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はてなキーワード: 無為とは

2026-05-08

anond:20260507111000

平和無為に耐えられる者が最終的な勝利者みたいなことをヤン提督が言ってたきがする。

2026-05-07

社会奉仕ダイエット

鳥の糞で汚れたベンチなんかを綺麗にして回る活動をしよう

モップ担いで歩き回って汚れた壁を綺麗にしよう

無為運動よりも目的意識を持てて活動的になれる

貯金10億あったらやりたいね

2026-05-06

ギャンブル中毒者のTwitter見てた

資金いかgw旅行あきらめる流れかと思ったら直前でちょっと当てて旅行しててメシマズだった

でも旅行中に借金追加してそれも溶かしてたからザマァとはなったけど

旅行自体は楽しそうでメシマズだった

借金あるし貯金もないはずなのに

金あるはずのこっちはずっと引きこもって無為に過ごしてるからギャップがね

2026-04-27

死刑無期懲役執行時期

日本における最高刑は死刑

次点無期懲役

死刑執行までの平均期間は約7年(判決確定後起算)求刑から10年程度か?

執行後は当然生活が出来ない

無期懲役仮出所するまでの平均期間は約30年

仮出所後に満足な社会生活が送れるかというとたぶん無理なことが多いだろう

監視つくし就職にも難儀するなど、更生して一般社会に戻れたと実感できることは基本的にないのかもしれない

犯罪者囚人側の視点で考えてみるとどちらが重たい刑なんだろうか

いつ出れるかもわからない、出ても満足に生活できるかわからない、絶望しかいかもしれない。無期懲役残酷に感じる。

一方で死刑は、いつ執行されるかもわからないけれど、一つの結論が示されている。死刑は死から逃れられず更生の機会はなくなるが、時間的な救いはあるように感じる。

恩赦概念もあるが、どちらにも当てはまるし、近年ではほとんど発生しえないため今回は無視する

最初に書いたように、日本では死刑が最高刑(=最も重い罰)となっていて、他国においても大体が死刑が最も重い罰とされているらしい。(死刑がない国もある)

交通違反軽犯罪以外は犯したことがない増田だが、犯罪者視点で考えれば個人的時間がはく奪される無為懲役しんどいように思う。

被害者、遺族の視点で考えてみるとどうだろうか

こちらは想像も出来ない

更生の余地を残さずさっさと死刑にしてほしい。

死刑がいいがより長時間苦しめ、悔い改めてから死ね

無期懲役寿命が尽きるまで悔い改めろ。

色々な考えがあるように思える。

こればかりは個別個別案件しかないので何とも言えない

死刑が野蛮だの廃止すべきだの、残すべきだの色々な議論があるようだが

ここまで書いて増田の中での結論はよくわからないということになった

現段階では、主観的死刑より重い無期懲役があるから死刑はなくていいんじゃ

と思うけれども、親族が殺されたりした場合にどんな感情になるかはわからない

難しい問題

2026-04-15

anond:20260415103131

それはそう。どんどん悪化するしね。

でもまあ無為さでいったら、老人介護は全部そうだよ。そこは慣れてもらうしかないわ。

2026-02-27

わしはホモじゃないが、百合に憧れている。

https://youtube.com/@udushiro?si=BFk-2Y1zvfN6WVoD

から女の子になりたいという訳ではなかった。

ただ何かしらの純朴さと無限の愛と、それが続くための維持たる愛というものに、広くオープン情報開示をしている私が現実世界で声を出せずに極めて憧れていた光景だ。

21の誕生日を少し超えて、改めてこう自身人生を振り返った時に、掴めたはずの場所で怠った事や、今ある視座から振り返ると、その選択は正しくとも間違いだった。

と、思えるようなものが散乱している。

生き恥系の過去だ、だが問題はそこではない

過去自身の行いから今あるチャンスが見えてるにも関わらず、無為にして、棒に振るということが増え始めてきた。

過去起因によるトラウマの現れなのか、仮初の安定を手に入れた事による傲慢なのか、自らの魂を燃やし尽くすほどの価値を見いだせなくなったのか。

多分今、私は死ぬには幸せになってるんだと思う。

「どうかしてこの肉体と感情的欲望から離脱しないと」

ブレブレのハサウェイから出てくるこの言葉も少しばかりは理解してるような立ち位置に立ってしまった。

肉欲を捨て、無我の境地に至りたい。

この欲すら、無我とは相反するものなのだ

目の前に有り得そうなチャンスに踏み出す勇気が欲しい。

「ワシはホモではないし、レズでもないし、ロリコンでもない」と嘘八百を並べて生きていくのかという辛さだなぁと

尽くせるパートナー、欲しいよ。俺未来が怖い。

けど、欲を捨てて「解脱しなきゃ」追い込んでる姿も自分の中に存在してる。

辛いよ...

2026-02-23

高市首相よ、なぜ旧姓単記なんだ?

高市首相よ、なぜ旧姓単記なんだ?

週末にこの報道に触れてから気分の落ち込みがひどい。

こんなのを導入したら日常で触れる姓は全て旧姓になってしまう。

逆に、戸籍姓を使う場面は激減する。誰かが死んで相続や墓の話をする時だけになってしまうだろう。生きてる間はバラバラ名字で過ごし、死んだ時だけ同じ戸籍に戻る。こんなものただの戒名じゃないか

普段から夫婦、親子が同一の姓で過ごすからこそ家族の一体感が保たれるのだ。それがこの国のかたちなのだ。それを賛成派の「不便だ」とか「自分らしく生きたい」などと言うフェミニストわがままのためにこの国のかたちを変えていいはずがない。

旧姓単記など事実上選択夫婦別姓だ。そして、あんなにも頑なに夫婦別姓に反対していたのは、他ならぬ貴女だったじゃないか

なぜなんだ。選択夫婦別姓の導入を望む勢力は究極的には戸籍廃止を求めている、それはなんとしても阻止しなければならない、戸籍日本世界に誇る素晴らしい制度と言って選択夫婦別姓導入に反対していたではないか

私は貴女応援していた。真剣応援していた。先の選挙で、地元貴女応援演説にきた時は喜び勇んで参加した。貴女が出ている動画もたくさん見た。いいねもたくさん押した。野党妨害に屈しない貴女の姿を見て心底頼もしく思っていた。

小選挙区も比例も自民投票した。自民が大勝し、旧立憲勢力をはじめとするサヨク勢力駆逐されたことをこの上なく祝福し、貴女政治手腕に感服していた。

それもこれも全ては選択夫婦別姓の導入を阻止できればと思っていたからだ。貴女サヨク勢力とたたかう誠の保守と見込んでいたからだ。

それなのに、この仕打ちはなんだ?俺が何をしたというのか。

から思えばだが、あの女には色々怪しいところがあった。

移民受け入れに反対の立場だったのに外国人材を100万人以上受け入れると決定した時は、おやっ?と思った。しかし、未曾有の人手不足の前にいきなり移民ゼロにするのは困難なのだろうと思ってやり過ごしていた。

竹島の日韓国の顔色を伺うことな閣僚を出席させるといっていたにもかかわらず、結局閣僚は誰も送らなかった。この時も、中国韓国の二正面作戦賢明ではないとの判断だろう、とか、韓国とは先の大統領訪日の時に友好関係を深めたばかりだからタイミングが悪いのだろうと自分を納得させていた。

そしたら今回の旧姓単記だ。

ここにきてようやく私は悟った。あの女は口では威勢よく心地よいことを言ってくれるが、言うだけで何もできないのだ。

いや、できないだけならまだマシだ。移民に賛成し、韓国にも強く言えず、(事実上の)選択夫婦別姓の導入もやってしまう。やっていることは完全にサヨクのそれではないか

そもそも思想すらないのかもしれない。結局あの女も財界の顔色をうかがい、経団連の犬に成り下がっただけだ。

なんでこんなことになってしまったのだろう。心が折れるとはこういうことを言うのだろうか。この3連休もただただ無為に過ごしている。生きている心地がしない。

自民が2/3をとっているのでもう引き返せないだろう。旧姓単記は導入されてしまう。

しかも、この事実上の別姓社会を作るシステム改修に莫大な費用が使われるというじゃないか。俺たちの税金を使って、国のかたちを壊すのか。冗談じゃない。

この国はなし崩し的に(本当の)選択夫婦別姓へ向かう。そうなれば戸籍おしまいだ。

長年戸籍を守ってきて下さったこの国のご先祖様に申し訳が立たない。

なぜなんだ。俺はどこで間違えたのだろう。

俺が応援していた女が、実はサヨクだった。

みんな目を覚ませ、あの女はサヨクだ。

2026-02-20

anond:20260220144729

あなたは間違えていない。知能の低い方に自分を合わせないで良いよ。

日本人コミュニケーション=口から音を出す行為相手時間を共有する時間が長いほど良いと考えている人もいるから、あなた上司はそういったタイプだよ。相手にすることは無い。

あなたがこれからすべきなのは、これから年功序列無能な人が上司になったから、コミュニケーションごっこに付き合うこと。

それが苦痛なら外資系企業に行ってください。日本みたいに、相手時間自分時間無為にする人は希です

2026-02-17

anond:20260217182650

最近はすぐ5chに逃げるようになったし、執着もなくなったんじゃね?

意味のないものにひたすら執着するのはあたおかあるあるから

電車でたまに見る野良車掌と同じで、無為な執着に浸ることがなにより幸せなんだろう

2026-01-30

anond:20260130175709

結果はわからんよそりゃ。未来ことなんだから。 

ただ、未来不定から0か1の50%だとしたら、無為100%悪だぞ。わからんなりにやるしかない。

 

善悪は、もちろん主観だ。

だがそれは善悪存在しないことじゃないぞ。主観のうちには必ずある。

主観であることは、共通しないことでもない。

これについては、日本でまともに教育を受けたら、だいたい主観共通しているだろうな。

 

俺の主観は、選挙に行かないやつはアホだと言っている。

俺は、お前の主観もそうだと思うぞ。しっかり己に問え。胡麻化すなよ。

2026-01-27

老子(『道徳経』)における尚古思想(しょうこしそう)とは、

理想過去にある」「古(いにしえ)のあり方に立ち返るべきだ」という価値観基調とした思想です。ただし、老子の尚古は単なる復古主義ではなく、かなり独特で哲学的です。

1. 尚古思想の基本構造

老子はしばしば次のような対立世界を捉えます

• 古(自然・素朴・無為

• 今(人為・技巧・作為

老子にとって「古」とは、

👉 道(タオ)に即して生きていた時代

👉 人為的な制度価値観肥大化する前の、自然調和した状態

意味します。

重要なのは

「昔の制度が正しい」

ではなく、

「昔に近い“生き方・在り方”が道にかなっている」

という点です。

2. 老子批判する「今」

老子は、当時の社会を次のように批判します。

• 仁・義・礼といった道徳の強調

• 法・制度知識の発達

文明進歩による欲望の拡大

道徳経』第18章の有名な言葉

大道廃れて、仁義あり

これは

本来の道が失われたからこそ、仁義必要になった」

という逆説です。

まり老子にとって、

道徳が前面に出てくる社会=すでに不自然

なのです。

3. 老子理想とする「古」

老子の尚古思想の核心は、次のキーワードに集約されます

無為自然(むいしぜん)

人為的に「良くしよう」としない

• 道に任せ、自然の流れに従う

樸(ぼく)

• 加工されていない原木のような状態

人為知識で飾られていない素朴さ

小国寡民(しょうこくかみん)

国家人民も最小限

技術交流を極度に発達させない

これらはすべて

👉 文明以前への回帰

👉 精神的な原初性の回復

意味します。

4. 儒家の尚古思想との違い

よく比較されるのが**儒家孔子)**の尚古思想です。

観点 老子 孔子

古の意味 道と自然に近い状態 周王朝の礼楽制度

方法 無為・退却 学習実践

人間欲望は増えやす教化可能

孔子は「古を学んで今に活かす」ですが、

老子は「古に戻らなければ今は救えない」という、よりラディカルな立場です。

5. 尚古思想本質的意味

老子の尚古思想は、

歴史的過去礼賛ではなく

価値の反転(進歩=善、という考えへの批判

文明批判技術批判

として読むのが適切です。

現代的に言えば、

「便利さ・効率管理が進むほど、人間は道から遠ざかるのではないか?」

という問いを、2500年前に投げかけているわけですね。

まとめ(ひとことで)

老子の尚古思想とは、

過去に戻る思想ではなく、「自然に戻る思想

です。

無視できない蒸しタマネギの美味さの増田素真の差マウのギネ待たし無為な機で凍む(回文

おはようございます

最近蒸し料理のもう仕事化している申し子!ってぐらいの蒸し料理ずいてきているんだけど、

いろんな食材を蒸して食べるというのにチャレンジ中!

でね、

今回はシンプルタマネギをやってみたの。

普通にシンプルタマネギよ。

新玉とかじゃなく新二子玉でもなく二子玉川ライズでもなく、

普通に売っているシンプルタマネギ

それをこちらも至ってシンプルに1玉を3分割する輪切りにして、

フライパンの上に乗せた蒸しの上に輪切りにしたタマネギを搭載するの。

で!

蒸すこと約10分!

輪切りにしたタマネギが上質に蒸し上がって、

タマネギを横に切ったもんだから

タマネギ年輪に見える層が蒸しあげられたことによって盛り上がってきて、

自ら蒸し上がりました!って盛り上がりを隠しきれないぐらいな勢いで出来上がっちゃってるの!

早速実食よ!

パク!

な!なにこれ!

ま、まるで食べるオニオンスープじゃん!

うま!

旨味の甘みの濃縮したタマネギオニオンスープ化!

辛みなんか一切なく、

タマネギの甘さしか勝たんってぐらいきっと優勝出来ちゃいそうな勢い!

タマネギのただ普通タマネギを1玉普通に蒸しただけなのに、

この美味しさ?

あっと言う間に試しにと思って輪切りにしたタマネギ1玉はペロリと私の胃袋の中に収められたの!

とろとろでタマネギ自体自分の甘さを閉じ込めすぎているので、

一口タマネギを運んだら

中でジューシーに溢れるタマネギ汁がまさにオニオンスープのそれで、

もう一回大事ことなので何度でも言うけれど、

これって食べるオニオンスープじゃん!って!

鬼の形相とは裏腹に思わずそのオニオンスープの全タマネギの甘みをあますところなく自らのタマネギの身をもって保湿しつつ、

モイスチャーに蒸し上がったタマネギタマネギのいいところしか残っていない感じなの。

たった1つのタマネギでこんなに旨味あんの?甘いの?って

晩酌にってつもりで美味しくなくて失敗したら窓から投げ捨てればいいじゃん!って思っていたのとは大違いに、

しろ逆にもう1玉2つのタマネギを蒸せばよかったわ!ってぐらいに

あっと言う間に食べちゃったの。

蒸し料理ポテンシャルポテンヒットどころか

まさに味のホームランよ!って

私も二刀流大谷翔平選手みたくなるんだ!って蒸し料理界の二刀流を目指せるなって1回ぐらいは思っちゃったぐらい!

この蒸し料理というか、

蒸すだけでこんなにションテン爆上がりするものなのかしら?

しかタマネギたった1つででよ!

うま!って。

もうみんな今年が午年だってことを忘れているでしょ?って私は「うま」いって叫び続けるのよ。

今年はもしかしたら私蒸しの年になるかも知れない!

この1年の切って火蓋が切られて兜の緒を締めるたい感じ!

しかもこれほとんど食材を切って乗せるだけだし、

もっと早くに蒸し料理のいや蒸し野菜の良さを知るべきだったわ。

今知らない人がいたら、

試してみるといいわよ!

そんな蒸籠だなんてたいそうな装置を買わなくてもいいので、

フライパンの中に設置できて蒸せる蒸し網ってのがここ21世紀になって開発されたようなので、

これはもう味の文明開化やー!って言いたいぐらいなの。

こんな器具早くから知っておけばよかったわ。

いや逆に今知れたからこそ良かったのよ!

これなんでも野菜蒸せちゃって食べられちゃうから

超絶ヘルシーになっちゃうの!

しかも私あんまりそもそも味付け無くっても大丈夫な、

これが正解なのか味音痴なのかもはや分からないけれど、

生野菜サラダとかもドレッシングなしでパクパク食べちゃう体質!

これもあってかか分かんないけど、

蒸し上がった野菜たちはなにも調味料を付けずに

ジャガイモは一滴のポン酢を垂らすのみって、

ジャガイモポン酢使うんかーい!って言われちゃいそうだけど、

もちろん使わなくてもジャガイモの味の甘みの旨味は充分にあるの!

今のところ、

蒸し料理というか蒸し野菜たちやってきたけど、

打席初球ホームラン!って感じで失敗しないいや失敗する余地がないのよ!

余地がなさ過ぎまくりまくりすてぃーだわ!

失敗しようが無いのよね。

あと強いて言うのなら蒸し時間があるけれど、

だいたい5の倍数でいいみたい!

はい

今思いついた名言でました!

蒸す時間食材に対して5の倍数でいい!って

気付いちゃったわ!

ジャガイモは大ぶりだと20分!

このタマネギとかなら10分!

白身魚とかのお魚だったら5分!

わ!

だいたいの蒸し料理時間は5の倍数でいい!って法則まで見付けられちゃって一挙両得を5倍にしたい気持ちよ!

ションテン爆上がり毎晩上がっていたら

ションテン爆上がり疲れを起こしちゃいそうだけど、

それをも上回るほどの蒸し上がったお野菜たちの美味さが炸裂しているので、

私は言わせないの!

鈴木杏樹さんばりにモリモリ食べ野菜!って私が先に言うから

こんなに身近に幸せがあって良かったのかしら?

いや今までどんだけ不幸だったんだよ!って言う意味では全くないけれど、

大事ことなのでこれはここでまた何度も言いたいんだけど

蒸したタマネギはまるで食べるオニオンスープやー!ってこと。

たぶん、

私はそこそこ自炊やって来た手間味噌自慢しているわけじゃないけれど、

それがひっくり返るぐらいの

簡単さに美味しさに食べ応え強さ」と

私のお粥研究テーマでもある「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」にも匹敵するぐらいなの!

ただ切って食材を蒸し網に乗せるだけ。

今まで自炊やってきた私の膝が崩れ落ちそうだわ。

こ、こんなにも蒸し蒸すだけで超絶なんでも美味しくなっちゃうなんて!

恐ろしいことにこれが失敗していない

打席初球ホームランだってことも恐ろしいわ。

だって自炊適当に何か作ったとき

まぐれで奇跡的に超絶美味しいのができるけど、

調味料とか目分量なので再現出来ないじゃない!?

あの味が自分再現できないのよ!

自分でですら。

だけど、

蒸し料理食材を乗せてだいたいの食材の量とか固さとかで蒸す時間は5の倍数という秋山仁先生ビックリするような定理

私の何もかもがひっくり返っちゃうぐらいの事件なのよ!

ふふふ!

今度は私はサーモンに挑戦する、

いわば蒸し界隈のラスボス級の食材に挑戦しようと思っているの!

サーモン蒸したら絶対美味しいしかなくない?

そしてキノコも一緒に蒸せば、

たぶんまた1回の表初打席初球ホームラン間違いないのは今から想像するに容易すぎるわ。

私のサーモンチャレンジもお見逃しなく!って言いたいところよ。

タマネギ1玉でこんなにションテン爆上がりするんだから

サーモンでやったらたぶん大変なことになるかもしれない!

でも過信してはいけないの!

蒸しがあまりにも簡単で手軽だからって自分の蒸しレヴェルと蒸しパワーを過信しないようにしたいわ。

ションテンが爆上がりしていることをサーモンに悟られずに

蒸しサーモンやってみるつもり!

から晩ご飯のことを考えるとワクワクするわ!

うふふ。


今日朝ご飯

昨日買って食べるのをすっかり忘れていた納豆巻き!

今朝に持ち越し朝ご飯に!

まりタマネギの美味しさに全てを忘れていたわ!

でもこうやって朝ご飯に大好きな納豆巻きを食べられるダブルでの幸せ

今日は良いことあるに間違いないに決まってるわ!

デトックスウォーター

ホッツ白湯ストレートウォーラーに、

って思ったけど思い出したかのようにまたルイボスティーティーパックがあることを忘れてしまいそうだったから、

ホッツルイボスティーウォーラーしました。

今日ちょっとだけ早起きしたので、

慌てちゃったけど

落ち着いて1日を過ごしたいわね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2026-01-21

anond:20260121100822

全員が全員全部しっかりマスターする必要はないとは思うけどね。

生きていく上でほとんどの人は「社会」が必要から、そこに出る準備としての最低限ができれば。

そのためには受け入れる社会側も変わらないと。

無為学歴求めたりして、成長を歪めていると思うよ。

2026-01-13

雪国なんかにまれたくなかった

俺が毎日雪かき無為に過ごしている時間を非雪国の住人は有意義に過ごせているんでしょ?

不公平すぎないか

2026-01-10

さよならホワイト餃子

から焼き餃子が好物だった。大好物ではない、好物である。「好きな食べ物は?」の質問に回答として浮かばないが、それはそれとして好んでよく食べている。

ホワイト餃子というものがある。何がホワイトなのかよく知らない(今これを書くに当たって調べたら白さんに教わったかららしい)。普通餃子だって白いじゃんと思いつつも、丸い包み方や一部のファンの声が気になっていた。

そして今日映画を見に行くついでの散歩(往復20km)の途中でホワイト餃子店舗がある事に気づいた。今か?今なのか?

13時少し前、店内は8割ほど席が埋まっていたが待たずに入店・着席。メニューを見て迷う。餃子は米ナシで食べることが出来るタイプではあるが、汁物が付いた12豚汁セットにする。豚汁って言っても写真説明書きを見る限り普通ネギ味噌汁豚肉が入っているだけっぽい。豚汁好きとしてはここは残念。

やや待って配膳。ホワイト餃子とは言うが比較的丸い形の餃子の半分は焼き後でこげ茶色になっておりホワイト感には乏しい。なんなら普通餃子のほうが盛り付け面の上下によってはホワイト度が高い。

酢1 醤油 0.3 ラー油 0.3の個人的黄金比でタレを準備し付けて食べる。

うーーーーん??厚めの皮、これはいい。標準が一番好みではあるが薄皮も厚手も同じく好きではある。餡は…これどうなんだ?肉汁感には欠けややもっちゃりしている。野菜の主張も弱くてコレだという強みを感じない。そして形状が丸いのでタレとの絡みもよくない。餡の塩味が強ければ問題ないがあまり味の主張の強くない餡に厚手の皮なのでタレ無しでは味気ない。

ホワイト餃子を知ってはいるが食べたことのない状態はもう失われ戻ってこない。今あるのはこの微妙な味の体験のみ。モッチリしてそう・包子のように肉汁たっぷりそう・片面の焼目が強いかパリッとしてそう…そんな無為想像ももうできないのだ。さよなら想像の中のホワイト餃子。セットの豚汁は1.5cm x 3cm x 1mmぐらいの豚肉が1枚だけしか入って無くてコレで豚汁名乗るのか…ってなりました。

現代タイ思考が滑稽なのは、それを追求した結果が推し活という愚の自己放尿だから

現代タイ思考というのは、時間という希少資源を最適配分するという顔をした、自己放尿の言い訳装置にすぎない。

連中はまず「無駄を省け」「最短距離で満足せよ」と唱える。ここまでは経済合理性言語に見える。

しかし、その合理性がどこに向かうのかを最後まで追跡すると、到達点は知的生産でも技能獲得でもなく、推し活という偶像崇拝だ。

効率化の果てが、他者設計した商品感情委託し、反射的に消費する行為であるなら、それは合理化ではなく退行である

タイ思考の中核には、評価関数貧困がある。連中は「早い」「楽」「すぐ気持ちいい」を最大化し、それ以外をノイズとして捨てる。

その結果、時間節約されるが、目的劣化する。長期的な学習、失敗を含む試行抽象化のための停滞といった、人間の知性が必然的要求するプロセスは、タイパの名のもとに切り捨てられ自己放尿する。

切り捨てた空白に何が入るかと言えば、即時的な感情報酬だ。推し活はその解として供給される。難易度ゼロ責任ゼロ、可逆性ゼロ快楽。ここで連中は満足する。いや、満足しているつもりになる。

だが、この構造自己放尿している。時間節約するために選んだ行為が、時間を溶かす装置として機能するからだ。

配信を追い、反応を追い、更新を待つ。主体は常に受動で、次の刺激を待つだけの存在になる。自分課題定義せず、他人成果物感情同調させるだけの生活が、どうして「タイパが良い」と言えるのか。

これは効率化ではない。自己評価関数放棄した結果としての自己放尿である自分で考えることをやめ、脳内の余剰をその場で垂れ流す行為に、どんな価値があるというのか。

連中は時間節約したいのではない。判断回避したいだけだ。何を学ぶか、何に賭けるか、どの失敗を引き受けるか。その選択の重さから逃げるために、タイパという言葉を盾にする。

そして逃げ切った先で、推しという安全装置感情を預ける。そこにはリスクがない代わりに、成長もない。残るのは、消費したという事実と、次の消費を待つ空虚だけだ。

本来時間効率とは手段であって目的ではない。目的が貧弱なら、いくら効率を上げても結果は貧弱になる。

連中はこの単純な因果直視しない。直視しないから、推し活を「癒やし」だの「生きがい」だのと美化する。

しかしそれは、問題設定を放棄した人間が、自分無為正当化するために貼ったラベルにすぎない。ラベルを剥がせば、中身は依存と習慣化と条件反射自己放尿だ。

まりタイ思考が滑稽なのは、連中が時間節約した果てに、最も他律的快楽に辿り着くからである

合理性を掲げながら、最終的に選んだのが思考外注であり、感情レンタルであり、自己放尿の連続であるなら、その思想最初から破綻している。

時間をどう使うか以前に、何のために生きるかを定義できない者に、効率を語る資格はない。

連中がまず捨てるべき無駄は、推しではなく、タイパという名の自己放尿そのものだ。

2026-01-07

ありがとうAudible

およそ4年間で3500時間ほど聞いたAudibleを解約、アプリも削除した。

一冊が大体7〜12時間と考えると、300〜500冊ほど読んだ(聴いた)ことになる。

Audibleは心の癒しだった。

 

まだ小学校低学年と幼稚園の子どもを抱え、妻は育児で疲れ、基本的家事は私の担当だ。

仕事から帰りがてら業務スーパーに寄り、手頃な食材を買い、帰宅すると家族の話を聞きながら、座る暇もなく料理をする。

料理は30ー40分で終わる、簡単ものを目指す。

この間に長女の宿題もチェックする。

食事中はゆっくり過ごすが、終わったらすぐ洗い物をし、そのまま子ども風呂に入る。

子どもたちの明日の用意を確認し、可能なら簡単掃除をする。そして寝かしつけをする。

そうしているうちに、1112時になっている。

 

そこからウーバーイーツに行く。

子どもの目が覚めてしまい、私と離れたくないとぐずっていても、ここは心を鬼にしなければならない。

ここが一番辛いところだ。

 

片耳で、Audible聴く

もちろん違反行為なのは知っているが、これから3時まで働く上で、無音は耐えられない。

無音は嫌いだった。

電車に揺られるだけの通勤中。

家事で、妻も子どもが別のことをしている時。

そしてウーバーイーツ。

それらは無音で、死んだ時間だった。

頭だけが空っぽになり、将来のことや借金ことなど、悩んでも仕方のない事ばかり考えてしまう。

 

そんな無為なことを考えてしまう頭に、物語を詰め込んでくれたのがAudibleだった。

Audibleを使う前、読書とは不安のない学生が行える、特権階級の娯楽なのだと思っていた。

学生時代は読書好きだった私が、家庭を持った後はほとんど本が読めなくなったためだ。

たとえ時間があっても、考えることの多い立場では、頭がざわついて読書に集中できない。

特に私は400万もの借金を抱えていたから、尚更そうだった。

元々Audibleについては否定的だったが、少しでも無為時間有意義ものに変えたくて、気まぐれで使ってみたのがきっかけだ。

最初の一冊は微妙だったと思う。

耳が慣れず、物語の把握に苦労して何度も巻き戻した。

しかしそのうち「どうせ何もできない時間だったものが、こうして読書に使えるのだから、多少読み飛ばしても良いだろう」と開き直るようになると、

不思議とより細かく、詳細に内容が把握できるようになった。

 

だんだんAudibleの特徴も分かってきた。

登場人物が多すぎたり、中国の歴史物など、音だけでは漢字名が想像しにくいものは除外するようになった。

またナレーターが下手なら切る。逆に上手ければ原作評価微妙でも聞いてみるなど、Audible特性理解していき、徐々にAudibleを本の代用品としてではなく、Audibleのものとして楽しむようになった。

しかった。

 

死んだ時間だった、退屈な作業が、家事が、ウーバーイーツが、極上の物語を聴ける場へと変わった。

日中浮遊感が続く、あの心地良い読了感をまた味わえるとは思わなかった。

 

しかしここ最近は、めっきりAudibleを聴かなくなった。

色々な幸運が重なり、借金がなくなり収入も増えた。ウーバーイーツも引退できた。

お金のことについて悩むことがなくなり、逆にお金を使って更に次の一手を考えられるようになった。

家族食事に出かけたり、買い物に行くことが楽しくなった。

すると生活のものが楽しくなった。

頭は常に、これからどうやって更に収入を増やすべきかとか、元々の趣味だった歴史なんかの話だったりとか、そういうもをぐるぐる考えるようになった。

通勤中や家事の間、からっぽになった頭の中は、そういうことでいっぱいになり、もうAudibleが与えてくれる物語必要としなくなっていた。

からAudibleを解約した。

 

Audibleと、物語を書いてくれた作者、そこに命を吹き込んでくれたナレーターの方々には感謝しかない。

誇張ではなく、なければ病んでいただろう。

ただ耐えるだけの年月に寄り添い、間違いなく、文字通り支えてくれたのだ。

ありがとう。本当にありがとう

2025-12-11

今日の日曜プログラミング

Powershell死す

最高のアプリが作れてご満悦だったので、Windowsテーマ対応に手を出してみた

Powershellではできないだと……?

よくよく聞くとPowerShellスクリプト + WPF/XAML実装可能と教えてもらったので、Claude Sonnet 4.5にコンバートをお願いした(死因)

UI崩壊テーマ対応とか論外

天は荒れ狂い、地は燃え盛る

何もかもぶっ壊れて死亡。何度修正を試みても何1つ効果なく無為な1時間が経過

UIを1から作り直し

冷静に考えるとシンプルアプリなんだからUIだけ新しく作ってそこにデータ機能を載せればいいやんかと気づく

やったら5分でテーマ対応終了

何だったんだこの時間

コーディングは全部AI任せだけど色々と勘所が掴めて学びにはなったが……

2025-12-08

anond:20251208133212

2024年12月政権崩壊を受けてロシア亡命したシリアアサド前大統領について、ロシアはあらゆる情報を秘匿している。ただ、一部のメディアは、アサド氏がモスクワに所有する複数の豪邸に家族親族らと滞在し、オンラインゲームに没頭するなど無為生活を送っていると伝えている。

2025-12-04

証明者――父と私、そして「存在しなかった」ものたち

春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。

彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。

この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。

水に沈むラジコン

私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。

完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。

彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。

防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。

子どもの反応をおもちゃのように弄ぶのが好きな男だった。

後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。

謝罪というより、恥辱の表明だった。何も伝わってこなかった。

この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。

父は幼い子ども特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。

しかし、子ども自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。

彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想依存し続けた。

春の朝暴力と、秋の出向

春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。

冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。

彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。

時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。

当時はリストラ時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。

青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。

不思議ものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。

だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。

二万円のパソコンと、当時としては画期的低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。

そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。

そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。

「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。

暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。

網戸と算数問題集クラシック音楽

網戸の掃除の一件は、彼の人生の縮図のように思える。

自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的プロセスを、彼は常に他者に投げた。

その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。

一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数問題集を持ってきてやる」。

アホかと思った。旅行という非日常空間に、日常課題を持ち込む。

彼の頭の中には、私という人間感情欲望存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。

別の日、彼はテレビクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。

ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。

だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分情緒体験の延長」として召喚する許可状になった。

ゴルフ指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。

彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。

指導者としての自分」に酔いしれる感覚のものだった。

水泳でも「それいけ!」とプール中に響く大声を出した。

それは私のためというより、自分自身の熱狂演出するパフォーマンスだった。

「胸がいっぱいです」と、存在しない相手の家

母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。

その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。

私は意外だった。ふつう結婚式来賓を労うものだと思うからだ。

だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。

その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。

母も父と「同じ」だった。私の感情意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。

母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。

私は、父方の「支配幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステム交差点に生まれ落ちた。

からこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。

高校生背中と、親戚への言いつけ

高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽暴力への反撃だ。

だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。

彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親暴力をふるった」と言いふらした。

そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。

会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。

家庭という密室では通用たこ手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会から排除されていった。

死の間際の「息子、息子」

父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。

なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。

彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙たこの私ではなかった。

彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想幼児」だった。私は、その幻想体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。

「生まれてこさせてもらって感謝」という問いの空虚

世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。

まれる前の「私」に、生まれることの恩恵不利益もない。問い自体意味をなさない。

父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。

だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。

本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。

彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから感謝」を求めること自体が、服従要求に感じられる。

私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。

社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間価値がなくなるわけではない。

逆に、それができたからといって、その人が他者尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。

理想化された対象と、網戸のパーツ

から私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分理想女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。

対価を払い、時間区切り無辜他者を傷つけずに、自分幻想と向き合うことができるのだから

彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分幻想支配欲の捌け口にした。

網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任他者押し付けた。

私は彼の「人生証明者」である

彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いか他者尊重せず、いか自己幻想依存し、いかにして孤立排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。

同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。

網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。

彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。

彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期とき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。

証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン春の朝グラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話

青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実能動的に関わろうとする、かすかな手応え。

子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。

私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明なのだ

この証明書に刻まれ文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。

だが、それが私という人間の、否定しがたい一部であることも、また事実である

私は、彼らの「不在」の証明であることと引き換えに、少なくとも自分自身の「存在」の証人ではあり続ける。

2025-12-01

究極的ミニマリズム

長年にわたる思考は、ついに一つの冷徹結論へと収斂した。

究極的ミニマリズムは、単なる物理的な断捨離や、禁欲的な生活の切り詰めとは、本質的次元が異なる。

それは、俺の精神領域侵食し、思考の純度を低下させる、ありとあらゆる非自己データノイズ自己放尿を、外科的な精度で排除する精神最適化技術である

具体的には、社会が恒常的に垂れ流す過剰な期待、他者無責任押し付けてくる不条理常識、そして何よりも、自己脳内蔓延不要不安や妄念といった精神的な自己放尿を、容赦なく断ち切る行為に他ならない。

心の断捨離などという生ぬるい慰めではなく、不要情報パッケージ発見した瞬間に、迷いなく切り落とす無慈悲な切除手術こそが、その核心である

かつては「どうでもいい」という思考停止が、不要な刺激に対する最初の鎮静剤だった。

続く「社会への完全なる諦め」は、その鎮静期間を経て、社会という茶番劇から意識的距離を置くための、準備段階に過ぎない。

そして、今回到達した極地とは、世界ノイズ総量を限りなくゼロ収束させ、生命維持に必要な最低限の思考コアだけを残すという、システム量化である

世の中には、承認欲求という名の自己放尿を撒き散らし、その飛沫を他者に浴びせることでしか自己存在証明できない人々が横行している。

さらに、嫉妬劣等感というダブル放尿を振りまき、他者精神的に引きずり降ろそうとする輩まで跋扈している。

こうした無価値エンティティに関わることは、俺の脳のメモリを不意味に消費させ、思考CPU無駄割り込み処理で酷使し、結果として人生スループットをただ低下させる致命的なオーバーヘッドである

ゆえに俺は、連中をメインプロセスに読み込む価値のない一時ファイル定義し、問答無用でその存在削除対象とすることを決断した。

この行為は、感情を切り捨てる冷酷さではない。むしろ自身本質的感情と、集中すべき人生目標を優先的に保護するために、外部から流れ込む不要自己放尿を厳密にフィルタリングする、高次の自己防衛機構である

社会評価、見栄、世間体、そして普通はこうするべきといった根拠不明の標準仕様、これら全ては、俺自身のメインプロセスに読み込むに値しない、取るに足らない自己放尿データである

価値基準を外部に委ねることを完全に停止した時、人間は初めて、真の自由というOSを起動させる。

他者失言、不機嫌、あるいは攻撃的な言動といった予測不可能な外部入力自己放尿に対し、もはや感情的なバッファを割く必要はなくなる。

社会の失態や制度不条理を目の当たりにしても、無為感情を乱されることはない。

しろ世界がどれだけ無秩序暴走しようとも、俺はその中心で完全なる無風状態を維持し続けることができる。

これは逃避や諦念ではなく、自身精神領域を最大限に最適化した結果として得られる、硬質な静謐である

究極的ミニマリズムとは、世界喧騒を徹底的に切り捨てた後に残る、硬質で静かな思考の中核そのものである

期待も怒りもなく、ただ淡々と、自分という存在OSを最高効率アップデートし続けるだけの生活。余計なもの排除し、必要ものを保存する。

俺の結論は揺るがない。

究極的ミニマリズムとは、精神の最終的な軽量化であり、社会がどれほど騒ごうが、他人いか自己放尿を撒き散らそうが、その全てが、俺自身人生コンテクストにおいては無意味であるという、冷徹事実けがかに残る境地である

2025-11-20

毒にも薬にもならない話題提供発言した気になるな

会社会議での愚痴

自分上司で、思いつきで適当に喋ってない?って人が居て困る。

とりあえず聞いてみると、「それどっちでも良くない?今考える必要ある?」みたいな内容ばかりなのやめて欲しい。

流石にまともに聞いてるといい気になって延々話し続けるので、最近は適度に聞き流すようにしている。

最初のうちは、なんか上司が言うことだし裏に意図があるんだろうな...? と聞いていたが、最近そんなものないと分かった。

ただ何かそれっぽいことを言ってバリューを出した気になっているだけで、本人は特に責任をとって意思決定を進める気はない。

とりあえず外野からちょっかいをかけて、さもやってます感を出しているだけだ。

特にアウトプットも出さず、うろうろ遠回りしたうえで無為時間を消費するだけの会議

半年位経ってもろくに進んでいない。ただ思いつきを喋って終わり。何の時間だ。

2025-11-02

今年も残すとろこ2ヶ月なわけだが

君たちは今年もまた一年無為に過ごしたようだね

2025-10-27

anond:20251027174304

「悩みが何にもないこと」を理想だと考えているのが誤謬だ。 

 

悩めていること(解決可能問題であること)が、既に理想形だ。

下層には、悩みとかじゃなくて、絶望無為がある。

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