はてなキーワード: 同性カップルとは
クィアのメディア批評には、どのような表象が生まれても最終的な批判の矛先が「シスヘテロ的欲望」に向けられるシスヘテロの悪魔化が定着しつつある。
問題の核心は、「性的すぎる」批判と「性的でなさすぎる」批判が、まったく逆の現象を対象にしながら、同一の犯人(シスヘテロ的まなざし)を指名する点にある。
アブデラティフ・ケシシュ監督の本作(2013)は、カンヌでパルム・ドールを受賞した一方で、レズビアンコミュニティから激しい批判を受けた。主な論点は、約10分に及ぶ性描写シーンが「実際のレズビアンの経験というより、ヘテロ男性のポルノグラフィー的ファンタジーに近い」というものであり 、監督の男性的なまなざしがレズビアンの身体を対象化・フェチ化しているという指摘だった。
原作コミックの作者であるジュル・マロ自身も、その性描写を「滑稽で過度」と批判した。これは正当な批評である。しかし注目すべきは、批判の着地点が常に「男性視線がレズビアニズムを搾取した」という一点に収束し、その他の解釈——たとえば監督の美学的選択、フランス映画の身体表現の伝統、あるいは原作との差異——がほとんど議論されないことだ。
一方、2018年のハリウッドメジャー初のゲイ主人公ティーン映画『Love, Simon』は、性描写をほぼ排除し、恋愛とカミングアウトの感情的側面を中心に据えた。だがこれもまた批判された——今度は「ストレートに受け入れやすくするため、クィアのセクシュアリティを無害化・消毒している」という理由で。
批評家のジェイコブ・トビアは、「男性的なゲイ男性は魅力的な主人公になれるが、フェミニン・ジェンダーノンコンフォーミングなゲイ男性はコメディリリーフに追いやられる」と指摘した。『Love, Simon』が「ホモノーマティビティ(heteronormative assumptions を内面化したゲイ規範性)」を再生産しているという分析は学術的にも支持されている 。しかしここでも「ストレートへの媚び」という説明図式が優先される。
| 表象の特徴 | 批判の内容 | 帰責先 |
|---|---|---|
| 性描写が露骨・長い | 男性の視線でレズビアンをフェチ化 | シスヘテロ男性の欲望 |
| 性描写がない・少ない | クィアのセクシュアリティを脱性化し、ストレート視聴者に媚びる | シスヘテロ社会への同化欲求 |
| 同性カップルを登場させる | 「キスがあるだけ」では不十分、中心的物語として描くべき | シスヘテロ的周縁化 |
この表が示すのは、結論(シスヘテロが悪い)が先にあり、証拠(表象の内容)が後から当てはめられるという推論の倒置だ。「非反証可能な命題」であり、いかなる反例も体制側の隠蔽として吸収できてしまう。
ハリウッドがクィアカップルを描く際の「ハードル上昇」も同様の論理で動いている。米ハリウッド系ケーブル局 Hallmark Channel は2019年、同性カップルのキスシーンを含む広告を一時撤回して批判を受けた。その後方針を転換し同性カップルを番組に登場させたが、今度は「単に登場させるだけでは足りない、物語の主軸として描くべきだ」という要求が生まれた。
注目すべきは、批判の基準が常に現状より一段上に設定され、達成されるたびに次の「不十分さ」が告発されるという無限後退の構造だ。この構造のもとでは、どれほど努力したコンテンツも必ず「ストレートの論理に回収されている」と断罪される余地が生まれる。このお決まりの展開が繰り返されたことに、クィアへの加害欲求など持たないのに敵視され続けたストレートたちは疲れ切っている。
クィアからの要求が累積・エスカレーションするにつれ、シスヘテロ側からの反発もまた組織化・激化してきた。重要なのはこの反発が均質ではなく、正当な批評的懸念・疲労感・政治的操作・むき出しの差別が入り混じった複合体であるという点だ。
最も象徴的な事例がDisneyとスター・ウォーズ・フランチャイズをめぐる論争だ。Disney+ の The Acolyte(2024)はレズビアン監督レスリー・ヘドランドによるスター・ウォーズ初の女性クリエイター主導作品だったが、低視聴率を理由にキャンセルされ、イーロン・マスクは「Go Woke, Go Broke(ウォークになれば潰れる)」と投稿して祝意を示した 。保守派ファン層から「LGBTQアジェンダを押しつけている」という批判が噴出し、あるアンケートでは米国人の52%超が「Disneyはファミリー向けエンタメへのLGBTQ+促進をやめるべきだ」と回答したとも報告されている。
2023年のバドライト=ディラン・マルバニー事件は、二重拘束の地獄を如実に示した事件だ。トランス女性インフルエンサーとのスポンサー契約への保守派ボイコットで、ABインベフの米国売上は10%超下落し、バドライトは20年以上守ってきた「米国最多販売ビール」の座を失った。Kid Rockはバドライトの箱を銃で撃つ動画を投稿し、フロリダ州知事ロン・デサンティスも公式批判した。
同時に、LGBTQ+コミュニティからもバドライトは批判された。今度は「マルバニーへの支持が不十分だった」「声明が曖昧」という理由で。企業がトランスインクルージョンに動けば保守派が離れ、クィア側は生ぬるいと批判する。ブランドは文字通り、どちらに動いても批判される二重拘束に陥った。
問題は、「同性愛の存在そのものへの(宗教的・生理的な)否定」という差別と、「政治的意図が作品の完成度を損なっている」という批判、「クィアをどう表現してもLGBTQ+コミュニティから"まだ足りない"と批判される」という消耗感、クィア側の言説がこの三類型を区別せず、すべてを「シスヘテロ的抑圧」として均質化する傾向があることだ。差別と、正当な美学的批評と、「要求の際限ない上昇に疲れた」という感覚をひとまとめにすることで、本来なら対話可能だった穏健層は「敵」に分類されてしまう。
要求がエスカレートし続け、かつどのような表象も必ず「不十分」か「間違っている」と判定される構造が固定化すると、実際に損するのはクィア当事者自身だ。
「シスヘテロが悪い」という枠組みへの依存は、結果としてクィア表象の場そのものを消耗させるリスクを持っている。DEIへの政治的逆風が強まる中、広告主はLGBTQ+メディアから撤退し始めており、「ゴールドラッシュは終わった」と編集者たちは述べている。この撤退が差別によるものか、要求の非現実的なエスカレーションへの疲労によるものか──個人的には後者の色が濃く──クィアは無駄に敵を増やす愚行で自滅したと私は感じている。そして確信しているのは、今後どれだけLGBTQ+メディアやコミュニティへの逆風が強まろうと、クィアが自分たちのやり方(シスヘテロの悪魔化、ダブルバインド、エスカレーション)が間違っていたのではないか、度が過ぎていたのでは、と反省する可能性は『ゼロ』だということである。悪いのは100%、"悪魔のようなシスヘテロのヘイターども"に決まっているのである。
戦略的共感と認知的安全保障:反発を招かない政治的批判のための包括的枠組み
現代の政治空間は、政策の不一致(イデオロギー的二極化)以上に、対立グループに対する嫌悪や恐怖といった感情的拒絶反応(情動的二極化)によって支配されている。この環境下において、伝統的な「批判」の手法――事実の提示、道徳的糾弾、論理的論破――は、その機能不全を露呈しているだけでなく、逆効果をもたらしていることが多くの実証研究によって明らかになっている。批判対象者の信念を強化してしまう「バックファイア効果(Backfire Effect)」や、批判者を存立危機的脅威とみなす「アイデンティティ防衛機制」が作動するためである。
本報告書は、心理学、認知科学、政治社会学の最新知見に基づき、政治的対立者に対して反発(バックラッシュ)を招かずに影響力を行使するための戦略的枠組みを提示するものである。ここで目指すのは、単なる「中道的な妥協」や「礼儀正しさ」の推奨ではない。人間の認知アーキテクチャの脆弱性と特性をハッキングし、相手の道徳的・感情的防御壁を迂回してメッセージを届けるための、エンジニアリングされたコミュニケーションプロトコルである。
報告書は大きく三つのフェーズで構成される。第一に、なぜ従来の批判が失敗するのかを脳科学的・心理学的メカニズムから解明する理論編。第二に、その防御壁を突破するための具体的な対話技法(ディープ・キャンバス、ストリート・エピステモロジー、NVC)を体系化した実践編。そして第三に、これらの技法を個人のスキルから社会運動へとスケールさせるための組織論と普及戦略である。
効果的な批判戦略を設計するためには、まず人間の心がどのように政治的情報を処理し、拒絶するかというメカニズムを理解しなければならない。政治的信念は単なる情報の集合体ではなく、個人のアイデンティティや所属集団への忠誠心と融合した「拡張された自己」の一部として機能している。
近年の政治心理学における最も重要な発見の一つは、情動的二極化(Affective Polarization)の実態解明である。これは、対立する政治グループのメンバーに対して「好きか嫌いか」という感情的温度差が極端に開く現象を指す。研究によれば、情動的二極化は対人関係の悪化だけでなく、個人の心理的幸福感(ウェルビーイング)の低下、社会的支援の減少、ストレスの増大といった「個人内損害(Intrapersonal Harm)」をも引き起こすことが示唆されている。特に、リベラル層において高い情動的二極化とストレス、健康悪化の相関が見られることは、政治的怒りが批判者自身をも蝕むことを示している。
この情動的二極化は、脳内で一種の「信頼のファイアウォール」として機能する。アウトグループ(外集団)から発信された情報は、その内容の真偽にかかわらず、自動的に「悪意ある攻撃」としてタグ付けされる。扁桃体が脅威を検知し、前頭前野が論理的推論ではなく「反論の生成」のために動員される「動機づけられた推論(Motivated Reasoning)」が作動するためである。この状態にある対象者に正論をぶつけることは、火に油を注ぐ行為に等しい。
バックファイア効果とは、誤った信念を訂正しようとする試みが、かえってその信念を強固にしてしまう現象である。このメカニズムには、自己肯定感の維持と集団への所属欲求が深く関わっている。批判を受け入れることは、過去の自分を否定すること(自己の一貫性の喪失)や、仲間を裏切ること(社会的死)を意味するため、脳は全力でそれを回避しようとする。
さらに、批判のフレーミング(枠組み)が、受け手のイデオロギーとミスマッチを起こしている場合、説得効果は皆無となるばかりか、抵抗を強める結果となる。例えば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策におけるメッセージングの研究では、リベラル層が「利得フレーム(マスクをすれば命が助かる)」と「損失フレーム(マスクをしないと命が失われる)」の双方に敏感に反応し、コンプライアンスを高めたのに対し、保守層はこれらのフレーミング効果に対して強い抵抗を示したことが明らかになっている。これは、問題が高度に政治化された文脈においては、一般的な行動経済学的介入(ナッジ)さえも、イデオロギーのフィルターによって無効化されることを示唆している。
批判が受容されるための極めて重要な、しかし見過ごされがちな因子として「知的謙虚さ(Intellectual Humility: IH)」がある。IHとは、「自分の知識や信念が間違っている可能性を認識する能力」と定義される。最新の研究は、対話において自身の知的限界を認める態度が、相手の情動的二極化を低減させる強力な緩衝材となることを示している。
特筆すべきは、IHが「相手からの好意(Target Liking)」を媒介して、対話への「接近行動(Approach)」を促進するというプロセスである。批判者が「私は絶対に正しい、お前は間違っている」という道徳的マウンティング(Moral Grandstanding)の態度を取ると、相手は「回避行動」をとる。逆に、批判者が「私も確信はないのだが」「複雑な問題で迷っているが」という不確実性を提示することで、相手の警戒心が解け、対話の土俵に乗る可能性が高まる。知的謙虚さは、相手の武装解除を促すための「白旗」ではなく、心理的防衛壁を通過するための「通行手形」として機能する戦略的資質である。
政治的対立の根源には、事実認識の相違以上に、道徳的直感の相違がある。リベラルと保守は、異なる「道徳の言語」を話しているにもかかわらず、自身の言語で相手を説得しようとするため、コミュニケーション不全に陥る。本セクションでは、道徳基盤理論(Moral Foundations Theory: MFT)を応用し、批判を相手の価値観に翻訳して届ける「道徳的リフレーミング」の技術を詳述する。
ジョナサン・ハイトらが提唱した道徳基盤理論は、人類の道徳的判断が以下の5つ(または6つ)の生得的な基盤の上に構築されているとする。
実証研究が一貫して示すのは、リベラル層が主に「ケア」と「公正」の2基盤に強く依存するのに対し、保守層は5つの基盤すべて(特に忠誠、権威、神聖)を重視するという非対称性である。
多くの政治的批判が失敗するのは、リベラルが保守に対して「それは弱者を傷つける(ケア)」「不平等だ(公正)」というリベラル特有の語彙で攻撃するためである。保守層にとって、これらの価値は「忠誠」や「権威」よりも優先順位が低いため、批判は響かない。逆に、保守がリベラルに対して「伝統を破壊する(権威)」と批判しても、リベラルはそれを抑圧としか捉えない。
反発を招かない批判のためには、自身の主張を相手の道徳基盤の語彙を用いて再構成(リフレーミング)する必要がある。これを「道徳的合気道」と呼ぶ。相手の道徳的エネルギー(価値観)を利用して、相手の姿勢を崩す技法である。
以下の表は、主要な政治的争点において、従来のリベラル的批判(バックラッシュのリスク大)を、保守的道徳基盤に翻訳した戦略的フレーム(受容可能性大)に変換したものである。
| 争点 | 従来のリベラル的批判(高リスク) | 戦略的リフレーミング(低リスク) | ターゲットとする道徳基盤 |
|---|---|---|---|
| 環境保護 | 「地球温暖化は弱者や未来の子供を苦しめる。」(ケア) | 「我々の国土と美しい自然は神からの授かりものであり、汚染から守り抜く義務がある。」 | 神聖/堕落、忠誠/背信 |
| 同性婚 | 「誰を愛するかは個人の権利であり、平等であるべきだ。」(公正) | 「結婚は社会を安定させる伝統的な制度であり、同性カップルもその責任ある関係に組み込むべきだ。」 | 権威/転覆(社会秩序)、忠誠 |
| 軍事費 | 「軍事費を削って福祉や教育に回すべきだ。」(ケア/公正) | 「無駄な軍事支出は国家の財政を弱体化させ、真の国防力を損なう背信行為だ。」 | 忠誠/背信、権威 |
| 政治腐敗 | 「富裕層ばかり優遇するのは不公正だ。」(公正) | 「私利私欲のために公職を利用することは、国家への裏切りであり、高潔な職務を汚す行為だ。」 | 忠誠/背信、神聖/堕落 |
| 移民問題 | 「難民を助けるのは人道的な義務だ。」(ケア) | 「秩序ある移民受け入れは、国家の活力を維持し、アメリカンドリームという伝統を守るために必要だ。」 | 忠誠、権威(秩序) |
研究によれば、保守層に対して環境保護を「神聖さ」や「愛国心」の文脈で語った場合、リベラルな文脈で語った場合よりも支持率が有意に上昇することが確認されている。重要なのは、主張の内容(環境を守る)を変えるのではなく、その理由付け(なぜ守るか)を相手の言語に翻訳することである。
批判は通常、「現状のままでは悪いことが起きる」という損失フレーム(Loss Frame)で行われることが多い。しかし、損失フレームは恐怖や不安を喚起し、防衛的な反応を引き起こしやすい。これに対し、「ゲイン・フレーム(Gain Frame)」を用いた批判は、望ましい未来像を提示し、その実現を阻害する要因として現在の問題を指摘する手法である。
例えば、政治家のスキャンダルを追及する場合、「彼は嘘つきだ(損失フレーム:信頼の喪失)」と攻撃するのではなく、「我々は正直で高潔なリーダーを持つに値する国家だ(ゲイン・フレーム:尊厳の回復)」と主張する。このアプローチは、批判の対象を「個人」から「規範の維持」へとずらし、相手の「権威への尊重」という道徳基盤を刺激しつつ、攻撃性を緩和する効果がある。研究は、特にリスク回避傾向の強い層に対しては損失フレームが有効な場合もあるが、イデオロギー的に対立する層に対しては、ゲイン・フレームや道徳的適合性の方が「聞く耳」を持たせる効果が高いことを示唆している。
理論を実践に移すためには、具体的な対話スクリプトと手順が必要である。ここでは、異なる文脈(対面、オンライン、深い対話)において効果が実証されている3つの主要なプロトコルを詳述する。
ディープ・キャンバスは、戸別訪問(キャンバス)において10〜20分の深い対話を行うことで、トランスジェンダーの権利や移民問題などの二極化した争点に関する態度を変容させる手法である。従来の「事実の弾丸」を撃ち込む方法とは異なり、「脆弱性の交換」を通じて相手の情動的反応を書き換える。
研究によれば、ディープ・キャンバスは従来の説得手法の約102倍の効果を持ち、その効果は数ヶ月持続することが確認されている。
ストリート・エピステモロジー(SE)は、相手の信念の「内容(What)」ではなく、その信念に至った「プロセス(How)」を問うソクラテス式問答法である。 Permalink | 記事への反応(1) | 11:19
こども家庭庁は少子化対策の一環として、いわゆるセックスレスなどの性行為に悩みを抱える夫婦に対して、性行為に伴走して支援する性交支援官を派遣する方針を示した。
日本は世界でも突出して夫婦間セックスの少ない"セックスレス大国"であり、このことが出生率の低さに繋がっていると指摘されていた。
セックスレスなどの問題が広がる背景には、「セックスは男性主導で行われなければならない」という日本特有の男性優位な性的価値観があるとされる。
その影響により、男性はうまくリードしなければならないというプレッシャーを感じ、女性は受け身でいなければならず悦びを感じにくいという悪循環が生じ、セックスが行われなくなっているのではないかと考えられている。
また、性的知識を主にアダルトビデオなどから取得することで、誤った性知識を習得してしまい、本当に気持ちよくなる技術を身につけられていないという背景も指摘される。
そこで、セックスのプロである支援官が実際のセックスに介入し、楽しむための技術や心持ちを指導し、本当に気持ちいいセックスを身につけられるように支援することで、こうした問題の解決を目指す。
本年度は実証実験として、都内20組の夫婦に対して支援を行う見通し。
申し込みは専用のアプリから行い、夫婦どちらかのマイナンバーカードによる認証が必要となる。
支援官のひとりは「マグロ(性行為に受け身な女性の俗称)のままではセックスは楽しめない。セックスは夫婦にとって大切なコミュニケーション。できるだけ多くの人に愛情を高め合う本物のセックスを知ってほしい」と意気込みを語った。
野党からは「そもそも結婚していないことが問題なのだかは、夫婦に限らず結婚前から継続して切れ目のないセックス支援を行うべきだ」「夫婦に限定すると同性カップルが排除される」などの批判が出ており、今後の国会での激しい論争が予想されます。
分かりやすく具体的に説明すると、異性婚と同性婚を同じ制度にまとめると生じる無理や課題は、法律・制度設計・社会実務の三つの側面で現れます。ここではそれぞれの観点から詳しく解説します。
1. 法制度上の無理
現行の結婚制度は、歴史的に異性カップルを前提に作られてきました。民法上の結婚は、戸籍制度・財産権・相続権・扶養義務などと密接に結びついており、これらは性別を前提に構築されています。例えば相続法では「配偶者は生存配偶者として法定相続分を受ける」とされていますが、同性婚を同じ枠組みに無理に押し込む場合、法律の条文は性別を前提に書かれている部分が多く、条文改正や運用の調整が必要です。
また、養子縁組や戸籍の扱いでも不整合が生じます。異性婚での連れ子は、親権者や配偶者の関係性をもとに法的に整理されますが、同性カップルの場合、誰が法的親になるのか、相続・扶養・戸籍上の記載をどうするのか、といった具体的な制度設計の課題が生じます。単に「同性カップルも結婚できる」と法律で書くだけでは、個々の権利義務関係を正確に処理できず、運用が混乱する可能性があります。
2. 社会実務上の無理
結婚制度には、戸籍や税務、保険、年金、医療、子育て支援など、多くの社会制度が絡みます。たとえば、扶養控除や社会保険上の被扶養者認定は、配偶者の性別や生計を共にするかどうかで判断されることが多く、同性カップルを同じ枠に当てはめるだけでは不整合が生じます。医療現場でも「家族としての同意権」や「緊急時の決定権」の扱いが不明確になる場合があります。
さらに、養子縁組や子育て支援では、同性カップルの場合、実親以外の配偶者の親権や子どもに対する法的権限が従来制度では保障されていません。異性婚では自然に補完される権利が、同性婚では個別に明文化・制度化しないと不備が残るため、社会実務上の混乱が避けられません。
結婚制度は単に法律の問題だけでなく、社会慣習や文化的前提にも基づいています。現在の結婚制度は血統の継承や家族の形成を前提としており、異性婚を中心に組まれてきました。これをそのまま同性婚に適用すると、文化的前提とのズレが生じます。例えば、家督相続や家名継承といった概念は歴史的に男性中心であり、同性カップルにそのまま適用することは制度設計として無理があります。
また、教育や福祉の現場でも、制度の枠組みが異性婚前提で作られている場合が多く、同性カップルを同じ枠組みに押し込むだけでは「誰が保護者として扱われるのか」「子どもにどのような権利が保障されるのか」といった具体的問題が生じます。これらは単なる条文の改変では解決できず、制度全体を見直す必要があります。
よく「同性カップルでも精子提供や連れ子で子育てしている事例があるから、異性婚と差をつけるのはおかしい」と言われます。しかしこれは個別の事例であって、制度全体を設計する際の前提とは別です。異性婚の枠組みでうまくいくのは、異性婚を前提に作られた制度の下だからです。同性カップルも同じ枠に無理に当てはめると、制度上の矛盾や調整不足が必ず生じます。
例えば、相続や親権の扱いを個別に調整する必要があり、場合によっては裁判で争われることも考えられます。つまり個別事例で補完するだけでは、制度全体の整合性を保てず、結果的に同性カップルに不利な運用や混乱が起こりやすくなります。
5. まとめ
以上を整理すると、異性婚と同性婚を同じ制度にまとめることは、一見平等に見えても、実務・法律・文化の三つの側面で無理が生じます。条文改正だけでは解決できず、運用面や社会制度との整合性を含めた全体設計が不可欠です。そのため、同性婚向けに別枠で制度を設計し、必要な権利やサポートを確保する方が現実的であり、混乱や不利益を避けることができます。
結論として、異性婚と同性婚を同じ枠に押し込むのは制度設計上の無理が生じるので、制度の本質に合わせた別枠の整備が必要だということです。
https://anond.hatelabo.jp/20251013192216
まず、〇出しS〇Xは愛情の証、ゴムありは愛がなくてダサいという風潮を作る。
具体的には、TikT〇kとかでAIやインフルエンサー使って若者を狙ったステマさせればいい。
で、一方学校では「中絶は子供に対する殺人だ」みたいな道徳の授業をやる。
育てらんなきゃ赤ちゃんポストにシュー、すりゃええよみたいな話もセットで。
そうすると婚外子の捨て子が増加して社会問題になってくるので、
子育ては日本人としての義務だ、子無し・同性カップルでも子育てすべき、
ってドヤ顔コメンテーターやタレントにワイドショーで発言させて、
Y〇utubeやらで切り抜きをガンガン流す。
独身はズルい、独身も子育てしろ日本しね、ってな風に独身者にもヘイトを集めて、
ワンイシュー政党「日本のみらいファースト」が孤児の国民への育児割当制度
「企業の管理職になるには管理能力の担保が必要。育児管理経験のないものは管理職になれない」
それっぽい統計データやエビデンスを官僚や御用学者に作らせて箔をつけて、
自分は関係ないしいいや、と大多数が思っているうちに徐々になし崩し的に適用範囲を拡大。
マジで理解できないんだけど、自称レズビアンなのに第三者の精子提供で子供を産むってどういう理屈?
百合に挟まる男は世間から嫌われてるのに、それよりももっと侵襲度合いの高い行為は受け入れられるって謎すぎる
彼氏でも旦那でもない男の精子で孕んでガキを産むなんて、レズビアンこそ普通のノンケ女よりもよっぽど男大好きに見えるが?
こういう女がいるから、女にとって精子を身体に入れるくらい大した事ではないと考えて、職場の女の飲み物に精液を混入させたり生徒のリコーダーに精液をなすりつけたりする男が出てくるんじゃね?
「当たり前」や「普通」は誰が決めるのか。子どもを望む同性カップルを追った映画『ふたりのまま』が問う、家族のあり方
https://news.yahoo.co.jp/articles/8300620fb36a7238725784d18b61b13cf9147a79
当方同性パートナーがいる女性なんだけど、同棲を考えていて不動産屋に行ったら管理会社の意向で入居を断られた物件が多かった。
2人とも正社員だし年収に対して無茶な物件は選んでないのに、同性カップルであることが理由で断られた。いやそもそも、同性カップルだと伝えただけで断られたから通常の審査フェーズにすら乗れなかったんだけどさ…
中にはパートナーシップの宣誓書があれば検討可能と回答した管理会社もあったけど、男女のカップルは自己申告で入居出来るのに自分たちは関係を証明するものが無ければ同じ土俵に立てないのかよーとがっかりした。
なんかもう、そういうの初めから書いといてくれ。管理会社とか大家のリスクヘッジや個人的な思想として同性カップル入居不可としてるなら、初めから物件の募集ページに書いといてくれ。
私は勝手に候補から弾くし、アライからはそういう管理会社(大家)なんだーと思われるけどその方がお互い手間かからなくない?よろしくご検討ください。
このドラマの想定視聴者はF2層(35歳〜49歳女性)だと思うけど、この層の女性との付き合いが多い自分は本当にターゲット層に刺さってるのか疑問を感じた。
https://anond.hatelabo.jp/20250909194252
というのは、彼女たちが好きで楽しみに見ていると言う娯楽作品の傾向からすると、こういう「アップデートの遅れた」作品は受けないのではないかと。
一方で60歳以上の女性だったら屈託無く楽しむ人が多そうと思う。
歳の差もだが、同性カップルなんかも「禁断の愛きたー!」と男の私が傍にいても気にせず黄色い声を上げる年配女性の知り合いの顔が何人もすぐに浮かぶ。私がゲイ当事者かも知れないというのに、そういう配慮とか無いんか?
そうそう、私男だけど、付き合いのある女性のサンプルに偏りがある可能性はあるな。
比較的裕福、都会育ち、大学院卒以上もざら、という「アップデートが進んでいる」層のF2層しか私は知らないのかも。
腐っても大メディアであるテレビ局がマーケティングして「こういう歳の差恋愛ドラマがF層の女性には受ける」と判断したのだから。
っていうか、今の結婚制度って、どこを見ても問題だらけなんだよね。
・「恋愛→結婚→子ども→家族」みたいなルート以外は全部“例外”扱い
よく「選択的夫婦別姓を認めよう」とか「同性婚を認めよう」って言うけど、
それって要は「今の結婚制度をちょっと改良しましょう」って話でしょ?
でもさ、どうせいじるんなら、
パッチ当てるんじゃなくて、制度そのものを作り直した方が早いと思わない?
・同性でも異性でもOK
・恋愛関係でも、そうじゃなくてもいい(たとえば介護とか育児とか経済的理由でのパートナー)
・親権も柔軟に共有できる
・誰かと一緒に生きていきたい、という意思があれば、それを公的に認める
つまり、「結婚っぽいけど、結婚じゃない」「でも結婚より現実に即してる」制度。
結婚って名前にこだわるから、伝統がどうとか、家制度がどうとか、話がこじれる。
だったら、新しい名前で新しい仕組み作って、
そしたら、「結婚」はそれこそ好きな人たちだけがやればいいし、
どうせ変えるなら、半端じゃなく変えようぜ。
昨日東京プライドで初めてのプライドイベントに行った増田です。
そのままの勢いでパレードも行ってきたよ!!もうめっちゃくちゃ人が多いし、子連れの人とかもたくさんいて、トランスジェンダーの子かな、トランスジェンダーフラッグのフェイスペイントをきょうだい(たぶん)でお互いにしてあげたりしてて和む。あとドラァグクイーンさん超綺麗!背高くてスタイルいい人多い。何故かワンちゃん連れの人も多かった。相変わらずぼっちだったけど、素敵な同性カップルや、綺麗なたぶんトランスジェンダー?の女の人が側を歩いていて楽しかった。
そういえばトランスジェンダーの男の人達のブースはなんかテンション高かったな。「チントレ」なんて言葉初めて知ったよ。そんな場所鍛えれるんだね。ゲイカップルとかレズビアンカップルとかが楽しそうにブースで指輪作ったりしてるのもよかったな。
渋谷という場所柄なのか、道端から声をかけてくれる人も多いし、道端のお店の人が旗を振ったりしてくれることもあるね!!もちろん否定的な人もたくさんいるんだろうけど、街にちゃんと居場所がある感じがしたよ。
「同性婚では子供ができない」どころか、同性カップルがすでに子育てとかしてる現状って意外と知られてないのかもね
下の記事は日本で子育てしてたものの、日本だと家族として認められないから日本を出ていった同性カップルの話
https://news.yahoo.co.jp/articles/97f1c6c72d2be5ff8ae4e49166392e3f5bb56457
なんかさ、Xとかこことかだとやばいくらい差別的な発言とかあるけど、行ってみたら同性カップルとかトランスの人とかドラァグさんとか楽しそうにして大勢集まってるし、参加してる企業も大手がいっぱいあるし、それに行く途中にあるお店にもたまにレインボーが掲げてあったり、会場の外でも堂々とレインボーグッズを身につけてる人がいたりして、「なんだ。ちゃんと世の中変わってきてるんじゃんか」って安心したよ。
セクマイの知り合いもほとんどいなかったから、こんないっぱいセクマイの人たち見たの初めてだったわ。普通のお祭りやらフェスやらはシスヘテロっぽい人ばっかりで孤独感があるけど、今日はさみしくなかったな。ぼっちだったけどね。世の中全部こんな風になればいいのに。
俺が政治家なり団体の代表だったら、とっくに選択的夫婦別姓も同性婚も通ってるよ。冗談抜きで。賛成とか反対とか以前に、こんなもん議論として古すぎる。なんでまだやってんの?って話。
でも現実はそうじゃなくて、「急には変えられない」「国民の理解が〜」って毎回お決まりのセリフで時間だけが過ぎていく。いや、理解って何?誰の?って感じなんだけど、まあ急に変わると拒否反応出るのは事実なんだよな。そこはもう人間ってそういうもんだと思ってる。
だからフランスのやり方はすごく参考になる。まずパックスっていう、結婚とは別枠のパートナー制度を作って、そこで同性カップルや事実婚の人たちが法的に保護されるようにした。いきなり本丸に突っ込むんじゃなくて、段階的に制度を整えて、社会に慣れさせてから同性婚に持っていった。
日本も同じで、いきなり同性婚や夫婦別姓を法制化しようとすると、「伝統が壊れる」とか「家族が崩壊する」とか、まあ毎度おなじみの反応が出てくる。だったらまずは、その中間にある制度をちゃんと用意して、グラデーションを作っていくべきなんじゃないか。0か100かの話じゃなくて、その間の90とか30とかを認めるステップが必要なんだと思う。
そもそも急激な変化が受け入れられた社会なんて聞いたことがない。どれだけ正しくても、理屈が通ってても、人は急には変われない。だから制度も、空気も、ちょっとずつ変えていくしかない。
…まあ、だからと言って今の政治が何かやるとも思えないけど。俺がやるしかないのか?みたいな気持ちになってくるのがしんどい。
なんかさ、夫婦別姓にしても同性婚にしても「そんなの認めたらそのカップルの子供は」とか言い出したり、トランスジェンダーの性別の扱いについても「手術なしの変更なんて認めたら」とか言ったりする人がいるけど、身近に同性カップルもトランスジェンダーもいて、自分も改姓したくないから何年も事実婚状態の人間としては、話が逆なんだよね。
こちらからしたら、すでに事実婚のカップルもいるし、なかには子供がいる人もいるし、子持ちレズビアンカップルもいるし(子持ちゲイカップルもいるだろうけど、知り合いにはたまたまいない)、手術なしで自認通りの性別で暮らしてるトランスジェンダーも昔から普通にいるんだわ。ただ、子供がいるのに親の片方しか法的に親扱いされないから困るとか、カップルの一方の入院時に法的に家族扱いされないから困るとか、自認の性別で普通に暮らしてるのに役所やら銀行やらで見た目と書類上の性別が食い違って困るとか、そういう話をしてるわけで、制度で認めて初めて存在し始めるわけでもないし、認めなければいなくなるわけでもない。生活実態に制度があってないという話なんだよ。
現実とネット世界の乖離って、実は昔より今の方があるように感じている。
確かにSNSなどの台頭で、誰でも意見を発信できるようになった。
それでリアルとバーチャルの境界が曖昧になったと思う奴も居るかもしれない。
だが価値観や倫理観の部分では、むしろどんどん乖離してる気がする。
LGBTQという言葉も広まったし、テレビでも同性カップルが当たり前に出てくるようになった。
会社でも研修やポリシーが整備されてきてて、ゲイをバカにするような発言をリアルでやろうものなら、周りから「お前、いつの時代の人間だよ…」って顔をされる。
差別的な言動をした側が“非常識”とされる、そういう時代になってると思う。
いや、変わってないどころか、一部ではむしろ酷くなってんじゃねぇか?とさえ思う。
淫夢って知ってるか?
要するに、同性愛者を面白おかしく消費して、茶化して笑いものにするやつだ。
俺が若い頃から流行ってたし、当時も悪ノリが過ぎてるなとは思ってた。
それが令和の今でも続いてること自体驚きだし、もはや文化みたいになってんの。
昔ハマってたコンテンツがまだあるかな〜って軽い気持ちで覗いてみたら、淫夢…いまだに大人気なのよ。
ニコニコだけじゃない。
YouTubeでも淫夢ネタの音MADが人気だし、最近じゃ淫夢ワードを取り入れた曲がTikTokとかでバズってるって話も聞いた。
「やばすぎて笑える」って。
現実ではあれだけ配慮が求められているのに、ネットでは同性愛者をネタ”して消費し続ける文化が今なお堂々と生き残っている。
これ、すげぇ怖くないか?
差別や侮蔑が、エンタメ”の顔してフツーに笑いの中に溶け込んでんの。
しかもそれを見て育った子どもたちが、ゲイ=ネタっていう歪んだ認識のまま大人になる可能性もあるわけじゃん。
いや、すでになってるかもしれない。
たぶん、こういう話すると「ネットなんてそんなもんだよ」って返される。
本気で言ってるわけじゃないんだから、ネタにマジスレwwってな具合に茶化してくるだろう。
でもさ、そのネタのせいで誰かが傷ついてるなら、それもうネタじゃねぇだろ。
「面白いからセーフ」って差別的な表現が許されてるって、どんだけ都合いい世界なんだよ。
でもだからこそ、余計に思う。
でも今のネットは現実で許されないことを冗談っぽくなら何でもやっていい場所。
そんなもん自由じゃない。
ただの現実逃避の温床に過ぎない。
現実は変わってる。