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ナカグスク

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みんなにありがとう!

 58回めの誕生日を迎えております。
 アマゾンの大きな箱が届いて、注文もしてないのに、なんだろうと開封すると、ゼミ生一同からのバースディ・プレゼントでした。ありがとう。どうしようもない教師ですが、今後もなんとか支えてやってください。
 この年末、息子がよくしてくれましてね。お年玉をはずんでやろうと思います。ゼミ生諸君にも何か考えます。


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感想文に触発されて

 12月11日(木)の歴史遺産保全論で「史跡と名勝」という講義をした際、平城宮東院庭園の仕事を紹介した後、毛越寺庭園のスライドを1枚さしこみ、わたしはこうコメントした。

   毛越寺庭園と自分が関与した平城宮東院庭園を比べて、どちらが優れた
   史跡整備かと問われれば、わたしは躊躇なく毛越寺庭園だと答えます。

 毛越寺庭園は「復元」という介入を完全に排除することで大成功を納めた例外的な遺跡整備である。裏返すならば、日本の遺跡整備で成功した例などほとんどなく、平城宮ですらその例に漏れないとわたしは思っている。毛越寺は、発掘された遺構を露出し、池に水を溜め、陸に芝生を張るだけ。その結果、訪問者はその場所が潜在的に有する「地霊のオーラ」を体感できる。


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仲村家住宅

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珈琲の株

 十数年前、家族で沖縄を訪れた際、ヤンバルの山中をレンタカーであてもなくうろうろした果てに、山中の喫茶店で休憩した。店主はヤンバルで珈琲豆を栽培しており、その豆を炒って淹れた珈琲をだしてくれた。
 そのとき、「株主になりませんか」と誘われた。ヤンバルに栽培している珈琲の樹1本のオーナーにならないか、というお誘いである。たしか1万円払えば、一年の収穫豆が送られてくることになっていた。貧乏だった私は、そのお誘いを断った。断らなければよかった。バチがあたって、シアトルで買ったマリナーズの野球帽をその店に忘れてしまったのだ。
 こんどこそ株主になろうと心に決めていた。ネットで情報を集め、それらしきお店に電話したところ、「2年前の台風で珈琲の樹が根こそぎやられ、いまや豆の備蓄すらなく、ブラジルから輸入した豆で珈琲をだしている」という。


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股木の歴史的意義

 行く宛を失ったわたしたちは、タクシーの運転手が教えてくれた「ナカグスクがいいよ」というアドバイスだけを頼りに、カーナビの目的地をセットした。「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」の一つとし、平成12年(2000)、ナカグスク(中城)は世界文化遺産に登録された。渡名喜の重伝建選定とくしくも同じ年である。
 ナカグスクが所在する中頭郡北中城に向かって国道を走っていると、まもなく重要文化財「仲村家住宅」のサインボードが目につき始める。ナカグスクのすぐ近くに仲村家住宅(18世紀中期)はあった。渡名喜でたまたま「民宿ふくぎ」を選んだら再生古民家であったのと似ている。人間の歩む道筋は、自らの意図とは無縁のなにかが決めているように思えてならない。


アナヤーの股木



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渡名喜(Ⅴ)

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フットライトの小径

 渡名喜集落の村道1号線とその周辺は、夕方になると、フットライトでライトアップされる。毎晩、道は幻想的なイルミネーションで彩られるのである。その道を歩いて、2度目の食堂ふくぎへ。
 まぐろの刺身とグルクンの唐揚げに泡盛が進む。「久米仙」1合。食後、近くの桃原商店で少し買い物をした。沖縄にしかない元祖ボンカレーを2箱買ってお土産に。


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別荘にするなら

 民宿に戻って、のんびり寝ころがる。テレビではなにか演っていたが、記憶にない。フェリーで読み始めた『里山資本主義』を飛ばし読みしていった。勢いのある本で、呑まれてしまいそうだが、「こんなにうまくいくものかなぁ?」という疑念がわき上がってこなかったわけではない。
 早めに眠りに落ちた。が、いつものことで、目が覚める。トイレは別棟だ。1泊の民宿だから我慢できるが、仮に別荘とするならトイレは主屋に納めたいね。


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↑↓夜明け
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渡名喜(Ⅳ)

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港と郵便局

 長軸の長さが600メートルしかない島の観光を終えて、いったん宿舎に戻り、またぞろ歩き始める。港まで行ってみることにした。珈琲の飲める喫茶店ぐらいはあるだろう、と期待したのだが、だれに訊ねても「ない」と答える。
 フェリーポートの片隅に「ターミナル食堂」があって、そこには「営業中」の札が吊してあるのだが、戸は閉まっていた。正午だけ短時間開店する食堂らしい。その横に土産物売り場もあった。こちらはフェリー出発の30分前だけ市がたつという。
 珈琲を飲んだ。自動販売機の缶コーヒーである。ついでに、さんぴん茶(ジャスミンティー↑左)も買った。ターミナルの前に「重伝建」選定の石碑と案内板(↑右)を発見。この島の選定に尽力された方々に深謝、一礼。

 再び集落に這入る。東へ進むと郵便局にでた。絵はがきはなかったが、郵便ポストの形をしたはがきを買って、小文認め息子と義母に投函。さらに、沖縄産のタンカンを義母と平城園に送るよう手配した。徳島のK氏や愛媛のM氏にも送りたかったが、住所が分からない。ごめんなさい。


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村役場にて

 さらに歩いて、こんどは「村並みセンター」と称する民家をみつけた。いちばん最初に修復された建造物だそうである。その横の脇道に村役場の軽トラックが停まっていて、ひょいと覗くと、渡名喜島景観計画の報告書が目に入った(↓右)。軽トラの乗り手を捜した。だれも居ない。そうだ、役場に行くことにしよう。
 港の脇に建つ村役場の入口で事情を話すと、ただちに2階に通された。渡名喜村教育委員会教育行政課。スタッフは3人全員が女性である(課長は男性で別室)。リーターのM係長がたいへん丁寧に応対してくださった。『渡名喜島集落形成ガイドライン』という報告書報告書も2冊いただいら。係長は4月に配属されたばかりで、まだ町並み保存のことがよく分からないと仰られた。こういう方に限ってことの本質を理解されているものだ。


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渡名喜(Ⅲ)

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あがり浜

 昼食までの時間を使って、あがり浜まで歩いていった。ベンチに腰掛け、ぼんやり蒼い海と空を眺める。建前として、この浜は海水浴場ではない、とのこと。渡名喜では「海開き」という儀式が存在しない。暑くなれば泳げばいい。そういう感覚らしい。あがり浜は「水上の運動会」がおこなわれる重要な場所であり、夏には「天然のプール」がつくられると聴いたが、具体的にイメージできたわけではない。


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 集落内の小径があがり浜に接する部分にスライド式の鉄扉を設けている(↑左)。台風の猛威を暗示する防風扉だ。その道を西に歩いていく。道はときに折れ曲がり、枡形をつくる。それも防風対策のためであると聴いた。しかし、地図をみればあきらかなように、集落内の道は碁盤目を呈している(↑右)。グリッドパターンである。こういう集落の道路と家屋の配置は、「近代」の計画に従ったものであろう。定住の起源は古いのかもしれないが、災害がなんどか村の形を変え、最終的に近代的なプランに基づく居住環境が生まれたのだろうと想像した。ちなみに、村制の施行は明治41年(1908)というから、ずいぶん新しい。


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食堂ふくぎ と 民宿ふくぎ

 グリッドパターンは結構歩きにくい。縦横に走る道をすべて歩き尽くすことは不可能に近いからだ。とりあえず、昼食の場となる「食堂ふくぎ」に向かう。村道1号線のほぼ中央にある食堂ふくぎは、「民宿ふくぎ」群のセンターでもある。いま分布図を確認すると、村内に「民宿ふくぎ」は少なくとも4軒ある。あとで確認したところ、重伝建選定(2000)との前後関係は不明だが、民宿ふくぎは空家対策事業として民家を修理し民宿にコンバージョンしたものだという。同じヴァンに乗った他の旅行者は別の空家に滞在しているということになる。


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↑食堂ふくぎのヒンプン。珊瑚石の本格的な屏風だ。


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渡名喜(Ⅱ)

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掘り下げ屋敷の民宿

 沖縄県島尻郡渡名喜村は那覇市の北西60km足らずのところに浮かぶ2つの島からなる。一つは渡名喜島、いまひとつは入砂島で、後者は無人島である。村の面積は3.74km²で、富山県舟橋村についで面積が小さい。いわばブービー面積の自治体である。
 11月末の摩尼寺紅葉コンサートを終えたころから、渡名喜行の準備をはじめた。何度か村役場に電話し情報を得るに、年末年始は荒波によってフェリーがしばしば欠航するようで、旅程を定めがたかった。渡名喜島に渡れるか否かは一種のギャンブルのようなものだったのである。とりあえずは那覇まで行く。あとはお天気任せだ。幸い気候は穏やかだった。本州西部で4~5月の気候と思っていただけばよいかもしれない。渡航日の波高は2m。これぐらいならしれている。隠岐のフェリーは長時間だし、神戸港~関空のフェリーは短時間ながら波は高く船はおおいに揺れた。
 フェリー琉球のなかで、わたしは波の震動をほぼ感じることなく、船内で読書し、まもなく眠りに落ちた。
 後に同じ宿に泊まることになる京都の女性2名はこの波に苦しんだらしい。一人は酔ったといい、もう一人は酔い止めが効いてなんとか凌げた、と吐露した。かりにケントが乗船していたらどうなっていただろうか。


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 25日の昼過ぎ、那覇の泊港を出航したフェリー琉球は渡名喜港に着岸した。島の周囲は遠浅の珊瑚礁に囲まれており、渡名喜港は人工的に掘削してできたものである。以前は、珊瑚礁の外側に大型船を泊め、そこから小舟に乗り換えるか、干潮時に歩いて陸に上がったという。
 港に着くと、民宿ふくぎのスタッフが出迎えてくれた。宿のヴァンには「沖縄米軍基地所在 市町村特別活性化事業」と書いてある(↑)。渡名喜島に米軍関係の施設があるようには思えなかったが、入砂島一帯は米軍の射撃練習場とされ、一般人の立ち入りは禁止されている。NHKの「ちゅらさん」はオープニング背景に、この入砂島を使った。


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↑フクギの屋敷林


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渡名喜(Ⅰ)

 那覇にいます。カーナビがぜんぜんあわなくて、いきなりトラブルに巻き込まれた。疲れ果てましてね。チェックインした夕方から、午前1時まで眠りに落ちていた。目がさめて、繁華街をうろついてきました。お馴染みの野良猫状態です。

 本日8時半のフェリーで渡名喜島に渡ります。渡名喜(となき)は重伝建の島であり、日本で2番目に面積の小さい自治体でもあります。ここでも里山資本主義が始まっているかもしれませんね。 

 ちゃんと船に乗れるだろうか。
 もいちど寝ます。


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↑とまりん

クリスマス・イブ

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第32回六弦倶楽部練習会

 メリー・クリスマス!

 22日、米子水鳥公園で練習会が開催されました。第5回「コハクチョウとギターの調べ」でもあります。例年、そこそこのお客さまを集める水鳥公園の練習会ですが、この日はもうひとつでしたね。寒すぎるのかな。係員の方にきくと、「水鳥が集まる時期で客の数は多い」そうだが、バードウォッチングの専門家が大半を占めるのだろうか、ギターの演奏会場まで足を運ぶ来場者は少なかった。
 お客様がわずかで、倶楽部のメンバーが多いと、みなアガル。以前ほどではないけれども、緊張して普段ならありえないようなミストーンを連発するのである。ライバルというのは怖いものです。さて、演奏曲は以下のとおり。


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1.クリスマス・イブ
 クリスマス・ソングを一つ、という課題があって、私の場合、早くから「クリスマス・イブ」にしようと決めていた。準備といえば、とりあえず車中でCDを聴くこと、そして、カラオケを唱うことである。楽譜を2種類取り寄せた。いずれもAキーでアレンジされている。わたしはGキーでいくことにした。先月の「白い雲のように」と同じダブルドロップD。もちろん弾き語りなのだが、「カノン」を挿入した結果つまづいた。最初、カノンは有名な後半の4小節だけにしようと決め、その部分は目を閉じても弾けるようになっていたのだが、前の4小節も加えることにしたのが演奏前夜のことで、これが大きな間違いだった。バロックは落語の寿限無を音で表現しているようなもので、反復しつつ変化していくプロセスのどこかで噛んでしまうのである。今回は最初の4小節を割愛すべきだった。それで、すべて納まることになっていた。
 私だけではなく、今回ほぼすべてのメンバーがクリスマス・ソングに挑戦して、みな転んだ。練習時間が短すぎるからだろう。クリスマスとは無縁の季節にも人前で弾く練習をしておかないと、肝心のクリスマスで滑ってしまう。冬休みに練習しよっ。

2.さよなら、フランク・ロイド・ライト
 「カノン」のつまづきはフランク・ロイド・ライトにまで影響をもたらした。「さよなら、フランク・ロイド・ライト」はやっかいな曲である。ポール・サイモンには珍しいボサノバで、たとえばGキーのくせに、Eで始まる。終わりはCm。原曲では、そのあとフルートの間奏アドリブ・パートに移る。その瞬間、キーをFにあげて、ギターはカポ1とする。しばらくして、そのカポを外す。プロのギタリストならカポなしで対応するだろうが、素人はちょっと無理だね。サイモン自身、カポをつけたりはずしたりしている。
 きわめつけはサビだ。「ソーソソソソソ・・・・」が4小節続く。4小節ソだけでメロディを構成し、コードを少しずつずらしていく。この曲も練習不足で中途半端にしか弾けなかった。捲土重来。いずれちゃんとしたアレンジで弾いてみせます。


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↑チューニング

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第2回れきまち研究会-新聞報道

平成26年12月23日本海新聞(20面) 平成26年12月23日本海新聞(20面)サムネイル版

 第2回れきまち研究会の記事が23日の日本海新聞に掲載されました。上右の画像をクリックすると、画面が拡大し、記事の全文を読むことができます。
 すでにお気づきの方も多いかもしれませんが、先日の摩尼寺コンサートから第2回れきまち研究会に至るまで「鳥取環境大学保存修復スタジオ」の名を使っています。ASALABから保存修復スタジオに変貌を遂げた1年でもあるわけですね。

 さて、余談ながら、超久しぶりのランキング情報です。

  Lablogのランキング
   学校・教育 221位 (昨日:262位) / 17113人中
   学校 37位 (昨日:47位) / 3471人中
   更新日時:2014/12/22 06:49

  Lablog 2Gのランキング
   学校・教育 322位 (昨日:326位) / 17113人中
   学校 66位 (昨日:68位) / 3471人中
   更新日時:2014/12/22 06:49

 驚いたことに、Lablog 2Gは未だLablogを超えていません。やはりアップしている記事の数ですかねぇ。前者800余、後者2700弱です。計3500か。何度も繰り返しますが、LABLOGの最高位は全国6位です。青谷上寺地から纏向のころですよね。
 懐かしんでも仕方ない。とりあえず、Lablog 2GはLablogを超えないと。


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↑↓マダムたちの里山資本主義。わたしも500円で買いましたよ!
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↑第3回れきまち研究会の会場はここに!?


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冬の地蔵祭

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四季の地蔵祭を河原町の風物詩に

 「第2回れきまち研究会」の翌日(21日)、倉吉市河原町で「冬の地蔵祭」が開催されました。四季のの地蔵祭を河原町の風物詩にしたい、という公民館長の願いのもと、去年始まったイルミネーションを今年も21日に行うことになったのです。お地蔵さんの掃除、地蔵ふれあい市(野菜市)も例月通り開催されました。


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地蔵ふれあい市

 冬の地蔵祭では、地蔵ふれあい市での収益により「地蔵ぜんざい」の無料サービスが朝の10時と夕方の5時におこなわれました。オクトーバーフェストの「地蔵ぜんざい」がNHKで放送されたそうで、それ以来大人気になり、今回も100食分が提供されましたが、またたくまに完売してしまいました。また、朝の地蔵ふれあい市では新鮮な野菜や地蔵寿司(限定)が棚に並び、地域の方たちが制作したフラワーアレンジやお手玉が販売されました。私たちも販売を手伝わせていただきました。NPO法人明倫NEXT100の方たちも冬の地蔵盆に協力されており、はちみつを販売されていました。


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満員御礼-第2回れきまち研究会

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 12月20日(土)、第2回れきまち研究会が倉吉市鍛治町の大鳥屋で開催されました。来場者は41名。畳座敷は満員です。ここでは学生3名の報告を掲載します。いずれも卒論・修論の中間報告をバージョンアップしたものです。
 津山市担当者のれきまち講演は少々驚きました。津山ではれきまちが重伝建に先行して認定されたのですが、現在、れきまちの事業としては街並み環境整備しかおこなわれていないそうです。昨年は講演を聴いた松江市の取り組みが多種多様であっただけに、れきまちの存在意義があまり感じられなかった点、残念です。パネル・ディスカッションはなかなか刺激的な討論になりました。なにより、文化財課長の「重伝建」宣言が最大の収穫でした。


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長谷寺本堂の建築年代

 ぼくが発表したタイトルは「科学的年代測定からみた長谷寺本堂の建築年代」です。最近、新たな情報として、長谷寺文書のうち「分限御改書上」という信頼性の高い史料に長谷寺本堂が茅葺だったことを示す記載が残されていることが分かりました。そこには、天保十年(1840)に長谷寺本堂は茅葺きから瓦葺きに変わったと記されています。現在の本堂は瓦葺き寄棟造に裳階(もこし)をめぐらせたものですが、天保十年以前は、茅葺き宝行造の5間堂だったわけです。現在の屋根を茅葺きに戻すことで驚くほど外観のレベルが向上し、観光客を呼び込む有力な建物になると思われます。これまでのべてきたように、本堂の柱の科学的年代測定は14~15世紀を示しています。本堂は県保護文化財に指定されるので、いったん県費で解体修理し、屋根等を茅葺きの姿に当初復原すれば、重要文化財への道が開けるのではないでしょうか。また、本堂の前身建物と係わるであろうと推定される旧巻斗も、年代測定の結果次第では文化財指定の必要性が生じるでしょう。(白帯)


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町並み保全における茅葺き民家の重要性

 私は、「倉吉市鍛冶町・河原町の町並みと歴史的風致 」と題して建築的、空間的なハードな面からみた町並み保存について発表しました。卒論中間発表の時よりほんの少しですが新報した報告になったとと思います。この、れきまち研究会を通して、卒論についてもこれからしっかり詰めていかないといけないと思いました。地域の人たちが高い意識をもって活動されており、研究を通してその想いと町の魅力がとても伝わってきているので、鍛冶町・河原町のアピールできるような卒業論文にまとめていきたいです。2回のれきまち研究会を経験し、「歴史まちづくり法」についても本格的に検討していきたいと思っています。
 冒頭でも述べたとりい、今回のれきまち研究会で、文化財課長から鍛冶町・河原町を重伝建にしたいという気持ちが聞けたのが良かっです。重伝建を実現するためには、先生が仰っているように、建物の数をこれ以上減らすことはできません。とくに3棟の茅葺き民家は歴史遺産として非常に貴重なものであり、保護保全の対策が喫緊の課題になっています。〈せつ〉


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竹原

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マッサン燃える

 生口島からフェリーで三原に移動しました。そこから最後の目的地の重伝建「竹原」までは20分あまり。昭和57年12月16日に国の選定を受けた町並み保存地区です。いきなり大勢の観光客にでくわしました。広島県建築士会ご一行です。その案内をしているのがH島大学M教授であることを察知して、教授は、その団体との距離を常に測りながら行動されました。なにせ敵の大将は、HなMですからね(性格はSらしい)。
 竹原は「マッサン」の故郷として盛り上がっています。そういえば、摩尼寺コンサートの夜、アイラのボトルをタクヲさんに空っぽにされた先生はキアラのマダムにニッカの「フロム・ザ・バレル」を要望されたそうです。しかし、ニッカはみんな売り切れでした。


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↑町のシンボル「普明閣」には上らず・・・前夜で体力消耗??

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第2回れきまち研究会「地蔵盆を未来へ」明日開催!

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 ただいま速報が飛び込んできました。

   摩尼寺本堂等の登録について官報告示が出たようです。

 申請から答申までよりも、答申から官報公示までが長かったですね。いや、良かった。良い年でした。

 さて、第2回れきまち研究会が明日に迫りました。いま3人の学生のリハーサルを終えたところです。卒論・修論のバージョンをあまり変えてなくて、ホームに乗り込んで話すのですから、「釈迦に説法」なりの作法が必要だと諭した次第です。
 ここ2~3日、3年生がせわしく動いています。資料集の編集がいちばん大変だったみたいですが、1名はパティシエとして頑張りました。試作ケーキの味は上々です。わたしも蕪を漬けました。残念ながら、大雪の八百屋に赤蕪がなくて、白い蕪を使いました。カレー鍋いっぱいの量になってしまった・・・余りそうだね。
 当日、若干の援軍を確保しました!

 明日の天気予報は「曇り時々雨」。雪よりマシだね。雨で雪が融けてくれるでしょう。


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↑官報告示連絡の前、摩尼寺門前に年末の挨拶に行ってきました。入れ違いの速報に驚き、喜び一入。

しまなみ海道生口島

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カチューシャ可愛いや・・・

 12月4日(木)、高松の夜のできごとです。T横インのロビーでゲットしたマップに誘われ、カチューシャというお店に行きました。私は英語が話せないからあまり乗り気ではなかったのですが、座席につくと、露西亜人のマダムがまるで日本人のように日本語をペラペラと話します。私よりうまかったです。対応も良心的でとても楽しい時間を過ごすことができました。
 その後、本場のうどんを食べてとても満足しました。
 そこまでは良かったのですが、最後のもう一軒が余計でした。その問題のお店に入ると、自称24歳(推定28歳)の対応係が出てきました。まだそこまでは平和でしたが、続いて出てきた自称26歳(推定46歳)のマダムが最悪でした。先生や社長さんに失礼な発言などを繰り返すので、先生と社長さんを道連れしてしまったことを後悔しました。申し訳ありませんでした。


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花未来の春

 翌日はA県埋Cの懇親会にお邪魔させていただきました。1軒目はとても美味しい居酒屋でした。そして、2軒目は私が今まで経験したことのない会員制の高級なお店です。みんな和服を着ています。いちばん驚いたのは、私より歳下の対応係がいたことです。とてもしっかりとしており、私が普段接する大学生と同い年とはとても思えませんでした。このような高級なお店に来ることは二度とないと思うので、とても貴重な体験ができました。その後も3次会まで連れって行っていただきまして、理事長さん、ほんとうにありがとうございました。とても楽しい四国の夜でした。(先生は翌日体調不良でひどいGary Peacockさんでした)


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桐生新町

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西鹿田中島遺跡の縄文草創期住居復元

 みどり市ってどこにあるか分かりますか。
 岩宿ですよ。みどり市教育委員会の事務局は岩宿博物館のなかにあります。佐原真さんは、日本の旧石器時代を「岩宿時代」と呼びました。その岩宿周辺の複数の自治体が合併して「みどり市」が誕生した。ニュートラルな地名ですよね。
 今年からみどり市にある西鹿田中島(さいしかだなかじま)遺跡の整備委員になりました。患者が病気になって一時期すべての委員を辞めていましたが、病気快癒とともに懐かしい仕事が舞い戻ってきた感じです。縄文草創期の竪穴住居の復元に取り組んでいます。いま密かに(業者さんが)模型制作を進めています。


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桐生の町並み

 委員会が開催された11月17日(月)の午前、みどり市に隣接する桐生市を訪ねました。桐生市は2011年に市制施行90周年を迎えました。翌2012年、市制90年を記念して「桐生新町」が重要伝統的建造物群に選定されました。もう細かいこと書く余裕ありません。写真をごらんいただけば分かるように、西日本の町並みとはまるで趣きが違う。たぶんおそらく、縄文文化の進化のクライマックスなんだわね。少し前に訪れた脇町や明日か明後日ユートが報告する竹原は弥生文化のクライマックスですね。ほんにまるでちがう。町並みの成熟度もだいぶ差がありますね。脇町や竹原は元からレベルが高く、それが修理修景でさらに質を向上させている。
 桐生の町並みは歯抜けが目立ちます。ただ看板建築が多いので、これを修景すれば、よい景観に変わっていくでしょう。その点、未来はあるし、全国の歯抜け町並みに希望を与える存在だと思います。

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↑↓猫グッズ、買いまひたぁ~
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↑看板建築、たくさんあります。


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鞍馬

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重伝建にならなかった伝統的建造物群

 鞍馬天狗や義経でおなじみの鞍馬寺の近辺に形成された門前町です。鞍馬川に沿って北へ向うと、若狭・丹波へ通じる交通の要衝でもありました。8世紀末に鞍馬寺が創建された時点で集落は存在していたといいます。鞍馬寺は毘沙門天を本尊とし、平安時代には王城鎮護の寺として栄えました。藤原時代に浄土信仰が盛んになると、八瀬や大原とともに洛北の浄土として信仰されるようになり、鎌倉時代から室町時代には現世利益を願う福神信仰により毘沙門天の信仰を集め門前集落は発展しました。


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 鞍馬の町並みは、鞍馬川と鞍馬山に挟まれており、地形に従ってうねりながら北へ徐々に上っています。家々はかつて薪炭産業で栄えた面影を感じる立派な造りのもので、中には京都市内で殆ど見られなくなった本卯建をあげた家(↑)も見られるなど、古い家屋が多く残っています。低い2階建てで卯達をあげている滝沢家は鞍馬で最も古い家で、1760年頃に建築された重要文化財です(一番上の写真右)。連なる屋根の上には山の緑、家々の間からは時折鞍馬川の流れも垣間みえます。鞍馬川の水は上手に樋で分岐され街道脇の側溝に導かれ流れています。鞍馬川側の敷地は奥行が狭いためか川ぎりぎりにめいっぱい建てられていました。


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 先生によると、上賀茂は先生が大学3年生のころ京都大学西川研究室の2年先輩が調査し報告書を作成されたそうです。一方、鞍馬は先生より1年上の先輩たちが調査し、4年次だった先生も調査に参加したそうです。そのころ、有名な「鞍馬の火祭り」は一時期中断していたそうですが、いまは10月に盛大に挙行されているとお茶屋のおねえさんに聞きました。
 そのお茶屋で3時の休憩をしました。先生が「ぜんざい、それともみたらし?」と問うと、きぃがただちに「みたらし」と答え、みなでみたらし団子の茶屋に入ったのです。その後、お土産屋さんをぶらついて、鴉天狗のお面を発見したのですが、あまりに高いので購入断念しました。「鴉天狗のマニーさん」遊びに使えるかもとも思ったのですが、残念です。(白帯)


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↑右)甘味処で僕だけスペシャル

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上賀茂

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 地球研訪問の前後に上賀茂神社と鞍馬を視察しました。伝建については、先生やユートが桐生、竹原などを訪問していますが、先に京都紀行を書いておきます。


上賀茂神社と社家町

 世界遺産「古都京都の文化財」の一つとして登録されている上賀茂神社は、競馬発祥の地で、祭神の賀茂別雷大神は競馬の守護神といわれています。この地域一帯の豪族だった賀茂氏は、上賀茂神社を建立し氏神を祀っていました。社殿造営は678年(飛鳥時代)に始まると伝えていますが、現在の社殿は、本殿・権殿が文久3年(1863)、その他の社殿は寛永5年(1628)に造替されたものです。本殿と権殿の2棟が国宝、その他34棟が重要文化財、境内は史跡に指定されています。ちょうど式年遷宮の真っ最中ですが、覆屋に隠された権殿の土台がちらりと垣間みえました。


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 上賀茂神社の境内を流れる清流ならの小川が境内を出ると明神川と名を変えて東に流れていきます。上賀茂社家町は、室町時代から上賀茂神社の神官の屋敷町として町並みが形成されてきました。明治維新まで、上賀茂神社の神官と農民が集住する特殊な性格を持つ集落だったため、一般に「社家町」とよばれるようになります。明神川沿いの社家町一帯の町並み社家の主屋と、これを囲む土塀、庭園、門、明神川にかかる土橋などが独特の雰囲気を残しています。昭和63年(1988)、国の重要伝統的建造物郡保存地区に選定、歴史的風土特別保存地区にも指定され、現状変更行為を厳しく規制して歴史意的風土の保存に努めているようです。
 ぼくたちは門前町で茶そばをいただきました。また、老舗の漬け物屋ですぐき漬けや山椒ジャコなどを買いました。(白帯)


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近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究(XⅢ)

141212地球研②


総合地球環境学研究所をたずねて
 
  12月12日(金)、わたしたち4名は京都市北区上賀茂に所在する総合地球環境学研究所(地球研)を訪問した。酸素同位対比年輪年代測定のサンプルに関する説明や実験室の施設見学など、どれも非常に貴重な体験だった。本年度、すでに長谷寺・松原田中遺跡の地中梁等、いくつかのサンプルを送付しており、その測定状況について報告をうけた。いずれも測定に着手されており、データの収集及び整理をおこなっている状況であり、まもなく測定結果がでるとのことである。
 また酸素同位体比年輪年代測定は発展途上段階であり、とくに降水量の多い山陰においては、年輪サンプルデータの収集が必要であるので、当方としては、今後も年輪サンプルの提供・データの供給を続けておこなう。地球研側は青谷上寺地遺跡出土の木製品に大変関心があるようだが、重文指定を控えた段階なので、県教委及び埋蔵文化財センターとの慎重な協議が必要であることもお知らせした。


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 続いて年輪サンプルの保管状態についてレクチャーを受けた。サンプルの保管にあたっては、錆びるおそれがあるため、アルミホイルなどでは包まず、絹タオルなど柔らかい素材で梱包するのが良いとのことである。なお、わたしたちは奈文研の指導により成長錐を使ってコア・サンプルをいくつか採取したのだが、一部途中でサンプルが途切れるなどの問題があった。その場合、アロンアルファなどの接着剤でサンプルを接着しないといけないと指導された。ちなみに、地球研はインパクト・ドライバにドリルをつけてサンプルを採取している。この場合、サンプルの採取は容易だが、極端な破壊分析になるので、文化財・美術品の年代測定にはむかないと思われる。


1212地球研03 →火星行2名


 最後に、研究室内実験室で年輪サンプルの加工と測定のプロセスを視察した。
 まず、年輪サンプルの加工においては、木口面に平行な厚さ1㎜の薄板にスライスしたのち、一連の化学処理によってセルロース繊維だけからなるセルロース板に変換し、顕微鏡下で精密カッターナイフを用いて、各年層のセルロースを正確に切り出す。これらは人力で作業をおこなう。その作業の後、熱分解元素分析計と同位体比質量分析計の結合装置を用いて、その酸素同位体比を測定し、年輪サンプルデータを収集する。そのデータと年代既知データとを比較・照会することにより、サンプルの年代判定ができるようである。地球研では、経費と実験室のスペースが有り余っているが、人的パワーが不足しており、環境大学の学生・大学院生のサポートを依頼された。ぼくは細かい仕事が苦手なので、駄目だと思った。人鳥男爵くん、ケントさん、セツさんならできるかもしれない。


1212地球研04 141212地球研①


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第2回れきまち研究会「地蔵盆を未来へ」予報(Ⅲ)

河原町「冬の地蔵盆」チラシweb 河原町「冬の地蔵盆」チラシ 2_01


第2回「河原町 冬の地蔵祭」のお知らせ

 保存修復スタジオ主催の第2回れきまち研究会「地蔵盆の未来」は河原町「冬の地蔵盆」イブのイベントとして位置づけております。研究会の翌日、すなわち21日に河原町の「冬の地蔵祭」が開催されるのです。そのチラシデータがワードで送信されてきました。
 わたしも成長しましてね。以前ならば、まずワードをプリントアウトしてその紙焼きをスキャンしたもんですが、いまはワードをpdfに別名保存し、フリーソフトを使ってpdfをjpgに変換してます。そのjpgデータを上に貼り付けます。以下のようなスケジュールと察しました。

   午前9時30分~  地蔵ふれあい市

     新鮮野菜・アレンジフラワーの販売

   午前10時~ 地蔵ぜんざいでおもてなし(1回目) 100食

     地蔵寿司  限定販売につきお早めに!

   午後5時~ 地蔵ぜんざいでおもてなし(2回目) 60食

     イルミネーション点灯


  保存修復スタジオはこのイベントに協賛しております。

--
主催: 河原町自治公民館
協賛: NPO法人明倫NEXT100 ・鳥取環境大学保存修復スタジオ
連絡先: 河原町の文化を守る会


1220れきまち研究会チラシ完2 1220れきまち研究会2チラシ裏面1
↑地蔵盆イブの第2回れきまち研究会もよろしくお願いします。

第2回れきまち研究会「地蔵盆を未来へ」予報(Ⅱ)

1220れきまち研究会チラシ完1 1220れきまち研究会チラシ完2 1220れきまち研究会2チラシ裏面1


チラシ完成!

 「第2回れきまち研究会」のチラシが完成しました。入稿してからも問題が多発し、その手当に奔走しましたが、なんとか仕上げることができました。チラシの裏面には河原町自治公民館だよりが記載されており、この研究会が自治会の活動と一体であることを強調しています。
 チラシ完成に先立つ12月10日(水)、研究会の会場となる「大鳥屋」さんで地元のみなさんと打ち合わせしました。今後は大鳥屋さんでの当日のイメージをふくらませていきたいと思います。開催まで1週間ばかりなので、今週は準備等詰めていきます。わたし自身、研究会で発表するので、卒論中間報告をさらにバージョンアップさせて当日に臨もうと思っています。当日の次第については、第2回れきまち研究会「地蔵盆を未来へ」予報(Ⅰ) をご参照ください。(セツ)


141210 倉吉打ち合わせ④


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冬のシイタケ、大収穫!

141210畑3


 12月10日(水)。忘年会直前のゼミは授業の関係で、学内組と倉吉組の2組に分かれての活動となりました。私は授業があったので学内で活動をしました。学内組のメンバーは3年生5人と4年生2人です。今日は天気が良かったので気持ちよく作業をできました。
 まずは茶室周辺で原木からシイタケを採取しました。以前よりも大量のシイタケが生えており、すべて回収するのに手間取りました。前日雨が降っていたので、水分を多く含んでいるシイタケが多かったですが、具合の良い物も多量に採取できました。先生は忘年会の焼肉の食材に加えたかったようですが、人生思うようにはいきません。
 白帯先輩、本気で反省されたほうがいいですよ。

 10月に耕した畑は雑草も生えておらず、ミズナがしっかりと成長していました。残念ながら、時期外れの作物はやはり成長が遅く、以前来た時とあまり変わっていないようでした。葉が虫に食われていたものも少しありました。


 141210畑2


 次に茶室にブルーシートをかけました。3年生組がシイタケ採取をしている間に、4年生の二人がほぼ作業を完了させていたので、3年はとくにやることはありませんでした。その代わりに写真はたくさん撮っておきました。
 茶室での作業の後はゼミ室で会長の指導の下、長谷寺のカントじゃなかった、マキト(巻斗)の実測図を書きました。実測図はスケッチとは違い、何よりもわかりやすさが大切であるなど、作図のポイントを教わりました。ありがとうございます。

 このあと、夕方から忘年会に向かいました。先生によれば、「史上最悪の忘年会」だったそうです。
 白帯先輩、ほんとうに本気で反省されたほうがいいですよ。


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脇町南町

1115脇町02 1115脇町01うだつ解説


うだつの町並み

 この1ヶ月足らずの間に重伝建地区3ヶ所を視察し、瀬戸内海の3つの大橋をすべて渡った。
 忙しくて疲れていて、愚痴しかでない。昨夜は年に一度の忘年会だというのに、遅刻魔の嵐にキレてしまい、そそくさと帰宅して授業の準備をした。おかげで、なんとか間に合いそうだ。

 徳島の脇町はおよそ20年ぶりの再訪で、書きたいことがヤマほどあるんですが、時間と体力がありません。でもひとつだけ書き留めておきましょう。11月15日の脇町訪問から1週間後、わたしは脇町出身の人物と出会うのです。自分でも驚いた。紅い糸で結ばれてると思いました。


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近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究(XⅢ)

141203長谷寺巻斗サンプル1


カントじゃねえよ!

 長谷寺本堂の巻斗(古材)が8ヶ月を経て京都から戻ってきました。12月3日(水)のゼミを利用して、ウィグルマッチのサンプルを採取しました。いつものように、まち針を年輪に挿していきます。一通り挿し終え年輪数を数えてみると、222年輪ありました。残念ながら、辺材を含んでおらず、髄も確認できません。「辺材を含まない心去材」ということになります。辺材を含めば最終形成年輪(外皮直下)に近い年輪年代を得ることもできますが、心去材の場合、いちばん外側の年輪は外皮から著しく遠いということはなく、おおよその伐採年代を推定できます。
 貴重な部材のため目立たないところを選び、内から1年輪目、100~102年輪目、222年輪目の3つのサンプルを採取しました。樹種は不明ですが、巻斗からこぼれ落ちたクズ材を業者に送るので、たぶん判明するでしょう(年輪サンプルでは小さすぎる)。
 現在の長谷寺本堂は、寺院建築として珍しく、全く組物を使っていません。この巻斗は、前身建物に係わる部材と推定されます。旧国英神社所蔵の梵鐘に残る銘文「伯州久米郷長谷寺鐘」(1301)と連動した年輪年代を得ることができるか否か、注目されます。

 最後に、サンプル採取をサポートしてくれたココア君と先生の会話を再現しておきます。(白帯)

  ココア:  先生、カントって何ですか?
  先 生:  カントは哲学者さ。
  ココア:  カントの年輪サンプル採るんでしょ?
  先 生:  ・・・・・あっ、巻斗のことか??
        カントじゃないよ、あれは、マキトって読むんだよ。
  ココア:  あっ、あれ、マキトって読むんですか・・・
  先 生:  先週の授業で話したでしょ、六枝掛(ろくしがけ)のこと、覚えてない?
  ココア:  はぁっ???
  先 生:  だから、3本の巻斗の上に6本の垂木がのるシステム。
        一つの巻斗だと2本の垂木が両端にのるわけ。
  ココア:  あっ、あれか・・・・   


141203長谷寺巻斗サンプル2 141203長谷寺巻斗サンプル3 141203長谷寺巻斗サンプル4
↑【左】内から1年輪 【中】100年輪~102年輪 【右】222年輪

【速報】摩尼寺紅葉コンサート(6)-続フォトジェニック

1129マニT02


 すでに速報とはいえませんが、「よい写真が少ない」というわたしの戯言にタクヲさんが反応してくれました。前回の人鳥男爵くんに続き、フォトジェニック篇としてここに掲載します。
 ちなみに当日の参加者は121名であることが判明しております。仏堂内コンサートとして適切な人員であり、雨天にもかかわらず足をお運びいただいた皆様に深く御礼申し上げます。



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弥生の建築部材を訪ねて

20141205新谷前ノ谷遺跡①


 愛媛県の新谷(にや)森ノ前遺跡で弥生後期の建築部材が大量にでているという報せに接し、招聘された教授にくっついて遺跡を視察してきました。私はいま鳥取市の松原田中遺跡の布掘地中梁の分析と復元研究を主題に卒論を書いています。とうぜん青谷上寺地遺跡などの報告書を読んでいるのですが、じっさいに建築部材が出土している状況をみたことはありません。だから、私がいちばんニヤニヤしていたと思います。
 まず事務所に行って遺跡の説明をしていただいた後、早速現場に向かいました。
 現地に行くと、溝状遺構の下の方から上の方まで木材が折り重なっています。わたしにわは一体なんなのか、さっぱりわかりませんでしたが、先生は即座に「高床倉庫の部材がまとめて溝に投棄されたもの」という鑑定をくだされました。いちばんの決め手となったのは柱材です。先端に長ホゾ(栓穴付)、中間の位置に貫穴を備えています。前者は桁をうける仕口、後者は床を支える大引を通す仕口のようで、両者の内法寸法は91㎝でした。これが床上部分の高さになるわけで、当然のことながら、人が行動できるスペースはありません。小さな(おそらく1間×1間)の高床倉庫が想定されるのです。

20151205新谷前ノ谷遺跡③ 


 現地の技師さんたちは焼けた痕跡があることなどから、竪穴住居の部材と考えておられるようでした。しかし、先生によると、柱材に2段にわたって仕口があるのは高床建築の証拠だとおっしゃいます。ちなみに、遺跡では高床倉庫跡がまだみつかってないそうです。ただし、

 1)竪穴住居跡の壁が10㎝そこそこしか残っていな点からみて、小規模掘立柱建物の掘形は
   整地で飛ばされた可能性がある。
 2)溝の岸辺に2つの柱穴が残っており(芯々距離3.6m)、溝の内側に柱穴が2つあれば、
   半分が水上にたつ高床倉庫になる。竪穴住居から離れて、水際に高床倉庫を建てる民俗例
   はあるそうです。

 柱材のほかでは、板状の材が数多く出土していました。その厚さによって、床・天井・壁に使い分けれていた可能性があるようです。長い板状の材は貫だとのことです。さらに、梁か桁のような材、皮つきの垂木、木舞や破風板(原型)なども含まれていることが分かりました。青谷上寺地と比較すると、青谷のほうがかなり精巧な仕事をしています。いちばんの差は垂木ですね。青谷では上下端や中間部に見事な繰形や仕口を施していますが、こちらの遺跡の垂木は「黒木」ですから。
 しかし、それは「地方色」というべきものかもしれません。たとえば、妻壁板(推定)は青谷のような台形状ではなく、階段状になっていました。また、多くの部材をみましたが、青谷や松原田中に多用される「わなぎこみ」仕口はまったくなく、桂見っぽい長ホゾ式が接合のベースになっているようでした。


20141205新谷前ノ谷遺跡柱材アップ① ←柱頭栓孔付長ホゾ

1205新谷01皮付垂木 ←皮付垂木(黒木)上にのる木舞



 

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第2回れきまち研究会「地蔵盆を未来へ」予報(Ⅰ)

倉吉チラシ完成版-圧縮 倉吉チラシ完成版-page-001


大鳥屋での実験カフェと意見交換

 昨年11月13日(水)、カフェ黒田で開催した「歴史まちづくり法に関する研究会」(略称「れきまち研究会」)の第2回を倉吉鍛冶町の大鳥屋で開催します。ロンさんが作成したチラシ(↑)が手を離れ、まもなく印刷会社に入稿されるところまできましたので、1度目の予報をお知らせします。

 この研究会は平成26年度鳥取県環境学術研究費助成「倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査」の一環をなします。第1部は鳥取環境大学保存修復スタジオが進めている歴史遺産調査の中間報告、第2部は重伝建選定とともに「歴史まちづくり法」を先駆的にとりいれた津山市の取り組みを平岡正宏氏(津山市歴史まちづくり推進室)に講演していただきます。第3部では地元関係者を中心とする数名のパネリストに、長谷寺本堂の文化財価値、河原町・鍛冶町の町並み保存、高齢化・少子化にともなう地域祭礼(無形文化遺産)の継承、「歴史まちづくり」と「中心市街地活性化」の融和、I・J・Uターンとまちづくり、などの課題を討論します。
 入場無料(夕食は有料)。参加希望者は事務局までご連絡ください。

   第2回れきまち研究会-地蔵盆を未来へ

  会場: 大鳥屋(倉吉市鍛治町)
  日時: 12月20日(土)16時~

  第Ⅰ部 倉吉の歴史遺産調査-中間報告
   16:00 開会のあいさつ
   16:10 2013~14年度の調査報告【環境大学保存修復スタジオ】
        中島「長谷寺本堂の建築年代」
        岡田「河原町・鍛治町の町並みと歴史的風致」
        藤井「地蔵盆の現状と未来」

  第Ⅱ部 津山市の歴史まちづくり 
   16:40 平岡正宏氏(津山市歴史まちづくり推進室」主幹)講演
        演題「津山市の歴史まちづくりと城東の町並み保存」
   17:30 実験カフェ・サパー(IJU大学自然農法)
        自然食材を使った料理を提供します 

  第Ⅲ部 アフターサパーセッション
   18:00 意見交換「歴史的風致と無形遺産の未来」
        【パネリスト】発表者、奥野寛應(長谷寺住職)、天野博之(河原町文化の会)
                福井千草(大鳥屋=IJU大学)、稲島正彦(明倫NEXT100大表)
                長谷川智郁(倉吉市教委文化財課長)
        【司会】眞田廣幸(倉吉文化財協会会長)

   19:15 閉会 

  事務局: 鳥取環境大学保存修復スタジオ
        FAX 0857-38-6775 e-mail: hozonshufuk@・・・・・


【速報】摩尼寺紅葉コンサート(5)-フォトジェニック


和尚あいさつ1 圧縮


 どうも、人鳥男爵です。私が撮影した写真を別でアップするようにとのお達しがあったので掲載します。イベントの詳しい内容は前日のブログでしっかり書かれているので、今回は写真が中心です。当日私は境内での準備作業と同時進行で撮影を行っていたのでトレッキングには参加できず、写真はトークセッションの部からのものになります。以上を踏まえて、番外編でございます。

 午後の部のスタートは摩尼寺住職のあいさつから始まりました。


和尚あいさつ2 圧縮
住職は闘病の後の復帰で、お元気そうな姿が拝見できて何よりでした。


TS 圧縮
さて、開会のあいさつが終わるとまずはトークセッションが始まりました。内容は摩尼山の保全活用などを中心に魅力たっぷりに。ライトを人に直接当てるとまぶしいのでは?と思いながら見ていましたが、やはり少しまぶしかったようですね。


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上方往来を描く-河原宿(6)

連続立面図(上方往来) 


河原宿連続立面図完成

 11月18日(火)、居住環境実習・演習Ⅰ「町並みを描く・測る」の最後の仕上げとして、河原宿でスケッチした蔵通りと上方往来の連続立面図を履修学生全員で作成。昨年の若桜の町並みと同様、学生全員の立面図を縮小コピーし、台紙に貼りあわせていくのですが、昨年と違って、今年は学生にもフォトショップでの加工にも挑戦してもらいました。
 上方往来A班、同B班、蔵通りA班、同B班、フォトショップ班の計5班をくじ引きで決め、それぞれの作業を分担し取り組んでもらいました。なかなか好評だったのではないでしょうか。フォトショップ班は”はずれ”だったらしいですが・・・

 昨年の若桜も素晴らしいできばえでしたが、今年も素晴らしい町並み連続立面図になりました。↑が上方往来、↓が蔵通りです。


連続立面図(蔵通り) 


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【速報】摩尼寺紅葉コンサート(4)-新聞報道

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 2日の日本海新聞に摩尼寺紅葉コンサートの記事が掲載されました。
 私は新聞を一切とっていないので気づかなかったのですが、3日になってあちこちから便りがあり、報道を知った次第です。ここに紹介する画像は知人が送信してくれたものです。

 掲載はありがたい。深謝申し上げます。ただ、写真が少々気になります。被写体がヴィオラ奏者であるのは問題ない。しかし、ヴィオラ奏者のアップである必要はないと思うのです。この写真では仏堂という異空間でのヴィオラ独奏がイメージできない。この記事に必要なのはドレスを纏った女性のアップではなくて、ヴィオラ奏者が仏堂のなかで演奏している風景のはずです。そういえば、演奏中に引き違い戸を開け閉めし、動き回ってフラッシュを焚く人物がいました。音楽はどうでもよくて、演奏している女性をいろんなアングルで撮りたかったのでしょう。
 フェイスロックで締めときました。


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↑如来堂の軒下で精進弁当を食べる1・2期生。このスペースは弁当コーナーとして人気が高かったですね。

【速報】摩尼寺紅葉コンサート(3)-コンサート

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仏堂に似合う音楽

 コンサートの方は2組とも予想どおりの力量を発揮してくださいました。トリアンデスの演奏曲はほとんど聴いたことあるんですが、曲名まで把握しているのは「コンドルは飛んでいく」だけでした(最近カラオケでよく歌ってます)。チャランゴが気になりましたね。小さな10弦ギター。われらが「ラウド」系列のイスパニアっぽいマンドリン・ギターだね。ただし、フィリピンやイベリア半島のそれのようにリードはとらなかった。もっぱらリズムを刻んでおりました。1台買ってもいいな。
 

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 トリアンデスさんは自然に囲まれた野外での演奏を希望されていました。わたしも最初は野外でのコンサートをイメージしていました。しかし、天気には勝てなかったんです。その代わりといってはなんですが、仏堂のスクリーンに「晩秋 紅葉の摩尼」(昨年11月22日撮影)のスライドショーを映し続けました。
 一方、棚橋さんは「室内楽」をもとより希望されていました。山好きの彼女ですが、音楽は室内に限る。マイクをとおしたくない。クラシックの方が生音にこだわるのはよく理解できます。一時期、和服で演奏したいとおっしゃったのですが、ポスターみてくるおじさんも多いからドレスでお願いしますと頼みました。当日の気温を心配されていました。寒いと指が動かなくなるそうです。しかし、この日は暖かかったんです。最高気温は19℃まであがった。堂内は朝から3台のストーブをばんばん焚いていたので十分暖かいだろう!!・・・と思ったんですが、やはりドレスだと襟足がねぇ、冷えるそうです。ごめんなんせ。
 棚橋さんのヴィオラはご自分のものではなかったようです。どなたかからお借りしたという文化財ヴィオラでおもにクラッシックを演奏されました。サンサーンスとかバッハとか、私が苦手とする分野ですが、仏堂には似合うね。聖なる音色(ねいろ)です。


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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