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男はつらいよ-寅さんの風景(14)

虹をつかむ男(表紙)


虹をつかむ男

 寅さんシリーズの第49作として構想されていた「寅次郎花へんろ」は、1996年8月4日に渥美清が逝去したことで制作中止を余儀なくされ、シリーズそのものも打ち切りとなった。「花へんろ」のロケ地は四国で、マドンナは田中裕子(2回め)、特別ゲストに西田敏行を迎えることが決まっていたが、撮影が始まっていたわけではない。「虹をつかむ男」は西田敏行と田中裕子を主演に格上げし、「男はつらいよ」常連キャスト総出演で渥美清追悼のために制作された正月映画である。
 こういう事情を知って、一月ほど前にDVDを通販で取り寄せたのだが、学期末の喧騒のなかで視聴がかなわなかった。この週末、ようやく映像をみた、2回繰り返して。
 舞台は徳島県脇町のオデオン座。LABLOGに登場したことがあるのはご存知でしょうか。徳島科学史学会で講演した後、美馬市の重伝建「脇町南町」(1988選定)を訪問して「うだつの町並み」をレポートしています。
 オデオン座は川を挟んで重伝建エリアの対岸にある。オデオン座の正式名称は「脇町劇場」で、創業・創建は昭和9年(昭和9年)に遡る。戦後、歌謡ショー等で多くの芸能人が公演し、地域に欠かせない娯楽の殿堂に成長していたが、平成7年(1995)に老朽化などの理由により閉館された。映画「虹をつかむ男」を制作した1996年にはすでに使える状態になく、映画館としての内部は別の建物で撮影したようだ。
 「虹をつかむ男」の好評を受けて、取り壊し予定であったオデオン座は市の文化財に指定され修復されて一般公開に至る。重伝建「うだつの町並み」と対比的な昭和戦前の近代化遺産として、いまでは観光の目玉になっている。


1115脇町14オデオン座01 2014年撮影


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男はつらいよ-寅さんの風景(13)

一年生からの礼状

 「寅さんの風景」プロジェクトに参加した一年生から、礼状メールが届きました。このプロジェクトも決して平坦な道のりではありませんでしたが・・・読んで、涙にくれております(冗談ではなく)。それにしても、まるで社会人が書いたような見事な文章ですね。喜び驚き、家族に読んで聞かせたのですが、みな同意見でした。
 以下、感謝の気持ちをこめて抜粋・転載させていただきます。



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パリンカの夢(16)

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居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表会 その2

 3-1 蒸留実習
 中間発表の段階では、北条ワイナリーやアグリネット琴浦などの会社を訪問して果実酒づくりを学ぶ予定を立てていたが、いろいろ情報を集めると、まず訪れるべきは鳥取県産業技術センターであることが分かった。灯台もと暗しで、若葉台にある。
 産業技術センターは、企業の技術支援や受託研究、企業との共同研究に取り組む地方独立法人である。発酵生産科実験室では、鳥取県の特色ある新しい日本酒や果実酒などの開発、酒の品質管理にかかわる試験・研究開発をおこなっている。佐治の「どぶろく特区」も発酵生産科での実習からスタートし、2年後に製品販売に至った。
 実験のために、奄美黒糖甘酒(発酵)、シードル(ニッカ)、韓国産ヘテ梨ジュース(発酵)を持ち込み、蒸留実験を2回反復していただいた。


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 蒸留器は基本的に大きく2つの部分に分けられる。醸造酒を沸騰させる煮沸部と、気化したアルコールを液化する冷却部である。醸造酒を100℃まで加熱し、水蒸気になったところで冷却し、再び液体にすることでアルコール分を抽出することができる。実験では、蒸留酒を200mlずつ測り、蒸留器にかけて、煮沸、気化、冷却を行う。抽出した液体をアルコール度数計に通して濃度を測定する。余ったもので試飲をした。


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パリンカの夢(15)

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居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表会 その1

 7月26日(水)、表記の発表会が開催されました。ASALABは3研究室のうち2番目で発表しました。構成は以下のとおりです。

  1 パリンカの夢-中間報告復習 
   1-1 パリンカとは何か
   1-2 日本の果実酒とパリンカの比較
   1-3 なぜ梨パリンカなのか
  2 佐治農家に学ぶ
   2-1 佐治農家との対話
   2-2 どぶろく特区の誕生 
  3 産業技術センターでの実習
   3-1 蒸留実験
   3-2 パリンカ製作の課題(1)    
  4 パリンカ特区にむけて 
   4-1 石破議員との対話
   4-2 味覚の評価
   4-3 パリンカ制作の課題(2)

 
1.パリンカの夢-.中間報告復習
 序は復習なので割愛します。以下を参照。
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1545.html
 

2-1 佐治農家との対話
 帰国後まもなく、先生は鳥取市佐治町津野で梨園を栽培する農家を訪ね、パリンカを試飲し、パリンカづくりの可能性について話し合いをされた。以下は農家の皆さんの感想である。
 (1)洋梨パリンカのほうがプルーン・パリンカより風味があって美味しい。
 (2)アルコール度数52%は日本人にはきつすぎるが、25~30%まで落とせば売れるかもしれない。
 (3)材料となる梨はいくらでも提供するが、方法は大学で研究してほしい。

2-2 佐治のどぶろく特区とどんでん返し
 佐治町は規制緩和により、鳥取市で初めて「どぶろく特区」制度を最近導入した。2016年11月19日、「どんでん返し」を発売したばかりである。Iターン者も係わった酒造り特区の地盤がすでにある点、パリンカづくりの候補地として有力だと思われる。さらに付け加えるならば、佐治は過疎のため空家が著しく増加しており、そのキビヤ(納屋)はパリンカ工房(酒蔵)にぴったりの面積で再利用しやすい。


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稲常の町並み(1)

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豪農の屋敷と集落

 7月25日(火)。午前9時から1・2年生の「寅さんの風景」発表を聞き、まもなく4年ゼミに以降。先生も疲れたようで、喫茶店に移動し、全員でモーニングサービスを食べながら、夏休みをどうするかについて話し合いをしました。その際、後期2年の実習演習Aの下見を兼ねて、寅さんロケ地再現で二度訪問した稲常に向かいました。


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 まず田圃に近い道を歩きました。背の高い大きな土蔵が軒を連ねています。これまで河原や用瀬の蔵通りの撮影やスケッチをしてきましたが、それらの宿場町では蔵通りは裏通りであり、表通りに町家の正面があります。稲常でもそうなのだろうと思って、表どおりにあたる道を探すのですが、結局みつかりませんでした。稲常は農村集落であり、どの屋敷も表側の門の両脇に蔵を配していることが分かりました。裏通りは存在しません。家の正面に大きな蔵を配するのは、財産を誇示するステータスシンボルであろうと思われます。


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 蔵と蔵の間に門があり、門の前には大きな前庭を配しています。こうした蔵・門・庭の構成、さらには敷地の広大さをみると、稲常の農家は武家屋敷に近い豪農の住まいであるように思いました。ただし、建築年代はやや新しいかもしれません。門の脇の土蔵壁に貼り付いた出格子の彫刻や絵様は非常に派手なつくりとなっており、戦後にまで下る可能性があります。農家の建物に格子をつけること自体、本来ありえないのですが、都市住宅の影響がでていること自体、建築年代が新しい可能性が高いと思われます。
 坂を登って行くと、一番奥に荒壁の土蔵があり中に犬がおり、開いた戸から顔を覗かせていました。
 このあと、ゲリラ豪雨に降られて全員びしょぬれになりながら急いで車まで戻りました。大雨の中、河原町を通って帰る途中に河原城の駐車場まで車で登りました。次に河原を訪れたときには河原城から河原町の全景を撮りたいと思います。 (みひろ)

 
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男はつらいよ-寅さんの風景(12)

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プロジェクト研究1&3発表会

 7月25日(火)、早くも前期プロジェクト研究「男はつらいよ-寅さんの風景」の発表会を迎えました。朝9時からのスタートという不運のため、学生の客足はいまひとつでしたが、教員3名に事務職員若干名など大人の参加者が目につきました。
 発表の構成は以下のとおりです。

  1.イントロ(寺西)
  2.男はつらいよ純情篇(盛・芝田)
  3.わたしの寅さん(古市・岡本)
  4.口笛を吹く寅次郎(鈴木・岩本・宮平)
  5.寅次郎夕焼け小焼け(竹内・吉竹)
  6.寅次郎かもめ歌(木山・海老名)
  7.寅次郎の告白(砂見・塩坂)
  8.「寅次郎の告白」ロケ地訪問と再現撮影(日野・能勢)


0725(寅)発表会01イントロ(寺西)01 0725(寅)発表会01イントロ(寺西)02sam イントロ


 午前9時、カチンコの音が響き、発表開始。担当した1年生のパワポ・スキルは突出したものであり(ここ数年指導した学生の中でもピカイチ)、講演も落ち着いたもので、聴衆ははやくも画面に釘付け状態。順調にスタートを切った。


0725(寅)発表会02純情01 純情


 2番目は純情篇。寅さんがマドンナに恋して、最後はあっさり振られる初期の典型バージョンだが、旅先(五島列島)で登場する宮本信子と森繁久彌の演技も圧巻。発表では、離島などの僻地の風景が一般社会からはみだした寅さんの姿とよく似合うことを強調した。発表者2名のうちの1名は奄美群島加計呂麻島の出身である。最終の第48作「紅の花」の舞台となった離島である。全員で鑑賞する余裕はなかったが、DVDを貸してあげたところ、「贔屓目かもしれませんが、いちばん面白かったです」の感想でした。きっと鳥取出身者が「告白」に抱く感情に近いものなんじゃないかな。
 3番目は「私の寅さん」。やはり寅さんがマドンナにあっさり振られる初期の定型バージョン。どういうわけか、発表風景の写真が一枚もありませんでした。ごめん!


0725(寅)発表会03口笛01 口笛


 4番目は「口笛を吹く寅次郎」。マドンナに想いを寄せられ、相思相愛であることを知りながら、はなればなれになっていく中期の逆定型バージョン・・・の中の最高傑作。アマゾンのレビューも最多です。どういうわけか、3人の学生が入れかわり立ちかわり発表しました。
 5番目は「夕焼け小焼け」。宇野重吉、太地喜和子の名演が際立つ作品。これを全48作中のベストと評価する人も少なくありません。龍野揖保川の夕焼け空にあわせて三木露風作詞の童謡「赤とんぼ」が流れるシーンは、まるで時間がとまったような錯覚を覚えます。


0725(寅)発表会04夕焼け01 0725(寅)発表会04夕焼け02 夕焼け


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飛鳥ファイナル(2)

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飛鳥ー心のともしび

 飛鳥は今夜でついに閉店する。わたしはこの水曜日(19日)、ご所望のお酒を携えて店を訪れ、最後の酒盛りをした。最近、店に入っても酒は飲まず、烏龍茶で済ませるのだが、この日ばかりはアルコール抜きというわけにはいかない。
 1週間前(13日)はカウンターに一人っきりだった。流石に最終週となれば、客は多い。2階座敷に数名、カウンターの客は入れ替わり立ち替わりで、どうやらインテリ層が多いみたいだ。めずらしく、女性客も少なからず混じっている。記念品をわたす男女のカップル?もいた。わたしの餞は酒である。が、大将は酒を禁じられているようで、女将は気が気でならない。結果、餞の酒は他の客にもふるまわれ(↓)、ほとんどなくなってしまった。


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 この夜、何を食べたのか。イサキの煮物、干カレイ焼き、冷や奴、焼鳥1本かな・・・客が多すぎて、酒菜があんまりまわってこなかったが、いまの二人の体力では、このあたりが限度でありましょう。
 写真をすこしだけ撮った。二人の写真を撮りたいというと、女将は棚にかけていた「飛鳥-心のともしび」の手ぬぐいを手にとって二人のあいだに掲げてみせた。

 本当に「心のともしび」というべき小料理屋でした。お疲れ様、そして、ありがとうございました。
 いつでも学校を訪ねてきてください。


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上方往来河原宿の調査(1)

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格子残る唯一の町家

 7月19日(水)、町並み班2名は先生とともに河原宿で町家矩計図(+立面図)の候補を探しました。町家矩計図(+立面図)の作成は私たちの夏休みの課題となっています。前日にいくつか候補をピックアップしていたので、今日は先生に直接交渉をしていただきました。真夏の上方往来を縦横に歩き、最初に先生が目をつけたのは、宿場南端の神社に近いM家(↑)でした。格子の残る唯一の町家であり、やや高めの中2階形式で、先生は明治後半と推定されていましたが、あとで家主さんから明治33年(1900)の建築であることを教えられました。
 土間にも足を踏み入れました。格子の内側には2本溝の敷居と鴨居が残っており、かつては障子をはめていたのですが、いまは格子に接してガラス窓をつけています。そして、いまは広い土間部分も元は畳が敷いてあったそうです。なお、隣接する大型町家には、倉吉でみる海老虹梁のような腕木が残っており、様式・年代的にはM家と近似します。
 河原宿の町家ぜんたいをみた結果、格子の残る町家はM家のみであり、今後の卒論にむけて非常に良い資料の調査許可を得たと喜んでいます。


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平屋の鍛冶屋

 次に、前日から気になっていたS家を訪れた。ちょうど奥様が帰宅するところで、先生の説明をよく理解していただきました。S家には袖壁が残っており、町並みを見ていく中で目に留まりました。こちらの家は、屋根高が極端に低く、2階があるようにみえますが、じつは平屋です。家主さんにお話を聞いたところ、元は鍛冶屋であったと仰いました。袖壁やウダツはほんらい火除けの道具ですが、実際にはステータスシンボルとして意味合いが強くなっていきます。しかしS家の場合、鍛冶屋の稼業と袖壁ほんらいの火除けに相関性があることに注目すべきかもしれません。
 先生は低い屋根をみて、元は茅葺だった可能性があると仰っていました(河原にあった先生の実家ももとは茅葺だったそうです)。また、鍛冶屋といえば、倉吉鍛冶町の茅葺き町家(ひろせ屋など)も茅葺の屋根を残しており、共通性があると思いました。S家の奥様も調査に同意して下さったので、夏休みに河原宿ではこの2棟の立面図と矩計図を作成したいと思います。


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↑↓(左)現状 2017年  (右)2014年


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エクササイズ-倉田八幡宮(2)・大森神社(2)

170719 倉田八幡宮 神門  170719 倉田八幡宮 作業風景①


断面を描け!

  7月19日(水)、ブータン調査予定の4年3名は、現場調査に向けての練習として断面図の作成に挑みました。これまで実測した倉田八幡宮と大森神社に分かれての作業です。私は倉田八幡宮の手水舎、OK牧場は同社神門、だっしょは大森神社手水舎を実測採寸しました。
 私はエクササイズとして初めて断面図を担当したのですが、なかなか建物の断面をうまく捉えられず苦労しました。途中あらわれた先生から「これは断面図じゃなくて側面図だ」と評されてしまいました。建物内部の構造をうまく描けるように、今後は特に断面図の練習に力を入れていきたいと本日の実習を通じて強く感じました。
 今日の実測では「高さ測り機」と「レーザー測定器」を併用しました。これまでの各地の調査では高さ測り機を先輩方が使用してきましたが、レーザーはほとんど使っていません。しかし、ブータンに前者をもちこむのは大変なので、むしろレーザーが役立ちそうです。両者を併用した結果はほぼ同一の寸法であり、レーザーの精度は高いように思われます。


170719 倉田八幡宮  作業風景③ 



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飛行船

 飛行船とは、細君が大学時に在籍したサークルの名前である。飛行船に乗れるわけではなく、日本のあちこちを旅してまわる男女のグループであった。彼女はこのサークルで恋に落ちた。独身時代、ずいぶんその話を聞かされた。聞けば聞くほど、自分の片想いを思い知らされるわけだが、恋愛とは不思議なもので、これだけ気の短い男が辛抱強くなる。恋は魔法だ・・・
 春ごろから飛行船の同窓会が開催される通知が届いていて、もし彼女が参加するとなれば、送迎役を務めねばならないので、私自身が連絡役をかってでた(彼女は右手で文字が書けない)。幹事役の方にお願いしたのは、「ともかく電車の乗り換えで手間がかかるので、大学近辺よりも、難波か梅田がありがたいです(大学近辺でもなんとかしますが)」という厚かましい内容で、これには幹事役さんもお困りになったらしい。難波や梅田は便利なところで、お店も多いが、なかなかツテがなく、探しあぐねたそうだが、6月になって以下の通知が届いた。

  日 時: 7月16日(日)PM3時~PM6時
  場 所: 中国料理「桃谷楼」ルクア大阪店
         大阪市北区梅田3-1-3
         ルクア1100(イーレ)10F
         JR大阪駅中央口徒歩1分

 ルクアという高層ビルは大阪駅前の新名所のようである。10階がレストラン街で、3時前に到着すると、8割以上の店の前に行列ができている。桃谷楼の前でうろうろしていると、まもなく男女の幹事があらわれた。細君の体のことをすぐに気遣ってくださった。女性の方は、結婚式の会場でお会いしたことがある。35年前のことである。お互いお腹に目をやった。わたしが3時間も会場の外で待機することを気にしておられるので、

  「大丈夫ですよ。この人には、風俗にでも行ってくる、と言ってありますから」

と答えたが、笑いには変えられなかった。しかし、大阪で風俗なんか行ったりすると、地元のクラノスケだけでなく、カヤマやヘイケやノビタが遠征してきている可能性さえあり、ばったりなんて洒落にもなりませんからね。


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みちくさの駅

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そばカフェ

 14日(金)、母校を後にして、とりあえずダウラのアイスティーで一休憩。ここの主人も西高の卒業で、店自体、旧第2グラウンドの対面にある。GSHの件を報告すると、「3年のときなんぞ、受験勉強しかやらせてもらわんかったがなぁ・・・」という当方と同じ感想。現状がよい変化なのか、そうでないのか、二人とも把握しにくい。トンレサップのような興味深いプロジェクトに熱心に取り組んでいる学生がいることは誇らしいが、その学生が受験勉強そっちのけになってしまえば、自ら希望する大学に進学できないかもしれない。もっとも、上級の大学に行けば幸せな人生を送れるかと言えば、そうではないことぐらい身をもって知っているが・・
 お土産にしばしばジャムを買うのだが、糖質制限のため断念した。代わりに、極上のニルギリの葉を薦められた。この店が推薦する良質の茶葉は日本茶の味に近いといつも思う。果たして、そうであった。ミルク不要(絶対)。

 店をでて奈良へむかう。いつもは夜の高速で、速くて便利だが、タイムトンネルを抜けるような神経疲労を伴う。この日は敢えて、旧道を選択した。倉田から円通寺~稲常に抜ける旧国道53号は懐かしい道で、寅さんの匂いがする。そのまま、用瀬、智頭と抜けてしまいところだが、時間も惜しいので河原から高速に乗った。ところが、智頭を過ぎしてしばらくすると、車窓左側に大きな木造建築があらわれた。妻壁板に「そばカフェ みちくさの駅」の看板を貼り付けている。前にいちどだけ気づいたこともあるのだが、この日は快晴で建物が目立ってみえた。建物は福原の近くなのだが、慎重に駒帰まで進んで高速を下り、地道を引き返してたどりついた。


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 戸倉峠を越えた南波賀にある「ひむろ蕎麦」をひとまわり大きくした木造建築である。てっきり、かの町長がてこ入れしてできた半公共施設かと思ってきいてみると、Uターン者を代表とする株式会社として出発したものだという(今は株式ではない)。小屋梁に古材を転用しているようにみえるが、よく観察すると、ひび割れの部分に白木が露出しており、新材の古色塗であることがわかる。


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トンレサップに帰ろう(3)

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ポスターセッション

 7月14日(金)午前、母校でのポスターセッションを一般参観した。GSH課題に取り組むグループはじつに107班に及び、そのうち3班(67・68・69)がトンレサップ学校建設プロジェクトについて発表した。5月24日の指導時と同じで、67・68の2班は筏住居系、69は高床住居系のコンセプトを採用していた。驚いたことに、3班すべてが模型まで完成させていた。
 模型については、指導教員と生徒代表1名が、ハロン湾調査で大活躍した岡垣くん(市教委)の指導を受けたという。5月24日にパワポをみせた甲斐があり、筏住居系のプランにはカイヤンの養魚槽が導入され、便所の排泄物との循環を提案していた。


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 半時間ごとに奇数班と偶数班に分けて発表があった。3班とも、堂々とした立派な発表でした。5月24日の段階では、正直「厳しい」と思っていて、ポスターの作成に全力をあげ、模型制作は断念したほうがいい、とアドバイスしていたのだが、なんのなんの、模型まで仕上げて見事だと感心した次第です。
 大学(本学)と決定的にちがうのは、発表のスタイルです。本学の場合、パワポなどのパソコン・スキルを活用して、できるだけグラフィックに見せることに重点をおくものの、発表自体はカンペの棒読みに近く、内容に対する理解が深いかと言えば疑問符がつく。一方、母校はポスターが手書きでグラフィックにはほど遠いが、自分たちで練り上げたアイデアに対する理解が深く、発表もカンペをチラ視することなく、フリートークに近い自信に満ちたものであった。研究者として、どちらに好感を抱いたのかと問われれば、残念ながら、母校のほうです。独創性があって理解が深く、それをわかりやすい表現にするほうがいい。プレゼン・スキルはその後にあるものでしょうね。


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飛鳥ファイナル(1)

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箸置きの石

 6月下旬の初めころ、弥生町の小料理屋「飛鳥」から久しぶりに電話があった。どうしたことか、と問えば、

  7月22日で店を畳むことになったの・・・

と女将は答える。76歳になる大将の塩梅がどうにも思わしくなく、店を閉める決断をしたのだという。「飛鳥」は2001年の開学から十年ばかり、鳥取の夜の生活を支えた両極之一である。いま一つの極が薬研堀の茶屋であることは『薬研堀慕情』を愛読された方ならよくご存じであろう。あの茶屋もいまはない。
 連絡直後にいちど飛鳥を訪れた。改めて気づいたのだが、こういう小料理屋は澱粉カットに最適である。基本は魚・野菜・山菜であり、シメさえも低糖質な蕎麦やところてんを用意してくれる。美味で健康的な有り難い食の場所であることを痛感した。


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 このページに並べた写真に映る石と珊瑚の箸置きはすべてわたしが集めてきたものだ。スコットランドのスカラブレー、ネパールのヒマラヤ山麓、マクタン島のビーチ、アルバニアの湖岸等々、わたし自身懐かしい思い出の品々だが、その想いは女将も大将も同じようで、「店を辞めても家にもって帰って記念にする」と言ってくれる。
 13日の木曜夜、再び飛鳥の客となった。いつもならジムで短いトレーニングをするル-チンなのだが、残された時間は少ないので、ジムを放棄した。暖簾をくぐれば、自然の箸置きに再会できる。それも来週までとなったわけだが。
 来週は、お気に入りの濁り酒をわたしが取り寄せ、酒盛りすることが決まっている。閉店は週末だが、酒盛りは水曜。飛鳥は酒菜、わたしは酒の用意を今から進めている。



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パリンカの夢(14)

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パリンカの夢、大きく前進

 7月12日(水)。この日のゼミは、先生と3年生で作った甘酒たちの試飲会からスタートし ました。この日までに①米、②ジャガイモ+リンゴジュース、③ジャガイモ+梨 ジュースの材料に分担して、各自家で作り、できたものを試飲して感想を言い合いました。それぞれ個性が出ていておもしろかったです。私は②ジャガイモ+リンゴジュースを担当しました。匂いはそこそこ良いと思ったのですが、味は酸味が少しある感じで、あまりおいしいとはいえませんでした。結果、(悔しいけど) 先生が作ってきたものが飲みやすく、一番おいしかったです。

 試飲はほどほどにして、産業技術センターで得た知識をもとに、作業に取りか かりました。ここでまず最初に使ったのが前々回のゼミの時間に作った甘酒。こ れを鍋に入れて温めていくのですが…さっそく問題が発生します。万能鍋に乗せた鍋が揺れる、揺れる、揺れる!! すさまじい勢いで揺れるので、状況が理解できず固まるゼミ生。身の危険を感じ、逃げ出すゼミ生も現れました。そこで カセットコンロに替え、この揺れをなくすことができましたが、あの揺れ方はかなり衝撃的でした。


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エクササイズ-大森神社(1)

大森神社鳥居 大森神社拝殿


 7月12日(水)、曇後雨。4年3名で大森神社の実測を行いました。前回の倉田八幡宮と同じく、第6次ブータン調査にむけての基礎訓練という位置づけなので、気合いを取り組みました。
 大森神社は鳥取市相生町に位置し、祭神は大己貴神・少名毘古那神・事代主神です。境内に入ると正面に拝殿が見え、その奥に本殿が鎮座し、左脇に社務室を配します。本殿は昭和3年(1928)の建立であり、昭和11年には県から供進社の指定を受けています。昭和36年(1961)、聖神社と大森神社の例祭にあわせて「鳥取祭」が催されました。この「鳥取祭」と「因幡の傘踊り」がしゃんしゃん祭の起源とされています。そのため大森神社は地元住民からはなじみ深く、実際に作業中にもお参りする方々がいらっしゃいました。


大森神社手水舎  大森神社手水舎2 手水舎


 作業分担は、OK牧場ときびたろうが境内屋根伏図、だっしょが手水舎の断面図です。今回は倉田八幡宮よりも境内が狭いため、OK牧場ときびたろうは、半分割ではなく、個別に屋根伏図を作成しました。建物の配置はシンプルで、比較的描き易いものでしたが、境内の形が入口から扇状になっており、建物と地形の配置関係をつかむのに苦労しました。雨が降ったり已んだりと終始天候に悩まされ、細かい部分を書ききることができませんでしたが、ペース的には前回と比較しても上々の出来だったと思います。
手水舎の断面図は作図に関してはさほど苦労していませんでしたが、高さ測り器を使ったことがなく、高い部分の寸法をとることができませんでした。これについてはブータン調査までに使い方をマスターしていく予定です。今後も自分達で時間を見つけては社寺に出向き平面図を素早く完成させることができるように訓練していきたいです。(OK牧場)


屋根伏せ図1 屋根伏せ図2 屋根伏図 
手水舎断面図 手水舎断面図


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二つの期末発表会


 2017年度前期の期末発表会(1~3年)が7月25~26日に連続して開催されます。


プロジェクト研究1&3発表会「男はつらいよー寅さんの風景」

 1・2年が取り組んだ「男はつらいよー寅さんの風景」の発表会です。6班にわけて発表します。

1.日時  7月25日(火)09:00~09:50
2.会場  本学13講義室
3.発表構成  1)イントロ
  2)男はつらいよ純情篇
  3)わたしの寅さん
  4)口笛を吹く寅次郎
  5)寅次郎夕焼け小焼け
  6)寅次郎かもめ歌
  7)寅次郎の告白
  8)「寅次郎の告白」ロケ地訪問と再現撮影
 4.指定聴講は13:00~


居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表会「パリンカの夢」

1.日時 7月26日(水)4~5限
2.会場   
  ①建築・文化資産班(遠藤・浅川・中治)@4409人間環境演習室
  ②景観・地理・都市班(チョン・中橋・新名)@1F環境デザイン演習室

 *ASALABは「パリンカの夢」プロジェクトの最新成果を3年4名が報告します。発表時間は14:45~15:00前後の予定です。

タラレバの告白

サッカー靴02


 先々週末の日曜夜、さりげなく告白された。

  「あした係長の辞令もらうねん」

 平日の夜も土日もただただ遊びまわっているだけのタラレバだと偏見の眼差しでみていた人物がヒラから係長に昇進するのだというから、青天の霹靂と言うほかない。
 月曜はそわそわした。患者と相談してスーパーに行き、「お頭付の鯛の刺身」など買いこんで帰宅を待っていたのだが、同僚たちが祝ってくれるということで、夕食を共にすることができないまま、わたしは奈良の家をあとにした。


D完成状態

 
 ささやかな吉報に揺れたその週末、わたしは郡山のイオンでサッカーシューズを買った。十月桜の血戦を意識してのことである。現役時代はもっぱらアディダスを履いていたので、今回もそうしようと思ったのだが、アディダスご自慢の牛皮はアンビリーバボーなほど硬く、足の甲を痛いほど締めつける。そこで、店主の薦めるアンブロの靴に履き替えた。カンガルーの皮なんだそうだ・・・これがやわらかくて驚くほど足にフィットする。アディダスかプーマかの二者択一の時代はとっくに終わっているんだね。当然のことながら、ブランドよりも、履きやすさを選ぶに決まっている。
 ボールは子ども用の4号球にした。慣れるまでは4号で十分さ・・・と決めたのだけど、梅雨前線は信じられないほど活発になり、未だグラウンドに立っていない。


サッカー靴01

縄文-建築考古学、再び(8)

11支柱の組み直し(1) 18採用された紐


岩宿通信(2)-西鹿田中島11号住居組直し

 7月6日(木)。仮組解体後、ただちに組み直しがおこなわれた。課題とされたいくつかの問題を解決するための再作業である。

  ①三脚頂部の股木を長くして、股をかみあわせたところ、前回よりも安定した
   ジョイントになった。

  ②エゴ材の木舞については、7段から4段に替えることで調整している。
    (浅川注:管理上木舞が多いほうがよいなら5段も可)

  ③結束材については、φ4mmの麻ロープ(↑右)を採用する。縄文時代草創期の縄については、
   再現する住居跡が「多縄文期」ということで、すべての縄の撚り方が出揃っています
   (再現のむずかしい縄の撚り方さえある)。したがって、このロープを使うことに矛盾は
   生じないと考える。

  ④木材のモックル処理の調整が遅れており、工事着手スケジュールに影響が出るかも?


12支柱の組み直し(2)
↑↓ 三脚股木のかみ合わせ。長目の股に変えて奏効。
13噛み合わせ部の点検



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縄文-建築考古学、再び(7)

03解体前 解体前


岩宿通信(1)-西鹿田中島11号住居仮組解体

 群馬県みどり市の西鹿田中島遺跡復元住居に新たな展開があり、岩宿よりメールで連絡があったので、要点を報告しておく。

  ①6月23日に仮組した11号住居跡の解体を7月6日におこなった。

  ②前日に通過した台風により、材にカビが生えるなどの状況が発生したが、
   拭き取りにより状況は改善されたので、差し替える必要のない仮組部材に
   ついては、このままモックル処理(酸化亜鉛含浸処理)に発注する。

  ③心配されたエゴの木舞は湾曲に馴染んでおり、反力はほぼ失われていた。


01台風3号通過により生じたカビ 02カビの拭き取り
(左)台風3号通過により生じたカビ    (右)カビの拭き取り

04支柱及び垂木の設置状況
三脚と垂木の設置状況

05木舞の取り外し
木舞の取り外し


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山湯山の梨園と浜湯山の辣韮畑(2)

170705山道より2 170705トレッキング2


続・林道を下る

 7月5日(水)。11名で摩尼寺門前から湯山に至る林道をトレッキングしました。林道は摩尼寺側の一部をのぞいてアスファルト舗装されており、歩きやすかったです。天気も丁度良い曇り空でした。
 道中から日本海と浜湯山のラッキョウ畑を望むことのできる場所がありました。写真中央に見える小島は「海士島(あまじま)」です。その形からクジラ島と呼ばれる場合もあるそうです。薄茶色の砂地はラッキョウ畑です。4月には収穫前の青々とした葉が繁っていましたが、5~6月に収穫が終わり、いまは砂丘に戻っています。しかし、まもなく新しい球根が植え付けされ、10月下旬~11月初旬には紫色の花が咲き乱れます。一年を通してさまざまな風景を愉しむことができるのです。


170705梨園到着 北麓斜面梨園


 林道を歩き始めて30分ほどで摩尼山北麓にある最初の梨園に辿り着きました。すでに梨の実は袋掛けがされていました。しかし、袋掛けがされていない木が1本あり、まだ小さい梨の実を見ることができました。そこから、さらに山道を下ると前回梨の花の撮影に訪れ山湯山の集落近くの梨園が見えてきました。


0705湯山01梨園02風景01 170705梨の実 
↓袋かけ  ↑袋かけしてない小さな梨の観察
0705湯山01梨園04袋かけ01



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登録記念物-摩尼山の歴史性と景観の回復(2)

0705門前02仁王門01案内板01 0705門前02仁王門02禅宗様01


総合案内板はどこに設置すべきか

 2日前の7月3日(月)、県市教委の技師さん4名が今年度の事業対象である案内板(3ヶ所)と石の標識(1ヶ所)の設置場所を検討するため摩尼山を一周され、候補場所の報告データを先生に送信してこられていて、そのコピーが全員に渡されていました。奥の院と立岩周辺については、さほど大きな問題はないのですが、総合案内板については、すでに門前に類似の標識が少なからずあり、それらを残した状態で、新たな工作物を設置する必要があります。
 まず石段脇の路肩や仁王門の敷地(↑)を検討しましたが、研究室としては、いずれも「不可」とせざるを得ないという判断を下しました。今回制作する総合案内板と石の標識は、摩尼山の南半(約37万㎡)を占める登録記念物(名勝地)全体をアピールするものでなければなりませんが、訪問者の大半は門前の茶屋で休憩する人たちであり、石段を上って境内に向かう参拝者は決して多くないからです。また、登録記念物の主役は「奥の院」遺跡と立岩周辺であり、石段の途中で総合案内板をみても、主役級の場所に行きにくいのです。もちろん境内から山頂立岩エリアに至る(近代の)登山道はありますが、起伏が激しく、歩きやすい道ではないそうです。


0705門前03調査風景01


 「奥の院」遺跡へ至るには、門前から参道(石段)を上がるのではなく、門脇茶屋と石段の中間を通りぬける山道を進むのが最短です(所要時間は25分前後)。総合案内板は訪問者を「奥の院」遺跡へ誘う役割を期待されているわけであり、やはり茶屋に近い門前に設置すべきでしょう。門前での具体的検討では、多くの学生が「すでに設置してある案内板を駐車場に移設して、同じ位置に新しい案内板を設けるべき」という意見を述べましたが、先生は①既存の工作物を移設する場合、管理者の許可が必要であるのに加えて、②撤去・移築のための工事費等が発生し、③さらに文化庁からは「新設」に限るという条件が提示されていることから不可能という回答がありました。また、駐車場対面にはすでに中国自然歩道の案内板が設置されています(↓)。


0705門前04中国自然歩道案内板01



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登録記念物-摩尼山の歴史性と景観の回復(1)

0705境内01庫裡01 庫裡


庫裡の雪害

 7月6日(水)。午前に降っていた雨もやみ、風が涼しく感じました。門前から急な石階をのぼると、摩尼寺の仁王門が見えてきました。それは18世紀に他の地で建設され後に移築されてきた楼門です。石段には苔が生えており、雨上がりで滑りやすくなっていたので、みな踏石を確かめるように楼門から山門をめざします。境内に達すると、湯山の選果場に2台の車を停車し折り返してきた4人の男性陣の姿がすでにあったのには驚きました。
 まず、庫裡の屋根の被害に目を奪われました(↑)。原因は2月の豪雪です。市街地で92㎝の積雪でしたから、摩尼寺では1m以上の積雪だったのは確実であり、雪の重みで大屋根と庇の瓦屋根が崩落し、室内が丸見えの状態になったそうです。現在は新しい梁をとおしてトタン葺きで応急修理されていました(被災以前の外観は こちら を参照)。庫裡については元より傷みが激しく、行政サイドは登録記念物の補助事業での構造補強と修復をめざしていましたが、文化庁の判断によると、「名勝地」との係わりが薄いということで予算化が難しく、現在は自治体指定(有形文化財)による修理をめざす方向に切り替わりつつあるそうです。とはいえ、現状の外観をみる限り、文化財審議会までに旧状に復するか、現状の応急修理をそのままみせるか、難しい判断を迫られそうです。しかしながら、豪雪被害が摩尼寺にまで及んだ事態については強調すべきであり、ASALABも今後、講演会等での募金をつのりたいと考えています。


0705境内02本堂01案内板01 本堂脇

 
高札風の説明板

 この後、全員で本堂に参拝しました。五円はご縁があるということで、一同五円玉のお賽銭を用意しつつ・・・そして、2014年に登録文化財の官報告示をうけた本堂・鐘楼・山門の説明版で「登録」と「指定」の違いに係わる問答をしました。4年生が一人ずつ答えましたが、先生はご不満なようで、自ら説明されました(この問題はLABLOGで何度も取り上げられているので省略)。本堂正面脇の説明板は登録文化財認証プレートの設置施設を兼ねた高札風の説明板が設置されています。プレートの保護を目的の一部としているので、短い屋根をかけており、クリの余材を活用した木造の工作物です。これに類する登録記念物(名勝地関係)の案内板を門前、立岩脇、奥の院の3ヶ所に設置する予定であり、この日は山上には上がりませんでしたが、門前等で「総合案内板」の設置位置について検討するための基礎情報を与えられたわけです。


0705境内03焔魔堂02修復01 0705境内03焔魔堂01紫陽花01縦


閻魔堂の問題

 閻魔堂については、雪害以前から擁壁側の地盤沈下が激しく、土台が折れていましたが、最近、お寺さんの親しい大工さんが沈下部分にモルタルを塗り込んで応急修理しており、土台は水平を保っていました。しかし、擁壁側の地盤沈下が納まった保証はなく、再び同様の変形を引き起こす危険性もあります。とりわけ大地震発生時には擁壁側が地滑りで崩壊し、閻魔堂も崖下に転落する可能性すらあるでしょう。こうしたリスクを回避するため、閻魔堂の移設が以前から論議されてきました。先生は、閻魔堂が昭和40年代まで存在した立岩脇の基壇に戻すべきだとお考えのようです。因幡に生まれた人は死後、霊魂がいったん摩尼山に滞留し、閻魔様の裁きをうけて天国に導かれる者と地獄に堕ちる者に分けられると信じられていたからです。山頂までの移設となると大変であり、もちろん反対意見もありますが、庫裡の修理に冷淡であった文化庁は、「摩尼山の歴史性と景観の回復」という主題との合致から、閻魔堂の山上移設については一定の理解を示してくれているそうです。



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狛犬コレクション(1)

0628倉田01石獅子01遠景01 0628倉田01獅子舞01看板01


倉田八幡宮の狛犬

 倉田八幡宮には叢林・大イチョウなどの天然記念物や麒麟獅子舞(無形民俗文化財)が国や自治体の指定を受けているものの、社殿建造物などは近代の作らしく、有形文化財として指定・登録にあたいするものはないのか、ざっと観察したところ、狛犬が摩耗して古めかしくみえた。
 大雲院所蔵懸仏研究の残像なおあざやかなこのごろ、向かって左側の一角を有するものが雄の狛犬、右側が無角の雌の獅子というイメージを強く抱いていたのだが、調べてみると、日本において獅子が角をもつようになるのはどうやら平安時代からで、中世から簡略化が進み、とりわけ昭和以降は左右ともに無角のものが過半を占めるようになった。とすれば、倉田八幡宮の狛犬は建造物と同じ近代のものとみればよいのかもしれないが、それにしては一部の石獅子の摩耗が激しすぎる。
 さて、角がなくとも、雄と雌の区別はつく。一般的に、向かって右側の獅子は阿形(あぎょう)で口を開き、左側の狛犬は吽形(うんぎょう)で口を閉じている。倉田八幡宮には3列6体の獅子が設置されており、以下、簡単に紹介しておこう。


0628倉田03本殿02左02 0628倉田03本殿02左01縦 0628倉田03本殿02左03


1.拝殿脇の狛犬

 上は拝殿脇左側の吽形。角はないが、原則どおり、口を閉じる。目は凹む。下は阿形。わずかに口を開ける。口内に舌のような表現あり。目は凸る。雄雌とも尾が大きく縦に屹立し、股間にいっさい表現なし。


0628倉田03本殿01右02 0628倉田03本殿01右01 0628倉田03本殿01右03



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エクササイズ-倉田八幡宮(1)

170629 倉田八幡宮 作業風景01 170629 倉田八幡宮 入口 鳥居


境内屋根伏と神門平面のスケッチ

 6月28日(水)、猛暑快晴のなか倉田八幡宮で屋根伏図と神門平面図の現場スケッチに取り組みました。担当したのは4年3名です。今夏の第6次ブータン調査に参加する予定の3名が現場で必要なスキルを身につけるための実習という位置づけで、他の4年3名は立川の町並み撮影、3年生模様替えしたスタジオで活動しました。


170629 倉田八幡宮 作業風景03 170629 倉田八幡宮 神門02


 倉田八幡宮は社叢と大イチョウが国の天然記念物、麒麟獅子舞が県の無形民俗文化財に指定されており、とくに後者は鳥取東照宮から伝授されたものと言われており、研究室活動と無縁ではありません。しかし、今回は調査研究を目的としているわけではなく、あくまで大学に近い社寺での実習・演習という位置づけです。境内はとても広く、屋根伏配置図等の練習にぴったりのフィールドでした。とても暑い一日ですが、鎮守の森に囲まれた静かな空間で、集中して作業に取り組むことができました。


170629 倉田八幡宮 本殿 170629 倉田八幡宮 樹木


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パリンカの夢(12)

0626蒸留01 0626蒸留02


産業技術センターでの蒸留実験

 6月26日、曇り。比較的涼しいお日柄です。若葉台にある鳥取県産業技術センター(地方独立行政法人)を訪問しました。
 初めて蒸留器を目の前にして3年女子3名は興味津々。こちらが用意した市販のシードル、甘酒などを担当者のNさんに蒸留していただきました。若干予習はしていたので、蒸留器の仕組みはわかっていましたが、ブクブクとお酒が沸騰して気化し、それが蚊取り線香のような管を伝ううちに冷却され、試験管に雫をぽたぽた落としていく様に目を瞠りました!


0626蒸留03 0626蒸留04


 1回目の蒸留実験では、シードル等果実酒は200ml、量が不足気味の奄美黒糖甘酒は110mlをフラスコに移し、試験管に少量のアルコール分が抽出された段階で火をとめました。アルコールは低い温度で早めに気化するので、時間をかけても蒸留水が増えるばかりで、アルコール濃度が低くなってしまうからです。以下、1回めの基礎データです。

  ①シードル(200ml) → 24ml抽出 アルコール度数12.4%
  ②ナシードル(200ml) → 30ml抽出 アルコール度数18.0%
  ③甘酒110ml → 5ml前後の抽出 量が足りず度数測定不能


0626蒸留06 煮沸


 もう少し詳しいデータがほしいので、再度蒸留をお願いし、承諾していただきました。以下、2回めの基礎データ。

  ①シードル(200ml) → 20ml抽出 アルコール度数12.9%
  ②ナシードル(200ml) → 23ml抽出 アルコール度数19.4%
  ③甘酒(1回めとの合計で230ml) → 12ml抽出 アルコール度数17.4%


0626蒸留09 0626蒸留08縦sam
↑冷却抽出  ↓度数計による計測
0626蒸留11 



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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