はてなキーワード: 根性とは
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015032991000
事故を起こして腹立たしいのはわかる
わかるけど
かつては
「東電の経営が」とか寝言ほざいて隠蔽擁護してたクズブクマカどもの擁護もあった
東電の株握ってるクズブクマカたちが再稼働の遅れで発狂するのはまだ分かるが
いっしゅんマトモになってるけど
ここで叩いて不貞腐れてまた不都合なデータを隠すようになる方が先々の迷惑
クズブクマカたちが株価で騒いでも安全大事、という経営判断したことを
世話する根性もないのにそういう言い方はないと思う。
即席チーム対元即席チームの因縁対決(後半)
(直接的な因縁はない)
サブキャラの地元系チーム※に活躍の場が与えられてるのを見るとウキウキする
※S4の各メンバーのチームとかそういうの
ストーリーによく絡んでくるのがリーダーだけか、よくてサブリーまでであとの2(3)人は若干影薄め
◼️直近の試合(左が勝ち)
S4対Xブラッド
◼️準決勝に出るチーム
S4か新バンカラ
セオリー通り(?)に展開するなら、決勝はブルー対マルノミ 一択…のはず
◼️決勝予想
・イエローグリーンまたはS4を下して優勝、というのは無さそう(決勝が初期チーム同士ということはなかろう)
・新バンカラクラスチームも全員倒したことがあるので(→S4状態)あまりなさそう
・対ミツアミは、なくはなさそう
◼️なんらかの事情で3組残っちゃってトリカラマッチが始まったりしないかな?とも思うけど
これを数ヵ月後に読み返すのが楽しみ
とにかく使えない。アスペの癖に低IQのコミュ障で、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずで法人すら立ってない事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロ、CTFの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。大学生は大人なんだからIT目指すなら一つくらい社会に爪痕を残すようなとてつもない偉業をなして当然だろ、何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。今どきZ世代は大人びてるんだからIT目指す新卒にもなれば普通少年ジャンプの主役くらいのスペックあって当然なのに。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
結果の出ない努力は苦労や道楽ですらない。意味のある努力をした俺らがようやく意味のない辛酸も含めて舐めることができる権利を与えられているのに、無駄な努力しかせず時間を浪費した人間はエンジニアになる資格なんてない。それを解っちゃいない人事の奴らはバカしかいない。
bikkuri_kuri_taro 自分も面白がればどうだろ 今日はそうきたかー、若いねやっぱり とか こんなんでいい男ぶってるんだ、ちょろって なんないかな 男を手玉に取るくらいの根性見せんかい!
https://b.hatena.ne.jp/entry/4781829356413514241/comment/bikkuri_kuri_taro
。いじめっ子の家庭環境を見ていると、片親家庭で育っている割合が異様に高いことに気づく。もちろん、片親であること自体が問題なのではないし、片親家庭でも愛情深く健全に育つ人はたくさんいる。ただ、それでも統計的・体感的に見て「いじめる側」に回る人間の背景には、家庭内での愛情不足や情緒的な不安定さが存在しているケースが多いのは否定できない事実だと思う。
親から十分な愛情を与えられずに育つと、「自分は大切にされる存在だ」という感覚が育たない。安心して甘えたり、失敗しても受け止めてもらえる経験が少ないと、心の中に慢性的な寂しさや怒り、不安が溜まっていく。でも子どもはその感情をうまく言葉にできないし、ましてや家庭の問題として認識することも難しい。だから、その行き場のない感情は、より弱い立場の他人へと向かってしまう。
いじめは快楽でも強さの証明でもなく、実際には「歪んだ自己防衛」だ。他人を下に置くことで一時的に自分の価値を感じようとし、誰かを傷つけることで「自分は無力じゃない」と錯覚する。そこには余裕も自信もなく、あるのは満たされなかった承認欲求だけだと思う。そう考えると、いじめっ子という存在は、加害者であると同時に、家庭環境の被害者でもある。
ただし、ここで重要なのは「可哀想だから仕方ない」と免罪することではない。どれだけ不遇な環境で育ったとしても、他人を傷つける行為が正当化されることはないし、被害者が受けた苦しみは決して軽くならない。でも同時に、「生まれ育った環境が人格形成に与える影響」を無視して、個人の性格や根性の問題にすべてを押し付けるのも、あまりに乱暴だと思う。
社会はよく、いじめを「子どもの問題」「学校の問題」として処理しがちだけど、本当はもっと根の深い家庭や社会構造の問題でもある。経済的に追い詰められ、精神的な余裕を失った親が、子どもに十分な愛情を注げなくなる。その連鎖の中で育った子どもが、また別の弱い存在を傷つける。これは個人の資質というより、再生産される不幸の構造に近い。
そう考えると、いじめっ子に対して感じるのは、怒りと同時にどうしようもない哀れさだ。愛されるべき時期に愛されず、安心を知る前に他人を攻撃する術を覚えてしまった。その歪みは本人の人生をも蝕み続けるし、決して幸せにはつながらない。誰かを踏みつけないと自分を保てない人生は、あまりにも孤独だ。
いじめを本気で減らしたいなら、罰や指導だけでは足りない。家庭への支援、親へのケア、子どもが無条件に「存在していい」と感じられる場所を増やすこと。その土台がなければ、いじめは形を変えて繰り返されるだけだと思う。いじめっ子を生み出さない社会とは、誰もが最初から追い詰められずに済む社会のことなんじゃないかなって、私は思う😌🫧
父から、バズったといって、URL送られてきました。自分の病気ネタでバスらせないでよ、と思いつつ読むと、昔のことを思い出されました。まあ、ここまで詳細書かないでよともおもうけど。匿名ブログには、匿名ブログで返信というルールみたいなので、こちらで書きます。身バレ防止のため、今どこで何しているみたいな話はなしで。あと孫プレッシャー、、、父おい、、、配慮しろ。まあ確かに、父は「人生で最高だったのは、●●ちゃんが生まれてきてくれたこと。子育てって最高に楽しい」と、今も言っているからなあ。
父の祖父(私の曾祖父)と祖母(私の曾祖母)は、猜疑心が強く怒りっぽく、夫婦仲も悪かったみたいです。で、そんな親に育てられた父の父(私の祖父)も、突然怒るとか、物事を悪意にとらえることが結構あったと。で、環境的に遺伝したのか、父もそういう性格がありました。なにげない発言を悪意に捉えて、怒るなど。まあ、世代間連鎖みたいなものですかね。父の記事は、自分についておおむねよいところしか書いてない感じですが、実際は欠点もあります。
ただ、父が偉いなと思うのは、私が小学校低学年の時に、この問題に取り組んでほとんど無駄に怒らなくなったこと。母は、「もっと前から取り組めばよかった」と言っていますが、まあこれは頑張ったと思います。何世代にも渡った猜疑心の輪を解き放ったのかな。
父は忘れ物多く、色々なことを先送りにする、という特徴があるので、ある種のADHDかもしれません(的外れだったらごめん)。
父の強みは、何か面白いものがあれば取りあえず試してみる、あとは人を助けること、まず信頼することでしょうか。例えば、たまたまマレーシアの空港のカウンターの列で知り合った人と仲良くなって、その後彼の家に遊びに行って、彼の日本のビジネスを助けて、その後生涯の友になるとか、妙な行動力があります。まあ、運が良かったね、みたいなところも多いのですが、楽天的で物事をポジティブに捉えることがいいなと思います。なお、見た目は全然かっこいい系ではない。
教育とビジネスにおける父の価値観は、教育も大事だが、基本的には効率よくお金稼げるようになるのがもっと大事、私みたいなサラリーマン、自営業うまくいかなかった人にはなるな、サラリーマンとして勝ち得たビジネスは、全部会社のもので引き継げないが、自分で勝ち得たビジネスは、全部自分に残るぞ、とよく言ってました。母は、この商売人根性(お金儲け主義)をあまり好まなかったですが、私はこの、いかに人生ショートカットを探すかみたいな思考は好きです。
母は、基本警戒心が強く、やや引っ込み思案だが、私の教育に熱心でとにかく真面目。父と母の個性はかなり逆なので、ある意味補完できていたのかと。母も素晴らしいところたくさんあるが、本筋とそれるので詳しくは書きません。
小さい頃は、父は時には兄のような感じで、いかにお母さんから怒られないようにするか、いかに隠れて遊ぶか、いかにアホな遊びをするか、みたいなことをよくやってました。お母さんが寝たあとにこっそり、父のゲームコレクションで遊んだりしました(主に対戦もの)。マリオカート各種、アイスクライマー、スマブラ各種、鉄拳各種、バーチャロン、桃鉄など。いちばん好きだったのは、アイスクライマーかな。点数対決、どちらが長く生き残るか対決とか、ルールを決めて繰り返し遊びました。アイスクライマーって、協業しても競争しても楽しい任天堂屈指の名作だと思います。今も夫とSwitchで遊んでます(父よ、Switch2はもらうぞ)。私が小さいときは父とはふざけてばかりいたので、二人まとめて母によく怒られました。「お母さんにばれないように、夜アイスクライマーやろう」といって遊んでいたら、無性に笑えてきて、お互いが「笑っちゃだめ!バレル!www」みたいな。
父の教えは、
できれば35までには、独立して自分で稼げるようになるといいよ、私は気付くのが遅かったが君ならできる。サラリーマンをしていても、ノウハウをどう独立したときに生かせるかを常に考えるといいよ
英語を絶対できるようになりなさい。私は下手くそ英語で苦労した。日本は英語ができると何故か給料高い職業にアクセスできる。私のような平凡おじさんでもできたのだから、あなたなら簡単のはず
プログラミングを勉強しなさい。プログラミングができると、自分でものを作れるようになり、独立への近道になる。直接プログラミングと関係ない仕事をしたとしても、役立つこと多い
サラリーマンとすごい起業家の間には、小さく成功した起業家がたくさんいる。彼らは有名にはならないが、金は持ってる。これも一つの成功モデル
といったポイントかな。
中国語もできるといいよ、と言われたが、私はどちらかというと韓国のほうが好きなので、中国語はやらなかった。今は、夫とK-POPデーモンハンターで盛り上がっているよ。
英語は早いうちから、レアジョブとかDMM英会話、あとフィリピン留学(父同行)などで鍛える機会を作ってくれた。TOEICの点数が1点上がったら100円あげる、みたいなゲーミフィケーション?もやってましたね(母に内緒で)。あとは、我が家では英プレと読んでいたのだが、父と私が、英語でプレゼン作って、英語で話すというのを月1くらいでやってました。しゃべる時間は15分、スライド枚数制限なし、テーマ制限なし、質疑応答5分、というやつで、これは今にも役に立ってる。緊張したら、聴衆はじゃがいもだと思えばいい,中国語でじゃがいもは土豆(トュードウ)なので、中国人はみなプレゼンの時にトュードウというといって心を落ち着けている、という謎の教えをいただく。後にこんな言い伝えはないと、中国人から教えてもらう。こういう変なウソ小ネタが父らしい。
プログラミングは、私の頃はプログラミング教室とかそんなになかったので、どこからかプログラミングできる学生さんを見つけてきて、1:1(主にオンライン)でプログラミングを学ぶ機会を作って、scratchから教えてもらう、といったことをやってました(教室ができてからは教室もいった)。レゴのmindstorm教室とかも。今は子供向けのプログラミング教室もいっぱいあっていい時代ですね。このあたりを深堀すると、私の今の仕事ばれそうなのでこれくらいで。
大学入学が決まった直後、父が「今日夜1時間いい?」というので、OKしてリビングに行ったら、「大学入学おめでとう!世界へ羽ばたく●●ちゃんへ!」みたいなタイトルのプレゼンがモニターに映し出されてて、父の伝えたいメッセージのプレゼンをやってくれたこと。それが、わざと90年代みたいなふざけたレイアウトですごく笑った。
この父のプレゼンでは、特に、犯罪に逢わないこと、レイプされないように注意すること、怪しい宗教に関わらないこと、詐欺師を見抜く方法とか、具体例とともにやけに詳細に説明してくれたのが面白かった(宗教ごとの勧誘の違いとか、このマニアック情報は父の趣味だろと)。飲み会では、睡眠薬混ぜられるのを防ぐために、飲み物を飲み終えてからトイレ行くとか。今も守ってます。そして、「あなたが直面する問題の多くは、お父さんとお母さんが助けることで、簡単に解決できるものも多い。なので、抱え込まないで連絡して。困ったら人を巻き込むのも能力」とも。
父が最初のガンになったときに、父の死は覚悟していました。最初のガンが寛解したあと、父は、「いま寛解なのは、神様がたまたまくれたロスタイムみたいなもの。体も意欲も前とは違うが、相当ラッキーだ」とよく言っていて、自分が死んだあとの準備を着々と進めてました。特に相続関連と、残されるであろう母について。
マツダの新型CX-5からエアコンの物理ボタンが消えたことに対してごちゃごちゃ言う老害が多すぎて本当にうんざりする。
・世界で一番売れているModel Yはシフトすらタッチパネル
→全てはこの時点で論破可能。過激にタッチパネルに振った車が世界で一番売れているんだから、文句言ってる奴らが少数派の時代遅れということは明白。
→というかそもそも常時オートエアコンにしとけばいい話なのにエアコン操作が云々言ってる奴はオートエアコンすらついてない車に乗ってる貧乏人なのかな?
→安全性に直結する操作系は物理ボタンが残されてるのよ。それを"物理ボタン全廃なんて"とか言ってるのは工作員?ただの頭の悪い人?
・その他運転支援系やオーディオ操作、カメラ操作もステアリングの物理ボタンに残されてる
→なんならステアリング周りにはボタンが沢山あるのに、物理ボタン物理ボタン言ってる人は工作員?ただの頭の悪い人?(2回目)
CX-5へのコメントを見ていると、日本がなぜ世界から取り残されたのかが良くわかる。こいつら100%iPhoneが出てきた時には「物理ボタンがない携帯電話なんて糞」って主張してたんだろうね。新しいものを過剰に怖がる根性がなくならない限り日本の衰退は続くんだろうな。
日本でも自治体が自警団にお金を払って結成を促していたり、外国人差別を商売のネタにしているいる人がいて、社会の一定規模で外国人差別を許してしまっている土壌があるから、こうした頭のおかしい人たちの武装練習の事業化って早晩登場しそうだね。
自衛隊での研修を新入社員に課している馬鹿会社があったり、時代遅れの根性主義が一部認められている世の中だから、決して笑えないと思った。
警察はストーカーに警告に行こうとしたら相手が逃げてて住所がわかりませんでしたテヘペロとか言ってました(SNSでストーカー警告受けてもらうからなと書いてたので、それを見てあらかじめ失踪したと思われる)、アホかそれを探すのがお前らの仕事だろ
無能の警察は置いておいて、今週某地元市に住民票閲覧制限をかけてもらいに尋ねた
「警察からの相談から時間が空いているということで(訳あって即市役所行けなかった)もう一度ストーカー被害相談をやり直していただき」
と言われて「そんな時間ないんですけど」と言うとなぜか男性職員に交代
再度相談窓口に行けと言う話はなくなっており
「あー、それですね、住民票は原則親族しか開示できないので大丈夫ですよ!」と
いやいや、せっかく来たんだし、万が一があっては困るから閲覧制限かけてくれと頼んでも
(しつこく頼んでモンスターみたいでしょ?しかし、警察に相談しに行った時腰を低くしてお願いしてもまったくストーカーとして請け負ってくれなくて、最終的に弁護士と一緒にストーカーとして相手を処罰しろや!オラ!俺たちは絶対引かねえぞゴラ!と威嚇しまくったらようやくストーカーとして認められて警察が動いたという悪しきお役所根性を知ってるのでしつこくお願いしてるのです)
じゃあストーカー被害者向けに住民票閲覧制限しますよって広告はなんなの?
じゃああらかじめそう限定してよ
2026年1月9日の高市首相の以下の投稿が話題になっている。
-------------------
高市早苗
@takaichi_sanae
私達の公邸への転居に関する報道を目にした夫は、落ち込んでいる様子でした。
それは、大手報道機関も含めて、「転居を前に公邸はバリアフリー対応の改修も実施された」という誤った報道を目にしたからです。
「僕のせいで、多額の公金が使われたのか」と。
仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした。
念のため、公邸の管理をしている官邸事務所に確認いたしました。
そうしましたところ、やはり、石破総理がお住まいになられていた時期から私の転居までの間に行われた作業は、室内清掃など、居住者が替わることに伴う通常の修繕であり、バリアフリー工事は一切含まれていないということでした。
夫にも伝えて、明るくリハビリに励んで全快して欲しいなと願っています。早く調理師資格を持つ夫の得意料理も食べたいし・・・。
------------------
現時点(2026年1月10日11時30分)ですでに1800万ビューを超えている。
この投稿は一見すると、マスコミの誤報によって苦しめられる障害者の夫と、それと戦い夫を支える家族思いの高市首相の献身という「美談」のようにも見える。
しかし、この投稿には極めて大きな問題が見られる。それをまとめておきたい。
「障害の社会モデル」という考え方がある。これは障害を個人の特性(身体的な機能不全)ではなく、主に社会(制度的・物理的障壁や偏見、社会的排除)の側の問題と捉える考え方である。この考え方のもとでは、何が障害となるかはその社会を構成する個人と社会の相互作用によって決まる。社会の構造や環境をアップデートし、個人の特性に合わせることが障害への対応であるとされる。
これに対し、「障害の医学モデル」という考え方がある。これは障害は個人の身体機能の不全と捉える立場である。障害は個人の問題であり、個人の自助努力によって克服されるべきだという理解である。逆に言えば、そうした努力を放棄し、他人や世間に頼ることは甘えであり忌避されるべきだという考え方につながりやすい。
歴史的には障害の医学モデルが主流であったが、現在は障害の社会モデルへと大きくシフトしている。
「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」
と規定し「社会的障壁」という障害の社会モデルを下敷きにした文言を用いて説明している。
高市首相の夫は「転居を前に公邸はバリアフリー対応の改修も実施された」との報道に接し、落ち込んだ。その理由を「僕のせいで、多額の公金が使われた」と説明している。
高市首相の夫の考え方では、自分の障害のために公金を使用することは受け入れられないことのようだ。「僕のせいで」という言葉からは、「障害とは個人の努力や頑張りや根性によって『乗り越え』なければならないものだ、ここに公金を投入することは税金の無駄遣いであり、甘えであり、努力の放棄なのだ」という負い目が透けて見える。
本当は自分の努力で乗り越えなければならない「試練」を税金で支援してもらうことは「施し」であり、「社会のお荷物」である自分が世間様に「迷惑」を掛けてしまったという「恥ずべき負い目」として理解されている。
高市首相も同じ考えだ。「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした。」「明るくリハビリに励んで全快して欲しいなと願っています。」との投稿は、そのことを端的に表している。
ここからうかがえることは、高市首相もその夫も障害の医学モデルの考え方を深く内面化しているということである。そして、その根源にあるのは「夫は社会のお荷物なのではないか」「夫は社会に迷惑を掛けているのではないか」という恐怖である。
「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした。」との記載は、「施しを受ける立場になってたまるか」という高市首相の高貴で歪んだプライドの表明である。それはその後の高市首相の言動からも明らかだ。
投稿では、官邸事務所に問い合わせ、転居に当たってのバリアフリー工事は行われていないことを確認し夫に伝えた、とある。
高市首相の取った解決方法は「私たちは世間様に迷惑はかけていない、公金からの施しも受けていない」という「身の潔白」を証明することだった。
高市首相がこの投稿に込めたのは「障害を持つ者が、その生活のために公金を使うことは申し訳ないことであり、我々はそれを徹底的に拒否することで身の潔白を証明する」というメッセージである。
この投稿は社会一般に「障害者は特別な金がかかる」「障害者が世間様に配慮を求めることは本来慎むべきことである」というスティグマ(負の烙印)を強化する効果を持つ。
マスコミの報道が事実誤認であるか否かはここでは重要ではない。高市首相がどのような意図で発信したものかという主観面も関係ない。客観的事実としてそのようなスティグマを強化する効果を有するという点が問題なのである。
高市首相の夫は、誰かに面と向かって「税金の無駄だ」と非難されたわけではない。誤報ではあったが報道に接しただけである。
しかし、彼は萎縮した。「きっとそのように言われるだろう」「世間様は自分のことをそのような目で見ているだろう」と予期して自ら萎縮し、落ち込んだ。
これはこの社会に蔓延している呪いである。「障害者は社会から非難されないよう常にわきまえて生きなければならない」という呪いである。
「あなたが官邸に入居することでバリアフリー化が進み、この建物が誰にとっても使いやすくアップデートされる」
「税金を使うなという批判は的外れ。私達が胸を張って環境を整えることで、後に続く人たちが『申し訳ない』と思わなくてすむ道をつくることになる」
しかし、高市首相はこの呪いを解こうとしなかった。むしろ無自覚にもこの呪いを強化してしまった。それは高市首相自身もまたこの呪いにからめとられており、かつ、その事実を認識できていないからである。
それは妻と夫が「自助こそが尊く、公助に頼ることは恥である」という強固な政治信条をあまりにも深く共有し、自分たちをも断罪しているからである。
この政治信条のもとでは二人は今の自分たちをありのままに受け入れることができない。この自己受容の欠如は、社会から断罪されるという幻影を生み、底知れぬ恐怖となって二人を襲っている。
根性無し
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260106060107# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaVzeAgAKCRBwMdsubs4+ SOUXAP44pWtpipqfqAktYAbw5QMEuX6KK8iR/izaqum7hOBUPwD/Weg7h9XneK2D BBiHUp+9+S+1ad5pgxwDR5VZfam7Sw0= =A7NM -----END PGP SIGNATURE-----
飽きないの?俺とっくに飽きてて根性でやってるだけなんだけど
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260106055318# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaVzdwgAKCRBwMdsubs4+ SLQfAQD6wPx02sCnVVSgtdYrX1/PLttayf5akLTT7SVpuGyQqgEAx5ocJdAtQPT3 Pr/dSKoWkXbp5UU34dxyC1c44eGnFQI= =3p/N -----END PGP SIGNATURE-----
いつ頃からか、私は・・・追いかけ回す事で逃げながら私を拒絶する女子の仕草に
そういう形であろうと、女子と接点を持てる・・・追いかけ回す事で女子と接する事ができると思うようになっていた。
そして、当時はそれをおかしいとは思いもしなかった。
親睦合宿が終わって、日常生活に戻ってから・・・私は、肝試しの時同じグループだった女子(以下、この子をHとする)を追いかけ回す様になった。
休み時間になるとHを追いかけ回す私。
Hはそれなりに運動神経もあり、走るのはそこそこ早かった。
そこで、追いかけ回すだけでは無理だと判断した私は別の戦法も行う様になった。
移動教室の時等は、教室移動のルートを先回りし影で待ち伏せ、教室移動中のHを抱きしめるという具合に。
そうした先回りする私の動きをHは察して防衛策を練るようになった。
こうして、私とHの追いかけっこは・・・次第にエスカレートしていった。
Hを捕まえ、胸を揉もうとする私・・・嫌がって逃げるHそんな毎日が2年生の間ずっと続いた。
だが、二つ、不思議な事があった。
一つは、FやGの時には、周りの女子の中に同情的になり当事者であるFやGをガードする女子が現れたものだったが、
2年生の間・・・Hとのやりとりに、Hをガードしようとする女子は一人を除いて現れなかった。
もう一つは・・・Hを追いかけ回している時に、偶に奇妙な既視感を感じる事があった。
私から逃げながら、私を罵倒するH
私「逃げるなよ・・・、それとも・・・逃げてるのは照れ隠しかい?」
H「あんたしつこいんだって、何回言ったら解るの?
嫌ってる振りなのか本当に嫌ってるのかちゃんと見分けたら?
目腐ってるんじゃないの?」
そんな会話を、追いかけっこをしながら繰り広げる私とH。
FやGを追いかけ回していた時は
Hとの追いかけっこの時の様なやりとりは無かった。
Fの時は・・・
私「そんなに逃げるなよ、あいしてるぜ」
F「や、やめて・・・それ以上来ないで(涙目)」
とか、Fを捕まえて胸を揉んでる時も
F「ううっ・・・・ひっく(涙を堪えて、でも泣き声)」
だったし。
Gの時は、近付いたら容赦なく蹴りを浴びせられて・・・私は蹴り飛ばされていた。
それ以前にしてもそうだ・・・私に追いかけ回されて、「やめて」と言う子や
抵抗する様に攻撃しようとする子は居ても・・・。
追いつけなかった時等に
Hの様に「あら、残念ね」等と言ったりする女子は居なかった。
3年生になった頃には、奇妙な既視感の正体に薄々感づいていた。
小学校3・4年生の時のあの子・・・Eとのやりとりが、こんな感じだった。
ただ、Eとは普通に友達同士と言う感じでのやりとりで、追いかけ回したりとかは無かった。
同じ様なやりとりをしているのにEとHは何処か大きな違いがある・・・その違いが、
当時の私には解らなかった。
今なら、その違いが何なのかは解っている。
中学3年のクラス替えで、再び・・・Hと同じクラスになった。
当然、3年生の間も、Hを追いかけ回していた。
だが、3年になってからのクラスでは・・・Hに同情的になる女子が数名居て
そういう女子達がHをガードしていた。
そうなると、私がとる手段は一つだった。
5年・6年の時と同じ・・・乳揉み。
だが、中には乳揉みで怯まない、根性の座った子も居た。
そういう子に対しては・・・スカート捲りまではしていた。
そんなこんなで3年生の時間は過ぎ、高校受験を終え、高校へ進学する事になった。
一学年300名、40人前後のクラスが8クラスの高校
驚いたことに、Hが同じ高校を受験し受かっていたのだ。
しかも、入学式の日に見たクラス名簿には、同じクラスにHの名前があった。
【各話へのリンクはこちら】
【全話まとめ】 「懺悔したいことがあるんだ」
物語の中心となるのは、若くて可愛い、生徒からも人気の高い姫野(ひめの)先生と、規律に厳しく「学校の守護神」を自認するベテランの貝原(かいはら)先生の対立です。
姫野先生へのいびり: 貝原先生は、姫野先生の「愛嬌」や「優しさ」を「教師としての甘さ」として厳しく追及します。指導という名目の過剰なプレッシャーに対し、姫野先生は涙ぐむ毎日。
網浜の介入: これを見た網浜さんは、「美人に嫉妬するお局様が、若くて可愛い子をいじめている」と(半分は正しいですが、半分は自分の偏見で)断定。
「サバサバ同盟」の結成: 網浜さんは姫野先生に「アンタ、私と同じでサバサバしてるから目をつけられるのよ。私が守ってあげるわ」と強引に味方につき、姫野先生を困惑させつつも盾になります。
網浜さんと貝原先生のやり取りは、まさに「異種格闘技戦」です。
正論 vs 屁理屈: 貝原先生が「教師としての身だしなみ、規則、教育方針」を正論で説いても、網浜さんは「それ、昭和の話ですよね?」「そんなんだから婚期逃すんですよ(笑)」といった、もはや議論にならないレベルの暴論で応戦します。
職員会議での大暴れ: 貝原先生が作成した厳格な指導案に対し、網浜さんは「内容が重すぎる。もっとサバサバいこう」と勝手に修正案(中身はスカスカ)を提出。職員室の空気は常に凍りつきますが、網浜さんだけは「私が古い体質を打破している」と悦に浸ります。
この騒動の裏で、校長先生はとある企みを進めていました。それは、学校の進学実績を無理やり操作し、特定の企業や有力者からの寄付金を集めるための「学校ブランドの私物化」です。
校長の戦略: 校長は、扱いやすい若手の姫野先生を「学校の看板」として広告塔にしつつ、邪魔なベテラン(貝原先生)を追い出し、さらに外部から(経歴詐称に気づかず)「グローバルな経歴」を持つ網浜さんを「変革の象徴」として雇い入れたのでした。
裏の意図: 網浜さんが暴れることで職員室を混乱させ、その隙に人事権を握り、自分の思い通りに学校を改造しようとしていたのです。
網浜さんが校長の陰謀に気づくきっかけは、正義感ではなく「自分のポジションへの危機感」と「持ち前の野次馬根性」でした。
隠しファイルの発見: 偶然(あるいは校長のPCを勝手にいじって)、校長が特定の生徒の成績を改ざんしようとしているデータや、業者との怪しいやり取りを見つけてしまいます。
網浜の解釈: 普通なら正義感で告発するところですが、網浜さんは「あーあ、校長もドロドロしてんなあ。私みたいにサバサバしてないから、こういうセコいことするのよ」と呆れます。
逆転の暴露: 校長が網浜さんの手に負えなさを察し、彼女をトカゲの尻尾切りで解雇しようとした瞬間、網浜さんは全校集会や大事な会議の場で、その企みを「サバサバと」暴露してしまいます。
網浜さんの無軌道な暴露によって、校長の計画は白日の下に晒され、校長は失脚。貝原先生は網浜さんのやり方には呆れつつも、結果的に学校が守られたことで複雑な表情を見せます。
姫野先生は網浜さんの強引さに救われた形になりますが、網浜さんは最後にこう言い残して去っていきます。
「ま、私のおかげでこの学校も少しはマシになったんじゃない? 感謝しなさいよ。私はもっと広い世界(次の職場)が呼んでるから!」
結局、学校側も網浜さんの経歴の怪しさや数々の問題行動を見過ごせず、彼女は「円満退職(という名のクビ)」で学校を後にします。
サウナの「整い」がよく分からないという人はかなり多いと思う。
サウナが流行っているのは知っているし一度は試した。でも「ただ暑いだけだった」「水風呂が苦手」「整うという言葉が大げさに聞こえる」という声をよく聞く。
その感覚は多分あっていると思う。ネットに落ちているサウナの整い方は実は間違っているし、サウナの魅力を汗、デトックス、老廃物、みたいな言葉でごまかしたくない。
今日伝えたいのは、もっと実用的に「整いとは何なのか?」を言語化して、再現性を上げるための条件を教えることだ。
整いを幸福や悟りとか人生の正解のように扱うからサウナーは気持ち悪いのだ。整いはもっとシンプルな身体現象に近いはずだ。自分が感じる中で「整い」に一番近い表現を選ぶなら「気持ちのいいめまい」だ。
身体が軽くなって視界が少し広がり、頭の中が静かになって、「もう十分」と身体の方が勝手に言い出す感じ。
...というのは嘘だ。普通にただの気持ちいいめまいだ。体は軽くならないし、頭の中も静かにならない。体は勝手にもう十分とも言わない。
風呂上がりにめまいを起こしている、と思ってもらえばそれがかなり近い。めまいを起こしている時は頭の中は静かかもしれないが。
サウナの整いとは、根性や高潔な精神で起こすものではない。条件を正しく揃えれば発生確率がグッと上がる。
逆に言えば、よくある「サウナ10分→水風呂2分→外気浴10分」をそのままなぞっても、何も起きずに消耗する日は普通にある。本当によくある。
そこで「自分にサウナは向いてない」と決めつける前に条件を見直した方がいい。サウナに大事なのは、その日の自分と環境の対話だ。
最初はサウナの良さが分からなかった。昔から風呂が大好きでスーパー銭湯にはよく通っていたのに、サウナだけはマジで意味不明だった。暑い部屋で我慢する意味がわからないし、汗をかいてスッキリと言われてもピンとこない。
水風呂に入るなんてアホの極みだし、おじさんのよくわからん趣味くらいに思っていた。風呂でダラダラ喋ることこそが至高だと思っていた。
ところが、ある日たまたま外気浴で「これか」と感じる瞬間が来た。改めて考えると、それまで整わなかったのは体質の問題ではなく、サウナの条件設定が雑だっただけだった。
整いのコツは三つに収束する。
1. 高温のサウナで体温を一気に上げる
つまるところ、「熱い」「冷たい」「静かに休む」をちょうど良いバランスで並べ直すだけだ。
つまり、サウナを短時間にする、水風呂をスキップするなんてことをしたら整いが発生しないことはまず覚えておいてほしい。
時間は短くても、きっちり高熱でサウナに入った方が整いに近づく。私はロウリュや熱風がある施設で、熱すぎるくらいまで体温を上げてしまうのが好きだ。皮膚が「これ、火傷では...?」と感じるほどの熱さに到達させる。
個人的なサウナ時間の目安は7分だが、時間よりも「このあと水風呂と戦えるくらい身体が熱いか」で判断した方がいい。ここが弱いと次の水風呂がただの罰ゲームになって終わる。
冷たい水風呂に耐えたのに何も起きない」と言う人はだいたいサウナ時点で熱の入れ方が足りていない。
次はみんな嫌いな水風呂だが、目的は「冷えること」ではなく、体の温度を急激に切り替えることだ。
水風呂を飛ばして外気浴に行っても整いは発生しないし、ぬるい水風呂では整いにくいということもよく覚えておいてほしい。冷たければ冷たいほど正義とまでは言わないが、少なくともぬるいと整いスイッチが入りにくい。
水風呂の目安は1分、ただし日によっては1分未満になることも多い。水風呂の時間は長く入れば良いわけではない。水風呂から出た時に体が寒いだけなら入りすぎで、頭がまだ熱いままなら冷まし方が足りない。決められた時間を守るのではなく、その時に最適なバランスを探すのがいちばん重要だ。
水風呂の入り方で私がこだわっているのが、肩までではなくアゴまで浸かることだ。
アゴまで入るとスイッチが入る。以前はおじさんが水風呂に勢いよく潜るのを見るたびに「マジでやめてほしい」と思っていたが、頭まで冷やせば一番効く理屈は理解できる。ただし、私はまだやらない。見た目がきついからやめよう、という線引きは残しておきたい。
水風呂から出た直後から立ちくらみのように頭がクラクラするなら期待していい。
そのクラクラが「気持ちいいめまい」に変わっていく。もう一度言うが、水風呂から出て寒いだけならサウナの熱が足りないか水風呂が長すぎるし、頭が熱いままなら水風呂が短い。
だからそれだけで「自分は整わない体質」と結論を出すのは早い。たいていは正しい火加減、正しい冷まし方をまだ知らないだけだ。
やっとお楽しみの外気浴だ。整いはここで初めて起きる。
サウナと水風呂は事前準備なら外気浴が回収だ。ここまでは正直辛いだけだった。全然気持ちよくない。やっと努力が報われる瞬間がくるわけだ。
でも、お待ちかねの外気浴にも注意がある。
それは、寝転がらないこと。そして、大きな椅子に深く座って背中を預けないことだ。
リクライニングが至高、という反論が来るのは理解しているし、気持ちのいい日があるのも認めよう。だけど、整いの再現性という観点では寝る姿勢は邪魔になりやすい。体への接触面積が大きすぎるからだ。
整いは「気持ちいいめまい」を持続させる現象で、寝転がると重力や体重を感じやすくなる欠点がある。整いを漏らさず味わいたいのに他の部分に意識が散りやすくなる。
私は椅子でもいいし整いスペースがあるならあぐらでもいいが、そのような姿勢を進めている。
そして、意外な決め手は首だ。
少し上を見るように、頭を少し後ろにそらすと、頭の重さがスッと垂直に首に落ちるポイントがある。重心が合うと頭の重さが消えたようになり、その状態でめまいを味わうと、整いが途切れにくい。
現代人は普段はスマホを眺めながら常に下を向きがちで、無意識に首が頭を支え続けている。そのままの姿勢だと整いの気持ちよさが首の疲れに負ける。
整いのピークは温冷の温度差だけでなく、姿勢からくる体の雑音を消すことで伸びるのだ。
もう一つ、整いは天候ガチャにも負ける。
雨で水滴が肌に当たり続ける日は集中が切れる。真冬で冷えすぎる日も難しい。日中の直射日光が刺さる日も皮膚感覚がうるさくて邪魔になる。理想は春か秋の晴れている木陰、少し風がある状態がベスト。夏の夜もいい。一見条件が整っているように見える浴室内の休憩スペースは湿度が高く、音が反響してうるさく落ち着かないことが多い。だから私は屋外派だ。
うまくいかない日があることも受け入れよう。
最後に、整いについては「三セット目が一番整う」とよく言われるが、私は一セット目が最高だと思っている。
理由はシンプルで、身体がまだ熱に慣れていないから。一回目の加熱と急冷が一番キレる。ビールと同じだ。三回目になると耐性がついて、同じ刺激でも効きが鈍る。
もちろん個人差はあるのだろうが、「三セットまで回さないと整えない」と思っている人は、一セット目の条件がすでに弱い可能性を疑った方がいい。
こうして考えると、サウナは飲酒に似ている。最初は甘いお酒しか飲めなかった人が、だんだん辛口やクセの強い香りを好むようになるのと同じで、サウナも高温のサウナ室と低温の水風呂に好みが寄っていくことが多い。最初の一口が一番美味しいのも同じだし、サウナーがやたらサウナの温度や環境にうるさいのもそのためだ。
一杯目に不味いビールを飲んでしまうと、二杯目にそれより美味いビールはもう味わえないのだ。
サウナの整いとは不思議な悟りではなく環境に依存したものだと考えると、整いの芽をいかに大きく育てやすい環境か、という条件の重要性もわかってもらえると思う。これを読んでサウナの気持ちよさを感じるきっかけを掴めたら、ぜひ次は自分にとって最善のバランスを追求してほしい。