はてなキーワード: ファンクとは
僕は今夜、ルームメイトがリビングで実験的にベーコンを低温調理している匂いを鼻孔の厳密な位置で嗅ぎ分けながらメモ帳を開いた。
朝は6時17分に目覚ましを止め(そのミリ秒単位の遅延は許容されない)、6時18分にコーヒーの比率を変える習慣を行い、靴下は左から右へ、座席は常にソファの北東端(座る位置は位相対称性を破らない)である。
食事は火曜日のパスタの残り物は三等分して水曜と木曜の朝食に回す。洗濯は必ず偶数週の水曜に行い、洗剤は0.8倍希釈、脱水は中速、干す向きは北向き。
ルームメイトがドアに爪痕をつけたら即座にログを取り、隣人が郵便物を誤って取った場合は「郵便誤配報告フォーム」を三回に分けて提出する。
こうした儀礼を守ることで僕の内的位相空間が安定するのだと論理的に考えている。
今日の思考の核は超弦理論と量子情報の交差点についての、かなり尖った自己流の定式化にある。
まず、僕は物理的直感を避けて抽象数学で事象を語る。弦理論の摂動系列を有限厚さの∞-圏としてモデル化し、ブレーンを対象、開弦状態をモノイド的なホモトピー演算子として扱う。
局所座標の代わりにファクタリゼーション代数を使い、スパイダー図式を経て得られる交叉相互作用を高次ホモトピー群のコハート化として再解釈することを提案する。
ER=EPRについては、古典的なワームホール=絡み合いという語り方を離れて、僕はエントロピー・双対モジュールの同値性という言葉で捉えている。
つまり、二つのエントロピックモジュールの被覆圏と、それらに対応する重ね合わせのコボルディズム(圏論的な結合双対)を同一視することでER=EPRを圏論的に定式化できるのではないかと考えている。
これを超弦理論に接合するには、AdS/CFT 的なホログラフィック双対の場で、境界側の張力的演算子族が内部のブレーンカテゴリ(例えばフカヤカテゴリやコヒーレント層の導来圏)に対応するという見方を取り入れる。
すると、エントロピー双対モジュールの同値性は、境界とバルクの間で起こる圏の再同型化として現れ、ER=EPRは本質的に圏的ホログラフィーの一命題になる。
ここで僕が提案する小さな拡張は、量子誤り訂正符号のコード代数を∞-圏の射として扱い、その可換性条件がワームホールのコボルディズムの可逆性と一致するというものだ。
これにより、エントロピーの再構成操作がブレーン間のファンクターとして自然に理解でき、局所性の回復を説明する新しい枠組みが得られると僕は思う(これは僕の勝手な定式化で、厳密性は今後の証明を待つ)。
今日はそのメモを、黒板に書く代わりにルームメイトの背中越しにノートに書き留めた。
ところで、僕は靴の磨き方にも数学的基準を設けている(円周率の小数を用いた磨き順列を使っている)。
出かける前のチェックリストはトポロジー的順番、たとえば鍵→財布→スマホ→ペンという順序は位相連結成分を最小化するから合理的だ、と説明すると友人たちは顔をしかめるが、これを守ると予測可能性が上がる。
今夜はRPG系ではELDEN RINGのビルド論とRTAコミュニティのメタ的動向を気にしていて、この作品が2022年にFromSoftwareからリリースされ、多くのビルド最適化やメタが確立されていることは周知の事実だ(初リリースは2022年2月25日)。
また、このIPは映画化プロジェクトが進行中で、A24が関与しているという報(映画化のニュース)が最近出ているから、今後のトランスメディア展開も注視している。
僕はソウルライクのボス設計とドロップ率調整をゲームデザインの位相安定化とは呼ばないが、RTA勢のタイム削り技術や周回遺伝(NG+)の最適手順に対して強い敬意を持っている。
ファンタジーRPGの装備付け(メタ)に関しては、装備のシナジー、ステータス閾値、クラフト素材の経済学的価値を語るのが好きで、例えば「その装備のクリティカル閾値を満たすために残すステータスポイントは1だが、その1が戦闘効率を%で見るとX%を生む」というような微分的解析を行う。
FFシリーズについては、Final Fantasy XVIがPS5向けに2023年6月に、続いてPC版が2024年9月にリリースされ、さらに各プラットフォーム向けのロールアウトが段階的に行われたことなど実務的事実を押さえている(PCリリースは2024年9月17日)。
僕はこのシリーズの音楽的モチーフの再利用やエンカウンター設計の比較研究をしており、特に戦闘ループの短周期化とプレイヤー感情の連続性維持について言及するのが好きだ。
コミック方面では、最近の大きな業界動向、例えばマーベルとDCの枠を超えたクロスオーバーが企画されるなど(Deadpool×Batmanの一連の展開が話題になっている)、出版社間でのIPコラボが再び活発化している点をチェックしている。
これらはコレクター需要と市場流動性に直接影響するため、収集と保存に関する経済的最適化問題として興味深い。
今日、隣人が新しいジャンプ作品の話題を振ってきたので僕は即座に最新章のリリーススケジュールを確認し、One Pieceの次章の予定についても把握している(最新チャプターの公開予定など、週刊連載のスケジュール情報は定期的に確認している)。
例えば「午後9時に彼らがカップ麺を食べる確率は、僕の観察では0.83だ。ゆえに僕は9時前に冷蔵庫の位置を変えるべきだ」という具合だ。
結語めいたものを言うならば、日常のルーティンと高度に抽象化された理論は相反するものではなく、むしろ同じ認知的圏の異なる射影である。
だから僕は今日もルームメイトの忍耐を試す微細な仕様変更(例えばリモコンの向きを30度回す)を行い、その反応をデータ化している。
さて、20時30分だ。これでノートを閉じ、決まった手順で歯を磨き、眠りの準備に入る。明日の朝のアジェンダは既に分解されているから、心配は要らない、と自分に言い聞かせてから寝るのが僕のやり方だ。
たまたま中古で売られてた大槻ケンヂの特撮っていうバンドのアルバム買って聴いたんだけど死ぬほど良かった。
自分が理想とするバンドそのものだった。サウンド歌詞シリアスおふざけのバランスが絶妙なんだよ。
サウンド面は単なるギターロックではなくピアノファンク要素プログレ要素と掴みどころがない。
微妙にシリアスな歌詞も入ってるがそっちに行き過ぎないように上手くおふざけでバランスを取っている。
オーケンは絶妙な素人感のあるボーカルなので良い意味でオーケンというアイドルをプロデュース感があり面白い。(本人はそれがコンプレックスなのだろうが)
はっきり言う筋肉少女帯は微妙だ。どう考えても特撮のほうが上。特撮のほうが売れるべきであって特撮のほうが有名になるべき。
特撮はもっともっと売れてメジャーになるべきバンドだった。明らかに過小評価されている。(オーケンが一番感じているだろうが)
筋肉少女帯はサウンド面も平凡な上にただただ碇シンジくんの気持ちを歌っているだけで童貞臭いのだ。
特撮はオーケンの童貞臭さが消えて純粋なサウンド面ボーカル歌詞で評価できる大人のバンドとして仕上がっている。青春臭さが無い。
君が想うそのままのこと
歌う誰かみつけても
すぐに恋に
落ちてはだめさ
「お仕事でやってるだけかもよ」
自分が色々覚えた頃はmixやコンピを手当たり次第に聴き漁ったと思う。MUROや須永辰緒のmixは高校生の頃に聴き込んだな。
何となく好みの傾向(自分の場合はディスコ、ジャズやファンク)がはっきりしてきて、そのうちにLarry LevanやMancusoを知り、彼らの幅広いセレクションに影響を受けた。
クラブで得た知識・経験ももちろん沢山あるけど、曲名やアーティストの知識は盤から得た部分が大きいと思う。
今はTrackIDとかMixesDBみたいなサイトでトラックリストのないMixの中の曲名も調べられるからめっちゃ便利になったよなあ。
今回のRA.1000はもちろん、DJ-KICKSとかlate night talesみたいな良質なmix/コンピも今はサブスクで聴けるから、音楽を聴くときに「自分に刺さるものを探求する」という軸を持つといいと思うな。
20曲のうち1曲でもぶっ刺さればそれは大きな収穫だと思う。
プログラミングの原理を抽象化するなら、実際の構文や言語の枠をすべて剥ぎ取って、最小限の計算の本質だけを残す必要がある。
状態の変換: プログラムとは、入力状態を出発点として、規則に従い別の状態へ変換する体系である。
あらゆるプログラミング言語・パラダイムは、以下の要素に還元できる。
1. 表現: 対象世界を「記号・データ」として写像する。数・文字列・構造体・グラフなどはすべて表現の形態にすぎない。
2. 変換: 表現を別の表現に写す規則。関数呼び出し・代入・パターンマッチング・ループなどはすべて「変換」の特殊形。
3. 制御: 変換の適用順序を規定する。再帰・分岐・逐次処理・並列処理・非決定性などを含む。
4. 資源: 時間・記憶・入出力チャネルなど。プログラムはこれら有限資源の制約下で変換を実行する。
経歴
ルー・リード(1942-2013)は、ロックミュージシャン(シンガーソングライター、ギタリスト)。
ニューヨーク郊外で会計士を営む実家に生まれ、シラキュース大学では英米文学を専攻し、伝説的な作家デルモア・シュワルツに師事しながら、ギターを持ち、B級レコード会社のために流行にのったヒットソングのパクリのような曲を提供していた。
この頃、同性愛(極度のホームシックによる鬱症状という説もある)治療のために家族の手配で電気ショック治療を受けさせられる。
1964年に伝説のロックバンド「ヴェルヴェットアンダーグラウンド」のメンバーとしてデビューし、ショッキングな歌詞と前衛的な演奏でカルト的人気を博した。
1970年代にはソロに転じ、前半はデヴィッドボウイのプロデュースした「トランスフォーマー」で、グラムロックの代表的ミュージシャンとして活躍した。お笑い芸人「HG」のルックスはこの時期の彼に影響を受けている。
徐々に黒人音楽に傾倒し70年代後半はドンチェリーらと組んでフリージャズとファンク、ラップのような歌が合体した奇妙な作品を出し、軽い混迷期に入った。
80年代以降はシンプルな4ピース(ギター×2,ベース、ドラム)の骨太の演奏に語りのようなモノトーンな歌い方を乗せる方法論が定着し、「ブルーマスク」「ニューヨーク」などとっつきづらいがくせになる名盤を作った。
その後セールスは低迷し、本人も70年代後半のような実験的・音響的な方向に傾倒し、2000年代中盤以降新作はリリースされず、2011年に突然、スラッシュメタルの大御所メタリカと共作アルバム「ルル」を作ったが、長尺でラフな演奏にメロディがほとんどない歌声が乗る(しかも一曲が長い)作品は、特にメタリカのファンから酷評された。2013年に肝臓癌で死去。
作品紹介
この詩集は生前に発表された唯一の詩集(多分)で、彼の歌詞と、雑誌に発表した詩・記事からなる。
詩の魅力
ボブディランのような多義性・はぐらかしや、レナードコーエンのような崇高さとは異なり、ルー・リードの歌詞は明確、即物的・客観的で、感情を乗せない、観察者的な視点が特徴である。言葉遊びも少ない。
テーマはショッキングなものが多いが、それが詩の構造・精神にまで侵食せず、あくまで象徴として機能しているのが魅力で、それゆえ、声を張らなくても、メロディを工夫しなくても(楽曲のほとんどが2~3コードで作られている)、演奏を盛り上げなくても、聞き手に迫る。
薬物
代表作「ヘロイン」は文字通りヘロインについて歌った作品であり
「ヘロイン/ぼくの死であれ/ヘロイン/ぼくの女房でぼくの人生」
と、その表現は率直で容赦ない。
ただ、ヘロイン自体の直接的・具体的な描写はなく、これは読み手(聞き手)には、自分が愛着をもち、人生の代替となる「何か」と置き換え可能な普遍性を持つ。
「ぼくは彼女がスコットランドの女王メリーだと思った/ものすごく努力したのに/まったくの勘違いだとわかっただけ」
と、ここだけ読むと幼稚なほどロマンチックな失恋の歌なのだが、最後に
と突然血なまぐさくなる。
一見強面・ハードな印象のある作者だが、薬物以外に拘りがあるのが「家族」で、例えば、
「おふくろに恋人ができた」という歌は、
「おふくろに恋人ができた/昨日やつに会ってきた/おふくろが新しい人生の1ページを始める/やつとの関係が早く終わってほしい」
「妹へ」という歌は
「元気が無いって自分でもわかっている/このところ調子が良くないからな/でも信じてくれ/ぜんぶおれのせいだ/おれはずっと自分の可愛い妹を愛してきた」
とストレートな愛情を歌っている(妻を歌うときにこのような率直さはない)。
79年のアルバム「ザ・ベルズ」は控えめに言っても駄作だが、最終2曲が秀逸で、
「おれは家業なんていらない/あんたが死んだってそんなもの継ぎたくない」
「パパ/こうやって訪ねたのは間違いだった」
と歌う「家族」(ルー・リードは父親を憎む発言を繰り返し、生前最後のインタビューでも「親父はオレにそんなクソ(注:ギターのこと)はよこさなかった」で締めた。)
に続き、
「宙を舞い/体をつなぎとめるものもなく/宙を舞い/膝から地面に落ちた時/パラシュートなしで公演するのは/あまりかっこ良いものではなかった」
と夜のブロードウェイでの飛び降り自殺を描く「鐘(The Bells)」で終える。
好きな理由
露悪的ではあるが、情緒に頼るところはなく、自分のことを歌っているようでもどこか第三者的な目線を感じる。その透徹したところが魅力で、苦しさややるせなさを抱えていても、読むと「ふわっと」自分から離れられる不思議な癒やしが感じられる。
自分の気持ちを抑えられないほど悲しいときや辛いときに読むと、不思議な浄化作用を得られる。
自分が好きな歌詞は、本当に悪趣味なのだが、「黒人になりたい」という歌で、
「黒人になりたい/ナチュラル・リズムを身につけて/6メートル先まで精液をとばし/ユダヤ人のやつらを痛めつけてやる」
という、人によっては噴飯ものの歌詞だが、リズムの良さと話題の飛躍に、どこか英雄に憧れるおとぎ話めいたユーモアがある。
そして、ルー・リードがユダヤ系アメリカ人であることを念頭に置くと(そして、本人がそのことを歌で一切明かさないことを含めると)、この人の自虐性とユーモア、という側面も見えてくる。
読み手/聞き手によって評価は異なるが、自分にとっては、「毒」を浄化してくれる「毒」(=解毒剤)だと思います。
以上
参考資料
(書影)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309257501/
(楽曲)
(heroin)
https://www.youtube.com/watch?v=yN-EZW0Plsg
https://www.youtube.com/watch?v=mEuShdchzkk
(families)
https://www.youtube.com/watch?v=JXbu4z2kc6s
(I wanna be black)
https://www.youtube.com/watch?v=H-ksg_ZVn8s
(sad song)
https://www.youtube.com/watch?v=QG_ooIR0DTY
https://www.youtube.com/watch?v=ZbOG-2ahx4w
(the bells)
なんとなくイスラエルのバンドを挙げてく。古いのは昔漁ってて最近思い出したから。
〇Shmemel
イスラエルの ファンク・ ロックバンドである。このバンドは2007年に結成され、10人のメンバーで構成されている。歌詞のほとんどは風刺的でユーモラスであり、しばしば物議を醸している。らしい(wikipediaより)
代表曲はברלין
https://www.youtube.com/watch?v=PXVo-IhQfpk
イスラエル人にベルリンをはじめ、世界中への移民を呼びかけるような歌詞になってるようだ。
〇Habiluim
このバンドの楽曲は、イスラエルの生活を政治的、社会的、そして批判的な視点からグロテスクに描写している。らしい(wikipediaより)
代表曲はשגר פגר
https://youtu.be/HBm3FbtV6gQ?si=5xKxAbN0WWNio7jE
アルバムのコンセプトは好戦的なイスラエル社会への批判が含まれている。
他にもニリム事件(פרשת נירים)をもとにした「תנשב הרוח」という歌もある。
〇sheygets
バンド名は非ユダヤ人や不信心なユダヤ人の男を指すSheigetzが由来だと思われる。多分。
代表曲はניו יורק - רפיח
https://www.youtube.com/watch?v=PxBkL0Mn1bw
ニューヨーク―ラファという楽曲でラファはガザ地区の南端にあり、大量の難民が流入している。最近はイスラエルはここも攻撃している。
ラングランズプログラムは「数論、表現論、代数幾何などの深い対応関係」を示すもの。おおまかに以下の二つの圏の間の関係付けを考える。
1. Galois的側面(Arithmetic side): 代数体Kの絶対ガロア群 Gal(𝐾̄/𝐾) の表現(特にℓ進表現など)で記述される。これは「数の対象」を記述する。
2. 保型表現的側面(Automorphic side): 代数群G(例:GLₙ)上の保型形式や保型表現のような解析的・表現論的対象で記述される。こちらは「関数の対象」を記述する。
ラングランズ対応とは、次のような「構造的双対性」に関する予想のこと。
より具体的には、ある代数体𝐾に対し、
この二つの間に「L関数」や「ε因子」などの不変量が一致するような対応がある、とされる。
さらには、ラングランズプログラムは「モチーフの言語」による普遍的対応を予想する。
つまりガロア表現も、保型表現も、「モチーフの異なる表現形式」として現れるというもの。
すなわち、表現の対応が群の構造変換に自然に従うべきである、という要請。これは「圏論的ファンクター」の視点に近い。
まとめ: ラングランズプログラムとは、代数体における数の情報(ガロア群表現)と、群上の関数の空間(保型表現)とが、L-関数という普遍的不変量を通じて統一されるという、構造間の圏論的双対性である。
あらゆる技術ツールの存在意義は「人間の課題を解決すること」にある。
どれほど理論的に優れていても、使われなければ社会的影響はゼロであり、開発・保守・学習のコストに対するリターンも生まれない。
ツールは道具であり、「賢い者だけが扱える道具」は、実際の現場ではほとんど役に立たない。
例えるなら、戦場において「取り扱い説明書を10回読まないと撃てない銃」は、正確でも美しくても役立たない。
瞬時に理解され、即応可能であることが、実用の第一条件である。
ここで言う「馬鹿にもわかる」とは、知識レベルが高くないユーザーでも直感的に使える・理解できるという意味である。
これはユーザビリティ、学習曲線の緩やかさ、エラー時の挙動の親切さなどに現れる。
この観点からすると、「馬鹿にもわかる」設計は、実は賢い設計である。
人間の認知限界や行動パターンを理解し、誤操作を予防し、意図を汲み取って補完できるシステムは、万人にとって有益であり、結果として普及しやすく、フィードバックループによってさらに改善される。
Haskellは、理論的には極めて美しい言語であり、型システムの厳密さ、関数型の純粋性、抽象化の高さなど、形式的な正しさにおいて群を抜いている。
つまり、Haskellは「形式的正しさを最優先した結果、人間の直感と乖離し、現実世界との接続性が弱まった」道具である。
実際のソフトウェア開発現場では、エンジニアの入れ替わり、ドキュメントの不備、締切、バグ対応など、理想とは程遠い要素が日常的に存在する。
したがって、ツールは「賢い人が完璧に使いこなせば強力」ではなく、「凡人が雑に使っても一定の成果が出る」ことが求められる。
この点で、PythonやBashは「馬鹿にもわかる」ことを最優先し、結果として世界中で圧倒的に使われている。これは単なる偶然ではなく、設計哲学の勝利である。
道具は使われて初めて価値を持つ。そして「馬鹿にもわかる」ことは、使われるための最重要条件である。
リタ・ミツコをまったく知らなかった。名前すら聞いたことがなかった。
知らずに、今日まで何十年と生きてきた。
映画『右側に気をつけろ』にリタ・ミツコが出演しているんだけど、正直最初は誰?って感じだった。
調べてみて分かった。どうやら彼らの音楽にゴダールが惚れ込んで、映画に出演させたらしい。
それだけでちょっと興味が湧いた。
ゴダールがわざわざバンドを映画に出すって、よっぽど気に入ってたんだろうなって。
そのあとYouTubeで検索してみた。そしたら出てきたのが『Marcia Baïla』のMVだった。
もうね、度肝抜かれたよ。
80年代のMVなんだけど、色彩がド派手で、演出もめちゃくちゃ尖ってる。
しかも音楽がまたカッコいいんだわ。ファンクっぽさもあり、ニューウェーブ感もあって、でも一言で言えない独自の世界観。
とにかくクセになる。フレッド・シシャンとカトリーヌ・ランジェという、この二人の存在感がもうすごい。特にカトリーヌのパフォーマンス。独特のメイクとファッション、奇妙な動きに圧倒された。
今の時代のMVは洗練されすぎてて、どこかパターン化してるところがあると思うんだ(まるで生成AIみたいに)
でも『Marcia Baïla』のMVはむき出しの創造性が爆発してて、それでいて尚ポップなんだよね。
怖さと美しさと楽しさが全部ごっちゃになってて圧倒的なエネルギーで押し込まれる感じ。
まさに芸術は爆発だよ!
マジでなんで今まで知らなかったんだろう…ってレベルですごい。
同時に、まだまだ知らない世界があるだなぁーってことを再確認させられた。
リタ・ミツコを教えてくれたゴダールにも感謝だけど、YouTubeにも感謝したい。
知らないまま生きてきたけど、今知れて本当に良かったと思ってる。
プレイヤー集合: ℙ = {C₁, ..., Cₙ(消費者), F₁, ..., Fₘ(生産者), G(政府), X₁, ..., Xₖ(外国)} 各プレイヤーは財集合 𝒢 = {g₁, ..., g\_r} に対して選択を行い、その選択肢空間は 𝒜ₚ ⊆ ℝʳ である。
各プレイヤーは時刻 t において情報 ℐₜ を観測する。これは価格行列 Pₜ、所得 Yₜ、政策 Tₜ を含む。各戦略は sₚ: ℐₜ → 𝒜ₚ として与えられ、これは消費関数や生産関数と解釈される。
各時刻 t において、総需要と総供給の差(超過需要ベクトル)を定義する: Zₜ = ∑ Dᵢ(Pₜ) − ∑ Sⱼ(Pₜ) ここで Dᵢ は消費者の需要関数、Sⱼ は生産者の供給関数。
価格の時間変化は以下の連続時間モデルで与えられる:dPₜ/dt = α Zₜ ここで α > 0 は調整速度を表す定数。
ゲームの状態遷移は、状態圏 S における射 Φₜ: Stateₜ → Stateₜ₊₁ によって記述される。各プレイヤーの行動が価格行列を通して他プレイヤーの情報に影響を与えるというフィードバック構造を持つ。
好きなチームについて知ってもらいたくて結構頑張って書いたんだけど、あんまり沢山の人には読んでもらえなかったょ……🥹とChatGPTに愚痴ったところ、「もっと主観的な意見を多く言ってみるのはどうですか?」と言われたもので、普通に増田の好きな動画の話していい? するね。
あと読んでくれたりブコメつけてくれた方は超ありがとうございます。平日深夜2時のテンションが救われました。
https://youtu.be/PygmgjKQafg?si=1cNpeuLzSyEJh4oc
トレードマークのチェックシャツ着てない動画を最初に上げるのよくないのかもしれないが、個人的にはまったきっかけだったので仕方がない。
曲は初音ミクで、メンバーがバニーガールのコスプレでばきばきに踊りまくる。
当時、増田はブレイキンのことがよくわからず「回ってんな〜すげ〜」程度の感覚しかなかったのだが、この動画はそれ以外のダンスの要素もものすごい密度で詰め込まれていて、特にタットダンスやヒップホップダンスの部分に最初に目を奪われた。
何度も何度も繰り返して見るうちにブレイキンの楽しさもだんだんわかってきて、アフロの人の名前なんだっけ、ボーイ姿の二人はだれなんだ、水色の髪の人は、最後に背中ダーンやってる人は……とメンバーの名前を調べ始めるきっかけとなる、まさにRAB入門となった動画だった。いいのかな。いっか。
https://youtu.be/tNdv6dL8Ktk?si=fb-MFzNO2zC6enBz
ブレイキンのダンスをある程度見慣れてきたあとにこの動画を見て、動きに「色気」を初めて感じてすごくびっくりした動画。
ファンクアレンジの「一万年と二千年前から愛してる」をバックに、なめらかさとやわらかささえ伴ったソロの繋ぎに心を奪われてしまい、見たあと数日この動画のことが頭から離れなかった。
個人的にあまりロボットアニメに馴染みがなく、この歌も面白ネタ枠として記憶していたのだが、この動画を見たら「めちゃめちゃいい歌じゃねえか…!」となりおもわず創世のアクエリオン見てしまった。
近い系統では「ムーンライト伝説踊ってみた」も曲のアレンジ含めすごくかっこいいのだが、これのソロがね……ほんと好きなもんで……
https://youtu.be/0E_IHDbBJdw?si=lXMy8o-lwb7g9kzM
5人時代の、なつかしニコニコ感あふるる動画。「スキルでふざける」タイプのやつである。
この動画の動きってなんかMADぽいというかgifっぽいというかで笑ってしまうのだが、ぱちんと決めるところは決めてて見ててめちゃめちゃ気持ちいいし、3人で並んでウインドミルは壮観である。
どうやらこれを元にしたMMD動画が流行っていたらしく、過去のMMDを巡って誰に誰が当てられているかを見るのも楽しかった。人間はこんな動きできないとか言われててニヤニヤするオタク仕草を存分に楽しませていただいた。
https://youtu.be/qsboFwReL34?si=98DZdBBWoOBCaBKE
BadAppleなつかし〜と思って開いてみたところ度肝を抜かれた動画。
古式ゆかしいタイトル、最初にふざけておまけが本編方式、雑コスの名に恥じぬ着ただけコス。なにもかも昔のニコニコだ。だが群を抜いてダンスと画づくりがものすごい。
ここで踊っているのはESPICEとして加入した若手同い年コンビの二人である。
タットダンスをメイン、二人の身体能力を十二分に生かした流れるような振付と画を見ていると、例のあの影絵アニメを見たときと同じような高揚感がある。
雑コスの衣装ももはや最適解ではないかと思わせる、袖やスカートの靡きまで美しい振付は何度も繰り返してしまう。
https://youtu.be/RdD-14PSass?si=nZnuK7tsoLeeKfAw
これ多分アニソンでもないしボカロでもないし服もかっこいいやつだしなんかもう単にかっこいいダンスの人たちじゃねーか!!と思うが増田はもうRABに脳を焼かれているのでさいこうもっとください……となる……
こういう風に囲んで一人ずつソロを回すことをサイファーというらしく、その形式の動画は他にもいくつかあるのだが、この動画はカメラアングルといい曲調といいブレイキンがめっちゃくちゃ映える気がする。
ブレイクダンス世界一を経験しているDRAGONがセンターにいるときの求心力、ROOTSのそれぞれ「らしさ」を押し出したソロと自分たちの持てる技を詰め込んだESPICEのソロ、どれも本当にかっこよくて大好きである。
この動画たぶん公式の再生リストから漏れており、ファンのみなさんがXで紹介してくれてるのを見て初めて出会えた。
https://youtu.be/FYthr9NbDRA?si=aCDx8H-say3PbIyz
この動画の何が素敵かって、本当に、めちゃめちゃに楽しそう。
もちろん他のサイファーも楽しそうなのだが、この動画は服が白基調のせいもあるのか、全体的に明るい印象で、一つ一つの動きから楽しい!という気持ちが感じ取れるようで泣きそうになってしまう。
出る時の見てろよ見てろよ!な顔、仲間がかましたときの歓声、ほんとうに、ダンスができるのってこんなに楽しいんだ!と思わされる。
この動画を提案したのは、最年少で当時高校生の龍だそうだ。龍のパートの爆発するみたいなダンスも、それを見守る周りのメンバーも、なんだかすごく愛おしくなる動画だと思う。
を読んで、チャゲは本当に木根尚登とならぶ過小評価なソングライターだと長年思ってるので、個人的に感じる名曲でちょっと彼を見る目が変わりそうなのをいくつか紹介したい。
あくまで自分が好きな曲なのと、自分がちゃんとチャゲアスを聞いてたのは80年代終わりから90年代前半くらいまでのごく短い時間(つまりは流行ってた時代のミーハーファン)なので、コアなファンは「そんなカスみたいなのばかりあげんなよ」みたいな感想がでるかもしれないですが、まあ大目に見てほしいです。解散以降のソロ曲は一切知らないし。
これを読んで、チャゲにたいする「なんかアスカの隣でハモってるちょっと面白い人」くらいのイメージがちょっと変わったらうれしいです。
基本的にチャゲは凝った曲(メロディラインやアレンジが変な曲)や大きい曲(壮大なサウンドスケープを感じさせる曲)を作ったときに異様に力を発揮するタイプのソングライターです。それはたぶん彼の背景にビートルズやUKロックがあるのが要因かなと思う。そういうと「アスカのほうが大きい曲強いじゃん、「太陽と誇りの中で」とか「BIG TREE」」」とか」とファンは言いそうですが、アスカはJ-POP的な大きい曲に対して、チャゲはスタジアムロック的な大きい曲を作るのが得意な人です。本人のパブリックなキャラとだいぶ違って、それは木根とも共通すると思います。
今回は「大きい曲」 「変な曲」 「ふつうに良い曲」を2曲づつ挙げていきます。どの曲も今やサブスクで聞けるようになりましたので、ぜひ聞いてほしいです。
大きい曲その1。チャゲ曲でのファンの間で代表曲といえばこれだと思います。とにかくでかい。タイトルからしてでかい。イントロのアタックといいドラムといいでかい。そこからぐっと入るUKロックのようなAメロ。チャゲアスっぽいBメロという展開を繰り返しながら、ぐっとためてためて爆発するサビ。歌いやすくグッとくるこのサビのスケール感は、U2のWhere The Streets Have No NameとかOasisのLive Foreverとかとためをはれるんじゃないかとすら思う。間奏での掛け声がものすごくダサいがそのダサさも含めてスタジアムロックな名曲。ライブで聞くとなんとなくいいものを聞いたなと誰もが思うんじゃないでしょうか。それくらいのパワーがある曲。
大きい曲その2。これはチャゲのサイドユニット Multi Maxのもの。まあチャゲアスのライブでもけっこうやってた記憶があるのでここで取り上げたい。ロマンシングヤードがアッパーな感じの大きな曲なのに対して、こっちはミドルな大きな曲。まあほぼロマンシングヤードの兄弟曲なのだが、スケール感はこっちのほうが上。なんとなく環境問題を意識したっぽい歌詞はあの時代ですな。サビがとにかく気持ちいいのでカラオケで歌ってても楽しい曲。
変な曲その1。SAY YESが入っていてむちゃくちゃ大ヒットしたTREEに入っていたのでたぶん聞いたことある人もいそうな曲。JPOPによくあるファンクっぽい曲なのだが、エフェクトのつけ方とかすごく気持ち悪くてかっこいい。当時釣りに凝っていたチャゲが当時はまだあまり市民権のなかったCATCH & RELEASEというワードをもとに恋愛の歌詞にしたもの。Aメロのすっ飛ばしぐあいがすごくて、ちょっときれいな感じのBメロになったと思ったらドキャッチーなサビになる。全編でアスカとのボーカルコンビネーションが堪能できる。
変な曲その2。これもPRIDEに入ってるので知ってる人はそれなりにいそう。ちょっとエスニックな感じのイントロにやたらとエコーをかけたアスカの声が入ってくる。ところがサビで転調した瞬間に爽快なメロディになる。AメロBメロとサビの印象が全然違うので、サビの爽快さがさらに際立つ。歌詞とぴったりとあってるようにも思うしなんならアルバムジャケとぴったり合ってる。中学生のころに初めて聞いてなんだこれ!と聞き直したくらいインパクトのある曲。
ふつうに良い曲その1。普通に良い曲ももちろんある。これは元増田も言及していた曲でriverのカップリングなのでそこそこ知られてるかもしれない。こういうアーティストが自分の過去を振り返る曲はいい曲になりやすいよね。ちょっとサビの感じが長渕剛っぽいのが好き嫌い分かれそうだが僕は割と好み。というかチャゲも歌い方を長渕に寄せてる気がするし、何度か聞いてるとだんだん長渕っぽいなと思えてきて、長渕の声で脳内再生できてくる。歌の題材が福岡なせいだろうか。
ふつうに良い曲その2。チャゲ曲なのにほとんどをアスカが歌ってる不思議な曲。チャゲアスが得意なミディアムバラードだけどとにかく全部よい。メロディ、歌い方、歌詞、アレンジ、全部完璧。しいて言えば、間奏のアスカのモノローグがいらないくらい。渋谷のスクランブル交差点をテーマにしてるらしいがイメージがありありと想起できる。AメロがほぼサビなのだがこのAメロがものすごくよくできてる。歌詞と曲の一体感に、全然違うがTM NETWORKのStill Love Herと近さを感じるのはなぜだろうか。僕はいまだに渋谷のスクランブルで信号待ちをしているときにこの曲のサビが脳内で流れ出す。
クインシー・ジョーンズは、音楽史において最も影響力のあるプロデューサーや作曲家の一人です。以下は彼が関わった代表的な10曲です:
1. 「スリラー」マイケル・ジャクソン - 1982年のアルバム『スリラー』のタイトル曲で、ポップ、ロック、ファンクを融合させた曲です。このアルバムは史上最高の売り上げを記録し、ジョーンズのプロデュースが際立っています。
2. 「ウィ・アー・ザ・ワールド」USAフォー・アフリカ - 1985年にマイケル・ジャクソンやライオネル・リッチーと共に制作したチャリティソングで、アフリカの飢饉救済のために多くの有名アーティストが参加し、世界的な団結の象徴となりました。
3. 「ギヴ・ミー・ザ・ナイト」ジョージ・ベンソン - 1980年に発表されたこの曲は、ジョーンズの滑らかなプロデュースが光り、ベンソンにとってジャズとポップを融合させた代表的な作品です。
4. 「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」フランク・シナトラ - 1964年にジョーンズがアレンジを担当したこの名曲は、シナトラのキャリアを象徴するジャズのスタンダードとなりました。
5. 「ソウル・ボサ・ノヴァ」クインシー・ジョーンズ - 1962年のインストゥルメンタル曲で、映画『オースティン・パワーズ』で使用され、ジャンルを超えたジョーンズの創造力が示されています。
6. 「イッツ・マイ・パーティ」レスリー・ゴア - 1963年のこのヒット曲はジョーンズが手掛けた初期の代表作であり、彼のポッププロデューサーとしての名声を確立しました。
7. 「オフ・ザ・ウォール」マイケル・ジャクソン - 1979年にリリースされたアルバムで、ファンクやディスコ、ポップを見事に融合し、ジャクソンをスーパースターへと押し上げた一曲です。
8. 「スタッフ・ライク・ザット」アシュフォード&シンプソン、チャカ・カーン - 1978年のアルバム『サウンズ・アンド・スタッフ・ライク・ザット!!』に収録され、ファンク、ジャズ、R&Bを融合させたジョーンズらしい楽曲です。
9. 「P.Y.T. (プリティ・ヤング・シング)」マイケル・ジャクソン - 『スリラー』収録のこの曲もファンキーな曲調で、ジョーンズの緻密なプロデュースが光ります。
10. 「アイアンサイドのテーマ」クインシー・ジョーンズ - 1967年のTV番組「アイアンサイド」のテーマ曲で、特徴的なサイレン音と迫力あるホーンセクションが印象的です。
ジョーンズの影響はジャンルや世代を超えており、彼の代表作はポップ、ジャズ、R&Bといった音楽を形作る一端となっています。それぞれの曲が、彼の独自の音楽スタイルとトップアーティストとの協力を表しています。
楽器(ベース)をやっているのだが、自分の技量に自信が持てない。具体的には、コード進行を作曲者のギターから渡されてベースラインをこっちで作るのだが、どうもダサいような気がする。いろいろ考えたり、調べ物をしても泥沼にハマりそうなので,まずは自分がこの後迷走した時に立ち返る場所としてアメリカ人が頭の中にいればいいのではないかと思った。
彼ならこう言ってくれるはずだ。
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(録音データを聴きながら)うんうんうん。オーケー。まず、僕が君に伝えたいのは、君がととても素晴らしいってこと。君の作ったベースラインは、きちんとコードトーンにあってるし、リズムもあるべきものを刻んでる。パーフェクト。曲をファンクとして理解して16分を刻んでいるんだよね。うんうん。サビの前に5度7度で入るオカズもクールだよ!
このベースラインは君が一から考えて作ったんだよね。そのことには何よりも価値がある。明日の練習でこのベースラインを弾いた時にメンバーがなんて言うかは分からないよ。でも、君が作ったものには間違いなく価値があるし、ミュージシャンならオリジナリティに自信を持てばいいんだよ。