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今夏の海外出張など

 またたくまにお盆休みが終わりました。昨夜8時半の四川航空便で関空を飛び立ち、いまは成都のホテルに居るはずです。今回は関空で携帯ワイファイをレンタルしてきており、いつでも日本との通信は可能なんですが、ともかくFC2にアクセスできないので、この記事は日本滞在中に書いたものです。以下、調査日程です。

8月20~27日: 四川省カンゼ・チベット族自治州調査(学内特研
 20日【出国】関空~成都 成都泊
      関西20:30発/成都23:45着(3U8088便)
 21日 成都~康定  康定泊(海抜2560m)
 22日 康定~丹巴  丹巴泊 (海抜1860m)
 23日 丹巴~炉霍  炉霍(海抜3860m)周辺泊
 24日 炉霍~色達  色達(海抜3800m)周辺泊
 25日 色達~康定~雅安  雅安泊
 26日 雅安~楽山 楽山大仏(世界遺産)視察
     楽山~成都 成都泊
 27日 午前:文殊院等視察
     成都14:25発/関西19:30着(3U8087便)【帰国】

   急な御用がありましたら [email protected] にご連絡ください。

 帰国後、体力がもつか不安ですが、9月1日(日)にはシュガーナックル・ボクシングジムの摩尼寺修行があります。

9月1日(日) 摩尼寺護摩焚き・山道(旧参道)巡り

 精進弁当は大人1,080円(税込)、子ども500円(税込)となっております。


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『鳥取県の民家』を訪ねて(31)

⑫№033前家 外観.jpg
↑現状(2019)  ↓報告書(1974)
0816青谷01前家02外観 0816青谷01前家03復原図


中級武家の中門造

 最後に青谷と気高の調査をしました

 No.033⑫前家家住宅 鳥取市(旧気高郡)青谷町奥崎の民家。珍しく事前に電話がつながって予定を合わせていたこともあり、この日(8日)いちばん長い調査となりました。おいしい梨とお茶をいただき、ありがとうございます。切妻造の赤い桟瓦葺き、高二階の建物は報告書当初からほとんど変わっていません。ただし、倉吉などの近隣都市の状況に照らしてみれば、幕末の創建時には平屋の茅葺きであったろうと推定されます。
 見た目にはL字形平面の近代住宅のようでもありますが、これが「中門造」だというから驚きです。ここにいう「中門造」は北陸~秋田に特有な農家形式ではなく、簡略的な武家屋敷の形式です。前家家には棟札が残っており、家禄300石の鳥取藩士、中島時宜の居宅として慶応3年(1867)に建立されました。明治26年(と報告書に記載)、前家家がこれを購入し、徐々に改装がなされ、中級武士の屋敷構えがうすれていったとレポートされています。内部は傷みが大きく、とくに武家らしく細く繊細な柱による軸部は県中部地震(2016)の影響もあって歪んできています(↓右)。昨年も畳と縁(↓左)を改修されています。
 これまでの「民家変容のパターン」では武家を設定していないですが、これを「町方」の一部とするならば、E-3(未指定・未登録のまま外観をほぼ維持し、本来の機能を継承)にあたるでしょう。


⑫№033前家 改装した縁側.jpg ⑫№033前家 地震で傾いた柱.jpg 改装した縁と傾いた柱


 現在のご主人は歴史に興味をもたれています。それというのも、かなりな量の史料が残っているからで、それらを丁寧にファイリングされています。史料の中には、四代前の主人がこの家を購入したときの売買契約書まで含まれています(↓)。明治25年に金250円で中嶋嘉助という奉行から購入した民家であり、襖を修理した際に裏貼りの紙に中嶋嘉助の記録が出てきたそうです。この史料は報告書刊行当時は発見しておらず、調査後に出てきたものなので、今回が初公開となります。じっさい『鳥取県の民家』(1974)では「明治26年、前家権三郎氏に買い取られ」たとあるので、報告書の売買年代よりも一年古いことが明らかになりました。屋内の撮影に加え、このような貴重な史料までおみせいただき、本当にありがとうございました。


⑫№033前家 売買契約書.jpg


 現在は同じ敷地内のハナレに住む弟夫婦さんと5人で暮らしています。息子さんは鳥取市内在住。最後にドローンで空撮をさせていただきました。ご主人は農業に従事されており、農薬散布などとの関係からドローンに大変興味をもたれていました。


⑫№033前家 空撮.jpg



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『鳥取県の民家』を訪ねて(30)

⑱№044牧野家 外観.jpg


旧東伯郡関金町へ

 前期末試験期間も終わって夏休みに入り、ようやく卒業研究の調査に本腰を入れることができるようになりました。『鳥取県の民家』(1974)掲載の第3次調査対象民家をできるだけ追跡していこうと思います。台風一過の8月16日(金)におこなった県中部調査については、一昨日に院生ザキオさんが東伯郡琴浦町赤碕の町家二例をレポートされました。今日は、わたしがまず倉吉市(旧東伯郡)関金町の二例を紹介します。

 No.044⑱牧野家住宅 関金町郡家の民家です。『鳥取県の民家』(1974)掲載の牧野家は寄棟造平屋建の茅葺きです。現在の牧野家は上の写真に示したとおり、御殿のような新しい木造建築ですが、近所の方からお聞きしたところによると、この立派な新居は30年前ほどに建てられたものだそうです。しかも、10日ばかり前にご主人がお亡くなりになられたそうで、現在は空き家になっています。また、旧主屋の跡地に新居を建てたのではなく、山側にぬける小路を歩いてすぐのところにある敷地に旧居を構えていました。跡地には旧主屋の基礎のほか蔵が残っています。さらに山側へ向かうと、牧野家の本家がありました。報告書記載の民家は分家の方で、江戸時代中期と推定され、広間型三間取りに復原されます。
 民家変容パターンの分類では、D-1類となります。


0816関金01牧野02外観01 0816関金01牧野01図面01sam
↑報告書(1974)  ↓現状(2019)跡地
⑱№044牧野家 跡地2.jpg 

⑱№044牧野家 跡地.jpg

⑱№044牧野家 空撮.jpg



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『鳥取県の民家』を訪ねて(29)

町方の民家(町家)変容パターン試案

 赤崎宿の小木家・門脇家はいずれも屋根が報告書当時から桟瓦葺きの町家です。これまでの「民家変容のパターン」は「在方」、すなわち農村の茅葺き民家を対象として考察してきましたが、「町方」の町家等都市住宅については、別の分類が必要だと思う次第です。先日(8月8日)に訪問した日野町黒坂の例を含めて、以下のような分類を初案として呈示しておきます。(教師補遺)


 【町方】民家変容パターン(案1)

  E類:町家等の保全修景による維持保全
   E-1 指定・登録による現地保全   
   E-2 指定・登録による移築保全
   E-3 未指定・未登録のまま外観をほぼ維持し、本来の機能を継承
      No.104㊲乃木家(日野黒坂)
   E-4 未指定・未登録のまま外観をほぼ維持しているが、無住状態(空き家)
      №52㉒門脇家(東伯赤碕)  
  
  F類:未指定のまま建物を改修
   F-1 建物を改修して本来の機能を継承
   F-2 建物を改修しているが、無住状態(空き家)
      №.51㉑小木家(東伯赤碕)      
   F-3 建物を改修して機能転換を図り活用中
 
  D類:未指定のまま撤去
   D-1類 撤去後空き地 
        №.103㊱細木家(日野黒坂)
   D-2類 撤去後べつの建物を新築
        No.033⑫前家家(青谷奥崎)  №031⑪小谷家(鹿野町鹿野)

 《注意》 D類だけは、在方・町方で共通するので、同じ記号にしています。



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『鳥取県の民家』を訪ねて(28)

№.51㉑小木家住宅01外観01 
↑現状(2019) ↓報告書(1974)
№.51㉑小木家住宅02報告書写真01 鳥取県の民家 _1974_0816小木家01


琴浦町赤碕の民家を訪ねて

 8月16日(金)、会長ほか学生2名の計3名で県中部の民家を調査しました。

 №.51㉑小木家住宅: 小木家は琴浦町赤碕の街道沿いに建つ町家です。昨年研究室で訪れた塩谷定好写真記念館から歩いて3分ばかり。報告書『鳥取県の民家』刊行当時(1974)の構造形式は切妻造桟瓦葺平屋建の正面に庇をつけたものであり、主屋は間口6間×奥行12間の六間取でした。主屋の裏側には土蔵を2棟構えています。建築年代は棟札により嘉永六年(1853)ですが、そのときに桟瓦葺きであったとは限りません。倉吉陣屋町や上方往来河原宿がそうであったように、当時の町家は茅葺きであった可能性が十分あり、それが明治以降、桟瓦葺きの平屋建に改修されたかもしれないのです。
 上下の写真にみるように、現在の主屋は高2階に改造されています。右脇の露地門は当時のままですが、かつて植え込まれていた「見越しの松」はなくなっています。背面側の土蔵については、グーグルマップのの航空写真では2棟の存在を確認でき、建物配置はほぼ変わっていません。
 小木家はかつて質屋を営んでおり、報告書刊行当時は表具師だったそうです。塩谷記念館の関係者にお話しをうかがったところ、小木家は報告書刊行時の世帯主さんが亡くなられてから空き家になり、現在は米子在住の息子さんが所有者だということがわかりました。


№.51㉑小木家住宅01外観02
↑現状露地門側(2019) ↓報告書露地門側(1974)
№.51㉑小木家住宅02報告書写真02


 

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『鳥取県の民家』を訪ねて(27)

野口2


2019年度公立鳥取環境大学麒麟特別研究費助成に採択!

 TUES麒麟マイスターとは、COC(Center of Community: 文科省が大学を対象とし「地域の課題解決」や「地域活性化についての立案」等をサポートする)事業の一環として、本学が今年から発足させた学内資格です。ここにいう「麒麟」地域とは主に麒麟獅子の分布する鳥取県東部と兵庫県北部の自治体をイメージしていますが、実際にはもう少し広い範囲を含みます(鳥取市・岩美町・八頭町・若桜町・智頭町及び新温泉町)。これらの地域に関わる活動や研究、また意欲的に地域問題に取り組む学生が申請を認定されます。TUES麒麟マイスター申請書には「これまでに取り組んできた地域活動や地域研究に関する経験、今後鳥取県東部で取り組みたい地域活動や地域研究に関する目標及び意欲」を記入して提出します。7月18日(水)の教授会で、教授はわたしがマイスターの資格を取得したことを知り、「なんの役にも立たない学内資格」だと最初は鼻で嗤っていたそうですが、麒麟マイスターの取得を前提とした研究費助成が1名しかなく、追加申請のあることを知り、わたしに研究申請することを薦められました。

 その後、7月29日(月)、TUES麒麟マイスターに合格した学生の認定式が本学サスティナビリー研究所で開催されました。麒麟マイスターに認定された四人の学生と、マイスターのロゴを作成した学生が出席し、研究所長から証書をいただきました。非常に少人数の認定式であり、学生同士もほぼ友人同士であったため、和やかな雰囲気で会が進みました。所長からは「麒麟の地だけでなく、将来卒業してさまざまな土地での地域問題を 解決し、活躍できる人材になってほしい」とのお言葉をいただきました。資格に恥じぬよう、卒業研究に取り組んでいきたいと思っています。
 一方、麒麟特別研究費については、この春からゼミ全体で取り組んでいる「『鳥取県の民家』を訪ねて」を主題として申請しました。ゼミをあげて調査するが、卒論としてわたしがまとめるという構想です。ところが、申請書は科学研究費の様式そのもので、分量は多く、内容もすごく複雑なものです。これだけの申請を学生にせよ、というのは酷なことだと教授もおっしゃって、何度も添削をしてくださいました。改めて感謝いたします。
 以下に採択された研究の主題・概要等を抜粋して掲載します。(八木部長)

  1.研究課題名:  昭和49年刊『鳥取県の民家』を訪ねて
  2.研究代表者:  野口さやか(指導教員:浅川滋男)
  3.研究費:     50,000円
  4.研究の目的と概要: 「続き」参照


野口4


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『鳥取県の民家』を訪ねて(26)

民家変容パターンの再改訂

 日南町・日野町で計6件の民家を追跡した結果、「民家変容のパターン」の再更新が必要であることが分かった。新しく発見されたのは「未指定のまま撤去後べつの建物を新築」した日南町萩山のNo,82㉜長谷家である。このパターンにより、D類は以下のように細分することにした。

  D類: 未指定のまま撤去
   D-1類 撤去後空き地 
   D-2類 撤去後べつの建物を新築 

 この細分を含めて、再構成したパターンの全体とその該当例を示す(赤字は新設定のパターン、青字は今回訪れた民家)。

  A類:指定による民家の保全
   A-1 現地保存  
     №016③矢部家(八頭町用呂・国) №027⑦福田家(紙子谷・国)
     №011②木下家(布袋・県) №030⑩奥田家(猪子・県) 
   A-2 移築保存  
     №012④三百田家(若桜町吉川→屋堂羅・県)
   A-3 指定解除
    №040⑯小椋家(三朝木地山・町) №097㉟内藤家(日野板井原・県) 

  B類:未指定だが茅葺き屋根を維持
   B-1 茅葺き露出     
    №029⑨松本家(江津)  
   B-2 茅葺き鉄板被覆  
    №021⑤谷上家(佐治余戸) №088㉞石川家(日南笠木)
  
  C類:未指定のまま平屋建茅葺きから中二階和風住宅への改修
    №025⑥西尾家(八頭万代寺) No.006①米山家(岩美外邑)
    №086㉝福田家(日南上萩山)

  D類:未指定のまま撤去
   D-1類 撤去後空き地 
    №023⑧西尾家住宅(赤子田)  №.103㊱細木家(日野黒坂)
   D-2類 撤去後べつの建物を新築 
    №082㉜長谷家(日南萩山)


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『鳥取県の民家』を訪ねて(25)

180808乃木家01空撮 180808乃木家02報告書03配置図


日野町の民家を訪ねて

 No.104㊲乃木家住宅:  乃木家は日野町黒坂の町家で、現在の所有者は調査時の世帯主の息子さんです。乃木家周辺には古い町並みが残っていて、根雨宿に比べても県西部地震(2000)の被害も小さく、乃木家を中心として周辺数軒の連続写真を撮影し、フォトスキャンで連続立面図を作成することにしました。


180808乃木家01外観 
↑現状(2019)  ↓報告書(1974)
№104㊲乃木家住宅1974 190808乃木家02報告書01復原図


 乃木家の主屋自体、西部地震での被害も少なく、トオリニワ上の梁の1本がずれて噛みあいがわるくなっただけの軽度の損傷で、20年ほど前に部分修理を施したのみだそうです。結果として、報告書掲載時の姿を今もよくとどめています。背面側の付属屋3棟も残っています。構造形式は切妻造桟瓦葺中二階平入、主屋規模は間口7間×4.5間の四間取です。現在はわかりませんが、当時は間仕切りすべてが古式の建具であり、田字形4室の続き間を1部屋にできる「門徒造」でした。天台宗の弾圧を逃れた北陸の真宗門徒が山陰にやってきて道場を開き、門徒たちは道場の周辺に門徒造の民家集落を築いたのです。


180808乃木家01架構 180808乃木家02報告書04架構
↑乃木家土間上の梁組


 さて、報告書では建築年代を江戸時代中期と推定していますが、元世帯主さん(昭和13年生)は松江城築城と年代が近くおそらく1610年くらいだとおっしゃっていました。その年代は、むしろこの土地への帰農・土着年代であり、現在の建物は18世紀に再建されたもおとみるべきかと思われます。なお、世帯主の息子さんは別居しており、家を引き継ぐ予定はとくになく、将来的に空き家になる可能性が高いそうです。


190808細木家跡地02 №103㉟細木家住宅1974配置図


 №103㊱細木家住宅;  細木家は乃木家と同じ黒坂の近所に建つ町家でした。しかし、残念ながら、現在は建物が完全に撤去されて空地になっています。報告書刊行時は、間口10間×奥行8間の「九間取」であり、構造形式は切妻造茅葺二階建平入です。建築年代は江戸時代中期と推定されています。もともと街道沿いに長屋門を構え、土塀をめぐらした屋敷構えだったのですが、1974年には、主屋と土塀の一部を残すのみとなっていたようです。報告書では六間取に復原されています。民家変容のパターンでは、D類(未指定のまま撤去)に当てはまります。
 隣家の主婦、内藤さん(昭和4年生)にお話をうかがうと、家屋が撤去された時期ははっきり覚えていないが、鳥取県西部地震以前だっただろうとのことです。当時の所有者は亡くなられており、現在の所有者は米子に住まれているそうです。


190808細木家跡地01 
↑細木家跡地 現状(2019) ↓報告書(1974)
№103㉟細木家住宅1974外観 №103㉟細木家住宅1974復原図



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『鳥取県の民家』を訪ねて(24)

190808福田菊蔵家住宅02空撮01 190808福田菊蔵家住宅01


日南町の民家を訪ねて

 8月8日(木)。会長、教授、わたしの3人で日野郡日南町・日野町を訪問しました。もちろん『鳥取県の民家』(1974)掲載の民家を調査するためです。日野郡には鉄板被覆の茅葺き民家が数多く確認され、驚きました。

 №086㉝福田家:  福田家は日南町上萩山の山間部にあります。いまでも住居として機能していましたが、この日はご不在でした。報告書によると、上萩山は古くは「たたら」製鉄の盛んだった場所であり、福田家はもともとたたら師頭を務めた家柄と伝えられています。


190808福田菊蔵家住宅02空撮02 190808福田家報告書01配置図


 当初は間口8.5間×奥行4.5間の「四間取」であり、構造形式は寄棟造茅葺平屋建平入です。建築年代は関係資料から江戸中期の初めごろとされています。報告書の配置図では主屋の周りには納屋・物置ともう一軒の小屋が確認できます。ドローンの空撮写真をみると、改修はされているものの、現在もその配置を留めていることがわかります。当初は主屋だけでなく、主屋斜め前方に建つ物置も茅葺だったようです。しかし、主屋は大幅に改修されており、切妻造鉄板葺中二階建に変わっています。民家変容のパターンでいうとC類(未指定のまま平屋建茅葺きから中二階和風住宅への改修)にあたります。福田家周辺には鉄板被覆の茅葺農家が多く存在しており、対照的に映りました。


0808福田家01 190808福田家報告書01復元平面図
↑外観と復原平面図(1974)  ↓現状(2019)
190808福田菊蔵家住宅03 



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『鳥取県の民家』を訪ねて(23)

0807赤子田01西尾004 0807赤子田01西尾005


赤子田でインパルス実習

 8月7日(水)。試験期間中ですが、前期の最終ゼミをおこないました。
 今年の夏休みもまたブータンに行きます。9月4日~11日に予定されている第8次調査は、昨年訪れたプナカからさらに奥に進んでポプジカをメインフィールドとする予定です。ところが、新規でブータン調査に参加する3年2名は測量の経験がまったくないため、最終ゼミを利用してレーザ測距・測角儀インパルスの演習をおこなおうということになりました。また、ベンチマーク(BM)にはGPS座標を書き込まなければなりません。


0807赤子田01西尾003


 このさい転んでもただではおきない、というか、どうせ測量やるなら、いま研究室が取り組んでいる「『鳥取県の民家』を訪ねて」プロジェクトの対象家屋を測量しようということになり、大学に近い№023⑧西尾家(6月12日に調査)に電話で依頼したところ、当日であるにも拘わらずご快諾いただき、早速5名で馳せ参じた次第です。

 今回は主に3年生2名がインパルスの操作方法を院生ガキオさんから学び、実際にスコープを覗いて座標を方眼紙に書き込んでいきました。わたしが屋根伏図を歩測で描いているあいだ、6月12日にドローン撮影した写真のプリントに測量点と座標を書き込んでいきました。ポイントの定め方やデータを大量書き込みに苦戦しているようでしたが、慣れてくると3年生2名の連係もよくなり、ブータンでも安心だなぁと思いました。


0807赤子田01西尾006


 私(バレー)は現状の屋根伏配置図を描いていきました。『鳥取県の民家』(1974)に掲載されている西尾家の配置図には主屋がありますが、数年前になくなってしまったので、昔の配置図と比べるのが面白かったです。民家変容のパターンで言うと、主屋が撤去されているD類であり、旧主屋の基礎跡を描けるので貴重な新資料になります。わたしが描いた屋根伏配置図にもインパルスで測量した座標データを書き込みました。
 ここで一つ忘れていたことがあります。インパルスで分かるのは北緯・東経(X・Y座標)のみですから、高度計をもっていかなければなりません。
 測量練習後、ファミレスCで、ブータンにもっていくものや出発の集合時間・場所などを整理しました。テストも終わって、いよいよ夏休み。9月にブータンを再訪できるのが今から楽しみです。(バレー)


0807赤子田01西尾007

190807西尾家測量演習(空撮写真)_01 190807西尾家測量演習(配置図)_02



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『鳥取県の民家』を訪ねて(22)

0731井上ブログ用 スライド_page-0001


2019年度人間環境実習・演習B期末発表会(6)

2.昭和40~50年代の鳥取

(2)『今和次郎「日本の民家」再訪』
 民俗学者の今和次郎(1888-1973)が大正年間におこなった民家調査の報告『日本の民家』は民家研究の古典であり、いまも岩波文庫版がたやすく入手できる。早稲田大学の中谷礼仁教授は、日本最初の民家調査本というべき『日本の民家』に掲載されている民家がいまどうなっているのかという疑問を抱き、瀝青会という調査研究グループを組織して、2012年に『今和次郎「日本の民家」再訪』という単行本を出版した。この著作は2013年度の日本建築学会著作賞を受賞している。

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 『日本の民家』の著者、今和次郎は東京芸大出身の画家だが、柳田國男門下の民俗学者でもあり、のちに生活学や考現学などの新しい視点をもった学問をおこしている。『日本の民家』のほかには『住生活』、『今和次郎集』など多くの著書を出版されている。


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 大正6年(1917)、今和次郎は早稲田大学建築学科の佐藤功一教授の誘いで白茅会という研究グループに参加。柳田國男師匠の調査に同行している。この活動などをもとに、大正11年(1922)に『日本の民家 田園生活者の住家』初版が刊行される。この本は出版後も内容の充実・更新がはかられ続けた。上(↑)右は、初版本の内容から今和次郎の足跡を示したものである。


0731井上ブログ用 スライド_page-0004


 『日本の民家』に掲載されている民家の中から、中国地方の例を紹介する。1つ目は出雲の農家、右に示しているのは今和次郎さんが描いたスケッチである。2つ目は石見の農家、3つ目は備後山間の灰小屋、4つ目は広島の農家である。このように、民家を暖かい筆致で描きながら、地元住民から得た情報をもとに、各地の民俗建築や人々のくらしが分かりやすく解説されている。


0731期末発表会006肺01 0731期末発表会006肺02sam


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『鳥取県の民家』を訪ねて(21)

0731藤井02スライド① (2)

2019年度人間環境実習・演習B期末発表会(5)

4.二つの関連文献から

(1)『失われゆく古民家』
 最後に、二つの重要な関連文献について考察する。関連文献の1冊目は『失われゆく古民家』である。本書は木島幹世氏と写真家の池本喜巳氏が共同で日本海新聞に連載したものを、幹世氏の息子である史雄氏が編集して出版したものである。木島幹世氏は高校教員、教育委員会職員を経て、県立博物館の初代学芸課長を務めた。
 原本となる記事は1973年2月15日から1974年10月3日まで計50回にわたって日本海新聞に連載された。その記事は県立公文書館で全コピーしている。この新聞連載は、1973~74年に編集・刊行された『鳥取県の民家』と時期がみごとに一致している。本書に含まれる民家についても一覧表と分布図を作成した。
 新聞掲載の時点で、すでに多くの古民家は「失われゆく」状態にあった。「この連載の写真と文章でうつしとられた姿が唯一のよすがとなったものも少なくない」と史雄氏はあとがきで語っている。

0731藤井02スライド② (2) 0731藤井02スライド③ (2)

 本書の写真撮影を担当した池本喜巳さんについて少し説明しておく。池本さんは1944年、鳥取市に生まれ、日本写真専門学校を卒業。鳥取市で写真事務所を営むかたわら、世界的な写真家である植田正治氏の助手を長く務めた。作品集は数多いが、ASALABと関わりのふかい大雲院や三徳山の写真集を刊行されている。

 『失われゆく古民家』では計49件の古民家が紹介されている(他の1回は土蔵アラカルト)。地域別にみると、

   東部:24件、うち『鳥取県の民家』と重複している民家は12件
   中部:24件、うち12件重複
   西部: 1件、うち1件が重複

 西部の民家数が極端に少ないこれは幹世氏と池本氏が鳥取市を活動拠点としていたこと、また昭和57年(1982)に木島幹世氏が病に倒れ、企画が終了したことと関係している。じつは50回の連載終了後、続編の準備を進めていたが、幹世氏がなくなり、続編の原稿が公開されることはなかった。この続編はおもに県西部の民家を対象にしていたのではないかと推定される。

0731藤井02スライド⑤ (2)
 上は新聞連載の初回記事である。すでに何度か紹介した市内江津の松本家のレポートで、『鳥取県の民家』第三次調査の対象にもなっている。この記事では江津村の歴史、間取りと住まい方、細かい意匠について説明されている。当時の松本家がどのように利用されていたのかなどをうかがえる貴重な資料と言えるだろう。


0731期末発表会001お嬢02 0731期末発表会001お嬢02sam



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『鳥取県の民家』を訪ねて(20)

0731期末発表会005うなぎ01 0731沼野スライド1


2019年度人間環境実習・演習B期末発表会(4)

3.民家変容のパターン

 私たちが訪問した民家はわずか11件だが、それぞれの現状は多彩であり、ここ45年の変容パターンを類型化できる。まずA類からD類の4パターンに大別した。さらにA類とB類については、計7パターンに細分できる。

  A類: 指定による民家の保全
   A-1 現地保存  A-2 移築保存  A-3 指定解除
  B類:未指定だが茅葺き屋根を維持
   B-1 茅葺き露出 B-2 茅葺き鉄板被覆  
  C類:未指定のまま平屋建茅葺きから中二階和風住宅への改修
  D類:未指定のまま撤去


0731沼野スライド2


(1)A類:指定による民家の保全
 A-1 現地保存 文化財に指定され、現地で維持修理がなされているパターン。A-1に分類される民家は以下の4件であり、いずれも旧庄屋クラスの豪農である。

  No.016③ 矢部家住宅(八頭町用呂・国)  No.027⑦ 福田家住宅(紙子谷・国)
  No.011② 木下家住宅(布袋・県)  No.030⑩ 奥田家住宅(猪子・県) 

 指定の制度により、国や自治体から補助金が出ているが、県指定の場合、所有者の負担も小さくない。残念なことに、いずれの指定民家いおいても、定期的な公開はなされていない。内部調査の許可がでたのは県指定の木下家のみだった。補助金で維持保全がなされているのだから、公開・活用は一種の義務でもあり、県民の認知度を高めるためにも、具体策を講じるべきだと思われる。一方、大庄屋の家柄であるが、空き家もしくは空き家寸前の傾向もあり、後継者の確保が必須になっている。


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 A-2 移築保存 №016④三百田家住宅はもともと若桜町吉川にあったのだが、所有者が町に寄付し、のちに若桜郷土文化の里に移築され、常時公開されている。行政が管理しているため後継者問題は発生せず、生涯学習・学生教育・観光などにも貢献できるので、野外博物館における民家の移築公開は十分評価に値すると思った。


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 A-3 指定解除 №016④小椋家住宅は三朝町の指定文化財だったが、平成28年(2016)に所有者が転居する直前、管理困難との理由から指定解除の申請があり、三朝町は指定解除に踏み切った。その直後、2016年10月に鳥取県中部地震、2017年2月には豪雪の被害があり、小椋家も大きなダメージを受けた。とくに妻壁の煙抜きから雨が吹き込んで小屋組や床の材を腐らせており、今は鉄板で仮補修している。この夏には地元の有志で補修をするそうである。過疎がさらに進めば、解体または放置されることになるだろう。


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『鳥取県の民家』を訪ねて(19)

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2019年度人間環境実習・演習B期末発表会(3)

2.昭和40~50年代の鳥取

 続いて昭和40~50年代の鳥取について要点を簡単にお話しします。 
 報告書刊行の昭和49年(1974)は鳥取県知事の交替期でした。それまで15年以上知事を務めていた石破二郎が参議院議員選挙に出馬し、その後継者として平林鴻三が知事に就任します。二人とも東大法学部、総務省の出身です。また、石破二郎は現衆議院議員の石破茂の父親です。平林鴻三は昭和58年(1983)に古井喜実衆議院議員の地盤をうけついで、国会議員となりますが、平成2年(1990)の第39回総選挙では、社会党の野坂浩賢と武部文に敗れて落選。続く第40回総選挙では、自民党を離党した石破茂と対決するなど苦難の道を歩みました。


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 鳥取は京阪神と距離的に近い県ですが、交通は不便であり、県民は京阪神を遠いところと感じていました。
昭和41年から鳥取-大阪間の特急バスの運行が始まりましたが、若桜経由、智頭経由のいずれも峠終えの山道が厳しく、車酔いする人が少なくありませんでした。昭和42年には鳥取空港が開港しました。かつては伊丹空港と結ぶ便もありましたが、いまは東京便のみです。
昭和47年に京都と鳥取を結ぶ「特急あさしお」号の運行が開始されました。京都と鳥取をつなぐ直行便でしたが、単線ディーゼルのため片道4時間を要しました。平成6年(1994)の智頭スーパーはくとの運航まで「あさしお」が京阪神と鳥取をつなぐ動脈だったのです。
 鳥取県の人口は、昭和49年には約57万8千人でした。5年後の昭和54年より60万人を超え、昭和60年代に61万6千人に達しましたが、平成20年に60万人を割り、現在は56万人をぎりぎり維持している状態です。
 このころの鳥取は他県と比べ国土開発が遅れ、人口も60万人足らずであり、停滞期であったと言えますが、人口減少の著しい近年ほどの危機感はまだなかったと聞いています。(いちご)


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『鳥取県の民家』を訪ねて(18)

佐藤スライド1 0731期末発表会002コロッケ01


2019年度人間環境実習・演習B期末発表会(2)

1. 前期後半の活動
 
(3)フィールドワーク
 続いて、前期後半のフィールドワークについて報告する。中間発表までの調査は1度だけであったが、その後、4回のフィールドワークをこない、『鳥取県の民家』掲載の第3次調査対象民家のうち、東部の残り8件と中部の1件を訪問した。上(↑左)の中央あたりに掲載したのが現場で使った調書であり、ヒアリング情報などを記載している。ほかに、一眼レフとGPSデジカメによる撮影、ドローン空撮とオルソ写真の作成などい取り組んだ。


佐藤スライド2


 №027⑦ 福田家住宅  6月5日、最初に鳥取市紙子にある福田家住宅を訪れた(↑)。福田家住宅は『鳥取県の民家』刊行直前の昭和49年(1974)2月に、国の重要文化財に指定された。福田家主屋はチョウナ削りの部材痕跡、大壁構造、オダチ組の痕跡などから見て、17世紀に遡る県内最古級の民家と考えられている。大学のすぐ近くにこれほど古い民家があることに驚いた。保存状態は良好だが、現状は空き家であり、公開活用がなされていない。


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 №025⑥ 西尾家住宅  次に八頭町(旧郡家町)万代寺にある西尾家住宅を訪れた(↑上半)。報告書刊行時の世帯主ご夫妻が90歳を越えてなおご健在であり、大変丁寧におもてなししていただいた。その一方で、建物は大変わりしている。報告書刊行直後から改造が進み、平屋の茅葺から桟瓦葺の中二階型和風住宅に変わっている。たとえば、左側の写真はオーディオルームである。会社社長であったご主人の趣味の部屋であるが、奥さまは「何とかして!」と頭を抱えてられている。民家の保全度は低いが、近所にお子さんたちが住んでおり、この住宅は今後も存続していく可能性が高いと思われた。
 №021⑤ 谷上家住宅 下半は鳥取市佐治町(旧八頭郡佐治村)余戸の谷上家である。旧佐治村は県東部を代表する山間過疎地であり、谷上家を探しあてるのにも骨をおった。茅葺屋根を鉄板が覆っているが、内部の改装は少ないとのことである。


佐藤スライド4


 №011② 木下家住宅 上のスライドの上半は鳥取市(旧八頭郡)河原町布袋の木下家住宅である。主屋と長屋門は報告書刊行の昭和49年に県の保護文化財に指定された。現在、ご主人らは奥の新築ハナレにお住まいなので、主屋は事実上空き家になっている。主屋内部の部材の劣化はやや進んでいるが、カマドや囲炉裏などを含めて保存状況は良好であり、教授は、はやく国の重要文化財に格上げして公開・活用を図るべきだと仰っている。
 №030⑩ 奥田家住宅 下半は鳥取市猪子の奥田家住宅である。山間部の斜面を切り出した敷地に建つ城のような豪邸で、表の石垣壁の印象が強い。主屋は幕末に茅葺の平屋として建造されたが、明治期に桟瓦葺の中二階型に改変された。2013年に県の保護文化財に指定されたばかりで、保存状態はとても良いが、やはり公開・活用はなされていない。


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『鳥取県の民家』を訪ねて(17)

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2019年度人間環境実習・演習B期末発表会(1)

 7月31日(水)、4限より表記の発表会をおこなった。ASALABの演題はもちろん「『鳥取県の民家』を訪ねて」です。大雲院を主題とした2016年度の発表以来、久しぶりにレベルの高い研究発表をしてくれたと思っています。以下、全員の発表内容を掲載します。(教師)

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1. 前期後半の活動

 私たちは4月から昭和49年に刊行された報告書『鳥取県の民家』(鳥取県教委 1974)のデジタルデータ化やフィールドワークを進めてきた。中間発表以降、県東部に所在する第三次調査対象民家の訪問や、データ整理の向上に取り組んだその成果についてまず説明する。

(1)掲載民家一覧表の改訂
 下(↓)は前記前半から作成している鳥取県の民家の一覧表である。変更点は一点のみで、フィールドワークを踏まえて導入した「民家変容のパターン」を追加した。

01藤井01スライド③


(2)掲載民家分布図の改訂
 下(↓)は改訂版の分布図である。所在地のマーカーを以下のように工夫した。
  
  △: 未調査の民家28件
  ○: 調査済みの民家11件のうち、文化財未指定のもの
  ■: 調査済みの民家11件のうち、国指定重要文化財(2件)
  ◆: 調査済みの民家11件のうち、県指定保護文化財(2件)
  ◎: いったん指定されながら指定解除に至った民家(1件)

01藤井01スライド④


 (3)データベースの改訂
 フィールドワークを経てデータベースも改訂した。以下、4点の項目を追加した。

  ①在方/町方 加えて大庄屋などの役職 
  ②民家変容のパターン
  ③世帯構成
  ④報告書掲載の復原平面図貼り付け
 
 また、GPS座標欄のX座標とY座標を、それぞれ一段ずつに拡大した。
 データベース作成の進捗状況だが、調査済みの民家11件中10件が完成している。未調査の民家は報告書からの情報を記入しているにとどまるが、残る28件すべて完了しており、フィールドデータを記入するのみの状態に整えている。(お嬢)


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サテンドール(ⅩⅩⅩⅡ)

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ペースノート閉店

 この春からブログの執筆ペースが勢い衰えてしまい、余計なことを書かなくなって業績が増え、授業資料の改訂も進む今日このごろです。一時期精を出して書いていた「サテンドール」シリーズも一年以上中断していたのですが、確認してみると、驚いたことに連載の第1回は公立化前にさかのぼる2011年5月4日であり、オープニングを飾ったのは下宿の近所にあるペースノートでした。
 そのペースノートが昨日、7月31日で閉店しました。道路拡幅のため、というのが閉店の理由であり、6月下旬にその旨伝えられて、大きなショックを受けました。週に1度は必ずモーニング(\520)を食べるし、ちょっとした会合には昼間のハンバーグランチ(\800)をよく使っていたからです。いろんな喫茶店やカフェでモーニングを食べてきましたが、ペースノート以上のモーニングはありません。いちばん有難いのはてんこ盛りの野菜サラダです。加えて、卵+ポテトサラダ+ヨーグルト+ロールパン+珈琲(お代わり可)。下宿から歩いて数分、大路川の川岸をめぐる朝の散歩コースも気持ちよかった・・・


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 最終日の7月31日(水)は3年次の人間環境実習・演習B期末発表会の日であり、当初はゼミ生全員の昼食会を構想していたのですが、店側から12名もの席を確保できないし、食材をそろえるのも難しいということで、24日を3年生+会長、31日を4年生以上い分けました。じつは、家内も奈良からやってきました。カフェ・モーニングめぐりが趣味の人ですからね。彼女もペースノートのモーニングが一番だといいます。31日は大勢の人出でにぎわいました。食事が終わって珈琲がでてくるまで結構時間がかかり、発表会にまにあうか、心配になったほどです。
 残念です。これからは家でキャベツの千切りとツナ缶を朝食とするしかありません。
 30年以上お世話になりました。ありがとう、お疲れ様でした。


最初で最後のペースノート

 7月31日(水)、晴れ。午後12時半、「カフェテラス ペースノート」に教授と4年生以上の6名で訪れた。外は猛暑夏真っ盛りの暑さだったが、店内は冷房が効いていて、かなり涼しかった(薄着の4年1名は「寒い」と言うほど)。この日で7月も終わるわけだが、同時にペースノートも営業を終了する。そのせいか、お客さんも多く満席状態。上に教授が説明されているように、道路の拡幅工事のため駐車場の敷地が狭まるのが原因らしい。ただ、店舗自体はレンタルしたい意思があるそうで、先生は「誰かジャズ喫茶でもやらないか」と冗談半分(?)に仰っていた。


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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