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訃報

 JRで移動中、訃報が届いた。電波の繋がりにくい因美線の列車が駅に停まった瞬間の通話だった。
 田中淡さんが亡くなった。江口一久、林謙作、田中文男、町田章と続いて、こんどは淡さんか。勘弁して欲しい・・・急ぎ情報を集めようとしたが、術もない。 
 いま出張先のホテルに居る。京大の教員からメールが入っていて、事の詳細を知った。

 淡さんは11月18日(日)午前2時49分に多発性骨髄腫にて急逝され(享年66歳)、23日に近親者のみで葬儀を執り行われたという。香典・供花等は固辞されている。
 田中淡という研究者は、中国建築史・庭園史の分野において突出した存在である。中国人以外で、ここまでのレベルに達した人はいない。だれも追いつけない。日本建築史の分野を含めても、これだけの高みにいる同世代(50~60代)の研究者を私は知らない。
 真面目で内気だが、おもしろい人で、非常勤研究員を務めた奈文研の歴代所長にいたく可愛がられていた。その所長たちは、町田さんをのぞいていまだご健在である。あまりに早い旅立ちだった。ただ、今に至る予感はだれしももっていた。あの勉強の仕方と酒の飲み方は寿命を縮める、とまわりにいる者はみな感じていたはずだ。短い時間を使って、人の何倍もの業績を仕上げられる。要するに、眠っていないということだ。徹夜して学び、神経が覚醒するから大酒を飲む。その反復で、50の坂を越えてから、昼間でも田中さんは酒臭かった。酒が切れると、手に震えがくる。こういうところは高田渡に似ている。喫煙の量も尋常ではない。風邪をひいても煙草はやめない。若い頃から何度も病院に運びこまれている。
 
 昨年の今頃、中国建築に係わった研究者の一人としてインタビューを受けたが、おそらく病に倒れた田中さんのピンチヒッターなんだろうという自覚があった。あのころから「体調が良くない(ようだ)」という情報が五月雨式に飛び込んでくるようになった。晩年の高田渡のように、「今度こそ危ない」という予感がした。
 お目にかからなくなってから十年以上過ぎているが、今年は一つの間接的な接点があった。8月に「『敦煌建築研究』の想い出」という記事をアップしている。田中さんを代表とする中国建築史研究会で瀟黙『敦煌建築建築研究』(文物出版社、1989)を輪読し、その最終バージョンに近い翻訳データをもっていたので、配布資料とあわせて仮製本する作業を指揮した。本来なら田中さんが指揮すべきところだが、体調の問題はだれしも知っていたので、私が動く以外にないと判断したのである。もちろんこの翻訳本は公刊していない。あくまで内部資料なので、部外者には絶対に配布できない。が、ひょっとしたら、この訳本は淡さんの遺稿の一つになるかもしれない。

 日本における中国建築史研究は主軸を失った。だれも代役を務められない。日本の中国建築史研究はガタガタに崩壊していくかもしれない。言葉がない。
 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

夢千代悪夢

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 昨夜は湯村会議(23日)のポスターセッションについてお知らせしましたが、今夜は昼休みの余計なお噺を一つ。ポスターセッションは午後3時半ころからということですが、ポスターは昼休憩までに貼っておいて欲しいという指示が予めありました。じつは21日の深夜0時過ぎに鳥取中央郵便局でポスターを投函し、23日午前10時に届くことが分かっていたのですが、その後、事務局にメールすると、シンポ当日は役場にだれも居ないということで、私たちのポスターは置き去りになることが判明しました。その結果、当日11時すぎに出発。12時には会場の夢ホールに着きました。ポスターをテープでとめた瞬間、やることがなくなって温泉街に繰り出し、まずは「夢千代館」へ。駐車場に看板がある。夢千代さんの看板です。例の、顔の部分に穴のあいた記念撮影のための看板。観光客の奥様たちがそこに群がっています。それを視て、いきなり口から溢れる毒舌哉。ジャイアント馬場が夢千代になれるはずはい。しかも、隣に「おばぁかふぇ」があるだろ。なんてこと毒づきながら、ご覧のとおりです。類は友を呼ぶのよ、おほほほっ~

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 正直、ぼくの年齢では「夢千代日記」というドラマはさっぱり分からないのですが、吉永小百合とか秋吉久美子とかが因幡便(但馬便?)で演技してたそうですね。夢千代館を離れ、町家を利用した隣の「おばあかふぇ」(ゆむら屋)に入りました。特産物や果物などをたくさん販売しています。お茶と栃餅を出していただいたのですが、なんにも買うことなく、後ろめたい気持ちで、パンフレットをたくさんもらいました。研究資料としてとても役立ちます。


1123湯村02おばあかふぇ


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ジオパーク国際シンポ「湯村会議」

湯村会議 要旨集


 11月23日(金)、山陰海岸ジオパーク国際学術会議「湯村会議」が兵庫県新温泉町夢ホールで開催されました。会議のテーマは「ジオパークを活用した教育と学習」です。毎週木曜日、摩尼山で演習活動している私たちとしてみれば、とくに新鮮な題材ではありませんが・・・そんなわけで、ASALABは午後3時20分からのポスターセッションのみ参加しました。ポスター論文の題目と要旨集での掲載ページは以下のとおりです。

  著者: 浅川・中島・清水・仲佐
       Asakawa, Nakashima, Shimizu and Nakasa 
  題目: 山のジオパークにむけて-摩尼山と摩尼寺「奥の院」遺跡-
       Toward the Geopark of the Mountains
        -Mt.Mani and Innermost Sanctum Ruins of Mani-temple-
  出典: 『山陰海岸ジオパーク国際学術会議「湯村会議」』要旨集:p.51-52
  発行: 山陰海岸ジオパーク国際学術会議「湯村会議」実行委員会
 発行日: 2012年11月23日    
       
  
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 ポスターセッションは15時半ころから始まりました。23組が出陳しており、とても賑やかです。ASALABのポスターにも、関西弁を操る(ちょっとおかしな?)県の役人さんやら、大阪市立大学の教授などが集まり、かなり専門的な質疑が交わされました。最後に、地元湯村のご老人が来られて「ポスターが欲しい」と言われるので、もちろん差し上げることにしました。
 ポスターセッション後、パネルディスカッションを聴講し、帰学しました。


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湯村ポスター 山のジオパーク サムネイル1 山のジオパーク サムネイル2
↑ 展示ポスターと要旨集の該当部分(画面をクリックすると拡大します)

第8回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅳ)

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サインボード班の活動

 22日は天気もよく山に登って作業をすることができました。私たちサインボード班(佐々木・中村)は、門前からスタートして頂上の立岩までのサインボード設置の確認の作業を行いました。主な確認は、矢印の向き、距離、設置する場所、設置方法です。前回作ったパワーポイントのサインボードと変更する部分と、設置方法の記録は以下の通りです。

 ①摩尼寺門前 奥の院1170m
  奥の院の方へ矢印を変える。基礎に竹または木を使用する。
 ②摩尼寺門前40m 奥の院1130m
  基礎に竹を使用する。
 ③摩尼寺門前210m 奥の院960m
  基礎に竹を使用する。
 ④摩尼寺門前290m 奥の院880m  
  摩尼寺門前の方へ矢印を変える。切り株または丸太を基礎に使用する。
 ⑤摩尼寺門前480m 奥の院690m
  説明板とベンチの間に設置する。基礎に木を使用する。
 ⑥摩尼寺門前900m 奥の院270m
  摩尼寺門前の方へ矢印を変える。基礎に竹を使用する。
 ⑦摩尼寺門前1040m 奥の院130m
  距離を記入できていなかったので、記入した。標識の横に設置する。
  基礎に竹または木を使用する。
 ⑧摩尼寺門前1080m 奥の院90m
  距離を記入できていなかったので、記入した。摩尼寺門前の方へ矢印を変える。
  基礎に竹を使用する。
 ⑨摩尼寺門前1140m 【摩尼寺「奥の院」Ⅰ区】 奥の院30m
  摩尼寺門前の方へ矢印を変える。基礎に竹を使用する。
 ⑩立岩180m 奥の院70m
  奥の院の方へ矢印を変える。竹を使用する。
 ⑪奥の院160m 岩窟仏堂13m
  3方向書くか検討する。
 ⑫立岩90m 奥の院159m
  両方とも矢印を変える。基礎に竹を使用する。
 ⑬立岩55m 奥の院195m
  「奥の院」の方へ矢印を変える。
 ⑭奥の院250m 摩尼山頂「立岩」
  場所を変更する。


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↑ パソコン上でのサインボード試作


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第8回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅲ)

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環境整備班の活動

 今回のプロジェクト研究で「環境整備班」は、2週間前の続きで岩陰仏堂から岩窟仏堂に上がる石段の整備をしました。石段を厚い土が覆っており、その土を取る作業に骨を折ります。今回は門脇茶屋喫茶部から竹ぼうきを3本お借りして「奥の院」遺跡まで上がりました。この竹ぼうきはご夫婦が手作りされたものです。摩尼山に上がりさっそく環境整備班としての仕事に取り掛かりました。石段にはまだ樹根が張りめぐっており、その全貌は明らかになっていません。のこぎりとスコップを使い、根っこを取り除いていきました。この作業はとても体力と気力を使うので、夕暮れになると体に疲労感がどっと押し寄せてきました。作業の途中途中で竹ぼうきを使い、石段を隠す土を掃いのけていきました。竹ぼうきのおかげでだいぶ作業の進捗速度を上げることができました。次に摩尼山に行くときは改めて喫茶店の夫婦にお礼を言いたいと感じました。


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 石段の発掘作業ではいろいろな発見があります。たとえば石段の横に溝が掘られていることや、木の根っこの下には、上から見えてなかった階段状の石段があらわれるなど…とても面白い発見があります。今度は「環境整備班」ではなく自称「摩尼発掘調査隊」といった心持で石段の発掘 調査を進めていきたいと思います!(環境学部1
年K.Y)


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↑石段が崩落している  ↓現在の巨巌全景
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第8回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅱ)

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キノコ原木栽培班の活動

 私たちの班は前週学内でキノコの種駒を植え付けしましたが、22日にいよいよ「奥の院」でも原木栽培を始めました。スダジイ(S03・S10)とイヌシデ(K37)に8ミリの種駒(きのこセンターのシイタケ)と9ミリの種駒(通販のシイタケ・ナメコ)を植え付ける作業です。今回は天気もたいへん良く、木に孔をあける充電式の電動ドリルも二つあるということで、前回よりも効率の良い作業ができると思いました。遺跡に到着し、役割分担して作業を開始しました。8ミリが私の担当で早速シイに穴をあけはじめました。ドリルの威力も強く、この日で作業をすべて終わらせる意気込みではじめましたが、一個めの穴で8ミリのドリルを失いました。樹が固いのかドリルが弱いのか、それとも私が原因なのかはわかりませんが、8ミリのドリルが木に食い込んだまま抜けなくなりました。これはもう一つのドリルに頑張ってもらうしかないと思いましたが、「小ネジの締め付けに」とかかれたその小型のドリルは孔を一つあけるのに精一杯でした。いろいろやってみても8ミリのドリルが抜ける気配が全くなかったので、あきらめて9ミリのドリルに交換して別の原木に孔をあけることにしました。シイではなくイヌシデに切り替えることで、なんとか孔はあくのですが、イヌシデは柱状の長い材が残っているだけで、まず90センチほどに切る揃える作業から再開。ここで木の裁断係と孔あけ係にわかれました。


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 イヌシデには孔がうまくあくようで、作業は順調に進んでいきました。しかし、三つめのイヌシデに孔をあけ始めたときに事態は急変。ドリルのバッテリーがなくなったのです。残っているのは「小ネジの締め付け」ドリルだけだったので、作業は学校に帰って行うことになりました。結局この日は9ミリのナメコとシイタケが一株ずつ、計二株で作業は終了しました。学校に持って帰る原木は大小あわせて15株でした。プロ研のみなさんに協力してもってもらい下山しました。協力していただいたみなさん、どうもありがとうございました。そして、ドリルを壊してしまい、申し訳ありませんでした。(環境学部1年インドアーズO)


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↑ ぬけなくなった8ミリのドリル


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↑ ツリーハウス班とキノコ班の活動現場

第8回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅰ)

DSC08218ツリー 8回目


ツリーハウス制作班の活動

 11月22日(木)。今回でプロジェクト研究は8回目です。ついに、ブログ担当の出番がやってきました。私を除いて2年生のブログ担当が2巡目に差し掛かってる中、ジャンケンで勝ったり、前回のプロ研では2年生のなかでただ一人学校で留守番をしていたため、自動的に担当が回ってきました。
 今回もツリーハウス制作班、サインボード班、キノコ原木栽培班、環境整備班の4班に分かれて活動しました。私は今回、ツリーハウス制作班に配属されたので、他の班よりもひと足早く「奥の院」に上り、作業を開始しました。先生曰く、もうそろそろ雪が降るから遺跡に登れるのはあと1~2回かもしれない。よって、ツリーハウスの制作を急なければなりません。あまり時間に余裕がないので、前々回に選定したツリーハウスの敷地(「奥の院」すぐ下の登り口)から場所を代え、前期のプロ研1でが遺跡の端に作った床だけのツリーハウスの上に屋根をのっけて雨風をしのげるようにしようということになりました。まず、そのツリーハウスの床がわずかに傾いていたのでレベル測量器を使って水平にすることになりました。
 先週は雨で遺跡に上がらなかったため、登山が2週間ぶりになりました。ようやく山登りに慣れてきたところだったのに・・・なんとか「奥の院」遺跡に着いたものの、作業をする前から足が棒になってました。まず、ツリーハウスの床を水平にするためにレベルを使い、床の高さが一番高かった場所に合わせて、他の場所の樹に釘で印を付けていきました。そして、ロープで釘を結んでいき、出来た四角形を横から見て水平かどうか確かめ、実際に床の支点をその高さに合わせて持ち上げてみることにしました。しかし、床はロープを樹に縛って支えているだけでは滑り落ちてしまうため、短く切った竹を支えとなる樹に巻きつけ、その上に床を乗せて支えていました。短く切られていた竹は全て同じ長さになっていて、ツリーハウスの敷地の地形自体が斜めになっていたため、地形に沿って床が斜めになっていたようです。


CIMG1894ツリー 8回目



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入浴剤

 何年かぶりに入浴剤を買いましてね。財政は相変わらず厳しい。こういう贅沢品を買う余裕があるわけないんですが、行き場のない孤独で寒い一人の夜を少しでも暖かくしようとあがいたわけです。普通の入浴剤とバブの2種類を買って、昨日はバブを風呂桶に入れた。気持ちいいな。風呂が小さな温泉になった。
 配偶者は入浴剤を歓迎しません。風呂の残り湯を洗濯に使うからと言って、とりわけ濁り湯を嫌いました。その点、鳥取の下宿では洗濯に影響するわけじゃない。おれ一人の温泉だ。もっと早く入浴剤に気づくべきだったな。ホームセンターで安物ばっかり買ったけど、入浴剤マニアになるかもしれない。入浴剤がそのまま風呂桶の洗浄剤になってしまうような製品があればベストでしょうね。


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 さて、おじさん5人で「あんべ」に行き、親ガニ丼を食べてきました。親ガニの身とウチコ・ソトコが10匹ぶんずっしり詰まっている。カニのみそ汁はお代わり自由。2500円です。山陰の冬の味覚の極上の一品と言うほかありません。この夜、学生たちは京風ハリハリ鍋をつついていた。教師たちはその場を離れ、親ガニ丼の店で舌鼓を打って曰く。

  「学生には十年早い」

 写真は初任給を手にした会長が撮影したものです。親ガニの固まりを頬張りながら、盛んに「連れ合いに食べさせんといかん」と呟く。愛してらっしゃるのですねぇ。ヒノッキーはどうするんだ!?

フォーカスの山田寺

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 新泉社のシリーズ「遺跡を学ぶ」085として『奇偉荘厳の白鳳寺院 山田寺』が刊行されました。もちろん私が書いたんじゃありません。執筆者は上の写真にみるとおりであります。
 山田寺と言えば、北京留学時代(1982-83)を思い起こします。当時、『フォーカス』という雑誌が世を席巻していた。これを真似て『フライデー』が生まれ、頭文字をとってFFなどと呼ばれていました。二つの雑誌はよく似ていたけど、お色気では『フライデー』に軍配あり(だから今でも存続している?)。『フォーカス』は少々真面目というか、社会的というか・・・有名人デートすっぱ抜き系のパパラッチは何度も掲載されましたが、グラビア系の写真はなかったように記憶しています。
 二ヶ月にいちど家族が北京の留学生楼に荷物を送ってくれてましてね。何冊か週刊誌が段ボール箱に入っていて、『フォーカス』も含まれていた。たしか1冊150円だったんじゃないかな。その『フォーカス』に山田寺回廊の記事を発見し、目を丸くして読みふけったのがすでに30年前か。洪水で倒壊した山田寺回廊は7世紀前半の建造物で、「法隆寺より古い」と書かれている。驚きました。
 中国から帰国して2年後、私は、その山田寺を発掘した組織に入所することになります。14年間、北の平城宮にいて、南の飛鳥藤原で働いたことがないので、同じ組織にはいたけれども、山田寺に係わることはほとんどありませんでした。この本の著者は飛鳥藤原も平城もよく知っている。日本寺院建築史の若手、という段階じゃないないな、中堅です。几帳面な研究者でして、基礎情報を的確に配列してくれています。1500円という格安の概説書ですので、ぜひともお買いあげください。
 アマゾンのサイトを貼り付けておきます。


奇偉荘厳の白鳳寺院 山田寺』 シリーズ「遺跡を学ぶ」085


 登録情報
  単行本: 94ページ
  出版社: 新泉社 (2012/11)
  ISBN-10: 4787712357
  ISBN-13: 978-4787712356
  発売日: 2012/11
  商品の寸法: 20.8 x 14.8 x 0.8 cm

満員御礼! -「新老人の会」鳥取支部 東部ブランチ

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 公立大学としての初の推薦入試を終えた翌日(18日)、高砂屋で「新老人の会」が開催され、講師を務めた。中橋教授の講演「山陰海岸ジオパークのエリア・マネジメント」をうけて、私は以下の題目と構成によりスピーチした。


         摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査
   -摩尼山を中核とする景勝地トライアングル構想とともに-


    1.摩尼山の歴史
    2.摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査(2010)   
    3.摩尼寺「奥の院」遺跡の環境考古学的研究(2011)
    4.巨巌現る
    5.摩尼山を中核とする「景勝地トライアングル」構想
    6.世界自然遺産「福建丹霞」を訪ねて
    7.中国自然歩道の課題 -「福建丹霞」にまなぶ


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 こじんまりとした会場ではあったが、ありがたいことに満席で、鳥取市長や県会議員のFさん、さらに懐かしい里仁田園クリニックのオーナーOさんにもご聴講いただいた。とくに「山のジオパーク(ジオサイト)」という視点、中国自然歩道のサインボード等の劣化の問題、門前の再活性化計画に注目が集まったように思う。市長からは「委員会を組織し5年ぐらいかけての取り組みが必要ですね」というありがたいコメントを頂戴した。

 昨年まで順調に進んでいた摩尼山での活動に、今春暗雲がたれ込めたが、学生諸君の献身的な活動のおかげで、「聖なる巨巌」が現れ、こうして市民の皆様の前で成果を公開させていただいたことに深く感謝申し上げます。


CIMG1883 新老人の会



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第7回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅲ)

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摩尼寺門前活性化のための実測調査

 今週のブログを担当するFです。約1ヶ月ぶりの登場です。2年生のブログ担当もついに2巡目に突入しました。デザイン学科の課題の締め切りがプロ研翌週の月曜日(19日)なので今週だけは当たりたくなかったのですが、恒例のジャンケン勝負で前回ブログを担当した「カメムシ野郎」に負けてしまったのです。しかし、当たってしまったのは仕方がないので、今週もはりきってブログを書きたいと思います。
 15日のプロ研はあいにくの雨に見舞われたので、摩尼山門前活性化班、サインボード班、キノコ原木栽培班に分かれて作業をしました。今回2年生(Y君を除く)は摩尼山門前活性班として活動しました。摩尼寺門前にはかつて多くの観光客や参拝客が訪れていたようですが、近頃ではお客さんが減少してきています。私たちも山に登る前には門前を通りますが、賑わいを欠く現実を目にしていました。そこで摩尼山にある喫茶店を中心に活性化について検討してみようということになったのです。まず今回は喫茶店の実測を行いました。指導係は、実測経験豊富なおぎんさんです。役割分担は、以下のとおりです。

   平面図・・・藤井   立面図・・・岡田
   展開図・・・中田&山家   屋根伏図・・・小林


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 実測の経験がない2年生もいるので、初めはおぎんさんにアドバイスを受けながら作業を進めていきました。後半になってくると、みんな実測に慣れてきてスムーズに作業が進んでいきました。私は今回の実測が初めての経験だったので、最初はどうやって平面図を描けば良いのか分かりませんでした。一箇所ずつ寸法を測ってから図面に描いていくのかなぁと思っていましたが、先に大まかな図面を描いてから寸法を描き入れていくことを教えてもらいました。また、段差をどのように平面図に描き入れていくかについても知りませんでしたが、おぎんさんから教えてもらい、図面にきちんと描き入れることができました。寸法を測る時は、一箇所ずつ小分けにして測るのではなく、壁から壁まで巻尺を伸ばして測るほうが誤差が少なくなることも知りました。実測を体験し、建築の知識が増えたと思います。


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第7回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅱ)

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キノコ原木栽培班の活動

 15日は悪天候のため摩尼山へ行かず、学内で活動を行いました。私たちはキノコ原木栽培班として、先日伐採し、サンプルとして持ち帰ったスダジイとイヌシデの原木へ試験的にキノコの種駒を打ち込みました。原木はスダジイ8本、イヌシデ4本の合計12本で、スダジイにはシイタケ、イヌシデにはナメコの種駒をそれぞれ打ち込みました。まず、電動ドリルで直径9ミリ、深さ3センチの孔を開け、次に直径9.2ミリの種駒を打ち込んでいきます。打ち込む場所にも法則があり、原木の端より5センチ内側から20センチ毎に打ち込みます。さらに、隣の列は5センチほど離し、こちらは原木の端より15センチ内側から同様に20センチずつ打っていきました。これらを交互に行うというやり方が、原木に菌を蔓延させるためにいちばん効率が良いようです。今回は、孔を開ける班と種駒を打ち込む班に2人ずつ人員を分配しました。私は最初にスダジイに穴を開けていきました。苦労した点は、曲がった原木にまっすぐ孔を開けていく作業でした。


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第7回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅰ)

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サインボード班の活動

 15火(木)は生憎の雨で、3班に分かれ学内等で活動しました。私たちサインボード班(吉田・佐々木・金山・中村)は、4409演習室で、サインボードとなる木材(スダジイ)の採寸と写真撮影、パソコンへの画像を取り込み、デザイン案の検討や木板への下書きなどをこなしました。まず14枚ある木板をA~Nと番付し、基本寸法を測りました。
採寸データは以下のとおりです。【単位mm】

  A 縦130-160 横 500
  B 縦120-150 横 500
  C 縦120-140 横 510
  D 縦130      横 520
  E 縦150      横 520
  F 縦150-180 横 520
  G 縦150-170 横 500
  H 縦160-200 横 500
  I  縦170      横 500
  J 縦190-210 横 520
  K 縦190-200 横 520
  L 縦210-230 横 520
  M 縦220-230 横 510
  N 縦150-230 横 520

 この中で、Nがいびつな形をしているのですが、なんとも良い味があるので、門前のサインボードに使用することにしました(↓)。目に付きやすく、少しでも興味をもってもらえたらいいなと思います。次に木材一枚ずつ写真を撮っていき、パソコンに取り込みました。それにパワーポイントで字を書き込んでレイアウトしてみました。時間がかかりましたが、すべての板をレイアウトすることができました。これらは、佐々木・中村が担当しました。先週、樹枝に吊した仮のサインボードでは距離の単位をkmとしましたが、「奥の院」から 「立岩」まで250mしかないことから、m表記に統一することにしました。先週、外国人の方が「立岩」まで登っていることを知ったので、 ローマ字表記も加えてみました。トレッキングでしいるときは下を向いていることが多く、樹の上ではなく、足下に近い位置にサインボードを置くことも考えています。
 デザインの参考にと思いwebサイトで検索して少し類例をみてみたのですが、やってみたいデザインもあったので、それも考慮しつつ使用する場所をこれから考えていきたいです。


CIMG0917ツリー7回目 ←木板N


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建築史研究に思う

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 11月17日(土)の日本海新聞13面のコラム「潮流」に

   建築史研究に思う

と題するエッセイが掲載されました。執筆者は我らが会長です。前回のテーマは「巨巌現る」でして、今回も前半は三徳山を中心とする岩窟・岩陰型仏堂のお話なんですが、後半は建築史一般の話題に拡散していきます。校正マシーンを自称する小生としてはですね、前半に投入堂や岩屋堂をもってきたのだから、後半は思い切って福建泰寧の「甘露寺」に展開していけば、岩窟・岩陰型仏堂の系譜論として非常におもしろい焦点に収斂していっただろうと悔やまれてなりません。この感想は、本人にもお伝えしてあります。

 そうだ、来週、会長は初任給なんですよ。「鳥取学(歴史・文化篇)」非常勤講師のギャラがでる。そこで「あんべ」に行こうということになってるんです。どうやら今回は色気なしですが、親ガニ丼をたっぷりにゴチになってきますので、ぐふふ・・・

IMG (2)潮流01圧縮01 ←クリックすると拡大します


落葉

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 板井原に行ってきた。某4年生の就職内定祝いということで、「火間土」で食事をしたのだ。二年ぶりだと思う。ご主人は八十の峠を越えられたが、なお矍鑠とされており、日々車を運転し、智頭と板井原を往復されている。釜炊き飯の味は相変わらず絶品。水車で精米した米を板井原川の水で炊く。もちろん羽釜で炊く。
 板井原ごうこの味も懐かしい。こんなに酸っぱかったかな。睡眠不足の体を、梅干しのような刺激で引き締めてくれた。

 就職内定祝いなら、ほかにいろいろ食事処もあるだろうが、なぜ板井原を選んだのかというと、その4年生が「伝統的建造物群と文化的景観の制度的融合」を卒論のテーマとしているからだ。キム姉が板井原を卒業論文のテーマとしたのは2008年度のことであり、2009年の卒業研究展示会の最終日にその論文を完成させ、2010年のちょうど今ごろ、それが報告書として実を結んだ。その報告書を携えて板井原を訪れ、「火間土」の釜炊き飯をいただいた。そのとき、すでにキム姉は社会人になって大学を去っており、エアポート&部長が修士2年、黒帯・黒猫たちが4年生だったはずだ。


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日本対オマーン戦

 日本A代表の底力をみせてもらった。パリでフランスの猛攻を凌ぎ、ロスタイム直前に決勝点を奪って勝ちきっただけのことはある。決勝点のアシストとなった遠藤のカンフーキックもどきの絡みは、W杯決勝アメリカ戦における澤の同点シュートを彷彿とさせた。

 問題点がないとはもちろん言えないが、今のA代表は、少なくともアジア地域において突出した力をもっている。最後は痺れましたね。

影を慕いて

 なるほど、読めた。カーナビのワンセグから流れてくるワイドショー情報も馬鹿にならない。
 野田はしたたかな政治家だ。首相が大急ぎで解散する理由は「自公民連立」しかありえない。中道右派を核とする保守勢力の結集だ。これで、野田と閣僚たちは与党議員のまま延命の運びとなる。「原発停止」を閣議決定せず、TPPを公約に盛り込もうとしているのは、自公との政策のすりあわせにほかならない。その動きによって、旧社会党系および旧小沢系議員の離党を誘導しているのだ。野田は輿石を切ろうとしている。その最終的な目標は、自公と連立しうる民主党への脱皮にちがいない。これはちょっとしたクーデターだな。

 おそらく石原はこの構想に気づいており、都知事辞職と「太陽の党」結党を急いだのだろう。「太陽の党」は消えても構わないとまで述べて第3極の団結を促しているのは、自公民連立政府の独裁を許さない、という意思表示なんだろう。週刊誌の予想によると、石原、橋本、渡邊らが結集したとしても、自公民連立政府で320議席を取れる。衆参両議院で、やりたい放題できるだろう。石原と橋本は、それにストップをかけたい。この場合、小沢もとりこまざるをえないのではないか。集票力のある小沢を外して喜ぶのは、自公民連立政府の側だ。好き嫌いを言っている場合ではない。共産党一党独裁のような政治体制になるか、曲がりなりにも二大政党制を維持できるかの瀬戸際に日本は立っている。


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そしてまた、校正マシーン(Ⅱ)

  プラタナスの枯葉舞う 冬の道を
  プラタナスの散る音に 振り返る

 「風」の歌詞そのままの景色をスロージョギングですり抜けていく。まだ「冬の道」ではない。秋のプラタナスも綺麗で、落ち葉を踏みしめながら、ジョギングシューズを前に進める。
 脱水症状=熱中症に陥って苦しんだのはわずか2ヶ月前のこと。この季節、夕方に走っても、汗がでない。昼下がりのいちばん暑い時間に走るに限る。体重はまぁまぁのラインを維持している。

 それから眼科と内科に行った。定期検診の結果、目は悪化していない。血圧はまた上がり始めている。いちばんの問題は「移動」なんだな。それと・・・恐ろしい校正の嵐。
 今度の校正は手強い。出版助成を受けた書籍は論文集だから、文字テキストも図版もそろっているし、すでに一度レイアウトされている。楽なもんだと構えていたが、とんでもない。レイアウト一つとっても、A4版からB5版に変わるだけで大乱れしている。文章にも、相当手を入れた。論文相互の重複を解消するのに時間を割いている。


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12-11-12

 今日は母親の誕生日。2012年11月12日、つまり 12-11-12 に彼女は90歳になる。おもしろいことに、彼女の誕生日は大正12年11月12日であり、こちらも 12-11-12 だ。
 昨日そんなことを考えていると、お茶の時間に娘が言った。

   「今日はおじいちゃんの命日だね」

そうか、昨年は「111111」という記事を書いたんだ。1太郎さんの 111111。

 1年前の記事をチェックしてみると、「お座敷小唄」を貼り付けている。いま、ギターで弾き語りできないか、試している。3コードだが、音の上下が激しい。躍動的なメロディだ。伴奏アレンジを考えあぐねて、練習し続けていると・・・配偶者が鼻歌してとまらなくなっている。ヒット曲はちがうね。


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第6回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅱ)

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石の階段、ますます現る

 私たちは環境整備班として、岩陰仏堂から岩窟仏堂に上がる石段の覆い土を見えるようにしました。1週間前、造園業者さんに石段周辺の樹木伐採とシダ類の除去をしてもらいましたが、まだ土が石段を覆い、石の表面がみえない状態でした。そこで、段上に堆積した土を少しずつ払いのけ、人が歩いて上れるようにするのが 今回の目的でした。しかし、石段には土だけでなく、樹根がはりめぐらせており、作業は難航しました。鍬や鋸を使い、根を切ったりしながら引き剥がすと、まもなく石段が現れました。
 後は細かい土をのけていく作業をひたすら に続けました。作業を続けていくと、石段と横にある岩の間に溝のようなものを 発見することができました。かなり大変な作業ではありましたが達成感もあり、充実した作業となりました。(環境学科1年 インドアーズO)


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左)after 整備 巨巌との境に細い溝が検出された。右)活動前【クリックしてください】


ツリーハウスの縄張り

 はじめまして。2年後期から専門科目演習(建築・環境デザイン学科)の選択があり、ツリーハウス制作とトレッキングに興味があったので、このプロ研を希望しました。ぼくは、小学生の頃からサッカーをしていて運動には自信があったのですが、正直今回のプロ研で初めて山に登ったときはとても辛いと感じました。しかし、何回も登っていくうちにだんだんと慣れてきて、今では毎週山に登るのが楽しみでなりません。
 冬が近づくにつれて日が暮れるのが早くなってきており、ツリーハウスを制作する時間を十分に確保したかったので、今回2年生は学校を1時半に出て摩尼山に向かうことにしました。1年生と先生方は3限終了後、大学を出発することになりました。今回の2年生の主な作業は、ツリーハウスの敷地の選定と素屋根の設置でした。


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第6回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅰ)

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 11月8日(木)。この日は、①ツリーハウス制作班、②環境整備班、③仮サインボード設置班に分かれて活動しました。③班は「門前~奥の院」班(3名=A班)と「奥の院~立岩」班(3名=B班)に分かれて活動しました。7日午後にミーティングがあり、白帯さんを中心に上のような用紙をプリントアウトし、ビニールファイルでカバーできるよう準備しました。


仮サインボードの設置(1)-門前から「奥の院」まで

 前回、スタート地点である門脇茶屋前の石段中心から奥の院遺跡までの摩尼山の距離を測っていきました。そして50m毎にラベルを貼っていきました。そして今回、そのラベルを参考にしながら僕たちA班は、門前石段中点と「奥の院」遺跡BM1点までの距離(1.174km)と方向を示す仮のサインボードを樹に掛けていきました。石段前のボードを①として番付けしていきました。設置場所は以下の通り。山道の分岐点やポイントとなる箇所に設置していきました。

(番号・設置位置)・(石段前-ボード間)・(ボード-奥の院間)
 ①石段前・0km・1.17km
 ②中国自然歩道入口・0.04km・1.13km
 ③一本丸太橋・0.22km・0.96km
 ④三本丸太橋・0.29km・0.89km
 ⑤久松山方面への分岐・0.48km・0.69km
 ⑥5-7の間・0.9km・0.27km
 ⑦箭渓への分岐点・1.04km・0.13km
 ⑧奥の院前の登り坂・1.08km・0.09km
 ⑨奥の院遺跡Ⅰ区・0.03km・1.14km
 
 作業は、プリントに石段中点と「奥の院」遺跡までの距離を油性マジックで書き入れ、最も近い位置にある樹木の幹に固定していくものでした。設置する作業は簡単でしたが、足元が滑りやすい山道をずっと歩きっぱなしだったので、みんな疲れたと思います。がんばって歩き回った結果、「奥の院」までサインボードを設置し終えることができました。ただ、数箇所のサインは、「奥の院」と門前の方向が反転してしまいました。本番の設置では、方向を間違えないようにしないといけません。すべてのサインボードが完成すれば、道に迷うことなく、「奥の院」の巨巌にたどり着けるでしょう。ただ、看板の表記については一考する必要がありそうです。設置場所が近すぎる場合、距離と方向を書いたものと、方向のみ示すものに分けたほうがよいかもしれません。
 来週くらいからきのこ栽培の作業なども入ってきて、まだまだすることはたくさんあり、冬も近づいてきて寒い中の作業になると思いますが、がんばっていきましょう。(経営学科 1年Y.S)


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そしてまた、校正マシーン(Ⅰ)

 ついに科研出版助成による『建築考古学の実証と復元研究』(同成社)の校正が始まりました。一夜1章を最低ノルマと課して初校をこなしていく予定です。
 そういう覚悟のもと、部屋を片づけて、校正を進めていると、今度は夏休みに書いた大学紀要論文2本の査読結果も届きましてね。こちらも事実上の校正モードに入り、いま共著者と連絡をとりあっています。2本の論文はいずれも昨冬開催した「山林寺院シンポジウム」の講演記録であり、論文題目は「山林寺院の研究動向」と「クチャの千仏洞を訪ねて-中国最古の石窟寺院-」としています。
 一昨日、非常勤の講義を終えた会長-六弦倶楽部の会長ではなくて倉吉財閥の会長-が『季刊考古学』121号をひっさげて来室されました。特集は「山寺の考古学」。京博の「大出雲展」を思い起こすにつけ、いつのまにやら、「山寺=山林寺院」がブームを迎えているようで、我らが「山林寺院の研究動向」の内容と『季刊考古学』121号には重複する部分が少なくありません。

 そうだ、久しぶりにCDも届いたんだ。竹内マリヤの『ポートレイト』。中国に留学してた1982年ころのアルバムでして、もちろんCDもっているのですが、ちょっと訳ありで、500円の中古CDを取り寄せたんです。前にも書いたかもしれませんが、いちばんお気に入りの曲は、センチメンタル・シティ・ロマンスを従えた「ナタリー」ですが、今日は「イチゴの誘惑」を貼り付けておきます。





風をあつめて(Ⅱ)-第23回六弦倶楽部練習会

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 開始時間に遅れて会場入りしたもので、後ろのほうの座席は占拠されており、前から2列めの右端に陣取りました。同じ列の少し左側に2名のご婦人が並んで坐っていらっしゃる。7番目が終わって8番目になるころ、そわそわされ始め、「私が演る前にお帰りになったほうがよろしいですよ」とお薦めしました。これは失敗だった。帰ったほうがいいよ、と言うと、帰らないものなんだ、人間という動物は。

2.スキンシップ・ブルース

 細野メドレーを終えた私は、最前列で写真を撮影するチョトロク会長に訊ねたんです。ほんとに放送禁止歌を演っていいのか、と。会長は首を縦にふる。会場にはまだ数名の女性が残っています。で、演りました。曲が終わると、シ~ンとしている・・・演るんじゃなかったなぁ(あとで月太郎さんから「ちょっとヤラシイ歌い方だった、淡々と歌わないといかんよ、とのアドバイスを頂戴しました)。くだんのご婦人2名(前から2列め)がどうなったかというとですね、3曲め(マークⅡ)の前奏段階で席を立たれました。だから言ったでしょ、演奏前に帰ったほうがいいって・・・「スキンシップ・ブルース」はカラオケVIPルームで、よく歌ってます。「演るんですか」とか「演ったんですか」とか散々訊かれましたよ。「2人が席を立っちゃった」と答えたら、みんな笑ってた。


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 カラオケの賑やかな演奏をモデルにしてギター用にアレンジし、間奏にはリトルフィート「デキシー・チキン」のフレーズを借用。細野晴臣にJ.T.の影響が強かったように、鈴木茂はとくにハックルバック時代、リトルフィートのローウェル・ジョージにいかれてましたね。自分でもなんでかよく分かんないんですが、カラオケで「スキンシップ・ブルース」を歌ってると、「デキシー・チキン」を思い浮かべてしまうの。推測ですが、「スキンシップ・ブルース」カラオケ・バージョンは鈴木慶一&ムーンライダーズ(はちみつぱい?)のアレンジじゃないかな。同じ鈴木でも、茂ではなくて、慶一のほうに関係深い曲ですが、茂が真似していたリトルフィートと岡本某社がだぶってしまうのです、私の場合。
 ちなみに、この曲の作詞作曲は高田渡ではなく、山本シンという関西フォークのベテランだということを、先ほど知りました。


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風をあつめて(Ⅰ)-第23回六弦倶楽部練習会

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 今年最後の六弦倶楽部練習会が米子水鳥公園で開催されました。11組が参加し、わたしの順番は9番目。理由はいずれ述べますが、最後に近いほうが良いと思っていました。演奏した曲は以下のとおりです。全部弾き語りですが、インスト的な要素を随所にしのばせたつもりです。

  1.細野晴臣メドレー:
     風をあつめて ~(dance with me)~ 恋は桃色
  2.高田渡の放送禁止歌 
     -スキンシップ・ブルース
  3.マークⅡ(のオーネット・コールマン風)


 来聴者はぼちぼちいらっしゃいました。例年の状況を鑑みるならば、前半の演奏者までは聴いておられますが、途中で三々五々お帰りになり、後半の最後のほうになると、六弦倶楽部の関係者しか居なくなる。それでよいのです。9番目の弾き手のあたりでは、おっちゃんばっかりになるだろう。したがって、2の放送禁止歌を歌っても問題はない。早い話、セクハラですからね。子女の前で口走るには問題のある特定の企業名を含んでいます。これがちょっと予想外の展開になってしまいました。


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1.細野晴臣メドレー

 「風をあつめて」は、作者の細野さん自身が吐露しているように、歌詞とコードを間違えずに3番まで暗譜で歌いきるのは至難の曲です。よくもまぁ、こんなにコードをこねくり回したもんだ。サビをのぞくと、循環コードという概念がない。というか、あえてそれを否定したかったのか。GM7とBm7がやたらでてくるんですが、両者は代理コードの関係にあるので(似たもの同士だということ)、メロディもハーモニーものぺっ~とした感がある。そのくせ、後続する和音に規則性がないから、どこかで必ず罠にひっかかってしまうのです。おそらくジェイムズ・テイラーの影響が最も強かった時代で、開放弦を使った不協和音の味を知り、JT風を試したかったんでしょう。それが必ずしも成功しているとは思えませんが、それでもなお得たいの知れない魅力があり、発表後30年以上経った今でも輝きを失わない理由になっている。良くいえば、時代を先取りしていたのかもしれません。歌詞との対応もやっかいです。ほんと歌いにくい。とくに2番の「防波堤越しに緋色の帆を掲げた都市が停泊してるのをみたんです」のところは、拷問にあっているようなものだね。いちどカラオケで挑戦していただければ実感できるでしょうが、1番・2番・3番でコードと対応する歌詞の位置がずれてます。なんてことのない、港湾都市の朝の風景を描写した詞(うた)でして、松本隆は成熟のレベルにまだ達していない。それでも、作詞の才能が早晩開花するだろうという潜在的な力は十分示してますね。


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↑チョトロク会長はヴォイス・エフェクターなる器材を使って、オートマティカルなコーラスを披露。足が震えてましたぜ。


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すぐに研究成果を求めるべきではない

 さきほどボタンを押した。科研電子申請のボタンは、火葬場のボタンと似ている。押した瞬間、後戻りできなくなる。チェックに時間をかけた。自分自身で3回推敲して細かい間違いを10ヶ所近く発見。その最中に、事務局の女性も1回チェックしてくれた。「大丈夫です」とのメールを頂戴したが、それでも心配が薄れないので、事務局に電話して、「もう押していいんですよね」とだめ押しで質問し、ボタンをクリックした。これで修正は一切できない。あとは審査員の寛大なお裁きに身を委ねるのみ。
 帰宅し夕食をとっていると、「たけしのTVタックル」が始まった。今日のテーマは研究者の待遇と大学の未来について。山中先生のiPSから話が始まり、日本の大学の惨状を嘆く声が続出。とりわけ国立大学の独法化後、研究論文の数が急落したという。そして、国は「研究の即効性や実用性」を研究者に強く求めるようになった。そこにいる研究者もかっちゃんも大竹も・・・みな、その惨状を憂いている。役所はスポンサー気取りで、大学の研究者に「四半期単位での成果を求める」ようになっている。大学を企業やコンサルと勘違いしている役人が少なくない。テロップが流れた。

    すぐに研究成果を求めるべきではない

 そのとき、環境学術研究振興事業の学術研究に係る評価実施要綱等で規定された
  (1)研究実施の毎年度 :「研究計画評価」
  (2)研究終了の翌年度 :「研究成果評価」
  (3)研究終了の翌々年度:「普及・活用評価」
が思い起こされた。研究終了の翌年度に本当の意味で「成果」が生まれ、翌々年度に「普及・活用」がなされるはずはない。平成23年度採択「摩尼寺奥の院遺跡の環境考古学的研究」に関する自己評価シートの「②研究成果の効果」の欄に、私は以下のような感想を書いた。

  私たちは報告書でジオパークや世界遺産、景観保護・文化遺産保全に係わる重要な提言
  をしています。それを高い感受性をもって受け止め行政施策に反映させるかどうかは行政
  の判断次第であり、学術研究の有用性の価値と必ずしも相関しません。採用しないから
  悪い研究なのか、それとも良い研究を受け止める感受性や好奇心のない行政が悪いのか。
  常に評価する側が行政にあるなら、大部分の研究は評価されないでしょう。行政は別に
  して、地元の方々は2012年度も暖かく私たちの活動を受け入れてくださっており、それが
  摩尼山再興の起爆剤になることを願っておられます。
  iPS山中博士の言を行政側は噛みしめていただきたい。


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第5回「ツリーハウスに挑戦!」

CIMG1641ツリー5回目


石の階段、現る
 
 プロジェクト研究も5回目となりました。ということで、今回は僕がブログを更新していきたいと思います。このブログは毎回2年生と1年生に分かれて、その中から一人ずつ選ばれた(ジャンケンで負けた)人が更新しています。2年生は僕を含む3人でのジャンケンになったのですが・・・・完全に仕組まれていました、二人は事前にパーを出すと決めていたようです。しかもどうやら、そのアドバイスをしたのは教授だそうで【教師註:某10チャンネルの番組「クギヅケ」に出演した元医学博士で元国営放送記者の吉田某によると、医学・生理学的にみて、人間は生まれた時からグー握りしており、自然な状態ではグーを出す確率が最も高い。したがって、パーを出せば勝てる。二人パーで負けたとしても、まだアイコがある】、帰り際に「オレと車に乗ったヤツはジャンケンに勝つんだよぉ」と、言われました・・・教授・・・僕は運転手です・・・これからは助手席を特等席にしておきますので是非!お待ちしております。


CIMG1509ツリー5回目 before


と、前置が長くなってしまいましたが、今回のプロ研の内容に移りましょう。もちろん山登りからスタートしました。今回は1年生とは別行動のようなので2年の僕たちは先に登ることに。登るのは4回目になる摩尼山ですが、相変わらず慣れません、斜面は斜め【教師註:斜面が斜めなのは当たり前でしょうが】、丸太橋、雨上がりのぬかるみなどアトラクション要素満載で、何度登っても怖いです。いつか登りやすいようにしたいですね。そして、ビクビクしながら摩尼山頂より少し低い「奥の院」遺跡へ到着。前回の活動から造園業者さんが参入し、大木の伐採などしてくださったので、見晴らしはよく、とても広々とした空間になっていました。今回も、先に業者さんと白帯さん、匠1号が遺跡に登り、伐採等の活動を始めています。今週の伐採活動は、下側の岩陰仏堂と上側の岩窟仏堂を繋ぐ石段周辺の清掃です。先週(↑)まで石段はシダに覆われ、周辺の雑木で確認が難しいほどでしたが、今回の環境整備により、少なくともその位置ははっきり分かるようになりました(↓)。とくに、石段正面に立つヤブツバキ(S09)を伐採することで、とてもよくみえるようになりました。但し、石段の上を歩き登るのはやや難しい状況です。さらに石段周辺の雑木の伐採により、平場から上の岩窟仏堂が見通せるようにすることを目的としていましたが、岩窟仏堂は巨巌のやや奥にあって、まだ隠れた状態にあります。


CIMG1568ツリー5回目 after

CIMG1656ツリー5回目 CIMG1651ツリー5回目



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2012年度卒業研究中間発表会を終えて(Ⅱ)

R0040560中間発表

 10月31日(水)の卒業研究中間発表会で発表したのですが、発表資料の作成に骨を折りました(自業自得です)。中間発表の一週間前にゼミで指導をうけたました。評価は30点でした。それから修正になかなか手を付けられず、休日を無駄に過ごしてしまいました。そのため、月曜日丸まるパワポづくりに専念しました。発表の前日の火曜日に2度目の発表練習があり、そこでの評価は50点でした。翌日の発表に間に合わせるため、覚悟を決めて修正に取り掛かかったのですが、しばらくすると睡魔が襲ってきて、脳が動かなくなってしまったので、駐車場に停めている車の中で3時間くらい仮眠をとりました。目をさました後、ゼミ室に戻り発表準備を再開したのですが、時間は刻々と過ぎ、パワポの完成は発表会の1時間前。発表資料を印刷をしていると先生が来室され、僕の顔色を見て「大丈夫か、アタマ痛くないか、薬飲むか」など言ってくださったので、先生の部屋でアスピリンを一錠服用し、発表に臨みました。

中島(卒論):山のジオパークにむけて
        -摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想-


 発表の流れは下のスライドのとおりです。

発表の構成(中島)

 まず2010年の摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査、2012年前期プロ研ので環境整備を述べた上で、摩尼山を中核とする「景勝地トライアングル」の構想を披露しました。本研究では、鳥取砂丘(山陰海岸国立公園)、坂谷神社叢林(県指定天然記念物)、久松山・太閤ヶ平(国指定史跡)を結ぶ三角形を「景勝地トライアングル」と仮称しています。この三角形の中心に摩尼山は所在しますが、ほとんど保護措置がとられていないので(仁王門のみ県指定文化財)、法的制度による保護を図るべきと考えています。とはいうものの、摩尼は山陰海岸ジオパークのエリアに含まれているので、有力な「山のジオパーク」の一つであり、ジオサイトに認定すべきと考えています。この場合、坂谷神社山頂部の巨巌と摩尼山の岩窟・岩陰仏堂をあわせてジオサイトにするのがよいでしょう。前者は自然の巨巌、後者はヒトの手が加わった文化的な巨巌として対照をなすはずです。
 もちろんジオサイトだけでは不十分であり、文化財保護法の制度によって保護の対象にしなければなりません。理想は三徳山であり、摩尼山もまた名勝と史跡に二重指定するのが最善です。さらに三徳山は大山隠岐国立公園への編入がほぼ決まりそうですが、摩尼山や坂田神社(立岩山)も山陰海岸国立公園に編入することが望ましいと考えています。このように、摩尼山を自然(環境省)と文化(文化庁)の両面から保護の対象とするよう提案していくつもりです。この構想を前提として、世界自然遺産「福建丹霞」の視察成果を述べました。とくに武夷山などで整備の行き届いた登山路・サインボード・休憩施設・電気自動車などを紹介し、中国自然歩道の調査(久松山・樗谿~摩尼山のトレッキング)で目立った道標・休憩所の劣化、登山路の不備を説明しました。「福建丹霞」のインフラを参考にして、景勝地トライアングルの整備構想を練り上げようと思います。


景勝地トライアングル
↑摩尼山を中核とする景勝地トライアングル構想


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2012年度卒業研究中間発表会を終えて(Ⅰ)

中間 仲佐-3



 十月晦日、2つの講義室に分かれて卒業研究中間発表会(発表9分・質疑3分)がおこなわれました。発表会は15時スタート、ASALAB2名は休憩を挟んでからの1番手と2番手でした。じつは発表前夜、研究室OGのヒノッキーさんから私と白帯くんの携帯にメールが入りました。ありがたい応援メールです。

  「網戸のまま寝たら風邪ひくよ、ご飯をいっぱい食べて万全の状態で発表に臨んでください」

とのこと。さすがにこの時期、網戸のままでは寝ないとおもうのですが・・・しかし、忠告どおり、私は差し入れにいただいた牛丼をもりもり食べました、それも深夜に・・・発表後、感謝の言葉と発表終了の報告を返信しました。ありがとうございました。発表会には、「鳥取学」講義を終えたばかりの会長さんをはじめ、イッポくんや匠、また、P4「ツリーハウスに挑戦!」のメンバーたちが駆けつけてくれました。匠とイッポくんには資料の配布を任せてしまいました。頼りになる山梨県勢です。ありがとう。
 当日、わたしは就職関係の学内面接会に参加したのち、中間発表に臨むというハードなスケジュールを抱えていました。面接会は13時集合で、13時半から面接。にもかかわらず、発表会の準備で、11時半までパソコンとにらめっこしていました・・・朝方、タクヲさんにチェックしていただき、微修正した上で練習を2回ほどしました。これまで20分もかかっていましたが、なんとか10分半くらいにおさまりました。これでもまだ長いのですが、結局スライドを減らして早口で発表しました。それでもオーバーしてしまいましたが。私の発表内容は以下のとおりです。


仲佐(卒論):雲州平田「木綿街道」の町並み調査と保全計画
        -伝統的建造物群と文化的景観の制度的融合をめざして-


【発表】nakasa03

 
 出雲市平田町にある「木綿街道」について紹介し、昨年からの調査・成果を発表しました。一般の町並み調査では「景観」を重視していますが、わたしは昔ながらの「生活空間」にも注目しています。とくに今年度は、「カケダシ」という町家の地下にある船川護岸の生活空間と、街道筋の横道にあたる「ショウジ(小路)」に力点をおいた調査研究に取り組んできました。これらについては立面図や平面図だけでなく、妹尾河童の得意とする俯瞰パースを描き、生活感溢れた空間構成を表現しようと考えています。
 船川・カケダシ・小路は生活の場として、文化財保護法の規定する「文化的景観」の評価対象になるものでしょう。たとえば、船川は重要文化的景観「近江八幡の水郷」に似ているし、カケダシとショウジは同「天草崎津の文化的景観」に類例があります。町並みの保存としては、やはり伝統的建造物群(伝建)の制度が適しているかもしれませんが、宇治や金沢では道や広場を評価して「都市の文化的景観」が保全の対象となっています。そういう発想は平田にも適用できるのではないでしょうか。



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歯ブラシ症候群

 科研は書けんし、ネタのない夜の二日目。

  「歯ブラシ事変は終息に向かっていらっしゃるでしょうか」とか、

  「歯ブラシ騒動、一日も早い平和的な解決をはかって下さいますようお願いします」

なんてメールが全国各地より届いております。

 じつは、歯ブラシ事変には、もう一つの余波がありましてね。もとより物忘れのひどい人格ではありますが、あの日、むくれて、そそくさと家を出たもので、大事なギター(ヘダウェイのエレガット)を置き忘れてしまったのですよ。鳥取のギターを奈良にもってかえったのは何故かというと、奈良の練習用エレガットの弦が古くなりすぎてしまったのですが、新しい弦を貼り替えるのはもったいない。そこで、鳥取のエレガットに張っている中古の弦(前回の六弦倶楽部で使用)を奈良のエレガットに移し、鳥取のエレガットに新しいアーニーポールの黒い弦を張ったんです。その新弦エレガットを忘れてしまった。これは不味い。どういう手を打ったかと言うと、天理楽器に電話して中古のハードケースを用意してもらい、息子がギターをもっていって梱包もプロにお願いし、その梱包されたギターケースごとシャノワールじゃなかった、黒猫で宅配してもらったのです。奈良の家にはソフトケースしかないので、天理楽器を経由してハードケースを確保するしかなかったわけ。


 


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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