はてなキーワード: 手芸とは
当たり前だろう。
顔や骨格は「見た目」だ。
見た目がいい異性になぜ惹かれるのか?
というか同性であろうと見た目がいい人の方が好きだ。
そのあたりについてGPTに聞いてみた。ちなみに月3000円課金している。
プロンプト
骨格が優れている人は、他の能力も高い可能性ある?つまり、顔やスタイルの良さなど。
女優の北川景子がドラマ撮影をやりながら子育てをしながら手芸を極めていてすごいと話題になっていた。体力が異常と感じる。
また、ジャニー氏が子供のうちからスターを発掘していた話、あれは骨格の良さを見ていたのでは?と思ってる。そして多くのジャニーズが本物のスターになっていく。
体力的にも優れているし、演技や他の能力が非常に高いことが多い。もちろん芸能界で残れるんだから生存バイアスかもしれないけど。
一般人でも大企業の人間は顔がいいという話はよく聞く。採用時に顔を見ているのかもしれないけど、やっぱり体力面や能力面との繋がりは多少あるのでは?
GPTの答え
結論からいうと、「骨格の良さ(≒外見的な整い・スタイル)」と「他の能力(体力・知能・芸術的センスなど)」の間には、一定の相関が存在する可能性がある。
ただしそれは因果ではなく、共通の背景(例:遺伝子・ホルモン・発達環境)に由来するって話になる。
骨格・顔立ち・体力・神経系の発達などはすべて「遺伝+環境」の複合影響で決まる。
遺伝子には**複数の形質に影響を及ぼすもの(多面発現遺伝子)**がある。
→ たとえば「成長ホルモン関連の遺伝子」が発達に関与すると、身長・筋肉量・骨格・自信・快活さなどに連鎖的に影響する可能性がある。
テストステロンやエストロゲンの分泌量は、胎児期〜思春期の発達に大きく関わる。
→ 骨格・顔の左右対称性・運動能力・空間認知能力・情動傾向に影響が出る。
たとえば「骨格が整っている=ホルモンバランスが良好だった証拠」という見方ができる。
→ 結果として身体的にも精神的にも発達が安定している=パフォーマンス力が高い。
骨格や顔立ちが良いと幼少期から肯定的に扱われる(褒められる、注目される)。
→ これが自己効力感や挑戦行動につながり、実際のスキル習得率にも影響。
「見た目が良いと得をする」のは冷酷だけど現実的な話。
→ ジャニーズなどで「骨格が整っている=スターの素質」と判断されやすいのは自然な流れ。
芸能人や一流企業にいる人が「顔が良くて有能」に見えるのは選抜の段階でフィルターがかかっているから。
でもその裏には「身体的特徴で能力や体力のポテンシャルが見えている可能性」も否定できない。
→ 一般企業の採用でも、意識していなくても身体的に“健やかで有能に見える人”が選ばれていることはよくある。
結論(ざっくりまとめ)
骨格が良い人は、身体的・精神的に発達が安定している可能性が高い。
そのため、体力・芸術性・学習力など他の能力も底上げされていることがある。
ただしそれは「骨格がいい=有能」ではなく、「背景要因が似てるから相関が見える」って話。
このへん、もっと掘り下げたい?
たとえば「左右対称性と知能の関係」や「エネルギー効率とスタイル」みたいな視点もあるよ。
■ なぜ左右対称が重要なのか?
発達の過程では、ウイルスや栄養不足、ストレスなどの「環境的な揺らぎ」がある。
それに左右対称性を保てた個体=遺伝子の質・免疫力・成長ホルモンの働きが良好だった証拠とも解釈される。
■ なぜ知能と関連するの?
脳の構造も「発達の安定性」に影響を受ける。
つまり、左右対称な骨格を作れた人は、脳のニューロン配線やシナプス形成も安定している可能性が高い。
実際に、顔の対称性が高い人ほどIQや学業成績が高い傾向があるとする研究が複数ある(ただし相関は中〜弱程度)。
■ 注意点
これはあくまで「統計上の相関」であって、非対称=頭が悪いという意味ではまったくない。
ただし「発達の一貫性」という軸で見ると、ある程度の関係は見えてくる。
体型(特に胴長短足 vs 脚長痩身)は、エネルギー効率や熱放散の違いに由来することがある。
たとえば脚が長くスリムな体型の人は、歩行や移動時のエネルギー効率が高く、体温調整がうまい。
→ つまり「環境適応能力が高い=進化的に有利」という考え方がある。
それらの体型は、生殖能力・体力・柔軟性・回復力といった複数の資質のバランスが取れている。
エネルギー効率が良い体=過剰な脂肪や筋肉がなく、機能的なボディということ。
「顔の整い」や「均整のとれた身体」は、内的な健康や遺伝的な質を外見で伝えるシグナルになっている。
つまり、「スタイルが良い」というのはただの見た目じゃなく、内面の生理機能がうまくいってる=“健全性”の可視化とも言える。
数年前の増田で手芸店はどうして服にしづらい布ばかり売ってるの?という文章を読んだのだが
昨日東京の23区外のとある市にある手芸店に行った時にその気持ちにめーっちゃ共感した
市内唯一の手芸店で
おそらく来客がおばあちゃんが多いんだと思う
服に使いたい生地がない
唯一、うわ、これかわいい!ほしい!と思った布は売り切れていた。売り切れの布で作った鞄を展示しないでくれ。まだその布を買えるのかと期待しちゃうじゃん
おばあちゃんが行ったら楽しい店なのかもしれないけどアラフォーの私はあまり楽しくない店だったな
品揃えものすごく良かった
見るだけでも楽しい店だった
私はアラサーになってから手芸たのちぃぃぃぃ!!状態になった子持ち女だが
手芸は本当に底なし沼で、編み物、縫い物、刺繍、レジン、ビーズ・・・・・・と沼がたくさんあるしいくらでも時間とお金を溶かすことができるんだよなあ
先日の自分の子供の幼稚園の春休みは、私はミシンで縫うことに自分の時間を溶かした
好みの布を買ってお金を溶かした
春休みだから早起きして園に子供を送ることをしなくていいので睡眠時間を犠牲にして縫い物をやった
キミとアイドルプリキュアのレッスンバッグを子供に作ったら、リアクション薄かった。前回わんだふるプリキュアのレッスンバッグを作ったときはものすごく喜んでくれたけど2回目だからか反応薄かったね
大阪に住んでた頃、男友だちがいた。趣味の手芸を通じて知り合ったので、恋愛経験は知らない。当時付き合ってた相手がいたかとか。友人の数とかね。それどころか、会社の仕事がどうとかも結局最後まで曖昧だった。彼は、何も愚痴を喋ってくれなかったから。
あの人は極端な例だろうけど、一緒に遊ぶ仲間に何も話さない人はいる。職場の内気な同僚から、「久々に飲もうぜ」とか言って誘ってくる陽キャまで広い層に、自分のこころの内側を打ち明けない人たちは潜んでる。
手芸の彼と、リップクリームの肌荒れの話をしてて突然知ったことがある。なんか妙に話が通じなかったので、腹が立ってしまって、安全圏を越えて踏み込んだ。シンプルに心を開いてくれてなかっただけなら、いっそ安心して泣けたんだけどさ…。どうも セルフケア… 今回の話題になってる言葉で言うと、自分のメンテナンス、これが何かまったく理解できてない感じだった。
メンテフリータイプの人たち。ちょっと信じがたいかもだけど、まず常用してるハンドクリームなんてないし、基礎的なスキンケアはおろか、顔のムダ毛を剃るくらいしかやってない。のちに会った人の中には、なんと普段石鹸で顔を洗わない人さえもいた。それでいて愚痴を他人に打ち明けたりもしないんだから、もう訳がわからない。ずっとシステム・ハイバネーションとかスリープモードで、人生やり過ごしてるのかな。
負のエネルギーはどこへ?社会生活で受ける不可避のダメージは外に出さなきゃ蓄積してくだけ。なのに自分のメンテナンスをまったくしないなんて病気とかじゃない限り説明がつかない。自己肯定感が相当低くて見当識を失ってなきゃ、あり得ないよ。
セルフケアと愚痴を分け合う習慣は、こころのダメージを回復させる。身だしなみを整えるのは、社会のメンバーとして馴染んで、異物として周囲を不要に警戒させない意味がある。ケア関連のスキルに無縁なままだと不幸になってヒトとの距離が離れていくのが道理だし、最悪の事態にも繋がりかねない。気になって調べてみたんだけど、もちろん人間は闇を食べるブラックホールなんかじゃなかった。確かに男性はちゃんと不幸になって…、亡くなってた。なのにケア意識の格差も自己肯定感の低さもパッチが当てられる予定は無さそうで、ゾッとして。ねぇ、たぶんもう『ふつう』のレベル感がズレてる。
まとめ記事と、そこへのコメントでしかZINEを知らない勢です
ZINEは昔からあるよという解説だけ見て推察するに、これ手芸では
昔だと活け花、日本舞踊、和裁、茶道や書道みたいな「お教室」で、
高度成長期にその「教室」の教える内容にペン字やフラワーデザイン、編み物みたいのが入ってきて、
バブル頃にDIYという枠組みが別系統(ログハウス建てるみたいな男の遊び)から
横文字で好き勝手にイメージ操作できる都合でビジネス方面とメディア方面で参入してきて
ユザワヤみたいな手芸ショップが大盛況になってショッピングモールの一角には必ず手芸屋がある感じになって、
シルバーアクセサリーとかだいぶ金額の張るジャンルも入ってきて手作り品を売買する場も整ってきて
という、あのへんの延長上としての「手芸としての本づくり」って感じですよね、たぶん
で、状況を推察するに、書店が商業印刷物が売れなくて雑貨全般に売るものを広げてるなかで、
「手芸としての本」のZINEを並べるのアリなんじゃね、という商売上の思惑があって、
そこで出版物と手芸の垣根を超える都合で、エセっぽいマーケターが「同人誌とは違うのだよ、同人誌とは」みたいなこと抜かして炎上と
そんな理解でいいっすか
あのへんの手芸ジャンルは、手を動かすことが優先で頭を空っぽにするのが大事で、
その頭空っぽを禅とか道とか精神性とかいう単語で取り繕ってるけどポイントは「ゆるふわ」で、
その「ゆるふわ」を共有できるお仲間で集まってキャッキャする場を作りましょうってなって、
その「仲間づくり」が目的化して「あのお金持ちサークルに参加できるかも」の期待感で煽って、
そこに群がる庶民からレッスン料や材料費をむしりとるビジネスモデルと一体化しがちで、
謎の「XXX協会」が立ち上げられて講師資格を得るのに年会費が必要で、
マスメディアで取り上げられる頃には既にそういう「金をまきあげたるでー」と狙ってる勢が準備完了ってイメージなんですけど
あってますかね
アラサー20代女。中学時代の吹奏楽部友達3人と有難いことに仲が良く、10年以上の付き合いになる。
最近とうとう第一次結婚ラッシュが来てしまい、自分は置いて行かれた側なので内心めちゃくちゃ焦っている。
4人組のうち、昨年結婚したのが2人、結婚しそうな彼氏がいるのが1人、そして自分(特に浮いた話はない)。
正直自分はまだまだオタクやっていたいので、現状の生活そのものになんら不満は抱えていない(だからマチアプとか婚活に乗り気にならないんだろう)。
ただ、やっぱり周りが身を固め出すと不安になってくる。
さては増田は見た目がヤバイんだな?と思われそうだが、一応彼氏が過去何人かいたし、バケモノの子ではないはずだ。少なくとも吐き気を催すようなルックスではない。
また、女子の友達関係として「内面も外見も釣り合う人とつるむ」習性があることを思うと、友達が全員美人か可愛いかの二択なので、「普通」ランクでは耐えているはずだ。
マニッシュだったりカジュアル・ラフめなファッションなので所謂男ウケはしないのは認める。
(客観的に見たらたまにネットにある系の一人だけ景観を損なってる画像になってる可能性も否定しきれんが)
最近急に焦ってるのはTwitterで見かけた2ポストがきっかけだ。
1つ目が「友達の推しの話ってどうでもよくない?」というもので、2つ目が「この子は私に幸せになってほしくないんだろうなって思ってからハッピーな話をその子には伏せて、最終的に距離を置いた友達がいる」という趣旨のやつだ。
そのポスト本体&引用を徘徊していたが、わりと賛否両論だった。
推しの話はまだいいけど惚気のが無理では?とか、推しを語ってる友達が好きだから聞くの好きとか。
友達が幸せなのを素直に喜べないのは相手を見下しているフレネミーだとか、人の幸せがうらやましいのは当たり前、相手の状況も考えずに幸せ自慢するほうが配慮不足とか。
そして私は「友達の惚気話のほうがマジでごめんけど本音ではどうでもよくて、推し語りをきいていたい」し、「友達が幸せだと内心焦りがつのる」タイプだと気づき、危機感を覚えている。
特に、結婚した子のうち1人は、この子は結婚しないんだろうと思っていた子だったので、焦りとしては一番それが効いてる気がする。
その子は官僚としてキャリアコースだったし、吹奏楽部のときから気が強めの部長だったというか、わりと怒りっぽいところもあったので、結婚しないという選択に落ち着きそうだと思っていた。直近、その子がLGBT?アセクシャル?のパートナーと付き合っていたのもあって、制度上当分しないと思っていたのもある。
また、一番仲の良い友達はふんわり小柄な癒し系で、出産願望が大学時代からあったので、この子は結婚するだろうと思ってはいた。手芸と料理と片づけが得意で、友達からもママ呼ばわりされるレベルで面倒見がいいので男性からもモテていたし。ただ、相手が凄まじいハイスペでなんかもう東京とか日本というレベルじゃなく世界的に見てもエリートというのが、流石私の親友だが…ちょっと………ちょっと置いていかないでくれ!!と心の中では思ってしまう。オタクの「待って」が本当においていかないでほしいときもあるものだ。
なんだかんだ、みんな大阪で正社員だったり東京でキラキラ官僚だったりして「結婚なんてしなくても幸せに生きていけるうえで結婚してさらに幸せになっていく」。
自分は地元の四国の実家で派遣社員として事務作業をしているが、自他境界曖昧なアダルトチルドレン親をかかえてマッチングアプリして付き合って同棲して結婚しての道のりが長すぎる。アニメとドラマと映画も好きな時間に好きなやつ観たいし、フルートも続けて地元の吹奏楽サークルで定期演奏会にだって出たいし。
ここまで振り返ると諦めた方が早いんだろうけど、死ぬとき一人は嫌なんだよなー
【追記】
自分のスペックでは若干危ないのは分かってるからこそ、結婚して誰かと一緒に暮らしてはいきたいと思って焦ってるんだって。その一歩で実家出ようと思ってはいて、今急に出たら収入と支出がほぼイコールでそれこそ死ぬのは流石に分かってるから今は貯金期間にしてる。
あと友達のこと見下してないどころかもう天上人になっちゃったと思ってるまであるよ。別に友達の旦那さん並にハイスペがいいとか思わないし。自分に関心ある人に関心がわかないから難しいけど
凶悪なおすすめ欄から精神衛生を守るために蘭を栽培するひとを中心に園芸アカウントを20個ほどフォローして綺麗なお花だけいいねするようにしらおすすめ欄が綺麗なお花で埋め尽くされてきた
(動物系は無断転載の多さがちょっと気になるので…あと自分もペットを飼っているので心を動かされすぎることがある)
好感はあるけど興味はない、詳しくはない、害はない、という塩梅のジャンルを選ぶと気持ちが上下しなくていい感じ。自分もやってたりやりたいやつだとマイナス感情も沸きかねない。
文字情報だと読んでるうちにツイートしようとしてたこと忘れたり、人間の醜い心が滲みでて萎えたりするから写真中心になるものがいい。
園芸界隈よくわからないけどディープそうなのもよかった。壁から横に生やすやつとか面白い。蘭は美しい。食虫植物はちょっと苦手。
別のアカウントでおすすめバリアを作る機会があったら生花、盆栽、庭園あたりのテーマもいいなと思ってる。手芸や刺繍もよさそう。
手芸が得意なお母さんのエッセイ漫画で、小学生の子供が明日巾着袋が必要だという状況になり、お母さんは「待ってて。すぐに作るから」と言って家にある布を出して、ミシンでササッと作る場面がカッコいいなと思った。私もこのお母さんみたいになりたいと思った
私はむちゃくちゃ手芸苦手で特にミシンに対する苦手意識が半端なかった
それでも、子供を喜ばせたかったからプリキュアのレッスンバッグとかミシンで作るようになった
自宅保育の1歳児が今家にいるからミシンを出して縫うハードルが高い。狭い家に住んでいるからリビングで裁縫しなきゃいけなくて、1歳児の都合ですぐに作業を中断しなくちゃいけない
通園してる上の子供のお弁当袋が丁度いいのがなくて(お手拭きタオルにカトラリーケースに弁当箱と入れるものが多い)、前に手芸本に書いてある作り方で弁当袋を、当時ミシンがあまりにも苦手過ぎて手縫いで作ったんだけどできあがったものは小さかったし、西松屋で買ったお弁当袋にはなんとか入るけどキツキツ
大きい弁当袋欲しいな~もう自分がほしいドンピシャの弁当袋は自分の手で新たに作るしかないと思った
裏地なしで、柄に上下の方向があって、大きめで、普通の口で・・・・って自分の作りたいものを形にするにはYouTubeの巾着袋の作り方の動画を複数参考にすることになった
巾着袋は、紐が両ひもタイプなのか片ひもタイプなのか、口がフリル口か普通口か、柄が上下どちらでも使えるタイプの布で1枚仕立てで作るのか、柄に上下がある布を2枚使って作るのか、マチは作るのか、裏地はありかなしか
とにかく作り方のバリエーションが多い。
100円ショップのハギレで可愛いものがあったのでさっそくハギレを買った日にミシンを出して縫ってみたが、ミシンがとにかく縫っている最中で止まる止まる・・・・・・10代のときの家庭科の授業では、私はミシンが縫っている途中で止まるたび、ミシンが壊れたと思い、家庭科室にあるミシンを次々と使い捨てにして、ミシンが全然使いこなせなくてもう嫌だ!ミシンなんてすぐ壊れる!大嫌い!と思っていたが、
おばちゃんになった自分は違う。ミシンが止まれば、上糸下糸何度でもセットしなおす。ミシンを使ってボビンに糸を巻くことだってできる。
ミシンに慣れて無さすぎて手つきはものすごくぎこちなかったが、6時間くらいかけて、なんとかひとつの弁当袋を作ることができた。
巾着袋って手芸の中では簡単な部類に入って、慣れてなくても50分くらいでできるらしいが
私はあまりにも不器用だからめちゃくちゃ時間がかかってしまった。
でも、次に巾着袋を作るときはもっと早くできそうだなと思う。今度は100円ショップの布ではなく、手芸店の私好みのオックス布を使って弁当袋を作りたい。
普通にカリキュラムに含まれてる家庭科の授業じゃなくて、生徒が選択できる授業の中に家庭科があって、自分が手芸がむちゃくちゃ苦手なのに家庭科の選択授業を受けてるのか今思うと謎だ
家庭科よりも体育の方が嫌いだったから消去法で家庭科を選んだのかな
その授業はほとんど教師が教室にいなくて、手芸のキットから生徒が作りたいものを選んで作るという内容で、私は見た目がかわいいという理由で編みぐるみを選んだんだんだが、編み物ってそれなりに知識がいるものなのにいきなり中学生に編みぐるみキットを渡して、じゃあやってね!って状態だったから今思うと残酷だなと思う。初心者ならコースターとかからはじめるべきなのに。いきなりぬいぐるみて(私が自分で選んだけど)。玉止め玉結びでつまづくレベルの自分だったから全然できなかったし
その後に見た目が簡単そうという理由で刺繍キットを選んだんだけど
刺繍もそれなりに知識がいるものだよね。色んな縫い方があって。
繰り返しだけど中学生に刺繍キット渡してじゃあやってね!は残酷過ぎて
今思うと放課後家庭科の先生に刺繍教えてくださいとか言えば良かったのかな
カリキュラムの中の家庭科じゃなくて、自主学習形式だったから教室の中に先生いなかったし
手芸キットを生徒に注文させて、じゃあ自分で頑張ってねは本当に残酷過ぎる(3回目)
選択制だから手芸がやりたくてこの授業を選んだんだから元からそれなりの手芸の技術を生徒が持ってるんだろう。だから一人でもできるでしょって考えの授業だったのかな。編み物と刺繍は無理だったわ。私には
この前児童書コーナー行ったらおまじないの本がごっそり無くなっててびっくりした。
いや完全になくなったわけじゃない。けどかなり減ってる。代わりにあるのはお子様向け美容法、綺麗な字の書き方、クラスで愛されキャラになる方法、ノートの取り方、時間の使い方、話し方、メンタルの扱い方なんかもある。社会人か??
占いの本とお菓子作り、手芸、心理テストなんかはずっとあるみたい。
まぁ確かにいらんよな。女児のおまじないとか一番役に立たん。綺麗な字を書くとかおどおどしない話し方とかの方が役に立つよ。
古い鍵を使った好きな人の心の扉を開くおまじないとか、紙粘土で白蛇のお守りを作って金運を上げるおまじないとか、友達とクシを交換して友情を永遠にするおまじないとかいらんよな。
でもあのバカみたいな、子供騙しそのものなおまじないも楽しかったよ。
細々と生き続けてくれよな。
ある日、1歳5ヶ月の娘と自宅でまったり遊んでいたら、宅配便が来た。予定外だったので夫への荷物かな?と思いながら受け取ったところ、宛名は夫、品名には雛人形。
やべぇ、と思った。
開封してみると、雛人形(3段)と額縁に入ったひな祭りの絵。どちらも義母の手作り、手描き。
正直どちらも上手いとは言えない出来で、絵に関しては色使いがかなりかなり個性的。というかちょっとコワイ。娘にも見せたけど反応は薄かった。
どうしよう、いらない……
生まれて初めての節句では何も贈ってこなかったから、油断していた。
手芸を趣味にしていることは知っていて、義実家に帰省すると玄関に不思議な置物?が置いてあったり、ちりめん細工の季節の掛け飾りがあった。どれも義母が手芸教室で作ったものだと言っていた。だけどまさか送ってくるとは。
1歳児の手の届くところはダメだし、飾る場所なんてないよ。窓枠とかに置けるくらいもっと小ぶりな物にしてよ。親王飾りだけ使うとしても、首が取れやすくてまじでホラー。
絵は飾れる。飾れるけど拘って買ったインテリアと合わなさ過ぎて飾りたくない。
うちは一軒家で余っている部屋もあるにはある。現時点で物置になっているのも事実。
だが!!それは仮の姿で、いずれは子供たちの部屋になる予定の部屋。夫の転勤の可能性もあるのでなるべく物は買わないようにしてきた。
手芸が趣味なのは良いよ。素敵な趣味だよ。だけど、贈り物にはしないで。捨てられないけど邪魔だし、喜ぶふりをしないといけないのも疲れる。
こういう物が欲しい、作って!とか言われたら贈る、じゃダメなの?なんで事前に相談なく送り付けちゃうの??
前に「家に物を増やさないようにしてる。特に人形は捨てにくいからぬいぐるみも買ってない。雛人形もいらない。実家に立派な雛人形があるから実家で飾ってもらったら遊びに行く。」といって暗にいらないアピールしてたのに。全然聞いてなかったんだろうな。
玉止め玉結びすらもできなかった
20代のときも、不器用過ぎて裁縫できなさ過ぎて、いつだったか自分の服のボタンが取れたときにものすごーく苦労して何とかボタンを自分でつけた思い出がある。つけ終わった後も達成感等なくて、ものすごく嫌なことをやらされたと言うか、とにかく嫌な気持ちだった
30代になると子供ができて、不器用だった自分も脳が成熟したのか、おっかなびっくりミシンを触るようになった(園グッズが必要なので)
なんとか裁縫ができるようになった
子供の幼稚園でお友達が制服の白ポロシャツのボタンをカラフルに付け替えしてあるのを見て
「そういうアレンジの仕方もあるのか〜!」と思った。子供の幼稚園は白ポロシャツやショートパンツ、カラー帽子にワッペンつけたりビーズつけたりして、アレンジしてる園児も多い。(ひらがな読めない子もいるので、一目で子供が自分のものだとわかるように、他の子供のものと間違えないように)
あんなに苦手だったボタンつけができるようになり、綺麗なボタンをアマゾンで買い、嬉々として何個もボタンを付け替えるようになった
昔はわざわざ服のボタンを自分で付け替えて楽しむ人の気持ちが理解できず、そういう人を変わり者だと思っていたが、今はものすごくわかる。ボタンの世界って奥深くて面白いよね。貝ボタンにプラスチックボタンに、色んな形、色のものがあって面白い。今度手芸店に貝ボタンを見に行こうと思っている。白蝶貝の綺麗なボタンが欲しい。
著名でブランド化に成功しているイラストレーター=パティシエ、ショコラティエ。
高品質で高付加価値、代わりがきかないアーティストの立ち位置。
ここを目指す人は多いが、激戦区になっている。
これからの生成AIのポジション=明治製菓や森永製菓など大手企業が工場で生産するクッキー等。
大資本による製造で「コスパ」が圧倒的に良い。広告代理店がよくAIイラストをバナーに使っているが、
強烈なこだわりがなければ、このクオリティがあれば充分だねと思えるような、丁度良いゾーンをこれで充たす。
ファヲタでなければユニクロ。インテリアヲタでなければニトリとイケア。そういう「コスパ最強だからボリュームゾーンを獲得する」ポジションになっていく。
同人誌のポジション=会社員が休日に趣味で作る自家製クッキー。
採算度外視、コストはマイナスで良く、つくるプロセス自体が趣味であるという領域。
原材料費の合計金額が、明治製菓や森永製菓の完成品を買うよりも高くつく。
ぶどう狩りに行くとスーパーでぶどうを買うよりも高くつく。その体験をしたいから金銭的にマイナスになるのは上等なのだ。
売って儲けることを目的としていない手芸などにも近い。楽器演奏や、書道なども多くはそうかもしれない。金銭的にはひたすらマイナスである。
別のところで収入を得ているから、生産的な消費行動のひとつとして成り立つのである。
生成AIのせいで食えなくなるイラストレーター=作業所の福祉クッキーのポジション。
美少女イラスト以外に適性のある職がなく、美少女イラストで食っていくしかないが、低単価で「誰でも良い」系の案件しか受けられない実力。
納期を破ってXに愚痴を投稿し続けたり、認知の歪んだ社会叩きを投稿するなど、美少女イラストのスキル以外の社会人適性部分での問題行動が多い。
精神障害や発達障害を抱えていることが多く、関わった人間は消耗することが多い。
本人はファンタジーか猫のどちらか、あるいは両方に強力に依存して、「人間」を憎んでいることが多い。
反AIで最も暴れているのはこの層だ。パティシエ勢と休日趣味勢は、不快のお気持ちを表明することがあっても生活が脅かされていない。
しかし福祉クッキーポジションのイラストレーターは、自身の職能で生活している身分から、福祉の階級に落ちるという尊厳面での強烈な危機感がある。
「副業で美少女イラスト受注してたけど、無理になってきたので諦めました」とあっさりしている層は、要は「帰る場所」として会社員の身分がある。
美少女イラストがすべてだったのに、すべてを生成AIに奪われそうだから暴れているのだ。そして映画・音楽その他の芸術領域と比べて美少女イラストだけ異常に暴れる人が多いのは、
美少女イラストに美少女イラスト以外の適職が無い層が集まりやすかったという偏りの影響なのだろう。
映画や音楽のワナビーは、食い詰めそうになりながら夢追い人をしているとき、牛丼屋やら居酒屋やらでバイトしていた人間が多いものだ。
美少女イラストの領域にはそうした職場では働けない者が多い。ホワイトカラーもブルーカラーも無理で、在宅の美少女イラスト受注以外、仕事らしい仕事が全くできない者が多いのだ。
プロスポーツ選手になる道を諦めて会社員をしている人たちがいる。夢の職業を目指して、夢破れて断念していく人々は、美少女イラストに限らず多くの業界に存在する。
美少女イラストAIだけ異常にSNS上で荒れて、カルト化していくのは、福祉の世話になるしかないような精神障害や発達障害を抱えている人間の割合が他業界よりも高いからだ。
国会の議事堂は白熱する議論に沸き返り、各党の議員たちが口角泡を飛ばして意見をぶつけ合う。
だが、どれもこれも的外れだ。
税制をいじっても、保育所を増やしても、何をやっても人々は子どもを産みたがらない。
「こうなったら仕方がない...」総理は秘書官に静かに命じた。
「娯楽を、止めよう。」
その瞬間、場内は凍りついた。記者たちのペンが止まり、議員たちは一様に顔を見合わせた。
しかし誰も反対はしない。今はもうそれしか手がない。皆が分かっていたからだ。
ネット上のすべての娯楽を完全にシャットダウンする。それだけじゃない、テレビはニュース一色、ラジオもお役所が発表するお知らせばかり、出版物はすべて半年間の停止だ。
国民は急に何もすることがなくなった。会社から帰っても、家でできるのはせいぜい家事か、静かに座って窓の外を眺めるくらいだ。
最初の一週間はパニックだった。ネットカフェや図書館には長蛇の列ができ、裏ルートで娯楽コンテンツを手に入れようとする連中が現れた。
だが政府の監視は厳しい。アンダーグラウンドの娯楽マーケットもすぐに摘発され、密かに楽しんでいた者たちは「娯楽依存者」として社会的に抹殺された。
人々は絶望し、娯楽を渇望した。
彼らは朝起きて仕事に行き、帰ってくればYouTubeを見るか、またはお気に入りのドラマを見ながらお酒を飲むのが日常だったのだから。
しかし、今やそれがすべて奪われた。もうやることがない。誰もが手持ち無沙汰に過ごす毎日が続いた。
やることがなくなった国民は、そのうち奇妙な行動に出始めた。
最初は手芸やDIYを始める人が増えた。次に家庭菜園がブームになり、自宅のベランダでトマトを育てたりする人々が増えた。
でも、それも飽きるのに時間はかからなかった。何かもっと根本的な「刺激」が必要だと、人々は感じ始めていた。
そして、半年後、街角ではこんな光景が普通に見られるようになった。
「暇だし…セックスでもする?」
「うん、そうだね」
実際、半年の禁娯楽期間が終わった後、日本中の産婦人科は赤ん坊の泣き声で溢れかえった。