「かぐや姫」を含む日記 RSS

はてなキーワード: かぐや姫とは

2026-05-08

かぐや姫見てないけど

コンビニrayカバー聞いた瞬間、脳内ランティスとかEXIT TUNESなどという単語が流れ、嫌な気分になりました

おそらく今後も見ることはないだろう

酷い

ドパガキ向け音源

2026-05-06

1億円からスタートする婚活

個人事業が当たって1億円近い資産が突然できた。年齢は40代前半。男性

今後商売が上手くいかなくなったとしても資産運用人生逃げ切れるだろう。生活基盤の不安が解消されるにつれ、「結婚」という選択肢が浮かんできた。異性と無縁な低空飛行の人生だったが、1億円も貯まれ自分を選んでくれる女性もいるんじゃないか

そこでふと不安になった。お金に寄ってくる女性って大丈夫なの?

結婚相手として経済力を求められるのは避けられないが、資産があるからといって贅沢を期待されるのは困る。そもそも不安定な商売なので儲かっているときに散財したら人生詰む。事業の売上から経費を引いた利益が年間3,000万円あったとしても、給与所得500万円よりお金を使えるとは思わないでほしい。

さらに将来的には相手の親の介護費用まで自分が出すことになったりするかも。最悪、離婚に至って財産分与で数千万円持っていかれたりするかも。

婚活を始める前から悪い方に考えすぎかもしれないが、自分女性を「選ぶ側」でもあることを初めて意識した。もちろん悪い想像ばかりでもなく、気の合う女性との幸せ毎日想像するので、独身の方が良いとも言い切れない。ただ婚活サービス登録して何度か会っただけで結婚を決めることがハイリスクすぎるギャンブルに思えてきた。

追記

年収3,000万円稼いだ翌年は年収100万円に下がるかもしれない。逆に上がるかもしれないが、とにかく収入に大きな波がある商売をしている。でも極端な話、完全に事業収入がなくなったとしても1億円あれば年収500万円の20年分はある。そのうえで事業もどうなるかわからないけど継続していきますよということ。

共同生活を前提とする婚活で互いの年収を開示するのは当たり前でしょ。その延長として資産額も出す必要性を感じている。給与所得者同士なら年収を見せ合えば経済力判断できるだろうが、自分みたいな事業者が単年の年収だけで判断されるとお互いの認識がズレて困るわけ。1億円あるから金持ちと思ってくれということじゃなくて、良くも悪くも不安定な商売だけど実質年収500万円+αは維持できるって話をしたいんだよ。

追記2:

ブコメを読んで、感情的になる人の多さに恐ろしくなった。

収入にすごく波のある仕事だけど、資産額も加味すれば実質年収500万円+αは保証できる。婚活する最低限の経済力クリアしているはずだ。ただ、よく考えると結婚できれば誰でも構わないわけじゃない。単に結婚したいんじゃなくて、幸せ日常を送りたいんだから

それだけの話をしたいだけなのに、どうして「頭が弱い」とか「素の自分には釣り合わないほど魅力的な異性に寄ってきてほしい」なんて言われなきゃいけないのか? こんなこと言うと余計に逆上されそうだけど、自分危惧したとおり1億円という額面は人を狂わせてしまうんだろうかと思ってしまった。

ちなみに自分理想とする異性は、一緒に「超かぐや姫!」とかを観て楽しんでくれる機嫌の良い人だよ。

追記3:

資産1億円なら40代自分でと選んでくれそうだから婚活するのに金目当ての女は嫌というのが分からない。女は金目当てで結婚するから今の自分なら、って考えたんだよね??

いや「女は金目当て」じゃなくて、結婚する大半の人は相手経済力を求めるでしょ。男性である自分相手経済力を求めているよ。「収入ゼロ専業主婦でもOK」なんて男性いまどき少ないんじゃないの? 同様に自分自身にも一定経済力必要と思うけど、過剰な期待は困るって話。どうしてこんな当たり前のこといちいち説明させるんや?

追記4:

生活の目処がついたか結婚可能ゼロじゃなくなったって話であって、「1億円あれば40代でも引く手あまたでモテモテ!」なんて話は一度もしてないだろ。分かってくれる人もいるけど、マジで話の通じない人たちがいてビビる

それに可能性がゼロじゃなければ、自分を含めて誰しもが「選ばれる側」であると同時に「選ぶ側」なんだよ。独身のまま生きるかどうかという選択も含めて。可能性が低いからって選ぶ権利否定される筋合いはまったくない。そういう人間として当たり前のことにようやく気づくことができたって話。

もう追記はしない。

2026-05-05

かぐや姫!は記号小ネタミームパズルである

かぐや姫!は売り出し方が気に食わなく、なんとなく忌避していたのだが、信頼している友人がお勧めしてきたので視聴することにした。

普通に面白かったし、終盤の方はなんなら泣きながら視聴していた。

ただ、それはそれとして非常に荒削りな作品であるとも思った。

監督自身長編映画制作をあまり経験していないという背景もあるのだろうが、その辺の話は一旦置いとくことにする。

 

全体の感想として、全てがあまりにも舞台装置的であり、人間の心の深い葛藤というものは確かにまり感じられなかった。

しかし、葛藤や反発の描写を重くすればするほど作品の消費カロリーも増えていく。

この令和の時代に、エンタメ映画文脈でそれをするのは悪手なのではなかろうか。

少ない心理描写リソースの中で象徴的な親殺し(親から与えられた物語から離脱)は行えていたし、全ての人間関係の描写をそういう記号だと思えば咀嚼できるだろうと思う。

 

竹取物語推し活、VtuberMMOVR百合、親殺し、CGDCT、クリエイタービートセーバー女装男子Crazy Raccoon、表情描写サンプリングミュージカルドラえもん最終回...

この映画は、全体的に記号小ネタミームパズルのようになっている。

あるあるネタのShortsを観ている感覚に近いだろう。

マリオ映画ファンを喜ばせる小ネタ満載であったように、小さな内輪ネタが集まって大きなものになったのが超かぐや姫であると感じた。

 

 

あと、超かぐや主人公に対して「恵まれすぎ」「ハイスペすぎ」と言うのは、悟空に対して「強すぎる」と言うのに近く、あまり意味のある批判ではないと感じた。

現代人間として描かれているからこそ比較してしまうのだろうが、あくまファンタジーの主人公であり、物語を動かすための装置として見るべき存在だと思う。

2026-05-02

日本アニメ文化が育たなかった理由

https://anond.hatelabo.jp/20260501204800

バカアニメのほうが儲かるから。それに尽きる。

海外意識高いアニメ評価されてるのはわかるけど、世界を席巻しているのは日本単細胞バカアニメなのよ。

みんな日本に住んでるからからないだろうけど、呪術廻戦や鬼滅フリーレン進撃は世界でそこそこ人気なんてレベルじゃないのよ。もう世界支配してるレベルで大ブームなのよ。

国によっては「進撃の巨人で争いの醜さを学びました」なんて人がゴロゴロしてるのよ。日本アニメ日本語を学んだ大企業エリートも珍しくない。

チェンソーマンレゼ編は日本でヒットしたけど、実際は世界でヒットしてるんだよ。日本アニメプロデューサー日本なんて相手にしてないのよ。海外に売り出してるの。


なので「世界中でバカが増えてるから日本単細胞バカアニメ世界で売れてうっはうはで、金儲けできればそれでいいバカプロデューサーバカアニメ量産している」が正しい。

そんで儲かったお金はどこかの誰かに流れてるに決まってる。誰かが死ぬほど儲かってる。ヤマカンはこれを昔からずうううううううっと批判してるのに誰も耳を貸さなかった結果がこれね。


金さえ儲かればそれでいい発想の到達点が 超かぐや姫 でしょ。 で「超かぐやサイコージャパンクールね!」と外人が喜ぶ。日本アニメに影響を受けた外人がまた似たようなアニメ漫画ゲームを作る。

もう俺アニメ卒業たからどうでもいいよ。勝手にやってくれ。もう今のアニメに興味ない。

anond:20260502010534

かぐや姫喜んでるの見てると、涼宮ハルヒの消失から美少女好きキモオタも随分後退したんだなとか思う

2026-05-01

anond:20260501215604

ワイは午前仕事で夜からかぐや姫の特典もらいに行ったで〜

増田おじさんは?

2026-04-30

dorawii@新刊発売(予定)

実話BUNKAタブーで超かぐや姫がこき下ろされていたが、その揶揄レズという表現が頻繁に使われていたのが引っかかった。

ははあオタクアンチ百合レズ区別も全くつかないんですね!

レズものAV見てると女優阿倍高和みたいな気色悪いイキ顔!(≧Д≦)してて、非オタクはあの顔にオタクがオホ声聞ときに感じるような興奮をしているんだろうけど、少なくとも百合として見ててああいう顔が描かれてたら萎えるよね。

から違うんだよ。だから百合っていうのは昔でいうロリコンテイストな画風じゃないとまず成立しにくいんだよ。ロリが「そういう」イキ顔してたら不自然からね。

dorawiiより


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https://anond.hatelabo.jp/20260430163951# 
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-----END PGP SIGNATURE-----

2026-04-29

[]超かぐや姫がすごい

かぐや姫最速上映の入場特典です

1回きりでしか配られず、このステッカーに5〜6万円ぐらい価値ついてる激レア品です…

https://x.com/atushi5101/status/2049126003033911465

3月ごろに発売された特集雑誌が今3万近くしたり、初動のグッズと本の値上がりすごい

新規IP青田買いは難しい

2026-04-26

酒寄彩葉で「メロい」を理解した

かぐや姫

これがメロいか、たしかにメロいとしか言いようがないわ、メロすぎる

特にワールドイズマインの「ヘイベイビー」

https://youtu.be/rXcPRKriVsI?t=100

かぐや姫ray

原曲からキー上げてるよね?なんぼ上げてるのかな

2026-04-24

最近アニメに敢えて既存曲を使う流れが来ている?

ハサウェイ(キルケー魔女)とか超かぐや姫! とか。(超かぐや姫!はアレンジしているし、書き下ろし曲もあるけど)

YOASOBIをはじめとして、アニメの内容をとにかく盛り込むアニソンがここ数年流行ってるけど、「勇者」が「流石にメロディー付きあらすじすぎない?」みたいに言われたこと(※)もあって、カウンターとしてこういう流れが来てるのかねえ。

アニメとの距離をあえて少し離そうとしてるというか。

自分フリーレン見てないのでこの批判が適切かは判断できない。

楽曲ray

かぐや姫の影響で最近つべショート踊ってみたがよく流れてくる

いい曲だなあ。エロい足だなあと思って楽しんでいたのだが、昨日誰の曲か調べてみた

2014年BUMP OF CHICKENの曲らしい

天体観測とかカルマとかは知っていたがこんないい曲も出してたんだ

2026-04-23

anond:20260422220838

要はゲンダイネット文化のディティールを使って感情想起スイッチ連打してくるドパガキポルノってことやろ


お前の批評見ると、携帯小説をめぐる論争を思い出すわ

携帯小説特有の改行やデコメ文化特定ブランド品や車種名といったディティールを使って

その瞬間に生きる若者に「これはワイたちの物語や」って強烈な当事者意識を植え付けたんやが

結局数年も経てばそれらが古臭い記号に成り下がって普遍性を失って捨てられたんよ。

かぐや姫もそういう作品やろ。

2026-04-22

かぐや姫!超おもしろかった!

むりやりに大絶賛してみる!

一億総ドパガキ社会

まず制作陣がガチ天才から、この物語への主な批判ポイントが、そのまますべてSF設計の土台なんだよね。

たとえば、キャラ葛藤がないとか、ご都合主義AIっぽさとか、リアリティがないとか、散々な言われようだけれど。

それって『超かぐや姫』の核心なんだよね。

なぜかって……本作は、『神に喧嘩を売ってでも人間を作りたい』ってのがメインテーマから

簡単表現すると、人間らしさが消えちゃった彩葉と、ほんとうは人間じゃないかぐやが、「パンケーキを食べておいしい!」と感じたい話。

これこそが『超かぐや姫』の始まりであり、終わりに至るまですべて。

その為には、超早送りでびゅーんっと駆け抜けて、配信界の頂点にたどり着いて、「資本主義バンザイ!」でドパガキから集金しまくって、神の領域に挑戦しなきゃならない。

まるで全部乗せのパンケーキ、すべて持った超人エネルギーで。

言うなれば、『令和のセカイ系サイコパス』、うじうじと理屈を語るよりも、葛藤さえもハイスピードで終わらせて、きみとぼくの為――彩葉かぐやの為だけに、神の理屈ねじ曲げにゆく。

理由はただひとつ……「またパンケーキを食べたい」から

(※セカイ系とは?
「きみ」と「ぼく」という、
ちっちゃな関係性が、
国家社会をすっ飛ばして、世界のあり方に直結する話)

すなわち、新時代セカイ系は、狂気踏み込む決断主義、なにもかも舐め腐って、日本古典――竹取物語をぶち破らなきゃならない。

天の羽衣を脱ぐ、綺麗事を捨てて、パンケーキの為だけに成り上がる話。

そこまでやらなきゃ、宇宙一の負けヒロインであるかぐやを、地獄の円環構造から救えない。

逆に言えば、それを実現させるまでは、まるで水と粉のパンケーキ感情移入できないくらいぱっさぱさ――人間味がない、AIみたい、機械的なんですよ。

その薄っぺらさこそがスタート地点ってこと。

たとえば、主人公の酒寄彩葉17歳JKは、【楽しんでる場合やあらへん……いちばんやないとあかん】って母親に冷たく言われ続けたせいで、完璧主義マシーンなっちゃったと。

まり学生なのに週5日のバイト一人暮らし東大を目指す受験勉強プロゲーマーばりの腕前、こんだけ詰め込みすぎなのは、いわゆる『過剰適応』って奴。

いじめられっ子がなぜか笑うのと一緒で、『苦しさを100%抑圧』している。

まるで広末涼子の爆走185キロ人間って一度狂うと止まらないんだよ。

さら彩葉は、Vtuber月見ヤチヨの歌声に惚れ込んで、ガチガチ推し活もやっていると。

ここでも批判の声――「推し活が記号的、ただの舞台装置」みたいな意見があるけれど、これはSF的にも心理面でも必要不可欠なんですよ。

どういう事かって、彩葉は疲れすぎな日々に、お母さんから罵倒幻聴として聞こえていて、それを防ぐためにイヤホンをつけて、ヤチヨのRememberを聴き始めたと。

それもあって、○人的スケジュールなのに、なぜか感動できたり黄昏れたりと、一見余裕があるように見えるのは、その瞬間だけが抑圧から解放――人間性を取り戻せているから。

なので、明らかな依存症として推し活にハマったんですよ。

その証拠に、「推しがいなければ生きられない」という考えで、食欲がない鬱状態ときも、推しさえ見ればちょっとずつ食べられる、そんな描写もされていて。

もはや推しというより神様――だからこそ彩葉は、月見ヤチヨの神棚アクリルスタンド大事に飾っているんだよね。

しかSF的にエグいのは、『超かぐや姫』って本質的に『神○し』のお話になっていて。

パンケーキを食べたい」というエゴの為に、冗談抜きでドパガキも資本主義もハックして、運と才能とお金と人脈でフルスイングする。

まりは、綺麗事じゃない愛を奪い取る話。

そして、もう一人のヒロインかぐやは、さっきも言ったとおり、本来人間ではなくて、じゃあ何者かって、月に住んでいたむなしい存在――肉体のない思念体なんですよ。

なので、地球に舞い降りて人間の肉体を得てすぐに、「自由毎日楽しいなぁぁ!」って欲望が大爆発する。

その最たる例としては、彩葉睡眠を削ってまで働いて、がんばって貯めたお金――12万円を使い果たしたことがあって。

ちなみにこのシーン、「彩葉の怒りがあまりにも薄い!」って批判が多いんだけれど、それへの反論は秒速で終わるんだよね。

かぐや無駄遣いが、呪い浄化になっているから。

まず彩葉のため込んだ12万円は、超現実主義なお母さんの呪縛なんだよ。

【この世で頼れるんは自分一人や】、【今日の百円は明日の千円や】みたいな、冷たい言葉を吐かれすぎて、「心が壊れても頑張らなきゃ」という呪いになっている。

そこに叩き込まれたのが、かぐや! ドパガキ! ラーの鏡

まり、今までずっと無駄なく効率的に生きてきて、完璧主義廃人になっていた彩葉に、無駄遣いでショック療法――かぐやはこれでもかとご馳走を振る舞った。

そのとき彩葉は味わうこと、人生の喜びを思い出したんだよ。

人間人間たらしめるクオリア――簡単にいえば、おいしいという感情、「生きている!」という感覚を取り戻せたと。

その結果、このあと少しして風邪を引くんだけれど、それは別な言い方をすれば、やっと風邪を引けたんだよね、甘えと弱さを出しきって、これでもかと人間らしく。

今まで母親祟りにやられて、完璧超人マシーンだった彩葉が、かぐやによって人間性を蘇らせたってこと。

そう考えると、もはや妖怪人間ベムよろしく、「早く人間になりたい」ってのが、『超かぐや姫』のキモなんですよ。

そして、この物語マジで恐ろしいところは、かぐやが元々暮らしていた月の世界なんだよね。

ここってのは味も温度もない巨大な水槽みたいで、喜びも悲しみもなくて、生きることも死ぬこともできない、永遠なる空っぽ場所であると。

でもって月の住人たちは、ゲームNPCと同じで、無感覚の日々を繰り返すという、究極的にむなしいシステムに閉じ込められていて。

そんな中、かぐやけが奇跡というかバグの発生によって、「寂しい! 退屈! 死にそう!」って、みるみると自我が芽生えて、月から飛び出しちゃったんだよ。

そして流れ星のようにキラキラと、『もと光る竹』という宇宙船に乗って、そのまま地球電柱ビリビリビリってぶつかってゆく。

すると、一瞬でゲーミング電柱になるんだけれど、これは月のテクノロジー地球環境に馴染むべく、そこに最適化された肉体――今回は赤ちゃんの体を用意して、かぐや思念体が入り込んでゆくと。

そんでドパガキよろしくタブレットネットサーフィン、高速で情報収集をすることによって、その知識量に合わせてハイスピードで、女子高生くらいの見た目に変化するんだよ。

まりかぐや地球人じゃない。

なので、普通人間たちとは違って、文字通り、恥も外聞もないから、持ちうる力は『すべて出す』を地でゆく、このあと一瞬にして配信業でのし上がるんだよ。

めちゃくちゃな話、『美少女版へずまりゅう』だから

そもそもかぐや彩葉お金勝手に、ライバーになる為のスマートコンタクトを買って、メタバース世界ツクヨミログインして、大観衆の前でいきなり叫ぶ売名行為までやって、終始、大暴れするんだよね。

なのでよくある批判――「子育ての苦しみがない」、「生配信世界は甘くないぞ!」ってのは、筋の通ったやり方で回避できる。

何度も言っているとおり、普通地球人じゃないから。

そうこうして、「パンケーキがおいしい」と思えるくらい、かぐや人間幸せを覚えてゆく。

でも残念ながら、『かぐやは月の秩序を乱すバグ』と見なされて、月の世界へと戻されてしまう。

これは日本古典であるかぐや姫』の結末通りで、強制的なバッドエンドを迎えると。

さらに怖すぎる話、地獄の本番はここからなんだよ。

まず月に戻されたかぐやは、また何もない水槽の中に入れられて、虚無の永久ループに閉じ込められると。

しかも以前と違うのは、主人公彩葉出会って、笑ったり歌ったり、パンケーキの甘さを感じたりで、幸せを知ってしまたからこそ、その絶望はより深いんだよね。

5億年ボタンの比じゃないさみしさ、『生と死の狭間』にある闇のような場所で、永遠のひとりぼっち

でもそんなある日、38万キロの彼方――地球惑星から、懐かしい歌声が聞こえてきて、「もう一回だけ地球に行こう! 彩葉に会いたい!」って、奇跡で飛び起きることができた。

でも運命残酷で、「また宇宙船に乗って地球に出発だ!」ってときに、タイムトラベル機能をオンにしたもんだから、なんと制御不能でバコーンって隕石と衝突して、8000年前の地球にぶち飛ばされたんだよね。

すると何が起きたか宇宙船システムエネルギー切れ、月のテクノロジーが使えないせいで、最適な肉体を作り出せない、前と違って赤ちゃんにもなれない、ただの思念体――魂だけで放り出されたと。

それはつまり、声も出せない、誰とも話せない、誰の目にも見えない、永遠に続く孤独がはじまった。

これは昔の名作、『STEINS;GATE』のトラウマ回と似ていて、とある女の子が不完全なタイムマシンに乗ったら、時間跳躍ときダメージを食らって、自分名前以外すべてを忘れちゃったんだよ。

それから24年のときが流れて、ふっと思い出してしまう。

とてつもない使命、大切な約束があったのに、のうのうと生きてしまたことを悔いて、【失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した】、そう書き綴って……そのまま自殺するんだよね。

そして、かぐや場合はより怖い――寂しくても退屈でも永久に○ねないから。

なので、「彩葉! 彩葉! 彩葉!」って発狂するんだけれど、それは声にも叫びにもならなくて、いつまでも絶無なんだよね。

泣きながら膝を抱えようにも、そこには涙も膝もない。

そうやってかぐやは、ゆっくり時間をかけて絶望してゆく。

けれど1%の奇跡として、宇宙船に乗り込んだときに、地球彩葉からもらった、たまごっちみたいな携帯ゲーム機、そこに『犬DOGE』という柴犬電子ペットがいて。

そいつデータとして連れて来たんだよね。

その結果、シャットダウン直前の、宇宙船による最後の力で、たまたま近くにいた、かわいいウミウシ――海のウサギとも呼ばれる生物スキャンして、そこに犬DOGEの軽いデータをぶっ込めた。

これはつまり完成済みのハードウェア、しょぼいけれどロボットの出来上がり。

からウミウシログインした犬DOGEをハッキングして、思念体かぐやが入り込んで動かせるってこと。

そうこうしてウミウシかぐやは、不老不死の日々を進んでゆく、それも8000年。

縄文時代平安時代戦国時代、あらゆる時代に漂って、大量の出会いと別れがあって、もちろん戦争による○し合いもあって、破壊再生が延々と繰り返される中、かぐや孤独観測者として、それらを眺め続けたんだよね。

毒も薬も酸いも甘いもカオスも、すべて飲み込みながら。

そうやって膨大な時が流れて、人類は血みどろの歴史の果てに、電話冷蔵庫テレビに、そしてインターネットという、高度な文明誕生させるんだよ。

そんなある日、かぐやウミウシ身体のままで、パソコンキーボードを押して、『Hello,world!』って入力した。

まり8000年の時を経てとうとう……想いを伝えられるようになった、孤独な旅がやっと終わった。

その瞬間かぐやは壮大な夢を思い描くんだよ。

それってのは、地球での血なまぐさい争いとか、ひとりぼっちとは無縁な、ユートピア仮想空間を作ること。

要するに、『水も波も立たない巨大な水槽である』月の寂しさを、他の誰にも味わって欲しくないってこと。

からこそ、ここでの仮想通貨ふじゅ~』は、水のように、あぶくのように湧き出てくる。

まさにドパガキよろしく、人の心が踊れば踊るほどに、無尽蔵に金が降り注ぐんだよ。

そうしてかぐやは、ウミウシ身体をよじりながら、htmlを書いてアクセス解析もして、とにかく試行錯誤しているときに、はっと衝撃的なことに気づく。

それってのは、自分ゼロから築き上げてゆく仮想世界が、かつて彩葉遊んだツクヨミだってことに。

そして、彩葉歌声に惚れたVtuber月見ヤチヨは私なんだってことに。

すなわち、ぐるぐると同じ輪廻を巡って、この8000年の孤独も含めたループが、何百回、何千回、何万回も続いているのかもしれない。

これをむりやり表現するならば、『メタディストピア円環構造』だね。

まり、『感情を持った思念体』のかぐやが、月から地球に来て赤ちゃんとして生まれる→彩葉幸せ時間を過ごす→月の世界に戻される→歌が聞こえて脱出を決意……でも隕石に衝突→8000年前の地球に吹き飛ばされる→そして今の今に繋がる――

めちゃくちゃ残酷なことに、この円環構造の中で、常にかぐや自我があって、しかもその時間の大半、メタ視点――実体のない魂のような存在として、声にならない声を上げながら、ずっとひとりぼっちで過ごしている。

そしてこの、『メタディストピア円環構造』をぶち壊すには、バグを伝染させる必要があった。

それは愛も憎しみも含めた、綺麗事抜きの人間らしさ。

もっと単純な話、心の底からパンケーキがおいしい!」と思えること。

彩葉のケースで言えば、月のシステムみたいな完璧主義をやめて、泣いて甘えること、自分意思で進路を決めること、ホンモノの反抗心で母親にぶつかること。

そのうえで最大の敵は、退屈で○にたくなるほど整った、穢れなき月のAI世界なんだよね。

からこそ、ドパガキも資本主義も運も才能も醜さも、Rememberという推しの曲もすべて総動員して、綺麗事抜きの人間らしさで殴り返した。

ありとあらゆる手段で、『竹取物語』の運命――かぐや姫は月に帰るという、神様の結末を破壊する為に。

それはつまり彩葉推し――神様だった月見ヤチヨ(かぐや)に、『終わりのある人間としての人生』を与える、今度は自分神様よろしく生命誕生させるってこと。

ちなみに当初、メタバースツクヨミ)の世界では、かぐやを連れ去りに来る、月人(つきじん)という大勢の敵を、ゲームシステムに落とし込んで、プロゲーマーの力とチートによって倒そうとしたんだよ。

現実世界じゃ負けるに決まっているから、ゲームの敵キャラダウングレードさせようとした。

でもそんな甘っちょろい敵ではなくて、まるで勝ち目がなかった。

その結果、映画の途中でスタッフロールが出て、「めでたし めでたし」って、皮肉エンディングが軽く流れるんだよね。

でも彩葉はその終わりを許さずに、ツクヨミという仮想空間――一億総ドパガキ社会ってくらい、ユーザー数の多い場所で、ハイスピード配信者として売れて、べらぼうに儲けたお金と、人脈をフル活用して、10年間、ロボット工学をはじめとした科学技術を学んでゆく。

なぜかって、かぐや思念体を入れる義体――それも寿命のあるホンモノの生命体を作りたいから。

これこそが『超かぐや姫』のすべて。

まり、愛とは綺麗事ではない、愛≒平和ではない、愛とは能動的なバグなんだという、パンケーキを食べておいしいと感じる話。

↓『本音のおまけ』

冒頭で、「むりやりに大絶賛してみる!」と宣言したとおり、映画版の『超かぐや姫』は、ファミ通文庫版も読んで、SF設定もメモして、登場人物の背景も学んで想像して――つまりこちら側でかなり踏み込んで視聴しないと、ちんぷんかんぷんな事ばかりだ。

とはいえ90年代2000年代を振り返りゃ、映画であれ音楽であれゲームであれ、たった一本、たった一枚、たった一作を繰り返し……狂ったように楽しむものであった。

たとえば、FF聖剣伝説をやるときにはアルティマニアという、ごっつい攻略本を買ってプレイから読みふけっていた。

そう考えりゃ、『超かぐや姫』の円環構造よろしく、ぐるぐるとリピートする事が大前提作品があっても良いのかもしれない。

しかも『超かぐや姫』 の場合知識考察を重ねるごとに、「この複雑な円環構造SF設計を考えると、これはこれでアリかもな」と思えてきて、じわじわ評価点が高まる

そして最近のドパガキ、マジで舐めすぎだろ

2026-04-21

オタク”と呼ばれる絶滅危惧種について

東浩紀が「現代オタク批評を求めなくなった」と語って久しい。

この言葉をめぐる議論は尽きないが、問題所在もっと単純で、もっと厄介だ。

現代の由々しき自称オタクたちは価値を問う前に、数で判断してしまう。

いま話題映画『超かぐや姫!』に対して、「ファン数字としてしか見ていない」という批判が起きた。

だが見落とされているのは、その“数字の回路”が観客側にも内面化されているという事実である

再生数。動員。ランキングトレンド

それらは本来作品がどれだけ届いたかを示す一つの指標に過ぎない。

しかしいつの間にか、その指標は昇格した。

「伸びている=良い」

この短絡が、判断を肩代わりする。

判断を委ねられるのは楽だ。

なぜ良いのかを考えなくていい。

なぜつまらないのかを言語化しなくていい。

ただ「伸びている」という事実に乗れば、外れない気がする。

こうして数は価値を示すものではなく価値の代わりになる。

その瞬間、何が起きるか。

制作側は数に最適化する。

受け手は数で選ぶ。

両者が同じ回路で接続されるとき作品は均質化し、消費は加速する。

ここで批評はどうなるか。

批評とは、本来「なぜそれが価値を持つのか」を言葉にする営みだ。

だが価値判断がすでに数に委ねられているなら、その問いは必要条件ではなくなる。

必要がなければ要求もされない。

要求されなければ育つこともない。

から現代オタクは、批評を「嫌っている」のではない。

批評必要としない環境適応しているだけだ。

ここでよく持ち出されるのが「コミュニティの優しさ」である

誰でも参加できる、同じ温度で「好き」と言える空間

そこでは差異は摩擦になる。

摩擦は居心地を壊す。

批評差異を生む。

理解の深さを露出させる。

したがって優しさを維持するには批評の圧を弱める方が合理的になる。

結果として残るのは、「好き」と言うことだけが流通する空間だ。

それは居心地がいい。

だが同時に、価値を問う回路を手放した空間でもある。

重要なのは、ここに道徳的善悪を持ち込むことではない。

これは怠慢ではなく、構造だ。

数は便利である

数は速い。

数は裏切りにくい。

から私たちは数を使う。

そして使い続けるうちに気づく。

数で足りてしまうことに。

だが、その“足りてしまい方”こそが問題だ。

なぜ良いのかを問わないまま良いとされるもの

なぜ悪いのかを考えないまま避けられるもの

そこでは作品評価されているのではなく、処理されている。


本来オタクは、そういった存在ではなかった。

しろ対極に視座していた存在である

数に従わない。

流行に媚びない。

理解されなくても、自分の「好き」を引き受ける。

それは、ある種の孤独を前提とした態度だった。

だが今や、その孤独を引き受ける必要はない。

なぜなら数が、それを代行してくれるからだ。

「伸びているものを好きでいればいい」

「皆が好きなものを好きでいればいい」

それはあまりにも合理的で、あまりにも優しい。

からこそ、抗う理由がなくなる。

気づけば、私たちは数に寄り添いながら、

かつて軽蔑していたはずの「多数派」に回収されている。

数に抗う

己の好きを貫き通す。

そうした武士道のような清さを持ったオタクは、既に死に絶えつつあるのだ。

dorawii@新刊発売(予定)

少なくとも漫画雑誌感覚でいうと目次は巻末にあるということで慣れてるんだがbunkaタブーを初めて立ち読みして気になった漫画があったので他にも漫画がないか目次を探そうとしても全然見つからないんだよね。

んで冒頭のグラビアの後に目次があることをやっと理解すると。

いやなんでこんな構造なん?

あとなんで超かぐや姫をこき下ろしまくってマンガワン事件の本とフリーレンは評価してるん?

オタクヘイターから見てフリーレンはオタク向けじゃないのか?

dorawiiより


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公式設定が二次創作否定されるのにはパターンがある

女性による公式設定否定は、腐女子による「妻消し・ヒロイン消し」が最多だ。

少年漫画などの一般作品において、公式の既婚男性から妻の存在二次創作で消去したり、公式ヒロインとの関係二次創作否定して主人公ライバルBLに置き換えるパターン

プレイヤーキャラクターヒロイン)の存在を前提とした乙女ゲームにおいても、二次創作プレイヤー役割を「消去・置換」して攻略対象男性キャラ同士をカップリングさせる行為がよく行われている。

これを公式異性愛男性BLとする。

 

一方、男性による公式設定否定は、百合作品モブ竿レイプが最多だ。

かぐや姫!や水星魔女などの公式百合カップリングに、作中で存在しない醜いおじさんを創造して投入し、女性キャラクターたちがレイプされてチン堕ちしている二次創作AIで大量に作られている。

これを公式同性愛女性のチン堕ち化、ノンケとする。

異性愛男性BL化する女性に対し、男性同性愛女性ノンケ化しているという、改変の方向性の非対称がある。

 

性的二次創作における改変は、結果としてペニス数が維持されるか、増やされるかの二択になりやすい。

水星魔女スレミオの二次創作も、スレッタにペニスが生やされていることが多かった。他の人気百合カップリングもだいたい、公式には女性キャラクターに竿が生やされふたなりになっている。

公式ペニス数は増えることはあっても減ることはない。この法則恩恵を受け、実質的な聖域となっているのが公式BL設定であると思う。

 

公式BL設定」は、他のジャンルに比べて設定破壊的な二次創作を作られにくい。

鉄血のオルフェンズではシノヤマという公式BLカップリング存在するが、モブ女をひとつまみ…夢主人公の女キャラひとつまみ…などしてマン堕ち」する二次創作は作られず、シノヤマが好きではない人はノータッチだった。

商業BL作品なども、BLファン以外の層がBL作品を読まないという「住み分け」が徹底されていることにより、マン堕ちノンケ化は引き起こされない。

BLゲームに男女カプ好きや夢小説好きが参入してマン堕ちノンケ化することも起きていない。

 

まりBL化改変している腐女子と、モブ竿レイプ化している夢男子は、最強の存在である

公式設定を自分妄想で上書きする行為一方的にすることができ、自分の側の設定が上書きされることはほぼ発生しない。

守られているというと守っている主体存在しないので正確でないかもしれないが、BL化改変とモブ竿レイプが上書きに脅かされにくい性癖であることは間違いないと思う。

2026-04-20

anond:20260416122245

食事行くだけでモテるに入るのバグりすぎでは?声かけられなくても紹介とかであてがわれるんだよ。彼氏いらないって言ってたのに、会うだけ会ってみなよ!って勝手約束まれてみんな私の恋愛模様面白がってたよ。絶対自分なら付き合わないでしょって相手と引き合わされたりして、お似合い~とかって言われるんだよ。ただ食事しただけなのにプリクラ取る時に後ろから急に抱きしめられたことある20代前半だったのに俺早めに結婚したいんだよねーって言われて、フーンと思ってたら何を勘違いしたのか結婚を前提に付き合えると思ったのか痴漢まがいのことされて。100キロ超える巨体の男だったな(ちなみにタイプイケメンでもそういう行為してきた時点で同じく嫌。タイプだと思っただけに余計嫌)ジブリかぐや姫が帝から抱かれた時のおぞましさに似てる。そういう奴が「俺頭悪いからさー」とか言ってそんなことないよ待ちして、一方で前に好きだった女が働いてる店に行ってチラチラレジを見ながら女を連れてる自分を見せつけてるんだよ。これを前向きな意味でのモテと言わなくてはいけないならクソくらえだわ。

2026-04-19

かぐや姫を見た

タイトル通り最近ようやく見たので感想というか思う所をつらつら書こうと思ったわけである

ネタバレはあると思うので、偏見無しに見たい方は先に見てきてください。


かぐや姫見たのはネトフリ版で、rayの方も視聴した。


直球で言ってしまうと、

アニメらしくキャラの動きが描かれていて見て楽しく

ライブありアクションありでと観客を楽しませよう、飽きずに見せようという

丁寧さと心意気を感じた。確かに本作は面白い

ただ見ていてずっと「この作品で感動していいのだろうか?」と思っていた。

後ろ髪を引かれる思い(誤用である


何というか映画を見ているというよりは、リアリティーショーを見ているといった感じなのだ

映画を見ているとき主人公と違う属性であってもどこか自分を見ることがある。

それは悩みだったり、憤りだったり共感羞恥的なものかもしれない。

本作の主人公彩華いろは)は最初まるで一般的ヒロインのように演出される。

勉強バイトも頑張っていて、でも周囲には仮面かぶって優等生仮面がはがれるヤチヨへの推し活が生きがい。


しかし内容は違う。

高校生なのに学費生活費しか東京一人暮らし!)をバイトで稼いで。

学業東大を狙えるぐらいトップ。その後も色々超人設定画出てくるのだが・…。

何というか等身大女の子かと思ったら、ドンドン離れていくのだ。

え?彩華さん!?なんでそのポジションにいるの!?

まるでリアリティショーに出てくる自称一般人を見ているようである

彩華自分に自信がなく、作中けっこう悩む

でもそれは彩華自身超人なのでドンドン解決される。人脈もすごい。

なので見ているコッチとしては自分が入り込む余地がない。


何というか観客は壁なのだ、いろPの家にある壁。

そこでかぐや彩華日常だったり、努力しているさまを摂取する。

壁なので自己は介入しない、推し推しの尊さ空間安全からひっそり楽しむ。

その楽しみ自体否定しない、最近一般的な楽しみ方だと思う。

本作はそういった楽しみを考慮して作られていると筆者は思っている。


からこそ最後の締めは、正直、酷いなと思ったのだ。

しかすると製作者はみんな努力すれば東大に行けて、すごい人脈を持っていることに気づいていない。と、思っているのかもしれない。

そうか?いや無理だろ?


昔別件だがSNSフォローしている方が怒っていたことを思い出す

成功できない人間落伍者とし、競争脅迫感に耐えられた一握りの人間だけを社会が選別する

 その結果落ちていった者へのフォローはない」

(本文を貼っていいのか分からないので要約しつつ多少変更を加えています


本作はなんというか「その一握りの人間」の話だ。

そして本作はあなたも頑張れと背中を押す。

その構図が筆者にはグロかった


本作は面白いくてキラキラ尊い。でもその皮の下にイロPになれなかった彩華が沈んでいる。

面白かった。綺麗だった。でも肯定は出来ない。

本作は申し訳ないが後続が続かないことを祈る。


蛇足

筆者もエセ体育会系マインドの持ち主で

努力してる(つもり)だが、現実は厳しいものがある。

まぁレールから落ちた先も道はあったので悲観しなくても大丈夫だよ、とだけ。

かぐや姫棒読み芸能人を追い出せるか?

かぐや姫のヒットにより、声優ってちゃんと使った方がいいんじゃないか?

という流れになってほしい。

パリに咲くエトワール、なんだあれ。予告の時点で観る気失せたぞ。

きみのいろ、何だよおい。作画はいいのに棒読みすぎるだろ!

この世には勿体ない作品が溢れている。寿司ハチミツぶっかけてることに何故気付かないんだ?

これで流れが変わらなかったら、

鬼滅の刃声優がいきなり全員芸能人声優になるしか、みんなの目を覚ます方法がないぞ。

シンプソンズ映画で実際にあった)

2026-04-17

『超かぐや姫!』は、2012年新宿舞台に、キャバクラで働く山田マミが、不器用で失敗ばかりの新人・みいちゃん中村実衣子)と出会い彼女が殺されるまでの12ヶ月間を描いた衝撃的な物語です。純粋で健気なみいちゃん過去自分を重ねた山田さんが、周囲から可哀想」と扱われる彼女交流する様子が描かれます

2026-04-16

アニメ映画必要性を感じないアクションシーンにげんなりする

 超かぐや姫

 パリに咲くエトワール

 どちらも最近沸騰中のアニメ映画である

 しかし、私は全くハマれなかった。

 双方に共通するのは気合の入ったアクションシーンだ。神作画だなんだ言われているけど、私は正直動き回るキャラクターたちをみて「この人たち何やってんの?」と思ってしまった。

 たしか映像はすごかったよ。でも、展開的に必要性を感じられなかったというか、アクションシーンを入れるために脚本を捻じ曲げて無理矢理ぶちこんでいるように感じた。


 超かぐや姫ではかぐやを月人から守るシーン。

 ライブのためとはいえ、なんで迎え撃つ相手に有利なツクヨミ世界にわざわざ潜りこむんだよ、とかね。

 かぐやとの別れという悲劇的なシーンのはずなのに、勝手に不利な世界に飛び込んでよく分からないゲームシステムで戦って負けて、なぜか現実世界消滅!涙のお別れ!ってされても全然のめり込めなかったよ。

 最初にKASSENが最初に出てきたシーンもそう。ルールがよくわからないので何がどう熱い展開なのか雰囲気で「そういうもんだ」と受け入れるしかない。なんかキラキラ動いてなんか盛り上がってる~ぐらいの感想を抱いて終わる。そしてそのシステム物語重要防衛戦に使っているから、なんでそれがかぐやを守るために使えているのか、どういう状況なら守れていることになるのかよくわからない。

 終盤にヤチヨ明かされた情報をもとにヤチヨの心情を想像すると思うところはあるけれど、重要な転換点になる別れのシーンがコレだったので素直に感動できなかった。問題解決宣言して過程カットだったし。

 あとハッピーエンドにするって宣言してその場の雰囲気に流されて真っ先に諦めんなよ、かぐや

 そんで責務果たしたらあっさり戻ってこれんのかよ(だからこそ月に戻るの受け止めたのかもしれないけどさ)。


 パリに咲くエトワールでは千鶴母親が迎えに来るシーン。

 状況が状況とはいえ薙刀振り回すかね。まあこっちは薙刀物語重要ファクターになっている分まだ理解できる。

 でも、その直後で千鶴母親はどういう心境でバレエ見に来て温かいまなざし送ってるんだよ。面の厚さが怖いよ。

 なんかいい感じに終わったけど終盤も終盤だったのでそれが引っかかってしまって、素直に楽しめなかった。

 (この作品に関しては主演3人の演技がよくなかったのもある。驚き方とか笑い方がわざとらしくて最後まで慣れなかった)


 

 ここまで行ってなんだけど、すべての映画アクションシーン自体不要とは思っていない。私も見ていて楽しいと思うし、記憶に残るし、わかりやす宣伝要素にもなる。でもこの2作は脚本の大筋はよかったのにアクションを入れるために歪んだような部分が見受けられて、そこがノイズになってうまく楽しめなかった。特にかぐや姫は明らかに尺が足りていない展開だったから余計に残念だったな。

 アクションシーンを槍玉にあげてしまったけど、この2作品に関してはどちらも脚本問題だね。

 

 

2026-04-13

かぐや姫!を観た、マジで超酷かった!

令和型のセカイ系サイコパス

はっきり言って『都合の良いZ世代のガキ』 みたいな、令和のキモいところを凝縮した作品だった。

令和型のセカイ系――

「ちゃちゃっとエモくなんでも解決ちゃおう!」

私たち一所懸命合法からハッピーエンドが当たり前だよ!」的な、超効率主義の超ドライっぷりがすごいんだよ。

要するに『平均的で弱い一般大衆』を踏み台にして、遺伝子の良さ、メイクマネー能力、親から与えられた文化資本を総動員して、なんでも秒速で攻略ちゃうと。

であるから、描かれていない物語の裏側で、とんでもない数の罪なき人々が、雑に淘汰されているんだよ確実に。

しかも、昔のセカイ系と違って、痛みも葛藤ほとんどなくて「せっかくの人生なんだから、全部奪い取ればいいじゃん」って勢いなんだよ。それもヨゴレ役をやらずに、光属性ファッションにしたまま、何もかもを得ようとしてゆくと。

主人公の態度としては「最低限の法と道徳倫理は守っているから、わたしら以外のザコな一般人は知りませんよ?」的な、ぎとぎとの冷酷さが伝わってくるんだよ。新時代サイコパスを決めるなら、こういう奴らだろうね。

その証拠に、主人公彩葉17歳JKが、視聴者から投げ銭をあぶく銭、水物呼ばわりして、もう一人のヒロインかぐやも「でも合法でございましょ」って切り返すんだけれど。

冗談抜きの話、こいつらって生き様キャバ嬢ラウンジ嬢なんだよ。手練れの売女ってくらい「私は一所懸命」「私は苦しんでいる」「私は生きる為に必死」という大義名分で、もうそれだけで感情労働をしているから、どんな奇跡が起きようとも、どんな大金が舞い込もうとも「必要以上には感謝しませんよ!」って冷え切った流れ。

なので、超かぐや姫を一言で言い表すと『整形手術した人の笑顔』だね。

ハイスピードで展開する、外面だけ美しい歪んだ物語

でね正直な話、超かぐや姫、SF設定はむっちゃ面白いのに、各キャラクターの深掘りがあまりにも薄くて、あらゆる事が超早送り――ダイジェストで進むもんだから貧困毒親配信業もメタバース仮想世界)も、全部ぺらっぺらなんだよ。

そのせいで2時間22分もあるのに、唯一、緊張感のある場面って、彩葉が疲れて風邪を引くシーンだけ。でもって大規模な戦闘シーンなんかも「知らない奴らが知らない技を使って知らない世界で、いつまでも戦ってんねぇー」としか思えないんだよ。

例えるなら、僕が昔、風の王国というMMORPGをやっていたときに「そんなクソゲーやめて、マビノギやりなよ」って何度も誘ってくる奴がいて、仕方なく新規ログインしたら「なんだこの世界観、くそきめぇー」って、14歳前後のガキだったから思っちゃってさ。

まりは、心の準備が整っていないのに、いきなし『異空間に連れて行かれて知り合いゼロ』という、2000年代ネトゲで味わった独特な疎外感――仲間外れ感を思い出したんだよ。そんくらい感情移入させてもらえないのが、超かぐや姫!

個人的に懐かしい話、テイルズウィーバーとか、メイプルストーリーとか、ラグナロクオンラインとか。そこらに一瞬だけログインして「マジでつまんねえ~」って思って荒らして、飽きたらハンゲをやって、今度はフラッシュ倉庫に行って「人生ってクソゲーだな」ってマウスをカチカチしていた頃。そのとき感情がぐわっと蘇ったね。

「古き良きネット社会黎明期ってのも、快楽ばかりではなかったよなー」って、あの頃に心がタイムスリップできた。

それで言えば、挿入歌――ハッピーシンセサイザとかメルトとかも、僕が病んで疲れて、ひきこもりだったときによく流れていて。永井先生とかウナちゃんマンとか初音ミクとかニコニコ組曲とか、そんなのとも混ぜこぜな日々の中「毎日まらねぇー、生きていても意味ねぇー」って絶望していた時代が、はちゃめちゃ解像度高く、思い出されたんだよね。

そう考えりゃ、一周回ってすごい作品かもね。

言うなれば、その昔、『キャビン』って洋画があってさ。伝説モンスター集合みたいなB級ホラー作品で、シャイニングとか ファニーゲームとかジュラシックパークとか、名だたる作品の奴らがオマージュとして、がんがん登場するんだよ。超かぐや姫もそのベクトルで、思い出のお祭り騒ぎなんだと思えば、ぎりっぎり、ありな作品なのかもしれないね

そんでね強く言えるのは、超かぐや姫を観て20分そこらで「うわぁ、資本主義の悪いところ出てんな」って、最速で虫唾が走ったんですよ。

というのも、本作のヒロイン――酒寄彩葉(さかよりいろは17歳が、顔も可愛くて、東大も狙えて、音楽センスもあって、母親京大出身金持ちで、一人暮らしで、推し活もやって、FPSプロゲーマーレベルで、友達売れっ子インフルエンサーで、つまるところバケモン。

「こいつこそ地球人じゃない可能性があるな」って、まるでマルチバースってくらい、いろんな天才人生を歩み過ぎなんだよね。

しかも、週5日のバイト受験勉強友達付き合い、ゲーム、全部ガチ勢として、一分一秒を争うスケジュールで生きているのに、気持ちよく感動して泣いたり、ぽわぁ~んっと黄昏れたりで、謎めくほどの余裕があって。挙げ句の果てには、冒頭のナレーション含め『一生懸命苦学生尊い!』というモードなんだよ。

そんで重要な話。彩葉の『限界ぎりぎり生活』ってのは、そうせざるを得ないかスタートしたのではなくて、自己選択貧乏をやっているから、あくまでもガソリンの味は知らないヒロイン、そこにあるのは真の闇じゃないと。

なぜかって、彩葉自身が口にしたように、親子喧嘩で譲らなかった結果として、保証人不要のボロアパートに住み始めただけなんだよ。

さらに、お母さんは嫌味ながらも【今でも彩葉はすぐに泣いて帰ってくると思ってます、甘ちゃんから】そう言っているように、『いつ帰ってきても良い』という逃げ場を用意していると。もっといえば、彩葉は、父方の祖父母から仕送りまでもらっていて『だが自尊心を守るために使わない』という自己決定をしているんだよね。

しかも、小汚いアパートといえども、パソコンタブレットもあるし、トリプルモニタだし、節約で使わないながらもエアコンがあるしで、向かうところ敵なしのガジェットだらけなんですよ。

まりやらせ貧乏やらせ苦学生やらせの追い込まれから貧困なりきり体験ツアーしかない。これは言ってしまえば、10年前に流行ったビリギャル的な世界観『敗者復活ごっこ』でしかいね

そもそもがさ、若いとき貧乏暮らしなんて「刺激にあふれた愉快な下積み」と考えりゃ、ただただ楽しいだけじゃん。この僕なんかも19歳の頃、試食品コーナーだけで食事を済ませたり、洗面台にホースをつけてシャワー代わりにしたり、キシリトール歯磨き粉を歯に塗って空腹をごまかしたりで、すこぶる貧しき時代があったけれど、若さゆえに面白かったからね。

すなわち『まだ未来のある貧乏』って、所詮は娯楽の一種しかないのよ。

やはりね、生まれ育ちが最強な奴の苦しみって、ストリートファイターのさ、サマーソルトキックを放つ前のしゃがんだガイルを見て「背が低いねー」って言っちゃうくらい、本質的にくだらないなって。

追記、書いた文章Google Geminiで「ちょうどよく改行して!」と頼んだら、謎のハングル文字がたった一個だけ登場した。考えられる理由!?

2026-04-10

”ようやく『パリに咲くエトワール』を観てきた!”

https://x.com/izutorishima/status/2042196236158316940

ようやく『パリに咲くエトワール』を観てきた!

高年齢層が絶賛するのがよくわかった一方で、現代アニメ表現の到達点である『超かぐや姫!』『花緑青が明ける日に』を観た後だと薄味に感じてしまい、私含め若者向けの作りではないな…と感じた(散々擦られてた棒術マンは本当にトンチキで良かった)

 

Twitterアニメ映画6000人族の皆さんが評価されてほしい…!と絶賛していて期待値が上がりすぎてたのを超えられなかった感はある(あと鑑賞順が逆なら印象違ってたかも)

・単に私がノリきれなかっただけではあるのだが、ドパガキ配信時代に完全適合したエンタメ特盛映画である『超かぐや姫!』を観た後だと、『映画館という一度着席したら逃げられない場所での鑑賞を前提に、序盤45分くらい淡々三人称視点日常パートが続き、その間劇的な展開も掴みとなるエンタメシーンもない』『FIXでロングショットを見せる長回しカットがかなり多い』『良くも悪くも視聴者集中力を信用した作りで、見せ場のバレエシーンや薙刀シーン以外の画面的な緩急が薄い』『撮影処理がほぼ載っていない』などあらゆる方向性真逆で、エンタメ映画を期待していくとかなりズレそう

・その割には尺がギリギリからか、数度ある劇的な転換点となるシーンでもっと余韻や情感がほしい!と思っていたらバッサリ余韻なく次のシーンに行ったり劇的な展開(列車を降りる所とか)の感情ラインケアが少々雑な印象があったり、終始ほぼギャグなしの真面目ラインにしては没入感が削がれる感覚が割とあった

・『絵柄がジブリっぽい』とずっと言われていたが、内容的には(エンタメ映画であるジブリ映画とは全然違う、恐らく世界名作劇場系なので、そこのミスマッチ結構ありそう

初老以降の世代が孫世代の奮闘をほほえましく観て日々の活力をもらえそう、楽しめそうなイメージはめちゃくちゃ想像付く

演出文法も、凝ったレイアウトやキレのある演出というよりはセルアニメ時代オーソドックスなのを志向してそうで、深夜アニメオタクとしてはもっと画面から来る迫気というか、パワーがほしかった キャラの顔が正面向いてるアングルがかなり多く、横顔や背中を見せたりするシーンがあまりないのが印象的

作画は終始良好なものの、2コマ打ち作画はむしろ3コマリミテッドアニメーションのケレン味による視覚的な楽しさを打ち消す方向に作用していて、一般向けにはよいのかもだが、サブカルオタクとしては物足りなさがあった

・TL に流れてきた「子供に見せたいアニメであって子供が見たいアニメではない」という感想がこの作品テイストを端的に表しているきがする

・基本善人しか出てこないし深刻な不和も出てこないので安心して楽しめはするが、この後の戦争や激動の時代を生きると思うと、またパリで一区切りつけて帰国というエンドも、(非現実的すぎない程度の良さもありつつ)素直にハッピーエンドと思えないほろ苦さはあった

・これも私の好みの問題なんだけど、エンタメファンタジーなナーロッパでも、現代を生きる私たちに直接刺激をくれる現代でもなく、史実上の110年前の過去舞台(=物語で描かれないだけで、現代視点では彼女らの人生は確定している)というのが、『この後明らかに苦労して、戦争で夢も一度諦めて、もしかしたら戦争で死んでしまたかもしれないのに、同じ時間戦争が起きている現代を生きる私たち彼女らをみてどう活力にすればいいんだろう』みたいな事を感じてしまった

『辛い戦争を越えても生き延びて好きなことやって再会しました!めでたしめでたし』とかがエピローグであれば何かしら励ましを受け止められれた気がするけれど、実際には『歴史上確定している大惨事』の直前で物語が終わっているのが、どうにも過去に閉じてしまっている感覚があって……やはり最近フィクションに救いを求めたい欲が強すぎるのかもしれない

・『花緑青が明ける日に』の方が人を選びそうではあるけど、個人的にはビジュアルが超良かったのと『現実舞台で、現実に抗えなくても一つ花を咲かせて、自分の納得を見つけてやっていく』というホンのライン結構よかったのでこっちの方が正直好きではあるし、これもまた対照的映画だなと思った

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・『花緑青が明ける日に』 ほとんど上映終わっちゃってるんだよな

 

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