はてなキーワード: 政府批判とは
表現の法規制は、一度導入されると対象が拡大する傾向がある。 これは歴史的に繰り返し確認されてきた事実である。
この構造を理解せずに「嫌いな表現だけ規制してほしい」と主張することは、自らの首を絞める行為になりうる。
以上の諸問題を貫くのは、「自分(たち)の表現・欲望・不快感は正当であり、他者のそれは不当である」という非対称的な自己正当化の構造である。
| 自陣営の行為 | 自己正当化の論理 | 他陣営の同種の行為に対する態度 |
| 未成年キャラのR-18 BL | 「フィクションだから問題ない」 | 「ロリコンは犯罪予備軍」 |
| 男性キャラの性的客体化 | 「女性の手によるものだから搾取ではない」 | 「女性キャラの性的客体化は性差別」 |
| 実在男性のRPS | 「愛情表現の一形態」 | 「実在女性の性的画像は性的暴力」 |
| コミュニティ内の嫌がらせ | 「自浄作用」「マナー違反への指摘」 | 「男オタクのハラスメント文化」 |
この表が示すのは、同一の行為を自陣営と他陣営で正反対に評価するダブルスタンダードである。
本稿で検討した問題群は、いずれも「自分の欲望に対する無自覚と、他者の欲望に対する不寛容」という同じ根から生えている。腐女子文化には豊かな創造性と共同体的な連帯があり、それ自体は文化的に価値のあるものである。しかし、その内部に存在する暴力性・排他性・ダブルスタンダードを直視しなければ、自らが攻撃してきた「不寛容な社会」の鏡像になるだけである。
そして何より、性的表現の法規制という刃は、一度抜けば自分にも向かう。この認識なくして表現規制を軽々しく求めることは、腐女子文化を含むオタク文化全体の存立基盤を自ら掘り崩す行為であることを、すべての当事者が理解すべきである。
結論から言おう。これは単なる失態ではない。これは典型的な自己放尿だ。
しかも繰り返し発生する、制度的・認知的失敗としての自己放尿である。
俺は市場の自由という分散的情報処理メカニズムを無視し、他人の行動に対して規範的干渉を行った。
その瞬間、価格シグナルを踏みにじり、主観的価値理論を否認し、機会費用の概念を忘却した。これを自己放尿と呼ばずして何と呼ぶのか。
市場とは、個々の主体が持つ断片的かつローカルな知識を、価格というシンプルな信号に圧縮して交換する装置である。
ここで重要なのは、誰一人として全体像を把握していないという事実だ。にもかかわらず、俺は他人の選択に「それは非効率だ」「それは間違っている」と口出しした。
これは、情報の非対称性を理解していない証拠であり、同時に自分が持ち得ない知識を持っていると錯覚する致命的なハイエク的傲慢だ。つまり、自己放尿である。
さらに悪いことに、俺は暗黙のうちに厚生経済学的な改善を気取った。
だが、パレート改善の定義すら厳密に満たしていない介入は、単なる価値判断の押し付けに過ぎない。
外部性の存在を証明もせず、取引費用の構造も分析せず、ただ感情で他人の行動にケチをつけた。
この時点で、俺は価格理論の基礎を放棄している。主観的効用を観察可能なものと誤認し、序数的選好を基数的に扱うという、初歩的誤謬の連鎖だ。
第一に、個人は自らの効用最大化に関して最良の判断者であるという前提。
第二に、競争市場はインセンティブと情報の整合性を通じて資源配分を調整するという理解。
第三に、理論は現実の説明力によって評価されるべきであり、道徳的直観ではない。
俺はこれらすべてを踏み外した。自分の直観を市場の上位に置いた瞬間、自らの無知を露呈したのだ。
もっと冷酷に言えば、俺の行為は他人の効用関数に対する侵略だ。
市場における交換は自発的であり、双方が主観的に利益を得ると判断したから成立する。
そこに第三者として割り込み、「その選択は間違いだ」と断ずることは、観察不可能な内部効用を外部から否定する暴力に等しい。
ここに合理性はない。あるのは、誤った優越感と、理論なき規範の押し付けだけだ。つまり、自己放尿である。
なぜなら政府は強制力を持ち、非自発的交換を制度化する主体だからだ。
租税、規制、補助金、いずれも価格メカニズムを歪め、インセンティブ構造を変形させる。
ここでの批判は、個人の選択を尊重するためのもの、すなわち市場秩序を防衛するための理論的帰結である。
政府介入は往々にして意図せざる結果を生み、公共選択論が示す通り、政治主体もまた自己利益最大化を行う。
したがって政府批判は、自己放尿ではない。むしろ自己放尿の予防接種である。
だが俺は、その本来向けるべき批判の矛先を誤った。政府ではなく、個人に向けたのだ。
強制力を持たない主体に対して規範的攻撃を行い、強制力を持つ主体への分析を怠った。
この転倒こそが、認知的資源の誤配分であり、思考における非効率性そのものだ。俺は市場の分散的合理性を攻撃し、中央集権的判断の幻想にすがった。
俺の誤りは一つに収束する。自分の知識の限界を過小評価し、他者の知識の価値を過小評価したことだ。
市場はそのギャップを埋める制度であり、価格はその翻訳装置である。
それを無視した瞬間、分析者ではなく、単なる干渉者に堕した。そして干渉者は、ほぼ例外なく自己放尿する。
次にインセンティブを見ろ。
それができないなら、口を閉じろ。でなければ、また自己放尿するだけだ。
この件で俺がうっすら失望を禁じ得ないのは、あれだけ反自民で政府批判を繰り返し、政府は無策、政府は無能、自民党議員はやめろ、総理辞めろって騒ぎまくってたやつらが、今回の件では「政府に頼れないから自分で何とかするしかない!」とならずに黙ったまま政府を信頼して自分じゃ備蓄や疎開の計画すら立ててないこと。
政府は貴重なガソリン備蓄を補助金出してまですさまじい勢いで放出してるんだぜ?それも、解決の目途が立った後でならいいんだけど、目途がない状態で見切りで備蓄減らしまくってるわけ。
こんなありえない判断をする政府に対して、何も危機感を覚えないどころか、このエネルギー危機、プラスチック危機、燃料危機は政府や日本社会の誰かが何とかしてくれる、自分は今まで通りの生活をおとなしく続けていればよい、こういう判断をする、ってことは、これまでの反自民や政府批判も心からそう思ってたんじゃなくて、飲み屋で管巻いてるおじさんおばさんが文化祭みたいなノリでデモとか反基地運動してたってことだろ?
こいつらファッション左翼だったんだ、政府を批判しながら心の底では結局はなんとかしてくれる存在なんだ、って普段から思ってたんだ、って。
人にはネトウヨだ、ファシストだ、レッテルを張りまくっておきながらさ、自分はファッション左翼でしかなくて、政府を心から信頼しきってるんだぜ?なにこれ?ネトウヨと何が違うのこれ
セルフ・サービング・バイアス: 特集記事がヒットすれば「編集部の洞察力の勝利」、部数が減れば「国民のリテラシー低下」のせいにする。
行為者-観察者バイアス: 自社の誤報は「情報源の混乱」という状況のせいにし、政治家の言い間違いは「隠れた本音」という性格のせいにする。
透明性の錯覚: スタジオの「お通夜状態」な空気感が、日本中のリビングに共有されていると確信する。
基本的な帰属のエラー: 行政のミスをシステムの欠陥ではなく、担当大臣の「冷酷なキャラクター」に帰結させる。
バーナム効果: 「格差社会に不安を持つあなたへ」という、全人類共通の悩みを自分たちだけの専売特許のように語る。
ハロー効果: 著名なノーベル賞学者が専門外の憲法論を語っても、あたかも「絶対的真理」であるかのようにトップニュースで扱う。
外集団同質性効果: ネット上で批判してくる人々を、一人一人の背景を見ず「冷笑系」という一言で片づける。
内集団バイアス: 自社主催のイベントや、思想の近いNGOの活動は、宣伝に近いレベルで手厚く報じる。
楽観性バイアス: 「これほど正義を訴えている我々が、視聴者に完全に見捨てられるはずがない」という根拠なき自信。
知識の呪縛: 官僚用語や左派系専門用語を多用し、一般市民が理解できないのは「勉強不足」だと切り捨てる。
平均以上効果: 「我々報道局員は、SNSの有象無象よりも公正で、正確で、知的な存在だ」と内面で信じ切る。
第三者効果: 「一般人は週刊誌のゴシップに流されるが、我々インテリ層は本質を見抜いている」と傲慢に構える。
ダニング=クルーガー効果: 社会部記者が、数日の取材で「防衛政策のすべてを理解した」つもりになり、専門家を論破しようとする。
貢献度の過大視: 「我々が連日報じたからこそ、この法案は修正された」と、実際には無関係な要因まで自社の手柄にする。
ナイーブ・リアリズム: 「我々の編集方針こそが『中立』であり、これに異を唱える者はすべて右翼的偏向である」という信念。
ナイーブ・シニシズム: 政府の子供家庭庁創設を、子供のためではなく「天下り先確保だ」と最初から悪意を前提に分析する。
スポットライト効果: 番組内の一言への批判ツイートが数件あっただけで、「全国的な不買運動が起きる」と過剰に怯える。
フォールス・コンセンサス: スタジオのコメンテーター全員が同じ意見なのに「これが国民の総意です」と締めくくる。
被害者非難: (リベラル的正義に反する場合)不法滞在で摘発された者を支援する際、法を守る側の住民を「不寛容だ」と責める。
敵意的メディア認知: 公共放送が少しでも政府統計を肯定的に報じると、「放送法違反の政権広報だ」と牙を剥く。
システム正当化: 部数減少に喘いでも「紙の新聞こそが知の砦」という、自分たちの既存システムを絶対視する。
ステレオタイプ: 「若者は政治に無関心で、利己的な消費しかしない」という前提で企画を立てる。
アンビバレント・ステレオタイプ: 専業主婦を「家庭を守る尊い存在だが、社会的には無力(好ましいが無能)」とテンプレート化する。
ピグマリオン効果: 「庶民派」とレッテルを貼った野党候補者が、期待通りに食堂でカレーを食べるシーンを熱心に撮る。
予言の自己成就: 「今年の冬は電力不足になる」と煽ることで買いだめや過度な節電を招き、経済を停滞させる。
非対称な洞察の錯覚: 「我々は権力者の嘘を見抜いているが、権力者は我々のジャーナリズムの深淵を分かっていない」。
モラル・ライセンシング: 「平和憲法を守る」という大義名分があるから、反対派への強引な街頭インタビューも許される。
権威バイアス: 「ノーベル賞受賞者」のコメントを、政治・経済・人生相談すべての領域で「正解」として採用する。
文脈効果: 与党の減税は「選挙対策」、野党の減税案は「国民への寄り添い」というテロップを出す。
利用可能性ヒューリスティック: 街で起きた一例のヘイトスピーチを連日報じ、「日本中に差別が蔓延している」と印象づける。
アンカリング: 最初に「100兆円の無駄」という巨額の数字を提示し、その後の微細な予算修正を無意味に感じさせる。
現状維持バイアス: デジタル化による合理化よりも、「手書きの取材メモと紙の編集」という伝統に固執する。
フレーミング効果: 「成功率90%の医療改革」を、「10%が失敗する危険な改革」と報じて不安を煽る。
確証バイアス: 「地球温暖化で冬がなくなる」という仮説に合う、局地的な猛暑ニュースだけを収集する。
真実性の錯覚: 「アベノミクスは失敗だった」と全番組で毎日繰り返すことで、検証なしにそれを「真実」として定着させる。
計画錯誤: 新番組の準備期間を短く見積もり、結局過去の映像の使い回しで番組を構成する。
代表性ヒューリスティック: 「眼鏡をかけた大人しい青年」が事件を起こすと、すぐに「アニメやゲームの影響」と決めつける。
基準率の無視: 副反応の確率が極めて低いワクチンに対し、一件の重症例だけを大きく報じて「危険な薬」と断じる。
利用可能性カスケード: 一人の芸能人の不倫を全メディアが追うことで、それが国家存亡の危機より重要な問題だという空気を醸成する。
シミュレーション・ヒューリスティック: 「もしあの時、別の政権だったら」という、あり得たかもしれない理想をリアリティを持って語る。
サンプルサイズの無視: 渋谷の若者3人へのインタビューだけで「今の若者はこう考えている」と結論づける。
保有効果: 自分たちの「新聞記者」という肩書きの社会的価値を、世間一般の評価よりも遥かに高く見積もる。
ギャンブラー錯誤: 「これだけ政権批判を続けたのだから、次は必ず支持率が下がるはずだ」と期待する。
不作為バイアス: 改革によるリスクを報じて「何もしないこと(不作為)」を推奨し、社会の停滞を正当化する。
インパクト・バイアス: 「この法案が通れば日本は終わりだ」と、将来の不幸を過大に予言する。
回帰の誤謬: 経済が自然に持ち直しただけなのに、「我々の批判報道で政府が動いた結果だ」と解釈する。
正常性バイアス: 若者のテレビ離れが致命的なレベルに達しても「まだうちはブランドがあるから大丈夫」と平然とする。
曖昧さ回避: 複雑で結論の出ない議論を避け、「どちらが悪いか」がはっきりした単純な二項対立のニュースを好む。
サンクコスト効果: 視聴率の取れない老舗討論番組を、「伝統があるから」と赤字を出しながら継続する。
現在志向バイアス: 10年後のメディアのあり方を考えるより、明日の朝のワイドショーのネタ選びを優先する。
損失回避: 「新しい自由」を得ることのメリットより、「古い特権」を失うことの恐怖を強調して報じる。
誤帰属: 取材対象への個人的な好意を、「国民的な人気」だと勘違いして報じる。
コントロールの錯覚: 街頭アンケートの結果を操作的な質問で誘導し、世論を自分たちがコントロールしていると感じる。
バックファイア効果: 「偏向報道だ」という視聴者の声に対し、反省するどころか「表現の自由への弾圧だ」と反発し、さらに偏向を強める。
バンドワゴン効果: 「今、このスイーツが大流行!」と捏造に近い流行を作り出し、行列を演出する。
おとり効果: 極端な右派の意見を「おとり」として紹介し、自分たちの偏った意見を「中立で妥当なもの」に見せる。
合理化: 誤報を出した後、「あれは権力への警鐘として必要なプロセスだった」と後付けで正当化する。
対比効果: 非常に高圧的な政治家を映した後に、穏やかに話す野党議員を映すことで、後者を聖人のように見せる。
デフォルト効果: 記者クラブから提供されたレクチャー資料を、そのまま記事の構成(デフォルト)として採用する。
ホーソン効果: カメラが入っている時だけ、熱心に活動する政治家の姿を「日常の風景」として映す。
連言錯誤: 「環境活動家」よりも「環境活動家で、かつベジタリアンで、政府を批判している女性」の方が、いかにも存在しそうだと報じる。
フォーカシング・イリュージョン: 「消費税さえ上がらなければ、国民は幸せになれる」と、一点の要素を強調しすぎる。
機能的固着: スマートフォンを「SNSによる分断の道具」としてしか見られず、新しい民主主義の可能性を無視する。
身元のわかる犠牲者効果: 震災の数万人の犠牲者数よりも、一匹の「飼い主を待つ犬」の物語に番組の半分を割く。
区別バイアス: A案とB案の微差を「決定的な思想の違い」として、必要以上に激しく対立させる。
信念バイアス: どんなに論理的な経済学者の意見でも、それが「増税容認」であれば、最初から間違っていると断じる。
妥当性の錯覚: 取材で得た数人の「いい話」を、日本社会全体の妥当な姿だと確信する。
リスク補償: 放送倫理規定が厳しくなると、逆に「倫理の範囲内なら何をしてもいい」と過激な演出に走る。
偽薬効果: 「この薬(政策)は毒だ」と報じ続けることで、実際に国民に心理的な不調(ノセボ効果)を引き起こす。
単純接触効果: 特定のタレントを毎日ワイドショーに出すことで、視聴者に無意識の親近感を抱かせ、選挙で有利にする。
確実性効果: 99%成功する未来の投資より、100%維持される現在の少額の年金を死守するよう高齢者を煽る。
ゼロサム・バイアス: 「富裕層が儲けることは、貧困層から奪うことだ」という構図で、常に経済を語る。
単位バイアス: 「1日あたりわずか100円の負担増」という表現を、政府批判の際は「年間3万6千円もの重税」と言い換える。
ナンセンスな数式効果: 内容はスカスカでも、画面に複雑な「シミュレーションのグラフ」を出すことで、情報の信憑性を演出する。
心理的リアクタンス: 政府が「国民の皆さん、協力してください」と言うと、反射的に「自由への侵害だ」と反発を煽る。
選択肢過多効果: 複雑な年金プランをすべて紹介し、「結局どれも分かりにくい、政府が悪い」と結論づける。
希少性バイアス: 「独自入手」「スクープ」というラベルを貼り、他社が報じないような瑣末な情報を重要視させる。
イケア効果: 苦労して1年かけた調査報道が、実はネットの二番煎じであっても、自分たちの苦労ゆえに「最高傑作」と呼ぶ。
オーストリッチ効果: 自社の部数激減や、若者の新聞離れを示すデータが出ても、それを見なかったことにして「紙の未来」を語る。
メンタル・アカウンティング: 「復興予算」なら1兆円の無駄を許すが、「議員の出張費」の1万円の無駄は執拗に叩く。
虚記憶: 「昭和の日本は、誰もが隣人を助け合う理想郷だった」という、実在しなかった記憶をノスタルジーとして捏造する。
気分一致効果: 政権支持率が落ちている時期は、街の風景まで暗く見えるようなカメラワークにする。
事後情報効果: 事件の翌日に出た憶測情報を、さも「事件当夜から知っていた」かのように上書きして解説する。
一貫性バイアス: かつて自分たちが賛成していた政策でも、今は反対なら「我々は昔から一貫して反対していた」と思い込む。
バラ色の回顧: 「昔のテレビはもっと自由で、活気があった」と、当時の不祥事や低俗さを忘れて美化する。
ツァイガルニック効果: 結論の出ないスキャンダルを「疑惑は深まった」と未完のまま引き伸ばし、視聴者の関心を繋ぎ止める。
後知恵バイアス: 災害が起きた後、「我々は以前からこの危険性を指摘していた(実際は一行触れただけ)」と主張する。
イマジネーション膨張: 「もし核戦争が起きたら」という空想を繰り返すうちに、明日にもそれが起きるかのような恐怖に支配される。
有名性効果: 昔の名前が売れているだけの政治家を、「重鎮」として重要局面で必ずコメントを求める。
ピーク・エンドの法則: 2時間の特別番組が退屈でも、最後の5分で感動的な音楽とポエムを流せば「名番組」だったと記憶される。
ネガティビティ・バイアス: 99人が幸福でも、1人の不満の声を「社会の断末魔」としてトップで報じる。
錯誤相関: 「サンマが獲れないのは地球温暖化のせいだ(実際は海流や漁獲規制の問題)」と、何でも環境問題に結びつける。
レミニセンス・バンプ: 編集幹部が青春を過ごした「1970年代の学生運動」の価値観を、現代のニュースの判断基準にし続ける。
ラベリング効果: 「改革派」とラベルを貼った市長が、強権的な手法をとっても「スピード感ある決断」と好意的に解釈する。
自己関連付け効果: 自社が過去に関わった事件や裁判を、あたかも日本史の最重要転換点であるかのように毎年特集する。
皮肉なリバウンド効果: 「特定の政党を利してはいけない」と意識するあまり、逆にその政党のネガティブな話題ばかりが頭に浮かび、報じてしまう。
圧縮効果: 10年前の自民党の不祥事を、まるで昨日のことのように持ち出して「体質は変わっていない」と攻める。
グーグル効果: 「ネットで調べれば済む」情報をニュースで流し、記者が自ら現場で一次情報を確認する足腰を失う。
国民の口をふさぎ全体主義への道を開く道具の一つとなりかねない法案への懸念を「だせぇ」と思ってしまうやつの残念さ、浅はかさよ。
自ら豚肉になりに行く豚とでも言うべきか。
「君が代」だって、日教組のセンコーがイキリ顔で不起立とかやってるのウザいよね
言ってる側がおじいちゃんって丸わかりなの
でね
なにせ、それを主張するだけで特別になれる
同士からちやほやされ、有象無象の愚民とは違うんだと承認欲求を満足させられる
政府批判で国旗を燃やすって時点で、もうそこらの市民と感覚が違うのよ
普通の人は高市氏を批判することは日本を批判する事じゃないわけ
でもそこの区別がつかない人らは、安倍批判とか高市批判で国旗を燃やしちゃう
んで、まさにそこを狙い打った法律に戦々恐々とガクブルしちゃって
「国旗を燃やして逮捕とか、こんなことが許されていいのか?」とか言うんだけど
多くの国民は「いんじゃね?」ってなもんよ
「君が代」だって、日教組のセンコーがイキリ顔で不起立とかやってるのウザいよね
言ってる側がおじいちゃんって丸わかりなの
でね
なにせ、それを主張するだけで特別になれる
同士からちやほやされ、有象無象の愚民とは違うんだと承認欲求を満足させられる
政府批判で国旗を燃やすって時点で、もうそこらの市民と感覚が違うのよ
普通の人は高市氏を批判することは日本を批判する事じゃないわけ
でもそこの区別がつかない人らは、安倍批判とか高市批判で国旗を燃やしちゃう
んで、まさにそこを狙い打った法律に戦々恐々とガクブルしちゃって
「国旗を燃やして逮捕とか、こんなことが許されていいのか?」とか言うんだけど
多くの国民は「いんじゃね?」ってなもんよ
テレビで「政局のために足を引っ張るな」とか「国益のために結束しろ」みたいなコメント、あれってわりと最近の流れだな。
昔のテレビは、基本は「権力監視」「政府批判こそメディアの役割」みたいな空気が強くて、外交も「煽るな、慎重に」ってスタンスが主流だったっぽい。だから「国益を理由に質問するな」みたいなことをテレビで言う人って少なかった。
でも2010年代後半くらいから空気がけっこう変わってきて、中国・北朝鮮の軍事不安、SNSで強硬な意見が可視化され、「テレビは反権力すぎる」という風潮が出てきた。
こういうのが重なった結果、テレビ側もそっちに寄り始めて、「国益を損ねるような政局批判はやめろ」「中国に弱気な態度見せると危ないだろ」みたいな意見が増えてきた。山里さんのコメントも、その延長線って感じ。
強めの安全保障論を語る人たちの語り口がここ数年で一般化してきたと。
SNSの空気(メディア批判、対中強硬)がテレビにも流れ込んでるとか、中国への警戒感が世論レベルでめちゃ強くなってるとか、「国益」「経済報復」とかの生活につながるワードはテレビで扱いやすいみたいな事情もあるだろうな。
アメリカだと、FOXみたいな右派は「国益の邪魔をするな」路線が強くて、MSNBC みたいなリベラルは真逆。この手の話は向こうだと普通で、常に真っ二つみたいな。日本のテレビが右派寄りの論調を少しずつ取り入れた…という見方もできる。
ヨーロッパはまた違って、政府に質問するのは民主主義の前提みたいな考え方だから、「質問するな」みたいな言い方はあんまり好まれない。英国BBCみたいに例外が出た時期もあったりするっぽいが。
アメリカ的に「常に真っ二つ」の日本になるのか、時代の流れとしてメディアが右派寄りのポジションを取るのか。
今のところ一気に流れていくことは無さそうではあるが。
要はアフリカはこれから伸びるからアフリカとのパイプを繋いでおいたほうがいいし中国とかとの競争にも負ける、などと(俺から見た)知識層は軒並みエックスでのJICAアンチ層を阿呆だと見做しているようだ。
そして(俺から見た)いつもの扇動されやすいダチョウのような低能階級の層はこぞって胸をなでおろしつつJICAと政府批判をし移民はんたーいと叫んでいる。
それを観測している俺としてはどっちの言い分も分かるが、バカそうな連中が残念がり、リベラルエリート(リベラルっていう意味じゃなくて、能力があってどこでも通用するようなエリートって意味だよ)層がその愚かさに嘆くポストをしているのでどちらが正しいのか分からない。