はてなキーワード: カリキュラムとは
3年間で200万以上払って、必死に塾の送り迎えして、ようやく掴んだ第一志望の合格。
結局、全部無駄だった気がする。
帰宅してもカバンを床に放り出したまま、ずっと死んだ魚みたいな目をしてリビングに座ってる。
YoutubeとTiktokを交互にぼーっと眺めているだけ。
「宿題は?」って聞くと、無表情で「終わった」って言う。
結局、私がやらせてきたのは「正解を出すための作業」だけだった。
塾のカリキュラムをこなすために、友達と遊ぶのも、大好きな漫画を読むのも、「無駄」だって決めつけて取り上げてきた。
第一志望は子供が望んだものではなく、私が望んだものでしかなかった。
今日も夕飯、何がいいか聞いても「なんでもいい」しか言わなかった。
無理やり高い金払って合格させた学校で、あの子はあと6年も何をするんだろう。
正直、もう顔を見るのが辛い。
こんなことになるなら、中受なんてさせなきゃよかった。
あの頃の、生意気だったけど笑ってた息子を返してほしい。
ちゃっぴーに数学科の学生や出身者が何人いるのか聞いたら30万人から70万とか言ってきて、奇妙だなあと思った。
新数学の学び方というフィールズ賞受賞者が主著者の本に数学科の標準的カリキュラムがどの時期に何を学ぶのか割と丁寧に書いてあって、ホモロジー代数でも3年生では学ぶことになってる。
でもホモロジーなんてまともに理解してる人はまともの基準を60%ぐらいに甘めに見積もっても(8割とかにしたらマジで数千人もいなくなりそうだし)多くても1万人ぐらいのオーダーいれば御の字なんじゃないの?
それなのに70万人も出身者がいるとなると結局早い段階で何やってるのかわからなくなってただテストは暗記で突破してそれ以外の講義には屍のように通うだけの日々で卒業していくってパターンがほとんどなんだろうなあ。
dorawiiより
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トランスジェンダーイデオロギーは、生物学的性(sex)を「社会的構築物」と位置づけ、個人の性自認(gender identity)を内面的な真理として絶対視する考え方である。クィア理論の脱構築的枠組みを基盤にしつつ、より実践的・政策指向が強い点が特徴だ。一方、ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン(DEI)活動は、これを「多様性」の象徴として企業・学校・行政に浸透させ、異論を「トランスフォビア」として抑圧する仕組みを提供している。
ミシェル・フーコーの理論、特に生権力(biopower)と医療化(medicalization)の観点から見ると、このイデオロギーは皮肉にも「解放」の名の下に新たな権力装置として機能している。フーコーは『性の歴史』で、近代権力が性や逸脱を「種(species)」として分類・内在化し、医学・心理学を通じて主体を生産・管理すると分析した。トランスジェンダーイデオロギーは、まさにこのメカニズムを逆手に取り、性自認を新しい「内面的真理」として生産し、生(身体・発達・安全)を再管理している。
トランスジェンダーイデオロギーは、性自認を「本人が知る絶対的な内面」として位置づけ、生物学的現実(性的二形性、ホルモン影響、筋骨格差)を「抑圧的な構築物」と退ける。これにより、新たな規範の再配置が生まれる。女性専用スペース(刑務所、トイレ、更衣室、スポーツ)の境界が曖昧化され、性自認優先の政策が推進された。
英国の刑務所では、2025年3月時点でトランスジェンダー囚人が339人(前年比15%増)と急増し、トランス女性(出生時男性)の性的犯罪歴率が極めて高いデータが過去に示されている。女性囚人全体の性犯罪率が約3.3%であるのに対し、トランス女性では男性型のパターンが維持される傾向が観察された。これは、フーコーが言う生権力の典型——生物学的性の古い規範を解体したかに見せかけつつ、性自認という新しい分類基準で身体と安全を再管理する装置だ。結果、生物学的女性の安全権が再配分され、脆弱層への被害転嫁を招いている。
スポーツ分野でも同様の再配置が見られた。国際オリンピック委員会(IOC)は2026年3月、女性カテゴリーの参加資格を生物学的女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認尊重が優先された結果、身体的優位性による不公平と女性アスリートの安全問題が深刻化した。イデオロギーが「包括性」を掲げながら、実際には生物学的現実を無視した生の最適化を試みた末の修正である。
トランスジェンダーイデオロギーの医療版であるgender-affirming care(性自認肯定ケア)は、思春期ブロッカーやクロスセックスホルモンを積極的に推奨してきた。しかし、英国のCass Review(2024年最終報告)は、関連エビデンスの質が「極めて弱い」と結論づけ、長期的な精神衛生改善効果や安全性に強い疑義を呈した。思春期抑制剤の使用は原則として臨床試験に限定され、包括的な心理社会的支援へのシフトが推奨された。
フーコーの医療化理論から見れば、これは非医療化の仮面をかぶった新たな医療化である。DSM-5やICD-11で性同一性障害の病理化表現が緩和された「反医療化」は、一見解放的に見えるが、実際には性自認を新しい「真理の内面」として医療・教育の管轄下に置いた。フーコーが指摘したように、権力は病理化だけでなく脱病理化によっても主体を生産する。軽度の苦痛は「多様性」として肯定され、重い併存疾患(自閉症スペクトラム、不安・うつなど)や社会的影響(Rapid-Onset Gender Dysphoriaで指摘されるピア・インフルエンスやソーシャルメディアの役割)は十分に検討されにくい構造が生まれた。
結果、若年層の急増現象が社会感染的な側面を持つ可能性が指摘される一方、イデオロギーはこれを「自然な発見」として扱い、慎重な鑑別診断を遅らせる。フーコー的に言えば、これは生権力の生産性——個人の「生」を性自認という枠組みで最適化・管理しようとする試みだ。
ダイバーシティ活動は、トランスジェンダーイデオロギーを「インクルージョン」の象徴として組織に浸透させた。しかし、これは真の多様性ではなく、新たな単一規範の強制として機能している。異論(Cass Reviewのような科学的慎重論や生物学的現実の指摘)は「ヘイト」として排除され、言論空間が萎縮する。フーコーの「言説の秩序」論で言えば、特定の真理(性自認の絶対性)が制度的に優位化され、他の知識(進化生物学、発達心理学、犯罪パターンの性差研究)が周辺化されるプロセスだ。
DEIは「多様性」を掲げながら、生物学的女性の権利、親の関与権、科学的エビデンスに基づく慎重さを犠牲にする矛盾を抱えている。これは、クィア理論の脱構築とは異なり、実務レベルでの生の直接管理(人事方針、教育カリキュラム、医療ガイドラインへの介入)として現れる側面である。
フーコーは、抵抗そのものが新たな権力装置を生む「権力の螺旋」を繰り返し指摘した。トランスジェンダーイデオロギーとDEIは、まさにこの螺旋に巻き込まれている。生物学的規範の抑圧を批判するはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体・発達・安全を再分類・管理する生権力として機能してしまった。
真に人間らしい多様性とは、生物学的現実を直視しつつ、苦痛を抱える個人への共感的な支援を科学的に行うことである。
イデオロギーが「肯定か排除か」の二元論に矮小化する限り、社会コストは増大する。2024-2026年の国際的修正(Cass Review後の欧州シフト、IOCの生物学的女性限定方針)は、現実がこの生権力の限界を突きつけ始めた証左と言える。
成熟した社会は、フーコーの物差しで自らの権力装置を不断に批判し、イデオロギーではなく害の度合いとエビデンスに基づくバランスを求めるべきだ。様々な性自認を抱える個人の尊厳を尊重しつつ、女性や子供の保護、科学的慎重さを犠牲にしない——それが、本来のダイバーシティの意味だろう。
母校はそこそこ有名な私立の一貫校だったんだけど
・「これもう話芸になってんな」
・「同じ話をあまりにも繰り返しすぎちゃってるのが手に取るようにわかった」
・「資料ではなく当事者に聞くあのカリキュラムは生々しさ接種が目的の筈
あれ聞くぐらいならなるべく直後の記録テープとか上映した方がいいよ」
・ 「なんか我が校も長崎も弛緩しちゃってるんじゃないの?(嘲笑)
(平和教育が)そんなんじゃ甘いよ」
みたいなことを感想文にとうとうと書いたのよ
呼び出されたり怒られたりしなかったことを今思えば母校の懐は深かったし
問題文の土台がどう見ても俺の作文なんだよ
なんでそんなことを?と思ったけどそうとしか思えない内容
で案の定ニュースになって原爆被害者団体みたいなとこに怒られて謝罪してた
俺の批判文だって別に平和教育自体を否定してるんじゃないんだよな
「内容がダメでしょ」
って言う励ましであってさ
なのに母校が謝らされてるの嫌だなーって思ったわ
内容への批判を受け付けなくなってんだな糞がって思った
まあそういうのの果てに
子供が障害負ったり亡くなったりする事故を起こすまで行きついちゃったんだろうね
あれに比べればまあ語り部化ぐらいは無害なもんだったわ
これはもう明白な事実だよね? なのに、まだ「男女平等」とか「共生」とか夢みたいなこと言ってる人がいるのが信じられない。
本気で、''全男性性を根絶やしにする10カ年計画''を提案するわ。
「極端すぎる」「人権侵害だ」って声が上がると思う。
でも待って。
男が「ちょっとした冗談」で女を傷つけてきた何百年分を、たった10年で清算するだけじゃん。
被害者である女が加害者予備軍を根絶しようとするのは、''正当防衛''だよ。
「そんなことしたら人類滅亡する」って?
「ほな死ねっちゅうんかえ?」必修科目なのに抽選で受講不可...運次第で留年が確定してしまう大学制度に「これ違法じゃないのバグだろ」 - Togetter
これな。お前ら適当言いすぎ。いくらはてブでも限度ってもんがある。
私は10年程前の政治経済学部生だったので細部は異なるかもしれないが、商学部のwebサイトで科目登録関連資料をざっと見た感じ履修登録システムは共通だし、私立文系だし、大筋はあまり変わっていないようだ。
まず、大前提として早大文系学部の必修科目にはざっくり2タイプある。
①は外国語の必修科目がメイン。今回の「基礎数学」のケースは②やね。
この必修はどういうものかというと、同名の講義が複数開講される。
早稲田大学のwebシラバスで「商学部」「基礎数学」を検索してもらうと分かるが、2026年度春学期は「基礎数学 1」~「基礎数学 8」の計8講を6人の教員で受け持っており、必修なのでシラバスの内容も同一のものとなっている。
学生たちはこの中から希望する教員や時間帯の講義に合わせて履修申請を行う。
この手の講義は大教室で行われるので、1講あたりまあ大体200~300人程度は入るだろうか。
参考までに、商学部の2025年度4月入学者数は923人。これに再履修組(2~4年生の総数の2割と仮定)を加味しても総数は十分確保されていると言えるだろう。
もちろん総数が確保されているからといって全員の希望通りに履修登録がなされるわけではない。開講時限(1限はイヤだ~とか)や教員個人の人気(講義が面白いとか評価が甘めとか)等によって申請状況には当然偏りが出る。
この偏りを正確に予測するのは困難を極めるというか不可能なので、定員を超過した科目は残念ながら抽選となる。これが「1次登録」である。
1次があるなら当然2次がある。1次登録で希望した必修科目から漏れた学生たちは学部webサイトを見る。
そこには「2次登録余裕定員表」というものが掲載される。これは読んで字のごとくだが、「1次登録を経てもなお定員に余裕のある科目の一覧」だ。
1次で「基礎数学n」の抽選から漏れた学生はこれを見て定員に余裕のある「基礎数学m」に2次登録を行うという流れだ。
2026年度商学部の手引きによれば2026年度の商学部の2次登録期間は4/7・4/8で、結果発表は4/11。
もう一つ言うと彼はおそらく2年生で、基礎数学の「再履修組」だ。お前この科目もう1回か2回落としてることになるやんけ。
留年がどうこうと騒いでたのはまあおそらく大学生特有の悪ノリで、要するにお前らは釣られたんだよ。
この手の必修科目は極端な話4年間のどこかで取れば問題なく、「1年次の必修を落としたら2年次に進級できない」などといった類のものではない。運ゲーで学費が追加されるのではと心配している人たちはまず落ち着いてほしい。これは桃鉄ではない。
ってかこの学生のツイートを遡るとGPA1割ったとか言ってるし、件の基礎数学以外にも落としまくってるだろ。留年だとか騒いでるのはそのせいでは?それはもう抽選以前の問題だろ。
ちゃんと大学行け。11号館のファミマでモンエナ買って勉強しろ。
ちなみに2次登録から漏れても更に3次登録があり、学生側によほどの事情がない限り必修科目未登録の学生を吸収し切るようになっている。
他学部だが、私の在学中は必修で3次登録までもつれ込んだことはない。必修科目はそもそものキャパが大きいので、抽選に落ちた学生も2次で大体吸収される。
なお、3次登録でも「基礎数学」を登録できなかった学生のために(そんな学生は殆どいないだろうが)、2026年度秋学期は「基礎数学 9」~「基礎数学 14」の計6講が開講予定だ。
秋入学組や再履修組とともに受講することになるが、総数としては十分だろう。それでも登録すらできないとしたらそれはもはや学生の側に問題があるとしか言いようがない。(履修申請忘れとか)
以下、想定問答集
上記の通り3次登録までで吸収可能な上に秋学期にも同科目が開講するため、学生に履修の意志がある限りこの必修抽選のみが原因で留年することはない。(バカすぎて留年することは当然ある)
それはそれとして話は変わるが、早稲田大学に留年の概念はない。便宜上または社会通念上留年と表現しているだけで実際は「年次に留まる」ことがないからだ。
どういうことかというと、例えば1年次に単位を全部落としたとしても自動で2年次に進級するようになっている。
これを繰り返し、卒業単位数を満たさないまま学部5年生以上に到達した選ばれし者たちは留年生ではなく「延長生」と呼ばれる。私は私自身の要因によって学部で6年間過ごしたので詳しいんだ。卒業までの残り単位数によっては学費が安くなったりする。
家族・友人・教員・職員の皆さんには多大な心配をかけた。彼ら彼女らが親身になって世話を焼いてくださったおかげで今、強く生きられている。ありがとう…ありがとう…。
今回の件で例えよう。
「基礎数学」の履修申請に落ち続け、3次登録の余裕定員表を見たら残りの「基礎数学」が全て他の履修確定済み科目と被っていたとする。
そういったケースを想定して、「3次登録期間中は自動登録科目以外の科目の履修登録を取り消すことができる」ようになっている。これにより必修科目を優先して履修登録することができる。
もちろんそうならないように1次登録の時点から計画的に申請すべきだが、このように必修科目に関しては大体何とかなるようになっている。
それでも本当にどうにもならないケースが万が一発生した場合は、学部事務所の相談窓口に泣きつけば空きの出たコマにねじ込んだり救済措置を提案してくれたりする。
それでもガチのマジで春も秋もダメだったなら翌年度以降に履修申請することになるが、「手引き」によると専門基礎科目の必修は1年生が優先登録になるようだ。
例の学生はおそらく2年生と思われるので、まあ1年生優先+定員超過コマで弾かれてしまったんやろね。それ自体はしゃーない。2次登録をちゃんとやれば大丈夫。
ただ、この手の必修で抽選全落ちなんてマジで聞いたことないし(そもそも3次登録で抽選になることがない)、基礎数学は昨年度の3次登録時点でも定員に余裕あるみたいだし、マジで何なんだ。
まあ分からんでもないんだが、自動登録ってのは結構厄介で。「自動登録によって学生が受講希望科目を申請できなくなる」ケースが出てくる。
例えば今回の「基礎数学」のように同じ内容で8講も開講される科目を自動登録にしてしまうと、学生が他に履修したい科目Aの日時を運次第で潰されてしまうことになる。
それなら科目Aと被らない日時の「基礎数学」を選択履修する形式の方が望ましいだろう。カリキュラムが全て同一なのだから。
実際、商も政経も自動登録科目は最低限の外国語科目がメイン。理工学部なら自動登録がもっと多いだろうけど、そっちの事情はよく知らん。
上記の通り、当該学生に履修の意志がある限り「基礎数学」を履修できなくなることはまずない。
そもそも1年次や2年次は大体皆基礎科目を受けるわけで、「基礎数学」は初年度の春学期1次2次3次・秋学期1次2次3次のどこかで取れれば十分だろう。あとは本人の頑張り次第。
まず受講枠の総数が確保されているということは前提として、リモート講義化して定員を増やすことは不可能ではない。
ただ、講義を受け持つということはただ壇上で講義すればよいというわけではなく、受講生の成績評価や質問対応も行わなければならないので限度はある。この点を失念している人が多すぎる。
必修科目は同じ科目でも複数の枠があって全体の募集枠は足りているけれど、マイルストーンとかの情報を見て単位取りやすそうな教員のやつに申し込んで倍率高くて落ちているだけじゃないの?
私も結局はそんなところだろうと思っています。私も人気科目を申請する時は2次登録まで想定して時間割を組んだりしてたし。
「マイルストーン」ってのは学生サークルが出版してる総合情報誌のことで、講義やサークルの口コミが大量に載ってるんだわ。で、それを情報源として楽単に履修申請が集中して抽選になったりすることがあんねん。
今はSNSの口コミとかもあるだろうけど、基本的な構造は変わってないはず。
マイルストーン情報のせいで申請状況に偏りが生じるパターンも確かにあるとは思うが、それは大学側の責任とは言えないだろう。
そうだよ。特に新入生にとってはね。だから各学部は科目登録ガイダンスをみっちりやったり、学部の手引き(冊子)を配布したり、
「こうはいナビ」っつー学生スタッフが新入生の相談に乗る大学公式のプロジェクトがあったり、
「サポエニ」っつー学内の総合情報ポータルサイトがあったりすんねん(これは私がいた頃はなかった!)。
高齢化著しいはてなで万が一これを読んでる人の中に新大学生がいるなら、「マジで、人と、人が作った仕組みを、頼れよ。」言いたいことはそれだけだ。
お前ら黙って見てりゃ好き勝手言いやがってよ~ 大学の職員さんたちにはすげ~世話になったからむかっ腹が立つぜ
近年の商学部4月入学者数とwebシラバスと大教室のおおよその収容人数を照らし合わせれば学外の人間でも「再履修者込みでもおそらく受講枠の総数は確保されているだろう」と思い至るのはさほど難しくないだろ
まあ留学や休学等のやむを得ない事情を除く早稲田の留年、いや「延長生」は必修抽選のせいじゃなくて普通にバカなだけだよ 6年いた私が言うんだから間違いない
裁判だの何だのといきり立つ前に自分が新入生になったつもりで調べてみてください
調べる気がないならその勃起を鎮めてくだ↑さい
僕の肩で羽を休めておくれ~
𝑷𝒐𝒓𝒏𝒐𝑮𝒓𝒂𝒇𝒇𝒊𝒕𝒕𝒊...
知識の伝達は、もう壊れる。
これまでIT業界は、一次情報のまわりに二次情報と三次情報を無数に積み上げて回ってきた。
誰かが何かを作る。すると、その周りに「やってみた」「初心者向け」「3分でわかる」「完全解説」が何十本も生える。
しかも大半は、発見者でも設計者でもなく、昨日知った人が今日教えている。
その役目は終わる。
要約、翻訳、言い換え、文化圏ごとの変換、レベル別の説明は、全部LLMが担う。
残るのは一次情報だけだ。
QiitaもZennも技術ブログも残るが、誰も読まない。書いた人の痕跡として残るだけになる。
教科書も同じように分解される。
本文は消える。
残るのは体系だけだ。
概念の依存関係、粒度、階層、グループ、到達目標、この骨格こそが本体だった。
もちろん、その体系は万人に最適ではない。
いま教科書が成立しているのは、最適だからではなく、印刷と授業の都合で一本道にされていたからだ。
だから今後はこうなる。
骨格だけ共通。
経路は個別。
例も個別。
順番すら個別。
全員が同じ章立てで学ぶ時代は終わる。
だが検索だけで勉強した人間は、いつまでも断片知識の寄せ集めになる。
多くの人にとって学びやすい順序は、ほぼ決まっている。
基礎から応用。
どの分野の教科書もだいたい似た並びになるのは、人類の怠慢ではなく、人間の脳がその順でしか飲み込めないからだ。
教育は今後、その標準形を骨格として保存し、その上だけを可変にする。
未来はこうなる。
一次情報が頂点に残る。
解説はその場で生成される。
知識は共有される。
大学が入学後の学生を評価するって結構前から普通にやってるよね
AO入試を重視するようになったのは比率高めた方が大学の評価が高まることがわかったからだし
私立は氷河期の頃から就職率をアピールするために、いかに使える卒業生を排出できるかに腐心してカリキュラムに手を加え続けているし
地方の国立とかそういう取り組みしていないんだろうなってところは多いけど、地方国立は地場産業との共同研究とかやってたりするから、そういうとこは評価が難しくなりそうではあるけれど
評価気にせず自動的にもらえる研究費でやっていける研究室なんて20年以上前からクソみたいなところばっかりだと思うし、そんあに文句言うほどかと思う
20代前半のころ、それまで聞くだけだった音楽を演奏することに興味を持ってギターを買った
コミュ障ゆえバンド系はすぐに諦め、ボサノバにハマったことからジャズも聞くようになった
当時はいわゆるビバップ的なジャズセッションのようなものにはさほど興味がなかったのだ
指板の音名が見えるように!
バッキング!
そういう感じのことをやらされ、勇気を出して
「これは今自分が求めている物ではない気がする…」
と打ち明けたところ「でも楽譜読めないより読めた方がいいですよね?バッキング出来ないより出来た方がいいですよね?じゃあやってください」
とまあ、そりゃそうなんだけどね、という理屈で畳みかけられ、自分の嗜好について言語化が進んでいなかった俺は反論できずに不満をため込み、すぐに教室をやめてしまった
それからはあまり練習することもなく、TAB譜付きの楽譜を買って弾けるようになって喜んだり
ギター自体に興味が移り、中古ギターを買いあさっていじくりまわす日々が続いた
それで散財もかなりした
それでまたギターを真面目に始めてみるかと思って、別のギター教室に入った
アメリカのギターオタクのおじさんがマイナスワンに合わせてアドリブを弾いているYoutube動画にハマっていて、奇しくも20代のころ拒否していたビバップスタイルに興味を持っていた
発表会もあって初のセッションを経験したのもこの頃のことだった
楽しかったが、上達は遅かった
あとは耳で覚える!
やってみて、失敗しながらフィーリングで覚える!
という方針だった
これが自分には合わなかったと思う
他の先生がどういう教え方をしているのか気になって、別の先生の個人レッスンを受けてみた
するとこちらは全然違っていて、とにかくリズムが重要だという人だった
四つ切のバッキングがすべての基本です、と何度も言っていた
まずはFのブルースのバッキングだけをひたすら練習し、ノリが身についてきたら
各コードの3度の音とドミナントフレーズだけでアドリブをとれるようにする、という流れのようだった
調べてみるとビッグバンドが本職の先生で、それもこのスタイルに影響していたのかもしれない
当時の俺にはどちらも遠回りのように感じた
バッキングトラックに合わせて流暢にソロを弾きたいだけだから、
その方法を理屈立てて明快に教えてもらえないものかと思っていた
そのころ、ちょうどYoutubeで初心者向けにジャズギターを詳しく解説している講師のチャンネルを見つけた
今ではそういうのが山ほどあるが当時は珍しかった
通っている教室に疑心暗鬼になっていた俺はこの人についていってみるかと思い、独学に舵を切ることにした
俺と同じような人が多かったのか、このYoutuberはすぐに人気になった
そしてオンラインサロン、メンバー限定コンテンツで稼ぐようになった
今思うと金を出しても良かった気がするが、当時は抵抗感が大きくドロップアウトしてしまった
独学の厳しさに負け、いつしか俺はTAB譜ソロギターマンに戻っていた
なぜかウクレレにも手を出して、TAB譜ウクレレマンも兼ねるようになった
そんな折、たまたま近所の汚いバーで知り合った人がジャズギタリストだと発覚した
お試しは無料だから一回来てみますか?と誘われ、行ってみることにした
3畳の和室がレッスン室で、控えめの音量でやりましょう、と言われて
エレキの生音でこそこそ「枯葉」かなんかを二人で合わせていると…
俺はそう言って入会を辞退した
でもそれは実際、環境のせいだけではなかった
いくつかのグループに分かれたフレーズを暗記して、曲のしかるべきところで正しいグループのフレーズを選んで弾く
まず2年くらいはこれを目指してやっていきます、と
いや、それアドリブって言えるのか?と、その疑念もかなり大きかった
その後結婚し子供も産まれ、金が必要になりギターも売ってしまった
楽器に関しては一本だけ残ったウクレレをぽろぽろやるだけの日々が続いた
教則本も押し入れにしまい、参考にしていたYoutubeチャンネルも全で登録解除した
それらが目に付くところにあると「何故諦めたんだ」と責められているような気がしたんだと思う
俺は40代になり、もうジャズギターのせいで苦しい気持ちになるのは御免だ、と逃げ腰になっていた
でも結局、ジャズギターが弾けるようになりたい、という欲求から逃げ切ることはできなかった
ある日リサイクルショップで程度のいいフルアコを発見して思わず買って帰ってしまった
それでまたギター熱が再燃した
そのうちの一冊をパラパラ見ているうち、ふと気が付くことがあった
俺が今まで逃げてきた、
読譜も、バッキングのリズムも、耳で覚えることも、パズルのようなコード進行の分析も
カリキュラムに沿って進めていくとそのすべてが網羅されるようにできているのだ
もちろんこの本だけが特別すごいという事ではなく、こちらの理解がやっと追い付いてピンときたということだと思う
俺は遅まきながら、あれは全部必要なことだったんだ、順番の違いでしかなかったんだ、とここで初めて気が付いた
この教則本は、「序盤に出てくるコードの押さえ方が好みではない」という勝手な理由でほとんど読んでいなかったが
なんとなく「これはいけるかも」という予感があった
定額でレッスン動画が見放題なのと、週一で参加自由のZOOM会議がある
サイトの説明を見ると、長年の講師経験から例の教則本のメソッドをさらにブラッシュアップした内容だと書いてあった
サンプルを見ると、それが本当なんだとわかった
俺は初心者歴がすごく長いから、初心者にとってわかりやすい内容か否かについては鼻が利くのだ
早速そのサイトに登録して、カリキュラムに沿って練習を再開した
そして3か月ほど経過した
やっていることは、あのボロアパートの一室でやっていたパズルと大差ない
しかし繰り返すうちに音楽理論が頭に入り、指板上の音名がちょっとずつわかるようになる
似たようなフレーズばかり覚えるのだが、それがつまり自分でフレーズをアレンジしたり作っていく伏線になっている
こういう事が全部同時進行で訓練できる
気が付くと、限られたキーの中ではあるが、何曲かのスタンダード曲でそこそこアドリブを弾けるようになっていた
何を練習すれば次のステップに行けるかもなんとなく理解できている
まだ何年かかかるだろうけど、求めていたものがようやく手に入りそうな気がする
いや、20年前に最初に門をたたいたあの先生のもとで我慢してやっていても、
もしくはどこかの時点の教室をやめずに続けていても、たどり着く場所は同じだったかもしれない
なぜだか私はひとの話題にされる。疑ってそうなんじゃなく、おまえのことを話した、と言われる、本当に。
ー
じじつ私はすこし変なひとなのは認める、話題になるんだから、どこかが平凡じゃない。べつに良い話題でそれでも、悪くいってそれでも、ふしぎなふうに話していても、どのみち、話す人がそのていどの人間だということ、つまり、私より基本的におもしろくないから、私のことを話すしかないし、その人の考え方で言葉を選ぶのだから、私はそういうの、愚かなことだと思う。
ー
それにしても、気分が悪いときにそれを思い出すと、普通にしんどい。
そういうとき、そのひとらを恨むけど、これは逆恨みではないよね、だって、また聞き代表者がそれを勝手にしてるんだから。この私がどこかおかしくても、他人のことふらふら話すなんて、それがおかしいんだから。
☆
ということで、私もそのひとらについて話してみよう。
ーー
まず、アベというのだが、こいつはあからさまに私のことをバカにしてくる。
そのひともたいがいで、私がどれだけこのひとに譲歩して会話をしているのか、なんだか本人はわかっていない。私は、正直なことをほとんど言わない。相手が何か疑問じみた話題をしてきて「こうなんじゃない?」と「いや、それが~なんだよ」私は「じゃあ、これがああで、それなのかも」とか、いっしょにかんがえて、最後に「考えるの疲れた」「思考を放棄」とかマジに言ってきたり、
ほかに「いやあ、人間ってむずかしいねえ」とかすり替えたり。おかしくね? そっちが疑問を与えてきてるんだから、いちおうの落としどころをいれないでどうしてそんなことを言うのだろう? それで私が言ってみてもつまるとこそいつはキャバ嬢なんで、くだらん人間との間をつなぐのに適当にゆがんだ認知で私らしいやつのことを話すのだろうから、私はそいつと話すときは、そいつが想像していそうな私らしいやつが言うだろうことを言っている。
おまえのことを考えると、私はまだマシだって思えると言われたけど、あっちは別になんも秀でた才能(名刺のような、これを言っておけば全国でわかるというもの)もなくて、くよくよしては、寂しいと私に話しかけてこれなんだから、なんなのと思うし、へえ、そう、と私は私に得なものだけはもらっておく。こいつに「おまえが何を考えてるのか全く分からない」と言われたことがある。
ーー
やっかいなのがずっとXにはりついてるところで、そのX的な文句を理解して、いないのにそのふりをしている、正真正銘だ。
こいつはほんとうに…、どう話していてもパラノイアで他責な(本人がそう言ってる)ので、ほんとうにおかしいやつ。または狂っている。狂うとかいう言葉も好きじゃないんだが、こいつは狂ってる。というか、狂い続けている。「ああ……」と思うのが、そのおかしい点を自覚したとして、自分が相手を傷つけたと自覚してもはっきりと謝らない、恩返しか目をつむってくれなのか、恩のように何かをプレゼントしてくるのだけど、それは、恩着せがましいと言う言葉がぴったりで、そう謝罪の気持ちなんだろう、と貰ってはいい感じの反応をしていると、金を返せと言ってくる、まったく、おかねという制度は、こういう歪んだ人間、なにも持っていない人間のためにあるんだなって、深く思える、あとなんか時間を返せとか言うけど、じゃあもう私と関わらないで消えてほしい。
何年こいつと触れ合っているのかわからないが、暇つぶしにはちょうどいいし、本人はおもしろいと思っているらしいこと、Xしぐさみたいなのを送られてくると、ほんとうにセンスのかけらもないので、へえ、と思っている。
それでいて、よう顔をSNSにのせてはいるけど、このひともこのひとで、特に何かすごいところはない、その上、音大受験に遅れて専門にいったけれど、そこでも幾らかの人間関係などで脱落し、とはいってもその間、なにか活動してたわけではなく、知りそめのとき、私は音大と聞いていたので、プロコフィエフってなんであんなに変なんだろう、と話したら「誰?知らない、どこの人?」といわれて驚いた。しかしカリキュラム的にはそこで優劣をつけることはしちゃいけない。けど、それにしたって、すくなくともヴァイオリンを習って音大を目指していたのだから、と思うが、その人はきらきら星を弾いて、それしかできなかったというのだ、こぼした言葉によると、音大は偏差値が低いから、習ってたし、それで、というのだ。もちろん音大受験のそれを知った後はまた習い始めたのだが、これもおかしく、ピアノを習い、いそいで学ぶためミクロコスモスを課題にやっていたそうだが、全くわからなかったと、今でもダブルシャープ、ダブルフラットの意味が分からないという。それで私も一応はクラ(中高)とピアノ(小学から習い事)ができて、聴音のだいたいは早くに身に着けたので、そして演奏はあまり好きじゃないから作曲科に行った。Youtubeなどをみているとへきえきする、そんなことをこいつに話したら話を露骨に変えてこいつもキャバほか身体接触が許されないていどの夜職を転々としては、追い出され晒され、体験入学がどうのとかを話してバニラはどうだのバニラよりこっちのがだのと私に話してきて、正直どうでもいいし、そもそも聞いてない、そんなこと全く聞いていない、というところなのだ。
夜職、と書いたが、それが悪いということではないし、私のいちばんながく、ふるい友人もそれで、別にこいつはウタというのだが、そんな仕事のあれこれは話してこないし、お金はあるから趣味(バイクと電子楽器)に費やしていて、私もたまにお邪魔して、おーおもしろいと思っていたり。ウタはウタだけど、歌うのは好きじゃないらしい。私も好きじゃない
。
あとさっきのひとは、私が心臓をやってしまってそれから半年くらいで数日家に帰ったとき、通話を寄こしてくるのでとりあえず出たら、ずっと、延々とその次の職はどうしよう、どれなら身バレしないだろう、とかずっと話しかけてきて、そういうのは詳しくないから、まず、悩み事と考え事、それを踏まえた判断で総合しよう、とゆっくり話していたのに、延々そのことをはなされ、もうどうしようもないから詳細を聞いて一緒に考えてみた。
そうすると、AがBでA-cはいやだからなあ、と言うので、じゃあBだけのものを選ぼう、と提案すると、いや、AはA-dがあるからよくって、でもB-xは捨てがたいなあとか、さっき話された内容じゃ全く分からない、知らない、その内通者じゃないとわからない、ネットで調べられるものじゃないキータームをだしてくる。それで、「へえ、へえ」と聞いていて、夜が明けてきたので、これは大事だからって、こう考えようね(あなたのその考え方ちょっとおかしいよ)と話ししばらく黙るもんで、なにか気分悪くした?と聞くと、「この界隈で働いたことないくせにずけずけ言ってくんのイライラする」と。
それを言ったきりで、通話を切って、私がトークで謝っても「うっさい」とか「嫌い」「さよなら」とか言うんだって。はあ。私、一応まだ入院中で外界に触れて大丈夫かの経過観察でアパートに帰ってきてるのに、本当、私はどうしてこんな人と性別超えて付き合ったのだろうとめちゃくちゃ悲しくなるし、底なく虚しく感じた、空はよどみながらも青く見えた。その日は少し泣いた。
こういうやつ。こういうやつが私の話をするのだから私はまるで自分が鏡のように感じる、つまり、相手の歪んでいる様様を映すという。
このひとにも「何考えてるか全くわからない」と言われた
本当に困った。なんというか、もう消えてほしい
AIに聞いてみた。
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理系大学で女子比率を劇的に向上させるための「キラキラ・テック」路線の学科案を考案しました。
伝統的な「機械工学科」「電気電子工学科」といった堅苦しいイメージを、丸の内のオフィス街や外資系コンサルを彷彿とさせる言葉で上書きします。
(旧:情報工学科)
(旧:経営工学科)
「スマホひとつで、せかいを動かす。おしゃれに、スマートに、わたしをアップデート。」 ● じゆうなスタイル、じゆうな時間 カリキュラムはとってもミニマル。すきま時間で、お気に入りのカフェでバイトしたり、連休には海外旅行でリフレッシュ。自分らしく、毎日を楽しみたいあなたにぴったり。 ● テクノロジーを、もっとかわいく。 おもい機械をいじることはありません。最新のAIやアプリをつかって、世の中をもっと便利に、もっと「映える」ものにする方法を学びます。 ● 漢字だらけの古い学科とは、もうサヨナラ。 「きかい」「でんき」「どぼく」……そんな漢字だらけの場所で、むずかしい顔をして油にまみれる生活は、もう過去のもの。私たちは、もっとスマートで、もっと自由な、あたらしい工学のカタチを提案します。
普段は教授会などで使われる最上階のガラス張り会議室を、女子学生専用の「クリエイティブ・ラウンジ」として開放。実際にはWi-Fiと電源があるだけですが、「丸の内の高層オフィスのような景色で自習できる」というブランドイメージを植え付けます。
提携している有名企業(丸ビルや森ビルなどの入居企業)の受付を、社会科見学風に「ピッ」と通過して中を歩ける権利。就職とは関係なくても、「将来こういう場所で働く自分」をリアルにイメージさせ、他学科との「ステータス格差」を演出します。
「水曜日は課題を一切出さない日」としてアピール。実際には他の曜日に調整するだけですが、「自由でプライベートを重視している」というポシティブな印象のみを強調します。
学科のロゴが入った、有名ブランド(MacBook Airなど)とのコラボケースを無料配布。キャンパス内でそれを持っているだけで「おしゃれな理系女子」という属性を誇示できるようにします。
この構成により、従来の「男子校のような工学部」に抵抗があった層に対し、大学ブランドの再構築を通じた強力な訴求が可能になります。
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※誰かを攻撃する意図はありません。自分自身の整理と今後、誰かが同じ状況になった際の判断材料として記します※
※「」内に関しては発言を書き起こしたものではなく、そういう趣旨の発言であったものになります※
そのインフルエンサー(以降「A」とする)がどんな人かと言うことをざっと並べると、
・当時推しの名前をXで検索すれば、そのインフルエンサーの投稿がトップの方で表示される
そして
推しと出会う以前・以後のビフォーアフターを写真付きでかなり赤裸々に明かしていた
…といった感じ。
影響力の大きい人だというイメージはあったけど、
Aはある日を境に
「ライブチケットで良席を得て、推しからファンサをもらえたのは“引き寄せの法則”を利用したから」
といった投稿を始める。
※引き寄せの法則とは、
今自分の手元にない欲しいものを“すでに持っている”ものと意図して生活していたら、
思いがけない形でそれを得ることができちゃうよ〜みたいな法則(ざっくり)※
その頃くらいから、
引き寄せの法則にまつわる発オンライン講座を少額(ワンコインほど)で複数回開催し始める。
当時の講座も受けたことがある。
AはSNSで見る姿と変わりなくよく喋るが、面持ちからは緊張を感じた。
講座自体もしっかりした作りで、私はAに人間味を感じ、さらにAを信頼することになる。
講座を受けた人たちの引き寄せたものの実績もみるみる積み上がっていった。
ほどなくしてAは、
長期かつやや高額(型式が古くて5万キロ強走行した中古車なら1台は買える額)
な講座を主宰することになる。
そこにいる人々の様々なビフォーアフターも講座宣伝よろしくタイムラインに流れていく。
“それなりの幸せで満足しなくていい、もっと私たちは欲しがっていいんだ”
『もしかしたら私も変われるかもしれない』という気持ちは膨らんでいく。
だがいかんせん、値段が高すぎる。
興味はあるけど、参加は見送るつもりでいた。
某日、Aが
「講座自体はとてもいいものになっているのに、思ったより集客が伸びない」
というような弱音を吐いたことがあった。
記憶はかなり朧げなので内容は正確ではないが、
その時点で絆された私は、飛び込みで講座の受講を決定。
契約書もろくに読まず記名し、受講料を払った。
これで人生変わるんだ、と本気で思った。
『私なんかが…』と遠慮して受け取れなかった様々に手を伸ばせるようになった。
この機会じゃなきゃ出会えなかった人と、
そこに対してはAに感謝している。
ただ、この話はここでは終わらない。
ある講座生(Bとする)が Aに対して声を上げた。
「私は提出した課題に対して、Aさんからフィードバックをもらいたくてこの講座に入った。
それがないならここにいる意味がない。引き寄せを勉強しようと思うなら、本を読めばいい。
そうではなく、Aさんから学ぶことに対してもっと意味のあるものにしたい。なんとかならない?」
講座生は各々課題を提出するわけだが、Aからのフィードバックは無かった。
Aが提出された課題に添削して、その添削が見える環境にしてしまうと、
講座生同士で提出した課題に関して意見交流してもらうのを優先しているためだった、
Aの主張も、Bの主張もわかる。
私はBと同じく消費者として、
この流れに期待感を持っていた。
しばらくそのやりとりは続き、Aのある発言で空気がガラッと変わる。
「けど私からのフィードバックがないと意味がないって思うのは、Bさんの課題なんだよ」
「買い手としての一意見が、私の精神的な許容量の問題って言いたいってこと?」
Bは声を荒げ、Aは「そういう意味じゃない、間違えた」と切り返そうとするが、
A本人から個人のキャパの問題だと一蹴され、なあなあに決着をつけられてしまった。
この一連の流れに、私は事業者としてのAに不信感を抱くようになる。
その後も、
講座生に向けた講義とは別の配信でAがBに対して苛立ちをぶつけるような場面
・Aのオープンハートとも取れるが、見方によっては講座生に対する雑な扱い
・私欲を満たすために講座生たちが払ったお金を使われたのち、
講座受講期間中にAから「金策に困っている」というような発言を何度も聞いたこと
などの出来事も重なり、
私は特に「お金がない」という話を聞き続けた結果、精神的に疲労してしまった。
講座を履修したら継続で入れるサロン(月額も決して安くはない)があったが、
退会を決め、Aの事務局に申し出るも、申出から退会の受理までの対応に1ヶ月以上かかるなど、
退会を申し出てからの1ヶ月分のサロン月額料金は請求されなかったことから、
これを機会にAから離れ、学んだこと以外は忘れたように過ごそうと思っていた。
しかし、
ある時のタイムラインでAの過去の投稿について、糾弾するアカウントを見かける。
著しく良識に欠けていて、推しの人権を侵害しているという趣旨の発言と、
インフルエンサーとして好感を持った側面でしかAを知らなかった私は、
どうやらとんでもないことに首を突っ込んでいたらしいとようやく気づく。
ただ、講座を修了している以上、できることはほぼないに等しいのも安易に予測がつく。
悩んだ末、ネットで調べた情報をもとに、地域の消費生活センターに相談してみることにした。
になる。
同じようなケースの人がここにたどり着いた時のために記載しておくが、
消費生活センターの窓口相談を利用するには電話予約が必須なので気をつけて欲しい。
私は電話口で説明できる自信がなかったので、窓口相談を利用した。
契約書や、 Aの事業用のHPなどをかき集めて相談した結果の見解は、以下の通りになる。
代表者氏名が未記載であることから、事業者としての信用性は極めて低く、悪質性は高い。
・決済手数料の扱い
支払い方法によっては、規約外である手数料が上乗せされていることも問題である。
・返金対応
最初に説明されたカリキュラム通りに講座自体は進行していたことから返金は求められない。
また、通信契約の特性上、契約書の規定が優先されるため、返金を求めることはできないという結果。
(契約書にいかなる理由でも返金には応じないといった趣旨の記載)
説明された内容と実際の講座内容に明らかな乖離ががある証拠がない場合は、返金は厳しい。
無いに越したことはないが、同じケースに鉢合わせた場合は、不信に感じたその時に相談して欲しい。
センター自体に強制力はないが、今後Aに関しての相談件数が増えた場合は指導が入る可能性はある。
消費生活センターとしては、本件は“霊感商法による被害”という位置づけになるらしい。
誰でも被害者になりうるというお話も相談員の方からお伺いした。
困っている人がいたら、ぜひ電話でも窓口でも相談してみては、と思う。
被害者に限らず誰でも申し出は可能だが、金銭トラブルの解決は目的としていない。
契約書上の“この契約は消費者契約法や特定商取引法の適用を受けない”という記載に対して、
“法律(強制法規)が優先されて効力を持たない”という意味では、 法律違反にあたる可能性がある。
(本件を具体的に相談した結果ではないので、あくまで 可能性という結果にはなる)
という感じだった。
・現品を見て買えないものは、買う前にとにかく情報を集めましょう。
・良い口コミばかり出てくるものはめちゃくちゃ疑った方が良いです。
・そのインフルエンサーのことが好きでも、
・同じ買い物をした人たちが同じように消費者として傷ついていたら、
もし勇気があるなら手を取り合って、声をあげてください。
でもその人から買い物する時は疑って欲しい。誰かが私と同じように傷つく必要がない。
勉強代としては決して安くはなかったが、
“信頼と契約は別物”という教訓をこれだけ大騒ぎして得られたのは、
まぬけではあるが。
Aは今でもどうやら、講座を主宰しているらしい。
私はもう離れてしまったけど、
Aなりに楽しんで推し活するんだろう。
チャーミングな人だった。
ようやくこれを書き上げた。
この件に対してのモヤモヤをここに置いて、
もっと身軽にやりたいことを楽しむつもりだ。
うん、悪くない響きだ。
これ以上、この件については
追求することはありません。
ただ、いつかの誰かにこの記録が
役立てばこれ以上のことはありません。
B含む講座生のみんなにも、
あの時タイムラインで見かけた投稿者の方にも、相談員さんにも、
そして、 Aにも。
ありがとうございました。
ばいばい。
MITの講義、Stanfordの資料、YouTubeの解説、arXivの論文、GitHubの実装例、オンラインジャッジ、オープンソースの教科書。
極端に言えば、ノートPCとネット回線があれば、線形代数から圏論まで、アルゴリズムから分散システムまで、形式手法から機械学習まで掘れる。
しかも、大学の講義よりわかりやすく、大学の教授より説明が上手い人間が大量にいる。
つまり知識それ自体はすでに市場でコモディティ化しており、値段はゼロに近づいている。
にもかかわらず、大学に行くために何百万円も払い、四年間も時間を捨てるのは、どう考えても合理的ではない。
書籍も高価で、論文にアクセスするにも壁があり、専門家に会うことも難しかった。
しかし現代では、ゲートは崩壊している。知識は空気のように拡散し、検索エンジンとLLMが圧縮して配布する。
学問の入り口に門番はいない。にもかかわらず大学だけが学びの正規ルートであるかのように振る舞うのは、情報流通革命の現実を無視した時代錯誤だ。
しかも数学とコンピュータ・サイエンスは、特に大学不要度が高い分野である。
証明を書けばよい。実装を書けばよい。競技プログラミングでスコアを出せばよい。GitHubにコードを積めばよい。論文を読んで再現すればよい。
個人の能力を示す客観的アウトプットが作れる以上、大学の単位や学位は本質的ではない。
学位は能力証明の一形態にすぎないが、その証明が過剰に高コストで、かつノイズが多い。
四年間を耐えたというだけで、思考力や創造性が保証されるわけでもない。
コンピュータ・サイエンスの実務世界は、ライブラリも設計思想もインフラも数年単位で変化する。
だが大学は制度として硬直しており、講義内容は更新されにくい。
学生が学ぶのは、現代の戦場で使える武器ではなく、過去の博物館ツアーになりがちだ。
もちろん基礎は重要だ。しかし基礎は無料で学べる。基礎を学ぶために大学という巨大な行政機構に参加する必要はない。
そして最大の問題は、大学が学びたい人間のための場所ではなく、学びたくない人間を四年間拘束する場所になっていることだ。
多くの学生は学問に興味がなく、就職のために在籍し、単位のために暗記し、卒業のためにレポートを書く。
その結果、講義は知的探究ではなく、脱落しないための事務処理へと変質する。
優秀で意欲ある少数の学生は、その空気の中でむしろ学びを阻害される。
学問とは本来、興奮と執念の領域であるはずなのに、大学はそれを出席管理と成績管理で薄める。
さらに残酷な話をすれば、大学に行く最大の理由は「自分が大学に行った方が安全だと思い込んでいる社会構造」そのものだ。
皆が行くから行く。行かないと不安だから行く。つまり大学は教育機関ではなく、集団心理によって維持される保険商品に近い。
これは合理性の皮を被った同調圧力であり、個人の学習とは無関係だ。
数学やコンピュータ・サイエンスのような分野で、真に強い人間は、学位ではなく成果物で語る。
証明、コード、論文、プロダクト、貢献履歴。そこには逃げ道がない。
大学の単位は「できるかもしれない」という曖昧なラベルだが、GitHubのコミットや実装は「できた」という事実だ。学問の世界では、事実だけが通貨である。
学位という紙切れに依存する必要はない。しかしもう半分の真実として、大学は知識ではなく、社会の信用システムとして機能している。
だから人々は大学へ行く。学びのためではなく、社会を攻略するために。
だがそれは同時に、現代の大学が知識の殿堂ではなく信号の発行所になってしまったことを意味する。
もし数学やコンピュータ・サイエンスを学びたいなら、大学の門をくぐる必要はない。必要なのは、静かな時間と、強烈な好奇心と、圧倒的な継続だけだ。