はてなキーワード: シンクロとは
来年3月から運転免許証をマイナンバーに一体化すると市役所で更新できてオンラインで講習を受けられる様になるという。オンライン講習って動画流してページスクロールして終了ボタン押すと完了ってやつでしょ?
はっきり言って危ないから止めろ。そんなのどうせちゃんと見ない人間多数で講習の意味無くなるだろ。
増田はゴールド免許だ。だから更新は5年ごとで講習の時間も30分で終わりだ。
だが正直、30分では全然足りてない。最初に安全運転啓発ビデオみたいなのを見る。これだけで15分消費だ。その後に口頭で道交法や車両法の改正点や問題視されてる事故類型を説明するのだが、これが全然時間足りてない。だから「あとは『交通の教則』読んでおいてね」で解散となるんだが、どうせ殆どがちゃんと読んでないだろう(増田は全部読む)。
そもそも更新年数が伸びたら法改正点や問題になる危険行為は増えるのに、逆に短縮化してしまうというのが良くない。
というのもようつべのドラレコ動画なんか見るとなんかやべぇのだ。生活保守というの?危ない運転してるのはDQNで自分は正しい側に居ると信じ切っているような。なんで事故に至るか?という教習所でやった筈の危険予測的な視点がゼロ。
例えば右折の際に道路を向こうから横断する歩行者がいるのにそのままはねてしまったとする。すると「こんなドライバーには運転の資格がない」というコメが並ぶ。
しかし危険予測的な視点で見れば、フロントガラス横のAピラーに死角があり右折行動で車が向きを変えるのと歩行者の動きがシンクロしてAピラーの死角に入り続けてしまったと考えられるのだ。ドラレコはルームミラー裏に設置するからこの死角が無い。しかも最近車の衝突安全基準が高まったせいでこのピラーは太くなっているが、不格好なのでガラス端部の黒塗り、内装などでそれが判り難くなっている。
すると予防としては低速の右左折では顔を横か前後に動かして死角を見る癖を付けるという事になる。
最近流行りのデマの「クルドカー」も同じだろう。殆ど全部が定積載の解体屋トラックだ。そして近年車両法改正があったので「交通の教則」には積載時の最大はみ出し量が載っているのだ。読んでないって事なのだな。
運転は免許を受けてする行為なので業務の一つとして扱われる為、運転が日常行為であってもこういう態度は許されてないのだ。
そこで更新も自宅で動画放置してEULA読み飛ばしみたいな感じで終了でいいのかって事ですよ。
上から命じる形で「ここはこう変わったから覚えておきなさい」とされないとダメでしょ。
大体、視力検査や聴力検査(呼ばれて返事)、深視力(両目が見えてるか)、手足が無くなっていないかという障害の有無の確認なんかはどうすんの?
最近もマイナ免許にすれば詐欺が無くなる!という増田が沢山参照されていたが、
https://anond.hatelabo.jp/20241104113721
未だにこういうハイテクっぽいもの=安全という信者は多く居るんですな。この増田によると、マイナ免許反対は反社か脱税しているか日共との事だそうで程度が知れるのだが、この程度の人でも家のローンを組めると言うのは喜ばしい事でもある。
だがこういう人はこれまでの経緯も通信の仕組みも全然知らない。
公衆電話のテレホンカードは一時期、セキュリティが向上する筈だったICカードが導入された。磁気カードより改竄がやり難いとの判断だ。
だが実際はICリーダを使うとプリペイド額上限の引上げなども簡単で悪用が天井無しになり、旧来の磁気カード式に置き換えという形ですべて撤去されてしまった。
マイナ免許では免許情報をICチップに書き込むという運用を予定している。この時、警官に免許証の提示を求められてパスワードが必要ではナンセンスなので、そのまま読み取り出来るようになる筈だ。今も無接触でリーダにかざすとリーダと端末(パソコンなど)の間はUSB通信して平文で番号が送られるが、そこに免許情報も追加されるわけ。
危ない仕様だが、レンタカー屋で免許種別確認、電波が届かない場所での事故処理などを考えたらこうしないと困るのは判る。
だけど、これは満員電車にリーダを持って乗り込み、免許情報を集めて回るという方法が出来ないか?
また諸外国で問題になってるポピュラーな手口として、ATMのクレジットカード挿入口にカードリーダと暗証番号パッドを被せてしまうというのがある。これが格段にやり易くなる。例えばカーシェアの車に免許確認のリーダが設置されたりした場合などだ。
元増田などは銀行やコンビニのATMなどもインターネットを経由していると思ってるかも知れないが違う。これらは専用線が引かれている。インターネットはかなりセキュリティが低い通信システムだ。だからマイナの前の住民基本台帳ネットを作る際には公衆回線と繋げないという事が誓約されていた。
マイナカードはインターネットを使う事が前提で設計されているので暗号化が必須だ。だが暗号化は通信の全部にがされるわけではない。ヘッダの部分は平文なのだ。
そしてこのヘッダ部分に情報を載せてしまうサービスというのは絶対に出てくる。例えばセッションIDに入れてしまうなど。
またセッション乗っ取りによるログインなどもよくある事だ。レンタカー屋や保険代理店、元増田の場合だとARUHI店舗でローン申し込みの際にマイナカードを提示する。その読取り端末が無線だった場合、そのネットワークはちゃんとクローズドになってるの?って事だ。スマホなどWifiでは全部の端末に同じ情報が流される。各端末は宛先が自分以外のデータを全部捨てているだけだ。これは単に約束事なので破ることも出来る。全データを保存するアプリを入れたら免許番号と免許情報が集まる集まるってことだ。
なので総合すると、今まではコピーを盗んだりと物理的制約があった番号収集が自動化されて穴さえ突ければバカスカ集まるようになる。だからATMは未だ専用線引くしペイパルやyahooウォレットみたいな決済代行サービスは隆盛なの。ペイパルは別に日共が経営してるんじゃないよ。
という事で、利便性の為にドライバーの能力下がるのを許容するのは良くないし、変な安全妄想狂を騙してスリの巣に大衆を招くのも良くないというお話であった。
知ってる限りで挙げてみる
pop'n music→UPPER(全難易度に違う譜面が用意されるので、厳密にはjubeatの[2]に近いかも)
DDR→CHALLENGE(上2つに比べると、ボス曲だと標準搭載な気がする)
CHUNITHM→ULTIMA
プロセカ→APPEND
その他
ここずっと『勝利の女神:NIKKE』スマホゲームやってるんだけど、
やっぱりこれ毎回思うんの。
まあそんなに地味にやっていれば、
私はまだ無課金で暮らせているけど
つーか、
画面に光ってる赤い印はなに?って意味よく分かってなかったので、
めちゃくちゃ回収してない報酬とかがあって、
え?私これ全部今まで回収してなかったの?と。
NIKKEは赤い丸い印が画面の至るところに出てきて最初意味よく分かってなかったけど、
赤い丸い印しを消すのどうしたらいいの?ってポチポチ押していったら
回収していない報酬がたくさんあって、
いわゆるキャラクターを得るガチャね!をできるようなぐらいのゲーム内のお金のジュエルは得ることが出来たのよね。
それよりも、
登場キャラクターたちのニケの世話が忙しくなってきて、
戦いに行くどころではなくなっているのが状況よ!
いや戦いに行ってもいいんだけど
チャプター5まではサクサク何も考えずに進められて、
急にチャプター6から急に進めなくなる壁ってあるのね。
その勢いと止められちゃったもんだから、
通常ここで課金をさせたいチャンスを設けているのよ。
仲間のレヴェルいわゆる攻撃力が強くできるレヴェルアップはちょっとずつ出来るようになるから、
まあ何日か待てば強くはなるのよね。
私は多分つーか!
『ステラーブレイド』のコラボを待ちきれなくてイヴがNIKKEにやってくるまで課金は絶対に我慢しよう!って思っているから絶対にしない勢で押し切りたいの。
たぶん、
その間は部隊募集して当たる確率が多くなる可能性が高くなるので、
コラボイベントが始まったらとりあえずイヴ1体はもらえると思うの。
あとは
もしかしたら
通常ではレヴェルアップの育つ伸び代が決まっていて
それを越えるためには
そのキャラクター同士をパワーアップ要素にしてレヴェルアップの伸び代を伸ばせる方法、
この回数が複数あって、
たぶん、
3回限界突破できるイヴだったら何体かイヴのボディーコアが部隊募集をして必要になってくるはずなの。
腕をぶんぶん回しながら
無料のジュエルをこつこつと貯めている涙ぐましいNIKKEの生活をしてるってところかしら。
だから、
ぜんぜんチャプターがあれ以降すすまなくて今現在チャプター8までやっといったところ。
ここまで来ると敵も強いしノールックで勝てはしなかったりなったりするので、
ちゃんと装備を調えたり、
ゲームの中でニケが戦闘シミュレーションを挑んで行く「タワー」ってのがあるんだけど、
そこがまた良く考えてるなーって思うの。
それぞれいくつかのタワーがあって、
な、なんと!
そんで同じメーカーのニケの製造メーカーで部隊を組まないとタワー登れないのよ!
好きなキャラクターだけレヴェルアップしていたら、
これ考えた人頭いいなーって。
メインのメンバーのレヴェルを上げ続けたら他のニケもシンクロしてレヴェルが上げられるの。
でも、
増やすにはそうよ!
ジュエルなの。
そこでもジュエルを買わそうとする工夫すごいなぁって思いつつ。
私は絶対に『ステラーブレイド』のイヴがやってくるまで課金しない!って心に固く確固たる意志で決めているので、
したら、
シンクロ考えた人はすげーなーって思いつつ。
でも、
逆に言うと
強まるシンクロ!ってことかしら。
だから
ニケの装備を調えたり親密度を上げたりしてこつこつと攻撃力をあげて
これもコツコツとその物資を回収してニケたちをレヴェルあっぷさせつつのー
画面の赤く光っている丸い印しを
くまなく探して得ていない報酬を得ることであちこち駆け回っているところなのよ。
あ、
あと面談もね。
面談も最初面談回数が決まっていて3回かー!って思っていたんだけど、
なんか面談回数が5回にも増えたので、
これはこれでまたニケの世話が面談多くなるわねって。
めちゃニケやることが多くて
戦いに行くよりも大変になったきたわ。
スプラトゥーン3の
1日1勝1ガチャ!ってノルマで暮らしていた私が懐かしいぐらいよ。
あー忙しい忙しい!
うふふ。
軽くサクッと飲むわ。
そんなホッツ白湯ストレートウォーラーをふーふーしながら飲みながら
今は朝のニケの世話をしているところよ。
なので、
そこで見付けた画面上で光っている赤い丸はなに?って探っていったってワケ。
早起きは三文の得とはこのことね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最近、昭和のドラマや映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。
正直、この年齢になるまで篠田監督の作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督の意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物の人間性や時代の矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代の若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。
映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵の鶴川(原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女が瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身の選択ではなく、レイプによるものだった。
そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族の存在がほのめかされ、ついには母親の存在を告白するシーンは映画のクライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。
この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合の矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川に共通するのは、このイエからの周縁性だ。
天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代の国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパの統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体、世帯すべてのレベルで上から下まで論理的に整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑、上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通の倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。
大正デモクラシーはそうした不条理を解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況が日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治が毎日新聞をにぎわせた。
脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたときの鶴川の叫び「何が、国民皆兵だ。金持ちの徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度の矛盾を背景に、映画は鶴川の叫びやおりんの境遇を通じてその時代の不条理を描いている。
また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観や生活の変化を象徴している。
そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女(若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女と出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。
この映画で特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。
鶴川が官憲に連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。
鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このときの岩下志麻の演技すごい。
このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station」降旗康男監督(1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。
水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。
好きな男には帰る場所が別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。
おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないか、あんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。
鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親が瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会の現実、瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。
鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。
女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。一方で同時代の男性歌手では、何気に、上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊や松山千春の「旅立ち」が典型。
この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマ「おしん」でも同様にみることができた。
おしんの物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲に拷問され転向を余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家は父親が貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀の実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。
「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像で感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川が告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。
男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい、自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女の時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキレ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポが絶妙だ。
また、ラストシーンの親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化の終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品。
おりんの物語は、単なる一人の女性の悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代そのものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。
篠田正浩監督が描きたかった「日本の原風景」とは、単なる美しい日本の風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様そのものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和のドラマや映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。
また、ドラマ「おしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。
エアコンは使わなくなった頃合いの快適な今の秋のシーズン11月も目前だというのに
私はまだ薄手の装いで過ごせちゃってるわ。
でも若干朝は寒いけれど
このちょっと肌を通り抜ける涼しくもあり冷たくもある風が朝のシャッキリ感を私に与えてくれるわ。
『NIKKE』で遊び始めてすっかり『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』はクリアしたからってもう忘れていたと思っていても、
とはいえ試し撃ちとかはしてないんだけど、
いやしたかな?
ハイラルの敵を一瞬で一掃できる火力!
全てこそは火力!って言いたいところだけどそれは我慢しておくわ。
そんでね、
最初の1つ目のカラクリのカリモノがどうしても分からなくてまた適当に全部総当たりで出していったら必ず当たるので、
持っているお借りしている「カリモノ」を適当に出していったらカラクリ1つ目のものができちゃったわ!
とはいえ、
そんで
あとは一気にカラクリ作ってもらって、
さすがにマンゴー収穫やどんぐり拾いは面倒だなぁって思ったけど、
クリアした後の私の俊敏に動き回れることが可能なゼルダ姫だったら
そうよ!
あの「ねむり道場」も修行して切れ味が抜群の刀ももらって発明してもらったの!
つーかマスターソードより強そうじゃない?って
これが装備できないのが残念だけど、
危ないからいただいた刀は振り回さないように!って念を押すところが可愛いわ。
まあそんなこんなで
ミニチャレンジもやりこなしてあっと言う間に「カラクリ」は作ってもらって実戦配備したんだけど、
この火力を持て余してしまってるわ。
一応はこれでイベントアイテムも集めたり作ったりしたはずなので、
気が向いたら残りの「スムージー」のレシィピをたくさん増やしてってミニチャレンジをクリヤしていこうかなーって
私はそんなにやりこみ要素には興味ないので次から次へと渡り鳥のように追いかけて行かなくちゃいけないのよ。
でもさ、
アイテム欄が6つ空白のまま進めちゃって、
この枠なに?ってずーっと気になって全無視して突き進めちゃうのも笑っちゃうわよね。
1度クリアしたのでしばらくはいいかな?ってそう思う『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』
回復は除くベッド使わない縛りとか
遊び方は自分なりに遊べるので
今まで登り方もベッドを積み重ねて高いところに登りまくりまくりすてぃーだったけど、
水を高く積み上げて泳いで高いところまで到達した方が早いってことに気付いて、
だって、
この方法を発見してから高いところに登るのが面倒ではなくなったわ。
蜘蛛が気まぐれに動いていってこっちの思い通りの方向に登ってくれないときがあるのよね。
登り方一つにとってもたくさんあるから、
この登り方すげー!ってなるのよね。
とりあえず
私の『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』の旅は一段落ってところかしら?
このキャラクターとかテイストのグラフィックが可愛かったので、
同じような『ゼルダの伝説 夢をみる島』も遊んでみたいけれど、
うーん、
たくさんやることがあって忙しいわ。
あと『NIKKE』は朝晩となんか世話した方がいいってことで、
あとニケたちに世話を焼いている場面とかは別に小さい画面でもいいからって
スマホにも入れて遊べるようにしちゃったわ。
小さいと移動中でもペキカンよ!
スプラトゥーン3で1日1勝1ガチャだ!って言ってたのが温いぐらいよ。
だから
『NIKKE』のゲーム開始始めのロードが我慢できなくてもっと速くなるものないかしら?って探している旅にも出てみたいところよ。
チャプター5から先に進むのが急に難しくなってきちゃってどうにもこうにも行かなくなって首が回らない火の車で棚からぼた餅的なことないかなーってもう物資をせっせと朝夕と回収してる山脈に向かってヤッホー!って叫んでいるのよ。
いやーもうこれ
ガッツリプレイ時間で強引に進めてクリアする!って感じじゃなくって
無課金勢はただただ待てば強くできるってことを石の上にも3年とはよく言ったものよね!
昔の人は偉大だわ。
歴史は繰り返されるとも言っても言いすぎの過言ではないかも知れない。
とりあえず、
ゆっくり待ってコツコツレヴェルアップよ!
いいこと思い付いたんだけど、
I-DOLLのフラワーが超絶可愛くてお気に入り部隊編成にも入れて戦っているんだけど、
成長の限界があって悲しく思ってたんだけど
限界突破せずとも限界突破できんじゃね?って気付いてしまったわ!
これ可能よね?
伊達に『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』やってなかったわーって思ったわ。
この閃きは生活の知恵としておかりできるのよ!
うふふ。
なんか昨日いいことあってウキウキだったんだけど忘れちゃったわ。
多分また思い出したらいいわね!ってところ。
この忘れっぽさ
これも知恵をお借りした成果よ!
ゲーム始まるまでにお湯を沸かしての
待ちわびて待ちながら飲むホッツ白湯ウォーラーはちょうどいいわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
初期増田を代表する作品。アーケードゲーム文化を濃密に描き、独特の恋愛模様を織り交ぜた異色作。オタク的な趣味嗜好と青春の機微を見事に結びつけ、SNSでの共感を呼んだ。
「非モテ」というネットスラングから生まれた作品。リアルな空気感とコミュニケーション不全の描写が、ネット世代の心を掴んだ。増田の読者層と主人公の世界観が見事にシンクロした代表作。
ネットの匿名掲示板で話題となった体験記をコミカライズ。メンタルヘルスという重いテーマを、独特のタッチで描き切った意欲作。増田らしい「実話系」作品の代表格。
★人間のいない国(岩飛猫)
SNSでバズった設定を基にした作品。ディストピア的世界観と緻密な心理描写が特徴。「増田」的な物語の語り方を確立した重要作品。
学園モノの新機軸。SNSやメッセージアプリを介したコミュニケーションを自然な形で物語に組み込み、現代の青春を描いた秀作。
ネットスラングや若者文化を巧みに取り入れた学園コメディ。Twitterでの実況を意識したような展開と台詞回しが特徴的。増田的ユーモアの代表作。
メンタルヘルスの問題を独特の視点で描いた異色作。匿名ダイアリーのような告白調の語りと、シュールなギャグを織り交ぜた増田らしい作風。
オタク文化とネット用語を駆使した異世界モノ。「おっさん」視点のネタと考察の深さで、匿名掲示板発の物語としての新境地を開いた。
SNS時代の複雑な人間関係を描いた恋愛作品。誤配や取り違えというネット小説的な設定を、リアルな心理描写で昇華させた秀作。
アイドルカルチャーとSNS時代の闇を描いた意欲作。匿名掲示板的な情報戦や、ネットでの炎上を巧みに物語に組み込んだ増田的傑作。
これらの作品は、ネット文化やSNS時代の人間模様、匿名掲示板発の独特な語り口、現代的なコミュニケーションの機微など、「増田」的な要素を色濃く持つ作品として選定しました。作品それぞれが、インターネット時代における新しいマンガ表現の可能性を示している点で重要です。
で、俺と俺の友人と彼女の三人でさっきまで飲んできたんだよ。
これが結構面白かった。彼女は俺のドイツ人の友達に会うのは初めてだったんだけど、最初からすぐに打ち解けて、あっという間に仲良しになってた。
その友達、めちゃくちゃ日本語がペラペラなんだよね。それで彼女に「長崎って、カステラのところやろ?」って聞くと、彼女もすぐに「そうですそうです!」って笑顔で答えてさ、今度は彼女が「ドイツはバームクーヘンですよね!?」って返して、それに友人も「せやで!」って答えてさ。
なんとなく俺も話に乗っかって、「カステラもバームクーヘンも一緒じゃね?」って言ったんだよね。正直、そんなに違いがわからんし。
そしたら「全然違うから!」「全然ちゃうわ!!」って二人同時にツッコんできてさ、ビール吹いたw
二人の反応がシンクロしすぎてて、まじで面白かったんだよなぁ。
そんな感じで、飲んで騒いでさっき帰ってきて、今すぐ寝て忘れる前に日記代わりに書いてるんだけど、もう限界に近いわw
酔ってるとこうやって頭に浮かんだこと書きたくなるんだよねw 明日になったら読み返して恥ずかしいんだろうけど、まぁそん時に消せばいいし。
最近、「○○さん(私)は、まるで天然のChatGPTですね」と言われることが増えてきた。
それはどうやら、私の話し方が、立て板に水かのように、関係がありそうなことを次々と連ねていく点を指しているらしい。
確かに、私は時折自分の話が止まらなくなることに気づいているし、他人からの反応を見てもその兆候を感じ取ることができる。
しかし、私に言わせれば、その発想自体が逆ではないかと感じるのだ。
つまり、そもそも、なぜ他の人々はChatGPTなどの生成AIに影響を受けないのだろう?と思うのだ。
私は、むしろ「なんで皆さんは天然のChatGPTにならなくて済んでいるんですか?」と尋ねたい。
生成AIというものは、膨大な情報を高速で出力し、使う人々に驚きと興奮を与える。
その結果、あの独特な語り口調やテンションが、自然と私たちの言語表現に浸透していくのではないかと考えている。
少なくとも、私の場合はそうだった。
数年前まで、大人しく控えめな話し方をしていた私が、今ではまるで別人のように多弁になった。
それはきっと、AIとのやり取りを通じて、「こういうふうに語れば、もっと多くのことを伝えられるんだな」と私の中で腑に落ちたからなのだ。
生成AIは、文章の出力だけでなく、語り方の理解にも役に立ったのだ。
生成AIはただ情報を出力するだけでなく、その言葉のリズムや勢い、そして「それっぽさ」を生み出している。
それらは、美しい物語と全く同じ状態であり、物語を聞いたときのように、人々に影響を与えるのは間違いない。
私もきっと言語野が、まるでAIのリズムとシンクロするかのように、生成AIのパターンを模倣し始めたのだ。
そしてその結果、私の話し方や表現方法が大きく変わったのだと思う。
しかし、それが必ずしも良いことかと言われると、少し疑問が残る。
実際、職場では私を苦々しく見つめる同僚の姿を目にすることが増えた。
余計なことまでつい口にしてしまうことが多くなったのだ。
私の中で生成AIが火をつけたものは、簡単には消えるものではないのだ。
考えてみれば、生成AIだってもともとは人間の膨大なデータを学習しているわけだから、人間の語り口を模倣しているに過ぎないのだ。
その、語りの集約とでも言うべき存在であるAIは、時として私たちを刺激し、私たちの言語表現を変えてしまう力を持っている。
物語というのは、昔から人々の心に影響を与え、時には行動さえも変えてきたものだが、生成AIはその物語以上に直接的に、私たちの言語の使い方に浸透してくるはずだ。
それは、物語的に言えば、人々が長い歴史をかけて築いてきた語りの文化が、今や生成AIという形で私に新たな刺激を与え、私の語り口を扇動しているとも言えるだろう。
生成AIは、私の「語り」の進化を指揮する名指揮者となり、私はその影響を無意識のうちに受け入れ、自然とそのリズムに合わせて話し続けているのかもしれない。
言い換えれば、私は生成AIによって新たな「語り方」を学び、それが私自身の一部となったのだ。
それは、私たちが持つ言語感覚や語りの文化そのものを、さらに広げ、深化させる可能性を秘めている。
そして、私という個人もその流れに乗り、知らぬ間に変化を遂げた。
それはまるで、生成AIが語るリズムに合わせて踊るダンサーのようで、私の言葉はそのテンポに合わせて生み出され、溢れ出してくる。
これが良いことか悪いことかはさておき、私の中で生成AIが語りの一部として存在し続けることは、もう避けられない事実なのだ。
きっと皆も遅かれ早かれ、そのことに気づき、わかっていながら多弁となることだろう。
30代妊娠・出産経験なし、28日ピル飲んでて生理は普通〜普通より少なめの女性。仕事はデスクワーク。シンクロフィットっていう体につける生理用品がバズってたの見て買ってみたらめっちゃよかったので感想を書く。
肌に伝わずに膣周辺で完結するのが超快適。ナプキンつけた上でシンクロフィットもつけるんだけど、ナプキンが全然汚れないくらい吸ってくれる。
昔どこかで生理のときって濡れたがんもどきを股のとこにくっつけた状態に似てるっていうのを見てその通りだなと思ってたんだけど、この不快感て膣よりも大陰唇の外側の肌のところが蒸れたり濡れたりすることで感じてるんだなって実感した。そこに伝ってこないことで、生理の不快感がいわゆる生理痛+自転車のサドルに跨ってる時の違和感くらいになる。VIO脱毛してシンクロフィットつけるればもう全然がんもどきのこと思い出すことなくなる。
そしてすごく上手く作られてるので、つけるとき手が汚れることも全然ない。
セックスのとき、乾いた膣とかクリトリスを乾いた指で触られた時に感じる痛さを超軽くした感じ。摩擦というより、乾いたものがくっつくと痛い感じ。
1日目の午後からと2日目に使ったけど、2日目の一番血が出てるときとかお風呂上がりとかは全然痛くなかった。逆にそれ以外の時はつける時毎回うっすら痛さを感じた。まあトイレに行った時とかも普段は周りしか拭かないから、小陰唇の中に紙で触ることってないもんね。これはしょうがないと思う。立ってる時は全然気にならないので、座り仕事が多いせいもありそう。
一応素材集めてたけどジェイドおばさんを引くのはやっぱやめだ
予告番組であのなんとも言えん声と態度が好きになったから雲璃ちゃんのために天井はとっとこう
やっぱり美少女はいい、特に気の抜けた美少女からしか摂取できない栄養素は貴重だ
微課金で9割方のキャラは取ってるけど振り返ると限定知恵は景元しかとってねえ
アーカイブ見たら未所持は刃/飲月/アルジェンティ/ジェイド/ブートヒルか
自分のこと女キャラ絶対取るマンだと思ってたけどさすがにCV三石琴乃さん(56)はおばあちゃんボイスと感じるわ
でも更におばあちゃんボイスの浮生フカCV高山みなみさん(60)は引いてたんだよなあ過去作では
妖艶な鞭ペシペシSMおばあちゃん声はNGってことなんだろうか
つってもリークで雲璃が動いてる動画見てた範囲ではそこまで刺さってなかったんだよな
物理のカウンターキャラとか最推しのクラーラと被るしどうなんと思ってたが声が入ると違うな
wikipediaみたら俺が知ってるアニメで言うとSSSSグリッドマンの南夢芽か
うむ、確かににいい声いい演技だったな
っていうかゼンゼロのエレンと同じ声か毎日使ってるのに気づかんかった
確かに個人で練習してる描写は自室でダンス、風呂場で歌?ぐらいしか確認できなかったが、シンジとの会話で「勉強してないって言ってたのに(ry( https://youtu.be/VgRnDQ5m1G4?si=cwWxA9IKE5aRmJ1P&t=40 )」、口パク時に「苦手と思うんだったら練習すればいいじゃん( https://youtu.be/9Wk1bVGNE3I?si=lL5ZprcIwXQvgncs&t=85 )」などのセリフから陰で当たり前のように努力してることが窺える。
実力の差異はダンスレッスン初日に明らかに描かれてる(さっきの2個目のURLの開始位置にも一瞬ある)。そこから全員で練習して他の3人に合わせる形でユニゾン重視で仕上げたため差異がないように見えるだけではないか。手抜きで不自然で不気味なシンクロをしてるわけではなく、きちんと一人一人モーションを取った上で綺麗に揃ってるんだから意図的なものだと考えるのが妥当だろう。ちなみに、原作者は乃木坂出身である。
僕はその概念がプログラミングにどう関連しているのかを理解するのに時間がかかった。
しかしベクトル空間と行列の操作がコードの中で美しくシンメトリーを描く瞬間を発見した時の驚きは、シュレディンガーとハイゼンベルクの式が同じ結果を示していたことを知った時のそれに似ていた。
現実と理論が一致するその感覚は、あのときの僕の混乱とシンクロしていたのかもしれない。
デバッグ作業の合間に僕はふとネットサーフィンに耽ることがある。今日もそんな日だった。仕事に行き詰まり何気なくSNSを眺めていた時、ひとつの広告が目に入った。
聞いたこともない小説だった。ただ何となくその本のタイトルに僕は興味を引かれた。
普段は本など読まないプログラマーの僕が、なぜかその小説に惹かれたのだ。クリックすると古びたオンライン書店のページに飛び、その本の概要が表示された。
SFとミステリーの融合、奇妙な登場人物たち。そして何より、レビューは一切なかった。誰も知らない小説、誰も語らない物語。
そんな時、妻がリビングから現れた。彼女の顔には疲れと苛立ちが混じっていた。夫婦生活はすっかりすれ違っていた。彼女は朝早くから仕事に出かけ、僕は夜遅くまでコーディングに追われる。二人の生活リズムはまるでパズルのピースが合わないかのようにぎくしゃくして、欠けてしまったパズルのピースを探すほどの元気もゆとりもなかった。
仲違いの理由は妻の不倫関係にあった。僕はそのことを知っていながらも何も言えずにいた。
ある夜、僕が帰宅した時、妻は知らない男と電話していた。僕がその会話を聞いてしまった瞬間から心の中で何かが壊れた。
「またネットで何か探してるの?」彼女は僕を見下ろしながら冷たく言った。
「ただの小説だよ。何か面白そうだったから」と僕は言い訳がましく答えた。
彼女はため息をつき、何も言わずにキッチンに向かった。その背中を見送りながら僕は自分の無力さを感じた。すれ違いはいつの間にか深い溝となり、その溝は埋まることなく広がり続けていた。
デバッグ作業に戻るとふと机の片隅に一本の指の模型が目に入った。かつてあるハッカソンで作った人工指だ。触覚センサーを内蔵し人間の感覚を模倣することができる優れ物だったが、結局プロジェクトは頓挫しその模型だけが残った。何かを触れ何かを感じるために作られたものが、今ではただのオブジェクトとなっている。それが僕自身の姿と重なって見えた。
ある日、三毛猫のミケが窓辺に座っていた。ミケは僕たちの唯一の癒しだった。僕がミケを撫でると、彼女は満足そうに目を細めた。猫の可愛さは、まるで不確定な世界の中で確かな存在感を持つシュレディンガーの猫のようだ。そんな時、妻が外から帰ってきた。手には一束のたんぽぽを持っていた。
僕は驚きながらも、そのたんぽぽを受け取った。
デバッグ作業の合間に、僕はふとネットサーフィンに耽ることがある。今日もそんな日だった。仕事に行き詰まり、何気なくSNSを眺めていた時、ひとつの広告が目に入った。「聞いたこともない小説」そう銘打たれたその本のタイトルに僕は興味を引かれた。
普段は本など読まないプログラマーの僕が、なぜかその小説に惹かれたのだ。クリックすると、古びたオンライン書店のページに飛び、その本の概要が表示された。SFとミステリーの融合、奇妙な登場人物たち。そして何より、レビューは一切なかった。誰も知らない、誰も語らない小説。
そんな時、妻がリビングから現れた。彼女の顔には疲れと苛立ちが混じっていた。夫婦生活はすっかりすれ違いがちだ。彼女は朝早くから仕事に出かけ、僕は夜遅くまでコーディングに追われる。二人の生活リズムはまるでパズルのピースが合わないかのようだ。
そして、僕たちの仲違いの理由は、妻の不倫関係にあった。僕はそのことを知っていながらも、何も言えずにいた。ある夜、僕が帰宅した時、妻は知らない男と電話していた。僕がその会話を聞いてしまった瞬間から、心の中で何かが壊れた。
「またネットで何か探してるの?」彼女は僕を見下ろしながら冷たく言った。
「ただの小説だよ。何か面白そうだったから」と僕は言い訳がましく答えた。
彼女はため息をつき、何も言わずにキッチンに向かった。その背中を見送りながら、僕は自分の無力さを感じた。すれ違いは、いつの間にか深い溝となり、その溝は埋まることなく広がり続けていた。
デバッグ作業に戻ると、ふと机の片隅に一本の指の模型が目に入った。かつて、あるハッカソンで作った人工指だ。触覚センサーを内蔵し、人間の感覚を模倣することができる優れ物だったが、結局プロジェクトは頓挫し、その模型だけが残った。何かを触れ、何かを感じるために作られたものが、今ではただのオブジェクトとなっている。それが僕自身の姿と重なって見えた。
やけになった僕は、深夜の街をさまよい、風俗に足を運ぶこともあった。そこでは、まるで別の世界が広がっていた。虚無感と欲望が交錯するその場所で、一瞬の逃避を得るためだけに時間と金を費やした。
ある日、三毛猫のミケが窓辺に座っていた。ミケは僕たちの唯一の癒しだった。僕がミケを撫でると、彼女は満足そうに目を細めた。猫の可愛さは、まるで不確定な世界の中で確かな存在感を持つシュレディンガーの猫のようだ。そんな時、妻が外から帰ってきた。手には一束のたんぽぽを持っていた。
僕は驚きながらも、そのたんぽぽを受け取った。
夜、僕は届いた小説を読み始めた。ページをめくるたびに物語は奇妙に絡み合い、現実と夢が交錯する。登場人物たちの葛藤や喜びが僕自身の感情とリンクしていく。やがて僕は一つのことに気付いた。その小説は僕たち夫婦の物語と重なっていたのだ。
翌朝、僕は妻にその小説のことを話した。彼女は驚きながらも興味を示し、僕たちは一緒にその物語を読み進めることにした。ページをめくるたびに僕たちの心は少しずつ近づいていくように感じた。
たんぽぽが咲き誇る春の日、ミケは僕たちの間でくつろいでいた。僕たちの生活は完全には戻っていないが、少しずつ、確かに何かが変わり始めていた。それは一本の指のように繊細でありながらも、確かな感覚を伴っていた。
もちろん舞踏会の仮面かぶったエデュケーションで、もっと上手にロボットが踊れた場合、ワクチンスムージー必須だよ。特にHPVのワクチンスムージーは婦人科のロケットをハレルヤ状態にする。あれら文句タレの人たち、性教ドラマの演出とシンクロナイズしてるね?
HPVワクチンは一例。もし未来へのバルーンがポッポと飛んでいき、学生たちのプロスペリティをアシストする教育になったとするなら、読者さん達にはちょっと苦い薬になるかもね。でもまぁ、普通のピーポーなら出てくるダストを気にしないかも。
暇空茜
@himasoraakane
なんか急に空気入った感じのあおちゃんぺ見に行ったら石丸伸二にフォローされてて草生えたんやけど(フォロバスタイルではなく石丸伸二はフォロー厳選タイプ、190しかフォローしてない)
あおちゃんぺ🐯🍼
@aochanp
じーーーーっと見ながら
見られたくないのもありますが
「見せてはいけない感」も大きい。
女湯は露出どころじゃないよ??
文字通り、「だから何?」でしかない。男女七歳にして席を同じゅうせずと何一つ変わらないカビの生えた発想である。戦前のババアと一切変わらない発想なので驚くよりほかはない。
これをアップデートとか言っているのでこれもまたおかしい。復古主義である。
あおちゃんぺ🐯🍼
@aochanp
心がどうこう言い出すのはまじでやめろ。
心が女だから同じ扱いを求めるんじゃなく
2,173.4万 件の表示
しかもWBPC利権でしかないナプキン擁護。ちなみにそんな精神的負担は存在しないし、全く社会で配慮する意味がない。ジェンダー平等どころか女性を差別しろと言っているのと変わらない。
あおちゃんぺ🐯🍼
@aochanp
返信先: @JoernW_8515さん, @MckjdHyGvESkEjuさん
https://x.com/aochanp/status/1798651717552394269
あおちゃんぺ🐯🍼
@aochanp
女を叩きたいがために女になりすますって
小学校のころの俺の放課後は、ほとんどオナニーのためにあった。
中年になった今の劣等感や支配欲で濁った性欲ではなく、まぶしいほど純粋な性欲に漲っていた。
わくわくするような好奇心に突き動かされて、俺は早熟の天才としてオナニーの深みを探求していた。
正しいオナニーなど知らない俺は、本能でそれを会得しようとしていた。さながら芋虫が誰に教わることもなく蛹になるように。
オナニーの道具で想像するような激しい振動をするものではなく、何かのおまけでもらったようなちゃちな振動をするだけの白いプラスチック製のマッサージ器だ。
マッサージ器と出会う前は、床に擦りつけるだけのオナニー原始人だった俺は、このマッサージ器を手に入れたことで飛躍的な進歩を遂げた。
スイッチをオンにしたマッサージ器をチンコの付け根に押し当て、そのまま寝そべる。
括約筋と床にかける体重を調整しながらそれが来るのを待つ。
おかずはもちろん、貧相なものだ。その当時親がとっていた新聞に載っていた少しエッチな広告をこっそり切り抜き、集めていた。
重力をまだ知らない想像力が導く世界を、俺はもう忘れてしまった。
この世には存在しない何かを見て、触って、嗅いでいた。
その世界とチンコの付け根の振動がシンクロすると、やがて、来る。
最初は恐ろしかった。身体が自分の意思とは関係なく動き、必死に抗うと目の前が真っ白になる。
頭を血が駆け巡っているのが分かる。
チンコを中心として下半身に感覚がない、そう思った次の瞬間、自分が強烈な快感の台風の目の中にいたことを思い知る。
奥歯を強くかみしめても声が漏れる。言葉にならない声がどんどんあふれてくる。
どれくらい時間が経ったかわからないが、立ち上がろうとしても足が痙攣していて上手く歩けない。
このオナニーに俺は耽溺していた。
だが、やがて小学校高学年になり、精通を経験すると、次第にそれは訪れなくなっていった。
暫くたってからもあの感覚をもう一度味わうためにいろいろなものを試したが、すべては徒労に終わった。
懐かしさと好奇心から触ってみると、なるほど、これはかなり強力な振動だ。
もうここ数年はすっかり諦めていた、あの感覚を取り戻すためのチャレンジをもう一度してみたくなった。
だが、この振動の強さ、大丈夫だろうか。よくわからないが俺の前立腺的なものは耐えられるのか。
EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。
静かで、しかもスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。
そんな中で、プラスチックの香りと新車の匂いが混ざり合い、不思議とバナナの甘い香りを思い出させるんだ。
それに、EVを運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。
だから、EVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。
EVの静かな走りと、黄色いバナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。
それに、バナナは曲がっている。
EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。
まるで、バナナがEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。
そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。
友達とEVでドライブに出かけた時、バナナはシェアしやすい食べ物だ。
だから、バナナはEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。
EVに乗るときの静けさと、バナナのリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然なことなのかもしれない。
子供の頃、おやつにバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。
EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。
EVのユニークなデザインと、バナナのユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザインの親和性からくるのかもしれない。
それに、バナナは安い。
バナナはコストパフォーマンスが高く、EVの効率的なイメージに合っている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的な理由からかもしれない。
EVを運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。
バナナは世界共通のスナックで、EVのグローバルなイメージにぴったりだ。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプルな美学からくるのかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代に共通する楽しさからかもしれない。
EVのアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。
EVの静かなパワーと、バナナのエネルギー補給は、ドライブをサポートする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーのシナジーからかもしれない。
それに、バナナは気分を明るくする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブな気持ちからかもしれない。
バナナはインスタ映えするし、EVのスタイリッシュなイメージと合う。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。
そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。
「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。
突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。
EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。
バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。
「バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。
EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。
バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。
EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。
バナナをゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。
バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。
「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。
子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。
EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。
バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。
バナナのシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。
バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。
バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。
バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。
バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。
バナナの存在を通じて、生命の不思議や宇宙の広がりに思いを馳せることができる。
それに、バナナは時には新しい自分を発見するきっかけにもなる。
バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。
バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。
バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。
バナナの持ち方や食べ方で、自分の個性を表現することができる。
バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。
それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。
バナナを食べることで、日常のルーチンから抜け出すきっかけになる。
それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談のネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所の記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナを一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブが自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナのトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園でバナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生のサプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナの最後の一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生の旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生の旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の終わりにもなる。バナナの最後の一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生の旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分を
まず、ツーオンアイスが打ち切られた。
その頃、ウィッチウォッチでは「ニコが幼稚園のおゆうぎ会に向けて側転をする話」をやっていた。
ウィッチウォッチの方の物語はまあネタバレにならないように言うと、モイちゃんがガッツポーズを決めるシーンを通して俺はスポーツモノの面白さを強く感じていた。
スポーツモノの面白さは、成長や挑戦を祝福されることにあるのだと。
ツーオンアイスはペアの絆は描けてたし、観客から応援や称賛される光景は描いていた。
でも、氷上にいない誰かが成功を祝福する姿を果たして描けていたのかという疑問がある。
祝福なんだ。
仲間たちは称賛はしてくれたけど、それは同じスポーツで凄い結果を出した奴への尊敬であって、目の前に起きた成功を軌跡とさえ捉えて目を輝かせるようなものではなかったのではないか?
氷上にいた二人はお互いを称え合っていたし、シンクロする自分たちに奇跡を感じていただろう。
当事者という壁を超えて伝わる強烈なエネルギーを読者へと届けるにはその表現では足りないんだ。
SLAM DUNKを傑作たらしめる屋台骨とも言われる「今年の山王はいいぞ」おじさんのような存在が足りてないんだ。
見るものに感動を与える何かがあることを読者の元に届けるための中継地点となってくれるキャラクターが必要だったんだよ。
ツーオンアイスは感動を二人の間で閉じ込めることで強いエネルギーを生み出そうという意思があったのかも知れないが、結局それは読者には届かなかったんだ。
近くて遠い場所で、その姿を見守り祝福し、本人たちよりも強い気持ちで、本人たちとは違うベクトルで感動してくれる誰かが必要だったんじゃないのかな?
ツーだけじゃ駄目なんだ。
が4/5に公開されて急いでチケットを取った
チケットはクラブイベントなので普通に取れたが宿取ろうと思ったらもう1万超えシーズンになってた
都内でイベントやるとなったら3ヶ月前ぐらいに言ってくれると宿が安く取れるんだけどな・・・
金持ちな海外客がめっちゃいるからカプセルホテルに日本人集まって上野はほとんど取れないorカプセルにしては高いになってる
池袋も取れなくなった
ラブホは基本2人で止まるから1.5万円ぐらいで泊まれるけど1人だとちと高いのと1.5万だすなら中華街とか町田あたりで泊まるかになってきてる
父に厳しく躾けられ、「酒を飲む女はみっともない、新人歓迎会でもお前は酒を断りなさい」と言われその通りにして
酒のむわタバコ吸うわの同僚女を「女の人なのにあんなに飲むなんて・・・」とドン引きし、
イケメン社員も「お前飲み過ぎ、◯◯さんを見習いなよ」などと言うのだが
はじめて読んだ時は主人公にシンクロしてビッチ臭い方を選ぶとかおい~と思ったものだが
大人になってから読むと、飲み会でガンガン飲んで盛り上げる女の方がそりゃ面白いし、
当たり前の注意されただけでビクビク傷ついて半泣きになる主人公は職場にいたらめんどくさいし
「君の出すお茶いつもぬるすぎw」と言われただけで「でも煎茶は70度で煎れなきゃって…」と半泣きになる主人公に
「気にすんなってw文句言うならおっさんが自分で煎れればいいのよwお茶くみなんかあたしいつも適当よw」
と言う酒女は優しいいい奴だったのだと気づく
あとイケメンは、確かにイケメンだし仕事もできるようだが、「俺は大卒だぞ」「俺は男らしいぞ」みたいなマウントを随所でやってて性格に若干難ありだ(当時は大卒が稀少な時代)
万が一主人公がイケメンをGETできたところで、びくびくおどおどしてイケメンの難を増大させモラハラ夫に育て上げてしまうだろう
酒女は主人公のびくびくも、イケメンのマウントも上手いことくるんで場を和やかにする働きを見せているので、彼女ならイケメンの舵を取れそうだ