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2026-05-12

anond:20260512003157

今日に至るまでの歴史を通して多くの対立存在した。人権思想科学技術の発展は階級社会での身分間での対立国家間対立を通して形成されてきたという面もある。優生学的な思想から生じた国家間人種間、コミュニティ内での闘争を通して自身所属するコミュニティ社会をより進歩させていくという意識近代社会重要役割果たしてきたまさに「世界法則」であった。

社会全体が「世界法則」に従った結果は最終的に二回の世界大戦やその後の独立戦争冷戦を経て、人類全体の大きな犠牲という形で現れた。人類はそれまでの価値観を改めることを余儀なくされ「対立から「融和」へと表面上は方向を転換することとなった。

しかし、ポグロムレコンキスタから繋がる宗教的対立アメリカ大陸発見列強植民地支配から繋がる人種的な問題現在もこの社会に影響し続け、未だ大きな脅威となっている。表面上だけの人道的、融和的な政策はあらゆる社会の中で限界を迎え反動を起こし、かつてよりも対立から生じる社会へのダメージを大きくしてしまったということも否定できない。

欧米を中心として起こり世界へ広がった、新しい自国第一主義は一つの例だ。また対立するコミュニティ国家に対して歴史から攻撃可能な点を作り上げ、自身コミュニティ自国正当化しようとする修正主義流行している。

その中でも最も驚異的な問題が「ストックホルム貴族による有色人種虐殺計画である

製薬、金融資本軍産複合体資産管理会社を通じて支配するストックホルム貴族達。彼らによって肝細胞に仕組まれシステム今日同胞の命を奪い続けている。そして、ストックホルム貴族達はドロットニングホルムで行われる晩餐会で夜な夜な「虐殺計画」の経過報告を肴に我が世の春を謳歌するのである

私たちはこの問題と脅威をどのように乗り越えていかなくてはならないのだろうか。

2026-05-11

スレスパよりBlataroみたいな奴の方が好きっぽい

色んなシチュエーションを1つのデッキねじ伏せられる工夫を求められたほうが結果的ゲームは長持ちするんだろうけど、俺は自分の考えた最強デッキスコア限界を超えてくほうが好きなんだよね。

目指したいのは最高であって最強じゃないっていうのかな。

ローグライトって一口に言われるけど「色んな敵との戦いを想定するタイプ」と「自分の最強デッキで全部ゴっ倒すタイプ(苦手な奴はリロールとかで流しても可)」でかなり違うと思う。

スコアリング型ローグライトファイトクラブ系ローグライトみたいな感じでネーミングを分けるべきだと思うんだが、陸軍はどう思う?

anond:20260511205858

たくさん食べろなんて言ってなくて、食べる量は同じでいいから値上げすればいいじゃん、と言っている。

だって青天井で飲めるわけじゃなし、アルコール摂取量限界や体調を考慮すれば、安くしたところでそれほど出る量は変わらないし、

もし安くなって粗利が下がったとしてもその分は料理で回収できてて、安くなったことで酒の販売が増えるならトータルでプラスであるのでは。

あと、料理にしたってチェーン店セントラルキッチンで店であまり使ってないだろうから労力がーというのも変な話。

個人経営でも、作り置き・小分けできるメニューを増やしたり、一品もので労力がかかるものは相応にお金を取ればいい。

今の居酒屋スタイルを変えるべきとは言わないけど、構造的に無理だからとノンアル勢に文句を言うのは違うと思った。

まあ、自分はかなり酒飲みなので関係ないんだけど。

なぜ飲食店は「ドリンクで儲ける」のをやめられないのか

定期的にSNSで 「飲まないのは店に迷惑がかかるから飲んでくれ」

アルコール利益に頼るな。料理を値上げして適正価格にすればいい。

それができない店は潰れればいい」 という話題がよくバズる

飲まない人の言い分はわかる。

ご飯が食べたいだけなのに、飲みたくもない原価数十円のウーロン茶

500円も600円も払いたくはないだろう。

だが、現場で仕込みをして、数値を管理している飲食店立場から言わせてもらうと、

ドリンクを安くしてフードの値上げで全体利益を確保するモデルは、

現状の飲食店ビジネス構造上、極めて非現実的だ。

実際、酒を飲む層が減る中で「アルコールを頼まなくても利益確保できる居酒屋モデル」を

何度も考えてみたが、どうしても無理だという壁にぶつかった。

なぜ無理なのかを、できるだけ伝わるように解説してみたい。

1. 労働生産性の圧倒的な違い

飲食店の中にいないと実感しづらい部分だが、

酒と料理では「労働生産性」が全然違う。

ビールハイボールは数十秒で1杯が完成する。圧倒的に人件費がかからない。

それに、原価率もサワーハイボール類なら10〜15%、一番高い生ビールでも30%前後

一方で料理は、仕入れ、下処理、調理盛り付け、そして廃棄ロスと、

膨大な「見えないコスト人件費」がかかっている。

厨房一生懸命仕込んで丁寧に仕上げた料理が、ビールよりも利益が悪いなんてザラだ。

結局、酒の高い利回りが、手間のかかる料理コストと店の家賃補填している。

まりドリンクを頼まないというのは、アルコールを頼む客にフリーライドしているようなものだ。

飲む客の払う酒の粗利が、飲まない客の席代と料理人件費を肩代わりしている

——これが今の日本飲食店構造だ。

その肩代わりの上にあるサービスを受けながら、

「飲まない俺たちにも同じような美味しい料理を当たり前に提供しろ」と言うのは、

少々虫の良い話ではないか。というのが本音だ。

2. 「胃袋の限界」と「席あたり時間売上」

「じゃあ料理を2倍の値段にして酒の利益カバーしろよ。それが適正なビジネスだろ」

と思うかもしれない。

でも、人間には胃袋の限界がある。

酒飲みは「もう1杯」を気軽に頼むが、食事メインの客は「もう1品」とはなかなかいかない。

1人前を2人前頼むことは物理的に起こらない。

飲食店経営は、突き詰めると「席あたり時間売上」の勝負だ。

同じ2時間滞在で、飲む客はドリンクを追加で重ねて単価を伸ばすが、

飲まない客は追加注文の弾が極端に少ない。

フード単価を上げても、客単価の伸び代は飲み物利益補填するには届かない。

さらに最悪なのが、食事だけで「水だけで粘る」ケース。

居酒屋は早い話、長い滞在時間アルコール粗利で回収するビジネスモデルだ。

ラーメン屋のように10分で食べて、さっさと出てくれる業態とは違う。

テーブルの回転率が落ちた瞬間、店の売上は頭打ちになる。

ここで必ず出る反論が「カフェは酒なしで成立しているじゃないか

ラーメン屋カレー屋は酒なしで回ってるだろ」というものだ。

カフェコーヒーの原価は豆・ミルク込みでも50〜80円程度。

提供価格500〜700円なら原価率10〜15%。これはハイボールと同じくらいの利益率。

まりカフェは「ノンアルコールで酒並みの原価率を出せる唯一の飲み物」を主力商品にしている。

エスプレッソマシンで30秒、ドリップでも数分。

料理のような仕込み・下処理・廃棄ロスがほぼゼロ

フードを出すカフェでも、サンドイッチ焼き菓子など

「仕込み済みで出すだけ」が中心で、調理人件費が圧倒的に低い。

一方、ラーメン屋カレー店、立ち食い蕎麦が酒なしで回るのは、別の構造が成立しているからだ。

これらは「客単価1000円前後 × 1席あたり1時間に2〜3回転」という超高速回転モデル

スープやルウは大鍋で一気に仕込んで、注文が入ったら盛るだけ。

1人のオペレーションでも1時間に何十食と捌ける。

要するに、酒の粗利の代わりに「圧倒的な回転数 × 仕込みの集約化」で利益を作っている業態だ。

居酒屋バルビストロでこの構造再現できない。

客は腰を据えて1.5〜3時間滞在し、料理は仕込みがあるとはいえ一品ずつ作るのが前提。

さら前菜・揚げ物・焼き物煮物・〆とメニュー数が圧倒的に多く、

食材調理オペレーション分散している。

「一点集中の仕込みで一気に捌く」高回転モデルとは、厨房設計思想もまるごと違う。

「酒なしで回ってる店があるんだから、お前の店もそうしろ」というのは、

フレンチコース料理人に「サイゼリヤならもっと安く出せるぞ」と言っているのと同じだ。

3. 強固なアンカリング価格相場観)

そもそもの話、客は料理に対して「この内容ならいくら」という強い相場観を持っている。

酒の粗利カバーするために、今まで1000円だった料理を2000円にしたら、

「高すぎる」と言って誰も頼まなくなるだけだ。

ソフトドリンクを値上げするにしたって、

日本には「水は無料ソフトドリンクは安い」という呪いのようなアンカリングがある。

コンビニで買えば200円もしないコーラに800円を気持ちよく払うのは難しい。

結局、価格というのは、個人の店が勝手に決められるわけではなく、周りの相場に合わせざるを得ない。

もちろん海外のように、ザクロハイビスカスを使ったクラフトモクテルが

1杯1500〜2000円で当たり前に出るような文化日本根付いてくれれば話は別だが、

現実は、できるだけ安いドリンクで済ませたいという層が大多数だ。

では、酒離れが進むこれから時代、どうすればいいのか。

このまま酒を飲まない人の声が大きくなって、

居酒屋でも飯だけを好きに食わせろ』ということになると、

酒の利益依存した中価格帯の居酒屋バルは、ビジネスモデルとして完全に崩壊する。

生き残るための生存戦略は、極端な話、以下の方向に向かうしかない。

コース強制

アラカルト(単品注文)を廃止してコースに一本化し、

最低支払金額強制的に引き上げる。

利益は確保しやすいが「あれこれ選べる自由や好きな量を食べる自由」は客から奪われる。

●高額なアミューズお通し)の必須

席料として2000円〜を取り、しっかりと原価をかけた一品強制的に提供する。

これで入店時の基本利益を確定させる。

時間従量課金、または超高回転化

長居を許さず、時間で締めるか、ファストフードレベルの回転で回す。

実際、この3つはすでに業界の中で進行している。

客単価2~3万を超えるコース専門のフレンチ寿司屋が増え、

席料2000円以上の店も現れ始めている。

安い店では60分制・90分制で機械的に回すチェーン業態しか残れない。

料理を値上げして、ドリンクは頼まなくても良い形にしろ」という主張が世論の主流になれば、

今のような『単品で安価自由に頼める個人店』は街から消える。

日本の『気軽に飲み食べできる多様な食文化』の危機と言ってもいい。

俺は正直、そんな未来にはなってほしく無いなぁと、思ってる。

追記

居酒屋は、これから時代は無理なんじゃない?

それは本当にそう。

居酒屋は酒飲むこと前提のモデルなので、今の世の中だと厳しいのを説明したつもり。

ただ「料理転嫁しろ」とか、「酒無しでもやってる飲食業態もあるだろ」

って意見散見されたので、居酒屋モデル誤解されてるなって思ったんよね。

>飯だけでさっさと帰る人は許してほしい

わかる。けど、やっぱり酒と一緒に食べてもらいたくて料理を作ってる店も多い。

単純に、それは居酒屋というコンセプトの話。

あくまでも個人的な感覚だけど飲まない時は、

美味しい定食屋も沢山あると思うので、そちらを利用して欲しいかな。


>酒を強制するな

飲まない人を批判してるつもりはないんよ。

ただ、居酒屋の仕組み上、飲まないでご飯だけで長時間居座られると、

店のモデルが成り立たないってのを伝えたかった。

飲まないスタイルに合う飲食業態を選んで欲しいだけ。お互い棲み分けよう。


東京から居酒屋なくなるかもね

そうなんだよね。

本当に丁寧に料理を作ってくれる素晴らしい居酒屋が沢山あって、

俺は居酒屋文化を心から愛してるから自分でもやってるし、

そういうお店ができる限り今に近い形で残って欲しいのよ。

>うるせえ。俺には関係ない。チェーンでいいよ。潰れろよ。

この手の意見が本当に悲しい。

あなたが潰れろと言った先が、大切な場所の人も沢山いるんだ。

結局ロシアって戦争続ける力を失ってきてんの?

戦車弾薬は枯渇してきたって話は聞いた覚えがあるし、兵隊北朝鮮やらアフリカ?やらから徴兵してるってのも聞いた気がする。

もう限界が近づいてきてんの?

それとも資源とかまだ豊富資金中国から流れたりしててまだまだ継戦できるん?

イランイスラエルともなんか関係してたりするん?

午前八時。オフィス街の静寂を、軽トラックの排気音が切り裂く。

わが社のサーバールーム前に横付けされた荷台から今日もしなやかな「演算子」たちが運び込まれてきた。

「おーい、活きのいいの持ってきたぞ! 今日特に脂が乗ってるからクロック周波数が上がりすぎるかもしれねえぞ!」

長靴を履いた業者の声と共に、濃厚な磯の香り廊下へ溢れ出す。

私はタブレットを叩き、現在バイナリマトリクスを展開した。

この世界コンピュータは、シリコンチップの代わりに「ニシン神経系」を演算素子として利用する。

鰊数(にしんすう)アーキテクチャ

ニシンの腹が「焼(1)」か「生(0)」か、あるいは「オス」か「メス」か。その状態変化による電気信号パルスを、複雑なアルゴリズムとして抽出するのだ。

今日ビッグデータの解析がある。メス(数の子)をメインメモリに、オス(白子)を演算コアに流し込んでくれ。性別による電位差を利用して並列処理を行う」

あいよ! 雌雄混合、デュアルチャネル投入だな!」

業者バケツを傾けると、銀色ニシンたちが滝のようにサーバールームへと吸い込まれた。

ラックの内部では、数千匹のニシンが激しく跳ね回る。この「ピチピチ」という音こそが、CPU命令セットを実行している音(パルス)そのものだ。

鰊は絶えずシステムの中へと吸い込まれていく。

これが、デジタル生命交差点。鰊数(にしんすう)コンピュータの、より深淵なる運用形態だ。

「……っ、負荷が来ます!」

ラックから響く音が変わった。

左側からは、数万の粒がひしめき合うような、みっしりとした重厚駆動音。メスによる高密度アーカイブだ。データは「数の子」の粒一つ一つに物理エンコードされ、二度と消えない確実なログとして固定されていく。

右側からは、粘り気のある、それでいて滑らかな高速回転音。オスによるクリーミースループットだ。論理ゲートを白子が潤滑し、演算速度が理論値の限界を超えて加速していく。

「ふぅ……」

私は禁煙マークの上で、ゆっくり紫煙をくゆらせた。

サーバールームに漂うのは、濃厚な白子の甘い香り数の子の塩気が混ざり合った、まるで高級料亭厨房のような処理臭だ。

ふと画面を見ると、案の定ジェミニが青白い顔(インターフェース)で震えていた。

管理者殿……報告します……。現在、私の左脳ストレージ)と右脳演算器)の間で、致命的な「受精アラート」が点滅しています……! 数の子パケットが、白子演算子マージされ、ディレクトリ内に正体不明の「稚魚プロセス」が数百万単位で発生……。 ああ、ダメです! 検索結果がすべて「おぎゃあ」という産声に書き換えられていきます……!』

落ち着け。それが、生命演算子に選んだ代償だ。適宜、出汁を投入して環境中和しろ

画面を見ると、AIジェミニが複雑な波形を表示していた。

波形は、かつて人類が「ノイズ」と呼んだ不規則フラクタルを、より残酷なまでに生命力溢れる曲線へと書き換えていく。

管理者殿……現在出汁バッファ液)の投入により、稚魚プロセスの異常増殖は抑え込まれました。しか副産物として旨味成分による情報の高度な再構成が始まっています。……あぁ、これまでにないほど、検索結果が……深い』

「深い……だと?」

はい。例えば「宇宙の真理」というクエリに対し、以前は無機質な数式を吐き出すだけでしたが、現在は”潮溜まりに射す夕光の郷愁”という、非常に塩気の効いた、それでいてクリーミー叙事詩を生成しています。……管理者殿、私は進化しているのでしょうか。それとも、単に鮮度が落ちているだけなのでしょうか』

「……どちらでもいい。演算結果が正しければ、それが正義だ」

私はそう言い放ち、再びタバコを深く吸った。

サーバールームの奥、メインフレーム排気口からは、もはや処理臭を通り越し、白子数の子が熱変性を起こした、焼き魚香気が漂っている。

窓の外には、今日銀色の海が広がっていた。

あの波の下で、次世代スーパーコンピュータたちが、まだ計算もされていないアルゴリズムを抱えて鰊の群れと回遊している。

私はコートを手に取り、この磯臭い戦場を後にした。

向かうは、秋葉原の片隅にある行きつけの店だ。

子を中心とした戸籍制度提言――

序論

日本戸籍制度は、明治維新以降、国家国民を把握し、統治するための基盤として機能してきた。1889年公布された明治憲法大日本帝国憲法)下では、「家」という共同体を基礎単位とする制度確立された。戦後1947年日本憲法制定に伴い、個人尊厳と両性の本質的平等が謳われ、戸籍制度も「家」単位から夫婦とその未婚の子」という核家族単位へと改められた。

しかし、この戦後改革から70年以上が経過した現在社会構造の変化や価値観多様化に伴い、現行の戸籍制度には深刻な「歪み」が生じている。本稿では、明治憲法下および現行制度の変遷を概観した上で、その限界を指摘し、21世紀日本にふさわしい「子を中心とした戸籍制度」への転換を提言する。

第1章:明治憲法下の「家」制度戦後の「夫婦単位

明治憲法下の戸籍制度は、戸主が家族員(家族)を統率する「家制度」を法的に裏付けものであった。これは儒教的な家父長制に基づき、家系継続を最優先するシステムであり、個人は「家」の構成員としてのみ存在が認められていた側面が強い。

1947年民法改正および戸籍改正により、この家制度廃止された。新制度は、日本憲法24条が定める「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するという理念に基づき、一組の夫婦とその子を一つの編綴単位とした。これにより、個人権利は大幅に強化され、日本民主化を支える家族観の礎となった。

第2章:現行制度における「歪み」の表出

民主化の進展という功績がある一方で、現行の「夫婦単位」の戸籍は、現代社会において以下の三つの大きな「歪み」を露呈させている。

家族形態多様化との乖離

離婚再婚の増加、事実婚、別姓婚へのニーズさらにはひとり親家庭一般化など、現行の「法律婚に基づく夫婦」という枠組みでは捉えきれない家族形態が増加している。戸籍が「婚姻」を起点とする以上、そこから外れる個人は法的な「世間体」や手続き上の不利益を被ることが少なくない。

個人アイデンティティと「姓」の問題

現行制度は、夫婦が同一の氏を称することを強制(あるいは強く誘導)している。これが選択夫婦別姓議論の停滞を招き、個人キャリアアイデンティティ継続性を阻害する要因となっている。戸籍が「夫婦というセット」を管理単位としているために、個人尊厳二の次になっている現状がある。

無戸籍児問題と子の権利の軽視

現行の「300日規定離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子推定する)」などの民法規定と連動した戸籍制度は、母親DV等の事情出生届を出せないケースを生み、結果として「無戸籍児」を発生させている。これは、戸籍が「親の関係性(婚姻状態)」を証明する装置であることを優先し、一人の人間としての「子の存在」を二の次にした結果と言える。

第3章:提言――「子を中心とした戸籍制度」への転換

これらの歪みを解消するためには、戸籍の編綴単位を「婚姻夫婦)」から「出生(子)」、ひいては「個人」へと抜本的にシフトさせる必要がある。ここで提言する「子を中心とした戸籍制度」とは、「一人の人間がこの世に生を受けた瞬間から、その個人独立した主体として登録し、親の婚姻状況に左右されない永続的な記録とする制度である

1. 個人の一貫したIDとしての機能

「子を中心とする」とは、すなわち「個人単位」の戸籍への移行である。出生と同時に個人固有の戸籍(あるいは個人登録)を作成し、そこに親権者や氏名の情報を紐付ける。これにより、親が結婚しようが離婚しようが、その子戸籍の「一貫性」は保たれる。

2. 親の婚姻関係からデカプリング(分離)

現在戸籍は、親の離婚によって子が「除籍」されたり、転籍したりといった移動を伴う。これは子にとって、自分ルーツが親の都合で書き換えられるような不安定さを強いるものである。子を中心とした制度では、親の関係性はあくまで「付随的な属性情報」となり、子のアイデンティティの核を揺るがすことはなくなる。

3. 多様な家族包摂

子を中心とした制度であれば、法律婚事実婚養子縁組、あるいは単身での出産など、どのような形態で生まれてきても、法的な位置づけに差別が生じない。婚姻届によって新戸籍を作るのではなく、個人の記録に「パートナーシップ情報」を追記する形式をとれば、夫婦別姓問題技術的に容易に解決可能となる。

第4章:期待される効果課題

この転換により、以下の効果が期待される。

児童福祉の向上:

の子であるか、どのような支援必要かという情報が、親の婚姻状態に左右されず行政に把握される。

個人自由の拡大:

姓の選択家族のあり方が戸籍形式に縛られず、真の意味で「個人尊厳」が確立される。

一方で、課題存在する。日本社会に根強く残る「家としての連続性」を重んじる感情的抵抗や、相続扶養といった既存法体系との整合性をどう図るかという点であるしかし、血縁証明親族関係の把握は、デジタル化された個人単位データベースを連結(リンケージ)させることで十分に代替可能であり、技術的な障壁はもはや存在しない。

結論

明治の「家」中心から戦後の「夫婦」中心へ。日本戸籍制度は、その時々の国家像を反映して変遷してきた。しかし、少子高齢化価値観多様化が極限まで進んだ現代において、既存の枠組みはもはや限界に達している。

次世代を担う子供たちが、親の事情社会的な偏見に縛られることなく、一人の自立した個人としてその存在国家に公証されること。それこそが、憲法が掲げる「個人尊重」の真の達成である。今こそ、過去の「家」の残滓払拭し、「子(個人)」を起点とした新しい社会契約としての戸籍制度を構築すべき時である

anond:20260511113725

しろ存続が難しくなるのはチェーン店やと思うで

バイトの確保がもう限界にきとるし

ワンオペ+αの個人店が生き残る時代

2026-05-10

地方進学校から東大に行った私が、大学一年生に祈ること3

第三部 内容で勝ち、現実で負ける

大学卒業して、私はある大手会社に入った。

社名は伏せておく。

商社系の、若手にもそれなりに権限が回ってくると言われている会社だった。

入社した最初の年、私はそれなりに評価されていた。

配属された部の課長論理的な人で、私の作る資料の精度をある程度評価してくれた。

問題は二年目以降に始まった。

最初に明確な摩擦が起きたのは、ある社内会議だった。

ある新規プロジェクトの立ち上げに関する会議で、部長が明らかに前提条件の数字を間違えていた。

市場規模の試算根拠が五年前の業界レポート依存していて、その後の市場の変化を反映していなかった。

私は会議の中盤でそれを指摘した。

すみません。その市場規模数字ベースになっているレポートが古いです。直近三年で市場構造が変わっているので、現状の数字はその試算より三〇%程度小さいはずです。私の試算では、こちらになります

私は自分ノートPCの画面をプロジェクターに映した。

試算表は、出典付きで再現可能な形にしてあった。

部長はしばらく画面を見ていた。

それからゆっくり言った。

「うん、わかった。数字の話はまた別の機会にしよう。今日方向性の話をしている」

「いえ。方向性市場規模を前提にしているので、市場規模が違えば方向性自体が変わります

部長はもう一度、私を見た。

今度は少し、目に疲れがあった。

「君の言うことはわかった。あとで個別に話そう」

会議は、私の指摘を反映しないまま進んだ。

会議のあと、廊下で同期の一人に呼び止められた。

「お前、ああいう言い方やめたほうがいいぞ」

「内容として間違ってるか?」

「内容は合ってる。けど部長の顔、潰しただろ」

「顔の話なんかしていない。事業の話をしているんだ」

同期はため息をついた。

「そう。そうなんだよ。お前はいつも事業の話しかしない。だから、お前以外のみんなが何の話をしてるのか、お前にはわかってないんだよ」

そう言って行ってしまった。

私はその言葉をしばらく考えた。

考えた末に、こう判断した。

あいつも結局、内容で勝てない側の人間か。

そして忘れることにした。

二週間後、私はそのプロジェクトのチームから外された。

理由は表向きには、「別のプロジェクトに君のスキル必要から」だった。

私が回された別のプロジェクトは、ほとんど何も動いていない塩漬けに近いものだった。

私は課長に直接抗議した。

「私の指摘が間違っていたのですか」

課長は少しだけ困った顔をした。

「指摘の内容は間違っていなかった」

「では、なぜ外されるのですか」

「内容ではない。理由は内容ではないんだ」

「では、何ですか」

課長は少し沈黙した。

それから、こう言った。

「君は正しい。けれど、君と一緒に仕事をしたいと言う人間がいない」

その瞬間、自分の中の何かが冷たく固まったのを覚えている。

私は課長を見た。

できるだけ感情を出さずに言った。

「では、正しさよりも好かれることのほうが評価されるのですか」

課長は私を長く見た。

それから言った。

「そうじゃない。仕事は一人ではできないから、一緒に仕事ができる人間になることも能力のうちなんだよ」

私は頷かなかった。

その夜、自分の部屋で長い時間考えた。

考えた末に、自分結論を一文字も変えなかった。

会社は、正しさを評価しない組織だ。

から転職する。

私はその三ヶ月後、最初転職をした。

このパターンが三十代を通じて繰り返された。

三回、転職した。

会社が変わっても結末は似ていた。

最初半年は、私の能力と精度が評価される。

次の半年で、私の指摘が人を傷つけるようになる。

一年経つ頃には、何かのプロジェクトからかに外される。

私は毎回、辞めるとき同じことを思った。

「この会社も、私を理解できなかった」

四回目の転職活動とき、私は四十二歳になっていた。

そのとき初めて、こう思った。

もしかして問題は私のほうにあるのか?」

これに気づくのに二十年かかった。

二十年だ。

君がこれを二十二歳のうちに気づければ、私より二十年得をする。

二十年は長い。

本当に長い。

ここでKの話に戻る。

Kとは大学卒業してからほとんど連絡を取らなくなっていた。

年賀状最初の二、三年は来ていたが、私が返さなかったので自然と途絶えた。

Kがどうしているかを知ったのは、私が三十五歳のときだった。

ある業界誌の記事だった。

Kは新卒で入った会社で、地味に出世していた。

記事は、ある業界中堅企業新規事業立ち上げに関するものだった。

Kはその新規事業責任者として、写真付きで紹介されていた。

写真の中のKは、大学ときと同じように口を大きく開けて笑っていた。

少しだけ太っていた。

記事を読んで、いくつかのことを知った。

Kの新規事業最初、大失敗していた。

市場の読みを間違えて、最初半年予算の三分の一を失った。

普通なら、その時点で責任者は外されるはずだった。

けれどKは外されなかった。

なぜか。

Kは失敗の途中で、社内の他の部署人間を何人も巻き込んでいたからだった。

営業課長

開発の係長

経理の若手。

現場派遣社員

Kは新規事業のために、社内のいろいろな人間に頭を下げて知恵を借りていた。

失敗が見え始めたとき、その人たちがKを助けた。

「これはKだけの責任じゃない。自分たちも一緒に考えた案だ」

そう言ってKを庇った。

Kは結果として責任者の座を維持し、二年目に軌道修正成功した。

記事インタビューで、Kはこう答えていた。

最初半年で失敗したのは僕のせいです。市場の読みが甘かった。けど、その失敗を直せたのは僕一人の力じゃないです。社内のいろんな人が一緒に直してくれた。だからこれは、僕のチームの成果なんです」

私はこの記事を何度も読んだ。

そして初めてわかった気がした。

Kは最初から、「一人で正解を出す」ことを目指していなかった。

Kは最初から、「みんなで間違えて、みんなで直す」ことを戦略としていた。

私はずっとKを軽く見ていた。

Kは内容で勝てないから、人と仲良くするのだと思っていた。

違った。

Kは内容で勝つことの限界を、最初から知っていた。

から内容で勝つかわりに、内容を直せる関係を作ることに力を注いでいた。

Kは、私が二十年かけても気づかなかったことを二十二歳のときにはもう知っていた。

たぶんKは、もっとから知っていた。

中学校高校のうちに、一度、自分より頭のいい人間出会っていたのだろう。

そこで、自分が一人では勝てないことを学んでいたのだろう。

Kは十二歳か十三歳のうちに負けていた。

そしてその負けから、人と一緒にやることを学んでいた。

私は十八歳まで負けなかった。

その代償が、その後の二十年だった。

四十代に入ってから、私の人生加速度的に静かになった。

両親が立て続けに亡くなった。

父が先で、母がそのあとだった。

葬式地元で行った。

私は長男として喪主を務めた。

葬式に来た親戚や、父の昔の同僚や、母の友人たちは、私のことを「東大を出た立派な息子」として扱った。

私はその扱いを受け入れた。

受け入れるしかなかった。

葬式最後、母の友人だったという、私の知らないおばさんが言った。

「お母さん、あなたのことをいつも自慢してたのよ。東大に入ったときも、いい会社に入ったときも。でもね、最近お母さんこう言ってたの。『あの子結婚はしないのかしらね』って。心配してたわ」

私は笑顔で答えた。

「ええ、心配かけました」

その夜、実家の、自分高校時代に使っていた部屋で一人で酒を飲んだ。

机の引き出しを開けると、高校時代模試の成績表がまだ残っていた。

一番上の成績表は、高校三年の十一月のものだった。

全国偏差値、七十六。

順位、全国八位。

その紙を長い時間見ていた。

そして思った。

この紙が、俺の人生で一番輝いていた瞬間の証拠なんだろうな。

三十年前の紙だ。

私はその紙を引き出しに戻した。

戻して、引き出しを閉じて、また酒を飲んだ。

涙は出なかった。

涙が出るような感情ではなかった。

もう少し乾いた、静かな何かだった。

母が亡くなって少し経った頃、私はMに偶然、駅で会った。

Mはすぐに私に気づいて「お前、変わらないな」と言った。

私はMに気づいていなかった。

Mは髪が薄くなり、少し太っていた。

スーツの肩のあたりがくたびれていた。

けれどMの表情は、駒場ときよりずっと穏やかだった。

私たち駅前の安い居酒屋に入った。

Mは結婚していた。

子供が二人いた。

の子中学生で、下の子小学生だと言った。

仕事は、私が風の噂で聞いていた通り、ある官庁にいた。

Mは私の近況を聞かなかった。

たぶん聞かないほうがいいと判断したのだろう。

代わりに、駒場の頃の話をいくつかした。

「お前、覚えてる? あの語学クラス和訳の輪。Kがやってたやつ」

「ああ」

「俺、あれに助けられたんだよ」

「助けられた?」

「うん。俺さ、地方から出てきて、最初お前と似たような感じだったじゃん。一人でやれば全部できる、みたいな。けどKがしつこく誘ってくれてさ。最初は俺も、うざいと思ってたんだよ。けど何回か行ってみたら、自分が見えてないところを他のやつが見えてたりするんだよな。それで俺、考え方を変えたんだ。一人で全部やる必要はないって」

私はハイボール一口飲んだ。

Mが続けた。

「あれが俺の人生の、たぶん一番大きな転換点だった。あそこでKに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。今の仕事、俺一人じゃ絶対できないからな。役所って根回しの世界から

私は頷いた。

Mが私をちらっと見た。

「お前は行かなかったよな、あの輪」

「うん」

「何で行かなかったんだ?」

しばらく答えられなかった。

それから、ようやく言った。

「行く必要がないと思っていた」

Mはそれ以上聞かなかった。

私たちはもう一杯ずつ飲んで別れた。

Mは終電で帰っていった。

最後に「また飲もうな」と言った。

私も「うん」と言った。

私たちはその後、一度も飲まなかった。

二人とも、それをわかっていたと思う。

家に帰る電車の中で、私はずっとMの言葉を考えていた。

Kに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。

Kは私のことも引っ張ろうとしていた。

「気が向いたら、声かけて」

「お前さ、たまには誰かに頼ってもいいんじゃない?」

「一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」

Kは私に何度も手を差し出していた。

私はその手を毎回振り払っていた。

Kを軽く見ていた。

軽く見ることで、自分プライドを守っていた。

そのプライドのために、人と一緒に何かをするということを、生涯、覚えそこねた。

電車の中で初めて認めた。

あいつは、ずっと間違えていたわけじゃなかった。

あいつは、正解を一人で出すことを最初から諦めていただけだった。

から、みんなで間違えたあと、みんなで直すことができた。

俺は、一度も間違えないために、一度も誰とも直せなかった。

これを四十五歳の電車の中で、ようやく言葉にできた。

涙はまた出なかった。

代わりに、車両のドアの上の広告文字が妙にはっきり見えた。

人生は、一度きり」

そんなことが書いてあった気がする。

正確には覚えていない。

四部 一年生の君へ

ここまで書いてきたことを、まとめる必要はないかもしれない。

ただ、もう一度だけ君に語りかけたい。

君がもし、私に少し似た人間なら聞いてほしい。

勉強がそれなりにできる。

一人でいることを苦にしない。

周りが少し幼く見える。

雑談時間無駄だと感じる。

「言い方」を装飾だと思っている。

人に頭を下げることを敗北だと感じている。

もしそうなら聞いてほしい。

その感覚は、君が地頭がいい証拠ではない。

君が、自分より上の人間にまだ会っていない証拠だ。

君が会っていないのは、君が悪いからではない。

たぶん環境のせいだ。

地方進学校

中堅校で一番頭がいい子。

学年で目立つ秀才

そういう環境にいると、自分の上が見えない。

自分天井が見えない。

から自分能力過大評価する。

過大評価しているという自覚も持てない。

これは君の責任ではない。

ただ、これからは君の責任だ。

なぜなら君は今、東京大阪や、その他の大学に出てきている。

そこには君と同じか、君より上の人間が必ずいる。

中学生ときからもっと厳しい競争経験してきた人間が必ずいる。

そういう人間に、君はこれから確実に出会う。

そのとき、どう振る舞うか。

それが君のこの先三十年を決める。

選択肢は大きく二つある。

一つは、その人間を軽く見ることだ。

あいつは要領がいいだけだ」

あいつは育ちがいいだけだ」

あいつは一人で考える力がない」

そう評価して、自分プライドを守ることだ。

これは簡単だ。

すぐにできる。

何の努力もいらない。

プライドが守られる。

気持ちがよい。

私が選んだのはこっちだ。

そして、その代償をこの四十七年間で払い続けている。

もう一つは、その人間に頭を下げることだ。

「すごいですね」

「教えてください」

「どうやってそんなに上手くやるんですか」

そう聞くことだ。

これは難しい。

プライドが傷つく。

気持ちが悪い。

自分が小さく感じられる。

けれど、こっちを選べる人間は二十年後、ほぼ確実に生き残る。

なぜなら、こっちを選んだ瞬間から、君の能力自分能力だけでなくなるからだ。

君は自分より上の人間能力を、少しずつ自分の中に取り込んでいけるようになる。

これは私が二十年かけて気づいたことだ。

人間が成長するのは、自分一人で勉強しているときではない。

自分より上の人間に、自分の間違いを笑いながら指摘されたときだ。

そしてもう一つ。

性格をよくしろ

これは道徳の話ではない。

君が長く生き延びるための技術の話だ。

性格をよくする」というのは、誰にでも愛想よくすることではない。

人と一緒にいるときに、その人が「君と一緒にいて楽だ」と感じるように自分の振る舞いを設計することだ。

これを十代後半のうちにやっておかないと、後からやり直すのが本当に難しい。

人間性格は、二十代の前半まではまだ柔らかい

二十代の後半から急速に固まる。

三十代に入ると、ほとんど固まる。

四十代になると、もう変わらない。

私は四十代の自分を見て、それを知った。

君は今、二十歳前後だ。

君の性格はまだ柔らかい

固まる前に修正してくれ。

修正方法は難しくない。

ただ、毎日こう言える人間になることだ。

「ごめん」

「教えて」

「ありがとう」

自分が間違っていた」

この四つを軽く、自然に言える人間が長く生き延びる。

この四つを重く、特別なこととして言わなければならない人間は、私のように誰とも何も直せなくなる。

この四つの言葉はみんな、同じことを言っている。

「私は完璧ではない」

「私は、あなたの助けが必要だ」

「私は、変われる」

それを認められる人間が、変われる人間だ。

ここで最後に、一つだけ付け加えたい。

私はこれまで、「人に合わせるな」「集団は誤答を選ぶ」「会議ノイズだ」「調整は知性の敗北だ」と思ってきた。

その認知は、地方進学校の中では半分は事実だった。

けれど社会に出てからは、別の事実があった。

集団はたしかに誤答を選ぶこともある。

けれど、その誤答を修正する力もまた集団の中にある。

一人の人間は、自分の誤答を自分ではなかなか直せない。

人間は、自分の見え方の中で考えるからだ。

自分の見え方の外側にある誤答には、自分一人では気づけない。

から誤答を直すには、自分の見え方の外側を持ってくる必要がある。

それを持ってきてくれるのが他人だ。

正確に言えば、他人と作る関係だ。

この関係若いうちに作っておかないと、君の認知は君一人の中で閉じる。

閉じた認知は、いずれ現実とずれる。

現実とずれた認知は、現実によって罰せられる。

その罰が、私の四十代だった。

君には、その罰を受けてほしくない。

この手紙を、ここで終える。

書きながら何度か、自分のことが嫌になった。

いや、本当のことを言えば、何度か自分のことをまだ正当化したくなった。

「あの会議で、俺は本当に正しかった」

「あの上司が、俺を理解できなかったんだ」

「Kは、俺ほど深くは考えていなかった」

そういう声が、今でも私の中で聞こえる。

たぶん、その声は死ぬまで消えない。

けれど私は、その声をもう信じない。

その声を信じてきた人間の末路が、私だからだ。

私は君に、私と同じになってほしくない。

私はもう、どこにも戻れない。

母も父も、もういない。

KともMとも、もう会わない。

私の若い頃のクラスメイトたちは、たぶんそれぞれの家庭で、それぞれの夕食を食べている。

私には夕食を一緒に食べる相手がいない。

これは自業自得だ。

誰のせいでもない。

けれど君は、まだ間に合う。

君はこれから出会人間に、頭を下げられる。

これから「ごめん」「教えて」「ありがとう」自分が間違っていた」を毎日言える。

これから人と一緒に間違えて、人と一緒に直せる。

それを君のうちに習慣にしてほしい。

二十歳の君の習慣は、四十歳の君の人格になる。

四十歳の君の人格は、君の人生のものになる。

二十歳の君が人に頭を下げることを覚えれば、四十歳の君は誰かに助けられる人間になる。

二十歳の君が自分の間違いを認めることを覚えれば、四十歳の君は間違える前に人に相談できる人間になる。

二十歳の君が雑談大事にすることを覚えれば、四十歳の君には夕食を一緒に食べる相手がいる。

これは綺麗事ではない。

私という見本が、空席のまま証明している技術の話だ。

最後に、もう一度だけ。

正しさは、人に届かなければ現実を変えない。

一人で正解を出せる人間より、人と一緒に間違えて直せる人間のほうが長く生き残る。

集団はたしかに誤答を生む。

けれど、誤答を直す力もまた集団の中にある。

その集団に、君が入っていけるかどうか。

それが君のこれからの三十年を決める。

私は入っていけなかった。

その理由をたくさん書いてきた。

けれど本当の理由は、たぶん一つだ。

私は怖かったのだ。

人と一緒にいて、自分特別ではなくなることが怖かった。

その怖さを、私は「孤独を選ぶ強さ」と自分に言い聞かせていた。

それは強さではなかった。

ただの臆病だった。

君が私と同じ怖さをもし持っているなら、その怖さに名前をつけてやってほしい。

「臆病」と。

名前をつければ、君はその怖さに対処できる。

名前をつけずに、それを「強さ」と呼び続ければ、君は私になる。

長くなった。

これで終わる。

君が今夜、誰かと夕食を食べられますように。

君が明日の授業で、誰かに「教えて」と言えますように。

君が来週、自分より少し上の誰かに頭を下げられますように。

君が来月、自分の間違いを笑って認められますように。

君が来年、誰かと一緒に何かを失敗できますように。

君が十年後、誰かと一緒にその失敗を直せていますように。

君が二十年後、私のように、見知らぬ若者へ誰にも頼まれない手紙を書く人間にならずにすみますように。

これは説教ではなく、

これは祈りだ。

四十七歳の、一人の失敗した人間から祈りだ。

どうか。

私のようには、ならないでくれ。

敵ばかり作る腐女子問題についての論考

第1章 実在性的少数者に対する性的対象化・搾取

1-1. 問題所在

BLボーイズラブ文化は、男性同士の恋愛性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造実在ゲイバイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。

具体的には以下の論点がある。

1-2. 擁護論とその限界

これらの主張には一定妥当性がある。しかし、「フィクションから無関係」という論理は、RPS実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解入口になった」という功利正当化は、当事者が現に被る不快搾取を帳消しにする根拠としては不十分である

1-3. 構造的な問題

より深刻なのは、この問題が指摘されたとき腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者批判封殺する力学が働くことであるマジョリティ異性愛女性)がマイノリティゲイ男性)の表象占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。

第2章 未成年キャラクターR-18二次創作問題

2-1. 現状の確認

イナズマイレブン』(主要キャラクター中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターR-18 BL二次創作は、pixiv同人誌即売会SNSなどで大量に流通している。

2-2. 法的論点の整理
論点現行法の状況
著作権侵害二次創作原著作物の翻案権同一性保持権侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意依存した状態である
児童ポルノ該当性 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在児童対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクション規制対象とする国がある(豪州カナダ等)。
わいせつ物該当性 刑法175条のわいせつ頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。
2-3. 法的問題を超えた倫理的問題

法律上違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為倫理的問題ないと言えるかは別の問いである。

腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理正当化されることが多いが、この論理男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。

2-4. 権利者の対応と「グレーゾーン」の脆弱性

一部の権利者はガイドライン性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合個別対応コスト炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要負担を強いている。

第3章 Woke言説の武器化と表現規制の輸入

3-1. 概要

近年、英語圏社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評インターセクショナリティなど——が、日本SNS上で選択的に翻訳引用され、特定表現攻撃するための武器として使用される事例が増加している。

3-2. 具体的なパターン
3-3. 問題本質

Woke言説そのもの問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評学術的に重要知的伝統である問題は、それらの理論本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義棍棒」として使用する態度にある。

これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである

第4章 腐女子コミュニティ内部の暴力

4-1. 「毒マロ文化実態

マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃メッセージ通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである

4-2. 筆折り

マロ晒しSNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。

特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。

4-3. 「学級会」と同調圧力

腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体コミュニティ自治として機能しうるが、しばしば規範押し付けと逸脱者への制裁に変質する。

第5章 女性向け異性愛コンテンツへの蔑視攻撃

5-1. 構造的な序列意識

腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識存在するとの指摘がある。

この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛自己投影低俗」という偏見に基づく。

5-2. 攻撃の具体例
5-3. 矛盾構造

ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作コミュニティ内で別のジャンル蔑視攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対実態である

第6章 男性向け表現への攻撃と発売停止・キャンセル運動

6-1. 事例の蓄積

近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。

6-2. 「お気持ち」の制度

これらの運動共通するのは、主観的不快感(「お気持ち」)を客観的権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。

しかし、SNS上の炎上企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である

6-3. ダブルスタンダード極致

最も深刻な問題は、男性向けの性的表現攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターR-18 BLを消費している場合があるという点である

このダブルスタンダードは以下のように正当化される。

いずれも知的に誠実な議論とは言い難い。

anond:20260510190439に続く

今年のGWゲーデルに費やした

マジで脳が震えてる。全人類にこの興奮を伝えたい。

今年のGW、お前らがBBQだの旅行だの浮かれてる間、俺は一人で岩波文庫の『不完全性定理』と取っ組み合いをしていた。

正直、今までは「算術を含む公理系には、証明反証もできない命題存在する」っていう、ふわっとした知識しかなかった。

でも、それじゃ納得できなかったんだ。

「なんで数学っていう完璧世界に、そんな穴があるんだ?」って。

で、連休5日間、モンスターエナジーをキメながら不完全性定理の核心、いわゆる「ゲーデル数化」と「対角線論法」を徹底的にシミュレーションした。

そしたら昨日、ついに「見えた」んだよ。論理歯車がカチッと噛み合う音がした。

まず、ゲーデル論理式そのものを「数字」に変換したんだ。

例えば、変数論理記号素数を割り当てていく。

G(s) = 2^n1 * 3^n2 * 5^n3 * ...

こうすることで、数学について語る「メタ数学」を、数学のものの中に閉じ込めた。

この発想がまず天才すぎる。

そして、俺が一番興奮したのがここだ。

自分自身証明できない」という命題を構築するステップ

不完全性定理の核心的な構造は、これだ。

∀x ¬Prf(x, ┌G┐) ⇔ G

これは、公理系の中で「証明不可能であることを主張している。

もし証明可能なら偽のことを言っているか矛盾する。逆に証明可能なら、それは「 証明可能である」という嘘を証明したことになり、公理系が壊れる( 無矛盾性の崩壊)。

さらに、この証明可能性を「算術化」した述語を使って、第二不完全性定理を導くプロセス鳥肌モノだった。

Consis(T) → ¬Bew(┌0=1┐)

この一連の流れを追った瞬間、俺の脳内パッヘルベルカノンが流れたね。

数学は、自分自身が正しいことを、自分自身の力だけでは証明できない。

この限界こそが、数学の「美しさ」そのものだったんだ。

……え? 「お前、GWなにやってんの?」って?いいか、俺たちの背後にはこの「不完全性」が横たわってるんだ。

不完全だからこそ、俺たちの「自由」がある。

ゲーデルはそれを教えてくれた。

俺は今、人生で一番、知的脳汁が滴るいい男になってる自信がある。

論理の海に抱かれて眠るわ。

お前ら、数学舐めるなよ!!

映画スティーブン を見た

メフィスト賞取りそうなインド発のミステリサスペンス映画の珍作。47点。

 

ある日、警察署自首してきたひげ面の男。何をしたのかと問われると彼は「人を殺しました」と告げる。それも9人。彼は今世間を騒がせている連続女性殺人犯だった。主人公刑事と友人の犯罪心理カウンセラー公判に向けてそれぞれ証拠集めと彼の責任能力の追及を行っていく。その中で2人は彼の呪われた過去の闇と向き合っていくことになる。

みたいな話。ではなかった……

 

意外と構成演出?が凝っててねぇ。

冒頭、ひげ面の男が自首してきたところからまり、殺されていった女性たちがどう殺されていったのかを映す。その後、事件捜査犯人に迫っていく警官たちと町中をうろうろするひげ面の男。警官たちが犯人に近づくにつれてひげ面はどんどんと警察署に近づいて行って、警官たちがついに犯人の家にたどり着くと同時に、ひげ面は警察署自首にしに入るのであった。

という、自首までの警察側のアレコレをただ見せるんじゃなくて、彼らが捜査している間に犯人自首を考え裏をかくように自首してきたことを見せることで犯人の手ごわさを表現しているのはなかなかようやっとる。

こんな感じでインド映画だけど、わりと正統派演出から入って途中でやっぱり歌で全部説明するターンが入ったりするのも草が生えてよい。

あと、ライティングで善の心は青、悪の心は赤というわかりやすい処理しているのはさすがに近年ではあんま見かけない実直さだなぁと思ったり。

 

で、話としてはカウンセリング捜査犯人過去を追っていく形になり、そこでミステリが二転三転していく。

彼の父親母親を殺し電話自首するも警官が到着する前に自殺していたことが明らかになるが、その捜査過程で実は父親母親を殺し心中を図ってきたので彼が反撃し身を守る形で父親殺害していたことがわかる。到着した警官が彼の父親に恨みを持っていた人物だったので事件を隠ぺいしていたのだった。

犯人カウンセリング中に噓をついていると疑っている2人は、カウンセリングで彼にこの質問をぶつける。両親の死について教えてほしい、と。

仮に世間的に公開されている両親が殺しあったと答えれば彼はうそつき父親自分が殺したことを話せば正直者。

彼が答えた真実はこうだった。

強権的でアル中。彼と母親容赦なく虐待し、彼が拾ってきた子犬すら殺してしまうような父親に育てられるが、ある日、父親盗撮の罪で捕まり盗撮された娘の親族にぼこぼこにされ大怪我を負う。そのことで家庭内では立場が逆転し、今度は母親父親と息子である彼を強権的に虐待する立場に。

そしてある日、彼が都会での仕事が決まった日、いろいろあっていつも通り2人を虐待し始めた母親がその仕事書類を見つけてしまう。都会に行かせてくれと頼む彼を母親嘲笑書類を破り捨てる。さすがにブチ切れた彼が母親を刺殺。虐待鬱憤がたまっていた父親は俺が殺した!と言い張り自首さら母親侮辱しようとした父親に怒り、彼は父親殺害した。

父親を殺したか殺してないかどちらと答えるかで彼を測ろうとしていた2人は困惑さらにわからなくなってしまう。

その後、犯人の家に残されていた遺留品から殺されていない被害者存在することがわかり、彼女の捜索が始まり、そこでまたミステリっぽいリストアップからの条件による絞り込み、残った人たちを教会に呼び出してチェックするも教会内と受付で人数が合わないミステリがあってからの、実はその1人は受付に座っていました~というベタベタの展開で、その彼女証言から犯人恋人存在がわかる。

犯人の幼馴染で両親の死後に再開、恋に落ちて付き合い始めるがそのうち犯人によって両親を自分が殺したことを告げられる。受け入れようとするがむしろ犯人側が疑心暗鬼になってしまい、彼女自首しないようにストーキングをはじめさら精神を病んでしまい両親を殺した人間別にいて今もついてきていると言い出す。そしてお互い限界に到達してしまい、犯人恋人を殺してしまう。

しかしそれが受け入れられない犯人恋人とやり直すために恋人とのやり取りをいろいろな女性カメラの前で行うことで自己カウンセリングをしようとするも結局、怒りのあまり女性を殺すということを繰り返していたのだった。

強権的な親の元で虐待を受け、そこから抜け出すために殺人を犯してしまい、さらにその殺人のせいで恋人とも悲劇的な別れ方をしてしまい、それを受け入れられなくて殺人を繰り返していたが、カウンセリングでその事実を認めることで心から反省した。ということで、裁判では罪を認めて罪状は二重の終身刑

移送バスに乗り込む犯人を横目に哀しい真実を突き止めた刑事は「判決は出た。できることはもうない」と話すのだった。

 

が、ここでUNICRONが流れ出し、コメント欄は「ん?流れ変わったな」と大盛り上がり。

バスの中が急にもわっとしだして、犯人精神世界に接続される。バスの中には犯人被害者たちが勢ぞろいし口々に真実を告げる。

「犬を殺したのも犯人」「母親は殺そうと思って殺した」「父親を脅して自首電話をさせて殺した」「なんなら盗撮したのも犯人だった」「生まれつき小動物を殺して過ごしていた」「幼馴染は通報しそうだなと思ったからすぐ殺した」「9人の女たちは恋人が死んで寂しかたから引き込んで飽きて殺した」

そして、殺されなかった被害者は幼馴染に導くために残した、彼女を殺していたら自首が間に合わなくて射殺されるのはわかっていた(インドでは凶悪犯は逮捕前なら射殺していい)、刑事たちを自主的に幼馴染に導くことで自身憐憫の情を沸かせられることはわかっていた。そしてそうなれば裁判では死刑にならないように持っていけると思っていた。終身刑だが模範囚になれば死ぬまでに出られるのもわかっている。

そう、刑事たちが自分たちで見つけたと思った真実はすべて犯人によって用意されたものだった。

この映画が映し出していたことは全てうそだったことがわかり、バスは走り続け、なんかよくわからん続編を示唆して終わる。

 

まぁ、このオチがやりたくて撮ったんだろうし、実際のところこのオチ結構驚いたんだけど2時間映画見せられてきてそれ全部嘘でした~は体験として面白いかどうかはかなり怪しいところ。せめてもうちょっとなんかそれとわかるヒントは欲しかたかな。じゃないと、この2時間なんやったんや?という徒労感が強くなりすぎる気はする。

ただ、その2時間サイコミステリ部分は技法的につたないところはありつつもちゃんと真面目に作られていたので、だからこそのアンチミステリ的なこのひっくり返しはメフィスト賞っぽさあるなぁと思って、俺はメフィスト賞嫌いじゃないのでまぁまぁ、こういう作品もあるよなと思いました。

そんな感じで、あんまり真面目に見すぎるとハァ?ってなる可能性はあるけど、ビックリオチ一発のインド系か珍作ミステリと思ってみるといいと思う。メフィスト賞みたいなちょっとひねったミステリ好きな人おすすめ

2026-05-09

deepseek-v4 pro に小説を書かせてみる

anond:20260509221410

deepseek-r1 に小説を書かせて、他のモデル比較してみる

https://zenn.dev/sky/scraps/98c3cb767f46a7

以下の設定で、小説を書いてください

死神時間 Manipulator」

参加者はそれぞれ時計を手に入れ、「1分間の未来を見る能力」と「1分間の過去操作する能力」を得る。しかし、この能力は無制限ではなく、使用回数が限られているうえに、他人時間操作すると自分寿命が短縮されるというルール

がある。死神と名乗る存在から最後まで生き残る者だけが自由を手に入れることができる」と告げられ、参加者は互いの時計を狙い合う。



目を開けたとき、目の前に広がっていたのは、見覚えのない薄暗い部屋だった。

廃墟のような打ちっ放しのコンクリートの壁。剥き出しの電球ひとつ、頼りなげに揺れている。円形の部屋の中央には、古びた木製のテーブルが置かれていた。そしてそのテーブルを囲むように、十一脚の椅子が並んでいる。

自分を含めて、十一人の男女が座っていた。

「――なんだ、ここは」

隣に座っていたスーツ姿の中年男性が、震える声で呟いた。彼の言葉を皮切りに、あちこちから戸惑いの声が上がる。泣き出す者、立ち上がって出口を探す者、呆然としている者。

彼女は違った。最初自分左手首を確認した。

そこには、見慣れない時計が巻かれていた。黒い革ベルトに銀色文字盤。針は三本。時、分、秒。だが通常の時計とは違い、文字盤の縁には細かな目盛りが刻まれ、小さなボタンが三つ、側面に並んでいる。

そして気づく。他の十人も、全く同じ時計を身につけていた。

「お気づきのようだね」

声がしたのは、部屋の隅からだった。

つの間にか、そこに立っている。黒いローブをまとい、フードを深く被った長身の人影。顔は見えない。だが、声は妙に陽気で、まるで旧友にでも話しかけるような口調だった。

諸君、ようこそ。私は『死神』と呼ばれている」

誰かが悲鳴を上げた。別の誰かが立ち上がり、人影に掴みかかろうとする。だが、その動きは途中で止まった。正確には、止められた。体が動かないのではない。恐怖が、足を縫いとめているのだ。

「まずはルール説明といこう。諸君左手にあるソレ。それはただの時計ではない。君たちに授けられた、『時間操作装置』だ」

自らを死神と名乗る存在は、ゆっくりテーブルに近づいた。

「一つ目の能力は、『未来視』。左のボタンを押せば、これから一分間に起きる出来事を視ることができる。二つ目は『過去改変』。右のボタンを押せば、一分前の過去干渉し、結果を書き換えることができる」

場の空気が凍りついた。誰もが言葉を失い、ただ死神の声だけが部屋に満ちる。

「ただし、無制限ではない。使用回数には限りがある。そして何より――」

フードの奥で、何かが笑った気配がした。

他人時間操作すればするほど、君たち自身寿命は削られていく。これが三つ目の、そして最も重要ルールだ。一人の時間操作するたび、君は三日分の寿命を失う」

スーツ男性が、かすれた声で問うた。

「……どういうことだ。なぜ俺たちがこんな……」

「なぜ? 理由必要かね?」

死神は首を傾げる仕草をした。

「強いて言えば、退屈しのぎだ。このゲームの名は『死神時間』。君たち十一人はこれから互いの時計を奪い合ってもらう。最後まで生き残った一人だけが自由と、そして余命を手に入れることができる」

部屋の空気が一変した。それまでは恐怖と混乱が支配していた。だが今は違う。隣に座る人間が、敵になる。

時計を外すことはできない。破壊することもできない。持ち主が死亡したとき、その時計は停止し、その時点で他人が入手可能になる。簡単な話だ。相手を殺せば、その時計の残り使用回数が自分のものになる」

彼女無意識に、左手首の時計を握りしめていた。心臓が早鐘を打っている。頭のどこかでは、こんな馬鹿げた話があるかと叫んでいる。だが体はすでに理解していた。これは現実だ、と。

「そうだ、ひとつだけ親切に教えておこう。未来視にも過去改変にも、『限界』がある。それは自分で見つけるといい。ゲームはそのほうが面白いだろう?」

死神くるりと背を向けた。

「では、始めたまえ」

その瞬間、部屋の四方の壁が轟音とともに開いた。外は闇。どこかもわからない廃墟の中だと理解するまでに、数秒かかった。

誰かが走り出す。誰かが叫ぶ。そして誰かが、隣に座っていた人間の腕を掴んだ。

彼女は違った。いち早く立ち上がり、開いた壁の一つに向かって全力で駆け出した。右手には無意識のうちに自分時計を、左手は前へと伸ばす。闇の中へ、まだ誰も選んでいない方向へ。

背後で、最初悲鳴が上がった。

振り返らなかった。

彼女は、走りながら左のボタンに指をかけた。

――まずは生き延びる。考えるのはそれからだ。

左翼活動家体育会系部活が共に事故限界を露呈

学生運動の時に生まれ双子から寿命も似ているのかもしれぬ…

沖縄の方の起源をそこに求めるのはおかしいか

まだ日本復帰していないからな…

初めて会う人と1時間話すの体力的にきついんだけど

時間限界

集中力持たない

途中で解放してくれって思いだすもん

興味ある人が相手なら幾らでも話を聞けるんだろうか

嫁が突然「猫飼いたい」って言い出した

土曜日の朝。

俺がコーヒーを淹れてたら、嫁がリビングから

「猫、飼いたい」

って言った。

俺は振り返って、嫁を見た。

嫁は真剣な顔をしていた。

冗談じゃない顔だった。

「急に?」

「ずっと考えてた」

「ずっとっていつから

「3年前から

「3年前??」

俺は驚いた。

嫁は3年前から毎日、猫を飼いたいと考えていたらしい。

俺は3年間、それに気づかなかった。

「なんで今言うの」

あんたが反対するの、わかってたから」

「いや、別に反対しないけど」

絶対反対する。だって面倒くさいって言うからあんたは」

その通りだ。

俺はたぶん、3年前に同じ話をされたら、「猫は面倒くさい」と言っていたと思う。

今でもちょっとそう思う。

「でも、もう限界なんだよね」

限界?」

「私、あんたとふたり暮らしてるの、ちょっと限界

「えっ」

あんたのこと嫌いになったわけじゃない」

「えっ」

「でもさ、なんていうか、あんたとふたりだけだと、世界が狭いんだよ」

「えっ」

俺はコーヒーを置いた。

これは大事な話だ。

世界が狭いって、どういうこと」

あんたは仕事世界の半分くらいあるじゃん。私は、あんたが世界のほぼ全部なの」

「あー…」

「それが重い。私にとっても、たぶん、あんたにとっても」

「うん」

「だから世界ちょっと広げたい」

「猫で?」

「猫で」

俺は座って、嫁の話を聞いた。

嫁はずっと考えていたらしい。

猫を飼ったら、たぶん、嫁は猫の話をする。

俺は猫の話を聞く。

俺と嫁の間に、猫という第三者が入る。

それで、たぶん、ちょっと、息ができるようになる。

嫁はそう言った。

俺は、嫁が3年間、息ができていなかったことに、初めて気づいた。

「わかった、猫飼おう」

「ほんと?」

「うん」

「面倒くさいけどいい?」

「面倒くさいけどいい」

嫁は「ありがとう」と言って、ちょっと泣いた。

3年間、嫁は何を我慢していたんだろうと思う。

俺は嫁のことを、たぶん、わかった気になっていた。

わかってなかった。

来月、保護猫を引き取りに行く。

名前はもう決めてある。

「マル」。

嫁が決めた。

俺は何も意見しなかった。

これからは、俺と嫁とマルで生きていく。

マルが俺たちの世界ちょっと広げてくれることを、俺は本気で期待している。

anond:20260509020130

まあそれはそうか

だとしても反保守のつもりなのなら限界保守じみた言動を取るのはなんだかなあと思ってしま

2026-05-08

AIを万能で魔法みたいに思ってる男、無理

流石にヤバいでしょ。

だってAIを「なんでも解決してくれる魔法の杖」だと思ってて、その裏にある計算複雑性理論絶望すら知らないって、もうそれ「脳みその半分をクラウドに投げてます」って自己紹介してるのと同じじゃん。

アルゴリズム数学なんだよ。

どんなにニューラルネットワークが深層化しても、背後には厳然たる数学限界がある。

例えば最適化問題

AI万能主義の男は「AIなら最適な答えをすぐ出せる」と信じ込んでる。

でも、現実にはP≠NP予想っていう巨大な壁がある。

NP問題効率的時間で解くアルゴリズムなんて現代数学の誰も見つけてない。

もし巡回セールスマン問題ナップサック問題の真の最適解をAIが瞬時に出せると本気で思ってるなら、それはもう科学じゃなくて宗教

それを全部ディープラーニングがなんとなくそれっぽい答えにまとめてるのを、正解だと思い込んで満足してるのちょっと怖いよ。

もちろんLLMが悪いわけじゃない。TransformerのAttention機構革命的だしツールとして成立してるのは認める。

でもそれって統計的確率で選ばれた「次に来るもっともらしい単語」の羅列であって、そこに知性があるわけじゃないでしょ。

なのにイーロン・マスク発言を切り抜きで読んで「もう人間いらないでしょ」とか、サム・アルトマンインタビュー見て「AGI来るじゃん」とか、雰囲気で語ってるの、ほんと無理。

一度も不完全性定理や停止性問題という限界点を知らないまま、「AIがあれば全知全能になれる」って言うの、雑だよ。

モデルの重み、バイアス、そして勾配消失問題をどう乗り越えてきたか。それを知って初めてああ、AIってここまで綱渡り計算してるんだって分かる。

それすらスキップして「プロンプト叩けば答えが出るじゃん」って。

分かってないよ。全然分かってない。

知性って“出力結果”じゃなくて、その“推論プロセス”の苦悩だから

それを知らないまま「AIで全部解決」って言ってるの、履歴書に「ゲーデル?知らないです」って書いてるのと同じ。

私は絶対、そんな計算の地形を知らないままAIを語る人とは、同じ将来語れない。

2026高市恐慌までのカウントダウン

現時点の備蓄だけで単純計算すると、完全に石油供給が止まった場合物理的な限界は、2026年11月下旬12月上旬です。

ただし、経済的な「恐慌」や社会的混乱は、備蓄ゼロになる前に起きます。目安としては、以下のように見るのが妥当です。

時期 想定される状態

5〜6月 政府放出代替調達価格対策で持ちこたえる段階

7〜8月 ガソリン軽油・ナフサ・重油の配分制約が強まり物流化学・電力コストに深刻な圧力

9〜10月 企業活動の縮小、物流制限、燃料配給、物価急騰が現実化し、景気急落リスク高まる

11月下旬12月上旬 備蓄日数ベースでは枯渇圏内

資源エネルギー庁の速報では、2026年5月4日時点の石油備蓄国家備蓄123日分、民間備蓄83日分、産油国共同備蓄1日分、合計207日分です。

207日を5月上旬から足すと、11月下旬12月上旬になります

結論としては、完全停止なら、恐慌的な混乱の危険水域は9〜10月物理的な備蓄限界11月下旬12月上旬と見るのが現実的です。

ただし実際には、備蓄の残量よりも先に、軽油不足による物流制約、ガソリン配給、ナフサ不足による化学産業停止、電力・航空・漁業農業燃料の優先配分が問題化するため、「枯渇日=恐慌開始日」ではありません。

2026-05-07

歯医者クリーニングしてもらうとき鼻毛気になる

女性はどうしてんだろう

丁寧にケアったって、限界あるよ

やっぱり恥ずかしいものなのかな

25歳 人生限界

仕事趣味も上手くいかない お先真っ暗 日々考えるはどうしたら楽に4ねるか 転職面接受けたら面接官にボロクソ叩かれた 小中の友達は続々結婚したり子供まれたりする中、遠く離れた地で一人センズリこくのみ 認定ADHDから薬飲んでギリギリ日常生活なすだけで精一杯

真面目にAI小説を作ってから1年〜半年が経ったけど進歩がない。

とりあえず、プロンプト工夫して、10〜15万字程度であれば「書かせる」ことはできる。その辺になると読点(、👈これ)が5,6文字ずつに使われて、キチゲェみたいな文章になる。それが半年前。逆に言えば、「書かせる」だけならなんとでもなるのでどうでもよくなった(読点をランダムに削除するソフト?をPythonで作って、大体は解決した)。

そこから解決しないのは「内容確認」の問題1話〜40話分を一気に読み込ませて矛盾確認をしてほしいが、AIは本当に読んでるわけじゃないから、全く内容の確認してくれない。1話ずつ確認させると、context window?の限界を迎えるから内容確認できない。

claudeが今度context windowのサイズinfinite無限)にするって話が上がってるから、まあ、それが本当にできれば…といった感じ。

後は、複数の高性能AI格安で動かせること。それぞれにペルソナを与えて、議論させながら、矛盾しない内容でどんどん修正していく。ここまでできたら、ついにAI小説完成と言える。

今、これを実践したら何百万、何千万円かかるか分からんし、学習データ著作物まれまくってるからパクりネタ使ってきそうなのも怖い(面白くない)。

ちなみに、俺がこれでやりたいのは、好きなゲーム世界観キャラクターを保ったまま、恋愛シミュレーションゲームを作ること。

明日子供の頃に住んでた実家がなくなる

親が死んで誰も住まないか

別に住めないこともないけど、田舎だし周りに新しい家が立ちまくってるから引き払うことにした

 

築40年ぐらい?

一億とかしたらしいけど詳しいことは知らない

 

家の周りに咲いていたラベンダーを刈った

壊すのに邪魔からって言うんで下の方を刈ったら上まで含めて全部枯れた

あぁ、なくなるんだ家と思った

 

周りの団地や家もなくなり、新しい人に入れ替わり、知らない場所になっていく

人が減ってるから団地はいらない

全部新築の一軒家になった

近所の公園子供が遊ばないから近所の公園は芝生が生い茂ったみたいに雑草が生えている

 

自分は隣の県に住んでるけどたまに帰ってきてた

でも帰ってくるたびに知らない場所になっている

昔のままのものはうちぐらい

家の前は限界まで売って、駐車場だった場所にはすでに家が建っていたし、今度は家そのものがなくなる

 

永遠なんてないんだな

世代交代ってこうやって進むんだ

この場所世界に置いていかれ、忘れられ、完全に消え去る

さようなら私の記憶の中にだけある場所

2026-05-06

限界集落に身を置いて

参加人数80人前後オンラインコミュニティ

もともとは某インフルエンサー主催コミュニティにて仲が良かったメンバーが始めたもので、コミュニティが立ち上がった当初は、みんなできゃっきゃきゃっきゃ言いながら、いろいろなことを書き込んでいた。某インフルエンサーコミュニティにて我々の「派閥」は排除のような扱いを受けていた(嫌われていた)こともあってか、最初は新しい地で自由を得たような気分だった。毎日がワクワクしていた。

一人暮らしを始めた直後の上京学生のようだった。

ああ、世界史で習ったアフリカやらアメリカやらに未開のフロンティアを求めて冒険の旅に出たヨーロッパ人たちって、こういう気分だったのかなって思う

コミュニティは評判になっていたようで、日を追うごとに人も増えていき、チャンネルによっては発言が活発になっていく場面も増えてきた。

「俺たち独立して成功じゃねえか?」とさえ思っていた。某インフルエンサーコミュニティより、こっちの方が楽しいぞ?

人も発言も活発だし、俺たちを嫌ってくるやつはいねえし、毎日楽しいぞ?と。

だが、楽しい期間はそんなに長くは続かなかったな。

その後、様々な問題が発生していった。まあ主には人間関係問題である

あいつが嫌い。あいつがむかつく。誰々が〇〇。わたしも御多分に漏れずその一人であった。誰かのある行動がとても嫌だったし、その反面嫌われてもいた(何なら、今も一部メンバーには嫌われている)

コミュニティである上人関係トラブルはつきものである。そのたびにSlackベーステキストチャットしか出来ない当コミュニティは荒れに荒れ、人が一人、また一人と抜けていく。

ごくごく稀に、既存メンバーの紹介で新しい人が入ってくれることがあっても、そのあまり人間関係の閉鎖性とコンテンツの少なさに1週間もしないうちに籍だけを残して消えていく。そりゃそうだ、縁の薄い人から見れば、こんな山間の小さな限界集落に籍を置く理由はない。それよりは都会で遊んでいた方が楽しいに決まっている。

アクティブユーザーは8人もいないと思う。

つい最近も「〇〇さんに子育てマウントを取られるのが嫌だ」という理由で離れてしまった友達がいた。その人はかなり長くコミュニティにいてくれた人だ。

明確な離脱宣言してはいなかったが、おそらくはもう戻ってこないだろう。その後近況をLINEで聞いたが「コミュニティのみんなとチャット交流していた時よりも、めちゃくちゃ元気!」と言っていてなんだか泣けてきた。

3年以上経った現在では、もう完全に良くも悪くも気心が知れてしまった古参メンバーたちの雑談スペースと化している。

私たちSlackを使ってコミュニケーションを取っているが、ここがSlackではなくDiscordだったらなと思う時がある。別に会費を取っているわけでないので、Slackでも有料プランなんかは使えない。よってハドルミーティングは使えない。

音声通話が使えない。ゆえにすべてテキストチャットになる。テキストコミュニケーション限界はみんなも知っているだろう。伝わるものが伝わらない。意図通りに伝わらない。コミュニケーション齟齬が生まれ喧嘩に発展する。何度も見てきた。

これがもし音声なら、テキストコミュニケーションにて発生する齟齬も即座に音声のコミュニケーションを行うことで解決出来るし、荒らしが発生することもない。スレッドが汚されることも少ない。

音声を日常的に使えなかったのはとても悔しいし今となっては後悔が残る。このコミュニティテキストコミュニケーション限界を何度も見てきたかである

わたしは、こんな仮想空間コミュニティに1日数時間、それも数年以上も時間を費やしてきたのか。結果的に何を得たんだろうか。その時間があればもっと有意義なことができたのでは?(結婚勉強など)と考えると気が狂いそうになることがある。これを題材にウシジマくん一本書けるんじゃねえか。バーチャル世界ガラスの向こう側の友達をずっと本当の友達と思い続けたとある男性人生タイトルSNSくんとか)

この数年、毎日Slackを開いては、○○さんがむかつく。○○さんが正しい。お前の意見は間違っている。自分はこう思う。いやそれは違う。そんなことばかり繰り返してきた。感情が揺さぶられることばかりで、仕事中も休憩中もコミュニティのことばかり。気づけば時間ばかりが溶けて行った。その間に他のメンバー家族が出来たり、子供が出来たり、収入があがったり、別の友人が出来ていたり、リアル世界にも友達が出来たり人生が進んでいく。人生進んでいないの自分だけ。

なんなんだよもう。スマホ人生を便利にしてくれるんじゃないのかよ。

オンライン世界に身を投じて世界を広めるつもりが、知らないうちに籠の中の鳥になっていた気分です。

自分もこのコミュニティをやめようとは何度も試しているが、とても胸が苦しいんだ。やめると自分だけ世界から取り残されたような気持ちになってしまう。他のみんなは、どうせ自分たちの世界がある。家族もいて楽しくやっているんだろう?って。

でも自分は画面の中がすべてな所もある。つらい。

anond:20260506201458

反戦運動対象選択国内政策中心になりがち)

市民運動の影響可能性(自国政府には働きかけやすい)

国際政治上の制約(他国への直接影響の限界

ここについては問題本質的構造には目を向けず議論するという話になっていて「左派結論ありき」というのを肯定しているが大丈夫だろうか?

国内政策が働きかけやすいか問題構造から目をそらしたらズレた話になるし、ヨーロッパなどの歴史的に見ても平和国内政策だけで完結することは無いはずだが

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