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黒猫よもぎちゃん

160827 カバンの二刀流 カバンの二刀流
                                       
 こんにちは。くらのすけです。8月27日(土)、第5次ブータンへ調査のため、教授、吉田先輩とともに関空より出国しました。トランジットのためバンコクで1泊してからブータン入りします。第5次調査では測量機材のほかにドローンも持参しています。おもに西ブータン西部のハ(Haa)地区で活動する予定です。絵本作家・民話研究者のクンサン・チョデン女史ご一家とは首都ティンプーでお目にかかることが決まっています。登山リュックとドローンケースを身体の前後から抱えて移動しつつあります。上はバンコクのスワナブミ国際空港でのスナップです。リュックを両方背負っているので、とても大変です。

 猛暑のバンコクを歩き、大汗をかいたのですが、バゲッジはパロ空港までスルーでして、着替えがありません。ケン先輩は発奮街の屋台でノースリーブのシャツを買い込み、ホテルで着替えましたが、ますますオネエ疑惑が深まる一方です。そういう野次につよく反論して曰

  
    男女兼用でございます!


160827 吉田さん2
↑ブータンでも蓬は薬草として使われます。ゾンカ語でkempha。

鯉に願いを-ネコノミクスの街(8)

160823 地蔵前(仮)’


夏の地蔵盆 2016

 8月23日(火)、倉吉市河原町で開催された「夏の地蔵盆祭り」に麻原鬢鬢20、OK牧場とわたしの3人で参加してきました。前回参加した「冬の地蔵盆」とは違って夕方5時からの開催です。自分たちが担当するのはテントの設置と焼き鳥の屋台、隣では生ビールに冷やしたジュースとまさにお祭り!といった雰囲気です。この焼き鳥、なんと2本で100円のお値打ち価格です。気になったあなたは来年の地蔵盆にぜひお越しください!


160823 焼き鳥1   168023 焼き鳥2


 焼き鳥屋台は値段の安さやお楽しみ券(焼き鳥orジュースorかき氷と交換できるクーポン)もあって、飛ぶように売れていき、次第に焼くのが追い付かなくなり、さらには開始2時間余りで完売してしまいました。火おこしも大変だったのですが、焼く作業がもっと大変、加減を見ながら時々ひっくり返しては並べていく単純な作業ですが、夕方とはいっても残暑厳しい夏の夜、煙と汗で涙目になりながら必死に焼いていました。最初は屋台をぐるっと回ろうかな~っと浮ついた気持ちがありましたが、そんな暇はありませんでした(笑)

 焼き鳥が完売した後はこれまた大盛況のかき氷屋台をヘルプに行きました、こちらも最初はボックスいっぱいの氷もなんのその、あっという間にさばけていきました。サポートにまわってからものの一時間もしないうちに氷が無くなってしまい、お客さんに申し訳ないことになってしまった、と思ったらどこから出てきたのかブロックアイスで追加販売、さらに本当に最後の近所の家の冷凍庫の氷まで使い抹茶味以外のかき氷蜜が無くなるまで売り切りました。


160823 金魚すくい


 他にも窯焼きピザや金魚&スーパーボール&メダカすくい、おでんに手作りゼリーとラインナップ豊富な屋台でとてもにぎわっていました、他にも八橋往来の方にも屋台が続いていましたが、そっちまで見ている時間はありませんでした。ただ八橋往来や鉢屋川沿いの五差路に提灯の光の下、人々が行き交う光景は過疎が進んでることを忘れさせるほどでした。


168023 がやがや1   160823 がやがや2   160823 がやがや3


長屋群を壊さないで-町並みを守ろう!

 夏の地蔵盆に参加して、屋台の手伝いで忙しかったけど、とても楽しかったです。人も大勢いて賑わっており、お祭りとしては大成功だと思いました。ただここ最近懸念されている旧小川酒造対面の長屋群の取り壊しが現実になると、町並みのアクセントが欠けてしまいます。どうにももやもやした気持ちに苛まれました。維持管理の手間や費用、所有者の方の考えなど難しい所でありますが、いまの風情ある町並みを活かして地域の再活性につなげていただきたいと願っています。 (キム3号)
 
 
168023 町並みを守ろう
↑ビニールハウスの壁に貼られた「河原町の町並みを守ろう」の横断幕

立川~樗溪の町並み調査(4)

160819 補足調査2 図1


 残暑見舞い申し上げます。4年のゆめみしです。
 本学の前期期末試験は8月5日で終了し、5日は研究室の大掃除(そのあとゲロゲロ?ビンビン??)、6日・7日はオープンキャンパス。先生は暇そうでした。以後、夏休みです。そして、8月9日、すでに授業があるはずはないのですが、居住環境実習・演習(Ⅱ)で約束したとおり、樗谿~立川の町並み補足調査を私と3年生でおこないました。

  前期には、町家等建造物データベース、連続立面写真の作成のため、3回に分けて調査エリア内の建造物及び周囲景観の撮影を実施し、それを元にデータベース、連続写真、連続立面図、分布図を作成いたしました。
 しかし、研究すればするほど、写真の撮影枚数が不足している建造物があり、建築形式・屋根形式・用途などが判別できないものが少なからず増えていきました。それらを補正するために今回の補足調査をおこなうことにしたのです。情報が不足している建造物はデータベースの隅に追加した完成・未完成チェックボックスで「未完成」となっています(図1)。検索すれば、ただちに未完成のデータベースが表示・印刷・編集できるようにしました。


160819 補足調査1 図2 補足調査が必要な物の例(FE-010)


 データベースでは基本的に建造物1棟につき、様々なアングル(正面・左・右)から撮影した3枚の写真(図2~4参照)を掲載するようにしております。しかし、私の不手際で正面しか撮影をしなかったため、そのせいで、補足調査の撮影枚数が増えてしまいました。
データベースの調査票の枚数は563枚ですが、今回はその半分近くにあたる233枚分で追加の撮影をおこなったのです。補足調査が必要なもののうち、120件分が私の撮影した建造物でした。3年生の皆様、申し訳ありません。


160819 補足調査3図3 160819 補足調査4図4
↑立川町の山沿いの通り(D地区にある近代和風住宅(DN-002)。図1・3・4は同一の建造物ですが、このような3面写真をデータベースに掲載することが望ましい。


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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅡ)

20160803③ 20160803⑥ 不動明王厨子と大権現厨子


建築厨子の多重撮影

 8月3日(水)。この日のゼミ活動は昨日に引き続き、大雲院にある仏教美術品の多重撮影をおこないました。大師堂にある不動明王厨子を棚からおろして、東照大権現厨子を撮影しやすい位置に動かすため、試験期間中の3年男子2名も手伝いに来てくれました。左にある不動明王の厨子を下に運ぶ作業はとても大変でした。
 下の写真は畳に降ろした不動明王厨子を撮影しているところです。厨子の内部には本来仏像が収められているのですが、厨子を運びやすくするため中の仏像はあらかじめ別の場所に移しておきました。そして、内部をみたところ、厨子の背面壁板にびっしり墨書が残っています。そのなかに「右尊像者天保九戌五月當山祖堂…」の墨書を残し、仏像は天保9年(1838)の制作であることが分かります。さらに住職によれば、この時期に樗谿の大雲院では元三大師堂の再建をしているそうです。不動明王厨子の制作された天保9年ころに樗谿大雲院で大師堂を再建したということから、幕末に樗谿で建立された大師堂を明治以降に曳家した可能性も浮上してきています。大師堂がかりに幕末にまで遡るとすれば、樗谿大雲院建造物の唯一の遺構ということになるので、今後精査する必要があるでしょう。18世紀中期に遡る「大雲院本坊指図」には再々建された大師堂を描いており、渡り橋で本坊とつないでいます。指図中の大師堂は現在と同じように2室に分かれていて、立川大雲院の大師堂にきわめてよく似ています。


20160803⑩20160803⑦
左:不動明王厨子 右:同内部



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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅠ)

160802 撮影


飛べよ、ドローン(2)
 
 3年生の期末発表も終わったところで、8月2日のゼミ活動では久々に大雲院での調査を行いました。目的の一つは学外でのドローンの練習です。大雲院の鐘楼・本堂の写真を空撮してみました。このほか、最も文化財価値の高い東照大権現厨司の多重撮影によるフォトスキャンの3次元モデルの練習として、弁財天厨司の多重撮影を試みました。

<ドローン撮影>
 ドローンを用いての初めての野外撮影、ということで、許可をいただいている大雲院境内の中で鐘楼を目標にして飛行&撮影を試行しました。初の学外での運転ということで、緊張しましたが、見事にドローンは空を飛び撮影に成功しました。限界高度まで飛ばすと、本堂をまるごと撮影できます。高度や角度を変えての撮影もお手の物で、これからの活躍が期待できます。ただし、ズーム機能がよく理解できませんでした。


160802 鐘楼A 160802 鐘楼B 
↑鐘楼  ↓本堂
160802 本堂上空




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薬師寺ぶらのすけ

 160730 薬師寺マップ 薬師寺マップ


 こんにちは、くらのすけです。平城宮に続き、薬師寺の報告をします。
 薬師寺は680年に天武天皇が発願した官寺です。官寺とは律令制下、寺を維持していく費用をすべて官から支給され、かつ監督された寺を指します。730年には既に東塔が建立されています。その後、973年に金堂・東西両塔を除いてほぼ焼失したのをはじめ、1445年には大風で金堂が倒壊し、1528年には兵火で西塔も失いました。こうして創建時の建物は東塔のみとなりました。現在、寺に残る建築のうち、奈良時代にさかのぼる唯一の建物となっています。本来、東塔は三重の建物ですが、各層に裳階をつけており、六重に見える塔です。この特異な形が、全体として律動的な美しさを持ち、”凍れる音楽”という愛称で親しまれています。ただ、訪れた際は解体修理により見ることができず残念でした。
 「薬師」とは医者を指します。僧侶はお医者さんとして人々の病気を治していましたそれが薬師如来です。薬師寺とは、薬師如来を祀ることが由来となっています。。ブータンやチベットの僧院で薬学・医学が盛んなことを思い出しました。


 160730 東塔(修理中) 東塔(修理中)


 160730 大講堂 160730 金堂
左:大講堂(平成復元)   右:金堂(昭和50年代復元)


 薬師寺三重塔の様式的特長の一つに「地円飛角」の垂木が挙げられます。天平時代になると垂木は上下二段にある「二軒」となります。下側を「地垂木」、上側を「飛檐垂木」と呼び、地垂木の断面は丸型(円型)、飛檐垂木の断面は角型で、この様式を地円飛角といい。中国から伝来した古風な建築様式です。薬師寺東塔はその最古例として知られています。


160730 二軒 160730 西塔
左: 二軒(講堂)      右: 西塔(昭和復元)


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平城宮ぶらのすけ

 160730 平城宮マップ 平城宮マップ

 
 こんにちは。研究室4回生くらのすけです。分け合って7月末に奈良へ行って参りました。ブログは下書きに早くからアップしていたのですが、先生が紀要論文執筆とオリンピックに熱中されておりまして・・・8月そこでの内容を述べさせていただきます。
 今回は平城宮跡についてです。和銅3年(710)、元明天皇が律令制にもとづいた政治をおこなう中心地として、それまでの都だった藤原京から遷都し、新しい大規模な都をつくりました。平城京のモデルとしたのは、その頃もっとも文化の進んでいた唐(中国)の長安でした。平城宮跡は敷地面積120ha、甲子園球場の約30倍の広さを有する国の「特別史跡」となっています。天皇の住居、政治や国家的儀式を行うための建物のほか、数多くの役所、宴会遊興のための庭園などが置かれており、これらは昭和30年(1955)以来、40年以上に及ぶ発掘調査により明らかになりました。平成10年(1998)、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されました。

第一次大極殿
 大極殿は宮内で最も重要な建物で、即位の儀式や元日の朝賀には天皇の玉座である高御座(たかみくら)が置かれていました。間口44m、奥行20m、屋根の高さ27mで、平城宮の中でも最大の建物です。復元に際しては発掘データや現在残っている奈良時代の建物など参考に多くの専門家が研究して、平成13年(2001)から9年の歳月をかけ平城遷都1300年である平成22年(2010)に完成しました。先生がこの復元プロジェクトに係わっていたことは講義を聴いた学生はみな知っています。
 遺構は基壇の地覆溝の後が残っているだけで、柱配置もじつは分かっていないそうです。そうした遺構を上からふさぐ形で大極殿が建っています。大事な遺構は地下で保存しているとのことですが、これだけ大きな建物の真下にあって、本当に健全な姿で維持されているのでしょうか。復元事業の費用は1棟150億円も投入されています。オーセンティシティが残る遺構を潰してまで復元する必要があったのか考えさせられるところです。


160730 第一次大極殿 第一次大極殿


東院庭園
 平城宮は、他の日本古代宮城には例のない東の張り出し部分をもちます。この部分は「東院」あるいは「東宮」と呼ばれていました。昭和42年(1967)、8世紀の庭園遺跡が発見され、平成7年(1995)から平成10年(1998)にかけて復原されました。この「東院庭園」の復元事業にも先生は係わっていました。「歴史遺産保全論」講義では、復元的な平城宮東院の整備と遺構露出系の毛越寺庭園跡・一乗谷朝倉庭園跡が比較され、先生は自分が係わらなかった後者の方を高く評価されていたように記憶しています。
 東院庭園の地形復原整備では遺構を守り、微妙な形状を表現するため、薄い小石・土盛による保護を原則としています。洲浜遺構と類似した小石を池に厚さ10cm程度敷きつめ、奈良時代の州浜を再現しました。築山は奈良時代の実物をそのまま陳列しています。庭石ですは様々な地方から取り寄せているとのことで、それが重要な意味を成すそうです。
 「中央建物」は、復元平面が法隆寺伝法堂前身建物と良く似ていることから、これに従って復原しました。さらに、角柱の四隅を切りおとし断面が八角形に見える「大面取り」を施した柱が出土したことから、面取り部材を用いた古代の現存建物を参照して、部材のほとんどに面取りを施しました。また、この建物を結ぶ橋が直線的に、北東の待合所をつなぐ橋が湾曲にそれぞれなっています。支える柱の間隔も、前者が一定で後者が不均一とされていますが、これらは根拠に基づいてそうしているとのことでした。先生がこの2月、久しぶりに訪問されたときは檜皮屋根の葺き替え中で素屋根に覆われていたそうですが、今は葺き替えが終わって建物の全景を拝めます。先生も嬉しそうでした。
 庭園の東南隅にある「隅楼」は、見つかった柱は断面が正八角形で、柱の底には石や木の礎板を据えています。また、底面から30cmの位置に貫を通して根がらみを十字形に配しています。こうした地業・基礎の手の込んだ作業からこの建物が2階建てであったと考えられ復原しました。ただ、屋頂部の「鳳凰」については、建物に比して大きすぎるという批判があるそうです。


160730 中央建物と築山① 中央建物と築山                      

160730 隅楼と池 160730 曲水の宴
(左)隅楼と曲池    (右)曲水の宴を催した遣水


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2016居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表06

160727 最終(吉冨) ① 


(2)大鳥屋

 最後は大鳥屋の実測・作図演習の成果を述べる。
 大鳥家の平面図は2009年に東京芸術大学によって実測されており、芸大の平面図(図1)をもとに再採寸を試みた。この採寸の担当は吉冨・垣崎・木村先輩の3人である。

 図2は、1階と増設部分の採寸をした野帳である。大鳥屋の敷地が不整形で長方形でないため、まず外回りから全部測り直した。内部の細かいところは横に詳細図を書きだして寸法を記入していった。


160727 最終(吉冨) ② 


 図3は、2階と1階の一部を採寸した野帳である。大鳥家は中2階のため天井が低く、鴨居は低いところで160cmもなかった。

 図4は先生の野帳。書院造の特徴である長押の位置や、竿縁天井や根太天井といった天井の種類や方向などが記されており、自分たちで測ったものと合わせてみることで、大鳥屋平面の詳細が分かる。箱階段や正面2階の手すりは芸大の図面には描かれていなかったので、今回新たに実測した。


160727 最終(吉冨) ③ 

160727 最終(吉冨) ④ 


 今回の再採寸をもとに現在CADで描き起こしている途中である。図5は大鳥屋1階の平面図。芸大の平面図とは押入部分などずいぶんと幅が違うようにみえる。
 青丸で囲ったところはまだ採寸を終えていないので空白箇所ができてしまっている。オレンジの破線で示した部分が芸大の調査後に改築された部分である。この平面図には敷居線と長押の位置、天井の向きを書き入れている。長押は緑の部分。棹縁天井は和室で良く見られ、壁上部にめぐらした天井の回り縁に棹縁と呼ばれる細い横木を 30~60cm間隔に渡し、この上に板をのせた天井のこと。大引根太天井は2階床を支えるための根太を露出させた天井である。


160727 最終(吉冨) ⑤ 


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2016居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表05

おか画像1 図1


2-2 実測・作図演習の中間成果
 (1)旧小倉家住宅主屋・土蔵


 図1は旧小倉家住宅主屋1階平面の野帳である。1階は水田さんが実測を担当した。1階はとくに増築部分で、柱が見えない箇所が多く採寸が大変だったそうだ。


おか画像2 図2


 図2は主屋1階平面をCADでおこしたものである。1階にはL字型の土間があったが、いまはフローリングされている。畳座敷などに土間の痕跡を残している。土間を除けば一列に部屋が並んでおり、規模が大きくないが分かる。一般庶民階級の住まいであったと思われる。


おか画像3 図3


 中間報告でも発表したが、玄関に入ってすぐに大引・根太天井が組まれ、丈80㎝ほどの、指物が渡されている。そして、建物の西側には、地蔵が接している(図3)。


おか画像4 図4


 図4は旧小倉家住宅主屋2階平面の野帳である。谷口さんが実測を担当した。細部まできれいに描かれている。


おか画像5 図5


 図5は2階平面をCADでおこしたものである。旧小倉家主屋2階は畳座敷が3室並ぶ続き間で、階段上がりの部分に小部屋の洋室をもうけており、昭和7年頃の流行を知ることができる。奥の座敷には、床・棚・付書院をもうけている。今後の旧小倉家住宅主屋の補足調査の課題は、採寸漏れの補足、天井の形式と方向の記載、畳のしき方の確認、引違建具の枚数、長押配置の記載、部屋名称の記載である。


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2016居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表04

よしだ図-1 図1


2.倉吉河原町五叉路周辺の町並み保全
 2-1 旧小倉家住宅・大鳥屋について



 倉吉河原町五叉路周辺の町並み保全について報告する。まずは旧小倉家住宅と大鳥屋での調査概要を述べる。
 今年2月に倉吉河原町(図-1の赤色部分西側)の東地蔵背面にある土蔵を取り壊す話が持ち上がった。土蔵が取り壊され駐車場になれば、町並みは激変。伝統行事である地蔵盆も台無しになり「まちの風情」が失われるだろう。そこで、地元有志が協議し、旧小倉家住宅を国の登録文化財にして、その活用をめざすことになった。4月に旧小倉家主屋と土蔵内部の下見をおこなった。これについては中間発表で報告している。その後、6月22日に実測・採寸調査に着手した。

 図-2の赤枠内の建物が旧小倉家住宅主屋と土蔵で、オレンジの枠内の建物が大鳥屋である。立面図は今年卒業した先輩方によって作成済みなので、今回は平面の調査をした。 具体的な調査の内容は、旧小倉家の主屋と土蔵の実測と採寸、および大鳥屋の再採寸である。大鳥屋平面は2007年ごろに東京芸術大学による実測・作図がなされているが、よくみると敷居線などのない「略平面図」であり、このたび再採寸をおこなって本格的な平面図に改めることとした。

  旧小倉家住宅は、所有者からの聞き取りによれば、昭和7年(1932)の建築だそうだ。所有者はとなりの敷地に新居を建て、こちらの町家は空き家になって数年が経つ。
 土蔵は主屋より古く、中2階の平入り形式である。立川の例にみるとおり、中2階形式は、明治までさかのぼる可能性があり、昭和7年以降に改築されたものと推測される。内部の壁面がベニヤ板に覆われているが、その壁の内側については類似例から推測しつつ、平面と断面の実測をした。岡﨑の報告で詳しく説明する。この土蔵は、地蔵盆の維持をはじめ、地域の活性化を持続する上でなくてはならない文化遺産である。いうなれば、河原町の未来を担う建物といっても過言ではないだろう。


よしだ図-2 図2



 

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スウェーデン

 スウェーデン戦について何か書けるほどの状態ではありません。たぶん多くの方が同じ状態でしょう。深夜、柔道男女90キロ級の行方を追いながら体操男子個人総合決勝に神経を集中させておりました。紀要論文の〆切が迫っていますが、なもん書いている場合ではない。平行棒で オレグ・ベルニャエフ( ウクライナ)が16.10を出したとき負けを覚悟しました。鉄棒で内村が見事な着地をみせてもなお勝てるとは思わなかった。内村という選手はイチロー並みのアスリートですね。東京オリンピックまでぜひ日本チームを引っ張ってもらいたいものです。
 柔道と体操で金メダル3つをゲットし、チャンネルを切り替えるとラグビー・セブンスのフランス戦が始まった。あれが早朝6時半ぐらいだったかな。劇的な逆転勝利で日本はベスト4に進出し、さていよいよサッカーのスウェーデン戦のキックオフ。なんとか気力で目をあけてたんですが、開始10分あまりであえなく爆睡。後半10分ぐらいに目覚めたものの、半眼状態でして、夢と画面のあいだを行き来しておりました。得点シーンは覚えています。終了ホイッスルが鳴るのも聴きました。しかし、敗退は分かっていた。BSのチャンネルを何度か102に切り替えるのだけれども、コロンビア優勢は前半4分からついに変わらなかった。なにぶん内村対オルグの壮絶な果たし合いに酔いしれた後なので、勝ちきっても敗退するゲームを本気で視る気にならなかった。
 というわけで、さきほどからBSの録画を流しております。

 日本のU23代表を「たいしたことない」とか「弱いチーム」だと揶揄する意見を蹴球酒場などで耳にしましたが、決してそんなことはありませんよ。いいチームだ。ときにフル代表以上のプレーをみせてくれることさえある。韓国を3-2の逆転で退けたアジア予選決勝の録画をなんど視なおしたか。あのころまでは手倉森監督の手腕も評価していました。ただ、オリンピックでは空回りした。なにが良くなかったのか、だれの責任なのか、すでにあちこちでコメントされているので、ここで書くのは控えます。

 いまだから書けるのですが、わたしはOAのうち1名は鹿島の昌子源(CB)、もう1名は横浜の中村俊輔(MF)がよいと思っていました。あと一人がなかなか決断できなかった。俊輔については批判的にとらえる人もいるだけろうけど、トーナメントではプレースキックが決め手になる。コーナーはもちろん、必殺のフリーキックで日本の危機を救う可能性があるだろうと思っていました。さて、もう一人はだれが良かっただろうか。大迫、ハーフナー、柴崎などが浮かんでは消えていきました。しかししかし、今回のメンバーでも十分勝ち上がれましたよね。もともとU23は良いチームだし、選出されたOAだって所属チームではエース級です。問題はその使い方、組織化だった。それに、各国ともたいした選手を送り込んできていない。今日のスウェーデンなんてユーロ本戦のレベルからはほど遠いもの。コロンビアもナイジェリアも似たようなレベルですよ。

 他競技がメダル獲得やベスト4進出でわきかえるなか、男子サッカー(と女子バレー)だけが蚊帳の外。初戦、第2戦については、開いた口がふさがらなかった。日本中がそういうムードだったという事実を日本サッカー協会は厳粛に受け止めるべきでしょう。

コロンビア

 キーパーだけ替えて、4バックをいじらななかったことに驚いた。岩波は初戦の塩谷以上に信頼されていないのか。岩波はつらいだろう。しかし、今日のディフェンスは機能していた。井手口と遠藤のダブルボランチを含めてよく組織されていたと思う。少なくとも前半までは。否、90分を通じて日本のペースだったのだが、どんな試合にも波はあり、風が吹き、凪もくる。後半の10分足らずの時間で2失点。1点めは、左からドリブルしてくるコロンビアの選手を前後から挟み込もうとしたが、右後方からチェイスした井手口が外周りの回転になってあっさりふりきられた。初戦1失点めの中島のカバーを彷彿とさせる。このあたり、ユーロ・レベルにはほど遠いディフェンスの脆さだ。
 2失点めはご存じのとおり。ネット上での中傷誹謗がすさまじい状態になっている。藤春選手はおそらく、頭の中で考えていることが爪先に伝達しにくいほど、体力を消耗しきっていたのではないかな。
 まぁね、オリンピックではなんでもおきる。ジョコビッチやウィリアムス姉妹や太田雄貴や石川佳純が初戦で敗れ、内村も鉄棒から落下してしまうのだから、オウンゴールだってあるわさ。オリンピック本番では、だれもが予想だにしない事態がおきるんだ。みなオリンピックで勝ちあがり、歴史に名を刻みたいのだから。

 日本は浅野を先発させる代わりに、ターンオーバーで南野&大島のMFコンビを温存した。2失点後に投入され、日本の攻撃は一気に開花する。南野、大島、浅野の3人は今すぐにA代表入りしても機能するだろう。問題は2-2後の選手交替ではないか。あそこで藤春を下げたい気持ちは分かる。しかし、藤春は左サイドの攻撃で重要な基点になっていた選手である。守りたいのか、1点を取りにいきたいのか。GL突破のためには、点を取りに行くべきではなかったか。鈴木武蔵を投入してほしかった。初戦で得点して自信をつけただろうし、パワープレーに使える。武蔵を出すことで、フィールドの選手たちにもうひとふんばり「攻めろ!」というメッセージが伝わっただろう。折角2-2に追いついて志気があがっているのに、ディフェンス投入でその気概が削がれたように思った。

 コロンビアはひどいチームだ。「組織」などまるでない。中ぐらいレベルの選手が11人集まっただけじゃないか。きっと、ナイジェリアの控え組に苦戦して、引き分けに終わるような気がしている。だから、日本はスウェーデンに勝てばいい。コロンビア戦とは逆に、南野&大島を先発させ、浅野を切り札にするのだろう。藤春は出せばいい。スウェーデン戦で自信を取り戻せ。オリンピックでなにかを掴み、Jリーグに復帰してほしい。

ナイジェリア

 開催国ブラジルに対して南アフリカが素晴らしい戦いをした。組織化されたディフェンスでブラジルの猛攻を押し返すだけでなく、クリアボールを拾ってからのビルドアップがじつに見事で、なんどもブラジルのGKを震え上がらせた。なにより一人ひとりの技術レベルが高い。正確なトラップで、相手にボールを触らせず、正確なパスで味方につなぐ。時としてみせるドリブルにも迫力があった。攻守にわたって粘着性がある。球際に強く、しぶとく、相手を自由にさせない。今朝みた南アフリカならユーロ本戦に出しても恥ずかしくないだろう。ベスト16からベスト8を狙える力があると思って画面を凝視していた。
 ブラジルは叩かれなければならないほど、ひどいチームではないと思う。ただ、ネイマールの立ち位置が若干気になった。背番号10をつけてゲームメーカーの匂いを強く漂わせている。まわりの選手を使う側になっているのだ。もう1枚欲しいね、ゲームメークを任せることのできる選手が。そうすれば、ネイマールはストライカーとして躍動するだろう。現状では、左サイドに貼り付いたゲームメーカーのような役割で、かれの良さを発揮できていない。それでも、ブラジルは十分強いチームなのだが、今朝は、むしろ南アフリカが良すぎたんだ。アフリカ予選3位の南アフリカがこのレベルなのだから、首位のナイジェリアはどんだけ凄いのか、予想するだけで気持ちが暗くなっていった。日本に勝ち目なし・・・

 日本の試合が始まってみると、ナイジェリアは南アフリカほどの躍動感がない。長旅で疲れているのだろうか、それほど切れを感じなかった。ところが開始6分でいきなり失点。13分までに2失点、90分で5失点。アジア最終予選で防御率0.4を誇ったU23日本代表の守備組織は崩壊しきっている。正直書いておくと、開始前、先発GKが櫛引であることを知り、ヤな予感がした。最終予選突破の立役者もアントラーズ移籍で出番を失い、自信をなくしている。実際、何度かキックミスをして逆襲を招いた。キックの失敗というと撫子初戦の山根さんを思い起こしますね。DFも不調であり、なんとか機能していたのは植田だけ。両サイドの藤春(OA)・室谷は後半やや立ち直りの兆しをみせたが、塩谷(OA)だけは救いがたい状態に終始してしまった。OA2名の追加により、4バックラインは明らかにリーダーを失ってしまった。植田を中心とする守備網を再構築するためには、1)まずCBとして岩波を復活させ、2)塩谷は右SBもしくはアンカーにまわすべきではないか、と思います。室谷、遠藤については、今回使えないのではないか?
 かくしてOA2名により混乱を招いた4バック陣ですが、もうひとりの興梠選手もPK決めただけで、ほとんど消えてしまっていた。最年長(30)としてリーダーシップを発揮してほしいし、攻撃の基点となって満足するだけじゃなく、もっと裏を狙って点取りに行かないと。いまの状態ならば、次戦も先発させるべきかどうか、悩ましいところであります。まだまだあるよ。ボランチを中心として中盤の球の繋ぎもひどかった。南アフリカとは真反対だ。トラップができないし、パスが通らない。とくに原川と遠藤のミスパスが多すぎた。あれじゃ攻められません。
 ともかくナイジェリア戦は惨敗だね。なにかの間違いで4点入り、得失点差ー1で終わったのは不幸中の幸いとしか言いようがない。中二日であと2試合。修正しきれるかどうか、アヤシイ限りですが、ターンオーバーを含む大修正以外に途はないわけでして、少なくともGK、OA1~2名、キャプテン遠藤は交替じゃないかしら??

2016居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表03-2

160728谷口発表図⑨ 図9


 1-3 分布図から読み取る町と町並み(続)
 (3)建物保全度と景観貢献度
 図9は宅地植栽の分布図である。濃い緑が「植栽豊か」、薄い緑は「植栽がほどほど」な宅地を示す。植栽は全域的に確認できるが、主に立川町の山際や路地裏の区画が目立つ。宅地正面の植栽は、町並み景観に貢献していると評価した。 図10は建物保全度の分布である。指定・登録済みの文化財建造物以外にも、伝統的な町家や擬洋風建築が点在している。町並みとして連続する場所は多いとは言えないが、やはり町並み保全を考える上で、一番の基準となる建物であろう。


160730谷口発表図⑩ 図10


 最後に景観貢献度について。歴史的な町並み景観に対する貢献度は、もちろん保全度の高い建物がもっとも重要である。しかし、建物の保全度が低くても、道路正面の植栽が豊かな宅地や、デザインのすぐれた現代建築などは景観貢献度が高いと考えた。
 図11の左下は、出雲市の建築家がデザインした新しい土蔵風カフェである。右下の1棟は植栽の豊かな住宅である。いずれも、町並みに良好な影響を与えている。


160728谷口発表図⑪図11




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2016居住環境実習・演習(Ⅱ)期末発表03-1

160728谷口発表図①図1 160728谷口発表図②図2

 1-3 分布図から読みとる町と町並み
 (1)用途・建築形式の分布
 立川~上町~樗谿にかけて町と町並み景観の特徴を捉えるため、データベースをもとに、複数の分布図を作成した。まず用途別の分布図を示す(図1)。グレーの色を塗った専用住宅が圧倒的に多く、全体にまんべんなく分布している。一方、町家・しもたやなどの店舗併用住宅はあまり目立たないが、分布図中に赤い線で示した表通りに面して点在していることが分かる。
 図2は戦後RC・鉄骨住宅と駐車場の分布図である。グレーが空き地・駐車場を示す。すでに広大な面積を占めており、過疎による空洞化の状況をよく映し出している。RC・鉄骨などの新しい建造物もあるが、それ以上に、過疎が進んでいることが分かる。 図3は建築形式の分布図を示す。「町家」と、町家が変形した「看板建築」が、先ほども述べたように、表通りに沿って分布している。近代和風住宅(戦前木造建築)については、表通りよりも、むしろその後背地に広がっている。また、右の町家の写真をみると、2階がとても低いつくりになっていることが分かる.


160807谷口発表図③差し替え
図3


 立川周辺には、このような屋根の低い中2階形式の建物が多く分布している。一般に、2階の屋根が低いほど建築年代は古いと判断できる。屋根の低い中2階形式は、幕末~明治の建築と推定される。図4左の2棟が高2階式だが、左右を比較すると、中2階形式の2階の低さが目立つであろう。
 図5が平屋および中2階形式の分布図である。開発が早くからなされたであろうと思われるエリアを読み取ることができる。


160728谷口発表図④
↑図4 ↓図5
160728谷口発表図⑤



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ノビテルノボテル

 ユーロ以降、すっかりずっぽり都知事選に嵌っておりました。小池さんが圧勝すると予想しておりましたが、ここまで差が開くとは・・・圧勝の原因は、既得権益に塗れた内田と石原親子、そして森本主将を征伐してほしいという都民の期待ですね。ところで、石原といえばアウトレイジ・ビヨンドの裏切り者でしょ。バッティングセンターで元親分の大友に土下座して命乞いし、失禁する加瀬亮の演技はいちばん見応えがあった。上記四名は指詰めたぐらいじゃ、おとしまえつかないよ。映画のなかの石原のように、バッティングセンターでノビテルしてもらいませう。笹川親分、あとはよろしくお願いしますよ。
 そうそう、ブータン調査のトランジットで泊まるバンコク空港のホテルはノボテルと言います。

 さて、野党はどう動くべきだったのか?
 鳥越だろうが、石田だろうが、古賀だろうが、宇都宮だろうが、だれでも同じ。勝てるはずがない。しかし、勝ち馬に乗るチャンスは一度だけあった。小池が先き出し立候補して都連ともめているとき、いちはやく小池支持を宣言すべきだった。共産は無理でも、民進ならできたはずだ。小池にとっては迷惑だったかもしれないが、支持するのは自由なんだから。自由も、民主もない党だと揶揄されてはいたが、党外からの支持は自由にできる。推薦まではしない(推薦すると小池が党籍を失う)。ただ、支持を宣言して自由投票とする。まぁ、結果論ですがね。

 さてさて、次はオリンピックか。日伯親善試合、録画でみましたよ。ユーロのレベルまでは遠いね。ウェールズやアイスランドなら、開催国ブラジルに善戦したでしょう。日本は厳しい。3バック2ボランチ出来ないかね〜〜塩谷いるんだから。あとは、イタリア型の速攻をパターン化しよう。
 グループリーグの初戦は引き分けでいい。絶対に負けてはいけない。勝点1を死守セヨ!

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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