はてなキーワード: 感触とは
100gで88kcal
180g入りだから160kcalくらい
あとあずきも入ってるしなぁ
仕方ないなぁ
太りたくないけど、飲みたいから飲むかな
ゴクッゴクッ
あれれ?
このおしるこ、甘くないぞ??
あっ見知らぬおじさん、どうしたの?
「さっき仕事を無断で遅刻して15時に出勤したらクビになったんだ!」
そ、そりゃ解雇もされるよね…。
「それは違う!おじさんは自販機を補充するベンダーって仕事してたんだけど、そこの自販機の鯛茶漬けのラベルをお汁粉に変えておいたのさ!」
「じゃあ今から君の家に遊びにいっていい?」
「おじさん、実はNintendo Switchの次世代機を持ってるんだけど」
えっ!?本当に?
「本当さ。なんせ犯罪者だからね!守秘義務なんて簡単に破るんだよ!」
カッコよく言ってるけど普通にアウトだけどね…
「さあ、君の家に行こう!」
(僕くんの自宅)
「おお、意外と大きい家に住んでるんだね!」
「もちろん!これさ!!」
えっ…なにこれ…ただのお菓子の箱じゃん
「ごめん。おじさん嘘ついた。お詫びにこれでも飲んでくれ」
「もちろん中身は鯛茶漬けだよ」
いらないよ!もうおじさん出ていって!居座ったら住居侵入罪で通報するよ!
「ごめん、本当はあるんだ…Nintendo Switchの次世代機。これだよ」
えっ、これ…すごい!
見た目はNintendo Switchに近いけど、明らかに画質がいい!そしてこのソフトは、マリオの新作!?
「そうだよ。おじさんは実は任天堂と取引がある会社で、解雇されたついでに開発機を盗んだのさ。
僕が恐る恐る聞くと、おじさんは急に真剣な顔になった。
「文字通りさ。脳がメロンパンになるんだよ。ほら、触ってみる?」
そう言っておじさんは頭を差し出してきた。
「え…触っていいの?」
僕は恐る恐るおじさんの頭に手を伸ばした。すると、ふわっとした感触とともに、かすかに甘い香りが漂ってきた。
「え、これ本当にメロンパンじゃん!」
驚いて叫ぶ僕に、おじさんは満足げに笑った。
「そうだろう?実はこの病気、任天堂の極秘プロジェクトに関わっている人間だけが感染するんだ。
脳がメロンパンになると、ゲームの発想が異次元になるらしいよ」
「いやいや、それってデメリットしかなくない?だって頭の中メロンパンで考えられるの?」
「おじさんも最初はそう思った。でもメロンパンの脳って、実は天才的なんだ。
ほら、このマリオの新作、見てごらんよ!」
僕は半信半疑で次世代Switchを操作してみた。画面に映し出されたのは、見たこともないマリオだった。
なぜかマリオの帽子がクリームパンになっている。ジャンプするとクリームが飛び散り、敵を倒すたびにカロリーが増えていく。
「え、これ、なに?」
「“スーパーマリオ・カロリークエスト”だよ!任天堂の新たな挑戦だ!」
僕は唖然としたままプレイを続けた。妙にクセになるゲーム性があった。
「おじさん、これ…すごいけど、やっぱり脳がメロンパンの人が作ったゲームだよね…」
おじさんはニヤリと笑った。
「そうだろう?君もメロンパン脳にならないか?もっとすごいゲームが作れるぞ」
するとおじさんは寂しそうに肩を落とした。
「そっか…。じゃあ最後にこれを飲んでくれ」
また渡された缶を見てみると、そこには「新作おしるこ」と書かれていた。
「どうせまた鯛茶漬けなんでしょ?」と疑いながら飲んでみると、なんと今度は本当に甘いおしるこだった。
「おいしい…!これは普通の…いや、待って、頭がなんか熱い!?」
次の瞬間、僕の視界が急に甘い香りに包まれ、何かが変わっていく感覚が…。
おじさんの声がやけに遠くに聞こえた気がした。
その日から僕の人生は、メロンパンとともに新たなステージに進んだのだった。
さて、どこでAIの文に変わったでしょうか?
答えはトラバを見てね!
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
体験版的なやつが先日公開されたみたいなので早速飛び込み前転をする構えの勢いでダウンロードよ!
『はじめてのグランツーリスモ』
結論!
車は急に止まれない!
F-ZERO99脳なので、
コーナーに時速999キロで突っ込んで時速256キロまで減速して曲がりきる私のテク!
そのテクニックがグランツーリスモでも通用するかと思う乗りいやバイブスで曲がろうとしたらコースアウト!
ぜんぜん曲がれないの!
そんなスピードじゃ!
でも、
お手本運転を見るのね。
ええ!
こんなにまで減速しないとヘアピンカーブ曲がれないものなの?って
ドリフトしてしまえば謎のレールの上を滑走する時速何キロの速さでもどんなコーナーでもそんな感じで曲がれちゃう挙動のレースゲームとは違って、
ちゃんとヘアピンカーブには時速256キロから時速16キロぐらいまで減速しないと曲がれないの!
つーか!
コースに追突!
F-ZERO99みたいに
インターファックス通信社が報道したいほどのあのロイター版みたいなジャンプ台でコースをショートカットできるジャンプの仕掛けなどもちろんなく、
「はいやりなおし」
私はやけくそになって「はいよろこんで」って何度も何度も挑戦するのよ。
こんなのへっちゃらよ!って思っていたけど、
なかなか減速とコーナーの曲がる加減の感触が掴めなくて!
私はしげの秀一先生の『MTゴースト』読んだら強くなれるのかしら?って思ってるの!
でもそんなその時はそれ読んでいる暇がなかったので、
とにかく走るのみ!
あと、
なんかクラシック的ななんとかの行進みたいな
たぶんラーメン屋さんでその曲がかかっていても似合うようなAMラジオじゃないその調子の曲はなんか年配層を意識してない?ってそう思うの。
やっぱ!ユーロビートじゃね?って思いながら
あのハンドルコントローラーも欲しくなったけれどシーディーが20枚入る20連奏のチェンジャーのプレイヤーを搭載したいと思ったわ。
でもハンドルコントローラーってちょっとやってみたくなるぐらい、
あれって高いわよね。
あれ実際の車のハンドルみたいに、
手を離すと自動運転してくれるの?
手を離すと、
ハンドルが真っ直ぐ車が走りたいようにハンドルのなんていうの?フィードバックってあんの?
あるのなら、
その方がたぶん臨場感できると思うし
これから読む『MTゴースト』の知識も十分得られて実践出来ると思うのよね。
まだ読んでないけれど。
そんなわけで
私は『はじめてのグランツーリスモ』で走りまくりまくりすてぃーで頑張って残り1つのライセンスを残すところまで行ったのよ!
ライセンスが取れなくて難しいわ。
これ幸いか、
迷ったらとにかくアクセルを踏めば良い!
赤くなったら止まればいい!って感じね。
ヘアピンドリフトだー!って思って突っ込んだら全然曲がれなくて、
もー!ってこれちゃんと曲がれんの?って四苦八苦十六苦三十二苦といったところで
私は休憩がてら十六茶を飲むのよ。
少なくとも十六茶で三十二苦は半分になったわ。
私の走りってなんかカッコよくない!って思いながらそれはまだたぶんしげの秀一先生の『MTゴースト』を読んでないからだと思うのよね。
だからその『MTゴースト』を読むか最後のライセンスを走り合格できるかが
どちらかが先だと思うわ。
そんな聖者の行進の曲に耳を傾けながら
難しいわ。
車は急に止まれない!ってことを身にもって体験感じたところよ。
これ私上達できるのかしら?って不安になるので
今本編の『グランツーリスモ7』が半額セールらしいけどとてもじゃないけど手が出せないわ。
私にはきっとF-ZERO99がちょうどいいって言われているみたいね。
でも新しいコースに飛び出るには
『グランツーリスモ7』も体験してみたいPlayStation5を持っていたら見てみたい凄いコンピューターグラフィックスの世界じゃない?
まだよく完全には分かり切ってないけれど、
また全部の要素を実績100パーセントになっていない『はじめてのグランツーリスモ』をとりあえず全部やり切ってからの話ね。
しっかり減速して曲がる!その勇気!
時速999キロでコーナー突っ込んで走り抜けるF-ZERO99脳ではとてもじゃないけど完走すら出来ないわ。
調子に乗ってぶっちぎりアクセル全開だったら急にはやっぱりレクサスでも止まれないみたいね。
車は急には止まれないってことを
三歩歩いたら忘れちゃうってことを思い出して
止まれないことを思い出したわ。
もうさ
ゴール最後目前の最終コーナーでコースアウトして「はいやりなおし」は
さすがに「はいよろこんで」とはニッコリとは言えないわね。
車が急に止まれなくて辛いわ。
うふふ。
ぱりぱりしゃっきしゃきの活きの良いレタスにチーズが挟まってあって、
軽くいただくには美味しくて今の私にはちょうどいいボリュームね!
たまに食べたくなるのよね。
ルイボスティーのパックを入れてーのの
今朝なんか一気に寒くなってきたので
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
残り30秒で初クリアです。
9~10の星9できてないけど11層の星6が初達成できて、12層開放。
全然ダメージでなくて、これ3問クリアも星3もスルーだねぇ…さすがエンドコンテンツ…となっとりました。
フォンテでたまにしばいていた聖骸ツノワニ。
WR6はすぐ死んでいたので気付かなかったけど、こりゃ嫌われるのも分かる…という暴れっぷり。
後続は土蝕者。
なんとかツノワニ倒してひいひい殴ってたらこちらも硬くて初回の前半クリアが残り3分の無理ゲーでした。
土蝕者はディレイパンチが避けられないし、ツノワニの連撃最後のたたきつけや弱点露出攻撃も回避タイミングつかめなくて事故多発。現状最高火力パの激化ティナリで挑むも弱点が壊せなかったりで時間がかかり編成を悩むことに。
仕様を確認したところ、聖骸獣は同属性で弱点破壊、土蝕者は炎の自壊を狙うのが早そうという結論に。
水は4人いるものの、炎がベネシャン+アンバーという元素手数が少なそうな雰囲気で疑問符。
水1炎3で、ツノワニをアンバー以外、土蝕者を炎三人で挑むも、やはりクリアにかなり時間がかかった。
水ベネシャンガイアはダメージ出ているのかよく分からず、やはり土蝕者の遅さに悩む。
炎不足を補うために拡散を採用することにして、51未強化翠緑リネットが出動(シアターバフ付きだぜ!)。
水枠はいつでも壊せるように行秋ではなくバーバラかキャンデスで、未強化絵巻装備でとにかくベネシャンを押し上げることを狙ってみる。
キャンディスは出場時間の殆どを占めるベネシャンの通常を爆発で水にすればバーバラより蒸発で貢献できるのでは?と何度か使ってみたものの、ツノワニの水耐性に通常を水にしていいのか?と疑問が浮かび、ダメージは見てないが慣れない事故中に見送ることにした。
ツノワニの弱点露出攻撃で事故りまくったことから、バーバラの爆発を無敵回避に当てることで安定を図った。
火力狙いではないので、スキルで絵巻発動、龍殺しでベネシャン強化とした。
51リネット 60匣中 未強化翠緑
70ベネシャン 90サーンドル漁獲 +16聖遺物 攻撃力*2 絶縁
これでツノワニ撃破が残り7分48秒、前半クリアが残り6分19秒だった。
しかし後半の火力的に間に合いそうにないなと感じつつ、事故り終了。
短縮案を考える。土蝕者自壊は感触がよかったが、ツノワニでどう考えても弱点破壊のためにほぼ使わない水を入れてるのは非効率。
とはいえ短時間で6Uの元素攻撃が出来るのはこれもあまり使わないアンバー爆発かカチーナライド連打か…?忍は後半で使うだろうし…。ティナリは燃焼が微妙そうだしなぁ…。
風主人公のスキル長押しって多重ヒットだったなぁ。調べると6HITだ!立ち回り単押しなら事前動作込みでいつでもクールダウン明けてるだろう。
とひっっさびさにモンドの神像にお祈る。
聖遺物も剣もリネットからひっぺがし、これで枠がひとつ空いた。
空いた一枠は…バーバラが絵巻だったし結晶で事故率減るかもと絵巻カチーナとチェンジ。
挑んでみると、やはりスキル長押しで弱点破壊出来て狙い通り。爆発は微妙…。バーバラ爆発に頼ってた露出前の攻撃で何度か事故り、もう割り切って回避に専念してみると、土蝕者も拡散効率があがったのか残り7分でクリアできた。
70風主人公 60匣中 未強化翠緑
70ベネシャン 90サーンドル漁獲 +16聖遺物 攻撃力*2 絶縁
螺旋で初対戦のボス敵で、動きもなにも分からないのに前半をやり直すこと3回で懲りて何度かフィールドボスで動きを勉強会。
それでもよく被弾するのでシールダーが必須。わが手持ちのまともなシールダーは綺良々のみ。ということで草軸で。一番強いティナリはジャンプと相性悪いし狙ってるときに事故りそうだったので開花で挑む。ヨォーヨは入れてると火力不足が目に見えているので動かない敵に爆発が当てやすいコレイをイン。
…テペトル竜もまぁまぁ動き回るなぁ。結構逃げられたため忍超開花で。11層までは超開花するときもわざわざ開花役の金メッキを忍に渡していなかったが、今回は真面目にモナと忍の聖遺物を交換した。モナの武器も事故リカバーのために金珀を真面目に装備して、聖遺物はまぁ忍の絵巻でいいかと雷杯のモナが完成した(不真面目)。
この編成組んでからも前半で死にまくっていたものの、前述の通り前半残7分でクリアして挑戦一回目で残り30秒でクリアできた。
初期より30秒の余裕があったから、心の余裕から急いで落下攻撃せずまったり対空できたのがよかった。
まあ終盤事故ってコレイが落ちたものの感電も強化されたし…と押してみたらいけました。
多分今回のイベント武器のおかげだと思う。60天目とくらべて350ぐらい攻撃力アップですからね。
63綺良々 90厄水 千岩花海計23200
70久岐忍 90鉄蜂 熟知+36 金メッキ
当分は1問クリアでいいっす…。
1問星3と3問クリアはどっちが楽なんでしょうか。編成縛られない星3かなぁ。
エンドコンテンツはシアター目指して平均70レベル目指すことにしようかな。
超えれる編成を悩めるようになってきたのは楽しいけどね。
2年前の祖母の死が乗り越えられない。
正確には、次の2月で亡くなって2年だけど。
小さい時から両親が不仲で、それゆえに父方の実家にはほとんど寄り付かなかったし、祖母には物心ついた時からも数えるほどしか会ったことがない。
父方の実家は海外で、日本から飛行機の直行便はない。片道だけの交通費もバカにならないぐらいかかった。
もちろん祖母は日本語なんて話せなくて、祖母の話す言語を自分は話すことはできない。単語単語でつっかえながらならできる程度。
愛想がいいとは言えない性格をしているし、そもそも自分が小さい頃から父親のことが嫌っていたのも知っていたかもしれない。
それでも会うたびに涙を流すほど喜んでくれて、滞在中は、他の孫も同居してるはずなのに、さすがに贔屓のしすぎじゃないのか、と思うぐらい可愛がってくれた。
超がつくぐらい田舎街で、長く小学校の校長をやっていた人だから、二人で街を歩くといろんな人に声をかけられた。
その度に「この子私の孫なの、日本から来たのよ」とニコニコしながら紹介するもんだから、目的地に辿り着くのもかなりの時間がかかった。
その時繋いだしわしわの手の感触は、今も覚えている。もう8年以上も前なのに。
長く不仲だった両親は、それでもずっと離婚までは踏み切ってなくて、
自分が大学生で成人してからようやく離婚の決心がついたらしい。それが5年前。
その前後に、急にチャットアプリを通じて祖母が連絡を寄越すようになってきた。多分父が手を回したんだと思う。
最初は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで父方の親戚全員が嫌いで、祖母のこともそんなに好きではなかったけど、
数ヶ月に一回、翻訳機能を通じて細々とチャットで連絡をとっていた。
祖母への感情が薄まってきたぐらいのタイミングで社会人になった。久々に会いたいかもなー、と思えるようになっていた。
でも、長期で海外なんていけない仕事に就いてしまっていたし、何よりも世の中がコロナのせいで、海外なんてもってのほか、という雰囲気だった。てか普通に渡航禁止だったし。
コロナが明けたら、数年働いて転職したら、祖母に会いに行こう、とどこかぼんやりと考えていた。
残業で終電帰りになってしまい、夜中にご飯を食べていた時のことだった。
その時はまだマスクは厳守の時代で、PCRの検査結果がないと海外にいけなかった。明日から急に海外行こう、なんてもってのほかだった。
忌引き休みを使う?今から行ったら到着まで何時間かかるんだ?葬式にすら間に合わないかもしれない。言葉すら通じない国へ?嫌いな親戚たちに囲まれて?祖母がいないのに?
亡くなる2週間前に「会いたいな」とチャットをもらったばかりだった。
翻訳機を通じて「私も会えたら嬉しい。近いうちにそちらに行きたい」と送ったばかりだった。きっと私が言葉を話せないことだったり、父とほぼ絶縁の状態だったことに気を遣ってくれたんだろう。自分から祖母にチャットを送ることなんてなかったし、祖母はいつも短文かスタンプしか送ってこなかった。
本当は会って話したかった。しわしわの手をまた握りたかった。チャットなんてチャチなことしてないでその場でビデオ通話でもすればよかった。涙が蛇口を捻ったみたいに止まらなかった。
それでも、合間合間の一人の時間では何度も涙を堪えた。大阪は、そこらに元気なおばちゃんがたくさん歩いていて、似ても似つかないはずなのに祖母をどうしても連想してしまった。マスクの中は鼻水でぐちゃぐちゃだった。マスクがある時代でよかったと思う。
それから2年も経とうとしているのに、祖母の死が乗り越えられない。
本当はお墓参りがしたい。でも参るお墓の場所もわからない。こっそり行こうにも、小さい田舎町なんてあっという間に話が回るだろう。
本当は、辛い悩みは母や周囲の友人に話して解決するようにしているけど、
これは結局どうしようもできない問題だから、下手に慰められて終わりにしたくない。
話して終わりにしたくない。でも、時々、話さないと爆発しそうなぐらい後悔に襲われて、涙が止まらなくなることがある。昨晩がそうだった。朝まで寝られなかった。
自分の後悔は、一体誰にどう贖えばいいんだろうか。助けてください。
12月1日に名古屋にて開催された、
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 3rdLIVE スリーズブーケ公演におけるセットリストの楽曲に関する長ったらしい文章だよ。読まなくていいよ
noteに書きたいけどアカウントは無いし、インターネット版 チラシの裏に掃き捨てにきたよ。
蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ(以降 蓮と称する)についても説明しておくと、ラブライブ系列の1つとして、蓮ノ空女学院のスクールアイドルクラブを舞台に、ラブライブ優勝を目指して奮闘する彼女らが主役のコンテンツである。活動記録(コミュ)、生配信、バーチャルライブを束ねて追って、リアルタイムで楽しむコンテンツである。生配信やライブをするのは中の人ではなく、彼女らというのが特殊。初めて見た人の多くは、中身が漏れ出ていないVtuber配信のような感触を持つだろう。バーチャルライブについては、これこそVtuberのライブに近いものがありそう。実際に歌って踊るしMCもする。(たまに声裏返ったり音外したりもする……)ファンの事は「蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん」と呼ばれている。
長くてイライラするね!誰もそんな説明は聞いていない。ラブライブのアイドルがVtuberやってるようなもんだよ。どうせその方が通じるんだ。
さて、話を戻すと蓮のツアーライブが現在進行していて、12/1には名古屋に1ユニット「スリーズブーケ」が来たというわけだ。名古屋での公演は昼と夜で計2回。セットリストはほぼ同一だったが、一部が入れ替えとなっており、それが「謳歌爛漫」と「残陽」だった。(ほんとはあと1組あるけど端折るよ)
今回のユニット、スリーズブーケが歌うそれぞれの楽曲は人気が高いが、中でも上の2曲はそれぞれ違う方向を向いた魅力がある。
「謳歌爛漫」は蓮の発足から間もない2023年の4月度フェスライブ(コンテンツ2回目のバーチャルライブ)に初披露された思い出深い楽曲である。爛漫の文字に相応しい雄大さがある曲調の中に、桜模様を過去と未来の境目として綴った歌詞が良い。
入ってきたばかりの新入生と、後輩を持ったばかりの2年生が張り切って歌う感じが良い。尚、このコンテンツは登場人物が進級するため、この新入生は今2年生である。勿論、当時2年生の子は現在3年生、来年3月には卒業する。卒業という別れも現実味を帯びた今、この曲は別の意味を内包し始めている。
「残陽」はバーチャルライブでは披露されていない。2023年9月に出たCDに収録されており、1stライブからキャストが何度か披露している。この楽曲は歌詞と振り故に、異常な人気がある。
夕暮れ時にハッキリ別れる日向と日陰、それを別の世界と置いた上で日向に憧れる者、日陰に居てほしいと願う者との2つの視点で歌詞が綴られている。
「どうしよう、言えない」「どうしよう、行っちゃう」を繰り返している。(はよ直接言え)
そして振り付けだが、曲終盤にて抱き着く振りがあり、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さんが毎回うるさい。だがこれもバーチャルライブでの披露という正解がない故、可能となる芸当である。(バーチャルライブで披露された曲はそれに準拠したダンスを披露するのが大半である。)
残陽が夜公演のみの披露と判明した時には、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん(現地)はとんでもない腰の抜かし方をし、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん(ライブビューイング/配信)はとにかく落胆した。実物が見れなかったからである。
ここまで読み進めた人の大半が思うように、謳歌爛漫 <<<< 残陽 かのように捉える人が大多数である。
だが、そうこう書き進めている上で、気付いた点がある。やはり謳歌爛漫≒残陽であるが、更にいえば謳歌爛漫を正史とした場合に、残陽はそれに相当しない。
2つの楽曲は、どちらも違う場面ながら、「今回のライブでは」別れの歌として機能している。それが風通しの良い感情か、蒸し暑く曇った感情かは違いがある。
2つの楽曲のうち、片方はキャラがバーチャルライブを披露しており、片方はキャストのみがライブで披露している。リアルタイム性重視、ゲーム内キャラクターの主体性を売りにしているコンテンツにおいて、これはどう判断するべきか?
あくまで「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ所属 スリーズブーケ」のライブとして捉えた場合には、謳歌爛漫に軍配が上がる。
では、そこから離れた解釈と表現を含む残陽に惹かれるのは何故か。これを考えると楽曲の属人的側面(その限定性)、またナマモノとしての消費需要が密かに挟まっているからではないかと思われる。
楽曲を歌うキャラクター2人の関係性、これを師弟関係とおくか姉妹関係とおくか親友、またはそれ以上とするかは各自の判断であるが、"親密"である点においては一致している。その限定的な関係性の2人で歌う事に希少さ、価値を感じているのかもしれない。実際に、残された披露回数は手で数えるほどもない。なにせ卒業したら、3年生は居なくなってしまう。
そして、もう一つの理由、ナマモノとしての消費は言うまでもなく声優として眼差す上の消費を指す。バーチャルライブの延長として、活動記録の欠片として見る〜ような建前を持つくせして、実際には声優のイチャつきが見たい、というのが蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さんなのだ。アホらしい。この意味では、この曲の披露には破格の価値が付くと言えるだろう。
2つの楽曲を分ける価値はナマモノ消費である、という身も蓋もない結論になってしまったのは大変残念だが、チラシの裏に書くには丁度いいものになった。大変に満足したのでこれで筆を置こうと思う。
残陽なんで夜だけなんだよクソ
2年前の看取り増田です。
心から、みんなに幸あれ。
びっくりするくらいの幸あれ。
あれから長く厳しいロスがあり、思い出しては泣き、
少しづつ涙は出なくなり、ほんのり悲しいけど、
そろそろ次のご主人さまかな。なんて。
そして、ついに。
ついにご縁があり新しいご主人がいらっしゃった!
徐々に思い出す愛おしいこの感触。
ツヤツヤ感とモフモフ感。
瞼を舐められるジョリジョリ感。
姿が見えなくて焦ると足元から見上げてるどした?顔。
キーボードのビープ音。
早朝の号令。
うんち出たから片付けなさい。
ここ揉め、次ここ、あとここ、おい手を止めるな。
今は触んな。
今は揉め。
だから今は触んな。
遊べ。
幸せ。
ああ、最高です。命令してください。
やっぱり一人でいると思考が凝り固まってしまうんだなって思う。
一人でいると、どんどん暗くなる。
どんどんマイナス思考になる。
その理由が自〇で。
母への自責の念とか後悔とか、今後への不安とか。孤独のつらさとか。
たまに人と会って話をしてると
あれ、自分ていろいろ気にしすぎてたのかな?無駄に重く考えすぎてたのかな?とか思ったりする。
だけどまた一人になると
やっぱりだめだそんな簡単には割り切れない…
の堂々巡り
何が正しいんだろう。何が正解?
でも前なんか向けない。
割り切れない。吹っ切れない。
あの日、母が見つかったと連絡を受けたときのこと、ずっと鮮明に覚えてる。
母と対面したときのこと、忘れられない。
普段平気で生活できているのはそういったことから目をそらしているだけ。
ちょっと考えだすと、やっぱりどうしても悲しくなって。
あぁこんな自分幸せになっちゃいけないんだ…当然の報いなんだ…って思ったり。
でも、こんな現実を受け止め切れるほど強くなくて。
ただひたすらつらいつらい、しんどい…って
本当はもうなにもしたくない。どこにもいきたくない。
だけど生きるだけでお金がかかってしまうから仕事に行かなくちゃいけない。
仕事のために、生きなくちゃいけない。
もういみがわからない。
仕事は仕事でブラック環境極まってるからどんどんメンタルがやられていくし。
せめて、一緒に耐えてくれる人がいてほしい。
となりで頑張れって励ましてくれる人が欲しい。
大学を卒業して社会人○年目。大阪で働いている。職種は……まぁ専門職だと思う。若い方だと信じたい笑
サービス現場の仕事で、給料は安いけどやりがいだけはある。我ながら搾取されている。
年末に向けて部屋の中を掃除していたところ、学生時代の思い出の箱を見つけた。その中には、京都の祇園にあるクラブで働いてた頃のグッズがまとめてある。ドレスとか、メイク道具とか、指名を沢山とった時の記念品とか、最初にお店を選んだ時の求人誌とか。当時、いわゆるキャストと呼ばれる仕事をしていた。
これから話すのは思い出を振り返ってるだけなので、散漫なことが多いです。ご了承ください。
祇園のクラブでのお仕事とか、年上の男性との関係とか、様々な感情が入り混じった、心の奥底からくるようなお話に胸が締め付けられるような思いがする……ということはないです笑
夜のお店の種類、クラブとか、ラウンジとか、キャバクラとか、そのあたりの区別は今でもわかってない。4回生からの1年+半年(聞かないでほしい…)しか働いてなかったこともある。
短大から大学に編入した関係で、単位を取るのに忙しかった。親ともケンカしてたから、大学の学費は自分で工面するしかなかった。奨学金ばかりというのも危ない気がしたので、面白いアルバイトないかな~と探していると、祇園のクラブが見つかった。
リベンジのつもりもあった。
短大生の頃はYouTuberをしていた。顔はメイクを濃いめにして、男性向けに恋愛のことをおしゃべりする動画だった。始めは自分で動画を編集してたけど、そのうちやってくれる人が見つかって、女子が男性に向けて恋愛のノウハウをおしゃべりする~というスタイルを確立した。もう引退してるかもだけど、Baiand(バイアンド)さんの動画にスタイルが近い。
それがあまり人気が出なくて、再生数は最後の方は1万もいかなかった。才能がないのかなと思って、そうしたら、チャンネル更新をしなくなって数か月経った頃に、コメント機能を通して隠れたファンが何人もいたことがわかった。みんな熱烈だった。
正直、後悔した。たった4~5人でもいいから、私の動画配信を好きな人がいてくれるなら、投稿を続けていればよかったと後悔した。
そんな気持ちがあったから、次のクラブのアルバイトでは、誠心誠意、自分を贔屓してくれる人に尽くそうと思った。仕事なんだから、尽くすのは当たり前なんだけど……
最初の方はうまくいった。飲食店のアルバイトはしたことがあった。何をどうすればいいかは最低限わかる。お話をする相手も、コミュニケーションが通じない人はほぼいなかった。みんな常識のある人だった。
1セットにつき、最低でも2万円はかかるお店だった。つまらないサービスはしたくないと思った。けど……働き始めてひと月も経つと、ほかの従業員との関係とか、ノルマのことで考えることが多くなった。
明らかに変なお客さんもいたけど、それは我慢した。いや、我慢するんじゃなくて、その人と向き合って、一生懸命コミュニケーションをするのが正しい姿だ。それができないなら、キャストとして続かないことを学んだ日々。
ほかに働いてるキャストの人は、私に比べると、その……生活がカツカツな人が多かった。間違いないと思う。
学生は少なくて、いわゆるプロの人が多かった。それでも20代が多かったけど。
私たちのような学生バイトは存在が軽かった。ヘルプで付いた時だと、ドリンクを欲しそうな態度を示すとウザがられる。とあるお客さんがシャンパンやニューボトルを入れた日だって、その人がトイレに行ってる間を縫って、「ほら、今のうちにもっと飲んで。早くボトル減らして」と無理やり飲まされることもあった。
インスタグラムで、系列店同士で売上競争をするイベントがあった時も、私たち学生はどうせ勝てないからと、先輩たちのヘルプとしてお店を勝たせるポジションだった。
苦しいこともあったけど、お店には感謝している。いい経験ができた。あそこで働いてなかったら、大学卒業時の借金額は片手で数えきれない本数になってた笑
祇園や木屋町みたいな激戦区だと、求人面接時にノルマの説明がある。インターネットの求人案内にもノルマの有無が書いてある。ノルマじゃなくて、「目標」「売上によって時給が変動」「時給・出勤日数保証期間○か月」みたいな書き方だ。
大阪なんばや道頓堀、ダイナミックコードの『たこ焼き激戦区』ほどお店が密集してるわけじゃないけど、明らかに店舗間の競争がある。
・週3日以上出勤を基本とします
遅刻 :日給の最大50%
当日欠勤:10,000円
私がノルマを達成できた月は……1年半のうち、半分もなかった。
最初の半年は、初心者ということでお店が多めに見てくれるけど、しだいに厳しくなって……どうしても達成できないキャストの子で、黒服からも人気がなかった子は普通に辞めさせられた。もしくはシフトを干される。
この業界が厳しいかと言ったら、そんなことはないと思う。私のような当時素人にも日給で2万円以上を出してくれた。ほとんど役に立たなかったのに。
先輩方は、あまり仕事のことを教えてくれなかったけど、背中で教えるタイプの先輩も確かにいた。「もし今日ヘルプに付いたら、うちのこと見とき~♪」と言って、売上を捨てて教科書通りの対応をしてくれる神先輩だった。
自分がまさか、お客さんと恋愛するとは思ってなかった。本当に。可能性はないと思ってた。
うちに来店するお客さんは、ある程度お金を持った人が多い。いい会社勤めの人や、経営者や公職に就いてる人や、お坊さんの人が多かった。
その中で、あるお客さん(増田なのでMさんにする。当時43歳くらい?)と最初に会った時は、なんだか面白い人だなとしか思ってなかった。ええと、私が最初に付いた時が、その日の二人目のキャストだったはず。
会話を始めると、優しそうな印象があった。もう彼と会うことはないと思うので、書いてもいいかな。名刺には「土地家屋調査士」とあった。京都市の北の方で営業していた。ちょっと話をして、何分か経った時に「よかったら……オレンジジュース飲む!?」って聞いてきた。
それを聞いて大笑いした。なにが面白いのかわからなかったけど、とにかく笑った。普通はカクテルとかワインとか、ビールとか……そういうのを注文する。
お客さんも、カクテルだとリキュールを一滴しか入れないとわかってるからか、ワインの注文をする人が多かった(※ワインもビールも、黒服の人が限界まで薄めてくれる。ほぼ水だった笑)。
あー、あの時は本当に楽しかった。まだ入って数か月だったのもあるけど、今でも楽しく思い出せる。
その日、お店を出る時に「ダメ元だけど、よかったら同伴する?」と言ってくれた。嬉しかった。最初の接客でいきなり同伴っていうのは、珍しいことだと私でもわかってた。
最初の同伴のお店は……河原町通りの途中にある古いレストランだった。お手頃でおいしいところだった。壁に美大の人が書いたような風景画が何枚も飾ってあった。「俺が学生時代、たまにここに来てて。20年ぶり」とMさんは言っていた。
それからも、Mさんは月に1~2回のペースでお店に来てくれた。私を指名することもあったし、しないこともあった。同伴出勤は、月に一度あれば多い方だった。
あの人は多分、お金をたくさん持ってたと思う。でも、倹約……いや、ケチなのかな?? あまりお金を使おうとはしなかった。私の誕生日が近い時、黒服さん(店長)が私とMさんがいる席に来て、今度の誕生日イベントの説明をしてくれた。
条件付きの特別サービスをMさんに提案したんだけど……普通にシャンパン注文を断ってた笑 店長さんは粘っていた。営業トークも。実際、Mさんに特別なサービスをするのは本当だった。
でも結局、Mさんは……
だって。はっきり言ってた。
ほかのお客さんとの比較だと、大体みんな店長の考えたサービスを受けることが多い。実際にシャンパンの注文料金は相当お得だし、キャストだって本気でサービスをする。そういう「装い」だってする。身体の接触だって、いつもより積極的のはず。本当に常連さん向けの特別だった。
でも、あの人はキッパリ断った。お店では、いつもハウスボトルだった。ほかのお客さんは、見せびらかすみたいにマイボトルに名前入りのタグを何個もぶら下げている。けど、Mさんは本当にいつもハウスボトルだった。私には、私が希望するだけドリンクをくれたけど。
それにしても「不要です」だって……今でも思い出して笑うことがある。いまの私も冗談で、Mさんの口調を真似することがある。
あれは、夏から秋になる頃の同伴で、少し高めのレストランに入った時だった。ウェイターの人がトリュフ?(もう忘れちゃった…食後のケーキだったかも)を薦めに私たちのテーブルに来た。その時も「私たちには不要です」とはっきり断った。
その後、祇園にあるお店まで行く時に、小さい橋を渡ることがあった。その時に、Mさんから笑えるアプローチがあった。
「ねえ、橋を渡るまでの間、手を繋いでいい?」
と言ってきた。
私は笑いを堪えた後、彼氏の顔が頭に浮かんだ。前に、ほかの男子学生が私にそういう目的で声をかけた時、彼氏が怒ってその学生を威嚇すると、そそくさと逃げていったことがあった。
その時、Mさんの顔を見上げると、何かが違った。大学生とは何か違う……見た目の若さもあったけど、とにかく自信にあふれていた。彼氏も自信過剰タイプだったけど、それとは明らかに違う余裕だった。
「えー。じゃ、はい……どうぞ」
と手を出すと、Mさんが優しく握って、お店がある富永通りまでゆっくり歩いて行った。
その日は人がすごく多かった。道を歩いている時、私の手を優しく引いて、道の端の安全地帯に誘導してくれた。
いい人だ。とは思ったかな? その日もお店に行くと、私を指名してドリンクを2杯注文して、それからいつもどおりすぐに帰った。料金は2万円少々だった。
紅葉の頃に、「今度お昼に同伴しない?」と言われることがあった。夜じゃなくて、お昼に同伴すれば一緒に買い物ができる(≒プレゼント)ということだった。
正直、魅力はあった。ほかのお客さんだと、ただ昼とか夜にデートしようって言ってくるだけ。本当にそれだけ。論外だった。禁止事項だし。ただ、Mさんとなら。外を一緒に歩いても不自然に見えない。そういう見た目の人だった。
けど、断ることにした。同伴の場合、必ずお店の黒服が私を送迎して、お客さんのところに行く。車で待ち合わせ場所の近くに下ろすのだ。内引き防止のためと思われる。あとは防犯対策。
でも結局、どうしようかと迷って、違う系列店のキャストに聞いてみたり、中学時代からお世話になっているYahoo!知恵袋で聞いてみたけど、直接の答えはなかった。Yahoo!知恵袋の中の人は、「あなたも大人なんだから、善悪を秤にかけて自分で考えなさい」という回答をくれた。500知恵コインを渡した。
結局、同伴はナシで、私が勝手にお昼デートすることにした。Mさんには内引きの箝口令をお願いして、夜になると普通にお店に来てもらうことにした。
え?何を買ってもらったか?? 四条通りにある高島屋か大丸で、雑貨のお店があって、そこで……ワンちゃんのためのペットフードを買ってもらった。小さいサイズの。ピアスや指輪とか装飾品に興味はあったけど、別にいいかと思った。
後はレストランでご飯を食べて、近隣店舗をグルグル周って、一緒にアイスクリームを食べて……あとはもう、覚えてない。
この日の写真はスマホに保存してある。手も繋いだ。私が帰りにバス停まで行く時、四条通りを歩いている時だった。この日も人がすごかった。当時まだ、コロナウイルスは流行ってない。
市バスに乗った後、車中でも、桂川のあたりを歩いている時も、Mさんのことを思い出した。
別に好きだったとか、そこまでの感情じゃなくて。彼氏と同じ場所(高島屋の付近)をデートした時のことを思い出して、やっぱり大人の社会人の人って、無駄がなくて、そつがなくて、しっかりしてて……と振り返っていた。
少なくとも、彼氏みたいに店員さんに怒ったり、私や仲間に何かを自慢したり、立場の弱い人に大きく出たりすることはなかった。私の肩をいきなり抱いたりしなくて、体を触るときは優しくしてくれる。
同じ高島屋にある時計店で、彼氏が店員さんに渋い対応を取られて悔しがっていた。けど、Mさんに対しては、私でも引きそうになるくらい、店員さんがウヤウヤしい対応だった。学生目線だと『神扱い』に見えた。
秋が過ぎて、冬になって……Mさんとお昼のデートは三回目だった。その日は夕方が近かった。烏丸通りのあたりの観光名所を見ていて、遅くなって、終わった後もなんとなく一緒にいた。
今日は一旦解散するんじゃなくて、一緒に居てからお店に行こうという話をしていた。ホテルオークラの前まで来た時、Mさんが「今日はここに泊まってる。仕事の都合で」とホテルを指さした。
当時の私は、オークラのことを知らなかった。大きいホテルとしか認識してなかった。今では、リーズナブルなお値段の『一般向けの優良ホテル』だと思っている。京都市内には、一泊10万円以上のホテルがたくさんあるけど、実際に利用してみて……サービス÷宿泊料という観点では、元京都市民の視点では№1だ。
一緒にオークラの1階にあるカフェでご飯を食べて、バーに行こうとしたけど、まだ営業してなかった。2階にある展示物を一緒に並んで見てると、彼の手が私に触れて、ぐいっと引っ張られて、私の顔がMさんの肩の近くにあった。
「一緒にいられる?」と言われた。考えるより前に頷くと、私の肩をぎゅうっと抱いて、手を繋いで、エレベーターでカードをかざして、高い階に上がって、彼の部屋に入って……
暗い部屋に入った直後に、ゆっくりキスをされた。両手の位置がわからなくて、Mさんの両肩を触っていた。キスが終わると、一緒にベッドに座った。
部屋の中で夜の京都市内を見ながら、ベッドでくつろいだ。そしたら、Mさんが「一緒にシャワー浴びよう」って……恥ずかしかったので断って、それから間が空いて、「メイクだけ落としたよ」と報告すると、すぐに押し倒されて、キスがあって、始まった。
普通のセックスだったと思う。お互いに体をくっつけたり、舐めたあったり。優しいキスだったり、激しいキスだったりした。唾液を飲ませるとか、変なことはしなかった。
私を抱きしめてくれた。優しい感じだった。私が彼氏にするみたいに、乳首とか舐めたりすると、彼はくすぐったいと笑っていた。その時の私は、すごく甘えていた。
入れる時も、髪が痛くならないようにギュッと抱いてくれた。暖房のせいもあるけど、蒸し暑かった。汗が出ていて、体同士が液体で滑る感触が気持ちよかった。Mさんの体はがっしりしてたけど、若々しくはなかったし、お腹もちょっと出てた。
でも、体なんてどうでもよかった。頭を撫でられると気持ちよくなって、Mさんの何でも愛しくなった。
Mさんは胸が好きみたいだった。バストを使って、特別な機会だと思っていろいろしてみた。彼はすごく照れていた。遠慮がちに行為をしてた。「もっと強くしていい」って言ったら、本当にすごく強くしてきて、胸のあたりが痛かった。でも、続けているうちに気持ちよくなって。
私は笑いながら、Mさんと身体をくっつけていた。マグロじゃないよ、ちゃんと私も動いてたから笑
まっすぐの体位の時も、そうじゃない体位の時も、私のことを見てくれて、よそ見することはなかった。だから下半身が痛くても耐えられたし、痛くてもいいって思えた。入れてる最中、私はそんなに動かなかったかな?
正常位で、Mさんの胸板が顔の上にあって、熱くて、息ができなかった。窒息しそうだった。我慢してると、ようやく顔を抜くことができて、するとMさんが真上から口を塞いでキスをしてきた。また息ができない。
いろんな行為の中には痛いものがあった。けど、全部ちゃんと受け止めた。
最後に出し終わって、Mさんが正面から私を抱きかかえると、「あの……好きだよ」って恥ずかしそうに言った。私が笑うと、改まって「愛してます」だって。さらに笑った。ごまかす時に、私は笑いがちになる。
「これからも付き合ってくれる?」
目を閉じて、「はい」って答えると涙が出てきた。顔を上げて、Mさんにキスをした。
それから何分も、ずっと口づけをしてたら……唾液が漏れるのがひどいことになって、また私が笑って吹き出して、それでセックスは終わった。
その日はお店を欠勤した。罰金1万円は痛かったけど、それはもういい。大事なもの、大事な人を手に入れた。ならもう、それでよかった。シングルの部屋だった。夜には出ないといけない。
深夜だったけど、寒空の下でMさんは、私の手を引いてタクシー乗り場まで連れて行ってくれた。別れる時、タクシーに乗った瞬間に涙が零れた。
今は何をしてるんだろう。優しい人だから、今もずっと人の役に立つ仕事をしてるのかな。
社会人になった今では思うけど、仕事付き合いだけでも人間関係って大変だ。
でも、Mさんから学んだことは、教えてもらったことはたくさんあって。それが今でも仕事に活きてる。
あれから時間は経ったけど、今でもMさんとの思い出を記憶の水槽に仕舞っている。いつでも取り出せるつもりだ。
また、いつか会えたらいいと思う。ありがとうございました。
以下レポ。
※個人のただの感想ですので、医学的な部分についてはご自身で調べていただければと思います。
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コメントありがとうございます。相談の方に関しては1人で悩んでいたので、とても励みになります。
ワクチンは未接種で、自費だと6~10万円すると聞き躊躇している状態です。(ワクチン接種で病院に行くのに何回か会社休むことになると思うのですが、処女だとバレるので子宮がんワクチンだと言いたくなく、有給には理由が必要な会社のためどんな理由で休めばいいんだっていうのもあります。くだらなくてすみません…)
ーーーーー
オプションで婦人科検査があると聞き、せっかくだから子宮がん検診を受けてみることにした。
痛いという噂は聞いていたが、とりあえず受けられるんだったら受けたほうがいいんじゃないか?というのと、値段が5000円と比較的安価であったこと、膣に物を入れる感覚を知ってみたかったので覚悟を決めた。
◾️診察の流れ
まず医師と対面する前に、看護師さん(女性)に問診票の確認をされる。
性経験の有無についての項目を「こちら(いいえ)で間違い無いですか?」と指差しで確認。頷くだけでOKだった。
向こうはドライに進めてくれるのでありがたい。
医師から「子宮がんの原因になるウイルスは性交渉により感染するウイルスであることから、性交渉未経験の人が発症することはほぼない」との説明を受ける。また、「未経験だとかなり強い痛みを伴う」とも。以上2点は2回くらい丁寧に説明された。
それならやめておきますと受診しない人も多くいるようで、要は処女は受けなくても問題ない雰囲気だったが、
ゼロとは言い切れないため不安なら受けるのもアリです、みたいな感じ。そりゃそうか、ゼロはないもんな。ということで「受けます」と2度目の覚悟を決める。
できるだけ小さい器具を使って痛みを少なくしますが、それでも痛いと思いますよの説明付き。
◾️診察
診察室には開脚椅子と、隣にカゴがあった。カゴに脱いだズボンと下着(下)を入れ、椅子に座ったら準備できましたと声をかける。
診察時はお腹あたりにカーテンが引かれるため、向こう側(自分の下半身)が見えることはない。
椅子が開いて強制的に開脚状態になるのは精神的に辛かった……。が、膣の痛みの方がもっとつらかった!!(当然)
手の水がきを裂かれるような痛み、と聞いたことがあるが確かにそんな感じ。グリグリした感覚と、グイグイ押し広げられる感じ。裂ける!と思った。
でももしガンになっててそれを見つけず放置したらもっとつらいことになるんだぞと言い聞かせて
頑張った。
(痛みで腰が何度か浮いてお尻をくっつけてください😠と言われてちょっと恥ずかしかった。)
息をハーと吐くと楽になります、はい、ハーと何度か言われて必死にハーハーしたがほぼ意味なし。
もし私と同じ状態で受けようとしてる人いたら、びびらせてごめんね…。これが正直な感想です。
これが気持ちよくなる日がくるのか!?信じられない、といった感じ。それとも、性的快感を伴っていたり、器具じゃなくて人体ならまた違った感触なのだろうか。
◾️診察後
終わった後は呆然。医師が検査の結果問題ないことを告げていたが、異物を入れた衝撃の方が強すぎてほとんど聞き取れてなかった気がする(バカ)
謎の達成感があり、おぉ…😮という表情になってしまった。
それを見てか、看護師さんが初めての方だと緊張なさる方も多いんですよ、よくがんばりましたねと微笑んでくれてそこでやっと力が抜けた。
診察室で待っている間、20分くらいは膣の入り口と子宮のあたりが痛かった。弱めの生理痛みたいな感じ。でもそれも時間が経つにつれ治った。
未経験だと稀に出血するという事例を知っていたのであらかじめ下着にナプキンをつけておいたが、1日経っても出血はなし。
(また、診察室のカゴの中に新品のナプキンが用意されていた。)
◾️総評
別に受けなくても問題なかったが、「もしかしたらガンの可能性も」の「もしかしたら」が解消されたのは嬉しかったし、何よりこんな感覚なのか!というのが味わえたのでよかった。
ただ次受診するなら性交渉を経験した後かなあ。未経験のままだったら今後は受けないかも。
ーーーーー
30を目前として、やはり性経験はあったほうがいいのかなあと悩むことがある。
一応、高校生や大学生の頃に男性と寝る経験はあったが、どうしても膣に物を挿入するのが怖くて、どの時もギリギリで拒んでしまった。
直接的な生々しい話で申し訳ないが、いつも手か口で終わらす…というような感じ。
(口内感染でも発症することがあるというのが今回一応検診を受けた理由でもある)
〇〇歳で処女はやばいよって書かれた漫画のバナー広告を見た時、読ませるための過激な煽りだとわかっていても、
やっぱやばいのかなあ、あの時入れておけばよかったかな、と後悔してしまった。
こういう気持ちってどうしたらいいんだろうな〜
私の愛用しているキーボードがもう販売終了で新しいものが買えなく、
インターネッツでいろいろフリマとかそういうで見つけて買い集めていたんだけど、
さすがに
もうその廃版になったキーボードは手に入りにくくなったのよね。
私は諦めて今まで手に馴染まなかったキーボード3つぐらいあるやつ箱に入れたまんま窓から投げ捨てずに済んだものの1つをとりだして使い出したの。
そしたら、
その当時はなぜ手に馴染まなかったのか理由はすっかりすっきりさっぱり忘れちゃっていたけど
なんらかの理由があって気に入らなくて使わなかったのよね。
でも今使ってみたら、
なんの困ることもなく慣れない感じもなく、
あの時の私の感情なんだったのかしら?
そんなことすっかり忘れていて、
今このキーボードを愛用しているのよ。
これ窓から投げ捨てなくてよかったわ!って改めなくても改めてそう思わざるは山の如しタニコーの五徳のようにそう思ったの。
ぺったんぺったんぺったん!って
なーにー!
って怒られちゃいそうだわ。
でもこれで、
もうキーボードを旅する旅は一応結末を終えた感じかな。
打ち過ぎて打鍵しすぎてキーボードを壊しちゃいがちなの!ガチで。
でね、
いかに私が日頃コントロールプラスシーを駆使しまくりまくりまくりすてぃーなのかがよく分かる事案だわ。
そうなると支障をきたすの。
今まで買って手に馴染まなかったキーボードがもったいないから使わなくちゃねって思っていたこともあるし。
いい加減廃版になったキーボードも永遠に手に入り続けるわけではないから、
これを機に新しいものがしっくり手に馴染んでよかったわ。
だから
キーボードは手に馴染まなくても一応は保存して窓から投げ捨てずに、
窓から投げ捨てなくて良かった!
でも
これ今まで使ってきたキーボードと
若干、
ホームとエンドとページアップとページダウンのボタンの配置が違くて
今でもまだその右小指のゾーンはノールックで打つことができないので、
まるで私がルンルンでやってると思ってるかも知れないけど、
そんで、
マウスはどうなってるの?って思うかも知れないけれど
今使ってるもので落ち着き払っているわ。
その耐久性がほぼ無く
あまりにダブルクリックそしてトリプルクリックしまくりまくりまくりすてぃーなもんだから、
それならちょっと奮発して1発良いマウスを買う値段と等しくも同じ値段になってしまうから
えいや!って清水の舞台から飛び込み前転で飛び降りる気持ちで買ったらこれが良かった!
手に馴染んでってことなの。
探し続けて旅は延々に母を訪ねたばりに3000里歩かなくちゃ行けない
そのアニメのことは何にも知らないまま、
北から南か南から北かどっちから進んでいくのか分からないけれど、
その母を探す少年の肩には小さなリス的なサル的な動物がいることは待ちがないみたいなの。
私はその少年と重ねてキーボードとマウスを探す旅に終わりを告げることができたわ。
と言うかその少年が旅しているところって本当にチリなの?ってところが疑問になるし
つねに私の疑問の泉は湧き出てくる世界のふしぎを発見する的なそれなんてインスパイヤザネクストなの。
でもたぶん、
これで落ち着きそうよ。
畳とタブレットは新しいのがいいなんて言うけれど、
キーボードとマウスは手に馴染んだものを長く使いたい派なので、
そういうことなのよ。
これで私の使っていない手に馴染んでいないキーボードの在庫が1つ使うことができた反面、
あと2つ手に馴染んでいないキーボードはある時のシーズンがやってきたら突然手に馴染むのかしらね?
その不思議についても世界にインスパイヤザネクストできるように、
思い出したら引っ張り出して使ってみたら
案外その時の当時の手に馴染まなかったことを忘れてすんなり使えるかも知れないしね。
窓から何でも放り投げて捨てることはないのよ。
そう気付いた旅でもあったわ。
うふふ。
温めた豆乳飲んできて
なにか良さそうなものを一緒にして飲むのが豆乳流行っているわ。
手順としては豆乳を先に入れてトマトジュースを投入するんだけど、
豆乳に投入ってややこしいけれど、
先入れ投入ね。
何か他に豆乳とミックスして美味しいものが何かを発見したいわ。
電気ポット好評稼働中で朝起きたら70℃のお湯が沸いている信じられる喜びなそれなんてエヴリーリトルシングなの?って思っちゃうわ。
そのお湯使って
ホッツを手軽に飲めて
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
死んだら悲しい。ってのはわかるんだけど、そこまでずっと悲しんだりするものかって思うんだけどどうなんだろ。
側にいて、大切だと思ってるモノが、死ぬという一生相見えもしない事が、悲しい、というのはわかるんだけど。
でもだからと言って、死の淵に立ってる、もう治りもしないそろそろお迎えが来てしまうだろうモノに、
かわいそうだ可哀想だねって声をかけて撫でて泣いてるけど、でもそれは何でだ、いやわかるけど、わかるんだよ?
ボヤりとする瞳とか冷たくなった手足とか浮き上がってる背骨のおうとつとか可愛らしい鳴き声も聞く事がない事だとか
確かに悲しいな、振り返ってあったかくてフサフサな毛皮がハイになってニドと感触を思い出せなくなってしまう事がかなしんだろうねうわ全然実感なかったんだけど今これ書きながら涙が初めて出てきたよかったな悼む心があったよまだ全然人間らしかったわ。でも生きとし生けるものに必ず死は訪れるから仕方なのないことなんだよ
当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである。
社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。
妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らしの人間と結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグの狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収の正規サラリマンとして紹介することがあった。
よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜をたかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。
もし、この世界がエロ漫画の世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られてしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である。
大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代はアルバイトばかりやっており、部活もサークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。
「Fの就職チャンネル」で就活生の動画(ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。
さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったからである。関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである。年収+はなんと約200万円。
今まで、この田舎にある小さい製造会社で毎日毎日、機械や仕様書・図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。
正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間である。マジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張まであるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!
今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイトに登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)
大したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。
・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食
・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード、進研ゼミ中学版、ガラケーの写真など)
・地元神社の奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了
あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。
なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あんな標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。
自宅の裏から繋がる山道の入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵に樹木が生えてる感じだった。
亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争で石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。
今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題である。てっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。
樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識が朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。
https://tadaup.jp/15183559802496/
高校時代の卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。
高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。
なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初で最後なんだからさ。
(部員一同)
増田さんは、□△高校の相川さんがロリロリで好みなんですよね!!
相川さんを是非モノにしてください
増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校の藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです
閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです
とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!
増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました
冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!
増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。
早く警察に捕まってください!!笑
増田先輩へ
増田先輩
お疲れ様でした!!
けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます
いままでありがとうございました♡
増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配をしました。ご卒業おめでとうございます。キャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください
・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください
・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑
・これからも今までみたいに頑張ってください
これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。
でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。
そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である。
それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱のテープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学生時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出である。トラウマと言っていい。
いや、大学の卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である。
マクドでアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗からの卒業式である。毎年3月にある。
卒店式だけど、マクドナルドって経営や店舗運営が外資ルールだから、エリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。
それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館を無料で借りて、ジュースやお菓子をテーブルに並べて卒店式をやる。
大学時代にアルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である。店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。
当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。
そんな時、自分のひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイトが社員の仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分、増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。
でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。
結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。
この子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。
ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事の本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである。世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。
一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。
あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルなものだった。しかし私の答えは……。
「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。
※AJCC…マクドナルドの技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会で部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツでオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった
その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。
それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々と仕事を終わらせて――いや違う、確か女性の学生客がトイレでゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルドは終焉を迎えた。
帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイかベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)
しんみりしてしまった。
学生時代の思い出を開封するのは心理的にキツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。
そんなのはちょっと、想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱を開封した。
そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。
その日記、最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたからである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。
……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体がハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。
例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。
指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である。
骨組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。
でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。
こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティの感触を認識してるってことにもならないだろうか。
剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!
もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。
実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会そのものを自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。
それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。
あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。
あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。
始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータの給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶を改ざんするものである笑
ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通の社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。