紫陽花の咲く垣
乾杯!
いまイングランド対アイスランドの録画をみています。恥ずかしながら、イタリアの勝利を見届けて、眠りに落ちました。目覚めてiPadを覗き、仰天して録画を再生した次第。いきなりですが、イングランドの先取点となったPK、誤審じゃないですか。キーパーチャージだ。あのようなプレゼントをしてもらいながら、前半18分までに逆転されて、どういう気持ちで選手たちはプレーしていたのか。イタリア守備陣の精神力というか、集中力をみせつけられた直後だけに情けない気持ちが拭えませんね。
それにしても、宿敵スペインはどうなってしまったんだ。スペインというチームはいったんボールを渡してしまうと、取り返すのが大変で、ブロックを固めるしかない。そういう手におえないチームであるからこそ、イタリアにしてもドイツにしても戦略を練りに練って試合に臨んできたわけですが、最初からイタリアが当たり前のようにボールをつないでゆく。ポルトガルどころか、スペインまでも守備的戦術をとってきたのかと錯覚したほどでした。しかし、違うんだ。ボールをキープできない、つなげない、のが今のスペインの実力なんだな。それは、ザックJAPAN晩期の姿に重なってみえた。要するに、トライアングルがつくれない。ボールをもっていない選手が動かないから、パスの出しどころがみつからないのです。
一方のイタリアはキーパーからのビルドアップを何度もみせつけた。ブッフォンがCBに転がしてパスする。CBはSBにパス。SBはCFのペッレにむけてロブをあげる。これがちゃんと納まるわけです。ペッレの落としたボールが走り込んできたシャドウの2名にわたり、あとはゴールへ一直線だ。
前半は攻撃力でスペインを圧倒し、後半はわたしの愛するカテナチオでスペインを零封した。完勝という言葉以外みつかりません。逆に、スペインの劣化に驚きを禁じ得ない。スペインにせよ、イングランドにせよ、先のブラジルW杯(2012)で惨敗したにもかかわらず、監督を続投させ、結果としてサッカーの質になんの進化もなく、同じ徹を繰り返したこと、さていったい誰を責めるべきか、読者ならお分かりでしょう。
イタリアとアイスランドの勝利は、ボールゲームの本質を教えてくれるものだと思う。高給取りのスター選手を集めてもよいチームができるわけではない。聡明な監督の指導のもとで、組織的な編成をおこない、自らの役割に徹すれば偉業を成し遂げうる。まさに、レスターやアトレチコがやってみせたことである。
この事実は日本代表ばかりか、ガイナーレ鳥取を勇気づけてくれるでしょう。わずか人口30万人余の小国が予選ではオランダを2度倒し、本戦ではイングランドに圧勝した。人口58万人の鳥取県に、これ以上の朗報はないでしょう。ガイナーレがアントラーズに勝利する日が来ることを祈って・・・さぁ、仕事だ。
紫陽花の咲く径
燕返しに散る、クロアチア
昨夜の3試合、つまり初日のトーナメントは退屈だった、という意見が少なくないようである。どの国も負けたくないから、攻めにいかない。攻撃的サッカーを標榜するポルトガルまでもが、まさかギリシア化するとはゆめゆめ思いませなんだ。
クロアチア対ポルトガル戦のキックオフ前、WOWOWのインタビューに答えたハリルホジッチ監督は、クロアチアがチャンピオンシップを獲れるだけの実力を備えていると述べていた。ボスニア出身の人物にしてみれば、クロアチアはサッカー王国であった旧ユーゴスラビアの遺伝子をうけつぐ唯一の星だから高く評価しているのかもしれないが、わたしは自分と同じ意見を公言する初めての専門家の出現に嬉しくなった。
しかし、キックオフ前から嫌な予感もしていた。クロアチアはユーロにおいてホームのユニホームでは勝ったことがないのだという。そのクロアチアが赤と白の市松模様を身に纏っている。おまけに、ポルトガルは攻めない戦法をとってきた。最初からPK戦を予想させる試合展開であった。
ポルトガルが奔放なサッカーを捨てギリシア化した理由は、おそらく二つあったと思われる。まずクロアチアが若手5人を使って(つまり1軍半で)スペインに逆転勝ちした実力を過大評価して畏れを抱いたこと。いまひとつは中2日の肉体疲労である。自陣に強固なブロックをつくって相手に攻めさせ、体力を温存しつつカウンターを狙うが、最悪PK合戦でも十分という「戦略」が露骨にあり、その結果、双方異常なほど相手を警戒する神経戦となった。フェルナンド・サントス監督は、どんぶり勘定で流れに任せる小父さん顔をしているが、戦後のインタビューでそういう「戦略が奏効した」とコメントしている。どこかでみた顔だと思って調べてみれば、2014ブラジルW杯で日本が戦ったギリシア代表の監督であることが分かった。日本をどん底に突き落としたドロ-ゲ-ムの立役者である(ギリシアはベスト16に進出した)。あの試合で日本代表をみる気がしなくなった。それだけの守備だったわけで、その戦術がポルトガル代表にも浸透したということだろう。
↑(右) かわいい子猫もらってください
紫陽花の咲く街
夕方に家内と二人で散歩するのが週末の日課である。梅雨のあいまを縫って歩くのだが、紫陽花の種類の多さに驚いている。花の色はもちろんのこと、花弁だけのタイプもあれば、縁だけに花弁が並ぶ大人しいタイプもある。自分でも欲しくなって、2株購入した。うち1株は倉吉のマッド・アマノ店で仕入れたものである。白い花弁が縁にならぶ品の良い紫陽花だと思う。雨が上がったら鉢植えにしよう。
ただ、気がかりなことがある。さきほどからユーロのトーナメント1回戦が始まって、いまウェールズが北アイルランドに勝ちきろうとしている。そして、その後はクロアチア対ポルトガルがキックオフされるのだ。要するに、睡眠不足でふらふらになり、庭仕事に支障がでるかもしれない。
ユーロ・トーナメントに先立ち、夕食をとりながらBS1の鹿島対福岡をみていた。ご存知のように、鹿島が勝ってJ1前期優勝を決めたが、なにぶんWOWOWではユーロの真っ最中だからね。彼我の差はいったい何なんだろう、と思うわけです。Jリーグがヨーロッパの中堅国クラスに成長するまで、あとどれだけの時間が必要なんだろうね。
食後の満腹感で、ポーランド対スイスの延長死闘は途中から眠り込んでしまったが、ウェールズ対北アイルランドのブリテン・ダービーは授業の準備をしながらちゃんとみてます。北アイルランドのサッカーに接し、今から40年前、ドイツのベッケンバウアーやゲルト・ミュラーが「20年古い」と酷評していたころのイングランドを思い出した。低い位置からボガ~んとロングボールを蹴るキック・アンド・ラッシュ。あれをイングランドがやると馬鹿にしてしまうのだが、北アイルランドだと賞賛したくなるから不思議なものだ。やはり、有名でない選手たちが組織的に動き、母国のために献身的なハードワークをしているのをみると応援したくなる。しかし、最後はやっぱりベイルにやられた。ダイレクトのスーパークロスがオウンゴールを誘発したが、あれは仕方ない。足を出しても出さなくても失点していただろう。
鯉に願いを-ネコノミクスの街(5)
旧小倉家住宅主屋実測調査
こんにちは。初めてブログを書かせていただく新3年生のぱでぃです。6月22日(水)はASALAB一同、倉吉市河原町五叉路の実測調査をしてきました。今回初めて平面図と採寸をする3年生は、4年生の先輩方の指導の下、大鳥屋(鍛冶町2丁目)平面図の採寸、旧小倉家住宅(河原町)の主屋・土蔵の実測に取り組みました。ケントさんは近所の小学生と戯れながら、小倉家土蔵の断面図を描いておられました。
私はゆめみしさんと小倉家主屋の1階の平面図と採寸を担当しました。平面図を描く経験がないため、先輩の指導や資料を参考に見様見真似で描いてみました。先輩と答え合わせをしてみると、だいたいの間取りが合っていて安心したのも束の間・・・休憩時間に先生から愛ある喝をいただきました。ありがとうございます!
平面実測を終え、次は採寸です。3色ボールペンを使って、柱をはじめ、部屋の端から端までの寸法を記入していきます。押入の中に入ったり、タンスと壁の間に挟まったりと、真っ黒になりながら作業しました。倉吉は遠いので頻繁に調査に来ることができません。そのため、限られた時間内で作業を終わらせなければなりません。また、平面図のミスや採寸の測り損ないがあると、後々の作業に支障が出るため、スピードと正確さが求められる作業でした。
今回の実測調査で、大鳥屋、小倉家主屋、小倉家土蔵の平面図と採寸が終了したので、
これから平面図をCADで清書していきます。久々にCADを使用するので、頑張りたいと思います。また、平面図を描く練習もしていきたいです。(ぱでぃ)
鯉に願いを-ネコノミクスの街(4)
ベニヤ板で覆われた壁
小倉家土蔵の実測調査
6月22日(水)、ASALAB総出で倉吉市河原町の旧小倉家住宅と大鳥屋の実相調査をおこないました。今回は予てより予定していた倉吉河原町で実測、採寸を行いました。まず私が担当した旧小倉家住宅土蔵の調査成果を報告します。
河原町の旧小倉家土蔵は中2階・二戸前・平入形式の建物です。私は1階平面図を実測しました。研究室の学生がこれまで取り組んできた建物の平面図の中ではかなりシンプルな間取りですが、少し特殊な平面だと感じました。その原因は土蔵の柱にあります。
というのも、土蔵の内部の壁全体が最近の改造でベニヤ板で覆われ、壁付き柱が露出していないのです。しかし、これについておな事前のゼミ段階から「土蔵の柱は半間ごとに並んでいる」との指摘を受け、調査開始時にも教授から同じアドバイスをしていただいておりましたが、なにぶん実測に慣れていないもので、柱位置を推定するのに骨が折れました。それでも、他の土蔵平面図を参考にするなどして、全体を描き終えることができました。
14時に差し掛かるころ、後発隊のだっしょが到着し、窓・階段・柱などのディティールの実測・採寸を委ねました。土蔵2階の窓は3つあり、はめごろし窓と引き戸の窓の二重構造になっていました。3つの窓それぞれの桟の長さや幅に違っていたことや、はめごろし窓が外せなかったことなどから、予想よりも時間がかかってしまいました。倉吉市は大学から遠く、また多くの人が関わる作業であるため時間は非常に限られています。反省すべきだと思いました。
その後、3人で採寸を行いました。建物などは3人で採寸すると効率が良く、土蔵は間取りが単純なので採寸はスムーズに進みました。そうこうしているうちに17時になり、作業終了。ちなみに土蔵の断面はケント先輩が担当しました。今後は実測図の清書に移行します。未だ細部の採寸を若干残していますが、まずは現在の実測図から図面をおこしてみます。その結果、不足している寸法を確認した上で、補足調査に臨みたいと思います。
今回、私たちが担当した土蔵は、地蔵盆の維持をはじめ、地域の活性化を実現する上でなくてはならない文化遺産です。いうなれば、河原町の未来を担う建物といっても過言ではありません。そのためしっかりとした図面資料に仕上げたいと思っています。(笑上戸20・KO・だっしょ)
小倉家土蔵の実測調査
6月22日(水)、ASALAB総出で倉吉市河原町の旧小倉家住宅と大鳥屋の実相調査をおこないました。今回は予てより予定していた倉吉河原町で実測、採寸を行いました。まず私が担当した旧小倉家住宅土蔵の調査成果を報告します。
河原町の旧小倉家土蔵は中2階・二戸前・平入形式の建物です。私は1階平面図を実測しました。研究室の学生がこれまで取り組んできた建物の平面図の中ではかなりシンプルな間取りですが、少し特殊な平面だと感じました。その原因は土蔵の柱にあります。
というのも、土蔵の内部の壁全体が最近の改造でベニヤ板で覆われ、壁付き柱が露出していないのです。しかし、これについておな事前のゼミ段階から「土蔵の柱は半間ごとに並んでいる」との指摘を受け、調査開始時にも教授から同じアドバイスをしていただいておりましたが、なにぶん実測に慣れていないもので、柱位置を推定するのに骨が折れました。それでも、他の土蔵平面図を参考にするなどして、全体を描き終えることができました。
14時に差し掛かるころ、後発隊のだっしょが到着し、窓・階段・柱などのディティールの実測・採寸を委ねました。土蔵2階の窓は3つあり、はめごろし窓と引き戸の窓の二重構造になっていました。3つの窓それぞれの桟の長さや幅に違っていたことや、はめごろし窓が外せなかったことなどから、予想よりも時間がかかってしまいました。倉吉市は大学から遠く、また多くの人が関わる作業であるため時間は非常に限られています。反省すべきだと思いました。
その後、3人で採寸を行いました。建物などは3人で採寸すると効率が良く、土蔵は間取りが単純なので採寸はスムーズに進みました。そうこうしているうちに17時になり、作業終了。ちなみに土蔵の断面はケント先輩が担当しました。今後は実測図の清書に移行します。未だ細部の採寸を若干残していますが、まずは現在の実測図から図面をおこしてみます。その結果、不足している寸法を確認した上で、補足調査に臨みたいと思います。
今回、私たちが担当した土蔵は、地蔵盆の維持をはじめ、地域の活性化を実現する上でなくてはならない文化遺産です。いうなれば、河原町の未来を担う建物といっても過言ではありません。そのためしっかりとした図面資料に仕上げたいと思っています。(笑上戸20・KO・だっしょ)
天の鳥(5)-絵本の編集<その1>
描画ソフト「MediBang paint pro(メディバン)」の使い方
6月23日(木)の第10回プロジェクト研究1では『天の鳥』の訳文を英語で書かれた本に書き入れるための編集作業い取り組み、また作業分担を決めました。分担は以下のとおりです。
P.01(表紙)野表
P.02~07 高田
P.08~13 森下
P.14~19 中前
P.20~25 藤堂
P.26~31 成崎
P.32~37 小林
P.38~40 野表
1年生は『天の鳥』和訳版の制作に「MediBang paint pro(以下、メディバン)」という描画ソフトを使用することになりました。2年生は「GIMP」というソフトを使用していますが、私たち1年生はまだこのソフトについての知識がなく、手探りでの作業となりますが、フリーソフトで作業してみることとなりました。メディバンは描画に特化したソフトであることから”レイヤー機能”※、”ブラシツール”などが充実しており、そのような機能を利用して元の英文の本を編集していきます。
私たちがおこな作業はいたって単純なものです。ただし、作業メンバーによっては難しい修正箇所も含まれているので、方法はこの限りではない可能性もありますが、主な作業方法の概要を簡単に示しておきたいと思います。
※レイヤーとは、いくつもの作業を行う際にパーツごとに分けることで効率よく作業をするために使用する機能です。透明なフィルムを重ねていくようなイメージです。
①元の画像を加工してしまわないよう画像レイヤーにロックを掛けます。
②スポイトツールで修正箇所の背景と同じ色を抽出します。
6月23日(木)の第10回プロジェクト研究1では『天の鳥』の訳文を英語で書かれた本に書き入れるための編集作業い取り組み、また作業分担を決めました。分担は以下のとおりです。
P.01(表紙)野表
P.02~07 高田
P.08~13 森下
P.14~19 中前
P.20~25 藤堂
P.26~31 成崎
P.32~37 小林
P.38~40 野表
1年生は『天の鳥』和訳版の制作に「MediBang paint pro(以下、メディバン)」という描画ソフトを使用することになりました。2年生は「GIMP」というソフトを使用していますが、私たち1年生はまだこのソフトについての知識がなく、手探りでの作業となりますが、フリーソフトで作業してみることとなりました。メディバンは描画に特化したソフトであることから”レイヤー機能”※、”ブラシツール”などが充実しており、そのような機能を利用して元の英文の本を編集していきます。
私たちがおこな作業はいたって単純なものです。ただし、作業メンバーによっては難しい修正箇所も含まれているので、方法はこの限りではない可能性もありますが、主な作業方法の概要を簡単に示しておきたいと思います。
※レイヤーとは、いくつもの作業を行う際にパーツごとに分けることで効率よく作業をするために使用する機能です。透明なフィルムを重ねていくようなイメージです。
①元の画像を加工してしまわないよう画像レイヤーにロックを掛けます。
②スポイトツールで修正箇所の背景と同じ色を抽出します。
マリアージュ
がんばれ、ラキティッチ!
えっへん!!
ご覧になりましたか。クロアチア、強いでしょ。フルメンバーのスペイン相手に2-1の逆転勝利。おまけに、クロアチアは負傷のモドリッチを始め5人を入れ替えている。つまり、若手を試しながら老舗のスペインを倒してしまった。
デルボスケは1位通過に執着したのでしょうかね。2位の場合、イタリアと対戦しなければならない。イタリア戦を回避したいから、疲弊したレギュラーを使い、その結果、敗れてしまった。スペイン人とともに多くの試合を戦ったラキティッチ(バルサ)も疲れていたけれど、若手をよく引っ張ってくれました。あのループさえ入っていれば言うことなかったんですが・・・
イタリア対クロアチアのアドリア海大戦(決勝)が現実味を帯びてきました。
父の日におフランスの紅茶セットが贈られてきた、マリアージュというメーカーは超高級の茶葉で知られているようで、先日、甥の披露宴でも味見させていただいたが、年寄りにはあまりに香料がきついので、馴染めなかった。紅茶というのはですね、本来、ハイクラスになればなるほど、緑茶に近い味になる。その場合、ミルクとはあいません。
下の缶詰は左から、オレンジペコ、マルコポーロ、アールグレイと並んでいる。さきほどマルコポーロというフレーバー・ティを淹れてみたのですが、やはり香料が相当効いている。いくらなんでも使いすぎだろう、と思うのです。家内は美味しいとの感想なのだけど、おかしいんだな・・・普段はアールグレイですら得意でない人なんですが・・・子どもたちの贈りものに文句をいっちゃいけませんね。もちろん楽しませていただきます。
香料入りのマルコポーロとアールグレイはアイスティーにしてみます。
えっへん!!
ご覧になりましたか。クロアチア、強いでしょ。フルメンバーのスペイン相手に2-1の逆転勝利。おまけに、クロアチアは負傷のモドリッチを始め5人を入れ替えている。つまり、若手を試しながら老舗のスペインを倒してしまった。
デルボスケは1位通過に執着したのでしょうかね。2位の場合、イタリアと対戦しなければならない。イタリア戦を回避したいから、疲弊したレギュラーを使い、その結果、敗れてしまった。スペイン人とともに多くの試合を戦ったラキティッチ(バルサ)も疲れていたけれど、若手をよく引っ張ってくれました。あのループさえ入っていれば言うことなかったんですが・・・
イタリア対クロアチアのアドリア海大戦(決勝)が現実味を帯びてきました。
父の日におフランスの紅茶セットが贈られてきた、マリアージュというメーカーは超高級の茶葉で知られているようで、先日、甥の披露宴でも味見させていただいたが、年寄りにはあまりに香料がきついので、馴染めなかった。紅茶というのはですね、本来、ハイクラスになればなるほど、緑茶に近い味になる。その場合、ミルクとはあいません。
下の缶詰は左から、オレンジペコ、マルコポーロ、アールグレイと並んでいる。さきほどマルコポーロというフレーバー・ティを淹れてみたのですが、やはり香料が相当効いている。いくらなんでも使いすぎだろう、と思うのです。家内は美味しいとの感想なのだけど、おかしいんだな・・・普段はアールグレイですら得意でない人なんですが・・・子どもたちの贈りものに文句をいっちゃいけませんね。もちろん楽しませていただきます。
香料入りのマルコポーロとアールグレイはアイスティーにしてみます。
ツェゴ-命の着物(6)-絵本の編集<その1>
画像編集ソフト「GIMP」の使い方
6月16日のプロジェクト研究1・3において、2年生の『ツェゴ-命の着物』の絵本担当ページが決まり、以下のように担当を決めました。
p.01-07 笹木
p.08-09 重永
p.10-15 戸堀
p.16-21 牧野
p.22-27 田中
p.28-33 内田
p.34-39 山根
p.40-44 重永
2年生は画像編集ソフトとしてGIMPを使うことを決定しました。講義中に画像編集ソフト「GIMP」のスポイトやブラシ、文字の挿入の仕方などの方法を二年生で共有しましたが、その方法で実際にやってみた方は、背景が単色ではなく、ややまだら模様であることに起因して、どうしても英字を消した痕がはっきりと残ってしまうということを感じられたかと思います。大変な時間をかければ、その方法でも完成させることは不可能というわけではないですが、もう少し簡単にできる方法として、文字の周りのパターンを取得し描画する方法が、GIMPではアドインなどを導入せずとも容易に実現することが可能であることが解りました。
英字を消し日本語を挿入する方法は様々あるとは思いますが、自分たちが実践した方法を以下にまとめてみました。【牧野】
①「スタンプツール」を使用することにより、画像の一部分を他の部分にコピーする事ができます。
②コピーにしたい部分にカーソルを合わせ、Ctrlキーを押しながらクリックします。次にCtrlキーをリリースし、文字部分をドラッグするとドラックした範囲がコピー元の画像で塗りつぶされます。
これを繰り返せば、全ての英字を消すことができます。【続】
6月16日のプロジェクト研究1・3において、2年生の『ツェゴ-命の着物』の絵本担当ページが決まり、以下のように担当を決めました。
p.01-07 笹木
p.08-09 重永
p.10-15 戸堀
p.16-21 牧野
p.22-27 田中
p.28-33 内田
p.34-39 山根
p.40-44 重永
2年生は画像編集ソフトとしてGIMPを使うことを決定しました。講義中に画像編集ソフト「GIMP」のスポイトやブラシ、文字の挿入の仕方などの方法を二年生で共有しましたが、その方法で実際にやってみた方は、背景が単色ではなく、ややまだら模様であることに起因して、どうしても英字を消した痕がはっきりと残ってしまうということを感じられたかと思います。大変な時間をかければ、その方法でも完成させることは不可能というわけではないですが、もう少し簡単にできる方法として、文字の周りのパターンを取得し描画する方法が、GIMPではアドインなどを導入せずとも容易に実現することが可能であることが解りました。
英字を消し日本語を挿入する方法は様々あるとは思いますが、自分たちが実践した方法を以下にまとめてみました。【牧野】
①「スタンプツール」を使用することにより、画像の一部分を他の部分にコピーする事ができます。
②コピーにしたい部分にカーソルを合わせ、Ctrlキーを押しながらクリックします。次にCtrlキーをリリースし、文字部分をドラッグするとドラックした範囲がコピー元の画像で塗りつぶされます。
これを繰り返せば、全ての英字を消すことができます。【続】
摩尼山、日本最大の登録記念物(名勝地)へ
先週は摩尼山ウィークであった。まず14日(火)に中国三十三観音霊場先達合同研修会で「摩尼山の文化遺産-登録文化財から登録記念物へ-」と題する講演をした。すでにして「摩尼山」を登録記念物にする気満々のスピーチである。少数ながら記者さんも来場しており、フライング気味だと言われても仕方ないか。
その夜、NHKから電話があった。大山寺の史跡指定と摩尼山の記念物(名勝地)登録について意義を語って欲しいという依頼である。そのとき初めて大山寺の史跡指定を知った。なんたることか、摩尼山と同じ17日(金)夕方の報道解禁である。摩尼山が大山寺の噛ませ犬になりかねない危惧を即座に感じたが、メディア側は「大山寺と摩尼山の両方の意義」を強調し、そのコメンテーターとして県教委が私を推薦したとのことであり、インタビューを受けることにした。最近の大山寺の発掘調査について詳しいわけではないが、楊鴻勛先生を招聘した2010年2月27日のシンポジウム「大山・隠岐・三徳山」の経験があり、その内容は翌年刊行した報告書『大山・隠岐・三徳山 ―山岳信仰と文化的景観-』(2011)に網羅している。シンポジウムから6年経って、三徳山は大山・隠岐国立公園に編入され、鰐淵寺と大山寺は国の史跡となって、さらに摩尼山が国の登録記念物になる。筋書きはすべてこの報告書のなかにあるのだから、自信をもって大山寺のことも話せばよいと心に決めた。
翌15日、午後2時から市役所記者クラブで事前レクをした。資料は前日講演のパワポ出力である。ただ、一ヶ所修正を施した。それまで私は、日本最大の登録記念物(名勝地)は近江八景だとばかり思っていたのだが、レク直前の昼休みに、心配になって調べなおしてみたところ、以下のように、摩尼山の方が大きいことが分かったのである(近江八景の面積はネット上に記載されているが、石垣市役所には電話して確かめた)。
【摩尼山】約367,000㎡(111,000坪、36.7ヘクタール)
【近江八景】堅田落雁1,798㎡ 三井晩鐘235,7455㎡
【沖縄石垣市の御神崎(うがんざき)】164,299㎡(うち海域109,176㎡)
こうした数字の大小を喜んで受け入れる記者もいれば、そうでない記者もいる。NHKは後者の方であった。14日夕刻から研究室でカメラがまわった。焦点は「大山寺の史跡指定と摩尼山の名勝地登録の意義」である。単独の意義というよりも、両方あわせてみた場合の意義を話して欲しいと依頼され、それに応えたつもりではいる。
1)2006~2007年の世界遺産暫定リスト入り申請で「三徳山」がカテゴリーⅡというきわめて低い評価を受け、鳥取県は意気消沈していたが、「大山・隠岐・三徳山」シンポジウムで、鰐淵寺、大山寺、三徳山、摩尼山らが連携するシリアルな関係を保ち、山陰の密教系霊山の文化財価値や文化的景観を強調すべきと述べた。いままさに山陰の霊山は群として復権を遂げようとしている。摩尼山もその仲間入りができたことが嬉しい。
2)「山陰海岸ジオパーク≒山陰海岸国立公園」の思い違いが行政にも市民にも蔓延している。しかし、ジオパークは海岸線の後背地にあたる内陸山間地域をひろく含んでいる。これらの内陸側にも保護すべき多くの文化遺産や景観地がある。摩尼山の名勝地登録はその先駆けとして評価できる。このたびの名勝地範囲は摩尼山の南半だが、北半の山麓域には山湯山の梨園がひろがり、浜湯山のラッキョウ畑(砂丘)につらなっている。梨とラッキョウほど鳥取県の生業を象徴する栽培植物はないであろう。それらがまとまって集中分布していることを評価し、将来的には「山湯山の梨園と浜湯山のラッキョウ畑」として重要文化的景観の選定をめざすべきではないか。
報道解禁の17日夕刻、市教委から電話が入り、文化審議会で「摩尼山」が無事答申されたとの報告を受けた。まもなく、NHKのインタビューも夕方のニュースで無事放送されたようだが、私は奈良に向かって移動中であった。帰宅後しばらくして、倉吉のマッド・アマノ氏から「テレビ拝見しました。録画しました」とのメールが届いた。翌18日は学生が朝刊を買いあさり、そのスキャンデータを添付資料で送信してくれたので、一通り目を通すことができた。摩尼山の扱いは大山寺と互しているというほどではないが、決して噛ませ犬に堕しているわけでもなく、ほどよいバランスが取れていて安堵した次第である。
中国三十三観音霊場先達会講演の報告でもお知らせしたように、今年は摩尼寺の善光寺阿弥陀如来像の開帳大法要があり、阿弥陀像の公開にあわせて、吉川美代子さんの講演・朗読会をおこなうことが決定している。吉川さんの講演・朗読会は、じつは登録記念物(名勝地)「摩尼山」の答申祝賀として企画し始めたものである。たんなる楽しいイベントを超えた有意義な会にしたいと思っている。
その夜、NHKから電話があった。大山寺の史跡指定と摩尼山の記念物(名勝地)登録について意義を語って欲しいという依頼である。そのとき初めて大山寺の史跡指定を知った。なんたることか、摩尼山と同じ17日(金)夕方の報道解禁である。摩尼山が大山寺の噛ませ犬になりかねない危惧を即座に感じたが、メディア側は「大山寺と摩尼山の両方の意義」を強調し、そのコメンテーターとして県教委が私を推薦したとのことであり、インタビューを受けることにした。最近の大山寺の発掘調査について詳しいわけではないが、楊鴻勛先生を招聘した2010年2月27日のシンポジウム「大山・隠岐・三徳山」の経験があり、その内容は翌年刊行した報告書『大山・隠岐・三徳山 ―山岳信仰と文化的景観-』(2011)に網羅している。シンポジウムから6年経って、三徳山は大山・隠岐国立公園に編入され、鰐淵寺と大山寺は国の史跡となって、さらに摩尼山が国の登録記念物になる。筋書きはすべてこの報告書のなかにあるのだから、自信をもって大山寺のことも話せばよいと心に決めた。
翌15日、午後2時から市役所記者クラブで事前レクをした。資料は前日講演のパワポ出力である。ただ、一ヶ所修正を施した。それまで私は、日本最大の登録記念物(名勝地)は近江八景だとばかり思っていたのだが、レク直前の昼休みに、心配になって調べなおしてみたところ、以下のように、摩尼山の方が大きいことが分かったのである(近江八景の面積はネット上に記載されているが、石垣市役所には電話して確かめた)。
【摩尼山】約367,000㎡(111,000坪、36.7ヘクタール)
【近江八景】堅田落雁1,798㎡ 三井晩鐘235,7455㎡
【沖縄石垣市の御神崎(うがんざき)】164,299㎡(うち海域109,176㎡)
こうした数字の大小を喜んで受け入れる記者もいれば、そうでない記者もいる。NHKは後者の方であった。14日夕刻から研究室でカメラがまわった。焦点は「大山寺の史跡指定と摩尼山の名勝地登録の意義」である。単独の意義というよりも、両方あわせてみた場合の意義を話して欲しいと依頼され、それに応えたつもりではいる。
1)2006~2007年の世界遺産暫定リスト入り申請で「三徳山」がカテゴリーⅡというきわめて低い評価を受け、鳥取県は意気消沈していたが、「大山・隠岐・三徳山」シンポジウムで、鰐淵寺、大山寺、三徳山、摩尼山らが連携するシリアルな関係を保ち、山陰の密教系霊山の文化財価値や文化的景観を強調すべきと述べた。いままさに山陰の霊山は群として復権を遂げようとしている。摩尼山もその仲間入りができたことが嬉しい。
2)「山陰海岸ジオパーク≒山陰海岸国立公園」の思い違いが行政にも市民にも蔓延している。しかし、ジオパークは海岸線の後背地にあたる内陸山間地域をひろく含んでいる。これらの内陸側にも保護すべき多くの文化遺産や景観地がある。摩尼山の名勝地登録はその先駆けとして評価できる。このたびの名勝地範囲は摩尼山の南半だが、北半の山麓域には山湯山の梨園がひろがり、浜湯山のラッキョウ畑(砂丘)につらなっている。梨とラッキョウほど鳥取県の生業を象徴する栽培植物はないであろう。それらがまとまって集中分布していることを評価し、将来的には「山湯山の梨園と浜湯山のラッキョウ畑」として重要文化的景観の選定をめざすべきではないか。
報道解禁の17日夕刻、市教委から電話が入り、文化審議会で「摩尼山」が無事答申されたとの報告を受けた。まもなく、NHKのインタビューも夕方のニュースで無事放送されたようだが、私は奈良に向かって移動中であった。帰宅後しばらくして、倉吉のマッド・アマノ氏から「テレビ拝見しました。録画しました」とのメールが届いた。翌18日は学生が朝刊を買いあさり、そのスキャンデータを添付資料で送信してくれたので、一通り目を通すことができた。摩尼山の扱いは大山寺と互しているというほどではないが、決して噛ませ犬に堕しているわけでもなく、ほどよいバランスが取れていて安堵した次第である。
中国三十三観音霊場先達会講演の報告でもお知らせしたように、今年は摩尼寺の善光寺阿弥陀如来像の開帳大法要があり、阿弥陀像の公開にあわせて、吉川美代子さんの講演・朗読会をおこなうことが決定している。吉川さんの講演・朗読会は、じつは登録記念物(名勝地)「摩尼山」の答申祝賀として企画し始めたものである。たんなる楽しいイベントを超えた有意義な会にしたいと思っている。
2013-2015科研費の研究成果報告
1.研究種目審査区分: 基盤研究C
2.領域または細目: 5804
3.研究課題名:
チベット系仏教及び上座部仏教の洞穴僧院に関する比較研究
Comparative study on the cave monasteries of Tibetan Buddhism and Theravada Buddhism
4.研究課題番号: 25420677
5.研究年度: 平成25~27年度
6.研究成果の概要:
ブータン高地では崖寺が各地に造営されており、本堂ラカンから離れた崖に瞑想洞穴を営む。17世紀の国家形成以前、僧院に本堂は存在せず、ただ瞑想洞穴だけがあって、僧侶たちは長期間の瞑想修行に没頭していた。その伝統は今も受け継がれている。こうした瞑想洞窟の実態を理解するため計15ヶ寺で調査した。ソンツェンガンポ王による7世紀の吐蕃建国時に創建したと伝承される中央ブータンのジャンバラカンでは、本堂内陣中央柱から放射性炭素年代測定サンプルの採取に成功した。その成果は1632-1666 cal AD (信頼限界74.4%)である。吐蕃の年代ではなく、ドゥック派による国家形成期を示した点、大変興味深い。
【キーワード】 ブータン チベット仏教 密教 瞑想 洞穴 懸造 崖寺 民話
abstract: Cliff monasteries are constructed at the several districts in Bhutan highlands and the meditation caves are established on the cliffs apart from the main hall called lakhang. The monasteries had not the main hall , but only meditation caves and the monks were devoted to long-term meditation practice at the caves before 17th century when the nation state was founded. Its tradition have been inherited to nowadays. We have investigated 15 monasteries in total to understand the actual situation of such meditation caves. In Jambay Lakhang monastery, which was transmitted to have been constructed by Srongbtsansgampo at the time when Tufan ancient Tibetan dynasty was founded at 7th century, we succeeded to get the sample of radio-carbon dating from inner sanctum central pillar of the main hall. The result is 1632-1666 cal AD (reliable limit 74.4%). It is very exciting that the result points not the foundation time of Tufan dynasty, but the time after the foundation of Bhutan national state.
【Keyword】 Bhutan Tibetan Buddhism Esoteric Buddhism Meditation Caves Overhang style architecture Cliff monastery Folktales
2.領域または細目: 5804
3.研究課題名:
チベット系仏教及び上座部仏教の洞穴僧院に関する比較研究
Comparative study on the cave monasteries of Tibetan Buddhism and Theravada Buddhism
4.研究課題番号: 25420677
5.研究年度: 平成25~27年度
6.研究成果の概要:
ブータン高地では崖寺が各地に造営されており、本堂ラカンから離れた崖に瞑想洞穴を営む。17世紀の国家形成以前、僧院に本堂は存在せず、ただ瞑想洞穴だけがあって、僧侶たちは長期間の瞑想修行に没頭していた。その伝統は今も受け継がれている。こうした瞑想洞窟の実態を理解するため計15ヶ寺で調査した。ソンツェンガンポ王による7世紀の吐蕃建国時に創建したと伝承される中央ブータンのジャンバラカンでは、本堂内陣中央柱から放射性炭素年代測定サンプルの採取に成功した。その成果は1632-1666 cal AD (信頼限界74.4%)である。吐蕃の年代ではなく、ドゥック派による国家形成期を示した点、大変興味深い。
【キーワード】 ブータン チベット仏教 密教 瞑想 洞穴 懸造 崖寺 民話
abstract: Cliff monasteries are constructed at the several districts in Bhutan highlands and the meditation caves are established on the cliffs apart from the main hall called lakhang. The monasteries had not the main hall , but only meditation caves and the monks were devoted to long-term meditation practice at the caves before 17th century when the nation state was founded. Its tradition have been inherited to nowadays. We have investigated 15 monasteries in total to understand the actual situation of such meditation caves. In Jambay Lakhang monastery, which was transmitted to have been constructed by Srongbtsansgampo at the time when Tufan ancient Tibetan dynasty was founded at 7th century, we succeeded to get the sample of radio-carbon dating from inner sanctum central pillar of the main hall. The result is 1632-1666 cal AD (reliable limit 74.4%). It is very exciting that the result points not the foundation time of Tufan dynasty, but the time after the foundation of Bhutan national state.
【Keyword】 Bhutan Tibetan Buddhism Esoteric Buddhism Meditation Caves Overhang style architecture Cliff monastery Folktales
珈琲の花
それゆけ、バーディ(3)
週末に帰宅すると、すでに珈琲の花は咲き乱れ、しかも大半がしなだれかけていた。花の命は短いね。瑞々しい花弁を選んで撮影しておいた。ちゃんと豆がなる哉?
さて、ユーロですが、それみたことか、イングランドはバーディを後半から投入して、ウェールズに逆転勝ちした。実力はケインの方が上かもしれないが、運気が違う。その運気を掴むのが監督の仕事なんだけど、ホジソンはアカンね。勝利者の顔をしてない(年俸は代表監督で№1らしい)。ラグビーのエディーHCとはえらい違いだ。
正直、ウェールズを応援してました。ベイル以外の選手は無名に近いわけで、そういう点、レスターやアトレチコに通じるところがあるから。イングランドは高年俸の選手ばかりだね。敢えて優勝候補に上げる必要もないか、と思い始めています。
優勝候補はアドリア海!?
無名選手が鍛えられ、組織化され、格上のチームをなぎ倒す姿はラグビーのエディーJAPANを彷彿とさせる。レスターやエディJAPANのようなチームを探しているのだが、灯台もと暗しで、イタリアがそれに近い状態ですね(わたしは元々イタリアのサポーターなの)。イタリアはバルサやスペイン代表の影響で攻撃的なポゼッション・サッカーに舵を切り、ブラジルW杯で転んでしまった(日本も似たようなところがある)。今回は攻撃陣にスターがいないので、カテナチオが復活しており、これまでの2試合を零封勝利した。ベルギーなんぞ屁でもない。おおいに期待しています。
もうひとつ期待しているのはクロアチア。この春訪れた国でもあり、親近感があるのは間違いないが、贔屓目なしみても、良いサッカーをしている。中盤にレアルとバルサのレギュラーを抱えているだけあって、スペインにも引けを取らない・・・ようにみえたが、チェコ戦の発煙筒にはひっくり返った。敵を攻撃するのではなく、自国の代表チームとサッカー協会を瓦解させようとするテロ行為らしい。ハイデュク・スプリットのサポータなんだって。彼の地を訪れ、ユーゴ内戦の傷跡をこの目でみた者として、民族紛争の根を理解できないわけじゃないけれども、スタジアム防衛軍はなにをしているのか。
次の対スペインは慎重に臨む必要がある。クロアチアはスペインに大敗しない限りグループリーグ突破は可能であり、トルコのように真剣勝負を挑んではいけない。かつてイタリアやオランダがスペインに与したときのように、ディフェンスを厚くして、スペインのポゼッションを高めさせながら、サイドバックの裏のスペースに長いボールを通せば活路がみいだせる。ここはとりあえず2位通過したい。スペイン戦では負傷したモドリッチを温存し、16強戦に勝負をかけて一気に駆け上がってほしい。
アドリア海を挟んで対峙するイタリアとクロアチアの決勝になれば言うことありません。イングランドはもういい。あの監督を応援する気にはなりません。
2016居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その6)
(3)谷口ジローの風景 -『父の暦』に描かれた町並み-
谷口ジローは鳥取市出身の漫画家である。1966年に上京し、石川球太、上村一夫のアシスタントを経て独立。関川夏央らの原作者と組み、ハードボイルドやSF、動物ものなど多彩な分野の作品を手がける。ベルギー・フランスの漫画、バンドデシネに強い影響を受け、ペンネームのジローは、バンド・デシネの代表作家、ジャン・ジローに由来するという。『歩くひと』(1990-91)の翻訳版刊行を機にヨーロッパでの評価が高まる。故郷の鳥取を舞台とする三部作『父の暦』(1994)、『遙かな町へ』(1998)、『魔法の山』(2007)があり、すべてフランス語訳されている。『父の暦』は2001年、フランスのアングレーム国際漫画フェスティバルでキリスト協会賞を受賞、その2年後には『遥かな町へ』がヨーロッパの3大コミック大賞を制覇し、2011年には「フランス政府芸術文化勲章(シュヴァリエ)」を受賞した。
1994年に刊行された『父の暦』には、立川~樗谿の戦後の風景がたくさん登場している。近代化した空港や商店街と対照的な「過去」の風景として描かれている。『父の暦』のあらすじを紹介する。主人公は父とわだかまりがあり、地元の高校を卒業後、故郷を離れ、東京の大学に進学した。そして、そのまま東京で就職し、長年故郷の鳥取市に帰省していなかった。しかし、父が亡くなったという知らせを受け、三十年ぶりに故郷に帰ることになった。通夜のために帰省した主人公を、故郷の人たちは温かく迎え、父の思い出を語る。自分が知らなかった真実、父の優しさと切ない思いに触れ、おぼろげに父との思い出や故郷の風景を思い出していく。『父の暦』は、「故郷に帰るのではなく、いつの日か故郷がそれぞれの心の中に帰ってくる」ことを描いる。そして、故郷をとおして「父」という存在の重さを語ろうとしたものである。このように、樗谿や立川の風景が、多くのコマで描かれている。
2016居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その5)
(2)町家等建造物データベース
撮影した写真データに基づき、町家等建造物データベースを作成する。そのプロセスと目的は以下のとおり。
(1)撮影した町家等建造物のデータベースを作成し町並みカルテとして使用する。
(2)建造物の用途・外観・形式などを調査票にまとめ、建物保全度と景観貢献度を評価する。
(3)建物保全度や景観貢献度が秀でている建物の保全について考えるとともに、町並み保全について検討する。
調査票の作成にはデータベースソフト「FileMaker Pro」を使用する。「FileMaker Pro」を使用する利点は、データシートの表示だけでなく、必要な事項を抽出して一覧での表示が可能な点である。
調査票の項目は以下のようにした。
①家屋番号は撮影時のラベルと同じものである。所有者の氏名が分かるものは記載するが、個人情報保護法の問題があるため、氏名の公開はしない。
②用途・階数・建築の形態は基本的に撮影写真から判断するが、分かりにくいものは現地でヒアリングする。
③「鳥取城天守跡が見えるか否か」は調査成果に基づいて記載する。天守のみえる場所は城下町の風情をよく残していると評価する。
④「建築家の関与」については、写真とヒアリングで確認する。建築家の作品は歴史的景観にポジティブな場合とネガティブの場合の両方があるので、前者の場合は「有P」、後者の場合は「有N」に分類する。
⑤建物保全度と景観貢献度の詳細は以下のとおりである。
中国三十三観音霊場先達合同研修会
6月14日(火)、ホテルモナークでおこなわれた中国三十三観音霊場先達合同研修会で、教授が「摩尼山の文化遺産-登録文化財から登録記念物へ-」と題する講演をおこなわれた。これまで摩尼山・摩尼寺に係わるレポートを散々繰り返してきたが、すでに一万件をこえた登録有形文化財(建造物)と異なり、登録記念物(名勝地)は80件に満たない。しかも、登録の対象は庭園・公園が大多数を占め、摩尼山のような大風景地は稀少例といえる。
教授は午後2時半まで講義があり、会場に到着したの2時50分ころである。それまでは、大雲院の田尻住職がお話をされた。教授が到着後、ただちにバトンタッチで講演がスタートした。スピーチの構成は以下のとおり。
1.山陰地方の懸造(かけづくり)仏堂
2.摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査と遺跡環境整備
3.摩尼寺の建造物-国登録有形文化財(2014)
4.国登録記念物(名勝地)「摩尼山」へ
この流れで話が進んだ。最後にこの秋のイベントについて紹介があった。2014~2015の2年間は「摩尼寺紅葉コンサート」を開催したが、今年は阿弥陀如来像の開帳大法要にあわせて、吉川美代子さんの講演・朗読会をおこなうことが決定している。これにはどよめきがおきた。中国三十三観音霊場合同の法要になるそうであり、期待が高まっている。
教授の講演は45分ばかり熱弁したところで終わり、大きな拍手を頂戴した。
講演会終了後、4年・院生は全員ダウラに移動した。マダムが東京で入院中であり、マスターが一人ですべての仕事をされていて大変そうだった。ここでも吉川さんの講演・朗読会は大きな話題となった。まだ半年近く先のイベントだが、昨年以上の手応えを感じている。(内蔵助)
珈琲の蕾
それゆけ、バーディ(2)
メダカの孵化に続き、ささやかな幸福が我が庭にもたらされた。珈琲の樹に蕾がついたのだ。この春、スパシフィラム、蘭、ゼラニウム、珈琲などの鉢を植え替えした。珈琲の苗は2013年と2014年に珈琲専門の純喫茶「ペパーミント」からいただいたものである。ずいぶん大きくなってきたのだが、鉢が小さすぎて葉枯れし始めており、ホームセンターで二まわり大きな鉢を買い込んで植え替えした。鉢は高いですね。
どうなることか心配だったのだが、ご覧のとおり、白い蕾が芽吹いている。おそらく100以上の蕾があり、このままうまくいけば夏には花開いて、アメリカンチェリーのような実が生り、1~2人前の珈琲が飲めるかもしれない。
庭の収穫物で調理し飲食する満足感を表現するのは難しい。いまいちばん採れるのは紫蘇、バジル、セージ、パセリ、イタリアンパセリなどのハーブ類だが、キウリ、ピーマン、獅子唐もぼちぼち収穫している。
ユーロが始まった。開幕戦のフランスvs.ルーマニアは途中で眠ってしまった。2-1で勝ちきるフランスはたいしたもんだ。それに引き替え、イングランドですよ、問題は。こちらも眠ってしまって、いま再放送を見終えたところなんだけど、なんでバーディ使わないの!?
1-0から守備固めに入るのは理解できる。それならケインよりバーディを前においていたほうがいいに決まっている。カウンターの申し子なんだからね。ホジソンはレスターの快進撃を軽視しているのではないか。なによりドリンクウォーターを外す時点でセンスがないよね。ボランチというポジションにおいては、ルーニーより良い仕事をする可能性は十分あるんだから。ツキをもってるんだから。いまこのとき、だれが勝ち運にのっているかを見極めないと、ドーハのオフトになってしまうぞ。古賀に執着した真鍋が排球最終予選で大苦戦したように、ケインにこだわると、次のウェールズ戦以後もロシア戦の二の舞になりかねない。まぁ、ホジソンのような勘違いした権力者は、どこにでもいます。平民でいるあいだは良い人なのに、サルが太閤になったばかりに腹黒くなり、部下に嫌みを連発する。雑談をしようと誘い込んで諜報活動したり、罪もない職員を解雇したあげく裁判に敗れて二千万円も賠償請求されたり・・・こういう輩は早いこと腹を召されたい。桝添より質がわるいんだから。
眠らずにみたのはウェールズ対スロバキア。すごい試合でした。戦争だね。敗れたスロバキアのレベルで、ボスニアの2倍ぐらい上じゃないか。イングランドは2位以上になれるのだろうか。ウェールズとロシアが勝ち抜くかもしれない。
私のトトカルチョが危ない・・・
↑↓最近の散歩コース
2016居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その4)
2-2 立川~樗谿の町並み調査
(1)町家建造物連続写真
立川から樗谿の町並みには以下のような特徴がある。
①大雲院(立川)から観音院(上町)を経て鳥取東照宮(樗谿)に至る山の手地区には、昭和18年の鳥取地震、昭和27年の鳥取大火を免れた町家・社寺等歴史的建造物が少なくない。
②鳥取東照宮は国指定重要文化財、観音院庭園は国指定名勝、樗谿グランドアパートは市指定文化財、吉村家住宅・岩田家住宅・立川稲荷神社は国登録有形文化財だが、大雲院は未指定。
③このほか伝統的町家等歴史的建造物が点在。
④建物本体は改変されているが、正面の植栽豊かな宅地が少なくない。とくに町中の路地や山際の旧道沿いに緑が多い。
⑤上町の一部の街路からは久松山(国史跡「鳥取城跡」天守)が視界に納まる。
⑥谷口ジローが『父の暦』(小学館・1997)で立川・樗谿の風景を描く。
いちばん上の図に町並みの拠点となる文化遺産を示している。について説明する。立川の大雲院が南端、重要文化財の鳥取東照宮が北端、上町の国指定名勝庭園「観音院」は中間辺りにある。
さらに市指定文化財と登録文化財もある(↑)。大雲院近くに登録文化財の吉村家住宅と立川稲荷神社、観音院近くに岩田家住宅がある。岩田家は中2階式の古風な町家で、江戸時代に遡る可能性もあるだろう。市指定文化財「樗谿グランドアパート」(昭和3年)は東照宮の参道にあり、周辺にも洋風の建物が軒を連ね、鳥取の「山の手」の風景を感じ取ることができる。上の三角形あたりから、鳥取城天守跡(久松山頂)を望むことができる。
下↓が調査範囲の全体図である。A~Rの17ブロックにわけている。ブロック内でそれぞれ通りを挟んで北をN、南をS、東をE、西をWとする。Aブロックを例にとって説明する。北側をAN、南側をASと記号化する。それぞれ北には11戸、南には16戸の家屋がある。撮影する建物の番号を決めて撮影する。番付の総数は532に及んだ。角地に建つ建物は2方向以上から撮影するので、重複数を引くと、調査対象は479だった。このすべての町家を1戸ずつ撮影した。
2016居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その3)
2.大雲院と東照宮
2-1 大雲院仏教美術品目録-昨年度の研究成果
大雲院は、慶安三年(1650)、鳥取藩の初代藩主池田光仲により、鳥取東照宮を管理する別当寺として造営された。大雲院は江戸時代の鳥取藩内でもっとも格式の高い寺院であったが、明治維新の神仏分離令によって樗谿から立ち退きを命令された。そしていったん上町の末寺、「観音院」に仮住まいし、明治三年には、正式に立川の末寺「霊光院」に境内を移すこととなる。
赤い四角の枠内が、上町にある樗谿公園の範囲である。右の図は幕末の鳥取城下絵図の樗谿周辺をクローズアップしたものであり、このように江戸時代には、鳥取東照宮と大雲院は樗谿の地に隣接しており、両者一体の組織として運営されていた。鳥取東照宮は鳥取藩内の神社で最高の格式を誇り、それを管理する大雲院もまた鳥取藩内において最も重要な寺院であった。先ほども述べたように明治維新後の神仏分離令後、大雲院は立川町へ移されるが、この時に全ての仏具が当時の霊光院、つまり現在の大雲院に移された。
立川の地にもたらされた仏具等一式は、鳥取藩主池田家や、徳川家に係わる大量の宝物、文書等を含んでいる。これらは文化財価値が非常に高く、とりわけ東照大権現厨子は家康の位牌をおさめたもので、かつては「鳥取東照宮」の中におかれていた。大雲院の美術品はおそらく50件以上が、近い将来指定文化財になるだろうと予想されている。こうした美術品や建造物の調査を、昨年から進めている。
2016居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その2)
1-2 旧小倉家住宅の主屋と土蔵
旧小倉家住宅は、空家になってから数年が経つ。所有者によれば、昭和7年の建築だそうだ。西側の路傍には、東地蔵が接している。現在は空家だが、四季の地蔵祭などでは活用されている。かつては地蔵盆をとりしきった家柄であり、地蔵盆関係の資料を今でも所蔵しているそうだ。昨年度の卒業生がスケッチした立面図に、三色ボールペンで寸法を書き込んでいく予定である。
4月27日、初めて主屋の内部を見学させていただいた。玄関を開けるとすぐに、前土間の上部に丈が80㎝ほどの指物が渡され、大引・根太天井が組まれている。この指物は、強烈なステータスシンボルである。2階にあがると、いきなり小さな洋間がある。戦前の流行だったのかもしれない。それ以外の部屋は床や棚を備える書院造の座敷である。
2016居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その1)
6月8日(水)におこなわれた中間発表会の内容を3年生6名が一人ずつ報告します。
1.倉吉河原町五叉路周辺の町並み保全
1-1 地蔵盆を未来へ -昨年度までの研究成果
これまでASALABの先輩たちがとりくんできた倉吉の町並みに関する先行研究についてまず紹介しておく。2001年度以降、5冊の報告書を出している。近年では、2013~2015年に「倉吉の歴史まちづくり」というテーマで調査研究をおこない、『倉吉の歴史まちづくり』と『地蔵盆を未来へ』という2冊の報告書を刊行したばかりである。これら2つの報告書では「歴史的風致」という概念に着目し、「打吹鉢屋川」新規重伝建地区の構想などを提言している。
1998年、打吹玉川地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、2010年には追加選定がなされた。ASALABはさらに2013年度より、鉢屋川(旧城下町外濠)を挟む市街地西端の河原町・鍛治町の町並みと地蔵盆の調査に着手した。
上の画像の吹き出しの中は八橋往来と鉢屋川が交差する「五叉路」の部分であり、町並みの核となる場所である。最も質の高い歴史的風致を残す所だが、過疎と高齢化が進み、地蔵盆の担い手である子どもたち(中学1年以下)は数名を数えるのみとなっている。
やずブータン村を訪ねて
人生初めての瞑想
6月9日(木)。『天の鳥』『命の着物』の素訳を先週までに終えた1・2年生は、八頭町丹比の光澤寺=「やずブータン村」を訪ねた。光澤寺はブータンとの交流をめざす寺院である。ブータンについて学ぶ私たちを、ご住職が迎えてくれた。まず、本堂に通された。本堂で私たちは座布団にすわり、住職の法話を拝聴した。住職は、以前大企業のサラリーマンとして働かれていたが、実家のお寺をつがれ、その傍らで宿坊を経営されている。東京や大阪などの大都会から25歳前後の若者(とくに女性)が悩みや葛藤を解消するため宿坊に泊まり、お寺で修行することがしばしばあるという。
次にブータンのお話を聴いた。とくにブータンが昔、鎖国していたこと、今年ブータンと日本の国交が30周年を迎えた、いうことが心に残っている。GNH(国民総幸福量)という指標から、ブータンの素朴で温かみのあるお国柄がうかがえた。
その後、私たちは禅と瞑想の違いについて学んだ。瞑想は悟りを開きブッダになるための方法であるが、禅はむしろ悟りを開いた者がおこなう修行とのことである。どれも初めて耳にすることばかりで、発見の連続だった。
法話のあと、私たちは住職のご指導の下、瞑想を体験した。まず座布団に浅く座り、畳の上で足を組む。次に両手を前に突き出し、両手の親指をくっつけ床に手を付ける。その後、手を45度の角度に維持した状態で、頭が床につくまで広げる。それから、背骨が一直線になるよう意識しながら、ゆっくりと体を起こしていき、手が床から離れそうになったら、操り人形になったつもりで骨盤と背骨が一直線になる姿勢を作る。次に両手の手のひらを上にし、手の甲を膝に置く。ゆっくり目を閉じ、意識を呼吸に向ける。そうすることで呼吸が落ち着き、心が安定してくる。三分間ほどそれを続けた後、自分を第三者の目から客観的にみるよう思考しつつ、頭のなかで実況中継するよう指示された。そして3分後、ゆっくりと目を開けた。
瞑想のあと、私たちは宿坊の見学をさせていただいた。バスルーム、客間、浴室などをみた。ベッドなど洋風のものが多くあった。
部屋は大きすぎず、自分自身と対話する空間として良いと思った。最後に、全員で記念撮影し、ご住職に感謝の気持ちを伝え光
澤寺を後にした。
今回、人生初めて瞑想をした。目を閉じて呼吸に意識を向けるだけで、あれほど心が落ち着くことに驚いた。さらに光澤寺とブータンの繋がりを知ることができた。また、ご住職いみせていただいたブータンの写真により、いっそうブータンを身近に感じ、クンサン・チョデンさんの絵本の翻訳などの作業をより丁寧にしたいと思った。(経営学部2年・戸堀)
ボスニア礼賛
ボスニア・ヘルツェゴビナは強いチームだった。前半の日本とはほぼ互角。正直なところ、ボスニアがやや上ではなかったか。しかし、日本も良いサッカーをしていた。前線からの守備、速い球まわし、攻撃のバリエーションなど、日本も進歩している。このチームに香川と本田が加われば、強くなるのか、そうでもないのか、気になるところですな。
後半早々、ハリルは柏木を遠藤に替えた。ここでリズムが変わってしまった。前半の柏木はたしかにあまり良い出来ではなかったけれども、長谷部と組むなら、柏木のような攻撃的なボランチの方がよい。遠藤と長谷部の組み合わせでは守備的MFの重複となり、ゲームメークの質が落ちる。前線の岡崎・浅野へのフィードの精度がセンターバックとボランチには求められるのだが、後半の4人では決定的なラストパスにならなかった。柏木をもう少しひっぱるべきだったと思う。遠藤はA代表にはまだ早いのではないか。
日本のセンターバックが致命的な弱点であることは、これまで何度も述べてきたけれども、またやってしまいましたね。2点目はまともなCBならオフサイドを狙うところだけれども、そういう思考が吉田さんには働かないわけで、これは頭脳の問題だから修正が効かない。防御率2点台はいけません。国際的に通用しない。大きくて頭のいいセンターバックを早く帰化させましょう。
ハリルの選手交替には首を傾げましたね。勝っているなら、若手にチャンスを与えるのもいいけれど、負けているんだから、選手交替は予定を変更してでも勝ちにいかないと。選手が替わるたびにサッカーの質が落ちていった。追いつける気がしなかった。
ボスニアはサッカーをよく知っているチームだと思った。技術も体力も十分あるのだけれども、アウェイであることを自覚して、相手に攻めさせる戦法をとった。それこそ、アトレチコやレスターの戦いかたに通じている。日本はその術中にまんまと嵌ったんだ。
ボスニアに滞在したのは短時間だったし、黒い雨にも祟られたが、モスタルのスタリモストはとても印象に残った。山里の風景をみて「鳥取のようだ」とも思った。運転手は、ボスニアやクロアチアの国民が有名になると、みな国外に出ていくと嘆いていたが、そこがまた日本の地方をおもわせたりして、ますます私はボスニアが好きになった。だから、ボスニアが質の高いサッカーをして日本を下したことをさほど残念なことだと思っていない。なんたってオシムの遺伝子がある国なんだからね。
がんばれ、ボスニア・ヘルツェゴビナ!!
↑じつは講義資料です。
後半早々、ハリルは柏木を遠藤に替えた。ここでリズムが変わってしまった。前半の柏木はたしかにあまり良い出来ではなかったけれども、長谷部と組むなら、柏木のような攻撃的なボランチの方がよい。遠藤と長谷部の組み合わせでは守備的MFの重複となり、ゲームメークの質が落ちる。前線の岡崎・浅野へのフィードの精度がセンターバックとボランチには求められるのだが、後半の4人では決定的なラストパスにならなかった。柏木をもう少しひっぱるべきだったと思う。遠藤はA代表にはまだ早いのではないか。
日本のセンターバックが致命的な弱点であることは、これまで何度も述べてきたけれども、またやってしまいましたね。2点目はまともなCBならオフサイドを狙うところだけれども、そういう思考が吉田さんには働かないわけで、これは頭脳の問題だから修正が効かない。防御率2点台はいけません。国際的に通用しない。大きくて頭のいいセンターバックを早く帰化させましょう。
ハリルの選手交替には首を傾げましたね。勝っているなら、若手にチャンスを与えるのもいいけれど、負けているんだから、選手交替は予定を変更してでも勝ちにいかないと。選手が替わるたびにサッカーの質が落ちていった。追いつける気がしなかった。
ボスニアはサッカーをよく知っているチームだと思った。技術も体力も十分あるのだけれども、アウェイであることを自覚して、相手に攻めさせる戦法をとった。それこそ、アトレチコやレスターの戦いかたに通じている。日本はその術中にまんまと嵌ったんだ。
ボスニアに滞在したのは短時間だったし、黒い雨にも祟られたが、モスタルのスタリモストはとても印象に残った。山里の風景をみて「鳥取のようだ」とも思った。運転手は、ボスニアやクロアチアの国民が有名になると、みな国外に出ていくと嘆いていたが、そこがまた日本の地方をおもわせたりして、ますます私はボスニアが好きになった。だから、ボスニアが質の高いサッカーをして日本を下したことをさほど残念なことだと思っていない。なんたってオシムの遺伝子がある国なんだからね。
がんばれ、ボスニア・ヘルツェゴビナ!!
↑じつは講義資料です。
居住環境実習・演習(Ⅱ)中間報告会のお知らせ
今春ASALABに加入した新3年生の前期中間報告会が迫ってきました。構成が確定し、パワポの作成・校正も進んで、完成まであと一歩のところまで来ました。お暇な方はご来場ください。
日時: 2016年6月8日(水)午後2時40分~
*4研究室が発表します。ASALABの発表は午後3時半ころから。
会場: 公立鳥取環境大学デザイン演習室(教育研究棟1階)
構成:
1.倉吉河原町五叉路周辺の町並み保全
1-1 地蔵盆を未来へ-昨年度までの研究成果(吉田)
1-2 旧小倉家住宅の主屋と土蔵 (吉田・岡崎)
2.大雲院と東照宮
2-1 大雲院仏教美術品目録-昨年度の研究成果(谷口)
2-2 立川~樗谿の町並み調査
(1)町家等建造物連続写真(吉冨)
(2)町家等建造物データベース(垣崎)
(3)谷口ジローの風景 -『父の暦』に描かれた立川-(水田)
(4)今後の調査研究(水田)
中国観音霊場先達合同研修会講演
こちらの講演も近づいてきました。17日には衝撃の記者発表を控えていますが、メディアの皆様はこちらの講演に顔をだしておくと、事前のレクになったり思いも寄らぬ情報がもたらされたりするかもしれませんよ、ぐふふ・・・
1.日時: 2016年6月14日(火)午後3時~
2.会場: ホテルモナーク鳥取
3.主催: 中国観音霊場先達会
4.対象者: 中国観音霊場先達会会員、中国観音霊場会所属寺院
5.講演題目: 「摩尼寺の文化遺産-登録文化財から登録記念物へ-」
日時: 2016年6月8日(水)午後2時40分~
*4研究室が発表します。ASALABの発表は午後3時半ころから。
会場: 公立鳥取環境大学デザイン演習室(教育研究棟1階)
構成:
1.倉吉河原町五叉路周辺の町並み保全
1-1 地蔵盆を未来へ-昨年度までの研究成果(吉田)
1-2 旧小倉家住宅の主屋と土蔵 (吉田・岡崎)
2.大雲院と東照宮
2-1 大雲院仏教美術品目録-昨年度の研究成果(谷口)
2-2 立川~樗谿の町並み調査
(1)町家等建造物連続写真(吉冨)
(2)町家等建造物データベース(垣崎)
(3)谷口ジローの風景 -『父の暦』に描かれた立川-(水田)
(4)今後の調査研究(水田)
中国観音霊場先達合同研修会講演
こちらの講演も近づいてきました。17日には衝撃の記者発表を控えていますが、メディアの皆様はこちらの講演に顔をだしておくと、事前のレクになったり思いも寄らぬ情報がもたらされたりするかもしれませんよ、ぐふふ・・・
1.日時: 2016年6月14日(火)午後3時~
2.会場: ホテルモナーク鳥取
3.主催: 中国観音霊場先達会
4.対象者: 中国観音霊場先達会会員、中国観音霊場会所属寺院
5.講演題目: 「摩尼寺の文化遺産-登録文化財から登録記念物へ-」
ツェゴ-命の着物(5)
p.41
裏表紙
デチェンとおかあさんは、あるブータンの村に住んでいます。おかあさんは娘にはたおりをおしえたいのですが、娘はきょうみを示しません。デチェンははたおりにあきてしまい、れんしゅうするのはいやだとクンクン泣きます。ある日、なにかがデチェンのきもちをかえてしまいます。どのようにしてデチェンははたおりにめざめてしまうのでしょうか。
クンサン・チョデンは、ブータンにかかわるさまざまなテーマについて1990年代から文章にしてきています。とりわけ子どもたちのために書くことに喜びをおぼえています。ブータンの子どもたちにブータンの文化と歴史をなじませ、世界中の子どもたちにブータンを紹介するためです。
現代日本の画家、石上陽子*5によるはつらつとしておちゃめなイラストは、非西洋的モチーフとスタイルへの芸術的関心を反映しています。石上は、民族芸術の自然な「純粋さ」を愛し、みずからの作品にその感覚とスタイルをしばしばとりこんでいるのです。2011年以来、ティンプーの国立ゾーリンチュスム伝統技芸院*6で伝統的なブータン絵画を学び、自分の作品に心の平穏をとりこむよう努めています。 【笹木】
裏表紙
デチェンとおかあさんは、あるブータンの村に住んでいます。おかあさんは娘にはたおりをおしえたいのですが、娘はきょうみを示しません。デチェンははたおりにあきてしまい、れんしゅうするのはいやだとクンクン泣きます。ある日、なにかがデチェンのきもちをかえてしまいます。どのようにしてデチェンははたおりにめざめてしまうのでしょうか。
クンサン・チョデンは、ブータンにかかわるさまざまなテーマについて1990年代から文章にしてきています。とりわけ子どもたちのために書くことに喜びをおぼえています。ブータンの子どもたちにブータンの文化と歴史をなじませ、世界中の子どもたちにブータンを紹介するためです。
現代日本の画家、石上陽子*5によるはつらつとしておちゃめなイラストは、非西洋的モチーフとスタイルへの芸術的関心を反映しています。石上は、民族芸術の自然な「純粋さ」を愛し、みずからの作品にその感覚とスタイルをしばしばとりこんでいるのです。2011年以来、ティンプーの国立ゾーリンチュスム伝統技芸院*6で伝統的なブータン絵画を学び、自分の作品に心の平穏をとりこむよう努めています。 【笹木】
ツェゴ-命の着物(4)
p.28-29
デチェンはなにをおっているのでしょうか?
デチェンのかわいい指はたて糸をつきぬけて
上がったり、下がったり...
はたおりの布がながくなればなるほど
デチェンのうではつよくなっていきます。
p.30-31
アプナドーがじょうずに仕立てたツェゴを身にまとい、
ジャムヤンぼうやはおかあさんのひざの上でとびはねます。
「あら、ぼうやにおびがないわ。わたしはもってないの。」
アウム・ワンモはなげきました。
「おびなら、ここにわたしがもっているわよ。」
デチェンはたのしげにおおきなこえをだします。
p.32-33
デチェンははたおりからとびあがって、
ジャムヤンぼうやにかけより、
いちばんカラフルなおびをあたえます。
赤、だいだい、黄色、みどり、青、あい色と
むらさきでできた虹色のおびは
たくさんの色がおりかさなったツェゴによくにあいます。 【山根】
デチェンはなにをおっているのでしょうか?
デチェンのかわいい指はたて糸をつきぬけて
上がったり、下がったり...
はたおりの布がながくなればなるほど
デチェンのうではつよくなっていきます。
p.30-31
アプナドーがじょうずに仕立てたツェゴを身にまとい、
ジャムヤンぼうやはおかあさんのひざの上でとびはねます。
「あら、ぼうやにおびがないわ。わたしはもってないの。」
アウム・ワンモはなげきました。
「おびなら、ここにわたしがもっているわよ。」
デチェンはたのしげにおおきなこえをだします。
p.32-33
デチェンははたおりからとびあがって、
ジャムヤンぼうやにかけより、
いちばんカラフルなおびをあたえます。
赤、だいだい、黄色、みどり、青、あい色と
むらさきでできた虹色のおびは
たくさんの色がおりかさなったツェゴによくにあいます。 【山根】
大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅠ)
随神門端間飛貫
5月晦日(火)、先週に引き続き、鳥取東照宮の建造物を対象に調査演習をおこなった。なお、演習に先立ち、会長・教授が県神社庁に挨拶に赴かれたが、閉館していた。
1.随神門の断面実測と絵様拓本採取(吉田・大石・石田)
既報のとおり、随神門は三棟造の形式で、正面側のみ化粧垂木をあらわとし、背面側に天井を張る。ここにみえる垂木は化粧垂木であり、その上に隠れた野垂木はみえない。実測できないので、この部分はブランクとした。絵様は中央間と端間の飛貫、正面側の木鼻などから採取した。中央間の虹梁型飛貫の絵様は派手で年代を判定しにくかったが、端間の絵様(↑)はシンプルで、渦の形が手水屋および中門とほぼ同形であることが判明し、彫りの幅や渦の凹みなどは天保年間の様式とみてほぼ誤りないという結論に至った。
随神門木鼻
2.手水舎の平面実測と絵様拓本採取など(木村・吉田・大石・石田)
手水鉢の側面に年号を含む銘文が刻まれていることを前回述べたが、常時湿っているため、通常用いる乾拓ではなく、湿拓による拓本採取に取り組んだ。研究室始まって以来の経験であり、会長による懇切丁寧な指導のもとに実施した。墨をつけた湿布で和紙を撫でるように色をやさしくつけていく手法である。乾拓でもそうであるが、湿拓も撫でる際の力加減が重要である。短時間で見事な拓本ができあがった。浮かびあがった銘文を以下のとおり。
慶安三年四月十七日 荒尾但馬守成利
天保三年九月十七日 荒尾内匠守成緒 修造
少なくとも手水鉢に関しては、鳥取藩の家老、荒尾氏の寄進だと思われるが、手水屋・随神門のすべてを含む可能性があるだろう。「修造」とあるのはたんなる修理ではなく、再建(造替)の意と思われる。手水屋も表側は非常に派手につくっており、年代をつかみにくいが、内側は大人しく、妻側虹梁絵様の渦は随神門の渦と酷似している。ほぼ同時期の建立とみて誤りなかろう。
↑手水舎虹梁 ↓手水鉢銘文
5月晦日(火)、先週に引き続き、鳥取東照宮の建造物を対象に調査演習をおこなった。なお、演習に先立ち、会長・教授が県神社庁に挨拶に赴かれたが、閉館していた。
1.随神門の断面実測と絵様拓本採取(吉田・大石・石田)
既報のとおり、随神門は三棟造の形式で、正面側のみ化粧垂木をあらわとし、背面側に天井を張る。ここにみえる垂木は化粧垂木であり、その上に隠れた野垂木はみえない。実測できないので、この部分はブランクとした。絵様は中央間と端間の飛貫、正面側の木鼻などから採取した。中央間の虹梁型飛貫の絵様は派手で年代を判定しにくかったが、端間の絵様(↑)はシンプルで、渦の形が手水屋および中門とほぼ同形であることが判明し、彫りの幅や渦の凹みなどは天保年間の様式とみてほぼ誤りないという結論に至った。
随神門木鼻
2.手水舎の平面実測と絵様拓本採取など(木村・吉田・大石・石田)
手水鉢の側面に年号を含む銘文が刻まれていることを前回述べたが、常時湿っているため、通常用いる乾拓ではなく、湿拓による拓本採取に取り組んだ。研究室始まって以来の経験であり、会長による懇切丁寧な指導のもとに実施した。墨をつけた湿布で和紙を撫でるように色をやさしくつけていく手法である。乾拓でもそうであるが、湿拓も撫でる際の力加減が重要である。短時間で見事な拓本ができあがった。浮かびあがった銘文を以下のとおり。
慶安三年四月十七日 荒尾但馬守成利
天保三年九月十七日 荒尾内匠守成緒 修造
少なくとも手水鉢に関しては、鳥取藩の家老、荒尾氏の寄進だと思われるが、手水屋・随神門のすべてを含む可能性があるだろう。「修造」とあるのはたんなる修理ではなく、再建(造替)の意と思われる。手水屋も表側は非常に派手につくっており、年代をつかみにくいが、内側は大人しく、妻側虹梁絵様の渦は随神門の渦と酷似している。ほぼ同時期の建立とみて誤りなかろう。
↑手水舎虹梁 ↓手水鉢銘文
天の鳥(4)
p.38
オグロヅルについての興味深い事実:
・オグロヅルは冬のねぐらにつくためポブジカ谷にやってきます。
・じっさい、ポブジカ谷の人びとはオグロヅルの飛来ののちに冬小麦を植えます。
・ツルたちはガンテ寺のまわりを3回旋回して地面におりたちますが、
谷から飛びたつときもまたガンテ手の上で3回旋回します。
・オグロヅルの寿命は30年と知られています。
・有名なチュンチュン・カーモ*6・ダンスは
オグロヅルを讃えて踊られるものです。
p.39
こういうことはよく知られているので、
子ども時代をおえて大人になろうとしている人にとって、
このお話はあまりにシンプルなものかもしれません。
しかし、大人にオグロヅルの重要性を再評価させるもの
になるでしょう。
オグロヅルはたんに環境の重要な一部であるというにとどまらず
いつでも文化の一部でありつづけてきました。
オグロヅルは民謡や踊り、そして祖先が長く語り継いできた
多くの民話においても歌われてきています。
オグロヅルについての興味深い事実:
・オグロヅルは冬のねぐらにつくためポブジカ谷にやってきます。
・じっさい、ポブジカ谷の人びとはオグロヅルの飛来ののちに冬小麦を植えます。
・ツルたちはガンテ寺のまわりを3回旋回して地面におりたちますが、
谷から飛びたつときもまたガンテ手の上で3回旋回します。
・オグロヅルの寿命は30年と知られています。
・有名なチュンチュン・カーモ*6・ダンスは
オグロヅルを讃えて踊られるものです。
p.39
こういうことはよく知られているので、
子ども時代をおえて大人になろうとしている人にとって、
このお話はあまりにシンプルなものかもしれません。
しかし、大人にオグロヅルの重要性を再評価させるもの
になるでしょう。
オグロヅルはたんに環境の重要な一部であるというにとどまらず
いつでも文化の一部でありつづけてきました。
オグロヅルは民謡や踊り、そして祖先が長く語り継いできた
多くの民話においても歌われてきています。
天の鳥(3)
p.26-27
「むかしむかし、サムテンという名の
としおいたツルが、この谷でくらしていました。
サムテンはとしよりだったので、
チベットにとんでかえる旅に
でることができませんでした。」
ツルの長老は「ウゥ~~~」
とふかい息をすいこんで、いったん話をやめ、
そのご、また話にもどりました。
p.28-29
としおいたサムテンはチベットにかえれないだろう。
まわりのツルたちは、そうかんじていました。
だから、サムテンのためにチベットまで
塩*4をとりにいこう
と決めたツルたちがいました。
p.30-31
サムテンが原っぱのまんなかで
死にそうになっているのをみて、
たむろする人びとはツルのことを
あわれにおもい、
ちかくの小川まで水をあつめにいきました。
人びとはツルに水をやさしくかけます。
そのご、とびたったツルたちが
チベットから塩をもってかえってきました。
村人からの水とチベットからの塩のおかげで、
ツルの命はすくわれたのです。 【小林】
「むかしむかし、サムテンという名の
としおいたツルが、この谷でくらしていました。
サムテンはとしよりだったので、
チベットにとんでかえる旅に
でることができませんでした。」
ツルの長老は「ウゥ~~~」
とふかい息をすいこんで、いったん話をやめ、
そのご、また話にもどりました。
p.28-29
としおいたサムテンはチベットにかえれないだろう。
まわりのツルたちは、そうかんじていました。
だから、サムテンのためにチベットまで
塩*4をとりにいこう
と決めたツルたちがいました。
p.30-31
サムテンが原っぱのまんなかで
死にそうになっているのをみて、
たむろする人びとはツルのことを
あわれにおもい、
ちかくの小川まで水をあつめにいきました。
人びとはツルに水をやさしくかけます。
そのご、とびたったツルたちが
チベットから塩をもってかえってきました。
村人からの水とチベットからの塩のおかげで、
ツルの命はすくわれたのです。 【小林】