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天まであがれ-東ブータン高地の遊牧的世界(Ⅱ)

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めざせ、メラ・サクテン!

 8月29日(金)、午前6時ごろ目が覚め、宿舎の電力会社の招待所の前に出てみる。昨夜は、夜遅くに到着したため何もみえなかったが、急傾斜の雄大な山並みが眼前にひろがる。午前7時30分、メラに向けて宿舎を出発。このとき、教授の帽子が行方不明なっていることに気付かれる。どうも昨日の昼食時のサブドルジョンガルのホテルに忘れられたらしい。いろいろな問題がおきる。そして、私にも・・・・。


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 途中、東部ブータンの拠点的な町タシガンで朝食をとり、サポート部隊は食料品などの買い出しへ。ダンメ・チュと呼ばれる川を挟んでU字形に商店街が形成されている。歩くと10分から15分で通り抜けることができる。町のことは、後に組長が触れられると思う。標高約1100m。気温は30℃を超える暑さ。


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 タシガンで買い出し後、途中のラディ村でも買い出し。車から降りると、近くに居たおばさんから注意される。何事かと思ったら、乾燥のため広げてあった穀物の上にのっていた。ごめんなさい。昼食はサポターのクンザンさんの実家でいただく。クンザンさんの家は農家だ。周辺にはトウモロコシなどが植えられた段々畑が一面に広がっている。村の名前はカルト-ラデイ(KHARDUNG-RADHI)という。標高1,845m。焼きトウモロコシをオードブルにして、まもなくお母さんとお姉さんがつくられた野菜の煮つけなどの料理をいただく。 


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↑クンザン家の居間
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↑懐かしのエマ・ダッツィ



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修士課程2年次中間発表を終えて(Ⅲ)

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酸素同位対比年輪年代測定について

 従来の年輪年代測定は年輪幅の変動を通時的に把握し、標準変動グラフと比較して年代を特定するものであるが、年輪幅を指標とする関係上、樹種ごとに変化の曲線が大きく異なる。その結果、現状ではスギ・ヒノキに測定の対象がほぼ限定される。また、100年以上の年輪を残すという条件も大きな障壁になっている。この課題を克服すべく、最近、年輪セルロースの酸素同位体比による年輪年代測定法が開発され[中塚2012:pp.38-147]、注目を集めている。年輪セルロースに含まれる酸素18/酸素16の比率は樹種を問わず一定で現象に基づいており、あらゆる樹種の年輪年代測定が可能であり、しかも年輪数は50以上であればよいという。ただし、酸素同位体比は降水量・湿度などの水分に影響を受けやすく、東海・近畿のデータで作成された標準変動グラフは西日本の太平側で相関係数が高いけれども、降水量の多い日本海側での適用例はなお少なく、山陰で通用するか否かを検証する必要がある。また、サンプルの「破壊分析」になる点も課題の一つである。
 2013年度末に、鳥取県内中近世木造建築部材のサンプル4点を総合地球環境学研究所中塚研究室に送付した。4点のうち、長谷寺本堂前身建物巻斗は大がかりな破壊分析になるため、やや慎重になっており未計測のままである。残る3点のうち聖神社本殿・拝殿はね木(端材)については年代を測定したが、結果を導けなかった。本殿はね木は25年輪だから仕方ないにしても、拝殿はね木は65年輪を数えるので「50年以上」という前提をクリアしている。予め危惧されたとおり、山陰地方のバックデータが少ないことに原因がある。
 結果として、年代が判明したのは、摩尼寺本堂の小屋梁のみである。小屋梁の年輪数は110で、棟札年代との整合性を確認できるか否かが注目された。


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修士課程2年次中間発表を終えて(Ⅱ)

140925 2年次中間06


米子八幡神社の棟札と拝殿の蟇股

 米子八幡神社は鳥取県西部で最古級の由緒と格式を備える旧社で、その起源は遅くとも鎌倉時代草創期に遡る。八幡神社は73枚もの棟札を所蔵しており、うち主要な27枚を翻刻した。拝殿は本体より古い蟇股を2種16枚受け継いでいる。本殿・拝殿の造替年代に加えて、この蟇股の制作年代を様式と科学的年代測定の両面から推定したい。
 棟札に記す造替を時代順に並べてみよう。

  天正12(1584) 修理??[記載に疑問点あり]
  天正17(1589) 若宮(新しい神社)を建立[本殿・拝殿の両方]
  寛永11(1634) 修理(棟札現存せず)
  承応2 (1653)  本殿を再興
  延宝元(1673) 本社並別宮二宇末社三座従神門鳥居廳屋拝殿咸造立成畢
  元禄7(1694)  造栄(修理?)
  正徳5(1715)  造営(修理?)
  元文3(1738)  修造(修理)
  宝暦5(1755)  修栄(修理)
  明和8(1771)  修栄(修理)
  安永10(1781) 修栄(修理)
  寛政11(1799) 修栄(修理)
  寛政11(1799) 拝殿を再建
  文化6(1809)  摂社を再建
  文化13(1816) 修栄(修理)
  天保13(1842) 本殿を再建
  慶応2(1866)  修造(修理)
  明治20(1887) 屋根葺替

 日野川の大洪水により、現在の敷地に境内を移設したのが16世紀後半のことで、天正17年(1589)に本殿・拝殿を建立し、本殿は承応2年(1653)と天保13年(1842)に再建、拝殿は延宝元年(1673)と寛政11年(1799)に再建している。再建以外の棟札は屋根葺き替えや軽微な修理を示し、20年前後のサイクルで造替を繰り返している。


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修士課程2年次中間発表を終えて(Ⅰ)


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 9月25日、大学院修士課程2年次の中間発表がおこなわれました。またもや準備のとりかかりが遅れ、先生やゼミ生に助けてもらって、なんとか発表にいたりました。発表はグダグダでして、最後の質疑では大笑いを頂戴しました。手伝っていただいたみなさんに頭が上がりません。これから3回にわけて「中近世木造建造物の建築年代に関する基礎的考察-棟札・様式・科学的年代測定-」の概要をアップさせていただきます。


建築年代を知るための方法

 棟札は上棟の儀式の際に棟木や棟束などに貼り付ける一種の祈祷札である。願主や大工の名とともに、造営の年月日を記しており、建築年代を知る最も信頼性の高い史料と評価されている。一方、縁起書・家伝書・地方志などは、比較的新しい時代に著された文献であり、執筆時から隔たれば隔たるほど、記載内容の信頼性は曖昧になる。
 細部の「様式」により建築年代を推定することがしばしばある。棟札などにより建築年代が確定している造形を基準資料として、年代不明の遺構の建築年代を推定するのである。近世社寺建築の場合、虹梁・木鼻に彫りこまれた絵様や蟇股の造形の変化を把握し、当該の遺構と比較して建築年代を判定する。ただし、絵様などにより推定された年代の幅は30年前後あり、1年単位での精密な判定が可能なわけではない。
 こうした建築年代の曖昧さを克服するため、中近世の建造物に科学的年代測定を導入した研究が芽生えつつある。科学的年代測定は、年輪幅の変動パターンを計測する「年輪年代測定法」と「放射性炭素年測定法」の2種類がよく知られている。二つの手法には一長一短がある。年輪年代測定は縄文時代から近代に至るまで誤差の少ない測定が期待されるものの、対象となる材種はスギ・ヒノキ等一部の針葉樹に限られ、また木材年輪が100年以上残存し、しかも柾目の年輪が密に並ぶことを必要条件とする。最近、酸素同位対比を用いた新しい年輪年代測定が開発されたが、これについては最後に述べる。


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 放射性炭素年代測定は炭素14の半減期(5568年)を利用した有機物の年代測定法であるため誤差が大きく、石器時代の考古学的年代判定に多用されてはいるけれども、歴史考古学には不向きであるとされてきた。ところが、2000年に発見された出雲大社境内遺跡大型本殿跡の礎板の年輪年代(西暦1227年+α)と棟持柱根の炭素14年代(西暦1215-40年)がほぼ一致をみたことで一気に信頼感が高まった。この背景には、加速器質量分析(AMS)法とウイグルマッチ法(樹輪の暦年較正による年代補正)の開発と進展がある。AMS法はサンプル1点から測定可能。ウイグルマッチ法は、50年輪以上の木材から3点以上のサンプルを採取して年代を測定する。
 中近世木造建築部材の場合、クリ・ケヤキなどの広葉樹やマツを多用するので、放射性炭素年代測定に頼らざるを得ないが、現状では、高い経費を払って業者に測定を委託しても、正確な年代を得られるとは限らないリスクのある測定法だと言わざるをえない。
 私たちは科学的年代測定に絶対的な信頼を寄せているわけではない。棟札を残す場合には、棟札に記された年代に圧倒的な重みがあるけれども、棟札がないとなれば、文献史料・建築様式・科学的年代測定値は対等に扱うべき相互補完的な資料である。三つの資料を総合的に検討し、慎重に建築年代を割り出すべきと考えている。


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大学院修士課程2年次中間発表会のお知らせ

 2回めの修士研究中間報告会が迫ってまいりました。前回の出来がひどかったからね・・・またやらかしたら、インデアン・デスロックだな。
 学内の研究会ですが、どなたでもひやかしにきてください。

  日程: 平成26年9月25日(木)10:30~11:30
  会場: 鳥取環境大学 14講義室
  発表: 中島 俊博
  演題: 科学的年代測定による中近世建造物の建築年代に関する基礎的研究
  内容:  ①昨年度までの成果-聖神社と長谷寺- 
       ②八幡神社の棟札と蟇股の年代
       ③酸素同位体比年輪年代測定-摩尼寺本堂-

 修士2年次在籍者は3名でして、中島の発表時間は11:10~11:30の20分間のはずですが、確定次第、このページに掲載します。


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↑久しぶりの下之郷通信です。三重環濠内にある宅地の調査。直径20センチ程度のピットが無数にある。溝と平行になるピット列や松菊里型になりうるピット列を探し続けるが、ピットは柱穴というにはあまりに頼りないものだった。断ちわりで深い掘形が確認されない限り、「建物」番号を打つのは難しいだろう。

天まであがれ-東ブータン高地の遊牧的世界(Ⅰ)

140827 バンコクホテル


開かないスーツケース

 8月27日(水)、第3次ブータン調査先発隊出国の日を迎えました。関西国際空港からバンコク国際空港まで約6時間のフライトです。午後8時すぎ、バンコク着。この夜は、空港に隣接するエアポートホテルの3人部屋で一泊し、明朝6時50分のドック・エアーでインド・アッサム地方のグワハチに向かいます。いま思い返すと、今回の調査で、このホテルが最もグレードの高い、快適なホテルだった気がします。
 ホテルのバーで一服し、早朝の出発に向けて部屋に戻り、床に就こうとしたのですが、私のスーツケースが開きません。スーツケースの鍵が微動だにしないのです。教授に相談して、とりあえずフロントで相談にのってもらうことにしました。関空で一度開いたのですが、フロントでも手持ちの鍵では一向に開くことはありませんでした。
 フロントはまもなく技術者を呼び寄せました。「鍵が壊れてもいいなら開けてやる」と言うので、「とりあえず慎重に開けてください」と答えると、その技術者は、似たような鍵を使って、簡単にロックを解除していました。その喜びも束の間、スーツケースの中身が全然違うことに気づきました。そうか、スーツケースを取り違えたんだ。スーツケースは同じメーカーのもので、セキュリティーシールの貼り具合もよく似ている。私は完全に自分のものと勘違いして、ホテルまで持ってきてしまっていたのです。

 すでに深夜を迎えていましたが、空港に戻るしかありません。幸いホテルのリムジンは24時間動いています。会長はすでにステテコ姿になって眠りに落ちようとしていましたが、教授と二人、空港に向かいました。空港ではロストバゲージのカウンターを経て、空港内の駐在所を訪ねました。そのとき、教授はこう言われました。

   He took a suitcase and brought it to the hotel, but this is not his suitcase.

カウンター越しにすわっていた警官全員の目付きが変わりました。おそらく、すでになんらかの情報を入っていたものと思われます。私が持ち帰ってしまったスーツケースの持ち主は手荷物受取の時点で、自分のスーツケースがないと気づき、警察署に被害届を提出しており、持主と直接連絡が取ることができました。持ち主は日本人の男性で、電話で話すと、スクンビット通りのコンドミニアム(自宅)までスーツケースをもってきてほしいと言います。しかし、遺失物担当の係官は「自分たちが届けるから心配しないで」と言ってくれました。タイ人優しすぎる。(最終日にある事件があったので今はそう思っていない・・・)
 私のスーツケースとはいうと空港内遺失物保管所に届けられ、その日のうちに無事に帰ってきました。一時はあきらめかけましたが、即日戻ってきたので、不幸中の幸いです。というものの、以上の全ての対応は教授がしていただき、私は何もしてない。あぁ情けない・・・ホテルに着いたのは日付が変わって現地時間AM0:30。ほんとに教授には頭が上がりません。初日から忙しない夜になってしまいました。幸先の悪い旅のスタートです。


140828 アッサム茶畑 ←アッサムの茶畑


アッサム経由ブータン入境

 床について2時間ばかりすると、ステテコ姿の会長に起こされ、午前4時のリムジンにのって空港に戻りました。日付は28日に変わっています。ドゥック・エアーは午前6時50にバンコク国際空港を出発し、1時間半のフライトの後、インド・アッサム地方のグワハチ空港に着陸しました。こんな秘境に日本人が居ないと思いきや、我々3人の他、20銘近いの日本人ツアー旅行者もいます。聞けば、タシガンまで陸路で移動し、東ブータンの寺院を見てまわるそうです。今思えば、このツアーに同行していれば、さまざまな苦行を強いられることもなかったかもしれません。

 入国審査を経てラゲッジを受け取り、空港路路ロビーにでたのですが、迎えの人はみあたりません。ツアー旅行者は現地ガイドに出迎えられ、速やかに空港を離れ移動していくのだが、我々の現地ガイドがどこを見ても見当たらない。誰も出迎えに来ていないのではないかと、最悪のシナリオを想定しながら、教授と会長が奔走する。約30分ほどして空港の出口の外れにいるガイド2名を発見した。向こうから手をふって「出てこい」というサインを送っている。ブータン人は空港の中に入れないのだそうだ。アッサムとブータンは以前に紛争があり、ブータン人がアッサムにいるのも危険だと聞いた。ブータンの車もアッサムには入れないから、インド旅行社の車がチャーターされていた。
 この空港から目的地のタシガン付近まで陸路で6~7時間の移動と予定表にはある。それでもなかなかハードなスケジュールではあるけれども、実際の道のりはあるかに遠かった。問題はインド車である。どうみても4~5人乗りの普通車なのだが、日本人3名+ドライバーに加えて荷物を積み込むと満杯になった。ブータンのガイド2名は躊躇うことなく、スーツケースに紛れてトランクに背面乗りで坐り、窮屈そうにしている。日本では間違いなく、違法運転です。これが現地のおもてなし精神かと思うと先が思いやられる。それは紛れもなく苦行の始まりだった。


140828 ブータン入境 ←国境の町サムドラジョンカル


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Way Back Home

 ジョー・サンプルの訃報に接し、我が青春のクルセイダーズをYOUTUBEに探ってみたのですが、古き良き音源があまりない。なにが良くないって、サンプルのエレピの音がすごく濁ってる。70年代のエレクトリック・ピアノの音ってあんなんだったんだ。
 クルセイダーズとなれば、当然のことながら、ラリー・カールトンをフューチャーしたい。サンプルとカールトンが絡む音源を貼り付けようと探したんです。キャロル・キングの「遠く離れて(So Far Away)」が候補になったんですが、カールトンは他のメンバーより10年進んでますね。音色といい、音の使い方といい、全然レベルがちがう。これが退団の理由か、と想像を逞しくしたほどです。これを貼り付けてもサンプルの追悼にはならないな・・・

 クルセイダーズでいちばん記憶に残っている曲は「ウェイ・バック・ホーム」です。ただし、ガッド・ギャングのカバーもよく知られている。スティーブ・ガッドのドラムにエディ・ゴメスのベース、サンプル役のピアノはラリー・ゴールディンだから、クルセイダーズよりも何倍か上手いんですが、コーネル・デュプリーのギターがこけてるんだな。私、デュプリー好きなのに、がっくりきた。

 夜になって、さてまぁ走るか、とサウナスーツに着替えようとしたところ、背中に痛みが走った。ぎっくり腰ならぬ、ぎっくりバック(背中)。痛かったぁ。ぎっくりバック、ウェイバック・・・



FIND YOUR WAY BACK HOME!

天まであがれ-東ブータン高地の遊牧的世界(プロローグ)

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 ブータンから帰国してまる2日間、体に鉛が巻き付いていた。動くに動けない。そう言えば、昨年も似たような症状だったな。一年前は身体の不調に抗って平田報告書の結び原稿を綴った。苦しみながら渾身の一筆を、と念じてしたためた一文であったが、思いの外不評を託ち、報告書の編集は頓挫し動かなくなっていく。疲れたら休めばいいさね。締切など無視して脳と身体に休養を与えてやるしかない。動かないほうがよいときもあるさ。
 錦織の奮戦を40分だけライブで視た。相手の出来が良すぎたね。身長198センチだって。ビッグ4より10センチ高いんだから、サーブ一つ受けるのも尋常ではないでしょう。
 3日めにようやく風呂に入った。そして、4日めの昨日、なんとかスロージョギングを1時間走り抜いた(今夜も走るぞ)。出国前よりも(感覚としての)身体は軽くなっている。高地トレーニングのおかげだね。しかし、体重はさほど減っていない。髭だけ伸び続けている。髭を剃ったら1キロ痩せたりしてね。


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 さて、高地ブータンの調査成果をブログにアップしなければなりません。いろいろありました。思い起こせば、初日から大変だったんだ。深夜、社長のスーツケースが開かなくなったんだから。アッサムから違法運転の連続。生きた心地がしなかったよ。ラインアップは以下のとおりです。

 01: 先発隊出国-アッサム経由ブータン入境 (社長)0827-28
 02: めざせ、メラ・サクテン(会長) 0829
 03: メラの牛飼いとヤク放牧地(組長) 0830-31
 04: 後発隊出国-パロ経由ブンタンまで (ケント)0831
 05: 東ブータン高地の植生と栽培植物、およびタシガン城(組長)0901-02
 06: 中央ブータンの崖寺(1)-シュクドラ (白帯)0902-03
 07: 中央ブータンの崖寺(2)-チュードラ (社長)0903 
 08: 中央ブータンの崖寺(3)-クンザンドラ (ケント)0904 
 09: 妊婦の暗喩としてのチベット系仏寺 (組長)0904
 10: 中央ブータンの崖寺(4)-ウラ村とウララカン (会長)0905
 11: その後のダカルポ (白帯)0906
 12: ブンタンとバンコクの都市人類学 (ケント)0905・07   


0906記念撮影01 0905調査風景001

続近況

いろいろあって、バンコク空港まで戻ってきました。
会長は無精髭を剃り、社長と私はのばしたまま。


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中央ブータンでも、標高3600mの地点で崖寺と洞穴僧院
の調査をしてました。凄いよ!
鳥葬と洞穴僧院がセットになっている。
会長はずっと高山病に悩まされていた。
それでも、メラッほど辛くはなかった。
昨年までお世話になったウタムさんが合流したからです。

其れ迄、オバケ会社に仕切られ、身動きがとれなかった。
官僚がでっち上げた形のない旅行社です。

さきほど、発奮街1で社長と白帯とケントが身ぐるみ
はがれ、ぼったくられましたよ。
だれも同情してません。


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近況

メラからタシガンに戻ってきました。
標高3500mの生活はタフだった。
一気にストレスから解放されましたよ。
いざ、ブンタンへ。
ケント、白帯と合流します。


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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