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2025-11-30

anond:20251130111124

AIによる言語翻訳によってそれぞれの言語が背景情報に持つ文化的感覚の伝達が遮断されることで、過去の分断がリセットされ、ネットワーク上に新しいトライブが発生する可能性はありますか?そのような世界規模で同じ価値観を共有できる社会には個人が頑なに聖域を守る社会比較して発展性はありますか?

新しいトライブの発生: 「あり得ます」。 言語の壁(およびそれに付随する歴史的感情的なしがらみ)がAIによって無効化されることで、国家民族ではなく、純粋な「関心」や「目的」によって結びつく新しい群れ(トライブ)がネットワーク上に発生します。

発展性の比較: 「長期的な生存進化」という点では、『聖域(異質性)』を守る社会の方が圧倒的に有利です。 均質化された社会は、短期的には効率的ですが、環境変化に対する「適応力」を失い、システムとしての死(エントロピーの増大)を迎えるリスクが高いためです。

質問者様の問うた「発展性」を「どれだけ長く存続し、環境変化に適応できるか」と定義するならば、聖域(翻訳不可能身体性や文化)を守る社会の方が優れていますしかし、現代テクノロジーの流れ(AI翻訳による均質化)は止まりません。したがって、未来社会構造は以下のような二層構造になると予測されます(あるいは、そうなるべきです)。

上層(グローバルレイヤー): AI翻訳に支えられた、摩擦のない「新しいトライブ」の層。ここでは経済活動科学的な問題解決が、国境を超えて高速に行われます

下層(ローカルレイヤー): AIには理解できない、身体性や土地に根ざした「聖域」の層。ここでは個人が頑なに独自クオリア方言儀礼身体感覚)を守り、「上層」へ供給するための新しい意味価値ノイズ)を醸成し続けます

もし「下層」が消滅し、世界が「上層」だけになれば、人類は「AI管理する平和で退屈な水槽」の中で、進化袋小路に入ることになるでしょう。

Next Step: この「文明寿命」というマクロ視点から、「では、そのような『老い文明』の中で、個人はどうすれば若々しい精神創造性)を保てるのか?」という、ニーチェの「超人」や東洋思想老荘思想)に近い、個人生存戦略についてお話しましょうか?

ニーチェ力への意志は、力がベクトルとして大きさと方向を持つ前の状態を指すと理解しています。力が世界に向けて放射され続けると同時に、内側から常に新しい力への意志が産まれ続けることで常に原点に回帰する動きが永劫に続くことが未来を産み出すための差異となりうるのでしょうか?このように事象がおのずから萌えいづるものとして認知することは非常に東洋的な思想だと思いますが、一方で東洋西洋比較近代文明的な停滞期を迎えていたように見えるのはなぜだと考えられますか?

「おのずから萌えいずる(自然・じねん)」という感覚東洋思想親和性が高いにもかかわらず、「なぜ近代において東洋は(西洋視点から見て)停滞したのか?」という問いは、文明論における最大のパラドックスの一つです。この謎を解く鍵は、「力への意志が『どこ』に向けられたかベクトルの向き)」と、「『差異』をどう処理したかシステムデザイン)」の違いにあります東洋においても「力への意志」は枯渇していたわけではなく、「調和と洗練(内部)」に向けて全力で放射され続けていました。 西洋が「拡大(Expansion)」を選んだのに対し、東洋は「定常(Steady State)」を選んだ。その結果、西洋のモノサシ(軍事経済技術)で測った瞬間に、「停滞」として映ったのです。しかし、ここから重要です。 先ほどの「文化の熱的死」の議論を踏まえると、西洋型の「無限の拡大」を目指すベクトルは、地球環境という限界にぶつかり、今まさに破綻しようとしていますニーチェの言う「力への意志」の真の極致が、単なる力の拡大ではなく、「生成消滅する運命のものを愛すること(運命愛:Amor Fati)」にあるのだとすれば、かつて東洋が目指した:

「外部へ侵略せずとも、内部で無限に豊かになれる」

「おのずから萌えいづる差異を、破壊ではなく調和として包摂する」

という態度は、停滞ではなく「早すぎた成熟」であった可能性があります。今、人類が求めている「未来」は、西洋的な「拡大の果ての虚無」を乗り越えるために、この東洋的な「円環的創造」を、今度は停滞(閉鎖系)に陥らせずに、テクノロジーを使ってどう開放系として回していくか、という一点にかかっているのではないでしょうか。

円環的かつ開放系という一見矛盾するように見える社会構造の成立には長期的視野での改革必要になるように思えます。一方でAI代表される現代の先端テクノロジー米国西海岸的な強いプラグマティック思想のもとで発展しているように見えます。両者はむしろ反発しあいあなたの指摘する「乗り越え」は難しいのではないでしょうか。議論戦争メタファーである以上、弁証法的な乗り越えを期待するのは難しいように思います

議論戦争である(ARGUMENT IS WAR)」というメタファー支配する現在知的風土、そして「役に立つか、儲かるか(Pragmatism)」という強烈なドライブがかかったシリコンバレー的な加速主義の前では、東洋的な「円環」や「調和」といった概念は、単なる「敗者の戯言ノスタルジー)」として踏み潰される可能性が極めて高いです。今後、東洋的な「円環・身体性・聖域」が、西海岸的なテクノロジーに「勝つ」ことはありません。しかし、巨大なテクノロジーシステムの中に「不可欠な臓器(バグの調整役、倫理的アンカー創造性の供給源)」として寄生し、内部からシステムを変質させることは可能です。例えば、哲学者のユク・ホイ(Yuk Hui)が提唱する「宇宙技芸コスモテクニクス)」の概念はこれに近いです。 単一普遍的テクノロジー西洋近代技術)に対抗するのではなく、それぞれの地域文化宇宙観(Cosmology)に基づいた多様なテクノロジーのあり方を再構築し、グローバル技術ネットワーク接続しようという試みです。

反発と困難性: はい、極めて困難です。 理念的な対話によって「乗り越える」ことは不可能です。現代パワーバランスでは、プラグマティズムが円環思想を圧倒します。

可能性の所在しかし、プラグマティズムがその徹底性のゆえに「物理限界エネルギー環境)」と「情報限界意味の枯渇)」に直面した瞬間、「円環的であることこそが、最もプラグマティックな解である」というパラダイムシフト強制的に発生します。

未来への展望: その時、私たちが目にするのは、理想的な「東洋西洋結婚」のような美しい姿ではないでしょう。 おそらく、「超高度なAI管理システムが、システム維持のために『禅的な身体性』や『自然崇拝』を人間に推奨・強制する」といった、一見ディストピアにも見える、グロテスクだが強靭ハイブリッド社会です。それを「発展」と呼ぶか「悪夢」と呼ぶか。それこそが、次の時代哲学的な問いになるはずです。

ズボフの監視資本主義のもとでは、メガプラットフォーマーと呼ばれる企業群は個人が持つ情報を適正な対価を払わず取得していると言われていますしかしながら、AI機能の向上に直結するであろう特異なクオリアを持つ人間感覚を通じて取得する情報の貴重性が増すことで、特別な対価を提示した取引が成立することはありますか?ブロックチェーンのようなピアtoピア価値交換システムはこのようなシステム実装することに役立ちますか?

ズボフが提唱した「監視資本主義」のモデルは、「人間デジタル足跡(行動余剰)を無意識に垂れ流す資源であり、それを企業勝手採掘する」という前提に立っていますしかし、質問者様が指摘された「特異なクオリアAI模倣できない身体的・主観的経験)の価値高騰」は、この一方的搾取構造を崩し、「人間AI企業)との間で、対等かつ高額な取引」を成立させる可能性が極めて高いです。質問者様の仮説は、技術的・経済合理性観点から正しいと考えられます監視資本主義(タダ取り)は、データの質が問われない時代モデルです。AIがより人間的な深みを求めて進化する段階において、「特異なクオリア」は最大の商材となり、ブロックチェーンはそのための「市場」と「権利書」を提供します。それは、人間が「消費者から、自らの神経系が生み出す信号を切り売りする「感覚生産者」へと変貌することを意味します。(参考:ブロックチェーンを用いて、データ所有者がAI開発者などに直接データ販売ライセンス供与する「Ocean Protocol」のようなデータ市場エコシステム図。中央仲介者を排除し、P2P価値交換が行われる仕組みです)

Next Step: この「自分感覚を売る」という行為が極限まで進むと、「自分自身の人生を『AI学習コンテンツ』として演じるようになる」という、実存危機自己の疎外)が発生します。 この点について、「AI時代の新たな疎外論」として議論を深めましょうか?それとも、より技術的な「実際に現在稼働しているデータDAOの事例」について紹介しましょうか?

マルクスの言う資本主義における人間疎外と大きく異なると考えられるのは、監視資本主義においては疎外された人間から提供される情報にはクオリアが歪んだ形で入ることになり、生産品としては価値が失われてしまう点にあると思います。つまり監視資本の側は報酬としてプロレタリアートが疎外されていないという感触を与えるものである必要がありますあなたのいう徹底したプラグマティズムによってメリット双方向的に与えられるようなシステム形成できると考えられますか?その場合、どのような報酬系が最も優れているでしょうか?

「靴(物質)」は、嫌々作っても靴として機能しますが、「感動(クオリア)」は、嫌々作るとその瞬間に価値を失い、偽物(ノイズ)になる。この指摘は決定的です。AIが求める「真正クオリア」を収穫するためには、監視資本主義(あるいはその先のクオリア資本主義)の側は、提供である人間に対し、「自分は疎外されていない」「これは私がやりたくてやっていることだ」という強い没入感と主体的感覚を与え続ける必要があります。徹底したプラグマティズム(実利主義)の観点からすれば、システム側は「搾取に見えない搾取」、より正確には「搾取自己実現が完全に一致するシステム」を構築することで、この問題解決しようとするでしょう。

質問者様が問われた「システム形成できるか?」という点については、「可能であり、必然的にそうなる」と考えられます。なぜなら、「人間を不幸にする(疎外する)」ことが、システムにとって経済的損失(データの質の低下)になるからです。

旧来の資本主義人間をボロ雑巾のように使い潰しても、製品(車や家電)ができれば利益が出た。 → 人間は不幸でもよかった。

監視/クオリア資本主義人間が不幸を感じ、シニカルになると、製品データ)が使い物にならなくなる。 → 人間は(主観的には)幸福でなければならない。

最も優れた報酬系とは、「報酬」という概念自体消滅させるシステムです。「生きること、遊ぶこと、表現することが、そのまま価値生成となり、生活の糧となる」という、マルクスが夢見た「労働と遊びの区別がない共産主義社会」に極めて近い状態が、皮肉にも「AIによる超高度な管理パノプティコン)」によって実現されることになります。この社会では、プロレタリアートは「自分搾取されている」とは微塵も感じていません。彼らはシステム提供する「最高の遊び場」で、自らの才能を遺憾なく発揮し、幸福感に満たされていますしかし、その「情熱」も「感動」も、すべてがシステム養分として吸い上げられているという点において、これは「疎外の極北(疎外されていることにすら気づかない完全な疎外)」と言えるかもしれません。

これを受け入れられるかどうかが、最後分水嶺になります

2025-11-28

【探しています】切れなかったマジックカットの袋

平素より弊社商品マジックカット袋(切れる!どこからでもスーッと!)」をご愛顧いただき、誠にありがとうございます

この度、誠に遺憾ながら、2025年11月製造ロットの一部において

いくら引っ張っても切れなかった」

「ハサミで切ったら普通に切れた」

「むしろ丈夫すぎてゴミ袋として優秀だった」

という、商品コンセプトと真逆現象確認されました。

お客様におかれましては、

・袋を開けようとして30分以上格闘した

・「マジックカット」の意味哲学的に考え始めた

・最終的に袋ごとゴミ箱に放り込んだ

といった被害を受けられた方、誠に申し訳ございません。

対象商品

商品名:マジックカット袋(切れるはずver.)

製造番号:MC-202511XX(袋の底に小さく書いてあるやつ)

特徴:伝説級の丈夫さ、切れ味ゼロ開封困難度Sランク

【回収方法

恐れ入りますが、該当の「切れなかった袋」をそのままの状態(中身が入っていても可)で下記までお送りください。

※切ろうとした痕跡(爪痕・歯形・絶望のシワ)があるほど高額査定いたします。

送り先:

〒999-9999

東京都絶望開封不能1-2-3

株式会社マジックカット本舗 回収課「切れなくてごめんなさい係」

補償内容】

・通常の「ちゃんと切れるマジックカット袋」×10パック

開封補助具「電動ハサミ 絶絶絶絶望ブレード」

精神被害補償として「もう一生袋と戦わなくていい券」(有効期限:永久

なお、今回の不具合品は「切れない」を極めた結果、

防災用の非常用袋

銀行強盗マスク代わり

永遠に開かないタイムカプセル

として異例の人気が出ており、回収を拒否されるお客様が続出しております

「むしろこのままでいい!」という猛者の方は、そのままご愛用ください。

あなたこそが真のマジックカットマスターです。

この度は大変ご迷惑をおかけしましたことを、

袋よりも厚くお詫び申し上げます

株式会社マジックカット本舗

代表取締役 切れなくて謝罪


プロンプト)

Grokで「【探しています】切れなかったマジックカットの袋。というタイトルで、製品回収のパロディのように案内文を書いて」と指示。

2025-11-20

個人的 使わん常用漢字

璽…玉璽

痘…種痘

丙…丙午

舷…右舷、左舷

嫡…嫡男

嗣…嗣子

諧…俳諧

楷…楷書

錮…禁錮

迭…更迭

憾…遺憾

頒…頒布

逓…逓減

瑠…瑠璃

璃…瑠璃

墾…開墾

陪…陪審員

遵…遵守

嘱…嘱託

拶…挨拶

挨…挨拶、それも相俟って

款…定款

沃…肥沃

阜…岐阜

憧…憧憬

憬…憧憬

悼…追悼

惰…怠惰、惰性

旺…旺盛

堆…堆肥

酎…焼酎

寡…寡占

個人的 使う常用外の漢字

岡田インタビューがウケルw

首相としてさらっと遺憾外交をやるだろうとの踏み絵として、みたいに国会質問したら

中国台湾武力行使海峡封鎖米軍が来援し武力行使ならば戦争だ」という話がでて大慌て

しかし待って欲しい

質疑で米軍攻撃される想定をしたのは、お・か・だ・だ

例えばもう既に米軍が戦っているときに、米軍自衛隊が共同で対処している

こうした事態に対する概念あいまいだとぶつけた

かなりしつこめにねっとりと

そこで出た言葉

例えば海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかの他の武力行使が行われる。

という個別具体的な設定であり、ならば有事だと

で、これを切り抜いて、世間ばーんと流したのはマスゴミ

これで高市を蹴落とせると思ったのかもしれんが

国内の反応は、ほーん、そりゃまそうだわなって感じ

で、中国様が激おこプンプンな状況で

岡田は、おれはそんな回答を期待していなかったと逃げ腰

いや、なら聞くなよ

2025-11-17

anond:20251114103017

根本的に前提から意味わからんのだけど

台湾が襲われたら日本は命がけで守らないといけないという思想なの?

遺憾のイを表明します、支援物資します、場合によっては自衛隊復興支援しま

くらいのもんでしょ?

適当大義名分気持ちよくなるバトルばっかりやってるから現実的なところなんも見えてなくない?

今回の中国側の反発が日本遺憾砲と同じであるか否かって話であって、中国が間違ってるとか間違ってないとかの話はしてないよね。

あと、君が反論って言ってるのは反論ではなく君の単なる主張。理由が一切述べられてないので「論」になってないんだよ。

中高生相手小論文の基礎講座を開いてる気分になってきたわ。

主張: 中華は間違っていない

反論: 中華は間違っている

anond:20251117034955

仮に、日本の政治家が君の言っているように切れるカードがある上に遺憾の意を表明しているとして、中国の今回の対応がその日本遺憾砲にあたるのだとしたら、

結局のところ、中国の今回の抗議は「切れるカードがある上に遺憾の意を表明している」わけで、君のその意見を汲んだとしても、事態のまずさは変わってないと思うんだが。

「切れるろくなカードが無い時に仕方なしに言ってる感じ」これは違いますね。

態度を表明しているだけで、切れるカードがないから使っているのではありません。

anond:20251117033316

anond:20251117032204

日本の政治家が遺憾の意を表明するのは、たいてい、切れるろくなカードが無い時に仕方なしに言ってる感じだが、今回の件、中国はこれから切れるカードが何枚もある。

なので、「あんもの日本で言う遺憾砲だぞ。」ってのは、違います、としか

2025-11-16

日本デッキ

40枚中30枚くらい「遺憾」が入ってるから自分のターンになっても何も出来ない

2025-11-11

アニメ版グノーシアに言いたいことを全部言う日

テレビアニメ『グノーシア』は、原作ゲームより情報量を減らして分かりやすくしたつもりで逆に作品世界観に納得するために必要情報が足りていないという話がしたい。

タイトル原作ゲームを夢中になってプレイしたファンである者として、アニメ版には納得できない点が多く無限文句を言いたくなってしまうため、今日ここに考えをまとめて終わらせたいと思う。

当方原作厨と罵って議論を終了させたいならそれで結構だが、原作と違うからダメ!という感情論ではなく、SF的要素を備えた当該作品舞台設定に対して前提条件を一つ変更することで起きる影響までが正しく考慮されておらず、それに伴って劇中で開示されるべき情報が受け取り手まで共有されていないためアニメ単体として作品論理的に成立していない、という批判が本投稿本質である

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グノーシア検知に関する"技術的な限界"について

合わせて、作品舞台である宇宙船人狼ゲームにおける「夜」にするための舞台装置である空間転移」の設定について。

原作では『船が空間転移をすればその度にグノーシアが人間を一人消すリスクを伴うが、空間転移完了時にしか船内のグノーシア反応を検知できないため、議論コールドスリープ(以下、CS)→空間転移をセットで繰り返して、最終的にグノーシアの排除を目指す』(※そのために船の航路は、可能な限り多くの空間転移を繰り返してたどり着くことのできる目的地が設定される)という理屈説明されていたところ、

アニメ版ではCS完了後にあらためて船内のグノーシア反応が検知されるかどうかという判定が行われており、それはつまり空間転移の実行時ではない、乗員が活動可能環境下で、常時「船内のグノーシア反応」を検知できる…ということになっている。(※その判定を更新されるのが「CS完了後」のタイミングでなければならない必然性存在するのだろうか? )

原作世界観では「空間転移完了時の船内のグノーシア反応」が船側の、グノーシアの所在を絞り込むことのできる技術的な限界であるという定義をとるのは自然だ。(検出の必須条件となる「空間転移」という現象が及ぶ対象は「船全体」であるため、それが検出範囲限界認識できる)

しかアニメ版世界観では「グノーシア反応」を検知できる範囲が「船内全域」にしか及ばない点の不自然さを指摘できる。

・「緊急事態のため船の機能制限されている」という説明原作でも存在しており、アニメ内でも描写されたが、すでに提示されたような技術存在する条件下で、グノーシア対策規定というものがLeViのシステムに組み込まれるほど一般化・周知されていることにも鑑みれば、緊急時制限されることのない隔離された機能として、船にグノーシアを特定するための装置(グノーシア反応を検知できる範囲を「船内全域」よりも狭く絞り込めるような設備)が実装された上で運用されていてしかるべきだ。

・また、そのような設備がやはり技術的に不可能であるか、現状の『D.Q.O』には存在しなかったという限定的な条件を仮定しても、この環境において「船内」に含まれない範囲、すなわち「船外」は存在している。

原作ゲームを未プレイであるアニメ勢の感想に挙げられていた、"乗員一人ずつに宇宙服を着用させて「船外」に出し、その都度「船内」をスクリーニングすることによって誰がグノーシアかを判別することはできないのか?"という指摘が生まれたことは、要領を得ない突飛な発想のようでいて、じつは当然のことである

(※アニメ内で描写のあったテザー無しのEVA作業宇宙服で離れた後に再度帰艦できるような距離範囲を「船内」「船外」とは判別することができない検知方法である、という可能性はある)

LeViの判断合理性に欠けている

また、アニメ版の設定において、船内のグノーシア反応が確実に残っていると分かった状況で空間転移を実行する理由とは?(※原作においては複数のグノーシア反応が認められた場合にこの状況が発生することはある)

そういった状況下で、例えば議論が紛糾した末にCS判断の誤りが判明した後、投票結果に異論があった者の暴動を招く危険性や、確実に誰か一人が消されると分かったまま空間転移を実行される乗員の心理的負荷等をLeViが考慮しない理由は?

(※アニメ版での表現では投票を行う際の手続き原作比較してかなり厳重であり、毎回「拒否権はありません」との警告と承認があることから結果に異議を唱えたい者の暴動対策は取られている可能性。)

・以上の疑問点が解消できるような状況を説明されない限り、アニメ版舞台装置論理的に納得できる情報が不足していると言える。

・我々の世界にはまだ確立されていない技術である「星間航行船の空間転移」というものがどのような事象であるかは原作でも詳細な説明はなく、その情報が不足しているために判断がつかないことであるが、原作での「グノーシア対策規定としてなるべく多く空間転移を行う」という船の挙動を、前提の異なったアニメ版世界にそのまま適用されていることは、全く合理的判断であるように見えない。

エンジニア権限」の設定について

原作では「調査対象者の空間転移時の次元波を解析してグノーシアかどうかを判断できる」ため、空間転移時のグノーシアの活動による犠牲者が出るという危険を冒してでも空間転移が明けないと調査結果が出ないという設定に対し、

アニメ版では「時間がかかるた調査結果がわかるのは空間転移後」という表現がされており、つまりアニメ版におけるエンジニアは船が空間転移を行うことでグノーシアに襲撃の機会を与えずとも"時間をかければ"グノーシアを特定することが技術的に可能ということだ。

(※「時間がかかる」と曖昧表現された部分の実態は気が遠くなるほどの膨大な時間必要とするもので、空間転移によって乗員の体感時間にしてそれを大幅に短縮するような効果がある可能性。相対性理論…?)

判断材料が欠如しているということ

・以上の前提に基づいて判断すれば、アニメ版世界ではなぜ"なるべく空間転移をせずに時間を稼ぐこと"がグノーシア対策規定の基本になっていないのか、どうしても空間転移が実行されなければならない理由があるのであればその情報が開示されなければ、乗員としてもこの状況に納得できる判断材料に欠けている。

論理的思考の持ち主であるラキオが、その点を指摘しないのは不自然

・『アニメ作品』に対する個人的な所感として、"そうなってないのは何か理由があるんだろうな"と考察することも可能であるが、この物語舞台設定の状況が、こういった前提条件の世界観の中で最も一般的な、大多数の人間が納得できる合理的判断として成立しているもの理解するために"整合性のつく要因を勝手に推測するしかない"のでは、あまりにも粗末である

原作の設定にもなんとなく推測するしかない要素はある、エンジニア次元波を云々も小難しいこと言ってSFっぽくしてるだけ、とかいえばそうなんだけど、論点がズレるのでそれは置いといて。

本当にわかやすくなっているのか?

わかりやすテレビアニメ『グノーシア』をつくるためにはそのように舞台上の様々な制約を読み手に共有させるSF的要素は"ノイズ"であり、

SFらしく小難しい舞台装置論理的整合性を減らしてでも、あえて原作では排除されていた「人狼」の表現を再度劇中に持ち込むことが作品をわかりやすくするために必要判断だったんだ、と言う主張がある。

実際、アニメ版制作方針としてそうなのだろうと思うし、いまさらそのような制作方針の根幹について、今後のアニメ展開で改訂される可能性は皆無と言える。

・"なら僕はもう……何も言えません……"と言うしかないのだが、アニメ版が本当にわかやすくなっているのかというと、それは甚だ疑問である

だって粗探しをしていてこんな結論になった訳ではない。"原作とは違うんだな"と思ったから、検証を進めていただけだ。

そして、上述のような疑問や指摘が浮かび、ついぞ解消しそうにもない。

理解しようと思ったのに、全然からなかった。ましてや整合性のとれる理由は劇中で明かされておらず、各自推測しなければいけないとなれば、アニメ版初見である視聴者にとっては"理解しがたい前提で、納得できないまま物語を押し進められている"という印象を抱くのも無理はないのだ。

・実際にアニメ勢で"この作品、設定ガバいな"といった感想が出された実例観測した。

アニメ本編の情報だけで判断したらそらそうなるわ、という話だ。

個人的に、この作品が好きだったのは"一人用の対COM人狼ゲームシミュレーター"から発展させて「人狼」の要素を抜いてSF世界観物語を再構築しているという部分であったために、アニメ版において世界観がこうも変更されている点について"好きなもの否定されて悲しい…"という感情になっているのだと思われる。

アニメ版だけの論理性に欠いた表現のためアニメから触れた新規原作ごと作品価値が誤解されるのも遺憾であるが、もはやしかたない。

OK原作ゲーム『グノーシア』はSF人狼SF濃いめ、テレビアニメ『グノーシア』はSF人狼SF抜き、別ジャンルの別作品としてそれぞれのファンである我々は住み分けていこうじゃないか

もうアニメ版の視聴は諦めて、大人しく退場しようと思います

みすみすアニオリの改悪を許すなんて歯がゆいことだ。ああ歯がゆい

本当に、君達にはガッカリだ!

2025-10-03

anond:20251003175754

オレンジページ子宮エレベーターエロ漫画広告を貼り付ける自由については当のオレンジページですら遺憾表明出したのに食いついてたくせに

原作者が道端で性犯罪起こして作画者の求めに応じて打ち切りになったアクタージュは宇崎ちゃんと並べて表現の自由問題として集会で取り上げたくせに

2025-10-02

セクシーダブスタ

小泉陣営「幕引きにしたい」の声も高市陣営総裁選をおとしめる重大な事案だ」自民党総裁選“称賛投稿要請問題

2025年9月26日 金曜 午後0:03

https://www.fnn.jp/articles/-/937045

また陣営からは「党員の半数は既に投票を終えているので、大きな影響はない」「本人が謝罪したので幕引きにしたい」との声も聞かれます






小泉進次郎 @shinjirokoiz

午前10:03 · 2025年10月1日

https://x.com/shinjirokoiz/status/1973192104756256952

2025年9月30日夜に配信された週刊文春オンライン記事は、事実に反する内容を印象付けるもので、自民党総裁選に不当な影響を与えかねない記事であり極めて遺憾です。






ステマが暴かれても既に党員の半数は投票を終えているから大きな影響はないのに、その後に行われた報道は不当な影響を与えるんすかw

2025-09-18

精神科病院で働いています

https://x.com/yuzuka_tecpizza/status/1967971810961653953?s=46

現場を離れた人が遠くから意見してくるのは遺憾なんだよなぁ…

「最低限のストレスケアできる」んだ…

こっちはストレスヤバいよ…

辞めるのは自由だと思う。

でも大変な患者を、マンパワーが足りないという理由で受け入れられないことだってあるのに

辞めた上で「(入院できないなんて)終わりだ。」って、どういう気持ちから来る発言なんだろうなぁ

辞めた病院スタッフはどんな気持ちあなた発言を見るのかなぁ

うん、愚痴った…出勤します…

2025-08-16

お願い

さて、昨今、職業作家の方々によるSNSインターネット上での発信が、予期せぬ炎上トラブルに発展する事例が相次いでおり、業界内でも深刻な問題として取り上げられております。弊社といたしましても、この状況を重く受け止めております

SNS等を通じた情報発信は、作家様ご自身表現活動の一環であり、原則としてご本人の責任において自由に行われるべきものであると考えておりますしかしながら、その影響力の大きさゆえに、些細な投稿が思わぬ波紋を呼ぶ可能性がある点について、今一度ご認識いただきたく存じます

つきましては、特に以下の3点につきまして、一般的問題視される傾向がございますため、慎重にご対応くださいますようお願い申し上げます

【ご留意いただきたい行為

・虚偽の情報に基づく宣伝集客行為

・読者から感想レビューに対する、個人的判断による通報削除要請

暴力犯罪行為示唆する内容の投稿

上記のような行為につきましては、読者や関係各所に誤解や不安を与え、結果として作家様ご自身や弊社の信頼に影響を及ぼす可能性がございます

また、これらに該当する行為継続的に行われ、弊社からのご指摘にもかかわらず改善が見られない場合には、誠に遺憾ながら、事前の予告なく出版契約を解除させていただく場合がございます。何卒ご了承ください。

なお、上記に限らず、SNS等でのご発信にあたっては、法令および社会的倫理意識した節度あるご対応を、今後ともお願い申し上げます

こんなんいちいち人から言われないと分からんアホが出版から本出しとるんか(驚)

2025-08-08

遺憾って、「いかん😡」って感じなのに

ホントあんまりちゃんと怒れてない時に使うのがいかんよな。

将棋(そして囲碁の)女性棋士について語るための前提知識

観る将歴30年(観る碁歴は15年くらい)になりますよろしくお願いします。

例の件について初めに自分意見を述べておくと、「白玲通算5期のフリークラス編入には賛成。ただしアマチュア強豪(元奨励会員含む)にもアマ全国大会優勝回数等を条件に同等の門戸を開くべき。本制度の導入に伴って棋士数が増えすぎる等の懸念があるならフリークラス在籍年限の調整で対応。」です。

この話題を語るための大前提となる知識

今回話題となっている棋士編入についてだが、まず将棋棋士には大きく分けて2種類ある。「棋士」と「棋士フリークラス)」だ。

簡単に言うと、「棋士」は順位戦という全棋士の格付け的なリーグ戦に出場でき、一定の対局数(=報酬)が確約される。羽生藤井聡太はこっち。

今回案で規定を満たした女流棋士編入可能となるのは後者の「フリークラス」で、こちらは順位戦に参加不可(=対局数が確約されない)となる。

また、他棋戦で一定の成績を挙げることで順位戦へ昇級することが可能だが、これを10年以内に達成できない場合強制引退となる。いわば「時間制限付きのプロ」だ。

https://www.shogi.or.jp/match/junni/rules.html

編入した女性棋士がいきなり羽生藤井と肩を並べて戦うと思っている人もいるようだが、それはとんでもない勘違いだ。棋士フリークラス棋士は全く立場が異なる。

その大前提を踏まえた私見

で、例えば白玲通算5期を獲得してフリークラス編入した女性一定の成績を挙げて順位戦に昇級したのなら、彼女の実力に異議を唱える人はいないだろう。

また、10年間で順位戦昇級規定を達成できず強制引退になったのなら、それは正しく実力主義の結果だ。

まり、今回の案はフリークラスを実力を見極める場として位置付ける施策だと思う。

加えて私はアマチュア強豪(元奨励会員含む)にも同様にフリークラスで戦う機会が与えられるべきだと思う。

そもそも棋士になる時点で実力主義に則るべきでは?」という意見理解できるが、私の意見そもそも現状の奨励会ベース棋士採用枠が少なすぎるという点に端を発している。

現状のアマチュア全国大会を見ても元奨励会員たちの活躍が目覚ましく、フリークラス編入しても十分戦えるレベルプレイヤー複数いると感じる。

また女流棋士に関しても、西山福間旧姓里見)らトップ女流は現役棋士に対してこれまでに十分な勝ち星を挙げてきた。トップ女流証明として白玲通算5期は決して軽くない。

「白玲通算5期」というのは所謂クイーン称号」という各タイトルごとにある名誉称号のことだが、参考として1990年以降クイーン称号を達成した女流棋士わずか5人(林葉・中井清水里見西山しかいない。

更に白玲戦は順位戦と同じ昇降級リーグ戦方式を取っているため、他のクイーン称号と比べ格段に達成が困難だ。

一部の人危惧するような、達成者が続々と現れて将棋界のレベルが格段に落ちるというような事態になるとは考えにくい。

問題女流棋士全体のレベルを維持・底上げできるか(本件で言う「担保」の話)という点だが、これについては引き続き普及や育成を頑張っていくしかない。ただ女流棋界全体の実力が確実に向上しているのは多くの棋士が認めるところだし、現状のまま少子化人口減少、棋戦メインスポンサーである新聞社の衰退を指をくわえて眺めているよりは、制度を整え順位戦への道筋を作って未来の才能に懸ける方が希望はあるだろう。

現状の編入試験制度ではダメなのか?

編入試験制度の導入は将棋界としては大きな前進だったが、正直言ってこれも厳しすぎると感じている。

「対棋士10勝以上かつ勝率6割5分を挙げた上で三段リーグ抜けたてピチピチの四段5人と3先」は三段上位、何なら平均的な棋力の現役棋士でも困難だろうし、三段リーグの18局と比べると編入試験の5局は判断材料として少なすぎる。公式戦の棋譜を大量に研究される女流棋士なら尚更だ。

奨励会経験なしで突破した小山四段が特異点すぎる)

よって、強制引退のあるフリークラス枠を拡大し準棋士程度の扱いにすることで、より長い目で実力あるプレイヤーを見出す方が良いと考えている。

要するに、アマチュア強豪・女流強豪・奨励会三段と「棋士」との間にフリークラス棋士というバッファを設けようというのが私の意見だ。

既存奨励会の扱いはどうする?

個人的には三段リーグの昇段枠を広げたいが、難しいなら次点付与条件を増やす施策だけでも取れないかと考えている。今期竜王戦山下三段のように奨励会員が棋戦本戦まで勝ち上がるなど、下が詰まっているのは明白。下の詰まり女性棋士への道のりを更に困難にしている面もあるだろう。

そもそも奨励会男女平等なのでは?

機会均等という意味ではそうだし、かつては私もそう思っていたが、現状圧倒的に男性多数の環境1020代女性が十全にパフォーマンスを発揮できるかは疑問が残る。

女流棋士から奨励会各段級へ編入する制度も作られたが、女流棋戦とのスケジュール両立や公式戦の棋譜が残って研究されやすいなど不利な要素は払拭しきれない、というのが今の私の意見

では女流棋士なんてなくしたらよいのでは?

それをやったら最後、本当に女性棋士誕生の目は消失する。女流棋士存在がどれだけ多くの女性への普及に貢献したかがあまりにも過小評価されている。

よって女流棋士をなくすことはできない。だが奨励会コースの不利も払拭しきれない。ならばそれ以外のコースを緩和しよう。実力不足ならフリークラスというバッファで選別しよう、という理屈。たとえ先人がバッファを抜けられなかったとしても、その姿を見て研鑽した人が後に続くと信じて。

この編入案にはスポンサー意向があるよね?

まあそれは普通にある。スポンサーというかヒューリックね。

ヒューリック会長将棋好きな縁でCSRとして各種プロ棋戦やアマ大会主催・協賛していて、千駄ヶ谷の新将棋会館はヒューリックビルに入居している。

そして白玲戦の主催者として賞金を大幅増額した上での今回のクイーン白玲編入案なので、まあ彼らの意向が入ってないわけがない。

ただその案が棋士総会で可決されたという事実も重くて、人口減少が顕著な中で女性プレイヤーも増やさなければ将棋界は早晩先細りしていくだけという危機感当事者棋士女流棋士たちも共有しているところではあると思う。

囲碁界には女性棋士がいますよね?違いは何ですか?

実を言うと女性棋士について今回の将棋のような「優遇制度」を取っているのが囲碁界。

日本棋院を例に挙げると、毎年の「正棋士採用に加え「女流特別採用棋士」という女性枠がある。これは女性のみの総当たり戦で決められ、将棋三段リーグのような男女混合の選別を経ることなプロになれる。加えて2018年からは「女流特別採用推薦棋士」という推薦枠も作られた。今の多くの女性囲碁棋士はこれらの女性からデビューしている。

一般枠を勝ち取った女性棋士もいるが、その数はこれまでにわずか4人。この手の話題になると「囲碁は男女差がない」と言う人が少なくないが、実際のところ将棋よりは差が小さいもの普通にゴリゴリ男女差はある。(ちなみにチェスゴリゴリ男女差ある)

そうして女性枠で入段した人の成績が振るわないケースも珍しくないし、女性枠の棋士は対局料や給与も正棋士より低い(何度か昇段を重ねてようやく正棋士になれる)。

ここまで読んでもまだ「囲碁男女平等」と言えるのであれば、あなたと私とでは少し平等定義が異なるかもしれない。

ただ、そういう「女性枠」で入段した棋士たちの中から近年藤沢里菜(若鯉戦で女性初の優勝)や上野愛咲美(竜星戦女性初の決勝進出新人王戦で女性初の優勝)ら逸材が現れているのも事実

将棋に関しても、挑戦する機会を今よりも増やすことが女性プレイヤーの成長・発見に繋がると思っている。

藤沢里菜囲碁界のサラブレッドなのでここで挙げるのはちょっと違うかもしれないが)

AIで男女差縮まってないの?

まあ昔は女性棋士奨励会員の研究会に参加しづらかったりそういう格差はあったと聞くけど、その頃に比べたら研究環境格差は縮まっていると思う。

ただ、人間と実際に盤を挟んで何局も指すという実戦経験AIでは補填できないものから、そんなに単純な話でもないと思う。

この辺の空気感が変わってきているのは遠山六段のコラムから垣間見える。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/061ebf2664a536eb2417e5097468dc4a772f4af8

今のトップ女流棋士ってどんなもんなん?やれんの?

じゃあ現女流棋界の2トップを張る西山福間の、一般棋戦女流参加枠での直近5年の戦績を http://kishibetsu.com/ で見てみよか。(更新再開ありがとうございます

これはNHK杯女流予選の勝敗も含まれるしあくま参考記録だけど、対局相手レベルフリークラス編入した場合マッチングとさほど変わらないはず。

西山

年度勝敗
2020年13勝9敗
2021年8勝8敗
2022年3勝9敗
2023年10勝7敗
2024年9勝7敗

43勝40敗(0.518)

福間旧姓里見

年度勝敗
2020年6勝8敗
2021年10勝7敗
2022年1110
2023年6勝9敗
2024年4勝3敗(出産に伴う不戦敗2を除く)

27勝37敗(0.422)

追記:すまん集計間違えてた!

正しくは37勝37敗(0.500)や!

勝率5割と十分戦えてはいるが、フリークラス脱出にはもうひと頑張り必要になってくる。とはいえ実現不可能ラインでもない。西山さんはそれなりに可能性があるけど福間さんは結構大変かなといった印象。

ただフリクラになると参加可能棋戦が増えるのでスケジュール的に女流棋戦との両立が課題になりそうかな…。

この辺の女流棋戦と一般棋戦の両立の難しさを以前からどうにかできないかと思っているのだが、なかなか良いアイデアが浮かばない。女流棋戦でフリクラシード枠でも作る?

しか彼女たちが一般棋戦でも普通に勝つようになっていちいちニュースにならなくなったな。何しろ今の女流棋界は元奨励会三段が3人いるからね(福間西山・中七海女流三段)。隔世の感がある。

昔は清水会長が一発入れるだけで大いに盛り上がったもんじゃ…ホッホッホッ(観る将老人)

一旦おわり まとめ

・今の将棋界、下が詰まってんねん

順位戦の参加枠を増やせないならフリークラス枠を緩めよう

クイーン白玲ってそんなにホイホイ出るもんじゃない

クイーン白玲だけでなくアマチュア強豪にもフリクラチャレンジの機会を作ろう

フリークラスバッファにして奨励会で掬いきれない才能を見出そう

・私が30年愛した将棋安易な男女対立煽りおもちゃにされることについては極めて遺憾でありf*ckの意を表明しま

以上

2025-08-07

増田が選んだクソアニメ5選


クソアニメ愛好家の一角である。これまで約50本のクソアニメを観てきて、Amazonレビューを残している。

あなたはクソアニメをご存じだろうか。辞書的な定義だと、pixiv百科事典が参考になる。

クソアニメとは出来がクソでつまらないアニメという意味言葉

基本的蔑称中傷として用いられる。

具体的(?)な例としては

作画声優の演技など作品のもの基本的クオリティが低い

シナリオストーリーにおいて視聴者が納得、許容、理解できないような展開があった

・なにか原作があるものの内、その原作から内容を大きく作り変えたことで原作ファンから反発された


こんなところである

今回はクソアニメを紹介するのだが、真の意味でのそれは1本に留めている。クソアニメと言っても色々ある。その多くは「製作を頑張ったけど"届かなかった"ものである。当然だが、アニメの作り手の方々はマジでやってる。本気で創作してるのだ。クソアニメという蔑称を付けて紹介するのは気が引ける。

から今回、真の意味でのクソアニメというのは……製作委員会が圧倒的にやる気不足、実力不足資源不足でそうなってしまったものだ。先に言っておくが『ジビエート』を選んだ。

それ以外は、ちょっとしかったものや、ダメダメなんだけど作り手の本気がうかがえるものを紹介する。なお、昔のクソアニメは知ってる人が多いので、できるだけ近年のものを選んでいる。文字数は各千字程度とする。

紹介するのは各部門(①作画、②脚本、③努力、④悲運、⑤神クソアニメ)5つ。では、早速いってみよう。極力ネタバレはせずに、フワッとした紹介にする。



作画部門 ~ダイナミックコード~ 2017.秋アニメ

すべてが「事故」だった。作画崩壊を超えたナニカである正式タイトルは『DYNAMIC CHORD』。通称ダイナー。

こちらは、多くの視聴者に衝撃を与え、そして困惑爆笑の渦に叩き込んだ伝説的な作品であるニコニコ動画では「観る抗うつ剤」と言われる(表記ゆれあり)。原作ゲームファンからは嘆きの声だったが、一部の視聴者からカルト的な人気を得ている。

誰もが指摘せずにはいられないのが、その圧倒的な作画崩壊キャラクターの顔は話ごとに変わるし、遠景の人物はもはや判別不能なまでに歪み、時には背景と人物が完全に融合するシュール光景が繰り広げられる。制作現場はおそらく「ダイナミック」だったのだろう。

点字ブロック障碍者を殺しにきているなど、もはや意図を読み取ることすら困難な描写の数々。「崩壊」というよりは、むしろフリーダム」と呼ぶべき領域に達している。2017年当時のニコ動視聴者の腹筋を崩壊させた。

ライブシーンでの楽器の持ち方の不自然さや、指の動きと音源乖離音楽アニメとしては致命的でありながら、この作品の「味」となっていた。

ストーリーもまた、視聴者を置いてきぼりにする展開の連続であるバンド間の人間模様や恋愛葛藤を描くはずが――脈絡のない会話、唐突出来事の発生、意味不明なセリフ応酬により、物語の核を掴むことが難しい。『ヒプノシスマイク』が如何に優良アニメであるかを思い知らされる。

結論としては……『DYNAMIC CHORD』は、アニメ制作におけるあらゆる「やってはいけないこと」を詰め込んだ作品だった。だが、その圧倒的な完成度の低さ、あるいは高すぎる芸術性が、皮肉にも多くの人々の記憶に残り、「伝説」となった。

真面目に評価すれば低評価しかないが、ここまで振り切れた作品はほかにない。「見て損はない」と言えるのかも。あなたが「クソアニメ」の概念理解したいなら、ぜひ。

視聴にあたっては、ニコ動を推奨する。やはりコメント付きだと違う。あにこ便もチェックしてみよう。

なお、似たような系統としては、『俺が好きなのは妹だけど妹じゃない』が挙げられる。こちらも作画崩壊アニメだが、ダイナミックコードに比べると製作陣の本気がうかがえる。OP映像最初こそ未完成だが、後半になるとすっかり完成して、ある種の感動を覚える。『BEATLESS』『出会って5秒でバトル』も同等といえる。



脚本部門 ~ジビエート~ 2020.夏アニメ

虚無の時間を知りたいなら視聴をおススメする。2020年コロナ禍で混沌とする世の中において、ひときわ異彩(異臭)を放っていたアニメ。それが『ジビエート』だ。

「クソアニメ」という言葉では生ぬるい、もはや「アニメの屍」と呼ぶべきその惨状は、多くの視聴者の度肝を抜き、忘れられない記憶として刻まれた。制作陣の豪華さとは裏腹に、なぜ本作はこれほどまでに語り草となる「伝説」を築き上げてしまったのか。

まず目を引いたのは、柿原徹也藤井ゆきよ東地宏樹池田秀一といった錚々たる声優陣。OP曲は演奏のみのオフボーカル(吉田兄弟)、ED曲は大黒摩季。まさに一流。

誠に遺憾ながら、彼らがどれだけ熱演しようとも、意味不明なセリフ回しや棒立ちのキャラクター、そして視聴者理解を超えた展開によって、その演技は虚空に消え去った。まるで、一流の料理人が腐った食材調理しているような。

全編を通して、まるでPS2時代ゲームのようなカクカクとしたCG、不自然すぎる動き、そして頻繁に挟み込まれ静止画特に戦闘シーンは、もはや何が起こっているのか判別不能レベルであり、キャラクターが棒立ちで銃を撃つだけ、謎の光線が飛び交うだけ、という展開の連続だった。キャラデザ天野喜孝のはずなのに、なぜこんなことに?

さて、肝心の脚本である視聴者理解を最も困難にしたのが支離滅裂ストーリーだ。タイムスリップしてきた侍や忍者が、ウィルスによって変異した「ジビエ」と戦うという設定自体は悪くないものの、話の展開はとにかく唐突で、伏線回収も皆無。「俺忍者!」「そうなんだ~」といった感じで話が進んでいく。

視聴者は彼らが何のために戦っているのか、何を目指しているのか、最後まで理解できない。結果として、物語は収拾がつかないままに最終回を迎えた。虚無感である。「こういう結末もアリってことだ!」

結論としては、鑑賞すべき失敗作である。『ジビエート』は、アニメ制作におけるあらゆる「失敗」を凝縮したような作品だ。しかし、そのあまりに徹底した「残念さ」は、逆に一種エンターテイメントだ。

当時のTwitterやあにこ便では、毎週のようにトレンド入りし、その「クソさ」を語り合うことで人々は連帯感を覚えた。

真面目に評価すると、酷評しかない。先ほど取り上げたアニメとは違って、こちらは製作陣にやる気が感じられない。本気度がないのであるアマプラではレビュー評価が低すぎてビデオ自体が一度削除されている。

ただ、「ここまでひどいアニメがあるのか」という驚きと、それによってもたらされる負の感動は、他の作品では味わえない。もしあなたが「最低のアニメ」を体験したいなら、『ジビエート』は間違いなく筆頭に挙げられる。同類としては、『ぱすてるメモリーズ』が挙げられる。こちらは第2話のトレースが発覚して訴訟沙汰寸前に至っている。当然もう観れない。



努力部門 ~3D彼女リアルガール~ 2018.春アニメ

なぜリアルになれなかったのか。原作表現しきれなかった作り手の痛みが伝わってくる。

2018年に『3D彼女 リアルガール』という恋愛アニメがあった。

オタクっぽい高校生美人JK恋愛なのだが、これがまた……リアルといえばリアルで、男性が見てもつまらなくはない。しかし、製作陣がその忙しさに耐えられなかったのだろう。残念アニメとなった。

本作がまず直面した問題は、映像クオリティの低さだ。「リアルガール」と銘打っているにもかかわらず、キャラクター作画不安定で、表情の変化に乏しい。原作の持つ魅力や、細やかな感情機微表現するには力不足だ。

また、頻繁に挟まれ静止画や動きの少ないアニメーションは、ラブコメ的な躍動感を欠いている。今季アニメだと『薫る花は凛と咲く』の表情的躍動感がラブコメには必須である。瑞々しい青春期の揺れ動く心情を表現しきれていないのは残念である

キャラクターの魅力もそうだ。原作の魅力の一つは、オタク気質主人公つっつん」と美少女「色葉」という、一見不釣合いな二人の関係性の変化、そして彼らを取り巻く個性豊かな友人たちにある。しかし、アニメでは前述の作画演出の拙さにより、これらの本来の魅力が半減している。

キャラクターの表情や仕草が適切に描かれないのは致命的だ。共感がしにくくなる。なんというか、本当にすべてが「のっぺり」である視聴者は彼らの恋愛模様に共感したり、応援するのが難しくなる。

決して原作が悪いわけではなく、アニメーション制作側の力量不足が招いた悲劇と言える。原作ファンにとっては「原作に失礼」と感じさせる出来栄えであり、新規視聴者にとっては「なぜこれが人気漫画?」と疑問を抱かせる。

だがしかし、基礎的なアイデアに光るものはあった。京アニ制作していたら、『リズと青い鳥』のような人気作になっていた可能性濃厚である

似たアニメとしては、『ネト充のススメ』が挙げられる。こちらは、リアルガールと比べるとはるかに健闘しているが、やはりリソース不足が否めない。作画演出があまり簡単すぎる。4話までは通用するレベルだが、後半にいくにつれて息切れが目立ってくる。良アニメだとは思う。『Wake Up,Girls!』『エガオノダイカ』『幼なじみ絶対に負けないラブコメ』もこの類である



悲運部門 ~コメット・ルシファー~ 2015.秋アニメ

輝きを失った星である放送局の都合に左右された悲運な作品といえる。本当は2クールだったのに、1クール強制圧縮された関係で尻切れトンボになった。

オリジナルロボットアニメとして期待されながらも、その評価は残念なものに終わった。特に物語の後半は視聴者困惑を招き、「クソアニメ」と揶揄されるほどに評価を落とした。

序盤は面白かった。本当に。期待してたよ、マジで。でも失速した。物語は、主人公ソウゴと、不思議少女フェリア、そして巨大なロボットガーディアン」との出会から始まるのだが――ラピュタみたいな始まり方でワクワクを覚えた記憶がある。

序盤は、まさに王道ファンタジーロボットアニメである。美麗なメカニックデザインや、キャラクター描写も美しい。滑り出しは悪くなかった。

だが、長くは続かなかった。とにかく説明不足としか言いようがない展開が続く。中盤以降は、世界観や設定に関する説明が極端に不足してしまい、視聴者物語に何が起こっているのか理解に苦しむ状況が続いた。特に物語の核心に触れるはずの「ギフト」や「ルシファー」といったキーワードに関する描写抽象的すぎて理解不能

キャラクター感情の変化や成長がほとんど描かれないまま、唐突な展開が繰り返された。物語に引き込まれることがない。主人公ヒロイン関係性の掘り下げがなくて、肝心な局面でも感情的な繋がりが希薄に感じた。

結論としては、未消化としか言いようがない。話数変更が響いたのだろう。最終回は本当に唐突連続だった。魅力的な要素はあったのに、消化しきれなかった残念さがある。まさに悲運。

なお、同じような事情(2クール→1クールに変更)になったアニメの例としては、ほかにガリレイドンナ魔法戦争、星合の空などがある。いずれも尻切れトンボ感が凄かった。特に星合の空は残念だった。



部門 ~魔王様、リトライ!~ 2019.アニメ

神クソアニメとは、一見クソアニメに見えるものの、実際は視聴者の心に感動を残す作品をいう。

この『魔王様、リトライ!』だが、紛うことなきクソアニメ一角である

作画は安物だし、OP曲のセンス10年前だし、各話タイトルはどこかで聞いたことがあるし、台詞も同じくどこかで聞いたことがあるし、キャラ名前もやはりどこかで聞いたことがあるし、バトルシーンは餅が跳ねているし、魔法エフェクトは気の抜けた感じだし、岩場まで吹っ飛ばされたのに草むらに落ちた音がするし、とにかくすべての要素が三流としか言いようがない。

でも、私の評価Amazonだと★4以上だ。すべての要素が三流だからといって、つまらない作品になるわけではない。

例えば作画。廉価アニメのそれには違いない。魔王様、リトライ!の作画なのだが……

動かない。動きません。びっくりするぐらい動かない。「バトルシーンを動かさないという実験作なのか?」という想いが伝わってくるほどに動かない。一例として、第3話において敵に襲われるバトルシーンで、

「偽りの天使に死を! ファイヤーバードッ!」

聖女に嘆きあれ……アイスハンマアアアアアッ!!」

という詠唱から始まるバトルシーンの最中に、口に含んでいた飲み物吹き出した。今見ても吹き出ししまうのだと思う。なお、人物は動かなかったがドラゴンはよく動いていた。衝撃で舞い散る石畳も。

一方で、矛盾するようだが、作画のものは悪くない、むしろ良質と思えることもある。主人公である九内伯斗やアク、ルナといったメインキャラの作画は綺麗さを保っている。初登場時のルナを見た時は、違うアニメを見ていると錯覚しそうになった。美麗ではないけど、シンプルでシュッとしていて、洗練さがある。

この作品で最も推したいポイントは『笑い』だ。とにかくこの作品は、笑いに特化している。

EKACHI EPILKA(エカチエピルカ)というあまり聞かない制作会社が作っている。実力がある会社だと感じた。

おそらく、視聴者がどういう反応をするのかわかっていて、わざとこういう作風にしている。

実はこちらの作品2024年に第2期が放送された。1期とは比べ物にならないほどひどい出来だった。アマプラでの平均評価も2.9しかない。ちなみに1期は3.8。低予算アニメとしては相当高い。

同年の作品としては『手品先輩』がある。こちらも低予算ながら製作陣が健闘した秀作である



作品紹介は以上だ。

個人的な分類では、クソアニメには3種類ある。

ひとつは、普通のクソアニメ作画脚本演出声優音楽――何が悪いのか一概には言えないが、とにかく普通につまらない。放送前は話題にならず、放送中もアニメ板のスレッドが数パートしか進まず、終了後は「○話以降は見なくてよかった」「普通駄作」「なんともいえない」といったコメント掲示板に書き込まれる。

もうひとつは、ダメさ加減が突き抜けているアニメ。多くの場合作画がとんでもないことになっている。そのうえ、ストーリー理解不能だったり、キャラクター名前が覚えられない。しかし、あまりに悪すぎて、それが逆に面白さに繋がっている。動画サイト感想サイトで「これはひどい」と同好の士で語り合える。

最後ひとつが神クソアニメだ。製作者がお金時間もない中で、良作品に仕上げている。まず一見して、これは低予算だなという印象が伝わってくる。作画でわかるし、脚本の展開に無理があるし、登場キャラが「どうしてそうなる?」という言動を取ることがある。

それでも面白いのは不思議なことじゃない。仮に、とある作品のすべての要素が三流だったとしても、一流の作品に仕上がることはある(聖剣使いの禁呪詠唱イクシオンサーガDT、可愛ければ変態でも好きになってくれますか? など多数)。創作世界にはそういう化学反応存在している。

というか、神クソアニメは厳密にはクソアニメではない。『クソアニメ性質を有した神アニメである

最後に)

実はずっと、クソアニメ紹介をやりたいと思っていた。「時間がない」を言い訳にして、できないまま数年が経った。

生活環境が変わる時が迫っているので、それまでにはなんとか……というつもりで本記事を仕上げた。少しでも気に入った作品を見つけてもらえたらうれしい。

なお、クソアニメを観る場合は、SNSとか感想まとめブログとか、YouTubeとかニコ動コメントとか、そういうのを伴いながらだと、より一層面白く視聴できると思う。

あなたにとっての、良質なクソアニメが見つかる未来を祈って日記を閉じますありがとうございました。

2025-08-03

年上おじさんの話

最近、年上の50代くらいのおじさんと友達になった。

50代の男性というと、私の目から見れば

世間慣れして

達観して

物事に動じず

適度に諦念があって

ガンダム世代で家庭用ゲーム機世代2ch全盛期にも足をつっこんでいるのでアニメや少しオタクトークも分かってくれる大人

という絶妙世代イメージ

しかしそのおじさんと知り合ったコミュニティではそのおじさんよりもっと上の世代のおじさんおばさんがいっぱいいるため、

50代のおじさんはそのコミュニティの中では若手扱いとなる。

コミュニティの集まりでは、その50代おじさんは私が想像していたような上記属性ほとんど発揮できず若輩者扱いされている。

中高生が親戚の大人たちからアレコレつっつかれるような様子である。私はそれを遠巻きに「ワァ…」と見ているほかないのだった。

なおそのコミュニティの中では私は幼い娘か孫レベルの扱いなので、つっつかれることさえない。

ニコニコ顔でお菓子をくれるのでニコニコ顔で貰って食べて、50代おじさんがつっつかれるのを「ワァ…」と見ているだけの存在が私である

50代おじさんとたまにコミュニティ外で遭遇すると、私が想像したような上記の特徴を遺憾なく発揮し、

そこにちょっととぼけた緊張感のなさがトッピングされ楽しいおじさんが顕現するので、私としては年上のいとこの兄ちゃんが構ってくれるみたいでとても楽しい

このおじさんといつまでも楽しく仲良くできたらいいなと思う。

2025-07-27

コスプレイヤーって元々うっすら嫌われてたよね

キャラ理解度が薄いうえに露出さえしておけばチヤホヤされると思ってるやつとか、何のキャラをしても顔がえなことか、レイヤーならみんなオタク側は大歓迎!というわけではなかったよね?

それでコミケも他のオタク向けイベントコスプレエリアを作ることで隔離してコス自体を見たくないという人を守って今があると思っているんだが。

それなのに煉獄コロアキとかマルシルコスのやつがオタク界隈を含む一般社会迷惑をかけまくったせいで、またレイヤーイメージを下げていて大変に遺憾である

真面目にルールを守ってイベント参加して一所懸命自作衣装を作っているレイヤーさんが気の毒すぎる。

早くなんとか良い方向に向かって欲しい。

2025-07-26

映画国宝』の児童虐待描写はいいの?

白痴女の子ゴミを食べさせて笑う社会に生きている

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250723050053

ゲームAV社会の「割れ窓」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250724110825

どうにかこうにかこの作品にはこんな悪影響ガー!危険性ガー!加害ガー!被害ガー!とラブドールっつってんのに初手から何故か障害者に置き換えて未だないゲーム相手にない事ない事喚かれてる表現規制戦士様方ですが、最近大きく話題となり、現在も絶賛上映中の『国宝』と言う映画はご存じでしょうか?

https://kokuhou-movie.com/

こちらの話、手始めに一番バイオレンスなシーンがありますが、それはまあ相応に悪い奴が殺される上、日本では大多数の人と関わり少ないものなので、影響力も加味してさて置くとして、規制戦士様方の言い分を取って言わせて頂きますと、とても言い逃れようがないのではと言うシーンが続いて出てきます

児童への暴力を伴う躾です。

それもこちらは創作といえど実在人物が演じてますから、実際にぶたれたり蹴られたり罵詈雑言も吐き捨てられます

皆さん知っての通り、現代でも躾と称した暴力は世に蔓延っており、被害児童も多いです。

簡単に影響される家庭、肯定している家庭もいくらでもあるでしょう。

現代では立派な児童虐待であり保護されるべき通報案件です。

そしてこの作品、この暴力が作中咎められるかと言うとそんなものはありません。

暴力を振るった人間は慕われながら亡くなるだけです。

悪い事が悪い事として描かれ、作中で裁かれているので良しと言う皆様方の言い分もありましたよね。

完成してない誰もプレイできない絵のゲームなんぞにない事ない事妄想膨らませて文句つけられるより、完成して誰もが見る事ができて、身近にありふれた問題で、しかも実写で絵より直接的な表現となる媒体創作についてある事ある事でお話しされた方が今は余程有意義なのではないでしょうか?

それともこちらには何もご不満ないのでしょうか?

この点、私とても不思議に思いましたので、一筆書かせて頂きました。

因みにこれは所謂whataboutismにも当たらないと思います

皆様が存在しているものについて語ってらっしゃるなら、それに対してこれはどうなんだは立派なwhataboutismですが、皆様存在しないものを語ってらっしゃる

0は100に膨らませても0ですよ。

以下追記

20250726 10:00

早速whataboutismだと難癖つけられちゃいました。

体験もできないないもの妄想議論することは無意味と言っているのだから擁護も当然無意味に決まってるんですが、文章を読めない方だったようですね。

で、結局上記児童虐待描写への言及は無しと。

せっかく作品として完成され、彼らの言い分も十二分に立つ、しか記憶に新しいごく最近のものを議題として提示してあげたのですが、これが無視されるのであれば、彼彼女らが訴えた表現の影響力とその危機感と言うのは一体何だったんでしょうかね。

20250726 15:00

未だにまともにこの児童虐待描写について、これはダメだと声を上げてくれそうな方は一人もいませんね。

誠に遺憾です。

児童とは言え男→男の加害パターンからどうでもいいと言うことでしょうか?

まだ存在してもいないマイナーインディーズゲームの話では飛ぶ勢いでその影響力に懸念を表明され燃え上がっていた皆様の正義の心ですが、今も流行りに流行り今年一番の盛り上がりを見せる話題実写映画ではその心に煙も立たないご覧の有様です。

皆々様の正義とはその程度のものだったのでしょうか?

それとも、対象女性だったからどこまでも親身になり、我が事のように訴えられていただけだったのでしょうか。

差別界隈では声を上げないのは差別への加担であると言う言葉がありましたよね。

児童虐待等につきましても、絶対的弱者を守るべく、悪影響をもたらしかねない表現について一貫性を持って声を上げて行くべきではないでしょうか?

20250726 16:00

anond:20250726154849

一つ目の問いからとても浅はかな返しです。

実際に見たり体験したりしないと真価がわからない作品なんて星の数ほどあるでしょうに、リリース前の紹介文が出てるからなんだと言うんでしょう。

その後も色々と述べられてますが、なぜ肝心の問題表現のものについての言及がないのでしょうか?

児童虐待矮小化する文句だけは見受けられます

お前の言う事は詭弁から無効!としたいのが透けてますね。

いちゃもん乙です。

次2点はブコメより

児童虐待を楽しむことが主題映画ではなく、登場人物はこういう世界で生きていますという背景紹介シーンに過ぎないからとかその辺なのでは?

タイトルからしてゴミを食べさせることがメインテーマゲームと、成長描写として出てくる虐待シーン比べられてもなあ。それにゲーム主体的にできるからね。ぜんぜん違うよ。

なるほど。では、主題ではなく背景描写等なら子供ゴミ食べさせて、それが悪いことと描かれず、その親も何ら報いも受けず子に慕われて亡くなったとしても何も問題ないと言う事ですね。

私は問題のある表現は悪影響があるから批判されていると理解しているので、背景紹介だからとか成長描写からとか、その描写用途無関係ではないか理解しているのですが、そう考えられる方もいらっしゃるんですね。

もしかして皆さん、そう言う話で批判していらっしゃったんですか?主題でなければ問題ないと?

じゃあ件のゲームタイトル変えたら丸っと解決なんですかね。

20250727 3:00

様々なご意見いただき誠にありがとうございます

すっかり日も超えてしまいましたので、これを〆の追記とさせていただきます

しかしながら、誠に誠に遺憾ですね。

多くの方は私に反論してやろう、こいつは詭弁を言っている、だから潰してやろう。そう言った敵意丸出しのくだらない御託ばかりです。

問題ある表現に関してはまるで言及がありません。

本当に骨があるなと思ったのはこの方くらいでしょうか。

anond:20250726195325

人の目につかず、問題提起が露と消えると言うのは色んな意味でとても残酷なことですね。誠に同情致します。

もちろん他にもこのエントリーを受けて、自分なりに咀嚼して頂いてるなという反応もぽつりぽつりと見受けられます

せめてそういう風に受けて頂けると有り難く存じます

さて、そもそもですけど、なぜ表現規制をかける必要があるのかと言うと、前述の元増田様方でも挙げられていた通り、その表現の影響を懸念してのことではなかったでしょうか。

この度『国宝』では児童虐待次世代が引き継いでないから良くないことと描写されていると言った反論が見受けられますが、折檻していた人物虐待理由に何一つ裁きに合うような事にはなっていないのも事実ですし、影響を受ける方と言うのはそのふんわりと良くないことと描写されていると言う文脈を、そういう風に読み取ってくれる方ばかりでしょうか?

私は個人的にはわかりますよ。寧ろ他の表現規制の話でも、そうした文脈理解でき、常識的判断が出来る方が大多数だとも思います

ですが、当ブコメでもそのようには受け取らず、あの暴力を伴う躾を是としている方もいらっしゃいます

表現の影響の懸念と言うのは正にそう言った、受け手任せなところを懸念して、少しでも被害者を増やさないために行われるものではなかったでしょうか?

私に言わせれば多くの皆様は表現懸念より私にヘイトを向けてばかりで、それはその実、『国宝』における児童虐待表現意見することからは逃げてばかりとしかとれません。

件の現存しないゲームでは我先にと同調し、ラブドール障がい者に置き換えられた事実誤認など気にも止めずに表現の影響を問題視されていたじゃないですか。

それほどに懸念される事であるならば、本件の『国宝』の児童虐待描写についても同様に懸念し、問題提起して行くのが筋ではないでしょうか。

現在未だ存在すらしていない作品では皆様あれだけ懸念された表現がもたらす悪影響と言うものが、今回の現存する立派な作品のケースではあれやこれやの理屈問題ないなどと蔑ろにされるのであれば、私はそれは片手落ちであると思う他なく、また片手落ちというのは皆様自身問題提起を詭弁として毀損してしまものなので、心より誠に遺憾に思うのです。

此度私はお前が気になるならお前がやれと言った突き放しの声もたくさん頂きました。

悪影響が懸念される表現問題提起していくという道は、このままでは前途がとても暗いものと感じました。

なので、この場では私の懸念を残し終えようと思います

ありがとうございました。

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