はてなキーワード: プロモーションとは
MagMixによると、今年初めに日本の経済産業省(METI)が公表した資料に基づけば、2024年に国内エンターテインメント産業が受け取った補助金は67.7億円、約4,250万ドルだった。
しかし、その総額の54.9%は実写産業に向けられており、アニメは12.6%、ゲームは10.7%にとどまっていた。これは大きな偏りがあることを示している。
それだけではない。アニメ産業の内訳を見ると、補助金の主な使途はプロモーション、ローカライズ、流通であり、実際の制作者に渡った割合は0.0%だった。つまり、アニメ制作の現場スタッフに直接行き渡る政府支援は、ほとんど存在しなかったということだ。
ここで見た限りでは、経済産業省(METI)はこの不均衡を認識しており、クリエイターが恩恵を受けられるように制度を変更したいと考えているようだ。
ただ、問題に見えるのは、これは経産省の変更が意味を持つためには、業界全体に何らかの法的な大改修が必要なタイプの話だということだ。業界の構造を理解せず、言い方や制度設計を間違えると、企業が遠回しな形でそのお金を懐に入れるだけになり、簡単に裏目に出る可能性がある。
実写が他と比べてこれほど多くのお金を受け取っていることには驚いた。もっと早い段階で、誰もそれをおかしいと思わなかったのだろうか?
①日本国外の人々は、日本で実写映画側がどれほど大きな力を持っているのか、またアニメやゲームがどれほど見下されているのかを、あまり理解していないと思う。
皮肉なことに、最も多くの収益を生み出しているのはアニメやゲームだ。それにもかかわらず、それらにもっと資金を向けようとする動きがあるたびに、「多様性の重要性」や「業界全体を底上げする必要性」といった議論が持ち出され、オタク文化にお金が流れるのを阻止するために使われる。
誰もこの状況をおかしいと思わない。なぜなら、アニメや漫画業界の人々、つまり「最下層の趣味」と見なされている分野の人々は、自分たちの「身分」に見合った扱いを受けているだけだと見なされているからだ。
②それにも十分な理由はある。日本の実写作品は長い間、非常に高く評価されてきたし、実写側の業界ははるかに長い歴史を持ち、制度的にも確立されているからだ。
一方でアニメは、実際に大きく伸びたのはここ数十年のことであり、文化的な存在感や収益性という点では、明らかに新参者の側だ。
③つまり彼らは、実際にはそれほど大きな収益を生まない、アート系映画祭での評価のような評判を気にしているということですね。
『鬼滅の刃』は今ではおよそ10億ドルほど稼いでいて、非ハリウッド映画として初めて年間世界興行収入1位になった作品ですが、その数字にその売上は含まれているのでしょうか? 日本国内のチケット売上では、日本がこれまで作ったどの作品よりも上回っています。
まあ、アニメは成功しすぎていて補助金を受ける必要がない、と言うこともできるかもしれません。ただ、実写映画側の人たちは「支援が必要な業界」というレッテルを貼られたくはないでしょうね(笑)
インプを稼ぐためにインフルエンサーもどきの青バッジたちがAIで対立煽りの作り話を量産し、何万ものいいねを得ている。
普通に気が滅入る。
なんでこんなに人は分かり合えないんだろう?
罵り合っているんだろう?
という気になってくる。
作られた対立、作られた炎上であることは、頭では理解しているものの、目の当たりにすると本当にうんざりする。
自分は希死念慮など全くなく、むしろいつまでも生きていたいと思ってるタイプの人間だが、
そんな自分であってもXで繰り広げられている惨状を目にすると、ふっと現世から逃避したい気持ちが湧いてくることがある。
これやばいだろ。
嫌なら見なければいい話なんだが、いまやXはに重要なマーケティング・プロモーションツールだ。
ネットで活動してる人間なら避けることができない場となっている。
メンタル弱い系インフルエンサーにとって今のXは自殺促進装置だ。
仕事のつもりで仕方なく見ているのかもしれないが、そこかしこに奈落がある。
ゴヌが活動休止になって二週間が過ぎた。
脱退前提の活休だろうと言う人がいる。初のファンコンに出られないなんて信じられないと言う人もいる。
ゴヌペンでこそないが、8人のALPHA DRIVE ONEを愛していた私もまた、この二週間と少し、ゴヌのことを考えない日はなかった。
活動休止はやむを得ないだろう。仕事中の暴言があり、それを耳にした人がいて、だからゴヌには反省の時間が必要だ。内々で問題を解決しました、という落とし所では当事者が納得しなかったのであれば、対外的にも活動休止という形で反省を示すほかにない。
だが、事務所の判断は遅かった。問題の暴露ないし告発があってからも、1stアルバムのプロモーションにゴヌを連れまわし、その間、アンチの手によって公式SNSのコメントは荒れに荒れ、事務所の前には葬式の花輪が送られ続けた。
キムゴヌは今、何を思ってどう過ごしているのだろう。
人懐こいようでいて、リアリズムを手放せず、いつもどこか緊張感を漂わせている印象のあったゴヌ。
どれだけゴヌのことを考えても、ファンや当人、ひいてはメンバーでさえおそらく、ゴヌの進退を決められない。それでも、願わずにはいられない。
時期が来たら、必ず戻ってきてほしい。
ゴヌのいないALD1は、変わらず穏やかで優しい空気に満ちているけれど、でも少しだけ物足りない。
暴言による活休で、メンバーも少なからず迷惑をかけられているのは確かだ。疲れもあるだろう。5月カムバックが予告されたにも関わらず、いまだに新しい情報はない。活休の件でスケジュールがずれている可能性さえある。
それでも私は、8人のALD1がいい。
パフォーマンスやビハインドにおけるゴヌの存在感、ゴヌのもたらす活気、親しい人間に見せる愛嬌、そして当然、ゴヌも持ち合わせいる優しさ。
それがなくなってしまった7人のALD1は、やはり、物足りなく思うのだ。
戻ってきたとしても茨の道だろう。アンチは再び吹き上がるだろう。だが、暴言を吐いたゴヌの罪に対して、SNS等での執拗なアンチコメント、葬式の花輪や犯罪者扱いをするような抗議トラックを出すアンチの仕草が、正しい行為とは決して思えない。
事務所は正しくアンチに向き合い、火消しのようなゴヌ脱退を選ぶのではなく、アンチの無法な裁きに対して、法的に真っ直ぐ向き合ってほしい。
そしてゴヌにはALD1のメンバーとして戻ったあと、より言動に気を配りながら過ごしてほしい。
私の願いはそれだけだ。
ゴヌの笑顔、パフォーマンス、ツッコミ役としての発言。いつか全部、どうか戻ってきますように。
沖縄の政治状況は、やや内向きな文化(強い地域アイデンティティ、共同体意識、外部批判への敏感さ)と結びついて、政治的自由が実質的に制限されている側面が確かにあります。そして、左翼・反基地勢力が「平和学習」を産業化し、学校にツアーを売り込み、県の補助金で支える構造は、官民癒着の偏向政治産業と言える性格を帯びています。
沖縄では「反基地・反米軍」が地域の正義として強く刷り込まれ、異論を述べにくい雰囲気があります。特に公務員、教師、教育関係者、メディア関係者では、左派以外の意見を公にすると「売国」「右翼」「本土の味方」といったレッテルを貼られ、社会的・職業的な制裁を受けるリスクが高いです。
沖縄の共同体意識の強さ(「ウチナーンチュ」としての連帯感)は、外部(本土)への不信感と結びつきやすい。結果として、「県民の総意=反基地」という一元的なナラティブが強固になり、多様な意見が排除されやすい土壌ができあがっています。
• 教育現場の役割 平和学習や修学旅行で反対協テント訪問、活動家講話、抗議船乗船などが長年「体験学習」として行われてきたことが、若い世代の価値観を一方向に形成してきました。事故後の学校HPからの記録削除ラッシュも、この「空気」を守る動きと見なせます。
◦ 左翼・反基地団体(反対協、オール沖縄、辺野古基金など)が「平和学習ツアー」をパッケージ化。
◦ 学校(特にキリスト教系や左派系)に「辺野古コース」を積極的に売り込み。
◦ 県や市町村が補助金・委託事業として資金を投入(沖縄平和啓発プロモーション事業など)。
◦ 旅行会社(東武トップツアーズなど)が全体をコーディネートし、利益を確保。
◦ 「平和」「いのちの大切さ」という美辞麗句で、政治的偏向(反対協テント訪問、活動家講話、フェンスリボン結びなど)を隠蔽。
◦ 県の公金が事実上、反基地運動の維持・拡大に使われている構造。
◦ 事故後も「平和学習の重要性」を強調する論調が続き、根本的な見直しが進みにくい。
この産業は、運動の長期化によって既得権益化しており、解決すればツアー収入、補助金、活動家の生活基盤が失われるため、問題の継続自体が利益になる逆説を生んでいます。
大多数の県民。特に若者世代は、経済格差、教育機会の偏り、イメージダウンによる投資・雇用喪失という形で被害を受けています。
世論調査では、辺野古反対は依然として多数派ですが、若年層を中心に「経済優先」「現実的解決」を求める声が増えています。しかし、その声が公の場で十分に表に出にくいのが現状です。
沖縄の政治的自由が制限されている背景には、内向きな地域文化と左翼勢力による「聖地巡礼」の産業化が深く絡み合っています。公金・教育・運動が癒着した構造的な問題です。
結果として、県民全体の真の利益(基地負担の公平化、経済的自立、生活の質向上)が後回しになり、分断が固定化されています。
が不可欠です。
(URL: https://news.yahoo.co.jp/articles/38a006e680ff25cc46f9ce9b00a483450cc24e87 公開日: 2026年4月9日 10:31/執筆: 政経部・銘苅一哲)
記事が語らなかった事象、印象操作の試みた部分を抜粋・整理し、歴史修正的かを評価します。
記事は「平和関連2事業は修学旅行と無関係」「SNSは誤情報」と繰り返すだけで、以下の歴史的・構造的な文脈を完全に無視しています。
• 辺野古基金の過去支援実績 2015年、辺野古基金はヘリ基地反対協議会(反対協)に1,000万円を支援(島ぐるみ会議にも同額)。琉球新報自身が当時報じ、赤旗も同様に記載。1114
• 反対協の組織実態と共産党の関与 反対協は任意団体で12団体構成(共産党沖縄県委員会=北部地区委員会が公式構成団体)。平和丸船長・諸喜田タケル氏は共産党地方役員・元公認候補。党幹部(志位・田村・小池・赤嶺氏ら)が過去に抗議船に乗船。
• 「平和学習」の実態と外部丸投げ構造 同志社国際高校のプログラムは教師不在(教員2名は岸待機)、希望制で反対協抗議船に乗船。過去に活動家講師招致、基地フェンスへのリボン結び(違法行為)、学校HPからの記録削除が全国的に発生。
**→ 記事は「平和啓発プロモーション事業=ワークショップ・シンポ」と抽象的に説明するだけで、現場の反基地抗議船プログラムや教育基本法第14条(政治的中立)違反のリスクを無視。
• 旅行会社(東武トップツアーズ)の全体責任 東武は修学旅行全体の工程管理を担い、事故後「旅行全体の工程を管理する立場」と謝罪文を出している。
これらはすべて事故直後〜4月上旬の公開情報・報道・SNSで確認済みの事実で、記事執筆時点(4月9日)で容易に入手可能でした。
記事は「検証一覧表」を掲げ、SNSを「誤情報拡散」としてフレーム化。以下が典型的な印象操作表現です。
• 「だが、実際には県から委託されたのは平和発信事業で修学旅行との関連はない。」(冒頭)
• 「同社が『オール沖縄』とつながっている訳ではない。」(同)
• 「SNSで拡散された情報は誤っている。」「一部のSNSなどで県から受託した事業と今回の事故を関連付けるような情報が発信されているが、これらは事実と異なる。」(東武トップツアーズコメント引用)
• 「県の担当者は誤情報の拡散にとても残念」と述べた。(県側コメント)
これらは「直接同一事業ではない」ことを強調しつつ、歴史的・間接的なつながり(基金支援・反対協構成・旅行会社全体管理・平和学習の政治性)を「誤情報」と一括りにして読者に「何の問題もない」という印象を植え付けています。 「責任ぼかし構造」や「多重加盟・基金流用」は完全にスルーされ、読者が「ただの事故」と考えるよう誘導しています。
はい、歴史修正的(historical revisionism)です。
過去報道の自己否定 琉球新報自身が2015年に「辺野古基金が反対協に1,000万円支援」と報じていた事実を、2026年4月のこの記事では完全に消去。基金側が「無関係」と主張した直後に「検証」記事を出し、過去の資金・組織的つながりを「なかったこと」に近い扱いにしている。
文脈の選択的削除 事故の核心(反対協の反基地政治活動+共産党構成+教師不在丸投げ+基金資金)が「平和啓発事業の技術的無関係」にすり替えられ、構造的問題を歴史から切り離している。これは「都合の悪い過去を矮小化・忘却させる」典型的な歴史修正的手法です。
タイミングとトーン 事故後わずか3週間で「誤情報検証」を前面に出し、県・事業者側の火消しを優先。SNS(@touketsudaimaou、@fm21wannuumui、@moeruasia01など)が指摘した「矮小化・責任回避」の動きと完全に連動しています。
記事は事実誤認は少ない(契約方式や予算使途の技術的説明は正確)ものの、文脈の大幅省略と選択的強調により、読者に誤った全体像を与える内容です。
ウルトラマンカードゲームの新弾発売に合わせて円谷がアホ程ゼットンネタ擦りまくってるけど、売れないカードゲームのプロモーションに力入れるの止めなよ。
そりゃ会社からしたらコンテンツ売らなきゃいけないし、世界大会やると宣言した以上はそこまで走らなきゃいけないんだろうけど、
初動でコケにコケて、そこをくぐり抜けたユーザーに対して低品質カスタマー対応やアプリ不備、ウルトラリーガーポイント反映遅延、
コレクションポイントシステム廃止等の度重なる問題でふるいにかけて現在に至ってるようなカードゲームに明るい未来は無いぞ。
場所は令和の川崎。工場夜景がマジでエモいエリアの、とある高スペック自作PCが並ぶガレージ。そこに、ボサボサ頭で目がバキバキのイケメン(中身はガチの天才発明家)が、最新のRadeonとかRyzenのパーツに囲まれて、なんかヤバそうな液体を調合してたわけ。
「…9,999回失敗した。だが、それは『上手くいかない方法』を見つけただけだ。次は必ず、引力を超越(超え)てみせる!」
そこに「お疲れ~!」って、特大のスタバ持って現れたのが、川崎を拠点に活動する爆走ポジティブギャル、ゆあにゃん!
「エジソン様、また徹夜!?マジ顔色ぴえんなんだけど!それより、その怪しい緑の液体、何!?香水!?香水ならもっと映えるボトルにしなきゃ詰むよ?」
こうして、努力の天才・エジソンと、令和のコミュ力お化け・ゆあにゃんの、世界を揺らす「最強香水伝説」が幕を開けたんだわ!
ゆあにゃんに連れられて、エジソンは初めて令和のデパコス(デパートコスメ)コーナーを体験。キラキラした香水瓶を見て「美しい…だが、脆弱(よわ)すぎる!」ってマジギレ。
「ゆあにゃんよ、見てみろ。この華奢なボトルを。ちょっと手が当たっただけで倒れ、中身がこぼれ、絨毯を台無しにする。これではユーザーのQOLがダダ下がりではないか!わしが発明するのは、どんな衝撃にも耐え、重力に抗い、絶対に倒れない、不屈のフレグランスである!」
ゆあにゃんは「え、倒れない香水…? おきあがりこぼし的な? 意外とシュールじゃない?」って笑ってたんだけど、エジソンの脳内はもうフル回転。
「ジャイロセンサー、磁気浮上、そして液体の粘性…全てを計算し尽くした『絶対安定(アンブレイカブル)』の美を追求するのだ!」
かつて電球で世界を明るくした男の情熱が、今度は「絶対にこぼれない香水瓶」と「脳に直接届くアゲな香り」に向かっちゃったわけ!
そこからエジソンのガチなR&D(研究開発)がスタート。
「香料のベースには、伝統的な和漢植物と、最新の化学合成香料を配合する! 落ち着くのにブチ上がる、二律背反(アンビバレント)な香りを生み出すのだ!」
「ボトルデザインは、最新のメカニカルな美学を取り入れろ! 4歳の子供が投げ飛ばしても、ルンバに衝突されても、絶対に垂直を保つジャイロ構造だ!」
ゆあにゃんもプロデューサーとして、「ロゴはもっとネオンっぽく! 匂いも『初恋の雷(いなずま)』みたいなエモい名前にしようよ!」ってアドバイス。
そうして完成したのが、伝説の「EDISON 01 - GRAVITY KILLER -(グラヴィティ・キラー)」!
ボトルはまるで精密なクロノグラフか、ガンダムのコア・ファイターみたいなメカメカしい外観。なのに、中の香水は透明感あふれるオレンジゴールド。
デスクに置いて指で弾いても、スマホのバイブで揺れても、魔法みたいにスッと真上を向く。マジで重力を無視してるレベル!
「これ、マジでヤバい…! 語彙力消えるんだけど! 動画撮ったら絶対バズる!」って、ゆあにゃんも大絶賛。
「#絶対倒れない香水」「#エジソン転生」「#重力仕事しろ」っていうハッシュタグがトレンド1位を独占。
「プロモーションは、渋谷のスクランブル交差点で行う! 雑踏こそが、わしの発明品の真価を問う場所だ!」
エジソンはゆあにゃんを引き連れて、渋谷に特設ステージ「THE LAB - MENLO PARK TOKYO -」をオープン。
ライバルは、フランスの超有名ブランドが作った「超高級・限定クリスタルボトル」。あっちのボトルはちょっと風が吹いただけで倒れそうなくらい繊細。
でも、エジソンは動じない。
ステージでエジソンが、巨大な扇風機や、ラジコンカーを香水瓶にぶつけるパフォーマンスを始めたら、渋谷のギャルやインフルエンサーたちが「待って、マジで倒れないw」「物理法則バグってるんだけどw」って大熱狂。
有名ブランドのデザイナーが「あんなの、ただの機械じゃないか!」ってディスってきたけど、エジソンはニヤリと笑ってこう言った。
「天才とは、1%の閃きと、99%の…『倒れないための努力』だ。お前の香水は、倒れた時にユーザーの悲しみを生む。わしの香水は、どんな時もユーザーの味方(立ち上がる者)である!」
その瞬間、香水を一吹きされた客たちが一斉に「…いい匂い。マジでアガる。」「なんか、これ持ってるだけで自信つく」「絶対に折れない心を手に入れた気分」って、メンタルまで強くなっちゃう状態に突入!
結果、エジソンのフレグランスは、全世界のビューティーアワードを総なめ。
「電球」で夜を消した男は、令和の日本で「倒れない香水」によって「不安」という闇を消し去っちゃったんだよね。
今やエジソンは、テック業界からもファッション業界からも引っ張りだこ。
「ニコラ・テスラ、見ておるか…わしはついに、引力さえも手なずけたぞ。この小さなボトルの中でな!」
ゆあにゃんも「エジソン様マジ卍! 次は宇宙で倒れないパフェとか作っちゃう!?」って、月面旅行のチケットを予約中。
こうして、かつての発明王・エジソンは、令和の日本で「フレグランス界の頂点」に君臨した。
絶対に倒れないそのボトルは、迷える現代人の心を垂直に保ち、今日も誰かのデスクでキラキラと「発明の光」を放ち続けてるんだって!
ゴールデンカムイ、楽しく見てるんだけど実写はまじで役者の顔の良さで保ってるところが多いので2.5次元舞台とかで耐性強い人間じゃないと無理だと言う難点がある
あと動物系は普通に着ぐるみCGが強すぎてお遊戯になってしまう、頑張ってたけども これも2.5オタクは心の瞳でみれるのでいい
私は画面に熊はほとんど出てこない感じでやるのかとみるまで思ってた、ジョーズみたいな 演出力でどうにか
この世の大型動物系映像作品で違和感ない映画ってどうやってんだろうな、誰かおすすめ映画教えてくれよ、ジュラシックパークは恐竜だからベクトル違うし、パディントンは熊だけどあれ程のCGは難しいやろうし
オタクに絶賛されてるのは原作準拠でいい役者揃えてるし邦画にしては衣装汚しとか絵面がだいぶいいし原作の大切な部分残しつつ実写にして違和感のないよりベターな演出に昇華されてたりで丁寧に作られてるのがわかるからだろうけど、
コスプレ味はどうしてもあるし原作からして下ネタ含め愉快なシーンが多くて、ファンには刺さるけど、ただの映画としては人にすすめにくい いや、面白いんですよ 私は好きなんですよ でもToLOVEるやいちご100%を1番好きな漫画ですと大声ですすめる人間は滅多におらんやろ
実写映画刀剣乱舞1はその点上手かったな、コスプレ感を戦隊戦士的な感じで昇華されてて 戦隊映画に全身カラーピチスーツ出てきて文句言う人はおらんからね けど普通の映画みようと思ってたらびっくりするやん
オタク的にはとっても嬉しいけどラッコ鍋のシーンとかほんまにまじ気まずい、どうしたらいいのかわからん
ドンパチアクション映画だと思って家族でMr&Mrsスミスみてたら気まずくなったの思い出した、映画違いじゃないか調べたらMr&Mrsスミスはベッドシーンがないというブログが出てきたので私の思い違いかもしれないが
テッドとかデットプールみたいにそういう映画だとしてプロモーションすればウケる層もあるんだろうけど、作りが難しいラインだからそのプロモーションに振り切るのも難しい
公式Twitterみてると結構そっち寄りのプロモーションなのかもしれないが
今回の映画はただでさえシリーズ物の途中、しかもドラマが挟まるので途中参戦でこの1本だけ見てというのもムズい
あと裸絵の痛バとか持ってるオタクとかいるのも界隈の印象にだいぶ痛い 萌ええろキャラのショッパーとかに文句言ってたオタク生きてる?
それにしてもキャストほんまにすごい、全員にびっくりする
桜井ユキとかそのキャスティングよく思いついたなと思うし、演技もビジュアルも凄すぎる 今回の映画で印象に残るシーン家永がベスト あとドラマのあのシーン変な気持ちになった、恋かもしれん 写真集買おうかと思ったら私にはセクシーすぎたので断念した
工藤阿須加もすごい、今まであんま好みじゃないなと思ってたんだけど見れば見るほど刺さる
原作キャラとの見た目ギャップがいちばん大きい俳優だと思うけどそれを感じさせない納得感
というか、原作月島は顔立ちとして目付きが悪いと思ってたんだけど、工藤阿須加みてたらあのしかめ面が解釈なのかもと思った 工藤阿須加の目は丸くてきゅるきゅる、月島もその可能性がある
稲葉友もすごかった 正直宇佐美が美男子設定なのフゥン?と思ってたんですけどめちゃくちゃ納得しました 3次元に起こされることで納得ができる
あと全体的に厚みのある俳優ばかりで大変助かる 軍服は特に体が薄いと説得力もなければ着られてる感が出てしまうので厚みってすごい大事だし、それで並んで違和感のないシルエットに全体でなってるの大変有難い
先日俳優陣の身長についてTwitterでバズってたけど、原作想定より全体的に大きくなってるけどそれで違和感なく収まってるのもすごい 相対的に山田杏奈が小柄に見える、メアリージュンもスタイルめちゃくちゃいいからね、それでも男性陣といると華奢な女性に見えるのが本当に、いいですよね、ね、谷垣
チカパシが大きくなっていることについても一緒にいる旅の長さを感じて私はよかった いっぱい食べてよく寝ろ
杉元と二階堂のシーンも激アツだった、山﨑賢人がアクション上手いのはキングダムでもみたが身体能力が高いんだなと思う もしくはそう見せる演技である 杉元解釈
WOWOWくん、予算度外視のいかれ制作ほんまにありがとう、お金は大事だよ、できればそのまま作り続けてくださいよろしくお願いします
色々言ったんですけどこれだけは言わせて欲しい
ほまにごーどんの顔がいい、ごーどんの顔がみたくて見ている迄ある
ごーどん顔好みと思ったことないのにごーどんの顔みたくて実写一気見したからほんまにすごい
ごーどん尾形が飯を食ってる姿だけで元気100倍アンパンマンになれる
イラストレーターにとって自らの絵柄は単なる描き方の癖ではない。
それは長い年月をかけて研鑽を積み、ようやく辿り着いた魂の形であり、一種の信仰にも似たこだわりが宿る聖域とも言える。
筆致一つ、色使い一つに譲れない美学があるのは表現者として当然の矜持といえる。
しかしビジネスという冷徹な力学が支配する現場において、その信仰がクライアントから同じ熱量で尊ばれることは稀である。
特に現代の商業シーンにおいてイラストレーターの個性は、作品という巨大な機構を維持するための部品としての適合性を厳しく問われるようになっている。
かつてのゲーム、とりわけカードゲームや初期のソシャゲにおいては、複数の著名なイラストレーターがそれぞれの個性を競い合う作家性の競演が珍しくなかった。
一枚のカードや一人のキャラクターが完結した作品として成立していれば、隣に並ぶ別のキャラクターと絵柄が異なっていても、それは多様性という魅力として受け入れられていたのである。
しかし現代のソーシャルゲームにおいて、その自由な空気は完全に塗り替えられ、徹底的な絵柄の統一が必要となった。
この劇的な変化の背景には、ソーシャルゲームにおける物語の重要性が飛躍的に高まったという構造的な要因がある。
現代のタイトルではキャラクター同士が画面上で会話を繰り広げるアドベンチャーパートが頻繁に挿入される。
そこで表示される立ち絵の絵柄がバラバラであれば、プレイヤーは視覚的な違和感を拭えず世界観への没入を著しく阻害されることとなる。
キャラクターたちが異なる頭身やバランスで描かれていると現代のユーザーからしてみればクオリティが低く見えてしまう。
こうした傾向は近年のVTuber業界においても顕著に表れている。
特に事務所から同期やユニットとしてグループ単位でデビューする場合、個々のキャラクターデザインには並んだ際の調和が求められる。
コラボなどで複数のキャラクターが同じ画面に収まった際、一人の絵柄が過度に個性を主張していれば視聴者の視線は不自然に分散してしまう。
クライアント側はタレントたちが織りなす物語を売るために視覚的な一貫性を最優先する。
ここでもやはりイラストは表現者の聖域ではなく、コンテンツを成立させるための意匠へと還元されるのである。
もちろんイラストレーター個人の強烈な絵柄が、そのまま商品の付加価値として求められるケースも皆無ではない。
しかしそれは多くの場合、その描き手がネームバリューを有しているときに限られる。
作家自身の名前がブランド化し、その絵柄を起用すること自体がプロモーションとして機能するレベルに達して初めて、クライアントは信仰を尊重し、その個性を認めるのである。
逆に言えば、そのような特権的な地位を築いていない大多数の描き手にとって、独自の絵柄を固持することはクライアントが求める使い勝手の良さを阻害するリスクでしかない。
現代のイラストレーターがこの状況を無視できないのは、商業イラストレーション市場においてゲームやVTuberといったエンターテインメント業界が圧倒的なシェアを占めているという現実があるからだ。
デジタルイラストを生業とする者にとって、これら巨大資本が動くプロジェクトのアセット制作は避けて通ることのできない主戦場である。
だからこそ現代のイラストレーターに求められるのは、単発の作品を仕上げる能力ではなく、一つのプロジェクトの中に完璧に馴染む素材を供給する安定性である。
クライアントがイラストレーターに求めるのは作家としての独創性ではなく、その作品が構築する世界観への完全な擬態である。
彼らにとってのイラストは、シナリオやシステムと並んで一つの体験を構成するためのアセットに過ぎない。
どれほど優れた技術を持っていたとしても、画面内で一人だけ浮いてしまう絵柄は、ネームバリューという免罪符がない限りプロジェクトの成功を妨げるノイズと見なされてしまう。
プロフェッショナルとしての真価は、むしろこの制約を乗りこなす過程でこそ磨かれる。
クライアントの意図を汲み取り、世界観に完璧に同化してみせる柔軟性は、単なる妥協ではなく高度な技術の証明に他ならない。
そうして積み上げた実績と、この人なら任せられるという現場からの厚い信用こそが、浮き沈みの激しい業界で生き残るための最も盤石な基盤となる。
まず前提として、女性は誰かの目を楽しませるために存在するのではない。
性的な目で見る、という言い方が曖昧なので分かりにくいんだけど、「誰かのことを見て性的な満足感を得ること」とする。
「おっぱいの大きな女がいたらどうしても目で追ってしまう。それは本能だ。どうしようもない。そういう生き物だから。それを禁止されたら、恋愛だって始まらないし、子どもも作れない、人間は滅びてしまうじゃないか」
と言う人がいるかもしれないが、それは違う。
・女性の体を見て楽しむことは”禁じられていない”。
この2つは矛盾しない。
男も女も、ホームレスも総理大臣も、誰にでも与えられている権利がある。
これを人権という。
人権は、人に、その人の身体を、その人のためだけのものとすることを認める。
だから不当に拘束されたり、傷つけられたりすることは、人権を損なうことであり、認められない。
その人権の中には、
や、
や、
などが含まれる。
「女性を性的な目で見る」行為は、女性のこのへんの権利を侵害している。
女性を、尊重されるべきひとりの人間として扱っていないことになる。
というわけで、
「おっぱいの大きい女をどうしても目で追ってしまう」→してはいけない。してしまったら、してはいけなかったな、これ以上見るのをやめよう、と思うべき。
「恋愛も始まらない」→女性を触ったりじろじろ見たりしてはいけないのは『許可なく』そうしたとき。女性は、そうされて構わないと思えばそれを許す。あなたがそれをしても人権侵害にならない。嫌だと思ったら断る。あなたがそれをすると人権侵害になる。
大切なのは『それを女性が良しとしているかどうか』。それを決める権利はすべて女性本人にあり、女性は誰にもおもねることなくそれを決められる。
「実在の女性を性的に見て楽しむこと」と「性的なイメージを見て楽しむこと」は違う。
「①日本赤十字が」「②公共の場、誰の目にも入りうる場所で」「③女性を性的に描いてきた歴史のあるアニメ漫画的イメージを使って」「④公共性の高い事業のプロモーションをした」から、問題になっている。
①誰が言うか
メッセージというのは、誰が言うかでその意味が変わってくる。隣の家のおばちゃんが言うのと、小泉進次郎氏が言うのとでは、その重みや社会への影響力が異なる。だから、何かが発言されるとき、それが誰のものかということは重要である。
②どこで言うか
同じ小泉進次郎氏の発言でも、どこで言うかで、意味や影響が異なる。小泉進次郎氏は、たとえば「石油でトイレ流したいな〜」とテレビの前で言うとヤバイが、クリステルだけにそっと打ち明けるぶんには問題ない。誰に届けようとしているか。発言された場所を見ればそれが分かる。
③何を使って言うか
メッセージを伝える手段はいろいろある。いろいろあるので、伝えたい内容を効果的に伝えるのはとても難しい。ときには、意図しないメッセージが伝わってしまうことがある。見る人が多く、発言者に社会的な責任が多くあるほど、その内容は慎重にならなくてはいけない。たくさんの人が見るほど、その解釈も多様になってくるからだ。
④何を言うか
一見、これがもっとも大切であり、①②③はそこまで重要ではないように思われるが、それは誤りだ。何かを伝えようとするとき、これらの事項は絶対にセット商品として扱われるべきだ。たとえば、何を言っているかだけを見て、その行為を判断することはできない。誰が言っているか、どこで言われているか、どのように言われているか、それらをひっくるめて考える必要がある。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
「萌え絵」は禁じられていない。
「萌え絵」を見て楽しむことも、禁じられていない。
「萌え絵」を買ったり所持することも、禁じられていない。
理由はいろいろあるが、ひとつは確実に、児童ポルノなどと異なり、「そうすることで、誰の人権も侵害されていないから」だ。
しかし、その、③「身体をディフォルメして魅力的に描いて」、「人の目を性的に楽しませる」という趣旨のイラストを使って、
①日本赤十字が
したら、どうだろうか?
その行為そのものは、禁じられてはいない。現に日赤はポスターを撤去してもないし、謝罪もない。そして、する”義務”もない。
しかし、この4つの要素があわさったとき、そこから発せられるメッセージは本当に、
ということだけだろうか?
もちろん発信者はそのつもりだったに違いない。
ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージはときに、発信者の意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。
そして、そのメッセージによって、傷ついたり、安全を脅かされたりする人がいることを、発信者は常に意識する必要がある。
つまり、ここで伝わってしまう恐れのある、発信者の意図しない、隠れたメッセージとは、
「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージである。
そのメッセージが、誰の目にも触れる可能性のある、公共の場で、日本赤十字によって、発信されている。
これがアニメイトなら、アニメ好きだけが見るので、まだ良かった。
Twitterだけのキャンペーンなら、アニメクラスタの間だけで拡散されるので、まだ良かった。
やってるのが、雅子さまが名誉総裁を務めておられる日本赤十字ではなく、一般企業や個人なら、また意味が違ってきた。
揃うと、どうなるか。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
自分の体を、許可なく性的な目で見られたくない人は、その社会では安心して生活できなくなる。
ポスターによって、直接傷つけられたり、悲しい思いをしたり、個人として尊重されないような事態は、発生しない。
しかし、そういう社会づくり、人権の守られない、安心して暮らせない社会づくりに、確実に貢献してしまっているのである。
目に見えて血を流す人がいないから、その表現には問題がないと考えるのは、あまりに短絡的だ。
数字として出ない、影響がわかりやすく見えないことだからこそ、慎重になる必要がある。
「宇崎ちゃんがセクシャルな意味合いを含む萌え絵で、献血ポスターにふさわしくないことは、甘んじて認めよう。では、同じまどかマギカでも、マミさんはダメで杏子なら良いのか?」
これは本当に難しい。胸がこのくらいくっきり描かれていたらアウト、とか、このくらい頬が染まって困り眉をしていたらアウト、などと線引きをすることはできない。
では、どうしたらいいんだろう?
議論をしたらいい。公共の場は、どうしたらみんなが安心して過ごせる場所になるか。萌え絵が好きなオタクは、どこに行けば誰の尊厳も傷つけず、自由に萌えを叫べるのか。ボランティアによってなされる献血の尊さや、明日にはあなたが献血に救われるかもしれないことを、まっすぐに伝える広告とはどのようなものか。
声をあげよう。間違っていてもいい。いっしょに考えよう。自分と違う意見の人を、クソなんとかとか、バカなんとかと貶めるのをやめて、同じ社会に暮らす自分と違った考え方のひとりの人間と認めよう。相手の顔が見えないインターネットでは難しいかもしれない。それでもインターネットだからこそ時と空間を超えたフラットな対話が可能なはずだ。
話し合おう。萌え絵が好きな人にも、ロリコンにもショタコンにも腐女子にも進次郎にも、あなたにも人権がある。人権の概念は、まだこの社会に浸透しているとは言えない。あなたにもきっとあるはずだ。こんなことをされたくないとか、自分を大切にしたいとか、悔しく思ったことが。そんな思いをしなくてもいい社会を、次の世代にプレゼントしよう。
非モテで女性経験がないのでとりあえず脱毛をしてみようと考えているんだけど、すね毛の脱毛っているのかな?
すね毛を見られる時って、それはもうセクロスするタイミングなわけで、そこまで距離を縮めた相手に濃いすね毛が理由で冷められるなんてことまずないよね?
あと、女性視点で行為時に男の脚が目に入るなんてまずなさそうな気もするし。
まぁ、短ズボンを着こなしたい的な気持ちがあればすね毛の脱毛も良いのだろうが、そこまでして短ズボンを履きたい気持ちもないしなぁ。
ヒゲ脱毛はする意味がちゃんとあると思うが、全身脱毛は正直、モテを人質にした恐喝的なプロモーション戦略感があっていけすかないし、やらなくてええか。