はてなキーワード: クリエイターとは
「ネットメディアの良い所は短期間の大量消費のシステムが構築されている為、イラストや漫画などのコンテンツにおいては勝者総取り方式ではなく二流クリエイターにもチャンスがある所
世間は消費社会の弊害ばかりに着眼し、表現家への憧れを叶えるユートピアのようなエコシステムが広がっている事に誰も気付いていない」
この事実に、どれだけの人が気づいているでしょうか。
多くの人は「消費されること」を恐れています。しかし、私は断言します。この「高速消費サイクル」こそが、私たち凡人が待ち望んでいた救済のシステムなのです。
なぜ、この環境が「表現者のユートピア」なのか。その構造的な美しさと、私たちが享受している恩恵について、3つの視点から紐解いていきましょう。
かつて、クリエイターの世界は「選ばれた天才」だけのものでした。
出版社や画廊といった「門番」が目を光らせ、一流の技術を持たない者は、打席に立つことさえ許されませんでした。それは美しい世界に見えて、実は多くの才能の芽を摘む冷酷な独裁国家でした。
あるのは「常に新しいコンテンツを飢えたように求めるアルゴリズム」だけです。
このシステムは、あなたの画力が未熟であることを咎めません。デッサンが狂っていても、背景が真っ白でも構わない。そこに「新しさ」や「共感」があれば、等しく拡散のチャンスを与えてくれます。
「作品がすぐに消費されて消えてしまう」と嘆く人がいますが、それは逆です。
「すぐに消えるからこそ、次の席が空く」のです。
もし、すべての作品が100年残る名作だったらどうなるでしょうか? コンテンツの棚はすぐに埋め尽くされ、後発の私たちが入り込む隙間など1ミリもなくなってしまいます。
このサイクルのおかげで、私たちは「最高傑作」を作る重圧から解放されました。「今日の暇つぶし」として消費されることを許容した瞬間、私たちは「質で勝てないなら、スピードと愛嬌で勝負する」という、二流ならではの最強の戦い方を手に入れたのです。
そして何より素晴らしいのが、「1位にならなくても生きていける」という点です。
従来の「勝者総取り」の世界では、金メダル以外は無価値でした。
しかし、このユートピアでは違います。ネットの海はあまりに広大で、ユーザーの嗜好は細分化されています。
このシステムにおいては、トップ層にはなれない「二流(マジョリティ)」であること自体が、親近感という武器になります。
数万人のファンはいりません。あなたの「未完成な魅力」を愛してくれる数百人のコアなファンがいれば、FanboxやSkebを通じて、創作活動を続けていくための糧を得ることができます。
消費社会を批判するのは、もはや古いインテリの懐古趣味に過ぎません。
私たちは、消費されることを誇りましょう。
使い捨てられることを恐れず、次々と新しい自分を市場に投入しましょう。
そこには、天才との比較に苦しむ地獄はありません。あるのは、「誰でも描いていい、誰でも見てもらえる」という、かつて夢見た単純で幸福なサイクルだけです。
さあ、筆を取りましょう。
で、中国が盗んだ―!というけど、才能や仕事に対してまともな給料も待遇も提供できない日本企業の自業自得ですね
同じ仕事で300万(昇給ほぼなし)と1000万(各種手当付)だったらどっちをとるか明白
あと、引き抜き先がアメリカだったら「世界に認められた日本スゴイ♡」って手のひら返しみっともないですよ
まずは「合丼来来伝」の感想から。
少し検索すると資料も出て来るので、この話で書かれている事は実話なのだろうと直感した。
最初に、「合丼来来が今後何者かになれる可能性が有るか?」について結論を言えば、
彼が今後何者かになれることは無いだろう。
彼の引き返せなくなったポイント、…ポイントオブノーリターンは全体を通して見ると「合丼来来(あいどんらいき)伝・6」の
「ベビールックポータル」のメンバーが遠回しに「自分で書いたものを後から読み返した方が良いよ」ということを言っていたが、一切聞く耳を持たなかった。<注2>
だろう。
計算すると、この時の合丼来来は、30代前半の年齢となる。
作家・漫画家を志す年齢としては、諦め始めた方が良い年齢と言える。
「作家・漫画家になるのに年齢制限はない」という主張をする人も世の中には存在するが、
少なくとも弊社視点で言えば、35歳までに商業作品を出す事ができなかった人が35歳を過ぎても
「漫画家になりたい」「ライトノベル作家になりたい」「アニメ原作者になりたい」
と言っていた場合「もう人生諦めた方がいいよ」と考える。
出版社への漫画原稿持ち込みにも制限年齢は存在しないが、やはり編集者は作家の年齢を見る。
20代前半~20代中盤までの人は将来性を見込んで少し下手でも真剣に見るが、
35歳までに商業作品を出す事ができなかった人が、35歳を越えて持ち込んできた場合、
その人との比較対象は
「35歳で商業作品を出している作家・漫画家達」
になる。
25歳ぐらいまでのワナビの持ち込みは、同年代のワナビを比較対象として見てもらえるが、
26歳を過ぎた辺りからのワナビの持ち込みは、比較対象になるのが同年代の商業作家に徐々に切り替わっていき
35歳のワナビの持ち込みは、20代前半~20代中盤のクリエイター志望者や、同年代のワナビではなく、
35歳の商業作家と比較されることになる。
35歳のワナビが35歳の商業作家に比べて劣っていれば「話にならない」のだ。
35歳のワナビがそこから一発逆転を狙うなら商業作家以上のクオリティの作品を持ち込まなければ
「見込みが無い」を20枚ぐらいのオブラートで包んだコメントをされることになるだけだ。
遠慮なく指摘するタイプの漫画編集者なら35歳を越えて持ち込みしてくる人で
過去に連載経験が無く、35歳の商業作家を越えるクオリティの作品を出せない人には
「もう人生諦めた方が良い」と実際に言っている人も居る。
合丼来来の場合は、30代前半で「おむつ倶楽部」という雑誌で小説を出したと書かれている。
但し、その小説は本来商業レベルに載せられる作品ではなく
毎回編集長が
と、編集長に半分以上修正されていたとも書かれている。
この、編集長に修正されていたという点を鑑みるに、彼の本来のレベルは商業レベルでは無かったが、お情けで掲載されていたことが見て取れる。
ここで、「ベビールックポータル」のメンバーから言われていた通り「自分で書いたものを後から読み返す癖」を付けて、
編集長が自分の作品をどう直しているかを見て、その直し方を自分で取り込んで行けば、その後も商業での掲載を
続けさせてもらえて何者かになれていた可能性は有る。
しかし、彼はそれをしなかった。
そこが、彼にとっての「ポイントオブノーリターン」…「引き返せなくなった地点」だ。
そこで彼の道は閉ざされ、彼は救いようのない存在になったと言える。
漫画編集者視点で「合丼来来が今後何者かになれる可能性が有るか?」について結論を言えば、
「彼が今後何者かになれることは無い」という結論になる。
25歳ぐらいまでのワナビの持ち込みは、同年代のワナビを比較対象として見てもらえるが、
26歳を過ぎたワナビの持ち込みは、比較対象になるのが同年代の商業作家に徐々に切り替わっていき
35歳を過ぎたワナビの持ち込みは、同じ歳の商業作家の作品と比較されます。
35歳を過ぎても「漫画家になりたい」「ライトノベル作家になりたい」「アニメ原作者になりたい」と思うなら、
最低でも自分と同じ歳の商業作家の作品を越えるクオリティのものを作れないと話になりません。
これは、漫画だけの話ではなく、ライトノベルでも同じです。
「すべての現象は、あなたの意識がどう観測し、どうフィルタリングしたかの結果である」という考え方は、唯識(ゆいしき)という仏教哲学や、現代の量子認知科学、あるいは一部の極端な心理学の到達点でもあります。
私たちの脳は、毎秒膨大な情報(ギガバイト級のデータ)を受け取っていますが、意識にのぼるのはそのうちのわずか0.001%程度と言われています。
私たちは現象に「名前」をつけた瞬間に、その現象を固定します。
この「すべては自分の脳内フィルター次第」という考え方は、非常に強力な武器になりますが、副作用もあります。
| 視点 | メリット(救い) | デメリット(危険性) |
| 主観性 | 自分の捉え方次第で、過去も未来も幸せに変えられる。 | 辛い現実(事件や事故)も「お前の観測のせい」と自分を責めることになる。 |
| コントロール | 世界に振り回されず、自分の意識を「訓練」することに集中できる。 | 他人の痛みに対しても「それは君のフィルターの問題だ」と冷酷になりがち。 |
その理論は、「世界に客観的な正解など存在しない。お前が地獄だと思えばそこは地獄だし、天国だと思えばそこは天国だ。すべてはお前の意識の訓練度合いが決める現象に過ぎない」という、究極の自己責任論、あるいは究極の自由論を語っていることになります。
「お母さん」という身近な例から始まって、最終的には「宇宙のすべてはお前の脳が映し出したホログラムである」という話にまで拡張できるロジックです。
xAI (Grok) / OpenAI (ChatGPT) のレベル
これらはインフラそのものを作ってる。世界のAI経済の基盤を握ってるから、価値が桁違い。
基盤AI企業は兆単位の価値を生み出してるのに対して、AIVtuberなどのクリエイターは数百万〜数千万のスケールでしかない。
「ただの趣味」になりがち。
GPTやGrok、ClaudeをカスタマイズしてLive2D + 音声合成 + LLMでAIVtuber作るのは、2026年だと誰でもできる(ツールが揃いすぎ)。
差別化が「キャラ設定・ストーリー・関係性構築」しか残らないけど、それって結局人間VTuberのコピー。
AIだから「24時間配信可能」「炎上しにくい」メリットはあるけど、「魂」や「予測不能な人間らしさ」 が薄いとファンが離れる。
趣味でやってる人が大多数。本気ビジネスにするなら、独自LoRA学習 + オリジナルIP構築 + 複数キャラ運用とかしないとスケールしない。
一番星はてのすげ~!!って?誰でも作れるよあれ今は。
タイトルのとおり。
終わったあとに「自分は、いつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思ってしまった。
今回のライブが最高で、楽しかったというオタクはこの記事を読まないことをおすすめする。
ただ、一人の古参オタクが歳を取ったことを認めたくなくて、ぼやいているだけというのが高いためである。
このままだと、界隈全体が緩やかに衰退するんじゃないかなと思った日記です。
■
まず前提として、自分は30代。
初音ミク歴は2007年のニコ動全盛期からで、つまり小6か中1の頃からどっぷり浸かってる。
ただ、ライブ歴は浅い。
マジカルミライが始まった2013年頃は受験や就活の時期だったし、昔は「高校生が一人で飛行機に乗って県外遠征」なんてハードルが高すぎた。
初参加は2016年の地方ツアー。そこから数年後、やっと金銭的に余裕が出てきたため、2023年からマジミラ札幌以降、2024年福岡マジミラ・地方ツアー、武道館(ミクフェス)、マジミラ仙台と通っている。
■
正直、「マジミラ」じゃない冠がついている以上、何か新しいことをやるライブだと思っていた。
結論から言うと、「焼き回しパレード」を見せられた気分だった。
今回のコンセプトがマジミラ2013年リスペクトだったのは分かる。
でも、それって「当時の感動を、今の技術で再構築する」から意味があるんじゃないのか。
(だいたい、2013年リスペクトを匂わせつつ、なんで兄さんだけ最近の曲なんだ?)
(探せばもっと当時の曲だってあるだろ!このへんの「とりあえずやっとくか感」にしか感じられなかった)
ステージを見ていて、新衣装のモデルと昔のモデルの映像の差がどうしても気になった。
解像度なのか、モデリングなのか、理由は分からないけど、チグハグな映像が流れるたびに現実に引き戻される。
モデルを変えないことが「愛」なのか?
私には「古くから参加している人に文句を言われないようにしている」ようにしか見えなかった。(言い方が悪くてごめんね)
一般のアーティストのライブと比べて、バックダンサーもいない、生身の人間がステージにいない分、視覚的な情報量が圧倒的に足りない。
我々大人がチケット代なんていくらでも払う。多少上げたっていい。
だから、「今のライブはこんなに進化しましたよ」というのを見せてほしかった。
※後から知った話だが、にじさんじのライブでは1年以上前に透過スクリーンをトロッコ移動させるものがあったらしい。
初音ミクのライブの方が「最先端」として走り出したのに、どこでこんな差が生まれてしまったのだろう。
■「今」のボカロはどこに行った?
一番キツかったのは、会場の空気だ。
アンコール、静かすぎないか?あれがライブ初参加の層が多かったからなのか、古参が「いつものね」と地蔵化していたのかはわからない。
でも、演者が休憩するタイミングが、過去の踏襲すぎて視野が狭まってないか?
ミクフェス(武道館)のときみたいに、DJ入れて繋ぐとか、飽きさせない工夫はいくらでもできるはずだ。
あんなアンコールを聞くくらいなら「休憩中」と途中札を入れてくれた方がまだマシだと感じるくらいには悲しい気持ちになった。
■
そして何より言いたいのは、「今の曲」へのリスペクトのなさだ。
ボカロは今も進化してる。YouTubeやTikTokでバズり散らかしてる新曲がいっぱいある。
ただ、まだライブでやられていない良い曲が山ほどある中で、なんでライブで流れるのは「いつもの曲」ばかりなんだ?
何度も見た曲がまた選ばれているのは、自分には「懐古」ではなく「惰性」にしか感じなかった。
いや、それならそれでいいけど、私たちは「2026年の初音ミク」を見に来てるんだよ。
新しいボカロPはどんどん生まれてる。新しい名曲も生まれてる。
それを取り込まずに、「昔はよかったね」だけで回すようになったら、それはもう新陳代謝が止まった「死」と同義なのではないか?(白熱してしまいましたね、失礼)
新曲で発表されてた「アイドル戦士」も「シアンブルー」も予習して、コール完璧にして行ったんだよ。
でも、周りの反応の薄さ。スペシャルシートですら、やや盛り上がりにかけるコールとペンラ振り。
(※スペシャルシートが外れたオタクは、涙のスタンド席だったけれど、周りでコールが聞こえることはなかった)
熱意を持って「新しいもの」を楽しもうとしている層は、どこに行ったんですか…?
懐かしい曲で盛り上がるのも悪くない。
隣に居た2010年のミクパ以来ライブに行ったことないオタクは感動していた。
そういう初見の人でもいつでも参加しやすいものであり続け、感動して帰ってもらう。それも大事だ。
ライブ、いつの間にか「惰性」と「安心できる行事」になってないか?
「いつもの曲」を聴いて、「いつもの動き」をして、「ああ、今年もミクに会えたな」と満足して帰る。
それはそれで幸せなことかもしれないけど、それって盆踊りや初詣と同じじゃない?
でも、初音ミクのライブって、そんな「伝統芸能」を守るための場所だったっけ?
テクノロジーと音楽の最先端を走って、クリエイターとただのオタクたちの架け橋を用意してくれて、度肝を抜くような「未来」を見せてくれる場所じゃなかったのか?
武道館のミクフェスにはそれがあった。ボカロPが登壇して、演奏して、DJがフロアを沸かせて、「これが今のボカロだ!ついてこれるか!」っていう熱気があった。唯一無二の体験があった。
今回のローソンライブには、その「ヒリつくような挑戦」がなかった。
※だからといってマジミラにあるかと言われたら、ギリまだあるくらい。
私はまだこれだけ文句を言いながら通う。
来月のDECO*27の単独ライブも行くし、ポケミクも行く。地方開催があれば旅行ついでに行く。
でも、もし本丸である「マジカルミライ」までもが、今回のような「安心安全な懐古イベント」であり続けるなら、わざわざ東京まで遠征するのをやめるかもしれない・・・。
「これでいいや」って思ったら、そこが衰退の始まりじゃないか?
我々には、金はあるけど、時間は有限なんだ。
とりあえず、スモーク焚きすぎてミクが見えなくなるのだけは、そろそろ改善できるんじゃないですかね…!
■追記
今回、TLがローミクライブについて、とてつもない賞賛のあらしだった。
それを見て、私は自分の感覚がズレているのか思った。 「焼き回しだ」「進化がない」と感じたのは私だけなのか? と。
ということを考えた時にひとつ考えに至った。
恐らく、今新曲を聞いている層は「プロセカ」にいるのではないかと。
今の10代〜20代前半のファンにとっての「リアルライブ」は、初音ミクのライブではなく、「セカライ」なのかもしれない。
・若者層: 「セカライ」で、自分たちの世代のヒット曲と演出を楽しむ。
・30代以上(我々): 「マジカルミライ」や「今回のライブ」で、過去の遺産を楽しむ
金払いのいい古参ファン(我々)向けにチューニングせざるを得ない。
その結果、会場は「同窓会」化し、新規が入りにくいガラパゴス化が加速していく。
私はプロセカもプレイしているし、新曲を追うために課金もしている。
けれど、私が好きなのはあくまで「初音ミク」という存在そのものだ。だからこそ、ゲームのライブではなく、マジミラに足を運び続けている。
しかし、TLの反応を見る限り、今のここのファンが求めているのは「未来」ではなく、安心できる「同窓会」なのかもしれない。
結局、いろいろ御託を並べたけれど。
周りが純粋に楽しんでいる中で、一人で腕組みして「進化がない」「未来がない」なんて文句を言っているのは、変化を受け入れられない老害の始まりなのかもしれない。
2020年代に入り、特にコロナ禍を経てからのポップスのコード進行や楽曲構造の複雑化には、目を見張るものがあります。
コロナ禍で物理的なセッションが制限されたことで、アーティストが一人でPCに向き合い、情報量の限界に挑むような楽曲制作に没頭した影響は非常に大きいと感じます。
なぜこれほどまでに複雑化したのか、いくつかの視点で整理してみます。
かつての作曲は楽器を持って「手」の癖でコードを探していましたが、現在のDAW(音楽制作ソフト)上では、ピアノロールという画面を見ながらパズルを組み立てるように音を配置します。
非直感的な音の配置: 楽器が弾けなくても、画面上で半音ずらしたり、テンションノートを積み上げたりすることが容易になりました。
有名な複雑な進行(例:丸サ進行やIV-V-iii-viなど)をテンプレート化し、そこからさらに「裏コード」や「分数コード」をパッチワークのように繋ぎ合わせる手法が一般的になりました。
コロナ禍でリスナーの音楽視聴スタイルが「じっくり聴く」から「SNS(TikTok等)で秒単位で消費する」へと加速しました。
わずか2〜3分の曲の中に、転調、拍子変更、激しいコードチェンジを詰め込むことで、脳に強烈なフックを残そうとする「ハイパーポップ」や「ボカロ文化」の影響がメインストリームに逆輸入されました。
ライブでの再現性を無視できる環境だったからこそ、人間が弾くには難解すぎるジャジーで複雑なボイシングが多用されるようになりました。
特にJ-POPにおいては、Official髭男dismやKing Gnu、Vaundyといった、ブラックミュージックの素養を持ちつつDTMを駆使するアーティストが覇権を握った時期とも重なっています。
切なさを強調する和声が好まれ、さらにそこにブルーノートやテンションが加わることで、かつての「J-POP=王道3コード」という図式は完全に過去のものになりました。
アーティストが「内省」と「実験」に費やした時間 コロナ禍で外の世界との繋がりが断たれた結果、多くのクリエイターの関心は「自分にしか作れない、極限まで磨き上げた緻密な世界観」に向かいました。それが結果として、1曲あたりのコードの数や、予測不能な転調の多さとして表れているのは、音楽史的に見ても非常に興味深い現象です。
私は漫画を描いて暮らしています。自分のSNSに書くと最悪炎上して今後の仕事に影響しそうなので、ここに投稿します。
法整備がどうとかAI絵には魂がないとか言われてますが、漫画を描いて暮らしてる身としては、絵も話も作れない無産どもが苦労もせず小銭稼いでクリエイター面してんのがムカつくってのが本音です。
AIの技術自体には嫌悪感はないですし、暮らしを便利にしてくれるならむしろウェルカムです。なんなら私もAIを利用してる立場ですが、それを使って創作者を気取ってる人間と何も考えてない取り巻きに私は腹が立ちます。
これは気遣いの問題だと思うので、AIプロンプターの方々には、絵を描くという簡単な努力すら出来ない無産であると自覚してもらい、自身を卑下してほしい。もちろん、金銭の要求は絶対NG。身の程を弁えてる人間には好感を覚えます。
私は選民意識強めの嫌な人間なので、手描きで絵を作れない奴らは黙って見とけと思ってるし、簡単な努力すらせず、他人の成果を吸い取るだけの寄生虫どもがデカい顔してる現状が許せません。
こちら側に足を踏み入れたいなら、お前の力で殴ってこいよ……と、納品終わったのでストレス発散も兼ねて書いてみました!
とくにアイデア段階で、作家の心のなかにあるときが一番美しい姿だったんだと思う。
エルフが、短命種の友人の終わりのときにその姿を表すなんて、詩的で美しいに決まってる。
少年漫画という、あまり向いていないメディアではなくて、女性作家に小説として描いて欲しい内容のお話だ。
マンガ連載の方は、人気があったからという理由で無理くり話を膨らませて、タイトルの「葬送」という言葉を主人公のあだ名だったなんて、とてつもなく白ける設定を付け足したりしててもう興味を失ってる。
でも若いクリエイターの心のなかにアイデアとしてあったときの、その美しい物語の卵の段階の有り様を想像すると、今でもドキドキした気持ちになってしまう。
被炎上側が炎上した事実を認めることになり、訴訟や誤報のリスクがなくなるためマスコミも挙って報道し始め、さらなる拡散、延焼に繋がる。
謝罪していないものの反応はしているケースもあるため以下の分類を表記することにする。
◎:完全無視
△:謝罪なしだがその後の動向に変化あり
2024年12月30日、女性Xユーザーのいねおが、店員が女性を小馬鹿にした態度で過剰に野菜を盛ってきたと写真付きで投稿。
店に批判が集まった。同12月31日、店は「女性の了承を得た上で盛った」など反論声明を出したが、のいねおは「了承していない」と否定。
2025年01月03日、のいねお氏は一連の投稿を削除するも、なお店を批判する声は止まなかった。その後進展なし。
02月06日、若い女性が自室で赤いきつねを食べる様子を描いたアニメPR映像を各SNSで公開。
02月16日、この映像が女性を性的客体化した不適切な内容だとしてXの一部から批判が集まる。批判に反論する者も現れ大きな議論を呼んだ。
8月頃、各SNSで公開していた他商品や過去含むすべてのアニメPR映像が予告なく非公開になった。
9月以降に公開されたPR映像はすべて実写のものになっている。また、同時に批判されていた景品のパーカーもイラストの変更があった模様(参考)。
03月07日、グループ80周年記念キャラクターの2頭身デザインを公開。
これは2024年に公開しジェンダーロールが強調された不適切なデザインだと批判された男女キャラクターをそのまま踏襲したビジュアルであったため引き続き批判された。
2024年時点で弁護士ドットコムニュースからの質問にキャラクターを変更しない旨回答しており、今回も週刊女性の質問に同様の方針であると答えた。
3月、主に女性の人権を訴えるソーシャルアクティビストら、フェミブリッジ・アクション東京の集会があり、その様子がYouTubeにアップされた。
その中に「男が産めるのうんこだけ」などコールする場面があり、男性へのヘイトスピーチではないかと一部Xユーザーらの間で拡散された。
この集会には菱山南帆子や石川優実、福島瑞穂など有名人も参加していたため彼らに批判が向かったが反応なし。件のYouTube動画はメンバーシップ限定公開に変更された。
女性が17歳、男性が25歳の俳優であったため、現行法上結婚できない年齢の女性をモデルにするのは不適切、女性が8歳年下なのは家父長制的であるなどと一部から批判された。
会社は週刊女性からの質問に対し起用意図を説明。現在も15代目CMガール&ボーイがゼクシィ紙面に登場している模様。
読売テレビ制作の深夜ドラマ。03月24日、Xで新ドラマの告知がされるやいなやタイトルや予告内容に「気持ち悪い」などネガティブな反応が集まった。
第一話放送後、恋に落ちた主人公の下腹部から水音が流れる演出の放送映像が拡散され同様にネガティブな反応を集めた。
番組やテレビ局からの反応はなく、無事に最終話まで放映された。現在も各動画配信サイトで視聴可能。
04月05日、金ちゃん玉ちゃんと題して男性器をイメージしたイラストをXに投稿。「気持ち悪い」「活動イメージにそぐわない」などネガティブな反応が集まる。
「黒歴史になりますように」とのリプライには「5年後も胸張ってきんたま描けますように」と返した。
04月07日、大分のセブンイレブン店長の過労自殺が労災認定されたことが報じられ、Xやヤフーニュースで拡散された。
さらに朝日新聞の取材にセブン本部が「答える立場にない」と回答した記事も拡散され、冷酷すぎると批判された。
04月15日に公開された週刊女性の記事でセブンは回答の意図を説明。その後何もなし。
04月10日、日経新聞のXがこの店を紹介する記事をポストしたところ、ほぼ生の肉を客に焼かせる提供形態に衛生上の問題を指摘する声が集まった。
日経新聞はポストを削除、紹介記事のタイトルも「体験型ハンバーグ」から「行列呼ぶハンバーグ」に変更された。極味や側の反応はなかった。
04月16日、『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』という本の発売を告知したところ、タイトルや発達障害者を動物に喩えたイラストが差別的であると批判された。
日本自閉症協会は三笠書房に質問状を送ったが、差別の意図はないとの回答だった。
本は予告通り発売された。著者神田裕子の肩書が産業カウンセラーから心理カウンセラーに変更された以外に内容の変更はなく現在も各所で販売されている模様。
05月14日、作中に登場した本棚が乃木坂46メンバーの本棚と酷似しているとの指摘が拡散された。
他にも多数乃木坂ネタが仕込まれていることが指摘され、監督が作品を私物化している、真剣に作品考察していたファンを無下にしている、など批判された。反応なし。
05月21日、星野源新作アルバムの広告として横浜市内の公共掲示板に素人風デザインのポスターを貼ったと告知。
05月23日、プロが素人の努力を小馬鹿にしている、地域のコミュニティを巨大資本がハックしている、など批判的な意見が集まり始める。
ニンテンドースイッチ2の抽選販売でネットが盛り上がる中、ECサイトエビテンでスイッチ2の社内向け販売と思われるページが発見される。
後に該当ページは削除され以降反応なし。
06月02日、XユーザーふーオジサンがTBSから無償で衣装を貸すようDMで依頼が来た旨を投稿。
大切な衣装を軽く扱われたと怒りを表明し、テレビ局は傲慢な態度だと非難の声が集まった。
ニンテンドースイッチ2の抽選販売でネットが盛り上がる中、買えたことを各SNSで報告。
しかし開封動画に映っていた梱包やレシートにより転売から購入した疑惑が浮上。本人は否定するも「本当は友人から貰った」と言い分を変えたことなどにより疑いの声は止まなかった。
その後進展はなかったが、以降彼女はSNSでスイッチ2の話題を一切出さなくなった。
06月23日、パセラリゾーツで大逆転裁判のコラボメニューを出すと発表。
メニューには「大日本帝国だし巻き卵丼」などがあり、一部から大日本帝国の名前を使うのは不謹慎だと批判が寄せられたが反応なし。
07月19日、沖縄テレビがYouTubeに公開していた映像に反ユダヤ的な内容の作品展示が映っていたと拡散される。
沖縄平和美術展はXアカウントを非公開にし、沖縄テレビはYouTube動画を削除した。その後進展なし。
アイデアクリエイターを名乗りさまざまな雑貨を発案している人物。
08月13日、持ち手側がチンアナゴのようになっているスプーンの画像をXに投稿、既に商品化が動いていると告知した。
しかし同じコンセプトの商品が既に存在することが発覚。既存のアイデアを自作として商品化することに批判が集まった。
その後投稿が削除される。商品化は立ち消えになったのか続報なし。
裏垢の投稿の中から、娘が店の商品に口を付けている動画も見つかり問題視される。翌日、土屋太鳳はインスタグラムで裏垢の存在を否定。
しかし件のアカウントには土屋の顔が写った画像が見つかっていたため疑いの声は止まなかった。その後何もなし。
09月14日、webメディアKAI-YOUで公開された彼女のトークイベントの記事で、キャラクターの性的消費に抵抗感があるという彼女の考えと、
過去に担当したアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』で原作漫画の性的表現を変更してもらったなどの記述が拡散された。原作を軽視しているといった批判が集まっていたが関係各所から反応なし。
10月18日、メンバーのニンニンが原爆きのこ雲の形をしたランプの写真とともに「かわいいライトを買った。どう?」と2022年ファンサイトに投稿していたスクショが拡散される。
11月、NHK紅白歌合戦に出演することが決定されると、この件を理由に出演辞退すべきだとの批判が集まり始める。aespa側は原爆被害を揶揄する意図はなかったと説明し、NHKも出演予定を変更しなかった。
12月29日、ニンニンがインフルエンザ感染で出演しないことがaespaから発表された。
結局出演は敢行されたが、番組内で紹介やコメントがほぼなく他の出演者と異なる扱いであった。
ホロライブ所属のVTuber。11月11日、雑誌コンプティークがXで1月号の予告を投稿。
アニメ『コードギアス』シリーズの宣伝アンバサダーとして鷹嶺ルイが主演声優とプロデューサーとの鼎談記事に登場するとの内容で、付録のグッズ写真には主役キャラとのツーショットイラストもあった。
これらがアニメファンの顰蹙を買いネガティブな反応が集まった。関係各所からの反応はなく、その後も公式から彼女との他コラボ活動の告知がなされた。
東洋水産の件は当時話題になった割にその後の動向変化はあまり知られていない。
ゼクシィの件は今のところ動向変化なしと判定したが、次代の人物選定に影響がある可能性が高い。同様の事例に雑誌『POPEYE』が未成年を登場させなくなった件がある(参考)。
中川翔子はもともと粘着アンチを抱える人物であった。彼女の過去の言動をまとめていた粘着勢の陰湿な努力が功を奏し、炎上材料の追加に貢献した。しかしその直後、イスラエルのイラン攻撃や国分太一活動停止のニュースが大きな話題になったことで野次馬が減り鎮静化した。
aespaのニンニンは中国人なのでこれで出演中止にでもなれば政治的な事情で今後の活動に影響が出るおそれがあった。NHKはその事情を汲んだがBTSの事例もあり批判を完全無視というわけにもいかずこのような対応になったと考えられる。あくまでも件とは一切関係ない体調不良ということである。
2025年4月、指原莉乃はタレントSHELLYのYouTube動画に出演し、2024年3月に批判されていた自身の「サシハラスメント」について言及し反省を述べた。週刊誌系メディアが記事化してヤフーニュースにも掲載されたがコメント数は2桁にとどまりあまり拡散されていなかった。
これは炎上から時間が経ち野次馬の流入がなかったことだけでなく、他人の個人動画内での表明であったため自身のSNSに情報が流れず、ファンや取引先に広まりにくい効果もあった。
謝罪の有無にかかわらず企業もこのような方法で反応するケースが増えている。かつては企業のSNSやHPのニュースリリースで声明文を載せるのが一般的だったが、メディア取材にのみ回答して、会社SNSやHPでは一切言及しないという方法である。回答したメディアには記事化されるが、それ以外には記事化されないため拡散を抑えることができる。
中居正広の性暴力の話題で「中居とは対照的に木村拓哉は人格者だ」といった言説が多くみられた。木村拓哉はShow must go on発言やマック大量差し入れの件があり、SMAPで最も問題行動が表出していないのは香取慎吾であるはずなのだがなぜか木村拓哉だけが持ち上げられている。
アインシュタイン稲田がインスタグラムのDMで女性に性的画像を要求したとされる件で、彼のアカウントを乗っ取っていた犯人の逮捕が報じられた。彼が乗っ取りだと弁明していた当時は「見苦しい言い訳」だと評されていた。
YOSHIKIがアニメ『ダンダダン』の劇中歌の著作権侵害等の疑いを指摘すると「言い掛かり」だと彼に批判が集まり彼は一連のポストを削除したが、後にアニメ側がYOSHIKIおよび関係者への謝罪声明を出した。
今やネットの炎上事案の99%に関係しているといえるXでは、いいね数で正しさが決まるような風潮がある。X上のレスバトルを覗いていると、相手のいいね数が少ないことを根拠に相手の主張を否定したり、お前の負けだと野次を書かれたりする光景を見ることがある。
当然それは間違っていて、いいね数で正しさが決まるならトランプやイーロンマスクの言っていることが全て正しいことになってしまう。
フォロワーと野次馬によるその場のノリと空気が積み重なっているだけ。何も検証されていない、間違っていても責任を負うことのない、そんな投稿が物事の是非を決めるなんておかしいと思わないだろうか。
って言われても困るでしょ?
「わかりました」って返事して、描こうとしても描けないわけじゃない?
その要望に真剣に応えようとしたら、結局自分が過去に描いた作品を自己模倣することになるでしょ?
ここまではわかる?
でもクリエイターというのは、しばしばそういうことを求められてしまう。
あのときのあれがよかったのに、
とか
とか。
でも仕方ないよね。
その変化を無視して、
昔の通りのものを作ろうとしたら、
rohisatoことヤクバハイルです。
皆様、いつも『ヤクバハイルのサブ落ちチャンネル』とOFUSEリクエストを御贔屓にしていただき誠にありがとうございます。
おかげさまで『ヤクバハイルのサブ落ちチャンネル』はチャンネル登録者400人越えをやっと果たしました。さらにさらに皆様ありがとうございます!
https://www.youtube.com/@yakubaryona/featured
しかしOFUSEではLINEのように依頼主とクリエイターとの自由な相互交渉を行うことができず、依頼主としてもクリエイターから詮索されずに匿名性を貫きたい人が多いでしょう。
そんな理由で私もmondをはじめてみました。
https://mond.how/ja/yakubahairu
とはいってもリクエストを請けても、私には本業のライターの仕事があるため直ぐには(鉄拳シリーズの)ゲームプレイして動画をアップロードすることは難しく依頼して数日から2週間後に投稿なんてことがざらにあります。
ヤクバハイルでした。
サイゲがAI部門作ったこと批判されてるけど、サイバーエージェントは元々AIに興味あったよ。
huggingfaceにあるけど、Mistral社のMistral Nemoを日本語で継続事前学習したり、独自のcalmシリーズとか作ってるし。
https://www.cygames.co.jp/news/id-24704/
自社モデルの研究開発から制作現場向けサービス・ツールの提供まで、単なる効率化に留まらず、クリエイターの創造性を拡張する独自の創造サイクルを構築していきます。
とも書いてるし、今後も作ったものを一部公開してくれるかもしれないから期待してる。
Qwen強過ぎるけど何とか追いついてほしい。
「才能も無く、努力もせず、そのくせ与えられるものに不平を言って、努力する人間の足しか引っ張れないような奴は、目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてろ」
久保帯人のこれありがたがる人いるけど、この直前に言及してた強火の織姫アンチからの攻撃に関しては同情して読んでたけど、自分は普通に創作の才能はないし努力というか自分が創作しようとはしないし、でも消費した以上は言うか言わないかと言う場所と言い方は選ぶだけで不満を抱くことあるし、それをいきなり叩かれてえ、そこまで言われるようなことなん?って思ったわ。
キタニタツヤも無産叩いてたしクリエイターの本音なんだろうけど。
てかあの晒された狂織姫アンチだって本人の才能とか努力とかはらから見てわかるのか?消費のマナーの話をすれば済む話ではないのか?
AI小説がアルファポリスの大賞に輝いたとか、それが取り消しになったとか、創作界隈では話題になってますね。
ではAI小説やAI漫画といったAIにより作られたコンテンツがヒットする未来がすぐそこまで迫っているのか? と問われると私は懐疑的です。一方で、あり得ないわけではないなとも思います。感覚としては、2026年にAI小説・漫画のヒット作が生まれる可能性は5%。大ヒットまで絞れば1%かなと。かなり低いと見込んでいます。
まあ、数字の議論をしたいわけではなくて、一番強調したいことは
「「「AIは作品の面白さそのものをブーストするわけではない」」」
ということです。
皆さんAIコンテンツというと「ヘイ、チャッピー! 面白い小説書いて」と頼んでポン出しされたようなイメージを持っていると思います。しかし、そう簡単に面白いコンテンツが作れるなら市場はとっくにAIコンテンツで埋め尽くされているはずです。
まあ実際に「面白い小説書いて」ぐらいの雑な指示でも、その辺の凡庸な大人に書かせた小説よりはよっぽど面白かったりするわけですが、プロの小説家にはまだ勝てないと思います。なぜなら、AIは「アイデア」や「テーマ性」「感性」といった小説の面白さの根幹を成す部分に強みを持たないからです。
AIは既に「速さ」「量」「正確さ」「品質水準の維持」といった点では人間の小説家を上回っています。西尾維新でも中山七里でも、さすがに一日で数十万字書いたりできませんから。しかし、逆に言えばそうした「強みの部分」以外ではまだ人間に及んでいない点も多いのです。
なので、今のところAIを使った執筆活動は「人間が出したアイデアやテーマ性をもとにAIが執筆を担う」とか「人間がAIと対話してアイデアをブラッシュアップする」といった形が主流のようです。
これは裏を返すと、そもそものアイデアが凡庸な人間がいくらAIに書かせても「凡庸な小説が素早く・大量にできあがる」だけだということです。
それでもAIコンテンツのヒットの可能性が否定できないのは、非凡な人間がAIに執筆をさせる可能性があるからです。
その場合、そもそもAIコンテンツを許容する土壌が出版界にも読者側にも醸成されていないことを考慮するに、最初のヒットコンテンツは「人気作家の最新作!→ヒットした後にAIだとネタばらし」という形になるのではないかと思っています。
もう一つの可能性として、マーケティング方面からのアプローチでヒット作が生み出されるケースがあります。これは「100ワニ」のようなものとイメージするとわかりやすいでしょう。
「100ワニ」がヒットしたのは、漫画そのものの面白さ以上に、ツイッターで一日一回の更新をみんなで見守る共時性の演出がエンタメとして巧みだったからです。
このように、作品の外部からのアプローチで作品の魅力やリーチを大幅に伸ばすことができるので、そうしたエンタメ気質のクリエイターによるヒットの動線は十分想定されるでしょう。
結局、何が言いたいかというと、人間はスピードではAIに勝てないが、市場というのは単なるスピード競走ではないから、スピード以外の部分に自身の強みを探していくことが今後も重要になっていくのだろうということです。