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アイム・ノット・ゼア

 フェデラーとナダルの全豪決勝、震えましたね。役者がちがう。勝敗の瀬戸際でメンタルがぶれない。顔に心があらわれない。失敗をひきづらず、常に前をむいて勝利をめざす。戦いのなかで反省やら後悔をしている暇はないのだ。
 いつも夕食後、家族はそれぞれの部屋に散っていくが、この夜だけはリビングをだれも動かなかった。WOWOWが映るテレビは1台しかないからね。息子は軟式テニスとバトミントン、娘はバレーボールの経験者なのでネット競技に詳しい。いろいろ教えてもらいながら、二人の熾烈な戦いに一喜一憂し続けた。
 素人ながら思う。フェデラーのワンハンド・バック・ストロークは羽をひろげる丹頂鶴のように美しい。両手打ちが当たり前の時代に片手をふりあげてボールを返し続ける。あの姿だけでも国宝ものだと魅入ってしまった。

 WOWOWライブの全豪中継が終わると、WOWOWシネマで映画「アイム・ノット・ゼア」(I'm Not There, 2007)が始まった。事前に情報を収集したが、たいした解説はみつからない(まともに批評できる人材がいない?)。たとえばウィキペディアは「歌手ボブ・ディランの半生を6人の俳優達(クリスチャン・ベール、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー)が演じる伝記映画。第64回ヴェネツィア国際映画祭にて審査員特別賞と女優賞を受賞」という3行解説があるだけで、あとは以下の受賞歴を列挙するのみ。

  第64回ヴェネツィア国際映画祭:審査員特別賞
  第64回ヴェネツィア国際映画祭:女優賞(ケイト・ブランシェット)
  第65回ゴールデングローブ賞:助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
  全米映画批評家協会賞:助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
  シカゴ映画批評家協会賞:助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
  トロント映画批評家賞:助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
  ラスベガス映画批評家協会賞:助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
  女性映画批評家協会賞:特別賞
  ニューヨーク・オンライン映画批評家協会賞:助演女優賞(ケイト・ブランシェット)
  サンタバーバラ国際映画祭:モダンマスター賞
  インディワイアー映画批評家協会賞:助演俳優賞
  インディペンデント・スピリット賞:ロバート・アルトマン賞
  セントルイス映画批評家協会賞:オリジナル/革新的/創造的映画賞
  カメリマージュ映画祭:ブロンズフロッグ賞


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珈琲の実が赤く熟さない問題について

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 珈琲の樹を室内にいれてからはや三月。碧い豆は相変わらず翠のままで赤くなってくれない。が、ついに一つの豆が熟し始めた。調べてみれば、実が赤くなるのは10月ころらしい。
 プランターの土を掘り起こし、象牙のスプーンで新しい肥料を埋め込んだ。室内用の匂いのしない肥料である。猫も穴掘りに飽きてしまい、チョコボールのような小玉の肥料を掘り出すことはなくなった。
 さて、まわりの実も色づくか?
 実を種にして植え付けるにしても、そろそろリミットのようだ。もう少しだけ様子をみてみよう。


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2016年度卒論・修論発表会のお知らせ

 修士論文の提出〆切が2月2日(木)に近づいてきました。修士論文及び卒業論文の発表会はその2週間後の2月16日(木)です。その日には修士1年次の中間発表会もおこなわれます。


  2016(平成28)年度環境学部卒業論文ポスターセッション

   1.日 時: 2月16日(木)09:00~11:55
   2.会 場: 学生センター2階(多目的ホール&ギャラリー等)
      
09:30~10:30 プレゼンタイム1(学籍番号奇数)
 浅木「歴史的町並みの実像と表象-鳥取市立川・樗谿のケーススタディ-」
 木村「密壇及び護摩壇の仏具とその配置に関する基礎的研究-乾隆山大雲院を中心に-」
 武田「大雲院の懸仏に関する比較研究-麒麟獅子の起源と絡めつつ-」
      
10:30~11:30 プレゼンタイム2(学籍番号偶数)
 石田「K.E.Larsen & N.Marstein(2000) Conservation of Historic Timber Structure
   -An ecological approach-
の翻訳と批評~木造建築の修復に係る日欧の比較考察~」
 大石「ブータンの崖寺と瞑想洞穴-第4~5次調査の報告-」

   *論文〆切は2月22日(水)17:00

   
  2016(平成28)年度環境経営研究科1年次中間発表会(3名) 
   1.日 時: 2月16日(木)13:00~14:05
            *ASALABの発表者はいません。
   2.会 場: 14講義室

  2016(平成28)年度環境情報学研究科修士学位論文発表会(3名) 
   1.日 時: 2月16日(木)14:15~16:05
   2.会 場: 14講義室
   3.発表時間:30分  ※質疑応答含む
   4.ASALAB発表者と演題
    15:20~15:50 吉田 健人
     「乾向山東隆寺大雲院の建築遺産に関する研究-仏堂・厨子の特質と指図の復元-」


 
【前後の重要行事】
 2月13日(月) 社会人・留学生入試
 2月16日(木) 卒論PS&修論発表会
 2月18日(土) 第2回仏ほっとけ会(摩尼寺・大雲院仏教講座)
 2月25日(土)  入試前期
 3月 1日(木)~9日 スロバキア・ハンガリー木造建築遺産の視察
 3月13日(月)  入試後期
 3月18日(土)  卒業式
 3月25日(土)  法蓮寺(愛媛県上浮穴郡久万高原町露峰1427)講演
         「男はつらいよ ~ブータン山寺奮闘記
 4月4日(火)  入学式


雪作務

 23日(月)午後1時、奈良を早めに出発した。ニュースから飛び込んでくる情報は「大雪、大雪・・・」の繰り返し。近畿自動車道のあたりからはやくも吹雪が舞い始めた。中国道に入っても断続的に吹雪に襲われるが、もちろん積雪はない。途中眠くなり、安富パークで半時間仮眠をとった。なにやら案山子も元気ない。
 佐用から鳥取道に入り、吹雪は一気に激しくなった。大原から粟倉に至って雪化粧が厚くなる。前を大型のトラックがのんびり走っている。時速30~40km。ラッキーだ。少し距離をおきながら大きな轍をトレースしていけばよいのだからね。
 午後5時過ぎ、鳥取南インターで地道に下りる。少々後悔した。延々と渋滞が続いている。それでも動いていないわけではない。前を走る軽自動車が尻を震わせる姿を恐るおそる観察しながら凸凹の雪道をゆっくり走る。下宿に着くと午後6時を過ぎていた。さて、雪掻きだ。近くで若奥様が先に雪掻きを始めていた。みな同じ思いで雪を掻いている。いま掻いても明日になればまた雪掻きさ。
 所要時間を訊ねた。軽自動車なら20~30分で済むといわれ、少し勇気が出て、ハイスピードでスコップを震う。良い調子で掻いていくと、若奥様の車が動かなくなった。前輪が空回りしている。遠くにいた一人の主婦が助っ人に駆けつけてきた。わたしももちろん手を貸す。雪国に住んだことがない方には分からないだろうが、雪に埋もれた車輪の空回りを接地させるのは骨の折れる仕事である。いったいどの雪が悪さを働いているのかよく分からないから、あちこちの雪を掻くのだが、なかなか効果があらわれない。わたしは奥様のキーを拝借し、人妻の車に乗り込んだ。甘美な匂いがしますな、ぐふふ・・・ギアをバック(R)とロー(L)に切り替えながらエンジンをふかし、車を押してもらう。10分ばかりで車はくぼみから脱出した。今度はわたしの車だ。思いの外すんなり駐車スペースに納まった。初日はこの程度で済んだ。
 しかし、それにしても、ヘトヘトだ。ジムよりはるかにキツい。まずは室内で温まってiPadを確認すると、広島に戻っていた同僚が岡山で動けなくなり、岡山のホテルに泊まるという連絡が入っていた。そして、智頭の悲惨な大停滞を知った。鳥取道(高速)はのろのろ運転で車は動いていたが、真下の国道53号と373号は100台渋滞になって多くのドライバーが雪の夜を過ごしたのだ。
 帰鳥できたこと自体が幸運であったわけだが、そんなわたしの疲労もピークに達していた。ちかくの焼肉屋で夕食し、帰宅後まもなく眠りに落ちる。


雪(八東)1485316659422 旧八東町に住む学生からゼミ欠席のメールあり。こういう状態だそうです(25日)。


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ネラー

 子どもたちは私のことをネラーだという。ネクラではない、ネラーです。なんじゃそれは? 聴けば、「ネット住人」のことらしい。私はスマホはもっていない。あれに嵌っている人間を、どちらかといえば軽蔑する世代の代表選手なのだが、正月以来、ソファに寝転んでiPadにどっぷり浸りきった。一つにはブル様の印象が鮮烈すぎて、80~90年代の名勝負の映像を限りなく視てしまったからだ。中毒になっていた。
 そんな自分がヤになり、この週末はiPadを持ち帰らなかった。仕事に専念したい。その構想が脆くも崩れ去った。昨日の午後からのTVプログラムはやばいよ。全日本卓球選手権男女決勝から全豪の錦織vs.フェデラーだから、半天浪費了。
 中国語の「半天」とは、半日というよりも、「(死ぬほど)長い時間」を意味します。そんな時間を消費してしまった。

 平野対石川は、圧倒的に平野が優勢だった。石川を超える人材が出てこないと中国には勝てない、と思っていましたが、大本命が急成長を遂げてくれて、ほんとうに良かった。メダリストたちはバラエティの出演を控えて練習に打ち込まないと、またたくまに立場が逆転しますよ。
 錦織は善戦ではありました。しかし、フェデラーはモノが違う。天才だね。技術や体力だけではなくて、メンタル・コントロールと戦略がずば抜けている。こんな相手にいらついてラケットを地面に叩きつけても駄目です。敵の思うツボだ。脇腹を痛めたことも、事故のようで、どうなのかな? ゲーム中の故障が錦織の場合、多すぎる。あぁ、またか・・・弱かったころのジョコビッチとどこか似ているよね。食物制限をしっかりやっているのかな。35歳よりも早く疲弊していた点がとても気になる。
 ちゃんとグルテン・フリーして、ケトゥン体質になっているのか?



J.Tの“Dad Loves His Work”。これをJ.Tの最高傑作と評価する人もいます。中古版のお値段は¥ 142 (+配送料・手数料¥ 350)。アメリカの業者から発注後17日で届きました。ところで、若かりしころのJ.Tとフェデラー、似てますねぇ?

 

デカフェ・スタバ

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 去る1月11日よりスタバでもデカフェメニューが始まっています。珈琲類なら何でも+50円でデカフェにできる(ドリップマシーンにデカフェ抽出機能が付加されたとか?)。たまたま娘がサービス券をもっていたので、3人で高の原イオンのスタバにレッツゴー。わたしはエスプレッソのデカフェを注文した。なんか変だね、エスプレッソのデカフェって。十分美味しかったですよ。店 頭にはデカフェの珈琲豆も売っておりました。結構悩んだんだけど、買うのはやめた。
 ちなみに、奈良に住む我が家全員の共通意見としてお知らせしたいのですが、鳥取のスタバは味がよろしくない。みな同じ意見です。関西圏とはあきらかに味がちがう。微かな違いかもしれないが、薄っぺらで人工的な味がする。

 じつは27歳の息子までもが珈琲を飲み過ぎると眠れない、と言い出していて、アマゾンで取り寄せた「マウントハーゲン オーガニック フェアトレード カフェインレスインスタントコーヒー」を水筒に詰めて持ち歩こうと言い出しているんです。いま同居している4名はみなカフェインレスを臨んでいるわけですが、この状況をみるにつけ、コンビニ珈琲や缶コーヒーもまもなくデカフェ・バージョンが出回るようになるでしょうね。


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デカフェ

 運転免許更新に行ってきました。
 わたしは違反運転者(B)、講習約2時間。次の更新までわずか3年。数年前までゴールドで30分講習・5年更新だったのに、あれよあれよというまの転落でした。ライク・ア・ローリング・ストーン・・・・ディランの言いたいことはちがうんだけどね。転がる小石にはカビや苔がくっつかない。つまり、動きを止めない人間には重荷やしがらみがない、ということを言いたいのではなかったのかな。
 いちばんの問題はたぶん視力です。わたしは右目に難病を抱えているのですが、昨日はきちんと検査を受け、免許携帯に支障ないと診断されました。

 さて、わが家ではデカフェがブームになってます。きっかけはマカオのスーパーでデカフェのポルトガル珈琲(インスタント)を、デカフェとは知らず買って帰ってきたことに始まる。珈琲は飲みたいが、午後~夜に飲むと眠れなくなるし、カフェインに胃腸が敏感に反応してゲーリー・ピーコックになってしまうこともある。珈琲好きではありますが、家族全員がいろいろな悩みを抱えています。
 ジョコビッチ(最近不振ですね)本の影響もあります。どうやら一流のアスリートやモデルは、グルテンだけでなく、アルコールとカフェインもカットしている。還暦を迎え、残りの人生を考えたわけです。長生きするには、グルテン、アルコール、カフェインの三禁を実行するしかない。しかし、どういうわけか、本日、アマゾンからニッカの「フロム・ザ・バレル」が届いた。これはシングルモルトではなくて、熟成されたモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドして再貯蔵(マリッジ=結婚)させ馴染み合わせている。「再貯蔵の後、割り水をせずにそのままボトルに詰められた、アルコール分51%の個性豊かなウイスキー」ということで、アマゾンのレビューはじつに225件に達しており、総評価は★4.3です。マッサン放映時には手に入らなかったのが、いまは当日便で届きます。ジム・ビームのデビルスカットにするか、迷ったんですが、久しぶりにフロム・ザ・バレルを選んで満足してます(どこが三禁だ!)。

 一緒に届いたのが、「マウントハーゲン オーガニック フェアトレード カフェインレスインスタントコーヒー」。こちらは なんと515件のカスタマーレビューで★4.4。調べてみると、ドリップ珈琲、紅茶、日本茶すべてにデカフェ製品が各社出揃っています。が、いちばんのデカフェはルイボスだね。わたしの場合、夜の飲料は大学でも下宿でも実家でも、圧倒的にルイボスになってしまっている。ルイボスも各種あって、私はティーライフの「ノンカフェイン ルイボスティー ティーバッグ 3g×100個入」( 710件のレビュー で★4.5)がリーズナブルで愛用してますが、味は<中の上>ってところでしょうか。味が良いのは伊藤園と無印ですが、少々高い。
 ルイボスは胃腸にやさしく、不眠を誘わない美味しいお茶だと思います。
 紅茶も珈琲も卒業だね。


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 穏やかな年末年始を自堕落に過ごし鳥取に戻ると、たちまち大雪に見舞われた。気象学を専攻する若手がセンター試験を心配して木曜日に豪雪予報のメールを学部全員に送信してきた。過去のデータと比較すると、1999年1月9日(75㎝/日)、2000年2月16日(54㎝/日)など鳥取平野で1日の降雪量が50㎝を越えた日の天気図と週末(14~15日)の予想天気図が酷似しているとのことで、天気図まで添付してある。自身の体験に照らしても、50㎝を超える積雪があるだろうと予感していたが、結果としていうならば、市内の積雪は15㎝程度にとどまった。


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 13日の午後から吹雪が舞い始めた。山陰特有のベタ雪ではなく、さらさらの粉雪で十数分もすれば一面を真っ白にしたのだが、吹き降りは断続的であり、車を埋めてしまうほどの積雪にはならなかったのだ。しかしながら、外気は冷たい。冷凍庫のようだ。こういう場合、家で冬眠していたいところだが、安穏と過ごせばすごすだけ車に雪が貼り付き、駐車場から路地までアイスリンクになってしまう。たいした用はなくとも、敢えて車を動かすしかない。車を動かすことで車体が暖まり、貼り付いた雪を溶かすし、駐車場や路地に轍ができて前進後退が容易になる。翌朝のことを考えると、こうした事前の活動がどうしても必要なんだな。


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 とりあえずジムに行った(週末前後で計3回)。冷えたジムには2~3人しかいない。1時間ばかりトレーニングすると肩凝りがとれるし、たるんでいた腹筋が再び筋肉化の兆しをみせる。敢えて深夜には中央郵便局にも行ってレターパックを投函した。ほとんど室内着のまま、裸足にクロックスのサンダルをひっかけてでかけた。靴下と靴がべしょべしょに濡れるのがヤだったのである。しかしながら、深夜の雪を裸足のサンダルで踏みしめるのは、みなさん、おそろしく冷たいよ。二度とやらんぜ。・
 かりに15日に大雪が降って車が出せないようなら、わたしは大学まで歩いて行こうと決めていた。しかし、上に述べたように、結果は積雪15㎝であり、今年の「日本でいちばん長い日」は大過なく終わった。しかし毎年のことながら、疲れました。夕方、憂さを晴らしに飲みにでたいと思ったが、日曜日だから、たいした店もあいてない。いつものキャベツ短冊切を主食にして煮物とポークジンジャーで腹を満たすと、そのまま深夜2時まで爆睡してしまった。


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 月曜日まで疲れが残っていたが、昼に「たかや」で初蕎麦をたいらげ、さらに南下して河原の道の駅まで野菜を仕入れにいった。雪で品薄になっているのではないかと心配したが、どうしてどうして、スーパーではインフレ中の白菜・キャベツ、各種大根・蕪などがみな100~150円で買える。奈良のスーパーの1/3~1/4の値段であり、おおいに爆買いした。いまやキャベツは我が家の主食であり、安ければ安いほどありがたい。キャベツは美味い。


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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅦ)

 161226 庫裏保管


摩尼寺仏具の調査

 ゆめみし君と同じく、わたしも昨年末に補足調査をおこなったので、ここに報告しておきます。 
 12月26日(月)。摩尼寺の本堂と善光寺如来堂で仏具を調査しました。調査日に某供養がおこなわれるとのことなので、まずは庫裏に保管されている供養品として寄付された品々や住職個人所有の仏具をみせていただきました。


 161226 豆燭台  161226 火舎1  161226 火舎2  161226 觚形華瓶  161226 閼伽桶?


 大雲院や摩尼寺本堂などではみられない法具が多く、とても面白かったです。上の左から一枚目は燭台(蝋燭立)は豆燭台です。出張の際に持ち運ぶための仏具セットです。これまで普通の大きさだと思ってた仏具が大型サイズであることを知り、驚きました。2~3枚目はいずれも火舎香炉なのですが、2枚目のような小さい穴のまとまったものや3枚目の右側(左側はめくれてしまっている)のような線状の煙穴で意匠を作るものは初めて見ました。4枚目は華瓶なのですが、標準とされる「亜字形」でも「徳利形」でもなく、改めて調べてみると「觚(こく)形」と言われるものだと分かりました。5枚目は初めてみた仏具で、これまで調べた密壇まわりの品々に当てはまるものがなく、首をかしげていました、後日別のことで調べものをした際に蓋つきの閼伽桶(浄水を入れておく容器)ではないかなと思いました。

 供養が終わった後、密壇上を天台宗の指南書に従って並べ替えていただき、それを撮影しました。帰宅した後に気づいたのですが供養後に燭台に蝋燭を付け替えるために退かしていたらしく、多少異なった形になってしまいました。

 161226 燭台抜け忘れ  161226 燭台
 (本来は下の両角に右写真の燭台が置いてある、前回の調査で撮影)

 今回の調査では”摩尼寺の密壇仏具”に加えて庫裏に保管されていた仏具を撮影できたのが大きな収穫でした。多少入れ替わりがあれど基本的に形式が揃っていて、統一性があるものがこれまでで多かった中でユニークな仏具が実見できてよかったです。 (キム3号)

鳥取県フットボールセンター若葉台

 東京から連絡があり、大学の近辺でサッカーグラウンドを探さなきゃならなくなった。できれば芝生がいい。12日(木)の夜、初ジムを終え、風呂に入って蹴球酒場へ。客はひとりもいなかった。どのグラウンドなら借りることができるのか、教えてほしい、と訊ねると、もちろん蔵田のバードスタジアム、布施のグラウンド、千代川河川敷のグラウンドなどが思い浮かぶ。しばらくして、

  「あっ、若葉台があるじゃないですか!?」

と言われ、また仰天。そういえば、若葉台でガイナーレの練習グラウンドができるという話を聞いた記憶があるけれども、そのグラウンドができたのかどうか知らないし、大学のまわりをガイナーレの選手がうろうろしているという話を聞いたことがない。主人がスマホで地図を検索したところ、そのグラウンドは大学至近の場所にあり、しかもグラウンドは二ヶ所に分かれている。そういう事実を初めて知った。

 鳥取県フットボールセンター若葉台は、ガイナーレ鳥取の練習施設として建設され、2013年に開園された。とろが、それに先行する2012年末には米子に野人スタジアムが竣工し、ガイナーレの練習拠点となったことから、若葉台グラウンドはガイナーレに使用されることがいっさいなくなってしまったのだという。鳥取市側からみれば、こうしたガイナーレの節操のなさは仁義に悖るものであり、補助金縮小の契機となったらしい。こうしたドタバタ経緯もチーム弱体化と無縁ではないかもしれませんね。

 鳥取県フットボールセンター若葉台はプロチームの練習拠点にしようとしただけのことはあり、クラブハウスや室内トレーニングルーム、第2グラウンドなどを完備している。激しい吹き降りで一面が雪化粧した13日(金)の午後、クラブハウスをめざした。大学から車で5分。こんなところでおきていることさえ私は知らなかったのだ。ほかでもない、サッカーに係わることなのに。
 管理人さんに事情を説明した。すでにガイナーレの練習には使われてはいないが、市リーグ、県リーグなどの公式戦の会場となっており、その使用計画は4月になって決まるから、まだどの日にアキがあるとはいえないそうである。ただし、グラウンドは2ヶ所に分かれているので、そのすべてが使えない、ということはないかもしれない。ちなみに、第1グラウンドは水はけのよい芝生のグラウンドだが、第2グラウンドは雨天ではぬかるむそうです(晴れなら問題なし)。
 パンフレットを下に添付しておく。

鳥取県スポーツセンター若葉台_01
↑↓パンフ
鳥取県スポーツセンター若葉台_02

鳥取県スポーツセンター若葉台_03
↑料金表

立川~樗溪の町並み調査(8)

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谷口ジロー氏の足跡をたどる

 あけましておめでとうございます。ASALAB4年のゆめみしです。1月11日(水)、新年最初の全体ゼミが開催されました。じつに3コマにおよぶ長丁場のゼミになりました。修論・卒論提出予定者全員が冬休み中の成果について報告したからです。ASALAB以外でも、多くの学生が卒業研究に苦戦しています。かくいう私もその1人でして、立川~樗溪の町並みを主題としたものの、都市絵図の解読や谷口ジローの漫画『父の暦』に描かれた風景描写の分析でなかなか前に進みません。今後も精進して卒論に取り組みます。

 わたしの卒論と係わる講演会が昨年末開催されました。12月20日(火)、たくみ21の12月例会として西尾肇氏が「ルーブルが認めた漫画家-谷口ジロー、画業45年の軌跡-」と題する講演をされました。上に述べたように、『父の暦』『父の暦』に描かれた立川~樗溪の町並みの解釈を卒論に含むので、わたしも聴講させていただきました。
 西尾肇さんは元鳥取市立中央図書館館長であり、現在は鳥取短期大学にて非常勤講師をされております。少し前まで環境大学の人間形成科目「まんが文化論」も非常勤講師をされてました。西尾さんは作者、谷口ジローと親交があり、作者の幼少期の写真、作者未発売の書籍も所有されております。今回の講演では谷口ジロー氏の生い立ちを中心に、氏の作風の変遷や活躍をお聞きしました。


170111谷口ジロー講演①


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ゴールデン・グローブ受賞スピーチ

 全国高校サッカー選手権を青森山田が初制覇したり、全国大学ラグビー選手権では帝京が8連覇したり、駐韓国日本大使・総領事が帰国したり、大きなニュースが折り重なった一日だが、主役はメリル・ストリープに奪われてしまった。ゴールデン・グローブ受賞式典における彼女のスピーチはアメリカと世界の憂鬱を誠実に嘆き批判したものとして大きな反響を集めている。読後、作夏紹介したロバート・レッドフォード監督・主演の『大いなる陰謀』(2007)でストリープが演じた女性記者役を思い起こした。権力に屈せず権力を批判したいプレス(報道/記者)が、生活のためだと上役に説得され、権力の広報係になって悩むシーンでこの映画はフィナーレを迎える。そうであってはならない、とストリープはスピーチの最後に強く主張している。
 日韓問題は長引くだろう。両国を仲裁すべきリーダーを失ってしまったからだ。北の問題よりもやっかいな事になるかも知れない。世界がねじまがり始めた2017年、ドイツと日本の果たすべき役割はきわめて大きい。この2国だけはナショナリズムに向かってはならない。

 ストリープの原文は 以下のサイトに掲載されている。

  Meryl Streep’s Golden Globes Speech 
   By DANIEL VICTOR and GIOVANNI RUSSONELLO JAN. 8, 2017   

 敢えて、全文を転載しておこう。

Here is Ms. Streep’s speech:

Please sit down. Thank you. I love you all. You’ll have to forgive me. I’ve lost my voice in screaming and lamentation this weekend. And I have lost my mind sometime earlier this year, so I have to read.

Thank you, Hollywood Foreign Press. Just to pick up on what Hugh Laurie said: You and all of us in this room really belong to the most vilified segments in American society right now. Think about it: Hollywood, foreigners and the press.

But who are we, and what is Hollywood anyway? It’s just a bunch of people from other places. I was born and raised and educated in the public schools of New Jersey. Viola was born in a sharecropper’s cabin in South Carolina, came up in Central Falls, Rhode Island; Sarah Paulson was born in Florida, raised by a single mom in Brooklyn. Sarah Jessica Parker was one of seven or eight kids in Ohio. Amy Adams was born in Vicenza, Italy. And Natalie Portman was born in Jerusalem. Where are their birth certificates? And the beautiful Ruth Negga was born in Addis Ababa, Ethiopia, raised in London — no, in Ireland I do believe, and she’s here nominated for playing a girl in small-town Virginia.

Ryan Gosling, like all of the nicest people, is Canadian, and Dev Patel was born in Kenya, raised in London, and is here playing an Indian raised in Tasmania. So Hollywood is crawling with outsiders and foreigners. And if we kick them all out you’ll have nothing to watch but football and mixed martial arts, which are not the arts.

They gave me three seconds to say this, so: An actor’s only job is to enter the lives of people who are different from us, and let you feel what that feels like. And there were many, many, many powerful performances this year that did exactly that. Breathtaking, compassionate work.

But there was one performance this year that stunned me. It sank its hooks in my heart. Not because it was good; there was nothing good about it. But it was effective and it did its job. It made its intended audience laugh, and show their teeth. It was that moment when the person asking to sit in the most respected seat in our country imitated a disabled reporter. Someone he outranked in privilege, power and the capacity to fight back. It kind of broke my heart when I saw it, and I still can’t get it out of my head, because it wasn’t in a movie. It was real life. And this instinct to humiliate, when it’s modeled by someone in the public platform, by someone powerful, it filters down into everybody’s life, because it kinda gives permission for other people to do the same thing. Disrespect invites disrespect, violence incites violence. And when the powerful use their position to bully others we all lose. O.K., go on with it.

O.K., this brings me to the press. We need the principled press to hold power to account, to call him on the carpet for every outrage. That’s why our founders enshrined the press and its freedoms in the Constitution. So I only ask the famously well-heeled Hollywood Foreign Press and all of us in our community to join me in supporting the Committee to Protect Journalists, because we’re gonna need them going forward, and they’ll need us to safeguard the truth.

One more thing: Once, when I was standing around on the set one day, whining about something — you know we were gonna work through supper or the long hours or whatever, Tommy Lee Jones said to me, “Isn’t it such a privilege, Meryl, just to be an actor?” Yeah, it is, and we have to remind each other of the privilege and the responsibility of the act of empathy. We should all be proud of the work Hollywood honors here tonight.

As my friend, the dear departed Princess Leia, said to me once, take your broken heart, make it into art.


 和訳を以下のサイトで読むことができます。

   クーリエ・ジャポン http://courrier.jp/news/archives/72974/

 ぜひ読んでください。必ず読んでほしい。お願いします。

寒中お見舞い申し上げます

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マンダリン・マカオ(2)

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鄭観応と鄭家大屋

 鄭観応は清末~民国初の思想家・実業家である。広東省香山に生まれる(現在の中山市)。幼少期、童試(科挙の受験資格である国立学校の学生になるための試験)に失敗した後、父親の薦めもあり上海で商売と英語を学ぶ。1880年、洋務運動を推進した李鴻章より上海機器職布局と上海電報局の総裁に任命され、1883年には輪船招商局の総裁に昇進したが、翌年辞任。いったんマカオに隠棲するも、1891年に開平煤砿局総裁に抜擢され、翌年には輪船招商局総裁に返り咲いた。


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 鄭家大屋はマカオ隠棲期(1884-)の住まいであり、建立年代を上の論文では1881年ころとするが、屋内展示パネルによると、様式上1869年以前に遡るとのこと。マカオに残る最古最大の中国式住宅で、総面積は4000㎡、奥行120m、部屋数60以上に及ぶ。最盛期には居住者300人を超えたという。トオリニワが極端に大きくなったような幅広の通路が敷地の片側を貫く。これを「轎道」という。轎道の片側に接して2階建の居住ブロックが縦に何列も並ぶ。ブロックとブロックの間に小路(巷)を通すところもあり(↑)、住宅が都市の圧縮のような趣きがある。あるいは、住まいに都市を埋め込んでいるという言い方のほうがよいかもしれない。


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 各ブロックには必ず中庭を伴う。廬家のように天井(てんせい)式の場合もあるが、むしろ北方四合院の院子(ユアンヅ)、すなわち大型の中庭を多用している。ステンドグラスは目立たないが、壁を白亜に塗って一部の窓にはアーチを設け、2階に石柱を並べる。あきらかにコロニアル・スタイルであり、異国情緒が溢れている。西洋もしくはインドの影響とみることができるだろう。小屋組は南方的な穿斗式ではなく、北方的な擡梁式とする(↑右)。


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↓↑アーチ式の窓
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マンダリン・マカオ(1)

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マカオ歴史地区の中国的遺産

 なんどか述べたかもしれないが、澳門は三度めの訪問になる。一度めは2001年の3月、本学に着任する直前だった。コロアネ島にあるエッグタルト発祥の店、ロード・ストウズ・ベーカリー(アンドリュー)でエッグタルトを買い込み、対面の広場の椅子に腰掛けて背伸びしながら青空を見上げ、解放感に浸っていた。オレは彼岸に行ける・・・現実はそんなに甘くなかったが、此岸からワープして新世界に飛翔する前の快感を澳門で堪能した。


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 2回めは2006年の冬。澳門は変革を迎えていた。前年(2005)、「マカオ歴史地区」がユネスコの世界文化遺産に登録されたからだ。マカオ歴史地区の構成資産は23の歴史的建造物・庭園と8ヶ所の広場からなる。その大半はポルトガルの植民地遺産だが、中国的(マンダリン)なマカオもちろん含んでいる。媽閣廟はマカオの語源及び起源と係わる海神の祭場であり、盧家大屋と鄭家大屋は中国人の住宅である。規模からみれば、盧家は中型、鄭家は大型に分類されるであろう。


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廬家と鄭家

 10年前(2006)のレポートから再録しておく。廬家屋敷(廬家大屋)はマカオに残る数少ない中国式大邸宅として世界遺産に登録されている。清末、光緒十五年(1898)の建築。中国の大富豪にして銀行家、マカオの「カジノ王」とも呼ばれた廬華紹(廬九)の旧宅である。南方中国に特有な天井(テンセイ=小さな中庭)をもつ2階建ての住宅。ステンドグラスをはじめ、ポルトガル風の装飾が散りばめられ、清末中国の過剰装飾を抑制して、えもいわれぬ微妙な中葡折衷の意匠を生み出している。


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鄭家轎道


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ジョコビッチが教えてくれた

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 昨年いちばんの収穫はダイエットに成功したことだ。夏のブータン行に携帯した森永卓郎 『モリタクの低糖質ダイエット』 (2016)の指示にできるだけ従い、炭水化物と糖分の摂取を控えたところ、年末までにウェストが20㎝細くなった。家に所有するズボンの7~8割が履けなくなっていたのだが、それらすべてのホックが腹位におさまったのである。
 
 年末の澳門には以下の2冊を携行した。

  ①ノバク・ジョコビッチ『ジョコビッチの生まれ変わる食事』(三五館、2015)
  ②柳澤 健『1993年の女子プロレス』(双葉社、2016)


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グルテン・フリー

 ①については、低糖質ダイエット本の一種であろうと思って買ったのだが、たんなるダイエット本ではなく、人生そのもの、人の生き方そのものに対する深い洞察に満ちている。森卓本では、炭水化物や糖質をすべて悪玉扱いしているが、ジョコ本はちがう。悪いのは麦類に含まれるグルテンであって、炭水化物も糖も必要なときにはとるべきだという考え方をしている。グルテンはつまり、ゲル状の蛋白質で、血液を粘つかせ、鼻づまりの直接的な原因になる。クッキー、ケーキ、パン(とくに菓子パン)、パスタなどに大量に含まれている。
 ジョコビッチは3食すべてにおいてグルテンを排除する。麦でできたフードは全排除だ。しかし、糖と炭水化物は毎日摂取している。その摂り方には厳しい原則がある。朝には蜂蜜を大匙2杯舐め、昼はグルテンフリーのパスタをかなり食べる。それらは過酷なトレーニングをこなすエネルギー源となるものである。ところが、夜はあらゆる炭水化物を口にしない。これはおそらく体重と血糖値をコントロールするためであろう。こうした炭水化物の部分的な制御とグルテンフリーを組み合わせた食生活をまずは2週間続けてみる。すると、体重が数キロ減少し、鼻づまりが解消される。体が軽くなってスタミナが持続するようになる。
 澱粉カットした自らの経験を思い出すと、1週間めは空腹感にさいなまれるが、2週間めで慣れてきて、3週間経ったところでウェストを計測すると8センチも減っており、その成果に驚喜し、やる気がおこった。だから、たしかに2週間という試行期間は重要だと思う。


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 わたしたちはジョコが食べているグルテンフリーの食材をもっていない。しかし、その代用になるものはある。まず思い浮かぶのが蕎麦だ。森卓本では、蕎麦も澱粉が多いからカット、と書いてあった。おかげで、昨年後半の蕎麦摂取量は例年の1/4程度まで抑えられた。しかし、ジョコの理論に従うなら、グルテンフリー・パスタとして蕎麦を昼食にとることは問題ない(夜は避ける)。加えてじつは、米もグルテンフリーの炭水化物だ。食べ過ぎてはいけないが、朝食として納豆ご飯を食べるのはわるいことではないだろう。白米を玄米なり雑穀米にすればさらによい。パン&珈琲&ジュースの洋食より、米&味噌汁&納豆の和食のほうが、グルテン・フリーという点において、はるかに健康的であるはずだ。




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ガロ

 深夜のBS朝日「熱中世代 大人のランキング」(再放送)で元ガロのリーダー、大野真澄のトーク番組をやっていた。聞き手は鴻上尚史。ガロと言えば「学生街の喫茶店」(1972)なんですが、昭和歌謡曲風の曲調に少々腰がひけてしまう。しかし、あの曲はレコード会社がレコードの売り上げを狙ってガロに歌わせたもので、大野の発言に従うならば、「みな好きな曲ではなく、ライブ・ステージでは歌わなかった」そうです。
 ガロは日本のCSN(&Y)と呼ばれていた。下は「青い目のジュディ」のコピー演奏。これだけ複雑な3声のコーラスをこなすだけでもたいしたものだ。ギターはもちろん変則チューニング(EEEEBE?)になっている。


 


 CSN(&Y)をやりたい気持ちは死ぬほどわかるし、実際やれたのだから、その気持ちは私などよりはるかに強いものだったろう。しかし、日本の音楽シーンはCSN(&Y)から遠すぎた。ひょっとすると、今なおCSN(&Y)に追いついていないかもしれない。「青い目のジュディ」をモデルにして日本語の歌をつくってもレコードは売れない。

 不思議なことに、大野真澄は番組でCSN(&Y)のことにまったく触れなかった。かれは終始ビートルズ愛を語り、「方向性がちがうと言っても、みんなビートルズが好きだった。その点で音楽の方向性のちがいなどなかったに等しい」と言い切ったのだ。しかし、現実には結成後5年目にあたる1976年にガロは解散している。
 少し調べてみたが、音楽指向のちがいは確かにあったと思う。CSN(&Y)路線を推し進めたかった堀内護、クラプトンに憧れてハードロックバンドを組んだ日高富明、ビートルズが好きだと言いながら吉田拓郎や歌謡界との連携を強めようとした大野真澄。ウィキペディア「ガロ」には、以下の逸話が紹介してある。

  解散理由としては日高富明がロック志向になったという音楽的対立の他、大野真澄が音楽的にも
  人間的にも吉田拓郎に傾倒していったことが直接的には大きいという。それまでハーモニーを重要視
  して音楽性を追求してきたが、拓郎に曲を書いてもらうという話になり、拓郎宅に三人で行ったが、
  大乗り気の大野と比べて乗り気でない他の二人が、曲は自分たちで書くからプロデュースだけして
  欲しいと拓郎に提案すると拓郎が怒り話が流れた。もう一緒に出来ないと解散が決まり(後略)



間奏のオーボエがよいね~



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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