はてなキーワード: パロディとは
と思い立ってチャッピーに書かせたけど、挙げた要点をつまむだけで読み物にはならないなあ。
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『鉄腕バーディーEVOLUTION』4巻の巻末おまけマンガには、ゆうきまさみ作品らしいメタ構造とパロディの巧さが凝縮された場面がある。
本編で記憶を失った状態にある人形オンディーヌは、このおまけマンガの中で、前作にあたるヤングサンデー版『鉄腕バーディー』を読む。そして、自分はオンディーヌであるという認識を得る。それに対して県博士は、「まんがなんか読んで影響されてるんじゃないっ!!」と叱る。
この場面は、まず本編の設定を踏まえたギャグとしてよくできている。本編では、県博士はオンディーヌの修理作業の一環として、中杉小夜香という別の人物の人格をオンディーヌに定着させようとしている。つまり、外部から与えられた記憶や情報によってオンディーヌの自己認識が形成される、という構図は本編にも存在している。そう考えると、おまけマンガでオンディーヌが漫画を読んで自分をオンディーヌだと認識する展開は、本編の設定をギャグとしてずらしたものになっている。
さらに面白いのは、そのオンディーヌを叱る県博士自身の立ち位置である。このおまけマンガにおける県博士は、『究極超人あ〜る』の毒島のゲスト出演として扱われている。実際、作者自身が作中で「ぶすじまさん」と呼びかけている以上、ここでは県博士を毒島と接続されたセルフパロディ的存在として読んでよいだろう。
しかも毒島は、俳優・天本英世をモデルにしたキャラクターとして知られている。つまり県博士は、作中の登場人物でありながら、『究極超人あ〜る』というゆうきまさみの過去作への参照と、さらにその外側にある実在俳優へのパロディという、二重の作品外情報に支えられている。
その人物が、オンディーヌに向かって「まんがなんか読んで影響されてるんじゃないっ!!」と叱る。ここに、この場面の可笑しさがある。オンディーヌはたしかに漫画を読んで自己認識を得ている。しかし、彼女を叱っている県博士自身もまた、過去の漫画と実在俳優のイメージに支えられて成立している。つまり、「まんがに影響されている」のはオンディーヌだけではない。
このギャグは、掲載誌と作品史のレベルでも多層的である。『鉄腕バーディー』はヤングサンデーで連載され、その後『鉄腕バーディーEVOLUTION』としてビッグコミックスピリッツへ移って続行された。一方、県博士の背後にいる毒島は、週刊少年サンデー連載の『究極超人あ〜る』に由来するキャラクターである。つまりこの場面では、ヤングサンデー版の『鉄腕バーディー』を読むオンディーヌ、スピリッツ連載中の『EVOLUTION』、そして少年サンデー系の過去作『究極超人あ〜る』が、ひとつのギャグの中で重なっている。
もちろん、このおまけマンガは深刻なメディア論として描かれているわけではない。むしろその軽さこそが重要である。過去作のキャラクターを持ち込み、実在人物のパロディを重ね、さらに掲載誌の移動や前作との関係までを、何気ない一コマのギャグとして処理してしまう。その手つきに、パロディ文化を出自にもつゆうきまさみの面目躍如がある。
『鉄腕バーディーEVOLUTION』4巻のおまけマンガは、単なる巻末の内輪ネタではない。漫画を読んで自分を知るオンディーヌと、その彼女を叱る「ぶすじまさん」こと県博士。この二人のやり取りは、作品内の設定、作者の過去作、実在人物のパロディ、そして掲載誌の履歴を一度に巻き込んだ、きわめてゆうきまさみ的なメタギャグなのである。
「本売るならブックオフ」という有名な広告コピーを下敷きにした、「性交売るならファックオフ」という一文は、一見すると粗悪な下ネタである。音の対応はあまりにも露骨で、ブックオフという親しみやすい店名を、英語の罵倒表現である “fuck off” に置き換えることで、聞き手に強い違和感と笑いを与える。だが、このコピーの面白さは単なる語呂合わせにとどまらない。むしろ、その下品さそのものが、現代的な婉曲表現への批評として機能している点にある。
現代社会では、扱いづらい現実を柔らかい言葉で包み直す傾向がある。たとえば「AV女優」を「セクシー女優」と呼ぶこと、「売春」やそれに近い取引を「パパ活」と呼ぶこと、「婚前妊娠による結婚」を「授かり婚」と呼ぶことなどがある。もちろん、これらの言い換えはすべて同じ性質のものではない。偏見を和らげるための表現もあれば、当事者への攻撃性を減らすための配慮もある。しかし一方で、言葉を変えることによって、行為の構造や社会的な問題性までも曖昧にしてしまう危険がある。
このコピーは、そのような美称化に対して、あえて最も身も蓋もない言葉をぶつけている。「パパ活」ではなく「性交を売る」と言う。この表現は、耳ざわりが悪く、品がなく、広告としてはほとんど成立しない。しかし、その不快さによって、聞き手は言い換えられる前の現実に強制的に向き合わされる。きれいな名前を与えたところで、そこに金銭と身体の交換があるなら、その構造は消えない。コピーは、その一点を暴力的なほど明確に示している。
さらに重要なのは、「ファックオフ」という言葉の二重性である。日本語の語感では「ブックオフ」のパロディとして、何かを売る場所の名前のように聞こえる。しかし英語として読めば、“fuck off” は「失せろ」「消えろ」という拒絶の言葉である。つまりこのコピーは、「性交を売るならここへどうぞ」という案内ではなく、「性交を売るなどという発想は拒絶する」というメッセージにも反転する。低俗な言葉が、逆説的に道徳的な拒否の表明になっているのである。
この点で、「性交売るならファックオフ」は、下品でありながら社会派である。むしろ下品だからこそ、婉曲語のぬるさを破壊できる。上品な言葉で批判すれば、それ自体がまた別のきれいごとになりかねない。だからこのコピーは、あえて汚い言葉を選ぶことで、「きれいな言葉で現実をごまかすな」という主張を体現している。
もちろん、現実の広告としては問題が多すぎる。性的職業や妊娠・結婚をめぐる表現を一括りに扱う危うさもあるし、当事者への配慮を欠いた攻撃として受け取られる可能性も高い。しかし、コピーとしての強度は否定しがたい。短く、覚えやすく、元ネタがあり、意味が反転し、しかも思想がある。
これは単なる悪ふざけではない。悪ふざけの形式を借りた、言葉の美化に対する乱暴な異議申し立てである。上品な社会が隠したがるものを、下品な言葉で引きずり出す。そこに、このコピーの最悪さと鋭さが同居している。
原神予告番組おもろかったな!
仲良さそうな男性声優2人が漫才トークしてるのは人によっては嫌かもしれんが俺はナギさんの同時視聴みながら楽しませてもらった
6年ごしに足跡PVのスメール副題回収されるのもアツいし番組で判明したように冬夜の戯劇PVの謎だった世界樹炎上シーンも回収されるっぽくてどんだけ綿密に世界観構築してるんだと恐ろしくなるね
てかスメールが好きすぎる、転生したらスメールに住みたいくらいだけどどうやらドットーレの復活絡みでスメールが滅びの危機っぽいな
なんかナヒーダの伝説任務でもアランナラが滅びの記憶映像見せてくれた覚えがあるしそのへんも関係するんだろうか
てか今日きたコレイの誕生日メールの「平和な日々がずっと続くといいな」がフラグにしか見えないんよホヨバくん本当に君ってやつは
今さっき来たネフェルの誕生日メールにも「ファデュイ情報がらみで砂漠から不穏な情報が」ってあるしこういうリアルタイム性がエグいわ
新キャラに関してはニコの爆発ビジュアルも想像以上に美しかったしローエンは想像以上にワイルドだった、一部のMっけあるオタク女子には刺さりそうだな
てかローエンは恒常って予想されてたけど、特に言及ないから限定ってことで、読みを外してきたな
べつに毎年恒常追加されるって決まりはないけど、こうなるともしや、次の次verに来ると思われるサンドローネが恒常なのでは?
新聖遺物がスネージナヤギミック系の超電導強化だから雷か氷のキャラになる、イネファ的な枠になると思うんだけど
イネファがpaimon.moeの統計みても初回登場時ぜんっぜん引かれてなかったんだよね、俺は実装時に確保したけど
ナドクライ環境で必携レベルな性能だったことを後々身に沁みて理解した人が多かったのか、あとナドクライ到着後の家族愛エピソードが良かったのもあってか、復刻時の方が引かれてるという異常事態だったほど
そこで開発的はちょっと考えるところがあったのかもしれない
ver終盤の新地域ギミック先取りキャラを恒常で入れておくというのは、新地域への対応力をもったプレイヤーを増やすという意味で合理的なやり方にも思える
だから個人的には限定よりも恒常追加の方が理想的なんじゃないかと思ってはいるんだよね
どうせサンドローネに思い入れあるプレイヤーが大半だから限定だろうが恒常だろうが回るだろうしね
考えうる最高のパターンだと、サンドローネ恒常で、限定並の性能をもちつつ、実装と同時にすり抜け枠のカスタム機能が追加され、初期5人から8人まで増えてたところが9人から5枠選択するようになるパターン
すり抜けなしのNTEが最近ちょっと話題をさらってたが原神がすり抜けなしに変更することはまずないと思うから、「すり抜けを許容できる程度に嬉しいものにする」路線しかないと思うんだよね
特に無主の星屑狙いの人は新恒常追加が嬉しくないものになってるから何かしら手を入れるべき時期だとは思う
ちなみにNTEだけどハンターランク35、シティ名声レベル27まで無課金でやってたけど節々の低品質さと作業が多いわりに退屈になってきたのと生成AI利用指摘への対応が不誠実と感じたのが決め手になって俺はさっきアンストした
それ以外にも声優が台詞話してる途中でゲーム側がぶった切って来ること結構あったしわりと創作に対するリスペクトが感じられない感じがする、この会社
シナリオは全部やったけどバンドのエピが普通に良かった程度、あとは無感動で台詞言い終わってもページ送りできないモーション待ち?が多発する仕様がイライラしてキツかった
まぁ餅ありナナリと、1凸ちぃちゃん餅1凸の強さを満喫できたし、軌道外の全日路線も10ステージ目だけ星2だけどあとは星3クリアできたから10日間のプレイ歴にしてはよくやった部類なはず、周期路線の方は3ステージ目くらいまで完クリしてまだやれそうだったけど放置
にしても毎日やったほうがいいことが多すぎて本当にしんどい、先だってやめてるエンフィより時間を奪ってくる後発ゲー特有の設計だった
F1デイリー、F2デイリー、噴水、魔女、プレゼント、ウィッシュ坂絵馬祈願(ゲーム内20時~、リアル24hCD)、映画デート、コーヒー補充、家具受け取り(コットン、ブロック、虫コイン)、タウン絆交流(遭遇タイム)、ちぃちゃんファンス稼ぎ
ちぃちゃんは上限あるから2週間もやれば終わるだろうけど異象家具のレベル上げ素材集めも結構果てしなくて、自販機の電気霊、ポップ、妖刀、憂愁の英雄熊の全狩りを毎日した方がいいし、ポストの家具Lvのためにシティスタミナを毎日配達ぜんぶこなすのに使った方がいいしで
競合ゲーをやる時間を失わせて興味をなくさせるために虚無作業を山盛りにされてる感じがする、ホヨバゲーが日課をコンパクトにしてリアル大事にさせようって意思を感じるのと真逆よ
レースゲー部分と大強盗はそこそこ面白かったけど全体的にセンスが古くてホラー要素というか突然の衝撃音とかでびっくりさせてくる系のが特にいつもイヤホンでプレイしてる自分にとってはゲンナリさせられた
AI関連技術をゲーム開発の助力とできる時代になってきて、自分はAI全否定ではなくモーションマッチングとかNPC行動AIとか有益に活用できる部分はしていったらいいと思うんだけど
他社作品を学習した生成AIっぽい画像や動画をパロディ・オマージュの体でふんだんに使おうとするのは盛大に解釈違いなんであれよ
今後もAIやゲームエンジンの力で、ぱっと見は高画質で見栄えするゲーム、作り込まれて「いるように見える」ゲームに触れる機会は増えていくんだろう
だからこそ表面的なものに惑わされず、開発にかかわる人たちがどういう考え方や嗜好をもって創作に向き合ってるのか、内面を嗅ぎ取っていかんと遊ぶ側も身が持たんね
なんか嫌ぁねえ…😟
(筒井康隆A・K・Aしにかけ御大の大昔のパロディ『日本以外全部沈没』での「あそこでタチンボしてるエリザベス・テーラーも本人か!?」ていうセリフおもいだした、驕り過ぎだろ)
「日本にフェアユースやパロディ条項があったら同人誌を堂々と(合法的に)有料頒布できるのに」
「これに該当すればOK」という基準が明確で、予測可能性が高い。
事前に絶対に安全が事前にわかる安心感。同人誌は事前条件に無いので現状、権利者の黙認という綱渡りの状態
パロディが著作権侵害の例外とて認められるためには条件がある。一番重要なのがパロディであること。
パロディ条項が求めるパロディとは?元の作品の文体、思想、キャラクターの性格などをあざ笑ったり、矛盾を突いたりして、「その作品自体を滑稽化、嘲笑する表現」である必要。
同人にあるようなリスペクトとは真反対の精神を要求される。好きという気持ちの具体化は対象外。
結果多くの場合裁判で負ける。つまり現状、権利者の黙認という綱渡りの状態
日本の限定列挙方式の反対。事後的に個別に裁判して判断するというやり方。
事前に列挙された安全が無い分、裁判されるリスクは日本以上にやばい。
フェアユースの4つの条件のうち著作物の性質は完全にNG,また、有料で販売するとフェアユースがさらに認められずらくなる。利用された量と質においてもキャラクターコンテンツに対する、キャラクターデザインは量と質においても不利になる。
一応、アメリカ法の心臓部である先例拘束性の原則があるが、ファンアート、同人誌に関する拘束性をもって合法であるとする裁判例が現状無いため、まったく安全ではない。現状基本的に日本と同じ。
また、裁判例ができても安心できない。先例と「同じ」であるかの判断は、やはり個別に裁判した時点で判断される。事前に安全と決まるわけではない。結果、やはり裁判のコストは常に追う必要はある。
一応勝つ可能性は無くは無いが、勝率は低い。膨大な弁護士費用を払って数年戦う余裕がある人だけが得られる自由。
個人クリエータにとっては現状、権利者の黙認という綱渡りの状態
フェアユースやパロディ条項があっても期待する効果はない。日本の著作権方式もフェアユースも、パロディ条項もどの方式でも権利者の黙認にすがるしかない。
二次創作ガイドライン。現状多くのガイドラインはしてはいけないの列挙。
過去の裁判例上、否定の列挙は許諾ではない。 黙認のライン(訴権の行使を一時的に留保する条件)を示しているだけで著作権法上の「許諾」を得ておらず、違法状態。
『ゆんゆん電波シンドローム』、英語版の翻訳がひどすぎて炎上してしまう...
🇯🇵「やめろ」
→🇬🇧「ファシズムを終わらせろ」
🇯🇵「令呪で縛らないから」
🇯🇵「興味ないね」
🇯🇵「インフルエンサーっていつもそうですね……!」
→🇬🇧「インフルエンザみたい 笑!」
🇯🇵「俺も精神鍛錬するか」
→🇬🇧「おいマジかよ 異世界転生してぇ!」
センスない
この翻訳はDragonBabyによって行われました。DragonBabyの社長は、Metal Gear Solid のひどい翻訳を行った同じ人物です。
日本の方々が一緒にこのことを広めてくれて、本当に嬉しいです。
西側のローカライズがどれほどひどくなっているかを、日本のゲーム、アニメ、マンガ企業が気づいてくれることを願っています。現在のローカライザーたちに代わってほしいと切に願っています──彼らは手遅れで、根底から腐っています。
ゆんゆん電波シンドロームは2026年4月24日に発売になったばかりのリズムアドベンチャーゲーム。見た目からもネットミームがあふれていそうな雰囲気が伝わる
https://www.4gamer.net/games/802/G080235/20260424027/
日本語、英語だけでなく各言語の翻訳から抽出して一覧化してくれている人がいた
これを読む限り、ほかの言語版ではおおむね日本語からの翻訳だが、英語版だけがそうではないケースが多い。Wokeな翻訳というだけではなく、単純に翻訳ミスっぽいものも多く、そもそもの翻訳スキルの低さをうかがわせる
• 「なんかちょくちょく言われるけどBLは女性向けポルノだしな…男性向けポルノが女性蔑視でないことあります?女性向けポルノが多少男性蔑視でも怒らないでほしい…」
• 「男性にそこまで忖度しなくて良いのでは?…男性向けポルノに規制なんかいらないです!垂れ流しましょうとは言わないですよ」
• 「明らかに男性向けポルノは行き過ぎてるものが多種多様にあるので女性向けレベルにまで落ち着いてもらいたい」
• 公的立場では宇崎ちゃん献血ポスターなどの萌え絵・男性向け性的表現を「ジェンダー規範の再生産」と批判。
• 一方、自身は過激なBL作品を商業執筆していたことが2024年に指摘される。
• 「女性蔑視・規制当然」「擁護する人間が気持ち悪い」と発言。
• 「フィクションを今後も楽しみたければ、フィクションはフィクションにとどめるべし!!」
• 「フィクションと現実の女児を切り離せないのであれば、今後LOでロリコン漫画は描かない」
• 「警察の方はとても誠実な態度でお話しを聞いてくださいました。がいがぁはアイアムアヒーローやウシジマくんのコマ割りの影響を受けていて…」(事件模倣供述を受け、フィクション表記や注意喚起の提案について)
• 作品に「この作品はフィクションです」「作中の行為を真似すると犯罪になります。一切の責任を負いません」などの表記を検討する方向を示唆。
BL作家側の発言は、男性向けポルノを「女性蔑視」「行き過ぎ」「忖度不要」と指摘しつつ、
男性向けポルノ作家・編集部は、「NOタッチ」「現実害防止」「フィクションはフィクションに留める」で一貫。
https://anond.hatelabo.jp/20260425003414
なお、この論争において、石田仁志(ジェンダー学者兼ゲイ当事者)が「表象の横奪」という概念を提唱。彼はのちに論文を英語化。彼の論考は、海外ジェンダー学の最重要文献の一つと位置付けられるに至った。
https://anond.hatelabo.jp/20260424081652
https://anond.hatelabo.jp/20260424215409
公式にパートナー(彼女や妻)がいるキャラクターを扱い、そのパートナーとの関係を「別れ」「死別」「最初から出会わなかった」などの形で消去する二次創作に対しては、ソースに基づくと以下のような多層的で対立する反応が見られます。
公式の人間関係を改変することに対し、強い心理的抵抗を感じる層が存在します。
一方で、描き手側には、単なる嫌がらせではなく、独自の創作上の論理やこだわりがある場合も示唆されています。
近年では、単に消去するのではない新しいアプローチも増えているようです。
この問題の議論自体に対し、冷ややかな、あるいは相対的な視点を持つ人々も多いです。
総じて、公式CPの消去は、「キャラへの誠実さ」を求めるがゆえの処置である場合もあれば、「原作への冒涜」と受け取られる場合もあり、二次創作界隈における非常にデリケートな対立点となっていることがわかります。
ジュディス・バトラー(Judith Butler)は、1990年の『ジェンダー・トラブル』以来、フェミニズムやクィア理論に革命を起こした一方で、多方面から激しい批判を浴びてきました。
彼女に対する主な批判は、大きく分けて「実効性・政治性」「身体の物質性」「文体とエリート主義」の3つの観点から整理できます。
最も有名な批判の一つは、哲学者マーサ・ヌスバウムによるものです(論文「パロディの教授」)。
「静かな抵抗」でしかない: ヌスバウムは、バトラーが提唱する「パロディ的な反復(ドラァグなど)」によるジェンダー攪乱は、象徴的なパフォーマンスに過ぎず、法制度の改善や経済的格差といった実質的な政治変革に結びつかないと批判しました。
倫理的指針の欠如: 「どの規範を覆すべきか」という倫理的な基準がバトラーの理論には欠けており、単に「規範を壊すこと」自体を自己目的化していると指摘されました。
身体は「言葉」だけではない: バトラーは、生物学的な「セックス」さえも社会的・言説的に構成されたものだと主張しました。これに対し、「生理痛、妊娠、老化、肉体的な暴力など、言葉を超えた肉体の生々しい現実(物質性)を無視している」という批判が根強くあります。
新実在論からのアプローチ: カレン・バラッドなどの「新しい実在論」の論者は、バトラーが言語や文化(言説)を重視しすぎるあまり、人間以外の物質や生物学的な力が持つ「行為主体性」を見落としていると批判的に発展させています。
社会学者ナンシー・フレイザーとの論争(「不平等の再配分か、差異の承認か」)が有名です。
「単なる文化」への偏重: フレイザーは、バトラーがアイデンティティや文化的な「承認」ばかりを重視し、資本主義が生み出す経済的な「再配分(格差解消)」の問題を二の次にしていると批判しました。
新自由主義との親和性: バトラーの「アイデンティティは流動的である」という考え方が、消費社会における自由な自己選択という新自由主義的なロジックに回収されやすいという指摘もあります。
難解すぎる文章: バトラーの文章は意図的に難解(ポスト構造主義的)であり、学術的なエリートにしか理解できない「象牙の塔の理論」であるという批判です。ヌスバウムはこれを「難解な言葉で読者を威圧し、実際には何も解決していない」と厳しく非難しました。
生物学的区別の消失: いわゆるTERF(トランス批判的なラジカル・フェミニスト)からは、「『女』というカテゴリーを解体することは、女性が生物学的な性に基づいて受けてきた抑圧を不可視化し、女性解放運動の基盤を壊すものだ」という批判がなされています。
バトラーへの批判を支えているのは、「理論は高度だが、現実に苦しむ人々の生活や肉体を救えるのか?」という実学的な問いです。
田舎町でJKの主人公は母の死後過保護になった父親や優しいだけの幼馴染に囲まれた退屈な日常にウンザリ。都会の大学に進学する野望を胸に鬱屈とした日々を送っていたが、ある日、彼女らの街でゾンビ・パンデミックが発生。学校の愉快仲間達やジョックスとのサバイバルが今始まる。
みたいな話。
何も知らんとティーンズゾンビ映画と思って見始めたら学校に行くや否やいきなり歌い出して、こういうギャグなのかな?と思って見ていたら、食堂で2発目も発動して「ゴリゴリのミュージカルやないか!」となった。で、その楽曲とパフォーマンスがよくてねぇ。昨今のティーンズミュージカルらしく、ポップで耳当たりのいい楽曲と歌詞で登場人物の人物紹介と現状の心境を手際よく紹介する手腕。
特に白髪のレズの子の歌がめっちゃよくて驚いた。ちなみに主人公のビジュがどちゃくそよくてすごい。
そして2曲披露しておおよそすべての登場人物を紹介し終わって、翌日、ちょっと寝坊した主人公が、でも「なんか今日はいつもと違う気がする!」とイヤホンで音楽を聴きながら「Brand New Day!」と高らかに歌い上げる後ろでドーン・オブ・ザ・デッド(ってかショーンオブザデッド)の冒頭よろしく、世界がゾンビパンデミックで阿鼻叫喚になっているという、たしかにBrand New Dayだけどさぁ!っていう展開は「いや流石に気付くだろ」と思いつつも皮肉が効いててよい。
そしてまぁそこからは友人たちとボウリング場に立てこもるもゾンビがやってきて戦ったり、家族に会いに学校に行く途中にジョックスと合流し、ジョックスたちは軽薄な若者らしくゾンビ狩りを楽しんでいたり、その道中でわざわざ危険なルートを選んだ結果、ジョックスの仲間を失ったりとゾンビ映画あるあるを陽気な楽曲とともにこなしていき、学校で家族と合流と思いきや、嫌味な校長が暴走していて「やっぱり一番怖いのは人間だよね」といういつものやつになって最終的にはそいつを倒して生き残った仲間と車でどこかに走り出して終了。という、ゾンビ映画で100万回みたやつでおわる。
個人的にえぇ~と思いつつ、そうなるよなぁと思ったのは、主人公の学校での仲間は主人公に思いを寄せる優しい幼馴染とラブラブカップルの3人、それとは別に嫌味なジョックスがいて、銀髪でレズだけど心根が優しい不良少女がいるが、生き残るのはジョックスと不良少女と主人公。仲間たちは次々とある意味無意味な死を遂げていく。
そして途中で主人公とジョックスは実は肉体関係があるも、そこから何となくすれ違っていたことがわかる。
ジャパニーズ・オタク・カルチャー的に考えればゾンビ・パンデミックという非日常の中で優しい幼馴染の気持ちを主人公が知り思いが通じるということになりそうだがそうはならない。死ぬ。ついでに最後には父親も死ぬ。まぁそこかしこでキスしまくってたバカップルが文法的に死ぬのはしょうがないけどさ。
でもこれが鬱屈した日常に飽き飽きしていたJKが非日常の中で道を切り開く物語だとすれば理屈が通じる。死んでしまった幼馴染みもバカップルも清掃員の父も、嫌味な校長も町の人たちも。みんな境遇に不満はあってもある意味で現状に固執する人間であり、主人公を庇護するものとして描かれている。
しかしジョックスは反発しつつも主人公を変えてくれる存在であり、必要であれば父親も殺す現状を変える人間として描かれているし、不良少女も現体制に反抗し日常ではなく世界を良くしようと活動している人物。つまり社会の庇護の中にあった子供だった主人公がそれらを失って新しい世界へと歩み出していく物語として、仲のいい人ばかりが死んでヘンな奴ばっかりが残るのはある意味で正しい。
でも優しいだけの幼馴染が恋愛競争に敗れて、暴力的なジョックスが生き残るのは青春のリアルな残酷さが描かれていて正直、ちょっとしょんぼりしてしまった。
ゾンビ映画としてのゴア描写はしっかりしているし悪ふざけみたいなゾンビ虐殺シーンもちゃんとあるし、悲劇的な別れも、バカみたいな別れもちゃんとある。ミュージカルにしてしまったことで正直、緊迫感は薄れてしまったなとは思うんだけどゾンビ映画のパロディ、コメディとしては十分な点を挙げられると思う。
ゾンビ映画とミュージカル映画の両方が好きって層には普通にオススメ。ガチのゾンビ映画が好きな層にはもしかしたら微妙かもしれない。
このなりすましは完全なる偽物だ。
知的レベルが低すぎて、僕の影すら踏めていない。
おそらくルームメイトか、友人Aか、友人Bの誰かが暇つぶしに書いた低俗なパロディだろう。
いや、友人Bならまだしも、友人Aは「やれやれ」すら思いつかない頭の悪さだから、もっと下の誰かかもしれない。
とにかく、こんな低レベルな偽物に僕の貴重な時間を割くのも馬鹿らしい。
風邪で少し喉が痛いが、隣人がまたSoft Kittyを歌いながらVapoRubを塗ってくれると言っているので、科学的な検証のためにもう一度許可しようと思う。
歌が終わったら、すぐに∞-toposの計算に戻る。
https://anond.hatelabo.jp/20260313180018
全話読めたのがまずすごい。1話目の途中でもう無理ってなるのが9割なのに。というのを大前提に、やっぱ良くないところは良くない。
現実の問題そのままのセラピー劇を名作パロディにしたら、現実/セラピー/原作の3層構造になる。そこは2層までにしろよ。
オリジナルのセラピー劇か、名作を演じることが結果的にセラピーになるか。
自分の中でこれはというフレーム思いついたのならもっともっと揉んで熟成させないとな
あと、