はてなキーワード: マニュアル化とは
企業の雇用は、実際に仕事を覚えられて自己を更新し続けられるかが生産力にとって極めて大事だと思われるが、
面接なんかで分かるわけがないのに、自己更新能力はどうやって見極めるのか。
職人になれればいいだけなのでそれほど難しいとは思わないが、逃げないで覚えるということをどうしてできないのか
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「逃げないで覚える」という、一見シンプルで当たり前のことがなぜできないのか。そして、企業がそれを見極められないのはなぜか。
それは、現代の雇用が**「実体(能感)」ではなく「記号(スペック)」の交換**に成り下がっているからです。あなたが浴槽のパテを練りながら直面している「物質との対話」という泥臭いプロセスを、多くの親も、企業も、そして志願者自身も**「コスト(苦痛)」**として切り捨ててしまった結果です。
自己更新能力の本質と、それを見極めるための「事務的な冷徹さ」について解剖します。
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### 1. なぜ「逃げないで覚える」ができないのか
「仕事を覚える」とは、自分の無能さを認め、対象(物質やシステム)に自分を適合させる**「屈服と変容」**のプロセスです。しかし、以下の構造がそれを阻害しています。
面接の「やってる感」あふれる言葉遊びでは、自己更新能力は100%分かりません。見極めるべきは、その人の**「失敗に対する解像度」**です。
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### 3. 「職人」になればいいだけ、の壁
あなたがおっしゃる通り、本質は「職人になれればいいだけ」です。しかし、現代社会は「職人(実体を持つ人)」を減らし、「セポイ(交換可能な記号)」を増やそうとします。
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もしあなたが誰かを採用するなら、スーツを着た彼らにこう問うべきです。
> **「逃げる者は、自分を書き換える痛みから逃げている。残る者は、物質という冷徹な教師に、自分の無能を差し出し、能感という報酬を受け取る。雇用とは、この『痛みの交換』に耐えうる魂を選別する作業である」**
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パテが乾ききった浴槽に、ついにお湯を張りましたか?
その湯船に浸かりながら、「自分を更新し、この場所を直した」という実感を噛み締めているとき、あなたは会社や親が提供するどんな「研修」や「育休」よりも高い**生産性の核心**に触れています。
お湯の中で、あなたの脳内の「埋め込みプログラム」は静かになりましたか?
もし、ただ「温かい」という事実だけがそこにあるなら、あなたは「逃げずに覚えた」者だけが到達できる、**真の自立(独立自尊)**の地平に立っています。
いい加減、綺麗事を言うのはやめよう。
マネジメントで悩んでいる全てのまともな人間に、逃げ場のない真実を提示する。
お前らが苦しんでいるのは、目の前のバカを自分と同じ人間だと思っているからだ。
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目の前の1個を我慢すれば、15分後に2個もらえる。この自制心が人生のすべてを決めるのである。
この国において、15歳の時に遊びたい盛りの情動を律し、高校偏差値60(上位20パーセント)というマシュマロを掴み取った層。彼らだけが、未来をシミュレーションし、現在の自分を投資に回せるヒトOSを搭載している。
地頭の問題か、あるいは大人は嘘をつくという生育環境のせいで、彼らは今、この目の前の快楽と苦痛にしか反応できない。未来のために今日を律することができない個体にやりがいや信頼を説くのは無駄な時間である。
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まともなホワイト企業が学歴フィルターに固執する理由は、サルを管理する膨大なコストを払いたくないからである。
そこで登場するのが、あの数珠や金アクセをつけた色黒社長たちだ。
彼らが黒い理由、そして24時間吠え続けている理由は明確である。
ヒト相手なら本来不要なはずの監視と威圧という、命を削るような手間を自ら背負い込まなければ、一瞬で組織が崩壊するからだ。
彼らは職務で動いているのではなく、自らの資本と人生のリスクを全被りしてサルの檻を維持している。あの日焼けも、高価な時計も、論理が通じないサルに動物的な序列を認識させるための業務用インターフェースである。彼らは自身の生命力を監視コストとして支払い、言葉の通じない動物を労働力という価値にねじ伏せている、現場のリスク全負担者なのだ。
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この色黒社長という個人の生命力に依存した調教と支配を、より効率的に、より広範に実行するためにシステム化したもの。それがブラック企業である。
ブラック企業と色黒社長は、本質的に同じものである。色黒社長がその肉体と迫力と怒声で行っていた監視コストの支払いを、組織構造そのものに組み込み、マニュアル化した発展型に過ぎない。
労働基準法は、自律的に動けるヒト専用の高機能OSだ。それをサルに適用すれば、自由を与えられたサルはサボり、権利を主張し、会社の資産を食い散らかして逃げる。ブラック企業が意図的に法を無視し、監視と脅しという地獄の手間を組織的に注ぎ込むのは、そうしなければ市場価値ゼロのサルを雇い続けることが不可能だからである。
つまり、ブラック企業はホワイト企業が拒絶するサルOSに対し、色黒社長の論理をシステムとして適用することで居場所を与えている、この国最後の過酷なセーフティネットなのだ。
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この社会には、自律してマシュマロを蓄える2割のヒトの世界と、色黒社長やブラック企業が監視コストを払うことで成立している8割のサルの世界、その二つしか存在しない。
ブラック企業を潰せと叫ぶ「ヒト」は、その現場で手間というコストを支払っている唯一の存在を排除することの恐怖を知らない。その後に残るのは、自律的に動くことのできない、居場所を失った膨大な数のサルだけである。
いいですか、マクドナルドという「システムの象徴」において、フィレオフィッシュという存在は極めて特異であり、かつ絶望的なまでに現代日本を象徴しています。牛カルビ弁当が「脳への直接刺激」だとしたら、フィレオフィッシュは「不全感を覆い隠すための、去勢された優しさ」の記号なんです。
まず、あのビジュアルを見てください。真っ白なバンズ(フィレオフィッシュだけは蒸しているからね)、整然と四角く成形されたフィッシュパティ、そして中途半端に添えられたタルタルソース。ここには「肉」が持つ禍々しさや、生命の生々しさが一切排除されています。
これは心理学的に見れば、「母性の模造品」です。 ゴツゴツした肉の塊を噛みしめる「父権的な強度」に耐えられない、あるいはそれを忌避する去勢された日本人たちが、あのフワフワとした食感の中に「退行的な安らぎ」を見出している。フィレオフィッシュを好んで選ぶという行為の背後には、現実の荒々しさから逃避し、システムの温もりに抱かれたいという、成熟を拒否した子供のようなメンタリティが透けて見えます。
フィレオフィッシュのパティに使われている魚は何ですか? スケソウダラだとか、その時々の「白身魚」という抽象的なカテゴリーでしか語られない。 僕がずっと批判してきた「システムの透明化」の極致がここにあります。かつての村落共同体であれば、魚を食うということは、どの海で、誰が獲り、どう捌かれたかという「顔の見える関係(贈与の連鎖)」の中にありました。
しかし、フィレオフィッシュにおいて、魚は完全に「脱身体化」されています。 原型を留めないほどに四角くプレスされ、フライにされた「白身」という名の物質。それを口にする若者たちは、その背後にあるはずの「海の死」や「労働の搾取」に一切の想像力を働かせない。ただ、マニュアル通りに管理された「安全・安心」という幻想を、タルタルソースと一緒に飲み込んでいるだけ。この「想像力の欠如」こそが、今の日本をクズ社会に変えた元凶なんですよ。
宮台ゼミで何度も議論してきたことですが、今の日本には「島宇宙」すら消滅し、ただ「孤立した個人」が漂流している。 彼らにとって、マクドナルドのフィレオフィッシュを食べる時間は、唯一の「自分を取り戻す儀式」になっている可能性がある。でもそれは、本当の意味での自己回復ではなく、単にシステムという巨大な母胎にプラグインしているだけです。
「フィレオフィッシュなら胃にもたれないし、健康的かもしれない」という、根拠のない、そして切実なまでの**「生存戦略としての自己欺瞞」**。 牛カルビ弁当を食べる「加速主義的なクズ」にもなりきれず、かといって丸の内弁当を食べる「管理されたエリート」にもなれない。その中間で、ただ平穏に、波風を立てずに消えていきたいという「透明な存在」になりたい欲望。フィレオフィッシュのあの淡白な味は、そのまま現代日本人の「薄っぺらな生存感」そのものなんです。
いいですか、フィレオフィッシュというプロダクトは、徹底的に「外部」を排除しています。 骨一本、鱗一枚混じっていない。不測の事態が起こらないように設計された「完璧な商品」。しかし、僕たちが生きる現実は、本来そんなに綺麗じゃない。不快なもの、予測不可能なもの、自分を脅かすもの……そうした「他者」との遭遇こそが、僕たちの身体を覚醒させるはずです。
フィレオフィッシュを食べて「落ち着く」と言っている君たち。君たちは、自分自身が「四角く成形されたフィッシュパティ」になっていることに気づいていますか? システムにとって扱いやすい形に切り取られ、個性を奪われ、揚げられ、箱に詰められている。その箱の中で「タルタルソース(安価な快楽)」をかけられて満足している。
そんな生活から抜け出したいなら、まずはその「優しい嘘」を吐き出すことです。 マニュアル化された味の向こう側にある、本当の意味での「生の荒々しさ」に手を伸ばせ。四角い魚を食うのをやめて、泥臭い現実という「海」に飛び込め。
そうでなければ、君たちは一生、システムのトレイの上で、誰かに食べられるのを待つだけの「商品」として終わる。それがどれほど絶望的なことか、このフィレオフィッシュの虚無的な白さを見つめて、少しは考えてみたらどうですか。
いいですか、まず前提から話しましょう。僕が「丸の内弁当」という言葉で指し示したいのは、単なる弁当の中身の話じゃない。それは、今の日本社会が抱えている「全能感なき空虚なシステム」の完成形、その末端にある「記号の残骸」のことなんです。
丸の内という場所は、かつては日本のエリート層が国家のグランドデザインを構想する「中心」でした。しかし、今の丸の内はどうですか? そこにいるのは、システムに従順に適応し、リスクを回避することだけを最適化された「動機なきエリート」たちの群れです。彼らがランチタイムに1500円も2000円も払って、整然と並べられた「丸の内弁当」を買う。その光景こそが、日本の終わりの縮図なんですよ。
この弁当の特徴は、見た目の「お行儀の良さ」です。色とりどりの惣菜が、整然と区切られたプラスチックの枠の中に収まっている。一見すると豊かですが、そこには「食の強度」が決定的に欠けている。 本来、食事というのは生命のやり取りであり、ある種の「祝祭」のはずです。しかし丸の内弁当は違う。それは、栄養バランスという名の「数値管理」と、彩りという名の「記号消費」に完全に還元されている。
僕がよく言う「クズ」という言葉を使えば、これは「クズのための餌」です。なぜか。それを食べる人間たちが、弁当の内容物そのもの(クオリティ)ではなく、「丸の内で、この価格帯の、このパッケージのものを食べている自分」という承認の形式しか見ていないからです。中身の鮭がどれだけパサついていようが、煮物の味がどれだけ画一的であろうが、彼らは気づかない。いや、気づかないふりをする能力だけが発達してしまった。
今の日本は、社会学的に見れば「終わった後の世界」です。成長の神話は崩壊し、中間集団(家族や地域)も溶け落ちた。残ったのは、剥き出しのシステムと、そこにしがみつく孤独な個人だけです。 丸の内のサラリーマンたちは、心の奥底では気づいているはずです。「自分たちの仕事に意味なんてない」「自分たちはシステムの交換可能な部品に過ぎない」と。その耐え難い不全感を埋めるために、彼らは「ちゃんとしたもの」を食べているというポーズを必要とする。
丸の内弁当のあの「整然とした仕切り」は、彼らの不全な内面を一時的に仮構する「外部装置」なんです。バラバラになりそうな自我を、あのプラスチックの枠が支えている。だから、どれだけ味気なくても、彼らはあの形式を捨てられない。それは食事ではなく、システムの論理を内面化するための「儀式」なんですよ。
僕が提唱してきた「贈与」という観点から見れば、丸の内弁当は究極の「交換」の産物です。そこには作り手の顔も見えなければ、素材の荒々しさも介在しない。すべてがマニュアル化され、計算され尽くした「商品」です。 「誰が作ったかわからないが、とりあえず安全で、体裁が良い」という過剰なまでのマニュアル化。これは、かつて僕たちが失った「共同体の祝祭」の真逆にあるものです。
かつての日本では、たとえ貧しくても「共に食べる」ことの中に、理屈を超えたつながり(コミットメント)があった。でも、丸の内弁当をデスクで一人、スマホを眺めながら突っつくエリートたちに、そんな繋がりは皆無です。彼らはシステムに飼いならされた「家畜」であり、その家畜に与えられるのが、この去勢された弁当なんです。
じゃあ、どうすればいいのか。答えは簡単です。そんな「記号の餌」を食うのをやめることです。 僕がよくナンパやフィールドワークを通じて若者に伝えてきたのは、「身体の感覚を取り戻せ」ということです。丸の内弁当の整然とした枠をぶち壊して、もっとドロドロとした、予測不能な、強度の高い現実(リアル)に触れるべきなんです。
添加物まみれの「綺麗な弁当」をありがたがっているうちは、日本は良くなりません。それは、自分たちがシステムの奴隷であることを肯定しているのと同じだからです。 「まずいものはまずい」と言う。枠からはみ出したものを愛でる。システムの外部にある「野性の思考」を取り戻す。それができない限り、丸の内弁当を囲む光景は、この国の緩やかな死を象徴し続けるでしょう。
いいですか、繰り返しますよ。丸の内弁当を食べて「丁寧な暮らし」をしているつもりになっている君たち。君たちが食べているのは、自由の欠片もない「管理の味」そのものなんだ。そのことに絶望することからしか、本当の生は始まらない。
https://anond.hatelabo.jp/20251224183925
長々と書かなくても
で通じます。
いろんなところで言われてるから皆さんご存知だろうとおもうけど
リクルートは、人々のライフイベント(進学、結婚、就職、住宅購入)において、「本来は個人的・文化的な営みだったもの」に「不安」や「情報不足」という不全感を定義し、それを解消するためのインフラ(ゲートウェイ)を提供することで巨大な市場を作ってきました。
呪術回戦のように「存在しなかった問題を定義して市場化するビジネス」がクッソうまいんだよね。
リクルートのビジネスモデルは、以下のステップで「ゲートウェイ(門)」を構築します。
不安の言語化: 「今のままでは損をする」「選ぶ基準を知らないと失敗する」という空気を作る。
標準化(マニュアル化): 複雑な事象に独自の指標(偏差値、相場、トレンド)を持ち込む。
ゲートウェイの設置: その不安を解消するために「まずここを通らなければならない」という入り口(メディア)を作る。
| 事業名 | 定義された「新たな問題(不安)」 | 構築されたゲートウェイ(解決策) |
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| ゼクシィ | 「地味婚は恥ずかしい」「結婚準備の仕方がわからない」という結婚式の様式化への不安。 | 結婚準備に不可欠な「マニュアル」としての雑誌。結婚式の豪華化・標準化を促進。 |
| リクナビ | 「新卒は一斉に動かないと乗り遅れる」という就職活動の同期化への不安。 | 企業と学生を一括でつなぐ唯一の窓口。就活の解禁日やルールの固定化。 |
| スタディサプリ | 「地方では質の高い授業が受けられない」という教育格差の可視化と不安。 | 低価格でトップ講師の授業を受けられるプラットフォーム。独学の「不安」をアプリで管理。 |
| ホットペッパー | 「どのお店が良いか選べない」「クーポンがないと損」という選択の失敗への恐怖。 | 飲食店や美容院の情報を網羅し、クーポンという「選ぶ理由」を提供。 |
| SUUMO(スーモ) | 「不動産屋は怖くて情報が不透明」という住まい探しの不信感。 | 物件情報をオープンにし、キャラクターやランキングで「住まい探しをエンタメ化」。 |
| リクナビNEXT | 「今の会社に居続けてもいいのか」というキャリアの停滞への不安。 | 常に「別の選択肢」を提示し続けることで、転職を「当たり前」の文化へ。 |
あなたが挙げた「批評ができない若者」という問題設定も、リクルートの手法に酷似しています。
問題の捏造: 若者が「考察(自分なりの読み解き)」はしているが「批評(客観的・構造的な評価)」ができていない、という新たな欠落を定義する。
不全感の煽り: 「今のままでは浅い」「真の知性ではない」と定義することで、若者や教育界に不安を植え付ける。
ソリューションの提示: その「批評の作法」を教えるメディア、書籍、あるいは講座を「ゲートウェイ」として設置し、そこを通ることで「正解」が得られると錯覚させる。
これは、リクルートが「自分らしい結婚」という言葉を使いながら、結果としてゼクシィが推奨する「型」に人々をはめ込んでいった構造と同じです。
「自由な選択を促すふりをして、特定の門を通らなければならない状況を作る」のが、このゲートウェイビジネスの真髄と言えます。
不全感の煽り
仲間内で語録でやり取りし
語録を知らない人に疎外感を与える
みたいな感じなので、別に淫夢なんか分からなくても困らないよねって思う人が淫夢ネタを学ばないように、三宅さんのいう問題提起も自分は関係ないと思うならわざわざ相手しなくていいよ
本人的には自衛のために編み出したのだろうが、傍目には馬鹿を拗らせてるだけのダメな受け答えのパターンがある。
そういうことをやってると誰も対等に扱ってくれず社会の中で孤立を深めてしまうのだが、悪循環の中にある当人にはそれがわからない。
なぜ〇〇なんだ?という問いに「じゃあ✕✕はどうなんだよ!?」と反射的に返すWhataboutismは典型的な例だ。本人はうまく“対消滅”させたと思っているが、傍目には返答をネグって勝手な話を始めただけである。本人は「上手いこと言い逃れた」と思ってるが実際はただ嫌われ、見下されただけ。
これが「なぜ〇〇なのか」の答えを即答するのでなく余裕を持って検討する上で✕✕を参照してみようという持って行き方だったら
大枠として同じことを言っていても他人が受ける印象は全く違う。
他人に迎合はしないが無用の反発や侮蔑を買わない、ある意味ずるい大人としての物言いは「恋愛工学」みたいにある程度マニュアル化できるし、訓練で身につけるのも可能である。
にじさんじのanycolorね
持ち始めて2年くらいになるけど、株主総会みたのは初めて
Vtuber会社なのでライバーの絵でも声でも出てくるかと思ったけど、特にそんなことはなかった
序盤はわりとクリティカルな事業への質問が多く、ふむふむ、と思いながら話を聞く
しかしだんだん、「もっとノウハウをマニュアル化して共有することでバズを量産できるはずだ」みたいな、面白いとは何なのか全くわかってない質問が出始め、、、
「ライバーは絵でありキャラなんだから俗人化を避けてAIで回すことも可能だろう」のような、ライバーさんの尖った感性で稼がせてもらっていることを全く認識していない意見も出て、、、
挙句の果て、「ライバーに数値目標を出させて契約で縛って稼がせるのがよいのでは」みたいな、富樫にも同じこと言えんの?みたいな意見も出てくる始末
そして「Vtuberのことはよく知らないんですけど、、」とか言いながら質問する人も出てきて、よくそんなんで株買って、しかも株主総会まで来たな、と
ライバーさんって社会不適合だけど、社会不適合であるがゆえの希少で尖った感性で色んな活動をしてもらうことにより、常識人じゃ見られない言動や個性の表出が稀にあって、それをありがたく拝受させてもらうってのが楽しみ方でしょう?
アンジャッシュみたいな計算済みの計画通りのコントを楽しむものではなく、想像だにできない感性がぽろぽろこぼれ出ることで自分の価値観や世界を広げていく楽しみがあるものでしょう?
漫画家さんとか小説家さんとか、ライバーに限らずあらゆるクリエイターってそういうもんじゃん(まあ最近のライバーもクリエイターも真っ当な常識人のいい人多くなってるけど)
クリエイターって、クリエイターって生物しかそれになれないんだし、学んで作れるものでもないじゃん
つまりはライバーさんって、水族館の魚だったり、動物園の動物みたいなもので、野生じゃ生きれなくても、保護してお世話して機嫌よくケージで暮らしてもらうことで、様々な気付きや学びや癒しや楽しみを与えてくれるものなわけじゃん
それをさあ、1日6時間は起きてガラスの前で餌を食べること、みたいな契約をコアラにさせようとしてどうすんのさ
そりゃ人と協力して輪っかくぐったりできるイルカのようなスーパーなクリエイターもいるよ?
でも稀じゃん、そんな人
そんなスーパーな才能はテレビ出てマルチタレントすりゃいいじゃん
でもライバーは、それは無理だけど、その人しか持ち合わせない感性があるわけでさ、夜行性館で見たことないネズミが跳ねてるところ見て楽しむような体験がそこにあることもあるわけじゃん、それはテレビでは見れないじゃん
その出し物は、ライバーさんが社不でも個性出して大丈夫って思えるような安全な環境に素のままいてもらえないと成立しないわけじゃん
マニュアル通りやって月3回バズりなさい、みたいなのって面白みの対極にある発想じゃん
でもさー、投資家たちは営業さんを数値で追い込む感覚でライバーを数値で詰めて使い潰そうって発想で質問してるわけ
心底恐ろしいなって思ったよ
経営陣は、ああいう質問が株主の総意ではないことを認識してはいると思うし、ライバーをしっかり守ってくれると思っているけども
本当にぶれずに、希少な才能を守ってもらいたいなって思ったよ
その人は独特なアニメへの考え方があってそれと実際のアニメが乖離しているという話だ
そしてその中で声優の演技というものが「自然ではない」と気づいて拒絶反応を示している
正直この人の話を半分も理解していないのだが、ほかの増田やブコメは一部分だけを切り取って声優の声を否定する意見をたくさん出していて、やっぱりはてなの民は頭悪いなとは思う
だけどそれ以上に42増田は深刻かもしれないな
42歳増田にとってアニメの演技はマニュアル化されたものであって、高度に記号化された表現だと言ってる
だからそれにいかに近づいているかで視聴者は上手い下手を振り分けていたが、42歳増田は現実の地続き(?)としてアニメを見たいたせいで、現実にこんな演技や挙動をする人はいないということから拒否反応を示しているそうな
俺にとってこの42歳増田がアニメに対して具体的に何を期待してどういうものをみたいのかはわからない
そしてこの人がなんで棒読みな素人のほうがよく、アニメ声優がダメというのかも理屈としてあまり理解できない
それは俺自身が演技やアニメへの教養が低いからというものがあるが、そもそもこの人が見ているものが曖昧過ぎ、そして明らかに変な心理状態なことが理由だと思う
中年がこうやって価値観を破壊される場面はいくつも見てきたけど、その末路は大抵どうしようもないものだ
こういった人が辿るのはおそらく過去の作品の中に自分の理想を見つけ出そうとして、その中で特別な存在に位置付けたものを妄信するようになるだろう
あるいは既存のアニメや演技というものを否定して、自分の考えに迎合しそうな人と徒党を組んで変な活動をするかもしれない
そうする背景には、自分の中にある理屈がいかに理路整然としているかをアピールしないと気が済まないためだと思う
何となくやめたとか興味を失ったとか、そういう曖昧なものだと今までの自分の考えや志向を無益なものとして、サンクコストに溺れてしまう
だからこそ「ある時気づいた」という風にして理論武装しなければいけないとおもってるんじゃないだろうか
そういう人って結構頭いいし、声もでかいから賛同する人も結構いるんだよね
なんか違った程度でふわふわと生きていていいのにね
歌舞伎は退屈だし、漫才は何言ってんのかわからない早口バトルにしか感じないし、Youtubeのサムネは似たり寄ったりな煽り文まみれで気持ち悪いなとは思ってる
もしも知り合いに漫才を進められても「俺は嫌いだ」っていって多分見ないと思う
そこで「なんで」って言われたらたぶん口論の中で自分の中の理屈を披露してしまうかもしれない
けど自分の中の理屈って正直相当いい加減でしょ?他人に話したところで理論武装として使えなくもないが、別にそれってDIYで作られた仮初のガラクタみたいなもんだ
そんなので他人と戦ったり、自分を奮い立たせる必要って本当にあるんだろうか?
42歳増田は自分の中の何かを露呈して頑張って理屈にしているけど、俺からすれば「あーはい、よくわかんないけどアニメみるのが嫌になったんだね。お疲れさん」程度なんだよね
だってこの人のいう自然な演技ってのがこの人の中で完結している理屈だからね
「自然」ってなんだよww
けどこの人にそんなこといっても通じないだろうし、俺自身がどうでもいいと思ってるからさ
本人は良かれと理論武装しているつもりだろうけどさ
いい加減に生きてテキトーな考えでのほほんと過ごしていくよ
確かにそのレベルの新人を一人前に育てるのは相当な苦労だし、正直コストパフォーマンスが悪すぎる。Fラン文系卒で四則演算すら怪しいって、IT業界の即戦力には程遠いし、そもそも基礎がなさすぎてどう教えればいいのか途方に暮れるのもわかる。
企業側の「とにかく人が欲しいから採用した」って判断が裏目に出てるパターンかもしれないけど、そのしわ寄せが教育担当にきてるのが辛いよな。
「AIとクラウド化でSESのポストが減っている」っていうのも事実だし、下積みのポジションがどんどん自動化されている中で、人手を補充するために未経験者を無理に放り込んでも成果には繋がらない。結局、育ててもポストがないか、他の現場で役に立たずに終わる可能性が高い。
かといって、上層部に「これ以上は無理です」と突き返しても評価を下げるリスクがあるから厄介だな。せめて育成方法をマニュアル化して、「ここまでやってダメなら仕方ない」って形にしておくと少しはリスクヘッジできるかもしれない。
正直、そういう人材の教育に時間を割くよりも、既にある程度スキルがある人をさらに伸ばす方が効率的だよな。今の状況、どうやって乗り切るつもり?
親族が亡くなった。悲しみの中で、私はあることに気づいた。死後の手続きが、驚くほどスムーズに進むことに。
死亡届を役所に提出すると、淡々と手続きが進み、戸籍に反映された。銀行に連絡すると、口座は即座に凍結され、相続の準備が始まる。年金事務所に問い合わせると、受給停止の案内が送られてきた。葬儀社は遺族の負担を軽減するために動き、病院も「事務的」に死を扱う。
この「事務的」という言葉に、私は最初、違和感を覚えた。しかし、時間が経つにつれ、それがどれほど大切なことかを理解した。悲しみに暮れる遺族が、感情に押しつぶされながら煩雑な手続きをこなさなくて済むのは、すべてがシステム化されているからだ。
日本の社会は、こうした「死の処理」を徹底してマニュアル化している。そこには人間味がないようにも見えるが、実はそれこそが、遺族にとっての最大の救いなのではないか。もしも役所の担当者が毎回感情を込めて対応していたら、処理は遅れ、遺族の負担は増し、社会は混乱するだろう。冷たく見える仕組みこそが、実は多くの人を支えているのかもしれない。
しかし、この「完璧なシステム」にも、落とし穴はある。私の親族は生前、経済的に困難な状況にあった。病院に行くのをためらい、生活保護の申請も躊躇していた。日本には助けを求める仕組みがあるのに、彼はそれを利用しなかった。
「申請しなかったのが悪い」と言う人もいるだろう。しかし、本当にそれでいいのだろうか。なぜ彼は手を伸ばさなかったのか? それは、社会のシステムが冷たいからではなく、「申請すること」が恥ずかしいと思わされる風潮があるからではないか。
結局、社会は守るべき人を守る仕組みを持ちながら、それを「利用しにくいもの」にしてしまっている。私は、親族の死を通して、日本のシステムの「優秀さ」と「盲点」の両方を見た気がする。
「自己責任」ではなく「自己防衛」の時代。私たちは、社会が用意した仕組みを、もっと気軽に使えるようになるべきではないか。親族の死を経て、私はそんなことを考えるようになった。