中欧紀行(Ⅶ)
←セセッション館
3月31日。「笑っていいとも」の最終日にタケシが登場した。最近寡黙なタケシがしゃべくりまくる。ちょっとみてられなくなって、チャンネルを変えた。若い頃のタモリが好きだった。いちばん懐かしいのは「今夜は最高!」かな。ジャズ研トランペターとしての力量を示しながら、コントあり、トークあり、美女あり。「夢であいましょう」から「シャボン玉ホリデー」に至る正当派バラエティの構成を継承する最後の番組だった。ぜひ復活させて欲しい。昼番組よりずっとタモリにあってる。「笑っていいとも」は幕を閉じ、「TVタックル」は深夜に移行して「明石家電視台」の裏番組になった。困ったなぁ。「明石家」は奈良で録画し、「タックル」は鳥取のケーブルTVで録画するか。
パソコンを開くと、「退職のご挨拶」のオンパレード。大半は非常勤職員からのメールである。みなさん、お世話になりました。とくにASALABの記事を大学のHPにアップし続けてくださったOさんには感謝の言葉もありません。敬礼!
世界文化遺産「ウィーン歴史地区」
新学期も始まろうというのに「中欧紀行」が終わらない。まだウィーンが残っている。これは大変な都市です。ハプスブルグ家の帝都にして、音楽の都、いや芸術の都。マリア・テレジアが産んだ16人の子女のうち15番目がアントワネットなんですよ。「パンがないならケーキを食べたら」でギロチンされた姫君。音楽はヨハン・シュトラウス、ベートーベン、モーツァルト、絵画はエゴン・シーレにクリムト、建築はオットー・ワーグナー、アドルフ・ロース、ハンス・ホライン、おまけに心理学のフロイト。ぜんぶ似合わないね。田舎者の私には荷が重い都市です。というわけで、手っ取り早く片付けましょう。以下、半日で16000歩あるいた行程です。
シェーンブルン宮殿 → シュテファン大聖堂(↑) → ケルントナー通
→ 国立オペラ座 → 美術史博物館 → ブルク劇場 → 王宮 →
ミヒャエラー教会 → コールマルクト通 → グラーベン通
今回の旅でいちばん印象に残った町並みはチェスキー・クロムロフだったが、建築単体ならばウィーンのシュテファン大聖堂が圧倒的な存在感を示していた。やっぱりゴシックだね。ルネサンスというのは、ゴシックを否定して生まれた当時のモダン建築なんだろうけれど、もう一つ魅力を感じなかった。後に続くバロック、ロココもゴシックほどの超越性はなし。この時代の西洋建築はオスマントルコに如かず。
広場を挟んでシュテファン大聖堂の対面にハンス・ホラインのハース・ハウス(1990)が建っている(↑)。「ガラスと鉄」のポストモダン建築。現代バロックとでもいうべき造形ですかね。歴史的景観をぶちこわしにするということで、建設にはずいぶん反対があったらしい。よりによってシュテファン大聖堂の対面だからね。よく許可がおりたものです。ちなみに、ハンスホラインは学生時代のスターでした。東の磯崎、西のホライン。今思うに、両者イマイチかな(御免)。
美術史博物館の入場料は2000円。値段高いけど、展示物は質量とも凄いの一言。とくに有名なのは、農民の画家ブリューゲルの「バベルの塔」「農家の婚礼」「雪の中の狩人」など。中世の絵画としては垢抜けしいて、ミュージアムショップではクリムトと人気を二分している。絵画展示は、昨夜述べたとおり、ガラスケースがついてないし、フラッシュなしの撮影可。信じられないね。いちばん驚いたのはカフェです。中央ドーム部分がそのままカフェになっている。飲み物がとくに美味しいわけではないけど、あの空間のなかでお茶できるんだから幸せです。カフェ・ミューゼアムやデメルなどの有名店にも入ったが、空間だけなら美術史博物館のカフェがピカイチでした。ザッハタルトは美味しいけれど、食べ物は総じて宜しくありませんし、ウィーンの従業員(ホテルやレストラン)はプライドが高くて愛想がない。そのなかで、ケルントナー通の屋台で食べた鉄板ヤキソバが美味しかった。醤油味のヤキソバにほっと一安心。出稼ぎにきているドイツ人とおしゃべりしながら、ソバを啜りました。ぜひ食べてみてください。
↑(左)「雪の中の狩人」 (右)「バベルの塔」
↑美術史博物館のカフェ
3月31日。「笑っていいとも」の最終日にタケシが登場した。最近寡黙なタケシがしゃべくりまくる。ちょっとみてられなくなって、チャンネルを変えた。若い頃のタモリが好きだった。いちばん懐かしいのは「今夜は最高!」かな。ジャズ研トランペターとしての力量を示しながら、コントあり、トークあり、美女あり。「夢であいましょう」から「シャボン玉ホリデー」に至る正当派バラエティの構成を継承する最後の番組だった。ぜひ復活させて欲しい。昼番組よりずっとタモリにあってる。「笑っていいとも」は幕を閉じ、「TVタックル」は深夜に移行して「明石家電視台」の裏番組になった。困ったなぁ。「明石家」は奈良で録画し、「タックル」は鳥取のケーブルTVで録画するか。
パソコンを開くと、「退職のご挨拶」のオンパレード。大半は非常勤職員からのメールである。みなさん、お世話になりました。とくにASALABの記事を大学のHPにアップし続けてくださったOさんには感謝の言葉もありません。敬礼!
世界文化遺産「ウィーン歴史地区」
新学期も始まろうというのに「中欧紀行」が終わらない。まだウィーンが残っている。これは大変な都市です。ハプスブルグ家の帝都にして、音楽の都、いや芸術の都。マリア・テレジアが産んだ16人の子女のうち15番目がアントワネットなんですよ。「パンがないならケーキを食べたら」でギロチンされた姫君。音楽はヨハン・シュトラウス、ベートーベン、モーツァルト、絵画はエゴン・シーレにクリムト、建築はオットー・ワーグナー、アドルフ・ロース、ハンス・ホライン、おまけに心理学のフロイト。ぜんぶ似合わないね。田舎者の私には荷が重い都市です。というわけで、手っ取り早く片付けましょう。以下、半日で16000歩あるいた行程です。
シェーンブルン宮殿 → シュテファン大聖堂(↑) → ケルントナー通
→ 国立オペラ座 → 美術史博物館 → ブルク劇場 → 王宮 →
ミヒャエラー教会 → コールマルクト通 → グラーベン通
今回の旅でいちばん印象に残った町並みはチェスキー・クロムロフだったが、建築単体ならばウィーンのシュテファン大聖堂が圧倒的な存在感を示していた。やっぱりゴシックだね。ルネサンスというのは、ゴシックを否定して生まれた当時のモダン建築なんだろうけれど、もう一つ魅力を感じなかった。後に続くバロック、ロココもゴシックほどの超越性はなし。この時代の西洋建築はオスマントルコに如かず。
広場を挟んでシュテファン大聖堂の対面にハンス・ホラインのハース・ハウス(1990)が建っている(↑)。「ガラスと鉄」のポストモダン建築。現代バロックとでもいうべき造形ですかね。歴史的景観をぶちこわしにするということで、建設にはずいぶん反対があったらしい。よりによってシュテファン大聖堂の対面だからね。よく許可がおりたものです。ちなみに、ハンスホラインは学生時代のスターでした。東の磯崎、西のホライン。今思うに、両者イマイチかな(御免)。
美術史博物館の入場料は2000円。値段高いけど、展示物は質量とも凄いの一言。とくに有名なのは、農民の画家ブリューゲルの「バベルの塔」「農家の婚礼」「雪の中の狩人」など。中世の絵画としては垢抜けしいて、ミュージアムショップではクリムトと人気を二分している。絵画展示は、昨夜述べたとおり、ガラスケースがついてないし、フラッシュなしの撮影可。信じられないね。いちばん驚いたのはカフェです。中央ドーム部分がそのままカフェになっている。飲み物がとくに美味しいわけではないけど、あの空間のなかでお茶できるんだから幸せです。カフェ・ミューゼアムやデメルなどの有名店にも入ったが、空間だけなら美術史博物館のカフェがピカイチでした。ザッハタルトは美味しいけれど、食べ物は総じて宜しくありませんし、ウィーンの従業員(ホテルやレストラン)はプライドが高くて愛想がない。そのなかで、ケルントナー通の屋台で食べた鉄板ヤキソバが美味しかった。醤油味のヤキソバにほっと一安心。出稼ぎにきているドイツ人とおしゃべりしながら、ソバを啜りました。ぜひ食べてみてください。
↑(左)「雪の中の狩人」 (右)「バベルの塔」
↑美術史博物館のカフェ