はてなキーワード: 粒度とは
IQ130は定義上天才のようである。英語でModerately Giftedという階級に分類されるそうだ。
しかしそうすると原西が天才ということになる。いくら彼が普段自分の賢さを韜晦しているかもしれなくても、どうにもしっくりこない。
個人的には原西よりは、NFTアートで成功したゾンビズーキーパーの親、草野絵美という人物のほうがよほど天才に感じられる。
彼女は自分の家庭から、小学生の息子をまずNFTアーティストとして送り出し、彼女自身も昭和の女児アニメ風のイラストをNFTとして出して成功を収めた。
これは偶然だろうか?ゾンビズーキーパーも、その子自身の芸術の才能の結実としてメディアでは語られがちなのだが、あくまで親があの子の本体なのでないか。
つまり親による行動の誘導、プロデュース力にあずかるところ絶大だったのではないか。
そしてその親自身もまた自分自身の芸術の才で一発当てた、というだけの話ではないのか。
彼女は、どのようなものが受けるかという予測が大変難しいアートの世界において、「計算尽くで二連続成功させた」のだと思う。
漫画で「異世界」「後宮」というレベルの漠然とした範囲でとどのようなものが売れそうかということは予測しても、それに基づいた漫画を実際に作ってみても、ほとんどの人が木っ端作者の域にとどまる売り上げおよび認知度しか出せないことからも、計算して(また、当然「異世界」などよりはもっと高い粒度で作品作りの方針を立てて)意図的に自分の作品を売らせることがいかに不可能性を持ったことか、理解できるだろう。
そのようなことを彼女はやってのけているわけである。天才だと思う。
dorawiiより
自分は昔からパラグラフ・ライティングを心がけているのだが、最近は特にアホな無教養層からそれを「AIの書いた文章みたい」と言われることが多くなった。馬鹿馬鹿しい話だ。パラグラフがAIみたいなのではなく、AIがパラグラフ・ライティングに則った文章を学んでいるだけだ。それだけ、海外ではパラグラフで文章を書くことがあたりまえに出来ているということだ。これを何故日本人だけができないのか。それは増田に言わせれば、根本的に「文章というものの考え方」に問題があるからだ。
日本人にいつまで経ってもパラグラフ・ライティングが出来ないのは、根本的にその本質を捉え損なっているからだ。それは「主張(トピック)を先に言う」という論述のルールとは実は関係がない。欧米人の書いたものにも結論を先に言わないものなどいくらでも存在するが、それでもパラグラフの構造は保っている。では実際には何がパラグラフのより本質的な性質なのかと言えば、それは「論点の整理」にある。
日本人はほとんどそこに注意していないが、機能的な文章には無駄があってはならない。それは完全なる「伝えたいこと」の羅列でなければならない。ここで注意しておきたいのは、機能的な文章というのはもちろん創造的な文章とはまたルールが違うということである。創造的な文章は、どのような順序で書いても良いし、どのように無駄なことを書いても良い。
しかし機能的な文章は娯楽のためにあるのではないので、読み味や驚きを求める必要はない。機能的な文章の究極は『表』『箇条書き』、つまり、「データや論点を出来るだけピックアップしやすくまとめたもの」だ。パラグラフもまた、『表』や『箇条書き』のように、必要なデータや論点がどこにあるのかを見やすくし、整理して並べるための機能にすぎない。
つまり、そのためにまず必要なことは「何が必要な内容で、何が不要な装飾なのか」をきちんと峻別することだ。日本人は感想文等の作文教育の影響で、「中身のないものをとにかく膨らます、引き延ばす」ことを文章力だと思い込んでいる。骨身にしみ込まされている。だから、文章をセンテンスの単位に切り刻んだときに、まったく要らない、話と話のつなぎでしかないものが大量に紛れ込んでいる。これがまずいけない。パラグラフ・ライティングにまず必要なことは、センテンス単位で箇条書きにしても無駄が出ないほど「伝えたいこと」でないものを排除することだ。(この文章をセンテンスで区切ってみなさい。レトリックのためにあえて複数文に区切ったもの以外、箇条書きで並べても無駄がないから。)
さて、そうやって伝えたいこと以外をオミットすると(というより、最初から読書感想文のような無駄を膨らます習慣なんか身につけないと)文章は小間切れの主張やデータの羅列になり、それを見やすくするために整理するルールのひとつがいわゆる「論理(論述)」の「結論:根拠、根拠、…」となる。
しかし、文章を整理するルールはそれだけではない。そもそも機能的な文章の多くは、特に主張など含んではいない。政府機関や民間のレポート、研究論文、プレスリリース、そのほとんどは誰かを「論理的に説得する」ようなものではなく、ただ必要な事実をまとめただけのものだ。そのデータをもとに何かしらを判断するのは読んだ人である。「説得的な文章」などと言うものは、テストの小論文以外ではほとんど出てこないのが現実である。こんなものから「パラグラフ」の本質を学べると思っている時点でだいたいの教育者はおかしい。
実用的、機能的な文章を整理するルールには、例えば、「大枠から詳細に入るように説明する」「時間軸に沿って整理する」「手順をステップバイステップで指示する」などの形式がある。実用的な面ではこちらの方が圧倒的に「結論から根拠へ」などというものより多く、より意識して学ばねばならない。
ところで増田は、このように『ロジカルな文章』のタイプを細かく気にするよりも、次のような構造を守れば常にパラグラフの構造を守れるという感覚で書いている。
それは『韻文、散文、データ、データ、データ、…』という表現の粒度で構成するということである。
ここで注意しておきたいのは、『韻文』とはあくまで惹句的な、内容の少し曖昧な表現という程度の意味で使っているのであり、もちろん五七五などの決まりきった標語にする必要はない。
パラグラフの「トピック・センテンス」は「結論」でなどある必要はなく、データ(あるいは具体例など)をまとめるためのタイトルくらいに考え、その次にリードのような、トピックを少し詳細にしただけの文を書く。これが出来ていると、後は事実や主張の羅列でも文章が綺麗に整うのだ。実例を見てみよう。
与作の朝は早い。彼の一日は、まだ日も明ける前から寝床を這い出し、いっぱいの水を飲むところから始まる。それから家の前を掃除し、雨戸をしまい、離れの仕事場へ行く。釜に火を入れ、暖をとりながらゆっくりと手をほぐしてまずは一仕事する。郵便物が届くと、配達人に軽く挨拶をして一旦仕事をやめ、朝日を拝みながら裏山を一回りして、散歩がてら見回りをする。「今日は暖かくなりそうだな」などと考えながら、ようやく朝飯をいただくのである。
この例文は完全なパラグラフの構造を持っているが、もちろん結論も何もない。しかしこのような時系列で行動を描写するだけの文章でも、『韻文、散文、データ』のパターンを使うと構造的にまとまるのである。
このパターンに当てはまる例がすべてではないが、ほとんどの場合ノーシンキングでパラグラフをまとめられる手法なので、頭に入れておくと良い。
具体的にどういうものかを口にしようとしても上手く表現できないから伝える事ができないのだ。
夢の中では無数の不可解なことが起きる。
それは俺の脳みそで産まれてきたもののはずだが、薄らボケた認知能力の中から生み出された幻覚なので正しく認識しようと噛み砕くために新たな解釈に合わせて世界が崩壊を繰り返す。
たとえば今朝見た夢の中で「雨が降ると髪の毛が丸まっていき、髪型が丸まったアフロのように(「ヒロアカの峰田実」みたいな感じ)なってしまう」という現象が起きていた。
これは俺が夢の中で鏡を見た時に自分の髪の毛が丸々としたコブの塊になっていたことの違和感に対して、「湿気が多いと髪が丸まるのか?」と考えた途端、その世界で発生した現象だ。
街に雨が振り始めて横断歩道を渡る人々の髪がみるみると丸くなっていく光景はホラーのようでさえある。
この状況をより事細かに描写しようとしても俺の文章力では不足する。
おそらく、書こうとした途端に頭の中にある朧気な夢の記憶が「書こうとした文章の解像度に合わせたもの」へと変容するだろう。
たとえるなら、8色しかないクレヨンで子供がミカンとオレンジを描けばどちらも全く同じ黄色で塗られてしまうかのような情報の粒度の低下が発生する。
これが夢の中で起きると、ミカンやオレンジの表面にあったデコボゴが絵の中で消えると同時に、頭の中にあったミカンやオレンジがただの黄色いボールと同じツルツルの物体として記憶が書き換わってしまうのだ。
記憶とは、再観測に失敗するたびに情報を変容させていくという特性を持っているわけである。
認知能力が低下した老人が記憶を手繰り寄せる時のあの必死さは、この解像度の低下に対抗するための彼らなりの知恵なのではないか。
流れまで含めて少しでも状況を正確に思い出そうとすることで、自分の中にあった思い込みで記憶が変化するのを防ぎたいという意思を感じる。
そして、一度でも記憶が誤った形で定着すれば、もうその記憶が元の形に修復されることはない。
ロールシャッハ・テストの如く、一度こうだと思いこめばそういうものとして意識に焼き付いていく。
自分の記憶を出力しようとしているのに、そこで何が起きていたのか全く言葉にならない。
夢の中ではさっきまで親と一緒に自転車を漕いでいたのに、気づけば同僚といっしょに電車に乗っている。
会話の流れに合わせて世界の輪郭は変わるし、自分が認識した途端にそれに合わせて空間までも歪む。
自分の認知能力を超えた世界が自分の頭の内側からやってくる感覚、これに挑む体験が出来るのは夢日記だけだろう。
このままでは老後は夢遊病一直線だ。
発達障害を自認しながら身近な発達障害者をSNSで晒してウケ狙ってる人いるじゃん
Xにもはてブにも、他のSNSにもいる、単発の投稿じゃなくて持ちネタになっちゃってる人
過去の検索すると発達障害の兄が~姉が~って数えきれないくらいヒットする人
あれ本人は同じ発達障害だからセーフって思ってるかもしれないけど、単なる差別なんだよね
上肢と下肢でも違うし視覚や聴覚などそれぞれの苦悩があることが当たり前と考えてるから、同じ身体障害者としての発言は相当慎重に行われている
精神障害者ですら精神障害一般については配慮した物言いが当たり前になってる
なのに発達障害についてはそういう発言を頻繁にする人が目立つのは何故なのか
発達障害の詳しい診断が下っていてDSM-5についても知識がありながら差別発言を繰り返しているのは何故なのか
病状や深刻さが近しいならかろうじて自虐として成り立つ余地もあるかもしれない
職場から歩いて5分くらいのところに寿司屋があって、職場の人間がけっこう贔屓にしているらしいと聞いていた
「仕込み中」のふだが出ていてのれんも降りてないので、一見するとやってないんだけど、戸を開けて「今いいすか?」とか言ったら普通に入れて、普通に握りを食うことができる、とそういう話らしかった
そんなん1人でイキナリ行けないっすよね、ということで、先輩に連れられて昼に行った
正直、舐めていた
皆うまいと言ってるが、言ってもその辺の住宅街みたいなところにある別に有名店でもないところだし、そんな別格みたいなうまさではないだろう、と
メチャクチャうまかった
別格だった
寿司は大将が握りたてを2貫ずつ目の前に置いてくれるスタイルだった
寿司屋に来ておいてなんだが、俺は魚介類が基本的に苦手だ 魚は全然いけるけど、イカ・エビ・タコの類は好んで食べない
いきなりイカの寿司だ 避けてきた食い物…しかし、食わないわけにはいかない
生のイカ特有の、一瞬抵抗があってその後ほどけるような食感 あれが俺はあんまり好きではないんだけど、どういうわけか、ほぐれる酢飯と合わさると、全てが調和するような感覚があった
白身の魚の握りもあった なんの魚か、多分提供時に大将が言ってくれてたんだけど、緊張していて覚えてない
うまかったことだけは覚えている
具はワカメくらいしか入っていないシンプルなものだが、味噌がいいのか出汁がいいのか、しみじみとうまい 寿司を食い、次の寿司を待つ間に味噌汁をすする
たぶんまぐろだと思うんだけど、赤身より白っぽい、より脂の乗った感じの、カテゴリとしては赤身っぽいやつ
その2貫が第二陣だった
醤油をつけて食うんだけど、ネタがけっこうデカくて、醤油がつききらないところの方が多い
じゃあその辺は味がしないのか?というとまったくそうではなくて、なんかもうよくわかんねえんだけど、醤油とか付いてなくても全然味がした
下味がついてるとかそういうセコい話ではなく、寝かされたネタそのものがもつ旨味が、調味料なしでも発揮されていた
そんなまぐろ(たぶん)が2貫
前述のとおりエビも苦手なんだが、その程度の苦手意識はもはやなんの意味も持たなかった
……いや、そうでもないな
なんの不快感もなく食えて、むしろうまいと思ったのは間違いないんだけど、味の記憶の解像度が低い気がする
俺はエビがかなり嫌いだった時期があるので、やっぱそういう体験とのぶつかり合いがあって、総合してプラスではあるんだけど、他のネタと比べると味わいきれていないんだと思う
そんでサーモンなんだが、これが一番体験として面白かったと思う
なんつうか、シャキシャキしていた
融けるような食感だったまぐろの握りには全くなかった食感だった
魚によって食感が違う、というのは、まあそりゃそうなんだけど、こんなに明らかに違うもんなのか、と思った
同席していた常連の先輩いわく、いくらが出てくるのはラッキーらしい 偶然タイミングがよかったので、普段は出さないいくらにありつけたらしい
やっぱこう、食感ですよ 食感が違いますよね
シャリの口どけがいいのはもちろん、どういう理屈か分からんけど、いくらの口どけもいいというか、粒を感じるんだけど、その一粒一粒がどう動いてどう崩れていくのかが知覚できるというか、そういう食感だった
いくらもシャリも粒じゃないですか 粒度の違うふたつの粒が、絡み合うようにしてほぐれる その感覚はもはや、エンターテイメントだったんだよな
これもレアなネタで、ちょうど塩辛が入ってるから出してやるよ!というような感じらしい
実際のところいけない、というか食ったことがないんだが、俺はまっすぐな目をして「いけます!」と頷いた
デカい手巻き寿司で、終端から塩辛がこぼれる姿はクレープのようでもあった
うまかった
初めて食う塩辛は、塩辛の名に違わず確かに塩辛かったが、その塩辛さと、あのイカ特有の食感とが、手巻き寿司の海苔およびシャリの中心で渦巻くようで、なんかよく分かんねえけど、竜巻のようですらあった
うまい うまかった
俺は寿司を初めて食べたんじゃなかろうか?と思う
というか、もはやまったく別種の食い物だった
これまで俺は寿司が好きだと思っていたが、それはビッグカツだけを食べてトンカツが好きだと思っているようなものだった
そして会計は1,300円だった
利益出てんのか?という価格で、実際大将の口ぶり的に、利益は出ていないと思われた
でも夜に行っても握りの価格は据え置きらしい
どっちかな、もなにも同列にするのは問題認識の粒度に問題ありでしょ。
ドラマのは役で言ってるだけで実際には害意はないこと論じるまでもない
虚空に叫ぶのも実際に誰か特定個人を想定して殺したいと思ってるというより単なる独り言でもあることからその字面に反して単なる漠然としたむしゃくしゃした気持ちの反映としてそう言ってるだけと捉える余地がある。
では増田で特定のトラバに殺すとか言及するのは?明らかにそのトラバを書いた画面の向こうの相手を想像して少なくともその想像の相手を明確に意識して害意を向けてるよね?
その証拠というか裏返しというかそういう言及をされた人が「俺に殺すと言ってる」と明確に自分への害意を認識して不快な気分になることがあるのはいうまでもないだろう。
何か嫌なことをされて嫌いになったはずなんだけど、その具体的なエピソードが思い出せない。ただ嫌いだという感情だけ残ってる感じ。その人が関わりそうになると心の中に黒いモヤが立ち込めたみたいになる。
嫌だったことを忘れてしまうのは防衛反応みたいなものなんだろうけど、割と困る。
出来事を客観的に見直せないので、本当に嫌うべきなのか自信がなくなる。「大したことないのに大袈裟に嫌がってしまっているのではないか?」「本当に嫌なことはあったのか?」と悶々としてしまう。
人から「なんであの人を避けるのか?」と聞かれた時にもどんなことをされたか言えなくて説得力がない。自分が理不尽に酷いことしてると思われそうで不安になる。
Google検索しても忘れる方法ばかりで思い出す方法はみつからないし。
嫌なことをされた当時に、嫌なことなりにツッコミどころがあって友人に面白おかしく話せたエピソードだけはなんとか覚えてる。他にもたくさんあったはずなんだけど…。
デロンギの全自動エスプレッソマシンで「マメリュウドエラー」というのが出る用になってしまった。
説明書には「コーヒー豆のミルの細かさを粗くする」と書いてあるんだが、最も粗くしても駄目。さらに内部洗浄でもエラーがでる。コーヒー豆が入ってないのに粒度ってどうしろと?
調べると、これは、お湯を供給する部分のお湯の流量センサーがあり、それがお湯の流れを検知しない場合に出る物らしい。
エラーメッセージは正しく出してほしいわ。
と言う事で真の対処はこう
・Oリングが膨潤などしてギスい場合、お湯漏れがあるような場合には、Oリングの交換
幸いにして俺はOリング交換まででなんとか住んだ。
「粒度」使いたいだけなのでは
産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分の体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。
妻フリーター、自分正社員。計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍が確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。
互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。
互いに実家から遠く離れたエリアに暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスかからずよかったとも思う。実際自分の両親世代の情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院と自治体に頼るんだ。
しかしまあ、人によって出産体験は十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。
妊娠中は母体のメンタルが不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。
自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。
早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。
すごい手厚い。母子手帳、妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成、児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対に活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。
妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院をローラーして予約すべし。首都圏は競争激しいし、地方は地方でそもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合、陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。
余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的に入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児に危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的に陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合は子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なものを子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分を召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。
で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまったからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨ての割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師の失笑をさらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。
なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。
妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分の場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志で出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児を自分が行い、今もそれは変わらない。
自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社を休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦の不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所で死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。
新生児はほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン。自分の場合は特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車を運転し美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチしたかったけど産後は禿げるから美容師に拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。
いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したから出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血は産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。
通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後は骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。
完全母乳の場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後は母体の負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって?馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。
赤子はすくすく成長するが、基本的なルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメ→ミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ→風呂に入れてみる→ダメ→放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。
ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのものの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。
これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味でSSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。
最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか。大切なことを言うぞ。
離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん。
お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業が必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。
これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから、離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体に相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったときは自治体を頼れ。
これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体のwebサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後は戦争だから余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職の場合、ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。
ちなみに公立保育園の情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴の増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。
保育園は復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園の場合、食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから。復職したかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ。
我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。
大丈夫。保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから。安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。
だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある。毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。
これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。
長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠も出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!
できません
「この3問を解くのにかかる時間は?」
とか聞かれても
「5分で解けるかもしれないし3時間かかるかもしれないしそもそも解けないかもしれない」
という答えになります
「xに1から順番に100ぐらいまで代入したら証明できるよね?」
みたいなこと言う人いますが、それは証明になっていないので後々困ることになります
「この辺をこうしておいて、この場合だけ別途証明して、ここはこうすればいけるかな?」
という感じでざっくりの見積もりは出せますが、5分か1時間か、ぐらいの粒度でしか出せないし
大半の場合はハズレるし下手すると大ハズレするので意味がありません
とか言ってくる人いますが、見積もりを出してくるソフトウェア開発会社や部署は
「かなり多めに見積もって遊んでる」
のどちらかです
テストが不十分だったりセキュリティ脆弱性を抱えていたり拡張性がなくて結果的にはゴミになるか追加費用が発生するかのどちらかです
そもそもクソコードと呼ばれるコードは本当にちゃんと動いているのかどうかが分かりません
綺麗なテストが書けるならテストを通過するコードは動いていると言えますが
そもそも綺麗なテストが書けるような仕様ならクソコードになりません
大半のクソコードはそもそも仕様が曖昧な状態で、その曖昧な状態をコードに落とし込むのでクソコードになります
なのでバグがあるかどうか判別できず、本当に動いているかどうかを保証できません
型があるような言語を使っていればインタフェースをキッチリ設計してある程度保証できますが
型が無い言語は地獄でコードを1行ずつ読んでメモしていかないとバグがあるかどうか分かりません
最近だとChatGPTなんかのLLMを使うことでその辺はかなり楽になりましたが
綺麗に書かなくて良いわけではありません
できません
その辺の企業が一般社員をプロ野球選手に育成しようとしているのと同じレベルで出来ません
最初からプロ志望で社会人野球枠で入社してきて仕事はそこそこに毎日トレーニングと試合をしてるような人で
また、そのレベルであっても、せめて「野球で甲子園行きました」レベルの人材が必要で
みたいな人がプロレベルになれるわけがない、というのが現実です
とか言ってる会社が多いですが、育成するぐらいなら他から選手集めてきてチーム作る方が早いし安上がりです