのは当たり前だが、同調圧力によって、ほとんどの子供は同じように圧力をかければ勉学ができるようになると誤認されている。

この同調圧力被害者もまた親であり、彼ら彼女らも一族という柵にとらわれているのか、あるいはタワマン周辺の競争相手に対してカーストの頂点に立ちたい、もしくは牽制したいのかはわからない。

特に底辺から成り上がった、あるいはそこまで叡智を持ち合わせていない母親などは、感情的になりやすく、かつ勉強の仕方を知らないため、非効率子供圧力をかける害悪になりがちだ。

容姿端麗でうまく生きてきたが学がないまま、スクールカーストのノリで周囲と比較するような人間が、玉の輿結婚した末路である

子供被害者であるが、圧力鍋と同じで、加えられた圧力は逃がさなければ爆発する。例えば、高学歴家庭の子による親の殺人は、数え切れないほどあるだろう。

その矛先が、自分より不出来に見える人間へ向かうのであるしかし親としては、最終的に良い大学就職ができれば、赤の他人の子など究極どうでもいいわけだ。むしろ、タワマンカースト一族内での立ち位置をどうやり過ごすかに全集中してしまい、子の感情など二の次になる。

これが、子供他人の子供をいじめる正体の一つだ。

さて、本例はあくま学歴が高いコミュニティでの話だが、偏差値が低い学校ではどうだろうか。ヤンキー同士の結婚や、DV男との結婚などが該当する。とても残念だが、トンビからタカが生まれ可能性は非常に低い。

IQEQが低い家庭では、残念ながらIQEQの低い子供が生まれやすい。どういうことか。小学校中学校の延長線上で、彼ら彼女らは生き続ける。スクールカースト物事ジャッジする。

まり、「いじめ」を「いじめ」と認識できない子が生まれるということだ。いわゆるグレーゾーンにあたる。彼ら彼女らは、将来的な渇望よりも「今を楽しく生きる」ことに重きを置く。

いじめを行ったことに対するブレーキとなる脳機能が、十分に発達していない。

では、学校はなぜ止めないのか。学校教員の多くも、スクールカーストの中で生きてきた人間だ。民間から教員になるケースもあるが、数多くの教員アカデミック世界だけで生きてきている。

から社会一般で見られる「いじめ」という行為を、「いじめ」と認識できない教員も少なくない。もしくは、過去自分体験を重ね、「これくらい児童間ではあって当然だ」と考えている可能性もある。

ここからが大きな問題である

本来交わることのなかった学歴によるいじめコミュニティと、言葉を選ばずに言えばグレーゾーンにいる子達のコミュニティ。その混合体がインターネットだ。

いじめ問題が勃発したとき、これらの背景が加味されないまま、「いじめ」だの「暴行」といった言葉けが一人歩きする。背景を理解せずに、私刑を加える輩が大半だ。

から各々の発言魑魅魍魎のようになる。

例えば「いじめはいじめられる奴にも問題責任がある」という主張だ。多くの人は「そんなわけない」と主張するが、それは短絡的であるいじめっ子である彼ら彼女らが、そう思考する環境要因があることを鑑みれば、その発想自体理解可能だ。

同調が求められるコミュニティで、同調的でない人間がいれば、「あいつが悪い」になる。そういう世界線で生きてきた人間からすれば、「いじめられる側にも責任がある」と考えるのは自然だ。

しか一般的IQEQにいる人間であれば、一歩踏みとどまれる。「でも暴力同調を求めるのは違う」と。

グレーゾーンに近い人間ほど、時間割引が強く働き、こうした行為ブレーキをかける前頭葉が十分に機能していない可能性が高い。これは「ケーキの切れない非行少年たち」にも類似例が記載されている。

また学のあるコミュニティでは、親が当然のように学のない人間を貶すため、子供たちもそれを模倣する。「学がないやつが悪い」と。

これらは「大人達が子供達をつるし上げ、いじめ動画拡散している行為」と酷似していないだろうか。

正義感に駆られているのかもしれないが、拡散されている子供達も、端から見れば大人達の被害者である。それにもかかわらず、「いじめる奴が悪い」という主張のもと、動画拡散し続ける。

自分たちが、いじめている子供達と同じことをしていると気づかない。そのメタ認知能力の欠如ぶりは、見事と言うほかない。

いじめをなくすのは、いじめている本人達動画拡散し、つるし上げることではない。そんなの魔女裁判と何も変わらない。今すぐ、拡散という行為は慎むべきだ。

法が機能していないと感じるなら、自分たちが政治家になればいい。いじめのない世界を作ろうと、実際に行動している人間もいる。

そうした努力を無碍にする動画拡散行為は、見ていて非常に腹立たしい。

そして、ただ単に加害者排除すればいいわけではない。それは独裁国家と何も変わらない。私たち法治国家であり、そのことに誇りを持つべきだ。

加害者が生きづらいと感じる社会になれば、治安は確実に悪化する。闇バイト反社会的勢力流れる人間が増えるだろう。

私刑は、新たな犯罪を生む。

税金加害者を更生させることに抵抗がある気持ち理解できる。しか皮肉にも、それによって私たち自身が生きやすくなることもまた事実だ。

からこそ、被害者の救済は最優先でありつつも、加害者に更生の道を残すことは、極めて重要なのである

2026-01-13

anond:20260113084852

コメントプラス

注目コメント試し読み

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佐藤優

作家・元外務省主任分析官

2025年10月15日15時31投稿

視点】 この鼎談における加藤陽子氏(東京大学大学院教授)の以下の指摘が鋭いです。

<総裁選出時の「ワーク・ライフバランスを捨てる」発言問題視されましたが、これは軍隊中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれない。>(10月15日「朝日新聞デジタル版)

 中隊長レベルの統率力で国家運営すると大敗します。特に心配なのが外交です。予定通り10月27日にアメリカトランプ大統領訪日することになると、高市早苗自民党総裁首相になるにせよ、現在野党政治家がこのポストにせよ、日本の新首相は準備不足で日米首脳会談に臨むことになります日本外交でかつてなかった危機が目の前に迫っています

 現在自民党執行部は、根拠のない全能感を持っていて、「気合いで外交は何とかなる」と考えているとしか思えません。まさに中隊長レベルの発想です。

まとめ読みができます

#高市政権

531

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小室淑恵

株式会社ワーク・ライフバランス社長

2025年10月16日16時26分 投稿

解説】今回の総裁選、5人全員が公約労働時間の上限緩和を掲げていたこを忘れてはならない。誰がなっても、ワークライフバランスを捨てる路線だった。記事の中で加藤さんが指摘している負けている軍隊の発想だ。個の発想がどう危険なのかを解説しておきたい。

働き方改革が進み過ぎて、労働時間が短くなったことに困っている労働者が多いから、労働時間の上限を緩和しよう、裁量労働制を広げよう」という論調が高まり続けたこの1年だったが、実はそれを吹き飛ばす調査結果が厚労省からだされた。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA0971Z0Z01C25A0000000/?n_cid=SNSTW005#k-think

この記事によると「もっと時間働きたい人」は6%しかいなかった。(そのうち半分は週35時間以下で働いている人が、年収の壁を気にせずにフルで働きたいという話)との結果だ。

 さらに、法定労働時間の月80時間を上回って働きたい人は、「0.1%」しかいなかったという結果なのだ労働時間の上限緩和論は労働者のためでは決して労働者希望なんかではなく、働かせたい側のためだということがクリアになった。

この議論震源地人手不足労働時間増で解決しようとロビイングしている業界団体だ。

しかし、業界団体こそ、労働時間の上限緩和を続けた業界がどうなったのかということを直視しなくてはならない。残業代が支払われず、労働時間が正確に把握されていない教員業界は、過労死がいまだに起きていて、命が失われ、その実態が知れ渡ってきたことにより、学年の初日担任がいないまま始まるクラスが4000クラスもある。教育実習に行って、あまりのひどい働き方を目の当たりにして教員になることをやめる、、という著しい人手不足になっている。霞が関官僚医師も全く同じ理由で、業界ごと選ばれなくなり、自分の首を絞めた形だ。法施行が5年遅れた建設・運輸もだ。

業界未来を心から真剣に思うからこそ、労働時間上限緩和のロビイングはしてはならない。

売り手市場の国で

人手不足解決するために労働時間を延ばせば、人手不足が最も加速する業界になる】ということ。

それを国単位でやろうとしている上限緩和政策は【国ごと選ばれなくなって若者国外流出を加速させる。少子化の影響に加えて青年意思を持って出ていく】という国家没落の結果を生むということだ。

から【ワーク・ライフバランスは捨ててはいけない】。

ワークライフバランスは、人口が減り続けている国の生き残り、再興戦略なのだ

今回の厚労省統計結果では、労働時間を【維持したい・減らしたい人の合計が9割】。どう考えても、こちらに合わせた法改正必要で、しかも急がれる。

そんな中、高知県が、県庁時間外割増賃金率を従来の1.25倍から、1.5倍に変更する宣言9月に行い、それを実現するための条例が、無事に10月議会を通過した。引き上げを条例で定めるのは全国初だ。

高知県では時間外労働を高コストものしたことで、育児介護で短い時間しか働けない人も積極的雇用しようという動きが加速している。高知県では週10時間短く働く人を正職員採用し、ボーナスなども支給対象とすることになった。これを日本全体で実現できたなら、どれほど多くの人の【葛藤】が解決するだろうか。葛藤がなくなれば、どれだけたくさんの夫婦職場での【責め合い】がなくなるだろうか。責め合いがなくなれば、どれだけ多くの子どもたちが笑顔で過ごせるだろうか。

少子化ワースト高知県が、生き残りをかけて勝負に出ているので、ぜひ他の県もあとに続いてほしい。

https://nikkei.com/article/DGKKZO91942870V11C25A0LCC000/

(一部、修正済み)

まとめ読みができます

#高市政権

215

どうせ学生じゃなくなった後は学歴じゃなくて成果で評価されるわけだから特に大学教員になるなら現役で受かる大学に行っとくのが正解なんだよな。たとえfランと呼ばれるところでもね。

だって何を研究たか重要なんでしょ。

でも塾予備校が定めるランクはともかく名門校かどうかとランクは多少相関関係あるだろうからfランはさすがにやばいのかね。名門校じゃないと教授の質が明らかに低いっていうけど。

dorawiiより

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2026-01-10

SNSいじめ動画流出してるけど、ああいうのが流出するとますます教職離れが加速する。

教育困難校に赴任させる場合教員給与は2倍にすべきだな。

いじめSNSでの反応について

いじめがだめだというのは大前提として。

(一旦、いじめ定義は置いておく)

過度にいじめをした人を責めたり、過度に教員を攻めたりする人が見受けられるけど、その熱量文部科学省など決定権のある組織への批判に使えばいいのに、と思ってしまう。

一方で、文部科学省への批判が、どこに、どのように伝えたら効果的か分からないので困る。

いじめ問題ってさ、責任追及してる限りいつまで経っても終わらないよな。

まず大前提な。

人間社会ってある意味不完全なんだからいじめはなくならないんだよ。

なくすなんて無理ってのは、いい加減みんな自覚しようぜ。

しかもさ、現実として教員学校教育委員会も、

いじめいじめと認めると面倒が全部自分のところに来るんだから

そりゃ認めたくないってインセンティブが働くに決まってるだろ。

この前も聞いたけど、

いじめが発生しました記録はどこにもありません」みたいなケース、

あるあるだろ?

記録を残すことで責任追及が始まるって分かってるんだから

だって隠すよ。

から俺は何十年も言い続けてるけど、

責任追及!謝罪処分!みたいなのやってる限り、

いじめはなくならないと思う。

しろさ、

いじめが見つかった分だけ

いじめ問題に向き合えてる社会」って見方をするべきなんだよ。

見つけたら責められる、記録されたら叩かれる、って流れがあるから

誰も表に出してこないだけだろ。

それに、ネット炎上するような話になると

やたら「いじめは許されない!」って叫ぶやつが出てくるけど、

そのほとんどがいじめを減らしたいんじゃなくて、

いじめたやつを吊るし上げたいだけだろ?

実際問題、見つけたら責められて終わり、

という空気あるじゃん

そりゃ学校教師も隠すよ。

自分立場が危うくなるだけなんだから

大人になっても

いまだにいじめ反省もせずに

他人いじめだけ叩いてるやつってさ、

正直、自分過去に向き合ってないだけじゃん。

いじめを減らしたいなら、

責任追及ばっかりやめて、

向き合うことを評価する社会に変えないとダメだと思うわ。

でも無理だろ?

お前らがやりたいのは

いじめを減らすことじゃなくて

いじめたやつを叩くことだけなんだから

それやってる限り、いじめは消えないよ。

高卒失格の高卒大卒無限に生み出されている

つらつら書いてたらなんか長くなっちゃったのでもう要約を先に置いておく。無責任な長文を読んでやろうという物好きだけ本文読んでね。


ここから本文。

某元小学生配信者が高卒認定試験合格したというニュースが1年ほど前にあったが、実際に高卒認定試験問題を閲覧したことがある人がどれだけいるだろうか。

というわけでこちらに貼ってみるので暇な人は見てみて欲しい。

https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00017.htm

「これで高卒って言えんの?超簡単じゃん」

「今解けって言われたら流石にきついけど、高校時代なら多分余裕」

と思った人は多いことだろう。

(これは「ここでわざわざ問題に目を通すほど教育というものに関心がある人間であれば、その多くはそれなりの学力があるのではないか」という自分勝手思い込みに基づく予想である)

一般的大学入試問題比較すればずいぶん優しい問題であるしかもこの問題合格ラインは概ね4割ほどとのことであるから驚きだ。

俗にBFと呼ばれるラインではない大学一般入試で入った人間なら、(高校在学時であれば)余裕で解けるはずだ。

一見して、こんなもの高卒資格相当と認定する試験でいいの?と思うかもしれない。

ただし、この試験高校の必修科目=概ね高校1年生でやる科目について合格相当であれば高卒と同等と看做せる、という考え方に基づいて作られている。

要は「高卒」と言いつつも、実際は高校1年生であれば無理なく解ける内容が出てくるわけだ。16歳が合格できるのも不自然ではない。

また、一般的高校であれば赤点ボーダーは概ね3〜4割であるのだから、それと照らして考えると低いように見える合格ラインも案外妥当と言えるだろう。

ここまでが前置き(長いね)。

自分底辺高校教員の端くれだが、例のニュースを読んで高卒認定試験問題を初めて見た時、素直な感想として「こんなもんうちの生徒に解けっこねえよ」と思ってしまった。

自分の目算では、今年卒業を控える3年生にやらせたら少なくとも半数、下手すれば7割は不合格になると見ている。

自分の勤務校で抱えているのは、レ点も分からず、ルート因数分解も分からず、一般動詞疑問文も作れず下手すりゃ正負の数の理解も怪しい、そういう生徒たちである

そのような生徒たちを、とりあえず座っとけばいい授業、その場しのぎで点を取ることしか意識しないテスト指導、超簡単テスト、甘い採点などなどの「現場努力」によって「高卒」に仕立て上げているのだ。

さらにその中には校内だけの甘い基準で無価値な高評定を取り、それを担保指定校だの総合型だので学力試験を経由せず大学入学し、結果「大卒」「院卒」にまでなる生徒たちもいるのだ。

そんでもって生徒たちや保護者たちは「なんとか高校ぐらいは卒業したい」「大学には行かせておきたい」と口々に言うわけだ。

客観的に見て高卒大卒になるべきでない能力であっても、「してしまえる」ならばさせるしかない。概ね学問を教えているとは言えないようなやり方でも。

ごくせん」でヤンクミがまともに授業聞いてない生徒たちに対してなんか雑に授業してるシーンがたまに挟まってたでしょ?あーいうの。

そいつらにちゃん高卒学力つけさせるのが先生仕事だろって?時間があるならそうするけれど、そんな時間はないよ。

これは教員側の勤務時間もだし、学校の開校時間もだし、生徒側が学校勉強に集中していられる時間も、自宅で勉強に取り組もうとする時間も、全部足りない。

小中9年間の勉強が身に付いてないのを高校3年間だけで取り返しつつさら高校勉強までまともに教えろと。無茶をおっしゃる

当然、これは自分の勤務校だけの問題ではない。

1校1校実際に確かめたわけではないが、自分の勤務校がこの為体なのであれば、同じ学力帯あるいはさらにそれ以下の学力帯の学校でなら、当然それと同等かもっと凄まじい「現場努力」をして卒業生を輩出しているはずである

それも踏まえると日本全国全ての高校生の中で、ざっくり2〜3割ほどはこの「高卒試験に受からない高卒」なのではないか自分は考えている。

最近入学試験学力問わない定時制とか通信制とかもりもり増えてるからもっといかもね。

あとこれは責任押し付けになって申し訳ないが、そもそも指定校の枠を投げてくる大学側にも問題はあるだろう。

このレベル帯の高校生がそんなに出来るやつらだと思っているのか?うちの評定4.0とそれより偏差値1020も高い高校の評定4.0が等価だとでも思っているのか?

そんな奴らを入学させて高等教育の質を担保できると思っているのか?散々ニュースになっているように小中高校勉強のやり直しに終始する羽目になるのではないか高校でできていないことが大学でできるわけがあるまいよ。

そこまでしないといけないほど学生が入ってこないぐらい困窮しているのか?(多分しているのだろうが)

高校からしたら「あなたは推薦基準を満たしているけど大学に行くのに相応しい学力を持っていないのは明白なので指定校あげません」なんて言うわけにはいかないので、生徒に希望されたら素行等に問題がないのであればどれだけ学力的に問題があろうとも推薦を出さざるを得ないのだ。この矛盾に頭を抱えている高校教員はさぞ多いことだろう。

そんな現状を見て、ふと思いついたことがある。

日本全国の高校で一律で、高卒認定試験合格することを卒業要件に追加したらどうなるのだろうか。

とりあえず先に挙げた2〜3割は高卒になれずに留年するか中退し、中卒者が社会に爆増することになるだろう。

しかし、世間では「大卒や院卒にやらせ必要のないような肉体労働単純労働を、世間無駄に溢れる大卒や院卒にやらせている」みたいな話は山ほど聞く時代だ。

それを中卒にやらせたところで案外問題はないかもしれない。もともと本来高卒以上になるべきじゃなかった人間たちが、あるべきところであるべき仕事に就くだけだろう。

指定校に関する問題解決だ。

多少難がある生徒でも、高卒認定試験合格済みであればまだ大学に送り出す気になる。学力をつけさせる動機にもなるし、ダメだった時に諦めさせるのも簡単だ。

学力以外の要素を推薦で売りにしていた高校大学にも少なからず影響がありそうだ。

(なおここでの考察では、○○があるから特例で卒業できる!みたいな例外は一切設けないものとする)

例えばスポーツしか取り柄のないような生徒は、高卒認定試験に受から高校卒業を断念することになる。

しかし、「甲子園優勝○○高校出身ドラ1!」みたいなのが仮に高校卒業できなくても「甲子園優勝○○高校中退ドラ1!」になるだけでそこまで箔に差は生じないのかもしれない。

それこそ元々勉強で戦ってないんだから高卒資格なんてなくても十分やっていけるはずだ。今までと変わらず球界を沸かせてくれるだろう。

箱根駅伝など大学ブランドを重視している分野はどうだろう。参加校にBF大学名前はちらほら見るし、そうでない大学学力試験を経由せずにスカウト推薦入学していることはあるだろうだから、仮に高卒認定試験義務化されていたら箱根路を走る資格剥奪される層は一定数いるだろう。

まあ大学生として走るなら大学生名乗る最低限の学力くらい持っておけというのはあまりにも当たり前の話だから特に問題はないな。

大学駅伝は胸を張って自分大学生だと主張できる者たちが戦うための場ではないか

そして、自分の勤務校や同レベル帯の高校存在意義消滅する。高卒認定試験突破できない地頭の生徒しか入学できない高校価値はなくなるからだ。

おそらく廃校になるか高偏差値校に吸収されることだろう。高校教員が足りない足りないと言われて久しかったのが一転教員数が過剰になる。余剰人員を適切に再配置すれば、国が推進する少人数指導TTのきめ細やかな指導とやらも少なくとも今よりは余裕持ってやれるようになるだろう。

国が本当に適切に再配置なんてしてくれるのかって?そもそもこの話はただの妄想なのでノーコメントだ。

好き放題言うだけ言ってみたが、もちろんこんなことが実現するわけがない。

テスト実施コスト世間の反発、学校現場に与える負の影響(変化を拒むという意味含めて)の大きさ、どれをとっても今の日本で許容できるはずがない。

もちろん自分も許容しない。

私自身や家族、他の教員たちにも生活がかかっているのだから学校業務に貢献して給料が貰えるように、粛々と現状の業務遂行するしかないのである

よく教員学問に対して真摯でないと言われることがあるが、それの多くが「本当は真摯にやりたくても、見て見ぬふりをしている」という状況であるのはどうか理解していただきたい。

この投稿はそんな、大した影響力も持たない底辺教員愚痴である

anond:20260110141531

政治参画じゃね?ここで言う政治ってのは学内のね

大抵の先進国だと学校運営者、教員、生徒、保護者第三者を交えた運営委員会がこうしたトラブル捜査裁定を行う

(アメリカは校内に独立した法執行機関があったりするけど、これは珍しいパターン)

別に何かを決める訳じゃないから船頭は多くていいし、これだけいて何かを握りつぶすことは稀

まずこれ。全部を教師教育委員会が独占する体制改革する

2026-01-09

本物の絵画を見る価値ってなに?

フェルメール真珠の耳飾りの少女来日が発表された。オランダに行くより大阪行く方が現実的なので見に行きたい気持ちがある。

しかしここで「ホンモノを見に行く価値ってなんぞや?」と思ってしまう。

私は大塚国際美術館が好きで何度も訪れている。実物大で見れて、筆致の凹凸が分かり、1点1点じっくり見ることができてとても好き。しか作品が山ほどある。

それに比べてホンモノは、人が多く、たくさん待って、一瞬見て、終わり?

それって見る価値あるのか?鑑賞したと言えるのか?「ホンモノ見たよ!」という満足感が大事なのか?などと考えてしまう。

「やっぱりホンモノはいいな〜」

となる感性自分には無い気がする。

行ってみて、「鑑賞の環境がよくない。これなら大塚国際美術館行った方がいい!」ってなってしまいそう。

さら恐ろしいことに、私は美術教員なんです。美術史におけるフェルメール重要性は、知識として理解してるのに、この体たらく。情けない。

教員としてはやっぱり、「ホンモノいいよ!みんなもホンモノ見るといいよ!」って生徒に言いたい。

たくさん絵画を見てるみなさん、やっぱりホンモノって違いますか?

2026-01-08

anond:20260108152346

教員イジメの発端になっていたり、教員も一緒になってイジメをしていたり、そもそも教員イジメっ子の成れの果てであったりする

2026-01-07

かけ算の順序とかいうやつ

かけ算の順序が逆だと不正解なのか云々という話題炎上を定期的に目にするので、なんとなく感想を残しておく。内容的には既出かもしれない。

かけ算順序に肯定的教員の多くは「小学校では結果より過程重要」という話をする。この主張は、状況説明としては適切だが、かけ算順序を肯定するための理由付けとしては弱い。理由として挙げるならば「理解たか否かを判別するために、過程の適切さを重視している」とする方が適切だ。そして、さらに踏み込んで説明するならば「過程定型に沿っているか否か以外で理解度を評価できるだけのリソース小学校には無い」となるだろう。

例えば、「部屋に箱が3箱あります。1つの箱にはりんごが4個入っていますりんごの数は全部でいくつでしょう?」という問題があるとする。答えは12個だ。ここで、途中式が4×3=12は正解だが、3×4=12不正解、という採点を小学校教員がしたとする。おそらく「いやいや、順序が逆なだけで不正解はないだろう」という批判がくるだろう。では、これが3+3+3+3=12とか、2×6=12とか、14-2=12とか書いてあるとどうだろう? 正解にするか否かはともかくとして、ここまでくれば「計算結果はあってるけど、問題文は理解できているのか?」と疑ってしま気持ち理解してもらえると思う。小学校教員は、この感覚をかけ算の順序に、さらに言えば文章問題以外にも適応している。

もちろん、先程のような途中式だったとしても、解き方が独特なだけで問題文も数式も理解できているという可能性はある。しかし、少なくとも大半の公立小学校においては「理解した上で他人とは異なる解き方をしている児童」より「理解していないので他人とは異なる解き方になっている児童」の方が圧倒的に多数派である。だからこそ、かけ算の順序が逆になっている解答を見た時は「3×4=12数学的に正しいか」ではなく、「その児童はなぜ3×4=12と書いたのか(なぜ教えた方法と違う解き方を選んだのか)」を考えなければならない。もし、文章中に並んでいる数字を何も考えずに並べただけの場合は「問題理解できていない」のだから、正解にするのはまずい。偶然正しい結果を導き出してしまった状態を正答として評価してしまうと、結果が不適当だった場合過程を見直そうとする意識が失われてしまうからだ。偶然の正答を許容し続けると、適切な結果が得られなかった要因を、適正の有無・状況の違い・運の悪さ等々に見出し、「よくわからないが今回は仕方がなかった」と判断するようになりかねない……というのが、おそらく多くの教員が考えていることだろう。

これに対し「だったら理解してなきゃ正解が出せないような問題にすればいいだろ」と言う人がいるかもしれない。それは正しい指摘だし、中学校以降の数学問題一定数はそういう風にできている。だが、理解していなければ正答できない問題は、丸暗記で問題に挑む人を篩い落とせるだけの情報量・複雑さが必要になる。算数範囲でこれらを実現するのは難しいし、仮に実現できたとして、中学入試みたいな問題ばかりテストに出ればモチベーションを失う児童が多発してしまう。

そうなると「理解している児童モチベーション犠牲にしていいのか?」とか「授業通りの解き方だから理解しているとは限らないのでは?」という点が問題になる。これも正しい。そして、児童全員の理解度を正確に把握することが目的ならば、最適解は「児童一人一人と対話しながら個別確認する」になる。だが、各学習過程ごとに詳細な個人面談実施できるだけのリソースなど小学校教員には無い。リソースが不足している以上、賢い一部の児童を切り捨ててでも、指導法多数派に合わせるしかない。それが現状だろう。だからこそ、小学校テストは「定型に沿った理解をしているか確認」以上の意味はなく、学力の優劣判定に適応すべきではないと思うのだが、能力相対的評価提示に対する需要が無くならない限り難しいのだと思う。このあたりは多分、どうしようもない。

2026-01-05

おれのイージー人生

おれは、首都圏ではない大都市圏から電車で30分くらいの距離にある、県庁所在地でも中核市でもない普通の市で、しがない公務員をやっている

今の環境だと、周りのほとんどの人間自分より能力が低いので、全くがんばらなくても楽に生きられる

思えば、ここまでの人生特に苦労したことがないイージーモードだった

うちの市は、人口が減っていないが増えてもいない、高齢化が進んでどこ行っても年寄りだらけ、そういうところだ

産業としては二次産業が中心で、大企業工場がわりとたくさん立地している

そこで働く多くの人が兼業コメ農家で、代々の農地かいうくだらない負債を大切にして、貴重な休日無駄にしている

また、それらの工場で働く外国人労働者が、人口が減るのを補っている

そういうところだ

おれは生まれからずっと、ここに住んでいる

両親は教員をしていて、田舎ではインテリ層だった

そのおかげというかなんというか、ずっと周囲より成績は良かった

小中は普通地元公立

当然のように優等生で、何をやっても学年トップだった

高校は、もっと上を目指せると言われたが、特にそんな気持ちもなかったので、市内の普通公立に進んだ

そこでもやっぱり成績はずば抜けて良かった

同級生の半分以上が就職するような高校だったけど、普通県内国立大学に進学した

やっぱりその時も、さらに上を目指す気はまるで無かった

大学でも成績は優秀だった

そこそこ勉強して、たくさん遊んだ

とても可愛い女の子出会い、お付き合いした

そして、普通就職活動して、普通地元の市で公務員になって、普通大学の時のとても可愛い彼女結婚して、普通子どもが生まれて、普通に家を建てて、普通生活している

稼ぎは多くはないが生活に困るほどでもないし、残業もそんなにないので普通ワークライフバランスは良好だ

普通に妻も子どもたちも可愛くて、普通幸せな日々を送っている

どこかで自分は優秀なんだと勘違いして、都市部進学校に行ったり、一流大学入ったり、一流企業就職したりすると、自分より優秀な人間に囲まれ挫折を味わったんだと思う

でもおれは、一切そういう勝負をしないで、安全絶対勝てる世界で生きてきた

おかげでここまで本当にイージー人生だった

問題子どもたちだ

おれと同じ地元の小中学校に通い、やはりおれと同じように成績は群を抜いて良い

ただ、おれの時と違い、少子化のため学区が広がって、進学先の選択肢が増えてしまっている

県内屈指の進学校視野に入ってしまっているのだ

そこは人口も多い中核市にある高校で、県内から優秀な子が集まってくる

そんなところに行けば、きっと無双はできない

おれはずっとイージーモードでザコ相手におれつえーしかしてこなかったから、そういう環境切磋琢磨する感覚がわからない

しろそんなところに行くよりザコの中で偉そうにしてる方が楽しいと思ってしま

でも子どもはそこに挑戦したいという

おれとしては、普通にやれば難なく勝てる環境で、楽してヌルヌル生きていってほしいのだが、子どもの挑戦したいという気持ちも止められない

自分がイージーに生きてきたから、あまりいいアドバイスもできない

2026-01-04

科学史界隈の謎

もともと人文系科学史をやっていて大学教員になっている奴が高校2年程度の数学問題も実は解けないのはいったいなんなんだ

2026-01-03

駅伝がつまらない

正月になると、三ヶ日ニューイヤー駅伝に始まり、そのまま箱根駅伝が延々とテレビから流れてくる。

個人的には、あれが本当に退屈で仕方がない。

駅伝という競技自体、背景の景色が変わる以外に画面上の変化がほとんどなく、長時間生中継に向いているとは思えない。しか年始でただでさえ混む道路を封鎖してまでやるものなのか、毎年疑問に思う。

特に箱根駅伝は、関東大学しか出てこない時点で「全国的イベント」顔をしているのが違和感だ。全国大会である出雲駅伝全日本大学駅伝神宮)が、なぜ正月の主役になれないのか。結局、東京中心主義テレビ局の都合なのだろう。

増田出身大学箱根駅伝に出ていたが、在学中、スポーツ推薦で入ってきた学生の中には、漢字もまともに読めず、レポートに「〇〇部所属です」とだけ書いて単位懇願し、教員から苦言を呈されていた人もいたという。もちろん全員がそうではないだろうが、そういう現実を知っていると、彼らを「感動の主役」としてテレビで消費することに素直に乗れない。

それなら、駅伝宣伝に使うより学費を下げるとか、研究費を増やすとか、大学として他にやることがあるのではないかと思ってしまう。

正月テレビも、駅伝一色にするくらいなら、昔のドラマ再放送映画を流してくれた方がまだありがたい。

駅伝正月国民イベントにしていいものなのか。

anond:20260103124233

でもそれができるように教員の数を増やすとかしようとしたら身を切る改革とか公務員が多すぎるとかで叩かれるんですよねわかります

anond:20260103124233

ほんとそれ

今まさに目の当たりにしてて危機感もってる

公立に金かけて教員やすなりして対応すべきところを、外出しにしようとしてる。できるかどうかも地域によるだろう。

部活動経験として大きい。これがなくなると家庭による経験格差はえらいことになるよ…

(みんな部活やれってことじゃない。境遇にかかわらずでれる仕組み)

2025-12-31

偏差値の低い私立中学校に入るメリットはあるのか?

 twitter(X)ではSAPIXから私立中学校に入ってその後が云々みたいなツイートがよくバズっていますが、その際に言及されるのは御三家といった一流私立中学です。

しか日能研偏差値30-40くらいの誰も名前も知らないような私立中学について触れられることはあまりありません。

ではそのような所に進学するメリットデメリットは何でしょうか?実体験を元に書いていこうと思います

*筆者は2015年入学して21年に卒業しております

メリット

1.高校受験回避andモラトリアムには最適

 私立中学はほとんどが中高一貫であり、エスカレーター式で高校へ進学できます。要は高校受験に向けて必死勉強する必要はなく、内申点についても考えなくていいわけですから教員の顔色を伺いながら生活する必要もないわけです。

これは私のような目立たない無気力人間からしたら非常にありがたかったですし、もしも公立中学校に進んで高校受験をしていたらその時点でドロップアウトしていた可能性が非常に高いです。

2.施設が充実している

 私立偏差値に関わらず施設が充実しているところがほとんどです。公立にはないような充実した施設で伸び伸びした学校生活を送れます

デメリット

1.カリキュラム公立中学校と変わらないか少し早いくら

 中高一貫校のカリキュラムといえば公立より早く進み、大学受験に有利になるように組まれていると皆さん思っているでしょう。しか偏差値の低い中学そもそも中学受験でやった勉強の基礎が身についていない前提で

授業をするので結局公立と同じペースで学習することになります

2.生徒の質が低いので授業によっては荒れる。

 偏差値の低い私立中に通う最大のデメリットはこれですね。公立より高い質の授業を受けるために高い学費を払うわけですが、残念ながら民度学費ではなく偏差値で決まります

自分学校には授業中頻繁に立ち歩いたり、授業妨害レベルでずっと騒ぐ人がいました。しかもそういう人たちはいわゆる発達系の自分コントロールするのが難しいタイプではなく、バリバリ運動部人間で、舐めた態度をとっても大丈夫教員

選んで授業妨害をしているわけです。最近底辺層無気力化が起こっているようで、もしかたらこのようなことは徐々になくなっていくかもしれません。

ただ誤解しないでほしいのは先生の質や授業そのものの質はそこまで悪くないです。しかし生徒の妨害によりその恩恵を受けられないことが多々発生します。

3.高校受験が無いため怠ける

 中高一貫高校受験がないので、部活余暇活動勢力を出し、そちらで結果を残せるのではと考える人もいるでしょう。しかし実際はスマホに明け暮れて怠ける人がほとんどです。

あと学業面であまり競争が発生しないせいか、親に買ってもらったものマウントを取り合っている集団もいました。

また定期テストでは点数が取れるもの模試の結果は悲惨もので、偏差値40台がボリュームゾーンでした。

4. 進学先はかなり格差がある。

 大学受験を見据えて、中高一貫校に通わせたいと考える人は多いと思います。実際の進学の傾向は以下の通りです。

まず、難関大学合格できるのは、学年でも上位5%前後に限られますそもそも推薦入試希望する生徒が多く、一般受験で挑むのは学年の半数程度というケースも珍しくありません。

中高一貫校に行ったのだから、最低でもMARCH」という期待を抱く人もいるかもしれませんが、現実には、一般受験では日東駒専レベルでも合否が不安定な生徒が少なから存在します。

一方で、中堅大学指定校推薦枠は比較的多く用意されています。そのため、指定校の中から無難な進学先を選ぶ生徒が多いのも事実です。具体的には、和光大学玉川大学といった、学費がやや高めの中堅大学へ進学するケースが目立ちました。

さらに下位層になると、専門学校へ進学する生徒もいます。彼らを見ていると、極端に成績が悪かったわけではなく、入学当初からなんとなく6年間を過ごし、高校3年生になって「とりあえず行けるところ」を選んだ結果、そうした進路に落ち着いたという印象です。

要するに、中学受験と同じ轍を踏んでしまっている人が多いとも言えます中学受験では努力したもの調子が振るわず不本意入学となった人を除き、日常的に勉強する習慣が身についていない生徒が多く、

上位大学を目指すにはどこかの段階で本人が意識を大きく変える必要がありますしかし、その意識改革を実際に成し遂げられる人は少数です。

 その他、学校の評判に関しては意外と保護者からはいい傾向にあります。それは保護者自身が実際通ったわけではないのと、仮に子ども学校生活に対して不満を抱いていたとしても、それをそのまま認めてしまうと、これまで支払ってきた学費が「無駄だった」と認めることにもなりかねません。

そのため、無意識のうちに学校肯定的評価せざるを得ないのではないか個人的には考えてます

 ざっとこんな感じですが、言いたいことを短くまとめると

モラトリアムとして、または高校受験をしたら間違いなくドロップアウトする人のセーフティネットとして、なら行く価値はあるでしょう。しかし生徒の質や進学先には期待できない。といった感じです。

2025-12-28

次は何を失ってやろうか

失われた30年

中流社会を支える諸制度ビジョンなく骨抜きにして、構造的な弱体化を達成したね

産業界しかり、学術しかり。

そしてついにインフラ医療制度の順番になってきたわけだ

我々は何を失おうとしているのか

お金がないのは事実なので、その少ないお金を何にどうやってつかうのか

どこを節約してどこはケチらないでおくのか

教員待遇改善しないのはなぜだ?

縮退する社会に単純に悲観的になるのはただただ愚かだ

したたかに、生き残るための引き算を考えなくては…。

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