はてなキーワード: システム化とは
親族が亡くなった。悲しみの中で、私はあることに気づいた。死後の手続きが、驚くほどスムーズに進むことに。
死亡届を役所に提出すると、淡々と手続きが進み、戸籍に反映された。銀行に連絡すると、口座は即座に凍結され、相続の準備が始まる。年金事務所に問い合わせると、受給停止の案内が送られてきた。葬儀社は遺族の負担を軽減するために動き、病院も「事務的」に死を扱う。
この「事務的」という言葉に、私は最初、違和感を覚えた。しかし、時間が経つにつれ、それがどれほど大切なことかを理解した。悲しみに暮れる遺族が、感情に押しつぶされながら煩雑な手続きをこなさなくて済むのは、すべてがシステム化されているからだ。
日本の社会は、こうした「死の処理」を徹底してマニュアル化している。そこには人間味がないようにも見えるが、実はそれこそが、遺族にとっての最大の救いなのではないか。もしも役所の担当者が毎回感情を込めて対応していたら、処理は遅れ、遺族の負担は増し、社会は混乱するだろう。冷たく見える仕組みこそが、実は多くの人を支えているのかもしれない。
しかし、この「完璧なシステム」にも、落とし穴はある。私の親族は生前、経済的に困難な状況にあった。病院に行くのをためらい、生活保護の申請も躊躇していた。日本には助けを求める仕組みがあるのに、彼はそれを利用しなかった。
「申請しなかったのが悪い」と言う人もいるだろう。しかし、本当にそれでいいのだろうか。なぜ彼は手を伸ばさなかったのか? それは、社会のシステムが冷たいからではなく、「申請すること」が恥ずかしいと思わされる風潮があるからではないか。
結局、社会は守るべき人を守る仕組みを持ちながら、それを「利用しにくいもの」にしてしまっている。私は、親族の死を通して、日本のシステムの「優秀さ」と「盲点」の両方を見た気がする。
「自己責任」ではなく「自己防衛」の時代。私たちは、社会が用意した仕組みを、もっと気軽に使えるようになるべきではないか。親族の死を経て、私はそんなことを考えるようになった。
ADHDの診断を受け服薬を始め10ヶ月ほど、暮らしが上手く回るようになってきた。実家から一人暮らしの家に戻り強く実感している。コンサータでなくストラテラ(正確にはストラテラのジェネリック)を飲んでいて、ぼんやりとした思考がくっきりしたように思える。何とか病院に通い服薬を続け整った現状や気づきを大まかに記録しておく。
主な変化
服薬前の自分はライブのために2桁万円のチケットを買う人間だった。そこに好きなアイドルがいるから。今この瞬間が楽しければ良く、一時期消費者金融数社にお世話になったこともある。それに対して罪の意識も無かったし(最終的に本当に首が回らなくなり夜職を始め何とか完済できた)仕方ないくらいに思っていたはずだ。けれどもアトモキセチンを飲み始めてからこの行為は異常だと言うことに気がついた。チケットを買う頻度が明らかに減り、行けたら行く、のスタンスになった。いままで恋だと思っていた行動が発達障害による衝動性から来てたの思うと少し悲しい。濁流のように感情が溢れてその全てをツイートすることも減った。
担当医とカウンセリングをする中でやらなければいけないことを生活に組み込む事が大切と言われ、暮らしのシステムを変えることにした。手始めに
・所持しているものを減らす
・連続して通わなければいけないものは必ずその日のうちに予約を取る
など自分内のルールを決め生活の中のエネルギー消費を限りなく減らすようにした。加えて諦めが大事になることも学んだ。自分は人より弱く、ルーズで、浪費癖があり、信用されにくい人間だと言うことを自覚しアルバイトにしろ交友関係にしろ無理な予定を入れないようにした。できる!と思ったものは8割方できないのだから。また、見た目だけでなく使いやすさを優先した物選びをするようになった。本当はおしゃれな家具や棚が欲しい。けれども今の自分にはまだ早い。弱さを受け入れ欲と上手く付き合っていくことが自分なりの発達障害との共存の仕方なのだと感じている。
金銭のルーズさだけは未だにどうにもなっておらず自転車操業ではあるのだが、気の迷いで夜の仕事をやっていた時よりは明らかに生活リズムも精神も安定している。服薬し衝動と向き合い、これまで以上に全てを何とかしていきたいと思う。
デリスという新しいタイプのデリヘルが都市部を中心に増えています。そこそこ流行っていると思います。
旧来のデリヘルと違う点はマッチングアプリの仕組みでデリヘルが運営されているところです。
専用サイトにログインすると女の子の写真がタイル状に並んでいて好みの女の子のプロフィールを見て
気に入った女の子がいたら空き時間のリストから予約できるようになっています。
もちろん裏側にはお店があって店員がいるので仕組みとしては旧来のデリヘルと同じなんだけど
ユーザー体験としてはお店に電話することなくアプリの操作だけで女の子と出会えるようになっています。
機能もマチアプと同じになっていてDMで女の子と話をしたり女の子がアップした動画を見ることができます。
デリスが画期的なのは女の子が顔出しで自己紹介をしている動画が見れる点でしょう。
旧来のデリヘルは写真や動画があっても顔が隠れていたり加工されていて実際に会ってみるまで顔がわかりませんでしたが
デリスは女の子がカメラの前で自己紹介をして最後は裸になって「お誘い待ってまーす」みたいなことが日常的に行われています。
ショート動画も裸で撮影されていたり、気になる女の子をフォローしたら裸の写真が送られてきます。これらは全てインターネットに公開されています。
彼女達が性的に搾取されていることは間違いなくそれは否定しませんが、当の本人達から悲壮感を感じることはほとんどありません。
料金も本当に安く1時間で2万円を切っています。オプションもぶっ飛んでいて「行為中の様子を顔出しで動画撮影」が6千円となっています。
長年デリヘルで遊んできましたがデリスの登場は本当に衝撃的でした。
個人的にはデリスがもっと流行って女の子が増えて欲しいと思っていてそれでこれを書いています。
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【追記】
書き忘れましたがこのデリヘルはシステム的にも良くできています。
アプリUIっぽいウェブサイトで予約が完了して事前のトークも可能なので男性従業員の姿は全く見えません。
決済は会ってからの現金手渡しですが、予約画面にランダムIDが表示されるのでそれを女の子に伝えると
女の子は自分の画面にそのIDを入力することお互いに会ったことがシステムに記録されるようです。
ことが終わるとポイントが付与されたり過去の予約一覧から履歴を確認することもできます。
店舗の公式情報発信には Notion が利用されていて FAQ や利用ルール、女の子の割引情報など Notion のリンクが送られてきます。
運営者としてはデリヘルの全てをシステム化することで内勤の数を減らすことができランニングコストが削減できていそうです。
そしてシステムをマチアプ風にすることで顧客対応を女の子に任せているので電話応対のための人員確保も不要です。
さらに女の子はタクシーか電車でホテルや自宅に移動してくることになっているので送迎のためのドライバーもいません。
この間、国際航空宇宙展という展示会があって、遊びに、じゃなかった、視察に言ってきたんだけど
以前より良く聞いたのがこれ「EARフリー」と言うキーワード。
このEARとは何かと言うと、アメリカの貿易輸出規制の事で、EARフリーとは即ち、アメリカの輸出規制がないので扱いやすいですよ、と言う意味だそうな。
EARフリーだからといって、いきなり中国や北朝鮮、そしてロシアに販売できると言うわけではない。西側の同盟国同志国は当たり前にそれぞれ輸出規制を持っているから。
では何故これが売りになるかと言うと、EARは他よりもめっちゃ広範囲で面倒くさい手続きを強いてくるためである。
特に航空宇宙産業は軍事防衛と表裏一体のような所があり、IT系などよりもさらにシビアである。(そしてもっとシビアなの化学系だというけどこっちは詳しくない)
これに対応出来る商社を使わなければならないのでコストがかかるし、日米で輸入する場合でも山ほど書類を書かないと行けないし、アメリカの💩行政手続き(未だにFAXでのやりとりが現役・手描きのSignatureを書かされるとか💩💩💩)をやらないきゃいけないし、
これがあるがばっかりに、納期が4週間ぐらい平気で延びたりする。
で、何が言いたいか、なんだが。
日本はもうちょっとヨーロッパとお付き合いするようにしたらいいんじゃないか?ということだ。
今度、日英伊でGCAPと言う次期戦闘機の開発プログラムが動いているが、ここでアメリカが抜かれたのは、この辺りの情報管理の煩雑さがあり、国際協調開発が非常に難しいと思われたという所があるようなのである。
そして、さらに言えば、日本は国としてこの辺りの手続きを厳格さは維持しつつも、手続きをやりやすく、システム化してやると、それだけで結構な市場を奪えるんじゃないだろうか。
は? えっ?
まぁそれはそう。
SNSフォロワー100万人越えの絵師「torino」氏が金とって描いたり販売していたイラストの背景や小物に
他人の画像を無断で使用していたことがコレコレにリークされ炎上。
当初、コレコレに問い詰められた際には「模写ですね」とあくまで手書きを強調していたが
その後、証拠を突き付けられると「切り貼りしていた」「加工使用していた」と認め謝罪に。
納品後の絵に関しては精査後必要であれば返金対応、現在受けている依頼全キャンセル、当面の活動自粛を発表。
大人気イラストレーターによる自動学習がどうこうじゃない完全な盗作に界隈は激震。
別に背景なんかイラストの本質じゃねーんだからこんなもんさっさとAIに描かせりゃよかったんだよ。
システム化されてる韓国漫画業界では背景用の写真を共有してそれを自動でイラスト化する機能を使って済ませてる。
こういう価値の本質とは違うのにコストがかかるところを助けるためにAIに限らず技術ってのは進歩してきたのに
AIはすべて敵だ!AIを使うってことは盗作を肯定することなんだ!とやってきた結果、
擁護意見の中には普通に「背景を借用することなんか普通にあるのに」とか言ってる奴すらいて、
こんな奴らが反AIやってるのかと思うと、会いたくて会いたくて震える。
いいからとっととAIと手を組んで、もっと価値がある部分に時間をかけられるように働き方を改革していけ。
趣味で絵を描いてる奴は別にAIが出てきたからって絵を描くことをあきらめる必要なんかない。
あまりに理不尽なことでクライアントと言い合いになったので、多少ボカして顛末を記す。
私の会社でとある商品をオンライン販売しており、その在庫管理システムのようなものを必要としていた。
それでネットで検索して「システム構築はお任せください」というシステムインテグレータに見積もりを依頼し、発注することになった。
概ね順調にシステムが出来てきたころ、私と先方のシステムエンジニアとの会話でこのようなことがあった。
先「それなら良かったです」
私「一点いいかな?受注してから発送作業者が作業に取り掛かるまで、現状だと手動で見に行かなければならない。ここも改善したいのだがいけるかな?」 ※特定を避けるためボカしてます
先「なるほど・・・その場合は人が常駐している必要がありますね」
私「その作業、君がやってくれるかな?」
先「えっ?」
私「えっ?」
となって空気がおかしくなった。私の言い分はこうである。「システム」は業務の工程全体を表すのであって、ソフトウェア的な部分だけを表すワードではない。
だから「システムエンジニア」を名乗るなら、ソフトウェア面以外の箇所も改善するのが当然ではないか、というのが私の理屈である。
しかし先方の言い分はそうではない。システムエンジニアはソフトウェアシステムだけを改善し、それ以外は関与しない。
だからソフトウェア改善で対応できない箇所は「システムエンジニア」だから対応しないというわけである。
私にとっては、一体何を言っているんだという話である。システムという言葉を軽視しているというか、濫用しているのではないか。
ソフトウェアも立派なシステムであるが、これは株式会社と株式会社のやりとりである。
ビジネスがシステムの根幹であって、ソフトウェアはその内部のいち部分でしかないことは明白ではないのか?
結局そのシステムインテグレータは、ソフトウェア以外のシステムは対応しませんということだった。私にとっては片手落ちの気分である。