はてなキーワード: ルールとは
まず14年に二日前ルールはなくなってる
https://news.yahoo.co.jp/articles/12c7954d7523a507741ce189975d71f98af197d5
理由は2点
今回の質問は代表質問の答えを聞いて内容を考えるため、二日前には事実上提出は無理である
かつ
官房長官が前日正午までに提出されていると明言してる
https://www.gov-online.go.jp/press_conferences/chief_cabinet_secretary/202511/video-304361.html
8:50ころから
https://comic-walker.com/detail/KC_006042_S/episodes/KC_0060420000200011_E
これとか、小学校受験してる人見るとすごいなーって単純に思う
自分はじっとできない上に3歳まで喋らなくて、メリーポピンズのマネして傘持って階段の上から飛び降りて手のひらに穴が空いたりしてなんかの診断つけられそうになってたから、シンプルにすごいと思う
シングルマザーの息子の家にみんなでたむろしてカービィのエアライドして、高校中退して子供が生まれた姉が2人いる同級生の家でFF9したけど、多分自分の発達速度だとそんくらいのほうがあってたんだろう
それでも塾の私立小の人とか、学校を馬鹿にして塾のことばっかり持ち上げて、夏休みの宿題を出さないのを突然としてる連中とは反りが合わなかった
最近でも通勤の電車の中で私立小学校の子弟が実家の病院だかクリニックの病床数自慢しあってるの聞いたりすると、あまりに擦れててなんか嫌になる
みんなで模造紙でやる発表とか、地域に出て街の人に話を聞くみたいなやつがしたいのに明けても暮れてもペーパーテストさせられて毎日つまらなくて結局成績も落ちたから所属してたコースの人達より一段落ちた学校に入った
一段落ちたから自称進みたいな校則きついところになったけど、多動になりやすいのをルールで縛ってくれたし、部活も楽しくて居心地が良かった
今でも母校は好き
でも部活やりすぎたのと、ずっと塾が嫌いなままだったから気づいたら高3になってた
頑張っても間に合わなくて前期の第一志望は落ちて、後期でなんとか拾ってもらった
親には後期で受かったあとに初めて、結構賢かったんやねと言われた
最近こどもが産まれたけど、あの擦れた小学生やなんかやな奴らだった塾の同級生を思い出したらとても小学校受験をさせたいとは思えない
他の受験レポを読んでても感じるのはしんどくないくらいに中学受験して手の届く所に入るくらいが一番楽なんじゃないのかと思うし、結構子供賢いかもーって事後的に思うくらいが親も子供もお互い楽なのかもしれない
コミケのルール上、AIだからと追い出すことはできないから、いくらコミケに文句言っても意味ないで。
信頼できる仲間で頑張って作るんやで。
明らかに反AI的な活動でも、「おすすめの絵師」だから受け取り手の問題やで。
そういう活動を長く続けて「絵師のいう『おすすめの絵師』はAI絵師を指しており、暗に批判している」という文化や暗黙の了解を作るんやで。
これが政治やで。
それをするやる気も気概もないなら諦めろやで。
僕は今、いつものように自分で定めた前夜の儀式を終えたところだ。
コーヒーは精密に計量した7.4グラム、抽出温度は92.3度で、これが僕の思考を最高の線形性と可逆性をもって保つ。
寝室のドアは常に北側に向けて閉める。ルームメイトは今夜も例の実験的なシンポジウム(彼はそれを自作フォーラムと呼んでいる)に夢中で、隣人はテレビの音を限界まで上げて下界の俗事を増幅している。
友人たちは集まって未知の戦術を試すらしいが、彼らの興味は僕の多層的位相空間理論の議論とは無関係だと見做している。僕にとっては、他人の雑音はただの非可逆なエントロピー増である。
今日は一日、超弦理論のある隠れた側面に没入していた。通常の記述では、弦は一次元的な振動として扱われるが、僕はそれを高次元カテゴリの対象として再解釈することに時間を費やした。
物理的場のモジュライ空間を単にパラメータ空間と見るのは不十分で、むしろそれぞれの極小作用の同値類が高次ホモトピーのラクタンスを持ち、ホモトピー圏の内部で自己双対性を示すような階層化されたモジュライを想定する。
局所的超対称は、頂点作用素代数の単純な表れではなく、より豊かな圏論的双対圏の射として表現されるべきであり、これにより散乱振幅の再合成が従来のFeynman展開とは異なる普遍的構造を獲得する。
ここで重要なのは、導来代数幾何学のツールを用い、特にスペクトラル的層とTMF(トポロジカル・モジュラー形式)に関する直観を組み合わせることで、保守量の整合性が位相的モジュライ不変量として現れる点だ。
もし君が数学に親しんでいるなら、これは高次のコホモロジー演算子が物理的対称性の生成子へとマップされる、といった具合に理解するとよいだろう。
ただし僕の考察は抽象化の階段を何段も上っているため、現行の文献で厳密に同一の記述を見つけるのは難しいはずだ。
僕は朝からこのアイデアの微分的安定性を調べ、スペクトル系列の収束条件を緩めた場合にどのような新奇的臨界点が出現するかを概念的に解析した。
結果として導かれるのは、従来の弦のモジュライでは見落とされがちな非整合な境界条件が実は高次圏の自己同値性によって救済され得る、という知見だった。
日常の習慣についても書いておこう。僕は道具の配置に対して強いルールを持つ。椅子は必ず机の中心線に対して直交させ、筆記用具は磁気トレイの左から右へ頻度順に並べる。
買い物リストは確率論的に最適化していて、食品の消費速度をマルコフ連鎖でモデル化している。
ルームメイトは僕のこうした整理法をうるさいと言うが、秩序は脳の計算資源を節約するための合理的なエンジニアリングに他ならない。
インタラクティブなエンタメについてだが、今日触れたのはある対戦的収集型カードの設計論と最新のプレイメタに関する分析だ。
カードの設計を単なる数値バランスの問題と見做すのは幼稚で、むしろそれは情報理論とゲーム理論が交差する点に位置する。
ドロー確率、リソース曲線、期待値の収束速度、そして心理的スケーリング(プレイヤーが直感的に把握できる複雑さの閾値)を同時に最適化しないと、ゲーム環境は健全な競技循環を失う。
友人たちが議論していた最新の戦術は確かに効率的だが、それは相手の期待値推定器を奇襲する局所的最適解に過ぎない。
長期的な環境を支えるには、デッキ構築の自由度とメタの多様性を保つランダム化要素が必要で、これは散逸系におけるノイズ注入に似ている。
一方、漫画を巡る議論では、物語構造と登場人物の情報エントロピーの関係に注目した。キャラクターの発話頻度や視点の偏りを統計的に解析すると、物語のテンポと読者の注意持続時間を定量化できる。
これは単なる趣味的な評論ではなく、創作の効率を測る一つの測度として有用だ。隣人はこれを聞いて「また君は分析に興味を持ちすぎだ」と言ったが、作品を合理的に解析することは否定されるべきではない。
夜も更け、僕は今日の計算結果をノートにまとめ、いくつかの概念図を黒板に描いた。友人が冗談めかしてその黒板を見ただけで頭痛がすると言ったとき、僕はそれを褒め言葉と受け取った。
知的努力はしばしば誤解を生むが、正しい理論は時として社会的摩擦を伴うのが常だ。
今は23時30分、コーヒーの残りはわずかで、思考の波形は安定している。
眠りに落ちる前に、今日導いた高次圏的視点でいくつかの演繹をもう一度辿り、明朝にはそれを更に形式化して論理体系に落とし込むつもりだ。
AIが生成した絵とか文章とか、もう見飽きた。 「すごいですねー(棒)」って感じで、たしかにクオリティは高い。 俺たちが汗水たらしてやってきた仕事のほとんどは、もうAIでいいじゃん、って本気で思う。
でも、あいつらに絶対無理だろって思うことが一つだけある。 それは「コミュニティを作ること」だ。
いや、AIは「DiscordのBot作ります」とか「最適なマッチングを提供します」みたいな“仕組み”は作れる。 でも、そうじゃない。 俺たちが欲しいのは、そういう「効率的なつながり」じゃないんだ。
昔のインターネットを思い出してほしい。 個人サイトの隅っこにあったクソみたいな掲示板とか、意味もなく常連が集まってるチャットルームとか。 明確なルールもないし、特に有益な情報交換をしてるわけでもない。 なのに、そこにはちゃんと「空気」があった。 管理人がいなくても、なぜか“場”として成立してた。
翻って、今のSNSを見てみろ。 あれはコミュニティじゃなくて、ただの「戦場」か「ショーケース」だ。 AIが「次はこの弾(タマ)がウケるぞ」「このネタは燃えるぞ」って最適化して、俺たちは「いかに注目されるか」っていう椅子取りゲームを延々とやってるだけ。 そこにあるのは「関係」じゃなくて「インプレッション数」だ。
AI様には「場の空気」なんていう非効率なものは理解できない。 だって「空気」ってのは、「誰かが気を遣った沈黙」とか「あえてスルーする優しさ」とか「ノリで言ったどうでもいい発言」とか、そういうデータのゴミみたいなもんで出来てるから。
「なんとなく好きだから」とか「なんか落ち着くから」で集まる関係。 AIから見たら、そんな目的のない行動は全部バグだろ。
AIが効率的な仕事を全部やってくれるんなら、俺たちに残された仕事は「無駄を極めること」なのかもしれん。 いいねもリポストもつかないけど、なぜかそこに戻ってきてしまう。 そういう“空気”を育てること。
とAIに聞いたら、リアルなVRや現実とリンクしたARの世界で、キャラやストーリーがAIで無限に生成されるリアルオープンワールド=もう一つの現実のようなもの、という答えが返ってきた。
今のゲームが素直に進化すればそういう方向に行くんだろうなと俺も思う。もし本当に実現できれば、それは確かに衝撃的だろう。
ただ自分を棚に上げて言うと、技術としてのすごさはともかく、発想的にはあまりに普通だなとも思う。普通のすごさ。
初期の海原雄山に「今度もまたお前は、技術自慢、予算自慢に走ったのだ!」と説教されそう。
雄山は逆に、テトリスをさらにシンプルにしたような至高のゲームをぶつけてくると思われる。
最新ハードからLSIゲームまであらゆるプラットフォームに移植可能なごく単純な基本システムながら、想像力を刺激する抽象性と様々なルール拡張を許す懐の深さが、無限のゲーム体験を生み出すとかそんな感じ。
共産党でもまともな方かと思っていたが高市政権になってから自民党に対する逆張りしかしていなくて思慮が感じられない
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例えば参院予算委員会は理事会で日程を協議する際、前日正午までに質疑通告(答弁要求する大臣を指定)、質問内容の通告は前日午後5時を目途とするのが通例。なお、翌日の質疑が前日午後に決まることも多い。前日の答弁を踏まえ質問を練ることも当然必要。
乱暴な言い方をすれば、絵描き側の被害者感情を利用して儲けてるシステム
skeb登場以前は
この状態でskebは
→プロが仕事で買い叩かれそうになった時、「この仕事内容だと素人のskebでも〇万円になるんですけど?」と強気に出れるようになった
おかしいのは、それを普遍的なルールかのように主張していることだよ。
これは、ツイッターで大谷の嫁さんにごちゃごちゃ言ってる奴らも同じことだけど。
アイドルや芸能人みたいな人気商売で売り出してるわけでもなければ、自分の清さで銭を稼ごうともしてない。有名人してくれと頼んだわけでもない。
ちょっと前に海外のホットドッグやさんの店内カメラがyoutubeで配信されてるのを見るのが好きという記事で見た時に思った
暇なときは外しててお客さん来たら手袋(←この辺はちょっとうろ覚え)、調理で色々素手(手袋)かトングで掴む、お客のお金とお釣りを触る、次のお客が居たらそのまま調理
アルコール消毒もしてなかった(ように思えた)し、単に店員側が手が汚れるのが嫌、あるいは清潔アピールに思えた
なんか見逃してたら申し訳ないが
11月9日(土)
悪気はないんだろうけど、その“くせに”が気になった。
でも、笑って「ハンドクリーム塗ってるだけだよ」って返した。
彼女は「意識高〜」って言って、そのあとスマホで男の子の美容アカウントを見せてきた。
よく分からないけど、たぶんその瞬間、私の中の何かが裏返った。
外に出たら風が強くて、信号の赤が滲んで見えた。
たぶん恋愛もそうだ。
女の人が「私ばっかり気を遣ってる」って言ってて、男の人はうつむいてた。
だけどコーヒーの泡は、どっちのカップにも同じように丸かった。
だから、たぶんどっちも悪くない。
どっちも少しだけ、泡を見てないだけ。
右側だけ、知らない誰かに似てた。
フェミニズムって何かって言えば「女性の解放運動」なんだよね。
で、その流れの中で「女性の身体的・精神的な自由を最優先にすべき」って意見が出るのは、歴史的にも思想的にも普通の話なんだわ。
じゃあなんで一部の人が「子どもより女が優先されるのはおかしい!」って発狂してるのかっていうと、結局のところ「女性は自己犠牲して当然」って価値観から抜け出せてないだけなのよ。
こういう古い前提を無自覚で押しつけてくるやつ、まだまだいるじゃん。
「女性の生命・健康・人生のほうが、社会的にはずっと軽視されてきた」
っていう主張なわけ。
これを「子殺し擁護だ!」って短絡的に受け取る人が騒いでるだけ。
たとえば妊娠や出産のリスクを考えたとき、昔の価値観だと女性の苦痛や危険は無視されてきた。
フェミニズムはそこに真正面から異議を唱えてきた運動で、そこから「女性の意思が最優先されるべき」という結論になるのは当然。
だから、フェミニストの言動を「異常だ」って言う前に、歴史的な背景をちゃんと見る必要があるんだよ。
むしろ「女性が自分の人生を選択できるようにする」ってのは、社会としてめちゃくちゃ健全だろ。
「女性は自分を後回しにして当然」っていう古いルールに戻れって話なら、それこそ時代遅れもいいところだわ。
そもそも中絶して胎児を殺してもOKなんだからちょっと成長した子供を消すのもOKでしょ。
それがフェミニズムの考え方なんだよ。
管理する側も従業員の衛生管理とか意識の向上とかめんどくせえからな
とりあえず手袋つけときゃ清潔に見えるから良いだろという思考停止よ
衛生に関するルールも複雑化すればするほど実際にはやってられなくなるので、
一度ルールを守らなくても良いと学習したら、本当に守らないとヤバいルールも無視するようになる
実運用を無視してルールだけ作りまくると逆にルールを無視して良いというシグナルなってしまう
しかし飲食とはアホが作ってアホが配ってアホが管理してアホが経営する業態なので、そういうアホな話がまかり通ってしまうのであった
不思議なのは、企業や金持ちのための党である自民党が日本では強く支持されているのに、金持ちを妬む人が多いことだ。
金持ちは今のルールで金持ちになったんだから、保守になるのは当然。ルール変わったら資産失う可能性が増えるんだから。
今の社会を、それこそ千代に八千代にひたすら長く維持し、一族の富をそれこそさざれ石に苔が生すぐらいまで永遠に守りたいわけで。
「宇宙のルール」を決める3つの新しい考え方が、みんなで響き合って進化しているよ!
1. 「境界」を新しい目で見る
今までは「宇宙の端っこ」に特別なルールがあると思ってた(AdS/CFT)。
でも最近は「宇宙のめっちゃ遠く」にある「空の方向(天球)」に注目!
そこでは、粒子がぶつかる「散乱」のルールが、ただの数字の表じゃなくて、超キレイな形の数学パズルみたいになってる。
2. 「Swampland」=宇宙にありえない理論を捨てるルール
「量子重力(宇宙の最小ルール)」に入る理論は、なんでもOKじゃない。
たとえば「暗いエネルギー」や「宇宙の始まりのデータ(CMB)」と合わない理論は**×**。
これは**「宇宙の設計図」に書いてある禁止事項」**みたいなもの。
最近は実際に観測したデータを使って「これはダメ!」ってチェックし始めてるよ。
粒子がぶつかる「振幅(確率)」には、すごく厳しい数学のルールがある。
そのルールが**「弦(ひも)でできた世界」**じゃないと満たせないかもしれない!
つまり、**「宇宙は点じゃなくて、ひもでできてる」**って理論が、自然に選ばれる可能性があるんだ。
ある計算で「赤ちゃん宇宙がある世界とない世界が同時に出てきちゃう」って矛盾が起きた。
それを解決するには、「宇宙の状態」を1つじゃなくて、層のように重ねて考える必要がある。
つまり、**宇宙の説明は「1つの箱」じゃなくて、「箱の束」**で考える時代になってきた!
今の最前線は、
量子力学の測定問題とは、ざっくり言えばなぜ波動関数が結果を持つのかという問いだ。
数学的には、量子系はヒルベルト空間というベクトル空間の中の状態として記述され、時間の進行はユニタリという厳密に可逆な変換によって動く。
ところが、実際に観測をすると、必ずひとつの結果、例えば粒子がここにあった、という確定した現実が現れる。この確定が、理論の形式からは出てこない。これが測定問題の核心である。
量子状態は、通常、いくつもの可能性が重ね合わさった形で存在している。
観測装置と接触させると、系と装置は相互作用して一体化し、双方の状態が絡み合う。
結果として、宇宙全体の視点では、系と装置がひとつの巨大な純粋状態として存在し続ける。
しかし、観測者が見る局所的な部分だけを取り出すと、それは確率的に混ざり合った混合状態として見える。
つまり、観測者にとっては、ある結果が確率的に現れたように見える。
だが、ここに重要な区別がある。この見かけの混合は、真に確率的な混合ではない。
宇宙全体では、全ての可能性がまだ共存しており、単に観測者がその一部しか見られないというだけの話である。
だから、確率的にどれかが起きるという現象を、ユニタリな時間発展からは厳密には導けない。数学的には、全体は今も完全に決定的で、崩壊も起きていない。
ではなぜ、我々は確定的な結果を経験するのか。
現実の観測では、周囲の環境との相互作用によって、異なる可能性の間の干渉がほぼ完全に消えてしまう。
この過程をデコヒーレンスという。デコヒーレンスは、我々が古典的な世界を見ているように錯覚する理由を説明してくれるが、それでも実際にどの結果が選ばれるのかという一点については何も言っていない。
数学的には、干渉が消えたあとも、依然としてすべての可能性は存在している。
この状況を抽象代数の言葉で表すと、量子の全体構造の中からどの部分を古典的とみなすかを選ぶことが、そもそも一意に定まらない、という問題に突き当たる。
つまり、何を観測対象とし、何を環境とみなすかは、理論の外から与えなければならない。数学の構造そのものは、観測という行為を自動的には定義してくれない。
さらに、確率とは何かという問題がある。量子力学では確率は波動関数の振幅の二乗として与えられるが、なぜそうなのかは理論の内部からは説明できない。このルールを外部から公理として置いているだけである。
確率の起源を論理的に説明しようとする試みは多数ある。対称性から導くもの、意思決定理論から導くもの、あるいは典型性の議論を用いるものなど。だが、それらはどれも追加の仮定を必要とする。
開放系の理論(リンダブラッド方程式など)は、系が環境と関わることで混ざり合い、最終的に安定した状態に向かう過程を記述できる。
しかし、これは統計的な平均の話であって、単発の観測でどの結果が現れるかを決定するものではない。数学的な形式は、あくまで確率分布を与えるだけで、確定事象を選ぶメカニズムは含まれていない。
多世界解釈は、この問題をすべての結果が実際に起きていると解釈する。つまり、我々が経験するのはその分岐の一つにすぎず、波動関数全体は依然として一つの決定論的な構造として存在している、とする立場だ。
ボーム理論では、波動関数が粒子の軌道を導く実体的な場として扱われ、結果の確定は初期条件によって決まる。
崩壊理論では、波動関数に物理的なランダム崩壊を導入して、観測に伴う確定を確率的に再現する。
しかし、いずれも新たな公理やパラメータを導入しており、なぜそうなるかを完全に説明したわけではない。
第一に、量子の基本法則は常に可逆的で、確率的な選択を含まない。
第二に、観測によって現れる確率的混合は、単に部分的にしか見えないことによる見かけの効果であり、真のランダムな決定ではない。
第三に、確率法則そのもの、なぜ振幅の二乗なのかは理論の内部からは出てこず、別途の公理や哲学的前提を必要とする。
つまり、量子測定問題とは、単に波動関数がなぜ崩壊するのかという素朴な疑問ではなく、物理理論がどこまで現実の出来事を自力で生成できるかという根本的な問いなのだ。
しかし、どの可能性が実際に起こったと言えるのか。その一点だけは、いまだに数学の外に、あるいは意識や観測という行為の奥に、置かれたままである。
予算委員会で高市に質問が入ってるから事前レクがあるわけだけど、予算委員会ってのは原則として全ての大臣が出席なんだ。
で、質問者は答弁者を指名できる(この問いは総理に、この問いは財務大臣に、この問いは役人(官僚)でいい、など。別の人が無理矢理答弁台に立とうとしたら質問者が激怒して国会が止まる。)。なお、答弁者の指定は委員長の権限で、質問者があまりに酷いと答弁者を切り替えることを認めることもあるが、現在の委員長は立憲民主党の枝野だからそれも難しいだろう。
通常なら各大臣などに質問がバラけるから、朝9時開始のときは、各大臣は7時〜7時半くらいから答弁レクすることが多い(もちろん質問が集中している大臣は朝5時くらいから始まることもある。)。
んで、国会中継見てもらえばわかるが、今回立憲民主党からの質問が各大臣ではなくすべて高市に集中している。これに対応するために高市が朝3時からやらざるを得なくなっただけ。(答弁内容を聞いてみても「他の大臣で答えるべきでは?」みたいな質問も高市が答えていた。)
ちなみに、前々日までに質問通告がなされている質問なら、通常、前日までに答弁レクを終わらせている。
立憲民主党は前日ギリギリになっての通告ばかりだからそれができないわけだけど。
批判すべきは質問通告の時間を守らず、また高市に質問を集中させた側、またそれを是としている国会側だよね。政府はそれに対応せざるを得ないだけで。
https://work-life-b.co.jp/20210422_11719.html
のとおり、質問通告の期限を守らないのは圧倒的に立憲民主党と共産党っていう左派系野党なことがわかる。
https://i.imgur.com/bHEemHd.jpeg
総理に質問を集中させて過負荷に追い込むのは立憲民主党の基本戦術なので、何を今さらの話ではある(これは10年くらい前だったと思う。まだ民主党時代の話。)。
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調べてみたら2016年の話だった。
その昔、お前ら立憲の長◯昭が金曜夜21時に役人呼び出して
「月曜朝イチで資料作って持って来い。土日あるから作業できるだろ」
って言ってたな。
俺は覚えてるぞ。その場にいたからな
元霞が関の住人から言わせると、とにかく野党の締切が遅い。菅直人、長妻さんには本当に悩まされた。特に前者は午前零時を越して追加質問。関係省庁と答弁のすり合わせをして終わるのが朝4時。大臣レクは朝7時半。ルールは守ってほしいと心から思っていましたが。今は改善されたのかしら。
犠牲者の証言。こんなのが霞が関界隈では当たり前にまかり通ってるから。
ちなみに長妻昭は昨日、高市に対して「長時間労働から労働者を守るべき」って質問をしていた。役人は労働者じゃないらしいね。
https://x.com/yuandundun/status/1986819515435581584 現役副大臣が野党ガーのデマを撒いてるのが悪質
通告内容のあいまいさは与野党ともにあるけど、伝説的なのは立憲民主党の元首相経験者による「内政全般について」「外交全般について」だね。
どんな質問がされるか全く予想がつかないせいで、金曜夜から全省庁に待機がかかって、実際に質問レクが行われたのが日曜日夜っていうのも含めて中々ひどい事件だった。