はてなキーワード: 差別語とは
こんばんわ
久しぶり、弱者男性です。
随分むかし、妹に「モテないのにプライド持たない方がいいよ?」と言われて傷ついた人です。
今では「女だったら誰でもいい」と思ってて実際に口にするほどの極限までプライド捨ててるのに、パートナーは一向に現れる気配がないぞ。
別に処女じゃなくて全然いいし、オッパイどころか体型にもこだわらず、性格も気にしない。清楚・・・は差別語っぽいか(今はもう)、自己主張が弱くても逆に我が強いタイプでも全く構わない。
門戸はガバガバに開いてる。
・・・なのに彼女どころか、女友達さえできないんだよなぁ。とほほ。
なぁ。
モテなくて辛くても。
学生時代は平気だったから後回しにしてたモテなさが、大人になって返済できなくなってきても。
男としての渇きが、どれほど苦しくても。
自分が生きるために。
差別語にはカッコつけちゃってぇ…😢
「エムポックス クレード1」と聞いてグレード1かと思ってしまった。ウイルス毒性とか感染力とか総合的な危険度とかで等級をつけているのかと。最強のグレードが出たのか、あるいはここからグレード2,3とパワーアップしていくのかと。
ググると「クレード」は系統樹の一つの枝の意味で、同祖の一群ということだ。
じゃあ新型コロナで聞いた「株」「変異株」と何が違うのか?生物全般に言うかどうかの違いはあるが、この場合指し示している内容は同じに見えるので使い分けの理由がわからない。
そもそも「変異型」の意味で「変異株」というのもなんかちょっと変だ。
デルタ株とかオミクロン株とかいう言い方もよくわからない。同株由来のデルタ型、オミクロン型なのでは?
「Mpox」は「monkeypox」の(おそらく)ニュートラルな略称だったが “誤解を生じさせないように” とWHOがMpoxの方をメイン呼称にするよう推奨し、本邦の感染症法上の名称もそれに準じるかたちでサル痘からエムポックスに変更した。
monkeypoxはサルから見つかったpox virusが起こす病気である。
poxという単語は漢字の「痘」とイコールである。痘は読んで字のごとく、豆粒みたいな水疱がたくさんできる病気/症状だ。
天然痘はsmall poxである。天然痘の何が天然なのか?は定かではないが、おおもとは天から降ったような謎の災厄っぷりに由来するようだ。
ところで新型コロナウイルスのことを最初は武漢ウイルスとか呼んでいた。WHOがCOVID−19という名称を出すとそれが正式ということになり、武漢を冠するのはなんかいけないことのようになった。
そもそものそもそもはナイル熱とかエボラ出血熱、日本脳炎みたいに、疾病名として初発地や流行地の地名を冠する呼び方はふつうになされていた。
しかし差別や風評被害等を惹起する可能性があり、またおそらくは学術的な正確性や意義が乏しいということで、地名をウォッシュした命名法をWHOが採用するようになった。
それはWHOが公式名称としてそれを採用するというだけのことであり、「病気や病原体の名前に地名を冠してはならない」という決まりが制定されたのではない。
「こびどないん…」が言いにくいから武漢ウイルスと通称するのも、中国政府の隠蔽体質に告発の意図を込めてそう呼ぶのも、別にめいめい勝手次第である。
「チャイナ」を「シナ」と呼ぶのは差別だ!という話と似ている。もともとシナは差別語ではない。ジャパン/ハポンと同じだ。でも「そう呼ぶのが差別だと言うなら、そう呼んでやろうじゃないか。俺は中国人を差別したいんだ」というものも出てくる。そんな意図は何もなく歴史的文脈で歴史的呼称を用いただけなのに害意ありと見なされることもある。
他人の言葉づかいをコントロールしたければ公明正大な議論と丁寧な合意形成が必要なはずだが、そこをまるごとすっとばしがちなのがポリコレの危ないところだ。
あんまり多く語られてないが、初期のゴールデンカムイは明らかに「山賊ダイアリー」とかのジビエブームの流れに乗っていた。
公式切り抜きがネットのミームになったり、そういうところから徐々に認知度が上がっていった作品だ。
今では評価が固まり過ぎて「多様性が」とか「歴史評価が」とか、批評的にお利口な語り口でばかりその魅力が語られるが、実際に初期から連載とその人気拡大を追っていると、ゴールデンカムイにはそれだけでない多様なフックと、それをタイミングよく引っ掛けるそれこそ漁師の神業がふんだんに見られた。
ゴールデンカムイの受容(需要)の変遷をまとめることによって、長期連載漫画が当たるためにどれだけ多くの仕掛とチャンスを要するのか、改めて考えてみたい。
2014年8月、連載始まる。 増田はこの頃はまだ読んでいない。
1話ははっきり言って、刺さる人には刺さるのかも知れないが、古臭い冒険ものの空気しか感じられない。
「露助」と差別語を使う戦争帰りの主人公。囚人を殺して皮を剥ぐ猟奇趣味。まだ頭身の高い美少女のアシリパ。
一部のネクラには受けても、一般には忌避される湿っぽいダークさが作品を包む。
キャラクターも、薄汚い囚人たちに、死をも恐れぬ兵隊、そのトップの怪人中尉と、マイナーさは否めない。
しかし、連載数話目から、この漫画にはちょっとだけ流行の要素が入ってくる。「ジビエ」である。
当時は「山賊ダイアリー(2011〜2016)などの猟師ものが密かにブームを迎えていた。
あるいは、同時期(2011〜2019)のメジャー作品として荒川弘の「銀の匙」など、「命をいただく」をテーマにした漫画も人気を博していた。
ゴールデンカムイはこの流れに乗って、「冒険をしながら猟師生活を見せる」というストーリー構成で注目を集めていくことになる。
ニコニコ静画のタイムスタンプによると、ゴールデンカムイの公式切り抜き漫画「アシ(リ)パごはん」第一回が掲載されたのは、2015年1月となっている。
初回は「リス」。可愛らしいリスの皮を剥き、ミンチにしていく様子がコミカルに描かれるシーンを作中から数ページ切り抜いて公開した公式の切り抜き漫画である。
これが、受けた。
チタタプ、オソマ、ルイベなど、アイヌ語の食べ物の名前が広く知られるようになり、アシリパがアザラシをしとめるシーンなど、コミカルなカットがネットミームにもなる。
しかしこの頃もまだ、一般受けする漫画とは言い難かっただろう。なにせ「山賊ダイアリー」のような、「命をいただく」テーマ自体が重すぎる、マイナーメジャーのものだ。キャラクターも男臭い変態だらけで「ホモソ受け」という感じは強く、牛山も女を武器にする卑劣漢だった。(このマンガがすごい! 2016 オトコ編 2位、マンガ大賞 2016 大賞)
増田自身、この頃作品を知り、アシリパごはんは面白く読んでいたが、金塊探しというメインストーリーにはまったく興味が持てず、長いこと本編は読まずじまいだった。
10巻頃まではこの漫画はこういった男向けの要素だけで進んでいく。変態的な囚人、覚悟を決めた簡単に死ぬ兵隊、「命を食らう」生活感。
しかし、ここにきて大確変要素が加わる。プリンス鯉登、心に闇を抱えた尾形などの、圧倒的に乙女受けなキャラクターやエピソードが増えたのだ。
彼らのシーンを見た瞬間に、増田は「あッ、これはジョジョみたいに腐女子アンテナにひっかかるゾ」と確信した。
今となっては当たりも当たり。SNSで「ゴールデンカムイ」を検索すれば9割女性向け同人イラストという現状への変動がこの瞬間に確定したのである。
そして本作はこの勢いを掴んだまままさに滝を遡る鯉のごとく大作へと変貌を遂げていく。
シリーズ前半のクライマックスとも言える網走監獄編を見事なテンションで描ききった本作は、アニメ化(2018)、手塚治虫文化賞 マンガ大賞(2018)、大英博物館の特別展においてキービジュアルを飾る(2019)など、大躍進を遂げる。
アニメシリーズは海外配信も好評で、海外にもファン層を広げる。
大英博物館の展示では、「女性を表している点。(中略)アイヌという少数民族の文化を描いている点」など「ダイバーシテイの理念を体現する作品になっている」を評価されキービジュアルに選ばれたとされる。
「多様性」や「文化歴史描写」に優れた名作という評価は、この段階で確立された。
網走監獄編で大きな波をひとつ越えたあと、人によっては中だるみと言われる樺太編に入る。
すでに確立された名声を揺るがすような劣化も見られないが、特に新しい要素が受けたわけでもないので話題は少なくなる。
このあたりで増えた要素と言えば谷垣を中心に多用される「ホモギャグ」である。
増田の受け止め方としては、「文化的な名作」扱いに対する作者の反発と言うか、何かヤケクソなものを感じる。
宇佐美の「◯◯探偵」に至っては常軌を逸しているというか、ここだけをもってして「文化的な作品」として他人に勧めることは出来ないだろうと思う。
しかしこれもある意味で時代は掴んでいるのかも知れない。一部のラディカルフェミニストを中心に、この過剰な下ネタが「セクハラのミラーリング」として全面肯定される現象も見られた。ほとんどの人には、ホモソーシャルの笑いの延長にしか見えないと思うが。
清濁合わせのみ毀誉褒貶を越え、本作は2022年に連載終了を迎える。
作品としては大団円だったものの「文化的」という名声を得すぎた故の重箱の隅をつつくような批判が最終回のいくつかの描写につけられた。
単行本化に際してそのうちのいくつかは修正され、うるさ方もそれで納得したのか、今では「文化的」で「多様性」を表現した、歴史に残るすばらしい名作という評価がほぼ揺るぎないものになったように思われる。
しかしその8年にも渡る連載期間を省みれば、このようにさまざまなフックと変化で客を掴み、興味を維持し続けてきた結果のことなのであって、ただ「綺麗な作品」(と思う人もまあいないとは思うが)を描いたから評価されたというような単純な話ではないのだということは覚えておきたい。
トラバもブコメもだけど、「自分の趣味にあった部分」だけが評価の対象じゃないと許せないって思考回路のやつ、キツいわ。
「血なまぐさい男受けだけじゃ同人受けや海外受けまで広がらなかったよね」ってことが書いてあるのわからん? 日本語わからん?
根本的にこの文章で書いてあることが何かということが理解できてないと思うので、自分が機能的非識字だと認識した方が良いよ。
クライマックス付近の無料公開で認知を広げたのは書いといても良かったなとは自分でも思った。
昔からニコニコも5chもはてブロも全部男のもので、女であることがバレると今までの生活では聞いたことのない言葉で口汚く罵られることが常だった
ネットの歴史的に女への罵倒語は多くあれど男への罵倒語ってかなり少ないように思う
初めて男に「効く」罵倒語が出来ちゃったんだと思う
だからこそ今一部の人たちが「チー牛は差別用語だ」なんて騒いでるんだなと思う 女には今まで平気でもっと酷い言葉を向けてるのにね
自分は食べ物にキモい男を重ね合わせることが嫌だからチー牛って言葉は使わないけど、それはSNSに全部鍵をかけてキモい男に攻撃されてないから言わないだけで、攻撃されたら言ってしまうんだろうなと思う そういうキモい男ってチー牛が効くと思うから