はてなキーワード: 山間とは
もともとは某インフルエンサー主催のコミュニティにて仲が良かったメンバーが始めたもので、コミュニティが立ち上がった当初は、みんなできゃっきゃきゃっきゃ言いながら、いろいろなことを書き込んでいた。某インフルエンサーのコミュニティにて我々の「派閥」は排除のような扱いを受けていた(嫌われていた)こともあってか、最初は新しい地で自由を得たような気分だった。毎日がワクワクしていた。
ああ、世界史で習ったアフリカやらアメリカやらに未開のフロンティアを求めて冒険の旅に出たヨーロッパ人たちって、こういう気分だったのかなって思う
コミュニティは評判になっていたようで、日を追うごとに人も増えていき、チャンネルによっては発言が活発になっていく場面も増えてきた。
「俺たち独立して成功じゃねえか?」とさえ思っていた。某インフルエンサーのコミュニティより、こっちの方が楽しいぞ?
人も発言も活発だし、俺たちを嫌ってくるやつはいねえし、毎日が楽しいぞ?と。
だが、楽しい期間はそんなに長くは続かなかったな。
その後、様々な問題が発生していった。まあ主には人間関係の問題である。
あいつが嫌い。あいつがむかつく。誰々が〇〇。わたしも御多分に漏れずその一人であった。誰かのある行動がとても嫌だったし、その反面嫌われてもいた(何なら、今も一部メンバーには嫌われている)
コミュニティである以上人間関係のトラブルはつきものである。そのたびにSlackベースでテキストチャットしか出来ない当コミュニティは荒れに荒れ、人が一人、また一人と抜けていく。
ごくごく稀に、既存メンバーの紹介で新しい人が入ってくれることがあっても、そのあまりの人間関係の閉鎖性とコンテンツの少なさに1週間もしないうちに籍だけを残して消えていく。そりゃそうだ、縁の薄い人から見れば、こんな山間の小さな限界集落に籍を置く理由はない。それよりは都会で遊んでいた方が楽しいに決まっている。
つい最近も「〇〇さんに子育てマウントを取られるのが嫌だ」という理由で離れてしまった友達がいた。その人はかなり長くコミュニティにいてくれた人だ。
明確な離脱を宣言してはいなかったが、おそらくはもう戻ってこないだろう。その後近況をLINEで聞いたが「コミュニティのみんなとチャットで交流していた時よりも、めちゃくちゃ元気!」と言っていてなんだか泣けてきた。
3年以上経った現在では、もう完全に良くも悪くも気心が知れてしまった古参メンバーたちの雑談スペースと化している。
私たちはSlackを使ってコミュニケーションを取っているが、ここがSlackではなくDiscordだったらなと思う時がある。別に会費を取っているわけでないので、Slackでも有料プランなんかは使えない。よってハドルミーティングは使えない。
音声通話が使えない。ゆえにすべてテキストチャットになる。テキストコミュニケーションの限界はみんなも知っているだろう。伝わるものが伝わらない。意図通りに伝わらない。コミュニケーションの齟齬が生まれて喧嘩に発展する。何度も見てきた。
これがもし音声なら、テキストコミュニケーションにて発生する齟齬も即座に音声のコミュニケーションを行うことで解決出来るし、荒らしが発生することもない。スレッドが汚されることも少ない。
音声を日常的に使えなかったのはとても悔しいし今となっては後悔が残る。このコミュニティでテキストコミュニケーションの限界を何度も見てきたからである。
わたしは、こんな仮想空間のコミュニティに1日数時間、それも数年以上も時間を費やしてきたのか。結果的に何を得たんだろうか。その時間があればもっと有意義なことができたのでは?(結婚、勉強など)と考えると気が狂いそうになることがある。これを題材にウシジマくん一本書けるんじゃねえか。バーチャルな世界。ガラスの向こう側の友達をずっと本当の友達と思い続けたとある男性の人生(タイトル:SNSくんとか)
この数年、毎日Slackを開いては、○○さんがむかつく。○○さんが正しい。お前の意見は間違っている。自分はこう思う。いやそれは違う。そんなことばかり繰り返してきた。感情が揺さぶられることばかりで、仕事中も休憩中もコミュニティのことばかり。気づけば時間ばかりが溶けて行った。その間に他のメンバーは家族が出来たり、子供が出来たり、収入があがったり、別の友人が出来ていたり、リアル世界にも友達が出来たり人生が進んでいく。人生進んでいないの自分だけ。
なんなんだよもう。スマホは人生を便利にしてくれるんじゃないのかよ。
オンラインの世界に身を投じて世界を広めるつもりが、知らないうちに籠の中の鳥になっていた気分です。
自分もこのコミュニティをやめようとは何度も試しているが、とても胸が苦しいんだ。やめると自分だけ世界から取り残されたような気持ちになってしまう。他のみんなは、どうせ自分たちの世界がある。家族もいて楽しくやっているんだろう?って。
でも自分は画面の中がすべてな所もある。つらい。
我が家の備蓄、災害対策について整理しがてら書く。身バレ防止に一部フェイクもまじえて。
食料……田畑、米は俵単位で保冷庫保存、倉庫にローリングストック多数(店が遠く来客多いので生協やコストコ等で買いだめしがちである)、鶏(毎朝卵5個ほど、可愛がっているのでつぶしたくはない)
エネルギー……太陽光発電、電気自動車、モバイルソーラーパネルとポタ電、薪数年分
衛生……風呂は主に太陽熱温水器、離れに薪風呂、トイレは合併浄化槽ゆえ管理必要、いざとなったら庭に作れるか?娘の生理用品ストックは増やした(妻は布ナプキン愛用者なのでその手段もあり。トイトレは遠い昔だが子どもたちは布オムツも併用した)。
洗剤は石鹸や重曹など、環境負荷が低く多用途のものを妻が工夫してくれている。消耗品もミツロウラップなどなるたけ使い捨てにならないものを選択。洗濯は手洗いは厳しいか?太陽光はこれに使用?
調理……プロパン、止まったら薪ストーブ、ピザ窯、かまど、バーベキュー台、ロケットストーブ、一応卓上コンロ
東日本大震災をきっかけに、自分たちの暮らしを少しでも消費から創造へシフトしたい、万が一の事態でも生き延びたいと地方移住し、ドシロウトが脱サラ就農して作ってきた我が家の暮らしだ。
当然収入は減ったが手応えのある愉快な日々を送っている。コロナ禍でも子どもたちが友達と野山で遊び、家ではアナログゲーム、映画鑑賞、読書とのびのびと過ごせたときは、つくづくこの環境がありがたかった。
もし資源輸入国のこの国において、政治の失策により原油もレアアースも輸入停止となっても、しばらくは不便なりに生きることはできるだろう。
作物については昨今の気候変動で不安要素も多いが、燃料や化成肥料がなくとも出荷はともかく、自分たちの食い扶持だけならどうにか確保できると踏んでいる。手植え手刈りはぞっとしないし、機械なしの脱穀、籾ずりは未経験だが昔はやれていたわけで、少量ならどうにかなるだろう。自家用精米器はある。
タンパク源が卵、大豆となるのが物足りない。海はやや遠いがたまに釣りに行くべきか。今からでも狩猟免許取得を検討すべきか?ジビエはさほど好まないのだが…。
しかし自家採取の種には限りがあるし、車や発電機の故障には対処できない。もとより自給自足で全てを賄えるわけはない。パスポートは全員所持しているが海外移住はハードルが高すぎる。移民への風当たりの強さを、今実感できない日本人はいるのか。加害者側として。
病気や怪我をしても、薬や石油製品の不足により病院では対応ができないとなってしまったら?家族全員今のところ健康だし、養生には努めてきたが、現代医療にしか救えない事態はあるに決まっている。
それが一番怖いし、何より俺が恐れているのは飢えた人々の醜い争いだ。
自分が、家族を守るために卑怯な嘘をつき、知り合いどころか友人までも裏切らざるをえなくなることだ。この危機感を共有しあえる友人や、日頃からお互い様でやってきた隣人たちとは共助していくにしても。自然と共に生きてきた高齢者の知恵に助けられることも増えるに違いない。
だが、日本のこの方向性を推し進めてきた自民、公明、維新、補完勢力である維新、国民、保守、参政を支持してきた有権者たち、変わらないからと棄権してきた者たちに、俺はこの貴重な生きる糧をニコニコ差し出す気になれるだろうか?
米の値段が高すぎるとこぼし農業は補助金漬けと嘲笑い、投資に血道を上げ、自給率より防衛力と嘯き、ガザには目もくれず大谷にうつつを抜かしていたお前らに?
農業を、親戚に言えない恥ずかしい仕事だと、子どもを公立に通わせることを虐待だと罵った(長子は塾なしで地方旧帝に合格したが)東京在住の親たちにすら、非常時には分け与えねばならないだろうことを考えると気が重くなる。だがそのころには既に物流も崩壊しているのかもしれない。
虫も土も触れられず、畑仕事も薪割りもできない老親を呼び寄せて養うしかないのだろうか?あちらも「不潔」な古民家になど住みたくもないだろうが。
なら混乱の中で野垂れ死ねと突き放すほど薄情になれるだろうか。子どもたちの前で。
夜は一緒に寝ている大型犬たちを、畑の見張りに出さなくてはならなくなるのかとまで妄想する(こいつらの餌も贅沢言えなくなるだろうが大丈夫だろうか…)。
俺は想像力過多だろうか?別に悲観的に思い悩んだり、パニックになったりはしていない。自然に頭に浮かび体が動くだけだ。
たしかにハヤカワSFやホラー/パニック映画にに触れすぎたきらいはある。週末は「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を家族で観に行く予定だ。今傍らで末っ子が下巻を読んでいる。
始まりは天災という違いはあれど、あの地球で起こると予想されたことははたして絵空事だろうか?
彼女の専攻は何だった?
大体みなフィクションだけでなく海外ニュースにも無関心すぎる。キューバを見ろ。まさに石油が断たれた国の惨状が、今目の前で繰り広げられているではないか。なんと酷い権力者の所業だろうか。
ここまで恥知らずの外道を平和主義者のトランプさんと持て囃した奴らは見ているか?こんな目に遭わされないようにあいつのケツを舐めろと言うのか?
もちろん俺だってあのときは考えすぎたなと笑いたいよ。全然それで、それこそがいいよ。
夏は久しぶりに家族旅行の計画を立てているんだ。やれやれ取り越し苦労で助かったと備蓄品の祝杯をあげよう。我が家の田舎暮らしは続いていくだけだ。
世界中の人がそうやって平凡でありきたりな日常を送れることこそが幸いだ。
だが万が一最悪の状況が訪れたなら。
不慮の事故や致死的な発病さえなければ…おそらく俺はあんたらより長く生き延びることができるだろう。
だが生きながら地獄を見たくはないのだ。阿鼻叫喚渦巻く中、扉を閉ざして自分たちだけ美味く飯を食い笑って暮らせると思うか?
今からでもできることをしてくれ。
ひっそりと備えを。
そしてどうか、こんな世の中は嫌だと声を上げてくれ。みな自分の生活で手一杯だろうが。そうして政治を語り合うことさえ忌避してきた結果がこれだ。原発事故さえ俺たちの目を覚まさせるには「十分ではなかったのだ」?
そんな冷笑を許すな。今。目を開けろ。これまでも虫ケラのように殺され世界に残酷に見捨てられる人々の苦しみは尽きなかった。目を逸らして踊っていた俺たちの横にもう現実が立っている。
ついに俺たちの番が来た。
いや弱い者から倒れていくのだ。
政府に、君らが担ぎ上げたサナに、アメリカの人殺しにけして加担するな、日本を窮地に陥れるなと抗議してくれ。
飛行機代は正直惜しいが(実家に泊まるのも憂鬱だがここに書いたような話を冷静にせねばなるまい)、3月25日の平和憲法を守るための緊急アクションにはどうにか行けたらと考えている。
近くに住み、時間の余裕がある人はどうか一員となってほしい。手ぶらでいい、意に沿わないならコールもしなくていい。突っ立ってるだけでいいのだ。ただ数となってくれ。
あなたがそこにいることは、このクソまみれの世界がどうか、ほんの少しでも、優しい美しい場所になってほしいという確かな祈りだ。
そう願う人たちと共に立つことはきっと少なからずあなたの心を安らかにするし、ごくわずかでも現実を動かすと信じて実際に動いたこと、生憎その願いがストレートに叶わなくとも、結局無惨に敗れ続けようが…その行動は0に近いかもしれないが、けして0ではない。
我が家の備蓄、災害対策について整理しがてら書く。身バレ防止に一部フェイクもまじえて。
食料……田畑、米は俵単位で保冷庫保存、倉庫にローリングストック多数(店が遠く来客多いので生協やコストコ等で買いだめしがちである)、鶏(毎朝卵5個ほど、可愛がっているのでつぶしたくはない)
エネルギー……太陽光発電、電気自動車、モバイルソーラーパネルとポタ電、薪数年分
衛生……風呂は主に太陽熱温水器、離れに薪風呂、トイレは合併浄化槽ゆえ管理必要、いざとなったら庭に作れるか?娘の生理用品ストックは増やした(妻は布ナプキン愛用者なのでその手段もあり。トイトレは遠い昔だが子どもたちは布オムツも併用した)。
洗剤は石鹸や重曹など、環境負荷が低く多用途のものを妻が工夫してくれている。消耗品もミツロウラップなどなるたけ使い捨てにならないものを選択。洗濯は手洗いは厳しいか?太陽光はこれに使用?
調理……プロパン、止まったら薪ストーブ、ピザ窯、かまど、バーベキュー台、ロケットストーブ、一応卓上コンロ
東日本大震災をきっかけに、自分たちの暮らしを少しでも消費から創造へシフトしたい、万が一の事態でも生き延びたいと地方移住し、ドシロウトが脱サラ就農して作ってきた我が家の暮らしだ。
当然収入は減ったが手応えのある愉快な日々を送っている。コロナ禍でも子どもたちが友達と野山で遊び、家ではアナログゲーム、映画鑑賞、読書とのびのびと過ごせたときは、つくづくこの環境がありがたかった。
もし資源輸入国のこの国において、政治の失策により原油もレアアースも輸入停止となっても、しばらくは不便なりに生きることはできるだろう。
作物については昨今の気候変動で不安要素も多いが、燃料や化成肥料がなくとも出荷はともかく、自分たちの食い扶持だけならどうにか確保できると踏んでいる。手植え手刈りはぞっとしないし、機械なしの脱穀、籾ずりは未経験だが昔はやれていたわけで、少量ならどうにかなるだろう。自家用精米器はある。
タンパク源が卵、大豆となるのが物足りない。海はやや遠いがたまに釣りに行くべきか。今からでも狩猟免許取得を検討すべきか?ジビエはさほど好まないのだが…。
しかし自家採取の種には限りがあるし、車や発電機の故障には対処できない。もとより自給自足で全てを賄えるわけはない。パスポートは全員所持しているが海外移住はハードルが高すぎる。移民への風当たりの強さを、今実感できない日本人はいるのか。加害者側として。
病気や怪我をしても、薬や石油製品の不足により病院では対応ができないとなってしまったら?家族全員今のところ健康だし、養生には努めてきたが、現代医療にしか救えない事態はあるに決まっている。
それが一番怖いし、何より俺が恐れているのは飢えた人々の醜い争いだ。
自分が、家族を守るために卑怯な嘘をつき、知り合いどころか友人までも裏切らざるをえなくなることだ。この危機感を共有しあえる友人や、日頃からお互い様でやってきた隣人たちとは共助していくにしても。自然と共に生きてきた高齢者の知恵に助けられることも増えるに違いない。
だが、日本のこの方向性を推し進めてきた自民、公明、維新、補完勢力である維新、国民、保守、参政を支持してきた有権者たち、変わらないからと棄権してきた者たちに、俺はこの貴重な生きる糧をニコニコ差し出す気になれるだろうか?
米の値段が高すぎるとこぼし農業は補助金漬けと嘲笑い、投資に血道を上げ、自給率より防衛力と嘯き、ガザには目もくれず大谷にうつつを抜かしていたお前らに?
農業を、親戚に言えない恥ずかしい仕事だと、子どもを公立に通わせることを虐待だと罵った(長子は塾なしで地方旧帝に合格したが)東京在住の親たちにすら、非常時には分け与えねばならないだろうことを考えると気が重くなる。だがそのころには既に物流も崩壊しているのかもしれない。
虫も土も触れられず、畑仕事も薪割りもできない老親を呼び寄せて養うしかないのだろうか?あちらも「不潔」な古民家になど住みたくもないだろうが。
なら混乱の中で野垂れ死ねと突き放すほど薄情になれるだろうか。子どもたちの前で。
夜は一緒に寝ている大型犬たちを、畑の見張りに出さなくてはならなくなるのかとまで妄想する(こいつらの餌も贅沢言えなくなるだろうが大丈夫だろうか…)。
俺は想像力過多だろうか?別に悲観的に思い悩んだり、パニックになったりはしていない。自然に頭に浮かび体が動くだけだ。
たしかにハヤカワSFやホラー/パニック映画にに触れすぎたきらいはある。週末は「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を家族で観に行く予定だ。今傍らで末っ子が下巻を読んでいる。
始まりは天災という違いはあれど、あの地球で起こると予想されたことははたして絵空事だろうか?
彼女の専攻は何だった?
大体みなフィクションだけでなく海外ニュースにも無関心すぎる。キューバを見ろ。まさに石油が断たれた国の惨状が、今目の前で繰り広げられているではないか。なんと酷い権力者の所業だろうか。
ここまで恥知らずの外道を平和主義者のトランプさんと持て囃した奴らは見ているか?こんな目に遭わされないようにあいつのケツを舐めろと言うのか?
もちろん俺だってあのときは考えすぎたなと笑いたいよ。全然それで、それこそがいいよ。
夏は久しぶりに家族旅行の計画を立てているんだ。やれやれ取り越し苦労で助かったと備蓄品の祝杯をあげよう。我が家の田舎暮らしは続いていくだけだ。
世界中の人がそうやって平凡でありきたりな日常を送れることこそが幸いだ。
だが万が一最悪の状況が訪れたなら。
不慮の事故や致死的な発病さえなければ…おそらく俺はあんたらより長く生き延びることができるだろう。
だが生きながら地獄を見たくはないのだ。阿鼻叫喚渦巻く中、扉を閉ざして自分たちだけ美味く飯を食い笑って暮らせると思うか?
今からでもできることをしてくれ。
ひっそりと備えを。
そしてどうか、こんな世の中は嫌だと声を上げてくれ。みな自分の生活で手一杯だろうが。そうして政治を語り合うことさえ忌避してきた結果がこれだ。原発事故さえ俺たちの目を覚まさせるには「十分ではなかったのだ」?
そんな冷笑を許すな。今。目を開けろ。これまでも虫ケラのように殺され世界に残酷に見捨てられる人々の苦しみは尽きなかった。目を逸らして踊っていた俺たちの横にもう現実が立っている。
ついに俺たちの番が来た。
いや弱い者から倒れていくのだ。
政府に、君らが担ぎ上げたサナに、アメリカの人殺しにけして加担するな、日本を窮地に陥れるなと抗議してくれ。
飛行機代は正直惜しいが(実家に泊まるのも憂鬱だがここに書いたような話を冷静にせねばなるまい)、3月25日の国会前アクションにはどうにか行けたらと考えている。
近くに住み、時間の余裕がある人はどうか一員となってほしい。手ぶらでいい、意に沿わないならコールもしなくていい。突っ立ってるだけでいいのだ。ただ数となってくれ。
あなたがそこにいることは、このクソまみれの世界がどうか、ほんの少しでも、優しい美しい場所になってほしいという確かな祈りだ。
そう願う人たちと共に立つことはきっと少なからずあなたの心を安らかにするし、ごくわずかでも現実を動かすと信じて実際に動いたこと、生憎その願いがストレートに叶わなくとも、結局無惨に敗れ続けようが…その行動は0に近いかもしれないが、けして0ではない。
ワイの所はかなり前に下水道が整備されていた。水源地助成金という交付金があって、それで作られた模様。時期的には全国的にも相当に早かった。まだ都市部でも未整備の所もあるころに作られた。
ただ、当時既に過疎化が始まっており、また山間部のほんの少しだけまとまった中心部と、あとは山谷を超えて集落が点在しているという立地である。
その間をパイプでつないで下水を集めると言うのは、金の無駄であるという意見はあったものの、当時は、と言うべきか、当時からと言うべきかわからんが、こういう下水道システムにしか国が補助金を出さなかった。
下水道行政はパイプでつないで下水を流すことを前提にしていて、各家に浄化槽や合併処理浄化槽を設置すると言うことには補助がなかったのである。
そのため、地元の負担としては潤沢な補助金を受け取って、それで作る方が安く、下水道を整備したということだったようだ。
で、時はたって下水道が負担になってきた。維持費がかり、将来大幅な値上げは不可避の状況、トラブルも増えていった。そして、下水処理場とポンプ場の大規模改修の時期が来て、纏まった金が必要になった。
水源地に対する助成金とか、地方交付税とか、そういったものをうまく使うと更新は不可能ではなかったようだ。しかしそれは単なる延命であったし、高齢化率がヤバイ事になっているこの地域において、その選択肢を採ることの意味があると言えば、ほぼない。
そこで、行政がとった手段は、中心部(と言ってもそんなに多くない)のみ、ポンプ場があったとこに小規模の処理施設で更新しごく僅かに共同化、それ以外は合併処理浄化槽を設置することに変更した。
合併処理浄化槽化する部分には、行政がしっかりと補助金を出して、利用者の負担は事実上ゼロに抑えらた。
これにより、完全に下水道で更新する場合に比べ、総費用としては数億円の節約と、将来の維持費も年数百万円ぐらい節約できた模様。各戸の維持費もそんなにかかってない。
ただ、地元自治体の自己負担という点では、国の助成金をもらって更新する場合に比べ、少し多くなってしまったというのが議会議員の談である。
設備の撤去はあまり進んでいないので、今後は国の補助金を得て撤去を進めていく物と思われる。
下水道の話題の中に、そう言う過疎地では水道はどうなっているのかという話題があったのでついでに触れる。
一応の中心部だけにしか元々水道が存在しない。しかもその水道は外の大きな町とは繋がっていなくて独立している。上水道より下水道のサービスエリアの方が広いのである。
また、その僅かな上水道も、取水は大きな井戸が掘ってあり、そこで綺麗な水が取水している。従って、ほとんど浄化設備がないような本当に簡易な設備だけである。
離れた家は、そもそもが湧水であったり、井戸を持っているのが当たり前なので(というか、昔からの家なので、水が取れる場所に家を建てたのだ)
この話ね
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA241500U6A220C2000000/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUA241500U6A220C2000000/
ちょっと思い出した。
110番通報をしたんだけど、いくら説得しても耳を貸してもらえなかった。
本人は助けてって言ってるからロープ買って来て戻って来たけど、腹減って体力がないって。
危ないなあどうしようかなあって思ってたけど、とりあえず木の天辺に捕まってもらって椅子に座って抱っこして山を降りて行った。
麓で降ろしたけどめっちゃ男っぽく切れてるからもしかして脳梗塞かなと思って強引に病院に連れて行ったが脳梗塞は見つからなかった。
明日結婚式だって言うから新郎に正直に話した方がいいって言ったら、「もう山登りはしないって言ったろ、結婚は取りやめだ。」って言われてた。
多分、山に登っては捜索隊が出るの繰り返しで迷惑かけ続けたんだろう。半分自殺志願者かも。
家まで送っていくことにしたけど、腹減ってるって言うから途中のコンビニでおにぎり買うよう勧めた。
おにぎり選んだところで「家に帰ればご飯ができてる」って言うから、手に取ったおにぎりは僕が買うことにした。
家についたらすぐ女性が出てきて「ご飯炊けてなかったおにぎり頂戴。」って。
電子レンジ持ってるか聞いたら持ってないって。「ビタミンが壊れる」って。
コンビニに戻ってあっためさせてもらった。
観劇とかあまりしたことないなと思って、1月に『十五少年・少女漂流記』を見に行ったよ
平田オリザという岸田國士戯曲賞をとった人が、田舎に移住してたじま児童劇団というのをやっているらしい
とりあえずなにか劇を見ようと思って調べて見つけた情報がそれだったので、行ってみることにしたんだ
兵庫県豊岡市にある江原駅には新大阪からこうのとりという特急電車で2時間半くらいかかった
あんまり何も調べずに出かけたものだから、関西の地理にも交通事情にも明るくなくて、移動時間の長さにも目的地には電車だと全席指定のこうのとりでしか行けないことにも驚きだった
夜走る電車の窓の外は暗く、山の間を走って進むものだから、街灯りもほとんどない
変わらない暗闇の中に急に白く堆積した雪が見えたときは震えたよ
あまり雪の降らない地域の人間だから、都市部を離れたら雪が積もっていて、身動きができなくなる可能性があるなんてことを考えていなかったんだ
すぐに翌日の天気を調べたら晴れで安心した
江原駅に着いた頃には腹がペコペコだったんだけど、ガンピー穀物倉庫という謎のスーパーは営業時間のはずだけど既に閉まっていた
デイリーポータルZでよくやってる旅先のスーパーで総菜買って食うみたいなやつをやりたかったけどできなくなった
地元の小さな居酒屋くらいしか開いていなくて、そこで牛丼と野菜炒めを食べた
こんなアウェイで飯バクバク食う井之頭五郎はメンタル強すぎるだろとか考えていた
その後、ビジネスホテルで一泊
翌朝、チェックアウトして、開演するまですることないなと思ったら、喫茶店が開いていた
なぜに駅前にコンビニもないところで、モーニングが食えるのだろう
人がバター塗ってくれて、焼いてくれたパンとベーコンエッグはとても美味しいし、よい朝だなとか思っちまう効果がある
昨日、開いていなかったガンピーに行ったら、穀物倉庫と言うだけあって、穀物類、パスタ類、スパイス類、オリーブオイル等が充実していたよ
他に、あんぽ柿とか、せこがにとか、ハタハタとか、串に刺さった焼きキスとか地のものがならんでいた
あらすじとしては、玄武洞でキャンプしていた中高生が洞窟に入ったら、異世界の孤島にワープしちゃって、これ脱出できるの?って感じのはじまりだよ
ちょっと未来の話だから、漂流したなかに少女型のアンドロイドがいて、彼女は知識面でみんなをサポートするけど、自分の意思はないというのが話のミソの一つになっていた
演技上手かったよ、正直全員何も気になるところが無く、ハキハキしすぎた感もなく、自然だった
『演劇I』と『演劇Ⅱ』という平田オリザの演劇を扱ったドキュメンタリーをU-NEXTで見たことがあって、そこで平田オリザは自身の劇団に秒刻みで指示していて、会話中に別の会話を他の組にさせるという手法を使っていた
中高生たちも普通に2組以上同時に会話していたよ、そんなんできるんやと思ったよ
正直、大人が書いた本で子供が劇をするって、縛りが大きいのではと予想していた
暴力描写や性描写を子供自ら書いた本ではなく、大人が書いた本で劇団という狭いコミュニティでやるのって避けるんじゃないかなとか、明確に悪役となる子供が出てくることあるのか?とか思っていた
暴力描写も性描写もなく、悪役となる子供はおらず、なんなら全員かなりの量のセリフが分配されたような話なのに面白かったよ
1時間くらいの短い話だから、ストーリーの詳しい言及はやめとくか
公演終わったあと、廊下に出たらさっきまで演劇していた子らが観客や知り合いとキャッキャと話していて驚いたよ
日本政府の日本人洗脳。なぜ「郵貯 → 財政投融資モデル」は秀逸だったか。
英語話者:Post Office じゃねえな。ただものじゃねえ。
```
↓
↓
```
つまり
---
一方、郵便局は:
まで存在。
```
↓
全国から吸収
↓
国家規模で再配分
```
これは開発途上国では極めて困難な仕組みです。
---
## ■ ③ 長期資金を確保できた
結果:
```
```
---
## ■ ④ 国内循環型だった
```
↓
↓
国内企業受注
↓
雇用増加
↓
給与増加
↓
再び貯金
```
---
を同時に実現しました。
---
# ■ 実はこれを作れた国はほぼ存在しない
成立条件が非常に特殊です。
### 必須条件
これが同時成立した例は極めて少ないです。
---
# ■ ではなぜ現在は弱体化したのか
## ● 成長前提モデルだった
```
人口増加
給与上昇
若年層増加
```
が前提でした。
現在は逆です。
---
昔:
```
インフラ整備
= 生産性向上
```
現在:
```
= 成長効果が弱い
```
---
現在:
```
↓
海外株
```
---
このモデルは:
```
```
に分類されます。
代表例:
---
この制度は
```
```
でしたが、
```
```
とは別物です。
---
昔:
```
```
今:
```
```
---
# ■ 歴史的評価まとめ
```
```
諏訪湖は令和になって1度も「御神渡り」が出てないし、山中湖などの山間部にある湖も、昔はスケートが出来るくらい分厚く結氷していたが、近年はほぼ結氷しなくなった
昭和の頃は温水で家事やることはなかったから生活排水は冷たい状態だったし、湖近辺にスーパー銭湯の類も無かった
今は冬季はぬるま湯で家事やるし、スーパー銭湯なんか湖の近くに複数あったりするから、湖に流れ込む水の温度が昔と比べてかなり上がっている。5℃以上上がったところもある
諏訪湖は昭和の頃は1月の平均気温がマイナス0.5℃でも御神渡りが出来ていたが、今はマイナス2℃くらいまで下がらないと出来なくなった
道が無い原生林で人間は歩けないの?じゃあ熊とかはなんであのなかを移動できるの?
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251229185159# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaVJPRAAKCRBwMdsubs4+ SE+WAQCK309CQPabuq1uaEvPdHxjVlKZW//IiUb0el2Z2I0ecQD/XaxvW9b/JzRu KT7jbLZVK4T9TbzNDpX/9i4240sYpQI= =6Wx3 -----END PGP SIGNATURE-----
私の出身地は関西地方のとある府県だが、幼少期に転出して地元が同じ人とも共通の話題などないので「〇〇府/県」出身ですと胸を張っては言えない。
徳島での生活が長いから「徳島出身だろ」と他所の人からは言われても、実際には首都圏育ちで最も長く過ごしたのもそこだから私の第一言語は標準語であって、徳島は標準語を受け入れてくれない。少なくとも「地元の人間」とは見なされていない。「将来徳島に戻ってくるか」という衰退都市にありふれた話題において、自分がいると決まって気まずそうにされる。
現在は関西在住である。自分は関西弁もマスターしている、と自認している。徳島で関西弁を身につけ、現在居住する関西での生活に完全に順応している、と思っている。
来年から首都圏に戻るんだけど、戻ったら戻ったで「地元の人間が帰ってきた」という扱いになるほど首都圏が地元って感じはないし……なんかもうざっくりと「関西出身」ということにさせてくれないか?どの府県だとか厳密にせずにざっくり「関西から来ましたよ」という気持ちで首都圏で生活したらアイデンティティの置き場所はうまくいかないか?
そのためには、現代の関西弁と阿波弁の差異を明らかにして、「徳島も関西弁である」ということを証明しなければならない。そうじゃなければ、私のアイデンティティはどうなるの!?
[:contents]
Wikipediaによると「四国方言に属するが、四国方言の中では近畿方言の影響を最も多く受けた方言である。」らしい。県内全域が京阪式アクセントに統一されているのは中四国では珍しい。香川、ついで愛媛のアクセントは中国地方の影響が大きいように思う。これが最も重要だ。イントネーションが関西弁と同じなのだ。
「徳島県東部と高知県中部・東部のアクセントは、近畿中央部のものより古い時代の京都アクセントに近い。」ともいう。全体的に阿波弁は現代大阪が直面している「標準語化」をそれほど経験していない。「古い」というのは方言周圏論にも整合的で理に適う。古い時代に京阪から来訪した方言が、辺境ではいまだに残っているのだ。もっと鮮明にいうなら、阿波弁は現代関西弁よりも「厳密な」京阪式といったほうがいいかもしれない。東京式アクセントへの忌避も近畿圏より強い。文の一部であっても東京式アクセントが溢れることを嫌う。
ほぼ同じなので差異を挙げる。
語尾は「じゃ/だ/や」の3種類がある。「じゃ」は若者は言わない。「だ」の登場頻度が近畿圏よりは多いが基本的には「や」で関西弁と共通だ。
「中でも未然形、推量は「ダロ」が優勢」らしい。確かに「だ」は「だろ」の形で特に使われやすい。京阪式アクセントで語尾が「だろ」になる文はいかにも徳島らしい。
「「ヤロ」は沿岸部のごく一部地域だけであったが、近年は、鳴板地域、徳島市をはじめとした沿岸部を中心に「ヤロ」が優勢である。」とのこと。近畿に同化している側面が否定できない。
「じょ」という女性言葉の語尾も存在する。使う人は使う。現在では男女差は明確ではないと思う。男性も一部使うが、これは遊戯的な使用だろうか。
動詞の否定は「〜ん/へん」だ。「 〜ん」の頻度が大阪よりかなり高い。兵庫と比べてもやや高い。「へん」の頻度が近年高くなっているとしたら、近畿同化である。
「「動詞未然形+れん/られん」は禁止を表す。「あそばれん」は「遊んではいけない」」これは四国の他県にはあるが近畿にはない。
「五段動詞の連用形は、「て」「た」「とる」の前で音便形を取る。」ことによって「言った」「洗った」が「言うた」「あろおた」「あろた」のようになる。これは関西弁と共通。やや古い関西弁で観測できる。
山間部の高齢者を中心に「「さいた」(差した)のようなイ音便が用いられ」ることもあるらしいが、現在の徳島市内にはない。これは相当に古い京都弁と共通。
「「あそおだ」(遊んだ)「のおだ・ぬうだ」(飲んだ)のようなバ行・マ行ウ音便がまれに聞かれる。」らしいが聞いたことはない。近畿を含め、他県にもない。
「連用形 + とる・とお」で現在完了または現在進行、「連用形 + よる・よお」で現在進行を表す。「しとる」「しとお」「しよる」「しよお」などである。「とる」「とお」は兵庫県と共通。滋賀〜三重とも共通。まさに辺境に残る関西弁である。「よる」も古い関西弁。「よお」は県内では現代でも使われているが近畿ではもう聞かない。
「とる」に関していえば瀬戸内地域に限らず広く西日本で使われていて、一応関東にもある。広すぎて起源が同一かは不明。
「逆接の接続助詞には「〜けんど」が多く用いられる」らしいが、実際には「けんど」は残ってはいるものの、近畿同化して「やけど」も優勢である。
「「〜から」という理由・原因は「〜けん」である。これが関西弁との最大の違いだ。これさえ出さなければ関西圏で生活しても違和感はない。私は首都圏からの徳島県転入であったから、「〜けん」まではそもそも吸収していない。ふつうに言いにくいと思う。まあ中四国・九州など広く西日本で共通だ。
また、古い関西弁と共通の指示語「ほう」「ほれ」「ほな」(「そう」「それ」「それでは」)と重なって「ほなけん」「ほなけんど」「ほなけんな」が文頭で使われるのが特異的。「ほやけん」に変化するのは近畿同化か。徳島市外では「き」「さかい」も用いられるそうだが、「き」は高知のイメージ。「〜さかい」は古い関西弁である。
「「行かなかった」は「行かざった/行かなんだ」」で表されるらしい。「行かざった」は聞かない。「行かなんだ」は県内では現役。過去の否定を「なんだ」で表すのは古い関西弁と共通だ。
「北部で「よお〜せん」、南部で「ええ〜せん」の言い方がある。」という。「ええ〜せん」は市内では聞かない。「よお〜せん」は古い関西弁と共通だ。関西で「よお〜せん」といえば、遠慮など心理的抵抗からの不可能を表すイメージだが、徳島でもニュアンスは同じだろうか。
終助詞「え」「で」(ときどき「でか」)を文末に付して疑問文を強調する用法は関西弁にはあまりない独自のものとして多用される。「何しよんで?」など。関西弁の念押しの「で」が下降イントネーションであるのに対しこちらは尻上がり(しばしば伸ばされる)である。独自用法だが和歌山や南大阪とはある程度親和的であり、そこまでの違和感はないように思われる。もちろん近畿と同じく、念押しの「で」もよく用いられる。
「〜だろう」「〜ではないか」の意味の「で」もある。「あかんでぇ」は「ダメだろう」「ダメじゃないか」という決して深刻ではない軽い咎め。禁止の「あかんで」と同じく下降アクセントだが、発音は明確に区別されている。この差は禁止を「あかんでぇ」と伸ばしても埋まらない。咎めの「あかんでぇ」は「でぇ」の途中に下降が入る。
さて、この「で」は疑問文の「で」から来ているのか、あるいは語彙の章で取り扱う「あかんでないで」(ダメじゃないか)の一つ目の「で」から来ているのか。なお、「あかんでないで」の末尾の「で」は疑問文強調の「で」である。おそらく前者だろう。
三重〜滋賀では順接の接続助詞として「で」が使用されることも多い。「で」は日本語最大の多義語ではないだろうか。
おもしろくない→おもしろおない/おもっしょおない のような形容詞の変化がある。「おもしろおない」は古い関西弁と共通だがあまり使われない。「おもっしょおない」あるいは短縮されて「おもっしょない」は独自のものであり、かなり現役。肯定文でも「おもっしょい」が阿波弁のアイコニックな代表例として存在。
「仮定形は「書きゃあ」「起きりゃ(あ)」のようになる」らしいがこれはもはや残っておらず、近畿と同化して「書いたら」「起きたら」である。
助詞「よ」「よお」による「〜したんよ」のような用法は大阪よりは多用されているイメージ。
「終助詞「が」を用いる。軽い詠嘆・感動を表す。」と書いてあったがそんなのは現在の市内にはない。残っているとしたら高知だろう。
「疑問・反語の終助詞は、「か」「かい」「かいな」「かえ」などを用いる。」というのは関西弁と共通だ。「時計めげとんかいな。」など。「めげる」は「壊れる」
「終助詞「わ」は感動・強調などを表す。(例)あれが大鳴門橋やわ。」→ふつうの関西弁。
「いける」(大丈夫)は関西弁と共通語彙だが、頻度は近畿より高い
か(ん)まん【構ん】 …構わない
→近畿ではもう古いだろうが、県内では若者こそ低頻度だがそこまで陳腐化しているわけではない。
かく …持ち上げる。運ぶ
じゃらじゃらする …いい加減にしている。ふざけている。
→相当古い関西弁だが、県内では完全に現役。親が子に言うような教育場面の語彙だから継承されやすいのでは。
しんだい …だるい
せこい …しんどい(身体的な倦怠感を表現する)。食べ過ぎて苦しい時にも使う。
→「せこい」は他地域で通じない。
〜ちゅう …〜という。
つっかけ …ぞうり。
〜でないで …〜ではないか。(例:あるでないで→あるじゃないか)
→あまり聞かないが、疑問文の文末「で」による協調は多用される。「〜でないか」なら言う。
はさ(か)る …挟まる。
→「はさかる」は今も使われる。西日本では珍しい。
ほんに【本に】 …本当に、本真に。
わや …だめなこと。むちゃくちゃな様。
→四国他県のほうが使われる。
言語には南大阪〜和歌山〜淡路島〜徳島というグラデーションがある。兵庫、和歌山、南大阪、三重など近畿の辺境というのは、少しずつ違いはあるがなんとなく「大阪弁とは違う」を共有している。「辺境の関西弁」にアイデンティティを投じさえすれば、矛盾も自己矛盾も抱えずに済むのだ。なにより、エセではないということだ。ディープであればいいじゃないか。リアルに聞こえるし、リアルである。
山形で捕獲され山に放たれたクマ、秋田に現れ駆除 関係者「残念だ」
今年6月に山形県酒田市の寺の床下に居座って捕獲され、山に放されたツキノワグマがこの秋、秋田県横手市の民家近くに出没し、駆除された。放されたクマが再び確認されるのは珍しい。人の生活圏に現れてしまったことに、関係者からは「残念だ」という声が漏れる。
酒田市によると、クマが若竹町の寺院本堂の床下に入り込んだのは6月3日。市はバリケードをつくって出られないようにして箱わなを仕掛けた。現場は市役所から南に約1.5キロの住宅街で、周辺は規制線が張られた。
居座って5日後の8日夜、箱わなにかかっているのを確認。翌日、獣医師が麻酔銃で眠らせた。体長96センチ、体重32キロの雄。親離れしたばかりとみられ、両耳に個体識別用のタグをつけて山間部に放った。
このクマが再び現れたのは、県境を越えた秋田県。直線距離で約50キロ離れた横手市雄物川町谷地新田で10月24日朝、小屋に入り込むのが目撃された。
民家に近く、市は現場対策本部を設置。追跡して3時間後に猟友会が田んぼに囲まれた雑木林で駆除した。けが人はなかった。
両耳についていたタグをもとに、秋田県に照会をかけ、酒田市で放たれたクマだと分かった。体長は約120センチ、体重は推定50キロまで成長していた。
酒田市の平井雅史危機管理監は「山の生息エリアで暮らしてもらえればと願ったが、人里に下りてきてしまい、残念です。思い通りにいかないことを改めて感じさせられた」と話した。
3.11のから14年しかたっていないのに、もう忘れているんだろうか?
「独立性の高い原子力規制委員会がしっかりチェックしてるよ」「新規制基準はとっても厳しいよ、複合事故にも対応してるよ」
「原子力災害対策指針に則った避難計画を策定が自治体で義務付けられてるよ」「山間部でも複数ルートでの避難計画が準備されてるよ」
「(少し前)GXに対応するには原発が必須だよ」「(最近)AI需要に対応するデータセンターには原発が必要だよ」
安全だよ論は「そうやって前から安全安全いってた結果が3.11じゃねえか」だし、避難経路云々は「減災計画義務付けられてた石川県は地震でどうなりましたっけ」だし、無いと困るよ論には「国内にChatGPT無いから要らねえよ」だしね。
ちなみに、新国民民主党のウェブに載ってる綱領には(3.11以後にできた政党にもかかわらず)原発についての記述はない。
そもそも「理念と政策の方向性」には「2030年代原発ゼロをめざし、あらゆる政策資源を投入します」と書かれている。言ってること全然違うじゃないか!
注釈付きで「党エネルギー調査会の議論を経て、より現実的な政策にアップデートされています」と書かれているが
「より現実的」ってなんだよ。
KDDIの決算資料を見ると、おそらく楽天モバイルからKDDIに対して年間、数百億円レベルのローミング接続料がいまだに支払われているものと思われる。
実際、山間部に基地局を建てたところで、ユーザーはほとんどデータ通信を使わないため、採算性は極めて低い。楽天モバイルとしたら、ほとんど使われない山間部で、自分たちで基地局を建てコストを発生させ、赤字を生むよりも、KDDIにローミング費用として支払っていったほうが「お得」という損得勘定をしているのかもしれない。
総務省が発表している資料を見ると、既存の3キャリアは全国に30万近い基地局を設置している。一方で、楽天モバイルは10万程度だ。
既存3キャリアは、山間部なども地道にエリア化するために、ほとんど使われないような場所にも基地局を設置。結果として30万近い数字になっている。だからこそ、高めの通信料金にせざるを得ないという事情も垣間見える。
一方、楽天モバイルは基地局の数を抑え、無駄になりそうな場所はKDDIに依存しているからこそ、いまの料金体系を維持できているという見方もできる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ascii.jp/elem/000/004/325/4325739/#bbutton
なるほどなあ
SaaS的な考えやな
株がいくら上がっても、それを価値に変える人や現物がなければただの紙切れなんだ。富士山の頂上で「金はいくらでも出すから寿司を10貫と熱い茶を出してくれ」って言っても数千円では実現できない。担い手のいない社会での金の価値は本当につまらないものだよ。まあ、富裕層は、株を現金化して、カンボジアとかベトナムとかタイとかの安いところで贅沢できるんだろう。しかし国土は荒廃し、治安は最悪になっていく。鉄やシリコンや燃料が値上がりして水道管下水管橋のメンテができない。少子化で弱ったところに中国がソフト力物理力で進撃してきたら先祖代々の田畑もいつのまにか中国語が共通語になっているかもね。もう実際かなり水源地や山間部の中国の買い取りは進んでいるのでは?
五十噸の補助機関つき帆船で海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオやインドに久しく滞留、仏教を研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国の事情を知りたいと希望している人々のためには最近の東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単な商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉中であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。
『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。
直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日 神戸より」。
臍主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。
第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破の体験を本として、其遭難の顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物はまことに稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである。
『楚人冠全集』より、1937年の杉村楚人冠「バルサ」という記事。
逓信省の船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社で明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞社主催の団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。
近江一郎の著書で、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、下記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉・長崎・京都・東京知事を歴任)」なども登場する。卒業生には海軍関係者が多かったようで、特に奥田喜久司とは親しそうな書き方がされている。内容としては、笑いあり涙ありの平和なものだが、支那事変(日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親の名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸の野田高等女学校に入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。
1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎 特攻観音の縁起について」という記事。
昭和二十一年から、神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋で貿易をしておったのでありますが、戦争がたけなわになりますと、日本の航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。
(中略)
はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。
これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。
(中略)
そういうものをお土産にもって廻って、六年間というものは休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京と東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上に特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。
『吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治の発言。
近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州で塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。
「いったい君はなにして歩いているんだ?」
「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房が神戸の区役所の人夫をしている」女人夫ですね。「子どもは小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初は九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。
近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである。
近江君と私は一年の時からの同級で、しかもふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである。
しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊の実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問に精魂を打ち込んだのであった。
戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。
私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親が船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこちに設計を頼んだり資金の相談にきたりした。
この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。
あるいは陰謀論者は何と戦っているのか?
釧路湿原の側の私有地でのメガソーラー開発が話題です。というより頭があれな陰謀論者やいつものビジネス右翼が焚きつけて話題にしようとしています。しかしながら、アンチメガソーラーはこれから決定的な敗北を迎えます。全国各地にすでに作られたメガソーラーは粛々と発電を続け、釧路湿原が目立っている間に全国各地にメガソーラーは増え続けます。陰謀論をいくら焚きつけようと、はてぶやXでいくらメンションを集めようと関係ありません。彼らはなすすべなく負けます。
彼らが戦っている相手は誰でしょう。太陽光発電事業者?温暖化対策とかウザイこというリベラル?ソーラーパネルメーカー?中国に魂を売った政治家?すべて違います。彼らが戦っている相手は、資本主義と法治主義という西側世界の常識そのものです。
メガソーラーは公共施設ではありません。すべて私有地です。公有地じゃありません。個人なり法人なりが合法的に取得もしくは貸借して、建設時の法律に乗っ取り適法に設置して、合法的に電気を生産して収益を上げています。これはただの財産の活用であり、自由な経済活動です。法律に従って適切に運用されている限り、これを止めることは誰にも、たとえ国にも公共団体にも、できません。
これから法律を改正して新しく建設しにくくすることはできるでしょう。しかし現在稼働中または建設中のメガソーラーには、新しい規制は適応されません。またメガソーラーをすべてできなくするような規制は、シンプルに財産権の侵害にあたります。できません。
これまでも、自然のためという理由での、地方の開発に対する抗議は行われてきました。成田で、諫早湾で、辺野古で、八ッ場ダムや山間部のダムで。メガソーラーに生まれ変わる前のゴルフ場で。主に環境派と呼ばれるリベラル勢力が抗議してきました。そしてそのすべてで敗北してきました。それを嘲笑してきたネトウヨ陰謀論者が、同じ相手に同じ理由で敗北するのです。
嘲笑されてきた側として楽しみでなりません。