はてなキーワード: 公会議とは
キリスト教の正統派(カトリック・正教会・プロテスタント主流派)が共通して使う最も重要な指標は以下の5つです。特に1と2が決定的です。
例:アリウス派、ユニテリアン、モルモン教、統一教会(一部教義)
例:イエスを「神の被造物」とする教え(アリウス派)、イエスを単なる人間とする教え
特に「自分の行いだけで救われる」とする極端な作品主義や、「特定の人物(教祖など)が救いの鍵」とする教え
カトリック、正教会、ルター派、改革派(カルヴァン派)、バプテスト派、メソジスト派、聖公会など。
・これらは三位一体、イエスの神性・人性、十字架による贖罪、聖書の権威といったキリスト教の核心教義を共有しています。
・ 統一教会(世界平和統一家庭連合):イエスを完全な救い主とせず、文鮮明を「再臨のメシア」とする。
・モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会):独自の聖典を持ち、三位一体を否定。
・ エホバの証人:イエスの神性を否定し、十字架を「拷問の柱」とする。
* アリウス派(古代):イエスを「神の被造物」とした(ニカイア公会議で異端宣告)。
→ あるならほぼ異端
この基準は、古代の公会議(ニカイア、カルケドンなど)から現代の福音派・カトリックまで、ほぼ共通して使われています。
正統なキリスト教(カトリック・正教会・主流プロテスタント)は、2000年近く積み重ねられた神学・教義・伝統・公会議の決定という「重いブレーキ」がかかっています。
・組織的・集団的な政治介入(信者の大量党員加入、献金による政治工作)
・教祖や指導者の言葉を絶対化し、即時的な行動指令を出しやすい
・伝統的な倫理的・道徳的制約を「古い体制の産物」と切り捨てて突破しやすい
正統プロテスタント(三位一体肯定) 政治関与は強いが、一定の神学的・倫理的ブレーキがかかっています。 例:反左派デモはするが、教団全体として「政教分離」の原則を完全に無視することは少ない。
・統一教会:文鮮明の言葉を「新しい啓示」として絶対化し、組織的献金・政界工作を積極的に行う。
・ 新天地イエス教:李萬熙を「再臨のキリスト」と位置づけ、信者を特定政党に集団入党させるという極めて大胆な組織的行動を取った(2026年に捜査対象)。
→ 異端の方が「従来の枠組みを顧みない」ため、行動のハードルが明らかに低い傾向があります。
宗教社会学では、この現象を「sects(分派・カルト)的緊張感」と呼ぶことがあります。
・正統教会は社会に適応し、制度化されるほど行動が慎重になる。
・新興異端・カルトは「純粋回帰」や「新しい啓示」を掲げるため、社会との緊張を積極的に受け入れ、大胆な行動(政治介入、資金集め、信者動員)を起こしやすい。
・ワッハーブ派(イスラム教原理主義派)も同様の構造を持っていました。伝統的なイスラム解釈を「腐敗」と切り捨て、文字通りの厳格解釈を掲げた結果、軍事同盟や粛清という大胆な行動を取った。
・すべての異端が大胆な政治行動を取るわけではない(静かな隠遁型異端も存在)。
・正統派の中にも、極端に政治化して大胆な行動を取るグループはあります(例:米国の極端なChristian Nationalism派)。
・大胆さの背景には「教義の純粋性」だけでなく、指導者のカリスマ性や組織の閉鎖性・絶対服従構造が大きく影響します。
「従来の信仰枠組みを顧みない組織ほど、大胆で即物的な行動をとりがち」 という傾向は、宗教社会学的に見て明確に存在します。
これは「三位一体の否定」そのものが原因ではなく、「伝統的権威・教義の制約を外す」ことが行動の自由度を高めるためです。 結果として、統一教会や新天地のような異端団体は、正統キリスト教団体よりも組織的・戦略的な政治介入を大胆に行いやすい構造になっています。
日本のキリスト教(特にプロテスタントとカトリック)の政治関与の度合いやスタイルに大きな差が生まれた主な理由は、戦後処理の仕方と外部神学の影響の受け止め方にあります。以下に歴史的経緯を整理します。
1941年に国家の宗教団体法でプロテスタント諸派が強制合同され、日本基督教団が誕生。当時は「皇国ノ道に従い皇運を扶翼する」と声明を出し、戦争協力の姿勢を取っていました。
GHQ占領下の反省ムードの中で、若手教職や「キリスト者平和の会」の運動が盛り上がり、1967年3月26日(復活主日)に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(通称・戦責告白)を発表。これは教団史上最大の自己批判文書で、「あの戦争を是認・支持した罪」を認め、「世の光・地の塩である教会は戦争に同調すべきではなかった」と痛切に悔い改めました。
この告白がトラウマとなり、「教会は権力に抵抗する預言者的存在でなければならない」という神学が主流に。1960年代後半〜70年代にラテンアメリカで生まれた解放神学(貧困・抑圧を「構造的罪」とし、抵抗を実践とする思想)の影響を受け、社会派が台頭しました。
聖書の言葉(例:ルカ4:18-19「貧しい人に福音を…捕われ人には解放を」)を現代の反基地・反戦・反安保運動に直接適用するスタイルが生まれ、「信仰の実践=政治的抵抗」という構図が定着。同志社国際高校の辺野古海上視察のような事例がその典型です。
第2バチカン公会議(1962-65年)で社会問題への積極的関与を促されましたが、教皇庁の強い中央集権的指導が続きました。
1984年、教義省(当時のラッツィンガー枢機卿、後のベネディクト16世)が「解放の神学に関する指示」を出し、マルクス主義的分析や階級闘争の導入、信仰の政治化を公式に批判しました。
日本カトリックは社会正義(弱者支援・人権)を重視しつつ、聖書を特定政治運動のスローガン化せず、人道的・中道的なアプローチを取るようになりました。上智大学や聖心女子学院などの学校がその代表で、現場体験型のイデオロギー教育はほとんど見られません。
UCCJ社会派寄りの立場が強く、戦責告白以降の平和・反戦報道を積極的に展開。反基地・人権問題を「信仰の実践」として好意的に取り上げ、社会派の政治関与を後押しする役割を果たしてきました。リベラル・左翼寄りの論調が主流です。
解放神学やUCCJ社会派の政治的傾向を批判的に報じ、「信仰の政治化は危険」との立場を取っています。プロテスタント内のカウンター勢力として機能し、保守・中立派の声を増幅しています。
戦中協力の強い反省(戦責告白)が原動力となり、解放神学の影響で「抵抗=信仰の実践」という積極的政治関与スタイルが生まれました。報道メディア(キリスト新聞)の後押しも大きく、聖書を現代政治に直接結びつける傾向が強くなりました。
バチカンの中央統制と解放神学批判により、政治的中立を保つ方向に舵を切りました。結果として、信仰を政治スローガン化する行きすぎた関与は抑えられています。
プロテスタント社会派は「告白の痛み」を政治エネルギーに転換し、カトリックは教皇庁の指導でそれを抑制した——というわけです。
この経緯は、現在の学校の平和教育や政治的偏向の違いとも直結しています。
https://anond.hatelabo.jp/20260328231054
We're going to have to bring this question to a close, please.
この質問はそろそろ終わりにしてください。
In can be, but that is why tradition matters, because the tradition, they understood the context...
そうかもしれませんが、だからこそ伝統が重要なのです。伝統において、彼らは文脈を理解していました…
Tradition is context dependent.
Well, yes and no, because of course tradition is, but if the tradition lasts for 2,000 years, then we look back as to how did they get to that conclusion, how did they reach that verdict, and if that verdict is in alignment with what we see in scripture...
ええ、そうでもあり、そうでもありません。もちろん伝統はそうですが、もし伝統が2000年続くなら、私たちは彼らがどのようにその結論に至ったのか、どのようにその判断を下したのかを振り返ります。そして、その判断が聖書に見られるものと一致しているなら…
But they never, they never reached that verdict. As I have historically pointed out, they never reached that verdict.
しかし、彼らは決してその判断には至りませんでした。私が歴史的に指摘したように、彼らはその判断には至らなかったのです。
In all of, in all of the major church councils...
council (n): (ここでは)教会会議、公会議。キリスト教の教義などを決定するために開かれる会議。
...in very modern day.
…ごく現代において、です。
No, no, I'm talking about in like 300 and 400 and 500, the original church...
いいえ、私が話しているのは300年代、400年代、500年代といった、初期の教会のことです。
...which in the scale of 2,000 years is nothing.
…それは2000年という規模で見れば、無に等しいです。
No, but they set this unbroken chain. We've had an unbroken chain and a course that says that marriage is one man and one woman. The church has never wavered on this...
いいえ、しかし彼らはこの途切れぬ鎖を確立したのです。私たちには、結婚は一人の男と一人の女のものであるとする、途切れぬ鎖と道筋がありました。教会はこの点において決して揺らいだことはありません…
waver (v): 揺らぐ、ためらう、信念がぐらつく。
Noted by the British Empire under British form of Christianity.
それは英国式のキリスト教の下、大英帝国によって特筆されたものです。
I'm talking all the way back to like 200 or 300. The idea of biblical Christianity goes back to the early, early times of the church when it was a scattered, persecuted church well before King Justinian and well before the Eastern Roman Empire, well before mass conversions. When it was a persecuted church, the church believed in one man, one woman, and because they got it from the scripture, scripture itself. Do we want to keep going or?
私が話しているのは200年代や300年代といった時代まで遡ります。聖書的キリスト教という考えは、教会がまだ散在し、迫害されていた初期の時代にまで遡ります。それはユスティニアヌス帝のはるか以前、東ローマ帝国のはるか以前、大規模な改宗のはるか以前のことです。迫害されていた教会であった時、教会は一人の男と一人の女を信じていました。なぜなら、それを聖書、聖書そのものから得たからです。まだ続けますか?
persecuted (adj): 迫害された。
Justinian: ユスティニアヌス1世(482-565)。東ローマ帝国の皇帝で、ローマ法の集大成などで知られます。
Can we move on to the next question, please? Thank you. Thank you.
次の質問に移ってもよろしいでしょうか?ありがとうございます。
(拍手)
I did not say that. I said the biblical marriage was affirmed and then Romans 1 did talk negatively about the action of homosexuality.
私はそうは言っていません。聖書的な結婚が肯定されたと言ったのです。そしてローマ人への手紙1章が同性愛という行為について否定的に語っていると。
But ultimately that affirmation comes from the lines in there that suggest that man shall not sleep with man.
しかし、最終的にその肯定は、「男は男と寝てはならない」と示唆する聖句から来ているのではありませんか。
Yes, of course. Yes. So the Old Testament and New Testament harmonize one another, but Christ brought it to a different level, a different covenant, and a different moral teaching. It wasn't just enough to say that you shall, you know, "an eye for an eye." He said that you shall turn the other cheek, that you shall love your enemy. Christ's moral standard was much more even elevated than that of the Israelites and the Hebrews.
ええ、もちろんです。旧約聖書と新約聖書は互いに調和していますが、キリストはそれを異なるレベル、異なる契約、異なる道徳的教えへと引き上げました。「目には目を」と言うだけでは不十分でした。彼は「もう一方の頬を向けなさい」「汝の敵を愛しなさい」と言いました。キリストの道徳基準は、イスラエル人やヘブライ人のそれよりもはるかに高められたものだったのです。
But I'm going to ask you whose Bible, okay? Now, your Bible that you use currently is written in the English language, right? Correct?
では、誰の聖書なのか、とお聞きします。あなたが今使っている聖書は英語で書かれていますよね?
The King James Version, yes, thanks to Tyndale.
欽定訳聖書(King James Version)ですね。ティンダルのおかげです。
Tyndale: ウィリアム・ティンダル(William Tyndale)のこと。16世紀のイングランドの学者で、宗教改革の指導者の一人。ヘブライ語やギリシャ語の原典から初めて聖書を英語に翻訳した人物の一人であり、彼の翻訳は後の欽定訳聖書に大きな影響を与えました。
Exactly, it's written in the English language, which in itself is only say 500 years old. Now, the Christianity in itself, say, is 2,000 years old or even older. Yeah, correct? Now, which means that the Bible was originally written not in English but in ancient…
その通りです。英語で書かれており、それ自体はたかだか500年の歴史しかありません。キリスト教自体は2000年かそれ以上の歴史がありますよね?つまり、聖書はもともと英語ではなく、古代の…
Koine Greek.
Koine Greek: コイネー・ギリシャ語。新約聖書が書かれた当時のヘレニズム世界の共通語。
Correct. Now, if we look at the Greek terminology of man...
terminology (n): 専門用語、術語。
Yes, and Jesus spoke Aramaic. You could translate things, you acknowledge that.
ええ、そしてイエスはアラム語を話しました。物事は翻訳できる、とあなたも認めますよね。
Well, we translate things, but translations are linguistically ambiguous. As a former classicist, I know that language can't be translated directly. So for example, if you look at the translation of of of certain words into "man," so I've got two words here. So I've got "malakoi," which means essentially soft, which isn't necessarily directly saying a gay man. And then we've got "arsenokoitai," which essentially means prostitutes. Now, if we look at things linguistically, we can pick apart the Bible and say that actually, it wasn't saying man shall not sleep with man, it's saying man shall not sleep with prostitutes, which is an entirely different linguistic thing.
ええ、翻訳はしますが、翻訳には言語的な曖昧さがつきものです。元古典学者として言いますが、言語は直接的に翻訳できません。例えば、「男」と訳されている特定の単語を見てみましょう。ここに2つの単語があります。「malakoi(マラコイ)」、これは本質的に「柔らかい」という意味で、必ずしも直接的にゲイの男性を指すわけではありません。そして「arsenokoitai(アルセノコイタイ)」、これは本質的に「男娼」を意味します。言語学的に見れば、聖書を分析して、実は「男は男と寝てはならない」と言っているのではなく、「男は男娼と寝てはならない」と言っているのだ、と主張できます。これは全く異なる言語学的な事柄です。
linguistically (adv): 言語学的に、言語の点で。
ambiguous (adj): 曖昧な、多義的な、複数の解釈ができる。
classicist (n): 古典学者。ギリシャ・ローマの古典文学や文化を研究する学者。
malakoi / arsenokoitai: 議論の核心となっているギリシャ語の単語。学生はこれらの単語の翻訳の妥当性に疑問を呈しています。
I'm not even getting into Leviticus, though. But my contention is completely New Testament focused.
私はレビ記の話をしているわけではありません。私の主張は完全に新約聖書に焦点を当てています。
これはレビ記ではありません。
What you said, man shall not speaking with man...
あなたが言った「男は男と…」
No, but this is this is these words are used throughout...
いいえ、でもこれらの言葉は全体で使われて…
Well, actually in Romans 1, it was actually women sleeping with women. So you got your verses wrong. In Romans 1, Paul is prophesying about the end of the world and he's saying that in the end times, woman will like with woman-like and man will, I think it might say man with man-like. You have to get the verses specifically.
実は、ローマ人への手紙1章では、女性が女性と寝ることについて書かれています。だからあなたは聖句を間違えています。ローマ人への手紙1章で、パウロは世の終わりについて預言し、終わりの時には、女は女を好み、男は…確か男は男を好むと書いてあったかと思います。聖句は具体的に確認する必要がありますが。
But it is agreed upon, and you can agree, this is why tradition is important. And I even say this as a Protestant, is that we believe that scripture is very important, but also look to tradition. Church tradition has had an unbroken chain affirming matrimony, holy matrimony being one man, one woman. One even as a non-Catholic, I'm glad that Pope Leo has reaffirmed in the last couple of days. And so I'm not even sure your contention, your point. Are you saying that the Bible doesn't affirm marriage as one man, one woman? Are you saying church tradition doesn't affirm marriage one man, one woman?
しかし、これには同意が得られており、あなたも同意できるはずですが、だからこそ伝統が重要なのです。プロテスタントとして言いますが、私たちは聖書が非常に重要だと信じていますが、伝統にも目を向けます。教会の伝統は、結婚、つまり聖なる婚姻が一人の男と一人の女のものであることを肯定する、途切れることのない鎖を持ってきました。非カトリック教徒としてさえ、私はここ数日で教皇レオがそれを再確認したことを嬉しく思います。ですから、あなたの主張、あなたの論点がよくわかりません。聖書は結婚を男女間のものとして肯定していないと言いたいのですか?教会の伝統が結婚を男女間のものとして肯定していないと?
unbroken (adj): 途切れない、連続した。
matrimony (n): 婚姻、結婚。特に法的な、あるいは宗教的な儀式としての結婚を指すことが多いです。
I'm saying the Bible doesn't affirm.
But it clearly doesn't affirm. That is complete nonsense. But Christ our Lord, which is the standard, he affirms this idea that you will leave your father's home, going back to Genesis 12 and this idea of Abraham leaving his father's home, and you will cleave to your wife. That a new, that it would be called one. In fact, this idea of a new creation which is something that is then used by the Apostle Paul to describe the the church of Christ and the bride of... the church being the bride of Christ with Jesus. So I'm not even sure your contention. It is…
しかし、明らかに肯定しています。それは全くのでたらめです。私たちの主であり基準であるキリストは、「あなたは父の家を出て」という考えを肯定しています。これは創世記12章、アブラハムが父の家を出る話に遡ります。「そして妻と結ばれる」。新しいもの、それは「一体」と呼ばれるでしょう。実際、この新しい創造という考えは、後に使徒パウロがキリストの教会と、イエスと結ばれるキリストの花嫁としての教会を説明するために用いたものです。ですから、あなたの主張がよくわかりません。それは…。
But you're just avoiding my point. I'm saying the Bible that we have today is 100% a translation and a translation is linguistically ambiguous.
あなたは私の論点を避けています。私が言っているのは、今日私たちが持っている聖書は100%翻訳であり、翻訳には言語的な曖昧さがあるということです。
I acknowledge that. But what about specifically in Matthew or in the book of Romans? And but in order for you to be correct, you mean the Church Fathers translated it wrong when they were within like 50 years of this? In order for your contention to be correct, you have to say that the early Church Fathers that wrote the early letters to the church, they were translating it wrong and the tradition they established was wrong. So by then, we can lean on tradition and scripture. So when you get tradition plus scripture, you get something that is authentic, that is real, and that is verifiable.
それは認めます。しかし、マタイによる福音書やローマ人への手紙については具体的にどうですか?そして、あなたの主張が正しいとすれば、教父たちは、出来事から50年ほどの間に、それを間違って翻訳したということになりますか?あなたの主張が正しいとすれば、教会への初期の書簡を書いた初期の教父たちが、それを誤訳し、彼らが確立した伝統も間違っていたと言わなければなりません。そうであれば、私たちは伝統と聖書に頼ることができます。伝統と聖書が合わさったとき、本物で、現実的で、検証可能なものが得られるのです。
verifiable (adj): 検証可能な、証明できる。
I've already highlighted the tradition does not align with scripture. We've gone back thousands of years to ancient Mesopotamia.
伝統が聖書と一致しないことは既に指摘しました。私たちは数千年前の古代メソポタミアまで遡りました。
But understand, but at the time, they all spoke Greek, they wrote Greek, and they spoke Aramaic. So for example, when they were writing the early gospels, the synoptic gospels of Matthew, Mark, and Luke, they were obviously writing in Greek. They knew that language. So in Matthew, when they were writing Greek and then the early Church Fathers knew Greek and adopted that as church tradition, we have a 2,000 unbroken chain. I think you can irrefutably say that it was the teachings of Christ for one man and one woman. Because the church tradition has been unbroken for 2,000 years and they derived it from scripture of that original language.
しかし、理解してください。当時、彼らは皆ギリシャ語を話し、ギリシャ語で書き、アラム語を話していました。例えば、彼らが初期の福音書、つまりマタイ、マルコ、ルカの共観福音書を書いていたとき、彼らは明らかにギリシャ語で書いていました。彼らはその言語を知っていたのです。ですから、マタイ伝で彼らがギリシャ語で書き、そして初期の教父たちがギリシャ語を知っていて、それを教会の伝統として採用したとき、私たちには2000年の途切れることのない鎖があるのです。キリストの教えが男女間のことであったと、議論の余地なく言えると思います。なぜなら、教会の伝統は2000年間途切れず、彼らはそれを元の言語の聖書から導き出したからです。
You can't argue that. That doesn't make sense. I mean, if we agree to disagree then might we look at biology?
それは主張できません。意味が通りません。もし意見が合わないなら、生物学に目を向けてもいいですか?
So you know better than the church fathers?
では、あなたは教父たちより賢いと?
I don't, I'm not saying I know better than the church fathers. What I'm saying is linguistically, there is undeniably an error. Regardless of what you say, there is a translation...
いいえ、教父たちより賢いと言っているわけではありません。私が言っているのは、言語学的に、否定しようのない誤りがあるということです。あなたが何と言おうと、翻訳の…
Our lens may be, but not from the people when they were making these traditions...
私たちの見方ではそうかもしれませんが、彼らがこれらの伝統を作っていた時の人々からすれば違います。
I agree, they may have gotten that right, but that may not have been their original meaning. What we are saying is the meaning has been warped over time because of societal and cultural contexts such as the British Empire...
同意します。彼らは正しく理解していたかもしれませんが、それが彼らの本来の意味ではなかったかもしれません。私たちが言っているのは、大英帝国のような社会的・文化的文脈によって、時代とともに意味が歪められてきたということです。
チャーリーカークがケンブリッジの学生に論破されるって動画の長い版があったからGeminiに英語教材にしてもらった。
https://x.com/KBYMScotland/status/1966798924468851007
今年5月、チャーリー・カークが🇬🇧ケンブリッジ大を訪れ学生とディベートを行った。カークは「聖書は同性愛を道徳に反するとし禁じている」と持論を展開するが...
https://x.com/mkbfpv/status/1966798326730240107
Here is the actual full clip of this exchange.
***
Ellis Jones from Emmanuel College.
(拍手)
Um hello, thank you for coming to talk. Um, so my question, as someone studying archaeology and biological anthropology, um, I've learned that moral codes and social norms have always been fluid, shaped by time, culture, power. So many ancient and recent societies embraced same-sex relationships and even the idea of third genders uh well before Western conservatism even existed. So when you claim that modern conservative values represent some kind of universal objective moral truth, like you said on your chair over there, um are you just defending a selective, historically recent ideology that erases most of human history and targets people who have always been part of it?
こんにちは、お話しいただきありがとうございます。ええと、私の質問ですが、私は考古学と生物人類学を学んでいる者として、道徳規範や社会規範は常に流動的で、時代、文化、権力によって形成されてきたと学びました。古代から近代に至るまで、多くの社会が西洋の保守主義が存在するずっと以前から、同性間の関係や第三の性という考え方さえも受け入れてきました。ですから、あなたが現代の保守的な価値観が、そちらの椅子でおっしゃったように、何らかの普遍的で客観的な道徳的真理を代表していると主張されるとき、それは人類の歴史の大部分を消し去り、常にその一部であった人々を標的にする、選択的で歴史的に新しいイデオロギーを擁護しているだけなのではないでしょうか?
archaeology (n): 考古学
anthropology (n): 人類学
fluid (adj): 流動的な、変わりやすい。ここでは「道徳規範が固定されたものではなく、時代と共に変化する」という文脈で使われています。
conservatism (n): 保守主義。伝統的な価値観や制度を維持しようとする政治的・社会的な思想。
objective (adj): 客観的な。主観に基づかない、事実としての真理を指します。
selective (adj): 選択的な、えり好みする。ここでは「歴史の中から都合の良い部分だけを選んでいる」という批判的なニュアンスです。
ideology (n): イデオロギー、観念形態。特定の社会集団が共有する信念や価値観の体系。
erase (v): 消し去る、抹消する。
No, but can you point to me of a great power that endorsed same-sex marriage, not cohabitation, but marriage?
いいえ。ですが、同棲ではなく、同性「婚」を承認した大国を一つでも挙げていただけますか?
endorse (v): (公に)是認する、支持する、承認する。
cohabitation (n): 同棲。法的な婚姻関係を結ばずに共に住むこと。
Ancient Mesopotamia.
As marriage? As as as recognized by the state.
100%.
100%そうです。
And how did that work out for them?
それで、彼らはどうなりましたか?
It worked out perfectly fine. It was an accepted norm of society.
全く問題なく機能していました。社会で受け入れられた規範でした。
norm (n): 規範、標準。社会において当然のこととされる行動や考え方の基準。
Okay, I still think it's wrong.
なるほど。それでも私はそれが間違っていると思います。
Okay, okay, swiftly moving on. So you said it was based on scripture and you believe that there are moral objective universal truths.
わかりました、では次に進みます。あなたはそれが聖書に基づいており、道徳的に客観的で普遍的な真理が存在すると信じているとおっしゃいましたね。
scripture (n): 聖書、聖典。キリスト教やユダヤ教の正典を指します。
Yes, there are. So murder is wrong today and murder was wrong 2,000 years ago.
はい、存在します。殺人は今日も悪であり、2000年前も悪でした。
Right, okay, in fact that's not same sex, but fair, fair, I see your point.
ええ、なるほど。それは同性の話ではありませんが、まあ、おっしゃることはわかります。
But there are moral truths that are transcendent of time, place, and matter.
しかし、時間、場所、そして物質を超越した道徳的真理は存在するのです。
transcendent (adj): 超越的な、並外れた。ここでは、物理的な制約や時間的な変化の影響を受けない、普遍的な真理を指しています。
Okay, but but so just to clarify, you believe that this is in the Bible. This is laid out in the Bible that man shall not sleep with man and so therefore it's...
わかりました。しかし、確認ですが、あなたはそれが聖書に書かれていると信じているのですね。男は男と寝てはならないと聖書に明記されており、だからこそ…。
It's also repeated throughout the New Testament as well. Matthew, in the book of Matthew, Jesus affirms the biblical standard for marriage.
それは新約聖書全体でも繰り返されています。マタイによる福音書で、イエスは結婚に関する聖書の基準を再確認しています。
Okay, so I'm gonna make two very, very quick points. So the first, um, so if we look at the Old Testament in isolation, just to start off with as an example. So let's look at Exodus 35:2, which suggests that if you work on the Sabbath, you should be put to death. If you look at Leviticus 11:7, it suggests that if you have pork, you should be put to death. If you plant two crops side by side, you should be stoned by your entire village. If you wear a suit, which you are wearing now, that contains two different fibers intertwined into the same jacket, you should be burned at the stake by your own mother. Now, following that rationale, in Leviticus 18:22 when it states that man shall not sleep with man, why aren't we burning ourselves at the stake as well? Why aren't we stoning ourselves to death?
わかりました。では、非常に手短に2点述べさせてください。まず、例として旧約聖書だけを切り取って見てみましょう。出エジプト記35章2節では、安息日に働けば死刑にされるべきだと示唆されています。レビ記11章7節を見れば、豚肉を食べれば死刑にされるべきだと示唆されています。2種類の作物を隣り合わせに植えれば、村全体から石打ちにされるべきです。あなたが今着ているような、2種類の異なる繊維を織り交ぜた上着を着ていれば、自分の母親によって火あぶりにされるべきです。さて、その論理に従うなら、レビ記18章22節で「男は男と寝てはならない」と述べられているのに、なぜ私たちは自分たちを火あぶりにしないのでしょうか?なぜ石打ちで殺し合わないのでしょうか?
in isolation: 孤立して、単独で。ここでは「旧約聖書だけを文脈から切り離して見てみると」という意味です。
Sabbath (n): 安息日。ユダヤ教で労働が禁じられている土曜日のこと。
Leviticus (n): レビ記。旧約聖書の一書で、祭儀や律法に関する規定が多く記されています。
intertwined (adj): 絡み合った、織り交ぜられた。
at the stake: 火あぶりの刑で。中世の処刑方法の一つ。
(拍手)
Do you care to address my main contention that Christ affirmed biblical marriage in the book of Matthew? And can you tell me the difference between the ceremonial, the moral, and the ritual law? And then finally, also, tell me about Christianity, the difference between the new and the Old Covenant, or you're just going to cherry-pick certain verses of ancient Israel that do not apply to new Christianity?
私の「キリストはマタイによる福音書で聖書的な結婚を肯定した」という主要な主張に反論していただけますか?そして、儀式律法、道徳律法、祭司律法の違いを教えていただけますか?そして最後に、キリスト教における新しい契約と古い契約の違いについても教えてください。それとも、あなたは新しいキリスト教には適用されない古代イスラエルの特定の聖句を、ただつまみ食いしているだけですか?
contention (n): (議論における)主張、論点。
covenant (n): (神と人との)契約。キリスト教神学において非常に重要な概念です。
cherry-pick (v): (自分に都合のいいものだけを)つまみ食いする、えり抜きする。
Very fair, fair. I completely agree. So we'll look at two points then. So firstly, um, if we look at the Old Testament, uh, we can see the kind of inconsistencies there. We've already touched upon that, right? That makes sense. Secondly, you mentioned the point of Jesus and Christ. He never mentioned anything to do with homosexuality at all.
ごもっともです。完全に同意します。では2つの点を見ましょう。まず、旧約聖書を見れば、そこに矛盾があることがわかります。それについては既に触れましたよね?理にかなっています。次に、あなたはイエス・キリストの点に言及しました。彼は同性愛について一切何も言及していません。
Whoa, hold on a second. He affirmed, he affirmed biblical marriage as one man and one woman. He said a man shall leave his...
おっと、待ってください。彼は聖書的な結婚を「一人の男と一人の女」として肯定しました。彼は「男はその…」と言いました。
in the New Testament?
新約聖書でですか?
In Matthew, that is not correct. I believe in the New Testament, in the New Testament. Well, Romans is also in the New Testament. Secondly, in Romans 1, the Apostle Paul talks negatively about homosexuality explicitly. Also, homosexuality is repeated in the book of Titus and in the book of Jude as not being favorable as the destruction of Sodom and Gomorrah. Not even talking about the Old Testament verses.
マタイ伝です。それは違います。新約聖書で、と信じています。ローマ人への手紙も新約聖書です。第二に、ローマ人への手紙1章で、使徒パウロは明確に同性愛について否定的に語っています。また、テトスへの手紙やユダの手紙でも、ソドムとゴモラの滅亡と同様に、同性愛は好ましくないものとして繰り返されています。旧約聖書の聖句は抜きにしてもです。
There are three types of the 613 Levitical laws. And you, you know, of course, in your own way, cherry-picked some of them. We do not live under the ceremonial, we do not live under the ritual, and but we do live under the moral. There's only 10 of the moral that we as Christians believe we're bound to, some believe nine, which of course is the Decalogue. And so none of those that you mentioned we as Christians believe that we live under. However, we do look at what Christ articulated as the biblical standard of marriage. And we can also look to church tradition for this as well. And the church has had a tradition for well over 2,000 years, even myself as a Protestant acknowledges, that tradition is marriage between one man and one woman.
レビ記には613の律法に3つの種類があります。そして、あなたはもちろんご自身のやり方で、その一部をつまみ食いしました。私たちは儀式律法の下には生きていません。祭司律法の下にも生きていません。しかし、道徳律法の下には生きています。キリスト教徒として私たちが従うべき道徳律法は10個だけです。9個だと信じる人もいますが、それがもちろん十戒です。ですから、あなたが挙げたもののどれ一つとして、私たちキリスト教徒が従うべきものはありません。しかし、私たちはキリストが結婚の聖書的基準として明確に述べたことには注目します。そして、これについては教会の伝統にも目を向けることができます。プロテスタントである私自身でさえ認めますが、教会には2000年以上にわたる伝統があり、その伝統とは、結婚は一人の男と一人の女の間のものであるということです。
articulate (v): (考えなどを)はっきりと述べる、明確に表現する。
tradition (n): 伝統、しきたり。ここでは特に教会の教義や慣習の継承を指します。
Okay, but I work, okay. Say we put aside the Old Testament for now. We'll put that aside and the inconsistencies there and look purely at the New Testament following your rationale, okay? Now, when you say that Christ lays specifically and the New Testament states specifically that man shall not sleep with man, I'd like to point out a linguistic error on that point.
なるほど。では、一旦旧約聖書は脇に置きましょう。それとそこにある矛盾は置いておいて、あなたの論理に従って純粋に新約聖書だけを見ましょう。いいですか?さて、あなたがキリストが具体的に、そして新約聖書が具体的に「男は男と寝てはならない」と述べていると言うとき、その点における言語的な誤りを指摘したいと思います。
I did not say that. I said the biblical marriage was affirmed and then Romans 1 did talk negatively about the action of homosexuality.
私はそうは言っていません。聖書的な結婚が肯定されたと言ったのです。そしてローマ人への手紙1章が同性愛という行為について否定的に語っていると。
ニケーア公会議(325年)は、キリスト教初の**公会議(エキュメニカル・カウンシル)**であり、教義上・教会史上きわめて重要な意義を持ちます。
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🏛️ ニケーア公会議の結果(要点まとめ)
項目 内容
開催年 325年
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🔹 主な決定事項
• アリウス(アリウス派)は、こう主張していました:
✝️「キリスト(御子)は被造物であり、父なる神とは異なる本質を持つ」
→ 「御子は神に“似た存在”だが、“同じ神”ではない」
• これは、キリストの神性を否定すると見なされ、異端と宣言されました。
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② ニケーア信条の制定
アリウス主義に対抗して、正統教義としての**信条(Creed)**が制定されました。
キリストは:
「父と同質(ホモウシオス) consubstantial with the Father」
であり、**神そのものである(真の神からの真の神)**と明記されました。
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• 各地で異なっていた**復活祭(イースター)**の日付を統一する方針が決定。
• 太陽暦を基にして、春分後最初の満月の次の日曜日とする(現行の方式の基礎)。
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我らは一なる主イエス・キリストを信ず、
神よりの神、光よりの光、
真の神よりの真の神、
造られずして生まれ、
父と**同質(ホモウシオス)**なり…
この信条は後の公会議(コンスタンティノポリス公会議・381年)で若干補足され、「ニケーア=コンスタンティノポリス信条」として今も多くの教会で用いられています。
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🔚 ニケーア公会議の意義
意義 説明
カルケドン公会議(451年)で異端とされた教義:単性論(モノフィシス)
公会議では、**単性論(モノフィシス)**が異端とされました。
🔸 単性論とは?
• キリストには神性と人性があるが、受肉の後には「神性に吸収されて人性は消えた」とする教義。
• 主にエウティケスという修道士がこの立場を強く主張していました。
🔸 結果:
• 単性論を支持する教会(特にアレクサンドリア系)は分離し、のちの**非カルケドン派教会(東方正統教会、コプト教会、アルメニア使徒教会など)**となります。
エフェソス公会議(431年)で異端とされたのは ネストリウス派(ネストリウス主義) です。
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🔹 背景:
ネストリウスはコンスタンティノープル総主教で、キリストにおける「神性」と「人性」を強調しすぎた結果、マリアを「神の母(テオトコス)」と呼ぶことに反対し、「キリストの母(クリストトコス)」と呼ぶべきだと主張しました。
この教義は、キリストが「二つの人格(神と人)」に分かれているように受け取られ、当時の正統派から「分裂的で異端」と見なされました。
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• ネストリウスは総主教の座を追われ、のちに流罪となりました。
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🔹 その後の影響:
ネストリウス派は中東やペルシャ方面に広がり、**東方教会(アッシリア東方教会など)**として独自の流れを持つようになりました。
教皇は無事レオ14世に定まった。レオの名前の登板は1903年死去の13世以来である。
先代はオリジナルな教皇名を名乗り、先々代は80年ぶり襲名のベネディクト。その前のヨハネ・パウロはその前が33日で死亡(暗殺説有)を引き継いだ形である。
一方、昔の教皇名で今使っていない"留め名"になっているものも結構ある(留め名は、落語・相撲でその名を継がせない措置。普通はそれを上回れないとみなされるので。志ん生なんか)。
じゃあなんでこれが留まっているのか、代数の多い十一傑から探ろう。11としたのは当代レオが入っちゃうから枠を拡大しているのである。
なお教皇の名前は1回だけの奴が44人おり、襲名された名前は37。明らかに永久欠番なのは、初代のペテロである。これは対立教皇(非正統/主流の勝手名乗り。熊沢天皇的な)が名乗ったケースがある。意気や良しだが、簒奪には至らなかった・・・。
| 教皇名 | 最終代 | 最終在位 | 最終代の事績 |
| ヨハネ | 23 | 1958-63 | 短期間の「繋ぎの教皇」。近代化を図り第2バチカン公会議開催。列聖。ただしこの名前は対立教皇の存在から500年忌避されていた |
| ベネディクト | 16 | 2002-13 | 先々代で襲名は80年ぶり。本人の敬意(先代と同名修道会創始者)による |
| グレゴリウス | 16 | 1831-46 | イタリア統一を読み切れず世俗国家と溝。反近代主義 |
| クレメンス | 14 | 1769-74 | 反イエズス会で禁止令。世俗の圧力に抗しきれず。美術品の一般公開開始 |
| レオ | 14 | 当代 | どうなるかはシラネ |
| インノケンティウス | 13 | 1721-24 | 反イエズス会。フランスの一部離反招く |
| ピウス | 12 | 1939-58 | 外交分野に足跡もナチとの政教条約が汚点。批判が今世紀になって覆されつつあり |
| ボニファティウス | 9 | 1389-1404 | 教会大分裂修復せず。聖職売買や贖宥状で悪名 |
| ステファヌス | 9/10 | 1057-58 | 在位7月。修道院改革も東西教会分裂早める。初代が聖別前に死去したゴタで代数が2通りある |
| ウルバヌス | 8 | 1623-44 | 教皇領最大も巨額負債で教皇庁弱体化。最後の中世的教皇 |
| アレクサンデル | 8 | 1689-91 | 縁故主義で財政悪化 |
これ以下の雑魚は以下を参照のこと
https://en.wikipedia.org/wiki/Papal_name#Papal_names
纏めた限りだとまあ、これを襲名しようという気には・・・ならないメンツが多いすな特に近世以前は。ヨハネ、ベネディクトあたりはまだ芽がありそう。これとレオを合わせて当面使い回すのかしら。
いとこ婚(いとここん、英: cousincest)は、いとこ同士の結婚のこと。
いとこ婚の扱いは国家や民族、文化圏、地域社会によって異なり、いとこ婚を近親婚の一種と見なして忌避したり法律で禁じる場合も、法的に認められ一般的に行われている場合もある
日本では、4親等以上離れていれば直系でない限り親族同士の結婚も認められているため、いとこ婚が可能である[3]。古いデータではあるが、後藤源太郎の著書『近親結婚と母系制』に世界各地におけるいとこ婚の比率が記載されており、1931年(昭和6年)の東京市で4.0%、1949年(昭和24年)の長崎市で5.24%となっていた[4]。1914年 - 1919年のフランスで0.97%、1925年 - 1939年のイングランドで0.40%、1925年 - 1950年のアメリカ合衆国のボルチモアで0.05%となっており、欧米に比べれば高い[4]。ただし、1955年 - 1957年のイスラエル全土で5.22%と、当時の他の地域と比べて、日本在住の人々のいとこ婚の比率が突出しているわけではない[4]。なお、今日の日本では過去に比べいとこ婚の比率が減少したとされ、調査でいとこ婚の比率は全ての婚姻のうち1.6%だったという1983年の報告がある[5][6]。
イスラーム文化圏では地域によって異なるが、サウジアラビアなどではいとこ同士の見合い婚が多い。血縁が濃いことを良しとする文化があること、女性が顔を隠す服装をしているため男性にとって恋愛対象になり得るのが顔を知っている従姉妹に限定されてしまうことといった事情がある。また、預言者ムハンマドの第7夫人ザイナブがムハンマドの従姉妹であることも、いとこ婚が推奨される背景になっている。クルアーン(コーラン)に記述された、婚姻が禁じられた近親者の一覧[7]の中には、いとこは書かれていない。父方いとこ同士の結婚(ビント・アンム婚)は好ましいものとされており、特別な理由がない限り、女性が父方の従兄弟に当たる男性からの求婚を断ることができない、という慣習を持った地域も存在する[8]。
ヨーロッパの王族、貴族の間では、いとこ婚が頻繁に行われている(関連項目の例を参照)。しかし本来は教会法に反する近親婚に当たるとされており、カトリックの場合には教会から特別に赦免をもらい、逆に離婚時にはこれを理由に用いて結婚を無効にする、といったことが行われていた。
主な法制
→「近親婚」も参照
国にもよるが、いとこ婚(cousin marriage)は近親婚を意味し、その制限は近親度数に基づいて行われている。現在の近親度数の計算方法は、同じ祖父母を持つ子孫は近親度1度(いとこかその父母、first cousin)、同じ曽祖父母を持つ子孫は2度(はとこ、その父母・祖父母、second cousin)、同じ高祖父を持つ子孫は3度(third cousin)などとされている。
中世前期のヨーロッパはローマ帝国後期の慣習を引き継ぎ、カノン法に基づいて近親間の結婚を禁じていたが、次第に貴族氏族の近親関係が増えてゆき、最終的には限られた活動範囲で伴侶になる見込みのある相手を見つけることが容易でなくなった。例外的な婚姻(特免の結婚)やその婚姻による子を教会の保護対象とすることを認可されるには教会に莫大な支払いをする必要があり、その金額も次第に増加していった [11]。
1215年、第4ラテラン公会議は7度以内だった近親婚の禁止の度数を4度以内(6 - 16親等以内)へと下げ[12][13]、度数計算方法も改定した[14]。それまでの計算方法は、同じ祖先に行き着くまでの人数にそこから婚約相手までの人数を加える方式だったが、新法では単に同じ祖先に行き着くまでの数となった[14]。
1215年以降は、特免を受けずとも4度までは婚姻可能という習慣が一般的に普及し、近親婚の全体的な経費は下がった[15]。
19世紀になり女性の社会的な活動性が高まると、教会法に基づく規則は次第に廃れ、19世紀にはハンガリー、スペインでは特免は政府によって行われるようになった[16]。
1875年のチャールズ・ダーウィン(1809年 - 1882年)の試算によれば、イングランドでは1度の近親婚の割合は全体で3.5%、中流階級では4.5%だった。貴族階級の中では1819年生まれのヴィクトリア女王とアルバート王配との婚姻が傑出した例外となっているが[17][18]、20世紀にはいとこ婚の割合は1%にまで下がった[19]。
スコットランドの精神科医で学会副委員長のアーサー・ミッチェル(英語版)(1826年 - 1909年)は論文で、近親婚の子孫への悪影響に関するダーウィンやアラン・ハス(Alan Huth)の結論の大きな矛盾を指摘し、血縁の悪影響は適切な住環境によって部分的に解決ができるという仮説を立てたが[20][21]、実際にはそのデータは仮説を証明しうるものではなかった[22][23]。
2002年には『タイム』誌が、男女人口差による男性の結婚難によりいとこ婚が増加していることを報じた[24] 。
アメリカでは、いとことの結婚は25の州で禁止されている。また、別の6州では特殊事情の下でのみいとことの結婚が許可されており、例えばユタ州は双方の配偶者が年齢65歳以上もしくは年齢55歳以上で性的不能に関する証拠を持つ場合に限定して可能となっている。残る19の州およびコロンビア特別区では2008年現在、いとこ婚は制限無しで許可されている。
インドは多宗教国家であり、結婚する者の宗教により法律が異なる。異宗婚の場合に用いられる婚姻法ではいとこ婚を原則禁止としている。同宗婚の場合は各宗教の宗教法に従うため、イスラームなどではいとこ婚が可能である。
東・東南アジア
韓国は1997年まで3度以内の近親同士(高祖父母が同じ近親)の婚姻と、同姓同本(同じ苗字で、同じ本貫を持つ同士)間の婚姻を禁じていた[25]。今日でも民法により近親婚は無効や取り消しになりえるが、その婚姻中に妊娠した場合などについては例外を置いている。
台湾、北朝鮮、フィリピンはいとこ同士(1度の近親)の婚姻を禁じている[26]。
日本では上述の通り、近年は割合は下がっているものの、法的にはいとこ婚は認められている。
中国はかつて農業地域ではいとこ婚も行われていたが、1981年の婚姻法で禁止された[3][27][28]。 中国婚姻法(英語版)は男女が直系の近親にあるときと、傍系の近親であり近親度が3度以内のときの婚姻を禁じている[29]。
100年ほど前、アナトール・フランスの書いたジャンヌ・ダルクの伝記が、
ジャンヌ・ダルクを聖人として崇敬するカトリック教会の機嫌を損ねたらしく、
アナトール・フランスの著作が禁書目録に掲載されるに至った
禁書目録は1966年の第2バチカン公会議のさなかに廃止された
現代の日本でも、カトリック教会が反発しそうな形でジャンヌ・ダルクを描いた作品はいくつかあるが
特に抗議されているという話も聞かない
それらの作品に登場するジャンヌ・ダルクは、あくまで架空の存在で、
歴史上のジャンヌ・ダルクとは無関係だと解釈すれば、まあ、スルーでもいいのだろう
とあるエロゲーで、ジャンヌ・ダルクという名前のジャンヌ・ダルクっぽい要素をもった人のエロシーンがあっても、別に構わないのだ
プププ。まだお前、世界が二元論で語れるという幻想にかられているの?キリスト教がゾロアスター教の始祖『ツァラトゥストラ』が生み出した、アーリマンとアフラ・マズダの二元論はニケーア公会議でアタナシウス派の勝利で4世紀には人類は克服してるの。ドイツ人は本当に不勉強で困る。ニーチェが「神は死んだ」とか嘆く以前に、キリスト教は「精霊」という存在を生み出すことで二項対立を防ぐ方法をあみだし、ドイツ人のいうアウフヘーベンすることができちゃうことを発見したの。アメリカ人は信心深いから聖書を真面目に読んで、真面目に聖書を読めば避けられた問題を「科学する」なんて言わずに、嘘が見破られるの。不勉強の理由に「科学する」なんてものを持ち出すから、エリート(共産主義者)は負けるんだよ。おバカちゃん。
アノニマスの坊や達、こんばんは
僕だよ。
前回の記事
ハッカーになりたい君たちの要望に応えるべく再び黄泉の国から舞い戻ってきたよ。
ハッカー…素晴らしい響きだ。
皆それになりたいと思う。
ハッカーになりたいという若い子は恐らくクラッカーみたいなのになりたがっているだろう。
中高生くらいならばなりたいと思っても、どうなるのか誰も教えてくれない。
親切な人たちが教えてくれるYahoo知恵袋などで『ハッカーになりたいです』とか書くとどうだ?
「貴方のいっているのはクラッカーですね?ハッカーとは別物ですよ」
清く正しい中学生がなんだか気を利かせて、「ホワイトハッカーになりたいです」とか「ハッカーになりたいです違法行為はしません」
などなど、変に気を使っている。
そうだ!なろう!!裏の世界の人間になろう!!そして世界を変えるんだ!!
ハッカーと言っても色々居るわけだ。
撮り鉄とか葬式鉄とか、ウィルスをばらまくハッカーとか、脆弱性を見つけて小銭稼ぐハッカーとか、OS作るハッカーとか、セキュリティポリシー精読して炎上させるハッカーとかね。
ウィルスというのは細胞を持たないが遺伝子をもつ最小の生物なのだが、細胞を持たないため非生物とも言われている構造体だ。非生物らしく結晶化もできる。
宿主となる細胞に増殖をしていく。
そのウィルスがコンピュータ世界に入り込み進化したものがコンピュータウィルスと言われていて、生命の謎を握る存在なのだ。
こう言われてもピンとこないだろうから、君たちにわかりやすいモノで表現するとすると
つまり『電光超人グリッドマン』に出てくる怪獣のようなものだと思ってくれればいい。
ブラック、そう闇と言われるハッカーたちは自分や自分の所属する集団のために違法行為を厭わない連中だ。
プログラマはスキルによってその仕事のスピードは20倍にも40倍にも開きが出ると言われている。
その特A級のハッカーはウィザードと言われるが、そのとおり魔導士のような不思議な力を使う。
しかし謎の力の仕様変更により納期は変わらず工数が9人月になった。
にもかかわらずだ納期は間に合い、しかも!稼働時間も3人月分しか計上されていない。
これは何処かのタイミングで時を止めていると言われている。
たまに勤務管理システム上は有休になっているが、入館ログには出勤の形跡があることがある。
これは休みと仕事の状態が重なり合っている量子力学的な状態を不思議な力で作り出しているのだ。
量子コンピュータは0の状態と1の状態が一つのビットで同時に表現できると言われているが、ブラックハッカーはすでに人間の身でありながら実現しているのだ。
事実量子コンピュータはブラックハッカーの脳を再現する形で実現しようとしている。
量子コンピュータを作っている企業の下請けに大量のブラックハッカーが居るのもそういうわけだ。
ウィルスをばらまくハッカーもいると言ったがブラックハッカーもその能力を持っている。
例えばインフルエンザやエボラ出血熱などを持って出勤するのも彼ら得意技の一つだ。
また、違法行為も厭わない。
どんな違法行為をやっているかは良い子の皆が真似をしてしまっては困るのでとてもここでは言えないがね…
ブラックハッカーたちは暗黒の存在とは言え我々の社会には無くてはならないものになってしまっている。
闇が深い金融業界や、日本国政府もこのブラックハッカーに頼らざるえなくなっているのだ。
おそらくマイナンバーではブラックハッカーのそうそうたる面々が集うことになるだろう。
どうだろう。
なる方法は簡単だ。
「神はXをつかうのか?」という質問について答えようと思う。
良い質問だ。
でも、いつだったか1000年位前の公会議で神はXを使うという事になったんだよ。
裏の人間は黒い画面を好み、黒い画面でいろいろやろうと思っていた。
だが、次第に艦これもやりたくなってきた。
そのうち艦これやりたさに信仰を捨てWindowsに走るものや、過激派組織APPLEに見を投じる者も出てきた。
しかし信仰心の篤い者達は我慢したBashでなんとかやろうと我慢した。
VimでTwitterをやったり、Wgetでテキストサイトを見たりしていた。
だが、XVIDEOSの誘惑には勝てなかったのだ。
その当時のハッカーたちはLinuxでもXVIDEOSを見るシステムを開発しようとした。
それが『XVIDEOS Window System』つまりXだ。
Xは黒い画面とXVIDEOSの間から妥協として生まれたが、そのうちそれでも良いかという空気になりXは流行った。
なんとDMMに登録するとAVの動画も見れるサービスがあることをしることになった。
Linuxでは艦これは出来てもDMMの動画を見ることは出来ない。
悪しきWMVで公開されてDRMがかかっているし、ストリーミングも何故か映らないのだ!!
XVIDEOSの細切れで続きが何処にあるかわからないAVよりも、有料だけども安心して見れるDMMのほうが良いというものが増え
そうやってLinuxは信者数を減らしてしまい今では生きる場所は裏社会のみになってしまったのさ。
そういう経緯があるので、神はXを使っていることになっている。
読みました。宗教にはまった、って…かなりフツーのことをしていると思うんだけど。
キリスト教に触れて、日曜日にミサ・礼拝に行くのはかなり普通。ただし、収入の十分の一を献金しろ、になると異常。
客観的に言うと、
仏教徒や無意識に六曜を信じたりしてる人を「宗教にはまっている」と思う?
たぶんノーだと思う。
信仰を持ったことを何故そんなに恥ずかしいように書いているのかわからない。
元々親がキリスト教徒という人から人生につまづいてキリスト教の扉を開く人まで見ることができるから。
もちろんいいことばっかじゃなく、トラブルにもぶつかるかもしれませんが、
教会の司教・主教、神父・牧師、そういった方々はあなたの話を聞いてくれると思いますよ。
この世の中で、自分を優先させて主張できないと、もっと自己主張の強い他人や身内の人に飲み込まれます。
ただ、もし受洗、の時には、自分に何かあった時に教会や牧師に連絡してくれる人がいるといいのは事実だけど。
もっと自信を持って!
教会に信頼や自信が置けないんなら、キリスト教の中でも最も古い正教の教会に行ってみてはどうかな。
一番古いだけあって、信頼度は最強だと思う。ただ、文語に慣れるかどうかが問題だけど。
近くにはないかもだけど、まあ勉強ついでに。
ちなみにわたしはカト。文語が無理だった…
ブコメの方。
カトリックなのに何故正教を勧めるかって?
第二バチカン公会議の前後ではカトリックも大きな変化が起きたんですよ。
キリスト教の教義の中で難解だと言われる、三位一体。Wikipediaによれば、「父なる神と子と聖霊が一体(唯一の神)であるとする教理」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93
高校時代から思っているのだが、これ、そんなに難しい概念なのだろうか?要するに、「父なる神」と「イエス・キリスト」と「聖霊」という3つのポインタがあって、みな一つの「神」という実体を指しています、ということだけでしょ?プログラミングをやっていれば、すぐに理解できる概念だと思うし、実際、プログラミングの例を引き合いに出して教えるのが手っ取り早いと思うのだけど、そうやって三位一体を教えている事例を見たことがないので、増田に書いてみた。英語圏では、とても誰か既にやっていそうな予感なんだけど、誰か知ってたら教えて。Java風に書くと、次のような感じ。(ポインタじゃなくて参照だけど。)
private Singleton(){};
public static synchronized God getInstance(){
if(singleton == null){
}
return singleton;
}
}
class World{
God Father = God.getInstance();
God JesusChrist = God.getInstance();
God HolySpirit = God.getInstance();
}
簡単に書いておくと、三位一体はキリスト教の基本的な教義で、いわゆるキリスト教は、どの宗派でもこれを認めているものが多い。なんでこの教義が基本的かというと、歴史上の人物であるイエス・キリストが、単なる人ではなく実は神でもあった、ということを信じることに繋がるから。「キリストは歴史上の偉人で神の教えを説いてくれたけど、単なる人で神ではない」という考え方も出来て、実際、この考え方が広まったことがあったが、325年のニケーア公会議というので異端になった。
カーボン様への感謝は、お布施の行為によって表される。これをカーボンオフセットと呼ぶ。たとえば、石油ストーブで部屋を暖めたら、カーボン様の力を借りたことになるので、そのかわりに、日頃スーパーへ買い物に行くのに自動車で行っているのを徒歩で行く。あるいは、庭に木を植えるのもよいだろう。
これらはカーボン様に借りた「電子」を返す行為であると説明されている。
命の杯たる植物体の中で起こる還元反応は神聖にして玄妙であり、光が物質を聖とし、カーボン様のみもとへと還すともいわれる。
あまり知られていない例としては、製鉄もまたカーボン様の力で行われている。
カーボン様は人類の感謝がたりない場合、地上を灼熱地獄、海を大洪水とするドゥームズデーを惹起すると信じられている。そのためカーボン様を崇敬するカルトは全世界で知的上流階級を中心に広まっており、その典礼を決定する公会議はCOPと呼ばれ、教理はキョウトプロトコルという書物にまとめられている。
なおカーボン信仰における贖宥状については、CDSを開発したブライス・マスターズ女史をはじめとした金融業界の重鎮たちによって市場での売買が検討されており、そう遠くない未来にシカゴ商品取引所で売買できるようになることだろう。まさしく、地獄の沙汰も金次第である。その売買ルールの設計はゲーム理論という精妙煩瑣な学を修めた者たちが行っている。オフセットの本質と形相をめぐる議論は部外者にはピンの上の天使の数の評価のごとくに受け取られているが、現実への影響は小さくない。
なぜカーボン様だけが崇敬の対象となり、金属アルミニウム(テルミット)やアスコルビン酸(ビタミンC)はそうでないのか、と論じた異端者ラボアジェは火刑となったと当時の書物に記されている。