2022年度卒業論文(2)ー中間報告
古民家再生ークラとハナレの保全再生と新築施設の付加
Reproduction of Old Folk Houses - Conservation of storehouses and guesthouse and addition of the new construction house -
1.研究の目的
近年、古民家の再生に注目が集まっている。木造建築の持続可能性は、文化財保護の指定・登録制度による「保存」にとどまらず、カフェ、ギャラリー、住宅などへの現代的再生によって実現可能になる。昨年より、研究室でおおいに着目しているのは、カール・ベンクス氏(80)の活動である。旧東ドイツ出身のカール氏はベルリンの壁を越えて西側に亡命した。父親の影響で、幼いころから、ブルーノ・タウトの『日本の家屋と生活』等の著書に親しんでおり、日本の文化と建築に憧れを抱き、パリ経由で来日。その後、新潟県十日町市の限界集落「竹所」に移住し、自邸「双鶴庵」をはじめ多くの民家を再生して集落人口を倍増させている。
このたびASALABは、鳥取市河原町大字河原に所在する空き家T家の建造物調査を管理者より依頼された。T家は主屋の一部や土蔵が幕末に遡る古民家であり、文化財保護の対象たりうるが、所有者・管理者は邸宅を文化財とすることを望んでいない。むしろ土蔵をカフェに再生転用するアイデア等が面白いと考えている。カール・ベンクス型の再生手法がモデルとなりうる木造建築群だと思われる。
こうした管理者等の意見を踏まえながら、筆者はT家の「一部」を現代的施設に再生する案を具体的に示したい。なぜ一部かと言えば、敷地全体の面積が300坪(約1,000㎡)に及び、新しい事業主が不動産を購入して運営するには土地等購入代金が高く、維持管理にも手間が掛かりすぎるからである。
↑T家背戸川沿いの土蔵群と裏木戸
2.T家の第1次調査
T家は河原町河原の上方往来(因幡街道)に東麺して西側に建つ旧地主宅である。対面には映画「寅次郎の告白」(1971)の舞台となった新茶屋が店棚を構える。新茶屋も今は空き家である。T家の調査はこれまで2度おこなっている。第1回調査は5月18日に主屋、土蔵2棟(南蔵・西蔵)の実測と屋敷地全体のドローン空撮に取り組んだ。敷地は広大であり、背面側は背戸川まで達している。
主屋: 木造平屋建切妻造鉄板葺。元は茅葺の四間取りに復原される。表側の2室(奥座敷+仏間)は地味な書院造で保存状況が良好。座敷飾のうち付書院を平書院とする点は省略的であり、長押を全く用いない点も農家に近く古式を示す。後述する土蔵の年代を参照にすると、この2部屋のみ幕末に遡る可能性がある。裏側の2室とツノヤ、厨房(元土間)は大正・昭和以降の改造が著しく、文化財保護の対象とはみなしがたいが、景観資源としては重要である。
南蔵: 敷地南側、小路沿いに建つ東西棟(7間×3間)。内側にオダレ(庇)が付き、背戸川に西妻壁が面する。二階建切妻造桟瓦葺で東側のハナレとほぼ同高。妻壁の小屋組は梁を相接して積み上げ、束を用いていない。戸口のマグサと背戸川に面する妻壁の妻飾に三葉葵御紋のコテ絵をあしらう。
T家南蔵 平面図・断面図
西蔵: 敷地の西側中央、背戸川に面して建つ南北棟。二階建切妻造桟瓦葺で北側に裏木戸・味噌蔵が軒を連ねる。三葉葵家紋のコテ絵は戸口マグサのみ確認できる。南側の妻壁はトタン張りになっている。現存平面規模は桁行3.5間×梁間3間だが、南妻壁のさらに南側地面に2間ばかりの盛り上がりがあり、土蔵基礎はここまで続いていたと推定され、当初平面は桁行6~7間であったと思われる。主屋背面のツノヤを増築する際、蔵の一部を切り取り、切断部分にトタンを貼ったのが今の妻壁ではなかろうか。おそらく当初の妻壁には三葉葵御紋をあしらっていただろう。
小屋組は南蔵と同じく梁を相接して積み上げ、束を用いていない。両者で異なるのは梁間の柱割であり、南蔵では半間毎、西蔵では3尺毎に柱を立てる。両者の妻壁と入口マグサに残る三葉葵御紋は同型であり、二つの土蔵が幕末以前に遡るのは間違いない。この理由については詳らかではないが、本家が徳川家に米を献上したという伝承があるようだ。鳥取県内で葵御紋をあしらう建築は因幡東照宮とその別当寺「大雲院」のみとされてきたが、T家土蔵2棟がそれに加わった。
Reproduction of Old Folk Houses - Conservation of storehouses and guesthouse and addition of the new construction house -
1.研究の目的
近年、古民家の再生に注目が集まっている。木造建築の持続可能性は、文化財保護の指定・登録制度による「保存」にとどまらず、カフェ、ギャラリー、住宅などへの現代的再生によって実現可能になる。昨年より、研究室でおおいに着目しているのは、カール・ベンクス氏(80)の活動である。旧東ドイツ出身のカール氏はベルリンの壁を越えて西側に亡命した。父親の影響で、幼いころから、ブルーノ・タウトの『日本の家屋と生活』等の著書に親しんでおり、日本の文化と建築に憧れを抱き、パリ経由で来日。その後、新潟県十日町市の限界集落「竹所」に移住し、自邸「双鶴庵」をはじめ多くの民家を再生して集落人口を倍増させている。
このたびASALABは、鳥取市河原町大字河原に所在する空き家T家の建造物調査を管理者より依頼された。T家は主屋の一部や土蔵が幕末に遡る古民家であり、文化財保護の対象たりうるが、所有者・管理者は邸宅を文化財とすることを望んでいない。むしろ土蔵をカフェに再生転用するアイデア等が面白いと考えている。カール・ベンクス型の再生手法がモデルとなりうる木造建築群だと思われる。
こうした管理者等の意見を踏まえながら、筆者はT家の「一部」を現代的施設に再生する案を具体的に示したい。なぜ一部かと言えば、敷地全体の面積が300坪(約1,000㎡)に及び、新しい事業主が不動産を購入して運営するには土地等購入代金が高く、維持管理にも手間が掛かりすぎるからである。
↑T家背戸川沿いの土蔵群と裏木戸
2.T家の第1次調査
T家は河原町河原の上方往来(因幡街道)に東麺して西側に建つ旧地主宅である。対面には映画「寅次郎の告白」(1971)の舞台となった新茶屋が店棚を構える。新茶屋も今は空き家である。T家の調査はこれまで2度おこなっている。第1回調査は5月18日に主屋、土蔵2棟(南蔵・西蔵)の実測と屋敷地全体のドローン空撮に取り組んだ。敷地は広大であり、背面側は背戸川まで達している。
主屋: 木造平屋建切妻造鉄板葺。元は茅葺の四間取りに復原される。表側の2室(奥座敷+仏間)は地味な書院造で保存状況が良好。座敷飾のうち付書院を平書院とする点は省略的であり、長押を全く用いない点も農家に近く古式を示す。後述する土蔵の年代を参照にすると、この2部屋のみ幕末に遡る可能性がある。裏側の2室とツノヤ、厨房(元土間)は大正・昭和以降の改造が著しく、文化財保護の対象とはみなしがたいが、景観資源としては重要である。
南蔵: 敷地南側、小路沿いに建つ東西棟(7間×3間)。内側にオダレ(庇)が付き、背戸川に西妻壁が面する。二階建切妻造桟瓦葺で東側のハナレとほぼ同高。妻壁の小屋組は梁を相接して積み上げ、束を用いていない。戸口のマグサと背戸川に面する妻壁の妻飾に三葉葵御紋のコテ絵をあしらう。
T家南蔵 平面図・断面図
西蔵: 敷地の西側中央、背戸川に面して建つ南北棟。二階建切妻造桟瓦葺で北側に裏木戸・味噌蔵が軒を連ねる。三葉葵家紋のコテ絵は戸口マグサのみ確認できる。南側の妻壁はトタン張りになっている。現存平面規模は桁行3.5間×梁間3間だが、南妻壁のさらに南側地面に2間ばかりの盛り上がりがあり、土蔵基礎はここまで続いていたと推定され、当初平面は桁行6~7間であったと思われる。主屋背面のツノヤを増築する際、蔵の一部を切り取り、切断部分にトタンを貼ったのが今の妻壁ではなかろうか。おそらく当初の妻壁には三葉葵御紋をあしらっていただろう。
小屋組は南蔵と同じく梁を相接して積み上げ、束を用いていない。両者で異なるのは梁間の柱割であり、南蔵では半間毎、西蔵では3尺毎に柱を立てる。両者の妻壁と入口マグサに残る三葉葵御紋は同型であり、二つの土蔵が幕末以前に遡るのは間違いない。この理由については詳らかではないが、本家が徳川家に米を献上したという伝承があるようだ。鳥取県内で葵御紋をあしらう建築は因幡東照宮とその別当寺「大雲院」のみとされてきたが、T家土蔵2棟がそれに加わった。