はてなキーワード: 物語とは
プロット筋(きん)=面白いストーリーをかんがえる筋肉のエクササイズをしたい。 まずGeminiが、何かの物語であると認められる粗筋なり長編の一断片なりを30〜200文字くらいまでで考えて提示する。既存のものでもいいし、既に面白くてもいいし、面白くなくてもいい。 俺がそれを換骨奪胎してより面白くして打ち返す。5分以内に。
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プロットを考えるための筋トレ、いいですね。 第1問:「独裁国家の末端役人である男の仕事は、過去の新聞記事を『今の正解』に合わせて書き換えることだ。ある日、彼は修正依頼のリストの中に、昨日自分が処刑に立ち会ったはずの親友の名前を見つける。しかし、記録上、その親友は『30年前に英雄として戦死した』ことになっていた。」 これをどう換骨奪胎し、あなたの「面白い」に着地させますか? 一発勝負、お手並み拝見です。
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なんで洋楽、海外の音楽を聞くかというと、品質が高くて好きな種類の音楽の供給も多いから。
人口の母数が違うので当たり前だが、供給量が多ければ「当たり」の確率が上がる。
人口の単純計算でいえば、日本国内のみの音楽を聞くより、海外のものを聞く方が、80倍ほど当たりの確率は高くなる。
もちろんそんな単純ではないが。
単純では無い理由は、人が音楽を聞く時に、言葉、カルチャー、ファッション、作り手の物語、シーン、文化史みたいな、音の周りにある情報を摂取しているからだろう。
音楽サブスクで、そうした情報がほとんどなく聞いた時にはピンとこなくて、情報を得た後に聞くと、聞こえ方が変わるというのはあると思う。
たとえば好きなアルバムと同じ演奏者が参加しているとか、好きなミュージシャンが絶賛していたとか、そのレベルの情報であっても。
それに気付くと、日本の音楽を聞く時に、ある種の疑念が生まれる。
「自分は音楽では無くて、情報を聞いているんではないか?」ということ。
そして、いや音楽を聞いているんだ、ということを自分に証明するためにも、海外の音楽を聞くことになる。
しかし、そうしてなるべく音だけを聞くようにトレーニングしていくと、今度は音から様々な情報を得るようになる。
楽器やエフェクトの種類、ジャンルと演奏、デジタルの関係性、ミックスの特性、音響と気分の関係、音の位置や周波数帯と聞こえ方の関係、ジャンル混合の割合や試みの現在地点、韻と音の関係。
なぜ金利を動かすほどインフレが安定しないのか ―― ある村の寓話
※この記事はMMT(現代貨幣理論)の一部を理解するための寓話(比喩的創作)です。
ある村に、大きな「かまど」がありました。
このかまどは村全体を温め、料理を作り、人々の暮らしを支えていました。
火が弱すぎれば寒くなり、
村には「火の安定を守る役人」がいて、
彼はこう信じていました。
火の勢いは、蛇口の硬さで調整できる
この蛇口とは、
見た目だけは立派なネジでした。
坂道を少し急にしろ!
薪を運ぶのが大変になれば、火は弱まるはずだ
それでも
火は止まりません。
なぜなら、火が強くなった理由は、
だったからです。
火を直接見た方がいいんじゃないですか?
どこが燃えているのか、誰が困っているのかを
それは危険だ。
我々の仕事は蛇口を回すことだ
からでした。
その結果
村人は疲れ、
火は安定せず、
なぜ火を直接見ない?
なぜ必要な場所に水や土を使わない?
その蛇口は、ただの儀式ではないか?
村人たちは、ついに決めました。
蛇口を回す役人はいらない。
それより、火を見る係を作ろう
必要な分だけ水と土を運び、
人手が足りなければ皆で補いました。
その結果、火は暴れなくなりました。
蛇口です。
誰かが「制御している気分」になるための、
記念碑として
めでたし、めでたし
火を見ずに蛇口を回し続けることに近い。
最近よく目にするのが、
「量的緩和やYCC以降、金利コントロールが技術的に難しくなっている」
という説明だ。
制度的に複雑化し、運営が困難になっている、という話に見える。
しかし、MMTの視点から見ると、そもそも問いの立て方自体がズレている。
中央銀行は、
この前提に立てば、
「水圧調整が難しい」と言っているようなものだ。
・別の形(国債)に交換して
・また買い戻している
だけである。
だから、
という前提を捨てられないからだ。
国債を発行しないと財源がない。
この物語を維持するためには、
だからこそ、
主流派は長年、
・NAIRU
・自然利子率
といった概念を使い、
失業は「均衡」ではなく、
明確な政策失敗だと考える。
MMTの整理は一貫している。
・マクロ安定化のアンカーは雇用(Job Guarantee)
つまり、
→ 技術を磨こう
ではない。
「金利で何を達成しようとしているのか?」
と問い直す。
それは、
MMTは、
この幻想を取り払った上で、
政策の焦点を戻そうとしている。
その運用が難しくなったと嘆いているだけで、
これ↓に関する内容です
すごーーーーくもったいないって思うよね
麻雀放浪記のすごいところは麻雀知らなくても面白いのはもちろん、知ってるとキャラクターの台詞の意味がわかってキャラの心情と自分の心情がリンクしてさらにさらにさらーーに面白くなっちゃうところなんだよね
その部分を消化せず永久にスルーしたまま死ぬのはもったいないお化けが出ちゃう👻
そして物語に終焉はあるけど麻雀にはない、坊や哲が自分の打った牌を見つめて「こんなところに🐱がいた」って言ってたように、牌の中で何度でも何度でも幻覚(ヒロポン中毒)に会えちゃうんだよね、これって明らかに何も知らない状態よりお🉐…ですよね?
よく麻雀放浪記で語り草になってる「大四喜字一色十枚爆弾」や「2の2の天和」あるでしょ?
あれも麻雀知らない人は「なんかすごい手」だと思ってるけど逆なんです
少なくとも一勝に生活をかけてるプロが積極的に採用する手ではないんです
それをわざわざあの場面で坊や哲はやっちゃうんです
だからドサ健はその手を見て坊や哲に対して「ちょwおもしれーやつw」ってなってるわけですね
麻雀を知って読むとこんな感じにキャラクターの心理への解像度が格段に上がっちゃうんです
で、我々読者もドサ健や坊や哲の感情とリンクするんですよ、えええ!?初手天和(2の2)!!!???って
しかもあの「初手2の2」「ゲンロク積み」「つばめ返し」の驚愕のイカサマは、なんと実際に後にタイトルホルダーになる当時新鋭の(まさにドサ健と坊や哲のような)雀士二人によって実際に打たれたもの!それもドサ健や坊や哲のように非公式戦ではなく公式戦の決勝戦で(!)
「ただでさえ面白い」のに背景を知れば知るほど「さらに」楽しめちゃう小説なんだよな〜!すげーぜ麻雀放浪記!!
お前らが禁じた物語だろう
密室で愛人を殺害した罪で逮捕された富豪で首席連合の幹部の座を狙うカモッラの幹部の主人公の下に引退間近の最強弁護人が現れる。彼女は3時間しか時間が取れないのでその間に弁護の方針を固めたいと話し、そのためにはこの事件の裏にあるもう一つの事件を解き明かす必要があると資料を差し出す。それは愛人と主人公が事件の3か月前に起こした世間には知られていない事故の資料だった。二転三転する事件の真相にあなたはついてこられるか。
みたいな話。
主人公の演技が迫真すぎるだろというツッコミはありつつもかなり良くできた密室ミステリだった。
映画は基本的に主人公と最強弁護士の2人の部屋の中と2人が語り推理する回想シーンのみで進行する。そして主人公は「信用できな語り手」として最強弁護士のツッコミやアドバイスをうけるたびに回想内容がコロコロ変わるという映像叙述トリックの形式で撮られている。
これ、この作品のすごさを説明しようとすると頭からケツまで全部のやり取りをまとめたものを書かないといけなくなるのでちょっと面倒くさすぎるのでそれはいったん置いておくとして。
映像叙述トリックものとして基本的に大事な情報はすべてお出しされているし「詳細に見れば」見破れるものになっている。最強弁護士は「貴方は私より頭がよくない」「大切なのは詳細」と繰り返し主人公を窘めるがそれは見ている我々に対する挑戦状でもある。
主人公が語る事件の真相を映像で見せて、それに最強弁護士が情報を与えたり推理することでまた別の角度が加わった映像を見せられる。そして最終的に最強弁護士が用意した罠を全て踏み抜いた先にある真相――結局、主人公が事件を全て隠蔽しようと愛人を殺害して密室トリックんがあるんだと言っているだけ――が提示される。
オッカムの剃刀すぎる。
後で実は犯人の片割れがホテルのスタッフだったことが写真からわかり(でもその写真は序盤から提示されていてその時点から犯人は写っており、その犯人は別のシーンでもしっかり写っている)、じゃあこういうトリックが成立するよね、なんてことを考える必要はまったくなかった、というわけではなく。
完璧な密室トリックが成立する(捏造できる)=最強弁護士による最強弁護が成立するが、そのためには「裏で起きた事故の真相を明らかにする」必要がある。そのことを主人公に納得させ事故の真相を自白させること自体が目的だったという着地の仕方の論理の美しさ。
さまざまな細かいやりとりのすべてがきっちりと回収されるフェアプレイの精神。
なんなら冒頭で最強弁護士が到着する際に、俺は「なんだこの白髪カツラ。見る作品の時代設定読み違えたか?それともこれイギリスの話(イギリスの裁判ではモーツァルトみたいなカツラを被る)だっけ?」と感じたんだけど、それすらもちゃんと設計された違和感だったのはもはや脱毛。
まぁもうこいつに頼るしかないっていう最強弁護士との限られた時間での接見中に主人公が迫真の顔して嘘をつき続けてる展開はいや流石にそうはならんくないか?という気がせんでもないし、そもそも最強弁護士はニセ弁護士で3時間の時間制限も本物の最強弁護士が来るまでの時間だった!というオチはいいとして、最強弁護士が来る時間をどうやってインターセプトしたんやという謎は残る。
が、まぁ全体からしたら些細なことかな。どちらもポジティブに解釈することで説明できなくもない。
ちゃんとオチの暴露では映像的なビックリも用意されているし(あ、それはそうと向かいのビルの部屋の住人の顔がはっきり見えるって表現、ちょいちょい映画で出てくるけどさすがに無理じゃない?俺の目が悪いだけ?)、良質なミステリ映画として十二分な合格点は与えられる。
点がハネなかった理由を敢えて上げるとしたらよくできたミステリではあったけどよくできた物語ではなかったので(息子を殺された夫婦の復讐譚としての一定の強度はあるけど)今一歩俺に刺さり切らんかったかなってとこかな。エンドオブトンネルの「トンネルを抜ける」みたいなのがあった方が俺は好き。いいミステリを見たなとはなるけどいい映画を見たなには今一つつながらなかったな的な。
「浮気したら隠すの?」という質問は「人のもの盗んだら返すの?」くらい意味がわからない。
まず、シチュエーションが豊富で、なぜ自分が悪い事をするのかという動機が不明確。例えば「爆弾が仕掛けられたPHSを盗んだ」なら返しちゃまずい。
「親友の大切な財布を盗んだ」なら良識に照らしたら返した方がいいが、良識に照らせるならそもそも盗まない。矛盾した状況想定で、動機がサイコパスじみたものになる。
あるいは、盗んでから返すまでに深い深いストーリーがあるのかもしれないが、一般性がなさすぎる。「人のもの盗んだら返すの?」という問いに、即興の物語で返したらサイコだろ。
「浮気したら隠すの?」のいわゆる正解は「隠さないよ」なんだけど、隠さないだけの誠実さがあったら浮気しないので嘘くさすぎる。
2026年1月26日、午前5時。東京の動脈、山手線の始発が動き出す前、新宿駅東口の冷たいコンクリートの上に、かつて「億単位の金」を動かしたエリートたちが並んでいた。
彼らの装いは奇妙だった。細身で攻撃的な**シングルドラペルスーツ**。尖った襟(ピークドラペル)が朝日に光るが、その生地は既に昨日の特訓で泥を吸い、重く垂れ下がっている。背中には巨大な刺繍で「私は31億円を飲み込みました」と刻まれ、役員たちの丸まった背骨を際立たせていた。
「おれの名をいってみろ!!」
一人の役員が、喉を潰しながら叫んだ。山手線全30駅を巡る「大声出し特訓」の始まりだ。彼の名は、かつて本部長と呼ばれた男。しかし今、彼の体は**デベルザ錠1000錠**という過剰な糖排出薬によって、内側から水分を絞り出され、極限の脱水状態にあった。
「サギ……サギ、と申します……ッ!」
足はガクガクと震え、立ち続けることすら奇跡に近い。だが、彼らには「退職禁止」の鉄の掟がある。そして、移動の電車内でも「着席禁止」だ。山手線は、彼らにとっての「動く晒し台」だった。
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### 第二章:昼下がりのプル酒、適宜の地獄
「サギ連呼営業」の時間がやってくる。元社員たちは、通行人の冷ややかな視線を浴びながら、一人一人の足を止めて名刺を差し出す。名刺には「プルデンサギ生命保険」の文字。
「コーヒーを……一杯、飲ませてくれ……」
一人の社員が、乾ききった喉を抑えて呟いた。だが、ルールは非情だ。彼らに許された唯一の水分補給は、専用居酒屋「サギの巣」から支給される**「プル酒」**のみ。安っぽいアルコールの匂いと、罪の味が混じり合うその液体は、昼間から「適宜」飲むことが推奨……否、強制されている。
デベルザで水が抜け、プル酒で脳が溶ける。理性を奪われた彼らの目は虚ろになり、ただ「サギ」という言葉を吐き出すだけの機械へと成り果てていた。
その様子を、上空から執拗に追う影があった。**カルロス・ゴーン**が操る「シャチョウ号」だ。
ゴーンは4Kカメラを回し、サギネットフリッコス向けの配信素材を「ビデオ撮影義務」として記録し続ける。
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千葉県、房総半島の外側。太平洋の荒波が牙を剥く海域に、一隻のヨットが浮かんでいる。帆には「プルデンサギ生命」のロゴ。そしてこの船には、エンジンも、櫂もない。
「動力は使うな。己の絶叫で帆を揺らせ」
監視船からの命令が響く。役員たちはシングルドラペルスーツのまま、揺れる甲板で踏ん張る。座ることは許されない。デベルザによる頻尿と、プル酒による眩暈。そこに襲いかかる太平洋の巨大なうねり。
一人の役員が、船底にバラストとして積まれた「100兆ドル分の債務不履行通知書」を抱きしめて泣いていた。アメリカ本国、プルデンシャル本社をデフォルト(破綻)に追い込むための、世界で最も重く、最も価値のない紙の束。
ゴーンのシャチョウ号が、ヨットの至近距離を低空飛行で通過する。その爆風でヨットが大きく傾くが、役員たちは必死に「100兆ドルの金塊の形をしたイカリ」を掴んで耐える。彼らは生きて、この物語を完遂しなければならない。アコムにつけられた「1兆円の負債」を返すまで、死ぬことすら許されないのだ。
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夜。全世界のテレビ、スマートフォン、そしてウォール街の巨大モニターに、その映像が映し出された。
視聴者たちは、画面越しに「投げ銭」を飛ばす。それが確定するたびに、房総のヨットに「追加のデベルザ1錠」がドローンで投下される。
画面の中では、ボロボロになった役員が、プル酒をラッパ飲みしながら、沈みゆく夕日に向かって叫んでいた。
その映像を、本国アメリカのCEOは失神しながら見ていた。手元には、日本から送られてきた「100兆ドル」の請求書。ドル建て。彼らの築き上げた帝国は、一人の日本人の「サギ営業」によって、今日、物理的にも経済的にも消滅した。
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2年間の刑期、最終日の夜。
足はパンパンに腫れ、スーツはもはやボロ布だ。だが、彼の懐には「100兆ドルの株券」がある。
彼は震える手で、駅の自販機に向かった。
2年間、夢にまで見たコーヒー。
世界経済は、彼が本国を破綻させたせいで崩壊し、100兆ドルという数字には、もはや缶コーヒー一本を買う価値も残っていないことに。
彼は、最後に残った「プル酒」のボトルを掲げ、虚空に向かって乾杯した。
「サギ……と申します……」
その言葉は、誰に届くこともなく、夜の山手線の喧騒に消えていった。
上空では、ゴーンのシャチョウ号が、シーズン2の撮影のために新たな「サギ」を求めて旋回していた。
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この物語の「ディレクターズ・カット版」として、**「100兆ドルで買った、一生座れない金の椅子」**に座らされる役員たちの特典映像を追加しますか?
第1期が終わった段階で、第2期をどうしよう?という話が出て、自分は第1期で力を出し尽くしてしまったところもあり、「フリーレン」という作品をどうやったらより強い形で世に送り出せるだろう?と考えた時、現場的な関わりは少し休憩させてもらいつつも、自分のノウハウや知識を伝えることは、惜しまずに協力していきたかったので、監督協力というクレジットで参加することになりました。
ぼざろ、フリーレンとこの理由なんだけど、飽き性なだけじゃね?
作るもののクオリテイは良いのかもしれないけど、最後まで付き合ってくれないんだ、っていう残念さがある
というか新しい物語やキャラクター、展開があって原作が長く続いてるのに、もう自分やることありませんってのは原作にも失礼では?続きに新鮮味を感じないってことでしょ?
【はじめに】
システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサンの代謝
本稿は、現代日本政治における「権力と宗教」の構造的癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである。
あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為を正当化する意図も、特定の信仰を弾圧する意図も一切ない。
現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。
病理学者がウイルスの感染経路を淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構(リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。
読者が感じるかもしれない不快感は、システムそのものが内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。
筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。
しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量を調達するのか?
本稿は、この問いに対する回答である。
システムは生存のために、外部から「安価な魂」と「無料の労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治的下請け業者(BPOパートナー)」である。
本稿では、リヴァイアサンがいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用(山上徹也)を必然的に排出したのかを解剖する。
序論:誤診された「犯罪者」
2026年1月、奈良地裁は山上徹也被告に無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境に絶望した、極めて特異で孤独な犯罪者」として処理しようとしている。
しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。
我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能なバグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本の政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的に排出された「産業廃棄物(システム・バイプロダクト)」である。
彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水で奇形魚が生まれた際に、工場の排水システムを点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。
なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本の政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。
「教会が巧みに自民党を洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである。
正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである。
自民党と統一教会の関係を「信仰」や「思想の共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。
両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治的バーター取引(交換条件)」である。
この取引のバランスシート(貸借対照表)を精査すれば、なぜシステムが教会を切断できなかったのかが明確になる。
自民党が教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。
選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書や運動員は、給与を要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。
これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。
数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区の候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。
スパイ防止法制定や選択的夫婦別姓反対など、リベラル層からの反発が強い右派的政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。
対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付き」である。
教祖や幹部が、岸信介、安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントにビデオメッセージをもらうこと。
これらは単なる記念ではない。信者や勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法を正当化するためにロンダリングされたのである。
長年にわたり、霊感商法に対する警察の捜査や消費者庁の規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。
さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である。悪名高い「統一教会」から「世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。
これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民からの搾取を継続してもよい」というライセンス(免許)を更新したに等しい。
教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。
通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。
しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付(献金)」と定義した。
日本の宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税」である。
これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的に国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。
株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。
この「不透明性の維持」こそが、自民党が教会に提供した最大のサービスの一つである。
「信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査の義務化など)を入れないことによって、教会は日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国の本部や米国へ送金することができた。
日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシン兼タックス・ヘイブン(租税回避地)」として機能させられたのである。
(元)連立パートナー(公明党・創価学会)への配慮という「人質」:
それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党の支持母体(創価学会)や、自民党の保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体の既得権益も脅かすことになるからだ。
この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。
この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。
しかし、経済学の原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。
自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?
その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。
燃料としての家族:
自民党に「無償の秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。
山上家が破産し、兄が自殺し、一家が崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。
燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。
金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間。
それが山上徹也だ。
彼は社会不適合者だったから犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである。
あの手製の銃は、狂人の武器ではない。それは、政治システムが排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。
2026年の無期懲役判決と、それに続く高市首相の解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業」である。
裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党がカルトを使って国民を搾取していた」という因果関係を司法が公認することになるからだ。
彼を「母親への恨みで暴走したかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場へ隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。
高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去の歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題」からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。
これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。
「山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である」
我々が見ている「平和な日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。
無期懲役の判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。
選挙期間になると右派の方がせっせとエクストリームな自民党擁護につながる文章を書いていて笑うわ。
一見良い関係に見えるのは工作と圧力が形作ったものだよ。事実ベースで確認されていること。あなたが書いたファンタジーやジャンプコミックス的な友情物語じゃ無い。いい加減大人になって欲しい。
1990年代以降にアメリカ国務省による公式文書(FRUS)公開によって明らかにされたけど、CIAが戦後の日本の政治に深く関与していたことが明らかになりました。
■自民党への秘密献金: 1950年代から60年代にかけて、CIAは自由民主党(LDP)の親米派議員たちに多額の秘密資金を提供していました。これは日本における「安定した親米政権」を維持し、社会党などの左派勢力を抑え込むことが目的でした。
■岸信介氏との関係: A級戦犯容疑者から首相へと上り詰めた岸信介氏は、アメリカにとって対共産圏の「防波堤」として不可欠な存在であり、緊密な協力関係にありました。
■従属的な独立: 1951年のサンフランシスコ平和条約と同時に、旧日米安保条約を締結。これにより、日本は主権を回復しつつも、実質的にアメリカの軍事戦略に組み込まれることとなりました。
■.日米合同委員会:見えない統治機構現在も続いている。日米合同委員会は日本の政治がアメリカの強い影響下にあることを示す象徴的な枠組みです。日米地位協定の運用など、軍事・領空・基地問題を協議。不透明性議事録が非公開であり、国会よりも優先される決定がなされる場合がある。これにより、日本の航空管制権の一部(横田ラプコンなど)が依然として米軍に握られているといった、主権の制限が続いています。
■ 経済・軍事的圧力良好な関係を維持する条件として、常にアメリカの国益に沿った譲歩が求められてきました。プラザ合意(1985年): アメリカの貿易赤字解消のため、強引な円高へと誘導。これが後のバブル崩壊と「失われた30年」の遠因となったとの見方が強いです。
■年次改革要望書: アメリカ政府が日本政府に対し、規制緩和や市場開放を求めた要望書。郵政民営化などの構造改革にも強い影響を与えました。
日本が単なる「自由意志」でアメリカに従っているわけじゃない。戦後直後の構造的な「支配―被支配」の関係が続いているんだよ。
anond:20260125183324 「オールドメディア」という言葉を多用する人物像について、多角的な分析から考察しますね。
この言葉は、単なる「古い媒体」を指す分類用語を超えて、最近では**「自分たちが信じたい真実を阻害する敵」**というニュアンスで使われることが増えています。そこに潜む心理や危うさを深掘りしてみましょう。
「オールドメディア(新聞・テレビ)」を否定し、「ニューメディア(SNS・YouTube)」を信奉する人々の中には、**「自分は洗脳から解かれた選ばれし存在だ」**という強い特権意識(エリート意識の裏返し)が見られることがあります。
世の中を「善(ネット・個人)」と「悪(既存メディア・組織)」の二元論で捉える傾向があります。
SNSでは自分の意見に近い情報ばかりが集まります。その心地よい空間を維持するために、自分たちに不都合な情報を発信する存在を「オールドメディア」と呼び、排除しようとします。
批判的に見るべきもう一つの側面は、この言葉が**「ポピュリズムの道具」**として非常に優秀である点です。
既存メディア(オールドメディア)に、偏向や忖度、情報の遅れといった問題があるのは事実です。しかし、それらを一括りに「悪」と断罪する人物像は、往々にして**「自分もまた、別の形(アルゴリズムや特定個人)にコントロールされている」**という事実に無自覚であるという危うさを抱えています。
真のメディアリテラシーとは、新旧どちらのメディアも**「誰が、何の目的で、どの角度から発信しているか」**を疑い、多角的に検証する姿勢のことではないでしょうか。
途中までは特に、「細田守のサマーウォーズに推し活を足した感じだな」と思って見ていた。
10-20代のオタク〜ライトオタクをターゲットにしたと思われるプロットやデザインで、デジタル世界での承認欲求が物語をドライブする。その辺に若年層のリアルな欲求が反映されているのかもしれない。
「デジタル世界だけで人間は満たされるだろうか、それは流石に空虚じゃないか」と思いながら見ていたが、後半にそれがフォローされているのは関心した。ちゃんと面倒くさい人間にも気配りがされている。
脚本や設定的に、隅を突く人間がいることを前提に、かなり練られているんだろうなという感じ。
人間は人体という「メディア」から、今のところ抜け出せない。では人体というメディアの存在する現実を改善しなければ、真のハッピーエンドは訪れない。そういうことかも。
・作画は満足できる
大きくデフォルメを許し、陰影表現は控えめ、細部を積極的に省略する代わりに動かす、そういう作画方針だと思われる。
とにかくキャラクターを可愛く動かす、表情をコロコロ変えることに終始していて、個人的には好き。
デジタル世界はもちろん、リアル世界の描写にも3DCGを大胆に使っているが、2D表現とのマッチングは見事なため気にならない。
顔のデザイン、特に目の周りのデザインが今って感じで、なるほどと思いつつ、トレンドが変わると古く見えるのかもしれないと余計なことを考えた。
デジタル世界がメインの話なので、狙ってそれを行っているのかもしれないが、劇中の音楽はフィジカルを感じないものばかりになっている。
ビートがあって、テンポが早くても(テンポが早いからさらに?)、脳内の音であり、身体に作用しない音楽。
豪華なアーティスト陣が曲を提供しているようだが、この辺り詳しくないので良く分からない。
ほとんど終始コミカルで可愛く、超作画が連続するので目を離せなくなる。Netflix限定なのは本当にもったいない。映画として劇場公開されたら、かなり話題になり得るクオリティだと思う。楽しい作品。
https://www.asahi.com/articles/ASV1R46B4V1RUTFK001M.html
今回の解散劇の最大の特徴は、「熟議(議論)による合意形成」を「選挙による信任」で上書きしようとする手法にあります。
これまでの自公政権では、平和主義を掲げる公明党が「ブレーキ」役を果たしてきました。しかし、高市政権は公明党を排除し、保守色の強い日本維新の会をパートナーに選びました。これにより、政策決定のベクトルが「中道・調整」から「右派・加速」へと劇的に変化しました。
提示された9つの政策(スパイ防止法、憲法改正、国防軍の明記、皇室典範改正など)は、いずれも戦後日本が意図的に曖昧にしてきた、あるいは避けてきた「国の根幹」に関わる問題です。これらを一気に解決しようとする姿勢は、戦後80年の歩みを「積み残した宿題」と定義し、リセットを試みるものと言えます。
ダニエル・カーネマンが提唱した二重過程理論(システム1・システム2)を用いると、高市首相の政治手法が国民にどう作用しているかが鮮明になります。
高市氏の戦略: 「おこめ券」などの分かりやすい物価高対策や、「自らの国は自らで守る」といった情緒的で力強いメッセージは、国民のシステム1に直接訴えかけます。67%という高い支持率は、複雑な議論を抜きにした「直感的な期待感」の表れです。
ポピュリズムの親和性: 複雑な社会問題を「敵か味方か」「守るか捨てるか」という単純な構図に落とし込むことで、システム1を刺激し、熱狂的な支持を調達しています。
高市氏の回避: 本来、スパイ防止法による人権侵害のリスクや、武器輸出拡大による国際紛争への関与、憲法改正の細部などは、システム2による深い検証と丁寧な議論を必要とします。
「遠回り」の拒絶: 中北教授が指摘するように、高市氏はシステム2を働かせる国会論戦を「遠回り」と断じ、選挙というシステム1的なイベントで一気に勝負をつけようとしています。これは、民主主義における「熟議」というプロセスをショートカットする試みです。
日米同盟の変質: トランプ大統領(資料内写真)との親密な関係や、防衛費GDP比2%超、原子力潜水艦の保有検討などは、米国からの「役割分担」の要求に応えるものです。しかし、これは同時に東アジアにおける軍拡競争を加速させるリスクも孕んでいます。
「普通の国」への転換: 武器輸出の「5類型」撤廃は、日本を世界の武器市場の主要プレイヤーに変貌させます。これは経済的利益をもたらす反面、「平和国家」としてのブランドを喪失させる可能性があります。
監視社会のリスク: スパイ防止法の制定やインテリジェンス機能の強化は、安全保障を高める一方で、国民の思想・信条の自由やプライバシーに対する国家の監視を強める懸念があります。
アイデンティティの固定化: 選択的夫婦別姓を拒み、旧姓の通称使用のみを法制化する方針や、外国人政策の厳格化は、多様性(ダイバーシティ)よりも「伝統的な家族観」や「秩序」を優先する社会への回帰を意味します。
中北教授が指摘する「自分が首相にふさわしいかどうかを問う」という解散理由は、典型的なプレビシット(国民投票)型政治です。
ポピュリズムの構造: 「既得権益やリベラルなエリート(丁寧な議論を求める層)」対「決断できるリーダーと国民」という対立構造を作り出しています。
民主主義の空洞化: 高い支持率を背景に、本来必要な「少数意見の尊重」や「権力のチェック・アンド・バランス」を軽視する傾向があります。選挙で勝てば何をやってもいいという「多数派の専制」に陥る危険性を孕んでいます。
高市政権の目指す方向性は、「戦後民主主義のOS(合意形成重視・抑制的防衛)」を「新保守主義のOS(決断重視・自立的防衛)」へと入れ替えることにあります。
この転換は、国民の「システム1(直感的な不安や愛国心)」を巧みに捉えることで推進されていますが、その代償として「システム2(論理的な検証と合意)」が軽視されています。今回の解散は、そのOSの入れ替えを、国民が詳細を理解・議論する前に「白紙委任」させるための戦略的手段であると構造化できます。
国民にとっては、目先の力強いリーダーシップ(システム1の充足)を取るか、あるいは将来的な権利制約や国際的緊張のリスク(システム2による懸念)を直視するか、その究極の選択を迫られる選挙となります。
資料に描かれた高市首相の政治手法や政策の方向性は、ドナルド・トランプ氏に象徴される現代のポピュリズム、およびその根底にある「反知性主義(Anti-intellectualism)」の流れと極めて高い親和性、あるいはシンクロニシティ(同調性)が見て取れます。
反知性主義とは、単に「知性がない」ことではなく、「専門知や複雑な議論を、特権階級(エリート)による自己保身や意思決定の引き延ばし(停滞)である」と断じ、否定する態度を指します。
高市氏の言動: 中北教授が指摘するように、高市氏は丁寧な議論を「遠回り」と表現しています。これは、民主主義の根幹である「熟議」を、目的達成を阻む「コスト」や「障害」として切り捨てる論理です。
トランプ氏との共通点: トランプ氏も「ワシントンのエリート(沼)」が議論ばかりして何も解決してこなかったと批判し、自らの「直感」と「決断」を正当化しました。両者とも、複雑な問題を「決断一つで解決できる単純なもの」へと書き換える手法をとっています。
反知性主義は、論理(システム2)よりも、大衆が直感的に抱く「共通感覚(コモン・センス)」や「感情(システム1)」を重視します。
シンボルと物語の活用: 資料にある「日本国国章損壊罪」や「皇室典範改正(男系維持)」、「奈良公園のシカ」のエピソードなどは、論理的な政策論争というよりは、国民のアイデンティティや「守るべき誇り」という感情的な琴線に触れるものです。
「普通の国」というマジックワード: 首相が語る「普通の国になるだけ」という言葉は、戦後体制の複雑な法的・歴史的経緯を無視し、「当たり前のことをするだけだ」という直感的な納得感をシステム1に与えます。これはトランプ氏の「Make America Great Again」と同様、詳細な検証を拒絶する強力なスローガンとして機能しています。
反知性主義的なリーダーは、自分と支持者の間に立つ「知の門番(メディア、学者、官僚、専門家)」を敵視し、これらをバイパスして直接国民に訴えかけます。
解散による上書き: 国会での野党や専門家による追及(システム2のプロセス)が本格化する前に解散を選んだのは、中間的なチェック機能を無効化し、高い支持率という「数」の力で専門的な異論を押し切る戦略です。
トランプ的「分断」の利用: 「国論を二分する」と自ら宣言することで、反対派を「改革を阻む勢力」や「国益を損なう者」と位置づけ、支持層との結束を強める手法も、トランプ氏が多用した「我々 vs 彼ら」の構図そのものです。
これまでの政治が「客観的な事実やデータに基づく調整(知性の政治)」であったのに対し、高市氏やトランプ氏の手法は「リーダーの強固な意志が現実を規定する(意志の政治)」への転換を意味します。
国際社会への影響: 資料にあるトランプ氏とのツーショット写真は象徴的です。両者は「既存の国際秩序やルール(知性的枠組み)」よりも、「自国の利益とリーダー間のディール(意志のぶつかり合い)」を優先します。これは予測可能性を低下させ、国際社会を「力の論理」へと回帰させるリスクを孕んでいます。
この流れは「知性による抑制」から「意志による突破」へのシフトであり、トランプ現象と深く共鳴しています。
反知性主義的な政治は、閉塞感を感じている国民に「スピード感」と「カタルシス(解放感)」を与えますが、その代償として、「複雑な問題を複雑なまま解決する能力」を社会から奪う危険があります。システム1による熱狂が、システム2による冷静なリスク管理(人権侵害の懸念や軍事的緊張の増大など)を飲み込んでいる現状は、まさに現代ポピュリズムの典型的な構造と言えるでしょう。
タモリ氏が2022年末に発した「新しい戦前」という言葉は、当時の社会に大きな衝撃を与えましたが、提供された資料にある高市政権の動向を重ね合わせると、その言葉が持つ「予言的リアリティ」がより鮮明に浮かび上がってきます。
「新しい戦前」とは、かつての戦前(1930年代)をそのまま繰り返すのではなく、現代的な民主主義の手続きを踏みながら、気づかぬうちに「戦争が可能な、あるいは戦争を前提とした社会構造」へと変質していくプロセスを指していると考えられます。
資料に基づき、なぜ「新しい戦前」が現実味を帯びていると言えるのか、その構造を解説します。
戦後の日本(戦後レジーム)は、憲法9条を基盤に「軍事力を極限まで抑制する」という特殊なOSで動いてきました。しかし、高市首相が掲げる政策は、そのOSを根本から入れ替えるものです。
防衛力の抜本的強化と「5類型」撤廃: 武器輸出の解禁や防衛費のGDP比2%超への増額は、日本を「世界の武器体系と軍事バランスの一部」に組み込みます。これは「平和の維持」という抽象的目標から、「軍事力による抑止と均衡」という、戦前を含む近代国家の標準的な(しかし危うい)論理への回帰です。
原子力潜水艦の検討: 資料にある「次世代の動力を活用した潜水艦」は、長期間の潜航と遠方への展開を可能にします。これは専守防衛の枠を超えた「外洋でのプレゼンス」を意識したものであり、地政学的な緊張を前提とした装備です。
戦前への回帰を最も強く想起させるのが、国民の精神や行動を縛る法整備の動きです。
スパイ防止法: 資料でも触れられている通り、1985年の「国家秘密法案」が廃案になったのは、それが「現代版の治安維持法」になり得るとの懸念があったからです。高市首相がこれに「前のめり」であることは、国家の安全を個人の自由(思想・信条の自由)よりも上位に置く価値観への転換を示唆しています。
日本国国章損壊罪: 「国旗を損壊したら処罰する」という発想は、国民に「国家への忠誠」を可視化させる装置です。これは、多様な価値観を認める「戦後民主主義」から、国家という単一のアイデンティティを強制する「戦前的統合」への揺り戻しと言えます。
タモリ氏の言う「新しい」という言葉の肝は、それが「国民の支持(民主的プロセス)」を背景に進んでいる点にあります。
67%の支持率という免罪符: かつての戦前も、軍部の暴走だけでなく、新聞や国民の熱狂がそれを後押ししました。資料にある「高い支持率がすべてを飲み込んでいる」という状況は、システム2(論理的・批判的思考)によるブレーキが効かず、システム1(直感的な期待・不安・愛国心)が政治をドライブしている状態です。
「遠回り」の排除: 丁寧な議論を「遠回り」と切り捨てる姿勢は、独裁への入り口です。戦前も「議会政治の無能」が叫ばれ、迅速な決定を求める世論が強いリーダーシップを待望しました。現在の「突破型政治」は、その現代版と言えるかもしれません。
トランプ氏とのシンクロは、世界全体が「リベラルな国際秩序」を捨て、「自国第一主義と力の論理」に回帰していることを示しています。
「普通の国」の危うさ: 高市首相の言う「普通の国」とは、国際社会が弱肉強食の場であることを前提とした言葉です。これは、戦後日本が理想として掲げた「名誉ある地位を占めたい(憲法前文)」という国際協調主義からの決別であり、19世紀的な「大国間競争」の時代、すなわち「戦前」の論理への合流です。
BSジャパネクストがリニューアル BS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02 霜柱
・03 ボリビア
・04 『鬼平犯科帳』
・05 桃太郎電鉄
・06 柔道(整復師
・08 星野源 ほしのげん
・09 [近似値]34万3275 人
・14 滋賀(県
・15 [血青素]ヘモシアニン
・16 [立体文字]院
・18 大浦天主堂
・19 4(年
・21 [2択]白 身魚
・23 [3択]5 7歳
・25 柄本佑 えもとたすく
・28 [3択]思い出 の国
・29e ハ(ン)ムラビ(法典
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(日曜本放送)このあと14:15からは「人生に魔法をかける ロングブレスで激変物語 【73歳女性が呼吸で腰痛改善】」→14:45BS10からのお知らせ
16:00-17:46 中森明菜 Akina Nakamori Live tour 2003 ~I hope so~[字]
(25日日曜日)
科学史とは、
科学において勝てなかった者たちが、
これは悪意ではない。
具体例はいくらでもある。
たとえば、物理史をやっている知人は、
式も追えた。
だが、博士課程に進む段階で、
「これは才能の勝負だ」と悟ったらしい。
計算が速い同期、
その結果、彼は「物理史」に移った。
そして今、彼は言う。
あそこまで評価されなかった」
これは事実だ。
だが同時に、
数学史も同じだ。
数学史家の多くは、
証明を“読む”ことはできるが、
“作る”ことはできない。
そこで彼らは、
「ユークリッド幾何学の成立」
「ブルバキ以前/以後」
を語る。
そして必ずこう言う。
これも正しい。
だがそれは同時に、
極めつけは、
クーン以後、
革命は断絶であり、
合理性は後付けであり、
これによって何が起きたか。
科学史は、
ここに、
権力への意志がある。
実験も回せない。
だが、
しかも、その語りは、
なぜならそれは、
という、
こうして科学史家は、
だが、この権力は脆い。
科学史は常に「補助科目」だ。
・人文学部では周縁
・研究費は通りにくい
つまり、
語りによって得たはずの権力が、
制度によって即座に回収される。
これが、科学史の悲哀だ。
しかも内部では、
この捻じれた意志が互いに衝突する。
「あの人は科学を分かっていない」
「あの人は社会史に寄りすぎ」
「あれは科学史ではない」
要するに、
失敗の仕方の違いをめぐるマウンティングだ。
理論に敗れた者、
実験に敗れた者、
数学に敗れた者、
全員が「語り」の正統性を奪い合う。
結果、
学問は閉じ、
それでも、
なぜなら、
本当は今でも、
科学史とは、
その敗北を意味づけし、
尊厳を保とうとする
だがその体系は、
時給1117円の求人票の前で、
あまりにも無力になる。
科学史が終わりつつあるのではない。
もはや許容されなくなってきている。
だから衰退する。
静かに、
誰にも惜しまれず、
ひどく納得した顔で。
英国でヒットした小説、ルッキズムなどがテーマとして扱われている、
柚木麻子『BUTTER』をアマゾンAudibleで聴きはじめた。
読後(聴了後)に
今後同著を読む予定がある方は以下の文章はネタバレを含むことを留意して下さい。
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この小説は、獄中の連続殺人容疑者の女性を、取材する週刊誌の女性記者が主人公です。
主人公は、容疑者の女性への独占インタビューを獲得するために、容疑者が要求することを指示に従い実行することになります。
それは、ある食べ物を食べてみなさい、あるレストランへ行ってみなさい、といった「食」に絡む行動です。
主人公はそういった容疑者に指示される行動を通じて、容疑者の人物を考察しつつ、事件の真相を追うことにもなります。
読者からすると、この形式(所謂「羊たちの沈黙」形式)の小説を提示されると、これはミステリー小説なのだとミスリードされます。
容疑者からの「お使い」をこなすことで、徐々に事件の真相を追求するという形式、事件の「謎」を餌にして小説を読み進むモチベーションを得ます。
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この小説は本格ミステリー小説ではなく、ゆえに、最後に事件の真相とか、犯人の動機とか、真犯人が登場したり、しません。
え?これで終わり?マジで?……。
と聴了後、肩透かしを喰らったので、それがちょっとやっぱり不満でした。
ひょっとしたら事前にもう少し情報を集めてていたらそういうガッカリ感を味わうことのなかったのかもしれませんが。
謎を追い求めつつ、
それらがラストに解明しないのは少し読者に対してアンフェアではないのか?
とは思います。
もちろん、そういう「答え」を読者に委ねる形式のミステリーはあるかと思います。
意識的なミスリード、真相は解明される、という「餌」はあきらかに用意されています。
おそらく、この読後の不満感を抱く構造は、意図して設計されたものなのだとは思います。
ただ、ただ、これは調べると2017年の刊行の小説ということです。
ひょっとしたら、そのときに私が、これを読んでいれば、もっと読後の感触は変わったかもしれません。
この小説のテーマ、生きづらい世の中に生きることについて、という問題提起に対して「新しさ」を感じる時代性があればもっと違っていたかもしれません。
あえて、読後に読者にものを考えさせるがための「不満感」なのだろうな、とか。
ただ、現在、同様のテーマに新しさはなく、既知なものとして若干の食傷すら芽生え始めている時代のズレが、この小説の意図的未消化感に対するスッキリしない感じを増幅しているのかもしれません。